陽が落ちた十月三十一日。
「さて、衣装は用意した。後は……何故に歯ブラシ? ……まぁいい、持っていくか」
チラシ片手にがさごそと荷物を詰め込んで、男は黒いマントを翻した。
部屋にひらりと残ったチラシには、「主催:盗賊団アルラキス」の文字が踊っていた。
「っはー、疲れたけど楽しかった!」
友人たちとのドタバタとしたハロウィンを終えて、香玖耶・アリシエートはご機嫌にテンションが高かった。ハンドバックを振り回し、スキップまでしかねない。そのうち、本当にすぽーんとバックが吹っ飛んだ。気持ちいいくらいご機嫌に飛んで、前を歩いていたおっちゃんにぶち当たる。
「すみませんすみません、本当にごめんなさいっ!」
平謝りに謝って、香玖耶はハンドバックを拾う。うう、かっこわるい。と、かさりと薄い紙がその手に触れて、摘み上げた。
そこには、ハロウィン・パーティー開催の旨が記されていた。
香玖耶の目がぱっと輝く。「持ち物:歯ブラシ」というのがよくわからないが、楽しい事、面白い事は大好きである。
家に帰る途中であったが、香玖耶は一も二もなく踵を返すと、銀幕市自然公園へと足を向けた。
銀幕市自然公園の展望台は、色取り取りのジャックランタンに彩られ、仮装した人々に彩られ、賑やかな笑い声が溢れている。
「はろりん、はろりん!」
そんなハロウィンパーティーに、うきうきとやってきたカボチャ頭。ガスマスクの上にカボチャのマスクを被ったアレグラである。はろりん、とはハロウィンの事であるらしい。初めて見る賑やかな黒とオレンジに、アレグラはきょろきょろと頭を動かす。
軽い足取りでやって来た小さなお客に、シャガールは微笑んだ。
「やあ、いらっしゃい」
「おう! アレグラ来たぞ、地球人!」
体のあちこちにぐるぐると布きれを巻いたシャガールに臆した様子もなく、アレグラは満面の笑みで笑って(残念ながらカボチャマスクで見えなかったが)チラシを見せた。対策課で配布したチラシに、千円札が挟まっている。
「はろりん、『仮装してお菓子もらう』聞いたぞ! アレグラ、面白いの着る!」
「面白いのかぁ。そのカボチャの被り物だけでも十分面白いけど」
首をひねって腕組みをするシャガールを真似て、アレグラもそのポーズできらきらとした目で待っている。その姿に笑みをこぼして、シャガールは手を打った。
「これなんか、どう?」
シャガールが見せたのは、黒いつなぎに白い骨がふっくらと浮き出た、いわゆるスケルトンマンの衣装。アレグラは目を輝かせた。
ウサギが歩いていた。
それは、揶揄でも冷やかしでもない。
ウサギが、二足歩行をしているのである。それはピンクの毛皮を持ち、身長百八十センチ程度と言った所だろうか。ウサギの長い耳は半ばで折れ曲がり、その先はまるでポン○リングのように丸くなっている。目はくりりと愛らしく、その頬もまたもこもことしてかわいらしさをアッピールしていた。白い手袋をはめた手には、カボチャやバッキーやハートなどの紐付きバルーンを持っている。
それは、ウサギの着ぐるみを着た人であった。
遊園地とかにいるような着ぐるみを着た、人である。その証拠に、彼の頭の上、愛らしいうさ耳の間には、ウサギの毛色と同じピーチのバッキー、その名も桃太郎がちょこんと乗っているのだ。
つまりこのウサギは、ウサギの着ぐるみを着たムービーファンである。
「おー、バッキーの風船だ!」
下から聞こえた元気な声に、ウサギの着ぐるみを着たムービーファンは視線を下ろした。くりりとした目を向けているのは、魔女帽子にマントの正調を纏った子狸である。こちらは正真正銘の子狸で、後ろ足で立っている。魔女帽子の先には小さなカボチャがちょこん付いており、饅頭を満載した籠を小脇に抱えて、バッキーのバルーンを眺めている。
ウサギの着ぐるみ(略)は、視線に気付くと屈んでオレンジ色のバッキーバルーンを手渡した。
「くれんのか?」
子狸が首を傾げると、黙って頷く。子狸は嬉しそうに笑って、それを受け取った。
「俺は太助ってんだ。お前は?」
ウサギ(略)は、自分の胸を指す。そこには「宇佐木」と書かれた名札が付いている。が、太助は小首を傾げて腕を組んだ。
「なんて書いてあんだ?」
顔を上げると、ウサ(略)はかくと首を傾げて、それからボソリと呟いた。
「……ウサギ」
漏れてきた声は被り物のせいか、くぐもっている。しかしその低い音に、男なのかな、と太助は思った。
「ウサギか。見た目もウサギだけど、名前もウサギって面白いな」
にっかと笑って、太助ははたと宇佐木を振り仰ぐ。
「ウサギも、パーティーに行くのか?」
宇佐木は無言で頷く。それに少し考えるように腕を組んでから笑って、太助は先に立って歩き出した。
相原圭は、興味深そうにきょろきょろと森を見ながら歩いていた。
入り口に立っていた警察官にも驚いたが、それより驚いたのは自然公園の森の様相だ。
木々の合間を、赤い炎が照らし出している。それはランタンが吊されているわけでも、松明のようなものがあるわけでもない。炎がゆらめきながら宙を浮いて、暗い夜の森を明るく照らし出しているのだった。
「すっごいなぁ。どうやってるんだろう」
純粋に驚きながら、圭は自然と頬が緩むのを抑えられない。
