★ アンディテクタブル ─銀幕大捜査線─ ★
クリエイター冬城カナエ(wdab2518)
管理番号106-4486 オファー日2008-09-04(木) 18:01
オファーPC 流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
ゲストPC1 桑島 平(ceea6332) エキストラ 男 46歳 刑事
ゲストPC2 二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
ゲストPC3 三月 薺(cuhu9939) ムービーファン 女 18歳 専門学校生
ゲストPC4 清本 橋三(cspb8275) ムービースター 男 40歳 用心棒
ゲストPC5 吾妻 宗主(cvsn1152) ムービーファン 男 28歳 美大生
ゲストPC6 柊木 芳隆(cmzm6012) ムービースター 男 56歳 警察官
ゲストPC7 レイ(cwpv4345) ムービースター 男 28歳 賞金稼ぎ
<ノベル>

 彼女は見たのだった。
 走り出したバッキーを追って、その大きな建物の裏手に回ったときだった。
 彼女は見たのだ。
 目の前に、ストンと落ちてきた若い男を。
 床に着地した男は、こちらを振り向いた。全身黒のボディスーツ。映画でよく見るスパイか何かの格好だった。
 え、何? と言う前に男の手が伸びてきた。叫ぶ間など無かった。
 口を手で塞がれ、身体を抱きすくめられた。
 その段階になって彼女は悲鳴を上げたが、すでに遅かった。
 悲鳴は言葉にならず、代わりに押し付けられたのは何かハンカチのようなものだ。
 何かの薬品の香りがして、彼女は、これはひょっとして、と思った。
 映画でよくある、あの──。
 だが彼女の思考は最後まで続かなかった。
 自分はどうなってしまうのだろう。不安が彼女の心を埋め尽くし、薬品の香りが静かに彼女の目蓋を閉じさせた……。


***


 フン、と桑島平は鼻を鳴らした。
 手にしているのは、水色のカードだ。
 名刺大のサイズであり、そこにはパソコンで英文が印刷されていた。銀幕市で長く刑事で有り続けた桑島は、職業柄、それなりに英語を読んだり話したりすることができる。当然、そこに書いてあることも難なく理解できた。
「“ブラン公国の王女の証をいただいた。王女の微笑みよりも、この輝きは素晴らしい。──アンディテクタブル・フォー”」
 彼はその文章を訳して、口に出してみた。
 だが、彼の声は辺りの喧騒にかき消されてしまう。桑島の後ろで、右へ左へと忙しなく動き回る者たちが大勢いたからだ。行き交う彼らの腕には“銀幕署”という腕章があった。
 すなわち彼らは警察官であり、ここは事件現場だった。
 もう少し正確に言うと、そこは美術館の大ホールだった。銀幕市内で一番大きい『銀幕美術館』のメイン展示室である。
 ギリシア風を模した重厚な石柱に囲まれた円形ホールは、間接照明の柔らかい光に包まれている。壁際には華やかな映画スターたちの写真とともに透明アクリルケースに収められた様々な宝飾品が飾られていた。
 ここでは、映画スターが実際に身に着けていた宝飾品を展示する『シネマの世界のジュエリー展』という展覧会が開催されていたのである。さらに注意深く見れば、アクリルケースの中に一つだけ、中身が空になっているものがあることが分かる。
「──どうにかしてください、刑事さん」
 鋭く刺すような声色で、目の前の女が言った。
 桑島が目を向ければ、相手は、ねめつけるような視線を返してきた。まるで彼が自分の大切な宝物を奪っていった犯人であるかのように。
「まだ、ここで展覧会を始めてから三日しか経っていないんですよ。こんな──ああ、もう! 高い税金払ってるっていうのに!」
 ガリガリに痩せた身体を震わせる女。アプリコット色のスーツの、彼女の名前は五十嵐幾子といった。彼女は、この展覧会を主催する広告代理店、株式会社カメラワークスの常務であり、同時に今回の盗難事件の被害者代表でもあった。
 桑島は、彼女が暗に自分たち警察を批判していることに気付いたが、いたずらに被害者を刺激するようなことはしなかった。
「なあ、どう思う?」
 彼は五十嵐の言葉が聞こえなかったことにして、傍らの相棒にカードを渡す。
「ブラン公国の王女の証っていうのは、盗まれたガーネットの指輪のことですよ」
 返ってきた言葉は、涼しげな若い女の声。桑島の息子と大差ない年齢の女刑事、流鏑馬明日である。
 彼女はカードを受け取り、それを静かに見つめながら続けた。
「盗まれた指輪は、女優のロベルタ・コチニールが『ヴェニスの休日』で、指に嵌めていたガーネットなんです。彼女は映画の中でブラン公国という架空の国の王女という設定だったの」
「ああ、なるほど」
 つまらなそうに桑島は相槌を打った。
「そのカードは、奴らなりの“報告書”ってわけか」
「なんなんですか、アンディテクタブル・フォーって!?」
 いきなり、五十嵐が二人の刑事の会話に割って入ってきた。
「指輪は、ちゃんと取り戻してくれるんでしょうね?」
「まあ、そんな焦んなくても大丈──」
「──ええ、もちろんです」
 何かなだめようとした桑島に目配せして、明日が被害者に向き直った。
「ご安心ください。銀幕署の威信にかけて、盗まれた品物をお手元にお返しいたします」
「本当に?」
「ええ」
 明日は微笑してみせた。
「アンディテクタブル・フォーというのは、窃盗団の自称です。『U4』とも名乗っていまして、四人組なのかもしれませんが、残念ながらまだ正体は判明していません。彼らは先週水曜日に、聖林通りの街頭テレビを数分間だけ乗っ取って、この展覧会への犯行予告を行いました。予告があったにも関わらず、我々が犯行を未然に防げなかったことは心からお詫びいたします。お怒りもごもっともです。お気持ちご察しいたします」
 眉間に皺を寄せたまま、うなづく五十嵐。
「ですが、警察も何もしなかったわけではありません。痕跡を調べ、品物を取り戻すべく、今後迅速に対応いたしますので、どうかご協力をよろしくお願いいたします」
「……」
 五十嵐は明日の丁寧な説明と柔らかな物言いに、攻撃の糸口を見出せなくなったようだった。納得していない表情のままだが、仕方ないといったように口を開く。
「……まあ、とにかくあんまり待たせないで。早く、取り返してちょうだいよね」
 捨て台詞のように言い残すと、彼女は鼻を鳴らしその場から去っていった。背を向けて、自社の部下を掴まえて何か指示を告げているようだ。
 それを見送り──ようやく桑島と明日はお互いの顔を見合わせる。
「ナイス・フォロー」
「何言ってるんですか、桑島さん」
 よそ行きの顔から普段の表情に戻り、明日。 
「こうなると、犯行予告の時に言っていたことも、信憑性が増してきましたね」
「どこぞのロシアン・マフィアから金を盗んで対策課に寄付したってやつか?」
「ええ」
 明日は手にしていたカードをもう一度見ながら言う。
「先週の火曜日──例の予告の前日に、対策課の窓口に三百万円が置かれていたのは事実ですし、さらに災害遺児募金に二千万円の寄付があったのも事実です。どちらも身分を明かさない者の仕業です。ですが、このことでU4は一躍“ヒーロー”になったんです」
「ああ、そうだな。まったくよ」
 少しだけ鼻に皺を寄せ、顔をしかめてみせる桑島。
 今や、謎の窃盗団は銀幕市のニュー・ヒーローである。
 若者たちは犯罪予告を信じ、口々にクールだとかカッコイイだとか言い、彼らU4を称賛していた。市内において、小さな社会現象になっていると言っても過言ではなかった。
「そして今日。彼らは予告通りに、本当にガーネットの指輪を盗んでみせた。自分たちの実力を見せ付けたんです。……ということは、彼らが宣言していた“以前の実績”も、本当にやってのけたことなのかもしれません。──いずれにせよ、早めに動かないと。」
 彼女は、ガーネットの飾られていたアクリルケースの方へ振り向いた。
「鑑識の意見を聞きにいきましょうか」


***

 オレたちは、アンディテクタブル・フォー。
 この街で育ち、この街のために力を尽くす。

 バルチカっていうロシアの熊どもが目についたんで、数千万円ほどせしめてやったよ。
 その金をどうしたかって?
 決まってるだろ、ムービーハザードで被害を受けた子どもたちに分け与えたのさ。
 災害遺児募金っていう仕組みがあるんだ。お前たちもそれぐらい知っとけ。
 それから残りは、市役所の対策課にも少しくれてやったよ。
 お役人さん、お仕事ごくろーさん。

 さあ、聞いてくれ。
 これからはオレたち、本当の銀幕市民の時代だ。
 オレたちは、明日、銀幕美術館のガーネットをいただく。
 大切な指輪を盗まれた大女優コチニールが、悲嘆にくれる演技に期待したいね。
 願わくば、婆さんになった彼女にもう一度、オスカーを。

***


「つまりですね、指輪がすり換えられたのは、煙幕が張られた後だったってことです」
 手にしたメモをペン先で叩き、二階堂美樹は淡々と言った。
 事件現場を、相変わらず忙しなく動き回る警察関係者の輪の中。白衣姿の彼女は背筋を真っ直ぐ伸ばして立っている。
 美樹が属するのは科学捜査班だ。
 現場に残された証拠を科学的に分析するのが役目である。彼女は桑島と明日のコンビに、今まさに自論を話したところだった。
 明日は頷き納得をした様子だったが、桑島の方は首をひねり、おずおずと手を軽く挙げた。
「はい、桑島さん。質問は簡潔にね」
 美樹が彼を指し示すと、刑事は頭を掻きながら参ったな、とつぶやいてから続けた。
「ライトが消えた時、誰かが“すり換えられてるぞ!”って叫んだろ? でもそれは嘘で、そん時は指輪はまだ本物だったってことかい?」
「そうです」
 簡潔に答える美樹。滑らかに話す彼女の姿は、有能な科学捜査官そのものである。
「その直後、煙幕が張られた時、警備員が中身を確認するためにケースを開けましたね? それが犯人の目的だったってことです。その時に初めて指輪は外気に触れたんです」
と、美樹は言葉を切る。「そこで──指輪はすり換えられた」
「?? でも、どうして──?」
「最初から順序立ててみましょう、桑島さん」
 釈然としない様子の桑島に、横から明日がやんわりと口を挟んだ。
「予告を受けて、我々は入館者のボディチェックと、このホールの警備を行いましたよね」
「ああ。今朝からな」
「2時半ごろ、どこからか紛れ込んだ猫が廊下を走り出した」
「そうそう、猫がな。フギャーッてな」
「数人の警備員が、その猫を追いかけました」
 最初の陽動ね、と美樹が口を挟む。
「そう。猫を放ったのは犯人です。そしてその目的は、おそらくは警備員の配置を変えることです。この時に犯人は警備員に輪の中に入り込み、ホールの近くで警備についたんでしょう」
「そして、ホールの照明が消えた」
「ああ。それで、客がざわついて──誰かが叫んだんだよな。“指輪が、すり換えられてるぞ!”って」
「近場にいた警備員が、確認しようとケースに近づいたら──爆発音がして、もうもうと煙が立ち込めた」
 明日が言うと、美樹がその後を引き継ぐ。
「当然、ブザーも鳴りました。この時のドサクサに紛れて犯人はケースに近づいたんです。そしてケースの中の指輪を、この時“初めて”すり換えたんですね。ほかの者たちは、皆、犯人がすでに逃走したと思い込んでいたから、ケースにはあまり注意を払っていなかった」
「なるほど。……でもさ、分かんねえのはそこだよ」
 と、桑島はうなづきつつも自分の質問をした。
「煙幕の前までは、ケースに触れた者は誰もいなかったのに。なんで近くにいた連中は、そこにあった本物の指輪を、偽物と思い込んじまったんだ?」
「ああ、それは宝石の色が変わっていたからですよ」
 何でもないことを話すように。美樹はさらりと言う。
「桑島さん、あの宝石はね、特殊な“カラーチェンジ・ガーネット”なんです」
「……て、言うと?」
「照明によって色が変わってしまうんです。バナジウムとクロムの成分によって、そういった効果を引き出すんですが……まあ、この辺りのことは割愛します。要するに、あのガーネットは青の周波数が少ない白熱灯の下では鮮やかな赤色に見えるんですが、赤の周波数が少ない蛍光灯や自然光の下だとオリーブ色に見えてしまうんですよ。──いいですか? 思い出してください。ホールの照明が消えたとき、明かりは、どうなりました?」
 あっ、そうか! 桑島は自分の太腿を叩いた。
「廊下の蛍光灯だけになってたよ」
「ケースの中で、赤いはずの宝石が緑色になってたんです。だからよく知らない他の警備員は宝石がすり換えられたと思い込んでしまったんですね」
 美樹はそこまで言うと、パタン、とメモ帳を閉じた。
「でも正直、私、安心したわ」
ホッとしたように言うその口調は、普段の彼女のものに戻っている。「これなら勝てるわよ」
「勝てる──? 犯人に?」
 じっと考え込むようにしていた明日が、ふと顔を上げ尋ねた。すると美樹は彼女を見、にっこりと微笑んでみせる。
「ええ。だって、相手は魔法使いじゃなさそうだもの」
「……そうね」
 その言葉に、明日もうっすらと微笑んだ。
 彼女にも美樹の言わんとしていることが分かった。ムービースターかどうかは判然としないが、犯人は地に足のついた人間なのである。
 ──人間は、煙となって逃げたりはしない。
「相手の目的は? 手段は? ──よく観察し、正確なデータを掴んで、因果関係を見れば、将来を予測して犯人の先回りをすることができるわ。それが、サイエンスの考え方よ」
 連中をとっ掴まえて、ぎゃふんと言わせてやりましょう。
 そう言って美樹は、腕で軽く力こぶをつくってみせたのだった。


