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<ノベル>
一件のBARの扉が閉まる。
深いアンティークブルーのワンピースに黒のリボンを飾り、背中の中程まで流れる長い黒髪を静かに揺らして一人の女の子が小道へと入っていった。店の傍、陽春の小道と名付けられている道は、地元の人でもその道に名前が付いていることを余り知らない。どこにでもある道を、天気が良かったので散歩に出かけてみた彼女は、何も持たず歩いていた。
歩き慣れた道をゆっくりと進むと、視界の端に見慣れない絵が映る。さっきまでこんな物は無かったはずだ、と彼女が絵を見下ろすと船酔いでもしたような、気持ち悪い感触が足下に広がった。ぐにゃりと、柔らかい物の上に乗ったような感覚の後、先程と変わりない陽春の小道が続いているのに、直ぐ先に見覚えのないビルが立ち並んでいた。
「何か、おかしいわ……。それにしても嫌な感じのするところね。さっきの絵……かしら」
足下は変わらずコンクリートだ。気持ち悪い感触も気のせいだった、と言えれば良かったのだろうが、どこか違う。天気の良さそうな空が広がっているのに薄暗く、車の音も全くしない。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。靴の踵を三度鳴らしながら、左手を肩の位置で前にのばし、右手をその上に掲げる。何も持っていなかった彼女の手には一つのヴァイオリンが、そこに在るのが当然のように収まっていた。
「練習曲1番、ハ長調」
弾く曲を確認するように小さく呟いた彼女は、4本の弦の上に弓を滑らせる。E線を長く奏で、ゆっくりとA線に。一弦を長く響かせ途切れることなく、綺麗に次の音へ繋げる。ただ弦を鳴らしてるだけなのに、弓は綺麗なボウイングを描いている。どこからか一人、また一人とのったりとした足取りで人が集まり、彼女は演奏の手を止めてしまう。
彼女もヴァイオリニスト。銀幕市に来てからもBARで演奏をし、人に見られることは慣れている。だが、不安定な足取りで近寄って来た人達が普通の人だったら、の話だ。
足を引きずり、両手を前に延ばし左右に振りながら歩み寄ってくる人には、顔が無かった。
「あ……貴方達何か用なの? え…やだ、止めて! 私のヴァイオリンに触らないで!!」
ヴァイオリンをしっかりと抱え、彼女が後ずさる。顔のない人達は声も無く、ふらふらと彼女が先程まで立っていた場所で彼女を捜し、お互いにぶつかり合う。
――この人達……顔がないから声もだせず、目も見えない? でもここに来たのは、私がヴァイオリンを弾いたから。あ、耳、は残っているの、ね――
気分を落ち着かせようと奏でたヴァイオリンが集めた人達を、彼女はじっと見る。大事なヴァイオリンを傷つけられると思い逃げたが、彼等もまたここに迷い込んだのだろうか。彼等が来た道を見ると、続いている筈の陽春の小道が見たことのない路地裏に続いている。どうも、銀幕市を一つのパズルのようにバラバラにしてつなぎ合わせた感じがする。
迷宮の類に人が迷い込んだ場合、殆どの人は迷宮の奥に飛ばされる。行き止まりだったり通路のど真ん中だったりはするが、用は人が来ない方向に進めば出口は近いはずだ。
「ねぇ、聞こえてるのよね? 私はサキ。出口まで連れて行ってあげるからヴァイオリンの音についてきなさい」
顔のない人達がサキの声に一斉に振り返るのを確認し、彼女は深呼吸をし踵を3度鳴らす。
行進曲を弾きながら歩くサキの後を続く顔のない人達は、次第に増えていった。
「良い天気だ。こういう日はあの公園でのんびりするに限る。なぁヴェルガンダ」
――そうだな。枕にされることもなく、レイドの腰も痛めつけられず。良い日だ――
「……馬鹿にしてるだろ!? お前だってでかいままだろうが!」
――今更小さくなっても変に見られる。それより、こうやって会話しているとまた変な目で見られるぞ、主殿――
真っ黒な大型犬と並んで歩くレイドをちらちらと横目で伺いながら通行人が通り過ぎる。住宅街を歩いていたレイドとヴェルガンダは普通に会話しているが、ヴェルガンダの声は他の人には聞こえない。
髪の色こそ茶色だが、少々変わった白い洋服に右目の眼帯と背中の剣で彼がスターだと解る、一見して普通の人間である。いい年したおっさんが昼間からぶらぶらと犬の散歩をし、盛大な独り言を言っている姿は、非常に目立つ。
「夕方までに帰ればいいんだ。今日はのんびりしようぜ……ん?」
道の端に花が落ちているのを見つけたレイドとヴェルガンダの足が同時に止まる。一軒の家から歩道に乗り出した木に同じ花が咲いているのだからそこから落ちたのだろうが、花は歩道ではなく一枚の板の上にのっている。只の板なら、レイド達は気にしない。そこに置かれていてはいけない気がするのだ。レイドは板の前で膝を付き花を手に取り板を持ち上げる。空気が変わったのを感じると同時に花を手放し変わりに剣の柄を握る。
花は地面に落ちているが、傍に居たはずのヴェルガンダの姿はない。
「……ヴェルガンダ、聞こえるか」
――聞こえている――
見えなくとも傍にはいるらしい声を感じ、レイドは立ち上がり辺りを見渡す。今し方通ってきた道は、いつもの住宅街だ。
「魔法……じゃないな。これがハザードってやつか? こっちから出られそうもないが、絵はどうなってる」
――特に変化は無い。絵の前にいるが入り込むことは無いようだ。どうする、そちらに行くか?――
「いや、そのまま絵を対策課に持っていってくれ。出口を探してみる」
――承知――
「……面倒な事になった」
乱暴に頭を掻き、とりあえずレイドは歩き出した。
銀幕市にある和菓子「雀屋」から双子が手を繋いで出てくると、店の方を振り向き大きく手を振る。「セフィ早く〜」「セフィ早く〜」とオウム返しで言う双子に呼ばれ、一人の女性が出てきた。
健康的な褐色の肌、体型を隠す筈の青いつなぎ服も豊満な胸に盛り上げられ、彼女のスタイルのよさを物語っている。前中心から長く延びたファスナーは胸元まで開けられ、ちらりと覗く黒が中に服を着ているとわかっていても露わになっている素肌にドキリとする。バンダナが巻かれた頭からは深い青髪が背中に流れ彼女の美しさを更に引き立てているのだが、伏し目がちな紫の瞳と気怠げな顔はこう語っている。
――めんどくさい――
そんな彼女とは対称的に楽しそうに歩いている二人の手には、色違いの小さな風呂敷で可愛く包まれた和菓子。彼女のお菓子は普通に店名が入った紙袋だ。小さな双子の為にと店主が包んでくれたお菓子を片手に、空いた手を繋ぎ合いセフィよりも少し前を歩く双子は、絵があるよ〜と輪唱する。片割れが言う言葉をもう一人が言うオウム返しは、癖なのか双子だからなのだろう。後を歩く彼女に早くと言いながら二人は駆け足で絵に近寄っていった。
どこを見るでもなく歩いていたセフィが双子の声に引き寄せられるように道の先を見ると、道端に小さな正方形の絵が置かれていた。遠目に見ても異様なものを感じる絵に駆けよる双子へ近寄るなと伝えるため、数歩駆け出したが何故か双子が奇声を上げて走りだす。セフィが駈け出した事で追いかけっこだと思ったのだろう双子は、そのまま絵の前を通り消えた。
セフィは直ぐに双子が消えた絵の前に移動するがやはり双子の姿は見えない。あれだけはしゃいでいた声すらも、ぷっつりと途絶え、辺りはしんとしている。和菓子屋に行く前も同じ道を通ったがその時この絵を見かけた覚えはなく、気が付かなかったのだとしても何も起きなかった。
――絵の中に入った?――
