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<ノベル>
▽君もいっしょに玉に呑み込まれちゃおう!▽
その玉は邪悪な力を放っていた。
それにもかかわらず、多くの人々がそれに触れ、それに呑み込まれたのはなぜだろう。
好奇心? それとも不注意?
たとえば彼の場合は、こうだった。
ランドルフ・トラウトは、その日、ひどく落ち込んでいた。その理由を説明するには、しばらく時をさかのぼらねばならない。
ランドルフは、朝の散歩をしていると、道ばたで泣いている女の子を見つけた。困っている人を放っておけないタチである彼は、すぐさまその女の子に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
片膝をつき、しゃくりあげる女の子と顔の高さを合わせる。こういったことが自然にできてしまう点が、彼の心根の優しさを如実に表していた。
女の子は小さな両手で顔を覆ったまま泣いている。
「迷子になったのですか? それとも、転んだのかな?」
ランドルフはなるべく穏やかな口調で語りかける。こういうとき、結論を急いではいけない。それ以上、問いただすようなことはせず、笑顔でじっと女の子が泣きやむのを待った。
「落ち着きましたか?」
泣き声がやみ、ようやく女の子が顔を上げる。
ランドルフは満面の笑みでそれを迎え――
彼の顔を見たとたん、女の子は表情を引きつらせた。
そして、あろうことか、
「ハゲっ!」
と叫んで、再び泣きながら走り去ってしまったのだ。
ランドルフは茫然自失のまま、数十分ほど固まってしまった。
ハゲ――
ハゲとは、あのハゲだろうか?
いや、あのハゲ以外ありえないよね?
ハゲってどういう意味だっけ?
カツラ?
いやいやいや、カツラは関係ないよ!
彼の胸中に様々な想いが去来する。
たしかにランドルフは禿頭(とくとう)だ。禿頭の禿の字は、ハゲという字だ。まー要するにハゲだ。
彼は生まれて初めて、自分がハゲであることを自覚した。
ここで時は物語の最初に戻る。
こうなってくると、それまで気にもとめなかったことが、ひどく気になりはじめた。道行く人々の髪型をついついチェックしてしまうのだ。
ロング、ショート、ストレート、パーマ。この世の中はあらゆる髪型で満ちていた。
自然とため息がもれる。
ふいっと、ランドルフの視界の隅をモジャモジャがよぎった。
その瞬間の彼の内心をどう表現すればよいだろうか。
端的に、一言でいえば、ズキュン。その髪型は、巨人の心をわしづかみにした。
「あ、ちょ、ちょっと待ってください」
あわててその男性を追いかける。ところが、人混みが邪魔をするのだ。このときほど、自分の巨体をうとましく思ったことはない。
男性が不意に身をかがめた。すると、ふっと消えてしまったのだ。
ランドルフは狼狽した。あのモジャモジャはどこへいってしまったのか。
男性が消えた場所につくと、どこかで感じたことがあるような不吉なオーラを放つ手鞠大の玉がアスファルトに落ちていた。
「もしやこの先にモジャモジャの秘密が……」
迷わず玉に触れたランドルフは、中へと吸い込まれていった。
たとえば彼の場合は、こうだった。
クレイ・ブランハムは女嫌いだ。
いや、もはや嫌いとかそういうレベルではなく、すでに恐怖症と呼びうる状態だった。なにせ、女性を、見れない触れない近寄れないの三拍子そろっているのだから。
彼は人混みを歩くとき、ひじょうに気を遣う。そこら中に女性がいて、目のやり場に困るし、近づくわけにもいかないし、触れられようものなら絶叫してしまう。
それでも生きていくためには街に出なければならない。ヒキコモリになるわけにはいかないのだ。
「私も随分進歩したものだ」
クレイは満足げに微笑むと、颯爽と通りを歩いていた。
自然だ。ものすごく自然だ。
それもそのはず。これぞ、銀幕市に実体化してより長い年月をかけて、彼が会得したスーパースキルだった。
人混みを視認すると、まず男性と女性とを一瞬で識別する。このあたりは本能だ。次に女性に近づかずに移動できる最短のコースを計算してはじき出すのだ。スーパーコンピュータも真っ青だ。
しかも、女性をよける際には、不自然にならないよう工夫していた。たとえば、近くの店のショーウィンドウを覗くふりをしたり、わざと落としたハンカチを拾ってみたり、時には立ちくらみを装ったこともある。
前方にうら若き乙女発見!