***

 見たかい?
 大女優も老いたな、とオレは思ったね。
 あれじゃあ、オスカーをやるわけにはいかないな。
 
 さて、オレたちアンディテクタブル・フォーは、世直しに大忙しさ。
 次は明日の夜。聖林ビルにいるオスカー氏をいただく。
 ああ、知らないのか。“彼”は5FのITBの玄関に居るんだよ。
 俳優の田中一景が『ラストニンジャ』で、助演男優賞を獲った時のヤツさ。
 今度は、社長になったニンジャ田中がどんなリアクションを見せてくれるのか。
 そいつに期待するとしようや。

***


 別に助けてもらわなくたって──。
 中学生らしき少年は、しきりにそう繰り返す。
 ──ちょっと不意を打たれただけなんだ。
 海の見えるガードレールに腰掛けた学ラン姿の少年は、前を見たまま同じ言葉を口にする。
 彼の手の中には、小さなピンク色のカバンがあった。どう見ても女物のそれには、フワフワの綿で出来た兎のマスコットが付いていて。少年はその兎を指で神経質そうにいじっている。
 その隣りに、清本橋三は背中を丸めて座っていた。
 黒の着流しを着こなした浪人である。これといった表情を浮かべてはいないが、ボサボサの黒髪は彼の横顔に凄みのある影をつくっていた。清本は業物の刀を膝の上に置き、ただ静かに少年の話を聞いてやっていた。
「とにかく」
 ようやく、少年は隣りの侍に顔を向けた。明るい茶色の髪をボブにし、女の子のように可愛らしい顔立ちをした中学生である。
「ボクが本気を出せば、あんな連中には負けないけど……。車に轢かれそうになったのは事実だ。た、助かったよ」
 ありがとう、と。少年は最後にそう付け加えた。
 清本は、口の端をわずかに歪めただけでそれに応える。
「おまえさん、名は?」
 問われて、少年はついと顔を上げた。この侍が口を利いたのが珍しかったのだ。思えば、まともに声を聞いたのは初めてではないか。
「ツェー・シン(謝承)。でも、ジミーでいいよ。みんなジミーって呼ぶ」
「『じみぃ』か。洒落ているな」
 少年が名乗ると、清本は居住まいを直す。
「さて、どうする?」
「どうするって……」
 相手の視線が、自分の持つ女物のカバンに向いているのに気付いて、ジミーも思案顔で自分も手元に視線を落とした。

 話は20分ほど前にさかのぼる。

 時刻は3時ごろだった。ジミーは、ベイエリアの港付近の海岸沿いを歩いているところだった。ある海辺の中華料理店で、遅い昼食を食べてきた帰りだった。
 彼は『卓球江湖傳』という香港映画から実体化したムービースターで、最近は銀幕市民たちに卓球を教えて小金を稼いでいた。
 ──歩いていたら、ポフッ、て音がしたんだ。
 彼は説明する。ジミーは自分の前方を歩いていた者たちが、何かを道に落としたことに気付いた。拾い上げてみれば、それがピンク色の小さなカバンだった。
 ──これ、落ちたよって、声掛けたら、そいつらが慌てて振り返ったんだ。そしたら連中が運んでた段ボール箱から、手が出てたのが見えたんだよ。女の子の白い手が、ニョキッとね。
 男たちは引越し業者風の作業着姿で、二人で大きな段ボール箱を運んでいた。ジミーはその箱の上部から女の手が突き出ているのを目撃したのだ。そして、振り返った彼らの表情も。
 ジミーが異変を察するのと、彼らが走り出したのは同時だった。
 待てよ! と叫んだジミーは背後から殺気を感じた。振り返れば、まさに車道を走っていた黒いバンが自分めがけて歩道に乗り上げてくるところだった。
 飛び退くか、走り抜けるか。
 あまりに急な出来事で、思わず判断が遅れた。
 ジミーは硬直したようにその場に足を止めてしまった。
 ──まずい! そう思った瞬間、彼の身体はグンッと後ろに引かれた。服を掴まれ強引に引っ張られたのだ。
 それが、清本だった。
 通りがかりの浪人は、少年の襟を引き数歩後ろへと飛び退く。──間一髪だった。その鼻先を、バンが物凄いスピードで走り抜けていった。
 清本はジミーから手を離し、脇差に手を掛け運転席の男を睨む。
 そこには目下を覆面で隠した若い男が乗っていた。銀色の長い髪を持つ男だ。彼は清本を見ることもなくハンドルを操った。そして作業服の二人に叫ぶ。乗れ、と。
 見ている先で、段ボール箱と男二人は素早くバンに乗り込んだ。
「チッ」
 舌打ちし、ジミーは持っていた鞄を思い切り車の窓に投げつけた。ガシャアン! と盛大な音をさせてガラスが砕け散り、鞄は作業服の男の顔に痛烈な一撃を加えた。
 男の悲鳴が上がる中、バンは猛スピードのまま角を曲がっていく。待て! と叫び、走り出す少年。清本も腰を落とし、それを追うために駆けた。
 だが──さすがに、車のスピードは速かった。
 見ている前で、ぐんぐん小さくなっていく車の影。さらに角を曲がれば、エンジン音はあっという間に遠ざかり、やがて車は港の先端──倉庫街の方へと消えていった。
 街中にはまた普段の静けさが戻っていた。何事も無かったかのように。
 刀の柄から手を離す清本。
 畜生! と、息を切らしながら叫ぶジミー。彼は、車が去った曲り角と清本の顔を交互に見た。
 清本はかぶりを振るだけだ。ジミーの手には、段ボール箱から滑り落ちた物だけが残されていた。兎のマスコットのついた、ピンク色のカバンが。

「──三月薺、18才か」

 ジミーはカバンの中から財布を見つけ、その中から車の免許証を取り出した。ひっくり返したりしながら名前を読み上げる。
「さらわれた娘子の名か」
「うん」
 うなづきつつも、何か思案げな顔で清本を見上げるジミー。
「ボクのケータイがあの車の中にあるはずだ。うまくいけば、あいつらを見つけ出せると思うんだ。早く動かないと」
「……」
 清本はわずかに首をかしげた。
「おまえさんは、その娘子を助けだすつもりか」
「え、だって……見ちゃったし」
 何でそんなことを問いただすのか、と言わんばかりにジミーは上目遣いになった。
「こういったことは八丁堀……いや、警察とやらの仕事だろう?」
「警察!? あんな連中、頼りになるかよ」
 少年は吐き捨てるように言った。どうやら何か嫌な思い出があるらしい。
「おっさんだってムービースターだろ? トラブルは自分で何とかするしかないんだ」
「おっさん?」
 その言葉が、自分のことを指していることに気付くのが遅れた。清本が、ああと声を上げている一方で、ジミーは何を思ったか、さらわれた少女の財布を無遠慮に物色していた。中身を確認し、紙幣を引っ張り出してみせる。
「シケてんな、三千五百円しか入ってないよ」
 と、清本に五百円玉を見せると、それを自分の制服のポケットにしまい込んだ。
「ボクはこれだけでいいや。おっさんは三千円ね」
「?」
 なおも清本が首をかしげていると、ジミーはニヤッと笑って三枚の紙幣を清本に突き出し、取るように促した。
「分かってないな。これは、おっさんのギャラね」
「ギャラ?」
「報酬ってこと。取り分。お駄賃。段ボール箱の女を助けるための」
 そう言われて清本は、素直にその三千円を受け取った。しげしげと眺める。
「しっかりしてよ、おっさん」
 少年はそんな浪人の肩をポンと叩いた。幾分か楽しそうに。
 そして彼は、兎のストラップのついたピンク色の携帯電話を取り出して、清本に見せたのだった。
「ボクたち、これから胸がスカッとするような救出劇をやるんだから!」


***

 出しゃばる?
 フン、そんなこと気にしなくたっていいのよ。
 わたしたちは高い税金を払ってるんだから。
 あんたにだって高い報酬を払うんだから。その分ちゃんと働いてちょうだいよね。
 そう。
 くだらない質問は時間の無駄よ。

 あんたは、ただ、連中の居場所を突き止めて、指輪を取り返してくればいいの。
 
***


 これなんですよ、と担当者が指し示すのを見て。柊木芳隆は、頷きながらそれを見上げた。
 黄金に輝く男性の像である。
 権威はともかくとして、おそらく世界で一番有名な米国の映画賞のシンボルだ。優れた映画監督や俳優に送られるものであり、柊木はその像がオスカー像と呼ばれていることを知っていた。
 実物を見るのは彼も初めてだった。しかし、映画の街たる銀幕市では、この像はそれほど珍しいものでもないらしい。
 洒落たエントランスホールである。床はシナモンブラウン、天井はベージュで、壁には空と雲を描いた大きな絵画が飾られていた。
 ベージュの受付カウンターには、社名ロゴが銀色の文字で記されている。
 ITB。──インターナショナル・タレント・バンクの略であり、つまりここは俳優専門の人材派遣会社の玄関口なのであった。
 件のオスカー像は、洒落たエントランスホールの、受付カウンター背後の壁にあった。それ専用に作られた棚の上に鎮座して、輝きを放っている。
 背の高い男性なら、手を伸ばせば取れる高さだ。
 試しに、柊木はそれに手を伸ばしてみた。二メートル近い長身の彼の手は難なく台座に触れることが出来た。
 ふむ、と思案する柊木。彼は依頼を受けてこの場に出向いたのだが、アメリカン・トラッドの三つ揃えのスーツに身を包んだその姿は、確固とした存在感をもっていた。
 まるで本来の──警察庁警備局公安課課長のような。
「2003年の『ラストニンジャ』で、当社の田中が助演男優賞をいただいたんですね。それで、エントランスに飾っておるんです」
 説明をしてくれているのは、スーツ姿の林という男だ。もらった名刺の肩書きは『総務課長』。30代後半で、メタボリック症候群の標本のような立派な体躯を持っていた。もう涼しい頃合だというのに、タオルハンカチを手に噴き出る汗を拭いている。
「田中が若手俳優の育成のために、当社を立ち上げたのもその頃でして。まあ、彼のオスカー受賞は当社にとって大変な宣伝効果となったわけです」
 なるほど、と柊木はもう一度相槌を打った。
「ここにオスカー像があることは、ほぼ誰でも知っていることだと考えてよろしいんですな」
「そうです、そうですよ。銀幕ジャーナルにも載りましたからね」
 うんうんと頷き、林。
「お分かりですよね。あれを盗まれてしまうことは、当社の看板を盗まれてしまうことと同じです。金銭的な損害はたかが知れていますが、ブランドに付いてしまう傷は計り知れません。本当に困る」
 柊木は何か考え事をしているようだった。じっと、まばたきもせずにオスカー像を見つめている。彼が返事をしないので、林はパタパタと汗を拭きながら、続けて言った。
「あの、柊木さん。本当にお願いしますね? 警察はU4がガーネットを盗むのを防げなかったわけですから。頼りはあなたがたしかいないんです」
「分かりました。警備に関しては心配なく」
 簡潔に答える柊木。

 謎の窃盗団アンディテクタブル・フォー。
 連中が銀幕美術館からガーネットの指輪を盗み出したのが4時間前。街頭テレビで、次はこのITB社玄関のオスカー像を狙うと予告があったのが2時間前。そして、林が柊木の所属する警備会社、銀幕セキュリティに電話を掛けてきたのが1時間前であった。
 柊木は部下を引き連れて、このITB社に出向いた。
 依頼を受け、窃盗団からオスカー像を守るためである。

