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<ノベル>
わりあいすぐに応援が2人やってきた。もっとも、その数時間を「すぐ」だと感じたのはドクターDだけだろう。リーダーを見失ったテロリストたちは、その間何度となく館に飛び込もうとしたり館に火をつけようとしたり館にC4をしかけようとしたりしていた。
ハーメルンの顔見知りのギル・バッカスと香玖耶・アリシエートが急いで駆けつけたおかげもあって、中庭は静寂を保っていた。このふたりとドクターDが適切な処置をしなければ、ガスマスクたちはとっくに館に突撃していただろう。最悪の場合、館は跡形もなくフッ飛んでいたかもしれない。
応援はその2人だけではなく、さらに2人が駆けつけてきた。夜乃日黄泉とファレル・クロスだ。
日黄泉はケイン・ザ・サーカスを襲撃してきた頃の彼らしか知らず、ファレルにいたってはケイ・シー・ストラの名前さえロクに知らない。ふたりはゾンビひしめく洋館で暴れ放題できると聞き、ある意味喜び勇んで駆けつけたのだった。ファレルは一見つまらなさそうで、日黄泉にムリヤリ連れて来られたようにも見えてしまうが、彼も一応ハデな戦闘ができることに期待している。
「それにしても、こんなところにこんなステキなお屋敷があったなんて、知らなかったわ」
中庭と洋館の外観を見渡して、日黄泉が言う。ソレを聞いて、ギルが肩をすくめた。
「俺様もだ。このへんはよくブラついてんだがな」
「ゾンビだらけの洋館なんて、すぐウワサになりそうなモノよね。もしかしたら出来たてのハザードなのかも?」
「出来たて、ですか。なんだかおいしそうですね」
香玖耶の言い分に、ファレルがちょっとだけ笑う。
そんな呑気な4人にしびれを切らしたのか、ガスマスクたちがまた騒ぎだした。
「オイ! 貴様らヤル気あるのか!?」
「オレはもう待てない、行くぞ!」
「ち、ち、ちょっと待て。リ、リーダーはそんなこと、し、指示してないだろ」
「そ、そうだおまえ。だいたいなんでおまえが命令してんだよ」
「うるさい腰抜け!」
「うあああ、リーダー! ああああリーダーぁぁぁ!」
「いやだぁぁぁ、もういやだぁぁぁ」
「……おめぇらなぁ……」
いつもの整然としたガスマスクたちの様子を知っているギルは、すっかりチームワークがバラバラになった彼らを見ると、頭を抱えてあきれるしかなかった。
「テロリストって司令塔を叩けばあとは決壊するだけってよく言うけれど、本当にセオリーどおりの人たちなのね……」
「もう、仕方ないわね。ちょうど今日も黒い服だし、コレがもしかしたら役に立つかも」
香玖耶が背負ってきたバッグから取り出したモノを見て、ギルがギョッと隻眼を見張った。ソレはケイ・シー・ストラの仏頂面を模したお面だった。
「じ、じょうちゃん、ンなモン売ってんのか?」
「私のお客にストラのファンがいたの。熱狂的な。たぶんお手製じゃないかしら。依頼料の代わりに置いてったのよ。まさかこんなふうに使うことになるなんて思わなかったけど」
お面をかぶった香玖耶は、コホンと咳払いをひとつすると、殴り合いのケンカを始めていたガスマスクたちに大声を浴びせた。
「『6名、私について来い! 残りは前庭で待機だ!』」
一斉に香玖耶の顔を見たガスマスクが、一瞬ビクッと怯んだ。普段の彼女とは違う威圧的な口調は、ストラをマネたのだ。「あれただのお面だぞ」と言っている冷静な者もいるにはいたが、彼らはそれきり静かになった。
「ろ……6人か。ちょうど10人で突入、で、いいんだな?」
「東棟の護衛に3人行くことになったぞ。8人待機だ」
それほどモメることもなく、テロ集団は班を分けた。ファレルは肩をすくめて小さく溜息をつき、先に玄関のほうへと歩いていく。いつの間にかどこからか取り出したアサルトライフルのボルトをウキウキした表情で引いてから、日黄泉が彼の後についた。
「出発だな」
大槍を担いだギルが香玖耶に向かって頷く。ストラのお面を後頭部に回して、香玖耶が6人のガスマスクに指示を出した。
「『私を見失うな。攻撃する必要性を感じたら即座に撃て』」
「ダ・ヤア!」
「お、ちょっとはマシになったじゃねぇか」
キレイに声を揃えて返答したガスマスクを見て、ギルがどこか嬉しそうに笑った。
