★ バレンタイン鬼ごっこ ★
<オープニング>

「来たぞ、ベオ!」
「もう嗅ぎ付けてきやがったのか!?あいつらなんでこれを訓練の時に発揮出来ねぇんだ!」
「やる気とかノリとか色々違うんじゃねーの」
 将軍職にある若者二人、ナナキとベオは尖塔の天辺にある部屋にひっそりと隠れていた。
 誰にも見つからずに「避難」した筈のこの場所も、一体どうやって見つけたのか、兵士たちに包囲されかかっていた。

 事態はほんの数時間前に遡る。

 その日の朝、城中の人間がチョコレートを配給されていた。
 左大臣からの配給だという。
 左大臣という御年80の古狸は、常識を知っていて非常識を押し通す所謂確信犯である。 このチョコには何か想像も出来ない企みがあるんじゃないか、そんな疑惑に駆られて迂闊に手を出せない人間たちの耳に、魔法で紡がれた放送音声が届く。
『全てのチョコレイトが全ての人員の手に届いたようじゃし、説明を始めるとするかの。まず、諸君は今日が何の日か知っとるかね?』
 兵士たちは寝ボケ眼(まなこ)を見開いて「お前知ってる?」と近くで雑魚寝する同僚を揺り起こして問う。
『今日はバレンタインデイといって、好きな人物や尊敬する人物、憧れの人物に勇気を出して告白……もとい、チョコを渡してその気持ちを精一杯伝える日じゃ。チョコを受け取った人物はそれに対し、ホワイトデイという日が来るまで一ヶ月、真摯に応えねばならぬ』
 左大臣の声に、兵士たちの寝ぼけた頭が徐々に目覚めてくる。
 自分の手に持ったチョコを見つめ、「聞いたことがある、ホワイトデーは三倍返しだと……」と呟く者もいる。
『ちなみに、チョコを受け取った者はそれに報いねば世界中の女性にタコ殴りにされる罰が待っている……とかなんとか』
 ベオとナナキは相部屋だったのだが、左大臣の声が途切れた後、一体どんな事態になるのかと対策を話し合おうとしていた。
 しかし二人が部屋を出た途端、わらわらと兵士が現れてチョコを渡されたのである。
「「「以前からずっと好きで尊敬してましたナナキ/ベオ将軍!」」」
 ツッコミ属性の二人はここで盛り上がることもなく、「あー……。どうも」と適当にいなして去ろうとしたのだが。
 兵士たちは金魚のフンのようにどこまでもついてきた。
 例えば朝食。
「はいアニキ、あーん」「ベオのアニキィ!こっちの食って下さい!」「いや俺のを!」
 王族として至れり尽くせりを体験してきたことのあるナナキでさえこれは引いた。
「将軍!!ぜひ俺たちのチョコを!!」
 あろうことか、食事中にざっ、と列を成して現れるチョコを持ったムサイ筋肉の壁。彼らの目は熱意と希望と得体の知れないナニかでギラギラと輝いている。
 しかもその列の後ろの方では――
(知ってるか?チョコを渡して相手が食べれば、その相手は何でも言うこと聞いてくれるんだと)(今日中に渡せばな)(これを将軍に渡せば、明日から将軍は言いなりだ!)
(キレイなねーちゃんのいる店に連れてってもらうぞ!)(もち、将軍のツケで)
(街に出たら食べ放題だ!)(もち、将軍のツケで)
(明日からの訓練サボり放題!)(もち、罰則なし!)
(サイコーだ!)(全くだ!)
(要するに、たくさん食わせた奴が勝ち組、たくさん食わされた奴が負け組ってことだな!)
(そうだ!)(これを食わせれば将軍は俺の下僕だ!)
(いつもキレイなねーちゃんにもてやがって!)(復讐のチャンスだ!)
(ナナキさんが……ナナキさんが下僕……)(誰か殿下を守れェェェ!ここに変態がいるぞ!)
(チョコで子分をたくさん作るんだ!)(チョコを一番たくさん食わせた奴が勝者だ!)
 などと何か勘違いをした連中が、情報に尾ひれ背びれ腹びれ胸びれまでつけて盛り上がっている。しかも、勘違いした輩の一部は、とにかく手当たり次第にチョコを食べさせようと他の兵士からチョコを強奪、「さぁ食え!食わんかぁぁあ!」と近くの兵士に迫り、迫られた兵士は「なにおう!頂点に立つのは俺じゃー!」と逆に食べさせようとしている。
 食堂内がそんな不穏な空気に包まれあちこちで乱闘が起き始めると、ベオとナナキを囲んだ兵士たちの笑顔が危険な色を帯びてきた。
 ベオは少し青筋を浮かべながら、ナナキは遠い目をしながら、ちらりと互いの目を見やる。
 逃げるか。
 逃げよう。
 アイコンタクトでそれだけ確認すると、二人は筋肉の包囲の輪をじわりと狭めつつある兵士たちの頭や肩を足がかりに逃亡を開始した。
「どうしたんですか!アニキ!?」
「俺たちは将軍を下僕に……俺たちはアニキの弟分じゃないですか!」
「野郎に尽くされたってキショいだけなんだよアホども!しかも本音出てるじゃねーかそこ!」
「将軍が逃げたぞ――!!」
「追え―――!!」
 ベオのおそらく心からの叫びと突っ込みにもめげずに追いかける男たち。
 二人の将軍の逃亡によって、全「愛の告白(という名の頂点を極める戦い)に燃える男たち・一部女性含む」の情熱に火がついたのだった。


「ナーナキさぁーん!ベオ将軍でもいいや!受け取れ俺の愛っ!」
「げっミスミの声!?」
ガシャアン!
 窓を突き破って、チョコをぐっさり突き刺した日本刀が室内に飛び込んでくる。その日本刀を窓の外に投げ返しながら、ベオが怒鳴る。
「こんな危険な愛受け取れるか!」
「しかも誰でもいいから受け取れ俺の愛!とか思ってたろミスミ」
「バレバレ?」
 言いながら、投げられた日本刀をキャッチして特攻隊隊長ミスミが窓の外から侵入してくる。
「お前、素手で登ってきたのか?非常識なヤツだな……」
 ここは城にいくつもある尖塔の天辺の小部屋である。
「皆よじ登ってるぜ。俺の真似して」
 果たしてミスミの言うとおり、彼らのいる小部屋に続く階段で「アーニキー!」と騒ぐ以外に、外からも「アニキー!」という野太い声が聞こえてくる。
「……マジ?」
 ナナキとベオが顔を見合わせたその時。
「殿下!将軍!無事ですか!」
 破れた窓から、黒い影が飛び込んできた。
「シーク!どうしたその格好、隠密部隊でも何かあったのか!?」
 もう一人の闖入者、隠密部隊で一番の腕を持つ、部隊を束ねる男は、覆面もなく銀髪にはチョコがべったりとひっつき、忍者のような隠密部隊のスタンダードな衣装はあちこち破れてチョコまみれ。満身創痍である。
「なんだかよく分からないんですが……街から戻ったら、急に部下たちがチョコを手に愛を叫びながら突撃してきまして」
「……。……あぁ……なんつーか……ご愁傷様っつーか……慕われてんな、お前も」
 隠密部隊の隊長、シークはさっとその場に片膝をついて臣下の礼をとった。
「現在、国王陛下並びに王妃様はメイド及び近衛騎士達により保護されております。先王陛下は寝起きで大変不機嫌でいらして、集まってきた兵士は樹氷の如く……。とにかく、ご無事です。大将軍閣下はむしろ事態を楽しんでおられ、訓練の一環として「かくれんぼ」をすると。私がいては邪魔になると考え、状況の報告だけしてまいりました。それから……」
「なーなーいいだろもう受け取ってくれよ俺の愛!」
 ミスミが痺れを切らしたようにチョコを構える。どうでもいいがその構え、顔面に刀ごとチョコを叩き込む気満々である。それを見たシークが、ミスミの耳元で何かを囁くと、ミスミは「マジ!?どこに隠れてたんだあいつ今度こそっ!」と叫んで飛び出して行った。
「報告を続けます」
 ここにいるのは常識人ばかりの筈だが、誰もミスミが尖塔から飛び降りたことについての突込みをしない。ミスミはああいう人物で、心配するだけ無駄なのである。
「他、陸・海・空軍それぞれの最高責任者、また銀幕市から迷い込んだ出前の青年が追われておりましたので城の中に避難させました。ナナキ殿下、彼に遭遇したら……」
 ナナキは食堂からの逃亡後すぐに、暴走した兵士が街に出ないよう城の敷地を覆う結界を張っている。外からは容易に入れるが、出て行くのは不可能だ。
「ああ、分かった。そいつには結界抜けられるようにしとく」
「お手を煩わせて申し訳ありません。そして、元凶の左大臣様ですが……」
 少し言いよどみ、ちらりと二人の顔を窺って続ける。
「……城の中庭で、大量のチョコを配っていらっしゃいました」
「…………」
「…………」
 部屋に沈黙が訪れた。
「……で、では報告は以上です。引き続き情報収集に戻りますので、これにて」
 そのままいつものように姿を消すかと思われた隠密部隊隊長だが、一瞬外を窺う素振りを見せてからすっと消えた。
 瞬間彼のいた場所に突き立つナイフのようなチョコの破片。それも一本ではなく、針山のようにいくつも林立している。こんな、チョコそのものを武器にするなんて芸当ができるのは――
 外から、「隊長ォ〜!あたし達のキモチ、受け取ってくださァ〜い!」だの「シーク隊長〜!大人しくして下さァい!」だの、隠密・暗殺両部隊の美女群の華やかな声が聞こえてきた。
 ……彼が満身創痍になるわけである。思わずナナキは遠い目でシークに同情した。
「マジで部下に追いかけられてたのか……あいつも大変だな……」
「俺達もそろそろ大変そうだぞ」
 ベオがくいっと親指で窓の外を指す。割れた窓から外を見下ろすと、
『ナナキのアニキぃー!ベオのアニキー!今行きます!』
 と兵たちが尖塔の外壁に張り付きながら男らしい雄叫びを上げている。
「……足場はオーケイ」
「じゃ、まぁ……行くか」

「……へ?ブッ」
 上を見上げて尖塔をよじ登っていた兵士の顔面に、ベオの靴がめり込んだ。
「アニキぃー!俺のチョコぉぉぉー!」「かっくいー!!」「受け取ってください俺のキモチッ!」
 尖塔によじ登っていた兵士たちを足がかりに、ベオとナナキは垂直の外壁を駆け下りる。
「あんのジジィ一発殴らなきゃ気が済まん!」
 降り注ぐチョコの弾雨をかき分けかき分け、伸ばされる手を蹴り飛ばして二人は走る。
 二人の降りようとしているそこでは、兵士達がお互いにチョコを食べさせようとあちこちで取っ組みあいが勃発している。
「エビフライを盗られた恨みっ!好きだぁぁぁ!」「いつも俺よりモテやがってー!愛してる!」とか叫びながら殴りあう男達は、もはや理解できない世界の存在だ。
 ――人はそれを馬鹿という。


 混乱のるつぼと化した光景を尻目に、左大臣は見事な白い髭を扱いてにんまりした。
「チョコが欲しい者にはどんどん配給するぞい。走れ走るのじゃ」

 森の手前では、悠然と佇む黒馬に緑のトンガリ帽子、緑のマントを着た人物がチョコを持って駆け寄る。
「アッベティさーン!ワタシの感謝の気持ギャブッ」

 荒っぽい連中は、大砲を使ってチョコを標的に直接撃ち込んだり、などというこんな大騒ぎに、苦情が出ないワケもなく。

「『旅人』という映画出演の国の一部が実体化した、【あの国】のことなんですが……また、何かお祭り騒ぎをしているようで。城の方からチョコの破片が降ってくるそうです」
 それはいいんです、お祭りをする分には構わないんですが、と植村は続ける。
「その城の敷地内に入った外部の近隣住民が、入ったは良いが出て来れなくなったそうで。今朝から、携帯で救助を求める声がちらほら寄せられています」
 別に城の中が見渡せないわけでもなく、ただ、入ったら出られない、見えない壁に阻まれて外に出られないというのである。
「聞いた話によると、中では兵士たちがみんなチョコを振り回しているとのことで、バレンタイン関係だと思うのですが。どう勘違いしたものやら、暴徒と化しているそうです。一応、対策課からもあちらの上層部に連絡をとってみたのですが……かなり混乱しているようで、責任者の国王やナナキ将軍には繋がりませんでした」
 あのノリの良すぎる国のことである、恐らくは誰かが悪ノリしたものが伝染して大騒ぎになったのだろう、ある意味微笑ましいが、微笑ましいと言ってもあの国の面々は主にむさ苦しい野郎どもである。子どもが騒ぐのとは桁の違う騒がしさ暑苦しさで、騒ぎになる度に近隣住民からはチラホラ苦情が来る。
 ナナキをはじめ国の要人たちが自ら近隣住民との関係を良好にするべく奔走しているため、苦情と言ってもそれほど深刻なものはないのだが。
「一応、今日一日で封鎖は解けるとのコトなのですが……放っておく訳にもいきません」
 植村は苦笑する。
「深刻なことにはならないと思うのですが、敷地内に入って上層部などと接触するなどして、状況を打開していただけませんか?」

種別名シナリオ 管理番号197
クリエイターミミンドリ(wyfr8285)
クリエイターコメントこんばんは、ミミンドリです。
久しぶりのシナリオ運営、調子を忘れていないか少し不安ですが、飛ばしていこうと思います。

概要:バレンタインを何か勘違いした暴徒達が街に溢れ出さないよう、ナナキが結界魔法を張っています。しかしそのせいで外から入り込んだ外部の人間が外に戻ることが出来ず、チョコを手に手に狂乱する兵士達に追いかけられたりもみくちゃにされたりチョコを食べさせられたり……。タスケテー!と救助を求めてきたわけでありました。

プレイング要項は、真面目に対策課の依頼を受けたのであれば、

・騒ぎを収束させるために、愛の告白(?)に燃えチョコを振りかざし暴走する男達の中で何をどうするか(どんな行動を取るか)

……ですが、
基本プレイングはフリーダムです。
むしろ騒ぎに便乗して好き勝手なことをするのもアリですし、一緒に騒ぐのもアリ、騒ぎを拡大するのもアリ。
フリーダムです。(大切なことなので二回言いました)
ネタまみれなプレイングを正座してお待ちしております。

たった一日限りの馬鹿騒ぎ、おそらく最後のカオスシナリオ。
皆さんのご参加を心よりお待ちしております。

参加者
玉綾(cafr7425) ムービースター 男 24歳 始末屋/妖怪:猫変化
ノリン提督(ccaz7554) ムービースター その他 8歳 ノリの妖精
ルークレイル・ブラック(cvxf4223) ムービースター 男 28歳 ギャリック海賊団
玄兎(czah3219) ムービースター 男 16歳 断罪者
霧生 村雨(cytf4921) ムービースター 男 18歳 始末屋
薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
<ノベル>