「貴方の感覚で答えてもらえば結構なんだが」
 と、前置いて、柊木は質問を切り出した。
「田中社長もしくはこの会社自体に、恨みを持っているような者に心当たりは?」
「そおんな、ありませんよ。あるわけがない」
 すると、林は大仰な仕草で手を振ってみせる。
「当社は若手俳優の育成に力を入れてきました。たくさんの俳優を、映画やドラマの撮影に送り込みましたよ? エキストラ役から主役に抜擢されてメジャーになった俳優だってたくさんいます。しかも、ムービーハザードが起こってからは、本物のムービースターに映画出演の仕事を斡旋することまでやってるんですからねえ。恨みを持つ人間なんていませんよ」
 そう言い切って。太った男は、また汗を拭いた。
「愉快犯なんじゃないですか? さっきも言いましたけど、ここにオスカー像があることは誰でも知ってることです。連中はきっと渋谷のハチ公像とか、通天閣のナントカさんを盗むのと同じ感覚なんですよ。ほんっとに迷惑極まりない」
「まあ、様々な可能性があるからね。どのセンも有り得ることではある」
 柊木が答えると、林は目をパチパチやってからハンカチをジャケットのポケットにねじ込んだ。
「恨みを持たれてると言ったら、ロベルタ・コチニールの方なんじゃないですかねえ」
 ふと、そんなことを言う林。
 意外な発言に、柊木はひたと彼を見返した。
「あんなオールド・ミスの婆さんですけど、今でもハリウッドでは大変な権力者ですからね。ウチの社長も彼女に目を掛けてもらったクチなんですが、オスカーもらうまで大変だったみたいですよ。ねえ、年の差って言ったら幾つですか」
 クスクスと林は笑った。その笑いの意味が容易に推測できて、柊木は眉を寄せた。相手に反して、彼は全く笑う気にはなれなかった。
「──予告では襲撃は明日の夜ですな」
 不快さから、柊木は無理矢理、話題を変えた。
「それまで間がある。少し“攻め”の警備をするので、そのつもりで」
「攻めの警備……?」
 不思議そうな顔をする林に、柊木は、言葉通りだよ、と言って微笑んだ。
 その笑みは、いつもとは少し違っていた。視線は鋭く、まるで──獲物の匂いを嗅ぎつけた狼のようである。
 林は息を呑んだ。彼は思わず、恐れを成したのだ。
「映画の中では一応警察官だったんでね。ここに来るよりも前に、彼らをもっと居心地の良い場所に案内してやるとするよ」
「い、居心地の良い場所って言うと?」
「──留置場っていうところさ」
 そう結んで、警視長は片目をつむってみせたのだった。


***

 パショール・ティ!
 小僧どもが、思い知れ。
 俺たちをコケにした代償がどれほど高くつくか。
 身をもって知るがいい。

 ぬるま湯に浸かったクソガキどもめ。
 仁義だの面子だの落とし前だの。
 ツンドラの大地にそんなものは無い。

 指は揃ってるか、足は?
 そりゃあいい。
 俺たちの流儀を教えてやる。

***


 バンッ、という音と罵声。
 三月薺は、急速に現実に引き戻された。何かの夢を見ていた。弟や家族とどこかへ遊びに行っていた夢。だがそれはもう既に跡形も無く──。
 彼女は目覚めた。
 大きな声が、彼女の重い目蓋を開かせたのだ。
「な……に?」
 身体を動かそうとしても無理だった。持ち上げた両手は手首のところで固く縛られていた。見れば両足も同様である。
 もそもそと足を伸ばそうとすれば、茶色の壁に当たった。──段ボール? 薺はそのまま上を見上げた。天井には裸電球がぶら下がっている。コンクリートの壁。建設中の工事現場のような場所である。そこで、彼女は両手両足を縛られ、大きな段ボール箱の中に座らされていたのだ。
 なにこれ? と、声を出そうとして気付いた。
 近くに人が気配がするのである。そっと背筋を伸ばして覗いてみれば、部屋の中には4人の若者たちがいた。
 薺は混乱した。どうして自分はここに居るのだろう?
 そういえば。彼女は思い出す。
 休日の今日。自分は銀幕美術館の宝石展を見にきていたのではなかったか。そこでバッキーのばっくんが逃げ出したのを追いかけたら、建物の裏で黒服の男を見かけて──。

「なんと言おうと、失敗は失敗よ」

 部屋の中の一人が口を開いた。薺とそう変わらなさそうな少女の声だ。
「見られたからって、連れてくるなんてね。有り得ないわ」
「だって──」
「どうするのよ? 彼女」
 ──自分のことを話してるんだ! 気付いて薺は身体がすくむ思いがした。
「ムービースターなら殺してフィルムにして“ハイおしまい”に出来るけど。彼女は人間よ。そんな簡単にはいかないわ」
「アッハハ! いいね。“ハイおしまい”って言い方」
 恐ろしさに身震いする薺に気付かず、また別の若者が言った。けらけらと笑いながら、である。
「ルルの言う通りだけど、マァ連れてきちゃったモンはしょうがないだろ。なんとかしようぜ、ナッ?」
「そもそも、バルチカの件でのミスが尾を引いてるのよ」
 ルルというのはこの女の名前だろうか。どうやら犯人グループの中の紅一点のようだ。彼女は冷たい口調のまま淡々と指摘を続けた。
「『ビッグ・リシャンスキ』に出てくるやり方でやれって言ったのに。まるごと三千万円奪ってくるなんてね」
「でも、わざわざトランクから金を抜くなんて面倒くさいじゃん?」
 おずおずと答えたのは、さらに別の若者だ。
「バカねアンタ。本当にバカ。盗るのは束を五つ──五百万円で良かったのよ。大金を全部奪われたら、誰だってムキになるわ。しかも相手はロシアン・マフィアよ」
 掃き捨てるように言い、女はフンと鼻を鳴らした。
「対策課にでも逃げ込んだら? ──映画から実体化したロシアン・マフィアに命を狙われています。助けてくださいって」
「まあ、そのヘンにしとけよ」
 たしなめたのは最初に笑っていた若者の声である。どうも彼がリーダーのようだ。
「連中だって、オレらの居場所をそう簡単に特定できないだろうし、さ」
「ジュン」
 冷たく、女が彼の名を呼んだ。ワントーン低い声だった。
「わたし抜けるわ」
「ルル」

「さよなら」

 彼女が別れを告げた途端、唐突に場が沈黙した。
 その静寂に、自らの息遣いを聞き取られるのではないかと、薺は思わず息を止めた。数秒間、ぐっと堪えていると、誰かの足音が聞こえた。
 コツ、コツ、コツ……。
 そっと段ボールから顔を出してみれば、やはりルルと思われる少女がドアの向こうへと姿を消していくところだった。フレアースカートの白いワンピースに、羽織った紫のボレロがはためき、彼女の左腕にしがみつくようにしているバッキーが見えた。
 ピュア・スノーというより、もっと、もっと白い。オフホワイトというべきか。
 真っ白のバッキーだ。
 それに、角が生えていた。銀色の角が2本。
 あれは──! 薺は声をあげそうになって必死に自分の口を押さえた。
 自主映画制作サービス。阿藤玲子。彼女を操っていたディープパープルのバッキー。ムネーメと名づけられていた、バッキーではない生き物。あれと同じではないか。
 そのバッキーがずり落ちそうになって、彼女は一瞬だけ足を止めてペットを両手で抱きかかえる。横顔が少しだけ見えた。艶やかな黒髪をボブにした、非常に整った顔立ちの少女だった。まるでモデルのような。

 パタン、とドアが閉じると、部屋の空気が変わっていた。

「え、と……?」
 リーダー格のジュンが、最初に口を開いた。「何の話、してたっけ?」
「人質をどうするのかって話だよ。そ、それから、盗んだガーネットをどうするかって話と、それから……えーと……」
 自分が慌てていたことを思い出したかのように、少年が返す。声の高い方の少年だ。
「な、なあ。俺、やっぱり社長に相談してみるべきだと思うんだけど……」
 声が低い方の少年も口を挟んでくる。
「あァ? そりゃダメだって。さっき、ル……、あれ?」
ジュンは何かを言いかけて、目をパチパチやった。「んー、オレが言ったんだっけ? まァいいや。とにかくさ、社長には連絡を取らないし、ガーネットも返してやらない。そして、あのオスカー像も予定通り盗んでやるのさ。ここからがU4の本当のステージなんだ」
「でもさ……」
「タキ。納得いかないなら抜けろよ。オレたちはさ、本物のヒーローになるんだ。タマ無しにゃあ無理だ」
 相変わらず軽い口調でリーダーが言うと、ハハ、ともう一人の少年が笑った。
「U4は本物の銀幕市民。U4は血の通った人間。U4は現実のヒーロー。そうだろ?」
「……だな」
タキというらしき少年が相槌を打った。「あんな野郎、クソくらえだ」
「よく言った!」
 パン、と手を打ったのはジュンか。「オレたち四……いや、三人か。それにあの相田ってヤツを加えたら四人になる。オレたちは、これから運命共同体だぜ?」
 ──おや?
 傍観者たる薺は、ようやく奇妙なことに気付いた。
 なぜ、この少年たち三人はこんな会話をしているのだろうか。これではまるで、ルルが最初からメンバーに加わっていなかったかのように聞こえるではないか。
 どういうことだろう?
 
 プルルル……。

「キャッ!」
 突然聞こえた携帯電話の音に、緊張の糸が切れてしまった。思わず薺は悲鳴を上げてしまう。
 ガタッ、と少年たちが動く気配。
「待て」
 が、ジュンが声を上げて二人を止めた。物音。どうやら彼の電話が鳴っていたらしい。
「……。そうか。応援は必要か? ……ああ。分かった」
 短く答え、電話を切る。
「下に襲撃だ。アイツ──相田が応戦してる、とさ」


***

 ええ、本当に……。
 久しぶりにお会いする機会がこのようなことになってしまって。
 私も自分のことのように心が痛みます。

 いいえ、気休めではありませんよ。
 日本の警察はとても優秀なのです。
 きっと、すぐに貴女の指輪を取り返してくれますよ。
 ですから、少しゆっくりとこの街を歩いてみませんか。
 騎士というわけにはいきませんが、エスコート役を務めさせていただきます。
 
***


 なるほど、ねえ。
 聖林通りを歩きながら、レイはそう一言ぼやいた。
 グレーのロングコートをなびかせた金髪の青年である。左手には薬局の袋。右手はポケットに突っ込んでいる。二つの瞳はミラーシェードに隠されその色を伺い知ることができない。
「まあ、淡々とやりますか」
 独り言のようにつぶやくと、すれ違った女子高生が不審そうな視線をレイに向けてきた。
 傍目には独り言をつぶやいているだけにしか見えないし、薬局で薬を買ってきたムービースターにしか見えない。
 しかし実際には、彼は仕事中だった。
 彼の身体の半分はサイバーウェアである。近未来サイバーパンク映画から実体化したレイは、身体の中に内臓された通信機器を使用して、あるモノの情報を探している最中だった。
「──王女の証を買います、か。警察の囮じゃねえの? ああ、やっぱりな」
 歩きながら薬局の袋を空けて。
「──池内ジュン、19才。はいケータイ電話の番号ゲット」
 中の頭痛薬を4、5粒取り出して。
「──パショール・ティってのは、クソッタレって意味か。へえ」
 口に放り込んで、ボリボリと噛み砕く。
「ガキらがロシア人に解体されないうちに、チャッチャとやりますか──」
 
 銀幕美術館から盗まれた、大女優の指輪。
 それを借りて『シネマの世界のジュエリー展』を開いていた広告代理店カメラワークスの常務、五十嵐幾子は、レイに連絡をとってきた。盗まれた指輪を一刻も早く取り返すためだ。
 彼が充分な前金と引き換えに受けた依頼は、こうだ。
 盗賊団U4から、盗まれたガーネットの指輪を無傷で取り戻すこと。
 レイは黙々と仕事に取り組んだ。
 銀幕広場に面した街頭テレビで流された犯行予告。彼はその犯人の声を元に声紋分析を行った。少し加工されていたが、そんなことはレイには全く障害にならなかった。
 得られた声紋を、今度は銀幕市内のありとあらゆる映像データと照らし合わせる。これに少し時間を取られたが、それでも当たりは出た。
 池内ジュンという19才の少年である。声は彼のものだった。
 彼が端役で出演していた映画と、声紋がピッタリ一致したのである。
 あとは彼らがいる場所を探し当て、踏み込むだけなのだが……。レイは情報ソースに使った市内の様々な闇サイトの電子の波を“感じ”ながら思う。
 どうもバルチカというロシアン・マフィアたちが、U4を血眼になって探しているようなのだ。その様子を見ると、彼らが大金を盗まれたというのは本当のことなのだろう。
 それを思えば……時間に余裕があるとは言えない状況だった。

「──いやいや、待てよ」
 また独り言を言うレイ。
 彼は先ほど、何気なく傍受した関係者同士の電話の内容を思い出した。関係ないと切り捨てたものであったが──。
 これは、もしかすると早計だったか。
 レイは二、三の推測を裏付けるために、いくつかの事柄を確認した。そしてニヤリ。笑う。
 彼の中でU4の主犯格と思われる少年──池内ジュンと、ある人物がしっかりと一本の線で繋がったのだ。
「この世界はセキュリティが緩くて助かるよ」
 そう独りごちて、すれ違う女子高生に視線をやる。ブツブツとつぶやいているレイを不審そうに見ている少女である。
 レイは彼女に微笑みかけて、言ってやった。
「お嬢さん、ケータイ電話には気をつけなよ。デートの約束をどっかの誰かに聞かれてるかもしれねえからな」
 女子高生は足早に走り去っていった。だが、レイは満足していた。


***

 ああ、久しぶり。
 貴女とは、オスカー受賞のときのパーティでお会いしたよね。
 ムービーハザードが起きてからトラブルばかりで、お互い心労が絶えないね。

 ……それでさっそく本題なんだが。
 困ったことになって、それで貴女に直接連絡を取らせてもらった。
 貴女の会社の主催していた、例の展覧会からガーネットの指輪を盗んだ者たちのことなんだ。
 どうやら、彼らは僕の会社に関係する者のようでね。
 とにかく詳しく話をしたい。
 直接会いたいんだが、時間を取ってもらえるかな?

