★ 互想−タガイ、オモウ− ★
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
管理番号589-7694 オファー日2009-05-31(日) 02:44
オファーPC 香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
ゲストPC1 シグルス・グラムナート(cmda9569) ムービースター 男 20歳 司祭
<ノベル>

 空を見上げると、絶望が占めている。
 個人的な感傷でも比喩でも何でもなく、確かに絶望が形を取って空に君臨していた。それをどうすべきか、市民による選択が行われ決定が下されたのはつい先ほど。
 結果、神々が提示したどちらの剣も使わず、絶望に立ち向かう事が決まった。
(一番銀幕市らしい選択、なんでしょうね。ムービースターを受け入れ、もう何度となく絶望にも立ち向かってきたんだもの)
 提示された三つを巡って様々な意見が出たが、結果的にはとてもこの街らしい、いい選択がされたのだと思う。
 罪のない元からの住人に犠牲を出したくなくて、彼女はタナトスの剣を使いたいと望んだけれど。絶望と向き合い、受け入れる。その為に戦うという選択肢が選び取られたなら、逆らう気はない。タナトスの剣を選んだ時と同じく、戦えない人たちを守るべく覚悟を固めるだけでいい。
 ただ、戦うと決まった時、香玖耶は少なからず安堵の息をついていた。それが、選択を迫られた最初の時よりもずっと彼女を悩ませていた。
 香玖耶が選んだのは、タナトスの剣の使用。結果がその選択に沿うものであれば安堵するのは道理だが、どうして戦う決断が下されて安堵したのか。
 最初から、戦う事に異議はなかった。無辜の民が犠牲になるのが嫌で、だからこそ原因が全て消え去る手段を選んだだけだ。罪もない少女を一人眠らせて現状を維持するのも、香玖耶には選べない選択肢だった。自分たちがこの街にいる事が不自然だと分かっているなら、元に戻すのが一番理に適っている。故に香玖耶にとってはタナトスの剣が最良の選択だったし、今でもそれが間違っていたとは思わない。
 それなら、どうしてどちらの剣も使わないと決まってほっとしたのか。
 ほっとした。そう、戦うと決まってほっとしたのだ。戦うというよりも、まだ少し時間が延びた事に安堵していた。これでシグルスが即座に彼女の前から消える事はなくなったのだ、と。
(私はまた、同じ事を繰り返そうとしていたのね)
 タナトスの剣が使われたなら香玖耶も消えたが、彼女の前からシグルスも消えたのだと今更に思う。思うなり、つきり、と胸が痛くなって、自分の愚かしさに自嘲気味に笑う。
 遠すぎる昔、彼女は一度それを経験したはずだ。目の前で自分を庇って喪われたシグルスに、どれだけ大切にしていたのかを思い知った。それを、ここでもまた繰り返すとは。
【逃げてばっかり、逃げてばっかり。昔からそう。大事な人からも物からも逃げて、それで一人を嘆くなんて図々しいわ。何の為の永遠なの、永遠に逃げて回るの、ばっかみたい】
 愚かしい馬鹿らしいと、耳元をざらりとした声が打った。
 何の迷いもない時は、精霊は完全に彼女の支配下にある。けれど今のようにぐらぐらと自分を揺らがせていると、時折こうして干渉してくる。今回は彼女が最も用心していたはじまりの精霊ではなく、鏡の精霊であるツェルカだった。人の心の深層まで入り込み、望みを暴く。ツェルカにとっては宿主たる香玖耶の心の内など、とうに知っていたのだろう。
【また失くしてから嘆けばよかったのに、そうするのが好きなんでしょう、趣味なんでしょう? だってあなたは魔女だもの、永遠を今の形のまま生きる魔女。……ああ。あなたは愛されなくてはいけない、でも報われてはいけない。あなたは私、だから誰かに愛されて。でも失くして嘆けばいい、私はもう誰にも触れられない】
 大事な者を喪って嘆きを繰り返せばいいと囁かれる、それは彼女が密かに募らせていた想いの内でもある。
(シヴは同じ時間を歩んではくれない。どれだけ大事に思ってくれても、何れ置いていくわ。その時、私はどうすればいいの。シヴに応えて、想いを交わして。そうして一人残されるの?)
 残された時間の長さを思うと、ぞっとする。自分が選んだ道ながら、永遠という言葉の何と軽く重苦しいことか。
【それでも愛して欲しいのね、それでも罪を負わせたいのね。一人で持つには重過ぎるから、その荷を分けてしまいたいのね?】
 大事な大事な人にべったりと罪を擦り付けるのね、と、香玖耶の耳元にざらついた声が囁く。浅ましい、おぞましいと嘲る精霊に、反論など持ち合わせない。ツェルカが暴いたまま、香玖耶は確かにシグルスを望んでいる。
 一人残されるのも辛い。罪に塗れた自分を晒すのが怖い。怯えたように目を逸らされたら、蔑んだように見下されたら、逃げるように後退られたら、……今までの全部をなかったことにしてくれと吐き捨てられたら?
 想像するだけで身体が震える、二度と立ち上がれないと思うほどに恐怖する。
 堪らず見上げた空には、絶望が変わらず君臨している。何もかも無駄なのだと、その存在だけで思い知らせてくる絶対。
 どうしてあれと立ち向かうことができるのか、と目の前が暗くなる前に、ツェルカではない別の声がさやさやと耳を打つ。


