<ノベル>
「待ちなさい!」
二階堂美樹の手からカラーボールが放たれる。犯人をマーキングする警察の装備だ。
――と、彼女の視界が押し寄せる人波にさえぎられる。命中したかどうか確認できないのに、かるく舌打ちし、そのまま群衆に飛び込んで行った。
ベルがそれに続くのへ、
「頼むぞ」
と、栗栖那智が彼の背を叩く。単なる激励ではなかった。小型の発信器がベルに付着したのに気付いたものはいない。那智は身を翻して、川原貴魅子を追うのではなく校舎へと駆けこんでいくのだった。
突き飛ばされ、悲鳴をあげて、冬野真白は尻もちをついた。
「大丈夫か!」
「か、神谷くんが――」
駆け寄ってきたのは長谷川コジローと浦安映人だった。
「どっちに行った!?」
「わ、わからないの。ねえ、神谷くんどうしちゃったの。さっきの――私、つい聞いちゃったの」
「……たぶん、あいつは……あいつじゃないんだ」
暗い声で、映人は言った。
「とにかく、きみは安全なところへ」
コジローが真白を促す。
そこへ古辺郁斗の姿。
「中等部のほうへ行くんだ、あっちのほうは比較的落ち着いてるらしい」
どうにか暴徒を振り切ってきたところらしい郁斗は息を弾ませ、汗をぬぐいながら言った。
彼は携帯で中等部の兄弟弟子に連絡をとったと言った。それから、『対策課』とも。
「どうやら国語の川原先生が事件に関係してるらしくて、学外に逃げたらしい。俺は彼女を追うつもりだ」
「俺も行く」
コジローはすかさず名乗りをあげた。
おりしもそこは、校舎裏の自転車置き場。拝借できるものがないか、コジローはすばやく視線をめぐらせた――。
「ムービースターだ! やつらが全部悪いんだ!」
「追い出せ! 学校から全部追い出せ!」
口々に、そんなことを叫びながら暴れる生徒たち。
「そうだそうだー」
微妙に棒読みで口を合わせながら、相原圭がその群衆にまじっている。そして隙を見て、そっと離脱。足早に、校門へ向かった。
「どうにかなりましたかネ」
蔡笙香が歩調を合わせてきた。
「あー、心臓に悪いな……。小瑠璃さん!」
圭が声をあげると、校門でバイクに跨り、待っていた女性が手をあげる。
「なんやの、この騒ぎ。それに急に呼び出して、そのあとメールも見るな電話にも出るなって……?」
「あとで説明するよ。とにかく、大変なんだ」
★ ★ ★
「ちょっとコレなんなの! みなどうしちゃったわけ!? ぎゃーーっ、とりあえず暴れんなっ!」
新倉アオイの絶叫。
すんでのところで飛んできたイスが彼女をかすめ、廊下の窓を突き破った。
「こ、これはちょっとシャレになってないわよ」
状況がよく掴めないが、学校中が大変なことになっているらしい。
教室のカーテンをひきちぎり、闘牛士よろしくつっこんできた生徒の視界を奪って容赦なく足蹴にした。
しかし、そんな彼女に背後から組みつこうとする別の生徒がいる。
「っ!」
危ない――と思った瞬間、ぼふっとなにかの粉末が炸裂して、襲ってきた男子はのたうちまわった。
「こっちです!」
綾賀城洸が手まねきしている。
「今の何!」
「胡椒&一味唐辛子バクダン」
Y字パチンコを見せて、ちょっと笑うと、洸はアオイの手を引いて駆けだした。
「対策課から人が来てくれるみたいです。それまで、どこかに隠れましょう」
「何が起こってるの……」
走りながらアオイが廊下の窓から外を見れば、そこもすでに阿鼻叫喚の巷であった。
その中に、ジャスパー・ブルームフィールドと有栖川三國の姿をみとめた。
「おっと!」
廊下の角で、出会い頭にぶつかりかけたのはシュウ・アルガだった。
「ね、何が起こったかわかる!?」
「とりあえず、〈探索蝶〉を飛ばしてみた限り、学校中は大騒ぎってことかな。いや、学校の外にも混乱が広がってる」