***


 振り下ろされた刀を、ガキィッと受け止めたのはモップの柄である。
 清本は背後に飛びのき、銀髪の青年もモップを手に間合いをとった。その二人の様子を、学ラン姿の少年が手も出せずにはらはらと見守っている。
 ビルの地下駐車場のような場所である。
 数分前、清本とジミーは倉庫街を歩き回り調べ、見当をつけた建物に踏み入った。
 当たりだった。
 使われていないはずの倉庫の駐車場。そこにあの黒いバンが停められていて。例の覆面をつけた銀髪の青年が、ヒマそうに煙草を吸っていたのを見つけたのだった。
 ──あの娘子を渡してもらおう。
 まるで悪役のような台詞を清本が吐いた。
 青年は答えなかった。彼は浪人を無視して携帯電話を取り出した。
 そして、清本が刀を抜いたのだった。

 覆面の青年は、道でジミーを轢きかけた運転手と同一人物であり、U4の面々が“相田”と読んでいる者とも同一人物だった。
 だが、彼の本当の名前は吾妻宗主だった。
 応戦する彼は無表情で、何を考えているか傍目から推し量ることはできなかった。
 宗主は落ちていたモップを拾い、清本の剣戟をうまくやり過ごしている。
 清本は眉をひそめた。相手は攻撃をかわすばかりで一向に踏み込んでくる気配がない。数度の手合わせでそれを見抜き、鋭く口を挟む。
「貴様、なぜ、娘子をさらった」
「さあね」
 ザグッ。三度目の攻撃に耐えられず、モップの柄が途中から斬られて床に落ちた。吾妻は持ち手を換えて数歩飛びのく。
「俺もそれを知りたいね」

 実は、宗主も目撃者の一人だった。
 昼下がりの銀幕美術館。あの盗難事件が起こった直後。彼はいち早く裏口から抜け出た。そして黒尽くめの男が少女を担ぎ上げているのを見つけたのだった。
 おい、と声を掛ければ、相手は驚いてそのまま走り去った。
 追うこともできたが、宗主はすぐにはそうしなかった。
 ──あれが件のU4か。そこで興味を持ち、宗主は盗賊団に接近してみようと決めたのだ。
 本当の銀幕市民。彼らが街頭テレビの犯罪予告で行っていた言葉である。宗主はそれが気になったのだ。一体U4は何をもって“本当の”と言っているのか。
 ちょうど良いタイミングで通りすがりの少年──ジミーとU4の二人がトラブルになる現場に遭遇し、宗主はU4側を助けることで、うまく彼らに近付くことが出来た。
 二人の少年──タキとコージは、宗主を他のメンバーに引き会わせた。リーダーはジュンといったか。チャラチャラした雰囲気だがその実、頭の切れる少年だった。メンバー4人は全員18才そこらの少年で、どこかの専門学校の同級生のようだった。
 だが、分かったのはそこまでだ。
 宗主は駐車場の見張りを任され、車の傍でヒマをつぶすことになった。
 どうやら、動機や詳しい彼らの思いを聞くには……もう少し時間と信頼が必要らしい。

 ダン! と、その時大きな音を立てて、扉が開いた。
 駐車場に、数人の少年が飛び込んでくる。清本と吾妻はそれには一瞥もくれず、激しい攻防を繰り広げている。
 代わりに彼らを見たのはジミーだ。彼は一瞬で状況を把握した。連中が目隠しをした少女を連れていたからだ。カバンの持ち主──薺である。
 ジミーは駆け寄ろうとして踏みとどまった。リーダーらしきアーミージャケット姿の少年が、手に持っているものに気付いたのだ。
「おっさん、あいつら銃を持ってる!」
 彼は鋭く声を上げた。そしてこちらに走ってくる少年たちを見て、素早く物陰に身を隠す。U4の三人は車に駆け寄りドアを開いて、悲鳴を上げる薺を押し込み自分たちも乗りこんだ。
「相田!」
 誰かが、宗主を叫んだ。
「──清本さん」
 一方、呼ばれた宗主は、何度目かになる下段からの突きを、短いモップで弾いたところだった。彼は、この喧騒の中で小さく相手の名を呼んだ。
 声に気付いた清本が眉を寄せれば、さりげなく間合いを詰めてモップを振り下ろす。清本が刀で受け止める。顔を近づけ、宗主はもう一度小さく囁いた。
「清本さん、俺です。吾妻です」
 むん! と刀の向きを変えながら、清本はようやく気がついた。自分が相手にしている青年が、知り合いの吾妻宗主であると。
 ギリギリと互いの得物に力を込めながら、二人はお互いの目を見る。
「連中に近づいて盗品と誘拐された彼女を助けるつもりでした。この場は俺に任せてもらえませんか」
宗主はさらに踏み込み、片目をつむってみせた。「あとで必ず電話します」
 清本の口の端が僅かに。ほんの少しだけ持ち上がった。
「──相分かった」
 短くそう言い残すと、清本はふいに身を退いた。
 あっ、と宗主はその動きに反応したが遅かった。次の瞬間には、彼の持つモップの柄が清本の肩を上から激しく打ち据えていた。

 清本はうめき声のようなものを上げ、身体をくの字に折った。

 唸りながら浮かべるのは苦悶の表情だ。彼が大きく仰け反ると、刀を持った右手が反動で頭上に上がった。指が──その柄に絡みついた指が震え、一本ずつ力を失って離れていく。やがて最後の小指が剥がれると、刀はゆっくりと床に落ちた。ゴトリという重い音をさせて。
 おっさん! とジミーが叫んだ時、清本は両膝を折った。
 額に浮かべていた汗が、彼のこめかみを滑り落ち、床に水滴をつくった。そして目をカッと見開いたまま、前のめりに。彼はゆっくりと床に倒れていったのだった。
「おっさん!」
 慌ててジミーが倒れた清本に駆け寄る。
「おっさん、しっかりしてよ!」
「──相田!」
 あまりの見事な倒れっぷりに、呆然と清本を見ていた宗主は我に返った。振り向けば、黒いバンの後部座席からU4のタキが顔を覗かせている。
 宗主はサッと身を翻した。
 素早くバンに駆け寄り、すでに半ば走り出していた車に飛び乗る。中にいたのは三人の少年と薺である。
 甲高いブレーキ音をさせながら車が出口へと猛然と走りこむ。その中でグッと椅子の背を掴みながら宗主はふと気付いた。
 U4は四人のはず……。人数が一人少ないような?
「おい、誰かあの倉庫に忘れてきてやしないか?」
「何言ってんだ。全員乗ってるよ」
 そうジュンが答えたとき、車は外へと飛び出した。

「くそッ!」
 走り去る車を見、ジミーが叫んだ。U4と宗主を逃がすまいと清本を置いて、走り出そうと腰を浮かせる。
「待て」
 今にも走り出そうとしたジミーの肘を誰かが掴んだ。
 骨ばった浪人の手。清本だった。
「わっ!」
 ジミーが驚いたように声を上げた。彼は清本がてっきり昏睡状態に陥ったと思っていたのだ。彼の斬られ方はそれほど見事だったのである。
「──彼は、味方だ」
 清本は何事も無かったかのように上体を起こし、淡々と言った。彼? とジミーが聞けば、今の男のことだ、と短く答える。
「あとで、電話をくれると言っていた」
「で、電話?」
 すっとんきょうな声を上げるジミー。
「どうやって? だって今、ボクたちコレしか持ってないよ?」
 そう言って、ジミーは薺の携帯電話を掲げてみせた。
 ストラップの兎が揺れ、それに合わせて清本も小首をかしげてみせる。
 ──そして、二人の間に沈黙が訪れたのだった。。


***

 どうしたの?
 
 ……怒ってないわよ。あんたの気のせいよ。
 何かヤバいことになってるみたいね。
 そりゃ分かるわよ。だってあんた今、電話しながら走ってるでしょ?

 ……。
 仕方ないわね。
 杵間山の麓、登山口のすぐ手前のところに廃屋になった保養施設があるわ。
 「ぎんまくホーム」っていうところよ。そこなら入り込んでもバレないはず。
 なんだか知らないけど、頑張って。
 じゃあね。

***


 ホワイトボードに貼られた、「ダウンタウン南」や「スタジオタウン」等の文字に次々にバツ印が付けられていく。赤いペンを持ってるのは桑島である。
 難しい顔をしたまま、彼は最後に「ミッドタウン」にバツを付けた。
 夕方の光がブラインドの隙間から差し込んで、彼の顔に影をつくる。ほとんどの刑事たちが出払っており、部屋には彼と相棒の明日、そして科学捜査官の美樹の三名しかいなかった。
「──ベイエリアの倉庫街、だな」
 と、桑島が言うと、その前に立っていた明日が、ええ、と相槌を打った。
「例の車が乗り捨てられていたのが、星砂海岸の海岸通り。とくに倉庫街は──隠れる場所に不自由しないものね」
 明日は資料の写真を見ながら言う。白いセダン型の中型車の写真である。海辺のコンビニに乗り捨てられていたこの車と、美術館の裏口から走り去った車のナンバーが一致したのだ。
「ならさっそく倉庫街ね。がつんと踏み込みましょう!」
そこで、威勢良く立ち上がりながら言ったのは美樹だ。「明日まで待ったら、次の犯罪を見過ごすとにもなりかねないわ」
「おいおい、ちょっと待てよ」
 桑島が半ば慌てて彼女をたしなめる。
「当たりは付いてるが、下手にウチらが動いてることを察知されたら、逃げられちまうぜ? 奴らを張るのは大賛成だが、ここで踏み込むのはまだ早すぎる」
「じゃあ、どうするっていうの? 桑島さん」
「網を張るんだ」
 さすがは年の功か。桑島は彼女に言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「明日の夕方。連中が動いた時に掴まえるんだ」

「──そうだね。僕もそれが確実だと思う」

 壮年の男性の声を聞き、反論しようとしていた美樹はハッと振り返った。
 そこには見知った顔が──柊木芳隆が立っていた。彼はにこやかに美樹や他の二人に微笑みかけると、ドアノブに掛けていた手を動かしドアを閉めた。
「柊木さん」
 明日が──彼女にしては友好的な──笑みを浮かべて、彼に近付いた。
「署にいらしていたんですか」
「ああ、うん」
 全く自然な様子で、彼はデスクに片手をつき、散らばった資料とホワイトボードにざっと視線を走らせた。
「僕が言うのも何なんだけど、銀幕署はもっと人的なセキュリティを強化した方がいいねぇー」
と、彼は言いながら明日に片目をつむってみせた。「……でないと、僕みたいな不審者が侵入し放題になってしまうよー?」
 くす、と明日が笑い、桑島がポリポリと頭を掻いた。美樹もため息をつきながら腰に両手を当ててみせる。
 ムービースターである柊木が銀幕署に簡単に入って来れたのも、おそらくは銀幕署の警官たちが無能なのではなく、彼の振る舞いがあまりにも自然だからであろう。
 現に今でも、彼は遅れてきた捜査官の一人にしか見えない。デスクの上の資料に手を伸ばし、目を通し始めている。
「実は、U4の次のターゲットになっているITB社の警備を依頼されてねぇー」
 資料を読みながら、柊木は自分の事情を簡単に彼らに説明した。
「明日の夜まで待つよりも先に動こうと思ったんだが。ここまで分かってるんだったら桑島くんの言う通り、彼らを張るというセンに僕も一票だ」
「いやあ、柊木さんが協力してくれんなら心強いや」
 悪びれず、桑島が微笑みながら言う。
 ありがとう。柊木もくったくない笑みを返し、その場にいる三人の顔を代わる代わる見ながら言った。
「さて、それじゃあ倉庫街に向かいながら、情報交換と行かないかい?」
「それは構いませんが……」
 ホッと笑みを浮かべる桑島と美樹を尻目に、一言だけ口を挟んだのは明日だ。
「いいんですか? ITB社の方は」
「襲撃の予告は明日の夜だ。彼らは自分の出した予告を自分で破ったりはしないよ」
 柊木も悪びれずにそう結ぶと、にっこりと微笑んでみせた。


***

 池内ジュン?
 さあ……知らないわね。
 そいつがリーダーなの。ふうん。
 まあ、相手がどんな奴かなんてことには興味無いわ。
 早く指輪を取り返してきてよ。

 ちょっと、なんであんたがそのこと知ってるわけ?
 わたしの電話を盗聴したの!?
 ほんっとに油断も隙もならない奴ね。

 来なかったわよ、彼。
 え? じゃないわよ。彼から会いたいって言ってきたのに来なかったの。  
 知らないわよ、そんなの。
 そういうの調べるのがあんたの仕事でしょ。