双子と同じように絵の前に立ったが何事も起きず、慎重に触れてみても変化は無い。セフィは絵を丹念に調べてみるが、目に見えてわかる仕掛けはなかった。
――内側、もしくは遠距離の仕掛けか? 何とかして中に入りあの二人を連れ帰らないと――
無言で絵を見降ろしたセフィは両手を一度鳴らしてみた。何の変化も現れないのを確認すると今度は頭に巻いていたバンダナを外し、お菓子の入った袋を包んでいく。双子が絵に入った時と同じようなことを試し、それが駄目だった場合は絵を持ち帰り調べるつもりだったが、その心配も杞憂に終わる。彼女は絵の中と思われる場所に立っていた。
――「双子しか入れない」訳ではなかったらしい――
中に入った事を安堵したのも束の間、双子の姿は見あたらない。多少の違和感はあるが景色に大きな変化はない事から双子と同じ場所に出たはずなのに、あの賑やかな声が全く聞こえない。そんなに長い間離れていたとは思えないが、双子は場所が変わったことも気が付かないで追いかけっこの続きをしているのかも知れない。セフィが迷子になった、と二人で言いながら。
買い物に来ただけなので武器は持って来なかったが、多少の魔法薬ならポケットに入っている。万が一、何者かと戦闘になろうと怪我の心配は必要ない。双子さえ無事なら良い。
それでも、一人ぽつんと立ちつくすセフィシア・リーセタルは頭にバンダナを巻き直しこう呟く。
「……めんどくさ」
漆黒の洋服を彩るのは鮮やかなアクセサリー。右腕にシルバー基調の幾つかの石が組み合わせれたブレスレット。左腕にはサファイヤの付いた銀のチェーンのブレスレットと左手の人差し指にはブラックスターサファイアの指輪。胸元にはブルースターサファイアの付いたペンダントと十字架ペンダント。どれも彼、シャノン・ヴォルムスの大事な人達から贈られたものだ。
身に纏うアクセサリーが増える度、彼の仕事への信頼も増える。今日も依頼を受けて対策課を訪れたシャノンは絵を覗き込んでいた先客に声をかけた。
「早いな、現状はどうだ?」
「こんにちは、シャノンさん。現状は余り変わりませんね。絵が揃わない事にはなんとも」
銀色の長髪をゆるくひと束ねにしている男、吾妻宗主は緑色の瞳を細め微笑む。肩に乗っている真っ白なバッキー、ラダも挨拶をしたいのか、よじよじと動き、狭い場所で体勢を変えてシャノンの方を向いた。
吾妻の隣りにいた男はシャノンを見てどうも、と軽く会釈をする。伸びっぱなしでぼさぼさの髪は顔を隠し瞳は見えず、色も黒とは少々違うようだ。吾妻と並んでも大差ない身長だが、身体を大きく包むだぼだぼのコートのせいか、小さく見える。そのコートもブラックジーンズに襟首の大きく開いたパープルのカットソーを纏う吾妻の隣りでは、お世辞にもヴィンテージとは呼べない。みすぼらしさを感じさせる丈の長い、継ぎ接ぎの目立つ古着だ。
比較的裕福な学生と苦学生が並んだらこんな感じなんだろうか、とシャノンは苦笑した。
「はじめまして、だな。俺はシャノン」
「セバンだ。あんたが依頼受けたんなら、俺達は安心して絵を探し回れるな」
そう言ってセバンは手に持っていた絵を「無関係」と書かれたダンボールに入れる。壁に「未整理」と書かれた紙が貼られている前には数枚の絵しか置かれてなく、見終わったら探しに出るところだったらしい。
「魔法や仕掛けのある絵ではなくハザードの一種だから、関係ない絵も多く持ち込まれてね。俺達で探しに行った方が早そうなんだ」
「そのようだな。後は鍵とお互いの連絡はどうする? 迷った人が連絡を入れて来ないんだ。携帯が繋がるとは思えないぞ」
「あぁ、あの数字なら……ん? 今、何か音がしなかったか?」
耳を澄ますが吾妻には何も聞こえず、セバンも気のせいか?と首を傾げる。シャノンだけが、
「微かに、ヴァイオリンの音が聞こえるぞ……。セバンにも聞こえたんならその絵の中から、か?」
と言い、セバンが持っている絵を吾妻とシャノンが見やる。セバンは絵に耳を付けてみたが、聞こえなかったらしく次々と未整理の絵に耳を寄せていく。シャノンと吾妻は反対側へと纏められた関係のある絵に耳を澄ませ、音を探す。
「これじゃない、これでもねぇ。どれだ? ……あれ、とれな」
手に取ったものの動かない絵に目をやると、大きな黒い物体。眼前に不意に現れた毛玉から覗く鋭い瞳はギロリと光り、セバンの手に生暖かい吐息が触れる。
「……おあぁぁぁあああ!?!?」
いきなり悲鳴が聞こえ、二人が振り返ってみるとセバンが尻餅をついて座り込んでいる。彼の前、扉の傍には大きな黒い犬が絵を銜えて立っていた。急に現れた大型犬にセバンはじりじりと後ずさりするが、そんなセバンを気にもせず(すこし哀れむ様な目で見た気もしたが)犬は銜えていた絵を床に置く。
「お前……レイドの犬か? 絵を持ってきたのか」
「レイドさんって、シャノンさんの知り合い?」
「あぁ、何度か依頼を一緒に受けたんだが、こいつが絵を持ってきたという事は中に入った、って事だろうな」
シャノンの言葉に答えるように、犬は頷く。吾妻が置かれた絵を手に取ると、肩に乗っていたラダがふんふんと鼻を鳴らす。関係のある絵だと言っているようだ。
「三つも銜えて持ってくるなんて利口な子だね。あれ、普通の犬じゃないのかな?」
「違うと思うぜ? 普通の犬はこんなにでかくないだろ。口も犬歯もでかすぎるし……おぁ!こっちくるなって! そ、それにそのレイドってヤツが入ったとすれば、絵は一つのはずだろ。途中で同じような絵を見つけて一緒に持ってくる時点で普通の犬じゃねぇだろ」
「そういえば、レイドはこの犬と会話が出来ていた。これなら中と連絡が取れるんじゃないか? まぁ、俺がレイドを見つけ、セバン達がこの犬と意志の疎通ができれば、だが」
「俺は遠慮シタイデス」
何故かカタコトな発音になったセバンは、未整理の絵に犬をこれ以上近づけないよう手を延ばし引きずる。その様子にシャノンは手で口元を押さえて笑いを堪えていた。犬が全く相手にしていないのにおどおどと逃げ腰で絵を一つずつ抱える、その姿に絶えきれず笑いだしたシャノンのコートを吾妻が引っ張った。
「シャノンさん、この絵……。ここ、この人達少しずつだけど動いてるよね? この人……どこかで見たことがあるんだけど……」
セバンの必死の攻防とは別に、吾妻は犬が持ってきた絵の一つを差し出す。くつくつと笑っていたシャノンだが絵を見るとすぐに真剣な顔でこの人、と呟く。
「他の二人は知らないが、この女性は斉藤美夜子、だな」
「あぁ、そうだ! 衣装の斉藤さん。 前に劇団のバイトをした時に会った人だ……。それからこっちも少し小さいんだけど、この影も移動してるんだ。描かれているのが近い場所だから斉藤さん達はわかりやすかったんだね。ほら、こうしてみるとわかりやすいよね?」
吾妻が近くの被写体を描いている絵を並べてみると、彼の言うようにどれも微妙に動いていた。遠距離の絵もよくよく見るとゴマ粒の様な物が微妙に動いている。知り合いがいたからか、少し興奮気味に言う吾妻の言葉に、セバンはわかりにくい絵を抱え近くの風景が描かれている絵を並べる。精密に描かれた果物が並ぶ店先や民家の塀の上でくつろぐ猫。3人は数枚の並べられた絵を見ながら頷きあった。
「絵の中からは音が聞こえ、人が動いているのが見える。では、この絵に文字を書いた場合、向こう側にも見えるのだろうか?」
「可能性は、あるね。じゃぁシャノンさんが絵の中に入ったら俺が何か書いてみるよ。それとセバンは……」
二人が顔をあげるが、目の前にいたはずのセバンの姿が消えていた。先程まで彼が持っていた絵が支えを無くし音を立てて落ちていく。吾妻が慌てて落ちた絵を見比べ小さく息を飲む。