クレイは内心つぶやいて、いつもの選択肢の中からこの場面に最適の行動を選んだ。それは、道ばたに落ちている煙草の吸い殻を拾うといったものだった。これならば、不自然ではないし、なによりエコロジーな感じだ。見かけた人たちの好感度アップも間違いない。
クレイは少しだけ顔をしかめる演技をしたあと、アスファルトに落ちている吸い殻を拾おうとして――
その黒い玉を発見した。見るからにアヤシイ玉だ。
「この私が、吸い殻と間違って玉に触れてしまうという安直なネタを披露するとでも?」
誰に言っているのかわからないが、不敵に微笑む。
間違いなく吸い殻を手に取ろうとして――
「きゃっ!」
2メートル離れた位置を通るはずだった女性が、不意の突風にあおられよろめいた。一気にクレイとの距離がちぢまる。
自称とはいえ紳士ならば、女性が倒れ込む前に支えてやるべきなのだが、当然クレイにそのようなことができるはずもない。ほとんど反射的に身体がよけてしまう。
ところが、身をかがめていたため、体勢が崩れ、クレイもまたよろめいてしまった。
本来なら吸い殻に触れるはずの指先が、玉の方へ――
「なんのこれしき!」
絶妙のボディバランスで女性をよけつつ、さらには玉もよけながら、体勢を立て直す。
「この私が、女性恐怖症のせいで玉に触れてしまうという安直なネタを――」
「えいっ!」
「へ?」
さながら、華麗なるフィニッシュを決めた体操選手のようにポーズを決めるクレイの背中を、何者かが「えいっ!」と押した。
前のめりにつんのめり、玉の上に手を置いてしまうクレイ。
「あ」
とっさに振り返ると、うさ耳帽子をかぶった男の子が満面の笑みで両手を突き出していた。
「いや、ちょ、『えいっ!』の意味がわから――」
クレイは玉の中に吸い込まれていった。
たとえば彼の場合は、こうだった。
玄兎(くろと)は目撃した。
まずは、白衣を着た男が不思議な玉に触れて中に吸い込まれるところを。
つぎに、その彼を追いかけるようにやってきた身体の大きな男が玉に触れて吸い込まれるところを。
「なに今のぉ、超すっげぇー! あれに触れたら、オレちゃんも吸い込まれんの?」
仕組みはわからないが、それっぽいことが起こっている。
またもや誰かが玉に触ろうとしていた。
「おおおおおおっ!」
金色の瞳を期待に輝かせる。
ところが彼は、玉ではなく、どうやら吸い殻を拾おうとしているようだった。
「ええええっ!」
期待を裏切られて口をとがらせる。
なぜかその男性がよろめいた。
「おおおおおおっ!」
またもや金色の瞳を期待に輝かせる。
ところが彼は、見事な身のこなしで、玉に触れることを回避した。
これではらちが明かない。玄兎はぴょんと男性の背後から近づくと、
「えいっ!」
と押した。
目を丸くしたまま玉に呑み込まれる男性。
「やっぱり、触ったら中に入れるんじゃん!」
玄兎はワクワクしながら、玉に手を触れた。
たとえば彼の場合は、こうだった。
ネコ耳フードを被った少年が、玉の前に立ちつくしていた。
いかにも魔導士といった感じの紫色のローブを身に纏っているが、外見が十六才のためどこかハロウィンの仮装を思い起こさせる。
バロア・リィムだ。彼は思案顔でじっと玉を見つめていた。
この玉が危険なものだとすぐにわかった。魔導士である彼は、魔力に限らず、ある程度、力というものを感知することができる。この玉の放つオーラは邪悪なたぐいのものに思えた。
こういったものにかかわるのは、本来良くないことなのだろう。できれば今すぐ対策課に連絡して、しかるべき処置のできるスターやファンなどに任せた方がいいのかもしれない。
しかし彼は目撃してしまった。知己であるクレイ・ブランハムをはじめ、大勢の人が玉に喰われていく様を。
そして、彼はいま、つぶやくのだ。
「先生、ボケが若干ツッコミより多いです」
どこかで聞いたことのあるメロディだった。
それよりなにより、果たして本当に『若干』だろうか。そのあたりは、これまでに登場した人物を思い出し、読者の皆様に判断していただきたい。
「やっぱり、どう考えても足りないよな……」
いまこの物語に不足しているものは、作者の睡眠時間でもなく、〆切までの期間でもなく、まさしくツッコミだ!
「なー、なー、なー、なんでやねんっ!」
いちおう発声練習をしておく。
同時に腕も動かしてみたが、ローブのせいで多少動きづらい。
「この程度なら支障はないか」
大きくため息をついて、バロアは仕方なく玉に手を伸ばした。
▽遊園地へようこそ!▽
佐野原冬季(さのはら とうき)と弦深矢(げん しんや)は、さっそくジキル博士の姿を見失っていた。
「なんと身の軽い男だ」
深矢が悔しさをにじませる。冬季は息が切れて答えるどころではない。
あれからどれくらいジキルを捜し回っただろう。そのうちに、この玉には様々なムービースターが取り込まれていることがわかった。しかも、その者たちはなぜか全員がジキルと同じアフロヘアであり、冬季や深矢(アフロヘアではない者?)を見つけると問答無用で襲いかかってくるのだ。
「明らかにアフロがあやしいですね」
という冬季の言葉どおり、ジキルによって操られているのなら、手を出すわけにもいかず、アフロ軍団から逃げ回ることもしなければならかった。
二人が途方に暮れていたとき、突如として高笑いが響き渡った。忘れもしないジキルの声だ。
「はーっはっはっはっはのはーっ! 楽しんでくれちゃってる? てる? てる?」
彼は上空にぽっかり開いた空洞から出現した。ジキルが飛び出すと、穴はすぐに閉じた。
「あそこが出入り口か?!」
深矢がかりそめの空を睨む。
「さぁ、どうでしょう? 結論は急がない方がいいかもしれません」
冬季はあくまで慎重だ。
と、ジキルを追いかけようとする二人の前に、次々と新たなムービースターが空から落ちてきた。
まずはランドルフ、次にクレイ、その次に玄兎、最後にバロアの順番だ。
深矢と冬季が、地面に落ちた彼らを助け起こす。
「ありがとうございます。って、佐野原さんじゃないですか。お久しぶりです。この間はどうもお世話になりました」
ランドルフが丁寧に頭をさげた。彼は冬季とは面識があった。
「ええ、こちらこそお久しぶりですね、ランドルフさん」
「いったいここはどこなのです?」
「どうやら不可思議な玉の中らしいのですが……」
「やはり私たちは玉の中に吸い込まれたのか。あの変な子供さえいなければ――って、貴様っ!」
クレイが玄兎を発見し、びしぃっと指をさす。対して、玄兎は、「よぉ」と軽い調子で片手を挙げた。
「ここで会ったが百年目だ! さっきはよくも……」
「おっさんさぁ、『百年目』と『さっき』って矛盾じゃねーのぉ?」
「ぐあっ! ムカつく!」
「あ! 観覧車じゃーん! ヤフー!」
「しかも、その後、無視かっ?!」
玄兎はスキップしながら観覧車に向かってものすごい勢いで走っていく。しかも、これまたものすごい跳躍力で観覧車の上を登っていった。
「うっわー、観覧車の楽しみ方、完全に間違ってるし」
バロアが遠い目でツッコんだ。さっそく自分の役目を果たしている。
「一気に人が増えてしまった。ここは状況を整理したほうがよくはないですか?」
深矢が頭をかかえながら提案した。
「そうですね。まずはお互いに紹介を――」
冬季の言葉を、ランドルフがさえぎった。
「あ、あれは! 佐野原さん、佐野原さん、佐野原さん!」
「三回も呼ばなくても聞こえています。それから、そんなに身体を揺すらないでください」
「あ、すみません。いやいや、それよりも、なによりも、あれは! あの髪型はなんと言うのですか?」
ランドルフが熱い眼差しを送る先では、ちょっと存在を忘れ去られていたジキルが「え? ボク?」と自分を指さしていた。
「あれ、ですか?」
「そう、あのモジャモジャです!」
「アフロ、ですね」
ズキュン!