***


「私は動機から犯人像を考えてみたんです」
 数人からなる警察官たち一緒に、桑島と明日、美樹、柊木の4人は倉庫街へと向かっていた。ワゴン車の中で顔を合わせながら、息せききったように口火を切ったのは美樹だった。
「犯人の声紋の分析は済んでいます。分かったのは10代後半から20代前半の男性、日本人であることです。声紋から分かったのはそれだけですが、わたしは彼らが犯罪を起こしたのは肥大化した自己顕示欲によるものだと考えています」
「有名になりたがってるってことね」
 明日が口を挟むと、美樹はニッコリとうなづいた。
「彼らは映画の中のムービースターみたいに、ヒーローになりたがってるんです。おそらくは。だから、彼らを若者たちが称賛してもてはやしたことは、彼らにとってはとても満足のいくことだと思うわ」
「そうだね。僕もそう思う」
 柊木は美樹の言葉に同意するように深くうなづいた。
「彼らはバルチカというロシアン・マフィアから大金を奪ったという話をしていたよね。この件に関しては裏を取っておいたよ」
 何でもないことを話すように、彼は自分が仕入れてきた情報を三人に話した。
「僕が、さる情報筋から聞いたところによると。U4はバルチカの武器取引の現場に、取引相手を装って乱入して、大金の入ったトランクを丸ごと奪った。──代わりに彼らが残したのは、使用済みの靴下がパンパンに詰まったトランクさ。大金の額は全部で三千万円。若者には少し多すぎる小遣いだと思わないかい?」
「さる情報筋……?」
「海辺の中華料理屋だよ」
 不思議そうに問う明日に、柊木は短く答えニヤリと笑った。
「つまり、彼らは金にも困っていない。有名になることにも成功したっていうことね」
「そう」
 美樹と柊木は目を合わせ頷いた。
 彼ら二人は同じ推測を立てていたのだ。
「彼らはすでに目的を達成しているのに、まだ盗みを続けようとしている」
「ええ。ITB社のオスカー像を盗むという予告だけが、浮いているのよね」
「──浮いてる、っつうと?」
「それだけが異質だっていうことよ」
 桑島が小首をかしげると、美樹が滑らかな口調で続けた。
「オスカー像は、像は台座を含め全高34センチ、重さ約4キログラム。92.5パーセントのスズと75パーセントの銅の合金で出来ていて、上から24金のメッキが施されているだけの代物よ。しかも金銭的な取引は禁止されているの。──つまりね、桑島さん。あのオスカー像っていうのは、盗んでもぜんぜんお金に出来ないの」
「もしかして」
 何かに気付いたように明日が声を上げた。
「オスカー像を盗むのには、また何か違う目的があるということ?」
「その通りだよ、明日くん」
 そこで、満足そうにうなづいたのは柊木だ。
「まだ推測に過ぎないが、これはおそらく当たってる。僕はそっちも裏を取ってきた」
 おもむろに、彼は懐から数枚の写真を取り出して、皆に見せた。
 一枚目には女優かアイドルと思われる可愛らしい少女の顔写真。
 二枚目はベイサイドホテルのカフェと思われる場所だ。壮年の日本人男性と、青いワンピースを着た白人の老女が深刻な顔で話しこんでいる写真である。
「これは田中一景氏の娘、アガサ・タナカこと田中亜賀沙。女優を目指して現在、渡米中だ。そしてこちらの写真は、その田中一景氏とロベルタ・コチニール女史だ。彼女は自分が譲り受けた思い出の指輪を盗まれ、すっかり意気消沈しているようだよ。田中氏はそれを慰めるために久しぶりに彼女にコンタクトを取ったらしい」
 柊木は顔を上げ、三人の顔をゆっくりと見た。
「コチニール女史は今でもハリウッドでは大変な権力者だそうだ。彼女の意向一つで映画の配役もコロコロ変わる。田中氏は以前から彼女と親交があったそうだが、“同じ事件の被害者”としてはこれ以上の適役は無いと思わないか?」
「──分かった! 」
 桑島が柊木の顔を指さし、声を上げた。

「──田中一景が黒幕だと言いたいのね?」

 が、彼の後を引き継いだのは明日だった。相棒から恨みがましい目を向けられても全く動じずに彼女は柊木に向かって言う。
「ハリウッドで、日本人の俳優が役をもらうのは物凄く難しいことよ。田中一景氏は自分の娘を映画に出演させるために、権力者であるコチニール女史に会うことにした。……ああ、そうね。確かにそう考えると辻褄が合うわ。指輪を盗んでしまえば彼女を日本に足止めすることができるもの」
「ん? ってえことは、明日の予告はどうなるんだ?」
「予定通り実行するはずだ」
 淡々と柊木が答える。
「その上で、U4は田中と連絡を取り、なんらかの手段で指輪を持ち主に返すだろう」
「そうか、なるほどね。ITBは俳優専門の人材派遣会社だものね」
 美樹も納得したようにうなづいた。
 彼女は田中一景が怪しいという自分の推測を、柊木が綺麗に裏付けてくれたので満足している様子だった。
 しかし、またもや話が飛躍したので、桑島の方は目をパチパチやっている。美樹がチラとその彼を見て、仕方ないわねと、息をついた。
「田中一景は、いくらでもU4に成りたい若者を雇うことが出来たということよ。彼は自分の会社に登録している俳優志望の若者の中から協力者を得たはず」

「──そう。おそらくこの4人をね」

 柊木は最後の切り札のように、プリントアウトした書類を取り出した。
 簡単な履歴書が4枚だった。
「田中一景氏は、この4人をある映画の撮影に派遣するよう指示している。だが、もちろんその映画撮影は架空のもので、業務は存在しない。時期もピタリと一致する」
「──あっ!!」
 その4人の若者のプロフィールを見ていた桑島が驚いたような声を上げた。彼は一枚の履歴書を手に持ち、それにじっと目を近づけた。
「どうしたの、桑島さん」
「この子、カレー王子が来たときに見た──」
 桑島が一人の少女のプロフィールを見て、何かを言おうとした。皆がそれに注目して彼の顔を見た時。
 キキキキィーッ!! と、車がいきなり急ブレーキをかけて揺れ動いた。
「ギャッ!」
 皆も驚いたが、体勢を少し崩しただけで済んだ。前のシートに額をこっぴどくぶつけたのは桑島一人だけである。
 突然のことだったが、車は道の真ん中で急停止した。倉庫街まであともう少し、という場所である。
「痛テテ、一体、なんだよ?」
 額を押さえている彼を尻目に、他三人はシートベルトを素早く外して車外へと出た。あー、シートベルトですかそうですか。桑島はそう悪態をつきながらも自分も外へと出た。

 道の真ん中にゆらり。着流しを風になびかせた浪人が立っていた。

 清本橋三だった。
 彼は腕組みをしたまま、車から降りてきた明日たち一人ひとりに、その鋭い目で向けた。まるで心を見抜くような真っ直ぐな視線でじっくりと面々を見つめた後、彼はようやく静かに言ったのだった。
 ──力を借りたい、と。


***

 知らない、ほんとうに知らないんだ!
 信じてくれ!
 やめてくれ、私じゃない!

***


「あちゃー」
 レイはバイクに乗りながら頭をぶるぶると振ってみせた。
 彼は相変わらず、移動しながら体内の電子端末で調査を続けていた。
 その中で嫌な映像を見てしまったのである。
 どこかのオフィスだ。
 画面の端の壁に押さえつけられた男。筋骨たくましい白人の男たちが三人ほどそれを取り囲んでおり、暴れる男の後頭部には銃がつきつけられている。
「──知ら、な……い、ほんとうに、知……らないん、だ」
 音声のない防犯カメラの映像であったが、読唇術のできないレイでも、なんとなく言葉を拾うことが出来た。
「小僧ども、は、どこ、だ? ……知らない、連絡が、つか、ないんだ」
 レイがバイクで交差点を渡ったとき、彼の脳内では、銃の引き金が引かれていた。
 男の頭から赤い飛沫が飛び散って、画面の端にはグロテスクな鮮血の花が咲いた。銃を撃った白人の男は何事かをつぶやいて、その銃をポイと血溜りの中に投げ捨てた。
 必要なことを聞けたのだろうか。ロシア人たちは映像の中で盛んに何かを話し合っている。
「こりゃ、ますます時間が無くなってきたな」
 レイは独り言をこぼしながら、頭の中にある友人の顔を思い浮かべた。
「連絡……しとこうかな」
 目前に見えてきた杵間山の影を見ながらレイは、その友人に連絡を取ろうと決めた。
 もしかすると、依頼完了後の後金を貰い損ねることになるかもしれない。そうは思ったが、自分が今見たものは無視できないものであった。
 銀幕市で会社を経営する有名人が、ロシアン・マフィアに殺されたのだ。

 田中一景という名を持った男が、たった今、殺害されたのだから。

 きらきら光る電子の海の中。暗闇の中に踊る名前。友人のアドレスデータの中から、レイは“流鏑馬明日”という名前を探し出す。
 そして、彼は脳内で、コールボタンを押した。


***

 えっ……!? 本当に?
 分かったわ。あたしたちはすぐ現場に向かうわ。

 話してくれてありがとう。
 アナタの協力に感謝するわ。

***


 恐怖で身体を強張らせている薺を任され、宗主はこっそりと彼女の手を握り、耳元で囁いた。
 ──大丈夫。俺は味方だよ。君を助けにきた。
 目隠しをされたままの薺は声の主に思い至り、少し安心したように身体の力を抜く。
 U4の少年、ジュン、タキ、コージの3人と人質の薺。そして宗主の5人は、廃屋となった高齢者医療施設「ぎんまくホーム」に辿り着いていた。
 ジュンが車の中で、何者か電話でアドバイスを受けて、やってきた新たな隠れ家である。宗主はここまでの道順をきっちりと頭に入れていた。
 彼が何もせずに様子を見ていると。少年たちは黙々と窓ガラスをガラス切りで切り抜いて、鍵を開けて建物の中に侵入した。
 そして病室になっていた一室に居場所を定めると、目隠しをしたままの薺を椅子に座らせ、後ろ手に両手を縛りつける。
 作業の間、誰も口を利かなかった。
 薺のことが終わると、ようやくジュンが腰を落ち着けて床に座り込んだ。他二人の少年もおずおずとその近くに座り込む。宗主もそれに習った。
 薺に背を向ける格好である。
 ジュンは取り出した銀幕市内の地図を見て、何か考え事を始めたようだった。すっかり一人の世界に入ってしまい無言のままである。
 すると、宗主の隣りにいたタキが、居心地悪そうにもぞもぞと動き出した。ジュンには声を掛けられまいと悟ったのか、彼は、宗主の方を見て小さくこぼし始める──。
「な、なあ。……マフィア、の手先なのかな? さっきの」
 タキが、清本のことを言っているのだと理解するのに時間がかかった。彼は清本がロシアン・マフィアに雇われた刺客だと思い込んだらしい。
 宗主は即答を避け、さあ、そうかもね。と、かぶりを振ってみせた。
「ジュン、なあちょっと聞いてくれよ」
 するとコージの方も耐え切れなくなったように口を開いた。ジュンは反応しなかったが、彼は構わず続けた。
「明日のはホントにやるのか? なあ──やめにしようよ。さっきの侍、見たろ? あれ絶対、雇われた殺し屋だよ。明日、ITBに踏み込んだら、アイツが待ち構えてるかもしれないんだぜ?」
 ジロリ。ようやくジュンは目を上げてコージを睨んだ。それでも、彼は無言のままだった。
「銀幕市の外に出てみたらどうかな」
今度はタキが言った。「市の外に出れば、ムービースターは外にまで追ってこれないだろ? だから絶対安心だよ」
「……」
 ジュンは答えなかった。その瞳にはハッキリと怒りの色が浮かんでいる。宗主が最初に会った時のようなヘラヘラした態度は微塵も残っていなかった。
「行きたいなら行けよ」
 そしてようやく彼の口から出たのは、突き放したような台詞だった。
「オレは行かない」
「ジュン」
「オレはこんなことで諦めたりしねエぞ。お前らは行きたくないのかよ? みんなで言ってたじゃないか。映画の中に行くんだって。あれは嘘か!?」
 声を荒げるジュン。
「つまんねえ現実世界抜け出して、映画ン中に行こうって、みんなで決めたじゃねえか!!」

 その言葉を聞いて、宗主はドキリとした。

「これは試練なんだ。オレたちは試されてるんだ」
 宗主の心を知ってか知らずか。ジュンは息せき切ったように自分の思いを吐露し始めた。
「オレたちは映画の中の登場人物になるんだ。──映画の中のヒーローが、ビビッて計画を途中でやめたりするか? 怖気づいて逃げ出したりするか? ……マフィアが怖くたって自分たちの計画を全うする。それがヒーローだろ? それが主人公だろ!?」
「──確かに、そうだね」
 宗主は思わず口を挟んでいた。
「それが映画の中のヒーローだね。もし事件の最中に命を落としたとしても、ヒーローとはそういうものだよね。……むしろ、命を落とした方が、殉教者としてさらにヒーローらしくなるから、みんなに称賛されるかもしれない」
「……!」
 場が、シンと沈黙した。
 コージとタキは、宗主の顔を穴の開くほど見つめている。彼らはおそらく、今の発言で初めて意識したのだ。──自分たちが死ぬかもしれないことを。
 ジュンは、余計なことを、といまいましそうな顔で宗主を睨んだ。
 
 そうだったんだ──。

 ようやく、彼らの思いが分かった。
 薺もまた、耳だけで彼らの会話を聞きながら、彼らが事件を起こした動機に思い至っていた。
 彼らは映画の世界の住人になるつもりだったのだ。U4が有名になれば、彼らを“映画化”しようという動きも出てくるだろう。きっと、彼らはそれを狙ったのだ。
 現実の世界から、“本物の夢”の中へ──。
 自分たちがムービースターとなることを夢見たのだ。