◆Am7:30〜アルバイターの憂鬱◆
 即席アルバイターの青年はかつてない選択を迫られていた。
「チョぉぉぉコぉぉぉよこせェェェェェ!!」
 彼の眼前、2メートル。
 見えない壁に阻まれ、押し合いへしあい殴り合いしながらひしめきあう筋肉たち。
 もとい、兵士たち。
 早朝からのチョコレート大量配送のバイト、普通に考えればイベントの為にチョコレートが必要なんだろうという程度の、ちょっと朝が早いのが辛いだけのバイト、その筈だ。
 それが何故――届け先の手前でこんな大乱闘が勃発しているのだろうか。口々にチョコよこせチョコ食え愛してるッ!と叫んで投げられるチョコをかわしながら、ルークレイル・ブラックは遠い目をした。
 彼は一応海賊という華麗なる職業についているはずなのだが、なぜこんなアルバイターに身をやつしているのかと聞かれれば、ただの一言で説明がつく。
 答:貧乏だから。
 世知辛い世の中である。
 ともかくも、ルークはかつてない選択を迫られていた。
 荷物の届け先は王城。
 注文者は左大臣。
 しかし、王城への道、演習場ではチョコを持った兵士たちが熱い告白を交わしながら取っ組み合いをしている。おまけに、ルークの所属するギャリック海賊団にはトラックを借りられるような金は勿論なく、象にリヤカーを引かせて荷を運んできたのだが、物珍しい象に惹かれてきた兵士たちがリヤカーの中身に気付いた途端「コレ」だ。
「チョコよこしやがれ!」
「俺の下克上への乗員切符がぁー!」
「それが全部チョコだとォォォ!よこせぇぇぇ打倒リッチ・マン!」
「ノリアルヨー!」
 よく分からんことを口々に叫ぶ男たちを見ていると、逃避したくなる気持ちを抑えきれないというか、ぶっちゃけ回れ右をして何も見なかったことにしたい。
「……しかし仕事放棄するわけには……!」
 赤貧の海賊団には貴重な収入源。
 しかしそれ以前に――

『バイト失敗したら、アンタの食事はもやしオンリーだからね!』

 避けたい。
 それは避けたい。
 全力で避けたい。
 ルークは追い詰められた人間の目で象のメアリに跨った。

「行くぞ、蹴散らせメアリ!」

 ここで、電話のあるところまで取って返してバイト先の上司に指示を仰げば、まだ最悪の事態は回避できたはずなのだが、もやしで追い詰められた精神と、早朝で回転の鈍い頭は不幸にも彼を戦場へ突撃させたのだった――。

 完。
 ではなく。

「しまっ、武器忘れ―――――!?」

 やっぱり完かもしれない。

◆Am8:00〜対策課より◆

「ごしゅじぃぃいぃん!?」
 対策課の依頼を受けた妖怪猫変化、現在は人型の青年はチョコが殺人的な速度で飛び交う空間にすたすたと入っていってしまった主人に向かって素っ頓狂な叫びを上げた。
「ご主人!危ないっすよ、もうちょっと躊躇いってもんを持ってくださいよ!」
 慌てて追い縋った彼、黒の襷を頭に巻き、齢は二十前半ほど、緋の着物に飛脚のような黒五分ズボン。いかにも洋風の城が程近く臨めるこの場所では和の雰囲気を醸し出す彼の格好は非常に目立つ。
「なせば成る、というやつだネコオ。これだけの騒ぎがすぐ収まるワケはなし、なるべく迅速に行動するに限る」
「そりゃあ……そうですけど、ご主人!俺は玉綾っすよ!ちゃんと名前で呼んでくださいってば!」
 猫変化の青年――玉綾がご主人ご主人と連発する相手、霧生村雨はひどく老成した空気を纏う若者だ。明らかに玉綾よりひとまわり若いように見えるが、その達観した眼差しには青臭い光など微塵もない。
「ネコオ、前線頼んだ」
 頼まれた!ご主人に頼まれた!と目を輝かせて前に出た玉綾は、
「あ、それと俺ネコオじゃなぎゃあ!?」
 前方から突進してきていた兵士の突き出した半溶けチョコと愛してるぅぅぅという絶叫に悲鳴を上げた飛び退こうとして、はっと後ろにご主人がいることを思い出し踏みとどまる。
――忍者のような身軽さが売りの玉綾にはそれはあまりよろしくない行為だったりしたのだが――。
 兵士と正面衝突して吹っ飛ばされるネコオ、またの名を玉綾を「たーまやー」と呟いて見送る霧生は緋の着物などというバッチリ目立つ格好をしている相棒を囮にさっさと先に進んでいた。
「ごしゅじいん!待って置いてかないで欲しいっすー!」
 身軽ゆえに吹っ飛ばされた玉綾はスタスタと歩み去る霧生を慌てて追うが、途中でポンと肩を叩かれ振り向くと目の前5センチの位置に差し出された物体。甘い匂いからしてチョコだろう。その向こうには、イイ笑顔の兵士。
「好きだ。食ってくれ」
 食わなければ逃がさんぞと言外の圧力をこめて笑いかけてくるが、ご主人一筋(別に変な意味ではない)な玉綾の視界には霧生しか映っていない。
 そのご主人といえば、その泰然とした様子に毒気を抜かれたらしい兵士がほとんど反射的にチョコを差し出すのを一切の躊躇なく受け取ってはごくごく普通にもぐもぐと食べている。
「ふむ、これを食べたらあんたを愛さなければならないと。成る程」
「そ、そうだ!」
「わかった。じゃ」
 そう言ってさらっと去っていこうとする霧生に兵士が「あれ?」という顔をする。
「俺の愛とは放置することでな」
 振り返りもせずにさらりと告げて歩き去る霧生の後には、「そ……そうか、これが噂の放置プレイ……っ!?」と何故か頬を赤らめる兵士が残される。
「あれっ、ご主人!?どこ行くんすか!?放置!?これも愛っていうならちょっと俺寂しいっすー!?」


 薄野鎮はぽりぽりと頬を掻いて騒ぎを見つめていた。
「えっと……」
「てめぇ!手を引きやがれ!」
「この不細工どもが!」
「なにおう!そっちこそ大差ねぇツラしてやがるくせに!」
「この姐さんはなあ、俺らが先に見つけ……運命の出会いをしたんだよ!」
「え、たまたま目が合っただけじゃ」
「んだとゴルァ!こんな美女独占しようだなんて悪代官が認めてもお天道様が許さねえ!」
「もしくはこの俺が許さねえ!」
「俺も許さねえ!」
「俺もだ!」
「ボクも許さないアル!」
「あのー」
「しかたねーだろ普通の美人がいねーんだよ城内にゃあよ!折角見つけた美女逃してなるかァァァ!」
「僕男なんだけど」
「そうとも男の勝負だ!クク……美女をめぐる男同士の正々堂々の勝負!」
「すげえ!なんかよく分からんがカッケェ!」
「男なら一生に一度はやってみたい勝負ベスト3に入るんだぜ!」
「くく……この時を待っていた!」
「俺も混ぜてくれ!」
「俺も!」
「こんな勝負逃すわけにゃアいかねェな!」
「いくぜ!」
「応!」
 一応明記しておくと、薄野は男である。
 染色体XY型の霊長類ヒト科♂である。
「僕オトコなんだけどな……おーい、聞こえてますかー」
 「漢たちの世界〜仁義なき闘争の末に〜」とでも表題をつけられそうな異次元に浸ってしまった男たちに声は届かない。彼らの脳内では、薄野は「やめて!私のために争わないで!」と可憐に泣き崩れる美女に変換され、ベタまっしぐらの展開へと突き進んでいるのだ。そして彼らの脳内世界ではそろそろ美女が彼らの間に割り込んで来るはずだった。大抵はそこで片方が「フッ……俺の勘違いだったようだな」とかなんとか言って、カッコよく孤高の背中を見せて去っていくはずである。彼らの脳内では。
 男たちの全員がほぼ同時に動きを止め、示し合わせたかのように一斉に期待に満ち満ちた熱っぽい視線を注いできたのに対し、薄野は若干狼狽した。
 いや、むしろここで全く動じなかったらそれはもはや神経が常人ではない。
 お前らテレパシー機能でもついてるのかと突っ込まれそうなほど脳内異空間を同調させていた男たちだったが、あいにく薄野はきちんと常識を持った普通の感性の人間なので怪しげなテレパシー機能はついていなかった。
「僕は男、……だ、よ?」
 とりあえず、もうこれで14回目になる主張を繰り返してみる。
 その瞬間――その刹那の激烈な反応に、発言した薄野自身が逆に驚いた。
 目をカッと見開き背景に過剰なベタフラッシュを繰り広げ、デッサン画調の陰影の強調された顔で硬直し、コマ送りのように静止した全身から「馬鹿なァー!!」とか「そんなァー!?」とか「マジぃぃぃぃぃ!?」とか「ええええええええええええ」とか「俺達モテない君決定―――!!」とか声なき絶望の叫びを上げる男たち。
 彼らはきっかり10秒間硬直した後動き出し、ニヒルな笑みを浮かべて首を振る。
 率先して叫んでいた男が、代表のように口を開く。
「フッ……俺たちの勘違いだったようだな」
 そして彼らはぞろぞろと、それぞれにスタイリッシュなつもりで立ち去ろうとしていたようだが―――3歩で挫折した。
 地面にがくりと膝をついて指先でのの字を書き始める者、体育座りでブツブツと「勝負……男の勝負が……」と呟く者、人妻座りでひたすら打ちひしがれる者、「世紀の瞬間が……っ」と男泣きに泣く者。
「酔っ払ってるのかな」
 薄野は善意の解釈を試みた。
 流石に初対面の人を端から変人とか不審者と言い切るのはどうかと思うからだが、しかし変人とか不審者としか言いようがない。
 薄野はとりあえず眼前の男たちは置いておいて、対策課で受けた依頼の内容を思い出す。
「……こんな騒ぎになってると、きれいに収めるのは無理だよね」
 ちら、といまだ落ち込む男たちを見やる。
「どうしようかな」
 どうすれば騒ぎを収めさせることができるのか。
パォォォ……
「……」
 先ほどから城の向こう側で象の鳴き声が聞こえるのだが、何か起こっているのだろうか。考えを纏めようとするが、気になって仕方ない。
 城の方に注意を向けた時、背後の森が急に騒がしくなる。
「…てー!」「逃すな!」「そっち……」「下僕……!」「くそ喰らえ……ック!」「−……愛!食…」「誰が……か!」「……ぐーん!俺のチョ……」「ノリ……ヨー!」「待……愛っ!」「いらん!」
 繁みをかき分ける激しい葉擦れの音、怒号が近づいてくる。
「将軍―!待てェェェ!」
「誰が待つかボケ!」
「ナナキ将軍―!愛してます!」
「悪いが俺ソッチ系全くこれっぽっちも興味ねーから!」
「ベオぉぉぉー!下僕になれェェェ!」
「誰だ今俺を呼び捨てにしやがった奴!?コロぉぉぉス!!」
「落ち着けベオ殺すのは明日にしとけ戻るなァ!」
 枝をバキバキ折りながら繁みの中から飛び出したのは、チョコまみれ木の葉まみれではあるものの、一応上質の軍服を着込んだ青年二人。
 年は薄野と同じくらいか、二つ三つ若い。
 地面を踏みしめた靴がざざっと砂利を擦る音を立て、年かさと思しき方が薄野を見て声を上げる。
「ナナキ!一般人発見、また紛れ込んでる」
「マジかよ、結界張り直した方が良いか?さっきあっちにルイスも紛れ込んでたし」
「結界張り直してるヒマなんてあるか?ってかルイス……?ルイスってあの、露出狂に限りなく近いパフォーマンスで王妃殿下と対決したっていう、あの伝説の男とか言われてるアレか」
「ソレだ」
 話しながら、繁みから彼らを追って飛び出した兵士の足を引っ掛け、次を殴り飛ばし、その次の兵士にはしならせた枝をぶつけ、薄野の見ている前で追っ手を手早く片付けると、二人は今しがたの言動からはあまり想像もつかないが「一応れっきとした責任者です」と名乗った。

◆その頃、元凶の古狸〜アルバイターの不幸〜◆

「ダーメじゃ。たったこれだけの量では給金は払えんのぅ」
 にまにましながら言い放った左大臣に、ルークは思わず心から叫んだ。
「こんな状況でまともに届けられるか――ッ!!」

 時刻は少々遡る。

 ルークはバイト元で貸してもらったツナギにチョコがべったりとひっつくのを見ながら必死に応戦していた。
 何に応戦しているのか。
 無論、チョコを奪おうと殺到してくる兵士たちにである。
「喰らえィ俺の偉大なるチョコ玉――!」
「やれー!奪えー!いてこませー!」
「俺はゾウに恋をした!食ってくれ俺の愛―!」
「いやむしろ俺を!」
 次々とメアリの鼻先に突き出されるチョコは通行の邪魔なことこの上ない。どうやら珍しい動物に興奮しているらしい兵士たちさて置いても、リヤカーのチョコの上に陣取って伸ばされる手を払いのけ荷台にしがみ付こうとする兵士を蹴り飛ばし、投擲される岩のように硬いチョコの塊に手近なもので反撃する。
 すなわち、売り物のチョコで。
 うっかり武器を忘れたルークは、最初こそ素手で頑張っていたものの次第に凌ぎ切れなくなり、脳裏で激しく点滅する「もやし」の字から逃れるために死に物狂いになっていた。
 そして気がついたら、売り物の大半が攻撃に使われ、手元に残ったのはダンボール一箱分のみという有様になっていた。
 ルークは体中から立ち上るチョコレートの甘い香りに咽そうになりながら左大臣の元へ生き残りのチョコを届けたのだが、そこで冒頭の台詞である。

 このままではバイトが失敗してしまう。
 ルークはもやしに嘲笑われた気がした。
 もやしがニヤリと笑ってルークを手招きしている――
 今この瞬間、もやしは悪魔だった。
「くっ……負けてたまるか……!」
 もやしという名の絶望に脳を侵食されつつあるルークが身を翻して出て行くのを「ふぉっふぉっふぉ」と意図不明の笑いを上げて見送っていた左大臣は「さて」とチョコの配給を再開した。
「ホレホレ、きちんと並ぶのじゃぞ。こっちのチョコレイトは齧ったら歯が砕けるという硬ぁいチョコレイトじゃ、そっちのはムギチョコというてのぅ、専用のマシンガンに詰めれば弾丸になるぞい。あっちのはトリモチのように一度くっついたら食べることでしか剥がすことはできぬという……」
 見事にろくでもないチョコばかりを配る左大臣に突っ込むものはここにはいない。
「よぅ、じいちゃんイイ仕事してるわねっ☆」
 並ぶ兵士たちの間からにょきっと頭を出した男がひょいっと手を上げた。
「む?なんじゃい、おぬしは」
 その男は真っ青なツナギを着てへそのあたりまで大胆に前をくつろげていた。筋肉とかその辺のは見慣れてしまった左大臣は男が「どっこいせ」と背中から下ろしたリュックに興味を示す。ちなみにリュックを下ろしたツナギの背中には明らかに手描きと分かる「 や ら な い か ★ 」のドでかい文字。
「あ、これチョコの差し入れね」
「ほお、ありがたいことじゃ。して、何用かの?」
「そんな警戒しちゃいやん(はぁと)、なーに、ちょっくら悪巧みをしにね」
 左大臣はその男の笑みに自分と同じような色を見つけて、にんまりと笑った。
――そう、本人たちいわくの『悪戯心』というやつを。
「エエじゃろ、なんぞあるなら言うてみい」