最近、物騒な事件が多く発している。不安になる中で、行われるというハロウィンパーティー。その主催は【アルラキス】。思う事は多くあるけれど、パーッとハロウィンを楽しもう。そうして律儀に歯ブラシを持って、圭は会場へとやって来たのだった。
展望台前の分かれ道には、やはり警官が立っていた。しかし、それよりも目を惹いたのは、展望台への道の脇に置かれた西洋甲冑である。その首からは『Welcome! Happy Halloween!』と彩り鮮やかに描かれた看板。この西洋甲冑、なんだかどこかで見た事があるような気もするが、とにかく今はパーティーだ。会場からはもう賑やかな声が聞こえてきている。
展望台までの足下には、カボチャをくり抜いた中に炎が揺らめくジャックランタンが飾られている。その火もどうやって灯されたのか、赤は赤でもオレンジっぽい赤やピンクっぽい赤など、様々だ。ジャックランタンはカボチャだけでなく、ガラスのように青白いジャックランタンもある。中の炎は青や緑と寒色系だが、とても暖かく感じた。
「あ、シャガールさん! こんばんは!」
ぶんぶんと手を振って、圭は満面の笑みを浮かべる。声に気付いたシャガールが振り返った。オレンジと黒の細い布を包帯のように頭に巻き、そこから白銀の髪がこぼれ落ちている。腕や露わになった細身なのに逞しげな胸板(やはりちょっと切ない光景だ)などにも巻かれ、見た目にはすごく派手なミイラ男がにこやかに微笑んでいた。寒いからだろう、上に羽織っている布きれは妙によれていて、それがまた年月を感じさせるようなミイラに仕上がっていた。裏事情を言えば衣装を作りまくって本当に疲れているのだが、圭はすごく雰囲気が出ていてすごいなぁと思っている。
シャガールさんは何を着ても似合うなぁ。ミイラ男でもすごく似合う。カッコイイなぁ。
心底そう思っているのだから、圭のピュアっぷりは筋金入りだ。
「相原くんは、仮装しないのかい?」
「あ、オレ借りようと思って。ドラキュラの衣装ってあります?」
「もちろん、あるよ! わっくすとか、化粧品とか、牙も髭もあるよ」
とても嬉しそうにあれもこれもとポイポイ放ってくるシャガールに、圭は少し意外そうな顔をして笑った。
「あら」
香玖耶はその入り口で思わず足を止めた。見知った顔を見つけたからである。なぜか色取り取りのジャックランタンに飾られ、首からは『Welcome! Happy Halloween!』と書かれた看板をぶら下げているが、間違いなく自分の知り合いである。
「何してるの、こんなところで」
思わずしゃがみ込んで話しかける。しかし、一向に喋る気配のないそれに、香玖耶は首を傾げた。
「ねぇ──」
「あんた、何してんだ」
笑いを堪えているような声に振り返ると、そこには赤銅の肌に赤い瞳が煌めく人が立っていた。思わず頬を染めて立ち上がると、彼はまだ少年であるらしい。
「パーティーなら、こっちだ」
言って、付いてくるように顎をしゃくる。今イチこの動かない西洋甲冑には納得出来ないが、パーティーパーティー! と香玖耶は足取りも軽くその背を追い掛ける。
後ろでは小さくため息が聞こえたとか聞こえないとか。
「トリック・オオォア・トリィイイイイイック! 俺ちゃん参上だぴょーん!」
飛び跳ねるように展望台へやって来たのは、魔女っ子衣装に身を包み、手作り感溢れる魔法のステッキのようなものを持った、ウサ耳帽子の玄兎である。下はかろうじてスカートではなく短パンだが、テンションは上々、スカートを履いてくれと言えばノリと勢いで履いてくれそうだ。
「おい地球人、間違えてるぞ! はろりんは『鳥っ子は糊ー』言うんだぞ!」
少しくぐもった声に視線を下げれば、カボチャマスクにスケルトンマンの衣装を着た子供が胸を張って、びしっと玄兎を指さしている。
「人のこと指さしちゃいけねーんだぜぇ?」
言いながら、びしっと指をさし返す。
「む、そうなのか。でも地球人も指さしてるぞ!」
「俺ちゃん地球人じゃなくって玄兎ってんだ」
「クロトか! アレグラ、アレグラ言うぞ!」
「おおぉおお、なんだこれ! ちょーうまそうじゃーん!」
「なにっ、アレグラ食べるぞ!」
会話になっているのかいないのか。とりあえず息は合っているようだ。
二人の視線の先には、色取り取りのケーキやクッキー、あめ玉がテーブルいっぱいに並んでいる。
「ちょっと待ったぁああ!」
今まさに手を伸ばそうとした二人を止めたのは、身長二メートル超のフランケンシュタインだ。頭には巨大な釘まで刺さっており、ツギハギの痕までリアルにある。アレグラはびくりとそれを見上げた。
「な、なんだ!? 地球人か!? アレグラ強い、こ、怖くなんかないぞ!」
へっぴり腰になりつつも胸を張るアレグラに、フランケンシュタインは不敵に笑った。
「っぃぃやっふーーー!」
そんなフランケンシュタインの上、玄兎は人間とは思えない脚力で闇空高く飛び上がり、魔法のステッキっぽいものを振り下ろそうとしていた。それを鋼の筋肉でガキンと……ステッキと筋肉でガキンっていうのも変だがとにかくそんな音を発してはじき返し、互いに距離を取る。二人はしばし見合って、ふっと笑った。その瞬間、二人の間に何かが芽生えた。なぜ。
「とっくりあんどどんだ! 悪戯しなきゃ菓子はやむごぅぐふっ」
ぴゅぴゅんと飛んできた丸い物体が口の中に飛び込んできて、フランケンシュタインはむごむご言った。