「セバンさんも入ってしまったようだね。迂闊だった。この絵は「本」が鍵だったのか」
「どうする。一人で探せるか?」
「大丈夫だよ。これでも友達は多い方なんだ。それに、きみも手伝ってくれるかい?」
吾妻がレイドの犬に向かってそう言うと、犬は鼻を鳴らし仕方ない、という感じに頷く。ほらね、と吾妻が笑うと、シャノンも安心したように頷いた。
ふんふん、と最初に鼻を動かしたのはレイドの犬だ。次第に二人にも焦げ臭い匂いがしはじめる。犬が鼻っ面を吾妻の持っている絵に押しつけると、ほんの少し白い煙が揺らめき、消える。煙が立ち上ったその場所に黒く跡ができていた。
「燃えたのかな、うん。向こうで何かしたらこっちの絵にも変化が起こるのがわかったけど、セバンさん大丈夫かな」
「なに、セバンもスターだからな。大方、スターが来るのを望んでる手品師が出迎えたんだろうよ。早いところ出向いてやろう」
「シャノンさんはこの絵の前に立てば、向こうに行けると思う。気を付けて」
何も要らないのか?とシャノンが聞くと、吾妻はもう持ってるよと言い、シャノンの胸元を指差した。
「その絵に必要なのは、「十字架のネックレス」だからね」
「なるほど。あぁ、その犬の名前、たしかクロちゃんだ。そう呼んでる子がいた」
クロちゃんの前足が動いた時、シャノンの姿はもう消えていた。
足早に市役所を後にする吾妻は駐車場に止めた車に向かう間、友人達に絵の回収を頼んだ。バッキーがいるなら何か反応する絵を集めて欲しい事と、間違っても絵の前には立たないよう、布か何かで包んで来るように、と念を押し携帯を切る。
「さ、俺達も行こうか。よろしくねクロちゃん」
不満そうに犬はぷいと顔を背けた。
どこかなつかしい風景が季節も時間も無節操に流れ込んでくる。
芽吹いたばかりの苗が並ぶ緑一色の絨毯。教会の鐘が大きく揺れ、二人の男女が祝福されていた。黄金色に輝く小麦畑。どこかの家で本を読んでいる景色。実った果実が山積みにされてる。放牧された動物がのんびりとしている風景もあった。誰かのティータイム。雪に覆われた真っ白な畑かと思えば、沢山の楽器と数人が揃って口を開けている。大勢の人が笑い、踊り、唄っているのだろう。頬や鼻を真っ赤にした男達は浴びるように酒をのみ、女達は料理を運ぶ。沢山の人に押され、中心にやられた男女は恥ずかしそうにお互いの手を取り、くるくると踊ていた。とても、幸せそうな笑顔だ。木々や空の色で別の祭りが入り交じっているのが、なんとかわかった。
気が付くと見えているのは銀幕広場だった。瞬きしても見える物は変わらず、音が全くしない。
「随分、沢山視えた……。持ってた絵が複数だったから一遍に来たのか、それとも絵が複数になるから沢山見えたのか。どっちにせよ……どうすんだ。俺」
見慣れた銀幕広場は明かり一つない。夜でも明かりが絶えない場所がこうも真っ暗だと不気味だ。辺りを見ても自分以外の人影はなく、気味悪さを余計に増している。絵の中にはいってしまったのはわかるが、相手は顔を、特にスターの顔を欲しがっていた。襲われても撃退する力もなく、逃げ切れる自信も乏しいセバンははぁ、と深い溜息をついた。
「とりあえず、明かりになる物は……何もねぇか。魔法は苦手なんだが、仕方ない明かり一つくらい何とかなるだろ。えーと……なんだっけ。深淵を照らす……違うな」
これでもないあれでもないと、うろ覚えの呪文詠唱をぶつぶつと唱え何とか明かりになるものを出せたが、彼の手に出てきたのはよりにもよって提灯だった。それも中心を横一文字に斬られ、明かりとして使えないはずなのに光を放っているのは、周りに浮いている二つの火の玉という和風ホラーな物だ。
「ぎゃぁぁぁぁ! なんでよりによってこんなモンがでてくんだよ! 余計恐くなるじゃねぇか!」
反射的に手放した提灯は火の玉と共に地面に落ち、燃えだす。
「ちょっとまて燃えるな! 消す魔法……って今失敗したばかりで使うか! 水、水! 噴水!! …………って絵かよ! 水まで絵……!! 早いところ消さないとやばいんじゃねぇかオイ!?」
絵の中は全てが絵なら、提灯が落ちた地面もまた絵。このままでは全てが燃え尽きる。足で踏んでも埒があかないのでセバンは着ていたコートを脱ぎ、叩き消す。ばたばたと慌てあちっ、と叫び、何故か尻に火が燃え移るというハプニングもあったが、なんとか火は消えたようだ。鎮火したのを確認したセバンは肩を大きく動かし、荒い呼吸をしながら地面に座り込む。
「あ……ありえねぇ。なんでケツに火がつくんだよ……」
「おや、消えましたか。助かったような残念なような。いやはや、なんとも複雑な気分ですな」
「……消すの手伝ってもいんじゃねぇか? ここが火事になったらあんただって困るんじゃねぇの?」
僅かに顔を上げ、噴水の上に立っている男に座り込んだままセバンは声を掛ける。この場所はどうも理解できない。絵の中だから水も噴水も描かれているのはわかる。それなのに平面ではなく建物も植物も立体だ。こうして座っている地面も堅さを感じるのだから、おそらくビルや家もその強度があるのだろう。
「それは失礼。確かに火事になるのは困りますな。ですが、私は期待したのですよ。貴方が火を消せず狼狽え、怯える。自分は頑張ったのに火が消えないどんどん大きく燃える炎を見てもうお仕舞いだ! と絶望する。そうそう、先程貴方の仰ったように火事になり、誰かがお亡くなりになるのも期待しましたな。その方が、貴方の顔は素敵な表情を見せてくださるでしょう?」
一つ一つ、彼が期待した事を言う度に空からスポットライトが、その中心に顔を付けた木偶人形が噴水の周りに現れた。暗がりの中でライトが当たる三体の人形は舞台を演じるように顔の表情にぴったりの動作をかたかたとし続ける。その後、暗闇の中にも沢山の木偶人形が半円形にセバンを囲んでいた。
前髪で隠れた顔からセバンの表情は伺えなくとも、彼の立ち上がる姿やコートを羽織る動作がボルカノの言葉に不快感を示している。目の前で「お前が失敗するのを見物していた」と言われれば誰でも腹が立つだろう。もちろん、セバンが不愉快なのはそれだけではない。
「……あんた、元に戻せるんだろうな。それ」
「はてさて、どうでしょうな。種明かしはしない主義なものでして」
「できないんだろ」
ボルカノがシルクハットの鍔に手をやり顔を隠すとセバンは続けて言う。
「できねぇよな? 不自然なんだよあんたのその能力。手品師だろうが奇術師だろうが種がある。魔法じゃねぇ。こういった場所で使うなら、現象の分類……大まかな種類分けは確か6つ。あんた自信どうしてできるのかわからないで使ってるんだ。違うか?」
「やれやれ、貴方もその顔を歪めては下さいませんか。せっかくお会いできたスタァだと言うのに、残念ですな」
セバンの言葉を無視しボルカノは大袈裟に嘆く動作をするが、動作だけで顔は笑ったままなのが失態だった。セバンは自分の仮説が正しいと確信する。だが、闘う術を持たないセバンにとって状況が好転したとは言い難い。今も変わらず沢山の木偶人形はセバン周りを半円形に囲っている。
「……最近読んだ本で知ったんだが、こういう状況で使うのにもってこいのヤツがある。知ってるか? 中国って国の古い教えだ」
身体を屈め勢いよく片足を踏み切ると、その反動で真後ろに飛び退き全力で走り出した。向かってくると思ったボルカノは一瞬呆気にとられ、慌ててセバンの後を追う。
――三十六計逃げるに如かず――
セバンは只ひたすら走る! 走る!! 走る!!!
