★ ベヘモット討伐作戦 ★
イラスト/あなQ


<オープニング>

 どこに行った!!

 言葉でもない、声でもない咆哮で、怪物はわめいた。

 誰がどこにやった! どこに逃がした。 どこにも行かせんぞ! わたしのものだ。わたしひとりだけのものだ! みんなみんな、わたしだけのものだ!

 ああ、ムカデと呼んでもいいものなのか? 脚は、怪物の長い胴体の、片側にしかついていない。バランスなど取れるはずもないのに、脚を伸縮し、胴体をくねらせ、異形はあたりをうろつきまわる。建物などは紙の箱のように踏み潰された。
 戦慄すべきは、胴体の、脚がついていないほうの側面だった。
 ずらりと、楕円形の口がいくつもいくつもいくつも並んでいた。鋭い牙が、唇のない口の中に無数に生えている。牙のあいだから、下水の匂いを放つ涎が絶え間なく滴り落ちている。すべての口は、それぞれが別個の意思を持っているかのように、てんでばらばらに、気まぐれに、がつがつと開閉されていた。もしや、不可視の何かを食っているのか。仙人が霞を食うように。
 あれは、今日の銀幕市民が、ディスペアーの呼んでいるものの……親玉だ。
 レヴィアタン。大きさも、放っている『気』のようなものも、あの巨大な異形の魚と同じだ。

★ ★ ★

「19時45分……。この巨大ディスペアーが身体を起こしたことで、地震が起こったと考えたほうがいいだろう。これが、『震源』なのだ」
 マルパスはビデオや写真を見つめ、顎を撫でた。以前、レヴィアタンの姿を見ただけで身体に変調をきたしたので、念のためゴールデングローブを身につけている。
「余震、と言ってもいいものなのかわかりませんが、微震が続いているようです。このディスペアーは、今も活動しているのでしょうね」
「活動といえば、報告によると、このゾーン内のディスペアーは午前6時から午後8時までと、活動時間を正確に定めているらしいな。興味深い習性だ。今後の作戦に役立てられるだろう」
「……病院です」
「?」
「中央病院の、起床時間が午前6時。消灯時間が午後8時です。偶然とは思えません。……ま、この巨大なディスペアーだけは、その規則を守っていないようですが……」
 柊市長は大きくため息をついた。この怪物が暴れれば暴れるほど、銀幕市は揺れるのだ。巨大ディスペアーとは、一度対峙している。しかし今回は、同じ戦法を取るのは危険だろう。大喧嘩をしかければ、震度5ではすまないかもしれない。
「しかし……このまちの絶望は、レヴィアタンだけではありませんでしたか」
「レヴィアタンは海から現れた。これは……姿は蟲のようだが、地の底から現れている」
 マルパスは、吐き捨てるような、ささやくような口ぶりで、『かれ』に名前をつけた。
「ベヘモットめ」

★ ★ ★

「吾輩の出番だな!!」
 飛び込んできたのは東博士だった。
 疑いもなく、帰還した調査隊の中でもっとも元気そうに見えるのが彼だった。
 博士は手持ちのモバイルの画面に、その新たな発明品の画像を呼び出してみせた。
「これは、榴弾砲のように見えるが」
 マルパスの言葉に、トンデモ博士は頷く。
「いかにも、使用法としては似たようなものだ。完成したばかりの試作品だが、これを使えばあの巨大ディスペアーを一撃で消し飛ばすことが可能と推定される」
 司令官と市長は顔を見合わせた。
「たしかに……ベヘモットを暴れさせると地上に被害がある可能性がある以上、すみやかな決着は今回の状況に望まれるところだが」
「一撃であの巨大な敵を倒せるような兵器を使って……銀幕市のほうに害はないのですか?」
 市長が質問する。
「市内で使えばな。だが戦場はあのネガティヴゾーンだろうが」
「確かに」
 ならば、最善の策に思えるが――。
「ひとつ難点があるとすれば、試作品ゆえ、発射は一回しかできない。オーバーヒートの問題を克服できていなくてな」
「ならば外すことのないよう、敵を牽制する作戦も必要か。ところで博士、ベヘモットを一撃死させられるような莫大なエネルギーはいったいどうやって?」
「愚問だな。これはファングッズの一種だぞ。バッキーに決まっておるわい!」
「なんと」
「なづけて『アズマ式超バッキー砲』。通常のファングッズとは違い、複数のバッキーからエネルギーをチャージすることができるのだ!」
 腐った森を支配する絶望の落とし子を、バッキーたちの力を結集し、一撃のもとに葬り去る。
 だがそのチャンスはたった一度だけ。
 それが「ベヘモット討伐作戦」のごくシンプルな概要だった。






<ノベル>

 作戦は午後8時から午前6時の間に、行われることとなった。この間、ネガティヴゾーン内のディスペアーたちが休眠するからである。
 日暮れの銀幕市は、避難が行われ、静かだった。
 市立中央病院もまた――なにせ、ここは「戦場の真上」なのだから――、動ける患者は一時転院を余儀なくされている。
「やっぱり少し怖いわね。変な影響がなければいいのだけれど」
 Soraは呟く。
 その言葉は、独り言だったのかもしれないし、傍で眠り続ける少女に向かって言ったのかもしれない。
「あんな場所に、貴方はずっとひとりでいたのかしら? あたし達に、傍にいて欲しいと思ってくれていたの?」
 美原のぞみは応えない。ただ、眠り続けるだけ。
『今は慎むがよかろう』
 ドアの外でミダスの声がする。のぞみに対して、ただ傍にいて話しかける以上のアプローチをとろうとするものは、ミダスによって止められているようだ。彼女の状態とネガティヴパワーの趨勢のかかわりには不明な点も多い。ネガティヴゾーンに多くの市民が赴いている状況でのぞみを不用意に刺激すべきではなかった。
 針上小瑠璃はミダスに許され、SAYURIをともなって病室にあらわれた。
 のぞみについてだけは、転院は行わない方針である。シグルス・グラムナートをはじめ、幾人かのムービースターが、万一、この場に被害が出そうになるときのために控えてくれていた。