 この場合、被害を被る人々の抗議は火に油を注ぐだけである。


◆Am9:30〜鬼に釘バット◆

 チョコがばら撒かれ始めて数時間、王城を含めた『あの国』の敷地内はどこもかしこもチョコの甘ったるい香りで溢れかえっていた。チョコ嫌いな人間がいたら卒倒しそうなほどの濃厚な香りである。
 それに釣られて小動物や犬猫、蜂などの虫もふらふらと城に近づく。だが、彼らには野生の勘というものがあった。
 なんか近づいたらヤバそう、と本能が告げるのである。……まぁ、勘などに頼らずとも、チョコであっちこっちを茶色に染めた男たちが喧嘩を売るように愛の告白をしている図を見れば、大抵は近寄ろうとは思わないだろうが。
 騒ぎは見物するに限るものである。参加したいという酔狂な者はそれなりのリスクというか、蚊帳の外にいる者から笑いものにされる覚悟くらいは持つべきだろう。
 尤も、そんなことは欠片も気にしない輩が世の中にはチラホラいるのだが、銀幕市はその割合が少しばかり高かった。
 ついでに言うなら、城を目の前にして釘バットを担いで仁王立ちしている者がいたら、間違いなくそういう輩だ。
「うっひょー!なんかすっげぇ楽しそうじゃーん?鬼ごっこ?鬼ごっこってやつコレ?」
 ぴょこりと立った兎耳のフードを被り色つきゴーグルをつけた少年は、ゴーグルの下の金色の瞳を輝かせながらチョコまみれの騒ぎを見つめている。ピンク色の髪、派手な取り合わせを選んでいるとしか思えない鮮やかな色の服、全身をざっと見ただけで目に痛い極彩色の彼は頭の中も極彩色だった。
「めっちゃウズウズするんですけどオレちゃん!あれっすかぁー、これが本能っスかぁー、ひゃっほおおおおああああああ!」
 走っている人間を見るとほぼ反射的に追いかける性質の玄兎はとくに何も考えずにチョコまみれになって愛の告白をしている男たちに突進した。
「キャーハハハハハハハァ!」
 奇声を上げて釘バットを振り上げ疾走してくる少年に、流石の男たちも動きを止めて彼を凝視した。
「すげえ!オレちゃん視線独り占め!ブロードウェイとかグリーンマイル歩んじゃう系スターちっくなオレちゃん!惚れたらヤケドするぜぇーい!」
 グリーンマイルは電気椅子直行通路だ。
 と突っ込む者がいたらどれだけ平和だっただろう。
 釘バットという新境地に触れた兵士たちの熱意は別方向に加速した。
「ィよぅし来い少年よ―――っ!」
「俺たちの胸で受け止めてやる!さぁ!」
「かかってきんしゃーい!」
 新兵器を見ると試したくなるというあれかもしれないが、釘バットを凄まじい速度で振り回しながら走ってくる少年を相手に笑顔で両手を広げる男たち。いやまず、胸で受け止めたら致命傷になると思うのだが。
 とりあえず挑まれたらノリノリで受けるといういらん精神が彼らの間には浸透しているのだった。
「あっ」
 そこで玄兎の手から釘バットがすっぽ抜けた。
 すっぽ抜けた釘バットは男たちの間をすり抜け、背後の一抱えほどもある幹を持つ木へ――
バキボキゴシャアッ
 聞いちゃいけない感じの音が聞こえた。
「……」
 恐る恐る振り向いた先、木の幹に半分がためり込み、揺れている釘バット。
「おっとうっかり、オレサマちゃんと一心同体の青春バズーカを放り出しちゃったぜー」
 やっちゃったー、テヘッと首をかしげながら釘バットを回収しに走る少年。この場にツッコミがいればこの空間も少しは平和だったろうか。
 おりゃーと気が抜けるような掛け声を上げて釘バットをあっさり引っこ抜く玄兎、釘バットの抜けた幹は大穴を開けている。それが次第にミシミシと音を立てて傾き、空へ大きく張り出した枝をバキバキバキッと折りながら轟音を上げて地に沈んだとき、男たちはぎゃーとか怪力―!?とかマジかぁぁぁとかノリは不滅アルー!とか叫びながら蜘蛛の子を散らしたようにちりぢりに逃げ出していた。
 半分は恐怖。
 半分は――野次馬根性。
 呆れたことに、物珍しければ何でも野次馬根性を発揮して仲間に伝えに走る連中も多かったりするのだ、この国は。そのおかげで情報の伝達率は早いが、
「あっちから釘バット少年が襲ってくるぞォー!」
「何っ青少年が非行に走っているだと!?」
「教育委員会を呼ぶアルー!ノリで!」
「釘バット!殺人鬼の定番武器!やっべぇ超見てぇー!」
「殺人鬼襲来だと!?誰か大砲を持て!それかチョコで手懐けろ!」
「青少年は美少女にチョコを渡してもらうと無力化される筈だ!誰か美女か幼女にチョコを持たせて殺人鬼にぶつけるんだァー!」
「馬鹿っ美女とか幼女がいたらむしろ俺がもらいたいわァ!」
「何だと、殺人鬼の生贄に美女だと!?マジもんだと勿体無いから女装したヤツ連れてけ!」
「教育委員会から女装した美人教師を連れて来ォい!人間大砲だ!」
 伝言ゲーム化しているので正確な情報とは斜め280度ほど異なっている可能性が高い。
「待―――て―――!!きひひひひっ、クキャキャキャキャァァァ!!」
「ちょっ、待て笑い方ヤベェ!?人間としての体裁を保とうぜ少年!」
と兵士の一人が突っ込んでも、
「オレサマ人間?ウッサギぃー?わっかんねぇーアッハハハハハぁー!」
 と玄兎はヒートアップするのみ。
 片手に握られた釘バットが空気を切る音をさせているが、その速度がだんだんと上がっているように感じられるのは気のせいではないだろう。

「ヒャアハハハハハハハァー!どこまでも追いかけてやんよぉー!」
 

◆Am9:40〜始末屋主従の関係◆

 ネコオ、じゃない、玉綾はがっくりと肩を落としてトボトボと城の周囲を歩いていた。キノコでも生えそうなその落ち込みぶりに追い討ちをかけるように上から溶けたチョコが降り注いでくる。べちゃべちゃと肩や頭に降り注ぐチョコにあちちっと叫んで慌てて避ける玉綾だが、黒の襷を外した耳は何かを捜し求めるようにぴくぴくと動いている。
「ごしゅじぃーん!何処行ったんすか――!!」
 物悲しい叫びに答える声はない。チョコで固まった髪をつまんではあ、とため息をつく。チョコの香りが濃厚すぎて、鼻があまり利かないのだ。しかしそれでもご主人の匂いだけは判別できる自信があった。
「だってご主人だぜ?ご主人の匂いくらいわかって当たり前だろ?」
 ぽそぽそと呟きながら、ご主人の声が聞こえないか耳を澄ませる。
「ごーしゅーじぃいいい――ん!」
 全身全霊で叫ぶ玉綾の尻からは猫科の尻尾がしなやかに伸びている。猫耳、猫の尻尾とくれば好事家が好みそうなポイントだが、玉綾は背の高いれっきとした男で、大抵はそれだけで興味を失ってしまう。猫耳も美少女についてこそその価値が何十倍にも上がるのだ、と主張する者は多いだろうが、男についてこそ燃える!という主張も根絶することができないほど根強く残っているので、そこらへんの討論は専門の人々に任せたいところである。
 とにかくその猫耳が人目を集めていることなど全く自覚なしにトボトボと歩いていた玉綾だったが、横からのいきなりのタックルをひらりと難なくかわして投げられたチョコを普通に受け止めてもぐもぐ食べているところからして、気力が萎えた訳ではないようだ。
 もともと、バレンタインの趣旨を理解していない玉綾は、「ご主人と一緒に仕事!」という彼にとっては嬉しさの絶頂に近い響きに釣られてウキウキとここへ来たのに、突入後10分で逸れてしまってガックリというわけだった。
 とはいえ、ガックリきていても兵士たちは遠慮ない。
 活発に動いていないものはあまり視界に映らない特殊な目を持つ兵士たちだが、ふと視線を止めた先に猫耳があればまず叫ぶのが彼ら。なんたって猫耳である。モテない男たちの中にはマニアック嗜好に走るものもいて、そういう連中の中では猫耳といったら真っ先に齧りつく要素なのだ。哀れむ必要はない。彼らは幸せなのだ。
「猫耳!猫耳がいる!?」
「猫耳メイドだと!?」
「どんな天国だソレ!」
「美少女に囲まれてウハウハだと!?」
「猫耳メイド喫茶か!?どこだどこにあるんだぁー!」
「メイドさーん!俺たちの癒しぃー!」
 早速猫耳に齧りついた兵士たちが猫耳メイドを捜し求めて雄たけびを上げてがむしゃらに走り出す。銀幕市に来るまでは猫耳とかメイドさんとか何も知らなかった筈であるのだが、恐るべし――ネコ耳&メイド。
「猫耳!……だけど、男?」
「男でも良い!妹とかゲフゥ」
「ノリで行くアル!」
「モテない君丸出し発言するんじゃねぇぇぇ!!なんか悲しくなってくるだろ!」
 とりあえずノリで襲い掛かってくる彼らを見、玉綾は指をくっと曲げて腕を上げた。その指先の爪は長く、鋭く伸びている。
 顔を上げて男たちを見据える瞳はさながら肉食の獣。猫科のしなやかな尾がぱしりと足を叩いた。
 チョコで茶色くなった手が玉綾を掴もうと伸ばされるのをすいと上体を引くだけでかわし、それを追いかけて兵士の上体も更に伸ばされるのを後ろに倒れながら目を細めて一瞥、バック転をする勢いのままそのがら空きの顎をつま先で蹴り上げる。
 尾が体を追いかけてくるりと回転する。
 タンッと軽く地面を蹴り、倒れ掛かる男の肩に猫のように身を丸めて飛び乗る。灰色の前髪の間から光る三日月の瞳が覗き、音もなく別の獲物――男に飛びかかる。
 たしっ、
 軽い音とは裏腹な衝撃がこめかみに打ち込まれ、男は視界が暗転するのを感じた。男の頭を踏み台にして残りの男たちに両手の爪を振り上げる。
 一切の無駄のないしなやかな動き。猫を連想させる跳躍力。
 あっさりと5人の男の意識を刈り取った玉綾は猫のような優雅な足どりで地面に着地し、その瞬間にまたガックリと肩を落とした。
「ごしゅじぃぃぃぃん……どこっすかぁぁぁ……」
 世にも情けない泣きそうな声とはこういうのをいうのだ、きっと。
 見る者がわが目を疑うギャップである。
 ネコ耳をへにゃりと伏せて半泣きで上げた視線の先にふと見事な黒馬を見つけ、玉綾はあの馬も大変そうだなぁとなんとなく同情した。
 黒馬は、いましも自分に跨ろうとしていた兵士を後足で容赦なく蹴り飛ばしたところだった。なんとなく珍しいもの同士親近感が湧く。あの馬ならこの兵士たちみたいに襲い掛かってきたりはしないだろうと近づくと、黒くて気付かなかったが、その毛並みにもチョコが跳ね飛んでいた。
「大変っすねぇ……ところでご主人見なかったすか?」
 馬に言葉が通じるのか分からなかったが、ここは銀幕市である。言葉が通じる可能性は十分にあった。首を傾げる馬に、主人――霧生の特徴やらなんやらを熱をいれて語る。
むぎゅっ
「ギャフッ!?」
 足が柔らかいものを踏んだが、気付かない。馬が一切の反応を示さなかったので気のせいだろうという気持ちが大きかったからだが。下から「ウウ……ひドイデす……ゥ」と断末魔が聞こえた気がしたが空耳だろう。それより馬が妙に楽しそうなのが気になる。
 主人の特徴を語りつくすと、馬は鼻先で城の方角を指した。
「サンキュ!恩に着るっす!」
 目を輝かせて走り出した玉綾の足元で再びむぎゅっという感触と共にカエルの潰れるような声がしたが、ご主人に夢中な玉綾は気付かなかった。
「イテテ……今日こレデ踏まレルの何回目デしョウかネー……エート、ひーふーみーよー、エート、7、8……10、13……17、21?デすかネェ?」
 新記録達成デす!とヘロヘロな声を張り上げてよろよろと立ち上がろうとしたボロボロチョコまみれ泥まみれの緑マントの人物は、マントの端を馬に踏まれて再度コケた。
「何をすルンデすかベティさン!?今日は18回も踏みツけテ満足しタンじゃギャー!?」
 登場するたびに何かしら黒馬に虐げられているのはもはやデフォである。


◆Am10:20〜対策会議◆

 王城の一室。
 そこでは4人の青年が顔を突き合わせて事態の対策を練っていた。
「つまり、その……左大臣さん?が事態を動かしていると?」
「動かしてるってーか……んー、煽ってるてーか。煽動のプロフェッショナルだからな」
「ま、諸悪の根源なことは確かだな。さっさと殴りてェんだがあのジジィ80とは思えないくらい逃げ足が速くていやがる」
「元気な爺さんだな」
「全くだ。そろそろ引退しやがれってんだあの古狸め」
「あ――……その、そちらのベオさんは左大臣さんに何か個人的な恨みでも……?」
「突っ込んでやるなよ薄野。あの爺さんの起こした騒ぎの後始末で毎回毎回一番被害食らってるのがベオなんだよ」
「ここで遭ったが百年目、な関係って訳か?」
「俺の堪忍袋は百年も待てねェ」
「落ち着けベオ。一応あれで国の重鎮だ」
「それで、左大臣の居そうな場所は?心当たりはあるのか」
「クールだなお前……あー、霧生?」
「夕飯までに帰れないと相棒が拗ねるもんでね」
 夕飯は魚だと言った時の玉綾の喜びようときたら。有頂天になって飛び出していって見事に逸れた訳だが、霧生も少々囮にしたところがあるので、一概に玉綾が全て悪いというわけではない。とりあえず、不幸な偶然ということで片付けておく。
「あの狸爺の居そうな場所、ねぇ……シークに会ったときは中庭だっつってたが、さすがにこんだけ時間が経ってりゃ移動してるだろうな」
 頬杖をついて忌々しげにため息をつくベオ。腕を組んでドアの近くに寄りかかる霧生は、ドアの向こうで人の気配がして氷魚を指先で呼んだ。
「ここかっ将軍―覚悟ぉ――おおおおお!?」
 何か使命に燃えた感のある叫び声が驚愕の声に変わってすぐにゴッと鈍い音が響いた。ドアの前に足を差し出してしれっとした顔をしている霧生を眺めやって、ナナキは「全く頼りになるよな」と苦笑した。
 起き上がった兵士はバレンタインに関する一切の記憶を無くしていた。霧生の飼うアヤカシ、「氷魚」に記憶の一部を食われたせいだが、そのことに関し説明するとベオは渋い顔をした。
「それはちっとマズイ……かもな」
「俺もこの敷地内にいる全員から記憶を吸い取るのは無理だと分かっているが?」
 霧生の落ち着いた視線を受け止めて、ナナキは考え考え口を開く。
「違う、そういうことじゃない。下手に記憶を吸い取って逃がして、外にいる別のヤツに変なこと吹き込まれたらどうなる?またバレンタインに関する間違った認識が加速する恐れがある」
 ベオが天を仰いで続ける。
「あー、まぁな、あいつら思い込むとすげぇからなァ。デマとか流れると訂正するのに苦労するんだよ……大体今あいつらが暴走してんのだって一種の思い込みだしな」
「ああ……うん、思い込みが激しいっていうのは、そうかもしれないなぁ……」
 自分には理解できない世界を繰り広げていた兵士たちを思い出して、薄野が遠い目をする。バッキーの雨天も心なしか遠い目をしているのを見て、霧生は顎に手をやって考え込む。
「つまり、兵士に下手に手は出せない、しかし騒動は治めたい……左大臣は行方不明」
 しかし、これはどう見ても、左大臣が騒動の元である。あの食えないジイさんのことだ、今現在も煽りまくっているに違いない。
「何とか左大臣を探し出して発言を撤回させるしかない」
 霧生の結論に、ナナキが微妙な顔をする。
「あの爺さんが自分の発言を撤回とかすんのか……?」
「撤回「させる」ンだろ。面白ェあんのジジィ、探し出してまず一番にぶん殴る」
「とにかく、左大臣を探し出さなくちゃ何も始まらないって事なのかな」
 ベオは目的を少々違えているようだが、とりあえずの方針が薄野によって纏められる。殺る気になっている相方を横目に見やりながら、ナナキは椅子から立ち上がる。兵士が来たということは、ここもそう長くはいられない。