シュウは応えた。
実際には、このときすでに、シュウが蝶で見た以外の場所にも暴動が起こりはじめていた。
わけのわからない奇声をあげて、近くの教室から飛び出してくる生徒へ、シュウは魔法の電撃を浴びせた。
「心配するな。だいぶ弱くしてあるから。これで正気づけばいいが。……ああ、そうだ。対策課の話だと川原ちゃ――いや、川原センセがなにか関係してるらしい」
「国語の川原先生!?」
洸とアオイは顔を見合わせた。どういう意味か、とっさにはわかりかねるほどに、かれら生徒の認識では、川原貴魅子は目立たない地味な女教師にすぎなかった。
「みんなギョーギよくの、コトです」
ジャスパーは学園に英語を教えにきている講師だ。しかし今、彼はあきらかに目つきのおかしい生徒たちに取り囲まれている。
「うるせぇ、ムービースターが!」
「みんなっ、落ち着いてくださいっ」
三國の訴えもむなしく、生徒の金属バットが唸りをあげる。
「よく分かりまセンが」
蔦だ。ジャスパーの力によって一瞬にして伸びた蔦が、生徒たちを捕縛する。
「なにか悪い魔法が働いているようようデスね」
三國は自由を奪われてもがいている生徒の手から武器を放させていく。
「あんまり無茶はしないでくださいっ」
「生徒にケガさせるのはダメの教師ですカラー」
そう言って、ウィンク。そうではなく、ジャスパーが心配なのだ、と三國は思った。あきらかに、ムービースターへの敵意をもって生徒たちは襲いかかってきた。
「オンドゥルラギッタンディスクァアアアアアアアアア!!!!」
理科準備室の扉が吹き飛ぶ。
バズーカめいた筒を肩にかついで飛び出してきたのはクレイジー・ティーチャー。
「ちょ、先生!先生!」
真船恭一がクレイジー・ティーチャーの白衣の裾を引いたが、むろん、それしきのことで彼を止めることなどできはなしかった。
「何でだよカミサマが何なワケまじウザいぶっ殺してイイかなこれだって明日の授業の為に用意してあったっつゥのにサァそもそも生徒カンケーねぇしアアアアアア〜〜〜〜〜腹立つゥううううう!!!!」
学園がこのような事件の渦中に投げ込まれたことが相当腹立たしいと見えるクレイジー・ティーチャーは、彼なりには正気なのだが、暴徒とあまり違わない様子で、謎のバズーカ状のものから、正体不明の粘性の物質を発射しまくっていた。それがねばねばと広がって誰彼かまわずからめとっていく。
「危ないムービースターが暴れてるぞォ!!」
暴徒たちが叫んだ。
ここに限っては正論だが――、真船は、かぶりを振った。
「なんでそんなことを……、嬉しかったことや、楽しかったことは無視するのかね? 彼らの今までの好意は!?」
「真船先生」
スクールカウンセラーの森砂美月が、相談室の扉を少しだけ開けた隙間から、真船を招いた。彼女はそこに、何人かの逃げてきた生徒と立てこもっていたのだ。
真船はやりきれないといった表情のまま、しかし、圧倒的な暴力の壁にあらがうすべを知らず、ひとまず退避を選択する。
★ ★ ★
「はは、面白いね、この光景……」
屋上に立つ人影。
ヘンリー・ローズウッドは、地上を見下ろし、うすら笑いを浮かべた。
だがほどなく、その笑みが歪みをおびる。
「……でもやっぱり不愉快だ」
ワンステップで屋上の鉄柵を乗り越える。
宙で身を翻し、するりと飛び込んだのは、図書準備室だった。
もう文芸部の生徒も、ここにはいない。
「ムービースターは危険――そんなこと、わざわざ教えてもらわなければわからなかったっていうのかい? こんなもの……手間暇かけて手作業で作って」
開け放った棚の中に、ぎっしりと詰まっている『赤い本』。
そのうちの一冊をするりと抜きとる。