「市内の避難はあらかた終わったぞ」
 犬神警部が汗をぬぐいつつ、市役所へ駈け込んできた。
 メルヴィン・ザ・グラファイトは頷き、デスクに広げた下水道の見取図へ、再び、目を落とした。
 もしも、敵の逆侵攻が起こりえたなら、下水道が次の戦場になる。そこで食い止めなければ、災厄は市街へと溢れ出すだろう。
 そのため、ネガティヴゾーンとの「出入口」には、守護役が配されていた。

「いややわぁ。こんな臭いとこ。湯浴みしたかて、無駄になるやないの〜」
 言ったのは八重菊。
 出入口に詰めているもののひとりだった。
「それに退屈。なんやうすら寒いし。まだ戌の刻まで間があるし……お兄さん、ちょっと遊んでいかへん?」
「せっかくだが、俺は妻子持ちでね」
 鉛入りのバットを得物に警戒に加わっている中沢竜司は、苦笑をもらした。
「騒々しくて悪いがねぇ。妖怪は宵の時間が元気なものなのさーぁ」
 八重菊と連れだっている魄 穂哭がそう言って笑う。
「レヴィアタンの次はベヘモットか……。やれやれ、俺はこの町が気に入っているんだ。妙な奴等に好き勝手されてたまるかってんだ」
 モップを手にふんぞりかえっているのは青柳誠治。竜司が同意をあらわした。
「ああ、この町には大事なもんがいっぱいあるんだ」
 その場には部下のアンドロイドを従えたアズーロレンス・アイルワーンや、ギャリック海賊団のゴーユン、エフィッツィオ・メヴィゴワームの姿もある。
 かれらが見守る中、ネガティヴゾーンで活動する部隊があちら側へ移動してしまうと、腐臭にみちた地下空間は、つめたく静まった。

★ ★ ★


「前のも大概だけど、今度もやーな風景だわ……」
 夜でも昼でもない、不気味な色合いの塗料を流したような空。
 そしてびっしりと菌類に覆われた廃墟群。
 シキ・トーダが顔をしかめるのも無理はない。ネガティヴゾーンはいつだって、人に不安と嫌悪を抱かせずにはおれないのだ。
 腐敗した大地の一画に、白亜ががれきを積み上げてつくった即席の陣地がある。
 そこに、数メートルはある砲身をそなえた「それ」が鎮座していた。
「どうだ、見ろ! これがアズマ式超バッキー砲だ! こいつをどう思う?」
「すごく……大きいです」
 ものものしい外観に、白木純一は息を呑むが、東博士は誇らしげだった。
 シトラスカラーのバッキー、シルキーを胸に、純一は進み出た。
「この日の為にしっかり寝溜めしたからな、しっかり頼むぞ」
 寝溜めに意味があるかどうかわからないが、バッキーの力を充填し、撃ち出されるエネルギーがあの巨大なディスペアーを葬り去るのだ。
 しかしそのためには、ある程度の人数のムービーファンの協力が必要だ。
「おい、おまえこんな所で何やってんだ。おまえみたいのがウロチョロしてたら危ないだろうが」
「あー、はいはい。わかったからさっさとチャージに協力する」
 続 那戯が、姪の歌沙音に押し出されてくる。
 那戯は苦々しい表情で、バッキーのオーエンを研究員におしつける。
「あ、待って下さい」
 すぐさま立ち去ろうとしたところを呼び止められる。
 救護班の準備に行こうとしていた臥竜理音もだ。
「まだチャージが済んでいませんから」
「飼い主がいなくちゃいけないのか?」
 と神月 枢。枢がつまみあげるバッキーはじたばたと暴れている。
「ええ、ファングッズの一種ですから」
「そうなのか?」
 それは初耳だと、幾人かから声があがったが、東博士の鼻息は荒い。
「当然だ。何のために事前に役割を3つに分けたと思っている!?」
 チャージの列に並んでいた冬野真白と萩堂天祢は顔を見合わせた。真白は、弟がまだ幼いので危険なネガティヴゾーンには立ち入らせず、市街に残してきたため、彼のバッキーを預かってきたし、天祢も自身のもの以外のバッキーを連れてきていたのだが。中には「主人は仕事で海外なので……」と夫のバッキーを連れてきた女性もいた。
「やむをえんな。いないよりはマシかもしれん。ダメもとでやってみろ」
 博士は言った。
 チャージできるエネルギー量が少なければ、十分な出力を得られず、ベヘモットを倒すことはできない。
 だが今となっては仕方がないのだ。天祢は不安を飲み込んで、腕の中のバッキーに声をかけた。
「頑張ってくださいね。応援していますから」