「今の『ズキュン』っていう、恋する乙女のハートみたいな音はなに?」
バロアが冷や汗を垂らしながら言う。
「アフロ、ですか。良い名です」
まさしく恋する乙女のようにうっとりとジキルを――アフロを見つめるランドルフだった。
さすがのジキルも青ざめる。
「ちょっとボクちゃん外に用事を思い出しちゃったー」
白々しく口にして、ひょいっと空へと飛び上がる。
「あ! 待て!」
深矢の制止もむなしく、ジキルは再び玉の外へと出て行ったようだった。
観覧車の上を跳び回っている玄兎はほおっておいて、一同は車座に座り、自己紹介をすませ、状況を整理することにした。
「なるほど、玉の中に囚われたスターは、アフロヘアになって操られるのか」
メンバーに女性がいなかったことで内心ほっとしているなんてことは、おくびにも出さず、クレイが「ふむ」とうなった。
「確証はありません。状況証拠しかありませんから」
冬季が肩をすくめた。
「まずはあのジキルとかいう輩を捕らえることが先決だろう」
深矢が言うと、バロアが反意を示した。
「それよりも、アフロの原因を探った方がよくないかな? 洗脳したスターをここにずっと閉じこめておく意味はないと思うんだ」
「つまり、ジキルは洗脳したスターをなにかに利用している、と?」
「うん。それに、さっきジキルは外へ出て行っただろう。だったら戻ってくるまできっと捕まえることはできないし」
「たしかに。では、問題はこの『ゆうえんち』のどこでスターたちが洗脳されているか、だな」
まわりを見渡すが、遊園地は遊園地、特に怪しいところはない。
「しかし、いったいなんなんだこのファンシーな施設は?」
遊園地を見たことがないクレイは、面食らった様子できょろきょろしていた。
「あのぉ、ひとつお願いがあるのですが……」
ランドルフが控えめに挙手した。
「なんだ? アフロか?」
クレイがぶっきらぼうに訊ねる。
「い、いえ。それはもういいのです。あの、その、お恥ずかしい話なのですが、こういうところで遊んだことがないので。ちょっと、だけ……」
絶叫マシンをはじめとしたアトラクションの数々を、ちらちら横目に見ながらぼそぼそ言う。
「うん、いいよー。好きなだけ遊んでおいでっ」
いつの間にか仲間の輪に加わったジキルが、にこやかに答えた。
「いや、なんで、あんたが許可を出す?!」
バロアのツッコミが見事にジキルの胸あたりにヒットする。
「ありがとうございます!」
「いや、だからなんで、許可を出されてる?!」
ランドルフは一直線にジェットコースターへと走っていった。
「うんうん、やっぱりジェットコースターだよねっ」
ジキルは満足そうだ。
「おっと!」
唐突に、鮮やかなジャンプ宙返りを見せるジキル。クレイが舌打ちする。
彼はお得意の特殊ワイヤーを使って、ひそかにジキルを拘束しようとしたのだ。肉眼ではとらえきれない透明な鋼糸をかわすとは、殺気やその他の気配を察知できている証拠だ。
「ただの学者ではない、か」
ジキルは瞬きひとつの間に、メリーゴーランドに乗っていた。木馬にまたがり、楽しそうに「ハイホー!」などと叫んでいる。
「追いましょう」
深矢が駆け出し、バロアもクレイも地を蹴る。冬季だけは「肉体労働は任せました」と、ひらひら手を振った。
▽鬼ごっこは好きですか?▽
「あー! なにか走ってるじゃん!」
玄兎は観覧車のてっぺんから、深矢たちを見下ろして言った。
「追っかけなきゃ!」
よくわからない理屈だが、走っているものは追いかけるのが、彼の習性だ。巨大な釘バットをどこからともなく取り出した。
「――っぃぃぃやっふーーーー!!!」
玄兎はハイテンションで観覧車から飛び降りた。
そのころ、深矢たちはメリーゴーランドを取り囲みつつあった。
「クレイさん、胸のペンダントに気をつけて。さっきツッコんだときに、少し触れたんだけど、まだ手の震えが止まらないんだ」
バロアが右手を抱きかかえるようにして忠告した。
「わかっている。あれからは負のパワーを感じる」
錬金術師であるクレイは鉱物にも詳しい。その彼が未知の物質だった。
「まずは俺が仕掛けます」
深矢が法術を行使すべく精神を集中する。バロアもまた闇魔法を使うべく呪文を詠唱しはじめる。クレイは、逃げ道をなくすようにワイヤーをメリーゴーランドの周囲に展開した。
「天衣捕縛!!」
深矢の指先から光の縛縄が放たれるも、ジキルが跳び上がったことにより、木馬の首に巻き付いて終わる。
「甘いよ!」
ところが、そこに狙い澄ましていたバロアがいる。彼の使おうとした闇魔法は、対象の周囲に暗い霧をまとわりつかせ、行動を制限するものだった。
「アーッヒャヒャウヒャヒャハハハハハッ! オレちゃん参上だぴょーん」
呪文が完成する直前、真上から不気味な笑い声が降ってきた。咄嗟に身をひねってかわすことができたが、アスファルトの地面に釘バットが突き刺さる。
「くっ! やるな、ウサ耳!」
「そっちこそやるじゃーん、ネコ耳!」
バロアと玄兎の視線がぶつかりあい火花を散らした。
ウサギ耳vsネコ耳。世紀の獣耳対決だ。
二人はそのまま木馬の上を飛び移りながら走った。
難を逃れたジキルは、すでにメリーゴーランドの屋根の上に移動していた。深矢がそこに飛び蹴りを放つと、ジキルは両腕をクロスさせてそれを防いだ。