木偶人形が近づいているのが彼等の動く音でわかる。かたかたと右から、左から増えてくる音に焦りはするがボルカノに追いつかれない限り大丈夫。先程の仮説でもう一つ理解していた事の一つだ。
――あの木偶人形は手品師の傍からあまり離れられない――
前口上や大袈裟な態度から舞台でのパフォーマンスが主だったのだろう。実際、対峙していた時に木偶人形に囲ませてしまえばセバンは逃げられなかったのに、そうしなかった。つまり、できなかったのだ。
道を曲がって行き止まりだったら終わり。そうならないようひたすら真っ直ぐに走っていると、周りの景色から浮いた青い色がセバンの視界に入った。一人の女性がこちらを見て、立ち止まる。
「………………!……!!」
全力で走り続け声がでないセバンに向かって、青いつなぎ服の女性は何かを投げつける。セバンの横を通り過ぎ、背後で割れる音がすると同時に彼女が唇が動く。
「氷壁」
突如現れた氷の壁に木偶人形達が音を立ててぶつかる。後から後から追いかけてきた木偶人形は氷の向こうで団子状態に丸まっていく。ぜひゅぜひゅと必死に空気を吸い込もうとしてるセバンの隣りで青い髪の女性は氷りの向こうを見続ける。ごちゃごちゃと混ぜられた木偶人形の上に立っているボルカノを睨んでいるようだった。
氷の壁は曇り一つ無く、向こうが透けて見えるせいで薄く見える。だが、幅は横に続いていた路地裏を全て、場所によっては建物も巻き込み、高さに至っては二階建ての一軒家より倍はありそうだ。
暫くして音が止み、ボルカノも木偶人形も居なくなる頃にはセバンも呼吸を整えていた。
「あんがとな。俺はセバン。あんたも絵の中に迷い込んだのか?」
「セフィシア・リーセタル。セフィでいい……連れを捜してる。この双子を知らないか」
つなぎのポケットから取り出した小さな機械のスイッチを入れると、円形のレンズから光りが放たれ幼い双子の姿が現れる。ホログラムで映し出されている映像は双子が仲良く手をつなぎ笑顔で立っている姿だった。
「双子……ここに入る前だけど、誰かと一緒にいるのを見たぜ。ただ、ドコにいるのかはわからねぇな……他にもここに来てるヤツもいる。そいつが見つけてるかも知れないし、一緒にいたのは大人だったからヴァイオリンの音に集まるだろ。少し待ってみねぇか?」
そう言ったセバンが視線を移動させる。微かに聞こえるヴァイオリンの音を追いセフィも視線を移すと彼女の髪と同じ色、青いワンピースを来た女の子が大勢の人を引き連れて歩いてきた。
のんびりと歩き続けていたレイドはこういった場所も悪くない、と感じていた。お気に入りの公園と違い人が行き交うことのない場所だが、景色は良いし車等の騒音も無い。風が無く生きている音がしないのは少し寂しいが、昔過ごした場所と同じ静寂に近い。
「この、癪に障る気配も無かったら最高だったんだけどな」
微かに聞こえる音を頼りに人気のない場所を歩いていたレイドは、極々稀に嫌な気配を感じていた。自分と同族の気配が一つ、近づいてきてるのも。襲ってくるつもりか、と多少なりとも気にしてみるが、襲う相手が自分より強いのかどうかもわからないようなヤツはレイドの敵ではない。
レイドが歩みを止めてもその気配は近寄って来ている。放って置いても害はなさそうだがどうしたものかと考えていると、ふいにレイドの身体に二つの塊が飛びかかってきた。
反射的に振り返ったものの、感じていた気配とはかけ離れた純粋な二つの塊はレイドの腰に直撃し、レイドは地面に突っ伏した。
「こんにちはおじちゃん! セフィ知らない?」「こんにちはおじちゃん!セフィ知らない?」
「お……おじ……」
精神的ショックを受けつつ、自分の背中に座っているそっくりな二人を見上げるレイドにもう一つの影が見えた。
「あらあら二人とも。元気なのは良いけど、怪我しちゃうから後から飛びかかっちゃダメよ?」
「はーい! ごめんねおじちゃん。怪我してない?」「はーい! ごめんねおじちゃん。怪我してない?」
色々と突っ込みたい所満載のやりとりだが、あまり言われたくない言葉を何度も言われたレイドは心が怪我したと言いそうなのをぐっと堪え、小さく呟いた。
「とりあえず……避けてくれると嬉しいかな」
ズキズキと痛む腰を庇い立ち上がるレイドは背中から降りてくれた双子と車椅子の女性を改めて見る。連れ合いかと思ったが、双子が探している人を女性は知らない風な会話が続く。迷子になって出会った三人なのだろうか、と三人のやりとりを見ていると、近くまで接近していた気配が遠退いて行った。
――どうやら狙いは俺じゃなくこの3人らしい――
狙いやすい標的ではあるだろうが、女子供を、というのは気に入らない。双子がレイドの傍に来たから諦めたのであれば、離れたらまた狙うだろうか。ならば、やることは一つ。
「俺も迷ってるんだが良かったら一緒に行くか?」
「まぁ、助かります。一人でも多い方が安心できますから。ねー。」
女性が笑顔で双子にそう言うと、一緒に行くー!とはしゃぎ、歩き出す。その後を女性が続いて行くので、レイドは女性の隣りを歩く。何があっても護れる場所がその位置だったからだ。3人の安全も、レイドの腰も。
双子は色んな物に興味を引かれ右に左にと蛇行する。後を歩いているレイド達は双子に合わせゆっくりと、たまに立ち止まりながらお互いの身に起こったことを話し合う事になった。レイドは公園に行こうとしたらここに来てしまったのでこれといって情報はなかったが。
「そういえば、今日はあの大きなワンちゃん連れてないんですね」
ふいにヴェルガンダの事を言われレイドが戸惑いがちにあぁ、と答えた。楽しそうに笑う声が聞こえるが、二人とも前を歩いている双子から目を離さない。
「たまに公園にいるの見かけてるんですよ。違うワンちゃん連れてるときもありましたけど、今日は一緒じゃないんですか?」
「ここに来る前は一緒だったんだがな。今は絵を集めるのに吾妻って人と一緒にいるみたいだ」
「まぁ、私の知ってる吾妻さんかしら。こんな風に共通の知り合いが間にいるなんて嬉しくなっちゃいますね。最近お知り合いになれる人が多くて楽しいんです」
にこにこと笑いながら斉藤はゆっくりと話しを続ける。公園でレイドを見かけた時の事や、犬を飼っている知り合いが居ること。犬が沢山集まるドックランという場所や、すっかり犬にされてしまったヴェルガンダは大型犬と小型犬で二匹いると思われており、見合いをさせたいと言う話しがある事。「奥様方の情報網」と呼ばれるものにレイドは驚くより軽く恐怖を感じながら、ヴェルガンダに聞いてみる、としか答えられなかった。
困ったり笑ったりしながらものんびり歩いていると、少し遠くで双子がどっちに行くのー?と道を指して聞いてきた。レイドがどっちでもいいぞ、と答えると、双子は真っ直ぐに続いている道と横道を交互に見ながら、じゃぁこっち!と元気良く指を差しながら言い、真っ直ぐに歩いていく。
通りかかった横道を覗いてみると、向こう側の大通りに沢山の人影が見えた。その人影を見た後、斉藤は静かに「ボルカノ」という男について話しだす。手品師であり、外見もそのまま、シルクハットとマントにヒゲ。見間違うことは少ないだろう。こうして迷った人の顔を取っている、と本人が言ったらしい。
斉藤は話しながらも微笑んでいるが、楽しい話しをしていた時よりは陰っている。笑顔とは対極の表情を求める男を想像し、レイドは改めて周りの景色を見る。
「怖がってる顔……なぁ。そんなもの欲しがってるヤツの世界とは思えないけどな、ここ」
「え? ここって手品師さんの世界なんですか?」
「ん? 違うのか?」
お互いに不思議そうな声を出した後、それならもっと恐い場所にしません?と斉藤が聞くとレイドは
「顔を奪ってるんだから、自分の有利な場所を使うだろ?」
と言う。なるほど、と納得した斉藤は微笑みながら
「てっきり、手品師さんも迷子だと思ってました」
と言う。斉藤の一言に今度はレイドが考え込み、少し低めの声で聞き返す。
「どうして、そう思ったんだ?」
「え? ん〜。そうですねぇ。やっぱり、怖がってる顔を取るなら恐い場所にしますよね? お化け屋敷とか、真っ暗な場所とか。」
レイドは頷き、続きを促す。
「だけど、そうなってないんじゃなくて、そうできないんじゃないかなって。後、手品師さんも最初はここで迷子になって、恐かった。だからここなら丁度良いと思ったとか、でしょうかね? 何となくですけど、こんな説明でわかります?」
斉藤が困ったように笑うと、レイドは充分だと笑い返す。
レイドは最初から「奪う者」の立場で考えた。平穏な場所と見せかけての罠か、余程腕に自信があるのだと思っていた。だが斉藤は「奪われる者」の立場から考えついた答えだ。斉藤の考えを聞き、そういえばと思い出して納得できる所も多い。
