★ Existence ★
クリエイター八鹿(wrze7822)
管理番号830-8304 オファー日2009-06-12(金) 17:48
オファーPC 香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
ゲストPC1 シグルス・グラムナート(cmda9569) ムービースター 男 20歳 司祭
<ノベル>

「シヴ……?」
 香玖耶は寝惚け眼を擦りながら、のそのそとベッドの上から身体を起こした。
「うん? 悪い、起こしちまったか。まだ早いから寝ておけよ」
 声のした方をふらっと探すと出掛け支度の途中らしいシグルスが、開け放たれたっぱなしの寝室のドアの向こうに顔を覗かせる。
「うー……何時?」
「五時」
「……今日、結婚式だっけ……」
 ン、と腕を絡めながら上に伸びて、それで頭を僅かに覚醒させる。
 視線を巡らせた先。
 カーテンの隙間からは、ひらりと陽の欠片が零れていた。
 よいしょっとベッドの端から降りて、カーテンの方へと向かう。
「起きるのかよ」
「起きちゃったんだもの」
 少し笑みを含んだ彼の声を横に、同じような声で返しながら、香玖耶はカーテンに手を掛けて、それを引いた。
 薄いレースのカーテン越しに朝日が部屋の中へと差し込んで、心地良く目を細める。
 窓を開ければ、涼やかな六月の風。
 朝露を掠めた匂いが部屋へと吹き込む。
 電線で遊ぶ小鳥の声、遠くに抜けていく新聞配達のバイクの音。
 銀幕市はいつも通りだった。
 文字通りの絶望と、選択と、決戦を経て……皆が望んだ通り、今、以前と同じように空には青く光が溢れている。
 そうして訪れた平穏の日々。
 前と違うのは、やがて来る筈だった『いつか』が明確になったということ。
 あの、選択が決定した日に。
 シグルスに全てを話し……そして、手は重なり合った。
 数千の時と想いを超えて、二人はようやく真に永遠なるものを知り、そして、得た。
 だから、決戦の後で、魔法が消えてしまうと知っても互いにもう恐れなど無く、その時が訪れるまでの日々を二人は以前とほとんど変わらぬ日常と共に送っていた。
 香玖耶は相変わらずトラブル・バスター業に励んでいたし、シグルスはそれを時折り手伝いながら司祭として茂霧(もぎり)カトリック教会の仕事の方もこなしている。
 シグルスは香玖耶のマンションから教会へ通っている。
 一緒に暮らすようになったのだ。
 だが……それで二人の関係が恋人同士の甘い関係へと変わったのかといえば。
「今日はシグルスが式次第を進めるんでしょ? トチるんじゃないかって心配よね。こう、なんていうか、子供劇の主役に抜擢された我が子を想う母親の気持ち?」
「誰が我が子だ、おい。俺はこー見えても優秀な方なんだよ」
「演技が巧いのは認めるけどねぇ」
「完全に馬鹿にしてるな……」
 変わらない。
 あんまりにも変わらない。
「ああもう、おまえに構ってたら時間がっ!」
「修行が足りないのよ」
「偉そうに……ともかく、行って来る」
 じゃあな、とシグルスが玄関の方へと行く。
 香玖耶は玄関の近くまで行って、いってらっしゃい、と手を振った。
 と、シグルスがずかずか戻ってくる。
「……どしたの?」
 ふいに。
 シグルスの顔が寄って、唇に軽い感触。
「早起きは、得があるってな」
 口早に言って、顔を赤くしたシグルスは目も合わせずに玄関扉の方へと早足で向かって、そのまま慌しく出て行ってしまう。
 玄関扉がガチャンと閉まる音。
 香玖耶は、ぽけっとした目を瞬いてから、唇に指先を触れた。
 それで、恥ずかしいとか嬉しいより、なんだか可笑しさが先に立って顔に熱が昇る前に、ちょっとだけ笑う。
 前言撤回。
 やはり、少しだけ変わった。


