★ 綺羅星学園包囲網 ★
イラスト/キャラクター:桃月りな


<ノベル>

 普段は落ち着いたたたずまいの綺羅星ビハリーヒルズも、厄介なことに、暴徒による騒乱に巻きこまれていた。どうやら高級住宅住まいの夫人の中に、〈赤い本〉の影響を受けてしまった人がいたらしい。女性が直接武器を手に襲いかかってくるわけではなかったが、かわりに「兵隊」を呼びつけてしまっていた。豪邸のセキュリティを任された警備員たちだ。
 彼らのほとんどは特殊警棒や金属バットやそのへんに落ちていた角材を武器にしていたが、中には違法に銃器を持たされている者もいたようで、庶民の憧れの宅地も騒然としている。
 しかし、突然だった――贅沢であったり、やたらと敷地が広かったりという高級住宅が、瞬く間に氷の壁や柱によって出入り口をふさがれてしまったのだ。香玖耶・アリシエートが氷雪の精霊の力を行使したのだ。これによって、正気の市民の安全は守られた。暴徒と化した住民も、自分の家から外には出られないはずだ。あとは、通りで暴れている人々を抑えてしまえばいいだけである。
 そんな中、多くの有志が柊邸の安全を守ろうと集まっていた。市長は勤務中だったため市役所で安全が保障されている。暴徒たちも、特にリオネに敵意を向ける素振りは見せておらず、ひとまず柊邸の周辺は落ち着いていた。
「リオネ、だいじょうぶか?」
 彼女が心配で家の中に上がったアレグラに、リオネはこくんと頷いた。
「リオネ、ケガしないよ。でも……リオネの魔法が、『わるいひとたち』までよぶことになっちゃって……ごめんなさい。リオネのせいだ……」
「ティターンについて、ほかになにかご存知ではありませんか?」
 柊邸の警護に当たっていたルースフィアン・スノウィスが、リオネに尋ねた。ティターン神族についてはイカロスから詳しく聞かされているが、神の子だけが知る情報もあるかもしれない。
「『わるいひとたち』、ここにダイモーンおくるのに、たくさん魔法の力をつかってるの。だから、今いるダイモーンをやっつけちゃえば、しばらくはおくれないみたい。夢のなかで、そんなひそひそばなししてるの、きこえたよ」
「しばらくとは……いかほどでしょう」
「えっと、100年? ううん、200年くらいかも」
「リオネ、それ、『しばらく』言わない。『ずうっと』言う」
「よくわかりました。ありがとうございます」
 ルースフィアンはうやうやしく頭を下げ、邸宅の外に出た。
 ティターンの力によって理性を失った人々が、まだ宅地の平穏を乱している。戦いが終わる気配はまだうかがえない。
「……まったく、神というのは迷惑極まりないものです。どの世界でも……」
 呟く彼に、警棒を振りかざした警備員が襲いかかってきたが、ルースフィアンがなにかする前にあえなく倒れた。
「おいおい、溜息なんかついてる場合じゃないだろ」
 大振りな銃を構えてニヤリと笑っているのは、大柄な女性。神凪華だった。口径がやけに大きいその銃は、一見グレネードランチャーだったが、実際はゴム弾銃だ。のびている警備員も、当たり所がよほど悪くなければ、すぐに息を吹き返すだろう。

★ ★ ★

 不意に、綺羅星ビバリーヒルズの中におだやかなヴァイオリンの音色が流れ始めた。
 ある豪邸の、警報スピーカーから流れているのだ。演奏しているのはサキであり、警備システムを乗っ取って曲を流しているのは、ディーファ・クァイエルである。
 暴れまわっていた人々が呆けたように立ち止まった。武器を落とす者もいる。
「これだけじゃ不十分だ。モトから絶たねぇと……」
 セバスチャン・スワンボートは、ぼうっと鎮魂曲を聴いている警備員のひとりに詰め寄った。
「おい、あんたが知ってる〈赤い本〉はどこだ! 近くにあるんじゃないのか!?」
 警備員はセバスチャンの叫び声にははっきり答えなかった――が。
 セバスチャンは、彼の過去を読み取れた。
〈赤い本〉……。彼は、この高級住宅地の……ある豪邸の中で……雇い主の妻が本を読んでいるところをはっきり見ていた。
「誰か! 『小笠原』って人の家に行ってくれ。デカい煉瓦造りの家だ、そこに〈赤い本〉がある。本を燃やしちまえ!」
「承知した。皆に通達し、俺は空からその屋敷に向かおう」
 そばにいた掛羅蒋吏が、セバスチャンの頼みを聞き、妖鳥の背に乗って空に飛び立った。

 至急、小笠原邸へ。
 その連絡は蒋吏が放った鳥によって、有志たちにもたらされた。神龍命とアルヴェスは、連絡を受けたとき、もっとも小笠原邸の近くにいた。
「どうやら、こっちもちょっと荒っぽくやらなきゃいけないようだね」
「ひょえー、なんかこのうちすっごい大きいよ。男のひともいっぱいいる」
「アルヴェスがいるから、防御は完璧だよ」
 香玖耶が築いた氷の壁の一角を、アルヴェスは水に戻した。
 ヴァイオリンの音色はここでも聞こえる。庭でぼんやりしている警備員の間をくぐり抜け、命は〈赤い本〉を見つけた――それは、白いバルコニーの、白いテーブルの上に置かれていた。
「本っていうのは、夢を与えるものだ。映画と似たようなものさ……」
 キュキュにかけてもらった飛行魔法のおかげで、青柳誠治はすぐにこの場に駆けつけられた。禍々しくさえ見える〈赤い本〉を見て、そうこぼす。
「でも……、でも、この本が言っていることは正しいわ。この街の恐ろしい事件は、みんなみんな、ムービースターが起こしていることじゃない!」
 バルコニーには、〈赤い本〉の持ち主である小笠原夫人がいる。彼女は金はあるが、何の特殊な力も持っていない。続々とやってくるムービースターの前で、傍から見えるくらいがたがたと震えていた。
「アレグラたち、だれもいじめない。ちょっと前までみんななかよしだった。それ、わすれたのか?」
「ボク、ずっとみんなといっしょにいたいよ。悪いことしないし、したことないよ……それでも、ダメなの?」
「ダメさ。わかってくれねぇよ。こんなもんがある限りはな」
 セバスチャンはぼさぼさの前髪の奥から、赤い本を睨みつけていた。
「……」
 香玖耶の指先から、精霊が起こした小さな火が飛ぶ。小笠原夫人は、ヒッと悲鳴をのどに詰まらせ、その場にへたりこんだ。香玖耶が放った火は、〈赤い本〉を一瞬で焼き尽くし、夫人はもちろん、テーブルさえも焦がさなかった。
 サキのヴァイオリンが、ゆっくりと尾を引きながら消えていった――。





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