|
|
|
|
<ノベル>
ねえ、せっかくだから六月に挙式しようよ。
冗談じゃないわ、蒸し暑い季節に締め付けのきついドレスを着るなんて。髪の毛だって湿気でまとまらないし、最悪。雨の中を正装で来なきゃいけないゲストだってかわいそうじゃない。
それはそうだけど……。でも女の憧れじゃないのか、ジューンブライド。
そんなもの、ブライダル業界のでっち上げよ。
だって、神話に出てくる家庭の神様はジュノーっていうんだぜ。
ただの偶然。ヨーロッパにはそんな風習なんかないんだから。バレンタインと同じよ。
そんなことないよ。必然だよ。きっと六月はジュノーにあやかってジューンって名付けられたんだよ――
◇ ◇ ◇
「よろしければ、いかがですか?」
という声にふと我に返ると、目の前にはパステルカラーの風船があった。
「どういう意味だ?」
式場の職員とおぼしき女性の顔と彼女が差し出す風船を見比べ、更に彼女の後ろでフラワーシャワーの祝福を受ける新郎新婦を一瞥してヴァールハイトは首をかしげた。
「よろしければご一緒にバルーンリリースを」
「……ああ。そういうことか」
勘違いしていたとひとりごち、ヴァールハイトはハート形の風船――それは氷の彫像のような美貌を持つ男にはひどく不似合いな品であった――を受け取った。
たまたま教会の近くを通りかかったらたまたま結婚式が執り行われていた。足を止めて見物していたところ、式場の職員に呼び止められた。それだけのことだった。
「このバルーンは土に分解される素材でできております。当式場では環境への配慮を……」
もっともらしい説明を行う職員の声を聞き流しながら、アイスブルーの怜悧な双眸は新郎新婦へと向けられる。肩を寄せ合ってくすぐったそうに微笑む二人を見ているとある人物の顔が脳裏に浮かぶ。
ハリウッドを活動拠点とするヴァールハイトがジューンブライドのならわしを知ったのはつい最近のことだ。六月に結婚すると幸せになれるのだという。その根拠が家庭の神・ジュノーと六月のJuneだという辺りには首を傾げたが、悪くない話だと感じた。
(何月であろうと関係ないが)
――よろしければ、いかがですか?
職員のその言葉を、つい「結婚式はいかがですか」の意味に受け取ってしまった。
(……相手を納得させる口実にはなる、か)
あるいはきっかけだ。自分が一歩を踏み出すための。
「さあ、では一斉に――」
職員の声がかかり、ハート形のバルーンが一斉に放たれた。
梅雨の晴れ間の空はヴェールのような雲を纏っている。雲ひとつない快晴とはいかないが、優しく、穏やかな蒼穹だ。パステルカラーのハートの群れが空へと吸い込まれて行く様は些かメルヘンチックに過ぎたが、それを見送るヴァールハイトの顔にはどこか硬質な決意が漲っているようだった。
恋人が突拍子もないことを言うものだから、自宅で寛いでいた月下部理晨はアイスココアを噴き出してしまった。
「そうか。そんなに喜んでくれるか」
「違っ……待て……」
ごほごほと咳込みながら抗議を試みるが、いつでも我が物顔で我が道を行くヴァールハイトはすっかり自分に都合の良いように解釈してしまったらしい。
「日本にはジューンブライドというならわしがあるそうだからな」
「俺に花嫁になれってのか」
「親しい者にも立ち会ってもらおう。傭兵団からも――」
「待て待て待て!」
「どうした、理晨」
「勝手に話進めんな、馬鹿ジーク。俺の意志は無視か?」
「………………」
ヴァールハイトは無表情のまま嘆息した。ごくごく小さな溜息だったが、これで結構落ち込んでいるのだ。
「いきなり何言い出すかと思えば」
一方、理晨は落胆する恋人を気遣うこともなくぶつぶつと文句をこぼしている。
「指輪なんか邪魔になるからいらねえって前にも言っただろ」
「指輪を贈りたいわけではない。いや、指輪も贈りたいが、それのみが目的なのではない」
「だったら余計にお断りだ、馬鹿」
にべもない理晨の態度にヴァールハイトは遠くを見る目つきをした。
「結婚とかプロポーズとか……ありえねぇ。現実味もねぇ」
結婚なんて考えてもいねぇし出来るとも思ってねぇけど。
理晨がそんなふうに言ったのは確か年末の大掃除の時のことだった。
同性だからという理由ではない。非現実的ですらある壮絶な過去――しかしそれは紛れもなく現実なのだ――が、結婚という現実的で日常的なものから理晨の意識を遠ざけている。
だが、胸の内側をくすぐられるようなこの感情は何だろう。くすぐったいのに温かい、この不可思議な感情の正体は何なのだろう?