「将ぐゴブッ」
 ドアの向こうに顔を出した兵士が飛び出したベオに当身を食らい、あっさり倒れる。武闘派の将軍二人に先鋒を任せ、薄野と霧生も後から飛び出す。
 四人で城の通路を疾走する。一応城の中も基本走ってはいけないらしいが、そんなことを言っている暇はない。横に繋がった通路からちょろちょろ兵士たちが顔を出すからだ。しかもやつら、ベオとナナキを見つけた途端叫ぶ者がほとんどだ。
「あっ!しょウごふっ」
 故にやつらが叫ぶ前に沈黙させなければならず、結局走ることになるのだ。
「思ったんだけどよ、お前ら俺たちと一緒に居ない方がいんじゃね?お前らは別に追われてねぇだろ」
「それはそうかもしれないけど、一応事態を解決するように対策課に依頼されてるし、それには貴方達を手伝った方が早そうな気がするので!」
 「次、右な」と指示したベオが振り向いて今更ながら言うのへ、薄野は生真面目に答える。霧生は「万が一の盾t……ゴホン。俺もそう思って」とエセくさい笑顔を浮かべている。
「今盾って言いかけたよな?」
「とんでもない!」
 この純真な僕を疑うなんて!とでも言いたげな顔を作る。中身の年齢はともかく、外見の年齢は霧生が一番下なのでできる芸当だ。
「イヤイヤイヤ。すっげぇハッキリ言ったから。俺まだ耳悪くしてないから」
「可哀想だなぁ、まだそんなに若いのに幻聴が聞こえるようになるなんて、この後の人生が心配だなぁ」
「イヤ幻聴じゃねぇから!?なんかスッゲおちょくられた気分!?」
 本当に心配そうな顔をしているのもわざとだろう。玉綾あたりなら騙されそうな顔面演技上手だ。普段飄々としていて無表情が多そうなのに、一体いつその表情筋を鍛えているのだろうか。小一時間問い詰めたい衝動に駆られたが今はそんな時間はない。
「おいナナキ、コントやってないで手伝え!」
「コントじゃねーよ!」
 白目を剥いた兵士を片手にぶら下げながら声をかけるベオに突っ込み返しておいて、ナナキは城の裏口の木戸を開けて外に飛び出す。
「こッチデしタッけ確かムギャアー!」
「急げ!とりあえずあっちの森の中に逃げ込め!」
「薄野、止まるな!こっちだ!」
「何か今轢いたっていうか、踏まなかった!?」
「気のせいだろ」
 緑色のマントに新たに4つの足跡がクッキリと刻まれたフールは、「きュウ……」と漫画のような声を上げて気絶した。その隣では、木戸が開くのをしっかり予期していた黒馬が自分だけ安全圏でのんびりと4人を見送っていた。

◆いつの間にかそこにいる恐怖―ヤツの名はG―◆

「ノリノリアルよーッ!」
 諸君はこの叫びを何回聞いただろうか。いや、訂正しよう。
 『ヤツ』を何回見かけただろうか。
 『ヤツ』は1メートルと小さいので「うるさいアル!」諸君の視界には入らなかったかもしれない。だが、ヤツはどこにでもいた。それこそ今後ろを振り返ってみればそこにいるかもしれないくらいどこにでも居た。ちなみに、小さいので視点は下向きにした方が「うるっさいアルー!」おススメだ。

 ノリン提督はどこにでも現れる。
「何だかどっかで小さい小さい連呼されてる気がするアル!ノリで大きくなってやるアルヨー!」
 半透明の子供がぴょんぴょん跳ねながら口を尖らせて空に拳を突き出した。ちなみに、ここは食堂の中である。海賊のような格好をした子供がぴょいんぴょいん跳ねている間にだんだん大きくなってきたのを不思議に思うでもなく、氷点下の眼差しをした偉丈夫はしっと手を振った。
「帰れ」
「ひどいアルーッ!?」

 ノリン提督はこんなところにも現れる。
 城の裏木戸のすぐ側にクッキリハッキリ足跡をつけた人影がバッタリ倒れている。緑色のマントは茶色のしみがあっちこっちについて見事な迷彩色を作り上げていて、そのせいか通りがかる誰もが気付かない。
むぎゅっ
「む?なんか踏んだアルー?」
 そこにちょろりと現れた、海賊衣装の子供。つま先が天を向いたお洒落な靴の下、迷彩されたなんかボロ雑巾的なもの。
「なんだ、雑巾アルか!雑巾はゴミ箱にGOアル!」
 何気にヒドイことを言ってそのままスタスタと歩き去る。だが、ノリン提督のノリノリ空間のおかげだろうか。ボロ雑巾はむくりと身を起こした。
「ナンか今まタ踏まレタヨウナ……?ワタシノ一張羅が台無しデすヨー、全くみンナすぐニ人ノ事踏むンダかラ、プンプンデすヨ!」
 いや普通は人間は踏まないと思うが。

 ノリン提督はさりげなく現れる。
「たっ、たいちょ、シーク隊長がそんな趣味だったなんて……っ嘘だと言ってー!」
「男オンリーじゃないわよね!?せめて両刀と言ってぇぇぇ!!」
 悲鳴を上げる暗殺・隠密両部隊の美女たちの前には、チョコレートを全身にぬったくっている途中らしき白髪の男と、服をボロボロに切り裂かれて半脱げ状態で壁に向かって後退する彼女たちの上司。
「お、落ち着けお前たち、私はそんな特殊な性癖はうわあああああああああ!?」
 国一番の真人間、シークは台詞の途中で襲い掛かってきた部下たちの眼光に怯えて思わず壁に張り付いた。
「男がいいなら俺たちのは受け取ってくださいますよね隊長!」
「さぁ!俺たちの愛を!」
 愛=研ぎ澄まされたナイフのようなチョコレートの投擲。
「いや普通受けたら死ぬんじゃね」
 自分こそが突っ込みを入れられる格好をしているのに、思わず突っ込みを入れるチョコレート男。スススと摺り足で隊員に近づき、ぼそぼそぼそと耳打ちをしてその手に何かを握らせる。
「総員!引き上げだ!」
 何かを受け取った男は凛々しく号令をかけ、部屋の隅に追い詰められかけていた一応隊長であるはずの男とチョコレート男以外が残像を残してその場から消える。
(火曜サスペンス劇場アル!『てーとくは見た!激写・賄賂受け渡しの瞬間!』)
 何か気配を感じたチョコレート男が素早く振り向くと、窓の外の木の梢に、海賊帽子が引っかかって風に揺れていた。

 ノリン提督はあからさまに現れる。
 現在、部屋はパニックに襲われていた。
「私のほうが王妃様を尊敬差し上げております!」
「いいえ、私こそが誰よりも王妃様を!そこの国王さまなんてメじゃないんだから!」
「王座なんて愛の前には塵と同じよ!」
「塵のような王座しかない男なんかいくらでも蹴散らしてやれるわ!」
「ちょ、冷静になりなさい!一応このひと国王だから!」
「い、一応……」
「王妃様!国王陛下が傷ついておられます!」
「しょうがないでしょ、本当に一応なんだから!」
「王妃様―!国王陛下が更に深く傷ついておられますー!?」
 「一応」国王陛下は頭上に暗雲を立ち込めさせながら窓の外を見た。……空が青くて綺麗だなぁ……。
 今、部屋の中ではメイドたちの反乱が起きていた。
 いわく、「誰が一番王妃様を敬愛させて頂いているか」。
 発端はノリン提督である。
「ノリアルヨー!」
 突然何の前触れもなしにぽしゅんっと現れた怪しいと言えば怪しすぎるノリの妖精に、部屋の中に居たメイドや近衛たちは咄嗟に国王夫妻を庇う。近衛たちが主に国王を庇ったのに対し、メイド達は全員が王妃「だけ」を庇ったのがなんとも対照的だったが。
 ぶっちゃけて言うと、国王より王妃の方が強いというか、近衛たちより王妃の方が強いので、近衛たちの仕事は主に国王の護衛なのだ。なんせ、今の国王陛下は歴代で心身ともに最弱と言われる男。しかし勘違いしてはいけない、歴代の国王が揃って人外魔境すぎるだけであって、現国王はいたって普通の人である。
 ともかくもそんな体勢で固まった瞬間、提督がにやーっと笑ってぱちんと手を鳴らしたのである。
「みんな、我慢すると体に毒アルよ!」という声と共に。
 そこで、実はずっと我慢していたらしいメイドたちが先を争うように王妃にチョコを差し出し、嗚呼げに恐ろしき女の争いよ。嫁姑戦争もかくやという口げんかが始まり、誰それのホクロがどうとか、メイド服のリボンが解けていたのはわざとだとか、皆同じ格好なのに服の趣味の悪さを声高に主張、半年以上前ボタンがひとつ取れていたことに関して詰り、王妃様にお茶を運ぶ際のドアの開け閉めが下品だったとか、髪の跳ね具合が性悪だとか、幼少期の子供の戯言まで持ち出し、挙句に国王までこきおろしながら競争相手のメイドたちのチョコを床に叩き落し、床に激突する寸前で長年のメイド人生で培った何事もなかったように取り繕う能力を発動し積み上がったチョコを一切崩すことなく拾い上げ、ついでに隣のメイドのスカートの裾を踏む。
 その争いに国王含め近衛たち男性陣は若干引き、「ど、どうしよう……!?」といつもの勇猛果敢さもなりを潜めた王妃がオロオロと周囲を見回す。
 ちなみにこの争いの発端の提督は既にどっかに消え去っていた。

 ノリン提督は探せば割とそこら辺にいる。
「ごしゅじぃーん!何で!?何でこんなにちっさい国なのにこんなに見つからないんだ……ごぉーしゅーじ――ん」
「ノリでノリきるアルよーッ!」
 げぃん。
 森の中をさ迷っていた玉綾は脳天を蹴られて「だっ!?」とつんのめってから上を向いた。そこには、ターザンのように木の蔓に捕まって木の間を飛び跳ねながら遠ざかっていく半透明の小さいのがいた。
「あ……アヤカシ……!?」
 いやまぁ、確かに一種のアヤカシというか、妖怪みたいなもんだが。
「ア〜〜〜〜アア〜〜〜〜アル〜〜〜」「ア〜〜〜〜アル〜〜〜〜〜〜〜」「ノリアル〜〜〜〜〜ア〜〜〜」「アル〜〜〜〜ア〜〜アア〜〜〜〜」「アルァ〜〜〜〜〜ア〜〜〜」
 しかも、森のあちこちからノリノリの声が聞こえてくる。そのどれもが先ほどの「小さいの」のように高速で移動しているようである。
「や、山彦とか木霊!いや、新手の妖怪……!?」
 えーと、うん。
 もう妖怪でもいいかな。