ここが手品師ボルカノの世界ならもっと身の毛が弥立つ場所にし、迷い込んだ人の所にさっさと来て奪っている筈だ。それをしないのではなくできない、と彼女は言う。そうなると、自然と他のことも見えてくる。
銀幕市に溶け込むように置かれたそっくりの絵は長い間住んでいる住人達の方が見つけやすく、置かれていたのが公園や住宅街の道端な事から、ファンやエキストラの方が迷い込む確率が高い。つまり最初からファンやエキストラに、闘う術を持たない一般人に狙いを定め、自分に有利な場所を用意できないからここを使っている、という事になる。罠に掛かる獲物は自分より弱いか、同等の力の者。
――だとしたら、やり口が姑息な小悪党じゃねぇか――
双子が探し人の名前を呼びながら駆けだして行った。
コンビニの駐車場に一際目立つ銀色の車が停車し、吾妻とヴェルガンダが降りてきた。込み合う時間ではないからか、店内にも片手ほどの客が立ち読みをしたり商品を選んでいるが、吾妻は店の中には入らず入り口で煙草を吸っていた。絵画を探し、銀幕市中を走り回った吾妻はやっとこのコンビニを見つけた。
コンビニなど何処にでも在るじゃないか、品揃えだってそんなに変わらないと思われるだろう。だが吾妻には無くてはならない物がある。
灰皿だ。
最近では路上に大きく駐輪禁止と一緒に煙草も禁止ですよ、とマークが張り付けられている。歩き煙草禁止区域に路上喫煙禁止区域と携帯灰皿を持っていても使えない場所が増えてきた。デパートは全館禁煙、普通の喫茶店でもNGが多く殆どの飲食店でランチタイムは禁煙が行われている。以前は色々な所に灰皿が置かれていたのに今ではガラス張りの喫煙所を設けてちょっとした見せ物だ。
「マナーが悪い人もいるのはわかるんだけどね」
やっとみつけた灰皿に煙草の灰を落としながら吾妻はぼやくと、自分の車に乗せられた大量の絵をみる。友人達からの連絡で回収した絵は大小様々。キャンバスのサイズはF、P、M、の3種類ある。FサイズのみSMと2号があるが、あとは縦の長さが共通で0号から500号まで、間の数字は飛び飛びだが全部で21種統計65種類だ。全種類が一枚ずつ有るわけでは無さそうだが既に吾妻の車には30枚以上がある。サイズも数も途中で数えるのを止めた吾妻だが見慣れたキャンバスだ。並べられた厚みで大体の数なら想像がつく。
煙草を一本吸い終わった吾妻はまず対策課に連絡を入れ、駐車場を少し開放して欲しいと頼み込んだ。絵の大きさが予想以上に大きい事と、出口になるなら広い方が安心だろう。一応、救急車を呼んでおきたいとも進言した。
対策課との話し合いが終わりもう一本煙草に火をつけると、今度は友人から電話が掛かってきた。煙草を吸いながら談笑しつつ絵の回収を確認しあうと、向こうにもそれなりの数があるようだった。バッキーの反応があった物だけ見つけたから届けると言ってくれたので、吾妻はまっすぐ対策課に迎える。
携帯をポケットに仕舞い、吾妻は三本目の煙草に火をつける。対策課で聞いた話よりも絵の数が増えている気がするのは更に分けられたのか、最初から足りなかったのか。どちらにせよ数に変動があるのなら、繋ぎ合わせた完成図も聞いていたのもとは違う絵になる。
ふぅ、と細長い白煙を吐き出すと灰皿に火を押しつけて消す。吾妻が車に向かうと風上でのんびりと寝そべっていたヴェルガンダがのしのしと近寄って来た。
「ごめんね、煙草の匂い嫌だったよね。あ、何かおやつ食べる? 絵の回収たくさん手伝ってくれたから、お腹すいてない?」
絵の回収にヴェルガンダは大いに貢献し、それによって時間も大幅に短縮できた。吾妻が車を止め降りる必要はないと言うように、ヴェルガンダは吾妻のバッキー、ラダを頭に乗せて開けられた窓からするりと降りる。ラダの反応があれば絵を銜えて戻り、なければまた器用に窓から入り車のなかに戻る。車を殆ど止めることもなく路地裏の細いところもお任せ、という絵の回収に大活躍だったヴェルガンダに気を利かせたのだ。最近のコンビニでは愛犬愛猫用のおやつが勢揃いしているので犬に聞いてみるが、ヴェルガンダは首を横に振った。
「遠慮しなくていいよ? あ、レイドさんが気になるのかな? じゃぁ全部終わったらにしようか」
微笑みながらそう言った吾妻が車に乗り込むと、ヴェルガンダも窓から入る。カチッとシートベルトを付けた音とエンジン音が響き車が動き出す。何枚もの絵画を助手席にまで溢れさせた車の中、ヴェルガンダは座席の足下に陣取り運転する吾妻を見る。
ヴェルガンダは別に食事をしなくとも平気だ。それなのにわざわざおやつ等と気を使う吾妻をどこか、自分を枕代わりにする主人の相棒に似ていると思う。外見もなにもかも違うのだが柔らかい物腰や雰囲気がそう思わせるのだろうか。
「狭くてごめんね。少し飛ばすからもうちょっと我慢してねクロちゃん」
この呼び方のせいかもしれない。
車を対策課に走らせると数台のバイクが大きくクラクションを鳴らして通り過ぎる。苦笑する吾妻は少し遠慮がちにだが、返事をするようにクラクションを鳴らしかえすと、バイクが何台も、その姿が見えなくなっても聞こえる騒音を残して走り去っていく。
相変わらず改造してるんだな、と呟く吾妻が市役所の駐車場にはいると、植村が走り寄ってきた。場所を確保してる間に彼等が絵を届けてくれたらしい。吾妻に場所を教える植村はちょっと変わった友人達が大勢市役所に集まった事で少し困っていたようだったが、吾妻は微笑みこう伝える。
「彼等も、銀幕市民だからね」
外見が少々奇抜だったり物言いが強すぎたりする友人達だが、お陰で絵は早く集まった。後は俺が扉をつくればいい。
駐車場に止まった車から降りる吾妻を、色鮮やかに装われた大小さまざまなキャンバスが出迎えた。
静かな場所だ。だからこそ異様な気配が感じやすい。
シャノンは辺りを見渡しやすい高層マンションの屋上に立っていた。高さもそれなりにあるらしく建物を飛び回っても空にぶつかることは無い。はっきりと聞こえるヴァイオリンの音色に微笑みを浮かべ、シャノンは線引きされたように明暗がくっきりと分かれている銀幕市に目を落とす。
絵の中に入ってから数人の迷子に会っている。顔のない人はヴァイオリンの調べに誘われるようにのろのろと歩いていたのでそのままにしたが、顔の取られてない人は青ざめた顔で身体を小さく丸め、建物や物陰に隠れていた。優しく声を掛け、音のする方向に行くように伝えたり列の傍まで送ったりしていて時間が取られたが、その間も手品師ボルカノに出会うことは無かった。
今も一つ、違和感を感じてその場所を探している所だったシャノンは、道路を走り続ける人影を見つけて屋上を蹴る。屋上から屋上へ、電柱の上や瓦屋根を足場にして飛ぶように移動し、人影の眼前に音もなく降り立ちその進路を塞ぐ。行く手を塞がれた人影は靴音を鳴らして蹈鞴を踏む。転びそうになりながらも、踵を返して逃げだそうとする人の左手をシャノンが掴むと、確かにあった筈の黒い痣のような物が目的の気配と共にすぅっと消えてしまい、シャノンが小さく溜息をつく。
揃いの生地でつくられたベストにジャケット、膝丈のタイトスカートとヒールの高くない黒のパンプスに真っ白なシャツ。どこにでもいるOL風の女性は言葉にならない声を漏らし、しっかりと捕まれた手を震えさせ竦み上がっていた。
「……驚かせてすまなかったな。貴様も迷い込んだのだろう? この先に出口に向かう人達が列を作っているからそこに行くと良い。心細いのなら近くまで送るが?」
シャノンの言葉一つ一つにおどおどとしていた女性は、送るという最後の一言で大きく体を跳ね上がらせる。歯の根が合わないのか、支えながら断りを入れると駆け足で行ってしまった。走り去る女性の背を見送りながら、シャノンはもう一度小さく息を吐いた。
これで三人目。シャノンが感じた異様な気配はどれも手品師ボルカノではなく、今のように迷い込んだ一般人からだった。揃いも揃ってシャノンが捕まえるとその気配が消えてしまい当の本人はどうして捕まったのかわからない風でもある。今の女性が最後の違和感だったのか気になる気配は無くなったが収穫はあった。
一つは左手の甲にあった丸く黒い痣。もう一つは、違和感や気配が手品師ボルカノの物ではないという事。
「……まぁ、無関係だったようだし、これ以上気にしてもどうしようもないか。今は……ん?」
眺めていた道路の先には空を突き刺すかのような巨大な氷が出現している。あまりの大きさに苦笑するシャノンだったが、その顔はどこか安堵している。
「さて、もう少し調べてから合流するか」