――要は照れ臭いのだが、照れ臭いからこそ自分の本心を認められない。
「理晨。まずは話を聞いてくれ」
という声に顔を上げると、見る者を撃ち抜くようなアイスブルーとまともに目が合い、不覚にも少しどきりとした。
「場所など関係ない。どこであっても俺の心は変わらん」
「真面目な顔で何言ってんだ」
「しかし、やはり銀幕市は特別な街だ。お前にとっても俺にとっても」
理晨は口をつぐんだ。
「この街が俺たちの距離を縮め、関係をより深いものにしてくれた。何より……ここにはお前の“弟”がいる。だからこの街で今、想いを告げたい。――そう思うのがいけないことか?」
ヴァールハイトの言わんとすることを直感的に理解したから、理晨は何も言えなかった。
“今”でなければ駄目なのだ。理晨の“弟”はもうじきこの街を去らねばならない。
「――というわけだ」
「は?」
「入って来てくれ」
とヴァールハイトが玄関に声をかけると、ドアが開いて理月とイェータ・グラディウスが姿を見せた。
「……ジーク。最初からこのつもりだったのか?」
「善は急げと言うだろう」
「どうしてお前はいつもいつも……」
これで拒むことはできなくなったと理晨は肩を落とした。
もちろん、本気で拒むつもりなどなかったが。
理月にとってもイェータにとっても同性・異性の区別は意味を持たない。特に理月は心から喜んでいた。
「呼んでくれてありがとな」
だから、ヴァールハイトに対しても無邪気に礼を言った。理晨の幸せを間近で見届けられるのがただただ嬉しかった。
イェータも概ね同じだった。理晨さえ幸せならそれ以外のことはどうでもいい。ヴァールハイトが理晨を幸せにできるのならそれでいい。
「……理晨を泣かせたら地球の裏側からでも駆けつけて報いを受けさせる。覚悟しとけ」
無論嫉妬はある。だが、理晨の大切な相手はイェータにとっても大切だ。ヴァールハイトが理晨を幸せにするのなら、理晨がヴァールハイトを愛しているのなら、彼も一緒に守るだけだ。
ヴァールハイトは無言で肯き、やや緊張した面持ちで襟を正した。
理月。イェータ。White Dragon の面々。この街で出会った人々。そして、“あの事件”で喪われた仲間たち。
理晨の背中に、肩に、隣に、数多の人々が在ることを知っている。結婚とは、相手と、相手を形作っているすべての人間の心を引き受けることなのだ。
分かってはいてもいざ目の前にすれば些か緊張する。かといってたじろぎはしない。理晨への愛情なら誰にも負けないと自負している。
「何だか実感ねぇな……」
「けじめは大事だぜ。――欲を言えばさ、見たいんだ、俺。理晨が幸せになるところ」
理月は屈託のない、しかし静謐な笑顔で理晨の背中を押した。
「……ありがとな、理月」
同じ顔をした理晨もまた幸福そうに笑い、イェータは無言で理月の肩を叩いた。
「で」
イェータは半ば脅すような目でヴァールハイトを見つめた。
「指輪は用意してあるんだろうな? とびきりのヤツをよ」
「無論だ。金額の問題ではないが、儀式としては重要だからな」
「あ、指輪の交換ってやつだろ。すげーな、本当に結婚式だ」
「交換? 俺、ジークに指輪買ってやる気なんかさらさらねぇぜ」
などと軽口を叩いてヴァールハイトにアンニュイな溜息をつかせつつ、理晨はどこかそわそわした気持を抑え切れずにいた。
祭壇へ向かう花嫁というのはこんな心持でいるのだろうかと考えた後で、思わず内心で苦笑を漏らす。
(柄じゃねえ……が)
ヴァールハイトの気持ちは嬉しく思う。壮絶な過去を経て人の愛情に癒されながらここまで来たが、特別に大切に思う相手ができるなどとは思っていなかった。
けじめが大事だと言ってヴァールハイトは新品のスーツに着替えた。恐らく値段を聞くのも恐ろしくなるような高級品だろう。一方、理晨はいつものオキナワデザインのTシャツにジーンズというラフな格好だ。
「では……理晨」