 ノリン提督は分裂している。
「キーヒャハハハハハァー!おっ、チョコもーらいっ!ウマいしこれーもっと寄越さないとオレちゃん本気だしちゃうぜぇー」
 ごしゅっとヤバ気な音を立てて兵士を釘バットでぶっ飛ばし、チョコを強奪してもぐもぐぼりぼりと食べながら次の犠牲者を品定めしていた玄兎。奪ったチョコを次々と口の中に放り込んでいるが、詰め込みすぎて、ひまわりの種を目一杯頬張ったハムスターのような顔になっている。
 そんなちょっと笑える顔をもぐもぐ動かしながらぐるりと周囲を見回した玄兎は、少し離れたところで海賊ルックの子供が「アルヨー!」と叫んでいるのを見て動きを止めた。
「? ??何か楽しそうじゃーん、オレも混ぜてくんないかなー」
 混ぜてくれなくてもとりあえず特攻するのが玄兎だが。近づいていくと、兵士たちが円陣を組んで座り込み、がむしゃらに何かを食べているようだ。
「ふはははははははは!俺の胃袋に敵うかな!?」
「なにおうっ、ブートキャンプで鍛えたこの胃袋!貴様などに負けはせん!」
「今こそ発動せよ!秘技・別腹ァァァ!!」
「ぐほぁぁぁ!ぐっ……チョコがこんな……凄まじい食い物……だった……と…は……ガフッ」
「トミィィィィィ!」
「なっ…ん……だと……!?トミーが……トミーが負けるなんて……っ」
「俺の今月の給料が露と消えたーッ!」
「ハッハァ!トミーなんかに賭けたのが運の尽きガハッ」
「マイケルー!?そんなまさかオマエまでもが……っ」
「アデュー、僕の全財産……」
「てーとくも頑張るアルよーっ!スイーツなら任せるヨロシ」
「あれっ!?何かお前分裂してね」
「気のせいアルよ!」「アルよ!」「そうアルよ!」「アルね!」
「あれ、何か今お前等交代しなかったか?」
「き、気のせいアルよ〜!」「アルね〜!」「全く奥様聞きましたアルか〜、4人で交代してチョコ食べてるなんてそんなことないアルよ〜!」「ですアルね奥様〜!」
 男たちが口に詰め込んでいるのはチョコ。そして何気に紛れ込んでいるノリン提督。提督の周囲で応援しているは「いけアルよ!」「提督パワーを見せるアル!」「もっと高速で詰め込めアルヨー!」全て提督自身。
 どうやら、「チョコを食わせる」より「どれだけ自分が食べられるか」の方が分かりやすかったらしい兵士たちは勝手にチョコ大食い大会を始めていたのだった。円陣を組んでとにかく食べまくる男たちに、更に男たちが群がり、賭け事が始まり、既に円陣の外には鼻血を出して倒れ付す敗者の屍がいくつも放置されている。
「あっれぇー、オレちゃん目がおかしくなった?おんなじのが何人もいねぇーか、あれ?」
 ごしごしと目を擦ろうとして、ゴーグルが邪魔だったのでいったん外して目を擦り、またぱっちりと目を開く。
 まだ見える。
 実はノリン提督、神出鬼没ではあるが、能力のほとんどがノリ次第なところがあるので瞬間移動とかはできない。できないはずだ、たぶん。
 ノリに釣られて特攻した提督はあっちこっちで繰り広げられる恨み節まじりの愛の告白に目を輝かせて飛び回っていたのだが、流石のノリン提督も手が足りない。
「ちぃ!提督一人じゃ手が足りねぇアルー!」
 ノリで増殖した。
 ノリで増殖した提督は敷地内をくまなく走り回り、それを目撃した兵士たちの間に新たな怪談を作り上げていたりしたが、まあ、それはそれ。
 左大臣の煽動によりこれでも一応秩序が保たれている兵士たちが本当に暴走するとこの比ではない。例として街中で暴走した兵士たちが警察連行され精神鑑定をされかけたことだけは記しておく。熱が入ると何を喋っているのか自覚があまりないのが彼らだ。
「いけェェェ!俺、この賭けに勝ったら結婚するんだァァァ!」
「やっちまったー!フラグ立ったァー!」
「死亡確定!?へし折れ!へし折れぇー!」
「提督のー、ちょっとイイトコ見てみたーい!そーれ、イッキ、イッキぃー!」
「「「「「ちょっとイイトコ見てみたーい!」」」」」
「やるアルー!いけアルー!ノリの名にかけてー!」
「う……うごォ……げんカ イ   アルゥ……」
「バトンタッチアルよ提督―!提督の意思はこの提督が受け継いだアル!さぁ来るヨロシ!」
 もうどの提督がどうなのかわからない。イッキ、イッキの掛け声にあわせてチョコが宙を舞い、漱石さんの紙幣が風に舞う。いつの間にか兵士たちがぞろぞろ集まってきていて、一大イベントのような騒ぎになっている。BGMにアニソンが流れ、バックコーラスで10人のノリン提督が肩をそろえて並び、「ノーリーよーノリよー」と無駄に上手いハーモニーを響かせている。
 玄兎は既にたらふくチョコを食べていたが、イベントを見ると参加せずにはいられない性格の故で円陣の一角に入り込んでいた。もぐもぐもぐもぐがつがつがつがつと顔中をチョコまみれにしながら食べていた玄兎の後ろで、敗者の屍が死んだような声を漏らす。
「おのれ……せめて将軍にチョコを食わせて鬱憤晴らしを……!」
「床掃除させてこき使うべし……おのれモテ男めが……!」
「チョコを渡して下僕にするんだ……かーちゃん、俺やるよ……!」
 玄兎のつるんとした皺の少ない脳味噌が、ある方程式を理解した。チョコを渡せば、相手をこき使える。チョコを渡せば下僕にできる。
 『チョコを渡せば=オレちゃんの下僕決定☆』
「うっひょぉーナニソレめっちゃ楽しそうじゃん!!みんなにチョコ食わせればオレ王様じゃねぇ?」
 

◆Am11:45〜ようやく現れた、裸(RA)の男◆

≪レィディィィ――ス≫
『エ―――ンド』
≪『ジェントルメ―――――――――――――ンッ!≫』
 突然スピーカーを壊しそうな音量の声が響き、大食い大会に熱中していた兵士たちはチョコ色の顔を上げて顔を見合わせた。
『ついにやってきました俺たちの時代!』
≪そう、即日開催!チョコ・レスリングトーナメェェェェェェェェンッ!!!!≫
『実況は我ら、ハルとキムがお送りいたしま――ス!』
 簡易テントの下に長テーブル、そこに4人の人間が座っていた。二人はなんだか顔がぼやけて見えないが、その隣に座る人物。
≪えー今回はー、特別ゲストとして左大臣をお呼びしております!≫
『うっかり下手なこと口走ると明日の食う飯が消え去るので皆さん注意して下さいねー?』
【とりあえずハルは明日の夕飯はナシじゃのぅ。諸君!只今よりチョコ・レスリングを開催することが先ほど決定した!勝者には山ほどチョコを配給するでのぅ、張り切って勝負に挑むと良い】
 左大臣が見事な白い髭をしごきながらほっほっほと笑う。その隣にはダンボールに入ったチョコが山積みになっていて、気の早い兵士が早速手を出そうとして左大臣のニンマリとした笑みに伸ばした手を引っ込めている。
 しかし、簡易テントの他にはそこには何もない。地面でレスリング?と兵士たちが首を傾げる前に、実況がさっさと事態を進行させる。
『えーでは、本大会主催者、ルイス・キリング氏によるリング作製です!』
 どよっ
 兵士たちが一斉にどよめいた。
「お待ちかね諸君!銀幕市に名立たるHENTAIの第一人者、本気☆狩げふっごふっ 違 い ま す 。ルイス・キリング見参!ただのルイスだからね!そこ間違えちゃ駄目よ!」
(アレは……)(ああ、あの噂の……)(王妃様に挑んだという)(伝説の勇者!)(褌教教祖が神と崇める人物だという……)(RA神教の奥儀を知るという伝説の怪奇人物!)(すげえ!)(伝説をこの目で見るなんて!)(マンセー!)
 銀幕市に色んな意味で名立たる人物、ルイス・キリング。
 お気づきの方もいるだろうが、彼は以前この国で一暴れしたことがあった。
 ほぼ全裸で。
 そんな彼は勿論、今回も、誰の期待も裏切ることなく、ほぼ全裸であった!
 しなやかに鍛えられた全身の筋肉をチョコレートで隙なくコーティングし、無論男にとってある意味人生並みに重要な付近は全裸もどきスパッツという非常に紛らわしいものでガード、白い短髪も溶かしたチョコレートでビシッとセット。
 彼は、この場に女性と電話がなくて幸運だったというべきであった。
「隊長さーん、人払いお願いしていいかなー」
「あ、はい」
 そして何故か国一番の真人間シークはそんな変t……そんな、えー、奇特な人物の手助けをしていた。
 部下に追われて逃げ込んだ先の部屋にルイスが居たのは彼にとって不幸だったのか否か。結果として部下を退けてくれた借りがあるので同行しているらしいが、ルイスがどんなワイロ的なものを渡して部下を下がらせたのか、シークは知らない方がきっと世の中を恨まなくて済むと思われる。
 シークがナイフを地面に投げて人払いをしているが、野次馬の最前列はことごとくノリン提督。その異様な光景にシークは眉を潜める。潜めるが、今まで何となく気づいていなかった兵士たちは驚きの声を上げ、自分の目の前のノリン提督を捕まえようと手を伸ばしている。
≪さぁ皆さん、その海賊コスをした大量のアルアル星人は気になりますがとりあえず!リングの登場です!≫
 実況が声を張り上げ、襟首を捕まえられた火星人も兵士たちも顔を上げ、直視していいものか多少迷う人物に視線が集中する。
「いざっ!!ルイス・キリング一発芸をとくと見よ!」
 派手に啖呵を切ったルイスの足元、地面が地震が起こったかのように揺れた。
「「「おおっ!?」」」
 兵士たちの間から感嘆の声が上がる。
 ズ、ズズ、と地面から迫り出してきたのは四角い形をしたリングであった。四隅には天を衝く勢いで岩のポールが立ち、瞬く間に表面が滑らかになってゆく。
「ヘイ、提督!ロープ!」
「りょーかいアルよー!」
 阿吽の呼吸で数人のノリン提督がロープをポールに巻きつける。そのロープは何処から……とシークが呟いているが、この二人が揃った場面では少々ツッコミが弱い。
「このリング、レスリングというよりボクシングのリングでは」
 シークの突っ込みは耳を劈く勢いで上がった歓声にかき消される。
『審判はこの人、アイザック・グーテンベルク大将軍閣下です!では!いざ戦いを始めていただきましょう――勿論最初に戦うのは主催者RA教教祖ルイス氏です!』
「待って俺そんな宗教知らないから!?」
 歓声に応えてイイ笑顔で片手を上げかけたルイスが聞き捨てならないとばかりに実況にツッコミを入れるも、
「まあいいじゃないか。挑戦者、リングへ!」
 大将軍にさらりと流され、BGMがロック音楽に変わる。提督がリングを取り囲みワーワーアルーと声を上げ、つられた兵士たちも声を上げる。
「行けー教祖ォー!」
「オラァ挑戦者誰じゃぁー!誰も行かんのなら俺が行くぜ!」
「誰かカメラッきき筋肉ポラロイドぉー!」
「オッズ6倍!さぁーRAに賭ける奴はこっちこいやー!」
「ハイハーイ俺の写真欲しい奴は****円で売りますよー!そこ!勝手に撮らない!肖像権の侵害で訴えられたいのかなー、っつーか買って下さい是非とも!」
 実はルイス、相棒との共通の生活費をしこたま使い込んでのチョコ大量持参だった。チョコって案外高いのだ。もちろん、相棒にバレたら惨事である。しかしすぐバレるに決まっているので、彼の明日には眩しい朝日ではなくモザイクと哀愁のカノンが待っている。
 何故そんな命を捨てるようなことをしたのか、と尋ねられれば、誰だって自棄になる時はあるのさ!特にクリスマスとかバレンタインでーにはな!と妙な共感を示すものもいるのではないだろうか。主にカップル撲滅キャンペーン!と騒いだ某兵士とかが。
≪さて只今リングに上がりましたのはスキンヘッドの力自慢ベイ・フォーカス!厳つい顔と体の持ち主ですがその熱意はソフト、雨の日によく子猫や子犬を拾ってくるガラスハートの持ち主です!≫
「貴様なんで知っとるがか!?」
『おおっとしかも訛っているということが判明しました頑張れベイ・フォーカス!ちなみに情報提供は左大臣様でした』
【ちなみにそちらのルイス氏はのぅ、去年のクリスマスの夜、居たたまれなかったんじゃろ、橋の下でのぅ、】
「うおおおおおおストップぅぅぅ!!?何で知ってんのじいちゃん!?千里眼!?」
【ふぉっふぉっふぉ】
 むしろ目の前の相手より実況席の隣にいる人物こそが真の敵なような気がしてならなかったが、大将軍の「始め!」という声に押されて彼らは向き直った。


◆役者は揃っても◆

≪おぉっとルイス選手の蹴りが炸裂―っ!いい角度で入った!いい角度です、ベイ選手立てるかー!?≫
『ちなみに、左大臣様が抱いている猫は、ベイ選手が拾ってきた猫で』
≪ベイ選手持ち直したァー!?凄まじい執念です!土気色を通り越してチョコ色になっている顔色、だが立ったー!≫
 チップの代わりにチョコが飛び交うレスリング会場、その周囲では背が小さくてリングが見えないノリン提督と玄兎がそれぞれに首を伸ばしてリングを見ようとしていた。
「見えねェー!ちょっとおっちゃーんみえねぇーんですけど!くっそぉ今こそ唸れオレのソードマイソウル!逆転サヨナラホームラーン!」
 ぶるんぶるんと玄兎が振り回すバットに触れた男たちが芸術的な悲鳴を上げて弾き飛ばされると、ぽっかりと空間ができた。
「アルー!」「開いたアルー!」「突っ込めアルー!」「どかねぇとノリノリにするアルヨー!」
 すかさずそこになだれ込む提督、押し流されてまた観衆の外に押し出されそうになる玄兎。ちなみに他の提督は兵士たちの頭に乗っかったり、実況のテントの上に登って飛び跳ねたりお茶会を開いていたり、左大臣の隣でチョコを貰おうと列を作っていたり、BGMに合わせてエアギターやエアドラムやらをやっている提督、アルコールを落としたチョコレートで年配の兵士と一杯やっているのまでいる。
 まさに、フリーダム。
「どわぁあああオレちゃんの場所ぉー!?」
 そんな提督の怒涛の波にリングのロープを掴んでなんとか耐えた玄兎だったが、「アルよー!」の集団にいまにも引き剥がされそうである。バットを振り回すとパンッ、パシュッ、と風船が割れるような音を立てて提督も消えていくのだが、その隙間に入り込む前にどんどん次がなだれ込む。
 しかも小さいだけならともかくその場で人間ピラミッドとか始めるのでどうにもしようがない。その人間ピラミッドを見てうっかりよじ登って頂上を極めたくなった玄兎だったが、その視界の隅に溶けたチョコレートがたっぷりとはいったバケツを見つけてその目がキランと輝いた。

