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<ノベル>
0.翼−千思万想
ばさり。
鉄塊と石塊とケーブルに覆われた灰色の世界を少年は行く。
背の大きな黒翼をはためかせ、金の双眸をきらめかせて。
「これが、師が仰っていた、地下都市か」
再生の光が入り、息を吹き返したと聞くこの世界は、確かに、今、生きた音と、匂いとをさせながら、様々な思いと命とを抱いて、少しずつ動き始めているようだった。
広い広い階層の、『空』の高い位置から『下界』を見下ろして、少年は理知的な眼差しをすっと細めた。
「かくあらん、と選んだのか。……それが、おまえたちの得た結晶か」
他者には容易く意味を掴めぬであろう言葉を呟いて、少年は再度翼をはためかせる。
ざあざあと風がさんざめき、少年の、短く切り散らした茶色の髪をめちゃくちゃにかき混ぜる。
「では……僕は、師の御ために、更なる結晶を、集めよう」
誰にともなく囁くように言い、少年は下層を目指す。
――世界の選択を見るために。
(――……、――――…………)
「歌が……聴こえる、な」
その声に聞き覚えがあるような気がしたものの、恐らく、少年の気の所為だろう。
1.流転−一望千里
ざあああああああ。
どう、とも表現出来ない薫風が吹き抜けてゆく。
不思議な光景だと藤田博美(ふじた・ひろみ)は思った。
「これが……ダークラピスラズリ」
この世界が小さな夢神の力の産物であるように、彼女もまた映画という異郷よりこの地に来たったムービースターだが、しかし、彼女の故郷たる映画は、フィクションではあれ、この銀幕市と何ら変わりない世界の現在を切り取った現実的なものなのだ。
こんな世界を目の当たりにすることになろうとは、彼女自身、思ってもみなかった。
「さあ……では」
とはいえ、某国の工作員として働いてきた彼女に気後れはない。
なすべきことをなし、得るべきものを得るだけだ。
博美は、対策課で読んだ報告書を脳裏に思い描きながら、灰色と鉄塊と石塊に彩られた世界をゆっくりと進んで行く。
ここはどうやら、どこかへと続く回廊のようだった。
どこに光源があるのか判らないが、周囲はふわりと明るく、不安は感じさせない。
「まずは、階層の状況を把握した方がいいかしら……」
博美がここに来たのは、対策課の依頼をこなし、その賃金を得ることだ。
つまりこれは、生活のための、日常的な労働の一環に過ぎない。
「ふうん……変わったところ、ね……」
だから特別な感慨もなく、博美は、歳月が削り上げた天然の洞窟のようにも見える回廊を、特に気負うでもなく、しかし油断するでもなく、位置関係を頭に叩き込みながら歩いてゆく。
ざああああああ。
(イデアの木よ、永遠よ、全なるあなたよ)
風とともに、歌声が聞こえたような気がした。
トゥエルーティア・クロックは、唇を噛み締めてその場に佇んでいた。
ざあざあと風が渦巻き、彼女の銀髪を舞い躍らせる。
「……、……」
トゥエルーティアは、小さく小さく、傍にあるべき人の名を呟いて、頭上に広がる巨大な絵を見上げる。
――何がきっかけでそうなったのか、トゥエルーティアはもう覚えていなかった。
ただ、たったひとり、誰よりも何よりも色濃く自分を締める唯一絶対の存在に嫌われた、そう思って、そうとしか思えなくなって、彼女は単身、この地下都市へ来たのだ。
「ああ」
漏れる呼気は、感嘆だったか、嘆息だったか。
隣に誰もいないのが恐ろしかった。
息を吹き返し、光を取り戻したと伝え聞くこの世界は、決してきらきらしくはないものの明るく、清々しい薫香に満ちて、不安を掻き立てるような材料は何もない。
だから、恐ろしいのは、本来いるべき誰かがここにいないからだ。
まるで光を失ったかのようで、怖いのだ。
けれど……守護者たる騎士を呼ぶ気にもなれなかった。
彼女が傍にいてほしいのは、常にたったひとりだったから。
心で呼んでいる名前と同じく。
「こんなことが、起きたのね、ここで」
彼女のいる場所は、広い広い、ドーム状の空間だった。
人間が一体、何千人入れるのだろうか。
地上、銀幕市では、なかなかお目にかかれぬ規模の、広大な空間だった。
その中央、中心に位置する灰色の岩壁に、巨大な絵が飾られている。
トゥエルーティアの目は、それに釘付けにされていた。
「……すごいわね」
唐突に背後から響いた声に驚いて、思わず飛び上がり、恐る恐る背後を振り向くと、
「あら、驚かせてごめんなさい」
黒髪に黒目をした、細身の女性が立っていた。
もちろん、そこにいたのが『彼』でなかったことにがっかりはしたけれど、何となく安堵したことも事実だったので、トゥエルーティアは微笑し、首を小さく横に振る。
「……平気ですわ、気になさらないで」
「ええ、そういってもらえると助かるわ、本当にごめんなさいね」
女性はそう言って、にっこり笑った。
少女から娘へと成長してゆく過程の体現のような、瑞々しさと伸びやかさを伴った笑顔に、トゥエルーティアが微笑を返すと、
「あなたも、対策課の依頼を受けて?」
そう、彼女が問いかけてきたので、首を横に振る。
「いいえ、わたくしは、違うの。あなたは、お仕事なのですか?」
「ええ、そうなの。この都市全体に降り注いだっていう欠片を探して、依頼人に渡すのが一番の目的。あとは、この世界の形状の把握、かしら。でも、この世界、とっても広くて深いらしいから……どちらにせよ、先は長そうね」
ジーンズにスニーカー、シンプルだが小洒落たデザインの長袖シャツに薄手のジャケット、という動きやすそうないでたちは、それを意図してのことであるらしい。
デジタルカメラとレポート用の筆記用具全般を手にした、どこにでもいるような、普通の、パッと目を惹く美女というわけではないが『今風』の可愛らしさを持った彼女は、トゥエルーティアに笑い返したあと、また、壁面を覆い尽くすサイズの絵を見つめた。
それは、この都市に降りかかった出来事を描いた絵だった。
狂い暴走した都市の姿と、おぞましく物哀しい廃鬼たちの姿と、追いやられてゆく人々と、那由多機構の戦いと、地上の人々から差し伸べられた手と、廃鬼師たちの献身と、――そして再生し作り直されてゆく世界とが、順番に、彩り豊かに描き出されている。
「すごいわね」
女性の言葉に、トゥエルーティアは小さく頷いた。
「わたくしには真似の出来ないことですわ」
トゥエルーティアがぽつり呟くと、女性はちらりと彼女を見たが、特に何を言うでもなく、しばし絵を見上げたのち、じゃあ私はこれで、と軽く手を振ってその場を立ち去った。
その後も、トゥエルーティアは、絵を前に佇み続けた。
女王である自分が、守り統べるべき王国を壊し、たったひとりを手に入れたのとは反対に、この絵の人々が、大切なもののためにたくさんのものを捨ててきたことに、彼女は驚きを隠せないのだった。
(あなたが、創ったものが、わたし)
風のざわめきに紛れて、歌声が聴こえて来たような、気がした。
朱鷺丸(ときまる)は、同じ事件に同じだけ関わったベルナールとともに、ダークラピスラズリの一角、カイララ環状帯へ向かっていた。
彼らがここへ来たのは、無論、再生しつつあるダークラピスラズリの姿を見届けるためだが、それと同時に、もう一度会いたい、と思う相手がいたからでもある。
「さて……前回会ったのは、ここいらだったが」
「ああ、そうだったな……。しかし、それほど、変わってはいないんだな」
「そのようだ。これから少しずつ変わってゆくのか、それとも、ここはこのままで在り続けるのか」
「こうあることが、ここの十全なのかな。……私は、ここの景色は、嫌いではないが」
「俺もだ」
微笑とともに彼らが見上げるそこは、巨大な回廊とでも言うべき広大な場所だった。
天井、つまり上層階の地面に当たる位置まで、二、三百メートルはあるのではなかろうかと思われる、驚くべく空洞の中に彼らはいるのだった。
ふたりが佇んでいるのは、どこかからどこかへと続く道の真中で、道幅は三十メートルと言ったところだ。道の向こう側には何があるのかと見てみれば、底に辿り着くまでどのくらいかかるのかも判らない、奈落を髣髴とさせる深淵が、黒々と口を開いているのだった。
まるで、巨大な架け橋のようなそれを、
「鍵摂者たちは……もう、移動してしまったのかな、どこかに」
ぐるりと見渡して朱鷺丸は呟く。
そう、彼らは、前回地下都市を訪れたとき、進むべき道を教えてくれた鍵摂者に会いたくてこの場所へ来たのだ。
鍵摂者とは、この世界独特の存在だ。
首が三本、前足が四本、後足が六本ある、全身が鉄骨と灰色のコンクリートで出来た巨大なキリン、無理やり現代的な言葉で表現すれば、そんなものだろう。姿かたちは鍵摂者によってまちまちで、一定ではなかったうえ、キリンにしては頭が大きく、目と思しき器官は七つも存在し、バランスを取る器官であるらしき尻尾は三叉に分かれていたし、キリンというよりも恐竜のもののようだった。
ここへ至るまでの道のりで見かけた彼らは、都市再生機能の一端として、再生プログラムが正常に作用したあとは、都市建造物を修理したり、足りない物資を作り出したりしているようだった。
はじめに見たときはなんと奇妙な姿だろうと思ったものの、回数を重ねた現在では、特におかしなこととも思わなくなっている。
「あの時のあいつがどこにいるのか――……誰かに尋ねて判るなら、いいんだが」
「そうだな。なんなら、私の魔法で探しても……」
探してもいい、と恐らく言いかけたのであろうベルナールの声に、
ぎぎ、ぎ、ぎぃ。
聞き覚えのある、妙に人間臭く感じられる、明らかに感情を含んだ軋みが重なる。
音は背後からした。
背後をパッと振り向き、音の主を確認した朱鷺丸は満面の笑顔になった。
「ああ、やはり、おまえは」
そこには、大凶兆と化した廃鬼師・万己(マナ)によってこの世界が飲み込まれかけた時、それを止めるために降りたこの場所で、ふたりに、この先へ進めと教えてくれた鍵摂者の姿があった。
「……もしかして、来てくれたのか?」
まさかな、と思いつつ問い、朱鷺丸は、比較的小柄な――とは言っても四tトラックくらいのサイズはあったが――、キリンというよりはトリケラトプスという恐竜を髣髴とさせる姿かたちの鍵摂者、ゆっくりとこちらへ向かってくるそれの目の前へと、ベルナールとともに近付いた。
朱鷺丸が鍵摂者の『顔』に触れ、ごつごつとした部品を撫でると、鍵摂者は真っ青な七つの目をぴかぴかと光らせて、まるでふたりとの再会を喜ぶかのようにぎぃぎぃと軋みを立てた。
否、事実喜んでいたのだと思う。
少なくとも、朱鷺丸の目には、鍵摂者の無骨な全身から、喜びがあふれていると見えたから。
「おまえに、礼が言いたかったんだ」
鼻面を撫でながら、朱鷺丸は鍵摂者を見上げる。
同じく鍵摂者の鼻面……もしくは牙や角のようにも見える部分を撫でて、ベルナールが目を細める。
「あの時の助言のお陰で、私たちは間に合うことが出来た。ありがとう」
ありがとう、が、判るのか、それとも別の理由があるからか、鍵摂者は青い目をぴかぴかと明滅させて身体を震わせ、その後すぐに歩き出した。
用は済んだということなのか、と顔を見合わせて首を傾げたふたりだったが、歩き出したと思った鍵摂者が立ち止まり、こちらを振り返って、更に一歩進み、更にこちらを振り返り……という動作を何度か繰り返した辺りでそれに気づいた。
「……ついて来い、と言っているのか……?」
ちらちらとこちらを見る青い目は、やはり、思いのほか理知的で、穏やかだ。
「行ってみるとしよう。何か、伝えたいことがあるのかも知れん」
ベルナールが歩き出し、
「……そうだな」
朱鷺丸もまたそれを追う。
鍵摂者が楽しげにぎぃぎぃと軋んだ。
(わたしの胸は、あなたで満たされた、水槽)
静かな歌声が、どこからともなく聴こえて来る。
それをとても美しいと思った。
2.清廉−色即是空
「……ああ、何となく、判るな」
シャノン・ヴォルムスはレピドライト集積塔前に来ていた。
金色の光が表面を滑る、不思議な外部感覚器官を、緑眼を細めて見上げる。
シャノンが、鉄骨が地面に何百と突き刺さった、不思議で静謐な『森』を抜け、この、黒々とした巨大な塔へとやってきたのは、やはり、この都市の中で、ここが一番印象に残っているからだろう。
塔は全長で百メートルを超えているだろうか。
窓ひとつない黒々とした表面を、幾何学的なラインを描きながら、ちらちらとした金色の光が走ってゆく、不可解だが幻想的で美しい場所だった。
「空気が、穏やかさを増している」
以前、彼がここへ来た時、この地下世界は滅びに瀕していた。
大凶兆と転じた優しい廃鬼師は、歪んだ――あるいは、それは『歪まされた』だったかもしれない――願いのままに世界を飲み込もうとし、ここは閉ざされようとしていたのだ。
しかし、今、
「俺たちのしたことが、無駄ではなかった、と」
シャノンの故郷や、地上世界たる銀幕市とは、在り方こそ違うものの、ダークラピスラズリは確かに息を吹き返し、命と営みによって彩られようとしている。
それが、どこからともなく吹いてくる芳しい風からも察せられる。
「――……」
故郷での彼は、孤高で孤独な、冷酷なハンターだった。
胸に憎悪と復讐心と誓いばかりを抱いて、抜き身の刃のように周囲を斬り裂きながら生きて来た。
だが、今の彼には守るべきものがある。
愛するものがいて、愛してくれるものがいる。
だからこそ、深い思いのゆえにずれてしまった道、分かたれてしまった手を、そのままにしてはおけないと、何かしてやりたいと――そう、自分が、差し伸べられた手によって救われて来たように――、そう思ってシャノンは地下都市に降りたのだ。
そんな自分の思いが、わずかなりと都市を救う力になったのだと思うと、少し、誇らしい。
「さて……では、欠片を探すとするか……」
今回、対策課を通じて廃鬼師たちから依頼された最たる内容は、都市に散らばった万己と『天紗』の欠片を集める、というものだ。
シャノンは、ここへ至る道中で、すでに、鮮やかな色合いをした欠片をいくつも見つけ、懐かしい、愛しい記憶と出会っていたが、緩やかな痛みを含んだそれは、彼に、過去への哀惜と、もはや戻らぬものへの寂しさと、なお揺るがぬ強い決意と誓いとを、胸の奥に揺らめかせるのだった。
何にせよ、それは決して嫌な感覚ではなく、こうやって思いを新たにするのも悪くない、と、
「……おや」
欠片探しのために踵を返しかけたシャノンだったが、
「おや……シャノンくん」
ゆっくりとした足取りでこちらへ歩いて来る人物に気づいて足を止めた。
「エンリオウ」
名を呼ぶと、青い髪と蜜色の目の青年は目を細めて笑い、
「うん、こんにちは」
小さく頷いて、レピドライト集積塔を見上げた。
「ここは……不思議なところだね」
名をエンリオウ・イーブンシェンという、凛とした美貌の青年騎士は、どこか懐かしげに周囲を見渡し、
「ああ……こんなところにも」
呟くと、屈み込んで、濃い群青色をした欠片を拾い上げた。
そしてしばし沈黙し、
「ああ、そうだねぇ。きみがそうしてくれたなら、ぼくはどれほど救われただろう、ウルト」
囁くように、憧憬するように、誰かを呼ぶ。
光が射すと金色が散る、不思議な蜜色の双眸に微苦笑が揺れた。
シャノンは何も言わず、それを見守った。
――欠片は、それを拾い上げた当人に、愛しい、懐かしい、甘くやわらかな痛みを伴った記憶を見せる。
シャノンがそうであったように、エンリオウもまた、彼が人生の中で触れてきた、大切な過去と向き合っているのだろう。
不可触のそれに、賢しく口を出す権利は、シャノンにはないのだ。
シャノンが、自分の抱くそれに、誰にも口出しをさせないのと同じく。
「きみも依頼を受けて来たのかい、シャノンくん?」
「ああ。……そういうエンリオウもか?」
「うん、対策課で話を聞いたのもあるんだけれど、なんだかねぇ、誰かの、とても綺麗な歌が聴こえたような気がして、どんな歌詞なのか、確かめたくなったんだ。それに、ここには、わたしの故郷にはない、独特の力が満ちていて、興味深いんだよ」
「……そうなのか? 俺には、――そうだな、確かに、居心地は悪くないが、あまり、力云々は判らんが」
「うん、何と言ったらいいのかな……本当に独特だよ。不思議な世界だね。シャノンくん、きみは、前にもここに来たことがあるんだったっけ?」
「ん? ああ、前の依頼で関わったからな、それで最後まで見届けたいと思ったんだ」
「そうか……都市が救われて、よかったねぇ」
「……ああ」
「この空間に満ちるすべての空気が、再生を喜んで謳っているようだよ」
天井であり大地でもある、遥かな上空を見上げ、何でもないようにエンリオウが言う。
シャノンと同じく、長い時間を、偉大なる力とともに生きてきたというエンリオウ、魔法騎士たる男には、シャノンには見えぬ何か、感じ取れぬ何かが、感覚として判るらしかった。