    『だいじょうぶ』      『きっとだいじょうぶ』

    『まけないから』      『まけたくないから』

          『うけいれよう、きっと』

    『まだしねないよ』     『まだしなないよ』

    『だから、だいじょうぶ』  『うん、だいじょうぶ』


 大丈夫、と、繰り返す言葉は誰のものでもあって誰のものでもない。敢えて言うならば、戦うことを決意にした銀幕市の意思。絶望に向かう、希望の姿。
 ああ、ほら。あんなに大きく敵いそうにない絶望を前にしても、人は希望を忘れずにいられる。
 今。この時。この街の、でたらめで優しい魔法が香玖耶をここに呼んだ。香玖耶と同じく、もう会えないはずのシグルスを呼んだ。
 終わりの近いこの時間、どうして立ち竦むしかしないのか。もう少しと、銀幕市が香玖耶に与えてくれた時間があるなら、迷っていられる時間はもう過ぎたはず。
「何もかも、全部」
 話そう、一つ残らず彼女の罪を。晒そう、彼女の愚かで浅ましい、けれど譲りたくない唯一を。
 出会ってからずっと、香玖耶を真っ直ぐに見てくれたあの瞳が曇っても、それだけのことを彼女はしてきたのだ。それを隠したまま想いを告げるのは、違う。
 胸に下げたロザリオは、まだ新しい。彼女の罪を知るあの古くて残酷に優しい十字ではなく、触れるだけで温かくなるようなシグルスの想いだけを知るそれ。
 知らず、ぎゅっと握り締めた。神に祈るのは、やっぱりこんな時でも無理だけど。伝わってくる優しい想いにどうにか背を押されて、走り出した。