 その場に到着した霧生、薄野、ベオ、ナナキは眼前の光景のあまりの混沌ぶりに唖然とした。まず中央には存在しなかったはずのリングが出現し、4つのポールが聳え立ってその上では扇子を持ったノリン提督がくるくる回りながら観衆を煽り立てている。
「ワーン!ツー!スリー!」と提督が拍子をつけると、『ノリだぁぁぁぁぁぁぁッ!!』と兵士たちが続ける。リング上にはチョコを零しながらビール瓶が飛んでゆき、チョココーティングされた生タマゴ、思いっきりシェイクされたビール缶がぶん投げられ、兵士たちが口々にやれァー!そこっそこっああああっああ行けかっ飛ばせぇー!俺のォォォォォ全財産ンンンン!!決まったァーコブラツイストォー!立て!立つんだジョォォォォォー!夕日に誓ったあの日を思い出せー!俺やったよ兄貴ィー!避けろハッサンそこだっ殴り飛ばせぇー!あっあああああうわぁああああああ!!!やったァー!いてぇ押すな馬鹿!んだとコラァ!ハッサンが負ける前にてめぇを沈めてやらぁ!上等だ!キャァァァァベティさン助けっクヒハハハハァ待ってよぉーオレちゃんのチョコをくらえーい!あづっあぢぃいいいいいい目がっ目がァァァア!リアルム○カぁー!誰かカメラ!カメラ持ってこぉーい!はい皆さん一緒に!ワン!ツー!スリー!ノリどぅああああああと叫びまくっていて、まあなんと言うか、どうやって収拾をつければいいのだろうか。
 更に、簡易テントの上では左大臣が提督を10人以上も従えて豆撒きのごとくムギチョコをばら撒いている。むさ苦しい雄叫びに遮られてよく聞こえないが、オニハーソトー、とか聞こえるのは幻聴だろうか。
 その周囲ではそこで騒ぎまくっている連中の3分の1を占めると思われる数の提督が宴会を開いており、レスリングの賭け事で負けたのだろう自棄になった兵士たちと一緒にチョコの大食いをやっている。こちらも盛り上がっているようで、イッキコールが方々で上がっている。
 そしてその宴会を荒らしまわる、バケツを持ったピンク髪の少年。バケツから柄杓で掬い取った茶色の液体――溶けたチョコを手当たり次第人の顔にぶちまけている。見れば、あっちこっちに死屍累々と倒れている兵士の顔は皆チョコを引被っている。提督も数匹、間違えた数人被害を受けて倒れ付している。顔面にアツアツの溶けたチョコを被った兵士は当然の如く地面を転がって悶えているが、
 きひひっ、これでみんなオレちゃんのシモベなんだぜぇー!と高笑いする少年からダッシュで逃げ出した兵士は、片手に熱々のチョコ入りバケツ、片手にリュックから引き出した凶悪っぽく釘の乱立する釘バットを握って、オレ実は人間じゃなかったんだぁー的な笑い声をあげて追いかけてくるホラーな少年にマジ泣きだった。滅茶苦茶怖い。
「えー、その、どうすればいいのかな、これ」
 薄野が戸惑いがちに声を上げると、
「ますますどうにもしようがない状況ってヤツじゃないのか?」
 霧生が腕を組んで完全傍観体勢に入る。
「左大臣がいるって事は、叔父貴……国王か、先王に許可貰ってやってんだろーなぁ……」
 ナナキが今までで一番遠い目をして、
「とりあえずジジィをぶん殴る」
 ベオはとりあえずの現実逃避に恐ろしいほどの真顔で左大臣をシメると宣言した。騒ぎが起きるたびに一番被害を被るのは、直接的に兵士を統括するのがベオだからだ。今回の騒ぎの後始末を考えると、例えベオといえども現実逃避くらいさせろというところだ。
 ベオが左大臣に向かって歩みを進めようとしていた時、城の向こうから新たな兵士たちの群れが押し寄せてきた。しかも何故かその中にはゾウが混ざっていて、さらに霧生はごしゅじ……−ん!という聞きなれた声がした気がしてぴくりと眉を上げてそちらを見た。
 そこには、再会の感激に目を潤ませ、尻尾を靡かせ全速力で走ってくる玉綾の姿が――
「待ちなさいこの不埒者っ!」
「をーほほほほほっそう簡単に捕まる俺じゃなくってよっ!!」
 さらにその右前方からは、チョコレート色のルイスをバイクで追いかける王妃の姿が――
 両者とも、このままだとお互いが激突することに気がついていない。
 玉綾の頭はご主人オンリー、ルイスの頭は王妃をからかいつつ面白おかしく逃亡することのみ、王妃の頭は変態を撲滅する使命感に燃えている。
 霧生はあたりを見回して、地面に転がっているマシンガンを手に取った。地面へ向けて数発分引き金を引いてから、弾丸がムギチョコであることを確認する。
「ごしゅじぃぃぃ―――――ん!」
 目をうるうるさせてご主人めがけてまっしぐらだった玉綾は、みるみる近づいてくる霧生が何かを構えているのを見てちょっと首を傾げた。傾げたが、ご主人再会の喜びと比べると別にどうでもよかったのでスルーした。が突然そこから発射されたこげ茶色の粒が鼻を叩いて玉綾は「んギャッ!?」と悲鳴を上げた。
 人型をとっているとしても一応元猫なので、弱点だった鼻に強烈な刺激があると反射的にたじたじとなってしまう。思わず一瞬足を止めた玉綾の目の前、数センチの距離でチョコレート色の何かとバイクの唸りが猛スピードで通過していき、玉綾は驚いた声を上げて体を引いた。慌ててバランスをとろうとすると、いつの間にか隣に霧生が立っていて思いっきり足を払われた。
「ごっ、ごしゅじっ!?」
 仰向けに地面に転びながら見上げた先では回転する釘バットが通過していった。おっとオレ様ちゃん目測間違っちゃったぜィ!とか遠くで聞こえるが、お願いだから間違わないで欲しい。
 ぶわっと冷や汗をかいてご主人を見上げる。ぶつけた後頭部が痛い。あと鼻も。
「油断しすぎだな、ネコオ」
「っだ、だから名前で呼んでくださいっすよー!」
「まだまだネコオで充分じゃないか」
「うぐっ」
 その姿を見て思わずナナキは尻尾を巻いたゴールデンレトリバーを想像した。いや、猫なのだが。
「猫っつーより、犬じゃね」
 ぼそっと呟いたベオの肩に、ナナキはそっと手を置く。
「犬と猫の間には深くて暗い種族の差というものがだな。あったりするから、まあ、心中にしまっといてやれよ……」
 薄野は懸命にも無言を保った。


 風の魔法を使ってダッシュしているルイスの足は速かった。逃げ足はなんとやらとか言うが、逃げ足だとしてもバイクに勝つほどのものであれば充分に誇って良いだろう。
「くっ、なんて速さ……!待ちなさいそこの変態全裸男!今度こそ地獄に送ってあげるわ!」
「待てと言われて待つ犯罪者がいたらお目にかかりたいもんだぜェイェーイ!」
 ルイス、何気に犯罪者だと認めている。
 だがここで王妃に捕まるわけにはいかない。どう考えても明日には死刑が待っているルイスは、今日を精一杯生きます!と熱いパトスに誓っているのだ。
 追いかけっこが始まったのは、ほんの10分ほど前。
『ルイス選手のドロップキックがハント選手の顔面にクリーンヒットぉー!場外に吹っ飛ばされて行きます、凄い威力だー!』
カンカンカーンッ
「勝者ルイス!」
 アイザックが持たされた旗を振り上げて判決を下す。ルイスはにっと笑って観衆の声に応えるように拳を上げる。その腕からチョコの欠片が剥落し、ルイスはそろそろコーティングしなおさないとマズイかなとリングの隅に置いておいた、チョコの入ったバケツを探し――ない。リングの外に落ちた様子もない。
 忽然と消えている。
「何っ!?俺が命をかけて買い込んだチョコがぁー!?」
 その悲痛な叫びに、玄兎のフードのウサ耳がふよんと揺れたが、本人は夢中で走り回っていて気付かなかった。
 ルイスの慟哭など知らぬ気に、次の挑戦者がボディビルダーのようにポーズをつけながらリングに上がってくる。既に3人が場外に弾き飛ばされていたが、挑戦者は臆する様子もない。
「くそぅ、どこのどいつだ本気☆狩る仮面の呪いを受けるがいいさ……!」
 一応正義の味方と銘打っているはずのヒーローの呪い。どんな呪いなのだろうか。というか正義の味方が呪いとかしていいのだろうか。
 暗い笑いを閃かせるルイスに挑戦者は気持ち引いたが、アイザックの声と共に気を取り直し、雄叫びを上げてタックルを仕掛けた。
「だぁあああああらっしゃぁぁあぁあああああ!!」
 気合の入った声と共に筋肉質の体がルイスの懐に衝突する。それを素早く避け、リングの床を蹴ったルイスはロープに体重をかけ、反動で勢いをつけて男の頭に頭突きをかます。
≪ルイス選手の強烈な頭突き!これは痛いです!≫
【じゃがのぅ、相手も石頭なハズじゃがの】
 火花が散るような衝撃、ルイスは少々よろめいて「く〜っ」と額を押さえた。相手が思った以上に石頭だったらしい。だが、相手もふらついて頭を押さえている。
「チャンス!」
 ルイスはじんじん痛む頭に構わず男に組み付いてヘッドロックを仕掛けた。
「うごっ!?」
 男もじたばた暴れるが、完璧に極めた体勢から逃れるのは至難の業である。
 男をオトしたルイスが周囲の歓声に投げキッスで応えた時、ルイスのちょっと人外な目は城から走ってくる王妃の姿を捉えた。しきりに後ろを気にしながらバイクを押している。
 王妃はこの時、チョコを差し出すメイドたちから城の中をバイクで疾走して逃れるという荒業をこなして出てきたところであった。
 ――これは。
 からかうしかない。
 そんな邪悪なる意志、本人曰くお茶目な悪戯心の囁きに釣られて、ルイスがロープをくぐる。主催者の突然の退場に、兵士たちの間に動揺が走る。それを見てルイスはいったんリングに戻り、
「ではゲストはオサラバする!諸君はここで血沸き肉踊る筋肉なショーを、俺に代わって繰り広げてくれたまえ!あ、ついでに俺の雄姿を写した写真も買ってってくれよな!」
 ビシィ!と指差した先ではノリン提督が写真を売り歩き、売り上げを数えては悪代官ごっこをして遊んでいた。
「ではアディオス!とぅっ!」
 キラーンと白い歯を眩しいくらいに輝かせて、ルイスがリングから飛び降り――その足首ががっちりと掴まれた。そのまま半回転してリングに鼻をぶつけそうになり、ルイスは慌てて体を逸らせる。
「うぉいッ!?何すんでスかい大将軍サン!?俺のハンサムな顔が、というか鼻が潰れたらどうしてくれるのさ!?」
 足首を掴まれた故にさかさまにぶら下げられながら、ルイスがアイザックに抗議すると、アイザックが真面目な顔をして足首を掴んだままの手を持ち上げる。
「どこかに行かれては困るのだが」
 なんというか、しつこいようだが、ルイスはほぼ全裸であるからして、逆さ吊りとなるとその、女子がいなくて好都合であったと胸を撫で下ろすような、まあアレだ。
「へ?なんでさ?」
 ルイスがちらちらと王妃を横目で見ながら聞き返すと、大将軍閣下は、この上ない生真面目な顔で、というか生真面目すぎて本気なのかどうか判別がつかない口調で、こうのたまった。
「実は、レスリングのルールを知らない」
「あんた今まで知らないで審判してたのかよ!?」
 流石はルイス、ツッコミの瞬発力に周囲の兵士が感嘆の目を向ける。お前らも突っ込めよという言葉は通用しない、兵士たちは大半がボケとか天然であるからだ。
「まあ、なんとなくな」
 なんとなくで済ませてしまう大将軍様をマジマジと見るが本気なのかどうかイマイチわからない。
「なんとなくでできるってのも何かアレおかしくね!?まっ、でもルールとか正直めんどいからノリで全て解決してねっつ(はぁと)」
 あっさり矛先を変えて足を取り戻すと、ルイスは王妃の後ろに回りこむべく兵士たちの間を抜き足差し足で歩き始めた。兵士たちの叫び声が凄まじいので足音を殺す必要がないだけでなく、格好からして目立つので全く潜めていないのだが、そこは雰囲気というヤツだ。
 どこからどう見ても不審人物なルイスを、兵士たちは何か熱いものがこもった目で見送る。不審な眼差しをむける人間が皆無なのはどうしたことだろう。ここには常識がおかしな方向に捻じ曲がった人間しか存在しないのか。
 王妃はまだ気付かない。
 王妃が来ると自然に道を開けていた兵士たちが、ルイスの姿を見て王妃に視線を戻し、そそくさと去っていく。王妃の変態に関する厳しさを身をもって知っている者ゆえの素早い避難だ。
 抜き足差し足している内に、王妃の視線がいつの間にかルイスを凝視していることに気付く。ルイスは朗らかで好青年風な笑みを向け、爽やか大爆発な動作で気安く片手を上げた。他がチョコレート一色なために、白い歯が異様に眩しい。
「やあおぜうさん!さぁ、このボクを――食・べ・て(はぁと乱舞)?」
 ――ルイスの目論見どおり、王妃は爆発した。
「ここで遭ったが百年目ぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 王妃は、前回の邂逅をしっかりばっちり覚えていた。
「なんでそんなに逃げ足は速いのよ!止まりなさいっ、轢き殺してやるわ!」
「今やたらどきっぱり殺すとか言わなかったっ!?」
「言ったわ!変態は文字通り冥土に送り込んでやるのが皆が幸せになる方法よ!」
「うっわこの王妃様ものっそい勢いで肯定したし!?ヒドイワ!こんなお☆茶☆目な子供っぽい悪戯心が死に直結するなんて、ルイス悲しい!世間はもっと心の余裕を持つべきだよね!求ム!潤いのある社会〜寛大な心をもちませう〜的な!」
「あんたを放置するような社会なんてろくなもんじゃないわよ!大人しくお縄につきなさいこの顔面露出狂!」
「ちょ、ええええええええ!?顔面って出すの普通じゃないの!?」
 逃げ惑う兵士たちの間を高速で走り回るチョコレート男&王妃inバイク。
「あー、アレが……ってアレがルイスなのかよ!?前に会ったなそういえば」
「あいつ、前も同じ格好してたよな。いつもあんな格好なのか?」
「さぁ?……いや、まさかな?」
「なぁ、薄野は知ってる?」
 ルイスのおかげで常識が崩れつつある将軍二人に問いかけられて、薄野は笑顔で否定した。
「いや、流石にあんな格好で道を歩いていたら今でも警察と仲良しになってると思うよ。まあ、ジャーナルを読むに、日頃から結構ギリギリな行動が多いらしいけど」
「人聞きが悪いぜ!俺は童心に帰ってるだけさぁー!」
 どうやって聞きつけたのか、走りながらルイスがやたらイイ笑顔を向けてくる。無性にその顔に石を投げたくなって、ツッコミの面々の視線が地面をさ迷う。ナナキが石石、と呟きながら、手ごろなものが見つからなかったのか、ちょっと残念そうに顔を上げる。
「ていうか、一応子供……?に分類するかわかんねーけど、その前でアレは教育上悪いんじゃねーか」
「言っておくけど、俺は子供時代はとっくに過ぎたよ」
 冷静に告げた霧生を抜く、一応子供に分類するような気がする人々。
 ノリン提督(外見年齢8歳)
 ただいま大増殖中、リングにも上がって「アルぅー!」と叫びまくっている、アルアル星人。正体は妖精。
 玄兎(外見年齢16歳)
 釘バット片手、バケツ片手に奇声を上げながら兵士たちを追い掛け回すある意味恐怖の少年。正体は精神体。
「率先して騒いでる人たちなんだけど」
 薄野が麗しい顔を傾ける。
 確かに「一応子供」の面々を見ていると、教育上……?と言いたくなる気はわかる。

 ツッコミきれないと判断したらしいベオは左大臣のところへ向かうべく、兵士たちの様子を窺う。兵士たちの的になっていると自覚のある身としてはそのまま突っ込んでいっていいものか少々迷う。その隣をさっさと歩いてゆく始末屋主従。
 さっさと終わらせて帰るというスタンスを貫く霧生は、ある意味とても男らしい。


