★ 【White Time,White Devotion】精錬のサンサーラ ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-6091 オファー日2008-12-26(金) 20:49
オファーPC 理月(cazh7597) ムービースター 男 32歳 傭兵
ゲストPC1 リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ゲストPC2 唯・クラルヴァイン(cupw8363) エキストラ 男 42歳 White Dragon隊員
ゲストPC3 トイズ・ダグラス(cbnv2455) エキストラ 男 23歳 White Dragon隊員
ゲストPC4 片山 瑠意(cfzb9537) ムービーファン 男 26歳 歌手/俳優
ゲストPC5 薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
ゲストPC6 ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
ゲストPC7 太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
ゲストPC8 刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
ゲストPC9 ヴァールハイト(cewu4998) エキストラ 男 27歳 俳優
ゲストPC10 月下部 理晨(cxwx5115) ムービーファン 男 37歳 俳優兼傭兵
<ノベル>

 1.2008.12.31 AM9:00

 師走の、凜と澄んだ空の下、冷ややかに清らかな空気の中。
「ジーク、もーちょい右だ……そうそう、そんな感じ。マンションに門松って正直飾り辛いけど……まぁ、せっかくだしな」
 そこそこ高級な部類に位置するマンションの、地上十二階にある4LDKの一室、月下部理晨(かすかべ・りしん)の自宅では、家主と居候が年越し準備の真っ只中だ。
「何度見ても、この注連飾りと言うのは面白いな」
 月下部家の居候であるヴァールハイト、本名を略式でジークフリート・フォン・アードラースヘルムというドイツ人の青年が、自分が昨日ドアに取り付けた、稲の藁や裏白や橙の編み込まれた素朴な飾りを見上げている。
 ちなみに、注連飾りの取り付けを三十日に行い、今日のうちに全部一度にやってしまわなかったのは、二十九日と三十一日に注連飾りを飾ることは年神を迎える関係でよくない、という言い伝えがあるからだ。
「ん、そうか? まぁ、俺もこのお飾りって好きだけどさ。なんか、気が引き締まる気がするもんな」
「ああ。こっちの、門松というんだったか、これもなかなか芸術的だ……完成された世界のようなものを感じる」
「大袈裟だな、ちょっとびっくりした。……向こうの年越しはどうなんだよ?」
「年越しよりはまずクリスマスの方が大事だな。一年を締め括る、何よりも大切な催しだ」
「ああ、そういうもんか。耶蘇教的には、そりゃ、イエスさんが生まれた時の方が大事だわな」
「耶蘇教……どこの昔人だ、お前は……」
「あ、こないだの仕事で歴史物やったから、つい」
 などと言いつつ、理晨はてきぱきと室内及び室外の掃除を終えていく。
 ハリウッドその他で活躍する俳優という表の顔はともかく、実は現役の傭兵という本職から鑑みるに、あまりにもそぐわない、あまりにも手際がよく的確な仕事ぶりに、キッチンの掃除を仰せつかっていたヴァールハイトが――本人は人を雇って掃除させればいいと言ったのだが、家主に邪悪なセレブは去れと蹴り倒されて却下されたのだ――、呆れたような感心したような表情で理晨を見ている。