「──相田、あんたバッキー持ちだよな」

 ジュンが鋭い目つきを宗主に向けながら、急に話題を変えてきた。
「ああ」
「なら、さっきの侍がどんな映画から実体化してるか知ってんだろ?」
 宗主がうなづくと矢継ぎ早に次の質問をしてくる。宗主は、いやと小さく首を横に振った。
「いいや知ってるはずだ」
 妙に強い口調でジュンが言う。
「だって、さっき奴と会話してたじゃねえか?」
 ──えっ? と、驚いたようにタキとコージが宗主を見る。が、宗主自身は全く表情を変えなかった。昔取った杵柄か。彼はこういったことに関してはかなり場慣れしていた。
「話なんかしていないよ」
「いいや、してた」
「してないよ」
 はっきりと答える。宗主には分かっていた。これはジュンのブラフだ。彼は自分を試しているのだ。宗主は、あの場では相当気を使って清本に話しかけた。ジュンにそれを見られていたとは到底思えなかった。
 宗主はじっと相手を見る。ジュンも目に強い力をこめて彼を睨み返してきた。
 ブルルル……。
 その時、宗主の懐で彼の携帯電話が振動した。嫌なタイミングだった。
 宗主は電話を取り出そうと懐に手を入れる。

「──動くな」

 チャッ、と音をさせてジュンが銃を構えていた。
 動きを止める宗主。ジュンはその胸にまっすぐに狙いをつけている。携帯電話はまだ宗主の懐で唸り続けていた。
「その電話をこっちによこせ」
 宗主はため息をついた。
「玩具じゃない。ちゃんと実弾が入ってる」
 じっとジュンの目を見、もう一度ため息をついて。宗主は懐に手を入れ、ブルブルと振動したままの電話を取り出し、ゆっくりと彼に手渡した。
 ピッ。ジュンは宗主と目を合わせたまま、電話を耳に当てる。
「──もしもし? 吾妻さん?」
 電話の向こうからは、女の声が聞こえ──宗主は三度目のため息をついた。


***

 突然のことで驚かれたとは思うんですが。
 とにかく我々とご同行いただけませんかねえ……?
 事情は車の中で説明しますんで。

 映画みたい、ですか?
 あー。そりゃそうですよ。奥さん。
 だってここは、映画の街──銀幕市なんですから。

***


 何とかマフィアの先回りが出来たろ──と、言いかけて。
 車のハンドルを握ったままの桑島は、ブッと吹き出した。
 パトカーの車中である。
 助手席に明日、後部座席には一人の中年女性を乗せ、桑島は上機嫌で銀幕署に戻るための帰路についたところだった。
 近道にいつも使っている公園の脇の道へと曲がった時。前方にジープが停まっているのが見えたのだった。

 ──アサルトライフルを構えた、大柄の白人の男が顔を出しているジープが。

「あれは、ロシアン・マフィアです」
 目を見開いて驚いている桑島の横で、あくまで冷静に明日は言った。後部座席の中年女性を振り返って説明口調だ。
「池内さん、シートベルトはきちんと締めてくださいね。そうでなくても、先日法律が改正されましたので、後部座席の人もシートベルトを締めなくてはいけないことに──」
「──うおおおッ!!」
 明日の言葉をかき消すように、桑島は叫びながらハンドルを握り直した。
「任しとけ! 俺、こないだこういうのやったんだ!」
 ズガガガガッ、という重い銃声と、パトカーが急旋回したのはほぼ同時だった。
 車の尻をうまくマフィアに向け、桑島はさらにハンドルを戻す。そして、アクセルを強く踏み込んだ。ぬおっ、と自分でも声を上げながらシートに背中を押し付けられつつ、前方を見る。
「ひゃぁっ、ちょっと、な、な、ななんですかこれは!?」
「シートベルトを締めていれば大丈夫です」
 思わぬ展開に、中年女性は失神寸前だ。それでも明日は冷静に声を掛けながら、すかさずパトカーのサイレンのスイッチを入れている。
 桑島は、ナーイス、と心の中で言った。
『──おーい、聴こえるか!?』
 すると、無線機から若い男の声がした。明日がそれが友人のものだと気付いて声を上げる。
「レイ!?」
『明日、それからおっさん。大丈夫か?』
 どこからどうやって警察無線に乗っているのか。とにかくレイは二人に連絡を取ってきていた。
「ありがとう、レイ。さっきは助かったわ。あたしたち、さっそくITBのオフィスに行って──」
『ああ、礼は要らないよ』
 その代わりに、今度キスしてくれ。レイが言った。
 駄目よ。笑みを浮かべながら、明日が返した。
『分かったよ。じゃあ俺は、こっちで何とかやっとく』
 少しだけ残念そうに。わずかな間の後に、レイ。
「? 今どこにいるの?」
『ぎんまくホームってところさ。どうやら、ウォッカ野郎たちに囲まれてるみたいだ』
 えっ、と驚く明日。
『……心配すんな、大丈夫だよ。それよりも、まあ、なんだ。マフィアから逃げるのに最適なルートを探しといてやったから、参考にしなよ』
「最適なルート?」
『カーナビに、イルカがいるだろ。そいつが喋るよ』
 この状況に全く似合わない、面倒そうな口調でレイが言う。明日は、旧式のカーナビの画面にイルカのキャラクターがいることに気付いた。これはもしやレイの分身か?
「桑島さん、レイが助けてくれるって」
「なんでもいいけど、どうすんだ!?」
『じゃあな、また今度』
 ふつりとレイの声が消える。気をつけて、と声を掛ける間もなかった。明日は短くかぶりを振り、イルカの指し示すルートを見た。
「──直進よ」
「分かった。なんだか分からんが、おまえのダチなら信じるよ!」
 桑島はアクセルをさらに踏み込んだ。前方に見えてくるのは交差点だ。
 背後からジープがグングンと迫ってくる。桑島は追いつかれまいと、交差点に向かってスピードを上げていく。サイレンは既に回しているから、止まる必要など無い。
 これが警察の特権だ。
 キキーッと、プレーキ音をさせて止まる車の間を縫って爆走するパトカー、そしてそれを追っていくジープ。
「日本の警察なめんなよ!」
 そう叫びながら、チラと後ろを振り返る桑島。ロシアン・マフィアの車は一台。レイの助けもある。これなら何とか振り切れるかもしれない。
「いけるかもしんねえぞ、明日」
 と、隣りに声を掛けた桑島は、助手席で相棒の女刑事が懐から拳銃を取り出しているのを見てしまった。
「わっ、危ないから、よせって──」
 驚いて言うものの、遅かった。
 次の瞬間、明日は窓を開け背後の車に向かって銃を向けていた。


***

 ポリ公だと!?
 どういうことだ、なんで連中が先にいる?
 ババァを取られたぞ!

 ──よせ、殺すな!
 ガキから金を取り戻すには、あのババァじゃなきゃダメなんだ!
 仕方ねえ、ポリ公ぶっ殺して、ババァを取り返すぞ。

***


「……ええ。ほんとに? ああ、良かった」
 あなた達も気をつけてね。そう最後に付け加えて、美樹は携帯電話を切った。彼女の隣りでは柊木が電話の内容を察したように、ホッとした笑みを浮かべている。
「明日さんたち、池内さんを保護したそうです」
「そうか、良かったね。これで懸念材料は一つ潰したね」
 言いながら彼は、空を見上げる。
 日の落ちた暗い空。
 そこは屋上だった。ビルの名前は聖林ビル。ITBが最上階にオフィスを構える建物である。
「そろそろ、ですかね」
 美樹が言うと、柊木はうんと頷いた。
 彼ら二人は屋上の真ん中に立ち、階下からの扉をじっと見つめた。
 かすかな足音がそこから聞こえてきたのだ。タッタッタッ……。それが段々と近くなり、そして──バンッ! 重い鉄のドアが開け放たれた。
 身構える柊木と美樹。
 現れたのは、覆面をした黒尽くめの少年だった。

「──君が、池内ジュン君だね?」

 問いかけたのは柊木だった。
 少年は、さすがにここで待ち伏せされているとは思わなかったのだろう。驚いた様子で、そのまま足を止めていた。
 が、問われた内容と、その言葉の意味に思い至ったようだった。
 自分の名前を知られている──!
 チッと舌打ちして、少年は覆面をかなぐり捨てた。俳優らしい、端整な容貌を持った少年がそこにいた。彼は歯噛みしながら、柊木と美樹を睨む。
 二人も少年を真っ直ぐに見据えた。柊木が無造作に下げている右手には、いつの間にか拳銃が握られている。
「ざーんねん。あんたが盗んだのは偽モノのオスカー像よ」
 その彼に追い討ちを掛けるように、美樹が足を踏み出しながら言った。後ろに手を回した彼女が取り出したのは、金色に光るオスカー像である。
「はい、こっちがホンモノでした」
「……ッ!」
 彼は──池内ジュンは、言葉も出ずに険しい表情を浮かべた。視線は美樹の手に釘付けだ。彼も後ろに手を回し、背中のバッグから布の包みを取り出した。
 階下で手に入れてきたオスカー像であろう。少年はチラリと、自分の手のものに目をやると悔しそうにそれを脇に投げ捨てる。
 ガラ、ガラン……ッ、金属音をさせて像が床に転がっていった。乾いた音だった。
「ゲーム・オーバーというのかな? 君たちの言葉で言うならば」
 そんなジュンに、厳かに声を掛けるのは柊木だ。
「だが、そんなゲームに価値など無い。君たちはロシアン・マフィアから奪った金を災害遺児募金に寄付したようだが、そんな金をもらって嬉しい人間など居ない。君たちの行ったことは、まぎれもない犯罪行為なのだからね」
「──知ったようなクチ聞きやがって!」
 そこでようやく、ジュンが口を開いた。
「オレは、あんたみたいなムービースターが大ッ嫌いだ!」
 柊木は短く息をついた。
「嫌っていただいて結構。私は警察官だ。嫌われるのには慣れてる」
ひょいと眉を上げ、「君たちは下らないゲームを楽しんでいただけだ。盗みを正当化することはできない。悪事は悪事だ」
 彼は、少年に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「──分かるか? 君たちは、ただの犯罪者だ。ヒーローにはなり得ないんだ」

 何か、思うところがあったのだろうか。
 柊木の言葉に、ジュンは瞬きもできずに彼を見返した。その目の光は強く、何か必死に訴えようとしている。だが、思いは相手には伝わらなかった。
 柊木は冷たい視線を彼に向けているだけだ。
「オスカー像の売買は禁止されているのよ。盗んでもこれは金にならないのにね」
 そこで、美樹がゆっくりと歩き出して言う。彼女はにらみ合う二人の脇を抜け、床に落ちたオスカー像をそっと拾い上げた。
「──はい。柊木さん。“本物の”オスカー像を今確保しました」
「ありがとう」
 えっ! と声を上げるジュン。
 その顔を見て、美樹は大げさに肩をすくめてみた。
「そ。あなたが投げ捨てた方が本当の本物ってことよ。ひっかかっちゃったわね」
 あまりのことにジュンは口も利けずに小刻みに震えながら美樹を見つめている。
 騙された──! その視線には押さえられないほどの怒りがこもっていた。だが、美樹はそんなものは全く気にしなかった。
「あなたはどうしてこれを盗もうとしたの? 池内ジュン君」
「うるさい!」
「質問を変えようか」
 あくまで落ち着いた口調で柊木。
「君は、どうして田中一景氏の話に乗った?」
「!」
 驚いたようにジュンが息を呑んだ。皮肉にも、その反応が柊木たちの推測が正しいことを裏付けていた。
「や、奴は関係ない──」
「彼は殺されたよ」
 今度こそ、ジュンは声もなく絶句した。たった今、柊木から聞いた言葉が信じられない様子で、目が飛び出るほど丸く見開いている。
「……え?……」
「田中氏はロシアン・マフィアに殺されたのよ」
 美樹が脇から口を挟む。彼女を振り向き、柊木もゆっくりと頷いた。
「だから、君のことがマフィアたちに伝わってしまったんだよ。分かるね? 本当はもっとじっくり君の話を聞きたいが、残念ながら時間がない」
 そっと前に踏み出しながら、柊木は言う。
「あなたのお母さんも、今、警察が保護したところよ。安心して」
「──我々は、君たちを助けたい。他の三人の居場所を教えてくれないか」
 ジュンは二人を見た。目を白黒させていた彼は、頭の中で思考をまとめたのか。はたまた覚悟を決めたのか──。
 長く息をついた彼が次に言葉を口にするまで、短い時間しかかからなかった。
 最後に、彼はこう言ったのだった。
 ──分かったよ、と。