◆Pm2:50〜暴れるゾウと愛を叫ぶ男◆

 ルークレイル・ブラックはずっと暴れていた。
 ずっと、というのは文字通りずっとである。別にバイト失敗しそうだから自棄になっていたワケではない。責任者を探してバイト先の上司に説明させれば給料0という事態は避けられるのではないかという希望の元、ナナキとベオを探していたのだ。それなら左大臣を連行すればよかったじゃないかと思われるかもしれないが、笑顔で給料は払えんとかのたまった爺さんを誰が説明に連れて行こうと思うだろうか。自殺行為だ。
 とにかく必死すぎて頭が混乱しまくっていたルークは、左大臣の元にたどり着くまでの熾烈なチョコ色の戦いから「愛を叫んで口にチョコをねじ込めば言うことを聞く」という兵士たちの間違った認識をすりこまれ、それを実行に移して両将軍を探していた。
つまり、
「お前が好きだ!責任者を出せ!どこだー!!」
 と叫びながら手当たり次第兵士にチョコを食べさせていた。チョコを食べさせられた兵士は「フッ……負けたぜ、何でも命じてくれ兄貴!」と協力的な者もいたが、
「逆チョコという下克上を知っているかァー!」
 とか言って、チョコを食べられてしまった者が言うことを聞く、というような新ルールを作り出してしまう兵士も居た。ついでに、
「俺も好きだ!今度、でででででデート……ッ」
 時にはホンモノの告白をしている連中もいて、そこらの兵士にはない知的な雰囲気にその気になってしまう男たちもいたりして。
「デートより責任者に合わせろ!好きだァー!責任者の将軍を出せ!愛してるから!」
 本人、支離滅裂なことを言っているのに気付いていない。そしてその気になった兵士に熱い視線を向けられていることも気付いていない。
「ヒャーッハァーァァアアアアアアアア!みぃーんなオレちゃんの下僕ぅー!オレちゃん帝国じゃーん!」
 突然聞いたことのある奇声が耳に飛び込み、ルークは目の前の兵士の口に奪ったチョコをねじ込みながら視線をめぐらせた。ふっと顔に影が落ち、咄嗟に飛び退くと近くに居た兵士に焦げ茶色の液体がどっぷりとかかった。
「あっづァァァァァァアアアアアア!!」
 絶叫する兵士を尻目に顔を上げたルークが見たのは、飛翔するウサ耳フードの少年。チョコをぶっかければ渡したことになる!と結論付けてアッツアツのチョコレートを男たちの顔面にかけて回っている玄兎であった。
「ウサギ耳!お前もここに!?」
 それに何よりも早く反応したのは呼びかけられた玄兎ではなく、周囲にいた兵士たちだった。
「ウサ耳!?」
「何っ!?バニーだと!?」「可愛いバニーガールだと!?」「網タイツが!?」「ボインちゃんが!?どこだ!」「ナイスバディがいるだと!?」「色っぺーネーちゃーん!」「どこだ!」「チョコ持った美女がいるらしいぞ!」「なんだと!?ぜひ俺にチョコを!下僕になります!」「女王様―!」「クィーン!俺たちのクィーンはどこだ!?」
 物凄い勢いで存在せぬ美女を探す輪が広がってゆく。何となくそれを見守ってしまった二人は、
「凄まじく伝言ゲーム化してるな……!?しかも途中で明らかに願望が混じってるぞこれ」
「食いつき良過ぎじゃーん。さてはモテない君!」
「馬鹿っそれは禁句だ!」
 玄兎まで突っ込みに回るという呆れた事態になっていた。
「そうだウサギ耳、責任者知らないか、将軍らしいんだが」
「しょおぐん?オレちゃんしーらねっ、それよりルッちんもオレちゃんの家来!」
「ルっちんて俺か!?」
 玄兎がぶぅんと柄杓を振り上げ、ルークは熱いチョコを被ってはたまらぬと回避の体勢をとる。
「待てぇーい!ルっちんはオレちゃん帝国のだいとーりょーにしてくれる!一緒に世界征服しようぜー!」
「帝国に大統領はない!ついでにいうと銀幕市から出られないのにどうやって世界征服するんだ、興味もないが!」
 柄杓の中からチョコレートが宙に飛び、ルークはそれを近くにいた兵士を盾にしてやり過ごす。盾にされた兵士はリアルム○カと化した。
「オレちゃん難しいことわっかんねぇー!だから代わりに考えてくれよルっちーーん!」
「まずその珍妙な呼び名をやめろ!ルークだ、ルーク!」
 お茶会をしている提督たちの只中を走り抜けると、「のぁー!?」「アルぅー!」「お菓子、お菓子を死守するアルよー!」「ミギャぁー!」「はっ、今あのネコがいたアルか!?」と大騒ぎになる。提督の叫びは伝染し、ついでにルークの後ろをゾウのメアリが追いかけてきていることもあって、騒ぎは拡大した。なんせ、ゾウに一目惚れした兵士たちまでその後ろからついてくるのだ。ちょっとした大名行列、ただし暴走気味といったところだろうか。
 向ける先がはっきりしていた兵士たちの溢れまくった情熱が迷走を始めたら、この場にいる誰も制御はできない。唯一押さえられそうなのが恐怖の代名詞のあの人だが、彼はどちらかというともっと大騒ぎにして楽しみたいと思うタイプだ。
「オレちゃん戦隊のブラックの位置はルッちんで決定済みなんだぜ!覚悟はいいかぁー!」
「オレちゃん戦隊というのがそもそもわからん!……ッ!!見つけたぞ将軍―――!!」
 今しも左大臣のいるテントの屋根へよじ登ろうとしていたベオ、ナナキ両将軍は積年の恨みがあるかのような血走った目つきで自分たちを呼んだルークを見て、互いに押し付けあう視線を交わした。
(お前の客だろ)(知らねぇよ)(お前なんとかしろ)(無理)
 なんかそんな感じのアイコンタクトを交わしていた二人だったが、ルークの後ろから地響きを立てて現れたゾウ、更にその後ろからゾウを追いかけてくる兵士たちを見て顔色を変えた。ルークがドデカい声で将軍と叫んだものだから、レスリングに熱中していた兵士たちの何割かが自分たちに標的を変え始めていることにも気付き、ベオとナナキはじりじりと後退を始めた。薄野がそんな二人とルークを怪訝そうに見比べている。不穏な空気を感じてはいるのだろう、なんたって地響き立ててゾウが走ってきているのだ。
 数歩後ずさって後ろから兵士が迫るのに気付いた将軍たちは、ばっと身を翻して走り出した。それを「待ぁぁぁぁぁてぇぇぇぇ!」と絶叫して追うルーク、ルークを追うゾウ、ゾウを追う兵士。将軍発見の報を聞きそれに加わる兵士、踏まれて更に屍化が進む半泣きのレスリング敗者、貞操の危機に怯えながらそれでもこれはマズイと部下を呼び出し負傷者を城の中へ運び込む真面目なシーク。負傷者に気合を吹き込み復活させ将軍追撃隊を着々と増やすノリン提督、全く休息を取っていないのにどこまでも走り続ける大分チョコの剥がれてきたルイス、それをこめかみに青筋立てて追う王妃。
「これ、左大臣に発言撤回させるだけで収まるんすかね……」
 玉綾がわぁースゲーと遠い目をして呟く。
「まあ、とりあえずやってみる価値は――……」
 主人の声が途切れたのに気付いて、玉綾は視点を現実に戻して霧生の顔を見た。霧生の視線はテントの上に注がれていて、その視線を追うと――左大臣、消失。
「はっ!?」
 慌ててテントの周りを見回すと、左大臣はいた。
 ――玄兎の、肩の上に。

 ルークが両将軍を見つけてブースターがはいったのと時を同じくして、玄兎は左大臣に視線を奪われていた。
 ムギチョコや板チョコ、塊のチョコをばら撒いている左大臣。
 ……めっちゃチョコ渡し捲ってるじゃん……!?
 誰よりもチョコを渡して渡して渡し捲っているじーちゃん=最強じゃん?
 あのじーちゃん仲間にすればオレちゃん最強じゃん?
「ターゲットロックオ――――ン!」
 玄兎はウサギも真っ青な跳躍力でもってその場から一息に飛び上がり、テントの上に落下した。テントの近くに積んであるチョコをずぼずぼとリュックに詰め込み、左大臣を肩に担ぎ上げる。
 何故か肩車で。
「うっひょぉー!もっとチョコ配ったらもっと最強なるじゃーん!!」
 細身な玄兎の肩は乗り心地は決して良くない筈だが、元々ノリの良い左大臣、丁度いい姿勢を見つけ出すと「ファハハハァー!」とか高笑いを上げる。
 そのまま玄兎が兵士たちの中に全力突撃すると、その上でチョコをばら撒きながら物凄く満足そうに笑っている。
「……追うぞ、ネコオ」
「了解っす、ご主人!……ってぇ、名前で呼んで下さいってばー!」
 走り出してしまった二人を一瞬追いかけようと走りかけ、薄野は負傷者を城に収容する方を手伝うことにした。こっちの方がいくらか建設的である。倒れて白目を剥いている男の腕を肩に引っ掛けて、城に向かって歩き始める。
「あ、依頼を受けて来て下さった方ですね。ありがとうございます」
 シークがそんな薄野に気付いて声をかけてきた。
「いえ、あんまり役に立てなくて……」
 むしろ、騒ぎが大きくなった気がする。決して薄野のせいではないにしても。
「そんなことはありません。……騒ぎを収束させようと動いている人が数えるほどしかいないもので、たった一人でも協力してくださる方がおられると、非常に助かります。……精神的にも」
 苦労人っぽい隠密部隊隊長は深いため息をついた。まだ若いのにため息が板についている。薄野はシークが兵士を二人引きずって来るのを待ちながら、騒ぎを真面目に収集しようとしている人数を思い浮かべた。
「……片手で数えるくらい……かな」
 つくづく、ノリのままに生きる人間が多い国である。


「おほぅ、こりゃいい馬じゃのぅ。はいよーシルバー!」
「はいよーシルバァー!じゃねーよー、オレちゃん玄兎だぜぇーク・ロ・ト」
『古っ!』「ネタ古っ!」「あのネタ俺たちの親世代のネタだぞ!?」「いやしかしあのジーサンは親の親世代だ」「あのジーサンあれでナウでヤングなつもりなんだ」「ナウでヤングなのか?」
「そこォォォ!死語連発するんじゃねェェェ!」
 兵士たちから逃げながら、すれ違ったベオが突っ込んでいく。
「知ってるかいネコオ、『はいよーシルバー』は犬にポチ、猫にタマ、山田に花太郎と名づけるくらい自然で普通な現象なんだよ」
「へー、そうなんすか!面白い掛け声っすねー!」
「ちなみに、「ヲーホホホホホッ、追いついてごらんなさぁーいっ」ていうのもそれ並に自然な掛け声だぜ!さぁ君もレッツチャレンジ!」
「そうなんすか!?え、えと、ヲーホ」
「通りすがりの人にデタラメ吹き込んでんじゃないわよ走るモザイク男の分際で!」
「ちょ、モザイクの意味によってはヤバイ犯罪臭がするからその呼称はヤメテ!?」
「ええ!嘘なんすかご主人!?」
「本当だよ」
「あ、なぁーんだー、マジだったんすか」
「嘘だけどな」
「…………ッ!!」
 慄然とする玉綾としれっとしてあさっての方向を向く霧生。しっかり遊ばれている。
「イテッ!ちょっとオレっちの耳引っ張るのやめてちょー、ウサ耳は人類の宝なんだかんね」
「シルバーは馬じゃ!馬耳じゃ!シルバーは耳が弱くてのぅ、耳にアブが入ったら驚いて肥溜めに突っ込んで死んでしもうたんじゃ。可哀想にのぅ、亡骸は丁重に焼かれて皆の夕飯になった。美味かったのぅあれは」
「ちょ、左大臣っつったっけアンタ、突っ込みどころ満載っすよ!?」
「仕方なかろう、シルバーは隣国からの友好の証として贈られた馬で……」
「友好の証食ったんすか!?」
「証拠隠滅じゃ」
 左大臣は悪びれなくほっほっほと笑う。この爺さん、色んな意味で食わせ者だ。

 壮大な鬼ごっこと化したその混乱は際限なく振りまかれるチョコの甘い匂いに塗れて、終わりを知ることがない。
「いい加減っ、諦めろっつーんだよてめぇらぁあああ!」「誰がァ!」「パォォォォォウ!」「ベオ将軍下僕化の野望は、既に実現不可能なものではない!」「すぐそこに!勝利がァー!」「死者蘇生アルぅー!」「うわってめ余計なことしやがってぇぇぇ!」「バイトどうしてくれんだァ!」「ナナキさぁーん!」「俺の愛をー!」「待たんかァァァ!」「将軍―!待ってくれないと泣くぅぅぅぅ!」「泣いちまうぞ俺らぁぁぁ!」「泣け!存分に!」「ひでぇ!」「鬼将軍!」「やっぱ時代はナナキ将軍だぜ!」「ナーナーキーしょうぐーん!」「シークさーん、こっちの人は森の中でも?」「あ、はい、大丈夫です薄野さん」「キヒヒヒヒィー!チョコ撒きだぜぇー!」「ふぉっふぉっ」「あらぁーんそろそろバテてきたんじゃなくて王妃様っ!」「変態を撲滅するまでは私は諦めないわ!覚悟は良くて!」「いやん俺様覚悟なんて……っするかァー!」「ごしゅじーん!俺がおぶるから!」「いやむしろ、俺は見てるからお前だけで追うといいかもしれないな」「ごしゅじぃぃぃぃん!?」


 ――その騒ぎは、日が暮れるまで続けられた。



◆もうやめて!俺たちのHPはゼロよ!〜モテない男たちの哀しい叫び〜◆

 夜も更け、段々と兵士たちの中にも空腹を覚えたり睡魔の誘いを感じる者が出始めた頃。それでも兵士の大半はまだまだ元気で、口々に叫びながらゾウやら将軍やらを追いかけたりしていた、そんな時。
 先王陛下がお出ましになった。
「ぎゃああああああああああ!?」
「ななななっ先王陛下ぁぁぁ!?に、ににに逃げッ」
「ばば馬鹿そっちに行くなァァァ!殺される!フリィィィィズ!」
 先王陛下を見た者からその隣の者へ、さらにその隣の者へと恐怖は伝播し、兵士たちは一目散に逃げ始めた。それこそどんな声も届かなかった兵士たちだが、先王陛下の恐怖のみは恐ろしく刷り込まれているのだ。銀幕市には先王より余程強い、あるいは恐ろしい者がいるだろうが、生まれた時から刷り込まれたものはもうどうしようもないのである。
「ほ、今頃お出ましですかの。今回は随分遅かったですのぅ」
 左大臣が城の入り口付近でのんびりお茶を飲みながら呟く。ちなみに玄兎は左大臣を担いでいるのに飽きたのか、釘バットをチョココーティングして兵士を追いかけている。
 追いかける兵士がいなくなったのを機に、ベオとナナキはルークを説得する策に出ていた。玉綾と霧生は左大臣に発言の撤回を迫っていたが、割かしあっさり承諾され、今は早く放送しろとせっついているところだ。
 薄野はどんどん生産される負傷者を城に運び続けていたが、疲れたでしょうとシークに茶を出されて一息ついている。
 王妃は体力とバイクの燃料が尽きて城に引っ込み、ルイスはなんと先王陛下の隣にいた。更に、ノリン提督までいる。
 なんとも不吉な組み合わせだった。全員、暴走すると色んな意味で洒落にならない影響力がある。特に妖精。
 その妖精が、ぴょんぴょん跳ねながらこんなことを言い出したのだ。ご丁寧に、ルイスと声を揃えて。