★ ★ ★
死臭がする。
生物の息吹は感じられないのに、うめき声と足音が聞こえる。
荘厳、というほどでもないが、日本の家屋とはまるで様相の違うロビーは、手入れが行き届いているように見えた。多数の死者が闊歩する、打ち捨てられたお化け屋敷とは思えない。
ただ、ハーメルンのメンバーが説明したとおり、西棟側の壁には大きな穴が開いていた。どういうワケか、その穴の向こうでウロつくゾンビたちは、ロビーに入ってこようとはしない。ただ単に、4人とガスマスクたちに気がついていないだけかもしれないが……。
「ハデにご挨拶といこうじゃない」
日黄泉が手榴弾のピンを抜いて、壁の穴の向こうに投げこんだ。
数秒後、ズシン、と壁の向こうで爆発音が響き、しわがれたうめき声が聞こえ、ロビーが揺れた。古びた立派なシャンデリアが揺れて、シャラシャラとキレイな音を立てる。
ファレルとギルがものも言わずに突進し、穴の向こうに飛びこんだ。
調度品と寝台が血で汚れた部屋だ。寝室にしてはかなり広く、ホテルのスタンダードな部屋とは比較にならない。いまは、手榴弾の爆発を受けて、粉塵がたちこめている。腐肉と血のニオイが鼻をついた。ゾンビが2体、中途半端にバラバラになっていた。片方は下半身をほとんどなくしていたが、内臓を引きずりながらも、ファレルに向かって手を伸ばし、這いよろうとしていた。
黙って見ているファレルではない。つまらなさそうな顔で、ゾンビの頭を蹴り上げた。クシャッと湿った音とともに首が飛んで、閉め切られたドアに激突した。
途端に、ドアが、ガタガタと騒々しく揺れ始めた。
廊下側から激しく叩かれているようだ。廊下に一体何体のゾンビがいるのか見当もつかないが、まさか数百匹というワケではないだろう。日黄泉とハーメルンのメンバーは弾切れを知らないし、相手することもできるだろうが……。
「ヤケにデカい気配がするぜ。上だ」
ギルは眉をひそめて天井を仰いだ。
「あら、ギルさんってストラと同じような能力があるのね。……ストラの気配は感じない?」
「んー、なんだかよくわからん。さっきから探ってみてるんだが、ストラのヤツの気配がないようなあるような……」
「ま、まさかリーダーが死にかけてるとかないよな! な!?」
「そんなのウソだ! ウソだああああ」
「うるせぇ、落ち着け! ったく、コイツら黙らせるためにもとっととアタマを探したほうがいいな」
突然わめきだしたガスマスクのヘルメットをブッ叩くギル、そして香玖耶に、日黄泉が艶っぽい笑みを浮かべながら目配せする。彼女の顔には、館に入ったときにはなかったメガネがあった。
「科学の力を使ったサーチなら、私にもできるわ。ちょっと調べてみたけど、1階に生体反応はないみたい」
「とりあえず、この穴を辿ってみませんか? ……隣の部屋には、ゾンビはいないようですね」
穴の奥を覗きこんで確認してから、ファレルが隣の部屋に移る。隣も寝室のようだった。ギルがファレルの後に続き、壁の穴をくぐる。
「!」
次の瞬間、日黄泉と香玖耶とテロリストたちが残る部屋のドアが破られ、死者たちがうめきながら室内になだれこんできた。ドアを破った先頭のゾンビはあえなく倒れ、後続のゾンビどもが容赦なくソイツを踏みつけながら近づいてくる。
かれらの白く濁った目はあらぬ方向を見つめているのに、迷うことなく一行に向かって歩いてきていた。変色した腕は虚空をさまよっている。足元もおぼつかない。くじいたか折ったかした足首を、痛がりもせずに、異様な角度で曲げたまま歩いている者も少なくない。
かれらの服装は、10年以上前のファッションセンスによるモノだ。どれも腐汁と血でどす黒く汚れていて、ボロボロである。
ほとんどのゾンビは成人で、子供の姿はなかった。
「きゃ、ちょっと、多い多い!」
香玖耶は実はホラーがあまり得意ではなかった。去年の夏に起きた『タワー・オブ・ホラー』事件のおかげでだいぶ耐性はついたが、いきなりのゾンビラッシュに軽く動揺した。彼女が慌てて鞭を振り回すと、ガスマスクたちもいっしょになって動揺して発砲し始めた。
「ちょっと、ちゃんと狙わなきゃダメじゃないの。ゾンビと言えば弱点は頭でしょ!」