 そんなこんなで早起きついでに家の事をさっさと済ませてしまった正午前。
 珍しく仕事の予定が無い日だったから、ぼんやりとお茶を飲みながら対策課にでも顔を出そうかと思案していた折に玄関のチャイムが鳴った。
「はーい?」
 タイミングの良い所での来訪者。
 もしかしたら仕事の話かな、とムニムニとぼやけた顔に触って、それなりにキリっとした表情を作り上げながら香玖耶は玄関の扉を開いた。
「今更こんな事を言えた義理じゃねぇってことは重々承知の上だがァ」
「えー……と」
 香玖耶は口元を軽く引く付かせながら、錆び付いたカラクリ人形よろしくギギギっと首を傾げた。
 玄関を開いた先に居たのは、三人の男だった。
 高そうなスーツを着込んでいるが、カタギのそれでないのは人相と雰囲気で分かる。
 そんな男達が揃って、正座をしている。
 マンションの通路で。おおっぴらに。
 その状況に付いて行けずに香玖耶が言うべき言葉を見つけられないまま首を傾げていると、先頭の男が、やや芝居掛かったような声を発す。
「香玖耶 アリシエート」
「は、はい?」
「どうか、これまでの遺恨は水に流してェ、一つ、俺達に力を貸しちゃくれぇか」
「は……?」
「この通りだ」
「って――!?」
 ザン、と三人が揃って威勢良く土下座を繰り出したものだから、香玖耶は慌てた。
「ちょ、ちょっと! 全然、話が見えないんだけど、とにかく、立って、というか中に入って! お願いッ!」
「いや、アンタにウンと言ってもらえるまで俺達ァ、ここを動く気はねぇ!」
「それが俺らのケジメだッ! 香玖耶 アリシエート! いや、姐御ってぇ呼ばせてもらう! 姐御が指ィ詰めろったらァ、覚悟は出来てンだ!! そうだろォ、戸倉ァ!」
「お、俺ッスかァ!?」
「人聞きの悪い事を全力で叫ばないでッッ! 分かったから、とにかく中に入ってっ!! ――って」
 ふと、香玖耶は横からの視線を感じて、そちらへと顔を巡らす。
 何事かと怪訝に顔を出してきたお隣のおばさまと目が合う。
「う――ななななんでもありませんからっ。あ、あの、この人達は……や、役者! そう、役者なんですッ。ちょっと演技の練習に気合が入りすぎちゃったみたいでッ! あは、あははは、もう、中でやらせますからっ! ええ、今すぐっ!」
 などと慌てて手を振りながら、スーツ男の襟首をぐいぐいと引っ掴む。
「引き受けて貰えるんで?」
「いいからっ、とにかく中に入ってッ!」
 バタバタとしながら、どうにかこうにか男達を部屋の中へと押し入れて、ばたんっと扉を閉め。
「なんなのよ、もぉー……」
 何か無駄に体力を使ってしまったような気がして香玖耶は額に手を当てながら長い溜め息を落とした。
「おめぇら、ぼさっとしてンな! 姐御に新しく茶ァ淹れて差し上げろ、バカヤロウ。早くしねぇとケーキが駄目ンなんだろが!」
「いいですっ! 私がやるからっ! って、ケーキ……?」
「ええ、なんぞ有名どこらしいってンで……」
 彼が掲げた箱を見れば、なるほど確かに名のある店の名前が書かれていた。
 そこは確か開店前から人が並ぶ。
 その列に混ざって並ぶ、このスーツの男達を想像して、香玖耶は肩をこけさせた。
 