 今のところ、周辺にディスペアーの気配はなかった。
 うろうろしているクロノたち(違う時間軸から呼び出されたクロノの群れ)が、あちこちに設置した蚊取り線香の効能……というわけではないようだ。もうもうと立ち上る煙にけほけほと咳き込む猫神。
 拠点周辺は、多数の警護役を買って出たものたちに、守られていた。
 バッキー砲のチャージを行うムービーファンを背にし、アスラ・ラズワードはダガーを手に、弟のヤシャ――この時間帯は狼の姿だ――とともに目を光らせていた。
 ショットガンを構えたベネット・サイズモアの巨躯、ガクランを脱ぎ捨て、さらしだけの半裸で仁王立ちした番長、トマホークを手に眼光鋭いミネの姿を見れば、ここが急襲されても滅多なことはないだろうと頼もしい気分になる。
 また、呂 蒼星は符を用いた結界でバッキー砲の周囲を呪術的にも守護していた。
『戦闘員は配置につくように』
 マルパスの声が、白姫がいきわたらせた通信ネットワーク上を奔る。
 ネガティヴゾーン内では、ムービースターがもともと持っている武器の威力がにぶる可能性があるため、ヴァールハイトやレオニード・ミハイロフらによって、大量の火器類が用意されていた。ギルバート・クリストフがそれらの管理と守りを買って出て、希望する戦闘員に武器を配っていく。
 にわかに、あたりは慌ただしくなっていった。
 まさにそれは、戦場の空気。
 胸が悪くなるような下水の臭い、カビの臭い、なにかが腐った臭い――それらを打ち消すような、殺虫剤の匂いと、さらにそこにまじって、炊き出しが行われている匂いが漂う。
「怖くなんかないんだもん! ぼくだって出来る子だもん!」
 カボチャのかぶりものの、正体不明のムービースター、ぱくは自らを奮い起こして、その炊き出しに参加していた。采配をふるっているのはハンナで、さすがの手際で大量の非常食をつくっていく。トリシャ・ホイットニーが作業を手伝いながら、ふと、手を止めて、呟いた。
「悪夢だったら早く醒めてほしいものよね……」
 そうだ。
 カビに覆われた銀幕市。これが悪い夢でなくて何だろう。
 腐敗した大地に、古森 凛が立つ。
 凛は、美原のぞみの意識を探った。ネガティヴゾーンには、いつも彼女の姿がある。彼女の絶望と孤独を断ち切れるのならあるいは……。しかしなぜか捕捉することができないのは、ゴールデングローブのせいなのか、それとも……?

★ ★ ★


 着々と準備は進む。
 吾妻宗主はここへ来るまでに車を走らせ、一人でも多くのムービーファンに声をかけてきたのだった。
 ブルース吉沢は、自分はもう歳だから、とこういったことにはかかわってこなかったラーメン店店主だったが、バッキーのマスターを連れ、カンフーの道着を着てあらわれた。
「頭数が必要なんですね。協力しましょう」
 と、スタントマンの茅ヶ崎ありさも腰を上げた。
 理容師の春日井公彦は、戦場が病院の直下だと聞いて、バッキーをともなってやってきた。
「人数が、たくさん必要だったら……。私でも、役に立てるかもしれないわ」
 コレット・アイロニーも進み出る。
 今、必要なものは数だ。
 特別な能力も、気の利いた言葉も必要ない。
 ただここに居てくれるだけでいい。たったそれだけのことで、たとえ1%ずつでも確率が上がっていくのだから。
「ぜぇーったい勝ってやるんだから! まだワイトと一緒に行きたいところ、まだまだいぃ〜っぱいあるんだからね! ……絶対、絶対……負けるもんか…っ!」
 前戎希依の声高さは空元気なのだろうか?
 ネガティヴゾーンに足を踏み入れ、あの巨大な怪物に対峙することを恐れないものは少ないだろう。それでも、今ここにいるものたちはやってきたのだった。
「今、何人だ?」
 東博士が研究員を振り返った。
「ここまでで12匹です」

『再度、説明を行う。バッキー砲にチャージしたエネルギーは一定時間以上保持できない。そのため、チャージ作業と並行して対象への戦闘行動を行う。チャージ完了以前に、敵の攻撃が拠点に及ぶようでは失敗だ。ギリギリまで、タイミングをはかる必要がある』
 マルパスが語るのは作戦の一番の要点だ。
 それぞれに、決意を秘めて、戦闘要員はネガティヴゾーンを駆ける。目指すは、ゾーン内の病院跡地である。
 その上空を一匹のコウモリが飛ぶ。名はルシエラ。
 小さな妖精のリャナと連れだって、空からの偵察役だ。
 彼女たちの眼下に、その場所が見えてくる。
 黒々と口をあけた絶望のあぎと。
 その中に、奇怪な姿がよこたわっていた。
 ぞろり。
 近づくムービースターたちを察知したのか。
 ベヘモットの巨体が、身じろぎをした。それは、いよいよ戦いの幕が開くことを意味していた。
 ルシエラとリャナを追い越して、翼あるもの、イェルク・イグナティが飛ぶ。
 イェルクはベヘモットの直上から、爆薬の入った箱を投下していく。さながら生ける爆撃機だ。同時に、地上ではエレクスがいつもの弓を狙撃銃に変えて待機していた。イェルクが落とした箱を撃つ。見事、撃ち抜かれた箱は爆発の花をさかせた。
 高く上がる火柱と黒煙。そのなかに、ベヘモットの奇怪なシルエットが立ちあがった。
「そらよ!」
 ギル・バッカスが気合とともに槍を振り下ろす。それが大地を打てば、そこを覆う地衣類を弾き飛ばしながら、地面からせり出す石の槍が、列をなして敵へと向かっていった。
「100%の力を出せなくとも、足止め程度こなしてみせよう……! 我等は絶望に屈しなどせぬ」
 本来の、すべてを超越した姿をあらわしたヒュプラディウス レヴィネヴァルドが、光の槍を手に飛来する。
 地上からも、いっせいに銃撃が起こった。
「お仕置きの時間ね」
 リカ・ヴォリンスカヤがロシア製の軍用ライフル、カラシニコフでベヘモットの脚を狙った。シャノン・ヴォルムスは、機関銃で頭のほうを狙う。エリク・ヴォルムスとハンス・ヨーゼフはシャノンと連携してハンティングナイフでの攻撃を試みる。
『チャージにはまだ時間がかかる。現状では敵をこの場に足止めすることを第一とする』
 マルパスの声が響いた。
 それは言わずもがなだ。
 香玖耶・アリシエートが呼び出した風の精霊が巻き起こす烈風が唸りをあげる。
 その風にのって、フェイファーが紡ぐ神の言葉が、謳われてゆく。
 天使の眼下に巻き起こるいくつもの爆発、火柱。それはさながら、終末戦争のようであった。