日黄泉はテロリストたちを叱咤すると、しっかりアサルトライフルを構えてトリガーを引いた。引きっぱなしではなく、冷静なバースト撃ち。3、4発のライフル弾がまとまって飛ぶたび、ゾンビの頭がひとつ砕け散る。
「あー、助太刀に行きてぇトコだが、アレじゃ俺様が蜂の巣になっちまうな」
隣の部屋から顔だけを出して、ギルが銃声とゾンビがひしめく室内の様子を確認する。彼の武器は大槍だ。部屋は広く、天井も高いので、槍を振り回すのにさほど支障はないだろうが、あの弾幕の前に立って戦う気にはならない。
「ギルさん、どうやらこっちでも戦えるようですよ」
「あん?」
ファレルに声をかけられ、ギルが穴から顔を引っ込めると、誰もいなかったハズの寝室にゾンビがノロノロ侵入してきていた。この寝室の壁にも穴が開いている。どうやらこの部屋の隣は廊下らしい。部屋の外はゾンビだらけのようだ。次から次へと、数えるのもイヤになるくらいゾンビが入り込んでくる。
ギルは掛け声もなしに、無造作に大槍を一閃した。彼の槍は、槍と言うよりも穂先が大振りなハルバードだ。突くだけでなく斬ることもできる。ゾンビの首が3つばかりまとめて刎ね飛んだ。前かがみに倒れこむゾンビの胴体を蹴り飛ばして踏みこみ、返す槍でもう一閃。2体のゾンビが一度に胸を斬り払われて、内蔵と肋骨をさらけ出しながらドサドサ倒れる。
ギルが無造作にゾンビを排除している間、ファレルは何もしていなかったワケではない。彼はポケットに両手を突っこんだままだったが、ゾンビどもは彼に触れることも、近づくこともできなかった。部屋の空気が見えない刃と化し、だらしなく前に伸びたゾンビの両腕は、指先から細切れにされていった。腕だけではすまなかった。まるでファレルが見つめるだけで、ゾンビが肉片になっていくかのようだ。
寝室に侵入してきたゾンビの最後の1体を細切れにしたあと、ファレルの口の端に薄い笑みのようなモノが浮かんでいた。ギルは廊下に続く穴を見ながら溜息をついていたので、ファレルのその危うい笑みを見ていない。
廊下の向こうの気配がだいたい消えた。隣室の銃声もやんでいる。
「あらあら、こっちも大変だったのね」
ギルとファレルがいる部屋に、ようやく日黄泉が移ってきた。彼女の顔と髪は返り血で汚れていて、ピンヒールには肉片がこびりついている。そして、すっかり全身が硝煙くさくなっていた。
「穴はその壁でおしまい?」
「みたいだな。隣は廊下だ」
「あ、見て」
香玖耶が寝室の壁の穴の向こうを指さした。幅の広い廊下を横切った壁に、わずかな血痕があって、壁紙がところどころ剥がれている。一行は周囲を警戒しながら寝室から廊下に出た。日黄泉がメガネをクイと押し上げ、壁の血痕と壁紙のキズを見つめる。そのメガネが、かすかにピピピと電子音を発した。日黄泉にしか見えないデータがレンズに投射される。
「つい数時間前についた血とキズね。O型だわ。……リーダーさんの血液型って?」
「Oだ」
「じゃ、これリーダーの血か!?」
「大騒ぎすんなよ、せいぜい鼻血か口切ったくらいだろう。ガツンとぶつけられたみてぇだな」
「あそこでもぶつけられたようですね」
ファレルが曲がり角の先の壁を指した。似たような血痕とキズがついている。香玖耶はちょっと顔をしかめた。
「どれくらいの勢いで叩きつけられたのかしら。ヘタしたらどこか折れてるわ」
「あ、バカバカ。じょうちゃん、あんまりそういうこと言うと……」
ギルが香玖耶の言葉に慌てたが、すべては遅すぎた。
ガスマスク6人が怒りと悲しみの雄叫びを上げた。
「畜生おおおおお! 許さん、許さんぞ!!」
「うわぁぁリーダー! うわぁぁリーダーが骨折!! うぁぁあ想像したくない!」
「いますぐ助けに行きます! リーダー、すぐ行きますからねーっ!!」
「だあああ、ホラ見ろ!」
「ご、ごめんなさい……迂闊だったわ……」
香玖耶は頭を抱え、ファレルが呆れて溜息をついた。大騒ぎしながらいまにも走り出そうとするガスマスクたちを、ギルはやむなく拳と槍の石突でブン殴る。
「おめぇらいい加減にしろ! いつもはブキミなくらい落ち着いてるクセになんだそのザマ。ストラが大好きなのはわかった。助けたいならふさわしい行動しろ! もう置いてくぞ」
「な、殴ったな……リーダーにしか殴られたことないのに……」
2人ばかりシクシク泣き出したが、ガスマスクたちはなんとか静かになった。