「……それで、何の用事なの?」
 紅茶と、彼らの買ってきた妙に可愛らしいケーキとをテーブルに並べ終え、香玖耶は嘆息混じりに問い掛けた。
「ええ、実ァ……」
 どうやら三人の内では一番権力があるらしいオールバックの男がシュークリームをバクりと齧ってから頷く。
 保崎というらしい。
 彼らの悪徳な店を潰したり、その報復を企てられたりした事があったために顔は知っていたが、名前を聞いたのは……というか、覚えようと意識して聞いたのは初めてだった。
 ちなみに、保崎の後ろで席にも着かずに立って居る二人の内、スキンヘッドの方が兼山、若くて落ち着きの無いのが戸倉、というそうだ。
「大前島の親父……まァ、つまり、俺らンとこの一番エライ人なんですが、その人には孫娘が居ましてね。っても、親父の直接の娘、つまり孫娘の母親ってのがカタギに嫁いでるもんで、もちろん、その孫娘もカタギなワケなんですがァ……あン? 話がどうも、纏まらねェな……ともかく、その孫娘ってのが、ちょうど今日、これまたカタギの男と結婚式をあげンです」
「おめでたい話じゃない」
「ええ、まあ、それだけなら。でぇ……数日前、その孫娘の所にこんなモンが届きまして」
 と、保崎が紙ナプキンで口元を拭いてから、懐より一通の便箋を取り出し、テーブルに置いて、つっと香玖耶の方へと押す。
 香玖耶はそれを取って、開いた。
「『愛しい杏子へ』……?」
「杏子ってのは、孫娘の名前です」
 ――『愛しい杏子へ。私がこんなに君の事を愛しているというのに。そして、君は私の事をこんなに愛しているというのに。君はあの男の元へ行かなくてはいけないんだね。知っている。私は知っているよ。君が本当は私と結ばれたいという事を。大丈夫。迎えに行くよ。あの男の前から花嫁姿の君を奪ってみせる。その時まで、君の苦痛の日々は続いてしまうけれど、大丈夫、私を信じていて欲しい。愛してる』
 ずらずらと並べたてられた文字を読み終えて、香玖耶は軽く顔を顰めた。
「……ラブレター……っていうより、犯行予告ね」
「なんてンでしたっけ、アレです、ちっと前から流行ってる……」
「ストーカー?」
「そう、そういうンで。でまァ、こんなモンが届いて、気味が悪ィ。ね? サツに言ったって、この紙切れ一枚だけじゃあ、動いてくれっかなんて分からねぇ……そこで、疎遠にはなってたが、緊急事態だろってんで大前島の親父に相談が持ち込まれて、そんで、俺たちに事を纏めるようにって話が来たわけです」
 そこで保崎は、ハァと嘆息しながら後ろ頭をコリコリと掻き。
「でまァ、若いモン使って、杏子御嬢の周りやら探ってみたンですがね。これっていう奴が見つからねぇ。御嬢に聞いても、本人も何が何だか分からねぇって次第で。盗聴器もカメラもねぇ。あれよあれよという間に、当日まで来ちまった」
「ぅん? ……なんだか妙な話ね」
 香玖耶は片眉を曲げながら、便箋に再度、目を落とした。
「ただの悪戯っつぅ線もあるワケで。それはそれでイイんですがね。問題はァ……親父でして。孫娘が心配で、手前も式に出るって言い出しちゃって……まァー……」
「あー……それって」
「カタギ同士の結婚ですからね。先方にも孫娘の祖父が『こっちの人間』だとァ言ってない。死んだ事になってる。だから、親父が俺ら引き連れてデンと出るわけにゃいかねぇ。そんでひっそり守るなんてったって、どうしても人数が限られる。杏子御嬢の方も見なきゃなんねぇ……ね? そんな器用な事ォできる筈ァねぇ」
「気持ちは、分かるんだけどね……」
「そこで。そういや、香玖耶ン姐御が居るじゃねぇかって話になった。えとォ……なんてんでしたっけ? トラブル……メーカー?」
「バスター、です。トラブル・バスター……」
「そう、その、何でも屋みてぇのをやってるって。まァ、こっちはさんざっぱら痛い目ンあったから、その冗談みてぇな実力は身を持って知ってる。ね。少なからず縁もある。これ以上の助っ人ァねぇ」
「縁っていうほど大したものかしら……」
「腐っても縁ってね。どうか、ね、俺らァ助けるってンじゃなく、杏子御嬢を助けると思って……エンコ詰めろってンなら、喜んで詰めます、戸倉が」
「おお、俺ッスか!?」
「あのね……指もらって何に使えってのよ……? そんな事しなくても、大丈夫よ。今日はちょうど予定も無かったし」
 言って、香玖耶は便箋を一瞥した。
「ありがてぇ。じゃ、早速ですが支度してください。下に車回してあるンで」
「車……?」
 香玖耶は、嫌ァな予感と共に席を立って、早足でざくざくと窓の方へと歩んだ。
 そこから下の道を見下ろせば、案の定、黒塗りの大きな車が完全な駐車違反をしている。
 しかも、その傍ではガラの悪い男が一人、周囲に無駄な殺気を放ちながら煙草を吸っている。
「通りに100円パーキングがあるから、すぐに、即刻、そっちに移動させなさい」
 押し殺した声で言う。そして。
「ね?」
 振り返って、強調する。
「……え、ええ今スグ! 兼山ァ、電話貸せ! 電話だよ、電話ァ」
 雰囲気に圧されて声の上ずった保崎が、兼山の差し出した携帯電話を引ったくる。
「あ、俺だ、保崎だよ。何してンだ、この馬鹿。早くそこ退けェ、通りに100円パーキングがあっから、そこに入れンだよ。何がって、車だよ、車、このトンチキ。急げ、バカヤロウッ! どこにじゃねぇ、この猿が。100円パーキングだよッ、聞いたろォ。あ? 100円ねぇとか抜かしやがったら、ただじゃおかねぇぞ!」
「あと、道に捨てた煙草の吸殻は全部回収させて」
「煙草の吸殻回収すンの忘れたら、殺すぞ、てめぇ、このやろう。あ? 道に捨てったるヤツだよ。はぁ? 全部だよ、全部ッ! 決まってんだろがァ、あに? てめぇのがどれだかわかんねぇ? ふざけた事抜かしてンじゃねぇよ! 全部ったら全部なんだよ!! てめぇ、後で確認して灰一粒でも落ちてンのォ見つけたら、石噛ませて兼山の靴舐めさせてやっから覚悟しとけェ!」
 保崎が唾を飛ばしながら言って、電話を切る。
 香玖耶は、はぁ、と溜め息を落としながら軽く頭を振った。
「じゃあ、私は支度をするから」
「ええ。ってぇ……もう随分時間食っちまったなァ。ちっと急いでもらいてぇとこですが」
「そういえば、どこの式場に行くの?」
「あ、言ってませんでしたね。茂霧カトリック教会です」


