★ イン・ラズベリー・ナイト ─甘酸っぱい、その一夜─ ★
クリエイター冬城カナエ(wdab2518)
管理番号106-8409 オファー日2009-06-25(木) 00:08
オファーPC エドガー・ウォレス(crww6933) ムービースター 男 47歳 DP警官
ゲストPC1 ベネット・サイズモア(cexb5241) ムービースター 男 33歳 DP警官
ゲストPC2 レオンハルト・ローゼンベルガー(cetw7859) ムービースター 男 36歳 DP警官
<ノベル>

 変かなあ?
 ベネット・サイズモアは、大きな手で頭をぽりぽりと掻いて言った。
 変ね。
 女は、バーカウンターの向こうで、ニッコリ笑ってうなづいた。
 ふとベネットの隣りで笑うのは、エドガー・ウォレス。レオンハルト・ローゼンベルガーは、無表情のままグラスを傾けカクテルを飲んでいた。


 * * *


 もう数日でこの街の魔法が解けてしまう、そんなある一夜のことだった。
 三人のDP警官──超能力者たちの犯罪に対応するために結成された『刑事部能力捜査課』の捜査官たちは、行き着けのレストラン・バー『ラズベリー・キッチン』の隅で、いつものように料理と酒を楽しんでいた。
 ここはアーリー・アメリカン調の店で、窓が多く開放的な内装であり、パーティもできるような広いフロアを持っていた。
 それなのに、三人はこの店に来るといつも必ずカウンター席の一角に陣取った。
 そしてマルガリータピザとオムライス、特製スパイスたっぷりのチキンの香草焼きを頼むのだった。
 ──料理がね、素朴で美味しいから。
 三人の中で最も饒舌なエドガーは、マティーニのグラスを掲げてみせながら、この店を選ぶ理由を、そう説明していた。
 しかし隣りでレオンハルトは黙ったまま首を横に振るのだった。
 彼はカミカゼのロックグラスを揺らしながら、ただ、横をちらりと見る。まるでそこに理由があるとでも言いたげに。
 レオンハルトの眼鏡に二人の人物が映る。
 同僚のベネットと、それに親しげに話しかけている女──この店の経営者が。

「変よ、だって」
 彼女の名前はネリーといった。三人が知っていたのはそれだけだ。白人の長いブルネットの女だ。年齢すら分からない。
 ネリーはいつも赤いナイトドレスに身を包んで、カウンターの中にいる。今夜もそれは同じだ。自分用につくったジン・トニックに口を付けながら、彼女は立ったままベネットを上目遣いに見ていた。
 今夜の話題は、彼の小さなペットのことである。
「どうしてペットに名前を付けないの? 二匹ともあなたの可愛い家族なんでしょ? それって、自分の子供に名前を付けないのと一緒よ」
「そうかなあ」
 ベネットはとにかく困ったというように、同僚の方を横目で見る。
「ハムスターと金魚で、一匹ずつしかいないしな。名前が無くても別に困らんぞ」
「餌をあげるときに、名前で呼ばないの?」
「男女の違いじゃないかな」
 二人の会話にエドガーが助け船を出した。
「女性は、家を守ろうとするだろ? だから自分の周りのものに名前を付けて管理したくなるんだ。しかし男性は、外へ外へと出て行こうとする傾向が強い。家の中のものにまで気を配れないんだ」
 ジロリと横目でエドガーを一瞥するネリー。
「それって保守的だわ。女は……っていう前振りは、うんざりよ」
「──いや、そうじゃない。持っているものが少ないんだ、男は」
 そこで口を挟んだのはレオンハルトだ。彼はカミカゼのグラスを見つめたまま言う。
「家と呼べる場所には、大切なものしか置かない。名前を付けなくても分かるぐらい大切なものしか」
「……」
 無言になるネリー。レオンハルトはテレパシストではなかったが、彼女が今何を思ったのかすぐに分かった。
 何だか調子狂うのよね。彼女の目がそう語っている。
「ん……まあ、そうだな」
 ベネットは、ようやくチキンにありつきながら相づちを打った。彼もこの店の料理が好きだった。なぜか盛んに話しかけてくるネリーと話していると、なかなか口を付けられないのだが、彼もそのことを厭んでいる様子は無い。
 黒ビールをごくりと一杯飲み干し、上機嫌で微笑むベネット。上唇についた泡をペロリと舐め取る。
「確かに奴らにも名前があった方がいいな。今度考えておく」
「それがいいわ」
 ネリーは嬉しそうに微笑み、ベネットの様子を眺めた。
 人一倍身体の大きな彼が、よく食べ、よく飲む様子を母親のような目つきで見守っているのだ。

