★ 【銀幕市的百鬼夜行〜百鬼討伐編〜】此方に望む我が願い ★
<オープニング>

 銀幕市という街は、北を山に、南を海に抱かれた、一風変わった街だ。北側半分を取り囲んでいる山々を杵間連山といい、その連山の中で最も高い山を、杵間山という。登山路やキャンプ場があり、夏のレジャー場となっており、頂上近くには展望台があってそこから市を一望することも出来る。また夜景は美しく、密かなデートスポットともなっているようだ。
 その、杵間山の裾野。深い鎮守の森に囲まれた、静謐な空気に包まれた場所に、それはある。
 杵間神社。
 銀幕市の守り神ともされている神社だ。
「……静かですねぇ」
 縁側で熱い茶を啜りながら、年の頃は十四、五といったところの、巫女装束を纏った、長く艶やかな漆黒の髪を携えた少女、日村朔夜はゆるりと微笑んだ。他ならぬ杵間神社の神主の一人娘である。彼女の座るすぐ横では、ピュアスノーのバッキー、ハクタクが午後の暖かな陽射しにうつらうつらとしている。
 祭や正月には大層賑わいを見せる境内だったが、今はただ本来の姿である静けさを湛えている。連立した杉の木も、ただ静かに社を見守っている。
 また、近頃は手足を生やして散歩へ出掛けてしまった品物を探しに行くこともなく、本当に久しぶりにのんびりと過ごしていた。
 ほうと息をついて、再び湯呑みに口を付けた時。
 ぴん、と、何かが引っかかった。
 朔夜は湯呑みを置く。微睡んでいたハクタクが、朔夜の肩によじ登った。ハクタクを一撫でして、朔夜は駆け出した。何とも言えない焦燥感が、朔夜の体を動かした。
 静かな境内に、朔夜の慌ただしい足音が響く。
 行き着いた先は、杵間神社が神宝、『雲居の鏡』が納められた本社のその奥。
 一式の祭壇がしつらえられた、その中央で、神宝『雲居の鏡』が鎮座している。鏡の中の朔夜と目が合った時、その鏡面がゆらりと揺らめいた。
「これは……っ?!」
 『雲居の鏡』が映し出したのは、杵間神社。玉砂利の敷き詰められた境内、その入り口に堂々と立つ鳥居。その先には鎮守の森を抜ける参道。その中を、歩くものたちがある。
 しかしそれは、人ではない。
 人のような手足を生やした、動くはずの無いものたち。
「……百鬼夜行……」
 ぽつり、朔夜が呟いた時、ぞわりと背筋が泡立った。慌てて奥社を飛び出すと、そこには今まさしく『雲居の鏡』に映し出された光景が広がっていたのである。
 朔夜は息を呑んだ。
 その後ろで、かたりと何かが倒れる音がする。
 はっとして振り返ると、『雲居の鏡』もまた手足を生やして駆けて行くところだった。
 一昨年の秋のことが朔夜の脳裏に甦る。神宝を失くすなど、神社に使える者にとってこれ以上無い失態である。
「いけない!」
 慌てて追いかけるが、予想外に素早い動きに、朔夜はあっという間に『雲居の鏡』を見失ってしまった。
「大変、急いで父上とおじいさまに……」
 言いかけて、朔夜は一升瓶を抱えて眠りこける父親と、ボケて昼ご飯は食べたかいの〜と聞く祖父を思い浮かべる。
「いいえ、対策課に知らせなければっ!」
 動き出した器物たちは、妖怪という名をその身に冠して、一様に銀幕市を目指し行列を成すのであった。

 ★ ★ ★

 杵間山を下りきった辺りで、妖怪と化した器物たちは三々五々と思い思いの場所へと散って行った。
 そのうちの一集団の棒状の体から手足を生やした器物がぴたりと足を止め、溜息をつく。
「ふぅー、やれやれ。わしをあんな場所に閉じ込めおって。お陰で体がなまってしまったではないか」
 トントンと人間で言うところの腰の辺りを叩きながら愚痴をこぼす。勿論、この器物にそんなものは存在しないのだが。
「さて、これからどちらへ向かおうか?」
 くい、と角度を変え、遠くを望むような、何かの気配を探るような仕草をする。暫くして向かう方角が定まったのか、
「ふむ、何やらあちらが賑やかな様子。どれ、わしと相性の良い者が居るといいのじゃがな」
 とこぼす。
「そうだな、我も、我を上手く使いこなせる者を探すとするか」
 美術品としての価値もある、美麗な装飾を施された彼も同意を示す。
「私は可愛い女の子がいいわ。甘い香りとフワフワした感じの子! ああ、そんな子に出会えないかしら?」
 自らの体もフワリとしたレースに包まれた彼女が言う。
「では、これにて、暫しの別れか?」
「うむ。またよい者が見つかれば、再会するのも良かろうて」
「そうね。次に会う時はお互いハッピーだといいわね」
 彼等はそう言葉を交わし合い、わらわらと他方向へと歩いて行った。

 杵間神社発の突然の百鬼夜行。
 何か切っ掛けがあるはずなのだが、まだ誰にもわかってはいない。
 ただ、妖怪化した器物には、人間に害成すものもあれば、そうでないものもある。
 本来ならば物言わぬモノたちの、オモイがただ、彼等を突き動かしていた……。

種別名シナリオ 管理番号371
クリエイター摘木 遠音夜(wcbf9173)
クリエイターコメントこんばんは。
久しぶりのシナリオのお誘いです。
今回は杵間神社から逃げ出した器物たちの捕獲シナリオとなっています。
勿論、捕獲ではなく討伐でもかまいません。
参加PC様においては、対策課からの依頼を受けての捕獲乗り出しになりますが、他方面からのアプローチでもかまいません。
出来れば逃げ出した器物の願いを叶えていただければ、と思っています。
私が取り扱う器物は三つ。
二つは楽器で一つは人形です。
それぞれのヒントは……
・移動中は縦長ですが使用する時は横向きで使います。
・同じ名前の湖がありますね。
・西洋か東洋かと言ったら西洋ですね。
以上です。わかるかな?