が、今の大騒ぎを聞きつけたのか、ノロノロと廊下の先からゾンビが近づいてきている。
「先に進んで」
ガスマスクたちとギルや香玖耶がモメている間、日黄泉は廊下になにか細工をしていた。ファレルは目を細める。薄暗い廊下の空間を、かなり目を凝らさなければ見えない細い線が、幾筋も横断しているのがわかった。
「ここじゃ銃は使いづらいわね。――『貴様ら、発砲は控えろ』」
ガスマスクたちに指示を出してから、香玖耶とギルとともに先頭に立って、角を曲がった。その先は10メートルも行けば突き当たりだった……が、ほとんど隙間が見えないくらい、ギッシリとゾンビが詰めている。
「お、多い多い多い!」
香玖耶はついさっき上げた悲鳴とそんなに変わらない悲鳴を上げて、鞭をすばやくまとめ、両手を前に突き出した。香玖耶の長い銀髪が、風もないのに舞い上がる。彼女の身体が淡く光り、隣のギルは目をそむけて、一歩後ろに下がった。
「『あかく舞い、清き牙を剥け。邪なるものを芯より焼き尽くし、食い破り、白き花に変えよ』。〈サラマンダー〉!」
香玖耶の手のひらから光の球が現れたかと思うと、それはトカゲのように身をくねらせた。そして虚空から、空気を食らい、紅蓮の業火が噴き出す。
ゾンビの大群はたちまち炎にのまれた。手前の集団はほとんど一瞬のうちに焼き尽くされ、灰も残らない。後ろのゾンビは、焼かれながらも相変わらずノロノロと前進してきていた。痛みも熱さも感じていないのだろう。しかし、凄まじい火勢のためにすぐに骨と皮は炭になって、床に倒れ、崩れ去っていった。
炎の光から目をかばいながらも、ギルはピュウと軽く口笛を吹く。しかし1体だけ燃え盛りながらも近づいてくるゾンビがいて、彼は事も無げに大槍でソレを叩き潰した。
彼らの背後からは、日黄泉が仕掛けたブービートラップが作動する物騒な音が響いてきていた。爆発音であったり、刃物が肉の塊を断ち切る音であったり、重いものが肉を潰すような音でもあった。曲がり角の向こうでなにが起きているのかファレルは見てみようとしたが、日黄泉が軽く彼の肩に手を置き、蠱惑的に微笑む。
「ちょっとした企業秘密なの。なにが起きてるか、ご想像にお任せするわ。早く行きましょ、雛鳥サンたちが騒ぎだしちゃうわ」
「……そうですね」
ファレルは軽く肩をすくめ、先に進むことにした。
香玖耶とギルの前には、ススで真っ黒になった天井と壁、無数の消し炭で真っ黒になった床が続いている。炎は消え失せていたが、まだ、熱が残っていた。
「オイ、部屋がある……みてぇだが、扉がねぇな。じょうちゃんの魔法がブッ飛ばしちまったのか?」
「いいえ、燃やす対象をゾンビだけに指定したから、そんなハズは……」
廊下の先には大きな両開きの扉があったようだが、片側は完全に部屋の中に倒れていて、残る一方も外れかけ、ナナメになっている。ついさっきまでゾンビだった灰と炭の上を歩き、一行は扉の奥の部屋を見た。
かなり広い部屋だ。シャンデリアがいくつも下がり、突き当りにはマントルピースがある。古いグランドピアノも置かれていた。ダンスホールだろうか。
日黄泉は外れかけているドアを観察した。
「また、ちょっとだけO型の血液反応があるわね。今度は壁じゃなくてドアに叩きつけられたんじゃないかしら」
「では、この部屋の中も通過したでしょう。きっと」
ファレルがホール内を見回す。
床には、控えめな色彩のパターンが織り込まれた、深紅の絨毯が敷き詰められている。美しいパターンだったが、ところどころがどす黒いシミで汚れていた。そのシミのもとがなんであるかは、深く考えなくてもよさそうだ。
動いているゾンビの姿はない。ただ、頭や腕、あるいは上半身がゴッソリと欠損した死体がチラホラと転がっている。
壁を彩るのは、豪華な金の額縁におさめられた油彩画だ。
しかしソレらは美しい風景や優美な貴族の肖像を描いたモノではなかった。ゴヤの『魔女の夜宴』、ボッシュの『地獄』、そしてエリファス・レヴィの『メンデスのバフォメット』を大きく引き伸ばしたモノ。どれも悪魔の絵であった。
「あ、天井に穴が……」
ファレルがシャンデリアの横にその穴を見つけたときだ。
パラパラと、その穴から漆喰や木の破片が落ちてきたかと思うと――。
ドガァァアアアアアン!!