空高くそびえ立つ氷に背を向け、シャノンは飛び去った。
道が変わると空の色が変わる。見慣れた道は見たことのない顔を、初めて通る場所もきっと自分が通るときでは見られない顔なのだろう。
夜明けの空は霞んだ水色に白い星がひとつ輝いている。通りを抜ければ今にも雨が降り出しそうな濃い灰色の雲が空一面を覆い、一本道を通り過ぎると夕焼けの空が雲を赤からオレンジ色に染めていた。
どこまでいけば出口なのか、それとも出口などないのか。壁や道路に付けられた矢印に導かれるまま、サキは顔のない人が増える度不安になる心を奮い立たせ、絶対に諦めるものかとヴァイオリンを奏で歩き続ける。
しっかりとした足取りだが、後ろに続く人達の歩みは遅くサキも一歩一歩を確かめるように歩いている。サキが思っていた以上に人が集まり、顔のない人に混ざって普通の人もちらほらと見えだしたが、誰もサキに声をかける所か近くに寄ってもこない。彼等もサキと同じように迷子になったのだろうが、顔のない人もそんな人達を引き連れて歩いているサキも恐ろしいのだろう。それでも、誰もいないよりはマシ。そう言いたそうな距離とサキを伺う様子に少し不安になっていたところ、一組の男女がサキに歩み寄ってきた。
「あぁ、音に惹かれて人が集まってるからそのまま弾き続けてろ。出口を探してるんだろ?」
ぼさぼさ頭の青年にそう聞かれ、演奏を続けたままのサキは小さく頷く。青年の隣りにいた女性が掌に持っていた小さな機械をサキの前に突き出すと、機械の上に小さな子供の姿が浮かび上がった。
「この二人、見なかったか」
サキは差し出された機械の上で動き回る子供の姿を見るが、見覚えがないので今度は楽器ごと首を横に振る。女性は小さくそうか、と呟くと機械をポケットにしまい込む。人が集まる事を考慮して歩きながら話を続ける青年はセバンと名乗り、一緒にいた女性もセフィと名前を教えてくれた。
「サキ、です」
演奏を続けながら歩きさらに会話をしようと試みたサキだが、たどたどしく自分の名前を伝えるのが精一杯だ。
「無理して話そうとしなくていいぜ。こっちから聞きたい事を聞くから今みたいに頷くか、首を振ってくれ」
サキが頷くとセバンも頷く。何から聞き出せば効率がよいのか、YESとNOで答えられるのかを考えている間も、三人は少しずつ歩いている。セフィは時折後に続く人達を振り返ったり辺りを見渡したりするだけで、何も言うことが無かった。
「うん、じゃぁまずこの印、これに沿ってに歩いてきたのか?」
セバンが壁に落書きされた矢印を指差すとサキは頷く。セバンは質問を続け、ここが絵の中だと知っているか、出口を知っているか、自分たち以外で誰かに会ったかと聞いてきた。絵の中かもしれないと想像はしていたが、本当にそうなのかを知らなかったサキは、全ての質問に首を横に振る。
セバンの質問が終わる頃、三人は少し奥まった行き止まりにたどり着いた。一つの建物がそこに建っているのだが、屋根や壁の一部等が部分的に欠けている。矢印はこの建物を示しており、中途半端に存在する建物を見上げていると無かったはずの屋根が少し伸びた。
「出口がつくられている途中、ってとこか」
セバンがそう呟く。建物の前は駐車場を兼ねているのか、広場のようで、半分ほど存在する建物は教会らしい。高い屋根のてっぺんに見える十字架を確認していると、一つの影が長いコートの裾をはためかせ、音もなく降り立った。
「よう、無事だったようだなセバン。サキとセフィも一緒か。ここが出口でよさそうか?」
「お、脅かすなシャノン。ボルカノかと思ったじゃねぇか」
「俺と間違えるとは、ボルカノはさぞいい男なんだろうな?」
そこら辺の男が言うと嫌味か皮肉か、自分を鏡で見たことありますか?と聞きたくなるような台詞でも、シャノンが言うと何も言えなくなる。シャノンも本気で言い、それを言っても許される容姿の持ち主だからこそ許される事なのだろうが。
冗談のような会話を気にすることもなく、セフィはシャノンに近寄り小さな機械を見せて双子を見なかったかと確認する。
「ん? 向こうから走ってくる子供は違うか?」
機械の上に現れた子供を見たシャノンが視線を移す。セフィが振り返ると二人の子供がセフィの名を呼びながら走って来ており、その後にはシャノンとセバンが探していた二人も続いていた。
探していた人達と無事出会えたセフィ達を、サキは演奏を続けながら見守る。
あまり喋らず、殆ど無表情だったセフィも双子と無事会えた時は少しだけ安心したような顔になった。セバンは後から続いてきた二人とは初対面なのか、始めましてと挨拶をし、二人と顔見知りなシャノンは簡単に挨拶をすませ、サキに二人を紹介してくれた。
「サキちゃん、だな。その音のお陰で助かった。ありがとな」
「本当に、ありがとうございます。ずっと弾いてて疲れてません? 」
最初は自分が落ち着くために弾きだしたヴァイオリン。その音が、自分の音色が人を助けたのかと思うと嬉しいが、改めてありがとうと言われるのはくすぐったい気分だ。
会話ができる人、見知った人、不安に怯えるか顔そのものが無い人達を見続けたサキに笑顔を向けてくれた人。ここに迷い込んで不安だったサキの心を少しずつ救ってくれた人達は、今も外に出る為の話し合いをしている。闘いは慣れている人に従う方が良い。信頼できる人達だからこそ、尚更。
――今度は私の番。演奏は人の心が安らぐように奏でるものだもの――
サキが行進曲から流れるように夜想曲へと曲を変えていくと、柔らかい音色はそこにいる人達の心に安らぎを与え、その場の雰囲気を和ませる。曲に誘われ、もう少しで帰れるよと伝えるように中途半端だった建物が教会の姿をはっきりさせてくると、声が聞こえだした。
「その声、吾妻か?」
『シャノンさん? 扉はできたはずなんだけど……鍵は見えてるのかな? 扉の脇に在ると思うんだけど、どう?』
幅広い階段に続く大きな扉は所々傷つき年代を感じさせ、それを長年支え続けてきた石壁には大量の蔦が葉を茂らせ絡まっていた。両脇を見渡したシャノンの目が止まった場所をセバンが蔦や葉を両手で掻き分け、手探りで壁を触っていくと一部分だけつるつるとしている場所がある。その場所を隠すように絡まる蔦を乱暴に引きちぎると、透明なガラスに覆われた歯車が4つ見え、大きなダイアル式の錠といった感じだ。鍵をあける前にまず透明なガラスを避けなくてはならないが、よく見るとこれにも仕掛けがあるようだ。何か手順通りに外さないと何があるか、わからない。
「げ、めんどくせぇ」
「あったぞ。そっちはあとどれくらいで終わりそうだ?」
『そうだな……20分もかからないと思うよ』
「わかった。こっちに客が来たんでな。任せたぞ」
扉の向こうの吾妻と錠前に向き合ってるセバンにそう伝えると、シャノンは振り返る。レイドとセフィも同じように立っており、その先にはスポットライトのような明かりに照らされてシルクハットをちょいと持ち上げる手品師が立っていた。
「心安らかになる音色と祝福された建物の前で多くのスタァが協力し、助かりそうだというところに登場する……。これこそ帰れないという思考を与えるに相応しい演出だと思いませぬかな」
大袈裟に身振り手振りをし、帰れないという部分をわざわざ強調して言うボルカノの動きに合わせ、次々と出てくる木偶人形はくずおれる。かたかたと音を鳴らし一体、また一体と地面に突っ伏していくのを眺め、レイドは溜息混じりに問いかけた。
「そんな顔ばっか集めてどうしようってんだ」
手品師はこれから手品をしますよ、と告げるように真っ白い手袋をはめた掌を広げて見せ、両手を祈るように合わせると一輪の花を出して見せた。
「皆様もご存じでしょう「穴」が起こしたあの忌まわしい事件と、その時に起きた不快極まり無い出来事。あの違和感を感じたとき、この銀幕市に存在する人は例外なく戸惑い、何がおこるのかと見えない物を怖れた。私もまた言いようのない不安を抱えましたとも。ですが、私の顔は笑顔のままでした」
話しながら両手で弄んでいた花を顔の前に持っていき、手品師は普通に握りつぶした。握った手の指を一つずつ、ゆっくりと開いていくとかさかさに乾燥していたように花弁は細切れになって散っていく。
「これがどうにも気分が悪いもので……そう、私達スタァの「設定」というものに縛り付けられているのかと思いましてな。それからというもの、それまで気にしてなかった物事が次々と腹立たしくなったのですよ。あぁ、失礼。どうして顔を集めるのか、でしたな。私はこのような顔になりたい。ですが私はなり方を知らない。だから、顔を頂いております。何事も、学ばねば身に付きませんからな」