「おい、ネェちゃん。そっちばかりじゃなくてこっちにも来てくれよ」
 
 と、その時。近くのテーブルにいた若い男が声をかけてきて、場の雰囲気は水を差されたように一変した。
 ネリーは目を細め、ベネットたちも怪訝そうな顔をする。
 振り返れば、三人の人物がテーブルを囲んでいるのが見えた。皆、こちらを見ていて、視線がサッと交わされた。
「生ビールと、ネェちゃん一つ」
 その中の痩せた若い男がドサッとテーブルに足を投げ出し、言う。
 ムッと眉を寄せるベネット。しかし、ネリーは冷静に、それを手で制すると、生ビールを用意して彼らの席へと向かった。
 レオンハルトは彼女の動きを目で追い、そして彼ら三人の姿をじっと見つめた。
 痩せた若い男の正面に座っているのは、白人の大柄な筋肉質の男だ。Tシャツの袖から見える腕には無数の傷が刻まれている。
 二人の間には、黒人の女がいた。黒革のミニスカートドレスを着た細身の女で、腕を組み目を閉じたままだ。
 ふと、その瞳がパッと開かれた。
「──何見てんだよ、ニィちゃん」
 彼女がまっすぐ睨んできたのは、レオンハルトだ。
「何かウチらに文句でもあんのかよ?」
「ネリーはこの店のオーナーだ」
女に問われ、レオンハルトはあくまで淡々と答えた。「彼女に対して、そう言った物言いは失礼にあたる」
「失礼? 失礼って言ったのか?」
 ガタン。痩せた男が立ち上がり、酒に酔ったようなおぼつかない足取りでカウンター席に近寄ってきた。
「し、つれぇ?」
 男は、ビールを運ぶネリーとすれ違いざまに、彼女の尻をぐいと掴んだ。
 キャッ。驚いたネリーは短い悲鳴を上げて、コップを取り落としてしまう。
「なにしてんだよ!」
 女が素早くネリーの髪を掴んで、彼女を突き飛ばした。だが、よろけた彼女を、サッと進み出た大きな影がすぐに受け止める。
 ベネットだ。
 彼はネリーをきちんと立たせてやると、無言で、ゆっくりとサングラスを外した。
 一方、若い男はつかつかとレオンハルトの目前に迫っていた。
「すかしてんじゃねェぞ、オレらは客だ。客に失礼もクソもあるか──」
 