「な、何だよ。神妙な顔しやがって」
真っ直ぐに背筋を伸ばして見つめられると言葉に詰まる。元々ヴァールハイトは美しい男だ。神が氷を用いて作り上げた彫像のような彼がきりりとした服装に身を包んでいる様は本当に完璧な芸術品のようであった。
「神妙にもなる。――俺とお前の生涯が決まるのだからな」
「え……ジーク、お前」
「何だ」
「だってお前、家のことが」
貴族に連なる血筋に生まれたヴァールハイトはいずれ生家の当主の座を継ぐ地位にある。当主とは跡継ぎを授かることを――即ち、“異性との結婚”を義務付けられる人間のことだ。だから、今の関係はヴァールハイトが家を継ぐまでの間の“遊び”の時間なのだと思っていた。
ヴァールハイトは整った眉を寄せて深々と溜息をついた。
「俺の心はお前に正確に伝わっていなかった……などとは思いたくないが。結婚とは生涯を共にすることではないのか?」
当たり前だとでも言いたげな顔で告げられ、理晨は今更ながらに口許を引き締めた。
ヴァールハイトは気付いていないようだが、理晨の世界の半分は彼で占められている。特にこの銀幕市に来てからはそれが顕著になった。彼にだけ素直ではない態度を取るのは、“家族”とは違った意味で彼が“特別”であることの裏返しでもあるのだ。
「理晨」
イェータと理月が見つめる中、ヴァールハイトは壊れ物にでも触れるかのように、しかし確かな意志をもって理晨の左手を取った。理晨もまた拒もうとはしなかった。濃い黒褐色の肌ゆえ判然としないが、きっと頬や耳には朱が差している筈だ。
ヴァールハイトは小さく息を吸い、吐いて、その後で口を開いた。
「――愛している。誰よりもお前を。誰よりも強く」
祈るような目で理月が見つめている。静かな視線を横顔で受け止めつつ、ヴァールハイトは静かに言葉を紡ぐ。
もうじきこの街を去る理月に幸せなひと時を見ていてほしい。理月を交えての幸福な時間を記憶に刻み付けたい。理晨と同じくらい強くそう思っている。
「先程言ってしまったが、俺はお前と生涯を共にしたい」
やはり少しは嫉妬があるのか、イェータが複雑な表情で目を眇めた。
「お前が俺のものになるとは思っていない。だが……俺が、俺の心をお前にささげることくらいは、許されてしかるべきだろう?」
「……あー……」
理晨は唇をへの字に曲げながら曖昧に返事をした。不服なのではない。ただ、どう答えて良いのか分からない。
いや――答えは初めから決まっている。それをどんな言葉にするべきなのかが分からないだけだ。
「ダイヤモンドの指輪だ。受け取ってくれるな?」
ダイヤモンド。永久(とわ)に輝き続ける石。褪せることのない愛の証。
指輪を取り出したヴァールハイトに理晨は黙って首肯を返した。
透き通るような白い手がチョコレート色の左手を持ち上げる。
理月は息さえ詰めてその様子を見守っていた。
息を殺さねば感情が堰を切ってしまいそうだった。理晨にとって理月が半身であるように、理月にとっても理晨は“兄”という以上に大きな存在だ。
その理晨が、今、生涯の伴侶を得ようとしている。それが我がことのように嬉しくて、暖かな感情が胸いっぱいに溢れて、熱いものが込み上げてくる。
イェータもまた無言だった。やはり嫉妬はある。だが、目を逸らすわけにはいかない。瞬きひとつせずに見届けたい。それでもやはり嫉妬心は消せなくて――要は、イェータは少しむすっとした表情で見守っていたのだった。
ダイヤモンド。この世で最も硬い石。一番固い意志の形。
「俺のすべてを――お前に」
それが今、ゆっくりと理晨の薬指におさめられた。
――静寂。
誰もが黙っている。理晨とヴァールハイトでさえも。
ヴァールハイトが、イェータが、理月が。皆が自分を見つめているのが分かったから、理晨は目を伏せたままでいた。今この瞬間にどんな顔をすれば良いのだろう。どんな言葉を口にすれば良いのだろう?
