★ レッツ・カンフー!(打倒編) ★
<オープニング>

 某日、竹川導次の元へと一本の連絡が入った。
 取次ぎの舎弟から携帯電話を受け取るなり、調子のいい関西弁がけたたましく聞こえてくる。

『親分っ! 報告が遅れてエライすんません。例の仇討ちさせろ言うてたガキの件――いや、そんなっ、「お前誰や?」て……”田所”ですよー……せやから、親分とこの舎弟の田所ですって――”舎弟F”です。はい、はい、ええ、それです。その映画で登場して3分せんうちに銃殺された田所……アカン、何度も説明させんといてください。泣けてくる……そんなん、どーでもいいんですよ。例の”フォン”いうガキ、約束どおり5日後に特訓終えて”雷鳴館”に向かう言うてます』

 雷鳴館、というのは1週間ほど前から杵間山の中腹に突如として現れた武術道場だ。雷鳴館の道場主、そしてその門下生たちがヴィランズとなって町中で暴れまわっている。商店が襲われたり、門下生たちにいわれのない暴力を振るわれたり……今まで来た報告だけでも、20件以上。出現した場所は割れているのだ。本来であれば、すぐにでも叩き潰すところであるが、フォンという少年は雷鳴館の道場主を仇として狙っているという。
 願いを遂げられなかったムービースターがヴィランズ化しないとも限らない。可能性があるかぎり、仇討ちを望む少年をむげに扱うことは危険だ。

『なんでも旅芸人の踊り子に化けて雷鳴館にもぐりこむことにした、言うてますねん。本人は女装する言い出しますし……どないします、親分――いや……そんな、「かまへん」って、ホンマにですか? はい、はい、わかりました。ほな、見届け人として同行してくれそうなムービーファンやらムービースターに声かけますわ……ちゅうか、その人ら、芸人の扮装なんてしてくれはります? ええ……ああ、なるほど。報酬を……了解ですー。ほな、衣装もこちらで賄う言いますわー。あ、それはもちろんです』

 ここで、どこまでも軽かった舎弟Fの口調が、人が違ったようにガラリと変わる。

『ガキが仕損じたら、必ずカタつけられるお人に、依頼しますよって』

 ――そう。これ以上、自分たちのシマで好き勝手させるわけにはいかない。

 通話の切れた携帯電話を返し、竹川ははるか遠くにそびえる杵間山を眺めてつぶやく。
「……ホンマ、難儀な話やな」
 ぼやきつつも、その口元にはどこか面白がるようにかすかな笑みが浮かぶ。
「後にも先にも、くれてやれるチャンスは5日後――それ一回限りや。せいぜい気張りぃ」

種別名シナリオ 管理番号67
クリエイター平岡アキコ(wbpp2876)
クリエイターコメントこんにちは。平岡です。
『カンフー映画から実体化した少年フォンが師匠の仇を討ちたがっているお話』、レッツ・カンフー!「修行編」に引き続き「打倒編」をお送りします。
前回の修行編で立てた作戦により、彼は旅芸人の踊り子(女装)に扮して敵地へ潜入するようです。
敵は武術道場『雷鳴館』の館長ウーと50人強の門下生たち……少年が狙うのは、いつも屈強な門弟たちをそばに置く館長のウー、ただひとりです。

・見届け人、もしくは助っ人として同行願います。
・少年の仇である館長を倒せば、ヴィランズの根城『雷鳴館』は消えてなくなります。
・同行の際、旅芸人に扮していただきます。ご希望の格好を指定してください。
・又、なんらかの一芸を引っさげて来ていただけると潜入しやすくなります。

以上、ご参加お待ちしております☆

参加者
薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
冬月 真(cyaf7549) エキストラ 男 35歳 探偵
古森 凛(ccaf4756) ムービースター 男 18歳 諸国を巡る旅の楽師
<ノベル>