「何してる!」
声がかかった。
那智だ。
「おい、その本を……」
ヘンリーは応えず、マントの裾を翻して飛び出していった。
「!」
なにがどうなったのか、棚の本が、火に包まれるのを那智は見る。
舌打ちして、消火器を求めて、廊下に走り出る。
火災報知機の不吉な音が鳴り響きはじめた。
騒ぎに全員が飛び出して行ってしまい、無人になった職員室に、ルヴィット・シャナターンがいる。
さっき、廊下で腰を抜かしていた職員に〈暗示〉を施して質問に答えてもらったので、川原教諭の席がわかった。そこに座り、パソコンのキーを叩く。ありふれた指導案にまじって、『赤い本』の原稿になったとおぼしきテキストも大量に保存されていた。もっとも、それだけでは、単なる小説にすぎないのではあったが――。
職員名簿のファイルが見つかり、川原の自宅住所などの情報を引き上げると、ルヴィットはそれを『対策課』へ転送した。
そのときである。
すべての電灯が消え、学園が闇に包まれたのは。
対策課の依頼で、学外からも応援が入りはじめたところだった。
柊木芳隆は部下を率い、学園を包囲して逃げだすものが――特にあの『赤い本』が外へ出ることのないよう現場を封鎖したところだ。
エンリオウ・イーブンシェンは眠りをもたらす魔法の風で、生徒たちを眠らせ、争いを収めていた。
神崎直人も、人々の身につけているものの「時間を止め」て、動きを封じている。
その一瞬、周辺に、時ならぬ闇の帳が下りる。そして、バラバラと降り注ぐヘリの音……。
「ちょっと、これ……あいつらだわ!」
レモンが叫んだ。
彼女は川原貴魅子が隠れでもしていないかとロッカーをかたっぱしからあらためていたところを暴徒に遭遇し、ウサギキックで応戦したり、相手の口の中にパンをつっこんだりしていたところだった。
彼女は、この現象に、かつて遭遇したことがある。
「チーム・オスター、左翼にまわれ。催涙弾の使用を許可する」
「ダ・ヤア!」
ガスマスクの兵士たちが、学校の敷地にわらわらと立ち入ってくる。
わめきながら、竹刀を振り回していた体育教師に、兵士のひとりが麻酔銃を撃ち込んで黙らせると、暴徒はたちまち恐慌状態になった。それはまさしく、かれらが恐れる「ムービースターの脅威」以外の何物でもなかったが、しかし生半可な悲観よりもさらに圧倒的に、『ハーメルン』の戦力は驚くべきすみやかさで、学園を制圧してゆくのだった。無軌道に暴れる群衆など、訓練されたテロリストたちの前には烏合の衆でしかない。
「こういうときは頼りになるわね!」
レモンが、なれなれしくケイ・シー・ストラに話しかけてくる。
「ブレイフマンはどこ? 全員マスクだからわかりゃしないわ」
「ジェーブシュカ、カーミェッヒ。ウント。カーミミェッヒ」
「何?」
「貸出中だ」
ストラは応えた。
上空を、一本の鉄骨が飛ぶ。
上に立っているのは蘆屋道満だ。工事現場から拝借した鉄骨を浮かせて乗り物がわりというわけだ。
道満の鷹の目が、地上をくまなく見渡す。
女性の脚で、所要時間を考えるとこれより遠くまで逃げおおせるとは思われなかったが、いまだ川原貴魅子の姿は補足できてはいない。
ふいに、闇が途切れて、もとの青空は頭上に戻ってきた。『ハーメルン』のロケーションエリアを抜けたのだ。前方はミッドタウン。道満は眉をひそめた。繁華街のほうからも、怒号や悲鳴、破壊音などが聞こえてくる。混乱は、各地に飛び火しているようだった。
そのとき、学園では那智が、発信器の移動した方向を確認していた。
それもやはり、ミッドタウンへ向かっていたのだ――。
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