「日本で言うところの専業主婦のようだな、理晨。その手際のよさはどこで培われたんだ?」
「集団生活に慣れりゃあ手際もよくなるさ。誰もが自分に出来ることをやる場所だからな、あそこは。……まぁ、専業主夫も楽しそうだけど、尽くす相手にもよる」
 そもそも結婚なんて考えてもいねぇし出来るとも思ってねぇけど、と締め括って、窓の拭き掃除に取り掛かる理晨を、換気扇を掃除していた――物珍しいのか案外楽しげだ――ヴァールハイトが、無表情なのに複雑さの伺える表情で見ている。
 この前指輪を贈ると言われたのへ、邪魔になるから要らないと斬って捨ててしまったからかもしれない。
「ん、あとは……買出しとか、夕飯の準備か」
 ヴァールハイトの思惑はさておき、そこから三十分もすると、昨日から取り掛かっていたのもあって、月下部家は見違えるほど綺麗になった。
 そもそも住人がふたりとも几帳面で綺麗好きなので、あまり汚れてはいなかったのだが、やはり、清々しさが違う。
 窓を全開にして、冷たい空気が吹き込むに任せていると、あっという間にやってきて街を覆い尽くした、冬という季節の清冽な匂いが感じられ、理晨は銀にも光沢のある灰色にも見える不思議な風合いの目を細めて、窓の向こうに広がる銀幕市を眩しげに見下ろした。
「色んなことがある街だけど……」
「ああ、どうした」
「いや、綺麗だなって思ってさ。あの景色の全部に、誰かがいて、何かしてて、何かを思ってるって、すげぇことだな」
「……そうか」
 この街に『弟』が実体化していると知って舞い戻り、生活を始めて、あっという間に過ぎた数ヶ月だった。
 その間に様々な事件があり、様々な戦いがあって、様々な出会いがあった。
 面と向かおうとも、受け入れてもらおうとも、許してもらおうとも思っていなかった『弟』と心を通わせ、実の兄弟のように行き来するようになったのも、この街のお陰だ。
 ――魔法によって引き合わされた、というだけではなく、たくさんの出会いによって理晨という人間は出来ている。
 最早戻らぬものへのトラウマと痛みに未だ苦しみつつ、生き残った人間が凜と立つことこそが鎮魂になることを知っているから、理晨は怯まずに前を向くし、自分を愛してくれるすべての存在を愛し、また、感謝する。
「幸せそうだな、理晨」
「ん?」
 薄くて手触りのいいワイングラスを磨きながら、ヴァールハイトが目を細める。表情の少ない彼には珍しく、美しい弧を描く唇は、微笑のかたちを刻んでいる。
「なんだって、ジーク?」
「……いや。お前が充実した時間を過ごせているのならそれでいい、と思っただけだ」
 穏やかな、十歳年下とは思えない言葉に、理晨はぱちぱちと瞬きをして、それからかすかに笑った。
「まぁな。……退屈しねぇ同居人も、いるからな」
 その言葉に、今度はヴァールハイトが瞬きをする。
 あまり褒めると色々な意味で調子に乗るからこの辺りで止めておこう、などと非情なことを思いつつ、理晨が掃除道具を片付けていると、
「理晨、買出し行こうぜー」
 自分とまったく同じ声が、ドアの方向から響いた。
「年越しとか正月ってさ、なんかうきうきするよな。新しい年になるだけなのに……何でだろう?」
「うまいものがいっぱい食えるからじゃねぇの?」
「ああ、なるほど。年越し蕎麦に年越しスイーツにおせち料理に雑煮に新年限定タルトに……うん、色々あるもんなぁ」
「俺、雑煮は四国風がいいなっ」
「あ、そういえば色々種類があるんだよな。俺、白味噌で食うヤツがいい」
「うんうん、それも捨てがてぇな」
「あと俺、栗きんとんが死ぬほど食いてぇ。あれ美味いよなぁ」
「……今いっしゅん、栗きんとんにうもれてるあかっちを想像しちまった……」
「ああ、そりゃあ心躍る光景だな」
「って、躍っちまうのかよあかっち……」
 間抜けでほのぼのとした会話が繰り広げられる。