 杵間山にたどり着いたときには、もう夕暮れ時だった。無理な願いを聞き届けてくれた竹川導次の元で挨拶を済ませてから赴いたからであろう。そして銀幕市に来てからというもの、まだ1週間――土地勘が働かなかった所為もある。
 夕日を背にして、杵間山の中腹に出現した武術道場『雷鳴館』の門を見上げているのは女物の踊り子衣装を纏ったひとりの少年。色鮮やかな衣装が、傾いた陽の光をあびていっそう紅く映えている。
 長い階段の先に見える敵の本拠地を仰ぎ――彼は祈りをささげるように目を閉じた。
 ――師匠、見守っていてください。私は決して逃げません。たとえ――
「たとえ、刺し違えてでも……ね」
 若くはりのある男の声が思考の先をはっきりと言葉にした。
「本当に、それであなたの師は喜ぶのかな?」
 少年のものとはちがう、大きくもないその声はしかし、しんとした山中に通った。
 振り返ると、そこには淡い緑の衣服を身につけ、長い黒髪を高く結い上げた青年の姿がすぐ間近にあった。
 体中の血が一気に冷える。
 いつの間にこんなにも近寄られていたのだろう――まったく、気配を感じなかった。
「……あなたは?」
 こわばった表情の少年に、警戒をほぐすようなほほえみを浮かべ青年は名乗る。
「私は古森凛。旅の楽師をしているんだ」
 旅の、というだけあり確かに古森と名乗った彼は巡礼者のごとく手には杖を持ち、装飾もなく動きやすそうな衣装は機能的でいかにも旅慣れたいでたちだ。
「対策課からあなたの話を聞いてね。なんだかとても……気になって」
「え?」
「できれば、あなたのことを止めたくてここに来たんだけど」
「止める……私を?」
 フォンの瞳が怪訝に、そして油断なく細められにわかに剣呑さをも帯びる。
 しかし、凛は意に介さぬ様子で穏やかな表情を少しもくずさない。
「仇討ちをしても、残るのは人殺しをした自分の手だけ――自身を大切にすべきだと、私は思う」
「あなたはあの悪党たちを野放しにしろとおっしゃるのですか?」
「憎しみに駆られて殺めるのは、間違ってる」
 凛は心なしかほほえみに、ほんのわずか苦しげなものを混ぜて言う。
「あなたの心には――たくさんの憎悪が渦巻いているね」
「……おっしゃる通りです」
 フォンは正直に頷いた。今更、隠す必要がなかったからだ。
「私には、討つべき仇があります。だから――」
「ちがう。それだけじゃない」
 旅の楽師は首を振る。悲しげに。
「憎んでいるのは仇だけじゃない……もっと――つらい。あなたが、あなた自身を憎んでいる」
「…………」
 フォンは一瞬、言葉を失った。
 同情とも憐れみとも違う。たぶん、この人は心の底から悲しんでいる。
「このままでは、あなたの師を最も悲しませることになる。だから――」
「古森どの――旅のお方。どうか、お願いです。それ以上何もおっしゃらないでください」
 戦いを止める訳にはいかない。絶対に。
 少年の揺るがない瞳に楽師の青年は小さく嘆息し、
「……ごめんね。もし私の言葉で決心が鈍るのであれば、と思ったのだけど――そちらのおふたりも、そんな顔しないでください」
 振り返る、目線の先――木陰から、ふたりの人物の姿が現れた。
 双方、アジア系の衣装に身を包んでいる。
「十狼どの、その格好は――」
 恩人の姿を認め驚く少年に、「見ての通りだ」というように黙って頷く天人の国の戦士。
「まさか、そちらは……薄野どの、ですか?」
「はは、気になって、来ちゃった……おそろいだね」
 本人はあまり認めたがらないが、あまりにしっくりと着こなした女物の踊り子衣装に、薄野鎮は苦笑した。左肩から斜めに流れるサリーにも似た衣装は少年と同じに炎のように赤く、細い腰を強調するかのごとき帯がしめられ斜め後ろに飾り結びが施されている。彼は手にした荷を目線の高さまで掲げてみせた。
「ヤマタノオロチ作戦、上手くいくといいけど」
 荷の中身は酒なのであろう。けっこうな大きさだというのに、美女に扮した彼は意外にも軽々と持ち上げている。
「い、いけませんっ、ここから先は戦いになるのですよ!? 薄野どのまで危険に晒すわけには――」
「大丈夫だよ、フォン君。こっちには、十狼さんがいるし。それに――僕にはこいつがいるから」
 真紅の衣装の懐から、ひょっこりと顔を出したのは真っ黒いバッキー『雨天』。愛らしい小さな頭には、大きな薄紅色の花かざりがついている。
「フォン殿。存分に立ち回られよ。この十狼、貴殿の戦いの全てを見届けよう」
 そう言った彼の手には美しいフォルムの弦楽器が持たれている。二本の弦の張られた棹。ギターよりもはるかに割合の小さな胴は繊細な曲線を描き、大きな手の中でしっくりとなじむ。
 薄野やフォン少年の華やかな衣装とは対照的に、十狼は白いシャツににび色の帯を締めたシンプルないでたちであったが、それがかえって天人である彼の美しさを引き立てた。右半身に施された繊細な刺青が見事に映えている。
 フォンはふと気がつく。自分との修行中にも腰に帯びていた2本の剣が今は見受けられない――思っている少年の心を読んだかのようなタイミングで、天界の武人はすばらしい曲線の楽器を小さくつまびく。
「我らの心配よりも、貴殿は己が討つ仇のことだけを考えられよ。戦場にわずかでも雑念を持って挑めば、死をまねくものと心得られい」
 十狼のおだやかな声音と彼の楽器――仙胡の音色とが混じりあって山の澄んだ空気を振るわせた。
 わかりました、と神妙に頷いたフォン少年は、自分のために芸人に扮してくれたふたりに向かって深く頭を垂れた。
「……十狼どの、薄野どの。重ね重ね、ありがとうございます」
 彼らはほほえみ黙ってうなずき、礼の言葉を受け入れる。
「私も同行させてもらうよ。助っ人としてね」
 凛の申し出に、わずかに驚いた顔の少年。
 ――この仇討ちに反対するのに、どうして?
 そんな疑問を浮かべたその表情に苦笑して、旅の楽師は懐から自らの愛器――大いなる力を宿した大樹の笛を取り出す。
「餅は餅屋。演奏のことなら、楽師――他に理由はいらないよ」