※注意事項
・妖怪化した器物たちはムービースターではないので、バッキーに食べさせる事は出来ません。
・【銀幕市的百鬼夜行】は全て同時に起こったものである為、同一PCによる複数のシナリオへの参加はご遠慮下さいませ。

皆様のご参加をお待ちしております。
よろしくお願い致します。

参加者
コーター・ソールレット(cmtr4170) ムービースター 男 36歳 西洋甲冑with日本刀
鬼灯 柘榴(chay2262) ムービースター 女 21歳 呪い屋
朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
古森 凛(ccaf4756) ムービースター 男 18歳 諸国を巡る旅の楽師
<ノベル>

 鬼灯柘榴(ほおづき・ざくろ)はいつものように着物を織って過ごしていた。最近では、市役所からの依頼や、個人的な仕事がない場合は、このように過ごすのが常であった。
 だが、杵間山の方角からただならぬ妖気を感じて、ふと手を止める。
「何やら杵間山の方が騒がしいですね」
 柘榴は部屋に一人でいるはずなのだが、その独白に答える声があった。
『ああ、強い気を感じる。何かが生まれたか、派生したかしたようだな』
 声は柘榴の影から聞こえていた。
「ムービーハザードでしょうか? ならば、対策課に依頼が来ているはず。久しぶりにまともな食事にありつけるよい機会ですね」
『そうだな、我々はともかく、貴女は人だ。幾ら耐性があるとはいえ、丸一日、水だけで過ごすのはどうかと思う』
「ふふ、耳が痛いこと。では、久方ぶりに外の空気を吸いに出かけましょうか」
『御意』
 カタリと柘榴が椅子から立ち上がった時には既に、もう一つの気配は消えていた。


 柘榴が異変を感じた頃、古森凛(こもり・りん)もまた、杵間山に異質な空気を感じていた。
「杵間山から強い妖気が流れていますね。それに影響を受けたもの達がこちらに向かって来ているようです。さて、私はどうしましょうか」
 凛は“悟り”の能力により、百鬼夜行が始まった事を感じていた。
「そうですね、まずは彼らに害意があるのかないのか、まずはそれを見極めるとしましょう」
 そう独白すると凛は、一旦止めた足を動かし、再び歩きだした。





 タタタタタタタ……

「うわっ、あぶねぇ!」
 お頭の命により、銀幕市中に散らばった器物――彼等【アルラキス】が探しているのは鏡のみであったが――を捕獲すべき、町中を走り回っていたセイリオスの足元を、何かが駆け抜けて行った。危うくソレに足を取られそうになった彼は、声を荒げ、ソレが走り去った方向を見やる。
「何だ? あれも妖怪化したキブツか? ま……オレ達が探してんのは鏡だし、関係ねぇか」
 セイリオスの足元を駆けて行ったのは、細っこい手足を生やしたお猪口。ぶっちゃけお頭の命でなければ、鏡探しなんて面倒臭くてやってらんねぇと思っていた彼は、あっさりと見逃した。
「……っと、呆けている場合じゃなかったぜ。鏡、鏡、鏡や〜い、っと」
 おちゃらけた口調の独白を残し、鏡捜索へと戻る。
 そんなセイリオスの様子を植え込みから見詰める二つの目があった。鏡だ。
 完全にセイリオスの姿が見えなくなるとガサゴソと植え込みから這い出す。鏡はセイリオスが向かったのと違う方角へと逃亡を再開した。





「何かしら? これは……」
 朝霞須美(あさか・すみ)は自身の目の前を行進している器物達を眺めながら呟いた。
「百鬼夜行、と言うのよ。ご存じない?」
 須美の横に、いつの間にか柘榴が音も無く並び、彼女の問いに答えていた。
 驚きつつも、須美は平静を装い、憎まれ口を叩く。
「相変わらず、得体の知れない人ですね」
「ふふ、久しぶりですね。ツンデレさん?」
「だ、誰がツンデレですか! 私の名前は朝霞須美です!!」
「あら……そうでしたわね。ごめんなさい」
 ふふ、と口の端に笑みを浮かべながら、柘榴は少しも悪びれる様子もなく謝罪する。
 思わず激昂して叫んでしまった須美は、コホンと咳払いをして話題を変える。
「それよりも、どうして百鬼夜行が起こってしまったのかしら?」
「さあ……。私もその情報を得る為に市役所へ行くところなのです。宜しければ、須美さんも如何?」
 ちらりと横目で須美を見やり、柘榴が誘う。
「そうね、何かが起こっているのであれば、解決したいわね」
 柘榴と一緒に、というのが少し不本意ではあったが、須美は同行する事にした。


「ふふ、そんな面白……いえ、大変な事が?」
「まあ、そういう事だったのね」
 市役所に訪れた柘榴と須美は、日村朔夜から説明を受け、得心したように言葉を漏らす。
「そうなんです。逃げ出した器物の中には貴重な物もあって、困ってるんです。どうか助けて下さい」
 朔夜の“貴重な物”という言葉に柘榴が反応する。
「そう……。それはお困りでしょうね。わかりました、協力しましょう。その代わり、対策課の報酬とは別に、対価を頂きますよ?」
 クク、と柘榴が意味深に笑うのを、対策課の植村直紀は見逃さなかった。いや、運悪く目撃してしまった。
 ――ぞくり
 植村の背中に悪寒が走る。
 おかしな事にならなければいいのだが、と心の中で呟いた。





 賑やかな気配に誘(いざな)われ、やって来たのは銀幕広場だった。冬の最中(さなか)にも関わらず、若者達でごった返している。
 どうやらインディーズバンドのコンサートが行われているようで、いつもよりも人手が多く、賑やかであるらしかった。
「ふむ、楽曲を奏でる者達か……。ちょうどよい、彼等の荷物に混じって、わしを使える者を探すとするか」
 よいせ、と細長い体を彼等の荷物と思しきバッグに滑り込ませる。体が閊(つか)えて転げ落ちる形となったのだが、中に入れたので良しとする。
 暫く、若者達の音楽に耳を傾け、時を過ごした。
「少々賑やか過ぎる楽曲ではあるが、なにやら愉快な気分になってくるの」
 ふふ、と笑みをこぼし、独り言(ご)ちる。
 ジャーン、とひときわ大きく音が弾けたかと思うと、一瞬、広場に静寂が訪れる。
 程なく、ざわざわと話し声が戻り、集まった人達はバラバラと散って行った。コンサートが終わったのだ。
 バンドのメンバーと思われる者達が自分の方へ向かってくるのを認めた彼は、見つからないように体をバッグの奥へと潜める。
 メンバーの一人が、そのバッグの紐を肩に掛けながら、他のメンバーへと声を掛けた。
「なあ、これからどうすんだ? 打ち上げ?」
「もっちよ! コンサートも大成功だったし、今日は遅くまで騒ごうぜぇ!」
 と、近くにいたバンドファンの女性の腰を引き寄せ、頬にキスをする。
 キャア、と言いながらも嫌がっていない彼女は、多分打ち上げの後、お持ち帰りされるのだろう。