 ■


 茂霧カトリック教会はベイエリアの郊外にある。
 その場所にあって奇跡的にもマスティマの被害を逃れる事が出来た施設の一つだ。
 歴史は古いが建物自体は数年前に、著名な建築家によって建て直されているために、近代的なデザインを取り入れた造りとなっている。
 細部に渡り緻密に計算された空間。
 白い薔薇と木立の中に建つ礼拝堂の周囲には細く浅い水路がめぐらされていて、流れる水はささやかな音を立てながら陽光にさやさやと煌いている。
 白く募る花々の上、あやふやな軌道を描いて飛ぶ白い蝶。
 礼拝堂の奥から響く賛美歌。
(……ジューンブライド、か)
 香玖耶は礼拝堂の大きな窓の端から中を覗き込みながら、心中に漏らした。
 礼拝堂の壁一面を覆うステンドグラスから降る柔らかな光の中、純白のドレスに身を包んだ花嫁がその表情に緊張と憂いとを微かに覗かせながら、でも、それでも幸せそうに微笑んでいる。
(ちょっと、羨ましいかも)
 結婚式が、ではない。
 シグルスとの誓いは、偉く壮大な流れを経て至ったものだから、今更そう改まってこういう事をするのも何だか変な感じだし、そもそも魔女として生きてきた香玖耶にとって神に何かしらの期待がある筈も無く、挙式自体に憧れも無い。
 ただ、そういった事を抜きにして、二人の幸福の象徴のように白く輝くウエディングドレスには、純粋に羨ましさを覚えた。
(ま、いいんだけどね)
 香玖耶は軽く息を零してから、花嫁と花婿の前に立つシグルスの姿へと視線を滑らせる。
 そして、息を飲む。
(これは……反則……)
 シグルスは司祭としての正装に身を包み、これから共に未来を築き合っていく二人を静かに見守っていた。
 彼が司祭を務めている姿は初めて見たが……その表情は、香玖耶の前では中々見せてくれない大人びた落ち着いたもので、正装とステンドグラスの光による効果も加わって清潔な色気が六割増しというか、キラキラしているというか。とにかく。
 香玖耶と参列者の中の何人かの女性とを、しばしボゥとさせるだけの力を持っていた。
 それが良く通る声で福音朗読なんて始めるものだから、薄らと外に洩れるその声に聞き入ってしまう。
「姐御……姐御……」
「へ――はっ!? な、なに!?」
 いつの間にか傍に居た保崎が怪訝な顔で、香玖耶の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫ですかィ? なァんか、ぼっとしてましたが……。あ、んな事より、言われた通り参列者ン確認をさせちゃいますが、ちっと時間が掛かりそうです。なにぶん最近の若ぇのったら、こういった事ァ外注に頼りきって不慣れなもんで」
「……人材を育てるのも上司の務めでしょうに」
「まったく……耳が痛ぇ」
 教会式以外では参列者は近しい親類に限られるが、カトリックの挙式の場合、参列者は親戚に限らずに招待状を受け取った多くの人間が参加出来る。
 新郎新婦の古い友人や会社の関係者、同趣味の人達……本人確認のチェックは無い。全くの第三者が紛れ込む隙は幾らでもある。
 本当なら参列者一人一人の身分証を確認したりしたい所なのだけれど、あまり大事には出来ない。だから、せめて芳名帳簿と招待状を送った名簿とを付け合わせて、確認を取ってもらっていた。
 招待状が偽造であれば、そこで引っかかる。
 少し頭を使って整えながらやればそれほど時間の掛かることではない、筈だった。
「まあ……やらないよりやった方がマシって程度の事だったし」
「やっぱり、例のストーカーってのが来ると思いますか?」
「話を聞いた限りじゃ、八割方、悪戯のような気がする……。でも、偶然が偶然じゃないなら、あの予告状は――」
 ふいに、空間が歪む。
「え?」
「なななんだァ!?」
(これは――)
 幕を取り払うように、景色と保崎の服装が瞬く間に変容していく。
(ロケーションエリア!)
 