 雷鳴館の門へと続く長い階段。
 踊り子衣装のふたりは先に立ってのぼり、演奏者のふたりはその後に続く。
 先ほどまで、緊張と不安のためか青ざめていたフォンの表情がわずかだが和らいでいた。
 その様子をみつめていた凛は何気ないしぐさで肩越しに後ろを振り返り、隣を歩く十狼へ耳打ちする。
「”彼”は放っておいても良いのですか?」
「かまわぬ」
 誰が、とも問わずに短く応える十狼の目が、少し笑ったようだった。
 凛はただ「そうですか」と頷き、前へと向き直る。
 階段の上り口の脇に茂る草木の陰――ひとつの人影が音もなく、動いた。



 門外から、美しい楽の音がこだます。音量は決して大きいわけではないのに、澄んだ旋律は不思議に山中をわたる。
 主の命で固く閉ざした門を思わず開けてしまった雷鳴館の門下生が目の当たりにしたのは、弦楽器を奏でる屈強であるのに優美な雰囲気を持ち合わせた男と、しなやかであるのに、どこか金剛石のごとくかたい芯を感じさせる青年の姿であった。
 浮世離れした男たちがつむぎだす音色は、どこの国の楽曲でもない――しかし、なぜか心の奥深い部分をゆさぶる、懐かしさがこみ上げてくる旋律だ。
 任務も忘れ、心奪われ聞き入ってしまった門番役の男は、ようやく我にかえる。
「……お前らは一体――?」
 誰何に楽師たちは応えず、演奏を続ける。代わり、開いた門の隙間からひょこりと顔をのぞかせたのは黒髪もつややかな美女である。
「わたくしどもは、楽と踊りの芸を磨くため旅を続けております。どうか、こちらで一晩の宿をお借りできませんか? お礼に、諸国で培った芸を存分に披露いたします」
 本当は、先ほど結成されたばかりの集団なのであったが――この際、言ったもの勝ちだ。
 思い切りの良いハッタリに、とびきりなスマイルを上乗せする。
 薄野青年に自覚はなかったが、それは男であれば誰しもがクラリとくるような、極上のほほえみであった。
 例外でなく、クラリときてしまっている門番を前に、彼はちょっぴり複雑な気持ちになるが、根性で笑顔を崩さない。
「し、しばしっ、待っていろっ」
 なぜかひっくり返った声で、きびすを返し、立派な構えの道場へとすっ飛んで行く門番。
 主に、了解を得るためであろう。4名は視線を交わし、そっと頷きあった。
 返事を待つ間も、十狼と凛は演奏を止めない――この音が道場主であるウーの耳に届けば、そうそう追い返されることはないだろう。この薄野の読みは見事に的中するのである。