 ツェルカの嘲笑は、聞こえてこない。





 シグルスは実体化してから世話になっている茂霧カトリック教会で、選択の結果を知らされた。
 どちらの剣も使わない。それはヒュプノスの剣を選んだシグルスにとっても、受け入れ難い結果ではなかった。
 彼が個人的に最も許容し難かったのは、タナトスの剣が選ばれる事だ。それ以外であれば、どちらになろうと構わなかった。
(あいつが戦う事を選んでたら、俺も一緒に戦うくらいわけはなかったんだ)
 民間人に被害が出るかもしれないと聞いた時、カグヤはきっと剣を使わない道を選ばないだろうと思った。戦えない人間が無残に生命を散らすなんて、カグヤには耐えられないはずだ。
 かといって彼女がヒュプノスの剣を使わないだろうとも、何となく見当がついていた。そのくらいならばいっそ、歪みの原因たる全てが綺麗になくなる方法を選んだはずだ。この街が、どれだけ彼女にとって救いであったとしても、──だからこそ。
 だから、彼はヒュプノスの剣を選んだ。誰を犠牲にしようと、「今」が保たれる術を提示されたならそれを選ぶしかできない。彼にとってこの街は、カグヤの為にあるといっても過言ではないのだから。
(一先ずタナトスの剣でいきなり消えることはなくなったんだ、後は戦いに備えて何ができるか、だな)
 できる限りの事をして、カグヤとこの街を守ればいい。ヒュプノスの剣を使う事になっていれば幾らか後ろめたい物が残ったかもしれないが、どちらも使わないとなれば尚更、何の心置きもない。守りたい者を全力で守る。それだけだ。
(せっかくヒュプノスの加護を得られたなら、後方支援に回るか)
 戦いが始まる前に参加しない人たちを避難させて眠らせと、しなくてはいけない事は山積みだ。この街を構成するのは、そこに住む人たち。彼らが失われては、「この街を維持」した事にはならない。直接の攻撃部隊に回る面々は多いだろうし、彼らの救護も兼ねてそちらに回ったほうがよさそうだなと考えているところに、シヴ、と呼ばれた気がして振り返った。
「カグヤ」
 礼拝堂の入り口に立つ、長い銀の髪をしたカグヤ。あの村では決して見られなかった光景に思わず目を細め、そっと吐息を噛み殺す。
「どうかしたか? また依頼の手伝いでも、」
 させる気かと努めて語尾を上げるのに、カグヤは小さく頭を振ってそこに立ち尽くしている。本当にどうしたのかと足を向けかけると、そこにいてと少し硬い声で言いつけられた。思わず素直に足を止めてしまうと、カグヤは深呼吸するように大きく息を吸って礼拝堂に入ってきた。
 何かしら思い詰めたような表情をしているのを見つけて、攻撃部隊に入るとでも伝えに来たのだろうかと少し眉を顰めた。
 戦うと自身で決めたなら、シグルスには止める権利がない。無茶をしないでほしいとは思うが、それを聞くような相手でないことは承知の上だ。ますます救護隊に力を入れなくてはとひっそり心に誓っている間に手が届きそうな距離まで来てカグヤは足を止めた。
「少し、時間はある?」
「……ああ、別に急ぎの用事はないけど」
 何を言われるのかと少し身構えながら答えると、いつもなら嫌そうねと眉を顰めるくらいはするはずのカグヤはよかったと何度か頷くだけ。そうして目線を合わせないまま自分を落ち着かせるように大きく呼吸をして、不意に顔を覗き込んできた。
 何だと思って身を引きかけたが、悔しいからとそれだけで何とか堪える。真っ直ぐに自分を見てくる紫水晶は、どこか不安げな光をちらつかせている。
「カグヤ……?」