「いっえーい! とっくりあんどどん! 悪戯したからお菓子をおくれ!」
そこへ、子供特有の高い声が響く。小さな拳をぐっと握ってやって来たのは、太助だ。なんとしても一回で二個の饅頭を文字通り喰らわせてやろうと、実はちょっと前から人影に隠れる用意してその時を待っていたのである。狙いは大成功、見事にむごむご言わせてやった。
きらりと次に目があったのは、ど派手なピンク頭をした玄兎である。
こいつは強敵だ。一筋縄ではいかない。
目と目があったその瞬間、二人はバチッと火花を散らした。どこかでゴングが鳴る。じり、じり、と間合いを取り、玄兎が動いたその瞬間! ぴゅっと放たれた饅頭は、玄兎が避けるそれをも計算し尽くしたかのような軌道で、玄兎の口の中に飛び込んだ。
「アヒャヒャヒャヒャヒャ! やられたー! オレやられちったよ! これ美味いな!」
「やったぜいぇいっ! へへ、うまいだろ? ばあちゃんが作ってくれたんだ」
得意げに胸を張って、太助は笑う。
さあ、次はアレグラだ! ……と振り返った太助だったが。
「なんだ、太助?」
「……ううん、なんでもねぇよ」
ガスマスクを被ってたらやべーかなー……と心配していた太助だったが、そんな心配はご無用だった。なぜなら彼女は、カボチャのマスクまで被っていたから。
ちょっとしょんぼりしている太助の肩を、宇佐木がぽんぽんと叩いた。次いで何か口を開こうとしたところで、むごむごしていたフランケンシュタインが盛大に深呼吸をして、滅多に開かない口を開く機会を逸してしまった。
「っあー、ビックリしちまったぜ。おう、やってくれたなタスケ。コレうめぇし」
「へへ、びっくりしただろ、うまいだろ! やっぱ味はわかるんだな、アルディラ。これな、ばあちゃんが作った饅頭なんだ」
「まんじう?」
得意げに胸を張る太助が投げつけたのは、直系三センチほどの一口サイズの饅頭である。中身はハロウィンという事にちなんで、南瓜餡だ。
そんな二人のやりとりをしているのを見ながら、アレグラの目が輝いた。
「はろりん、本当は『とっくりあんどどん』言うか。アレグラ、『鳥っ子は糊ー』だと思ってた!」
無邪気いっぱいに答えるアレグラに、アルディラというらしいフランケンシュタインは「そうだ、とっくりあんどどんだ」などと言っている。太助も大きく頷いている。
鳥っ子は糊も、とっくりあんどどんも、どちらも違う。
そう訂正してやりたかったが、アレグラがきらきらとした目でアルディラを見てる間にその両手を伸ばし、後ろからこちょこちょとくすぐって、それにアルディラが涙目でやめてくれ〜とか情けない声を出しながら笑い転げ、それを見ていた玄兎がクキャキャキャ! とテンション高い笑い声を上げながらお菓子の並んだテーブルに何かをさりげなく置いたのを見たら、もう何を言う気も失せてしまった。多分、何を言っても聞かないだろう。
というわけで、宇佐木は誰の何を訂正する事もなく、放置プレイに走った。
そして「トリック・オア・トリート!」とまとわりついてきた子供たちとじゃれ合いながら、バルーンをあげたりお菓子を配ったりと、本来のハロウィンを満喫し始めた。
会場に足を踏み入れて、ベルナールは思わず唸った。賑やかな祭りだと聞いてはいたが、こんなにも盛り上がっているとは思わなかったのだ。
そんな中で、立ち上る熱気とはまた少し違う雰囲気を醸し出している場所を見つけて、ベルナールは小瓶の並んだテーブルの傍へと寄った。
「賑やかだな……はろうぃん」
「やっほー、ハロウィーン。来てくれてありがとー。僕はハリスっていうんだー。きみはー?」
ハリスはへにょりと笑う。
「ベルナール。これは一体、なんだ?」
ごく簡潔に名乗って、ベルナールは小瓶を指した。
「あー、これねぇ、ドラゴンの皮で作った飲み物だよー」
「ほうほう、ドラゴンの皮か。だが、この辺りでドラゴンを見たことはないが」
「そりゃあねぇ。街の中で暴れたら、みんなびっくりしちゃうからー。ダイノランド? ってとこで脱皮したんだー」
「そうか、ダイノランドにはドラゴンがいるのだな。どれ、一つ貰っていいか?」
微妙に会話がちぐはぐだが、とりあえず進んでいるからオッケィ、問題ナッシング。
ハリスは満面の笑顔で小瓶を一つ渡す。それを受け取って、ベルナールは不思議な感覚を得た。どう言えばよいのか、何かに守られているような、暖かな水に包まれ揺蕩っているかのような感覚だ。思わずハリスを見やると、ハリスは驚いたように目を細めた。
「ふぅん、敏感なんだー」
へにょんと笑って、ハリスは続ける。
「僕の皮ってねぇ、なんか不思議な力があるんだってー。これはー、瓶が冷えないようになってるんだー。銀幕市じゃぁ、マホービンっていうらしいんだけどー……僕のはちょっとした力とー意志でできるからー、そのマホービンとちょっと違うんだよねぇ」
不思議な力。それは恐らく、魔力といったものだろう。言われてみれば、ハリスからは魔力のうねりを感じる。まるで魔力そのものといったような気配だ。
魔術師であるベルナールは、好奇心でいっぱいだった。彼の専門は、付与魔法やキメラ作成といった、いわゆる魔法とは少しばかり勝手が違うものである。つまり、ドラゴンの皮の加工法は非常に興味深いものだった。