 旅芸人に扮した一同が通されたのは、広間ではなく武術の鍛錬を行う大道場であった。
 門下生の中でも位が高いのであろうか、数人が固まり酒を酌み交わしている。
 一段高い上座にどっしりと座るのは筋骨はしっかりとしているものの、上背はそう高くもない中年の男だった。おそらく、あれが道場主のウーであろう。
 予想していたよりもずっと普通だ――そう思った薄野であったが、こちらを見たウーと目が合って背中があわ立つのを感じた。あれはまるで、ねっとりと獲物を狙う蛇のような目だ。
 隣に立つフォンの緊張がピリリと増すのを感じる。
「神聖な道場で酒盛りをするとは……」
 少年のごく小さな呟きは、大きな怒りを含んでいた。
 背後で、小音量ではあるが音楽が奏でられ始める。それは、この敵地での緊張感の中で励まし背中を押してくれているような明るいテンポのものだった。
 こっそりと深呼吸して、あでやかな衣装に身をつつんだ薄野青年はカラカラに乾いた口を開く。
「この度は突然に押しかけたというのに、快く宿をお貸しいただきありがとうございます。よろしければ、この子の踊りをご覧ください」
 一歩前に進み出る少年。このまま、ウーに飛び掛って行くのでは? と一瞬案じた薄野だが、フォンは小さくお辞儀をしただけだった。
 ウーは爬虫類のような目でじろりとめねつけ、口の端をゆがめて笑い頷いた。
「それは楽しみだ――客人がた、どうか今晩はゆるりとくつろいでくれ」



「フォン君、踊り子のフリをするって――踊れるの?」
 潜入前に尋ねられた薄野の質問に、少年ははにかみつつも応えた。
「実は、正式な舞踊は踊ったことがありません。けど……武術の演舞なら、少し自信があります」

 自信がある、と言わしめただけあり、演奏のテンポにのせしなやかに動く手足はなんら問題なく華麗な舞いにみえた。
 くるくるとひねりを加えながら空中に飛び上がる身体は重さを感じさせない。突きや蹴りの攻撃的な動作はあえて決めず、やわらかに流して上手に立ち回っている。
 軽やかに四肢を転じるたびに、さらりとした生地の衣装が宙を舞い、彼の動きをより伸びやかにみせた。
 そして何よりも、十狼と凛、ふたりの演奏が素晴らしく共鳴しあっている。
 仙胡と笛――初対面同士が演じているとはとても思えないほどの合奏。音の深みと広がりは、ふたりだけではない、まるでもっと大勢の演者が作り出しているかのようだ。
 激しくもあり、静かでもある――動と静の混じりあいは見事に互いを引き立てあっているのだが、決して溶け合うことはない。
 不思議な矛盾――あふれ出すように力強い『生』と、しんと静まり無に帰す『死』――追いかけ、飲み込み、永遠のせめぎ合いを続ける。
 渦中で踊る彼は、翻弄される魂さながら。

 ウーや門下生たちのさかずきに酒を注ぎ足す薄野。
 しかし注がれた酒に口をつけるのも忘れ、ウー、そして門下生たちは楽に聴き惚れ、踊りに見入っている。
 やがて終盤を迎え、最高潮に盛り上がる曲に合わせ、足をさばく少年の瞳が鈍く輝いた。
 視線が仇の姿を正面に捉える。
 ――いけない、フォン君。
 まだ、悟られてはいけない。
 ここで殺気に感づかれれば、作戦は水泡に帰す。

 ほんの数分の演舞は、もっと、ずっと長く感じられたのは全ての事情を知っている所為なのかもしれない。
 終わりを告げるように、フォンが手のひらにそっと拳を重ねたとき、曲もとぎれて静まった道場は次の瞬間、ワッと歓声が上がる。ウーでさえ、手を叩き、演者たちを称えた。
「こんなにも素晴らしい演奏を耳にするのは初めてだ――娘、おぬしも見事だった。こちらに来て酌を」
「……光栄です」
 つぶやきのように小さな声で答えた少年は薄野から陶磁の酒器を受け取り、ウーへと近づく。
 薄野は思わず十狼の顔を確かめるように見てしまったが、武人はまったく意に介していないような所作で演奏を再会し、凛もなにげない様子で笛に口をつける。