「私……、ずっと逃げてたわ、ごめん。ここでシヴに会えて、……一緒にいるのが楽しくて。それだけでいいと思ってた。このままでいたいって。そうしたほうがきっと私の為で、シヴの為だって言い聞かせてた。──そんなはず、ないのに」
 許されるはずがないのにと目を伏せて悔いるようなそれは、告解だろうか。まさか今度の戦いで死ぬ気なのではないかと思い、ふざけるなよと怒鳴りつける前にカグヤはもう一度シグルスをひたと見据えてきた。
 不安な光は、まだ消えない。それでもそれを上回る決意が見て取れて、口を挟んではいけないのだと分かった。
 言いたい事は後で全部纏めるとして一先ず口を噤むと、カグヤがほっとしたように少しだけ息を抜いたから間違ってはいないのだろう。それでも渋面を解けないまま見つめていると、目を伏せ、胸にある新しいロザリオに片手を当てて、聞いてくれる? と震えそうな声で問われた。
「……何を」
「私の、罪。私の背負う業。過去に犯した過ちの……何もかも」
 魔女の成り立ちをと、続けた言葉は何故か震えていない。だからこそ否定も諌めもできないで、少しだけ不愉快に思ったまま目を伏せているカグヤを眺める。
「──告解したいのかよ」
 俺も神父だからなと突き放すにしては頼りない声で告げると、カグヤはようやく目を開けて、僅かだけ口の端を持ち上げた。
「シヴに。私を。知ってほしいのよ」
 それじゃ駄目? と静かに聞き返され、言葉に詰まったのは一瞬。思わず笑いそうになる口許は、きっとこれから見せられる「罪」の前では相応しくないだろうから何とか隠した。
「罪なんて知らないけど。……おまえの過去なら、見てもいい」
 知りたいと素直に口にすると、カグヤはきゅっと口許を引き結んで頷いた。指先が、微かに震えているのが分かる。無理をしなくてもいいと言いかけたが、飲み込んだ。
 これはきっと、カグヤの儀式なのだ。何かをする為の、決める為の、必ず必要なそれ。それに立ち会うことはできても、止めるなどできるはずがない。
 そうして言いたい全てを堪えて見守る先で、カグヤは精霊を呼び出した。どうやら鏡の精霊のようで、二人をぐるりと取り囲むように数多の鏡が現れた。
「これ、は」
 何が起きたのかと問う前に、響き渡る哄笑が耳に痛くて思わず声の主を鏡の中に探していた。上手く探し出せずにいると、カグヤが、つ、とシグルスの背後を指し、つられたように振り返った。
 その鏡には、赤黒い炎が闇の中に踊る光景が映し出されていた。高らかに嘲笑っているのは、精霊だろうか。ひっきりなしの笑い声の合間に、小さく助けを乞う声が紛れる。
 それが今ここで起こっている現象ではないと分かっていながら思わず手を伸ばしかけ、そこで止まったのは我に返ったからではない。そこに、カグヤの姿を見つけたからだ。
 姿形は変わらない。当たり前だ、彼女は永遠を生きるエルーカだ。シグルスと会う前から、彼を喪って先もずっと。カグヤの姿は変わらない。
 その変わらないカグヤが、表情一つ変えずに炎が撒かれる様子を眺めている。そうして暴れ飽きた精霊が戻ると、彼女もまた飽きたようにそこから歩き去った。
(……、カグヤか?)
 本当にそうなのだろうかと食い入るように見つめていると、それも私と小さな声が届く。振り返るよりも早くまた別の場所から哄笑が響き始め、それを追うように視線を変えた先ではまた別の惨劇が繰り広げられている。
 惨劇と呼ぶより他に、表現のしようがない。それは精霊による圧倒的な殺戮で、虐殺だ。現実にあったことだと思いたくないほど、惨たらしい。
「ここに写るのは、私の記憶。鏡の精霊は、偽りをそこに紛らわせない。ただ忠実に、私の記憶を写してるの」