 理晨は、微笑ましいとしか言いようのないそれとともに、頭に仔狸を載せた自分とそっくりの青年が入ってくるのを笑顔で出迎えた。
「よう、いらっしゃい、理月(あかつき)、太助(たすけ)。年越しの準備は万端か?」
「おう、ぽよんすー! りしんにばるは、元気してるかー?」
「……何だ、その、バルハというのは……」
「え、だって、う゛ぁーるはいとって言いづれぇんだもん」
「なるほど確かに。……ジーク、お前明日からバルハって名乗れば?」
「あのな、理晨……」
 ヴァールハイトが無表情のまま深々と溜め息をつく。
 と、そこへ、
「おや、全員集合と言ったところですかね」
「理晨理晨、買出しに行こう、買出し! そんで一緒に年越しして、ハツモウデってのにも行こう!」
 傭兵団ホワイトドラゴンのメンバーである唯(ゆい)・クラルヴァインとトイズ・ダグラス、
「そこの道で一緒になってな。理晨や理月と一緒に年越しがしてぇって言うから、だったら皆でウチに来りゃあいい、って話をしてたんだ」
 杵間山中腹居を構える天人の傍ら、刀冴(とうご)が並んでドアの前に立った。
「あ、刀冴さん。そりゃ、年越しっつったら古民家だよな!」
 太助を頭に載せたままで理月が満面の笑みになり、頭の上の仔狸は、小さな前脚をびしり! と掲げていつもの挨拶をしている。
「皆で一緒に年越しか……悪くねぇな」
 ホワイトドラゴンの隊員たち、つまり『家族』とする年越しを思い出しながら理晨が頷くと、
「待て理晨、せっかくここでの準備をしたんだろうが――……」
 ヴァールハイトがものすごく不本意そうな――その不本意さは、恐らくあまりにもかすか過ぎて理晨以外には判らなかっただろうが――声とともに言い、集まったメンバーを一瞥する。
 集団行動を好まないヴァールハイトが、大人数での年越しを渋るのはよく判るが、理晨は気の置けない人たちとわいわいやるのが大好きなのだ。
「部屋の掃除はどっちにせよしなきゃなんなかったからいいんだよ。それに俺、お前なんかとふたりっきりで年を越すより、理月と一緒に除夜の鐘が聴きてぇし」
 ヴァールハイトが理晨とふたりきりで新年を迎えたくて色々準備していたことも知らず――知っていたとしても同じだっただろうが――、理晨は素晴らしく非情な断言をする。
 ヴァールハイトは無表情のまま沈黙を保ったが、身動きしなくなったので恐らくショックは受けているのだろう。冷酷非道な、ドSを地で行く男だが、育ちがいい所為か、親しい人間から受ける理不尽な仕打ちにはあまり耐性がないらしい。
「ええと……理晨、なんかヴァールハイトが固まってるけど……」
「放っとけ放っとけ、理月。あいつ、いつも理晨を独り占めしてるんだから、たまには俺たちの気持ちも味わったらいいんだ。……っていうか理月、ちょっと痩せたか? 何か、抱き心地が……」
 ナチュラルに理月に抱きつきながら、いい気味だ、とトイズが笑う。
 唯はその神秘的な美貌をやわらかい笑みのかたちにした。
「おやおや、意地悪ですね、トイズ。ヴァールハイトさんはショックを受けておられるようですから、もっと労わって差し上げないと」
「とか言いつつ顔が笑ってるぞ、唯」
「おや、実は楽しんでいるなんて言いませんよ? そりゃあ、私だって、理晨を独り占めしたくないわけがありませんからね」
「だろ? だったらこれは正しいあり方なんだと俺は思う」
「……なんかよく判らねぇけど、あんたも大変だな、ヴァールハイト」
 唯とトイズの猛攻に、未だ理晨に非情な扱いをされたショックから立ち直れていないヴァールハイトの肩を刀冴がぽんと叩く。
 すると、刀冴の肩に移っていた太助が、刀冴の腕を通じてヴァールハイトの肩へ移動して彼の銀色の頭をよしよしと撫でてやり、そんな太助が大好きだと真顔過ぎるくらい真顔で理月が呟く、そんなカオス空間である。