★ ★ ★


「やれ、エボニー。あの蟲野郎に、キツイのをお見舞いしてやりな」
 ヴェロニカが自分のバッキーに声をかけ、チャージパネルに触れさせる。
 そのうしろで順番を待つティモネが、胸にバッキーを抱いて言った。
「良い子ね……アオタケ。あなたの事は、私が守るから」
 戦端が開かれたという報せが入り、場の空気は緊張を孕んだものになっていた。
 メリッサ・イトウは拳銃を手に、襲いくるかもしれない敵にそなえる。
(ワ、ワタシはこれでも警察官なんです……)
 不安をぐっと押し殺した。
 二重三重の警戒の内側では、バッキー砲のチャージが続く。
 綾賀城 洸が連れてきたバッキーの蒼穹は、『必勝』と墨痕あざやかに書かれた鉢巻きを巻いている。その頭をなで、洸は、
「頑張って下さいね。蒼穹なら出来ます」
 と励ました。
「個々の力は小さいかも知れません。でも、力を合わせれば、無限に強くなれるんです!」
 まっすぐな瞳を前へ向ける。
 チャージに協力するムービーファンたちは、みな、同じことを考えている。
 すこしずつ、すこしずつ、溜まっていくのはディスペアーを殲滅するためのエネルギーであり、市民たちの未来へ向けた気持ちでもあるのだ。
「……ハーレイ、一緒に頑張ろうぜ。俺も、頑張るからな!」
 岸 昭仁だ。
 友人のムービースターたちもそれぞれの持ち場で頑張っている。ならムービーファンの昭仁がいるべき場所はここだろう。
「銀幕市のために、みんなのために、のぞみちゃんのために、頑張ろうね、銀ちゃん」
 リゲイル・ジブリールは大柄なバッキーに声をかけた。エネルギーを与えるということで、バッキーに負担がないか、心配でないといえば嘘になる。一応、研究所からは、害のようなものはないということだったが。
「……銀ちゃん、大きいから、2匹ぶんとかになりませんか?」
「さ、さあ。それはどうでしょう……」
 バッキーのサイズはあまり関係がないらしい。
「たくさんの夢を見てきた。けど、まだあたしの夢は叶ってない。ここで終わりって訳にはいかないんだよねー。……タマ、頑張んなさいよ!もしもの時はあたしも戦うからさ!」
 玉城カノンが言う。
「これで何人だ?」
「次でちょうど20匹です」
「キリバンね」
 浅間縁が、バッグからエンをひっぱりだす。
「ほら、エン。いつも私の夢たらふく食べてんだから、ちゃんとその力を有効活用してよ?――これからもいい夢が見られるように、ね。さあ、皆で無事に帰って、夕飯には母さんの作ったカレー食べないといけないんだから!」