「最近の若者は、随分と大胆になったものだのぅ」
 バッグの中で揺られながら彼は呟く。コソリと頭を突き出し、辺りを見渡せば、町の様子が随分と様変わりしているのがわかる。
 自分があの者の手にあった時から、どの位時が経ってしまったのだろうか?

 ――あの者

 はて、あの者とは一体誰であったろうか? すごく身近で、大事な人物であったような気がするのだが、思い出せない。
 焦燥感がにわかに押し寄せる。
 つらつらと想いを廻らせていた彼だが、一瞬不穏な空気を感じて顔を上げる。
「あやつは……」
 前方に歩く人物の手に握られた――いや、纏わり付いていると言った方が正しいだろうか?――木刀に見覚えがあった。
 ふと、目覚めた時の記憶が蘇る。

 ――気が付けば、闇。
 全くの闇という訳ではなかったが、とにかく薄暗かった。光源と言えば、壁の間から細い光がちらちらと入り込んでいるだけ。
 自らの体を起こせば、あちらこちらで蠢く影があった。ぼんやりしているもの、近くの同類に話し掛けるもの、キョロキョロ辺りを見渡しているもの、様々である。
 その中に明らかに異質な気を放つものがあった。歪で禍々しい気――。
「おぬし、何故そんなに苛立っておるのだ?」
 わしは無意識に話し掛けていた。
 声に気付いた木刀が、ゆるりとこちらに向き直る。
「何故? 何故だと?! ふふん、愚問だ。全てのカップルをバッサリ別れさせる事こそが俺の存在意義! どっかの怪しい神主が丹精籠めて練りこんだモテない冴えない男の僻み、そういうちょっと情けない男の情念で俺はできているんだ。それが事実である以上俺にとってそれは存在意義であり本能! ふふふははは、止めても無駄よ!」
「ふむ。それがおぬしの業か……。あ、これ、待たんか!」
 なおも言い募ろうとするわしに背を向け、あやつは行ってしまった。
 それにつられてか、明確な意識を持たぬもの、目的の無いものはゾロゾロとついて行った。
「しかし、それでは虚しくないのかのぅ?」
 今はもう、姿の見えぬ木刀へと問い掛ける。

 クレイグに握られた木刀を眺めつつ、回想していると、くるりと向きを変え、突進してきた。
 物凄い形相で迫ってくる彼等に、バンドのメンバーはまだ気が付いていないようだった。
「ちぇすとぉっ!」
 クレイグが雄叫びを上げて、木刀を振り下ろしてくる。狙いは女性ファンと歩いているメンバー。
 危ない! と目を閉じる彼の耳に、ガギッという音が響く。
 うっすらと目を開けると、仮面を着けた青年がレイピアで木刀を受け止めているところが映った。
「いきなり人に襲いかかるなんて穏やかじゃないね」
 青年はクレイグに話し掛け、説得を試みようとしているようだった。
 襲われかけたメンバーは、尻もちをつき、一瞬呆けていたが、青年が攻防を繰り広げている隙に這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げ出した。
「あ、待てよ!」
 他のメンバーも彼について走り去る。
 彼等が逃げ出すのを確認した青年は、安堵しつつクレイグに全神経を集中させた。


「しっかし、驚いたよなー。何だよあれ。いきなり襲いかかってくるってアリ?」
 クレイグの襲撃からなんとか逃げ出した彼等は打ち上げ会場と定めた居酒屋へと来ていた。
「そうよねぇ、あれにはビックリしたわ。ヴィランズかしら?」
「刺激的でいいちゃ、いいんだけどなぁ。今日だけはマジ勘弁、って感じだよな」
「そうそう、せっかくいい気分だったのによぉ」
 メンバーは一様に溜息を吐く。
「ま、危機は回避できたんだし、乾杯でもしねぇ?」
「サンセーイ」
 腕を振り上げた拍子に荷物に引っ掛かり、バッグの中身が散らばった。
「あーあー、何やってんだよ、もう」
 メンバーの一人がぶつぶつ言いながらも散らばった中身を掻き集める。
「あれ? 何だこれ。お前、こんなモン持ち歩いてんの?」
 と、細長い物体を本人の前にかざす。
「え? それ俺んじゃないぜ」
 目の前に出されたのは古ぼけた横笛。篠竹で作られた篠笛と呼ばれるものだ。
「じゃあ、誰のだよ?」
 メンバーを見渡すが、皆首を振って自分の物ではないと主張する。
「やだぁ、怖ーい」
「うーん、今日はおかしな日だな。何か起こってんのか?」
 コト、と横笛をテーブルの上に置きながら呟く。
「おまたせしましたー」
 いつの間にかメンバーが注文していた飲み物が届き、乾杯をする。

 プハー。

 人心地ついた彼等が先ほどの笛に視線を移すと、置いた場所にはすでに何も無かった。テーブルの下を覗き込んだりもしたのだが、無い。
 ますます不可解な気分になるが、酒の力も手伝って、時間の経過と共に横笛の存在など忘れてしまった。
「やれやれ、見込み違いじゃったか。仕方ない、もう暫く歩いてみるかのぅ」
 自身を使ってくれそうにないバンドメンバーに見切りをつけ、横笛はそっと居酒屋を後にした。





 その頃、彼は逃げていた。全力疾走で逃げていた。

 ――何故こんな事に!!