 ──バシャッ。

 何か言いかけた男の言葉が途切れる。
 レオンハルトが、コップの水を相手にかけたのだった。だらしなく伸びた男の前髪からは、ポタポタと水がこぼれ落ちた。
「──てめェ!」
 その時だ。
 レオンハルトの視界の端で何かが光り、彼は本能的に身体を伏せた。
 レオン! と、エドガーが叫ぶ。
 体勢を建て直し、彼は自分の右肩のあたりに痛みを感じる。見ればジャケットが焦げ、何かがかすった傷口から血がにじみ出ているではないか。
「これは──」
「かわしやがった!」
 意外そうに声を上げる男。ガタンッと椅子を蹴倒して、彼らもエドガーもベネットも立ち上がっていた。
「レーザーだ、レオン」
 いち早く相手を見抜いたエドガーが言う。
「何もない虚空から、レーザーが君を襲った。どうやら、彼らも──」
「能力者か!」
 大柄な男が驚いたようにこちらを見た。
「当たりだよ、リーダー」
低い声で言う女。彼女はじっとレオンハルトを見、「ライル、気をつけな。そいつの能力──得体が知れない、何か──」
 ビィィィッ。ライルと呼ばれた痩せた男は仲間の言葉を最後まで待たなかった。
 彼は三人のDP警官たちをねめつけながら、片手を上げる。その指先から光輝く光線が発射され、フロアにあるほかのテーブルを次々と真っ二つにしていった。
 そんなものを見せられ、レストランの中は一気にパニックに陥った。若い男女は悲鳴を上げ、われ先にと出口へと走り出した。
「ヒャハハハッ!」
 ライルは逃げ惑う一般客の姿を見て、タガが外れたように笑い出した。災難から逃れようと右往左往する人々の様子がおかしくてたまらないのだ。
 自分のレーザーを使って照明を落とし、テーブルを破壊する。
 やめて! と叫んだのはネリーだ。男に駆け寄ろうとする彼女の腕を、ベネットが咄嗟に掴む。
 その隙に、ライルのレーザーが、棚に並んだ酒瓶を割っていった。
 舌打ちするベネット。
 彼にはライルを止めることが出来た。しかし彼にとってネリーを危険に晒さないことは、もっと重要なことだったのだ。
「もうめんどくせぇ、あと数日でオレらは消えちまうってのにおとなしく最後を待ってられるかってんだ。なぁ、ゾーイ?」
「思いっきり、暴れようぜ!」
 ライルの言葉に、女──ゾーイも声を上げる。
 リーダーと呼ばれた大男は、やがてニィッと笑った。……まるで、周囲の悲鳴と喧騒が心地よいと言わんばかりに。
「分かったよ、俺の可愛いサイコども。手始めにこの店のレジの中身をいただいていくとしようや」
「オーケー、リーダー。俺が──」
 ──ドガッ。
 何か言いかけたライルが、前触れもなく後方に吹っ飛んだ。テーブルの上に投げ出され、もう一度頭からビールをかぶる。

「──そこまでにしとけ」

 低く、地の底から響くような冷たい声で、ようやくベネットが言った。彼は、紫色の瞳でヴィランズとなった能力者たちを睨みつけていた。
「俺がドチ切れる前に、この店から出て行け」
 しかし、彼はすでに怒っていた。
 その隣りにエドガーが立つ。鞘に入ったままの刀を手に、静かに控える。
 レオンハルトはネリーと共に後方へと下がった。彼は肩をかばうようにしていたが、その実、受けた傷はすでに回復していた。
「テメェ、何しやがんだ!!」
 ガタッと体勢を立て直したライルが叫ぶ。構えをとったリーダーの両手が柔らかい光を帯び始めた。
 ピィンッ。レーザー光線が、すかさずベネットたちを襲ったが、それは彼の目前で跳ね返され、天井に穴を開けるだけに終わった。
「何!?」
 驚く、ライル。ベネットは彼自身の能力『障壁』──シールドを使ってその攻撃を弾いたのだ。
「シールドだよ!」
 そこで女が叫んだ。
「そのデカブツは、障壁使いだ。でも、自分の前面にしか出せない。接近戦に持ち込むんだ、リーダー!」
 女のアドバイスに、間髪入れずリーダーが動いた。彼の手から光が伸び、エネルギー体の槍を形づくる。
 ブルゥン! リーダーはなぎ払うように、それを一閃させた。
 ベネットとエドガーは、その場から飛び退く。
 後方に着地した時には、ベネットはショットガンを手に。エドガーは愛刀の柄を掴んでいた。
「そこのお嬢さんは、俺たちの能力が視えるようだ。さて」
 漂々とした様子で、エドガー。
「──なら、俺の能力が何だか分かるかい?」
 グンッ、とエドガーはステップを踏むように中へと間合いをつめた。リーダーはその速度に追いつけずに目を見開く。
 しかし──。
 死角からの気配に、エドガーは咄嗟に身を屈めた。そのせいで刀を抜くタイミングがわずかにずれる。
 ライルのレーザーだ。それはベネットのシールドが跳ね返したのだが、エドガーの目前には光のナイフを持ったリーダーが迫っていた。
 容易に武器を変えられるのか! エドガーは気付き、目にも止まらぬ素早さで、刀を抜き斬った。
 相手の武器を斬った──つもりだった。
 だが彼の刀は、エネルギー体を通過してしまった。
「──!」
 身をよじるようにして、エドガーはナイフの突きをかわした。相手とすれ違うようにして身体を交差させるエドガー。
 そのまま、リーダーは前方のベネットに襲い掛かる。そしてエドガーの目前には、両手を広げ光を集めているライルがいた。
「そいつの能力はアンチ・サイだ! ライル、そいつを一番先に殺れッ!」
「うるせェ、言われなくてもそうすらァ!」
 レストランのフロアの真ん中で、彼らは混戦状態に陥っていた。