★ ★ ★


 ベヘモットは巨大だ。
 その巨体に向けて、しかし、果敢にも接近戦を挑むものもいる。
 風轟の起こす追い風で、通常より増したスピードで踊りかかっていくのは、チェーンソーと金槌の二刀流のクレイジー・ティーチャーに、マシェットを手にしたジェイク・ダーナー。ミリオルは背から生えた脚でベヘモットの巨体に登りついていく。それにまじって、ベヘモットにたかりはじめているのは、大教授ラーゴが使役するロボット『殺戮小曲』たちだ。
 だが、巨大なディスペアーは水にぬれた犬のように、身を震わせた。
 ミリオルが、『殺戮小曲』たちが弾き飛ばされる。大地を這う無数の脚が、文字通り邪魔ものをなぎ払いはじめた。
「イヤァ、まァさかもう一度この機会が来てくれるとはネェ!この時!この瞬間!こ
のタイミング!サイッコーだヨヒィァハハハハハハ――ブフォォァアアアッ!!!!」
 クレイジー・ティーチャーの哄笑がなにかが潰れた音にかわる。
 ジェイク・ダーナーも吹き飛ばされたひとりだったが、宙を舞ったその身が地面に激突する前に、見えざる気流のクッションが彼を受け止めてくれた。
「おいら、白龍やねん! 風を操るんは朝飯前やで! 変な芋虫には負けへんわ!」
 灰色の髪の少年・竜吉がニコニコ笑っていた。
「怪我人をこっちへ! あんた、大丈夫!?」
 ジェイクを預かったのは須哉久巳だ。彼女のバイクのうしろに乗せられながら、
「他人が傷つくと、自分が傷ついたとき以上に気にするやつが多いんだよな……この街」
 と、呟いた。
 あさっての方向へ飛んで行ったクレイジー・ティーチャーも、ヴァンヴェールに救われ、孔雀のようにも駝鳥のようにも見える乗用鳥・アプレレキオの背に乗せられていた。
 ミリオルも朱鷺丸が背負って走っているのが見える。
 そうした前線での救護に人員が割かれていたのは、さいわいだった。
 特に、前線での負傷者を後方へ運ぶための作業に従事するものが多かったことが、今回の作戦全体での味方のダメージ減少に寄与したことは後にあきらかになる。
 疾風の清左が、ケトが、白の奇術師が、黒孤が――それぞれの能力を生かして戦場を駆け巡り、負傷者を回収していく。
「さあ、これへ」
 藤花太夫が命じれば幾人でもあらわれる男衆たちが、負傷者を救護拠点へ運んできた。まだ戦える、と言うのへ、
「後生だから、ちっとものを言わずにいておくんなんし。ぬしは怪我をしていんすんでありんすぇ」
 と、どこかしら凄みのある笑みで応えた。
「傷を見せて」
 天野屋リシュカが負傷者の脇に腰を落とす。ここはネガティヴゾーン。わずかな傷でも、なにが起こるかわからない、と、表情を引き締めて処置にあたる。
「薬足りなくなるかもなので作っておきますです、こん!」
 モミジが鉄鍋で薬草を煮はじめるのに、ゆきは頷く。
「頼んだのよじゃよ。……流邂、包帯はこれで足りるかの」
「ああ、うん。ありがとう」
 文字通り野戦病院のような有様に、手塚流邂はいくぶん圧倒されていた。だがしっかりしなくては、と、おのれを奮いたたせる。
「ここじゃ難しいな。上へ運べるか?」
 と、鈴井誠三。ネガティヴゾーン内の救護拠点はあくまで仮設で、銀幕市側にはより設備の整った場所が用意されていたはずだ。たしかムービースターのエマヌエーラ・モディリアーニが支度してくれていたのだが。
「あ、オレ、運ぶの手伝います」
 相原 圭が名乗りをあげた。
 たくさんの怪我人を前に、ベアトリクス・ルヴェンガルドは当初、すこし怯んだ。
 だがすぐに、そのおもてに、力ある表情が戻ってくる。
「力無き民を守ることこそ、余の使命」
 懸命に、精霊の力を用いた治療に専念する。
 影に棲まう異形の忍びたちにも手伝わせ、応急処置をするウルクシュラーネ・サンヤ。
 姿も何も違うさまざまな存在が、ひととき、心をひとつにするさまを、ふと手を止めた瞬間に目の当たりにし、最近、銀幕市を訪れたらしいイングヴァル・フェーンストレームは、ここは凄いところだ、と息を漏らす。
「なにかお手伝いしましょうか? わたくしでお役に立てる事がありましたら、何でも仰って下さいませ」
 ルイーシャ・ドミニカムが声を掛けてきた。
「頑張りたまえよ! あんな生き物に、悪夢になんか負けちゃあダメだ! 僕は、そんな夢は見たくない! ……あの女の子にも、誰にも、見て欲しくない」
 空昏が人々を励ます。
「男の子でしょ。このくらいツバつけときゃ治るわよー」
 佐藤きよ江の叱咤の声。
 その喧騒にまじって、藍玉の歌声が戦場に流れていた。
 それは味方を鼓舞する戦歌であると同時に、ひとりの少女への呼びかけをこめた歌。
(独りを感じないように唄を届けるわ。だからもう、独りだなんて泣かないで……)

 救護拠点それ自体が襲撃を受けぬよう、この場で警戒にあたっているものもいた。
「誰も、一人しません。一緒に、帰ります」
 黒 龍花は棍を手に、周囲に感覚を研ぎ澄ます。
 前戎琥胡やジョシュア・フォルシウス、唯・クラルヴァイン、そして八咫 諭苛南にディレッタらが同じ任務についていた。

★ ★ ★


「神夜、いっつも好き勝手やってるけどな。これはあたしらにとってもお前にとっても大事な戦いなんだ。手を抜いたりしたら承知しねぇからな! ぶっ倒れるまで気合いれてけよ!」
 須哉逢柝がバッキーとともに進み出る。
 チャージはまだ続いている。
 薄野 鎮が、明智京子が、熊谷小鳥が、逢坂美織が、その後に続いた。かれらは言葉すくなではあったけれど、危機感は共有しているつもりだ。特に鎮は、あの巨大な邪悪を一度その目で見ているのである。一目見れば、あれが絶対に滅ぼさねばならないものだと誰もが理解できるだろう。
「ミュモダ。役に立つんだってさ。良かったね」
「しっかりやって、虫さん倒しちゃいましょう。大丈夫ですよお、きっと。努力は報われるものですからねえ」
「クロちゃん、行くよっ! どんな不幸もどんな痛みもどんな試練が有ったって、
此処は私達の街、私達の舞台、皆が主役、脇役なんて一人も居ない。だからこそ、ハッピーエンドは、揺るがないっ!!」
 HAZEL、鳴海笑子、夢宮 幽の様子は、明るかったり穏やかだったりしたが、あるいは今こそ、そういった心持が必要であったのかもしれない。
「皆で協力すれば、ソイツを倒せるんだね?……そう、かい。……麟、ボク達を助けてくれるかい?」
 神龍 命は、なぜか、すこし哀しげな眼差しでバッキーを見たあと、チャージに臨んだ。
「これが終わったら、たくさんの肉まんを買おうよ。それで、一緒に食べよう」
 と言って。
 南雲 新のバッキー・エアはこの期に及んでも熟睡していた。呆れた様子で頭を掻く新だったが、研究員によればこれでもチャージは可能らしい。
「本当はあの口、この手で縫いとめてやりたいけど」
 夢と希望を食いつくすあの口を。
 そう言う神凪 華は元傭兵で、腕には覚えアリ。前線に出ていればそれなりの貢献はしただろう。だが、バッキー砲へのエネルギー供給はムービーファンである彼女にしかできないことだ。
「この街には大切な人がいる。守りたい人がいる。失いたくない人がいる。守る為に
戦うと決めて、守る力を持っているなら――守る方法を知っているなら、やろう、ファントム」
 小日向悟が、
「一撃必殺? 望む所だね。これ以上、奴らの好きにはさせない。まゆら、行こう!」
 片山瑠意が、前へ。
「無茶はしないでいいけれど……頑張ってね、リエート。お願い」
 と、朝霞須美。
「皆も頑張るんだから私達も頑張りましょうね」
 香我美真名実がバッキーの聖へ言った。
「お前に守ってもらう日が来るとはな……たまには、頑張れよ? ルピナ」
 バッキーの頬を叩きながら、黒瀬一夜は苦笑い。
「大変だとは思うけれど、一人じゃないから大丈夫よ。皆のバッキーと一緒に頑張って、弥平さん。信じてるから」
 その次は葛西皐月の番
「後は任せた」
 それだけ言って、栗栖那智は救護拠点の方が気にかかる様子だ。
「パル……。今から、あなたは大事な任務を遂行するのよ……。でも、もしあなたの身に危険があれば、すぐに助けるから。不安だろうけど、お願い」
 流鏑馬 明日の言葉を、バッキーは理解しているのかいないのか。
「ガブ!銀幕市の為にやってこーーーい!来栖の未来の為にぃいいいい!!!」
 ぼふっ、と、樋口智一のバッキーが東博士の顔面に激突。
「バカモン! 投げるんじゃない! このチャージパネルにだな……!」
 その声は、しかしイヤフォンから流れる曲にさえぎられて聞こえない。
 もちろん曲は、来栖香介のものだ。
 ――同じ光を見ることが出来たなら、どんなにか素晴らしいことだろう――

