★ 綺羅星学園包囲網 ★


<ノベル>

「なんだなんだぁ!?」
 ゲンロクは、街へ野菜を卸しにきたところだった。
 異様に殺気だった目をした群衆が、あちこちで暴れまわっている。狙われているのは――ムービースターだ。力のないものは袋叩きに合い、力あるものも反撃していいのか戸惑っているうちに騒乱に巻き込まれていく。
 当初、ゲンロクは黙っていればスターとは見えないから、被害をまぬかれていたものの、誰か彼を知っているものがいたのだろう。あるときから標的のひとつとなってしまった。
「まあまあみんな落ち着け落ち着け!」
 聖林通りが、見渡す限りの野菜畑に変わった。ゲンロクのロケーションエリアでは、誰もが穏やかな心持になる。……そのはずだったが、たしかに効果があらわれてふと我に返ったものもいる一方、変わらぬ凶相のままゲンロクを追ってくるものもいる。
「やめてください! 落ち着いて、スターは怖くないです!」
 三月薺が張り上げる声もむなしく、暴徒の手がゲンロクに掴みかからんとなったその時。
 先頭にいた男が悲鳴をあげてもんどりうった。
 すい、と立つ長身。灰色の前髪の下から、唯・クラルヴァインの紫の瞳が周囲を見回す。
「……殺さないと、殺される。……それは別に、特別なことじゃない……が――」
 並び立つリシャール・スーリエが、銃口を人々に向ける。
 射出されるのは、殺傷能力を持たないゴムの弾丸だった。それでも、的確に急所を撃つ射撃は威嚇には十分であって。
「……この戦場……ムカつく」
 苛立ちのもとはきっと、このムービースターと市民たちの争いが、自発的なものではないという不快だったかもしれない。見えざる扇動者が、いる。
「大丈夫か」
 イェータ・グラディウスがゲンロクと薺に声をかけ、避難を勧めた。
 ゲンロクは礼を言うと、ロケーションエリアを収める前に、ハクサイを引っこ抜くと、イェータに手渡した。
 見事な野菜にほほを緩めながら、振り向いたイェータはすでに軍人の顔に戻り、傭兵団に号令を発するのだった。

 一時、インターネットと携帯メールが不通になった。
 リョウ・セレスタイトの干渉だった。
 識ることの枷・テイアの『言葉』が蔓延していくのを、まずは止めなくてはならない。

「テイアってやつを探せばいいんだな」
 フェイファーは、ミッドタウン上空で太助に会い、事情を聞いた。
 太助は鷹に化けて、鳥部隊を指揮しているところだった。ちなみに報酬は、緊急招集がかかって放置されたワゴンからいただいたポップコーンだった。
 太助と鳥たちが空に散り、その中に天使がくわわることになる。

 清本橋三は、先ほどから何度倒されただろうか。
 しかしそれでいい。
 斬られ役の本領を発揮し、暴徒たちの目標にみずからがなることで、相当数の群衆をひきつける囮に彼はなっていた。
 この間に、誰かが騒動の中心を抑えてくれるだろう。

「人のたくさにんいるところにまぎれ込むに違いないわ!」
 リカ・ヴォリンスカヤの、その直感は正しかった。
 川原貴魅子は学園を脱出したあと、ミッドタウン方向へ逃走を図ったのだから。
 彼女は何の乗り物も使用していなかったが、異様なスピードだった。ムービースターほどではないにせよ、川原貴魅子本来の身体能力とは思われない。肩の上で、バッキーに似て非なる生き物――ダイモーンが、かっと牙のある口を開ける。まるで、おのれの操り人形を叱咤するかのように。