大音響を立てて穴の周辺の天井が落ち、シャンデリアも落ちて、巨大ななにかが降ってきた。ファレルは空気を蹴ってヒラリとシャンデリアや瓦礫をかわす。ギルは咄嗟に隣にいた日黄泉を抱えて飛びのいた。香玖耶の腕を後ろに引っ張って彼女を助けたのは、ハーメルンのひとりだった。
「グォアアアアアアアアォォオオオ!!」
もうもうと立ちこめる粉塵をかきわけ、縫い目だらけの巨人が姿を現した。
身長は6メートル以上あるだろう。姿勢がひどく前かがみなので、なんとか天井に頭はついていない。
その身体も、ひどく太い両腕も、何人分もの死体を繋ぎ合わせて作られていた。かれはゾンビかもしれないが、フランケンシュタイン博士のツギハギの怪物にも似ている。頭はふたつもあった。首の付け根にもうひとつ、女の首をムリヤリ縫い付けてあるのだ。
怪物が最初にターゲットとしてとらえたのは、ファレルだった。ソレは太い腕を振り回し、床を揺らしながら、華奢な青年を目指して突進する。
しかし、その腕がファレルを叩き潰すことはなかった。ゾンビ同様、ファレルに近づいた瞬間から、太い腕はザクザクと切り刻まれて分解されていく。
怪物の首が咆哮し、縫い付けられた女の首が悲鳴のようなものを上げた。
ソレはただの悲鳴ではなかったらしい。シャンデリアと窓のガラスが粉々に砕け散り、ファレルはほとんど反射的に耳をふさいでうずくまった。怪物の後ろで、日黄泉とギル、香玖耶も耳をふさいだ。ハーメルンは……無線内蔵式のイヤープロテクターをつけているのでほとんど聴覚にダメージはなかったようだが、怪物の存在自体にものすごく動揺していた。まるで戦力にならない。
「そんな大きな声出しちゃ、ご近所に迷惑でしょ!」
日黄泉は愛用のキャノン砲〈カミカゼ〉を取り出し、狙いを一瞬で定めて引金を引いた。
カミカゼは女の首どころか、怪物の首の左頬と左肩そのものもゴッソリ吹き飛ばした。怪物は両腕を失いながらも、身をよじって振り返る。
しかしその足元にはギルがいた。ギリギリとその両腕の筋肉に渾身の力をこめ、裂帛と気合とともに、ギルは大槍を怪物の右足に叩き込み、すぐに離脱した。
いかにも重そうな体躯だ。足の骨を断たれるのは大問題だった。大きくバランスを崩したところに、香玖耶が追い討ちをかける。鞭を怪物の足の傷に巻きつけて、強く引っ張ったのだ。怪物はあえなく、地響きを上げて倒れた。
その首はありえない方向に曲がってしまったが、怪物はまだ動いていた。赤々と光る両目が、ファレルを睨みつける。ファレルは表情ひとつ変えなかった。ただ見つめただけで、怪物の首も無数の肉片に変わった。
怪物が完全に動かなくなって、一行は大きく溜息をつく。そして、誰からともなく、怪物が降ってきた天井を見上げていた。
ダンスホールの真上も、広い部屋だったようだ。奇妙な黒いシャンデリアが見えた。そして、真っ黒く塗りつぶされた壁も見える。壁には銀色の塗料で、怪しげな魔法陣や、文字が書きこまれていた。
「ヘブライ語だわ……古い言葉よ。黒魔術に使われているの……」
日黄泉はカミカゼを構えたまま、その文字を見て呟いた。
「気をつけろ。まだ、なにかいる――」
ギルが言った瞬間、漆黒の影が天井の穴から落ちてきて、怪物の死体の上に降り立った。
その動きを、ギルは知っていた。
黒いヒョウのような、静かでしなやかな動き。
ソレを思い出した瞬間には、アゴに強烈な一撃を食らって、一瞬意識が飛んでいた。
「リーダー!?」
ガスマスクが揃って驚きの声を上げる。
ファレルはその叫びを聞き、ギルが仰向けに倒れるのを見て、黒づくめの影が今度は自分に向かってくるのを見た。
(思ったとおりです。やはり、私たちの前に立ちはだかりましたね。……ストラさんとやら)