 酒器を傾ける、その手がわずかに震える。
 落ち着け――自らに言い聞かせる少年の耳に、仇の信じられない言葉が届いた。
「いい様だな、紅蓮流のガキ」
 ゾッとするほど無常で冷たい声だった。
 見抜かれていた。
 慌てて退ろうとするが一歩遅い――とたんに伸びた手が、フォンの細い腕を掴む。
 陶器が音を立てて割れ、木目の床に破片が飛び散る。
「この雷鳴館のウーの目を欺けると思ったか!」
「フォン君!!」
 駆け寄ろうと身を乗り出す薄野を、十狼が制して首を振る。
「女のいでたちでこの俺を惑わそうなど、片腹痛いわ!」
 雷鳴館の館長はげらげらと笑い、少年を後ろ手に羽交い絞め、言った。
「楽師ども! 女! 妙な動きをすれば、こいつの命はないと思え」
 ――あれ? 今、『女』って言った?
 人知れず怪訝な表情をする薄野青年は声に出さず心の中で寂しく突っ込む。
 欺かれてるじゃんっ。
 そんな心の叫びもつゆしらず、ウーは相変わらず声を上げて笑っている。
「まさか、この世界にまで敵討ちに現れるとは思わなかった。その根性、褒めてやるぞ、ガキ」
「キサマを討ち果たすためなら、どこへだって行ってやる!」
 歯噛みするフォン。
「俺はガキが嫌いだ。特に、お前みたいに考えの甘いバカなガキはな! それなのに、なぜ紅蓮館を潰したときお前だけを生かしたか、わかるか? 俺は道場を潰すとき、必ずひとりだけ生かすことにしている。証人がいるからだ――俺たち、雷鳴館が最強だというな」
 ウーの蛇のような目が、ニタリと笑う。
「お前はただの『証』だ。それ以上に生きる価値はない」
 少年は言葉を失い、薄野は青ざめる。十狼は侮蔑を隠さずウーを見やり、凛はただ静かに瞳を閉じた。
「今回も、ただ見ているがいい! 仲間が死ぬ様を――」
「男のクセに、べらべらべらべら……うるせえ」
 道場主の言葉を制するように、男の不機嫌な低い声がどこからか聞こえた――次の瞬間であった。
 跳ね上げ式の大きな木窓を蹴破った足が、そのままウーの背中にクリーンヒットする。
 ドカッ!!
 拍子に跳ね飛ばされた少年は受身をとって飛び退る。
 ウーは無様に顔面を床へと打ち付ける。
「なっ、何者だあっ!?」
 窓を蹴破った本人は面倒くさそうに服についた木っ端を払っている。
「名乗るほどのもんじゃな――」
「冬月どの!? どうして」
 驚いたフォンにあっさりと名前をばらされて、探偵は「ちっ」と舌打ちする。
「……バカなガキが嫌いってのは同感だ。だがな、クズ野郎のために命捨てるガキは、もっと嫌いなんだよ」
「冬月どの――」
「ぼさっとするな!」
 警告するなり、冬月は少年の首根っこを引っつかみ、飛び退る。
 ウーの護衛――巨体の門下生の拳が、何もない空を切った。
「行け……後は貴様しだいだ」
 肩越しに振り向く探偵の視線の先――いつの間にか、背を向けて逃げ出すウーの姿があった。先ほど破られた窓に足をかけている。
 咄嗟に背を追うフォン。行かせまいと襲い来る、巨体の門下生に冬月は立ちふさがる。
「おい、デカブツ。この辺で猫を見なかったか? 三毛柄のちっこいヤツだ」
 カジュアルな質問口調に反し、冬月は油断なく半身を引いて右手の平を前に軽く突き出し構える。
 大男からの答えはない。代わりに、巨大な足が空を裂いて、探偵を襲う。
 鋭い蹴りを右手がいなして力を殺し、左手がよろめく大男の腹を殴打する。
 わずかな隙を狙って、新手の門下生が襲い来る――畜生が! 心の中で罵りの声を上げ、攻撃に備えようと体制を立て直し――。
 ガキッと鈍い音がした。
 目の前には、古森凛と名乗った旅の楽師が杖を構えて立っていた。
 足元には、冬月を襲った二人目の門下生がすでにぐったりと崩れ落ちている。
 優しげな風貌に似合わぬ、スピード。まさに離れ業であった。
「やるな、あんた」
「探偵さん、あなたこそ」
 たったいま大男を叩き伏せたとはおもえないような穏やかな笑みで凛は応じる。
 ――探偵さん、か。
 冬月は自己紹介した覚えなど、ない。
 ――これだから、ムービースターってヤツは油断ができん。
 心の中でぼやいてから、彼は戦いへと意識を切り替えるため意識を前に集中した。