シャノンはそうか、と返し、耳を澄ませる。
世界が再生してゆくという喜びの歌が、自分にも聴こえぬものかと思ったのだ。
残念ながら、エンリオウの言うようなものは、シャノンには聞き取ることは出来なかったが。
「俺では……無理、か」
かすかに笑って首を横に振り、シャノンはエンリオウを見遣る。
「俺はもう少しこの階層で欠片を集めてから最下層へ移動するつもりだが、エンリ、お前は?」
「わたしかい? わたしは……そうだねぇ、あまり細かくは決めていないけれど。せっかくだから、シャノンくんと一緒に行ってもいいかい?」
「ああ、構わんが」
シャノンが頷くと、エンリオウはありがとうと言って笑い、彼の隣にゆったりとした足取りで並んだ。
シャノンは、視界の隅にきらりとした光をもたらす欠片を探して、エンリオウとともに歩き出す。
(水槽は、震え、揺らめいて、涙となり)
どこか聞き覚えのある歌声が、風に乗って届いた、ような気がした。
「……」
アーネスト・クロイツァーは、どことも知れぬ回廊を、ひとり、黙って降っていた。
いずこからか吹いて来る芳しい風が、彼の、不思議な風合いの髪を静かに揺らす。
「ここは……」
アーネストは、長々と伸びる回廊の遥か先を見遣って呟いた。
仄かな明かりに照らされたそこは、不便さは感じないが、どこか物哀しい。
「不思議な、ところだな」
アーネストは精霊とともに生きる独特の一族出身だ。
彼の世界は精霊というスピリチュアルな存在によって成り立っており、それゆえに精霊の息吹に満ちて、常に連動し息づいていた。常に鮮やかな色彩とともにあった。
それが、ここにはない。
「精霊が、いないなんて」
銀幕市にすら精霊はいた。
もちろん、他の映画から実体化したものたちもいただろうが、銀幕市……というよりはこの世界固有の、自然に息づく意思のような、彼の故郷の精霊たちほどくっきりとしてはいないものの、確かに世界の根本として満ちる何かの存在が感じられた。
そんなものすら、ここにはない。
それが、この都市が滅びかけていたからなのか、それともそういう世界だからなのかは、アーネストには判らないが、自分の周囲を包むものがない、というのが、滅多に経験できない感覚であることだけは確かだ。
「ああ……そうだな」
アーネストについてこの地下都市に降りてきていた精霊たちが、不思議そうに、どこか不安げに囁き交わす声に頷きながら、アーネストはなおも歩みを進める。
と、その視線が、回廊の隅に行き着くと、仄かな明かりを受けて、きらりと透明な光を反射する小さな欠片が目に入る。
「こんなところにも、あるのか」
指先で、水晶めいたそれを摘み上げ、掌に遊ばせる。
ふわり、と脳裏を行き過ぎてゆくのは、一体いくつ前の『彼』だっただろうか。
ひとつの大願を抱いて長い時を行く『彼』の、どの記憶だっただろうか。
それらを受け入れることだけが自分の勤めだと信じ込んでいた――信じ込もうとして、心を殺し続けていた――頃の、懐かしくひんやりと狂おしい感覚が背筋をそっと撫でる。
アーネストは苦笑して、首を横に振った。
「だが、それらすべてを孕んでいてこその、今の『俺』だ」
今やアーネストはアーネストであって、記憶の入れ物では断じてない。
そう思えるようになったのは、もちろん自分ひとりの力ではなかったが。
「……まぁ、いい。まずはこの欠片を集めよう」
アーネストは、手の平に転がる水晶片状の欠片に、先刻拾い集めた幾つかの欠片を足して握り、歩き始める。
時折吹く風が、音楽のように聞こえる。
アーネストとともに行動できることが嬉しいらしく、楽しそうに周囲を舞う精霊たちと言葉を交わしつつ、なおも仄かに明るい回廊を降って、一時間ほど経った辺りだっただろうか。
その頃になると、欠片は、アーネストの片手一杯分くらいまで集まって、彼に、幾つもの懐かしい痛みを垣間見せていた。
容器たらんとした幼い彼と、その彼を彼たらしめるべくお節介を焼いた人々の、今はもう遠く、しかし今でも愛しく温かい記憶に、アーネストの唇は緩やかな笑みのかたちを描いている。
そこへ、
「あの……すみません」
回廊につながる枝葉のような小道から、金髪青眼の少年が姿を現した。
十を二つ三つ過ぎた辺りだろうか、年相応の外見をしているのだが、何故か背に奇妙な黒い双剣を負った、理知的な印象の少年だった。
「……?」
彼も対策課の依頼を受けてここに来たのだろうかと首を傾げ、アーネストは少年を見遣った。
「突然すみません、僕はサティ・トランプといいます」
サティと名乗った少年は、とても困った表情をしていた。
それは痛みを堪えるような表情でもあった。
「俺はアーネスト、アーネスト・クロイツァーだ。何かあったのか?」
アーネストが名乗り返すと、サティは、
「すみません、この辺りを、銀髪に赤い目の女の子が通りませんでしたか。ずうっと探しているんですけど、どうしても見つけられなくて」
途方に暮れた、不安と心配とを貼り付けた顔でそう問うた。
アーネストは首を傾げる。
この都市に入って数時間ほど経つが、今のところ、サティ以外の生きた人間に出会った覚えはなかった。
「いや……見なかったと思う」
アーネストが答えると、少年は落胆した様子を見せた。
入っていた力が抜けて、肩ががくりと下がる。
「そう、ですか……」
少年の緑眼が、力なく周囲を彷徨った。
「一体、どこに行ってしまったんだろう。……ここは、すみずみまで探すには、広すぎる……」
「その子は、あんたの友達か何かか?」
「……はい。とても大切な、友人です」
「その子が確かにここに来たという確証は?」
「市役所、ここに来るための入り口で聞きました。入って行った女の子は銀髪に赤い目で、白いドレスで、でも胸元のリボンは黒だったって。もしも、トゥエルーティア以外にそんな外見の子がいるんだとしたら、違うのかもしれないけど……」
言って唇を噛み、拳を握り締める少年を、アーネストは見つめた。
「僕が悪かったんだ、僕が、あんなことを」
独白をこぼす少年が、深い悔悟の念に囚われていることは明白だったが、アーネストは、それを癒すためのいかなる方法も持たない。
これが地上ならば精霊たちに頼んで場所を探ってもらうことも出来ただろうが、この地下都市に関して言えば、アーネストは無力だった。ここはあまりにも、彼の故郷と違いすぎているのだ。
だから、アーネストは、これも縁とかいうヤツだろう、と、
「俺はこのまま最下層まで行くつもりなんだが、なんなら、探しながら一緒に降りるか? 多分、最下層には、俺の他に依頼を受けた人たちも来ていると思うから、何か手がかりがあるかもしれない」
少年を誘うことにした。
「……いいんですか?」
「もちろん」
「……ありがとう、ございます……」
「いいや、別に」
サティがホッとした様子が伝わってくる。
たったひとりで歩くよりも、誰かがいた方が不安を紛らわせる。
それはアーネスト自身の経験に基づいた、自分が過去にそうしてもらったからこそ判る真理だった。
それなら、と、少年と連れ立って歩き出したアーネストの耳に、風が謳うような音が聞こえてくる。
(涙は、零れ、真珠へと、変わり)
静かな、神秘的な美声が空を伝った、ような気がした。
3.花光−五風十雨
シュウ・アルガは取島(とりしま)カラスと連れ立って歩いていた。
「あの時はありがとう、シュウ君。……わがまま言って、ごめん」
「や、別に謝ってもらうようなことじゃねーって。オレはオレの考えで、オレがこうしたいって思って行っただけなんだから」
「うん……でも、すごく嬉しかった。ありがとう」
「ったく、あんたって、ホントにお人好しなんだからなぁ」
「……そうかな?」
「そうだよ」
シュウたちが目指しているのは、シャングリ・ラと呼ばれる、この世界における純粋な人間たちが暮らす階層だった。
シュウはそこで、今回は他の事件に関わっていて一緒には来られなかった青年とともに、世界が滅びに瀕しているからこそ強く優しくなることを選んだ人々と出会った。
最初は面倒臭いと思いながら参加した依頼だったが、彼らの選択に胸を打たれ、何とかしたいと、何か出来ることを探したいと、絶対に救いたいと思うようになった。
そして彼もまた要素のひとつとなって大凶兆は目覚め、世界が滅亡から一転して再生の道を歩むこととなったのだが、都市再生プログラムが正式発行されてから、そこを訪れるのはこれが初めてだ。
彼らは今どうしているのだろうかと、元気でやっているのだろうかと、出来ればあいつも連れてきてやりたかったなと、そんなことを考えながら、シュウはやわらかい光に包まれた回廊を歩く。
「あ、こんなところにも」
言って、カラスが、足元に落ちていた小さな欠片を摘み上げた。
「マラカイトって言ったかな、それに似ているね」
明るい緑と濃い緑の縞によって幾何学的な模様が構成される、ユニークな形状の欠片を掌に転がして呟き、カラスはそっと瞑目する。
「……何が見える?」
戯れのようにシュウは問うたが、答えが返って来るとは思っていない。
――欠片は、触れると、手にしたものに懐かしい過去を見せてくれる。
すでに十では利かぬ数の欠片を見つけ、緩やかな痛みを含んだ記憶と再会してきたシュウには、それらが、口に出しては説明出来ぬ、様々な感情を含んでいることを知っている。
「色んなもの、かな」
微笑を浮かべてカラスが言った、それだけで、
「……そっか」
シュウは、すべてを察することが出来たし、その先を問う必要性も感じなかった。
そのまま、他愛のない会話を交わしながら進むこと一時間。
見覚えのある空間が目に入り、シュウはカラスの肩を叩いた。
「おっ、あったあった。さすが俺様、記憶力抜群だぜ」
「え、ああ……シャングリ・ラ、だっけ? へえ、なんか、あったかいところだね。なんか……胸が軽くなるような、いい匂いもするし」
「うん、いいところなんだぜ。住んでる人たちも、いい人ばっかりだったし。――ん、あれ?」
「どうしたの、シュウ君?」
「いや……何か、別の、いい匂いが……?」
首を傾げつつも進み、現代世界でいうところのマンションのような造りになった、非常に広く、清潔で明るい、天井の高い空間へと足を踏み入れる。
上を見上げると、先刻訪れたときと寸分違わず、太陽を髣髴とさせる色合いの、温かい光を放つ大きな球体が天井付近を漂っていて、シュウは目を細めてその輝きを見つめた。
「あ――っ!!」
次の瞬間響いたのは、
「あの時の、おにいちゃんだ――ッ!!」
弾むような生気に満ちた、幼い少年少女の声だった。
視線を巡らせてそちらを見遣れば、やはり、あの時親しく声を交わした、きょうだいと思しき子どもたちが、満面の笑顔で駆け寄ってくるのが見え、シュウは笑顔で手を振る。
「お、元気だったか?」
「うん、元気だよ! あのね、まなちゃんとね、天紗ねえさんがね、世界を綺麗に直してくれたの。だからわたしたち、ようやく大きくなって、ダークラピスラズリのために働けるんだよ!」
「そっか、よかったな。勉強、頑張れよ?」
「うん、僕もいっしょうけんめいがんばるね。……あれ、あの時の、青い髪のおにいちゃんは? 今日は、一緒じゃないの……?」
少年がきょろきょろと周囲を見渡し、首を傾げたので、シュウは苦笑して彼の頭を撫でた。
「あのおにいちゃんはな、ちょっと別の仕事が忙しくて、今日は来られなかったんだ。また遊びに来るって言ってたから、その時にでも、頑張ってるって教えてやってくれ、な?」
子どもたちは少し残念そうにしていたものの、じきに笑顔に戻って、うんっ、と大きく返事をした。
そこへ、
「おや……君は、あの時の」
大きなトレイを手に姿を見せ、シュウたちを取り囲んだのは、やはりあの時親しく言葉を交わした、シャングリ・ラの大人たちだ。
「ん、皆、どうしてんのかなぁって思ってさ」
「ああ……それは、ありがとう。この通り、元気でやっているよ。君は?」
「ま、見ての通り、ってとこかな」
トレイから漂ってくる香ばしい匂いに惹かれ、それを覗き込んだシュウは、
「……あれ? これって……」
ほかほかと湯気を立てている中身を見て、ぱちぱちと瞬きをした。
「これって、パン?」
同じくトレイを覗き込んだカラスが首を傾げると、子どもたちがえへへと笑い、大人たちも顔を見合わせて微笑む。
「あの時、あの青年が、私たちにご馳走してくれただろう? あれは、本当に穏やかな、平和と喜びの食べ物だった。それが、忘れられなくてね。何とかして再現しようと、今、この世界で出来ることを模索しているところなんだ」
「わたしね、パン大好き! 大きくなったら、パンを作りながら都市のために働きたいな!」
「ぼくも好きだよ。映像で見ただけだけど、収穫間近の麦畑も好きなんだ。今、この世界には小麦が……というより穀物が存在しないから、土壌再生の研究をして、いつかこの世界にも、あんな風景を再現してみたいなぁ」
「何よりも、これは、地上の人たちがもたらしてくれた平和の象徴ですものね。わたしたち、パンを食べるたびに、わたしたちを助けてくれた人がいたことを思い出すの。そして、万己と天紗の献身と同じくらい、それを忘れないよう、ありがとうって思うのよ」
「サラはクルミが入ったパンが好きなんだよね」
「クリフは中に苺ジャムが入ったパンが好きなのよね」
「……この通り、子どもたちも皆、パンが大好きになったよ。もともと、それほど、食べ物に贅沢は言えない世界だけれど、工夫ひとつで何とでもなるのだと、何とかしていかなくてはならないのだと、心底思わされた」
「ああ、そりゃ……」
シュウはくすぐったくなって、思わずくすくすと笑った。
あの、お人好しの、パンを愛する青年は、文化も成り立ちもまったく違うこの地下都市で、今やパンが一大ブームとなって、平和そのもの、幸いそのものの食べ物として皆に愛されていると知ったら、どんな顔をするのだろうか。
それを想像するだけで、笑顔がこぼれ落ちる。
「すまないが、このパンを、彼に届けてくれないか」
「うん? ああ、いいぜ」
「ありがとう。そして彼に伝えてくれ、我々がとても感謝していたと。君が与えてくれたものが、君の思う以上に、我々の支えになってくれたのだと」
「……ああ、判った。きっと喜ぶよ、あいつも」
世界は、生まれ変わりつつあるのだ。
それを、強く思った。
(真珠は、海へ流れ、嵐に、舞って)
どこか聞き覚えのある美しい歌声が、立ち上るパンの匂いに混じって、どこかから聞こえて来たような、気がした。
守月志郎(かみつき・しろう)は、その空間へ踏み込んだ時、明らかに、地下へ地下へと降って行くには不適切なほどの大荷物を手にしていて、更に、持ち切れなかった荷物を、出会ったばかりの神月枢(こうづき・かなめ)にまで持たせていた。
決して、持て、と強要したわけではないのだが、ここへ降る過程で荷物のあまりの多さに四苦八苦していたら、枢が声をかけてきて、何のための道具なのかを説明したところ、過積載分を請け負ってくれたのだ。
「や、悪ぃな、ホント。面倒かけちまって」
対策課で伝え聞いた、この世界の人々の居住区目指して歩きながら志郎が言うと、枢は、不足なく、小綺麗かつ端正に整った面をほころばせた。
「ああ……いえ、構いませんよ、事情が事情ですしね。それに、俺も、実を言うとあそこに行こうと思っていたんです」
彼は、映画世界から現れたのではない普通の人間だと聞いていたが――とはいえ、彼の頭に乗っかっている不思議な生き物は、彼が夢の神の恩寵を受けた存在であることを示している――、枢の身体は、荒事に慣れ切った志郎の目をして鍛え抜かれたと言わしめるもので、志郎は遠慮なくその言葉に甘えることにしたのだった。
「ロマンティストですね、守月さんは」
言って、くすり、と枢が笑い、志郎はかすかに笑って頬を掻く。
「んー、どうかな。でも……悪くねぇだろ?」
「……ええ」
そのまま、他愛のない話をしながら、整備された道を行くこと小一時間。
「シャングリ・ラ、か」
やわらかな光が漏れ出る、純粋な人間たちの居住区に足を踏み入れながら志郎は呟く。
「どうしました、守月さん」
「ん? いや……何か、しっくり来るネーミングだと思って」
「……ああ」
それは、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが描いた物語に出てくるユートピアの名だ。
創作の、架空の地名ではあるが、そもそもはチベットのシャンバラをモデルにしており、それもまた『理想郷』を意味している。
「都市が息を吹き返したことで、この場所が、まさに理想郷足り得るようになればいいな」
「そうですね。そして、そうと望む誰もが、幸いを享受して生きられればいい」
大荷物を担いだふたりが、シャングリ・ラの中へ踏み込んでゆくと、彼らに気づいた人々が目を丸くし、次いで笑顔になった。