 どれも私がやった事なのと、淡々とした声が語る。鏡の風景から視線を戻せば、努めて感情を押し殺した顔でカグヤが鏡を──自らの取り出された記憶を見つめている。
 視線を追うようにその鏡に目をやれば、そこには血塗れで倒れている自分の姿があった。
「っ、」
 思わず息を呑み、背筋を冷たい物が走った。
 実体化してから、映画を見た。そこにも彼が死ぬこれと同じシーンはあったけれど、これほど衝撃的ではなかった。
 村人の悲鳴、カグヤの慟哭、それらを煽るような精霊の暗躍。愉悦に満ちた笑い声が広がり、それと共に死と絶望がばら撒かれている。彼の生まれ故郷は鏡の中で、闇色の精霊に蹂躙されていく。それは、跡形もない破壊。全ての生ある者を許さず、何一つ残さず滅せられた。
 映画では、大分和らいだ表現が一瞬だけだった。けれど彼が死んだ後、カグヤの中に残る記憶はこんなにも鮮明。
「私は、魔女なの。多分、シヴが思っていた以上にひどい事を沢山してきた。かみさまに弾劾される覚えはないけど……、人になら罰せられても然るべきだと思う。それだけの事を、してきたの」
 自嘲するでもなく、自失するでもなく、ただ事実だけを告げる声は揺らがない。
 鏡の中の惨劇は、繰り返し繰り返し過去を暴いて魔女の烙印を押す。確かにシグルスが思っていた以上の出来事が巻き起こっているけれど、それがどうだというのか。
 カグヤの姿は変わらない。どの鏡に映るのも、同じカグヤだ。外見だけで言えば、シグルスとさほど変わらない。そんな時期に、彼女はエルーカとなったのだろう。この鏡に映してまだ足りないほど多くの時間を過ごす前、まだ彼と同じ年頃だった最初の時に。
 もしシグルスが幼い頃にカグヤに会わず、二十数年しか生きない間に永遠と力を授けられて変わらずにいられるだろうか。手に入れた絶大な力に振り回されず、確固たる自分を保っていられるだろうか?
 今だって揺れる、惑う。力を望んで、半端にある力に振り回されて。その自分を知っているのに、どうして彼女だけを責められるだろう。
 それでもシグルスが言葉を探し出せずにいると、ゆらり、と、カグヤの後ろにある鏡の光景が揺らいで変わった。
 今まで映し出されていた光景よりももっとおぞましく、戦慄すべき数々の死体に塗れた中で。目の前で繰り広げられる殺戮を前に叫ぶことしかできないカグヤが、そこにはいた。外見は変わらないはずなのに何故か今よりずっと幼い印象を受け、その状況から察するにまだ彼女は精霊の力を得ていないのだろう。もし彼女に力があれば、こんな残酷な事態を叫ぶだけで堪えていられたはずがない。
(、エルーカになる前の記憶、か?)
 見ているだけで吐きそうになるそこは、一体どんな耐え難い匂いと思いが満ちていたのだろう。
 どうして彼女はこんな、残酷な記憶に彩られ。それでもそこに凛と立つことができているのか。
 シグルスの視線を辿ってカグヤもその鏡を見つけ、一瞬、悲鳴を上げそうに唇が震えた。それを何とか堪えているカグヤを心配そうに見つめる後ろで、闇、が。そこに現れた。
 それは、数々の鏡の中にも映っていた精霊。カグヤが破壊を見つめる先に、必ずいた。
 一瞬で全てに沈黙を与え、カグヤに向き直った闇はそのまま彼女をも殺してしまうのではないかと震えた。今目の前にいるカグヤを分かっていながら、それがただの記憶と知って尚、それは必ず起きる未来にも見えて。咄嗟に手を伸ばしかけた時、既に聞き慣れた哄笑が広がった。
 その精霊が、彼女がエルーカとして初めて受け入れた精霊なのだろう。鏡の中の記憶が見せる光景は、シグルスには分からない言葉で進んでいくから詳細は分からない。ただその精霊は、カグヤと契約を交わしたのだと分かる……寂れて血と死体に塗れた教会で。誓いの口接けを交わした、さながら結婚式のように。
