★ 綺羅星学園包囲網 ★
イラスト/キャラクター:Refrigerator


<ノベル>

 アップタウン住宅街のはずれ。津田俊介とルイス・キリングは、川原貴魅子の自宅をつきとめ、そこに足を向けていた。ときおりガラスが割れる音が聞こえてくるものの、多くの家は固く戸締まりして、騒ぎから距離を取っている。
 川原貴魅子は母親と同居しているようだった。ルイスは家に忍びこもうとしたが、先手を打たれてしまった。貴魅子の、年老いた母親が出てきたのだ。
「あの子は、しばらく帰ってきていないんですよ。学校に泊まりこむくらいの仕事ができたと言ってね……」
「……そうですか」
「〈赤い本〉、娘サンから渡されたりしてない?」
 ルイスが尋ねると、貴魅子の母親はキッとふたりを睨みつけてきた。
「あの子はそんな大それたことをやる子ではありません。今の貴魅子は、貴魅子の皮をかぶった悪魔です」
「……あ……その……」
「出てってください。貴魅子はここに来ません!」
 老婦はぴしゃりとドアを閉ざし、俊介とルイスは顔を見合わせた。

★ ★ ★

「不信感をあおるなら、心の弱い人をターゲットにするかもしれない」
 小日向悟の考え方に呼応したか、はたまた偶然か、多くの有志が銀幕市中央病院の守りを固めていた。街じゅうで起きている暴動で、怪我人が出ないはずはない。騒ぎが起きてから、続々と怪我人が運びこまれている。そしてほとんど対象が無差別化してきている、ムービースター恐怖症の人々――暴徒も、中央病院に向かって突進や投石を繰り返していた。
 この騒ぎでも眠り続けるのぞみを心配して、彼女の病室の内外には護衛がついていた。Soraは不安にかられる人々から自分の身を隠すのも兼ねて、のぞみの病室の中にいる。自分自身と絶望が描かれた〈赤い本〉を、肌身離さず持ち歩いていた。
「あなたは……何をしているのかしら」
 Soraは眠るのぞみに問う。答えが出ない、答えが返ってこないことなど、わかっているのに。
「む!? 貴殿、その本は!」
 のぞみを護衛しようと、新たに警備要員に加わったコーター・ソールレットが病室に入ってきて、Soraを見るなり刀に手をかけた。Soraはハッと顔を上げ、〈赤い本〉を抱きしめる。
「その本はハイパー危険極まりないものだ。拙者が叩き切ってくれる、レッツ本を放されい! ハリアップ!」
「――警備、ご苦労様です。ソールレットさん、Soraさんにとって、その本は『そばに置いておきたい大切なもの』にすぎないのです。ここならば、エキストラの方々の目に触れることもないでしょう。皆様が厳重に警備してくださっているのですから」
 Soraを助け、コーターをやんわりと制止したのは、ドクターDだ。コーターは表情の見えない『顔』を交互にドクターとSoraに向けていたが、やがて納得して引き下がった。
 ドクターの後ろには、今日一日彼と行動している流鏑馬明日がいる。のぞみが無事であることを確かめ、無表情で安堵の溜息をついていた。今はドクターとともに、のぞみを含む患者に危険が及んでいないか確認しているところだ。
「ああ、ドクター、ここにいたのか。探したぞ」
 ルークレイル・ブラックが現れ、ドクターDの前に立つ。
「今回の一連の事件に関係してる患者は、外で暴れまわってる連中を無力化させてから、ぜんぶひっくるめて近くに隔離するつもりだ。人数は多くなるだろうが、ケアを頼めるか?」
「わたしでよろしければ、喜んで。ブラックさん、どうかご無理はなさらないように」
「大丈夫だ。俺ひとりで立ち向かうわけじゃない」
 ルークレイルは眼鏡を押し上げ、足早に病院の外へ向かっていった。