「随分と勤勉なことだ。どうせなら写真とかで満足して欲しいもんだぜ」
錠前をかちかちと鳴らし、背を向けたまま言うセバンに手品師はお褒めに預かり光栄、とお辞儀をする。ですが、と手品師はそのままの姿勢で言葉を漏らす。
「ここにいらっしゃる皆様は私の望む顔にはなってくださらないようですな」
不満そうな声で姿勢を正しながら言うボルカノの顔はシルクハットの鍔で見えないが、口元は白い歯を見せている。レイドが完全に呆れた顔をしているせいか、シャノンは苦笑している。セフィは元々表情がそう変わる人ではないので今も無表情のままだ。演奏を続けるサキは視線を向け、微笑んでいる斉藤の傍にいる双子もきゃっきゃと手品を喜んでいた。背を向けているセバンも彼の望む顔ではないとわかっているのだろう。
誰一人として彼の望む顔ではない。後の方で隠れている人ですらまだ絶望していない。
「……さて、どのような終わり方になるのか私にも見当がつきませぬが……遊戯を続けましょうぞ、スタァの皆様!!」
オーバーな演技をする手品師の動きに合わせ、地面に突っ伏していた木偶人形達が全て突っ込んできた。シャノンとレイドは駆けだし、セフィはポケットから取り出した瓶を放り投げた。
「薄氷壁」
セフィの言葉は瓶が地面に落ちるのと同時。今もサキの音色に誘われて歩いてくる人達を護るために、ボルカノがいる場所と遮断するように氷壁は高々とそびえ立つ。薄氷とは言っているが、それなりの厚さがある氷の壁を横目で見たボルカノがシルクハットの鍔を指で爪弾く。
「やっぱり、少し短かったか」
「何、これで入り口に近づけなければ良いんだ。やりやすくなった事に変わりはない。」
長々と手品師がする話しを聞いていたシャノン達だが、逆に彼等の想像が正しかった事を手品師は証明していた。その為、彼等の行動には無駄がない。氷の厚さを薄くし入り口まで壁をつくりたかったセフィだが、手持ちの薬が少なかった為難しいとは言っていた。だが、セバンが言うには手品師は自分を中心に数十メートルの範囲しか木偶人形を動かせないと言い、それにはセフィも同意している。実際、二人が対峙したときの手品師は木偶人形だけを先に進めセバンを捕まえなかったし、氷の壁も飛び越えてこなかった。そして、彼自身が「設定」に囚われているとも言った。
手品師ボルカノの行動範囲は、彼が立っていた舞台の大きさまでだ。
舞台の広さ以上に木偶人形を動かすことも、それ以上の高さの場所も移動できないと結論付け、セフィの氷壁で集まってくる人を護る。護るべき場所を入り口一カ所にすれば動きやすいのは当たり前だ。
後は三人で木偶人形を壊さないよう押し戻せばいい。武器を持っているわけでもなく、魔法の類を使うわけでもないただの木偶人形が三人の敵になるわけがない。動く粗大ゴミのような物だが、レイドは少々困惑気味だ。木偶人形の腕を掴んだ力が強すぎたのか、うっかり引き抜いてしまいしばし固まり、もげた腕をそっと返す。音を鳴らして木偶人形の腕が元通りくっついたのを見てほっとした溜息を漏らす。
「壊して良いなら楽なんだがな……」
「文句ならあの三流に言ったらどうだ?」
「おまえのやり方面白いな」
「これか? 合気道という相手の力を押し戻すやり方だからな。壊すことはないだろうよ」
腕を突き出して突進してくる木偶人形をシャノンは踊るように地面に転がし続け、小さな山が幾つかできあがっていた。レイドはといえば手加減をするのが難しく、できるだけさわらないように避けている。セフィも自分に向かってくる木偶人形を避け、たまに足払いで転ばせながら入り口から離れていく。
ガンバレーと声援を送っていた双子が顔を見合わせ、首を傾げる。難しい言葉をぶつぶつと呟くセバンを見て忙しそうだと思ったのか、斉藤を挟むように並び不思議そうな声をかけた。
「ねぇおばちゃん。これゲームなんだよね?」「ねぇおばちゃん。これゲームなんだよね?」
「そうですよ〜。どうしたの?」
「ルールは?」「ルールは?」
聞かれた斉藤はきょとんとした顔になり、双子の質問が耳に入ったセバンの手も止まった。子供だからこそゲームのルールはどうなってるのかが気になって聞いたのだろうが、双子が言うようにボルカノは遊戯のルールも説明していない。それどころか、鍵のヒントを与えたにも関わらずこうして仕掛けを付けている。
もし、遊戯とは名ばかりでルールすら存在しないなら、セバンが感じた不自然な能力についての説明が正しかった事になる。
「……あ」
気が付けば錠前を隠していたガラスは取れ、セバンの手の中にあった。
「そういえばどんなルールなんでしょうね? おばちゃんもわからないけど、ん〜? あの手品師さんが「負けた」って思ってくれたら、でしょうか?」
絶望を与えるどころか相手にもなっていない現状にボルカノは焦りだしていた。そこに追い打ちをかけるように聞こえてきた「負け」という言葉を掻き消したかったのか、それまで立っていただけの彼がマントを翻した。
僅かな光できらきらしていた氷壁とは別の輝きがセバン達の頭上に現れ、落ちていく。何枚もの金貨が空から落ちてくる途中に小さなナイフへと変わるが、それがセバン達に当たることは無い。金属のぶつかりあう音が鳴り、背中から抜いた剣を手に持ったレイドが降り立つ。これといった動きを見せていなかった手品師が急に動けば何か起こりますよと伝えているようなものだが、彼は自分の行動に絶対の自信を持っていたらしく、シルクハットの鍔を持つ手を忙しなく動かしている。
「そいつ、やっぱり元に戻せないぜ」
殆どが金貨の状態でレイドの剣に薙払われ金属音を響かせ落ちる中、セバンが錠前を動かしながら吐き捨てるとボルカノの手が止まる。シルクハットの鍔をへこませる程力強く掴む手は動揺か、屈辱からかわからないが震えている。
「図星だな。まだ出口はできないのか!?」
「開いたぞ!」
ガコン、と錠前から大きな音がすると突きだしていた部分が壁の中に引っ込む。ゴトンゴトンと大きな歯車が廻る音と共に教会の扉が開いていく。薄暗かった場所に外の光と風が入り込んでくると、サキは夜想曲から行進曲に音色を変えていく。崩れた石壁から零れ落ちる砂利の影すらありがたいものに見える中、扉が全て開くと吾妻がヴェルガンダを連れて中に入ってくる。その後には本当の銀幕市が見えていた。
「お待たせ、もう大丈夫だよ。ゆっくり、落ち着いてこちらから出てね」
顔が取られてない人は急ぎ足で、顔が取られてしまった人達もサキのヴァイオリンに導かれるように外に出ていくが、顔は元に戻らなかった。
――時間の無駄か――
出口ができあがり人質は脱出、数が多いだけの木偶人形もボルカノお得意の手品も大したことはなく、大仰な前口上を言う手品師がどんな事をするのかと少し興味を持っていただけに、今のセフィは落胆していた。戦法も何もない。木偶人形は数と勢いに任せただ突っ込んでくるだけになってきた。自棄になって手当たり次第ぶつけ始めるのも時間の問題だろう。
セフィは扉から出ていく人を見渡すと、特に急いだ様子もなく双子の傍まで歩きだす。
「帰るよ」
双子は揃って手を挙げ、はーいと返事をすると幅の広い階段を両足でぴょんぴょん跳び上がる。扉の前でセフィを待ち「ばいばーいまたねー」と皆に手を振ると駆け足で外に出ていった。双子の後を追うセフィが外に出ようとすると、吾妻はセフィが手に持っていた紙袋を指差し声を掛けてきた。
「それ、なんですか?」
「おやつ」
「成る程……ありがとう。気を付けて帰ってね」
双子に呼ばれ、セフィは一足先に脱出した。
サキの音色に誘われ扉を潜る顔のない人達は、外で待機する人達に手を取られ出ていく。確実に減っていく人に焦りを隠せないボルカノは、なんとか出口を塞ぐか逃げ出すかしたいようだが、シャノンとレイドに拒まれて身動き一つ出来ないでいる。脱出したセフィの変わりに吾妻が参戦しているので劣勢のまま、もう一度奇襲をかけたくとも狙いやすい斉藤の傍ではヴェルガンダが睨みを効かせている。
扉の向こうでは友人や親族だろうか、無事で良かったと再会を喜ぶ声が聞こえてくるが、顔が戻ったという声は聞こえない。まだ手品師が負けを認めていないのだろう。鍵を外し、やることの無くなったセバンが斉藤の傍に座ると、
「どうあったら負け、と思ってくれるんでしょうかねぇ」
と、同じ事を考えていたらしい斉藤が話しかけてきた。そうだな、と応えるセバンはぼさぼさの頭を手で掻き、疑問を声にだしてみた。
「ん〜〜……要はあいつが顔を欲しがってるのは、その表情をしたいからだろ? ならその顔をさせる……手品師とってに大事な腕を切り落とされる、とかじゃね?」
「まぁ、痛そうですねぇ」
「ぜんっぜん痛そうじゃないぞその言い方」