ドラゴンの皮……鱗と言えば、一般には剣や鎧にするのが普通だ。それを、小瓶にして魔法瓶の効果を持たせたり、ましてや液体として飲めるとはこれは一体どういうことだろう。興味はつきない。
「飲まないのー?」
オススメなんだけどなぁ、と間延びした声がして、ベルナールははっと我に返った。そうだ、今はハロウィンを楽しみに来ているのだった。
ベルナールは小瓶の蓋を開ける。すると、暖かな湯気と共にふわりと甘い香りが漂った。瓶もじんわりと暖かい気がする。つと瓶を傾けて喉に流し込んだ。熱過ぎず温過ぎず、ほのかな甘みと香りが口の中いっぱいに広がる。
「これはいい。もう一つもらえるだろうか」
ハリスは笑って、小瓶を差し出した。
「お頭」
セイリオスに呼ばれて、シャガールは振り返った。そこには、彼のうつろな海の王者がこの銀幕市へやって来た時、同じ部隊で共に向かい合った女性が立っていた。
「君は、そう、覚えてるよ。アリシエートくんだったよね」
「え……あ、ああ! うん、私も覚えてるわ。部隊長のシャガールさん」
にこりと微笑んで、香玖耶は握手を求めるように手を差し伸べた。それを笑顔で取って、シャガールもまた微笑む。
その後ろで、茶の髪に茶の瞳をした少年が、きょとんとした顔でこちらを見ている。にこりと微笑むと、恥ずかしそうにはにかんで、にこりと微笑んだ。
「あ、」
太助は赤銅の男が入ってきたのを見ると、アルディラをくすぐる手を休めて、饅頭の詰まった籠を小脇に抱えて、とてとてと人の波を縫って近付いていく。すっと人の波が消えたところを、たんと蹴ってその足から頭へとよじ登った。
「うわ、なんだっ……!!?」
驚いて身をすくませ、なんだの「だ」で口を開いたその瞬間、太助は饅頭を三個まとめて放り込んだ。
「これぞ奥義すいーとあたっく! 美味しい悪戯を食らえー!」
至近距離からのアタックに抵抗できるはずもなく、セイリオスは驚いて饅頭を口に詰め込まれたままぽかん、と太助を見やった。なんとも間抜けな顔に、太助は笑う。
「セイリオス、変な顔。ほれ、ちゃんと噛め噛め。ばあちゃんが作ったカボチャの饅頭だ、美味いだろ?」
無理矢理に下あごをぐいぐいと押す。
人の心の機微に疎いセイリオスだが、明るく無邪気に振る舞う太助のそれに、何か不自然なものを感じた。思わずその目をじっと見る。
「ちゃんと食えってば。腹が減っては戦はできねぇってゆうだろ」
……元気か? だいじょぶか?
自分を、心配してくれているのか。
セイリオスは戸惑いと共に、暖かなものが胸に広がるのを感じた。ああ、これはいつだったか、あの人が自分にくれたものと同じもの。顔が自然と緩み、微笑みがこぼれた。それにびっくりしたのは、太助である。
「な、なんだ、なんか変なもん食ったか?」
「は? ああ、いや」
くつくつと笑って、セイリオスは饅頭を噛みしめた。生地全体が甘くてコクがあり、南瓜餡はさっぱりとした甘さ。これならいくらでも食べられそうだ。
「これ、マンジューってのか。美味いな」
それに、太助はぱっと笑った。
「そうだろ、美味いだろ! アルディラにレシピ渡しておくからな!」
「れしぴ?」
「うーん、おまえらってほんと、カタカナの名前してるくせに、カタカナに弱ぇのな」
「そうだ、シャガールさん。私も仮装をしたいんだけど、貸して貰えるかしら?」
「アリシエートくんなら、魔女はどう? ベラとお揃い」
シャガールの視線の先には、黒いトンガリ帽子に、黒いミニスカートに黒のオーバーニーソックスといった姿の白い髪の少女だ。視線に気付くと、ひらひらと手を振って微笑んだ。
「ごめんなさい、実は昼間に参加した別のパーティーで魔女の格好しちゃったの」
それに残念そうな顔をして、それから、シャガールはぽんと手を打った。
「それなら、これはどう? アリシエートくん、いつも十字架かけてるし」
そう言って示したのは、真っ白い神父服。
香玖耶の目の前を、緑の瞳が微笑みかけた。息が詰まる。優しい笑顔が見える。懐かしい、哀しい程に美しい緑の微笑みが。
「アリシエートくん?」
シャガールの声に、はっとした。香玖耶は慌てて笑みを作る。
「なんでもない、ありがとう。これにするわ」
ぱっと衣装を受け取って、香玖耶は更衣室らしい黒い布に覆われた箱に足を踏み入れ
「あ、そっちは」
「っきゃああああああああああああああああっっ!?」
全てを言い切る間も、香玖耶が振り返る間もなく、香玖耶は更衣室入り口の前で宙吊りになった。
「そっちは男性用なんだ」
「そ、そう……ごめんなさい、早とちりしたわ。わ、わざとじゃないわよ!? ホントよ!?」
わかってるよ、とシャガールはくすくすと笑った。
と。
「ぃぃいやっふぅううーーー!! なになに、かぐちょん、楽しそうじゃん!」
「これのどこが楽しそうに見えるのよーっ!」
ぴよーんとウサギのように跳躍してきたのは、玄兎である。麻縄にぐるんぐるんに絡め取られたまま、香玖耶は叫んだ。しかしそんな香玖耶のクレームも格好もお構いなし、覗きなんかに興味はないが、罠には興味津々である。確かに外で、しかもこんな大勢の居る中でお着替えするとなりゃあ、罠の一つや二つや三つや四つ五つや六つや七つや八つはあるだろう。期待に満ちた目でシャガールを振り返ると、シャガールは香玖耶を下ろしながら軽く肩を竦めて見せた。途端、玄兎の目が断然輝く。こりゃもう片っ端からかかるしかないでしょう!