向けられる好意的な目は、志郎や枢が何をしたから、何をしようとしているからというわけではなく、単に、この都市のために心と力を尽くした地上人がいたというだけのことだろう。
鼻孔を、甘く香ばしいパンの匂いがくすぐる。
牧歌的な、平和な時間が流れていた。
「ん、あんたたち……」
なるべく人の、特に子どもの集まる場所、と思いながら集落を進み、広場のような場所へ出ると、背の高い少年と中肉中背の青年、というふたり組がこちらに気づき、少年の方が首を傾げた。
「地上の人たち、だよね?」
眼鏡をかけた青年に問われ、志郎は頷く。
志郎もまた、彼らを対策課の依頼を受けて来た人々だろうと察することが出来た。
地下都市の人々と、地上の人々とは、明らかに雰囲気が違うのだ。ムービースターとそれ以外との違いではなく、世界観の差異なのだろうが、ダークラピスラズリの人々は、一種独特の空気をまとっているので、間違うことはまずないだろう。
「俺は守月志郎、こっちは神月枢だ」
初対面の相手なので『私』という呼称を使うのが普通なのだが、何故か今のこの場においては何もかもが懐かしく感じられ、志郎はつい砕けた口調になった。誰もそれを咎めはしないので、それでいいことにする。
「んで、ふたりとも、何でそんな荷物なんだ?」
眼鏡の青年は取島カラス、背の高い少年はシュウ・アルガと名乗った。
名乗ったあと、シュウが、ものすごく不思議そうな表情で、ふたりの担ぐ様々な物品を眺め上げたので、志郎は枢と顔を見合わせて少し笑い、それからたくさんの荷物をようやく地面に下ろした。
「植木鉢と、土と、肥料と、種と、球根と……?」
それらを物色して、シュウがまた首を傾げる。
大人に話を聞いたのだろうか、小さな子どもたちが十人ばかり駆けて来て、物珍しげにそれらを見つめる。
「……ここが、緑のない場所だって聞いたもんでな。せっかくだから、何か、贈ろうと思って」
「そんでこんだけ持ってきたのかよ。すげぇなあんたら」
そう、子どもが入れそうな大きな植木鉢を十個、それに入れる分の土と肥料、そして種や球根にシャベルまで持って来れば、当然重いに決まっている。
「おや、そうですかね」
じゃれつく子どもを抱き上げながら、何でもないように言って枢がかすかに笑い、別の子どもの頭を掻き混ぜた。歓声を上げて笑う子どもを見つめる彼の目は、彼がまとい、時折覗かせる物騒な雰囲気を覆すほどにやわらかい。
「子どもが笑える世界なら、必ずいいところになると思うのでね。そのための努力ならば、俺は惜しみませんよ」
枢の言葉を、共感とともに聞きながら、志郎は早速、種まきの準備を始めた。
子どもたちが歓声を上げ、自分もやりたいと口々に主張する。それを見た枢が笑いながら志郎の隣にしゃがみ込み、子どもたちとともに、植木鉢の中に土を入れ始めるのを見て、顔を見合わせたシュウとカラスが作業に加わる。
志郎はそれを懐かしく見ていた。
植物が存在しない世界だと聞いて驚いていたのだが、それは真実であるらしく、シャングリ・ラの大人たちまでもが、不思議そうに、珍しそうに、彼らの作業を見学に来る。
「ああ、こんなところに」
ふと見遣った視線の先に、深々と透き通った群青色の欠片を見出して、志郎はそれをそっとつまみあげた。
(兄さん、僕、兄さんの育てる花が大好きだよ)
脳裏を、そんな言葉がよぎり、過去のヴィジョンが明滅して、志郎は微笑んだ。
「判ってるさ、――だから、だよ」
小さく呟くと、それが聴こえたのだろう、
「どうしましたか、守月さん?」
「……いや、何でも」
手を止めて訪ねる枢に首を振ってみせ、志郎は欠片をポケットに仕舞うと作業に戻った。
欠片の見せる大切な記憶が、志郎に、緑を慈しむ思いを深めさせる。
(嵐は、空を裂き、空は、輝き)
賑やかな笑い声が響く集落の片隅から、静かな歌声が聴こえたような、気がした。
鍵摂者に連れられて辿り着いた先は、シャングリ・ラと呼ばれる人間たちの集落だった。
前回この都市に降りた時、都市の再生が為ったあとに、ベルナールも少しだけ立ち寄った場所だ。
「しかし、何故ここに……?」
「……さあ?」
朱鷺丸とともに首を傾げていると、こちらを振り向いて青い七眼をぴかぴかと光らせた鍵摂者が、ぎぃぎぃと音を立てた。
それが、やはり、ついて来いと言っているようだったので、不思議に思いつつも、ゆっくりと歩く鍵摂者の隣を、『彼』の導くままに進む。
「……ああ、何と言えばいいのか」
「ん、どうした、ベルナール?」
「いや……空気がやわらかくなったような、そんな気がして、な」
「そうだな、それは俺も思う」
シャングリ・ラは賑やかさを増すと同時に、明るさを、そして穏やかさを増していた。
滅びのさなかにあってすら、シャングリ・ラの人々は希望を失わずにいたと聞いているが、今や現実のものとなった希望が、この場所を、更に明るく、美しく見せているようだった。
彼らの進む先から、明るい笑い声が聞こえてくる。
大人の声も、子どもの声も、たくさん、混じっているようだった。
鍵摂者の『脚』が、そちらへ向く。
「ん、あっちへ行くのか」
ずいぶんとこの鍵摂者に愛着を持ったらしい朱鷺丸が――実を言うと、ベルナールもだったが――、『彼』の背によじ登り、その上で遠くを見晴るかす仕草をする。
ぎぃ、と鍵摂者が軋んだ。
どことなく、楽しそうに聴こえた。
そして、鍵摂者につられ、なおも進むこと数十メートルで、
「あーっ、朱鷺丸に、ベルナールじゃん! すっげ、そいつ、鍵摂者!?」
弾むような生気を孕んだ声が、ふたりの名を屈託なく呼ぶ。
「……シュウ・アルガ殿か。取島殿もおられるようだ」
「ああ、知らない顔もいるようだが……彼らも、地上の者だな。しかし、土の匂いがする……なんだ、一体何をしているんだ?」
「さて……それは、私には」
そこはこの集落の広場であるようだった。
一種独特の雰囲気を持った、シャングリ・ラの人々と、明らかに地上の、銀幕市からの訪問者と思しき人々とが、一緒になって、笑いながら、何かをしている。
子どもが転んだ拍子に、彼の手から茶色いものが零れた。
「あっ、クリフ、大丈夫?」
驚いて駆け寄る少年の手も、茶色く染まっている。
首を傾げるベルナールの元へふと漂い来たのは、懐かしい、湿った土の匂いだ。
「おまえたちは一体何をしているんだ?」
笑った朱鷺丸が、鍵摂者の背から飛び降り、彼らの元へ走ってゆく。
鍵摂者がぎぃと軋んで、青い七眼を輝かせた。
ベルナールは『彼』と顔を見合わせ、かすかに笑って、鍵摂者とともに中央へと近付く。
鍵摂者を見つけた子どもたちが歓声を上げ、
「あーっ、イスラフィルだ! 今日は何か、造りに来てくれたの!?」
わっと『彼』へ殺到した。
「……イスラフィルというのか、貴殿は」
ベルナールが問うと、偉大な天使の名を持つ鍵摂者は、肯定なのか、それとも自分には計り知れぬことだとでも言いたかったのか、ともかく七眼を明滅させたあと、ぎぃぎぃと身体を軋ませ、前脚で地面を叩いた。
かと思うと、そこにはもう、銀幕市……地上の、現代社会で言えばジャングルジムのような、登ったり降りたりして楽しむための遊具が、瞬時に出来上がっているのだった。
鉄塊と石塊とで出来た、無機質であるはずなのに、何故か温かさを感じるフォルムの、遊ぶという行為のためにだけ作られた、平和であるからこそ意味をなす道具なのだった。
「わあっ、すごい!」
子どもたちがきゃあと喜びの声を上げ、手を茶色に汚したまま――その頃には、それが土なのだとはっきり知れた――、次々と突起や穴に掴まり、よじ登る。
大人たちは手を泥だらけにしたまま、地面にしゃがみ込んで大きな植木鉢に何かを植えながら、はしゃぐ子どもたちを楽しそうに――嬉しそうに見上げていた。
ベルナールはそれを、感慨とともに見つめていた。
「やはり、都市は、蘇ったのだな」
歪んだ機能に狂わされ、無限に都市を増殖させ続けていたという鍵摂者はもうそこにはいない。
都市を、世界を再生させ、新たなものを造り出してゆく、そんな意味を得て立つ、矜持すら感じさせる造り手の姿があるだけだ。
「……おや」
足元に透き通った若葉色の欠片を見つけ、ベルナールは上体をかがめた。
「どこにでもあるのだな、これは」
指先で拾い上げれば、楽しげに目の前を走って行く少年のヴィジョンが脳裏をかすめる。
「ああ……あれは、あの時の」
高貴な面立ちをした少年が、悪戯っぽく笑いながら自分を唆してくる、懐かしい過去の映像に、ベルナールはゆるゆると微笑んだ。
幾歳経ても色褪せぬ、緩やかな痛みを含んだ、しかし愛しい記憶は、彼が彼として立つ、もっとも根本に根ざすものだ。
「……悪くない」
例え今の自分が、絶対的にあるべき場所にはいないのだとしても、それはベルナールにとって、確かに失い難い、大切な感情なのだった。
ふと視線を横にやると、二十歳になるかならぬかの、どうやら地上の者と思しき娘が、賑やかな光景を、静かな眼差しで見つめながら、ゆっくりと行き過ぎてゆくところだった。
(輝きは、大地へ降りて)
染み渡るような透明な歌声が、かすかに聞こえてきたような気がして、ベルナールは青灰色の目を細める。
4.薫風−空谷跫音
「……そうか、息災でいるのなら、いい」
「そういうアンタこそ、息災そうじゃ。ホッとしたわ」
昇太郎(しょうたろう)は、広い広いドームのような場所を、最古の廃鬼師、壱衛と連れ立って歩きながら、他愛のない会話を交わしていた。
時折、立ち止まっては周囲を見上げるのは、世界に満ちる再生の息吹を、身体で感じてみたいと思ったからだ。
神を殺し、天を滅ぼして、世界中から侮蔑され嘲笑されながら大地を彷徨った昇太郎には、再生されてゆく世界は、彼が壊してしまう前の、懐かしく美しく、どれだけ疎まれようとも慕わしいという感情ばかりの湧く故郷とよく似て見え、彼は、ダークラピスラズリが蘇ったという事実を、我がことのように喜んでいた。
「せやったら、他に問題はないんか。全部、順調なんか」
「ああ……そうだな、特には。欠片を集める作業が、大規模すぎて少々難航しているくらいだが……我々は、それも、特に焦る必要はないだろうと思っている」
「そうか……よかったなァ」
「……ああ」
心から言って、昇太郎が笑うと、壱衛もまたかすかに笑った。
「お前たちの献身に感謝する、清い修羅よ」
「よしてくれ、俺は、俺のやりたいようにやっただけじゃけぇ」
それでも、向けられる感謝と好意がくすぐったくて、ほんのりと頬を染めた昇太郎に、壱衛は静かな笑みを向ける。
「人間の、そういうところを、我ら廃鬼師は、貴いと思うのだ」
「ん、ああ。そりゃあ、俺も、よぉ思うわ」
「……そうか」
「俺は……正直、自分が何なんか、もう判らん。自分が一体どういうもんなんか、自分では表現しきれやせん。せやけど、人間がすごい、言うのは、判る。俺は、自分がその中に含まれるもんなんか、判りゃあせんが、人間言うのが、どんだけ強くて深いもんなんかは、判る」
故郷での彼は、孤独で、けれどそれを苦とは思わず、ただひたすらに、進むべき道を歩いて来た。
そして今、この町で賑やかな日々を生きる彼は、たくさんの善意と、やわらかな友愛とに包まれている。
その不思議を、感慨とともに昇太郎は思うのだ。
ざああああああ。
清らかな香りを含んだ風が、昇太郎の髪や鉢巻、壱衛の髪やコードを揺らした。
「ん、ああ、こないなとこにも」
足元に小さな欠片を見つけ、昇太郎は手を伸ばす。
欠片は、美しく澄んだ、淡いグリーンをしていた。
石に詳しい、好きなものならば、それを、磨きぬかれた宝石質のフローライト、と評しただろう。
そしてそれを手にした瞬間、昇太郎の脳裏をよぎるのは、
(いつか、いっしょに、花を観に行きたい。わたしと、昇太郎とで)
その世界では『神』だった、けれど中身は昇太郎と何も変わらなかった、愛しい、今でも大切な、たったひとりの女の記憶。
幼さを残した眼差しを、憧憬の色に染めて夢を語る、あの時のことをよく覚えている。
「ああ……そういえば」
唇が、苦笑めいた彩を刻んだ。
「あれは、結局果たせやせんかったなァ」
果たせぬままに、彼は『神』を手にかけ、放浪者となって、永遠を負った。
今までの、一連の流れ、必然とも偶然ともつかぬそれを悔いてはいないけれど、そのことを、ほんのわずか、残念にも思う。
彼女とともに観る花ならば、さぞかし美しかっただろうにと。
「壱衛、あんたは――……」
昇太郎の独白に、特に何を言うでもない壱衛に、この廃鬼師は、欠片を集めることで一体どんな記憶と逢って来たのかと、常の彼には珍しい興味が湧いて、それを訪ねようとした矢先、
「あ、昇太郎さんじゃないか」
「それに、壱衛も」
聞き覚えのある声がふたつ、響き、昇太郎はすべてを問いかける前に、そちらを向いていた。
「……理月(あかつき)」
壱衛が小さく名を呼ぶと、すべてが黒ずくめの中で眼だけが白銀という傭兵は、陽気に笑って片手を挙げてみせた。
その隣では、紫という、印象的な色を髪と眼に持った長身の青年が、整った面立ちを親しげにほころばせてこちらを見ている。
昇太郎は、理月とは前回の依頼で一緒になり、色々と世話になったし、片山瑠意(かたやま・るい)という名の青年とは、年の初めに行われたイベントで、とあるパンについて語り合ったことがあるので、ふたりとも、昇太郎にとっては、知人以上の存在だ。
「ああ、あんたらも、来たんか」
昇太郎が、ふたりに、交互に笑みを向けると、うん、と頷き、壱衛に名乗った瑠意が、アメジストのような眼を天井へ向け、感嘆の声を漏らす。
「すごいな、ここ」
「……ああ、そうじゃな」
「どんな風に、こんな世界が出来上がったんだろう。すごく、興味がある」
「ああ、確かに不思議な場所だと思う。でも……」
「でも、どうしたんだ、理月?」
「ん? いや、前回に来たときより、なんていうのかな、格段に雰囲気が明るくなったような気がするんだ。息を吹き返したって、そういうことなのかなって思った」
「ん、そうか……そうなのかも」
親しい友人同士であるらしい理月と瑠意が、感慨深げに言葉を交わしている、昇太郎がそれを見るともなしに見、聞くともなしに聞いていた、その時。
ざ・ああああああああっ
薫り高い風が吹き抜けたかと思うと、唐突に、彼らが進んでいた、広い広いドーム状の周囲が、鮮やかな緑色に染まった。
「え……」
「……?」
「なんじゃ、これは……?」
それは、風にそよぐ草原のヴィジョンだった。
艶やかに輝く緑は、素直に伸びた草々の連なりだ。
天井であった場所は貫けるような青に染まり、絹のような光沢を持った雲が、悠然とそこを泳いでいる。
雄大で荘厳な、冒し難い雰囲気のある光景だったが、
「――幻? 手では、触れないんだ、これ」
草に手を伸ばした瑠意が言うように、これは、仮想現実の、ただの映像であるようだった。
「何か……綺麗過ぎるくらい、綺麗だなぁ。綺麗過ぎて、懐かしいような、苦しいような、変な気分になっちまう」
空を、平原を見上げ、目を細めて理月が呟く。
「ああ、そうやな……ちょっと、怖いような気持ちにもなるわ」
昇太郎が言うのは、それが、人工物でのみ構成された世界に、唐突に現れたからという意味でではなく、変化の少ない、落ち着いた、静かな場所が、あっという間に、思考や心のあちこちを刺激する、色鮮やかなものに変わってしまったからだ。
特に、昇太郎が『神』を殺したためにひび割れ、歪んでしまったあの世界で、こんなに明るいヴィジョンは望むべくもなく、昇太郎は眩暈に似た感覚を覚えていた。
そこへ、
「……ああ、そうか」
不意に、壱衛が小さく言い、周囲を見渡す。
「どうしたんや、壱衛」
「いや、ここは区画的空間的に言って臨界記憶野に『近い』んだ。恐らく、誰かの記憶、何かの記録が、ふとした拍子に漏れたんだろう」
「へえ、そういうこともあるんだ」
不思議そうな声は瑠意のものだ。
「一体、誰の記憶なんだろう、これは。誰の記憶の中に残された景色なんだろう」
「さあ……それは、私には。臨界記憶野の揺らぎは世界の欠伸のようなものだが、詳しくは解明されていない」
「ああ、そうなのか。どんなに文明が進んでも、何もかもがはっきり判るって言うわけじゃあないんだなぁ。……でも、それでも、」
「……?」
「今のこの光景を、まるで生まれ故郷に帰ったみたいな気分で見てしまうのは、俺だけじゃないんだろうな、って思うよ」
瑠意の、宝石めいた稀有な輝きを放つ双眸が、懐古と憧憬とを含んでいるのを見て取って、昇太郎は再度周囲を見渡した。それは、自然という根本を魂に持つ人々が見る原風景なのかもしれなかった。
崩れかけた世界を永きに渡って見てきた昇太郎にすら、輝く緑の海は、眩しく、そして美しかった。
「それで……理月、瑠意、あんたらはこれからどうするんや?」
ざあざあと音を立ててさんざめく草原を見つめながら昇太郎が問うと、
「俺は、理月に誘われて一緒に来たんだけど」
瑠意が理月を見遣り、
「ああ、うん、これを……返そうと思って」