だが、理晨より早く理月が口を開いていた。
「えっと……理晨。もう喋っていいかな」
「あ、ああ。何だ理月?」
「おめでとう」
「え」
「おめでとう、理晨」
理晨と同じ色の双眸をうっすらと濡らし、涙をこらえるように眉尻を下げながら理月はそう告げた。
「何も気の利いたこと言えねえけど……おめでとうしか出てこねえや」
「理月――」
「おめでとう。呼んでくれてありがとう。俺もすっげえ幸せだ、この場に居られて良かった。はは、こんな時くらいかっこいいこと言えればいいんだけど。……二人とも、ずっと幸せでいてくれよな」
おめでとう、おめでとうと繰り返しながら理月は懸命に涙をこらえている。たとえ嬉し涙であってもこの場を涙で曇らせるわけにはいかないと思っているのが理晨にも分かるから、ほんの少し切なくなる。
「大丈夫だ。二人は俺が守る。――約束だ」
イェータが低く言って理月の肩に手を回した。もうじきこの街を去る理月が理晨や皆が幸せであるようにと祈っているくらい、イェータにも痛いほど分かっている。
「分かっただろ。理晨の幸せを祈ってる奴がここにもいる」
目許を拭うしぐさを見せた理月の肩を抱いたまま、イェータの鋭利な視線はヴァールハイトへと向けられる。
「理晨は幸せにならなきゃいけねぇんだ。俺たちや理月だけじゃねえ、死んでいった奴らが皆そう願ってたのを俺は知ってる。――心しろよ。お前が愛を告白したのは、そういう、沢山の気持ちを背負った人間なんだってことを」
ヴァールハイトはイェータの視線を真っ向から受け止め、顎を引くようにして肯いた。
「……ぴったりだ」
急に重さを感じた気がして――しかしそれは決して不快なものではなく――、理晨はしげしげと自らの左手を見下ろした。
「当然だ。お前のことなら頭のてっぺんから足の爪先まで知り尽くしている」
「ご、誤解を招くような言い方すんな」
「誤解? 事実だが」
「あー、ちょっといいか。別にケチ付けたいわけじゃねえんだが」
そう前置きして口を挟むのはイェータだ。
「その指輪、材質は何だ? 金属……ではなさそうだが」
「あ、そういえばそうだ。何か不思議な感じだな」
邪悪なセレブことヴァールハイトが用意した指輪なのだからさぞかし(無駄に)ゴージャスなのだろうと誰もが思っていたが、意外にもシンプルな一品だった。ダイヤモンドのリングと言っていた割には石も嵌まっていない。結婚指輪はプラチナやゴールドが多いと聞くが、そのどちらでもない不思議な風合いと輝きを帯びている。
「さっきも言っただろう。ダイヤモンドだ」
「……まさか」
「ダイヤモンドをリング型に加工させた」
とんでもないことをさらりと言ってのけるヴァールハイトに理晨は顔をひきつらせた。
成人男性、それも銃火器を扱うことが多い理晨の指は決して華奢でも細くもない。そんな指と同じだけの直径を持つダイヤモンドが何カラットかなど、考えただけでも眩暈がする。
「……じゃ……邪悪なセレブめ……」
「……馬鹿げてやがる」
「すっげえ! 本当の“ダイヤモンドリング”だ」
理晨とイェータが呆れる脇で、理月だけが心からの賛辞を口にした。
「何だ理晨、その顔は。結婚指輪はやはりダイヤモンドでなくてはならないと思うが?」
「お前はすべての庶民の敵になればいいと思う」
「俺はお前さえ傍に居てくれればいい。そのために結婚したのだからな」
「……ん。まぁ、俺は、お前と一緒にいんの、嫌じゃねぇし」
どこか早口でそう言った後、「でも」と付け加えて理晨はそっぽを向いた。
「俺、ジークに尽くす気なんて更々ねぇんだけど」
「………………」
ヴァールハイトは表情を変えずに落胆し、イェータと理月は顔を見合せて小さく噴き出した。
「それに、指輪になんて邪魔になるだけだ。家事も仕事もしづらくてしょうがねぇ」
口では文句を言いつつも理晨は幸福そうに笑っていたし、薬指のリングも大事そうにさすっていた。
傍らで言葉なく落ち込むヴァールハイトの姿すらこの場ではご愛敬だろう。
この後、薬指にリングを嵌めて戻った理晨を見て傭兵団は大騒ぎになったとかならなかったとか。
更にその後、イェータとともに海外の戦場に赴いた理晨の指には変わらずにダイヤの輝きがあったそうだ。
◇ ◇ ◇
式場、来年の六月にまだ空きがあるんだって。ねえ、六月にしようよ。
だから、ジューンブライドなんて迷信だってば。
どうして迷信やでっち上げだなんて決めつけるんだ。もし迷信でも信じて実践すれば本当になるかも知れないだろ?
六月以外の月に結婚して幸せな家庭を築いてる夫婦だってたくさんいるわ。
……それはそうだけど。
ま、六月でいいんじゃないの。幸せになれなかった時の言い訳にされたくないし。
どういう意味だよ。結婚って幸せになるためにするものじゃないのか?
だったら式を挙げる月なんて関係ないじゃない。
……あ。
(了)
|
クリエイターコメント | ご指名ありがとうございました、いつもお世話になっております。 ジューンブライドの企画ノベルをようやくお届けいたします…。
そしてこの度はおめでとうございました。 イェータ様の「お前が愛を告白したのは、そういう、沢山の気持ちを背負った人間なんだってことを」にじんときました。 一般人でもきっとそうですよね。うまく言えませんが、たくさんの人に育てられ、囲まれ、愛されながら生きて来た人を託されるという意味では皆同じなのだと思います。
素敵なオファーをありがとうございました。そしてしつこいようですがおめでとうございます。 それにしても、て、照れる…! 同性のカップルさんだとどうしてこんなに照れるのでしょう(汗)。 |
公開日時 | 2009-07-28(火) 18:40 |
|
|
|
|
|