「まだまだ修行が足りぬのぉ」
「そうかな?」
ワイヤーがジキルの足に絡みつく。クレイが会心の笑みを浮かべていた。
「こちらが本命かっ!」
歯がみするジキルの足がふっと軽くなった。玄兎の釘バットがワイヤーを切断したのだ。
「私のワイヤーが切られただと?!」
「ウキャキャキャキャキャキャキャ! クロちゃん怒らせたら怖いぜぇー」
「バロア殿は?」
深矢が心配してあたりを探ると、少し離れた場所でうずくまるネコ耳がいる。
「バロア殿!」
「ごめん……回りすぎた……うげっ」
メリーゴーランドに酔っていた。
「はやっ! 酔うの、はやっ!」
思わず深矢がツッコむ。
ジキルはそのうちに次のアトラクションへと逃げていった。
「って、ちょっと待てっ! なぜ貴様がジキルの味方をしている!」
今更ながらにクレイが、玄兎に指摘した。
「だってー、逃げてるヤツは、追っかけないといけないじゃーん」
「いま逃げてるのは、あいつの方だろうが!」
玄兎がきょとんとする。腕を組み、しばらく考えたあと、ぽむと手を打って、
「クレぽん、あったまイイー!」
ジキルを追いかけるべく釘バットを振り回す。
「待て! なんだその洗剤みたいな名前は?! まだ、おっちゃんの方がマシ――」
クレイの魂の叫びを、もちろん玄兎は聞いちゃいなかった。
「合い言葉は、アフロと博士! アフロ!!」
「アフロ!!」
「博士!!」
「博士!! って、思わずノってしまったっ?!」
どこかで聞いたことのあるメロディーに、クレイと深矢が思わず合いの手を入れてしまい、同時にがっくりうなだれた。
今度はコーヒーカップに乗ったまま、くるくる回るジキルだ。
すでにバロアは、見ただけで酔ってしまい、地面にうずくまっている。
ひとり元気な玄兎が、ジキル目がけて、必殺の一撃をお見舞いした。
釘バットにどれほどの威力が秘められているのか、コーヒーカップを粉々に砕くも、ジキルはすでに逃げおおせている。
「ちょームカ! もうあんたにゃガム分けてやんねぇー」
逃げるジキル、追う玄兎。
二人の前に現れたのは、ランドルフだった。
「あれ? 遊園地は楽しんだのかな? かな? かな?」
ジキルの問いに、ランドルフは「ええ、じゅうぶんに」と大粒の涙をこぼしながら答えた。
彼はまず最初に向かったジェットコースターに乗り込もうとして、身体が座席におさまらないことに気づき、泣く泣く断念した。その後も、観覧車に乗り込めば体重で落としてしまったり、ゴーカートを同じく体重で潰してしまったり、パットゴルフでホームランを打ってみたり、コーヒーカップは玄兎に破壊されたりと、散々だった。
「本当に楽しかったです……って、楽しいわけねぇだろーがっ!!」
深い悲しみに覚醒するランドルフ。筋肉が膨張し、口元から牙が顔をのぞかせる。
「こんなとこ、さっさと出てってやるぜ!」
「えー! 遊園地って楽しいじゃんよー」
ほっぺをふくらませる玄兎を、ぎろりとランドルフが睨みつけた。
「てめぇ、さっき俺が乗ろうとしたコーヒーカップを壊しやがったなっ!」
「どーせ、クロちゃんが壊さなくても、そんなデカさじゃ乗れなかったじゃーん」
「うおっ! 痛いところを突きやがって!」
怒りに燃えるランドルフは、玄兎を片手でひっつかんだ。雄叫びをあげながら、首をもぎ取る。
「あわわ。ぼーりょく、はんたーい!」
馬鹿にしたような口調でお尻を叩くジキル目がけて、キレたランドルフが玄兎の首を投げつけようとする。
「ヤバイよー」
ジキルは空に向かって跳躍した。
「逃がすかっ!」
唸りを上げて玄兎のウサ耳頭がジキルを追う。
ところが、ジキルは器用に空中で身をかわした。空に開いた穴に、玄兎の首が飛び込む。つづいてジキルもその穴に消えていった。
「逃がしたか」
鼻息荒い巨人の隣で、「惜しかったんじゃねーの?」と呑気にあくびをしている玄兎がいる。
「てめぇ、なんで?」
よくよく見てみるとランドルフの手の中にあるのは、ディスプレイとして置いてあったウサギの人形の身体だった。
「変わり身の術じゃーん」
するとさっき放り投げたのは、作り物のウサギの頭だったようだ。
ランドルフはすっかり怒る気力を失い、へろへろと地面にくずおれた。
▽アフロってどうやってつくるの?▽
たくさんのムービースターたちが、なにかに導かれるように行列を作っているのを、最初に見つけたのは冬季だった。彼は、別にサボっていたわけではなく、皆がジキルを追っている間に他の場所を調べていたのだ。
「それにしても、みなさん何があったのですか?」
バロアは真っ青で頬が若干こけているし、ランドルフはまだしゅんとしている。クレイと深矢は疲労からか終始無言で、玄兎だけが元気にかけずり回っていた。
さて、問題の行列をたどっていくと、その先はカラフルな建物の中へと消えていた。入り口には『ミラーハウス』と看板が掲げてあった。
「みなさん、出口を見てみましょう」
冬季がうながしたので、そちらへ移動する。
「あ」
誰かが声を上げた。頭にアフロをかぶったスターたちがぞろぞろと出てきていた。
「なるほど、ここでムービースターを洗脳しているわけか」
クレイがはっとした表情をつくった。他のメンバーも同じことを考えたらしい。全員がランドルフに注目した。