 だが、それはある意味、思惑通りだったのだ。 
 レオンハルトは、最後の客が出口から逃げていくのを確認して、一息つく。ヴィランズたちの目を引き付けて、一般客を逃がすのが、本当の彼らの目的だった。
「ベネット」
 ただ、同僚の名前を呼ぶ、レオンハルト。
 それだけで充分だった。
 ベネットは、おう、と頷いて──力を“解放”した。
 
 ブゥン。

 微かなその音に彼らは気付いただろうか。ハッと最初に顔を上げたのは、ゾーイだ。
「シールドが!」
 彼女の声に、仲間二人も自分の回りを見た。ガラスのように透明な障壁が、いつの間にか自分たちを取り囲んでいた。
 しかも、それがどんどん狭まってくるではないか!
「俺たちだけなら、容赦しない」
 ベネットは怒りを顕わにしながら言う。彼は自らのロケーションエリアを展開したのだった。
 殴り倒してやりたい気もするが、彼らは警官だった。ベネットはこのままヴィランズたちを無力化して拘束し、外へと放り出すつもりだった。
「馬鹿が!」
 ライルが自らの飛び道具でベネットを射抜こうと手を上げる。それにはエドガーが睨みを効かせた。彼はアンチ・サイの力を使おうと若い男に向かって精神を集中させ──。
「待ちな! アンチ・サイ野郎」
 そこでふいに、ゾーイが声を上げた。
 あろうことか、彼女はナイフを取り出し、自分の首筋にそれをピタリと当てて見せたのだった。
「これを、よっく見るんだよ、カスども」
「君は何を──?」
 ゾーイは何も言わずに、自分の首にナイフで浅く傷を付けた。彼女は顔をしかめただけだったが、別のところで悲鳴が上がった。
 驚いた三人は同時に振り返る。
 そこには、首筋を押さえながら驚愕の表情を浮かべるネリーがいた。彼女の白い手からは血が溢れ出し、赤い筋をつくっている。
 何が起こっているのか、驚いているベネットとエドガー。
「自分と彼女の身体を同化させているのか」
 いち早く状況を把握したのはレオンハルトだった。彼はネリーに駆け寄り、彼女を助け起こす。……こうした能力を使うには、相手の身体の一部が必要なはず、そう考えたレオンハルトは、ふと思い出した。確かに先ほど、ゾーイはネリーの髪を──。
「その通りさ、霊媒のニィちゃん」
 女は早くも勝ち誇ったような笑みを浮かべて言う。
「ほんとはこの能力は使いたくなかったんだが仕方ない。あたしがもっと深く自分を傷つければ、その女は首を切られて死ぬ──おっと!」
目つきを変えたエドガーを見、「お前に言ってんだよ。お前がアンチ・サイを使うのが早いか、あたしが傷をつくるのが早いか……子どもだって分かるよな? お前らが何か能力を使ったら、あたしは躊躇なく、その女を殺す」
 DP警官たちは無言になった。
 確かに彼女の言うことは本当のようだ。ゾーイの傷は浅いが、ネリーの同じ傷は出血がひどく、深い傷となっていた。恐らく、ゾーイが少しの痛みに耐えるだけで、ネリーはいとも簡単に命を落とすのだ。
「言っとくが、あたしの心にダメージを与えようったって無駄だよ。同じことが起こるだけだ」
 ゾーイはレオンハルトに向かっても言う。
 彼は眼鏡の奥から、じっと黒人女を睨んだ。
「分かったら、このシールドを解除しな。デカブツ」
 ベネットはもう一度、舌打ちをした。しかしそれと同時に、ヴィランズを囲んでいた障壁が消失する。
 エドガーは無言だ。
「よくやった、ゾーイ。早く金をとって、ずらかるぞ」
 ヴィランズの男二人は、視線を合わせレジの方へと向かおうとする。