奇声を上げながら嬉々として罠に引っかかりに掛かる玄兎に微笑んで、その間に女性用更衣室へと誘う。
「あれ、圭くん? 何してるの?」
何やら後ろでごそごそしていた圭がびくりと肩を振るわせた。何事かと回ってみると、彼の鼻先から槍が一本飛び出していた。
「び、びっくりさせようと思って……ちょっと寄りかかったら」
「あー……」
シャガールは苦笑して圭を立たせる。さすがに一般人に飛び出す槍はきつかったか、と少し反省。
が。
そのすぐ隣で玄兎が景気よく罠──縄が飛んできたり槍が飛び出したり長刀が振り下ろされたり火炎放射したり──に引っかかっては間一髪で避けつつ大笑いしているのを見ると、銀幕市って面白いところだなぁ、というちょとズレた結論に行き着くのであった。
ようやっとドラキュラの仮装をした圭は、ちょっとばかりドキドキしていた。渋くて格好いいから男らしく見えないかなぁと、付け髭も付けてみた。
そしてそんな彼の隣には、真っ白い神父服を身につけた、香玖耶である。胸元ではロザリオが輝き、長い髪の間からはイヤリングがちりんと煌めいた。神父服は長いローブのようになっているのだが、下はズボンである。が、女性使用ということで、スリットの入ったチャイナスカート風になっている。ちらりと見える太腿には、某不○子ちゃん風に鞭が装備されていた。
「おー、ハロウィンって感じだな! とっくりあんどどん!」
「とっくりあんどどーん!」
太助とアレグラは満面の笑みで元気よく叫ぶ。二人は頬が思わず緩む。可愛いものも大好きだ。こっそり宇佐木も胸きゅんしている。
「トリック・オアぁんぐ?!」
二人に答えようとしたところで、お約束。今度は太助とアレグラのコンビネーションだ。二人はぱちん、と手をたたき合った。アルディラが用意したお菓子を口いっぱいに頬張って、なんとも幸せそうだ。
それを目撃したベルナールは、これは何やら面白そうだ、と移動。すると、皆の視線が一斉に集まった。
「え、それなに、なんの仮装?」
「吸血鬼だが……何か問題が?」
香玖耶はおそるおそるとその頭に刺さったものを指さす。それは斧である。吸血鬼の仮装をした男の頭に、斧がぶっささっているのである。これにはやはり驚くであろう。驚かないハリスの方が変なのだ。
「っくしゅん!」
「風邪かい、ハリィ」
「んー、多分大丈夫ー。バカは風邪引かないからぁ」
ベルナールは頭の手斧に手をやった。それをかぱっと取ると、皆が面白いくらいびくりと跳ねる。それからまた装着し直して、ベルナールは首を傾げた。
「参加するには手を抜きたくないから、色々調べて家にあったもので作ってみたんだが、違うか?」
心底解らない、という顔をするベルナールに、思わず顔を見合わせる。ベルナールはさらに首をひねった。ちらりとアルディラを見やる。
「頭に釘……が良いのだから、これでも」
いいじゃないか。
……なるほど。
心の声が一致して、いやいや違うだろうという宇佐木の突っ込みも空しく空を切った。
「そうだ、ハロウィンがどういう祭りなのかを調べて持ってきたのだった」
ベルナールがマントの下から取り出したのは、ハロウィンらしく黒とオレンジとでラッピングされた、不思議な色の飴やらクッキーやらがめいっぱい詰まった袋だった。
「悪戯の代わりに菓子を、はっぴーはろうぃん?」
これに太助とアレグラは大喜び。早速開いて頬張る。幸せそうに美味しそうに食べるその姿に、思わずベルナールの顔が緩んだ。それからまたわいわいと、テーブルの上に並んだ菓子を頬張り出そうとした。
のだが。
「ぅうげええええ、なんだこれっ!?」
「かっ……辛い、水、水飲むー!」
二人は涙目で、でも吐き出すのは勿体ない! というど根性で飲み込んだ。
「まつやに、まつやにがくちのなかに……っ!!」
「のど痛い、これ毒かっ!?」
太助は尻尾をぶわわっと広げてアレグラはぷるぷる震えている。
「ど、どうした、大丈夫か?」
太助ら以上に戸惑っているのはアルディラである。ちゃんと味見もしたのだ、師匠にもお墨付きも貰った。そんな叫ぶ程不味いものがあるはずがない。
慌ててテーブルを見やると、自分が置いた覚えのないものが混ざっている。菱形でまるでイカスミのように真っ黒なものと、見た目は普通のチョコレート。黒い方は触ってみると、グミのような柔らかさで、臭いもなんだか一風変わっている。 眉間に皺を寄せていると、素っ頓狂な笑い声が響いた。
「アヒャヒャヒャヒャヒャッ! 引っかかった、だーいせーいこーう☆」
さっきまで魔法のステッキっぽいものを振り回して、更衣室の罠に引っかかりまくっていた玄兎がピースピース! と飛び降りてきた。
「おまえ、なにした?」
アレグラはまだ喉の奥がひりひりするのだろう、水を流し込みながらきっと睨む。
「バイトあーんど居候先から持ってきた輸入菓子ちゃんたちでぇっす!」
「ゆにゅーが……、ちゃ? は?」
「輸入菓子ー。人の話はちゃぁんと聞きましょーねぇ? たすぽんのは、世界一まずうい飴って言われてるサルミアッキちゃんでぇ、アレグっちょんのは、激辛☆唐辛子チョコレイトでぇっす」
しゃららららら〜んと魔法のステッキっぽいのを振り回してポーズを決める玄兎。
サルミアッキ。
それは世界一まずい飴と言われている、フィンランドの飴である。
地元フィンランドでは、小さい子供から大人まで大変親しまれている飴で、様々なパッケージのものが発売されている。中にはお酒やガム、アイスクリームまで作られているという愛用ぶり。それが口に合う者は、残念ながら少ない。太助が言うように、サルミアッキは「松ヤニ」のような味と匂いと表現されるほどなのだ。中には、その独特な味が癖になってしまい、ついつい買ってしまうという変わり者もいるが、そういった人は極まれである。
太助は口の中にまだ松ヤニのような味が広がっているのか、尻尾はぶわりと広がったままである。アレグラは口直しでもしようと、ケーキに手を伸ばした。
のだが。
「やめろー! 取るダメだー!」
辛いのを早くなくしたい。そんな思いで、アレグラはケーキを死守する。
アレグラが死守したその手の先には、黒の着流し、草履、ぼさぼさの長髪、そしてその腰には古ぼけはているが見るものが見ればそれなりの業物であると解る、刀。顔の彫りが深く、その鋭い眼に射貫かれれば誰もが思わず直立するだろう。ケーキを頬張るその姿でさえ、思わず腹の底が震えるような威厳を醸し出している。
一瞬その足を後退るが、ここで負けたらダメだ! と自分を奮い立たせる。
「これ、アレグラ食べる! お菓子食べるしたかったら、アルディラに悪戯しなきゃダメだ!」
男は目を見開いた。
「なんと、悪さをすれば菓子がもらえるとは……」
お侍様お侍様、それを本当に信じたのでございまするか?