「私になにか用ですか?」
「だって、アフロにズキュンだから……」
言いにくそうにバロアが口ごもった。
「なるほど! つまり私がアフロを手に入れるためにみずからミラーハウスに入るのではないかと、心配していらっしゃるわけですね?」
うんうんとその場にいた全員がうなずく。
「みなさんは勘違いをしていますよ。私はたしかにアフロを愛しています!」
「うわ、愛って言い切ったよ……」
バロアの横やりにも負けず、ランドルフは力説をつづけた。
「だからこそ、許せないのです。アフロを悪用する輩を!」
「ま、ランドルフが自分からミラーハウスに入らないなら、それでいいや」
「さらっと流された?!」
「たしかにこれ以上、戦闘力の高いスターが洗脳されるとやっかいですね」
深矢がミラーハウスの入り口を見透かして――
「って、玄兎?!」
気づかないうちに玄兎が行列に並んでいる。こっちに向かって手を振っているところを見るに、どうやら操られているわけではなさそうだ。
「なるほど、ランドルフではなく、玄兎がみずから行ったか……」
クレイが眉間にしわを寄せて、こめかみを押さえた。
「止める?」
バロアが、いかにも「力ずくで」といった感じで握り拳を固めた。メリーゴーランドの件を根に持っているらしい。
「……面倒、だな」
クレイの言葉に、一同一斉に首肯する。
玄兎を連れ戻す労力と、洗脳された玄兎の相手をする労力は、同レベルに思えたからだ。まさしく敵にしても味方にしても恐ろしい少年。
「クレイさん」
バロアが唇を引き結んでクレイを見すえた。
「僕、ツッコミ要員としてここに来たのに、あまり役に立ってなくてごめん。クレイさんがひとりでがんばって、僕はむしろボケ要員だ」
「どうしたんだ急に?」
「だから、僕はがんばろうと思うんだ。このミラーハウスでジキルを捕まえる!」
力に満ちたバロアの瞳に、クレイたちも思わず固唾を呑んだ。これほどまでに本気のバロアはなかなか見られない。
「作戦でもあるのですか?」
深矢が訊ねると、バロアはぐっと親指を突き出した。
「我に秘策有り、さ」
バロアの立てた作戦はこうだった。まずジキルをミラーハウスにおびき寄せる。洗脳装置であるミラーハウスに攻撃を加える素振りを見せれば、ジキルは必ず現れるはずだ。そこで闇魔法を使って自分の影、つまりは分身を作り出す。副作用はあるだろうが、そこが勝負どころだ。ミラーハウスの鏡の枚数は尋常ではない。その数だけバロアの分身が現れるのだ。いくら素早いジキルといえど、数には勝てないだろう。
「なるほど、いけるかもしれません」
じっと腕を組んで聞いていた冬季が賛意を示した。
「さすがだな、バロア」
クレイが優しく微笑む。
「それではさっそく作戦を実行に移しましょう」
深矢が言うと、ランドルフが手を挙げた。
「ミラーハウスを破壊するふりは私がやりましょう。一番インパクトがあるはずです」
「たしかにそうだね。ランドルフさん、お願いできるかな?」
バロアの真剣さに応えるように、ランドルフは力こぶをつくってみせた。
バロアを先頭に、クレイ、ランドルフ、深矢、冬季がミラーハウスに向かって力強く歩き出す。
最終ミッションの開始だ。ここでジキルを捕まえなければ、道は開けない。
洗脳された人々を救うことも、ここから脱出することもできないのだ。
「さぁ、みんな、行こ――――って、へ?」
バロアの目が点になった。状況が理解できない。
どかーん。ばこーん。
破壊音。
アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!
ハイテンションな笑い声。
玄兎が楽しそうにミラーハウスを破壊していた。
「バロア! 大丈夫か?」
「しっかりしてください、バロア君」
バロアはがっくりと地面に膝をついていた。
「い、いや、ほら、よくやったと思うよ、実際」
クレイがあわててフォローするも、バロアは身じろぎひとつしない。不気味な笑いとブツブツとつぶやく声だけがかすかに聞こえてくる。
「ふっふっふ。あンのウサ耳野郎――ふざけやがって」
「ちょ、バロア、目つきがオカシイって!」
「ぶちのめす!」
怒濤の勢いで走っていくバロアを止めようと、必死に追いすがるクレイたち。まさかこのようなかたちで鬼ごっこが再開されようとは……
「そこのウサ耳!」
「なんだよー、せっかくイイとこなのに邪魔すんなってーの、ネコ耳」
あらかたミラーハウスを破壊し尽くした玄兎が、鼻をほじりながら、つまらなそうにバロアを見る。
「アフロが欲しくて列に並んでたんじゃなかったのかよ?!」
「ん? そんなん壊すために並んでたに決まってんじゃーん」
「なぜ律儀に並ぶ?!」
後ろからクレイがツッコむ。やっぱりバロアはツッコミ役になっていない。
火花を散らすバロアと玄兎。世紀の獣耳対決その二だ。
なぜか木枯らしが吹き、ネコ耳とウサ耳が風に揺れる。なぜかランドルフがBGM代わりに口笛を吹き出した。
「勝負は、一瞬ですね」
「ええ」
なぜか解説をはじめる冬季と深矢。
変なノリのせいで誰も戦いを止めようとしない。
玄兎が釘バットを構え、バロアが呪文を詠唱する。どちらが先に抜き、どちらが先に倒れるのか?!