ファレルは首と肩に痛みを覚えた。次の瞬間には床に叩きつけられていた。黒い影は飛びかかってきて、両足でファレルの首を絡めとり、いともたやすく彼の身体をひっくり返したのだ。
「ストラ!」
香玖耶が鞭を伸ばした。ソレは黒い影の左腕に巻きついた。香玖耶が引っ張ろうとすると、影は抵抗せず、逆に香玖耶のほうに突進してきた。鞭はほどけた。黒づくめの影は香玖耶に飛び蹴りを浴びせかけてきたが、日黄泉がすかさず横からカミカゼの銃身を叩きつけた。
黒い男が短く笑った。キャノン砲に殴られて倒れこみながらも、その手がキャノン砲の銃口を掴んでいた。瞬間的に男ひとりぶんの体重がカミカゼに上乗せされて、日黄泉の手が離れる。
黒い男はあざやかに受身を取ると、床を這うような低い体勢で日黄泉に突進してきた。その右手でナイフの白い光がひらめく。
日黄泉は咄嗟に左足を奥に開いた。ナイフが太ももの急所を狙っているのがわかったのだ。わずかに遅れたが、ナイフは幸い日黄泉の太ももの肉を浅く切っただけだった。
「オイ、やめろ! なんてことしやがる! 俺たちが……わからねぇのか!」
ギルはぐらつく視界と意識を気合で乗り切り、手近なところに転がっていた死体の腕を、黒い男めがけて投げつけた。腕はまともに男の後頭部に当たって鈍い音を立てた。が、男は一歩つんのめっただけで倒れもせず、ギルのほうを振り返った。
ケイ・シー・ストラだ。その顔も、姿も、動きも。
口の端とこめかみから血を流していた。顔のあちこちにアザがある。
しかしいつもは青い目が、オレンジとも黄色ともつかない色に爛々と光っている。そもそも白目と黒目の区別がなくなっていた。
『この身体も……記憶も……気に入ったぞ。この男の身体と魂がおぼえているのは、「殺す」すべだ……』
その声も、のどの奥から漏れてきている笑い声も、ストラのモノではなかった。ガスマスクたちが悲痛な叫び声を上げた。とりあえず銃を構えてはいるが、銃口をまともに彼に向けることさえできていない。ストラの姿をした者が振り向き、ガスマスクたちに向かって手をかざした。
『「銃を下ろせ」』
ストラの声だ。
ビクッ、とガスマスクたちの身体が跳ね上がり、彼らは次々に銃を下ろした。ストラの顔が、ニタリと笑った。
『「構えろ」』
ガスマスクたちが一斉に銃を構えた。6丁のアサルトライフルが狙いをつけているのは、ストラではなく、香玖耶と日黄泉とギルとファレルだ。
ギルが固唾を呑んだ。
「……マズイぞ」
『「発砲を許可する」』
銃弾は飛んだ。
飛んだが、誰にも当たらなかった。ファレルが弾頭を構成する分子をバラバラにしていたのだ。香玖耶がすばやく鞭でガスマスクの手から銃を叩き落とし、ギルがまた手近な死体の一部分を拾って、ガスマスクに投げつけていた。
ファレルは銃弾だけでなく、ガスマスクたちの銃そのものもバラバラにしたが、彼らはいくらでも銃をどこからか取り出すことができた。ギルは舌打ちし、今度は力任せに、槍の柄でガスマスクの向こうずねを叩く。
日黄泉は床を転がってストラの身体に近づき、太もものホルスターからワルサーPPKを抜いて発砲していた。1発はストラの横腹に命中したが、彼は防弾ベストを着ていた。2発目は彼の太ももをかすめ、わずかな血が飛び散る。日黄泉はニッと大きく笑った。
「お返しよ」
ストラはなにも答えず、拳銃に拳銃で答えた。ジェリコを引き抜き、日黄泉めがけて発砲する。日黄泉は床についていた手をすばやく振り上げた。突如、優美な絨毯からM4の入ったラックが飛び出し、ジェリコの銃弾を跳ね返す。日黄泉はM4を手に取ると、銃口をストラに向けた。
『撃つ気か?』