「──ああ、君は自分の父親を殺してしまったのか」

 ふと、レオンハルトがつぶやくように言った。
 それは何の脈略もない言葉に思えた。しかし、ギョッとしたようにゾーイは彼を見る。
「黄色いシャツだ。日曜日、教会から帰ってきた彼に叱られ、君は逆上した。父親を後ろから刺したんだな。一度ではなく、何度も、何度も」
「! お前、あたしの“後ろ”を──!」
 霊媒の力を使って、彼は彼女にまとわりつく気配と記憶を読んだのだ。ゾーイは怒り、自分の首筋にナイフを当てたまま、彼を鬼のような形相で睨みつけた。
 彼女はそれでも、武器を手放さなかった。しかし、レオンハルトが欲したのは、ただ一瞬の間だった。
 
 ヒュンッ。

 一陣の風が吹き抜け、キンッという音とともに、ゾーイは悲鳴を上げてナイフを取り落としていた。
 彼女の目の前にはいつの間にかエドガーが居た。
 抜き身の刀を手にした彼は、彼女の隙をついてそのナイフを直接弾き飛ばしたのだ。
 あっ、とゾーイが目を見開く。
 エドガーは至近距離で、ニイッと笑った。

「悪いね。俺は、能力よりもこっちの方が得意なんだ」

 彼は柄をそのまま振り下ろした。ゾーイは首の付け根に強力な一撃を食らって、悲鳴も上げずに崩れ落ちる。当然、エドガーはアンチ・サイで、彼女の能力を抑えていた。
「ゾーイ!」
 リーダーが驚いて叫ぶ。
 その鼻面に、誰かがいきなり強烈なパンチを叩き込んだ。
「お前は黙っていろ」
 ベネットだった。そのあまりに強烈な一撃で、鼻血と、歯が数本飛び散らせ、リーダーは盛大な音を立ててテーブルにぶち当たり気絶してしまった。ベネットの言葉通り、沈黙させられたのだ。
「リ、」
 何か言いかけたライルは、ギラリとベネットに視線を向けられて言葉を飲み込んだ。得意のレーザーもすでに出すことは出来ない。
 へなへなと座り込む男。
 それを見下ろす、エドガーとレオンハルト。
「ここは、大人になってから来る場所だよ、ボーイ達」
 そしてどこか凄みのある目を向けて、エドガーは笑ったのだった。


 * * *


 平気よ。
 ネリーは言った。
 あの後すぐにベネットが、彼女の傷をヒーリングの能力を使って治したので、傷はすぐに癒え、彼女の白い首筋は元通りになっていた。
 しかし、自分の店を眺める彼女のその目には、沈んだ色が浮かんでいる。無理もない。自分の城と言うべき場所が目茶苦茶にされたのだから。
 破壊された店内には四人しかいない。
 静まり返った空間。
 片付けを手伝おうとすると、ネリーがそれを止めて言ったのだ。