「そうですか? でもそんな事になったら痛いですよ? 身体も心も」
「心? あぁ、手品師としてもう手品ができなくなるから、か?」
内容は物騒だが二人とも他愛もない会話をするようにのんびりしている。すっかり見学者になっているセバンにレイドがそれやってみろよ、と声をかけてきた。
「セバン! おまえも魔法使えるんだろう!? ちょっとは何かしろよ!」
「俺に魔法を使わせると大変な事になるぜ?」
と、口元に不敵な笑みを浮かべて言うだけだった。
「なんだ? ボルカノが消し炭になるとかか?」
木偶人形をあしらいながら余裕で会話に混ざってくるシャノンの問いかけにセバンは一言
「あんたらの尻に火がつく」
何とも言えない間が空き、それぞれが想像したのか吾妻が笑いだす。
「それは、やめてほしいね。大体人も逃げられたようだし、もう充分かな? サキ」
「はい、宗様。マリオネットとは少し違いますが同じ人形ですもの、問題ありませんわ」
吾妻に名前を呼ばれたサキは行進曲から変奏曲へと調べを変えていく。
誰もがその旋律を、その名前を知っているだろうバレエ組曲の三つ目、ト短調8分の3拍子。本来なら何種類もの楽器で演奏される曲をサキはヴァイオリンのみで奏でるが物足りなさを感じさせない。
木偶人形は動きをぴたりと止め、ボルカノが逃げると思いつくより早くシャノンがその身体を押さえつけていた。両腕を後で固め、顔を地面すれすれで止められたボルカノはその一連の出来事が余りに早すぎて理解できなかった。目の前にコンクリートがあり、誰かの靴がある。顔を上げたボルカノに見えたのは、外から入った光を反射し輝く剣を振り上げたレイドの姿だった。
「両腕、切り落とすんだったな?」
逆光の中、レイドの口端がにやりと動く。
「や やめろ!!」
一閃、振り下ろされた刃先がコンクリートに刺さるが、ボルカノの前髪がはらりと落ちる。ボルカノの身体には傷一つついていない。ただ、刃にボルカノの顔が映っていただけだ。
「できるじゃねぇか。そんな顔」
彼の顔は、求めていた表情に、恐怖と絶望に満ちた顔になっていた。ボルカノが小さく、掠れた笑い声を落とすと扉の向こうから喜びの声が聞こえ、サキはその手を止めた。ヴァイオリンの音がそよ風に消えていくと、がらがらと音を立てて木偶人形が崩れ落ちる。
遊戯は、主催者の負け
手品師が負けを認めたのか、それとも表情を手に入れて満足したのか。木偶人形に張り付いていた顔は消えていた。今も聞こえる歓声は顔が無事戻った人達の声なのだろう。
趣味の悪い一方的な遊戯は終了した。
セバンが過去視で見た事を伝えると、吾妻がなるほど、と呟いた。彼は最初、あの手品師が絵を描いた本人かと想定していたが、本人を見て違うと直感で感じたらしい。
「絵は、その人の人生も想いも「見せて」くれるんだ。絵の中に入るのに必要だった「鍵」も全て、絵師が題材にした故郷と一生を添い遂げた女性との思い出の品ばかり。そんな絵を描く人とは、ちょっと思えなかったんだよね。あの人」
サキはリボン。おそらく女性がいつも付けていたのだろう。レイドの花は飾っていたものか花嫁のブーケかはわからない。セフィと双子のおやつはティータイムでセバンの本は画家の資料か何かだろう。シャノンの十字架のペンダントは教会。
それぞれ何かを持っているか、斉藤のように天候に左右されて絵の中に迷い込んだ。その人達も無事救出され、今は駐車場に集まった数台の救急車で簡単な検査と病院への搬送がされている。
繋げられた絵は大きく、彼等が通ってきた教会そのものが存在しているようだ。絵の中と違うのは、陽の光に照らされた教会とその周りに飛ぶ白い鳥、開け放たれた扉の傍に手を取り合う新郎新婦の姿があった。助けられた人達はその二人を祝福している式の参列者のようだ。
「さて、もう対策課に任せてよさそうだ。悪いが俺は先に失礼する。仕事もあるだろうが、愛する息子も待っているんだ」
シャノンがそう言うと、レイドは急に慌て顔を真っ青にして今何時だ!?と叫ぶ。辺りを見渡し時計を探しているレイドに吾妻が腕時計を見せると、レイドはその腕を押さえて見入った。
「や、やばい! 確か夕方から買い物行くから家にいろって!!! 悪い! 俺も帰る! またな!!」
シャノンの横を通り過ぎるレイドが何かを叫びながらばたばたと走っていくのを苦笑しながら見送っていると、セバンもじゃぁ俺もこれで、と後を追うように歩き出した。
「セバンも帰るのか。きみも仕事かな? それとも約束?」
「…押しつけられてる仕事と別に約束してないがなんとなく集まってるってのは、どっちになるんだ?」
「それは、とても頼りにされてるって事と、仲の良い友達がいるってことだね」
「そうか? まぁいいや。……また、な」
少し戸惑いがちにそう言うセバンも見送り、吾妻は改めてできあがった絵を眩しそうに見る。サキを振り返ると自然と頬が緩みお互いに微笑みあう。吾妻はサキをBARに送り届けた。
セフィシアは双子と共に帰宅している。世話になっている双子の安全が第一だったのだ。もし、双子に何かあったのなら、フィルムにしてでも双子を護ろうとしただろうが、その心配もなかった。
煙草を銜え、火をつける。煙を肺いっぱいに吸い込み、ふー、と細い白煙を吹き出す。
あの様子なら自分が居なくとも問題無いだろうし、何よりあまり人と関わりたくない。だが、どこかで気にしている自分もいる。何が気になるのか、どうしたかったのか、少し考え、止めた。
「どうでもいい、か」
白煙が天井で広がっていた。
全速力で帰ったレイドだったが家には誰もいなかった。間に合ったのか、とほっとした彼は畳に座り込むと、写真立てが目に入る。いつもは気にしない、相棒達が笑顔で映る写真を見て顔がほころぶ。
笑顔に囲まれることが、当たり前になると良い。
玄関から帰宅の声が響いた。
シャノンは帰宅するとおかえりなさいと出迎えた子を抱きしめる。彼もまた、無償に愛する人の笑顔が見たくなったのだ。手品師が求めたような顔にはさせないよう、愛情を惜しむことなく言葉と態度で示す。
電話には入っていた仕事は翌日に回すことにした。
古書店に寄り店番を任されたセバンは一人、何もせず椅子に座っている。別に約束をしているわけではないから来るとは限らないのに、本も読まずに入り口の扉をぼうっと見つめる。今日はあの二人に会っておきたい。
扉の開く音と聞き慣れた声は、彼の願いが叶った事を教えていた
吾妻は部屋に戻ると車の鍵を定位置に置き椅子に腰掛る。置いてある煙草を一本、火をつけた。
「……あの絵、どうなるのかな」
誰にいうでもなく、そう呟く。
絵を描く事もそういった仕事をしたいとも思っている吾妻にとって、絵が処分されるのはとても心が痛む。あの絵に害は無い筈だ。迷い込んでも出て来られる、遊園地にある迷路と同じような物だ。天候に左右される絵は出し入れし、「鍵」となる物を持っていなければと考えるが、それも吾妻が絵を大事にしているからに過ぎない。
利用、いや悪用されてしまった絵はやはり処分されるのだろうか。
「処分されてしまうのと、誰にも見られない絵は、どちらが良いのだろうね」
彼の吐息に紫煙が揺れた。
最後の客がBARを後にした頃、日付はとうに変わりサキは一日中ヴァイオリンを弾いていた事に気が付いた。たとえ事件に巻き込まれてもその日の仕事はあり、沢山のリクエストにも応えた彼女だが疲れは感じていなかった。大事な人達の役に立てた事や自分の演奏を気に入り笑ってくれた人達。BARで弾くのとはまた違う喜びに彼女は幸せを感じ、サキはヴァイオリンに弓を置く。閉店したBARに彼女の演奏が流れ、従業員達も笑顔を見せた。サキがとても良い笑顔で弾いていたから。
――今度、別の場所で弾いてみようか――
間奏曲
その名の通り間に演奏される経過的な楽曲は、次の幕間への前奏曲とも新しい幕が開かれるのか。続くのは事件か遊戯か。何かの始まりに続くのか、それとも終わりか……
音だけが踊っていた
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クリエイターコメント | こんにちは、桐原です。
お届けが大変遅くなり、本当に申し訳有りませんでした。
すでに「穴」への探索隊が出発しておりますが、このノベルは「対策会議」が行われていたあたりと思って執筆させていただきました。
お読み下さりありがとうございました。 また次のシナリオでお会いできる事を願って(礼) |
公開日時 | 2008-06-12(木) 19:50 |
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