 彼の後ろを見れば、若い男達が薄ら笑いを浮かべながら追ってきている。
「なぁ、あれって本物かな?」
「偽物でも高く売れるって!」
「でも、足生えてんぜ? 大丈夫かよ」
 そんなもの毟(むし)ればいいのさ、などと物騒な事を言いながら追いかけていた。
「何だ? あの者達は。何故我を追い掛け回すのか。解らぬ」
 ぜぇはぁ言いながら疑問が口に上る。
 彼の不幸は己がどんな姿であるか、自分がどれだけの価値があるのか知らない事であった。
 迂闊にも彼は、人通りの多い商店街で自分を扱える人間を探していた。多くの者は、彼がムービースターかレプリカだと思い、見て見ぬ振りをしていたのだが、稀に彼等のように欲に駆られた人間に追い駆け回されていた。
 その度に建物と建物の隙間に滑り込んだりして難を逃れてきたのだ。
「ぅおあ!!」
 突如地面が消え、彼は暗闇の中へと吸い込まれていった。
 ――マンホールに落ちたのだ。
「おい、落ちたぞ。壊れてねーかな?」
 追ってきた男達はマンホールを覗き込むが、すぐに警備員がやって来て、彼等を追い出した。
「ちょ、俺達、そこのマンホールに用があるんだって」
「駄目駄目。今作業中なんだから、出て行った! 危ないだろう?」
 彼等は何とか突破を試みるが、警備員に難なく押し返された。
 何度か攻防を繰り広げていたが、
「坊ちゃん達、いい加減にしねぇと……」
 我慢の限界に達した警備員が本性を現し、ドスの利いた声で彼等を脅す。
「ヒィ……!」
 彼等は「もしかしてこの人、ヤのつく人なのか?!」と、一様に驚き、その場から猛ダッシュで退散した。
 彼は何とか今回も危機を脱したようだ。





「あー、めんどくせぇ。こんなに色々あると、疲れるんだよなぁ」
 疲れた顔で、セイリオスがブツクサとこぼす。
 グゥ……
「チクショウ、腹が鳴っちまったじゃねぇか」
 腹が減ったせいで一気にやる気が削がれる。電信柱に手を着きながら、何かないかと頭を巡らすと、一軒の食堂が目に付いた。
「飯……」
 ――いやいや、待て待て。
 頭の中に制止する声が聞こえるものの、誘惑には勝てなかった。何せあの店からは、いい匂いが漂っていたのだ。

 ガラリと戸を開けると
「いらっしゃいませー」
 と、元気な店員の声が響いた。ついでにセイリオスの腹にも響いた。
 どっかりと椅子に座った彼は、壁に貼られたお品書きを眼で追う。
「お?」
 その内の一つに目が留まった。――期間限定。非常に惹かれる。
 セイリオスの頭の中で脳内会議が始まった。
 食事は皆でする事になっている→軽食ならいいんじゃね? どうせ鏡捜索で体力使うし、うまいもんがあったら紹介したいし→んじゃ問題ないじゃん→終了、決定。
「スンマセーン、お汁粉一つー!」
「はーい」
 店員の威勢のいい返事で、ちゃんと注文が受け付けられた事を確認する。
 厨房では注文を受けた店員がお碗を食器棚から出そうとすると、台の上には既に新しいお碗が出ていた。
「あら、こんなお碗あったかしら?」
 だが、そこにあったのは、いつも使っているお碗とは違い、漆塗りの高級そうな物だった。
 訝しげに思った店員は、その碗を脇に追いやり、いつも使っている物を取り出した。
「ちっ、駄目か」
 小さく舌打ちしたそれは、次の機会を窺う。こんな所にも妖怪化した器物は紛れ込んでいたのだ。
「すみませーん」
 と呼ぶ声に、店員はお碗から目を離した。この機会を彼は見逃さなかった。
 置いてあったお碗を流しに追いやり、代わりに自分が何食わぬ顔で鎮座する。
 客の声に気を取られた店員は、お碗がすり替わっている事に気付かず、そのままお汁粉をよそってセイリオスのもとへと運んだ。
 セイリオスは自分の前に置かれたお碗を、待ってましたとばかりに引き寄せる。
「ぐふふふふふふふ」
「何だ?」
 奇妙な音(?)にセイリオスは首を傾げる。
「ま、いっか」
 変な音よりも食欲の方が勝った彼は、お汁粉を一口啜る。
「おう、久しぶりの感触じゃわい」

 ――ピタ。

 はっきりと聞こえた声に、セイリオスは動きを止め、自分の手の中にあるお碗をまじまじと見つめた。眉間にはくっきりと皺が刻まれている。だが、特に変わったところは見られなかった。
「気のせいか?」
 と再びお碗を口に運ぶとフンフンフーン、と今度は鼻歌のようなものが聞こえてきた。しかも凄く近くから聞こえる。
 訝しんだセイリオスはそっとお碗を口から離し、再び眺める。
 ぷらん、ぷらんと何やら視界の端に揺れてるものが見える。それは細い脚のように見えた。
 そろりとお碗を回すと丸い目と視線が重なり、それはニヤリと笑った。
「うわっ! なんだコイツっ?!」
 驚いたセイリオスは思わずお碗から手を離してしまった。が、お碗は台の上に転がらなかった。必死にセイリオスの手にしがみついていたのだ。
「こりゃ、手を離すんじゃない! 中身がこぼれてしまうではないか」
「お、おう。悪ぃ」
 少し中身をこぼしてしまったお碗が説教をする。
「……まいった。これ、どうすればいいんだ? 店員に言ったら換えてもらえるのか?」
「何故換える必要があるんじゃ? このまま食せばよかろうに」
 はぁー?! と口を尖らせるセイリオスに、さあさあとお碗が詰め寄る。
 まったく今日の俺はついてない。面倒臭い探しもんはあるし、変なお碗に捕まるし、ふざっけんな!
 心の中で悪態をつくが、どうしようもない。実はこの後、もっと嫌な事態に巻き込まれるのだが、今の彼には知る由もない。