と、そのとき。
二人の間、つまりはミラーハウスの瓦礫の下から、ひとりの青年が身を起こした。どうやらひとりだけ逃げ遅れたらしい。
「こ、ここは、どこだ?」
頭を押さえてゆっくりと立ち上がる。
頭?
そう頭だ!
「ぐっは!」
「ぐっへ!」
バロアと玄兎が同時にのけぞった。
不思議に思い、青年に視線を集めたクレイたちも、ほぼ同時に吹き出した。
「どうかしたんですか?」
きょとんとしてる青年の頭は、モジャモジャの輪っかを乗っけているような髪型だった。外側がモジャモジャで、真ん中がサラサラとでも言おうか。
それは、命名するならば、まさにシャンプーハットアフロ!
洗脳の途中で玄兎がミラーハウスを破壊したので、中途半端にアフロが乗っかったようだ。
「だ、駄目だっ!」
「オレちゃんも!」
全員がすべてを忘れて一斉に笑い転げた。笑いというものはいつの世でも大切なものだ。
▽アフロへの愛は永遠に▽
ジキル博士がその女を連れて遊園地に戻ってきたとき、事態は思わぬ方へと転がっていた。
というか、一目見ただけじゃ、なにが起こったのかさっぱり理解できなかった。
アフロ洗脳装置であるミラーハウスは粉々に破壊され、そのそばで数人のムービースターたちが「死ぬー」「苦しー」などと叫びながら笑い転げている。
一瞬呆気にとられたジキルだったが、アフロ洗脳装置を壊されたことの重要さに思い至り、怒気をあらわにした。
「なんてヒドイことするんだよー!」
その叫びで、ランドルフたちも敵が現れたことに気づいた。
博士を指さしランドルフが決め台詞を放つ。
「あなたの洗脳装置は、このとおり私が破壊しました! さぁ、観念して、みんなをここから出すのです!」
「ランドルフさん、さも自分の手柄のよーにっ?! って、できた! ツッコミができたよっ!」
喜ぶバロア。笑いの力は偉大だ。なにやら吹っ切れたらしい。
「いやだよー! 外は外で大変だし。ここはおまえに任せるからね。あいつら倒しちゃって!」
弓矢を持った女が無感情にうなずいた。
「瞳に意志が感じられない。あの女も操られているようだな」
女性相手ということで、ちょっと引き気味のクレイに
「いや、アフロつけてるから洗脳されてるに決まってるし!」
絶好調の男、バロアがツッコむ。
「ついでにツッコむと、なんでジキルはアフロ付けてないの?」
たしかに今回、ジキルはアフロを付けていなかった。
指摘されて初めて気づたのか、いそいで頭に手をやると、「あれ? 落とした?」とか言いながら、白衣のポケットからアフロを取り出した。
「スペア〜アフロ〜」
どこかで聞いたことのある言い回しだ。
「あれ? そこの失敗作は?」
ジキルがアフロをかぶりなおしながら、眉をひそめた。失敗作というのは、アフロの失敗作というか洗脳の失敗作のことだろう。となるとシャンプーハット青年のことだ。
「おやおや、どこかで見たことがあると思ったら、女泣かせの色男じゃないか」
「女泣かせ?」
青年は事情が飲み込めずに目をしばたたかせた。
「君が邪険にあつかった女の子、ミチコといったかな。絶望した彼女は、騙されてるとも気づかず、ボクちゃんの下僕となって働いてくれてるよー」
「俺の、せい?」
心当たりがあるのか、青年の顔面が青くなった。
「バカヤロー!」
「ぐはっ!」
めちゃくちゃ棒読みの台詞を叫びつつ、クレイが青年の頬を殴りつけた。
「女を泣かせるなんて、男として最低の行為だ」
「え? なんかそれ、クレイさんが言っていい台詞じゃないような……」
やはりツッコむバロアに対して、クレイが小声で話す。
「私だっておかしいと思う。しかし、ここはストーリーの進行上、ギャグ無しでこうしなければならんらしいのだ」
「そうなんですか?」
クレイは神妙にうなずいた。
「ここで青年が改心せねばならんのだ」
「だったら僕も。えいっ!」
「ぐはっ!」
「でしたら私も。とうっ!」
「ぐはっ!」
「オレちゃんも」
「ちょ、釘バットはさすがにマズイって!」
クレイ、バロア、ランドルフの鉄拳制裁を受けた青年は、涙を流しながら過去の自分の行為を悔いた。
「さぁ、心の汗を流したら、明日に向かって新らしい一歩を踏み出そう!」
クレイが青年に手をさしのべる。
…………
…………
…………
「あれ? こいつ、起きんぞ」
青年は白目をむいたまま、一向に起きあがろうとしない。
「死んじゃったら、今後の展開に困るんじゃない?」
バロアも蒼白になっている。身体をゆすっても、頬を軽くはたいても、目を覚ます兆しすらない。
「仕方ありません。この私が人工呼吸を――」
ランドルフが唇をすぼめると、青年の目がぱっちり開いた。
「起きてます! 起きてますから! もう大丈夫です! 改心もしました!」
「そうですか。よかった」
人の良い笑顔を浮かべるランドルフとは対照的に、青年は引きつった笑顔だ。
「おまえたち、私を無視するな!」
女が弓を構え、矢先をバロアたちに向けた。
その前に玄兎が立ちふさがる。にやりと笑うウサ耳少年に、弓の女は思わず背を向けて逃げ出してしまった。それが命取りだ。
「まーてー!」
「いーやー!」
女と玄兎の壮絶な追いかけっこがスタートした。
いつの間にやらジキルは姿を消している。
すべて失敗だった。