 ◇


「それでは……」
 シグルスの声が静けさの中に渡って微かに響く。
 礼拝堂には緊張と尊重とを匂わせる神聖な静寂が在った。
 妙に迫力のある老人から、着慣れない服にそわそわとしている子供まで、参列者たちは新しい門出を迎える二人のために、息を潜めて誓いの言葉を待っている。
「神と私たち一同の前で、結婚の誓約を交わしてください」
 シグルスは緩い瞬きを交えながら花婿の方へと視線を滑らせた。
 花嫁より少し年上の花婿。大柄ながら人の良さそうな顔をしている。
「竹森 明久さん、あなたは貝塚 杏子さんを、妻としますか?」
 花婿が小さく息を吸い込む音が微かに震える。
 そこで、緊張のために言い出すタイミングを失ってしまったのだろう、花婿が少し戸惑った様子を顔に浮かべたので、シグルスは、ほんの少しだけ微笑しながら頷きを向けた。
「――はい、いたします」
 花婿がホッとした様子でようやく言葉を発し、シグルスは十分な間を持ちながら花嫁の方へと向く。
「貝塚 杏子さん、あなたは竹森 明久さんを、夫としますか?」
 純白のドレスとベールに包まれた花嫁。
 彼女は花婿とは対照的な落ち着いた様子で息を吸い、すらりと言葉を紡いだ。
「はい、いたします」
 そして、シグルスは二人の間へと視線を返し、
「それでは、共に誓いを」
 二人を促す。
 と――。
 ステンドグラスより二人へと降り注がれていた光が途絶えた。
 いや、ステンドグラスからのものだけでは無い。
 窓という窓の外から光と緑の景色が消え、代わりに暗闇と雨、嵐の気配。
 外に閃く光。追って、雷の音。
 闇の中で複数の怯えた悲鳴が上がる。
「落ち着いてッ!」
 シグルスは燐と声を張った。
 気付けば、自分達の居る場所は近代的なデザインを持っていた礼拝堂では無かった。
 吊り下げられたランタンがキィキィと揺れる古びた教会。
 空気を掻くように、パイプオルガンの不協を交えた和音が鳴り響く。茂霧カトリック教会に置かれているオルガンとは全く違う、不穏な音色。
 その音の響く天井は、闇に紛れて良く見えない。闇の中、外の雷光を漏らす窓が遠く小さく見えることから大分高いものと推測できる。
(ハザード!? ――いや)
 シグルスは天井に向けていた視線を降ろして、参列者達を見回した。
 ランタンと蝋燭のぼんやりとした明かりの中、ざわめく参列者達の格好が、このシチュエーションに見合う中世的な古めかしいものになっている。
(ロケーションエリア、か。でも、誰が……なんで……)
 見当が付かない。
 とにかく神経を張って警戒しながら、どうするべきか考える。
 と、ガシャァンと高い天井の方で鳴ったガラスの割れる音。
「ッ――!」
 シグルスは反射的に上を鋭く見上げた。
 降り落ちて来ていたのは、キラキラと光を返すガラス片と、
「は……?」
 見覚えのある銀の髪先、黒で統一されたレザーの服装――香玖耶だった。
 一瞬、シグルスは目を疑ったが、その次の瞬間には、無意識に香玖耶を受け止めようと床を蹴っていた。
 床に散らばって砕けるガラスの雨。
 腕に掛かる衝撃、鼻先を舞う銀色。
「く――ッ」
 間に合った。
 靴の裏が古い木板の上を擦る。
「っ……シヴ……?」
 腕の中、ずぶ濡れの彼女は顰め閉じていた双眸を開きながら彼の名を呼んだ。
「大丈夫か!?」
「う、ん……ありがとう。大丈夫。吹き飛ばされただけだから」
 言って、彼女は自らシグルスの腕の中から床へと降りた。
 どうやら、ずぶ濡れという以外は本当に大した事は無いらしい。
「つか、何でおまえが此処に……しかも、上から降ってくるんだ?」
「それは――」
「――私の邪魔をするからだ」
 声は、頭上から。
 そちらの方へと視線を向ける。
 薄明かりの中、空中に黒く広がるマント、緩いウェーブを描く白髪……なんとか伯爵と名前が付いていそうな男が、ゆっくりと空中を降りてきていた。
「……誰だ?」
「私の名は、ヴラディス・シュエルペ……花嫁を救いに来た」
 男は優雅にシグルス達の前へと降り立って、己の胸にしらりと手を置きながら言う。
 男の言葉に反射的に、視線で花嫁の方を確認する。
 花嫁は花婿と共に参列者席の間の通路へと下がって、彼の背に隠れながら怯えた様子で男の方を見ていた。
「話が見えない……」
 シグルスは男へと視線を返しながら首を傾げる。
「……彼は、花嫁のストーカーよ。多分」
 香玖耶が腰の鞭を留め具から外しながら横に立つ。
「ストーカー? 多分?」
 香玖耶自身も何かに戸惑っているのを気配で感じながら、シグルスは白髪男の方を見据えたまま問い返す。
 しかし、未だ事態は意味不明なまま、もう一つ進行した。
 ズバン、と喧しく開けられたのは入り口の大扉だ。
 雷光と嵐を背にずぶ濡れの男達が駆け込んでくる。
 見れば、どっかで見た事があるような……カタギには見えない連中。
 片方はオールバックで、もう片方はスキンヘッドだ。
「姐御ォ! 無事ですかィ!!」
「やろォオ!!」
 彼らは教会へと踏み込みしなに懐から銃を取り出して、白髪男へと銃口を向ける。