***

 ……。
 くれぐれも、無理はしないようにしてくれ。

 分かった。
 私と二階堂くんは、先に現場へ向かうよ。
 君らが来なくちゃ始まらないからな。
 待ってるよ。

***


 遠くから聞こえた大きな物音の正体を確かめに行ったタキが、血相を変えて戻ってきた。
 ──マフィアだ、マフィアが来た!
 息を呑むコージ。廃屋の医療施設。その暗い部屋の中で、彼ら二人は立ったまま思考が麻痺してしまったかのようにお互いの顔を見たり、窓の外を見たりし始めた。
 宗主は、長く息をついた。
 彼は薺と一緒に、椅子に縛り付けられていた。彼ら二人のバッキーも、それぞれの飼い主の身体に括り付けられてもぞもぞと動いている。
 宗主は、ジュンに身元を偽っていたのがバレてしまい、この事件を担当する刑事──明日と桑島と、友人であることを知られてしまったのだ。
 だが、この状況。時間がないのは一目瞭然だった。
「──俺たちの縄を解いてくれないか」
 宗主は静かに言った。
 目隠しをされたままの薺は隣りで身体を強張らせている。大きな物音の正体は、扉を蹴破っている音だ。もうそれがハッキリと分かる距離である。
 マフィアたちが、次々に病室の扉を蹴破って、中を確かめているのだ。
 二人の少年は逡巡する様子を見せたものの、すぐに宗主と薺の縄を解いてくれた。さすがに気が引けていたらしい。
「吾妻さん」
「いい? 静かに、聞いて」
 宗主は薺に微笑みを向けつつ、他の二人の少年も含めて声を掛けた。
「この部屋に隠れるのは無理だ。窓から外に出る」
「え、だって、外にもマフィアが──」
「居るかもしれないね」
何気ない口調で答える宗主。「だから、まず先に俺が出る。もしマフィアが居たら、俺を狙って銃を撃つなりしてくるはずだから、俺が連中をひきつけるよ。その隙にきみたちは反対側に逃げるんだ」
「えっ、そ、それじゃ吾妻さんは」
言葉を無くした少年達の代わりに薺が言った。「だっ、駄目です! そんなの──」
 だが、シッ、と言いながら宗主は彼女の唇に指を触れた。
「他に選択肢、無いから。ね?」
 宗主は窓際に寄り、暗闇に目をやった。小さなライトがチラチラと見えてはいる。まごまごした様子でタキとコージがそれに習って外を見た。
「車道に出るのは、あっち側だ。分かった?」
 少年二人に指示する。彼らはまだ頭が状況に追いついていない様子で暗闇を覗いたり、宗主の顔を見たり返事もない。宗主はそんな彼らの様子を見ながら、何か思いついたようにフッと微笑んだ。
 あのさ、と前置いて、口調を変える。
「さっき、ジュンが言ってたこと……。映画の中に行きたかったっていう、きみたちの思い。俺にも分からないでもないよ」
「えっ……?」
「約束してくれ」
 宗主はタキとコージの肩にそれぞれ手を置いた。
「彼女を守って欲しい。ヒーローに成りたかったんだろ?」
 少年二人は、じっと宗主を見上げ──頷いた。お互いの顔を見て、もう一度頷く。
「頼むよ」
 彼らの様子を見て安心したように、宗主は窓枠に手を掛け、そろりと窓を開けていった。
 行くよ、と言葉を残し。
 宗主はひらりと身を翻し、窓から外へと躍り出た。


***

 ──いたぞ!
 外だ!

***


 短い時間の間に、事態はますます深刻化していた。
 柊木と美樹が主犯格の池内ジュンを押さえたという知らせは吉報だったが、残りのU4の面子が待機していた廃屋にマフィアが踏み込んだという知らせは凶報だった。
 そして何よりも。
 自分たちがマフィアに襲われているという事態が、もっとも厄介だった。
 早く、これをどうにかして、皆を助けに行かなければ──。
 明日は懐から抜いた拳銃を手に。セーフティを外した。
 運転席の桑島が、よせ、と叫んでいたが、彼女は聞いていなかった。
 窓を開けて顔を出すと、後ろから猛然と追いかけてくるジープが見えた。ロシアン・マフィアがアサルトライフルで、ところ構わず弾をばら撒いている様子も。
 意外にも桑島がうまくやってくれているおかげで、パトカーへの被害は少なかった。しかしその代わりに、周りに被害が及ぶ可能性が高い。
 自分がどうにかしなければならないのだ。
 明日は決意を込めて、身を乗り出した。 

 ──射撃がうまくなりたい?
 ──そうか……。本当は撃たないのが一番いいんだけどねぇー。

 その時、ふと脳裏に閃いたのは、尊敬する人物と以前交わした言葉だ。
 明日は目を細め、蛇行しながらこちらへ向かっているジープに銃器を向けた。狙うのはタイヤである。タイヤを撃って、車を止めようと考えたのだ。

 ──最も必要なのは度胸だよ。冷静さとも言うね。
 ──それからあともう一つ。
 ──現場は訓練とは違うからね。狙おうとしてはいけないんだ。
 ──うーん。分かるかなぁー?

 明日は、風になびく自分の長い髪を左手でまとめて、首元で押さえた。ジープが右へ。彼女が乗るパトカーも右へ振れた。射線が通るのが視える。
 そして、彼女は銃に左手を添えた。
 いいかい? と、脳裏でその人物が最後の言葉を言った。 

 ──狙うんじゃない。“当てる”んだ。

 明日は、銃の引き金を引いた。
 二度、三度。
 深い集中から開放され、無音になっていた明日の世界に、大きな音がなだれ込んできた。
 甲高い、車のブレーキ音だ。
 ハッと我に返った明日が見たのは、バランスを崩して横転するジープである。ロシアン・マフィアたちが悲鳴を上げて、武器を取り落としている。
 ガシャァァン! と窓ガラスや破片を飛び散らせて、マフィアのジープは道の脇の電柱に激突して止まった。
 やったぞ! そう叫んだのは桑島である。
 “当たった”。
 それを聞いて、ようやく明日は──銃を手元に戻して微笑んだのだった。


***

 チッ、まったく。
 なんで俺がこんな。

***


 耳の下を何かが掠める。
 銃弾だ。
 宗主は、自分の神経がいっそう研ぎ澄まされていくのを感じた。後ろから追いかけてきている数人の気配を感じながら意識する。撃たれたら──自分は死ぬのだ、と。
 銀幕市は映画の街だ。映画の中にいる人物が実体化し、名実ともにここは映画さながらの街になった。
 しかし、宗主にとっては、この街は夢の世界ではない。
 この街で起こっていることは現実のことで。
 そして自分は撃たれれば死ぬのだ。
「裏手に回れ!」
 木々に身を隠すように森へと入り込めば、回りにも同じように森に入る影が見える。かなりの人数がいるようだ。
 ざっと30人ぐらいかな──。宗主は、人知れず微笑む。
 これなら、薺たちの方にはあまり多くは行かないはずだ。

 ザッ。

 ふいに前方に巨漢が現れた。宗主の姿を認め、手にした銃器をこちらに向ける。
 暗闇の中に、白い影が走った。
 宗主の銀色の髪が残像を残し、男の足元に滑り込んだのだ。
 ガツッ、と男の片足にタックルをくらわせる宗主。相手はそれに反応できずに前のめりにバランスを崩す。宗主は身体を翻し、男の足を持ち上げるようにして転倒させる。
 重い音がした。男はどこか地面で顔をしたたかに打ち付けたらしい。
 しかし宗主にもそれを確認している間などない。彼は森の奥を目指し、軽やかに土を蹴った。もたもたしていては囲まれてしまう──。
 と、そう思ったのもつかの間。背後、右、前方の木々から影が次々に姿を現した。マフィアたちだ。
 眉を寄せた宗主は左へと抜けようとするが、そこにも男がぬうっと飛び出してきた。見れば、その手に大きなシャベルを構えている。
「逃がすか、ガキが!」
 ブゥン、とその凶器がまっすぐ宗主に迫った。
 宗主はそれを避けようと後ろに飛び退こうとする──が、木の根だろうか。何かに踵が引っかかり、彼は後ろに倒れてしまった。
 しまった! そう思った時にはシャベルの尖った先が目前に迫っていた。
 ──キンッ。
 もう駄目だ。と思った瞬間。宗主の目の前に黒い影が飛び込んできた。そして金属と金属がぶつかる音。鍛えられた金属のたてる澄んだ音が森に響いた。
 弾かれたシャベルが木の幹にぐさりと刺さった。
 後ずさるマフィア。そこには、男が立っていた。

 利き腕に刀を振り上げたままの──清本が。

「清本さん!」
 宗主が呼ぶと、彼はちらりと鋭い一瞥をよこしただけでそれに答えた。
 ロシア語で何かを叫んだ男に、上段から斬り付ける。男は悲鳴を上げてフィルムに姿を変えた。恐ろしい一撃だった。
 その脇を小さな影が滑り込む。学ラン姿の少年、ジミーだ。彼は宗主にチラリと視線をやると、手にしていたもの──卓球のラケットを近くにいたマフィアの顔に投げつけている。
「失礼した」
 一方、清本の強さに戦慄したのだろう。マフィアたちは思わず沈黙して動きを止めていた。そんな中、浪人がぽつりと言う。
「──電話を持たぬことを、お主に伝えるのを失念した」
「そんなこと」
 宗主は体制を整え微笑んだ。清本の言葉が、自分への謝罪めいたものだと気付いたからだ。
「グッドタイミングです、清本さん」
 そう言った宗主の目に、みるみるうちに強い光が宿っていく。

 そうだ、これが現実だ。

 仲間がいて、危ないときには助けてくれる。
 仲間がいて、共に戦うことができる。
 それがこの街に生きるということなのだ。

「思いっきり暴れましょう!」
 奇妙な高揚感に身を任せ、宗主は地を蹴った。
 それに習った清本の口端にも、笑みが浮かんでいた。


***

 こっちだ!
 駐車場の方にもいるぞ!

***


 マフィアの誰かが、こっちだと叫んでいるのを聞いて、薺と少年二人は一気に震え上がった。
 今、まさに彼らは駐車場の方に向かって走っていたのだ。
 気付かれたみたい、と薺は声を上げようとしたが声が枯れて出なかった。ただひたすらアスファルトの上を走り続ける。角を曲がれば駐車場だ。
 どうやっても、そこを通り抜けなければ、道には出られないのだ。
「ま、待って……」
 息が切れていたが、それだけは言うことが出来た。
 先を走っていたコージが振り返り、薺の手を掴んだ。がんばって、とタキが横から言う。そしてコージが、もう少しだからと言った。
 彼らも、普通の人間なのだ。
 薺は思った。
 自分がひどい目に遭ったのは確かだが、彼らもある意味ひどい目に遭っていたのかもしれない。
 ──あんな連中がいるから、オレたちが──。
 タキやコージは、ムービースターのことをそう言って嫌っていた。彼ら二人は、俳優になりたくて地方から銀幕市にやってきたのだと言っていた。しかし魔法がかかる前ならいざ知らず。本物のムービースターが実体化してからは、彼らの夢は無残にも砕かれたのだという。
 ──“本物”がいるから、お前たちには出番はない。
 誰かにそう言われたらしい。
 俳優になりたくてこの街に来たのに、彼らは端役すらもらえなくなったのだ。
 ……とはいえ。それでムービースターを恨むのは逆恨みだと、薺は思う。しかし一概に彼らを責めることは彼女には出来なかった。
 映画の中に行きたいと彼らは言っていた。その気持ちは分かると、薺は思ったのだ。
 しかも、宗主が窓から出て行った後、彼らは彼女に謝ってくれた。
 こんなことをするつもりは無かった、と。
 “つもり”。
 彼らをその気にさせたのは何なんだろう。薺は考える。
 リーダーのジュンか。いや、それは違うような気がする。あのルルという少女か。──いや、それも違うような気がする。
 何が──彼らを犯罪に向かわせたのか。

「──キャッ?」

 突然、薺はコージの背中に顔をぶつけていた。考え事をしていたせいで、立ち止まったコージに気付けなかったのだ。慌てて顔を離してみれば、二人の少年が前方を見て呆然と立ち尽くしているのに気付く。
 一体何が──。
 タキとコージの背中の向こう。駐車場の真ん中にロシア人らしい色白の男が立っていた。
 まるでスポットライトのように照らされた街灯の下。丸い空間の中に、男はその青白い影を落としている。
 ゆらり。彼が動いた。
 手にしていた直刀を振り上げる。日本刀に似ているが鍔がない、反りの入った直刀だ。
 ヤバい! と、タキが叫んだ時には、ロシア人は地を蹴ってこちらへと跳んでいた。
 薺は背筋が凍りつくのを感じた。恐怖で身体が動かない!
 バレエを舞うように飛び跳ねながら間合いを詰めてくる男。凶刃を前に、タキもコージも薺も、三人は誰も動くことができなかった。ただこちらに近づく男をまばたきもせずに見つめるだけだ。
 刹那。
 薺は、どけ! と誰かが叫ぶ声を聞いた。
 