 道場が一気に殺気立つ。
 道場主を追い、中庭へと走る少年。
 させまいと、群がり立ちふさがらんとする門下生たち。
 少年の背に向かい、薄野は思わず叫んだ。
「フォン君――!」
「薄野殿。これを預かっていただけまいか」
 答えを待たず、押し付けられた優雅なフォルムの仙胡。
 天人の切り込み隊長である彼の背中越し、ちらりと見えた横顔が――確かに、笑っていた。それは、この1週間で薄野が一度も見たこともないような種類の笑みだった。
 次の瞬間、目にも留まらぬ速さで薙がれた右腕が門下生のひとりの喉を捕らえて力任せに倒す。左の手が別の男の手を引っつかみ、左の足が足払いをかけ、反転した勢いにまかせて右足がまた別の門下生の腹を蹴りつける。まばたきのうち、3人もの屈強な男が床に沈んでいた。
「彼の邪魔は許さぬ。お相手ならば、この十狼が致そう」
 名乗りを上げる、戦うことに至上の喜びを見い出す男の背中。戦う相手の強さは意に介さない。あの笑顔は戦えることへの――狂喜。

 息をのんで預かった楽器を胸に抱き、ハッとして薄野は窓の外を見た。
 建物の中にぽっかりと大きな部屋ひとつ分くらいの四角いスペースが取られた中庭――その中心でカンフー映画から実体化した少年と、その仇が言葉もなくにらみ合っていた。



 夜の訪れ、薄闇の中で一陣の風が吹く。
 先に動いたのはフォンだった。
 一気に間合いを詰め、寸でのところで身を低くする。咄嗟に地についた手を軸に素早く足払いをかけるが高く跳んでかわされ――ウーのがら空きになった懐めがけて拳を叩き込む。
 踏み込みが甘く、かすっただけであったが、ウーは着地時よろめいた。
 すかさず急所である喉を狙い手刀で突くが、これもやはりかするだけにとどまった。
 十狼の言葉が、胸によみがえる。格上の敵を相手にする場合は――
 背後から、風が吹いている……ウーの立つ方向へと。
『いかに意表をつくか』
 再び、少年はぱっと走って間合いを詰めた。やはり、一歩手前で身を低くし――
「何度も同じ手を!」
 今度は横に退ろうとしたウーの視界が、唐突に奪われた。
 足払いをかけるかと思われたそのとき、フォンは砂を投げたのだ。
 間髪いれず叩き込まれた正拳が、みぞおちにめり込む。
 体勢を立て直す間もなく、少年のハイキックが首に入った。
 たまらず倒れ、うずくまるウー。
「……これで、最後だ。師の、仲間のかたき!!」
 拳を振り上げる――が、伏せられた仇の口元がかすかに笑い――次の瞬間、少年の身体は後ろに吹き飛んだ。辺りに轟いたのは、信じられないことに――

「銃だと――」
 冬月が自らが壊した窓の枠に手をかけ、驚きの声をあげた。
 これだから、ムービースターってヤツは!
 全ての門弟たちを叩き伏せた十狼、冬月そして薄野は、フォンの戦いを見守っていた。
 旅の楽師である凛だけがひとり、淡々と笛を吹いている。
「フォン君っ!!」
 窓から身を乗り出す薄野青年であるが十狼に腕を押さえて制される。抗議しようと口を開きかけるが、
「まだだ」
 首を横に振る武人の眼光にひるんで言葉を飲み込んだ。