ストラの中にいる者が、ニタリと笑う。
『構わぬぞ。身体を滅ぼしたところで、我は死なぬ。貴様らも活きのいい肉体を持っているようだな……取り替えても良かろう』
日黄泉は引金を引けなかった。
しかし、ストラのジェリコも弾丸を飛ばせなかった。ファレルの力で、銃口も引金も曲がってしまっていた。ファレルはすでにストラの身体に飛びかかっている。その足が、ストラの胸を蹴りつけていた。
うめき声はストラのモノだった。よろめいた瞬間、その目の色が青に戻っていた。しかし次の瞬間には、異様なオレンジの光で目が輝き、ストラのモノではない声で、ソイツは高笑いした。
ワザと一瞬だけ意識をストラに返したのだ――ファレルにはソレがわかった。
「やめろ! リーダーを殺す気か!」
倒れたガスマスクのひとりが叫ぶ。ギルはその後頭部を殴りつけて黙らせた。
そして背後を振り返り、舌打ちする。壊れた扉からダンスホールの中に、ゾンビが入ってきていた。
「まったく、どこまで操られやすいの!?」
ガスマスクの銃撃がやんだ。詠唱ができる。香玖耶は前に手をかざした。
「『光り輝く乙女よ、お出でなさい』――〈ルース〉!」
香玖耶の手のひらから生まれた光球は、たちまち膨れ上がった。ギルはまた、香玖耶の『魔法』から目をそむけなければならなかった。光の中に少女の姿が浮かび上がったが、ソレを見ることはできない。
ストラの中にいる者が、ハッキリと動揺した。驚きの声はすぐに苦痛の叫びに変わる。光がストラの身体に突き刺さり、「中」からなにかを、力任せに引っ張り出した。
ヤギのような角とコウモリの翼を持った、オレンジ色に明滅する悪魔のシルエット。ストラの身体は力なくその場に倒れた。
日黄泉は、悪魔ではなく、2階の黒い部屋に目を向けた。M4を捨て、カミカゼを拾い上げる。そして、壁の魔法陣やヘブライ語の羅列めがけて、立て続けに3発ばかりブッ放した。魔法陣のみならず、壁がほぼ一面フッ飛んでしまった。
悪魔の断末魔が響き渡る。
光が爆発し、消え失せた。
ドサリドサリと、重い音。ソレは、ダンスホールに入ってきていたゾンビが、糸を切られた操り人形のように倒れる音だった。
香玖耶は少しだけ息を弾ませて、額の汗をぬぐう。
「ストラは?」
「大丈夫です。息はしていますね」
ファレルが倒れたストラの顔を覗きこみ、溜息をついた。香玖耶はリュックからウオッカの瓶を取り出すと、キャップを取って、ダバダバとその口元に中身を落とした。
「あぁあぁ、もったいねぇ――」
ギルが制止しようとしたところで、ストラが激しくむせながら飛び起きた。
「なん……だ!? なにが起こっ……、ゴホッ! ガフッ!」
「あなた、ソレ、前に正気に戻ったときとまったく同じ……」
「鼻に入った……、ゴフッ!」
香玖耶が気付けに使ったのは、知る人ぞ知る『すげえウオッカ』だ。99度のアルコールに鼻の粘膜を刺激されて、咳が落ち着いた頃にはストラは涙目になっていた。が、幸い、彼は軽傷ですんでいて、すぐに立ち上がることもできた。香玖耶が気にかけていた骨折もないようだ。
「私はまたいいように操られたのか。迷惑をかけたな。……イズヴィニーチェ」
「身体だけじゃなくて精神面も鍛えたほうがいいかもしれないわよ」
日黄泉が笑いかけると、ストラは仏頂面で目をそらした。そらした先に、彼の同志が転がっていた。
「アイツら、そりゃもう情けなかったぜ。おめぇさんがいねぇとガキ同然だ」
ギルはそう言ってからガスマスクたちの様子を手短に説明した。ストラはあからさまに眉をひそめ、大またでガスマスクたちに近づく。
「起きろ!」
彼らは気絶していても命令に従わなければならないのか。たちまち飛び上がるようにして起き上がり、奇声を上げてストラに抱きついた。