『先王サマ公認!モテない絶叫コンテストォォォ――――!!』

「開き直ってモテない叫びを吐き出そうじゃないか!俺たちの悲しい叫びを月に聞かせてやろうぜー!」
 ルイスが拳を突き上げると、レスリングのリングが突如変形を始め、舞台のように高くせり上がる。先王陛下を見て反射的にはるか遠くまで逃げようとしていた兵士たちは「先王公認」の言葉に戻ってきて、リングの変形に感嘆の声を上げた。
「元気がない奴は提督が元気にしてやるアルー!皆ノリノリアルヨよー!」
 ノリン提督のノリノリになってしまうロケーションエリア。展開したロケエリは≪号令≫サンバではないはずなのに流れてくる音楽はサンバ、見よあれを!あそこでサンバなやたらエロっぽい衣装を着て踊っているのは、王妃とメイドたちだ!
 メイドたちの足並み揃っていること、腰をふりふり魅惑的な投げキッスも見事に揃っている。ただ、投げキッスの先が全員王妃という点に関しては突っ込まないでおきたい。
 城の中からぞくぞくと負傷者が起き出し、怪我なんてなんのその!これくらい掠り傷だぜ!と手に手をとって踊り始める。
 左大臣は玉綾と手をとって情熱的なタンゴを踊っている。タンゴかよ!ご老体!骨折れますよ!明日どうなっても知りませんよ!ご主人は城の中にいるようだ。
 兵士たちも手に手をとり踊っている。ちらほらとサンバのきわどい衣装を着ている兵士が見えるのは気のせいであろうか。いや気のせいではない。オイルを塗ってテカテカと光る筋肉がサーチライトのように絞られた月光に照らされて輝いている。
 それを見て筋肉ぅー!イェアァァァァァアアア!!と熱の篭もった声を上げて感涙に咽ぶ男たちもちらほら、いやちらほらどこではなく結構いたりして。焚かれるフラッシュが止まらなくなり、ボタンから手を離しても勝手にサンバのリズムに合わせて明滅する。すげえ!ダンスホールみたいじゃん!あっちこっちで激しいダンスが始まる。
「はーイ皆さーン!只今ヨリ叫べ!モテなイ男の苦しみヲ知レぃイケ面ドもォォォ!コンテストを開催致しまァーす!」
 近来稀に見る活発な動きでフールが舞台に踊り出る。その衣装は何故かサンバ!水着よりキワドイ衣装にウワッ見たくねー!だがそれもご愛嬌、こんだけ肌蹴ているのに何故か顔だけはしっかり隠れているフールはサンバのリズムに乗ってなんか司会役をすることになっちゃったらしい。マントの原型を残しているのか背中に背負った羽は緑、でも月光のスポットライトが反射して眩しいよママン!というか月光というより真昼の光のようだ!
「いっちばぁん!俺の叫びを聞けぇぇぇぇい!特にそこの将軍!」
「名指しかよ!」
 スパンコールのふんだんにあしらわれたジャケットを小刻みに揺らしながらびしぃとベオを指差した男が足でリズムを取って叫ぶ。
「顔がいいからって舐めんなよォォォ!」
「俺にも言わせてくれたまえ同志よ!」
「俺もさ!」
 どうやらベオ将軍に何か言いたいらしい連中が激しいステップで舞台に駆け上がる。金銀絢爛のジャケットがイケ面の目を射る!モテナイビーム!とか中二病な名前を叫んで男たちが眩しさに目を細めるベオを威嚇した。ていうかやっぱり名指しかよ!
「イケメンだからって!」「イケメンズだからって!」「この間の美人なネーちゃんがお前に靡く気持ちがわからねぇぇぇぇぇぇ!」
「イケメンだからって!」「イケメンズだからって!」「そんなに彼女いるなら一人くらい紹介しろやァァァァァァァ!」
「イケメンだからって!」「イケメンズだからって!」「あんな美女を!何故振ったァァァァァァ!」「それなら俺にくれよォォォ!」
「イケメンだからって!」「イケメンズだからって!」「ナンパして成功するのが将軍だけとか納得いかねェェェェェ!」「世の中は理不尽だァァァァ!」
 男たちの哀しい叫びはサンバのリズムに乗って流れていく。うぉおおおおおお!その通りだぁぁぁ!憎いぃぃぃ!と叫び声が上がり、サンバのリズムも微妙に慰めているような気がしなくもない。
「ツまリベオさンはモテない男の敵ダト言ウ訳デすネ!デは次の人ォー!」
 針の筵なんだけどオイ!?という突っ込みを軽くスルーして、サンバのリズムは突然哀愁漂う『神田川』に変わる。それと同時にフールの衣装も様変わり、何故か白黒になって着物姿。
 男たちも昭和のような着物姿で、マイクに向かって切々と自分たちの思いを訴える。
「モテない俺にも、モテた時はあったんだ……っ!」
「そうさ、20年ほど前にな……!」
「あの時は、誰もが優しかった――そう、誰もが近づいても嫌な顔ひとつしなかった……!」
「せめて!せめて男として見てくれよォー!」
「付き合ってくれなくていいから!男として扱ってくれ!」
「気のせいでもいいんだァー!青春リタ――ン!」
 男たちは皆泣いていた。会場からも啜り泣きの声が上がる。
「切ない……切ないぜ……!」
「お前らの気持ち、分かる……俺、分かるよ……!」
「ごっ、ごしゅじぃーん!なんか泣けてくるぅー!」
「オレちゃんレンアイキョーミないのに泣けてくるぅ」
「ウサギ耳にもいずれ分かる時が来るかもな……」
 着物の男たちが「お前らの心意気に感動したよ!」「現在もモテる奴らには、お前らもいつかモテなくなるんだって言ってやるんだぜ!」「そう、俺たちのようにな……!」とバリバリ捨て台詞を残して退場すると、また曲が変わった。
「次はァー、本コンテスト主催者の一人デェーす!名前は忘レましタ!」
「おぉいルイス・キリングですよ!あなたのルイス・キリングです!ルイス・キリングに清き一票を――って違うわっ!」
 一人ノリツッコミを決めたルイスは、再び完璧に体をチョコ・コーティングしてスポットライトの中に立っている。その艶めくボディ!甘い香り!思わず齧り付きたく――なるかァ!
「カモン提督!まずは皆の気を和らげてアゲル☆」
 何アルかー!と走ってきた提督を捕まえ、耳元でゴニョゴニョ。
「了解アル!せーの、」
『食・べ・てv』
 チョコレート色をした提督とルイスのはぁとまぁくが乱舞しそうな食べて宣言に、会場から一斉にチョコが降り注ぐ。野次が一切ないのが逆に突っ込みになっているという奇妙さ。
「はイはーイ物投げなイデくダさイネー!」
 フールが一応、みたいな感じで言うと、その投げやりな声に「ひどっ!?」「何かヒドイアル!」と二人が抗議する。それすらスルーされて凹みつつ、でもフールがスルーなんてノリノリじゃなくちゃしないことなんだぜ!ルイスはマイクを握った。
「俺、出てくからさ!俺、ちょっと今日は出てくから、兄さんはこ、恋人と仲良くね……そォ――んな気遣いを見せた俺を誰か慰めてぇー!」
 しょっぱなから涙を誘う出だしに、兵士たちが「よくやった!」「お前は何も悪くない!」「えらいぞ!」と声を張り上げる。
「いいから!気を使ってくれなくていいよ!いいから一人にさせてくれぇー!でも一人じゃ寂しいの!こんな時ぃーッ!お前らは何を思う!?」
「「「「「彼女欲っしいィィィィィィィァァァアアアアアア!!!!」」」」」
 全員の気持ちが一つになった瞬間だった。
 チャラチャラチャラチャラララ〜ン、陰気な音楽が流れ出した。
「ルイス!恨みと哀しみをこめて、歌います!『死ね!バレンタイン・デー!』カップルは死ねぇー!」
 おお、切実たるその歌詞!物悲しい、恨めしげなその旋律!
 バレンタインデー、異性にチョコを貰った瞬間の知り合いの、幸福そうな笑顔!
 それを見た瞬間に湧き上がる、得体の知れないこの殺意!
 壁に、あるいは机に齧りついてそれを見つめる己の惨めさよ。
 笑って受け取るならまだいい、さも面倒そうに受け取る人間を見たならばうっかり殺人計画なんぞを練っている自分を自覚する。
 くれよォォォ!そのチョコ、いらないならクレヨォォォォォ!そんな悲しい叫びが心中を木霊する!
 おおおおおおぉぉぉぉぉおおおおぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!
「分かる!分かりすぎるぅー!」
「チョコレートなんて……っチョコレートなんてよぉぉぉ!」
「チクショー!自慢しやがってぇぇぇ!」
「いや自慢しないやつこそが一番ムカつくんだよォォォ!」
「貰って“当然”みたいな顔しやがって――!」
 号泣する兵士たちが続出し、会場に咽び泣く声が充満する。
「アンコールだ!」
 誰かが叫ぶ。
「そうだ、アンコール!もう一度歌ってくれ!」
「もう一度歌ってくれ!俺たちの心情を映し出した、残酷なる真実の歌を!」
 男たちの熱いパッションが声となって波となって舞台の上のルイスを押し包む。ノリン提督のロケーションエリアはまだ、もう少しだけ時間が残っている。
「OK!ミュージックスタートアルよー!」

 ルイスが歌う後を兵士たちがコーラスし、好き勝手な叫びがところどころに入りこむ。
「そんなに嬉しいのかぁー!」『嬉しいのかぁぁぁ!!』
「チョコレートなんかぁー!」『なんかがぁぁぁぁ!!』
「そんなに自慢したいのかぁー!?」『自慢しやがってぇー!!』
「鼻血を出して死ねぇぇぇぇぇぇい!」『イケメンがぁぁー!!』
「嬉しそうに食いやがってぇー!」『どっちにしろ死ねぇぇぇぇ!!』
「たかがチョコレートをぉー!」『されどチョコレートぉぉぉ!』
「死ねぇぇぇぇい!」『カップル!』
「死ねぇぇぇぇい!」『イケメン!』「ベオ!」
『「蟻にたかられて死ねぇぇぇぇぇ!!」』

 その瞬間、会場は怒涛の勢いで沸いた。
 吹き鳴らされるトランペット、ドラムとシンバルのメロディに乗って誰もがステップを踏み囃し立てるような口笛がそれを煽る。いつのまにかサンバが復活し、舞台の上には色とりどりの羽を背負った際どいビキニのメイドたち、爪先立つようなハイヒールでリズミカルに床を打ち鳴らしむちむちの太ももを高く上げて一斉にウィンク。
 兵士たちも将軍も大臣も、皆が笑顔で手に手をとってダンスを踊る。
 ルイスは舞台の近くにいたルークと手に手をとって踊ったこともない筈の民謡風のダンスとランバダを組み合わせようとしてルークに笑顔で足を踏まれ、玉綾と霧生は盆踊りめいた踊りをやたらスピーディにテンポよく踊っている。薄野と玄兎は、薄野が振り回されつつ踊っているのだがなんだかわからない回転を続けていた。ノリン提督はいつのまにか分裂して手当たり次第相手を組んで踊り狂っている。
 月の下で、皆は最後まで踊り尽くした。



◆最後の、最後◆

 ノリン提督のロケーションエリア効果が切れた後も彼らは踊り続け、一人脱落し二人脱落し、全員が野宿という有様で寝こけている中、こそこそと動く影があった。
「何をしている」
 ぎくんちょ、と動きを止めた影――ルイスは、先王の視線が自分の背中の袋に向いているのを見て、音を立てないように袋を下ろした。
「いや、知り合いの所にだけでもさ、本当のバレンタインチョコを渡しておこうとね」
 バレンタインって行事はホントは親しい人にチョコを送る行事なんだからさー、と続けたルイスの後ろに、また動く影を見つけて先王は目を細めた。それに気付いて振り返ったルイスは、ナナキとベオの頭近くにチョコを置こうとしている薄野を認めてひょいと眉を上げる。
「何やってんのさ、薄野っち?」
 茶化して声をかけると、驚いたのかさっと振り向く薄野。その気配で目が覚めたのか、ベオとナナキも微かな声を上げて起き上がる。
「ああ……朝起きたら差出人不明なチョコがあったら、ベオさんとナナキさんが驚くかと思ったんだけど」
 実は悪戯好きな薄野、最後にダークホース的な仕掛けをする気だったようだ。侮れない。
「やめてくれよ……もうチョコはウンザリだって」
 ベオのぐったりしたような表情で満足したのか、チョコを引っ込める薄野を見やって、ルイスは自分で背負っていた袋を見下ろした。
「やっぱチョコはもう見たくないってなっちゃったかぁー。んじゃま、こっちにしようかね」
 ごそごそと袋を漁るルイスの後ろから、不機嫌な声が上がる。
「何ださっきから、眠れないぞ……痛っ、コラ兎耳、髪を離せ」
 眼鏡を懐から取り出したルークは、地面を見下ろしてがっちりと掴まれた髪を何とかもぎ離そうとしている。その髪をしっかと掴んで寝ているのは玄兎。精神体に寝相が悪いとかがあるのかは分からないが、少なくとも玄兎は寝る、らしい?
「騒がしいな」
「ごしゅじぃん……もうちょっと……あと5分……」
 玉綾と霧生まで起き出して来て、奇しくも主要なメンバーが揃うこととなった。ちなみにノリン提督は分裂したままあっちこっちで寝ているので、近くにも3人ほどいる。なのでメンバーが揃うというか、多少多い。
「最後にさ、いわゆる世間一般的なバレンタインチョコっていうのを渡そうとしてたんだけど、ねぇ?チョコレートは流石にもう見たくないっしょ、ってことでさ」
 ルイスが袋をごそごそ漁りながら小声で説明する。
 晴れた夜空が白んできていた。白い光が徐々に徐々に城を照らし、演習場を照らし、彼らを照らしてゆく。
「夜が明けちゃったっすね……」
「もう一眠りしたら、焼肉でも食べに行くか」
 霧生の誘いに、目覚めていた全員が賛成する。もうチョコは見たくない。
「んじゃ、これ、チョコの代わり」
 ルイスが、ようやく探し当てた箱を先王に差し出す。腕を組んで木にもたれかかっていた先王は、暫くそれを眺めた後、ゆっくりと腕を解いた。
「――ハッピーバレンタイン」
 ルイスが笑みを浮かべて告げた言葉に、口の端を持ち上げて先王は丁寧にラッピングされた箱を受け取る。面白そうに笑みが深くなり、口が開かれる。

「――礼を言おう」

「俺からも。サンキュ」
「ありがとな」
 年若い将軍たちが笑顔で続けて礼をいい、全員をぐるりと見回した後にベオがもう一度軽く頭を下げた。
「今日は心底、助かった。――ありがとう」

 勿論、彼らがそれぞれに笑みを返したことは言うまでもない―――






クリエイターコメントお待たせ……・・しまくりまし た……!(吐血)
ミミンドリです。本当に、お待たせしました!すみません!
今回は叫び少なめ?になりましたが、い、いい如何でしょうか……っ!叫びを期待していらした方には申し訳ない気持ちで一杯です。
ここまで大人数でやるのはやはり、大変でした。うん。大変でした。それ以外何も言えません。精一杯頑張りましたが、大人数な以上拾えないプレイングというものもありましたことをここにお詫びいたします。
ちょっとでも笑っていただければ、少しでも満足いただける部分がありましたら、嬉しいです。
プラノベはまだ何度か開けるつもりですが、シナリオでは恐らくこれが最後のお目見えかと思います。
このシナリオにお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました。楽しかったです。
また、縁がありましたらお会いしましょう。
公開日時2009-03-12(木) 22:30
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