「ちょ――やめなさい!!」
 香玖耶が声を張り上げる。
 参列者達と花嫁花婿が悲鳴を上げながら参列者席の影に伏せていく。
「ッ! どいつもこいつも何なんだ!」  
 心中で地団駄を踏みながら、シグルスは銃口の向けられているラインに居る人々へと結界を張った。
 銃声。
「愚かな……」
 カラリ、カラリと。
 男達の放った弾丸は白髪男に触れる前に勢いを失い、彼の足元の床へ落ちる。
「ロケーションエリア内は我が領域。こんなガラクタでは傷一つ負えん」
 白髪男が銃を持った男達の方へと腕を振るう。
 その腕の影がツゥと参列者席の間の通路を伸び、それは急速に加速し、男達の足元へと辿り着く。
 瞬間、影は床より網のように噴き出して彼らに絡みついた。
「うォ!?」
「な、なんだァ、こらァ!?」
 拘束された男達の手から落ちて、床に転がる銃二丁。
 白髪男の嘲笑。
「さあ、花嫁よ……私と共に」
 白髪男は花嫁の方へと視線を返して、一つ、二つ歩み寄って行く。
 シグルスが銃を抜いて銃口を彼へと向けるのと同時に、香玖耶が白髪男に向かって駆けた。
 その気配に気付いて、白髪男が顰めた顔をこちらへと向ける。
「まだ邪魔立てするつもりかッ!」
『当たり前』「よ!」「だ!」
 シグルスと香玖耶の言葉が重なる。
 シグルスの放った銀の弾丸が、駆けざまに鞭を振るう香玖耶の脇をすり抜け、白髪男の方へと滑り行く。
 それは男に辿り着く直前で、空間に僅かな波紋を広げて止まり、床へと落ちた。
 香玖耶の放った鞭先を男が浅く飛び退って避けるのを見掠めながら、シグルスは銃を仕舞いながら自身も男の方へと駆ける。
 香玖耶が鞭を手元に回収しながら跳躍する。
 と、彼女が飛び退いた場所に影が噴き上がって虚空を掴む。
 シグルスは男の影がヌルリと、床をこちらの方へも伸びているのを確認していた。
 が、構わずに駆けて、男の方へと距離を詰める。
 香玖耶の声。おそらくそれは精霊の真名。
 影を踏む。床から影がシグルスを捉え込むべく這い出る。
 刹那。
 偽りの礼拝堂に精霊の光が溢れ、それは影を散らして消し去った。
 シグルスは白髪男が眩しさに目を閉じている隙に、彼の腕を取りながら懐へと踏み込んで、肩で胸を突き上げ。
 相手の身体の軸がぶれた所で、足元に足を引っ掛けながら、思い切り床の方へと引き倒した。
 そのまま組み伏せてしまう。
「――クッ」
「そこそこ司祭をやってきたけど、好んで馬に蹴られに来るヤツは初めてだよ」
 シグルスは男の腕を捉えて、押さえ込んだ格好で溜め息を零した。
「ッ……司祭とは、笑わせる……。偽りの誓いに手を貸すなど……さすがは純朴なる神の傀儡よ、疑いを知らぬ」
「……えらい言われようだな」
「花嫁を解放しろ。貴様にまだ信仰を貫く意志があるのならな」
「…………」
 シグルスは香玖耶の方へと顔を巡らせ。
「……こいつ、本当にストーカーなのか?」
「うー……ん……」
 香玖耶は香玖耶で唇に指を掛けて思案顔を浮かべていた。
 彼女は、トツトツとこちらへと歩み寄って、白髪男の前にしゃがみ込む。
「『ヨシエ』さんを解放したいのは何故?」
「か弱き囚われの乙女を救うのに理由などいるまい」
「……?」
 シグルスは香玖耶の方を見遣った。
 彼女は何やら納得したという風に頷いていた。
「あなた、騙されてる」
「何だと?」
「ええと……なんて言われたの?」
「……良からぬ輩に捕えられ、望まぬ婚姻を強要される花嫁が居るから助け出して欲しいと」
「それ、嘘だわ」
「なら何故、教会の周りに貴様らのような者が潜んでいた?」
「私達は、花嫁……杏子さんを奪いに来る、っていう予告状を受けて警戒してたのよ」
 言って、香玖耶が何やら便箋を取り出して、白髪男の方へと見せる。
 男はそこに書かれている文字に目を通してから、怪訝な顔で香玖耶の方へと視線を返した。
「どういう事だ?」
「おそらく、あなたの役目は囮。あなたに杏子さんを誘拐させて、あなたを私達に追わせるつもりだったんじゃないかしら。その混乱の隙に……」
 と、香玖耶は参列者席に座っている老人の方を一瞥して。
「本当の目的を果たすために」
 それから、彼女は出口の方へと視線を向けた。
 影から解放されてゼィゼィ言ってるオールバック男達の後方、こそこそと出て行こうとしている男が一人。
 確か、参列者の中に居た男だ。
 彼は己に視線が注がれた事に気付いて、あ、と動きを止めた。
「彼に見覚えは?」
 香玖耶が白髪男に問い掛ける。
「有る。私に花嫁の救出を依頼した男だ。……何故、彼が此処に?」
「保崎さん! 後ろ! 彼が『犯人』よ!!」
「はァ――?」
「チッ――!」
 香玖耶が声を張るのと同時に、オールバック達が振り向き、その『犯人』は舌打ちを残して外へと駆け出して行く。
「って、待ちやがれェ! 追うぞ、兼山ァ!!」
 オールバック達も騒がしくロケーションエリアの嵐の中へと飛び出て行く。
 そうして。
「だから……何なんだよ、一体」
 シグルスのぼやきに、その場に居たほぼ全ての人間が頷いて同意を表明した。 