 ――おかしい。どうも妙な気配がする。
 コーター・ソールレットは、先程から何者かに付き纏われている気がして落ち着かなかった。少し歩いては足を止め、また歩き出す、といった事を繰り返していた。
 そんな様子のコーターを見て、ケタケタ、キャキャキャと嗤うものがいた。
「むむ、何奴?!」
 足を止め、勢いよく振り返ってみるが、誰もいない。歩き出すと笑いさざめきながら何かがついて来る。
「ぬぅ……」
 唸りながらまた歩き出すが、今度は数歩歩いて
「いい加減にせぬか!」
 と怒鳴りながらくるりと向きを変え、猛ダッシュ。驚いた追跡者は口々にキャーキャー、ワァワァ言いながら逃げて行く。
「逃すか!」
 コーターはおもむろに頭に手を掛け、投げつけた。

 ゴッ、ガランガラン……

 投げられた頭部は派手な音を立て、地面に縫い付けられた。
「何だ? 何が起きた? 出せよ、出してくれよぅ」
 兜からはドンドンガンガンと内側から叩く音や、くぐもった声が漏れていた。どうやら一体ほど捕獲できたようだった。
 コーターはソレが逃げ出さぬよう注意深く兜を拾い上げ、捕獲物を手で摘んでから、頭に被せた。捕まったのはお猪口だった。
「ギャー、放せ! 放してくれよぅ」
 コーターの手に摘ままれたそれは、ジタバタと細い手足を動かしながら懇願する。
「うむ、拙者の問いに答えたら放してやらんでもない」
「本当か?」
「むろん、武士に二言はない」
 大仰にコーターが頷く。するとそれはピタリと動きを止めた。
「じゃあ、何でも聞いてくれよ」
 ちょいと胸を張る仕草をして言う。
「貴殿らは何者なのだ?」
 その問いにお猪口が不思議そうな顔をして答える。
「見てわかんねぇのか? 俺はお猪口だよ」
「ぬぅ。そうではなくて、ムビースターなのか、それともこの町に仇なすヴィランズなのか、という事を聞いておるのだ」
「お前、頭大丈夫か? 言ってる事全然わかんねぇぞ。俺はお猪口だって。それ以外の何物でもねぇぞ?」
 そうか、彼等は実体化したばかりで、自分達が何なのかわからないのだな、とコーターは思う。
「なあ、いい加減放してくれよー」
 なかなか手を離してくれないコーターに焦れて、お猪口が暴れ出す。
 その様子を植え込みから見守っていた他の器物達がわらわらと姿を現し、仲間を助けんとコーターに群がる。
 彼等は口々に、「放せ」だの「嘘吐き」だの言いながら、コーターによじ登ったり、甲冑をガタガタ揺すったりし始めた。
「ま、待て、拙者の話を聞くのだ。むぐぅわぁ……!」
 とうとう、全身を器物たちで覆われ、喋る事も身動きする事も出来なくなってしまった。
 誰かお助け……!!


 コーターが器物に纏わり付かれ、煩悶していると、微かに笛の音が聞こえてた。

 ザワ、ザワ……

 器物たちの様子が先程と変わってきていた。
 ガタガタと甲冑を揺らしていたものは手を止め、体に纏わり付いていたものも下り始めていた。
 コーターの手に摘まれジタバタしていたお猪口も、どこか呆けたような顔をしている。
「大丈夫ですか?」
 コーターの前に現れたのは凛であった。自身の笛を奏で、器物たちの気を静めたのだ。
「かたじけない。メガ助かったのだ」
「いいえ。でも、なかなか壮観でしたよ」
 青年はにこりと笑う。
「しかしこやつ等は何者なのだ?」
 凛が答えを知っているとは思えなかったが、先程からの疑問が口をついて出た。
「彼等は、杵間山に充満している妖力に影響を受けて妖怪と化した器物のようですね」
「なんと、そうであったか!」
 答えが聞けると思わなかったコーターは、しきりと感心して頷いた。
「しかし、こやつ等をこのままにしてはしておけぬのだが、どうすれば良いであろうか?」
「まずは対策課に相談するのがいいでしょうね」
 凛の言う事はもっともであった。
「ではこやつ等が逃げぬよう、連れて行った方がよいだろうな」
「そうですね。でも、こんなに沢山の器物をどうやって運びましょうか」
「それには心配及ばぬのだ。拙者の体に入れて運べば問題ない」
 コーターは兜を取り、空洞になっている自らの体を凛に見せた。
「ああ、これなら大丈夫ですね」
 その話を聞いていた器物たちは、口々に異議や疑問を唱えた。
「その対策課って所に行ったらどうなるんだ?」
「俺、まだ騒ぎ足んねぇ」
「捕まるのは嫌だよぅ」
「おらの体、まだ使って貰ってねえだ」
「逃げるか? 逃げるか?」
 段々と逃亡論の方へ意見が固まりつつあるのを聞いて、コーターは慌てた。
「待て待て、貴殿らはこのままではムービーハザードとして処理されかねないスーパー危険な状態なのだ。拙者も貴殿らと同じ妖怪のようなもの。気持ちは解らぬでもないのだ」
「でもなぁ……」
 なおも渋る器物にコーターは畳み掛ける。
「貴殿らが望むなら、引き取り手を捜すし、見つからなければ拙者が引き取ってもよい。どうであろうか?」
「私もお手伝いしますよ」
 と凛も協力を申し出る。
「そうかぁ? 今度は嘘吐くなよ」
 渋々納得した器物たちは次々とコーターの体の中に納まっていった。