涙を流し、よよよと噎ぶ誰かが見える。男はそうかそうか、悪さをすれば菓子がもらえるのかと、とても不思議そうにしながら納得していた。なぜ納得しちゃうかね!
「どぉれ!」
男が刀に手をやる。背筋が凍り付くような鬼気迫る迫力。にらみ合う男とアルディラ。誰もが手に汗を握ったその時!
「強盗ーっ!!」
すっぱぁああん!
香玖耶の鞭が唸りを上げて男を袈裟に打ち下ろした。男は後ろにのけぞり、よろりと半歩下がり、喉の奥から最後の空気まで吐き出す。さらにもう半歩下がって、虚ろな目が空を見やったかと思うと、ずん、とその場に倒れ伏した。
静寂。
つんつん。
……静寂。
ぺしぺし。
男はむくりと起き上がった。
「これでお菓子が食べられるのであろう?」
にっかと笑ったその顔は、どこか晴れ晴れとしていて、どっと笑いが起きた。それと同じく拍手が起き、「よっ、斬られの清本名演技!」などと囃す声。笑いに触発されたか、風までもが強く吹き抜けて、展望台には笑い声が溢れた。
男は、清本橋三と名乗った。鷹のように鋭い目付きをしながら、甘いものには目がないという。
甘いものが好きなやつに悪いやつはいない!
そんな太助とアレグラの心意気により、橋三は今度こそケーキを頬張っている。
「うむ、うまい」
橋三が頬張っているのは、アルディラ特製のジャックランタンの顔が描かれたマフィンである。器はハリスの皮で作った炎を模した飴であり、食べられる仕様である。ベトベトしないので、そのまま器として利用することももちろん可能だ。今はやりのエコを意識したものであった。
作ったものを美味いと言われて、悪い気はしない。しかし、アルディラは腕を組んだ。
「でもよ、なんっか足りねぇ気がすんだよな」
言われて、橋三はもう一口食べる。
マフィンのわりにあっさりとした口当たり。しかし、確かに何か味気ない。
「ふむ……これは蜂蜜を足したらよいのではないか」
アルディラがぽん、と手を打った。
「ハシゾウ、おまえとは仲良くできそうだぜ。新作できたら食いに来いよ」
「それは楽しみにしておこう」
「私は楽しくなぁい!」
はっはっは、と笑う二人の間に、香玖耶が割って入った。ベルナールも横でじっと二人を見る。
「だから、とっくりあんどどんだ、って言ってるじゃねぇか」
「何なのよ、とっくりあんどどんって!」
やれやれと首を振るアルディラに、それは私のセリフだと言ってやりたい。
「トリックアンドトリートと聞いたが、そうか、とっくりあんどどんというのか」
「違う、どっちも違う!」
「そうだ、とっくりあんどどんだ。悪戯しなきゃ菓子はやらねぇぞ」
「そうか。ふむ……」
「だから違うってば、どうして信じちゃうのっ!?」
香玖耶必死の突っ込みも空しく、考え込んだベルナールがふうと手を振った。
アルディラは、何が起きたのか、一瞬解らなかったに違いない。しかしみんなの視線はアルディラに釘付け。アルディラが鳩のように目をぱちくりするので、香玖耶はそ……っと鏡を差し出した。その手が震えている。訝しげにその鏡を受け取って、覗いた。
その中に映っていたのは。
ブロンドの髪を縦巻ロールにし、花まで咲かせた厳ついオッサン。
どうひいき目に見ても似合わなすぎる、フランケンシュタイン子であった。
「あっはっはっはっはっはっ! アルディー、可愛いよ」
「アッヒャヒャヒャヒャヒャ! おっさんちょーキメェ」
二つの笑い声が響いて、我慢に限界が来た。会場は大爆笑である。
ベルナールは大成功と受け取って満足げに頷き、アルディラはまるでメデューサに睨まれてしまったが如くに硬直している。
床を転がりまくって笑っているのは誰あろう、玄兎と太助、それからアレグラ。
床を転がる程ではないが、腹を抱えて笑っているのが宇佐木と橋三。
肩をぷるぷると振るわせて、まだなんとか笑いを堪えようと頑張っているのは香玖耶と圭。
案外容赦なく笑っているのが【アルラキス】のメンバーだ。ハリスは圭をちょいちょいと呼び、その手にどこから取りだしたのか、じょうろを持たせる。それに水を満たすと、ごにょごにょと耳打ちする。圭はどぎまぎしながらも、そそそそ、とアルディラの後ろに回ると、ハリスの力でふわりと宙に浮いた。驚いた拍子にじょうろが思いっきり傾き、縦巻ロールの頭の天辺に咲いた花にちょこっとだけ水をやるつもりであったが、どばっしゃん、とぶっかけた。アルディラ(縦巻ロールVer.)、水も滴るなんとやら?