「博士、これで40匹分です!」

★ ★ ★


 咥え煙草の狩納京平が、銃を撃つ。魔力の弾丸がベヘモットにあたるのを見届け、
「あんだけ的がデカけりゃあ、外すこたァねぇやなァ!」
 と笑った。
「おい、お前ら! 銀幕市民を舐めたら痛い目ぇ見るってのを、あのムカデもどきに判らせてやろうぜ!」
 あとに続く市民たちへ、檄を飛ばす。
 ランドルフ・トラウトが怪力にまかせ、がれきを放り投げていた。
「私これしか出来ないけど、じっとしているよりはずっと良いもの」
 戦場には似合わぬ優雅なヴァイオリンの調べはサキが奏でるものだ。旋律に秘めた力で、少しでもベヘモットの動きを止めようと試みる。
 圧倒的な巨体は、外見の異様さもあいまって、相当な威圧感だ。
 片方しかない脚で、不思議とバランスを保って立ち、虫特有の不気味な動きを見せる。
「初めまして、ベヘモット。こんにちは、そしてさようなら……だ」
 霧生村雨は、そう言うと、さあ行けと玉綾を蹴り出す。
「わかったっす! 無理しないでくださいっすよ、戦い向きじゃないんすから!」
 と言いながら、爪を伸ばし、玉綾は敵に向かっていく。
 ――と、その前方で、ベヘモットの体からぼとぼととなにかがこぼれおちたのが見えた。それは、小型の、ベヘモットと同じ姿となって、周囲のものたちに襲いかかる。
「がさごそがさごそと騒々しいね。少し大人しくしていてもらおうか」
 京秋が影色の翼を広げる。
 無数の刃が閃いて、ベヘモットの分身たちを貫き、そこへルークレイル・ブラックの銃撃が加わった。
 本体への攻撃もむろん続いている。
 クレイ・ブランハムは口のある側に立ち、その口へ爆弾を放りいれていく。
 麗火の炎も、深淵のようなその口の中へ。
 それに倣ってか、ソルファが放り投げているのは……ホウ酸ダンゴらしいが、効果があったかどうかは不明だ。
 脚のある側からは、とにかくその脚を攻撃して敵の移動を止めようと考えるものが多かった。なにせまだチャージが完了していないのだ。
 卓抜した身体能力を生かして、打撃を繰り返すツィー・ラン。
 刀を振るう那由多。
 脚よ叩き折れよとばかりに傘を武器にする佐々原 栞。
 チェスター・シェフィールドの援護射撃を受けつつ、ウィレム・ギュンターはランスを突きたてる。間近で見るベヘモットは醜悪の一言だ。こんなものを、生かしておくことはできない。
 少し離れた位置に、柊木芳隆が立つ。
 かすかに、眉がひそめられた。徐々にではあるが、ベヘモットが前進してきているのに気付いたからだ。
「この街の主役は、ムービーファンやエキストラだ」
 ベヘモットに向かって言うように、柊木は口を開いた。
「彼らは強い。どれほど絶望に囚われても決して挫けたりはしないだろう。私はそんな彼らの力になりたい……。だからこそ、彼らの所にお前を行かせる訳にはいかん!」
 破壊力を増した弾丸を、ライフルに込めて、撃った。撃った。撃った。
 小暮八雲や古辺郁斗も、銃撃に参加する。それぞれが得意な位置から得意な銃を使って、すこしでも打撃を与えようとする。