★ ★ ★

「見つけた! 逃がすかぁああああああ」
 長谷川コジローの自転車の速度は凄まじかった。
 いつかのトライアスロンの雪辱とばかりに、加速する。後ろからくる古辺郁斗と森部達彦が――コジローもスポーツ選手だが、ふたりも鍛えられた武道家であって、体力ではひけをとらないはずだったが、コジローにはなにかがとりついてでもいるかのような気迫があった。
「……」
 川原は追い上げてくるコジローに気づいて舌打ちする。
 ミッドタウンは、もともとの人の多さゆえ、大混乱に陥っているはずだった。その中に飛び込んでしまえば、すみやかに身を隠せるはずだったのに。しかし多くのムービースターや市民の活動が、暴動を鎮圧していたのだ。
 そして。
 路地から飛び出してきたバイクが、彼女の行く手をふさいだ。
「ばっちり! ありがとう小瑠璃さん!」
「三人乗りてむちゃするなあ」
「さア、鬼ごっこはおしまいデスよ!」
 とんぼを切って飛び降りたのは蔡笙香。一息に間合いをつめ、川原に――いや、テイアに迫った。
「!」
 ベージュ色の魔法の獣が、あやしいガスを噴き出す。
 それが笙香と、うしろに続く相原圭を巻き込む。
「ウ――」
 ふたりは立ちすくんだ。
『周りを見よ。汝らを害する夢幻の群れを』
 テイアは命じた。その声は、もはや川原貴魅子のものであってそうではなかった。声は彼女の口から発せられているようでありながらダイモーンが言っているようにも聞こえ、また、どこか遠い、途方もなく遠い場所から聞こえてくるようでもあった。
 ふたりが見当違いの敵意と怯えのないまぜになった目を周囲に向けたとき、針上小瑠璃が恐ろしい勢いで突進してきて、圭を平手打ちした。
「あほう! ミイラ取りがミイラになってどないすんや!」
 その隙にテイアは身を翻していた。
 だが彼女の居場所は、すでに市民たちのネットワークの中をかけめぐっている。頭上では無数の鳥たちが輪になって、彼女はここにいるぞと教えていた。
 今、テイアの視界の中にいるのはガスマスクをつけたひとりの兵士だ。
 そのライフルの銃口が、彼女へ向く。容赦ない、黒金が冷たく光った。ためらいなく引き金を引く。
「だめ! ブレイフマン、だめよ、実弾は!」
 ガスマスクに後ろから組みついたのは二階堂美樹だった。
 放たれた弾丸はそれて、川原貴魅子のかわりに近くのビルの窓ガラスを粉砕した。
「あれが敵だろ?」
「威嚇以外はダメって、ストラも言ってたでしょ、忘れたの!?」
「……」
 ガスマスクの奥で、ブレイフマンの瞳がとまどったようだった。
 そのガラスをさっと横切った影がある。
「みーつけた!」
 ベルだ。
 犬の耳と尾をもつ隻腕の狩人は、驚くべき身軽さであった。
「殺さないって難しいんだよー。でも、やるしかないか……!」
 ベルは、一撃で川原貴魅子をしとめた。
 短い悲鳴をあげて、国語教諭は――そう、彼女は二十代の、ただの女性でしかなかったから……たやすくベルに組み伏せられた。だがその前のひと幕を見ていたならわかったように、真にとらえるべきはこの女ではなかったのだ。
 ダイモーン。
 邪神の送り込んだ獣が、脱兎のごとくに駆け出した。
 しかし!
 ダイモーンの駆けていたアスファルトが、突然、水面になった。
 キスイだ。
 水の妖魔は、最初からこのダイモーンを狙っていた。川原貴魅子のほうは、足の一本でも切り落としてよいとさえ考えていたのだ。
 生き物のようにうねる水の蔓が、ダイモーンの逃亡を阻止した、と見えた次の瞬間、飛来したナイフがダイモーンの首に突き刺さっていた。
 リカ・ヴォリンスカヤもまた、ダイモーンを仕留めることを念頭に、身を隠して機を見ていたのだった。

『おのれ……』

 燃えるような、凍えるような呪詛と怨嗟を込めた声を、人々は聞いた気がした。

『今一歩であったものを……。よかろう。此度は勝ったと思え。しかしたとえこの地を去るとしても、このテイアは識っておるぞ。そなたらの中にこそ、滅びの糸口があることを。心せよ。すべてを焼き尽くす渇望を。あまねく虚無をもたらす忘却を。何人をも惑わす愚心を。永久に雪がれることない罪苦を。いずれ地上がわれら眷属の軍門に下りしとき……またまみえよう……』

★ ★ ★

「テイアも敗れたか……」
「見込み違いですかな」
「……嬉しそうだな、アトラース」
「貴方が私を頼るとは思いもよりませんで。ヒュペリオン」
「おまえこそ僕の力が必要なんじゃないか」
「さて。私にはかわいい娘たちがおりますゆえ」
「強気だな。まあいい。まだ終わったわけじゃないからな。いや……まだ始まったばかりだと言ってもいいんだ……」

★ ★ ★

 暴動は、うそのように終息した。
 鎮圧活動がうまくいったこともあるが、その瞬間、すべての暴徒の心の中から、それまでかれらを支配していた不安や恐怖が消えうせたからだった。
 川原貴魅子は一連の事件を何ひとつ覚えていなかった。
 彼女はここ数か月の間、それまでと変わらぬ生活をしてきたつもりのようだ。自分がバッキーめいた生き物を連れていたことさえ覚えていない。ただ、人間がふだん、無意識に自身の肉体に課している制限を超えて運動したせいか、身体にはダメージを受けていて、すこしの間、中央病院に入院することになった。心理面のケアは、ドクターDが行うらしい。
 白銀のイカロスは、ぷい、と姿を消してしまった。
 他にも市内にまぎれこんでいるはずのティターン神族の動向が掴めたら、また連絡すると言い残して。
 『赤い本』は、何冊か、現存していて、対策課や銀幕ジャーナル、あるいはもともと所持していたものの手元に今もある。しかし、もはやそれは、ただの悪趣味な小説に過ぎなかった。

 綺羅星学園も、一週間ほど休校になったが、その後、授業が再開された。
 窓ガラスはほとんどが割れて総とっかえになり、図書室で小火があるなどしたが、さいわい、死者がいなかったことが不幸中の幸いである。
 落ち着いたら、綺羅星学園では、延期になっていた文化祭を行う予定でいるらしい。

 すべてはテイアが撒いた種ではあったが、それを育んだ土壌は市民の心だ。
 思うところのあるものもいたかもしれない。
 それでも、騒乱の去った銀幕市の冬空はどこまでも澄み切っていた。







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