「これで、菓子を食べてもいいか?」
「あっはは、あは、ああ、いいよ、食べて食べて。アルディーの自信作……くっ……ふふ、はははははっ!」
笑い続けるシャガールに頷いて、ベルナールは赤いジャックランタンに照らされて宝石のように輝く飴籠の中から一つ抓んで、口に放り込んだ。ひんやりとした冷たさとほのかな甘みが口の中に広がって、思わずハリスを振り返った。
「もしや、これも?」
「はは、はえ? あー、うん。僕の皮だよー。はは、それにしてもー、ベルナールくんってキレーな顔して面白いことするねぇ」
「ベルたん最高っ!」
ぐっと親指を立てたのは、転がってベルナールの足下までやって来た玄兎で。その両脇に太助とアレグラが並び、同じくぐっと親指を立てている。
胸きゅんしたのは宇佐木だけではないだろう。
ハリスの入れ知恵とはいえ、結果的には水をぶっかけた圭も、シャガールとハリスのお許しがあって、今はマフィンを頬張っている。
こうなったらもうやってやろうじゃないの! お菓子食べたいし! と開き直ったのは、未だ悪戯をしかけていなかった香玖耶だ。だって、ハロウィンってお菓子か悪戯か選ばせるんだもの! 悪戯しなきゃお菓子がもらえないとかってやっぱり変よ! でももう吹っ切れた彼女に、もはや迷いの二文字はない。
「草木の精霊よ、滴の精霊よ、道案内人の灯火に宿り、彼の者と戯れよ!」
香玖耶の手の中に光が宿り、四方八方に飛んでいく。やがてケーキたちを照らしていたジャックランタンが、かたりかたりと震え出す。次の瞬間には大笑いを始めた。
「やい、そこのハゲ……じゃない、縦巻ロール!」
「いつまでボーッとしてるつもりだ? 俺らと遊べ!」
動き出したジャックランタン、ちょっと口が悪いのはご愛嬌。ぽんぽんと飛び跳ねながら縦巻ロールになったアルディラの周りをぐるぐると周り、時にぼすん、ぼすん、とその背中にタックルをする。
「うおっ、な、なんだぁコイツら!?」
ようやっと正気に戻ったアルディラが、笑いながら自分の周りを回っているジャックランタンに後退りする。香玖耶はふふんと笑った。
「草木や露には小さな精霊が宿っているの。それを呼び出して、ジャックランタンに憑依させたのよ! さあ、やっておしまいなさい!」
テンション上がってきた香玖耶である。
「ジャックランタンには善い霊を引き寄せ、悪霊を遠ざける効果があるらしい」
「え、なに、オレが悪霊!?」
アルディラはブロンドの縦巻ロールを靡かせて、そのタックルから逃げ惑う。これが案外痛いのだ。
「はは、ピリーを思い出すな」
「ぴりー?」
太助が聞くと、シャガールは微笑む。
「【アルラキス】のメンバーでね、精霊っていうのかな、そういったものと仲が良い子がいるんだ。悪戯小僧で、葉っぱの精たちと一緒によくアルディーを追い掛けてたよ」
「小僧って……ピリエラ兄さん、二十八だったじゃない」
ベラがあきれ顔で言う。しかしシャガールは、だって悪戯小僧だったんだものと、やはり笑った。
「ふはははっ! 俺たちの力を見たか、縦巻ロール!」
「その呼び方をやめろっての!」
むきーっと、アルディラは半ば本気でジャックランタンたちを追いかけ回す。あざ笑うように飛び跳ねるランタンを、最初は満足そうに眺めていた香玖耶だが、やがてアルディラ以外にもぶつかり始め、慌てて制止に入る。
「こらーっ! 他の人に迷惑掛けちゃダメでしょっ!?」
「何を言っている、せっかく動けるようになったんだ、楽しまなきゃ損だろひゃっほー!」
けらけらと笑って足下を転がり始めたランタンに、香玖耶は鞭を構える。
「楽しみ方を間違えてるのよ! って、痛いっ!!」
ランタンは笑いながら香玖耶にぼすんぼすんとタックルをかまして逃げていく。香玖耶の肩が震えた。
「お前ら……いい加減にしろ!」
美しい紫の瞳が燃え上がり、銀の髪がざわざわと揺らめいた。ランタンたちはびくりと体をすくませる。
「大人しく……するわね?」
「……はい」
ジャックランタンは一所に身を寄せ合って、今にも消え入りそうな声で返事をした。
「香玖耶さんて、怒ると怖いんですかね」
「怒らせない方が得策みたいだねぇ」
圭とハリスはいつの間にか打ち解けたのか、ひそひそと耳打ちをした。ぎむろんっと香玖耶が振り返る。ような気がした。
「ご、ごめんなさい、嘘です冗談ですごめんなさい!」
怒られると思った圭は思わず謝った。二度も。しかし何かの反応があるわけでもなく、そっと目を開くと。顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている香玖耶が。
ドキュン。
「何、今の『どきゅん』って?」
ベラが首を傾げる。
「すみません、調子に乗っちゃって……その、傷つけてしまったなら、本当にごめんなさい」
圭はいつも持ち歩いている白いハンカチの、もう一枚の方を香玖耶にすっと差し出した。香玖耶はきょとんと圭とハンカチとを見比べる。圭はちょっと外したか、と内心冷や汗を流していた。女性の前では奥底にしまい込んだ弱気な部分を見せないように頑張っている圭だが、ふとしたはずみで出てしまうことがある。それが先ほどの謝罪であったり、更衣室近辺で罠に引っかかったりした所だ。それを挽回しようと、頑張っているのだ。
それを知ってか知らずか、香玖耶はぷっと吹き出した。
「ありがと、ええと」
「あ、圭です、相原圭っていいます」
「相原さんね」
ありがと。
もう一度言って、そのハンカチを受け取る。圭の中で何かファンファーレみたいなのが鳴った。このハンカチが役に立つことがあるなんて!