 外――。
 病院の周辺で暴れまわり、不安に怯え、わめきちらす人々の数は増える一方だ。まるでなにかに吸い寄せられるかのように、中央病院に集まってきている。さながらスーパーマーケットに群がるゾンビだ。
「この集まり方は異常です。エレクス、まさか、ここに……」
「いや……さっきからずっと『見て』るが、川原はここにいない」
 暴徒を鞘に収めたままの剣で叩き伏せ、ふたりの騎士――ギルバート・クリストフとエレクスは川原貴魅子を探している。人が続々と集まってくることには必ず理由があるのだろうが、エレクスが『鷹の目』で見るかぎり、ここには川原も、ダイモーンの姿もないのだ。
「あなたたち、なに考えてるのよ!」
 病院の入口の前から、少女の叫び声。ふたりの騎士は振り向く。
「ムービースターがあたしたちを殺したり傷つけたりするだけのひとたちなら、とっくにみんな死んでるわ。2年も一緒に暮らしてきたんだよ!? そんなことも忘れたの!?」
「うるさい! おまえはバッキー持ってるじゃないか。オレたちと違って、まだ抵抗する力があるだけマシなんだよ!」
「そうよ! わたしたちの不安も知らないで!」
 少女の――沢渡ラクシュミの説得は、まるで通じなかった。それどころか彼らは猛反発し、抵抗する素振りも見せないラクシュミに殴りかかっていく。
「うわっ、ま……待って! やめてください、落ち着いて!」
 慌てて横からクラスメイトPが飛び出し、ラクシュミを守るために人々に呼びかけたが、もはやパニックはとまらなかった。ムービースターだったこともあって、あっさり騒乱に巻きこまれる。
 ギルバートとエレクスは、もう、ただ見ているだけではなかった。ラクシュミとクラスメイトPを助け出すために、異変に気づいたウィレム・ギュンターとジナイーダ・シェルリングも騎士たちを手伝う。
「大丈夫ですか!? すぐ中で手当てを!」
「いたた……ぼ、僕は大丈夫です……いつものことですから……」
「どうして……、どうしてよ、みんな……」
 すでに何発か鈍器で叩かれていたラクシュミとPだったが、幸い軽傷だ。しかし、ウィレムとジナイーダに抱えられたラクシュミは、ぽろぽろ涙をこぼしていた。
「お願いです――ほんの少しでいいんです、あと少し、大人しくしていてください……! 犯人も、原因も、もうわかっているのですから!」
 ランドルフ・トラウトの声も、彼らに届かない。今の彼らにとって、ランドルフは人を喰う怪物以外のなにものでもなかった。やむをえず筋肉と骨を『覚醒』させた彼の姿を見るなり、人々は一斉に彼に向かってものを投げ始めた。さすがに彼に直接殴りかかるほどの勇気はないようだ。
 ゴアァッ、と獣とも怪物ともつかない恐ろしい声で、ランドルフが咆哮を上げる。彼に敵意をむき出しにしていた者たちが、その咆哮によって一瞬凍りついた。
 その、一瞬の静寂に――男の堂々たる声が響きわたる。
「目覚めよ!」
 ばさり、と病院の屋上でひるがえる黒い外套。
 美しい声と稲妻のような命は、ブラックウッドが放ったものだった。
「『智』は徳である。『正義』『勇気』『節制』に並ぶもの。恐怖と絶望へ駆り立てるために行使するは、悪徳である! 吾らが近づくべき徳を汚すことなかれ!」
 彼の言葉に貫かれた人々は、数秒ばかり押し黙った――
『黙れ!』
 しかし、声をそろえて、かれらは叫ぶ。
『黙れ、夢幻ふぜいが! 黙れ! このテイアは神であるぞ! 夢幻ごときが神に思想を語るなぞ、おこがましいわ!』
 ブラックウッドはそれでも、ゆったりと微笑んでいた。いや、その怒声を聞いて、よりその笑みは大きくなったか。
「その意気やよし。しかし、興奮のあまり『操作』がおろそかになってはいないかね、旧き女神よ」
 それはただの呟きであった。
 彼が言うように、暴徒たちはブラックウッドを見上げたまま微動だにしていなかった。やがて桑島平、赤城竜、そしてルークレイルが、人々を病院の隣の建物内に誘導し始めた。





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