理月は懐から、美しい布で作られた『花』を取り出してみせた。
「……ああ、そりゃあ……」
「うん、界果墓標群に」
それは、前回、彼らが、大凶兆となった廃鬼師・万己を止めるべく降りた先で見つけ、最終的には大凶兆を目覚めさせる要因となった代物であり、おそらくは、最新鋭の廃鬼師・零覇が、今はもういない愛しい女のために、自らの手で作った手向けの花なのだった。
「そういう、昇太郎は?」
「ん、俺か。……そうやな、俺も、あそこには、行きたいかもしれん」
特別な目的があってここへ来たわけではなかった。
あえて言うのなら、世界の再生を目の当たりにしたかっただけだ。
そして、懐かしい愛しい記憶をみせてくれるという欠片を集めて、それを集めた結果何が起きるのかを確かめたかっただけだ。
だから、どこへ行こう、行きたい、という強い主張も特にはなかったのだが、しかし、界果墓標群の名を聞けば、己が負う業とよく似た役目を持つその場所へ、足を運びたくもなる。
「なら……一緒に行こうぜ」
理月が笑い、
「うん、俺、昇太郎さんや壱衛さんの話、聞きたいし」
瑠意が頷いて、
「……そうか」
壱衛が返す。
「昇太郎、あんたは?」
問われて、否やを唱える必要性など、無論昇太郎にはなかった。
(輝きは、大地へ降りて)
どことなく、聞き覚えのある声、しかしその記憶を超えて美しい声が、静かな歌を謳っている、そんな気がした。
5.追憶−森羅万象
自然と、誰もが、足を、世界の果てへと向けていた。
かの最果てなる墓標群は、本来、都市機能を使い、空間を繋げてしか入ることが出来ないはずなのだが、都市そのものが特別視しているからなのか、地上の人々は、それと願うだけで、願いながら地下へとくだるだけで、いつの間にか辿り着けてしまうのだ。
ある者はたったひとりで、ある者は友人と言葉を交わしながら、ある者は未だ出会えぬ人を探して焦燥を抱き、ある者は感慨深く、ある者はただ喜ばしさとともに、少しずつ、しかし確実にその場所へ向かっていた。
――いくつもの、きらきらと輝く記憶の欠片を拾い集めながら。
トゥエルーティア・クロックは、しょんぼりと肩を落として寂しい道を行く中で、やわらかく透き通ったブラウンの欠片を幾つも見つけていた。
それは言葉にするならば、驚くほどインクルージョンの少ないスモーキークオーツ。
指先で拾い上げた瞬間、崩壊する王国と、王国を捨ててまで手に入れた少年のヴィジョンとが脳裏をよぎる。
(一緒にいるよ)
崩れ落ちてゆく王国を、自分で滅ぼしたのだから、せめて最期くらいはこの目で、と瞬きもせずに見つめていた時、トゥエルーティアの震える手を握り締め、きっぱりと告げて微笑んだ彼の、あの眼差しの強さと輝きと、そして手の温かさを覚えている。
(トゥエルーティア、君と、一緒に)
彼がそう言ってくれたことで、自分はどれだけ救われただろうか。
そしてどれだけ、彼に囚われただろうか。
「何が、間違っていたのかしら」
ぽつりとこぼし、穏やかに輝く欠片を見つめる。
――彼女は、永遠に回り続ける、王国のための歯車だった。
王国は、彼女を彼女たらしめる、トゥエルーティアのための箱庭だった。
彼女が主なのか、王国が主なのか、ふたつはあまりにも近すぎて、トゥエルーティアにももう判らない。
このまま、自分は、国と騎士と虚ろな民とともに、永遠にこの箱庭で回り続けるのだと、そう思っていた矢先に出会った、たったひとりが、彼だった。
その、たったひとりのために、トゥエルーティアは、王国を、壊した。
崩れ落ちてゆく荘厳なる王城のヴィジョンが脳裏をよぎる。
(君と一緒にいられる世界を、僕は、選ぶよ)
自分を縛り、つなぎとめ、しかし同時に守り慈しんだ、慕わしく厭わしい箱庭の崩壊を、だからこそトゥエルーティアは、後悔しなかった。
「これからも……」
欠片を握り締めて、トゥエルーティアは呟く。
声が震えたのは、哀しかったからなのか、ひとりでいるのが恐ろしいからなのか。
(トゥエルーティアの作る料理は、どれも美味しい。すごいことだと思う)
それほど大したものを作ったわけではないのに、自分で作った夕飯をご馳走したら、びっくりするほど驚いて、感激して、美味しい美味しいと言って食べてくれた。
「ずっと、傍に、って」
昨日までは、そう思っていた。
どうして、こんなことになったのか、今はもう、判らないのだ。
どうすれば、昨日のように笑えるのか、判らないのと同じくらい。
(真っ白になったね、トゥエルーティア。君は、そんなことも出来るんだ)
洗濯をしただけで、すごいと褒めてくれた。
あの時の自分を見る彼の目が、きらきらと輝いていて、それが今は辛い。
胸が痛いのだ。
今でも、自分は、こんなにも彼のことが好きなのに。
エンリオウ・イーブンシェンが見つけたのは、明るい群青色の欠片だった。
それは言葉にするならば、極上のアイオライト。
わずかに微笑んで拾い上げると、
(誰に会えると思ったんだ? 一体、誰に)
記憶の欠片が見せるヴィジョンの中で、エンリオウをせせら笑うような表情で訊くのは、白い猫毛、赤い猫眼の男だった。
「……ウルトウリック」
誰よりも、エンリオウを憎んで呪った男だ。
エンリオウの相棒だったフィエラを心底愛していた男でもあった。
(ゲイルか、それとも、彼女か? ――お前が殺した)
魔神と化したフィエラをエンリオウが『殺し』たことを憤り、彼を憎んで、最期まで許さなかった、かつての傭兵仲間だ。
最終的には、フィエラが召喚された儀式場に国を建て、彼女ではない大魔を身に飼って、かつての師、親しい仲間すら手にかけながら、数百年にも渡って栄える大国を築き上げた。
(ここで俺はずっと彼女を守るんだ)
赤い猫眼が、エンリオウを嘲るように射抜く。
(あんたには出来なかったことを、俺がするんだ)
それは、エンリの仕えた王国でかつて交わした会話。
「……ああ、そうだねぇ、ウルト」
そう言えば、彼の顔が憤りに歪むと判っていて、エンリオウは唇を動かす。
どんなことを言われても、緩やかな微苦笑を漏らすしかないのは、エンリオウ自身が、フィエラを守りきれなかったことを悔いているからだ。エンリオウ自身が、責められて仕方のないことだと思っているからだ。
「きみになら、守れたんだろうか。あの時、きみになら」
本当は、助けたかった。
本当は、フィエラに去ってほしくなどなかったし、そのことでウルトウリックを歪ませたくもなかった。彼が歪んだ結果、剣の師でもあったゲイルまでも失うことになった。
その理由の一端を、エンリオウは背負っている。
もちろん、どうしようもなく折り重なった運命が、彼らを引き裂いたのだということをエンリオウは知っていたから、すべての発端が自分で、何もかもが自分の責任だなどと、悲劇の主人公を装うつもりはなかったが、自分の無力さを口惜しく思いはする。
だからこそ、異形の王となったウルトウリックを責めることは出来ず、彼の嘲りを甘んじて受けもし、死を間近に控えた彼の、自分の血筋を守れという脅迫めいた命令にも、応えた。
しかし、
「それでも、わたしにとっては――……」
実を言うと。
――水の魔剣ウンディーネが、彼を案じている気配が伝わってくる。
エンリオウは唇の端で大丈夫だよ、と微笑んだ。
「この感情すら愛しいのだと、大切なのだと、そう言えば、きみはまた怒るのかな、ウルト」
それらすべてを経て来たからこそ、そしてそれらを受け入れ、すべてを慈しんで来たからこそ、今のエンリオウはエンリオウなのだと、そう言えば、あの、直情的な赤眼の男は、何と言って彼を詰っただろうか。
昇太郎は、また、淡いグリーンに輝く欠片を見つけていた。
それを言葉にするならば、内部に金の光を秘めたグリーンアメジスト。
その美しさに目を細め、拾い上げると、欠片は彼に、神なる女との、懐かしく愛しい、そして緩やかな痛みを含んだ光景を見せてくれる。
今でもひとつとして忘れ得ぬ、たくさんの記憶と、苦悩。
(わたしを殺して、昇太郎)
あの日、何かを決意した哀しい眼差しでそう乞うた彼女の映像が、色褪せぬままにリフレインする。
何故、かの神なる女が、昇太郎にそれを望んだのか、彼には未だ判らない。
昇太郎は、彼女と一緒にいるだけで、言葉が要らないほどに幸せで、呼吸のひとつひとつを感じるだけでも満ち足りることが出来たけれど、彼女には、そうではなかったということなのかもしれない。
自分では、彼女の救いにはなり得なかったということなのかもしれない。
「そんでも、俺は」
――結局、愛していると告げることは出来なかった。
彼女に、自分をどう思っているのか尋ねるだけの猶予もまたなかった。
彼女が死を望んだのは、青天の霹靂とでも言うべき唐突さで――無論、昇太郎にとっては、だが――、そこから昇太郎が幾ら言葉を尽くしても、彼女を引きとめようとした思いのすべては、虚しく空回りするばかりだったから。
(もしも許されるならば、違うわたしとあなたとで出会いたい)
その言葉の真意を尋ねることも出来なかった。
(自由な、わたしで)
あの、憧憬を含んだ眼差しの意味も、昇太郎はまだ判らずにいる。
「お前のことが、何よりも大事じゃった」
彼女が、神という絶対に縛り付けられた我が身を哀しむのならば、その悲嘆をすべて受け止め、受け入れて、ただ心だけでも穏やかに安らげる場所を与え続けたいと、きつく抱き締めて告げられていれば何か変わっていたのかと、時折思いはする。
「全部終わらせられたら、また、お前に逢えるんじゃろうか」
欠片の見せるいくつかのヴィジョンの中、童女のように屈託なく笑う『神』を、色違いの双眸で見つめ、昇太郎はつぶやく。
「……いつか、また、逢えるんじゃろうか」
掌に握り締めた欠片は、儚い、美しいヴィジョンを伝えるのみで、答えを与えてはくれなかったが。
朱鷺丸は、濃い青に金の散った欠片を拾い上げた。
それは言葉にするならば、小宇宙を内包したラピスラズリ。
欠片を掌に遊ばせれば、脳裏を、満開の桜に彩られた都の偉容がよぎる。
春、桜で埋め尽くされた都の姿を山のいただきから見下ろして、まるで極楽のようだと思った。
淡い薄紅が都を縁取り、あちこちにやわらかな沙羅をまとわせたようで、天上から降り立った神女が舞い踊っているのかと錯覚した。
穏やかで平和な、天子の統べる都、それを守る自分が誇らしかった。
もののふとして生まれ、お上のため、民のために生きる、その喜びを噛み締めたのも、その頃だった。
「光と、影、か」
けれど、それを守るために、咎なき存在を手にかけた。
どんなに願おうとも共存の道は遠く、朱鷺丸がひとりで何か出来るわけもなく、半ば狩りたてるように、あの美しく白い鬼と、その一族とを追い詰めたあとは、まるで世界そのものが変質でもしてしまったかのように、胸が引き裂かれてしまうのではないかと思うほどにその景色が哀しく、痛かった。
果たして自分には、この風景を慈しむ権利があるのだろうかと。
この、血にまみれた手と、血を流し続ける心に、春の美を楽しむことが許されるのだろうかと。
「……それでも、わしは、あの都が好きじゃった」
決して明晰ではなかったが朴訥で温かい人々、無骨で不器用で一途なもののふたち、二律背反の争いに心を痛めつつも、人間という種の繁栄のために『鬼』にもなろうと断じた為政者たち。
誰もが、自分のためだけには生きていなかった、あの都が、朱鷺丸は好きだった。
「この感情は、廃鬼師たちと、おんなじなんじゃろうか」
つい、平素の、銀幕市用ではない口調に戻って呟く。
慈しみが哀しみに転じ、それが毒となる辛さ、痛みを、廃鬼師たちは知っているだろう。
世界最大規模の器を持つ廃鬼師・万己は、そのために大凶兆となり、世界の礎となったのだから。
けれど、
「だぁれも……悪いことなんぞ、してはおらんのじゃもの、なぁ……」
廃鬼師たち、そしてこの世界の人間たちが、『世界』そのものに対してそれを感じずに済んだなら、と思う。
この『世界』を愛することが、ダークラピスラズリのために我が身を犠牲にした彼女らを愛し慈しむことになるのだから。
シャノン・ヴォルムスが見つけた欠片は、深く澄んだ緑色をしていた。
それを言葉にするならば、高貴にして稀少なるアイドクレース。
拾い上げた瞬間脳裏をよぎる記憶の中で、愛しい、美しい女が微笑んでいる。
「……リィナ」
シャノンもまた微笑み、欠片を掌に転がした。
「ここに来れば、逢えるだろうと思っていた」
睦言を囁いて抱き合った回数、甘く呼んだ名前の回数、愛していると笑い合った回数、手をつないで散歩をした回数、蜜のような口づけをした回数、髪に触れた回数、寄り添って朝を迎えた回数、――もはや届かぬ存在となった彼女に向けた誓いの回数。
その一回ずつを、シャノンは、今でも克明に覚えている。
そう、リィナとの記憶のすべてが、シャノンという存在を強く鋭く創り上げた。
遠く遠く離れてもなお、リィナは、シャノンの深淵に根ざす絶対であり、原風景なのだ。
「やはり……お前は美しい、リィナ」
こんなことを言えば、あいつを嫉妬させるだろうかと、ほんのわずか思いつつも、囁くように告げる。
記憶の中のリィナがくすくすと笑った。
(それは、あなたが、今でもわたしを、美しい記憶とともに覚えていてくださるからよ)
――彼女さえいればそれでいい、という日々を長く生きてきた。
地位も名誉も、他人の思惑もどうでもよかった。
ただ彼女が愛しくて、ただ、傍にいたかった。
それだけの思いで、血雨の中を駆け抜けて来た。
ふたり一緒なら、どんな苦難でも乗り越えて行けると信じていた。
あんなにもあっさりと、唯一絶対の絆が失われるとは、思ってもみずにいた。
「……リィナ、俺は今でも、お前のことを愛している」
リィナは、シャノンにとってもっとも大きな、なにものにも代え難い存在なのだ。その価値観は覆らないし、誰にも覆させないだろう。
しかし、彼はいまや孤高にして冷厳なるハンターのみの存在ではなくなった。
「だが……今、俺には、愛するものが出来た」
そして、たくさんの愛と、笑顔とに、囲まれている。
「お前は、それを、どう思うんだろう」
祝福して欲しいと思うのは、シャノンの期待、願望なのかもしれないが、今の自分が幸せだということを、リィナにだけは知っていて欲しいと、シャノンはそう切に思った。
(ええ、知っているわ)
記憶の中のリィナの声は、どこまでも美しく、やわらかい。
(あなたの愛するものならば、わたしにとってもそれは愛しい方)
誰よりも愛し、誰よりも欲した女の、神秘的なまでに透き通って美しい眼差しが、ゆったりとした慈愛とともに細められる。
(だから、あなたがあなたの愛する方と幸せでいられるのなら、わたしもまた、幸せなの)
リィナといたときのような、温かく穏やかな時間を、リィナ以外の人間が与えてくれる。
その不思議と、縁なるものの深さとを思い、
「けれど、俺は、お前のこともまた、片時も忘れはしない」
彼女がいたからこそ、愛する喜びを知ったという、その根本を、シャノンは新たにするのだ。
(どうか、幸せでいて、シャノン。わたしの愛しい、ヴァンパイアハンター様)
微笑んで告げるリィナに、彼女の深い愛に、自分が生きることで応えるためにも。
取島カラスが見つけたのは、鮮やかな橙色の欠片だった。
それは言葉にするならば、温かな風合いを宿したオレンジアベンチュリン。
拾い上げると、欠片は、カラスの脳裏に、この銀幕市で起こったたくさんの出来事と、それにまつわる思い出とを見せてくれた。
「ああ……あんなことも、あったなぁ」
脳裏をよぎってゆく、ひとつひとつの出来事に目を細めながら、カラスは掌の欠片を見下ろす。
銀幕市に魔法がかかって、カラスの日常は一変した。
色々な人と出会って、色々な人と親しくなって、色々な事件を経験して、哀しい思いをして、悩んで苦しんで、ひとりになって、手を差し伸べてもらって、救われて、それがまた怖くなって、――そうやって、たくさんの迷路を巡り巡って来た気がしている。
「色んなことが、あったけど」
鼻をふんふん鳴らしながら歩くバッキーを横目に見ながらカラスは呟く。
「俺は、幸せ、なんだろうな」
脳裏に、友人が笑顔で手を振るヴィジョンが流れる。
はにかんだように微笑む少女の映像が揺れる。
少女は、お父さんに会えてよかった、と唇だけで告げ、そして恥ずかしげに頬を染めるのだ。
「――……うん」
カラスは、それらをとても愛しいと、大切だと思い、自分の持てるすべての力で守りたいと願う。
そう、我が身を犠牲にして、世界を守った廃鬼師たちのように。
思いのゆえに、己よりも他者を選んだ、そんな人々のように。
ベルナールは、明るく澄んだ緑色の欠片を見つけ、拾い上げていた。
それを言葉にするならば、春の若葉のようなペリドット。
欠片は彼に、彼が唯一絶対と定めた主との、懐かしい出会いの記憶を見せてくれる。
(おまえならば、とその腕を見込んで頼んでいるのだが……どうだ?)