『右40度の地点に誘導するんだ』
 通信機から聞こえたのはレイの声だ。
「なんでだよ?」
 ジム・オーランドが応じた。
『説明しているヒマはない』
「誘導するったって……」
「心得た!」
 ジムの脇を守月志郎が駆け抜けて行った。突出して囮になるつもりのようだ。
「……くそっ」
 ジムもそれに続く。巨躯が走ると、足もとの黴が蹴散らされて煙が舞った。
 ユージン・ウォンも、誘導に動いた。
「ショータイムだクソ蟲。そのでかい図体ではさぞステップが踏み辛いだろう」
 絶え間なく銃撃を浴びせながら、後退していく。
 ベヘモットの顔のない頭が、その姿をとらえたのかどうか。
「カマーーーン! ベヘモン! アナタもニッチェニチェにしたげるわよぉ〜ん」
 ニーチェはバイクを駆る。
 それに並走するもう一台のバイクは夜乃日黄泉のだが、今はレオ・ガレジスタが臨時の運転手に駆り出されていた。日黄泉自身は後ろにのって、肩にかついだキャノン砲をぶっぱなす。
 ベヘモットが動きだした。がさがさと、気味の悪い動きで移動しはじめた市民たちを追う。
 その群れの先頭にはクラスメイトPがいる。銀幕市でもっとも囮にふさわしい存在!
 次の瞬間――
 ベヘモットの足もとが、大きく陥没した。
 土煙が舞う。地下に空洞があり、その上層が薄くなっていたのだろう。レイがそれをセンサーで読み取ったのだ。急遽、仕掛けられたトラップだ。
「いいか虫野郎、よく聞きやがれ。俺達は"絶望"なんかに負けたりしねぇんだよ!!」
 シュウ・アルガの声だ。
 半身を落ち込ませたベヘモットに、魔法の雷撃が降り注ぐ。
「ぼく、もう何も失いたくないって、思えるようになったんだ……!」
 ベヘモットの身体の一部が弾け飛ぶのは、シオンティード・ティアードの破壊の力の威力であろう。
「俺たちは絶望なんかに負けねぇって、あいつらに教えてやろう」
 刀を手に、理月が駆ける。
 唸りをあげて、RDが突っ込んでいく。
 威雨が刺青より顕現させた龍の、黒い炎が敵を焼く。
 そして、雨あられと浴びせられる攻撃の中を、一時でも動きの止まったベヘモットへ接近しようとする一団があった。刀冴を先陣に、すぐ傍らに従う十狼、そしてイェータ・グラディウスとヴォルフラム・ゴットシュタール。かれらが持ってきたのは、自身のものだけではない大量のゴールデングローブ。これによってディスペアーの能力を制限できるらしいことがわかっている。
 ベヘモットの脚にとりつくと、それを無理やりに設置していく4人。
「これは面白いことを考えた人がいた」
 いつのまにかそこにいたジャック=オー・ロビンが、笑ってゴールデングローブを取り上げた。
「楽しそうだ。どうせなら派手に行こうよ、楽しく派手に♪ キミもどう?」
 ゴールデングローブのひとつを、キスイに投げてやる。
 キスイは冷ややかな視線で応えたが、別につっ返しはしなかった。
 ジャックはひときわ楽しそうに、その刃でベヘモットの表皮を切り裂いていく。
 じくじくと腐敗した体液の漏れ出すその傷口へ、瞬間移動であらわれた津田俊介がゴールデングローブを埋め込んでいった。
 太助もゴールデングローブの効能に気づいたひとりだ。グローブ型のそれをつけ、その手で殴りかかる。
 キュキュも、ブレスレット状のゴールデングローブをつけた触手を振り回して攻撃に参加した。

 その様子へ――
 本陣雷汰は一心不乱に、シャッターを切っていた。匍匐姿勢で、戦況を、ファインダーを通して見詰める。
「いい風景だ」

★ ★ ★


「う」
 チャージを終えて顔をあげた槌谷悟朗は、思わず呻いた。
 すでに、ベヘモットの姿が確認できる距離まで、それが迫っていたからだ。
「何アレ、無理無理無理! ありえないからあのバケモノ、マジでキモイ!!」
 すぐうしろで上がった声の主は新倉アオイ。
「絶対ぶっ倒してやるんだから!!」
「そ、そんなに押しつけなくてもいいです」
 アオイがバッキーをチャージパネルに押し付け、研究員が心配するほどありったけの力を込めた。バッキーのキーは厚みが3分の1くらいになって、「ギ〜」とそれまで聞いたことのないような声を出している。
「そうだよね。ジェニファーも、虫、きらぁい。おねがいプリンセスM。たおしちゃって……!」
 西園寺ジェニファーが続く。
 ベヘモットが迫っているため、チャージの場にいるものたちは焦燥にかられた。
 ジナイーダ・シェルリングはいつでも能力を発動できるように身構え、鳳翔優姫も刀に手をかける。
「早くチャージしないと」
 月下部理晨は、知らず、気が急いてしまうのを抑えられない。バッキーのカナンに『落ち着け』とばかりにげしっと蹴られていた。
 そんなひと幕をにやにやしながら見ていたのは阿久津 刃。
「理晨と理月の大切な街を壊させる訳にゃいかねぇ……。絶望なんざ吹き飛ばして、オレ達の力をあのデカブツに見せつけてやろうぜ!」
 今は信じるしかない。前線の仲間は時間を稼いでくれることを。
 そしてバッキー砲に十分な力が集まることを。
「聖書によるとベヘモットを滅ぼせる者は創造主のみだという」
 レオンハルト・ローゼンベルガーが言った。
「つまり――あれを滅ぼせるのは人間のみという訳だ」
 ディスペアーは人間の絶望より生まれる。
 レオンハルトは精神力を前線へ送って、そこにいるものたちの疲労を、少しでも軽減させようとする。
「絶対に、ヤツを倒します。どうか見ていて下さい」
 遠くにベヘモットを見据え、原 貴志が進み出る。
「ベヘモット……見える? あんたを眠らせる為に、これだけの人が集まったわ。みんながあんたを見てる……。もう一人じゃないわよ」
 バッキーのユウジを胸に抱き、二階堂美樹が呟いた。
 ベヘモットよ、眠れ。もう終わりだ。
 その孤独も、狂気も。そして……この災厄による犠牲者も。
(のぞみちゃんも、どこかで見ているのかしら)
 森砂美月は思う。
(今でも寂しいの? 貴方が望めばきっと会いに行くよ。だから……)
「エネルギーは!?」
「……バッキー60匹分です!」
「よし、いけるぞ!」