ミチコが作った赤いテントが消えたということは、信の玉が破壊されたということだ。こうなってくると、スターをひとつの区画に閉じこめることができないばかりか、玉同士の共鳴能力までもが失われる。
自分に残されたのは、スターを喰らい巨大化した智の玉と、胸にさげた孝の玉しかない。特にこの孝の玉だけはしっかりと守らなければならなかった。なにせ三つの玉の共鳴増幅の中心となっているのが、この玉だったからだ。これが失われれば、本当の終わりがくる。
自分はまだスターを滅ぼすという目的を達成していない。それは心の奥底からわき上がる、ドス黒い欲望だった。
「って、思ってるそばから?!」
再度、智の玉の中へと戻ってきたジキルは、万全の態勢で構えていたクレイたちにより、あっという間に囚われてしまった。
彼らはすべてのスターのアフロを取り去り、洗脳を解くと、事情を説明して協力を頼んだのだ。数十人というスターに取り囲まれたのでは、さすがのジキルも逃げ道がない。バロアの提案した手法の応用だった。
「さぁ、観念したまえ」
クレイがワイヤーでぐるぐる巻きにしたジキルに最後通告を突きつける。
「よくも、よくも、よくも、よくも! このボクの邪魔をしてくれたなっ!!」
ジキルの様子がおかしい。
ランドルフは以前感じたことのある嫌な波動を感じて、咄嗟にミラーハウスの瓦礫を手に取った。
「胸の玉を!」
「はい!」
バロアが闇魔法を使って自らの影を操る。直接触れるのは危険だと自分で試して知っていたからだ。
実体化した影が、にゅうっと伸びてジキルの胸で不気味に光る宝玉をはじき飛ばした。
「ああああああっ! ボクの、ボクの、たまああああああああぁ!!」
ランドルフが瓦礫を振り上げ、振り下ろした。
存外にもろかったのは、すでに信の玉が力を失っていたせいか。
ぱしゃりと孝の玉は潰れ果てた。
「たまああああああああああああああああああああ!!!」
ジキルの身体が不自然に膨張する。
危険だと判断したクレイは、ワイヤーを引き絞った。見えない刃がジキルをズタズタに斬り裂く。
それでも、ジキルは――かつてジキルだったものは活動をやめない。
「ヒィィィィィッヤッホゥゥゥゥゥゥ!!」
天空から飛来する釘バット。
「玄兎!」
「玄兎君!」
「ウサ耳!」
振り下ろされた一撃が、もはやジキルとは呼べなくなったものを、完膚無きまでにたたきつぶした。
からんと転がる黒いボロボロのフィルムがひとつ。
「クロちゃん、イイとこ取りじゃーん」
「これで、終わったのでしょうか?」
ランドルフが問いかけるのと、上空にぽっかり穴が空くのとは同時だった。
「出口が開いた?!」
スターたちから歓声があがった。
「みなさん、あそこから外に出られるはずです。あわてずゆっくり脱出しましょう」
冬季が先頭に立って皆をを誘導する。
「けっきょく、今回のことはなんだったのでしょうか?」
深矢が粉々に砕けた玉のカケラを見つめながらつぶやいた。
「わからん。だが、ここだけでなく、外でもなにかが起こっていることは確かだ」
クレイが巧みに、外へ向かう女性スターだけを避けながら答えた。
「外? しまった! 将軍に『けーき』なるものを買ってくるように頼まれていたのだ」
深矢が顔を青ざめさせる。
「ケーキ? 美味しい店を知ってるよ。つれてってあげようか?」
「かたじけない。バロア殿」
深矢とバロアが出口へと連れ立っていく。
「ボクちゃんもケーキー!」
玄兎もそれを追いかけていった。
残されたのはクレイとランドルフだ。
ランドルフは少し切ない眼差しで、地面に散乱しているアフロを拾い集めていた。洗脳が解けたスターたちの頭から自然に落ちたアフロたちだ。
「それをどうする気だ?」
「アフロに罪はありません」
「かぶるのか?」
ランドルフは無言だ。
毎日ひとつずつかぶったとして、何日かかるのだろうか。いや、その前にこれだけ大量のアフロをどうやって持って帰るのか。
「そんなものかぶらなくても、スキンヘッドが似合ってると思うがな」
ランドルフがものすごい勢いで振り返った。あまりの勢いにクレイがあとじさる。
「いま、なんと言いました?」
「え? なにが?」
「だからなんと言いましたか?」
すごい形相で詰め寄ってくるランドルフ。
「す、スキンヘッド?」
「そう、それ!」
自然と涙が流れてきた。
「私はハゲではないのです。そう、私はアフロになど頼らなくても、スキンヘッドなのです! ああ、早くあの少女に伝えねば!」
ランドフルはどたどたと出口へと駆けていく。
最後にクレイが、ため息一つを残して玉の中をあとにした。
★ ★ ★
ゆるゆると陽が沈んで行く。
生温い風が臭気を運んで行く。
まるでそこにあるすべてのものが、それの場所を知らせるかのように。
ゝ大法師は山を歩いていた。
昔と、同じように。
あの時も、彼女を捜して、こうして山の中を歩いた。
「──伏姫様」
そして、見つけた。
川が流れている。
川。
そう、川の向こう側……。
そこに、姫がいる。
そして傍らには、ボロボロにひび割れた『義』と書かれた玉。
「金鋺大輔殿か……また来たのかえ」
美しく豊かであった黒髪は、今は白く振り乱されている。
ふっくらとした可愛らしい唇は、乾涸びて割れている。
「殺しに来たのかえ、金鋺大輔。それとも、また外してくれるのかえ?」