あれは幾つの時だっただろうか。
自分は十を少し過ぎた辺り、彼は十になるかならないか、くらいだっただろうか。
その時のベルナールは、貴族の子弟として、城に行儀見習いに上がっていたのだと思う。
貴族の一員とはいえ、十代初めの少年だ、まだ権謀術数や権力闘争などとは無縁だったが、彼は妾腹の子で、おまけに魔術師としての要素をその頃からすでに垣間見せていたため、決して幸福な幼年期、少年期を送っていたわけでもなかった。
ベルナールが不義の子であることを知っている大人たちはおろか、空気を敏感に感じ取った子どもたちもまた、彼を嘲り、遠ざけていた。影でこそこそと悪口を囁く人々の、意味深で興味本位の視線に唇を噛んで耐える、そんな中、明らかに高貴な身と判る出で立ちの少年に声をかけられたのだ。
(他の奴らは私に媚を売るばかり、そのくせ肝腎なところではなんの役にも立たん。まったく、使えぬ連中だ)
あどけない、愛らしい面立ちに似合わぬ口調で、心底呆れたように言い、少年はベルナールを選んだ。
それが運命だったのか、偶然だったのか、必然だったのか、ともかくふたりは城を抜け出し、
(――……見ろ、ベルナール)
一握りの人間が私利私欲によって動かすまつりごとに虐げられる下層の人々を筆頭に、きらびやかな城内で、甘い言葉だけに耳を傾けていれば決して見られぬものをともに見て、
(私は、彼らにも、この国の民としての矜持と喜びを与えたい)
ベルナールは、理想に輝く気高い眼差しに、彼のために生きたい、彼のための力になりたいと、そう強く願ったのだ。
「……まさか、あの時の彼が、王子だったとは」
あの時はまだ明るく笑っていた主を思い出し、ベルナールは微苦笑する。
帰ってみれば、王子が行方不明だと城は大騒ぎで、彼の逃亡に加担したベルナールはこっぴどく怒られたのと同時に、聡明だが扱いの難しい王子の信頼をかち得たとして評価されるに至ったのだった。
しかし、
(おまえがどんな生まれで、誰の子であろうとも、おまえがおまえであるという事実は変わらぬ。私はお前と出会えたことを嬉しく思っているのに、本人が、自分の価値を疑うというのか?)
正直、周囲が彼に下した評価など、どうでもいいのだ。
ベルナールは彼の言葉に救われ、そこに光と意味とを見出したのだから。
「主よ、あなたさえ幸いであらせられたなら」
今は会えぬ最愛の主に思いを馳せ、ベルナールは独白する。
「私など要らぬというこの心に、何の偽りもありませぬ」
それが、ベルナールがベルナールであるための、絶対条件なのだから。
理月は、灰銀に黒い斑点の散る、内部に美しい光を宿した欠片を見つけていた。
それを言葉にするならば、神秘的な青白のレッセンスに輝くラブラドライト。
拾い上げると、それは、理月に、懐かしい『家族』の姿を垣間見せてくれる。
(さあ、どんどん食え、呑め、アキ!)
泡立つ黄金のエールを、なみなみとジョッキに注いで理月に押し付けながら、傭兵のひとりが笑う。
(今日一日生き延びた分、楽しまなきゃ、損に決まってる!)
違いない、いいこと言うじゃねぇかと笑って同意する、陽気で騒々しい傭兵たちに釣られて笑い、ジョッキを干して、誰も欠けずに一日を終えることが出来た幸運を感謝していた、あの頃のことを思い出す。
興の乗った誰かが、笛や弦楽器を奏で始めると、傭兵になる前は旅芸人の一座にいたという数名が音楽に合わせてくるくると舞い、周囲からやんやの喝采を浴びるのだ。
そのうち理月たち見物人までが踊りの中に引き込まれて、見よう見まねで舞う羽目になり、最終的には、傭兵団のメンバー全員が、歌ったり踊ったり楽器を奏でたりと、全員で、今生きているこの瞬間を喜ぶ、盛大な祭を催すことになるのだった。
「団長、シエラ、オリエ」
人間の命が紙や羽毛のように軽い世界に生きてきて、自分の命が大切で貴いものだと思ったことはなかったけれど、彼らが自分を大事にしてくれていることはよく知っていたし、自分もまた彼らを大事に思っていた。
それを愛と呼ぶのだろうと、言葉にはせずとも漠然と理解していた。
(アキ、楽しんでいるか。おまえが楽しいと、俺たちも楽しい。家族ってのは、そういうもんだろう)
もう、十年も前のことだ。
「それに……クロカ」
彼らの壮絶な死に様を、残酷な愛に満ちた最期の願いを、今でも欠片も違えずにそらんじることが出来る。
どうして自分だけがという狂おしい絶望、ともに逝きたかったという激しい渇望、家族たちの願いのゆえに決して実行できない死への誘惑は、今でもまだ理月を満たしているが、同時に、
「ああ……楽しかった、なぁ」
彼らのくれたこの感情もまた、家族たちが理月に与えたたくさんの贈り物の中の一端ではないかと思うのだ。
たくさんたくさん愛してくれた。
たくさんたくさん愛することを許してくれた。
血のつながりよりも強い絆を見せてくれた。
本当は、今も彼らが自分を愛していること、今でも見守ってくれていることを、知っている。
「……俺」
美しい光沢を放つ欠片を握り締め、理月は遠い映像に向かって話しかける。
「いっぱい、大事な人が出来たんだ」
この様々な奇跡に満ちた町で、彼らとともに生きることは悪くないと、そう思えるようになった自分を、――今はもういない家族と同じように、自分を深く愛してくれる存在がいることを、理月は不思議な感慨とともに思い、誰にともなく感謝するのだ。
「だから……もう少し、こっちで、頑張る」
理月自身が、何よりも、自分を愛してくれる人たちを守りたいと思うから。
シュウ・アルガは、漆黒でありながら金剛石のように輝く欠片を見つけ、拾い上げていた。
それは言葉にするならば、艶やかな色気を内包したブラックスピネル。
欠片を手にすると、シュウの脳裏を、懐かしい、今は遠い学友たちとの、賑やかで温かい時間がよぎる。
もう、二十年以上前のことだ。
(名前、なんて言ったっけ、あのちっこいやつ)
しかし、実を言うと、最初、シュウは、
(あいつ、生意気だよな)
友達などというものとは無縁な少年だった。
無口で無表情で無愛想な、独特の、人を寄せ付けない雰囲気を持った彼に近づくものはおらず、シュウは常にひとりだった。
孤独を望んでいたのか、特別が出来ることを恐れていたのか、今のシュウはもう覚えてはいないが、
(やめなさいよ、あんたたち。仮にも魔導の道を志すものが、悪意のある言葉を安易に口にすべきじゃないわ。それがいずれ、あんたたちを蝕む呪いに変わるかも知れないってことを、覚悟しているんなら止めはしないけど)
彼が心を開いてゆくきっかけとなった、赤毛の少女の記憶は鮮やかだ。
(あんた、『シレン』よね? あたしは『スカーレット』。あはは、うん、そのまんまでしょ)
魔道学院での、数名の班で魔法を創る、という課題の最中のことだった。
当然、友人のいない当時のシュウはどこの班にも入れず、この課題は落とすしかないか、などと思っていたのだが、
(あんた、あたしたちの班に来なさいよ。ちょうど人数が半端で困ってたの)
少女は、シュウの返事など待たずに、彼を引き摺って、強引に自分の班に参加させてしまった。
当然、シュウが拒絶する、もしくは頷くよりも早く、他の生徒たちが難色を示したが、
(……いいんじゃないか。俺は、賛成するけど)
クラスの中だけでなく、教師にまで一目置かれていた少年がそう言って、シュウはあっという間にその班のメンバーになったのだ。
「あー、あんときの俺、青かったよなァ……」
欠片がもたらす記憶を苦笑とともに見つめ、シュウは目を細める。
異世界に迷い込んだ孤独と痛手を引き摺ったまま魔道学院に入り、誰とも心を通わせられぬまま素質だけが伸びてゆく中、クラスメイトたちが、シュウに世界を開いてくれた。
そのことにシュウは感謝する。
(……なんだよ、やるじゃん、おまえ)
最後までシュウに突っかかっていた少年が、ぶっきらぼうに、どこか照れたように言ったのは、いつだったか。
シュウは努力家で、真面目だったから、与えられた課題も、人一倍努力して、こつこつと成果を積み上げていった。初めは否定的だった班員たちも、シュウの姿勢を見て、態度を改めた。
同時に、シュウも、彼らに心を開いてゆくことが出来た。
級友たちは様々に個性的ではあったけれど、誰もが、魔道という深淵を歩くために、日々の努力を惜しまない誠実さを持っていた。
「……あいつら、今はどうしてんのかなぁ」
今はもう、すでに失われた顔があることも、シュウは知っている。
たくさんの事情と思惑を孕んだ戦いや争いが、魔導師たちを戦場へ駆り立て、そして失わせたことを知っている。
「皆、元気でやってんのかな」
それでも、
(ああもう……なんだよ、おまえ。自称天才のくせに実は努力家とか、マジでありえねぇし。そんなとこ見ちまったら、仕方ねぇ認めてやるか、って思うしか、ねぇじゃん)
彼らと過ごした日々、彼らがくれた思い出、彼らがもたらしてくれた感情のすべてを、もう一度目の当たりにしたいと思ってしまうのは、シュウが、それだけあの日々を愛しているからなのだろう。
「ああ……もう一回、会いてぇなぁ」
零れ落ちた言葉の先で、弾むような若さと明るさに彩られた笑顔の少年少女が、シュウに向かって手を振ったのが見え、シュウは微笑む。
緩やかに去来する友愛を、得難く貴いと思いながら。
神月枢が見つけたのは、明るい青地に黒や茶色や緑の散った、不思議な色合いの欠片だった。
それは言葉にするならば、地球めいた荘厳さのクリソコラ。
指先でつまみ、掌に転がすと、欠片は彼に、今はもういない親友の記憶を届けてくれる。
底抜けに明るい、開けっ広げで裏表のない笑顔を見せる青年の名を、
「……サディグ」
枢は、深い感慨とともに呼ぶ。
サディグという、『誠実』を意味する名の、ココア色の肌をした青年は、枢にとって、兄であり親友であり、刃物の扱いに関する師匠であり、枢に世界の何たるかを教えた人物でもあった。
「お前に、今の俺は、どう映っているんだろう」
一番印象に残っているのは、その親友を喪った――殺した日だ。
人には言えないような、幼少期のどん底での生活でさえ、今にして思えば楽しかったと言えるのは、紛れもなく彼のお陰だった。
馬鹿がつくほどのお人好しで、誰もが笑顔になるような愛敬の持ち主で、薄汚れた路地裏で暮らす“持たざる人々”は皆、枢がサディグを好きだったのと同じくらい、彼のことが好きだったし、信頼していた。
サディグがいたから朝は鮮やかで、昼は賑やかで、夜は温かかった。
「……本当は、他にももっと、選択肢があったんじゃないかと、今でも思う」
その彼を、サディグ自身の望みとは言え、この手にかけざるを得なかった日、自分にとって唯一無二である存在さえ生かすことが出来ない、己の無力を悔やんだ日。
その日から、枢は、彼の死に対する責任を負い、絶対に、寿命で死ぬまでは、天寿を全うするまでは、決して生きることを諦めないと誓った。何があっても絶対に忘れないと誓った。
(多分、な)
記憶の中のサディグそのものの、くせのある言葉遣いで、過去のヴィジョンが囁く。
少し困ったように、申し訳なさそうに、けれど懐かしそうに。
(世界っちゅうんは、巧いこと行くようになっとるんや。オレはそう思う)
左右、色違いの眼差しが、名前をそのまま体現するかのごとき真摯さを伴って枢を見つめる。
枢は、眩しげに顔をしかめてそれを見た。
(どうやったかて、巧く回るように出来とる。せやから、いつかは、巧いこと行く。そう思って行動したら、きっと何でも出来る、て、そうは思わん?)