 ■


 青く晴れた空にブーケが舞う。
 歓声と拍手。
 姿を取り戻した礼拝堂の外、大勢の人が祝福と共に純白の二人を取り囲んでいる。
 香玖耶は礼拝堂の端に背を付けながら、遠くそれを見守っていた。
 保崎達が捕えた男は、やはり大前島老人の命を狙っていたという。
 予告状を使い、孫娘心配さで式に出席した彼を誘拐騒ぎの混乱に乗じて仕留めるつもりだったのだ。
 香玖耶から事情を聞いたシグルスが場に居た人達へと説明をする中で、新婦自身が祖父の素性を明かし、改めて新郎と新郎の家族に紹介をした。
 そうして、事件は片付き、中断されてしまった式はやり直された。
 参列者席から見た花嫁は、憂いを払った晴々とした幸福に満ちていたように思える。
 その微笑みは純白のウエディングドレスに包まれて、世界一幸せそうに輝いていた。
 今、鐘が鳴って。
 それは爽やかに吹く風の中へと解けていく。
「あなたが、カグヤさんかね」
「え?」
 ふいに、声を掛けられて香玖耶は微かに肩を揺らしながら、そちらの方へと視線を巡らせた。
「今日は大変だったみたいだねぇ」
 傍らに、司祭の服に身を包んだ小柄な初老の男性が立っていた。
 優しそうな柔らかい笑みを浮かべている。
「シグルス君からね、話を聞いているんだよ」
「あ……シヴがお世話になってる……」
「いや、お世話になっているのは、こちらの方だね。彼には、本当に助けられているんだ」
 言って、神父は朗らかに笑った。
 そして。
「彼は本当に良い子だ」
 零れるように出た言葉。
「ええ」
 香玖耶は何となく、自分にくすぐったさを感じながら微笑んで頷いた。
 神父が心地良さそうに目を細める。
「式を挙げるつもりは、ないのかい?」
「うー……ん、私、神サマとは少し相性が悪くて。それに、なんだか今更っていうか……あ、でも、ウエディングドレスは羨ましかったかな」
 素直に言ってしまう。
「はは、そうかそうか」
 神父はうんうんと頷いて笑った。
 周囲を巡る細く浅い水の流れには、フラワーシャワーのラベンダーが、さやさやとした煌きの中に浮いていた。
 木立を抜けた風にが微かに花の香りを運ぶ。
「君と再会してから、シグルス君は変わったんだよ」
「え?」
「心の底から笑えるようになったみたいだ。私達も嬉しくてねぇ……あんな、少年のように笑う子だとは思わなかったなぁ」
「っ……あはは、それ、本人には?」
 思わず吹き出してしまいつつ、香玖耶は小首を傾げた。
「言ったら、何故かスネてしまった」
「でしょうね。だって、それ、本人にとったら、すごい不覚だもの」
 香玖耶はクスクスと笑みを零してから、「でも」と置いて続けた。
「それは、たぶん私も――」
「カグヤ!」
「え?」
 名を呼ばれた方へと顔を向ける。
 礼拝堂とは別棟になっている本館の方から、シグルスがなんだかズカズカとした足取りでこちらの方へと歩いてくる。
 顔もどこかしらスネたような様子がある。
「時間あるか?」
「あ、うん……まあ」
「神父。すいません、コレ借りていきます」
 シグルスが香玖耶の手を取り、既に引きながら言う。
「コ、コレって!? 人を物みたいに!」
 香玖耶の抗議へ応えずに、シグルスはずいずいと本館の方へと歩き始めてしまっている。
 香玖耶は神父の方へと軽く頭を下げて、シグルスの歩に合わせた。


 外の光をふんだんに取り入れた明るい廊下を行く。
 香玖耶の少し先を歩むシグルスが一つのと扉の前で立ち止まり、それを開け、中へと入ったので、香玖耶もそれに続いた。
「まぁ……あなたがカグヤさん?」
 中に居た老婦人が、先ほど出会った神父と同じような柔らかな笑みを浮かべた。
 そこは、薄いカーテン越しの淡い光が溢れていた。
 ベージュの絨毯の床に置かれているテーブルや椅子、大きな鏡台は全て落ち着いた色調のアンティーク。
 そして、その風景に掛けられた純白のウエディングドレス。
「うちに備えてあるものよ。きっとあなたに似合うと思うわ」
「――え?」
「おまえ、まだ服濡れたまんまだろ? 乾かしてる間、借りとけよ。いい機会じゃねぇか」
「でも……」
「ふふ、シグルス君、とても真剣に頼んできたのよ?」
「とっ!! ともかく! 着たけりゃ着てみればイイんじゃねぇかっ。折角だし! まま馬子にも衣装っていうしなっ!」
 シグルスの調子を見る婦人が可笑しそうに笑っている。
 香玖耶は白くそこに在るウエディングドレスの方へと歩み寄り、そこへ、そっと手を伸ばして触れた。
 そして、シグルスと婦人の方へと振り返る。
「本当に……いいの?」
「もちろん」 
「難しく考えんなよ」
 婦人がゆったりと頷き、シグルスは片眉を曲げながら言う。
 嬉しかった。
 とても。
 ふと、気付くとシグルスが顔を赤くしていて、婦人が「まあ」と微笑ましげにしている。
 何故だか分からずに、香玖耶は小首を傾げた。
 