「このクソガキがっ! こざかしいことを!!」
 砂の入った目を押さえ、ウーはのろのろと立ちあがった。
 右の手には、黒々とした拳銃が握られている。
「ここは面白い街だ。いろいろ便利なものが手に入る」
 手のうちで弄びながら、血にまみれ伏して倒れる少年に歩み寄った。
「お別れだ。呪うなら、師弟そろってバカな紅蓮流を呪え」
 優越に笑ってトリガーを引こうとした――そのとき、突然に少年が身を起こし――左の足首に鋭く熱を感じる。
「――!?」
 咄嗟に引いた足からは、血が一筋流れ落ちる。
 口から血を流しつつ、ギラリと光る少年瞳が見据える――手には、短刀。

 最期の力をふりしぼり、仇へと飛び掛る。下から突き上げた刃が、たがわずウーの腹を切り裂いた。



 地面は、血の海だった。
 腹に銃弾を打ち込まれたフォンは後ろにふらふらとよろめき、力なく背中から倒れこむ。そして、もう、みじろぎひとつしない――。
「……そんな」
 血の気を失って、その場にしゃがみこむ薄野。
「バカが」
 吐き捨てる冬月。
 蒼白になるふたりを他所に――ムービースターたちは至極冷静だった。
 笛を吹き続ける楽師に向かい、十狼が声をかけた。
「……古森殿」
 まるで、いさめるように。
 ようやく、演奏を止める凛。ゆっくりとまばたいて、つぶやく。
「憎しみは、何も生まない――」
 十狼は、ただ黙って目を閉じた。
 ふたりの様子に首をかしげ、中庭に目を向けた薄野は言葉を失う。
「え……?」
 なんと、あの大量の血の跡が、きれいになくなっているではないか。
「どういうことだ」
 窓枠を飛び越え、冬月が少年に駆け寄る。
 風穴を開けられたはずの彼の腹には、銃弾のあとなどどこにもない。可憐な衣装は鮮やかな赤色であるが、どす黒い血の跡は、どこにもみうけられなかった。
 腕をとってみれば、間違いなく規則正しく脈うっている。
 歩み寄る薄野、十狼、そして少し離れた距離で凛が続く。
 冬月が怪訝な表情で振り返った。
「おい、ムービースターども。これは……あんたらの仕業か」
 問いに、十狼は感情のこもらない声で応じた。
「幻だ。そうであろう、古森殿」
「ええ」
 幻惑をつくりだした当人――凛は短く答える。
「幻って……じゃあ、フォン君の仇も無事ってことですか?」
 試しに脈を取ってみて、探偵は頷いた。
「生きている」
「じゃあ……また再戦を――?」
 困惑する薄野に、冬月が「いいや」と指摘した。
「そんな時間はない。あんたらは、竹川導次の仕事で来たんだろ? 今日中にカタをつけろと言われているはずだ」
「そ、それはそうですけど」
「叩き起こすか?」
 冬月の提案に、凛が首をふる。
「すみませんが……すぐには、目を覚ましません」
 全員が、黙り込む。
 しばしの沈黙の後、探偵が再び提案した。
「おい、薄野鎮。あんたムービーファンだよな。バッキーは?」
「ここにいます。雨天、出ておいで」
 呼ばれた真っ黒いバッキー雨天が赤い衣装の懐から顔を出す。頷いた冬月は地面に転がり泡を吹いているウーを指さす。
「このおっさん、そいつに食わせろ」
「は!? だ、だって、そんな風に解決してしまったら、フォン君はっ」
「あんた前回、竹川から報酬受け取ったんだろ? 今回もだ」
 長年、ビジネスとして危険な荒事に身を投げ出し続けてきた男はきっぱりと言いきった。
「1円でも受け取る以上、あんたはプロだ。プロの仕事に浄も不浄もない」
 その信念、ハードボイルドである。
 納得こそできないが、確かにそのとおりかもしれない。歯切れは悪いものの「わかりました」と薄野は頷く。
 ふと後ろを振り向くと、気を失った少年を肩に担いだ十狼と目が合った。
「薄野殿。後のことは――」
「……ええ」
 了解したが、複雑な気持ちだった。
 少年に幻の仇討ちをさせた楽師は言った。
『仇討ちをしても、残るのは人殺しをした自分の手だけ』
 確かに、仇を討ったところで少年の師が生き返るわけではない。
 しかし、それでも――1週間前にフォンがつぶやいた言葉が耳に蘇る。
『正直……どうすることが一番正しいことなのか、わかりません』
 ――僕もだよ。
 どうしようもない気持ちで見上げた空には、星が瞬き始めていた。