「うう〜ん、と。よいせ」

 ゴロン……

「やれやれ、酷い目にあったな」
 マンホールの蓋を何とか押し除け、彼は地上に這い出た。いい具合に閑静な住宅街へと出たようだった。
「やれ、これで少しは休める」
 縁石に腰掛け休んでいると、向こうから怪しげな女が歩いて来た。彼女は歩き回る小さな器物を捕らえるでもなく、微笑ましげに眺めていた。
 その女は我と目が合うと話し掛けてきた。
「あら、こんにちは。……琵琶さん、とお呼びすればいいのでしょうか」
「我に決まった名前はない。好きに呼ぶがいい」
「ふふ、私があなたの名を付けて良いと、そうおっしゃるのですね」
 柘榴の瞳が微かに光ったような気がして、彼はぎょっとする。
「いや待て、唯の琵琶でよい」
 慌てて彼は訂正した。彼女に名を付けさせてはいけないような気がしたのだ。
「……残念」
 せっかく呪で縛る良い機会だったのに、という言葉は口に乗せない。
「時に、お主はこんな所で何をしておったのだ?」
 柘榴はふっと笑い、
「貴方を探しておりました」
「何だと? お主も先程の者達のように我を捕らえようとしているのか?」
 琵琶は怪訝な表情で言う。
「……失礼しました。少々言葉が足りなかったようです。貴方の望みを叶える為に、私はここに来たのです」
 柘榴は空々しいほどに優しく笑う。
「望み……。」
 確かに望みはある。あるが……。
「貴方が望むものを与えられるかどうかは解りませんが、貴方が望むのなら私が叶えましょう」
 柘榴の言葉に心が揺れる。
「ですが、対価は頂きます。私は呪い屋。対価なしには動けません。――そう、貴方の場合は美しい音色。さて、如何致しますか?」
 やはりな、と琵琶は思う。ただの善意だけで人は動かぬのだ。
「だが、我から音を奪えば何もなくなる。唯のガラクタ同然だ。そんなものを如何する?」
「ふふふ」
 さも可笑しそうに柘榴が笑う。
「貴方の装飾は大層美しい。たとえ音が出なくとも、欲しがる人はたくさんいます。――ですが、私は貴方を売ったりはしません」
 琵琶は困惑した。
「貴方は強い望みを持ち、私はそれに呼ばれた。強い望みは呪いとなります。呪いは私の領分、貴方が望むのなら叶えましょう」
 ビイィイン……
 琵琶は自身の弦を爪弾いた。
「我の願いは飾られる事ではない。我を奏でて欲しい、それだけなのだ。お主は我を上手く扱えるのか?」
「そこそこ扱えるかと」
「ならば好きにするがよい」
 半ば投げやりに琵琶は言う。
「では、そのように」
 柘榴は琵琶を手にし、薄く笑った。





 対策課で柘榴と別れ、バイオリンのレッスンに向かっていた須美は、何度か器物らしきものと遭遇していた。だが、捕まえようとして手を伸ばすと、それらは一目散に逃げていった。
 捕まえられなかった須美は
「……レッスンが終わってからでも遅くないわよね」
 と、器物の捕獲は後回しにした。


「全く、失礼しちゃうわ」
 先程あった事を思い出して、彼女は憤慨した。
 コンサートも終わり、静けさを取り戻しつつあった広場に彼女は佇んでいた。否、広場に備え付けられているベンチに座っていた。勿論、自分を拾ってくれる女の子を捜して。
 と、そこへ小さな女の子がやって来たのだ。
「ママー、お人形さんがいるよー?」
 ちょっと年齢が低い気がしたのだが、女の子だし、そこそこ可愛いからいいわ、と思っていた。
「あら、本当ね。誰かの忘れ物かしら?」
「ねー、連れて帰ってもいーい?」
「駄目よ、よく見たら埃だらけだし、汚いから止めておきなさい」
 ――カチン。
 彼女は屈辱にブルブル震えた。
「ちょっと、汚いって何よ!」
 思わず彼女は叫んでいた。
「やだ、ちょっと。これ、呪いの人形とかじゃないでしょうね?」
「ママ、怖ーい」
 ガアン!
 ショックだった。汚いとか呪いの人形とか怖いとか……。
 真っ白になっている彼女を尻目に親子はそそくさとその場から立ち去って行った。
「何よ、あなた達なんかこちらからお断りよ」
 ジワリと涙が滲んだ。自分に涙が流せるなんて今まで知らなかった。知らない方がよかった。
 思い出したらまた悲しくなってきた。
「あなた……。西洋人形さん?」
「え?」
 涙ぐむ彼女に話し掛ける者がいた。レッスンを終えた須美である。
 彼女は慌てて涙を拭い、須美を見詰めた。
「何かしら? 私に何か用?」
 気恥ずかしさも手伝って、ぶっきらぼうに答える。
「ええ。あなた、杵間神社からいらしたお人形さんじゃない?」
「そうよ、よく知っているわね」
「あなたはどうして杵間神社から抜け出してきたの? 朔夜さんが探していたわよ」
 ――朔夜。あの神社の子ね。彼女の事は嫌いじゃないけど、でも……。
「人を……、人を探しているのよ。」
「人? 探している人の名前は何て言うのかしら?」
 ふう、と彼女は息を吐いて言った。
「名前なんて知らないわ。……私を、私として見てくれる人を探しているの」
「そう……」
 ちらりと彼女は須美を見て更に続ける。
「で、あなたは私をあそこに連れ戻したいの?」
「あなたはどうしたいの?」
 須美は逆に問い掛ける。
「私は戻りたくないわ。朔夜の事は嫌いじゃないけど、彼女にとって私は特別じゃないもの」
 今まで色んな人の手に渡ったが、彼女が幸せだと感じていたのは、生涯ただ一度だけ。
 ――それも長くは続かなかったが。
「あなたに名前はあるのかしら?」
 須美は人形に尋ねてみた。
「……ティアよ。ティア・リ・デル。この名前が一番気に入っているわ」
 かつてあの少女が自分につけてくれた名前。
 ティアが視線を動かすと、須美の手に握られたバイオリンケースに気が付いた。
「あら、あなた、バイオリンを弾くの? 素敵だわ、何か弾いてくれない?」
「いいわよ。ではソナタを何か一曲」
 須美はバイオリンケースからバイオリンを取り出し、かまえた。須美が弓を引くと、冬のピンと張り詰めた空気のような澄んだ音が流れ出る。
 ティアは静かに目を閉じ、須美の奏でるソナタに耳を傾けながら、彼方へと想いをはせる。幸せだった、あの時代(とき)へ。

 彼女は私をとても可愛がってくれた。
 目が覚めればおはようと挨拶してくれたし、彼女のベッドで一緒に眠ったりもした。
 食事の時も、庭で遊ぶ時も、いつも一緒にいてくれた。
 可愛い服もたくさん。おそろいの服だってあったわ。
 彼女の事が大好きだったし、私はとても幸せだった。
 ――でも、彼女は時折、窓の外を寂しそうに眺めていた。
 その時の私は、何故彼女が寂しそうにしているのがわからなかった。
 だけど……