 後で婦人に。
 その時、自分は少女のような微笑みを浮かべてしまっていたのだということを聞かされた。
 

 ◇ 


 神父夫人に呼ばれて。
 扉を開けたままの格好で、シグルスは止まっていた。
「……シヴ?」
 怪訝な顔の香玖耶が首を傾げている。
 柔らかな光沢を持つ白に包まれた彼女は……美しかった。呼吸や瞬きを忘れさせる程に。
 今まで、想像した事が無かったわけではない。
 何人もの花嫁を見送ってきた中で、香玖耶だったらどんな風になるのかをふと考える事はあった。
 しかし。
(俺って……想像力が貧困だったんだな……)
 ドキドキと一足遅れて高鳴る胸を抑えながら、シグルスはひょろけた息を長く吐いた。
「な、なによ、その溜め息!」
 慣れないだろう大きなスカートを揺らしながら、彼女が近づいてきて、こちらの顔を覗き込んでくる。
「い、いや――その……」
 見入ってしまって呼吸する事すら困難なのだ、と言える筈も無く、シグルスは目を泳がせた。
 傍らで神父夫人がころころと笑い。
「感想は? シグルス君」
「えっ!?」
「え、って何、え、って」
 半眼で見上げてくる彼女の前で、シグルスはぎしりと固まった。
「あ、あー……っと」
 ぐるぐると。
 伝えたい言葉が頭を回る。
 ――綺麗だぜ、似合ってるよ、世界一だ、愛してる、抱き締めたい、俺は幸せ者だ、惚れ直した、想像してたよりずっと美しい……
「……あ……」
「……?」
「……あ……あ」
「あ?」
「あ……案外、見れるもんだな」
 口を出たのはそんな言葉だった。
 香玖耶の口元がヒクンと揺れる。
「な、ん、で、素直に綺麗だとか言えないの、この口はっ!」 
「いでででで、綺麗だ! すげぇ綺麗だ!」
 そんな二人の遣り取りを楽しそうに見ていた神父夫人が、「ああ、そうだ」と手を合わせたので、シグルスと香玖耶はそちらの方へと顔を向けた。
「ねぇ、二人とも。もし良かったら……写真、撮らせてもらえないかしら?」


 ◇


「人間よォ、ああなっちゃお終いだな。見たか? 親父の顔をよ。ったく、孫娘から皆に紹介されちゃって、なんだァ?『大好きな、おじいちゃんです』だってよ。それでぐずぐず泣いちゃって、見てらんなかったなァ」
 ぼつぼつと垂れながら、びしょ濡れのスーツを肩に引っ掛けながら保崎は礼拝堂の方へと戻っていた。
 香玖耶をマンションまで送り届けなければいけない。
「へへ、ンなこと言ってぇ貰い泣きしてたッスよね、保崎さん」
「兼山ァ、戸倉が服濡れて気持ち悪ィってよ。マッパにすんの手伝ってやれ」
「はい」
「え、マジッスか? え、うそ、うそ」
「――あン?」
 と、保崎は礼拝堂の前の広場の方へと目を細めた。
「あんなとこに、まぁだ花嫁が居んぞ。ってぇ、ありゃあ……姐御? あーあー、はしゃいじゃって、まァ」
「……綺麗ですね」
「惚れんなよォ、兼山。あれぇ引っぺがすのは難だぜ?」
「……男ン方、顰めッ面ッスけどね」


 ◇


「なんだい、シグルス君。色男が台無しじゃないか」
「そうよ、もっと笑顔笑顔で。ふふ、照れてるのねぇ」
 銀幕市はいつも通りだった。
 文字通りの絶望と、選択と、決戦を経て……皆が望んだ通り、今、以前と同じように空には青く光が溢れている。
 そうして訪れた平穏の日々。
 前と違うのは、やがて来る筈だった『いつか』が明確になったということ。
 それでも二人はその時を恐れることなく、今を共に生きていた。
「ねぇ、シヴ」 
「ん……?」
「なんで私がウエディングドレスを着てみたかったって分かったの?」
「まあ……式の時のおまえの様子見てたら、なんとなく、な」
 香玖耶は幸せそうに微笑んで、傍らで照れて仏頂面になっているシグルスを見上げた。
「ありがとう」
 シグルスは数度瞬いて。
 それから、彼は優しく微笑み、ほつりと漏らすように。
「似合ってるぜ、それ」
「――ッ……は、反則!」
「はあッ!?」
「いいかーい、撮るよー?」
 吹いていたのは初夏の風。
 白く募る花々の上を蝶が飛ぶ。
 青く晴れた空には――――



 ・



 ・



 ・


 
 ・



 ・



 
 鐘の音が鳴っている。
 木とカーペットとに音の染み込む静かな部屋の中、外で鳴る鐘を遠くに、少女は上等な椅子に腰掛けていた。
「こんなところに居た」
 優しそうな柔らかい大人の声がして、彼女はそちらの方へと顔を上げた。
 戸口の所に立った神父が朗らかな笑みを浮かべている。
「お母さんが探していたよ」
「うん」
 少女は頷く。
 そうして、彼女は再び、先程まで向けていた方へと視線を返した。
「その写真が気になるのかい?」
「おはなしをつけていたの」
「この写真に?」
「うん」
 少女は頷いて、椅子から立ち上がった。
 差し出された神父の手を取る。
「君はおはなしをつけるのが得意なのかな」
「あたしはいつか、おはなしをつくるひとになるわ」 
「そうかそうか」
 少女は微笑む神父に手を引かれ、部屋を出て行く。
「それで……あの写真にはどんなおはなしを?」
 壁に飾られた幾つもの写真に混じって、その一枚は在った。
 閉じられた扉。
 その向こうで彼女は言う。
「しあわせなおはなしよ」
 


















クリエイターコメントこの度はオファー有難う御座います。
トラブル・バスターコンビのお二人を再びウッキウキ書かせて頂きました。


心理描写、言動などなどイメージと異なる部分があれば遠慮なくご連絡ください。本当に。
出来得る限り早急に対応させて頂きます。
公開日時2009-06-20(土) 20:50
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