 ゴズッ。

 至近距離にまで迫っていたロシア人の顔に、別の男の膝がめり込んでいた。
 顔の真ん中、西洋人の高い鼻梁の頂点に、見事にヒットした膝。薺がその瞬間を目に焼き付けた時、両者が離れた。
 ロシア人の手から刀が滑り落ちた。彼は顔に手をやり、そのまま音も無く地面に倒れる。
 ──見事に悶絶していた。
「まったく」
 そして一方。ドンッと妙に重い音をさせて地面に着地したのは、ロングコートの細身の男だった。身体の一部をサイバー化した男、レイだ。
 彼は薺と少年二人に、そのミラーシェイドを向けた。薺はそこに自分の驚いたような顔と、地面で気絶しているロシア人が映っているのを見る。
「世話がかかるガキどもだ。行くぞ」
 レイは、駐車場の外れへと顎をしゃくってみせる。
 しかしそれでも少年二人は動かなかった。いきなり、どこからもともなく突然現れたレイが味方か敵なのか、判別がつかないのだ。
 あー、めんどくせえ。少年二人を見て、レイが大きな声で言う。
「──例の、ガーネットの指輪だよ。アレを持ってるだろ、俺によこしな」
「え、えと……?」
「分かんねえ奴らだな。俺はおまえらを助けにきてやったんだ。その駄賃が指輪なんだよ。さっさと返せ」
 ギッと少年たちを睨むレイ。タキがワンテンポ遅れて、ジーンズのポケットに手を入れて何かを取り出す。
 おずおずと差し出して開いた手の平には、赤い指輪が載っていた。
 レイはニィッと笑い、それをパッと少年から取り上げた。
「よーし、いい子だ」
 そう言うと、レイは前触れもなくいきなり薺に近寄ると、彼女をひょいと抱き上げた。
 キャッと声を上げて驚く彼女に、安心しろとばかりに微笑んでみせる。
「おまえらは自分の足で走れ」
 そして少年たちにぶっきらぼうに言い放つ。女の子しか助けないのが彼のやり方なのだ。
「いいか? 息が切れても走れ。死にたくなけりゃあな」
 ──行くぞ!
 レイは、薺を抱き上げたまま、駐車場の出口へと猛然と走り出した。


***

 そうだよ。あんたたちの言う通りさ。
 社長に誘われたんだよ。
 お前らに本物の映画みたいな仕事をさせてやるってさ。
 奴が言ったんだ。

 指輪の盗み方も、奴と相談して決めた。
 アレを盗んだら次はオスカー像を盗むってのも奴の筋書きだよ。
 両方とも盗んだあとは、銀幕広場の噴水のそばに置いて返すっていう手筈だったんだ。
 オレたちが、まるで楽しむために盗んだみたいに見せかけてな。
 
 もちろん。
 奴がオレらのことを利用しようとしてたのは分かってたよ。
 だからこっちから連絡を絶ってやったんだ。
 
 盗むものは何だって良かったんだ。
 オレたちはただ、有名になりたかった。
 
 だって、
 だってさ、有名になれば──。

***


 カンカンカンカン……。
 大きな足音をさせながら、美樹は聖林ビルの非常階段を駆け下りていた。彼女の頭の中にはすでに、相手を逃がしてなるものかという思いしか詰まっていない。
 階段の終点には、外へ抜ける重い鉄扉がある。そこに勢い余って身体を押し付けると、ノブを掴んでガチャガチャと音をさせながらドアを開く。
「──待ちなさい!」
 彼女は声を上げながら外へと飛び出した。
 堅いアスファルトの上。ビルの谷間の細い裏通りの、その真ん中に美樹は身体を躍らせた。
 しかしその彼女の姿を、カッと眩い光がとらえた。車のヘッドライトである。彼女にとって運の悪いことに、一台の車がまさに今、急発進したところだったのだ。
 しまった! 美樹は思わぬことに息を呑んだ。
 正に彼女は、その車に乗って逃げようとする相手を追いかけようとしていたのだが、その目の前に自分の身をさらしてしまうとは。
 車はブレーキを踏まずに、彼女へと真っ直ぐに向かってきた。
 逃げなくては、と思ったが狭い路地だ。車をやり過ごすには狭すぎる──。

 タタ、タ、タン!

 その時。動けない美樹の頭上から、銃弾が降り注いだ。
 銃弾は車のフロントガラスを割り、ガラスの破片が運転手へと降り注いだ。男が驚いて悲鳴を上げるのが聞こえる。
 ガックン、と急ブレーキで前につんのめるようになり、車はその場に急停止した。
 美樹は慌てて上空を見る。誰かが屋上で手を振っているのが見えた。
「柊木さん!?」
 ──だから危ないって言ったのに。と、風に乗って彼の言葉が届く。
 それを聞いてニコリと微笑む美樹だが、それも一瞬。すぐに車に乗っていた運転手の方を振り向いた。
 見れば、男は車の扉を開けて中から飛び出していた。美樹のいるのとは反対側に向かって、猛然と走り去ろうとしている。
 待ちなさい! 警察よ!
 美樹はもう一度叫んだ。だが当然ながら、男は止まらない。ステップを踏むように、彼女は走り出した。
 だが、乗り捨てられた車をやり過ごしたとき、当の相手が道の真ん中で立ち止まるのを見た。
 前からもう一台の車が来ていたのだ。
 ──白地に黒い帯の入った塗装の車。いわゆるパトカーだった。
 ガチャリ、と。音をさせて両脇の扉が開いて、それぞれの側に人物が降り立った。

 桑島と明日だった。

「う……」
 男はどうにもできず、後ろを振り返って美樹の姿を見、ようやく自分がすでに逃げ場所を失っていることに気付いたらしい。
「観念なさい」
 美樹の言葉に、小さく唸りながら額を押さえて俯く。
 その彼に、ゆっくりと歩み寄ったのは明日である。手には、キラリと光る手錠を携えていた。
「田中一景さんですね」
 静かに問い、そして明日はしっかりした声で言い放ったのだった。

「窃盗教唆の容疑で、アナタを逮捕します」


***

 そう。
 アナタが映像で見たのは、田中一景では無かったのよ。

 正確には、彼は田中が映画で演じた会社員のムービースターよ。
 田中は自分がロシアン・マフィアに狙われていることを察知して、
 そのムービースターに自分の振りをしてオフィスにいるように指示したの。

 そしてムービースターはマフィアに殺された。 
 あたしたちが殺人現場に駆けつけた時には、血溜りの中にフィルムが落ちていたわ。

 でも、あたしたちは真相を隠すことにしたの。
 本当に田中一景が死んだことにして、彼を泳がせるためよ。
 そもそも彼は、U4の裏切りに気付いたときに、自分だけ罪から逃れようと行動していた。
 アナタの依頼主──カメラワークス社の五十嵐さんに連絡を取ろうとしたのもそのためよ。
 自分で状況をなんとかしようとしたのね。

 いろいろな証拠を隠滅しようと彼はITBに現れた。
 あたしたちはその彼の身柄を拘束することが出来たわ。
 そして池内ジュンも、真相を話してくれた。
 事件解決よ。

 アナタの方はうまくいったの?
 そう、良かった。
 ……また、そんなこと言って。薬局の店長さんが怒るわよ。

 それじゃあ、ね。ありがとう。
 五十嵐さんにはよろしく伝えておいてね。

***


 ぎんまくホームの駐車場には、警察の車がサイレンを回していた。もうそろそろ日付も変わろうという時間である。そこにはもう騒乱の様子はない。
 薺と宗主は駐車場に所在無げに立っていた。
 レイは警察が来るのを見ると、後は連中に助けてもらいな、と言い残し。さっさとバイクでこの場を後にしてしまった。
 タキとコージの二人は、容疑者として警察に連れていかれてしまっている。
 ロシアン・マフィアは清本たちと壮絶な死闘を繰り広げたのち、生き残った者たちは警察が来るのを察して散り散りに逃げて行った。
「やれやれ。ジュンの奴も、明日さんたちが掴まえたみたいだよ」
 宗主が柔らかな口調で言う。
 おそらく──きっと。
 これで事件は解決したのだろう。
「おい」
 そんな薺に後ろから声を掛ける者が居た。ふと、振り返るとそこには学ラン姿の少年が立っていた。
 彼はジミーと言ったか。何? と、彼女が首をかしげて見せると、当のジミーは薺に向かって手にしていたものを突き出してきた。
 ピンク色の鞄だ。
「あっ、私の……」
「落し物だよ」
 押し付けるように鞄を持ち主に渡すと、ジミーはせいせいしたような顔をして、傍らの浪人を見上げた。清本だ。
 かの浪人は、不機嫌そうな顔のままで、パトカーを睨んでいる。
「あ、あの、ありがとう」
 薺が言うと、ジミーは眉を上げただけでそれに答えた。清本の方は、初めてその存在に気付いたかのように、ジロリと彼女を見下ろしてきた。
 懐に手を入れる。
 ドキッとして薺がその様子を見ていると、彼は無言のまま何かを取り出して、薺に手を突き出した。
 そこには綺麗に畳まれた千円札が三枚。ちんまりと乗っていた。

「──団子を食いたい」

 え? と薺が聞き返すと、清本は辛抱強く、もう一度同じことを彼女に言った。
 団子を食いたい。中に餡子が入ってるやつだ。
「このお金で?」
 うむ、とうなづく清本。
 薺がおずおずとその三千円を手にすると、清本は何を思ったか、隣りにいたジミーの頭をがしと鷲掴みにした。
「痛っ」
 ジミーは浪人の顔を見上げた。そして苦虫をつぶしたような顔をする。
 分かったよ、と言って。ジミーもポケットからコインを一枚──五百円玉を取り出して、薺に突き出した。
「ボクは、イチゴポッキーがいい」
 首をかしげていた薺だったが、彼らの様子に自然と顔が綻んでいった。ちょうど、彼女も彼らに礼をしたいと思っていたのだった。
「吾妻さんも」
 宗主に声を掛けると、彼もニッコリと微笑んだ。
「いいよ。甘味ならいい店を知ってる」
 ──こんな時間には開いていないけどね。そう言って、宗主は一人ひとりの顔を見て。
 お疲れ様、と言ったのだった。


***


 かくして、謎の窃盗団アンディテクタブル・フォーの事件は、終結したのだった。
 主犯は、人材派遣会社社長にして俳優の田中一景。池内ジュン以下三人の少年は実行犯として刑事告発されることになった。
 銀幕市きってのオスカー俳優が逮捕、起訴されるというショッキングな事件であったが、それぞれの“登場人物”がどんな思いを持っていたか。それが語られることは無かった。
 彼らの本当の思いを知るのは──関係者たちだけの間に終わったのだった。


***

 明日へ。

 あー、俺だ。
 照れくさいが、わけあって文字で残すことにする。
 例の事件は、田中社長とガキ三人の実行犯で片付いちまったが、
 俺はちょっと腑に落ちないことがあるんだ。
 てか、一人足りねえと思わねえか?
 アンディテクタブル・フォーだぞ。実行犯は四人じゃないのか?

 心当たりがあるんだ。
 俺は今からそいつに会いに行く。

 心配すんな。死ぬってことは無いから。
 ただ、次におまえに会うときに、俺はたぶん──。
 その四人目のことを“覚えてない”と思うんだ。
 だから、ここに書き記しておく。
 俺が本当にそいつのことを忘れてたら、この手紙を見せて、俺に教えてくれ。

 柊木さんが持ってきた、俳優志望の四人の履歴書、見たろ?
 どういうわけだか三人分に減ってたが、車の中で見た時は確かに四人分あったんだ。
 あそこに一人だけ女の子がいた。
 “大友ルル”っていう名前の子だ。年は19才。
 俺は彼女を、カレー王子が来たときのイベントで見た。
 やたら映画に詳しい女の子だった。
 白いバッキーを連れてた。
 おまえのパルより、もっと白いバッキーだ。

 たぶん、な。
 俺が思うに、あの子は人に何かを忘れさせることができるんだ。
 カレーの時もそうだった。
 俺が助けた料理人は、レシピを忘れちまったんだからな。

 今回の事件では、関係者は誰もが大友ルルのことを忘れてる。
 薺の嬢ちゃんが、かろうじて覚えてるぐらいだし、
 彼女を実行犯として逮捕するには、証拠が無いから無理だ。
 
 俺もたぶん彼女のことを忘れる。

 彼女がどうしてこんなことをしてんのか。
 どうしてそんな能力を身に着けたのか。
 これから大友ルルに会いに行って、聞いてはみるが……残念だな。

 だってさ、
 俺は、たぶんそれを覚えてられないだろうからさ。

***



                  (了)




クリエイターコメントえー。大変長らくお待たせいたしました。
というか、いろいろとストーリー的に懲りすぎまして、無駄に時間をかけてしまいました。
申し訳ありませんです。

お任せ要素が多かったのと、冬城がとても大好きな刑事モノということで、こんな感じにさせていただきました。
謎のバッキーもどきの展開は、今後ともお楽しみに。。

アンディテクタブル(Undetectable)は見つけられない 検出できないという意味です。
刑事映画?「アンタッチャブル」からもじってみました。
本編中にも、さまざまな映画の小ネタが混ざっています。全て元ネタがありますので、まあ……いろいろ推測してみるのも面白いかなあ、なんて(笑)。お遊びです。

バッキー持ちさんたちのバッキーをほとんど書けていないのと、美樹さんのギャグな面をほとんど書けていないのが(笑)心残りです。

非常に台詞が多いノベルになりましたが、
あえて誰がどれを喋っているのか伏せてあります。
「あ、これ自キャラの台詞じゃない?」なんて風に楽しんでらえれば幸いです。

そしてみなさん、シートベルトはちゃんと締めましょう(笑)。
書かせていただいてこちらも楽しかったです。
ありがとうございました。
公開日時2008-11-01(土) 22:20
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