★ ★ ★


 誰もがその音を聞いた。
 高らかなファンファーレだ。
 ディズが、吹きわたらせるその音が、合図である。すなわち、バッキー砲発射準備完了の。
『発射の準備に移ります。最終フェイズに移行して下さい』
 ネティー・バユンデュの声が、通信機を通じて総員に伝わる。宇宙艦隊の戦術士官であるネティーによって、最適な発射角度や照準位置が計算されていた。
 それを調整するのは、砲撃管制プログラムを走らせているサマリスの役割だ。
 バッキー砲の砲身が、ゆっくりと持ち上がりはじめた。
『カウントダウン、開始します』

「俺たちの役目はここまでだな。後は任せたぞ、ばっきー砲とやら!」
 岡田 剣之進が刀を収める。
 前線では、急ぎ、撤退が行われようとしていた。
 ブラックウッドはおのれを霧に変えて姿を消し、ぎりぎりまで斬り結んでいたエドガー・ウォレスも飛びのく。
 ベヘモットが、陥没した穴からよろよろと這い出てくる。動きが鈍いのは、ゴールデングローブ作戦の成果だろうか。
 ――と、突然、地面にいつのまにか描かれていた魔法陣のような文様が、網のように立体化してベヘモットを絡めとった。ミケランジェロとクラウス・ノイマンが仕掛けたものだ。
 魔力の網が、敵の動きを止める。

『10』

 発射までの最終カウントダウンが始まった。
「ローラー! 頑張れよー! 負けるなー! ぶっ飛ばせー!」
 エリック・レンツが声援を送る。バッキー砲には愛バッキー・ローラのエネルギーがチャージされているのだ。バッキー砲が、自分のバッキーそのものであるかのようなエリックに応援に、触発されて、他のムービーファンたちも口々に叫び始めた。

『9』

「おーっし! 蒼拿! お前の力を見せ付けてやるっすよ!」
 と鴣取 虹。
 これできめる。もう誰にも哀しい終わり方なんてさせたくない。

『8』

「みんな頑張るんやでーー! エイエイオー!」
 風見守 カミウがメガホンを振る。

『7』

「大丈夫。たった一発しか放てないけど、きっと沢山の人の祈りが込められてるんだから、きっと大丈夫」
 有栖川三國が祈る。

『6』

「オレ、この街やみんなが好きっス! 蝶々サマ! オレとバタ子と、みんなのバッキーに力を!」
 長谷川コジローがありったけの声で叫んだ。

『5』

「……サニィ。……私、守りたいもの、ある、の。……皆、守ろうと、してる。私、一緒に、守りたい。サニィら……一緒に、守って、くれる?」
 日向峰来夢は願う。

『4』

「これが終わったら、皆の絵を描こうと思ってるんだ。泣いてる顔、笑ってる顔、色々な顔を」
 日向峰夜月は誓う。

『3』
 
「ふー坊、楽しかった事や嬉しかった事を思い出すんだ」
 真船恭一はバッキーに優しく語りかける。
「きっと大きな力になるだろう。お父さんも銀幕市の皆もついている。君の兄弟姉妹と、皆と力を合わせて頑張ろう。最後まで傍に居るよ。お父さんは、ふー坊のお父さんだからね」
 その声は、どこまでも、優しく――。

『2』

「ハヌマーン、やっちゃって!」
 沢渡ラクシュミはその一言にすべてを込めた。
 銀幕市の危機に、自分がムービースターに比べて無力だと、悩んだこともあった。だが今の彼女は思うのだ。それはあたしの知恵が足りなかっただけ、普通の人でも戦える。

『1』

「気合入れていけよ! うおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 赤城 竜の、天地を揺るがすがごときの雄叫び。

『発射!』

 瞬間――、
 すべてが、眩い白に溶けた。
 まるで、太陽が生まれたようだ。
 これが……、この光が、バッキーの力か。人間に与えられた夢みる力なのか。

 そのとき、作戦に参加したものたちは全員が理解した。
 造作もないことだった。
 あの巨大な絶望を消し去ることの、なんと簡単なことか。
 ただここに、希望を胸に集まりさえすればよかったのだ。
 アズマ式超バッキー砲の砲撃は、その一撃で、ベヘモットをあとかたもなく消し飛ばしたのだから。
 閃光に射られた目が、ようやく視覚を回復させたとき。
 人々はそこに、ベヘモットが消えたあとの虚空だけを見た。

 大歓声が、わっと、ネガティヴゾーンを打ち破らんばかりにあがった。

★ ★ ★


「黒刃。頑張ったね」
 取島カラスは、撤収作業を横目に、がれきの上に腰を下ろし、バッキーの頭をなでた。
「ぷすっ!」
 と、どこか自慢げに、バッキーが鳴いた。
 息をつく。
 ひとまず、戦いは終わりだ。
 でも――。
 今いちど、腐敗したネガティヴゾーンの風景を見る。
 あのとき。
 カラスは声を聞いた気がした。

 ひとりはいや。
 わたしはひとりだ!
 わたし、ひとりぼっちね。

 あれはのぞみだったのだろうか。それともベヘモットか。あるいは……?
 そもそも、一人の声だったろうか。
 ネガティヴゾーンは銀幕市の魔法の影。美原のぞみは映画フリークだったというが、すべての映画を観ているわけではない。しかしムービースターは最新作からもあらわれ続けている。
 ふと、手にした着想に、唇を引き結ぶ。
 ネガティヴゾーンをかたちづくる絶望も、彼女ひとりのものではないのかもしれない。






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