能天気としか言いようのない言葉に、枢はふっと微苦笑を落とす。
「――妄想も甚だしい、馬鹿な話だとは思うが。今でも、お前が生き返ったらと、生き返らせることが出来たらと、願ってしまうことがある。お前にとってどうだったかは知らないが、俺には、お前の存在ほど大きなものは、未だかつて、なかった」
彼との、決して長くはない、共有した時間が、今の枢を枢たらしめる最大の要因だ。
今でも、枢は、哀しい。
もう二度と、彼のあの底抜けに明るい笑顔に会えないのだと思うと。
「何で、自分の死を選んだんだよ、あんなに、ハッピーエンドしか認めないって、抜かしてたくせに」
ぽつり、と、
「――……馬鹿が」
万感の思いを込めて、詰る。
(堪忍な)
記憶の中で、サディグが、困ったように笑った。
(堪忍やで、枢)
自分の記憶の中の出来事のはずなのに、記憶の中のサディグはいつでも満面の笑顔でいるはずなのに、何故か枢は、今幻としているサディグが泣くのではないかと思った。
そんな表情すらも好きだった、なんて、馬鹿馬鹿しいから、絶対に言わないけれど。
アーネスト・クロイツァーは、透明でありながら複雑に光が入り組んだ欠片を拾い上げていた。
それは言葉にするのなら、永遠とも思える長い時間をかけて磨かれたエレスチャル水晶。
欠片は彼に、彼が彼として自我を持つに至った懐かしい過去を見せてくれる。
「……何だ、やっぱり、お前たちか」
記憶の向こう側で笑う、見慣れた面々の姿に、アーネストは微苦笑した。
無論そこに湧きあがる感情は友愛で、彼の周囲を漂う精霊たちが、アーネストの喜び、穏やかな愛情を感じ取って、さわさわと笑いさんざめく。
(何だ、はねぇだろ、何だ、は)
(そう拗ねるな、ルファ。アスは照れているだけだ)
ふたりの幼馴染と、半身とでも言うべき氷の精霊の姿が、脳裏をよぎる。
――そもそも、アーネストは、アーネストのみで構成されているわけではなかった。
物心ついた瞬間から、彼は、自分以外の誰かの記憶を大量に持っていた。
それが、アーネストの、ずっとずっと前の『彼』が、世界に縛り付けられた神を憐れみ、その神を救いたいと願って契約した異神との約定であり、『彼』が神を救うために必要な力であり、アーネストを苦しめた大きな波でもあった。
(お前はお前として生きたらいいんだぜ、なァ?)
クロイツァーの一族と親交の深い某国の王子、ウィルヘルムと、
(そこの馬鹿王子殿下は、少々自分本位に生きすぎだがな)
その乳兄弟にして護衛である、シルヴィオと。
そして、生まれたときからアーネストの傍にいる……傍にいた、氷の精霊。
幼馴染たちと、『家族』との、懐かしい記憶が、目の前をゆったりと流れてゆく。
(あん時のお前の顔、見ものだったよなァ、ホント)
徐々に徐々に増えてゆく他人の記憶に怯え、いずれ『自分』が消えてしまうのではないかと絶望して、それならばいっそ、記憶を受け入れるための器になればいい、と、感情を押し殺していた幼年期のことだ。
(……馬鹿王子殿下はああ仰せだが、心配するな、そういうあいつの顔の方が数倍は面白い)
人間も、精霊も、余計なものが何も入ってこないようにと、結界を張った部屋でただひたすらに知識を蓄えるための、面白くもない読書に精を出していた時、知らない間に氷の精霊と幼馴染とが共謀していて、ばたばたとした大騒ぎの結果、あれよあれよという間に外へ連れ出されたことがあった。
精霊とともに生きるアーネストの一族は、彼らのために、大きな森を守っている。
それが一望できる高台に連れて行かれたのだ。
(だけど……よかったろ?)
(アス、お前に流れ込む記憶が、誰かのために用意された苗床だとしても、『お前』を必要とし、『お前』のために存在するものもまた、間違いなく存在するんだ。それを忘れるな)
あの時のことを、アーネストは生涯忘れないだろうと思う。
『次』の自分になっても、絶対に忘れないだろうと思う。
高台から見下ろした森は神々しく美しく、生命の息吹と強大なエネルギーに満ち、圧倒的なまでの存在感で持って、アーネストに、生と存在の何たるかを語りかけた。
そして、幼馴染たちが呆然とするアーネストをもみくちゃにして、森いっぱいに広がる精霊たちが、漣のようにアーネストを呼び、彼が姿を見せたことを喜んで笑う、そんな夢のような一時だった。
「……ああ」
アーネストは微笑し、頷く。
あの時、彼はようやく、自分は自分として生きていいのだと悟ったのだ。
永遠にも近い時間を生き続けてきた『彼』の記憶は膨大で、アーネストという個人など容易く吹き飛ばされそうな錯覚に陥るが、しかし、今の自分がしっかりと大地に足を踏ん張ってこそ、この器は、強い決意とともに力を揮うことが出来る。
「俺は、俺だ」
憐れな神を今度こそ救うためにも、と、アーネストが決断することが出来たのも、あの時の光景、あの時の言葉が、常に彼の魂を揺さぶり、奮い立たせてくれるからなのだ。
「――もう、迷わない」
そう思わせてくれたすべてのものに感謝し、彼は、日々という名の道を行く。
藤田博美が見つけたのは、やわらかな桜色をした小さな欠片だった。
それを言葉にするならば、瑞々しい透明感にあふれたローズクオーツ。
「そういえば、もう、そんな季節よね」
淡い薄桃色の欠片に春を思わされ、微笑んで拾い上げる。
欠片は彼女に、楽しかったこと、幸せだったこと、哀しかったこと、苦しかったこと、それら、すべてを含むからこそ愛しいと言える、たくさんの思い出をもたらした。
「ああ、懐かしいな」
あれは、いつのことだっただろうか。
博美が愛した男、某大学の学生だった青年が、ブランド物のトートバッグを贈ってくれたことがあった。
アニヤハインドマーチのチワワプリント柄というそれは、発売と同時に大人気となり、あっという間に完売してしまった代物で、彼は、博美にそれをプレゼントするために、結構な努力と苦労をしたらしかった。
彼はもちろん、博美のためなんだからどうってことないよ、なんて顔をしていたけれど、悪いと思いつつこっそり値段を調べて、プレミアがついて学生が買うにはなかなか勇気のいる金額になっていたことを知って、申し訳なくもなり、嬉しくもなったのだった。
博美は、某国の工作員として働いていて、またそのための必須技能はすべて習得している、いわゆる職業軍人だが、内面は、よくも悪くも普通の女子大生だ。博美が様々な犯罪に――祖国ではそうは表現するまいが――手を染めるのは、彼女が愛国心の塊だから、ではない。
そうするしかないから、そうすることでしか生きていけないから、加担しているだけだ。
「本当は、終わってしまうはず、だったけど」
呟き、欠片の転がる手の平をじっと見つめる。
映画、博美にとっての現実世界では、彼女の人生は、半ばほども行かぬうちに終わってしまうはずだった。
しかし、銀幕市という場所に実体化したことで、博美は、今まで彼女が出来なかった平和を享受できる。何にも縛られることなく、どんな柵にもじゃまされることなく、自分のために生きることが許される。
「……いつか、彼に、会えたらいいな」
もちろん、大切な人、愛し愛されたあの人が、ここにいないのは寂しい。
博美は確かに彼のことが好きだったし、彼が確かに博美のことを好きで、大切にしてくれていたことも知っている。ここでなら、何にも邪魔されずに想いを交わせるのに、と、残念に思わなくもない。
それでも、
「信じてみても、いいよね?」
一体何年先になるかなんて、それが絶対なのかどうかなんて、誰にも判りはしないけれど、いつか目の前に、照れ臭そうな、幸せそうな、そんな笑顔とともに、彼が再び現れる可能性はゼロではないのだ。
博美は、その可能性を信じたいと思う。
「私……待ってるから」
記憶のヴィジョンの中で微笑む彼を、懐かしく、いとおしく見つめて、博美は笑みを返す。
思い出は、晴れた青空のような、明るい、よいことばかりではない。
時に雨に降られることもある。
日々と同じなのだ。
それら、酸いも甘いもひっ包めて、『大切な思い出』と呼ぶのではないだろうか、と、博美は思う。
そう思えるからこそ、博美は、この街での様々に賑やかな毎日を、絶望や諦観に囚われることなく楽しみ、また受け止められるし、銀幕市を覆う暗雲を嘆くよりも、明るい可能性を掴み取る道を選ぶことが出来るのだ。
守月志郎は、深く鮮やかに透き通った群青色の欠片に眼を留め、上体を屈めて拾い上げた。
それを言葉にするのなら、地球の青を体現したかのようなカイヤナイト。
指先でそっとつまみあげると、それは、志郎に、故郷での彼が世界で一番大切にしていた、たったひとりの弟の笑顔を届けてくれた。
(――兄さん)
弟は、名を一葉(いちは)と言った。
少女と見紛う美しい面立ちをした、華奢な少年だ。
性格には少々難があり、散々振り回されては来たけれど、志郎にとっては唯一の肉親で、たったひとりの可愛い弟だった。
(僕、その花が咲くの、すごく楽しみなんだ)
身体が弱く、常に何かの病を身体に抱えていて、床に臥しているだけしか出来ない弟の無聊を慰めようと、そしてわずかでも心の支えになればと、彼のベッドの位置を、庭の見える場所に変え、志郎はたくさんの球根を植えた。
こいつらが咲くのは春だと言ったら、一葉は、季節が巡りくることと、その季節を間違えずに花が開くこと、自分のために花が植えられたこと、それらすべてをとても貴んで、
(じゃあ、僕、花が咲くまでは、絶対に死なない)
だからお世話を頑張ってね、と、志郎にしか見せない素直な笑顔を向けた。
本来ならば、ただ明るい展望と未来ばかりが待つはずの少年が、死という言葉を現実味と覚悟とを持って口にする、そのことに心を痛めつつ、彼の笑顔を見るために、非番ともなればガーデニングに精を出したことを思い出して、志郎は緩やかに微笑んだ。
「……今、お前は、どうしてるんだろうな?」
弟は、まだ、この世界には実体化していないし、この先、実体化するのかどうかも、志郎には判らない。
弟がいないことを寂しく思い、何故自分はここにいるのか、何故実体化したのかと自問自答しながらも、志郎は、故郷と比べれば格段に穏やかな世界での生活を享受している。
ここにいる自分を幸いだと思っている。
(兄さん、僕も、兄さんに会いたいけど)
美しく輝く欠片が、弟の、芯の強い笑顔を届けてくれる。
(でも、まずは、兄さんが幸せであることを、祈るよ)
その言葉が、一葉の願いをすべて体現していることを知っているから、志郎は、彼の思いに報いるためにも、今の自分に出来る十全を尽くして日々を生きねばならないと思うのだ。
片山瑠意は、自分の目や髪と同じ色合いをした欠片を拾い上げ、うっすらと微笑んだ。
それを言葉にするのなら、神々しい深さを持った極上のアメジスト。
手の平に転がったそれは、瑠意に、今はもう会えないけれど、いまでもずっと愛している人たちの、――今でもずっと愛していてくれる人たちの、優しい笑顔を垣間見せてくれる。
「……とうさん、かあさん、真名(まな)」
もうおぼろげにしか覚えてはいない両親と、力及ばず守りきれなかった妹とが、まるで本当の親子のように手をつないで、明るい、それでいて穏やかな笑顔を瑠意に向けている。
「元気でやってるんだ……って訊くのも、変な話だけど」
瑠意は嫡出ではない子ども、いわゆる私生児で、父親は能楽の大家の当主だった、らしい。
父親は、本当は瑠意の母親と結婚する気でいたのだが、時代錯誤甚だしく身分違いだなどと言われ、意に染まぬ結婚を強いられて、瑠意の母親を、心底愛する女を、未婚の母にしてしまったのだ。
しかし、そのことで、幼い瑠意が、何か哀しい目にあったことはなかった。
無責任でも薄情でもなかった父親は、山のようなプレゼントと笑顔を携えて、ことあるごとに母子の住まうアパートを訪れ、和やかな幸せを瑠意と母とに与えてくれた。
瑠意は、おぼろげにしか覚えてはいないが、今でも両親の仲睦まじい姿以外を見たことがない。
戸籍上はどうであれ、確かに三人は、深い絆で結ばれた、仲のよい家族だった。
それが断ち切られたのは、瑠意が四つになった頃だった。
――交通事故で、両親が死んだのだ。
四歳だった瑠意は、当時のことをはっきりと覚えてはいない。
ただ、炎上する車の中から、瑠意を助け出してくれた義父の腕の力強さと、息子が助け出されたことを確認して、瑠意に生きなさいと告げて息を引き取った母親の、温かい笑顔だけが記憶の中にある。
そこから、二十二年。
たくさんのことがあって、色々なものを得て、色々なものを喪って、瑠意はここにいる。
愛しい人が出来た。
兄貴分や、親友や、妹分や、弟分が出来た。
だから、思いは、決して苦悩の中だけに留まらない。
(お兄ちゃん、頑張って。私、ここで応援してるから)
記憶の中の妹が、闊達に笑って手を振る。
恋人同士そのものの睦まじさで寄り添った両親が、慈しみの眼差しで瑠意を見ている。
瑠意は笑って頷いた。
「とうさん、かあさん、真名、俺は大丈夫」
彼らの思いが判るから、瑠意は、自分は泥の中を這いずり、歯を食いしばってでも生きねばならないと思っている。
立ち去ってしまった、もう二度とは会えぬ愛しい人々が、瑠意に生きろと願うから、幸せでいてと祈るから、彼はどんな苦しみにも絶望することなく、大地を踏みしめて立つことが出来る。
瑠意がそうすることで、彼らは瑠意の中に生き続けるのだと知っている。
そして、同じく、
「俺には大切な人たちがいる。守りたい人がいる。俺はいつでもひとりじゃないし、俺を判ってくれる人に守られてる。だから、大丈夫」
この世界にも、瑠意を大切にしてくれる人がいる。
愛されている自分が判る。
それゆえに、
「――……愛してくれて、ありがとう」
やわらかな寂寞を含んだ感謝の念は、絶えない。
サティ・トランプは、やわらかく透き通った印象の、白い欠片を見つけ、拾い上げた。
それを言葉にするのなら、夏には清涼、冬には雪を感じさせるホワイトジェード。
握り締めたそれは、彼の脳裏に、彼を弱くさせる要因となった、ひとりの少女の面影を連れて来る。
「トゥエルーティア……」
呟き、サティは足を速める。
この世界に足を踏み入れるのは初めてのことなのに、早く『あの場所』へ行かなくては、という強い思いがサティを支配し、地下へ地下へと降らせている。そこへ行けば何がどうなるのか、まるで判りはしないのに、サティは早く速くと心ばかり焦っている。
そんなサティに、欠片は、屈託なく笑う少女の笑顔を届けた。
――不思議な縁がもとで出会った少女だった。
初めは、王国を滅ぼす者として命を狙われもしたが、何故か、いつの間にか彼女に執着されるようになった。
もちろん、当惑したし、悩みもした。
多少大人びてはいても、サティは普通の少年だ。
どうすればいいのか判らず、逃げ回ったこともあった。
けれど結局彼女を受け入れ、愛するようになったのは、
「僕もまた、結局のところ、彼女に囚われていたからなんだろう」
彼女にとってのサティがそうであるように、サティにとっての彼女もまた、いつの間にか特別のものになっていたからなのだろう。
(不安? どうして、そんなことを?)
この町にふたりきりで実体化したとき、何もかもが判らないことだらけのこの状況に不安はないのか問うと、
(わたくしがいて、サティがいる。わたくしたちは一緒にいる。それなのに、何を恐れろと?)