 去り行く十狼と、その肩に負われたフォン。
 そして旅の楽師――古森凛の姿は、もうどこにもなかった。



 冷たい風を頬に感じて、フォンは目を覚ました。
 ――ここは、どこだろう。
 辺りは暗いが、見覚えのある場所だった。1週間の修行をした、あの空き地である。
 そして、見覚えのある上着が地面に敷かれ、そこに寝かされていたのだと知る――身を起こして振り向くと、2本の剣を抱き灰色のブロック塀を背に座る十狼の姿があった。彼はもう旅芸人姿ではない、普段どおりの格好をしている。上着は、彼のものだった。
「あの……十狼どの。私は、一体――?」
 困惑する少年の疑問には答えず、十狼は尋ね返した。
「どこか痛いところは? ご気分は、いかがか」
「え……その……大丈夫です」
「何よりだ。後に、茶でも飲みにまいろうか」
「私は――どうして生きているのでしょうか。ものすごい衝撃があって――腹が、焼けたように……」
 拳銃を知らないフォンは自分の身に起こったはずの危機と今の状況とが結びつかずに混乱していた。
 そして――ハッとする。
「ウーは……雷鳴館の館長は!? 私は、確かに奴を刺して――!」
「死んだ」
 正確にはバッキーに食われ、プレミアフィルムに姿を変えたのだが――十狼はあえて言わない。
 今、この少年が欲しがっているのは、そんな説明ではないはずだから。
「フォン殿」
「……はい」
「この十狼、しかと見届け申した」
 代わりに心からの言葉を――同じ武人として、最大の賛辞を。
「見事な戦いであった」
 フォンは何かを言い返そうとして、口を開くのだが、結局何も言葉にならない――たくさんの感情が、一気に押し寄せ――涙を流す。声も上げずに。



「……あれで、本当に良かったんでしょうか」
 満腹になり幸せそうに眠る雨天の頭をそっとなで、踊り子姿ではなく普段どおりの格好に戻った薄野は隣を歩く探偵に尋ねた。
「さあな」
 冬月はそっけなく答える。
「良かったのか、悪かったのか、決めるのはあのガキだ」
「それは、そうかもしれませんが――」
「俺に言えるのは……まぁ、命があってなによりだ、ってことだけだな」
「……冬月さん」
「あ?」
「冬月さんってもしかして、すごくいい人ですか?」
 数秒の間の後、
「……報告は、俺がしておく」
 急に歩く速度を上げる、猫探しのやたらに上手い探偵。右手を挙げて、別れを告げる。もしかして、照れているのかもしれない。
 そう、彼の言うとおりだ。結論を出すことができるのは、結局当事者であるフォンでしかない。
 映画の枠を超えた少年――彼には今、命がある。
 静かな夜の銀幕市。
 耳に蘇る、雷鳴館でのあの演奏。この街に現れたふたりのムービースターがつむぎだした、矛盾をはらんだ不思議な旋律。
 彼らを生かす魔法の力が続く限り、またあの少年に会える日が来るだろう。
 答えは、その時に聞けばいい。
 どうかそれが、良いものでありますように――そう、願いを込めて。
 電燈が、等間隔に暗い歩道を照らしだしている。そのあわやかな灯をたよりに、薄野鎮はゆっくりと歩きだすのであった――。



クリエイターコメントご参加いただきありがとうございました、平岡です。
初の前・後編を書き上げさせていただき、感無量です。
平岡が、シリアスを書くとこんな風になるのですよ。という例ができてしまいました。
……あれ? これ、シリアスですよね?(←確かめるなよ……)

PC様方に対して、一言づつお礼を……と思いましたが、もう、毎回言い訳と謝罪の言葉のみになってしまうので、今回からは割愛させていただきます。
「よし、その言い訳とやらを聞いてやろうじゃないか」という勇者様は、お手数ですが平岡宛にメールをくだされば幸いです。参加いただいたPC様であるとわかるのであれば、空メールでも、「言い訳よこせ」の一言でも大歓迎です。

そして改めまして皆様、ソウルフルなプレイングをありがとうございました☆
公開日時2007-02-19(月) 22:50
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