 ──それはいいから、少しわたしに付き合って。

 かくして、四人は元のようにカウンターでカクテルを飲んでいた。割られなかった酒の中から、ネリーがホワイト・ラムとホワイト・キュラソーを取り出して、白いカクテルを作ってくれたのだ。
「平気よ。わたしだって、この街の住人だもの」
 彼女はもう一度そう言って、無理に笑ってみせる。
「済まなかった」
「どうして、あなたが謝るの?」
 ベネットが頭を下げると、ネリーはニコッと微笑んで首をかしげてみせる。
「俺たちが、あんな連中すぐに取り押さえてれば──」
「いいの。そんなこと気にしないで。あなたたちもお客じゃない」
 じっと、ネリーは壊れたテーブルの方を見つめた。
「きっと一週間もすれば、元通りになるから。そうしたら、また来てね」
「……」
 誰も答えなかった。
 ベネットはカクテルを一口に飲み干し、エドガーはカクテルグラスを撫でるように触った。レオンハルトはグラスを見つめ、頬杖をつく。
「ねえ。また来るって、言ってよ」
「ネリー」
「ペットの話、してよ。今度、名前考えてきてくれるんでしょ? ねえ、ベネット。さっき、そう言ってたじゃない」
「済まない……」
「私たちは消えるんだ」
 謝るベネットの横で、はっきりとそう言ったのはレオンハルトだった。誰も口にしなかったことを、彼はようやく言葉にしたのだ。
「来週には、私たちはもう居ない。だから、この店には来られない」
 ネリーは目を伏せた。
「君もそれは分かっているはずだ。作ってくれたこのカクテルは──XYZ、だろう?」
 今度は彼女が無言になる番だった。
 少しの沈黙の後、彼女は自分のカクテルに口を付け、そして小さく、ごめんなさい、と囁くように言った。
「ネリー」
 そんな彼女に、エドガーが優しく声を掛けた。
「こんな詩を知っているかい? ──東風(こち)吹かば、匂ひおこせよ梅の花。主なしとて春を忘るな」
「え……?」
「俺の母の故郷、ここ日本の歌さ」
 二人の同僚も彼を見る。
「菅原道真、という政治家が詠んだ歌なんだ。彼は革新的な政策を作ったものの、回りに疎まれ左遷されることになった。その時の気持ちを、自宅の梅の花に見立てて歌ったというものなんだけどね」
「どういうこと?」
「自分という主がいなくなっても、梅の花よ、春を忘れずに咲いてくれ、という意味さ」
 柔らかく微笑み、続けるエドガー。
「最近、この歌をよく思い出すんだ。俺たちが──この街から居なくなっても、時は巡る。種から芽が出て、花が咲くように。俺たちがここで為したことも、花として咲き、匂いを起こすんじゃないかってね。そう思うと、なんだかホッとするっていうか──」
 頭を掻き、少し照れたようにエドガーは言葉を締めくくった。
 ふと脇を見れば、レオンハルトもベネットも微笑んでいた。
「うん……そうね」
 ネリーも少しだけ微笑む。
「じゃあ、今日は好きなだけ楽しんでいってね」
「貸切りってことかな?」
 楽しそうにそう言うエドガーに、皆、うなづく。
「実は……あのな」
ふとベネットが恥ずかしそうに言う。「俺、さっきオムライスを食い損ねたんだ」
 それを聞いて、ネリーは声を上げて笑う。
「分かったわ、待ってて。すぐ作ってあげる!」
 
 厨房の向こうへ姿を消したネリー。すぐにいい匂いが、ふんわりとフロアへと流れてくる。
 そうして、彼らは四人だけの夜を楽しんだのだった。
 一夜しかないトラブル含みの、甘酸っぱいラズベリーのような夜を。
 
 
 
              (了)
 
 

クリエイターコメントありがとうございました!

せっかくなので、最後の日々テイストにさせていただきました。

どうか、皆さんの咲かせた花が、来年もそのまた次の年も咲き誇りますように!
公開日時2009-07-18(土) 21:00
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