 はたと気が付けば、演奏を終えた須美がこちらを見詰めていた。
「なかなか素敵だったわ。――上手いのね」
「ありがとう」
 須美は微笑して答える。
 少し思案し、須美は口を開いた。
「一つ提案があるのだけれど、いいかしら?」
「なあに?」
 ティアは首を傾げる。
「あなたさえ良ければ、私の家に来ない? 勿論、それには朔夜さんの了解も得なければならないのだけれど」
 ドキンと胸が鳴った。
「それは、私を引き取るって事かしら?」
「ええ、そうよ」
 ――本当に?
 先程まで感じていた嫌な思いは、その一言で消え去ってしまった。
 ティアが何か言おうと口を開きかけた時、
「なんじゃ、もう終わってしまったのか」
 と二人の間に割って入るものがいた。それは須美の顔を見詰め問いかけた。
「のう、おぬしはわしを使えるか?」
 声の主は横笛だった。バイオリンの音色を聞きつけ、淡い期待を胸にやって来たのだった。
「ごめんさい。私、横笛は吹けないの」
 明らかに落胆した彼が言った。
「いや、いいんじゃ。ちょっと聞いてみただけじゃて」
 須美が申し訳なさそうに佇んでいると、ガッシャン、ガッシャンと少々喧しい音が近付いてきた。
「……彼も器物? でも、朔夜さんから甲冑の器物の事は聞いてないけど」
「ああ、いやいや、確かに拙者は器物ではあるが、彼等とは別モノなのだ。いわゆるこの町で言うところのムービースターなのだ」
 両の手を振りながらコーターが言うと
「……そう」
 と、そっけなく須美は返した。
「その反応、スーパー切ないのだ」
「はははははははは」
 明るい笑い声が辺りに響く。何事? と思って須美が怪訝な表情をすると、コーターの後ろから凛が姿を現した。
「すみません。あなた達のやり取りが可笑しくて、つい……」
 くっくっくと、身を屈めて笑っていると、横笛と目が合った。
「おぬし……」
 一瞬凛の顔から表情が消え、今度は穏やかな笑みを横笛に向ける。
 ――似ている、と横笛は思った。懐かしい誰かに。前にどこかで会った事はなかったかと聞きたかったが、口をついて出たのは違う言葉だった。
「おぬしはわしを使えるか?」
 凛がにっこりと笑って言う。
「ええ、横笛は得意ですよ」
「そうか!」
 横笛の顔がパッと輝いた。
「では、わしを、わしを……!!」
 自身を扱える者をやっと見つけた喜びで、上手く言葉にならない。
 だが凛は横笛の言いたい事がわかったとばかりに頷いた。
 凛は須美に向き直り、
「貴女も楽を嗜まれているのですね。私と合奏してくれませんか?」
 と合奏を願い出る。
「ええ、それはかまわないけど……」
 突然の申し出に須美は少し戸惑っていた。
「お礼に、と言っては難ですが、貴女の胸に痞(つか)えているものを取り除いて差し上げましょう」
 言うなり、須美の手からバイオリンを抜き去り、自らの肩に置く。すうっと凛の目が細められ、『読込み』が開始される。
 一瞬の出来事に呆けていた須美だが、バイオリンが凛の肩にあるのを認め、抗議をしようと口を開く。だが……
 バイオリンを構える姿勢に見覚えがあった。遠い記憶の中の、祖母の姿と重なる。
 そして、凛が奏でる楽曲にも覚えがあった。小さい頃、子守唄代わりに聞いていた曲ではなかったか。
「なん、で……?」
 須美は驚いていた。彼女の目にはもう、そこに居るのは凛ではなく、祖母の姿が映っていたのだ。姿勢も、弾き方も、ちょっとした癖も何もかもが祖母そのものだった。
「おばあ、さま……」
 いつの間にか、彼女の頬は涙で濡れていた。
 ティアがそっとハンカチを渡した。自分はそんなもの持っていなかったので、須美の鞄から探し出したものだったが。
 曲が終わり、祖母がお辞儀をする。その顔が上がった時にはもう、祖母の面影などなく、凛が静かに微笑んでいるだけだった。
 須美にバイオリンを手渡しながら凛が囁く。
「このバイオリンは間違いなく本物ですよ。貴女のおばあさまの想いが色濃く残っていたのでわかりました」
「あなたは一体……」
「私は『悟り』。触れる事で人や物の思いを読み取る者」
 ――触れる事。その説明は正しくはなかったが、彼女等が恐れを抱かぬよう、そう伝えた。
「……気持ち悪いですか?」
 寂しげな表情を浮かべ、尋ねる。
「あ、いえ、少し驚いてしまって。……ごめんなさい」
 その返答ににこりと笑って
「では、始めましょうか」
「ええ」
 凛は自身の足元まで来ていた横笛を拾い上げ、須美はバイオリンをかまえる。
 コーターは噴水の縁に腰掛け、完全に聞く体勢になっていた。
 凛が横笛に口を当て、最初の息を吹き込むと、細く高い音が辺りに響き渡った。

 ――おお、おお、久しぶりじゃ。この感覚、心が震えるようじゃ。

 体の中を駆け巡る息吹きが横笛に命を与え、想いが増幅する。
 凛が最初の一節を吹き終え、須美が追い駆けようにバイオリンの弓を引く。
 追いかけっこをしているような演奏は、皆がよく知る童謡で行われていた。

 ――蘇る。想いが、記憶が。
 わしはあの者――雅親(まさちか)と共に在った。いつも、いつも。
 わしを使わぬ時でさえ、懐に忍ばせておった。
 雅親の生み出す音は最初は酷いもんじゃったが毎日毎日飽きもせずわしを吹き続けるうちに、徐々に腕を上げていった。
 ある時、その音色を聞きつけた大臣が、宮中へ招き、わしを吹かせた。
 それからというもの、演奏会は勿論の事、歌会などでも演奏を請われるようになり、生活も随分と豊かになった。
 ――じゃが、雅親は以前と変わらずわしを使い続けてくれた。
 新たな笛を贈られても、参内する時以外はわしを使い続け、わしはそれが嬉しかった。

 追いかけっこから始まった演奏は徐々にその音を重ね、完全な調和をなす。
 そこに琵琶の音が加わり、楽曲はより一層深みを増していた。
 割って入った音色に驚きはしたものの、凛と須美は軽く頭を下げ、柘榴を受け入れた。