にぃ、とわらうと唇は引き攣れ、ぷつりと切れて血が滲んだ。
ゝ大は俯いた。
「その名はあの時、捨て申した。……姫様を殺してしまった、あの日に」
言うと、女は笑った。
森が不気味にざわめき、その声を掻き消して行く。
「金鋺大輔、金鋺大輔よ。私を殺しただと? 殺しただと! 貴様、貴様が殺したと! ひひひ、笑わせるな、笑わせるでないぞ、貴様が殺したなどと!」
目は赤く血走り、瞳からは赤い涙が幾筋も幾筋も零れ落ちていく。
「一思い、一思いに殺せぬなら銃など手にするでない、愚か者。迷うておる、迷うておるのだろう、金鋺大輔? 知っておる、知っておるぞ、貴様、私に懸想しておったろう。ひひひ、ここで叶えてやろうか、我は生き返った! 幸せか、幸せであろう、八房もおらぬ、貴様のものになってやろうかぁあははっはははははっ!」
ゝ大は唇を噛む。
思い出されるのは、鈴を鳴らしたような愛らしい声。
春の花が咲くような、優しい笑顔。
空は血色に染まっている。
俯いていると、すぅと細い枯れ木のような白い手が、ゝ大の頬に伸びて来た。目の前には、自分を見上げる少女。
「……私を見られぬか。さもあろう、のう、金鋺大輔」
いとおし気に頬を撫でる手。
ギリギリと爪を立てて、その頬を赤く染めた。
「まっか、まっかにならんとのう、貴様、貴様もならんとのう、目を、目を閉じるな、閉じる出ない、貴様、貴様が閉じるでない、見よ、見よ、貴様の罪を見よぉおおおおお!」
ゝ大はただ目を閉じてされるがままに引き裂かれた。
頬の肉が削られ、白い骨が覗く。
女は笑いながら削り取った肉を握り潰す。それから滴る血を赤く長い舌に絡ませて笑い続けた。
まっかだ。
「うまくいかぬのう。残った玉も『義』の玉のみ……ふふ、義はよいのぉ、戯れは面白かったか?」
『義』の玉はふよふよと弱い光を放つ。それに、女は笑った。
「そうかそうか、ふひひひひひぃい……我も、我も戯れたいのう、のう、金鋺大輔? 降りたい、降りたい、ここから出してくりゃれ」
削られた頬から流れる血が胸に降りてくる。べったりと血塗れた上に、女は頬を寄せた。ゝ大は動かぬまま静かに言い放った。
「……なりませぬ」
削られた肉の隙間から空気が漏れる。垂れ下がった皮がその空気に揺れた。
女は笑う。
「なりませぬ! なりませぬだと! ひひひい、金鋺大輔、貴様は変わらぬ! 変わらぬ変わらぬ変わらぬ、ではまた殺し損じるがよいぞぉおひいいいいいっ!!」
笑う。
甲高く。
風が。
生臭い風が運んでゆく。
今度こそ。
間違いは起こしてはならぬ。
「損じるがよいぞ! 貴様は私を殺せぬからなぁっ! ふひひひひ、今度は自ら死んでやらぬぞ、生き恥を晒せと申した者共にものど者共に思い知らせてやらねばなららならないのだからぁああああ」
今度こそ。
ゝ大は銃を構える。
間に合わなかった。
また、間に合わなかった。
だから、今度こそ。
為損じぬよう、こうして。
「なんじゃぁ、黒い筒を私に向けるとは、不忠者めが、手柄も上げられず帰ることもせず挙句私を殺し損ねた損ねた筒をまたたたまたまた向けたむけるむけるまたたまたまた」
額に。
指に力を込める。
引き金を引く。
筒が。
天を撃った。
ゝ大は目を見開く。
『義』の玉。
ぼろぼろにひび割れた『義』の玉。
『義』とは正義。
義の者は命令では従わぬ。
義の者は奴隷ではないからだ。
義の者は自らの義の為に義を尽くす相手の為に義を貫く。
『義』が選んだのは。
「いひぃひひひいあああはははははっ! 損じた損じたぞ、また損じたぞ、金鋺大輔、それでこそ貴様きさまさまよよおおぉおおいひひいひひひひ」
伏姫。
ぞぶり。
腹。
腹に。
腕。
細い。
枯れ枝のような。
声。
笑い声。
笑い声。
「さらば、さらぁばばかなかなまま金鋺だ大だいだいすす輔ぇえええ、あは、ははは、はは、は、」
銃声。
笑った顔。
醜く引き攣れ深紅に染まった顔。
ゝ大はじっと見つめていた。
ひび割れた『義』の玉は、二度同じことをする力は残されていなかった。
笑い声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
「今度こそ、おさらばです。……伏姫様」
『義』の玉は粉々に散って。
笑い声の主は干涸びた黒い灰になって。
消えていく。
溶けていく。
生臭い空気を一掃するような風が吹いて。
がしゃり。
銃が地に落ちる。
崩れ落ちる。
山伏姿の男。
「……姫様」
流れる。
瞳から。
溢れる。
次から次へと。
止めども無く。
ごろり。
転がった。
夜が来る。
空には。
満天の、星。
笑った。
そこには。
一つのフィルムと、一丁の銃が残った。
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クリエイターコメント | 愛とアフロの物語をお届けしました。
このノベルは霜月WRおよび村上WRのノベルと様々な点でリンクしています。 どこがリンクしているのか探してみるのも楽しいかもしれません。
誤字脱字および口調等で訂正がある場合は遠慮無くお申し付けください。 |
公開日時 | 2008-06-07(土) 19:00 |
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