「リーダー! うわぁぁリーダー!」
「リーダーがいないとわれわれは一体どうしたらいいのか……!」
「リーダー、よかった、ホントによかったぁぁあ!」
「黙れ、離れろ! 触るな! 女か貴様らは!」
ストラはガスマスクを突き飛ばし、蹴り飛ばし、引き剥がして、ヘルメットを殴りつけた。
「貴様ら、情けないとは思わないのか。私がいなければなにもできないのか? おのれの意思も持たずに私についてくるだけなど、鳥のヒナにでもできる。貴様らはヒヨコかなにかか? ならばピヨピヨとでも言っているがいい!」
ガスマスクたちは戸惑ったようにお互いの顔を見つめあったあと――
「……ピヨピヨ!」
「ピヨピヨ!」
「――」
忠実に命令に従った同志に、ストラは手で目を覆ってうなだれ、それから全員にローキックを叩きこんで床に転がした。
日黄泉と香玖耶は耐えられずに噴き出し、ギルは涙まで流して爆笑した。そしてファレルまでもが、どこか引きつった笑みを浮かべていた。
★ ★ ★
「旧霧崎邸……。いまはもうないけれど、銀幕市では有名な洋館だったらしいわ。撮影現場としてね。『ハウス・オブ・ザ・コープス』っていうゾンビ映画の撮影も行われたみたい」
「ゾンビ映画、ねぇ」
「悪魔崇拝者が死者を蘇らせる力を持つ悪魔を召喚して、……あとはお決まりのパターンね」
床に倒れたゾンビたちは動かない。かれらをまたぎながら前庭に戻る途中、日黄泉は端末を操作して軽く調べ上げた。
この洋館は、ムービーハザードだった。旧霧崎邸は、10年近く前に焼失してしまっている。いくつもの映画を生み出し、人の記憶にその姿を焼き付けて、炎とともに消え失せたのだ。
ハーメルンはネットでこの「空き物件」を見つけだした。ドクターDは、不可解な電話によって呼び寄せられた。どちらも、超常的な力によって引き寄せられたのだろう。この館には、確かに悪魔がとり憑いていたのだから。
4人とハーメルン7名が前庭に戻ったときには、東棟を探索していたチームが無事に戻ってきていた。ストラは再び同志に囲まれ、そしてキレた。ギルが仲裁に入るほどのキレっぷりだった。
「東棟の人たちは、どんな探検をしたのかしらね」
「聞いてみましょうか」
日黄泉と香玖耶がニコニコと笑顔を交わし、歩き出したとき……。
「あ」
旧霧崎邸を見上げていたファレルが、小さく声を上げた。
屋敷の西棟が、ガラガラと――しかし妙に静かに、どこかおごそかに、崩れ去っていく。ハーメルンも、ギルも、乱闘の手を止めて顔を上げた。香玖耶と日黄泉も立ち止まり、静かに、惨劇の終わりを見守っていた。
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クリエイターコメント | ご参加ありがとうございました。Weapons freeの意訳は「発砲を許可する」です。「好きに撃て」とも言われています。 このノベルを書くにあたって、諸口正巳WRから『ゾンビ』とそのリメイク版の『ドーン・オブ・ザ・デッド』を借り、さらに『デッドライジング』をやらせてもらいました。諸口さんは「ゾンビというモチーフはそれほど好きではない」と言っていましたが、絶対ウソだと思います。昨日だってWOWOWの『28日後…』と『28週後…』録画してる始末ですから。 結局ノベルではゾンビの他に中ボスとボスとの戦いも多く書くことになりました。ラスボスが誰なのかバレバレだったのはきっといいことだと思います。 |
公開日時 | 2009-03-17(火) 18:40 |
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