 ――ああ、久しぶりだ。我を爪弾くものはもとより、我の心を揺さぶる音色を出せる者がおろうとは。
 我はあらがうまい。たとえ対価として声を奪われようとも、後悔はない。

 他の誰もが知らなかったが、柘榴は音楽神と言われるもの達に師事し、並みの者達では太刀打ちできないほどの腕前の持ち主であった。


 にわかに始まった演奏会に、町中に散らばった器物たちは心を惹かれた。
 凛達の奏でる楽曲は銀幕市中に響き渡り、器物たちに呼びかけていた。「おいで、おいで、かえっておいで」と。
 民家に忍び込み、赤ん坊と戯れていたものも、自らの願いを叶える為に入れ替わっていたものも、一様に手を止め、凛達の元へと歩き出す。


 雅親は参内する内に、一人の姫君と恋に落ちていた。
 身分違いはもとより、彼女には許婚がいた。許されぬ恋だった。
 彼等の仲は程なく相手方に知れる事となり、雅親は捕らえられてしまった。
 彼は一切のものを奪われ、わしも彼と引き離されてしまった。
 ――彼がそれからどうなったか、わしに知る術はなかった。だが、二度と彼の手に握られる事がなかった事実を考えあわせれば、おそらく彼は……。

 凛達が奏でる音に誘われ、町中に散らばっていたほとんどの器物が彼等のもとに集まっていた。それを感じていた凛は曲を静かなものから楽しく賑やかなものへと転じ、須美と柘榴もそれにしたがった。
 集まった器物たちは、音楽に合わせ、飛んだり跳ねたり、踊ったり、――中には歌っているものもいた。
 コーターの体に納まっていたもの達も、いつの間にか這い出し、一緒に騒いでいた。





 杵間神社に起こった変事が収束を迎える頃には幾つか曲を演奏し終えていた凛は、異変に気が付き始めていた。それは少しずつ現れていたのだが、あまりにゆっくりとしたスピードであった為、気付くのが遅れた。
 柘榴もまた何かを感じていたらしく、一瞬琵琶を爪弾く手が緩んだ。誰も気が付かぬほどの遅れであったが。
 異変は徐々にコーターや須美にも知れる事となった。

 ――コロ……

 楽しげに体を揺すっていた器物が、ゆらゆらと力なく揺れ、ついには倒れてしまう。その様子に気が付いたコーターが器物に声を掛ける。
「おい、おぬし、どうされた?」
 倒れた器物を手に語りかけるが、返事はない。器物から生えていた手足は消え、妖怪からただの物に戻ってしまったようだった。

 コト、パタリ……、ゴロン……

 次々と倒れる器物たちに驚いたコーターが辺りを見渡すと、一つ、また一つと動きを止め、その場に転がっていった。
「なんと……?」
 演奏に集中していた須美もまた、彼等の様子を見て、この度の事件が収束しつつある事を感じていた。――だが、須美はその手を緩めなかった。凛も、柘榴も演奏を止めるつもりはないようだった。
 示し合わせた訳ではなかったが、彼等が最後の曲に、と選んだのはレクイエム。消えゆく命たちへと贈る葬送曲。

 ――楽しかった。
 ――満足じゃ。
 ――あなたに逢えてよかった。
 ――感謝する。

 消えゆく意識の中で器物たちは胸の奥で呟く。
 凛は、今回の事件の発端である半妖の死を感じ、横笛を握る手に力が微かにこもる。
 憎悪も悲哀も全て飲み込んで、妖しの気配が途絶えてしまった。
 最後の演奏が終わり辺りを見渡すと、そこにはただ、静寂が広がっていた。
 其処此処に器物が転がる様は、胸に寂しさを感じさせた。





 大量の器物の運送に困った四人は、対策課へ連絡を入れ、トラックで運んでもらう事にした。ただの器物に戻った以上、コーターの体に収めて運ぶ事は得策ではなかったからだ。彼の体に収めた状態で動けば、壊れてしまう事は想像に難くなかった。
 

 対策課に訪れた柘榴は、琵琶を名残惜しげに抱えていたのだが、朔夜の姿を認めると、以外にもあっさりと彼女に引き渡した。
「あの、対価は?」
 疑問に思った朔夜がそう尋ねると、
「琵琶自身からはもう頂いています。あなたからは、そうですね……私が杵間神社に訪れた際に、自由にこの琵琶を弾ける権利を対価としていただきましょう」
 そんな事でいいのか? と朔夜に尋ねられたのだが、
「その代わり、私が弾きたいと言った時には、必ず渡していただきます」
 と、ピシャリと言い放つ。


 横笛も杵間神社に返される事になった。
 四人の内の誰かが所有してもよかったのだが、あえてそうはしなかった。
 返納される条件として、杵間神社に訪れた者が吹きたいと申し出れば、貸し出す事を約束してもらったのだ。
 あとで聞けば、コーターも横笛を吹く事ができたのだという。おそらく彼は、横笛を吹きに杵間神社に訪れる回数が増える事だろう。
 使われる事を望んでいた器物たちは、神社などの祭りの際に使われる事になった。


 いつもの日常、いつもの朝。目を覚ました須美は自らの部屋にあるものに声を掛ける。
「おはよう、ティア。今日はとてもいい天気よ」
 特別な人を探していた西洋人形は、須美が引き取る事になった。朔夜は須美が申し出ると快諾してくれた。
 実はこの西洋人形、今年の供養祭で処分される事になっていたのだ。朔夜はそれを少し心苦しく思っていたのだという。


 ――結果、器物たちは各々の望みを叶えることができたと言えよう。





 ――杵間山発、百鬼夜行。
 器物の願いを叶える旅は、これにて終了。

クリエイターコメントまずは、納品が遅れた事をお詫び致します。申し訳ございません。
初のコラボシナリオとあって、大変ではありましたが、楽しくもありました。
参加して下さったPL様はもとより、コラボ企画においてお世話になった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
納品が遅れた分、皆様に満足していただける作品になっていればいいのですが・・・。

宜しければまた何かの事件が起こった際は、ご協力下さると幸いです。
それでは、また・・・。

P.S 何かおかしな点がありましたらお知らせ下さると助かります。よろしくお願いします。
公開日時2008-03-01(土) 22:40
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