 思わず、額がひくっと引き攣った。さっきまでの惨たらしい光景よりも、初めての契約にこそ反応している自分もどうかしていると思わないではないが、理由なら簡単だ。
(聖魔の別も、過去の罪だってどうでもいい。カグヤはカグヤだ。これを全部受け止めて、でも壊れないで。俺が知ってるカグヤなんだから、それでいい)
 彼女が罪だと言うのは分かる、背負うべき事実に変わりはない。さすがのシグルスでも今見せられた全てに、おまえは悪くないとは言えない。でも。
(それがおまえの罪なら、俺が一緒に背負ってやる)
 そのくらいの覚悟は、とうにしている。彼女を庇って死んだ頃の自分ではそこまでの覚悟をできたか分からないが、今の彼なら全部を受け止めると断言できる。
 罪を犯したというなら、彼も同じだ。一度はカグヤを見捨てて、死に逃げた。守る事しか考えないで、彼女の気持ちの一切を無視して実行してしまった。今度の選択もそうだ。たった一人、カグヤの為だけに見知らぬ少女を見捨てた。結果的にその選択は実行されなかったが、見捨てる事を厭わず選んだ時点で罪は罪だ。
「これが、私の過去。私の罪。……魔女は、いたでしょう?」
 未だに傷つける記憶を前にして震えを押し留めていたカグヤは、自分で自分を抱き締めるようにぎゅっと腕を支えながらシグルスと視線を合わせてきた。伸ばされない手は、カグヤの拒絶を伝えてくるようで痛い。その眼差しはまだ不安そうなまま、それでも揺るがない。
 彼を拒絶する為だけに、過去を暴いてみせたのだろうか。魔女じゃないと繰り返す言葉が、カグヤを強かに傷つけ続けていたから?
 耐え難く口を開きかけると、自分の腕を抱いていたカグヤの手が恐る恐る伸ばされてきた。もう片手をぎゅっと握って堪えながら、それでも震える指先はシグルスに伸ばされている。
「私は、魔女だと分かってる。知ってる。シヴに軽蔑されそうな事も、重ねてきた。だから、逃げてたの。知られるのが怖くて、知ったらシヴが逃げてしまうんじゃないかって。魔女じゃないなんて、二度と言ってくれなくなる……っ。怖かった。他の誰かに指差されるのは耐えられても、シヴにだけは知られたくなかった……!」
 今も怖いと、震え続ける指先で知れる。一度ぎゅっと拳を作り、それからまたそろそろと開く緊張して真っ白な指先が、どれだけ愛しいか。
「……、おまえ、俺のこと信用してなさすぎ」
 馬鹿じゃねぇのと右目を眇め、殊更ぶっきらぼうに言うとカグヤが思わずといった風に伏せていた顔を上げてきた。不安げなアメシストを見据え、ばーか、と繰り返す。
「永遠さえ分かつ、と決めたんだ。おまえが魔女だろうとただのエルーカだろうと、知った事か。過去を知ったくらいで逃げてやらねぇよ」
 もっと信用しろと憤慨しながら、手を伸ばす。カグヤが伸ばした手が、ほんのちょっと足りないところに。そのまま、ひらひらと揺らす。早くしろとそれだけで急かすと、どう反応していいかひどく躊躇っているカグヤがふらりと視線を揺らした。
「カグヤ」
 早くしろと、また手を揺らす。捕まえてはやらない。後ほんのちょっとの距離、踏み出さなくてはいないのはシグルスではなくカグヤのほうだ。
 じれったいほどの時間が、実際にどれくらいだったかは知らない。ただ躊躇って躊躇って、まだ躊躇った後にカグヤがそっとシグルスの手に自分の手を重ねてきた。その手を力強く握り締めた。
「怖かったな」
 もう大丈夫だと子供を宥めるように柔らかに告げると、カグヤが泣き出しそうに唇を噛んで俯いた。