「ベルナール。いい加減この髪、直してくれねぇか」
圭が幸せ気分いっぱいの中、アルディラが情けない声を出して、会場はやっぱり笑い声に包まれるのであった。
◆ ◆ ◆
祭りは終始笑い声に満ちあふれ、シャガールは大満足だ。空に輝く星を見やって、シャガールは口を開く。
「そろそろお開きにしようか」
シャガールの声に、あちこちから不満の声が漏れる。もちろん、シャガールだって名残惜しいが、ここには小さな子供もいる。そろそろお休みの時間なのだ。
「でもその前に」
シャガールがちらりと視線をやると、その先にはベラが歯ブラシを持ってにっこりと微笑んでいた。
「楽しんだ後は、しっかりと歯磨きをしなくちゃね? そうじゃないと、ハロウィンのおばけがみんなの口の中に入ってきて、いたぁい思いをさせるから」
意外に演技派。魔女の格好も手伝って、子供たちはびっくりして、一斉に歯ブラシを取り合う。
それを見ていた宇佐木が、ごそごそと何かを取り出した。子供たちは宇佐木に興味津々である。大人たちが何やら騒いでいる間、ずっと宇佐木に遊んで貰っていたのだから。
宇佐木が取り出したのは、歯磨きセット。
これで磨きなさい。
まるでそう言っているかのように、宇佐木はそれを差し出した。ちっちゃこい子供たちは「ウサギさんにもらった!」と大喜びで、いそいそと歯磨きを始めるのであった。
もちろん、その子供の中にアレグラも入っているわけで。ただ違うのは、歯ブラシを持参していた、ということである。
「見てみて! アレグラ、歯磨きちゃんとできるぞ!」
胸を張って目をきらっきらと輝かせて一生懸命歯を磨く姿に、誰もが思わずくらりとよろめいた。その隣では太助も一緒に歯磨きをしており、もうホントたまんない。
香玖耶は子供たちに歯磨きのレクチャーをしている。
「玄兎くーん、歯磨きしないとダメだよー」
「そうだよ、心臓止まるかと思うぐらい痛いんだから!」
「俺ちゃんヘーキ! 虫歯なんかないからっ!!」
逃げ回る玄兎。別に逃げなくたっていいのだが、追い掛けられたからとりあえず逃げてみただけである。いつもは追い掛ける側だが、追い掛けられるのもまた面白い。しかも相手は盗賊なのだ、相手に不足はない。
「なるほど、この為の歯ブラシか」
納得しながら律儀に歯磨きをするベルナール。その横で、橋三も頷いた。
「はーい、歯磨き終わった人からこっちへどうぞー。おみやげでーす」
ベラが再び声を上げる。
おみやげ、という言葉に、一同は顔を見合わせた。
「おみやげはジャックランタン。好きなものを一つ、どうぞ持ち帰って」
「なにっ! 持ち帰り可だと!」
一番に反応したのは、ベルナールだ。それに思わず笑って、ベラは頷く。
「ええ、どれでも。同じものは一つとしてないから、早い者勝ちね」
早い者勝ち。
それで、皆がわっと走り出した。
圭はカボチャをくり抜いた、暖かいオレンジ色のジャックランタンを選んだ。家で圭の帰りを待つ、祖父母にもハロウィンの気分を味わわせてあげたいと思っていたのだ。
「私はこれにしようかな」
香玖耶は青白いジャックランタンを手に取った。実は、会場に入ってきた時からとても気になっていたのだ。中の炎は、緑だ。
「ああ、良い色ね。それ、セイも気に入ってたわ」
横から覗き込んだベラに、香玖耶はきょとんとする。それから少し残念そうな顔をする。
「これ、作った人のお気に入りなの? それじゃあ、持って帰れないわね」
「何言ってるの、持って帰って」
ベラは微笑む。
「セイの炎はね、ずっと消えないの。その命が果てるまで。さっきのカグヤさん、とても優しい顔をしてた。貴女に貰ってもらえるのなら、この子も嬉しいわ」
香玖耶ははにかんで、それからきゅっと抱きしめた。
「大切な人のね、瞳の色にそっくりなの。ありがと。大切にするわ」
きょろ、と周りを見渡して、香玖耶はそっと耳打ちする。
「……秘密にしてね」
ベラはにこりと微笑んだ。
「アルディラー!」
ととん、とその肩によじ登って、太助は四つに折りたたんだ紙を渡した。
「なんだ?」
「饅頭の作り方! ばあちゃんが書いてくれたんだ。イラスト入りでわかりやすいぞ」
開いてみると、太助のお土産だった南瓜餡の饅頭の作り方だった。ポイントには花丸印が書いてあったり、とても解りやすい。
「ケーキとかマフィンとか、おいしかった。だから、今度は和菓子だ!」
和菓子か、とアルディラは顎に手をやりながら頷く。
「よし、美味くできたら一番に食ってくれよな」
「おう!」
「あ、そうだ、シャガールさん」
帰り際、圭が振り返る。
「ささやかながら、御礼ってことで、受け取ってください」
その手には、五本の歯ブラシ。
「今日は、どうもありがとうっす。とっても楽しかったっすよ!」
笑う。
その笑顔が、何より嬉しくて。
「こちらこそ、来てくれてありがとう、相原くん」
ハロウィンの夜は、更けていく。
銀幕市自然公園は、今は静かに風が吹き抜けていく。
「お頭ー、この全部罠が発動した上に壊れまくってる更衣室どうするー?」
「危ないから明日にしようか。とりあえずビニールかけておいて」
見事に破壊された更衣室に、シャガールは笑った。
「あ、仮装返して貰うの忘れちゃったな」
シャガールは空を仰ぐ。目を閉じれば、たくさんの笑顔が浮かぶ。
「まあ、いっか」
微笑む。
今日は、楽しかった。
それが、一番だ。
Thank you for Happy Halloween.
I wish you sweet dreams!