ふたり一緒なのにどうして、と、笑顔で答えをくれた。
あの時の言葉は、あの時の笑顔は、あまりにも大切すぎて、きっと一生誰にも話せないくらい、深い深い胸の奥に仕舞い込んである。
「……ずっと、ひとりきりで生きていくのだと、思っていた」
どうして頑なにそう思い込んでいたのかは、サティには判らない。
判らないから、戸惑っているのかもしれない。
「誰かを大切に思うって、どうしてこんなに、心臓が痛いんだろう」
離れていること、傷つけてしまったことが、こんなにも苦しい。
もう一度出会えたら、何か変えることが出来るのだろうかと思いながら、サティは仄かに明るい道を歩く。
思い出に急かされるようにして。
誰もが、例え肉体は誰かの隣にいたとしても思考の中ではたったひとりで、いくつもの大切な記憶と再会し、何かを思わされながら、ゆっくりと最果てなるかの地へと向かっていた。
手の平いっぱいに集まった欠片たち、きらきらと光を放つ美しい結晶が、必要なだけそろった時、一体何が起きるのかと、わずかばかり不思議に思いながら。
6.花舞−迦陵頻伽
(イデアの木よ、永遠よ、全なるあなたよ
あなたが、創ったものが、わたし
わたしの胸は、あなたで満たされた、水槽
水槽は、震え、揺らめいて、涙となり
涙は、零れ、真珠へと、変わり
真珠は、海へ流れ、嵐に、舞って
嵐は、空を裂き、空は、輝き
輝きは、大地へ降りて)
幻想的な音楽が、どこからともなく聴こえていた。
誰の奏でる音なのか、誰のうたう歌なのか、判らないものの、それは美しく、物哀しく、そして悠久を思わせた。
「……ん、おや、いつの間に」
ベルナールがようやく気づいた、という風情で周囲を見渡すとおり、ふと顔を上げれば、そこはもう、かの界果てなる不思議な空間なのだった。
「本当だ、俺はただ、これを届けるべきところへ、と思いながら歩いていただけだったが」
朱鷺丸は、ベルナールの言葉に頷いたあと、手の中の欠片を確かめるように指先で触れ、ひんやり、すべすべとした感触に笑う。
「やっぱり……不思議なところやな」
掌に美しい欠片を握り込んだ昇太郎が周囲を見渡し、
「へえ……ここが、その」
感嘆とともに天井を見上げる瑠意の手の中には、紫色に輝く欠片が幾つも包み込まれている。
「……ああ、本当だ。何だか、胸の奥が静かになる。とても不思議な場所だねぇ」
指先で欠片を撫でながら、エンリオウが蜜色の目を細めて言うと、あちこちからあんたも来たのかというような声が上がり、それで皆、十五人もの地上人が、今、この界果てに来ているのだということに思い至るのだ。
「あ……」
トゥエルーティアはサティがいることに気づいて切なげに目を伏せ、サティはサティで苦悩と困惑を一緒くたにした表情で彼女を見つめた。
「お、なんだ、あんたたちも来てたんだな」
理月は、前回の依頼の同行者である面子を見つけて声をかける。
シャノンがそれに頷いた。
「そういう理月もか」
「ん、ああ、やっぱさ、見届けてぇって思うじゃん」
「……俺も、同じ理由で、ここへ来た」
「そっか」
カラスは、この果てなる地の不可思議な荘厳さに打たれて押し黙り、その隣に立つシュウは、この地に満ちる穏やかな嘆きと痛みとを感じ取っていた。
「地上とはまったく違うのに……なんて静かで、神々しいのでしょうかね」
枢が呆れたように、感心したように言えば、
「去ってしまった誰かを悼むってのは、そういうことなのかな。どの世界でも、大して違いはしないんだろう」
志郎は苦笑し、不思議とやわらかな光景を見つめた。
「……どうとも表現出来ぬ『意志』が、渦巻いているかのようだ」
アーネストは、精霊とはまったく違うのによく似ているという、奇妙な何かの存在を感じながら独白し、
「こんなに無機質なのに、美しいと思ってしまうって……ミステリアスだわ」
少し離れた場所から、この場に集った人々を観察しつつ、博美もまた呟いた。
――界果墓標群。
そこは、巨大なドーム状の、歪曲した天井の見える広い広い空間で、大小様々なサイズに砕けた鉄片や石片の荒野に、剣、十字架、楔、杭、木の枝、それらのものを髣髴とさせる何かがたくさん突き立っている。
確かに地下都市の一角であるはずなのに、そこはやわらかく温かい光に包まれており、時折吹く風は芳しく、鉄と石とコードによってかたち作られた世界の一部だとは思い難い。シャングリ・ラと同じく、花も緑も風も鳥の声もないものの、そこは確かに凪いだ、安らいだ場所なのだった。
前回、ここへ来たのは昇太郎と理月だけで、それ以外の面子に何がどう変わったかなどは判らなかったが、この空間の中心と思しき位置にうずたかく積み上げられている欠片、様々な色合いを孕んできらめくそれらが、自分たちが集めてきたのと同じものであり、この場所にとっては異質なのだと理解することは出来た。
「ああ……来たのか」
十守(トオカミ)が歩み寄ってくるのが見えて、彼と何度か関わった面子が顔をほころばせる。
欠片の山の傍には、零覇に百野、千鎖や、その他、『那由多機構』の人々の姿もあるようだった。
鉄塊都市の守り手たちは、不思議な感慨の見える表情で、きらきらと輝く欠片の山を見上げている。
「よう、あんときは、どーも」
シュウが片手を挙げて挨拶すると、十守は精悍な顔に笑みを浮かべた。
「こちらこそ、世話になったな。――ん、彼は来ていないのか?」
勿論、前回の依頼において『彼』と一緒だったシュウに、その代名詞が誰を指しているのか判らないはずがなく、彼はかすかに笑って肩をすくめた。
「今日は忙しくて行けないって言われたよ。顔出せなくてごめん、ってさ」
「ああ、そうか。いや、何、礼を言いたかっただけなんだ、謝ってもらうようなことでもない」
「ん、また皆の顔を見に来る、って言ってたし、そのときでもいいんじゃねぇの?」
「そうだな」
静かに返したあと、十守はこの場に集った面々をぐるりと見渡し、
「欠片を集めて来てくれたんだな、感謝する」
界果てなるこの地の中心を指差してから、
「――とはいえ、これを集めたからどうなる、ということがオレたちに判っているわけでもないんだが、ひとまず、あそこに積み上げてもらえるか?」
そう言って、地上人たちを促した。
勿論、そのために来たのだから、否やを唱えるものがいるはずもなく、一同は、廃鬼師十守と壱衛とともに、中心部目指して歩く。
2kmほどの距離があっただろうか。
広場、ドームの内部としては驚くほどの広さだったが、この中に、この世界で生きて死んだすべての人々の墓が存在するのだとしたら、それは決して広すぎはしなかっただろう。
過ぎ行く視界の中に、生前その人が愛したものなのだろうか、様々な品が墓標代わりに使われているのが映り、ここは一個の存在が迎えた終焉を証明する地なのだと、誰もが、静かな胸中に思う。
「何で生きてるのか、って思い悩むよりは」
ぽつり、とこぼれた志郎の言葉に、
「どう生きるか、ってのを考える方が建設的だ、って思わされるな、何か」
何人かが苦笑して頷く。
己が終焉の真上に、あかしとして残る何かがあるのだとして、その何かが美しいように、充足とともにあるように、自分に何が出来るのか、自分は何をすべきなのか、人間は常に、それを模索しながら生きてゆかねばならないのかもしれなかった。
「廃鬼師たちは、これからどうするんだ?」
カラスの問いに、壱衛と十守が顔を見合わせ、首を傾げる。
シュウが呆れた表情になった。
「さあ? ってカオしてる場合かよ」
「いや……何せ、自分たちはこういうものだと思いながら二千年も三千年も機能してきたからな。廃鬼師が、廃鬼を狩らずにどう存在するか、というのは、実はあまり考えたことがなかった」
「難儀だな、それ」
「ああ……でも、少し、判るような気もするねぇ」
感慨深げにエンリオウが目を細める。
「長い時間仕えた王のもとを辞した時、じゃあ次はどうしようか、と、しばらく悩んだものだよ」
エンリオウの言葉は、恐らく、規模の差異はあれども、誰にとっても身につまされ、または共感を呼ぶものであったらしく、何人かは頷き、何人かは苦笑した。
「でも……まぁ」
無防備に笑って言うのは理月だ。
「全部順調に行ってるんなら、これからちょっとずつでも考えて行けばいいんじゃねぇの?」
「……ふむ」
「なんだったら、銀幕市の皆に、また色々助けてもらえばいいんだ。今、地上は少し混乱してるけど、俺は、きっとすぐに元通りになるって信じてるし、そのために何かが必要なら、躊躇わずに実行しようとも思う」
今の銀幕市が孕む歪みと混乱、にじり寄る暗闇は、きっとここにいる皆の心にも何がしかの影を落としているだろう。
それでも、ムービーファンもエキストラもムービースターも関係なく、ただ一個の存在として交わされる思いや絆、誰かを慈しむ心を信じていたいと理月は言うのだ。そして、そのために自分がなすべきことをなすのだ、と。
「……俺もだよ、理月」
頷き、笑った瑠意が理月の肩を叩く。
周囲で共感、同意の、微笑や目配せが交わされた。
ままならぬ世界に生きているからこそ後悔だけはしたくない、と、この場にいる誰もが思っているはずだった。
「そうだな、オレたちのその後など、おいおい考えて行けばいい。どうとでもなるからな。――それよりも」
十守の語調の変化に促され、ふと顔を上げれば、うずたかく積み上げられた欠片のすぐ傍まで辿り着いていた。
それは本当に小山のようで、一体どれだけの時間と手をかけて集められたのかと驚くほどの数の欠片によって成り立っていたが、しかしそれらは、一粒一粒がきららかに自己主張をし、そのくせ他の欠片の色とぶつかり合うこともなく、
「……綺麗」
トゥエルーティアが思わず呟くように、ただただ美しく光り輝いているのだった。
「ここに、欠片を置けばいいんだな?」
質問というよりは確認の口調で言って、シャノンが、手の平いっぱいの欠片を小山の一角へと注ぐと、青や緑や透明の欠片がきらきらと光を反射しながら小山の表面を滑る。
シャラシャラ、という、涼しげな音がした。
千鎖がシャノンに向かって微笑み、優美に一礼すると、シャノンもまたかすかに笑って、世の女性陣を虜にしそうな、優雅で美しい礼を彼女に返した。千鎖がくすくすと笑う。
シャノンのそれを合図に、今回の依頼を受けて――中には、若干二名、偶然ここに来てしまったものもいるが――地下へ降りた面々が、両手の平いっぱいに集まった欠片たちを、華やかにつやめく小山へと降り注がせる。
しゃらしゃら、からから、しりしり、という、硬質的だが軽やかな音があちこちから響き、
全員が、めいめいに集めてきたたくさんの欠片を山に加え終わると、しばし、沈黙が落ちた。皆、次に何が起きるのか、と、欠片の山と周囲とを交互に見遣り、気にしている。
しかし、
「……何も、起きないな」
うーん、と唸って朱鷺丸が腕組みをし、
「欠片の数が足りない、とかそういうオチじゃありませんよね?」
枢が欠片の山を見上げながら首を傾げると、十守が苦笑した。
「そもそも、何かが起きるのかどうかも判らないんだが」
廃鬼師たちにも、ダークラピスラズリの住民たちにとっても、今のこの在りようは、予想外で先の読めぬものであるらしく、皆が皆、同じように首を傾げて、もっと欠片を集めなくてはならないということなのか、と、色とりどりの光に揺れる小山を見上げていた。
――そこへ聴こえて来たのが、先刻のメロディだった。
(輝きは、大地へ降りて)
(輝きは)
(輝きは)
歌は、同じ言葉を何度かリフレインしたあと、
(もう一度、あなたの、眼差しに宿る
もう一度、わたしの、約束になる)
そんな、美しいメロディと、幻想的な歌詞とを、皆に届けた。
「あ、そうか」
声を上げたのは、瑠意だ。
「どうした、瑠意?」
「ん、いや、何か聴いたことあるなって思ったら、これ」
「ああ」
壱衛が首を傾げるのへ、
「この世界の元になってる映画の主題歌なんだ」
そう、答える。
皆の視線が瑠意を見た。
瑠意が気づけたのは、彼が現実世界の人間で、映画に接する機会の多い俳優で、歌とも縁が深いからだろう。
「歌ってたのは誰だったかな……ちょっと前の映画だから、忘れたけど、この歌のタイトルは、」
印象深いハスキー・ヴォイスが、謳うように言葉を紡ぐ。
「『A Tree of the Idea』」
イデアの木。
その一瞬一瞬に、自分に出来る十全を果たすことで、日々と記憶と思いという名の『水』をやり、己という存在の根幹をなす、生の意義、命の意味を実らせるための木だ。
「……ああ」
アーネストが微笑とともに息を吐いた。
「悪くない、名前だな」
それは恐らく、誰もが、魂などと呼ばれるものの奥に持つ美しい木なのだろう。
「誰もが、その木に水をやるために、自分に出来る最善を尽くすんだろう」
「――……天紗と、万己のように?」
アーネストの言葉に重ねてカラスが言い、アーネストを頷かせる。
「この歌は、まるで餞(はなむけ)のようだと俺は思う」
「……ああ、確かに、俺も相応しいように思うよ。もしかしたら、そのために、このダークラピスラズリそのものが『演奏』しているのかも」
瑠意もまた頷き、静謐な音楽に耳を澄ませた。
その時、
「あ、そういや、忘れてた」
理月が、ふと気づいた、という風情で懐を探った。
「これ……返そうと思ってたんだ」
彼の手には、美しくやわらかい布で作られた、華奢な印象の造花がある。
「……それは」
その花を見て、零覇が何かを言いかけ、躊躇って、結局口を噤む。
理月はごめんな、と言って、
「前に、ここに来たとき、何かの力になってくれねぇかなって、借りたんだ。これ、あんたが作ったのかい?」
「ああ」
「天紗のために?」
「……ああ」
「なら……やっぱ、返さなきゃ、天紗に怒られちまうな」
結果として、大凶兆から世界を救うための、ひいては大凶兆となった万己と都市再生プログラムをも救うためのきっかけとなったその花を、零覇へと差し出した。
「……」
どう、とも表現出来ぬ、万感の思いのこもった表情とともに瞑目した零覇がそれを受け取った、その瞬間だった。
ざあああああああああっ。
界果墓標群の中を、本来いかなる自然現象も起きぬはずの『世界の果て』の中を、清らかで芳しい風が吹き抜けて行った。
風は思いの他強かったが、そのくせ暴力的ではなくて、誰もが、大きな手に背中を押されるような、くすぐったさと力強さとを感じていた。
「あ、」
上がった声は、零覇のものだ。
強風の中、足を踏ん張りながら見遣れば、彼の手から花が攫われて、宙を舞うところだった。
(約束は花に変わり、春の夜空を彩って
夜空は月を抱いて、黄金と光り
満月の光に染まり、花びらはあおく降り注ぐ
そしてその花舞(はなまい)の晩に
また、わたしと、あなたは、出会う
何度でも、何度でも、いつか、必ず)
歌が、聴こえる。
それはやはり、圧倒的なまでに美しく、物哀しく、切なげだった。
どこかで聴いたことのある声だ、と誰もが思ったが、一体誰の声なのかは、何故か、どうしても思い出すことが出来ないのだった。
そんな中、色とりどりの欠片たちが、風の作り出す渦の筋を滑るように空へ舞い上がった。
「……すごい……!」
天上からやわらかく降り注ぐ光が欠片に反射して、周囲はさながら、多彩な花びらが舞い飛ぶ春の嵐の最中のような光景となっている。
風からは、何故か、思わず笑みがこぼれてしまうような幸いと喜びとが感じられた。
しゃらん、しゃん、しゃあん。
鈴のような涼しげな音がして、見上げれば、小さな欠片たちが、更に小さく微細な粒へと、粉々に砕け散ってゆくのが見えた。
天上いっぱいに広がった粒が乱反射して、周囲はまるで光の祭典のようだ。
思考がクリアになる芳しさを伴った強い風が、皆の髪をむちゃくちゃに掻き混ぜ、掻き乱す。
「……何が、起きる?」
風に長い金髪を嬲らせながらシャノンが言い、緑の目を細める。
――どちらにせよ、空間には弾けるような歓びが満ち、次に起きる何かが、決して悪しきことではないと、教えてくれているようだった。
7.降誕−輪廻転生
(巡り、巡る
立ち去り、帰り来る
寄せては返す、思惟の波)
どこからそれが聴こえてくるのか判らないままに、人々は耳を澄ましてその歌を聴き、目を凝らして光と色彩の共演を見守った。