 ぱんっ、と高い音を立てて、彼らを取り囲んでいた鏡の全てが弾け飛んだ。





 香玖耶の過去を映し出していた鏡が割れて砕け、きらきらと光を反射しながら消えていく。茂霧カトリック教会の礼拝堂は、その自慢のステンドグラスからちらちらと光を落とし、黙として二人を見下ろしている。
 ぎゅっと握られたままの手を確かめ、腕を辿るようにして向き合ったシグルスを見つめる。視線を走らせて場所を確かめているらしい彼がどこか複雑そうな顔をしているのを見つけて、言うべき肝心な事を伝えていないと思い当たった。
「シヴ」
 勢い込んで名前を呼ぶと、柔らかく強いエメラルドが変わらず真っ直ぐに見つめてくる。
 とくん、と、自分の心臓が跳ね上がったのが分かる。先日交換した新しいロザリオが、服の上からも分かるほど急き立てるように熱い。
「私はエルーカになって、罪を重ねた。無知故に引き起こした愚かは消えない、……あなたの村を滅ぼしたのも、私の罪。それから逃れる気はないし、エルーカになったことも──今は後悔してないわ」
 何度も挫けそうになった、途中で何度も膝を突きそうになった。けれど彼女は、守る為に力を欲した。今も守る為にその力を揮える。それを思い出し、実行できるなら。
 人の心に触れる旅を続け、罪を償う為に永遠を生きる宿業は重くても受け入れると決めた。それは本当ならば、一人で背負うべきとも知っている。
「ずっと、一人でいるのだと思ってた。誰も同じ時を歩んでくれない、そんな事も望んでないから。一人でいるのが、当たり前だと思ってた。っ、でも、」
 でも、と、その先を紡げない。素直になると決めたのに、まだ唇が震える。手を重ねたまま顔を伏せると、小さな溜め息が髪を揺らした。
「回りくどいんだよ、おまえは」
「なに、」
「お前の手はもう取った、離してやる気なんかねぇよ。持ちきれない罪なら俺にも分けろ、おまえを苦しめる業なら半分引き受けてやる。俺はさ、……おまえがその相手に俺を選んでくれたのが嬉しいんだよ」
 もう一人になんかさせねぇと、片手を重ねたままもう片手で頭を抱き寄せられた。ちゃり、と、互いの胸で時間だけを違えた同じロザリオが重なって音を立てた。
「精霊との契約はこの際、ノーカウントだ。だから、俺が最初な」
 言うなり僅かに右目を眇め、シグルスが顔を覗き込むようにして近づけてきた。
「俺は、おまえと同じ時間を生きられない。でもこの身体が滅んでも、おまえを想うこの心は永遠に捧げる。俺が死んでから罪を重ねる時も、恐れなくていい。俺はずっとおまえの傍らで、半分引き受け続けてやるから」
「シヴ……」
「俺はきっと、精霊にはならない。おまえを愛して、天寿を全うする。心残りなんて何一つ残さない。死も、永遠も。俺たちを別たない。俺はずっと、おまえに心を捧げてやる。おまえが、永遠に俺の心を持って生きろ」
 想いを分かち、心を分かつ。身体が朽ちても、添う心だけは永劫に朽ちない。それはきっと、永遠を共にするということ。香玖耶が望み、シグルスが望むまま。
「カグヤ。……愛してる。俺の伴侶として、永遠を生きてくれるか」
「っ、シヴ……! 愛、してる。愛してる。私を永遠の伴侶としてくれますか」
 この先、何が起きるかは分からない。絶望との戦いに際して果てるかもしれないし、それを乗り越えてもムービースターは何れ消え行くだろう。共に過ごせる時間は、きっと考えているよりずっと短く、儚い。
 ただ、互いに想いを交わせたならこれ以上の喜びは他にない。躊躇い、戸惑い、一度は完全に離れた手がこの街の奇蹟で、もう一度重ねる事ができた。ずっと閉じ込めていた想いを交わせたなら、それがどれだけ刹那の夢でも構わない。
 片手を重ねたまま視線を交わし、照れたように微笑んで静かに目を伏せて顔を寄せる。破壊と絶望を伴侶にした時とは違う、神聖な契約。誓い。この街の奇蹟と、感謝と、限りない喜びを込めて。幸せに満ちた口接けは、きっと神には認められない。
『俺の心も誓いも全て、ただ、カグヤに』
 彼が仕えるはずの神ではなく、罪の塗れた魔女である香玖耶にだけ届けられる祈り。
 今までも彼はずっと、こうして自分に祈ってくれていたのだとようやく知る。
『私の想いも永遠も全て、ただ、シヴに』
 ちゃり、と、主人に従うようにロザリオが重なって揺れる。ステンドグラスから差し込む光が、何故かひどく優しくちらちらときらきらと、いつもより柔らかに降る。
 かみさまなんかじゃなくて。かつての親友、光の精霊ルースが姿もなく喜んで、祝福を送ってくれているのだと分かる。

 互いの祈りの全てを受け入れるように、聞き入れるように。優しい光ははらはらと降り、ようやく想いを交わした二人を祝していた。

クリエイターコメント受諾に大層お時間を頂いてしまいましたが、相変わらず素敵なお二人様は書き出すと早く。今回も思いっきり詰め込んで、ひたすら楽しんで書かせて頂きました!

銀幕市で再会を果たし、選択を経て、ようやく互いに手を取り合う道を選ばれた大事なシーン。
書きながらはらはらおろおろしておりましたが、こんな重大な場面を任せてくださった光栄を噛み締めて全力で綴らせて頂きました。
一人で突っ走っておかしな方向に行ってないかは不安ですが、少しでもお心に添う形になっていれば幸いです。

最後に程近いこの時に、素敵なオファーをありがとうございました。
公開日時2009-06-09(火) 18:50
感想メールはこちらから