「大気に、歓びが満ちている――……」
目に見えぬものに対して非常に聡いベルナールがぽつりと呟けば、
「何故だろう、何故こんなにも生命の息吹を感じるのだろう……?」
同じくスピリチュアルなものと関わりの深いエンリオウが蜜色の目を瞬かせて天上を見上げる。
「だが、これは、精霊によってなされるものではないんだな……」
やはり、目に見えぬものと密接に関わり、それらとともに生きているアーネストが不思議そうにこぼすと、
「世界というのは、様々な理由、根本によって成り立っている、ということなんでしょうね」
枢が、しみじみと言ったあと、一般論ですが、と付け加える。
「……とても奇妙な、それでいて心が静かになるような光景よね。一体、何が始まると言うのかしら。どんな奇跡が見られると」
博美の疑問に答えられるものは、もちろんいなかったが、
「善きものの匂いがする」
優れた感覚を持つ朱鷺丸の独白、
「――……心が弾むような、わけもなく懐かしくなるような、そんな匂いだな」
志郎の言葉が示すように、確実に『何か』の瞬間が近づいていることだけは事実だった。
「そうだったらいいな。びっくりするほどいいことが起きればいい」
カラスは憧憬するごとくに目を細めて光の舞を見上げ、
「きっと、そうに決まってるよ」
シュウは楽天的に笑ってカラスの肩を叩いた。
「そうだな、せっかく俺たちがいて、わずかなりと何か出来たんだ、返ってくる結果が、よいものであればいい」
シャノンの言葉もまた楽天的、楽観的だ。
無論、希望も混じってはいるのだが。
「ああ……けど、ほんまに、綺麗じゃ。胸の奥が、なんや、綺麗な光でいっぱいになりそうじゃ」
昇太郎が邪気のない笑顔を浮かべて言うと、
「うん、この光に照らされて、心の中のもやもやしたものがどっかに行っちまいそうだ」
理月と、
「ホントに、このままずっと見ていたい、って、思っちゃうよな」
瑠意が、それに同意して笑う。
何にせよ、光の渦に照らされた界果ての地は美しく、明るく、温かくて、先が見えぬこの状況でも、誰も不安を感じてはいなかった。
「――あ」
そんな中、小さく声を上げたのは、無心に空を――この幻想的な光景を見上げていたサティだった。
トゥエルーティアが弾かれたようにサティを見る。
どうしたと誰かが問うよりも早く、皆の視界に飛び込むのは、美しい布で作られた、手向けのための人造の花だ。
強風によって宙を舞うそれは、くるくると回りながら、光の渦の中を漂っている。
「……あれ?」
不思議そうなそれは、誰の声だったか。
気にしている余裕はなさそうだった。
――光の渦が、花を中心に、集束し始めたのだ。
光の粒が、花に付着してゆく……いや、吸収されてゆく。
そしてそのたびに花はまぶしく輝き、徐々に大きさを、かたちを変えていった。
ざあざあと大気がさんざめき、そのざわめきが風となって、もはや光の塊となった花を更に舞い躍らせる。
「一体、何が、」
まぶしくてまぶしくて目を開けていられない、そう誰もが思ったとき、
(ありがとう)
声が聞こえた気がした。
(見つけてくれて、ありがとう)
嬉しそうな、はにかんだような、聞き覚えがあるようなないような、幼い少女のような、成熟した大人の女のような、そんな声が。
(あなたの大切なものを見せてくれて、ありがとう)
――どこか遠くで、美しいメロディが長く長く伸びる。
(お陰で、わたしたちは、また)
また、何なのか、誰とも知れぬ相手に問うよりも、早く。
唐突に、光が、消え失せた。
「……?」
人々は、ゆっくりと目を開け、先刻まで光の中心だったそこへ目をやって、
「……!」
思わず息を呑み、絶句する。
「あれは……」
穏やかな眠りにまどろみながら、ふわふわと宙を漂うのは、
「何で……赤ん坊……?」
ふくふくとした身体つきと、愛らしい面立ちの、生まれてまだ幾許も経っていないだろう女の子だった。
突然の展開に、地上人のみならず、『那由多機構』の人々からも困惑の声が上がる。
髪は黒。
天紗の髪の毛とまったく同じ色で、質感だ、と、零覇が言う。
目は閉じられたままだったが、便利な機能を持つ廃鬼師たちが、宙を漂いながらゆっくりと降りて来る赤ん坊をざっとスキャンし、その双眸が万己と同じ金色であることを確認する。
「まさか、じゃあ、あれは」
つぶやいたシュウが、手を伸ばし、そっと赤ん坊を抱き取った。
「本当は……あいつが、やるべきことだったんだけど」
両手の平に受け止める、と、誓った青年の顔を思い起こしながら、腕の中に包み込んだ赤ん坊は、ふわりとやわらかく、赤ん坊には珍しく体温は低かったが、すやすやと安らかな寝息を立てていて、起きる様子もない。
「――都市そのものの物質で構成されていながら、機能は人間そのものなのか」
壱衛の言葉に、
「それは、どういう……」
赤ん坊を抱いたまま、シュウが眉をひそめると、
「この子の肉体のすべては、都市構成物である無機物によって構成されている。しかし、無機物の肉体を持ちながら、この子は、有機的な欲求を有し、有機物によって生きることになるだろう」
最古の廃鬼師は、不思議な形状の目を銀色の輝かせ、そう淡々と告げた。
「それって、つまり、身体は機械なのに、人間の食うもので育つ、ってことか?」
「ああ……おおよそ、そういうことだ」
「じゃあ……ええと、この子は、やっぱり……?」
「恐らくは、都市が、ふたりの残滓を集めて結晶となし、『外』へ送り出した。そういうことだろう」
では、この赤ん坊は、真実、天紗と万己の生まれ変わりなのだ。
それは、正常な機能を取り戻した都市の、都市のために身を捧げた人々に対する感謝の念なのかもしれなかった。
『那由多機構』の人々が、わっと歓声を上げた。
事情を知る地上人たちもまた、笑みを交わす。
「――……お帰り、天紗、万己」
赤ん坊の元へ歩み寄り、その顔を見下ろして、シャノンが微笑むと、
「早く大きくなって、今度は自分のために生きるんだぜ?」
漆黒の傭兵がふくふくした頬を軽く突いて言い、
「あァ……でも、よかったなァ」
無垢な修羅は邪気のない笑みを浮かべて喜ぶ。
「この子が、何の憂いもなく、幸せに生きられる世界であることを、ただ祈る」
ベルナールの真摯な言葉に『那由多機構』の人々が頷くと、
「何、こんな別嬪さんなんだ、心配せずとも、皆に愛される子になる。シャングリ・ラには、いい兄姉がたくさんいるだろうしな」
シュウに頼んで赤ん坊を抱かせてもらいながら、朱鷺丸が豪快に保障してみせた。
――きっと、それは真実になるだろう。
都市再生は為り、人々の心には、静かだが強い希望が満ちているのだから。
「お誕生日おめでとう、と言うべきなのかしら。――あなたが健やかに大きくなれるように、祈るわ」
博美が、
「おめでとう。世界に望まれて生まれたお前の未来が、常に光に満ちているように」
アーネストが、
「おめでとう、万己、天紗。君たちが幸せだと、俺も嬉しいな」
カラスが、
「きみが、きみの守りたいと願った人々に愛されて、誰よりも幸せであるように、世界がきみを守るように、わたしも祈るよ」
エンリオウが、
「君が幸せに生きられる世の中なら、きっと、何の心配も要りません。それが実現するように、心から祈ります」
枢が、
「いっぱい我儘言って、いっぱい愛されて、いっぱい愛して生きるんだぜ。そういうもんを、全部許されて、お前はここにいるんだから」
志郎が、
「大丈夫、君は、愛して、愛されるために、幸せになるためにこうして生まれて来たんだから。何も心配は要らない」
瑠意が……そしてダークラピスラズリの人々が、口々に、笑顔とともに赤ん坊を祝福する中、サティは、ゆっくりとトゥエルーティアの隣へ移動し、静かに彼女の手を取った。
びくり、と震えたトゥエルーティアがサティを見る。
「……サティ、わたくし、」
少女が泣きそうな顔をして何かを言おうとするのを遮って、
「ごめん、トゥエルーティア」
サティは、少女の華奢な肩をそっと抱き寄せた。
「……サティ」
「どっちが悪かったとか、もう、どうでもいい。僕は君が好きだし、君は僕を好きでいてくれる。それだけでいい」
「……」
「絶対に後悔したくないって、あの光景を見ていたら、思ったんだ。この気持ちを無駄にしたくないって。トゥエルーティアも、そう、思うだろ?」
サティの言葉に、彼の腕の中で少女はしばし押し黙ったが、
「……ええ」
ややあって頷き、微笑んだ。
それは今にも泣き出しそうな笑顔だったけれど、サティの胸を射るほどに美しく、彼は、自分はもう一生囚われたままで、逃げようとも、逃げたいとも思いはしないだろう、などと胸中につぶやくのだ。
「ごめんなさい、サティ」
「ごめん、トゥエルーティア」
どちらともなく謝ってから、顔を見合わせ、くすくすと笑う。
「……やっぱり」
「うん、どうしたの?」
「わたくしは、あなたの傍がいい、サティ」
「僕もだよ。……これって、幸せなことだよね?」
「ええ」
ふたりの視線の先では、最新鋭の廃鬼師・零覇が、ひどくびくびくした手つきで、朱鷺丸から手渡された赤ん坊を抱き取るところだった。
赤ん坊はすやすやと眠っているだけだったが、泣きそうなくらい緊張している零覇の姿に、周囲から明るい笑い声が上がる。
――平和な、穏やかな光景だった。
再生と希望の見える、美しい光景だった。
また、歌が聴こえてくる。
この場を包み込むように、祝福するように。
(巡り巡る再生の慈悲
天上の楽園は、今ここに
わたしとあなたの中に
わたしとあなたの傍に)
殷々、嫋々とたなびくその音色と、ハーモニーのもたらす残響に、誰もが聞き惚れ、己の大切な人を、思った。
――ばさり。
どこかで、大きな翼がはためいたが、それは、殷々たるメロディにかき消されて、誰の耳にも届きはしなかった。
終.間隙−桃紅柳緑
見事なパノラマが広がる、小高い丘の上に男は立っていた。
季節は春、世界は明るい緑色に萌え、穏やかな陽光が包み込む丘を、虫や小鳥、小さな獣たちが横切ってゆく。
それら命の営みを見るともなしに見、雑多でありながら一個の景色としてまとまった、色とりどりの建物を遥か彼方に見つめ、物思いに耽っていた彼の頭上を、大きな影が射す。
風がびょうと渦巻いた。
ばさり。
大きく羽ばたいて舞い降り、眼前にひざまずいた少年を、男は目を細めて見下ろした。
「……ただいま帰りました、師よ」
恭しく頭(こうべ)を垂れる少年に、男は微笑んで頷く。
「お帰りラーシャ、私の風、私の翼。ご苦労だったね」
「いえ、そのような、勿体のない。師の御ために空を舞うことこそ僕の喜びです」
少年の生真面目さは、実を言うと出会う前から知っているので、あえてそれ以上は何も言わず、男は少年に顔を上げさせた。
彼は別に、己に額ずく存在、己をかしずく存在が欲しいわけではないのだ。
彼が――彼らが求めるのは、唯一絶対の真理、ただそれだけなのだから。
「それで、どうだったね」
「はい。都市は再生され、あの時師が『囁かれた』ヒトならぬモノは、凶と転じたのち、人々の尽力によって、技術者の女の残骸とともに、都市の礎となりました」
「……そうか」
「そして、この度、礎の欠片は、人々の尽力の甲斐あって、再度命として生き始めた模様です。僕は、彼らがヒトの赤子を抱くのを、この目で見ました」
「ほう……」
少年の言葉に、男は黄金の目を細め、白い指先を己が頤(おとがい)に当てた。
あの時、己の無力さを嘆き、いつまで続くとも知れぬ滅びに胸を痛めて、心を揺らしていた少女廃鬼師が、彼の『囁き』によって大凶兆と貸し、世界を飲み込まんとしたのは予想の範囲内のことだった。
ヒトの心は、試練や痛みに直面した時、そこから逃れるために、何もかもをなくすことが――もしくは、自分が消えてなくなることが――平安につながるのだとつい思ってしまう。それはほとんど無意識に行われる逃避で、苦悩に血を流す心にはあまりにも蠱惑的に見え、そのために彼らは、まるで絶対的な十全であるかのように無の終焉目指して突き進もうとする。
だから、そこまでは、予想していた。
実を言うと、彼もまた、似たような願いを抱いて、ここにいる身なのだ、その胸の切なく狂おしい思いを理解することは容易い。
その結果世界がどうなるかを見届けたくて、彼は少女廃鬼師に『囁いた』のだ。
「人間たちの献身が、届いたのか」
廃鬼師というヒトではない存在にも、魂ならば存在するのだろう。
人々の思いが少女廃鬼師を目覚めさせ、世界に光を撒いた。
そして、人々の思いが、今、少女廃鬼師と、世界のために死を選んだ女を、新しい命として再生させ、この地に降り立たせた。
それは、男が、予想していなかった結末だった。
「……それが、きみたちの、存在における真理か」
男の独白に、少年が深々と頭を垂れる。
男は静かに微笑んだ。
「ありがとう、ラーシャ、私の翼。これでまたひとつ、新しい真理の結晶を得ることが出来た」
「はい。……次は、どうなさいますか、師よ」
性急ですらある風情で少年が訪ねるのは、少年もまた知りたがっているからだ。
存在における真理、ここにあるという絶対の意味の在りようを。
彼らがここに立った、絶対の意味を欲するのと同等に。
少年の渇望を正しく理解して、男は再度微笑み、頷く。
「じきに、『彼』との会合がある。恐らく、楽しい試みが提示されるだろう、『彼』からも。――詳しくは、そのあと、だろうね」
「判りました、備えます」
「そうだね、次もお前に任せよう」
「御意」
「ああ……そういえば、他の者たちはどうしている?」
男がふと思い出した、といった容易さで問いかけると、少年はかすかに笑い、
「アルマとハルワは、町を見に。アエスとドゥイは、人間たちの中に。“清浄”は……どうでしょう、彼女の胸中は僕には知り得ませんが、【赤】と【青】は、恐らく、『家』で寝ているのではないでしょうか。あれらは面倒臭がりですから」
今や数少ない眷属となった、何人かの名前を指折り数えながら挙げてみせた。男はそうか、と笑い、視線を街へと向ける。
「存外、楽しんでいるのかもしれないな、彼らも」
「……そうですね」
「どちらにせよ、目指す場所に変わりはないが」
「存じています。――もちろん、僕たちもそれを望んでいる。例え、そのために何を犠牲にしようとも」
少年の強い物言いの理由を男は知っている。
彼の求めるものの名も、また。
「ならば……次の段階へ」
金眼でもって町を見つめながら男が言うと、
「……お心のままに」
少年は胸に手を当てて、恭しく頭を垂れた。
ざあざあと風がさんざめき、ふたりを包み込む。
風は清冽だったが、彼らの願い、彼らがこれから行おうとしていることを知ってか、どこか物哀しげだった。
季節は春。
世界はどこまでも色鮮やかで、ただ悠々と美しい。
次に起こるべき事件の予兆を孕みつつも。
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クリエイターコメント | 大変お待たせいたしました。 鉄塊都市シリーズ最終話、イデアの木編をお届けいたします。 またしても納入が遅れまして、本当に申し訳ありません。
さて、皆さんが示してくださったたくさんの思いと、皆さんが見せてくださったたくさんの美しいもののお陰で、愛するものと世界のために身を捧げたふたりは、再びこちらへ戻って来ることが出来ました。
赤ん坊は赤ん坊であって、決して天紗と万己そのものではありませんし、彼女は、ヒトであって人間ではない、特殊な存在となりました。しかし、彼女が、皆さんのお陰で、新しい生を生きるチャンスを得たことは事実です。
皆さんの献身、優しさに感謝すると同時に、鉄塊都市のこれからと、新しい生を生き始めた住民たちを、今後も見守ってくださるよう、伏してお願いする次第です。
鉄塊都市シリーズはこれにて終幕となりますが、後日談として、おまけのシナリオを考えておりますので、リリースの際には奮っておいでくださいますよう、お願い申し上げます。
それでは、また次なるシナリオにてお会いいたしましょう。 |
公開日時 | 2008-04-19(土) 22:10 |
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