「まぁ、そんなことは置いといて、だ」
 またしてもそんなこと呼ばわりされたヴァールハイトが無表情に落ち込んでいるのをスルーして、理晨はジーンズの尻ポケットに財布を突っ込み、それから明るいオレンジ色のダウンジャケットをまとう。
「買出し、早めに行っちまおうぜ。刀冴ん家でやるんなら、そっちの準備も要るだろ」
 言いつつブーツに足を突っ込むと、他のメンバーがそれに倣った。
 暗黒のオーラを漂わせつつ、ヴァールハイトもついてくる。
 ちょっと可哀想なことしたかな、と思いつつ、反省はしていない理晨である。
「んじゃ、近くの商店街行って、材料仕入れて、それから古民家か。夕飯の献立は?」
「ん? まだ決めてねぇけど、まぁ、人数から言って鍋だろ」
「なるほど」
 大まかな予定を脳裏に思い描きつつ、総勢七人で年の瀬の商店街へ向かう。



 2.2008.12.31 AM11:00

 その頃。
 片山瑠意(かたやま・るい)は実の妹のように可愛がっている少女、リゲイル・ジブリールとともに、人ごみでごった返す銀楽商店街を散策していた。
 ヴィンテージもののジーンズに小洒落たカット・アンド・ソーン、そして黒のダウンジャケットというごくごく普通の出で立ちの瑠意だが、彼の姿は遠くからでも目立った。
 隣を歩くリゲイルが、大人びたギンガムチェックのワンピースというシンプルな出で立ちであるのに目立つのと同じで、連れ立って歩くふたりは、双方の顔立ちが非常に整っているからという理由だけではなく、ムービースターという異質な、現実味を欠いた人々に慣れているはずの銀幕市民をしても、無視し難い雰囲気を漂わせている。
 双方、幾多の修羅場をかいくぐってきたから……なのかもしれない。
「兄様、見て見て、これ可愛い」
 とはいえ見られることに慣れている瑠意は視線など気にしてはおらず、リゲイルはリゲイルで自分が見られていることに気づいてはおらず、ふたりのショッピングはつつがなく進む次第である。
 リゲイルの腰にしがみついた銀ちゃんと、瑠意の肩に乗っかったまゆらとが、人々の視線を受けて、物珍しそうに首をかしげている。
「カドマツ……って言うんだっけ。鮮やかな緑に赤が映えて綺麗ね」
「ああ、そうだな、俺たちはこういう色を見ると、おめでたい……って気持ちになるんだ。日本人だけじゃないとは思うけどさ、そういうのって」
「へえ、そうなんだ……不思議ね、文化の違いって」
「うん……でも、どこの国でも、新しい年を祝う、っていうのは、あんまり変わらないとは思うけど」
 他愛ない会話を交わしつつ、ふたりは、リゲイルの部屋に飾るための小さな門松と、(超高級ホテルのスイートルームにはそぐわないかもしれないが)ドアにつける注連飾り、日本酒に浸して飲むための屠蘇袋、皆で食べるための蜜柑、彩りも鮮やかなおせち料理など、様々な店を回り、様々な年越しグッズを揃えて歩く。
「お蜜柑って、炬燵って言うんだっけ、あのあったかいテーブルに座って皆で食べるとすごく甘く感じるのよね。どうしてかしら?」
「そりゃあ、皆で食べるから、余計に美味しく思うんじゃないか?」
「そうね、そうだわ。皆で食べるごはんが美味しいのと一緒ね、素敵」
 山のような蜜柑が入ったビニール袋を手に、リゲイルがにこにこと笑う。
 見かけによらず力持ちな瑠意は、兄としての本分を全うすべく、自分が持つと言ったのだが、リゲイルは、兄様だけに持たせては悪いし、自分も買い物をしたっていう実感を味わいたいから、と言って、それだけは絶対に渡そうとしなかったのだ。
「じゃあ……とりあえず、古民家に行こうか」
 特に約束もしていないものの、今年も天人主従のもとで年越しをする気満々の瑠意は、本当ならトーク番組や歌番組に出演して欲しいと声がかかっていたのだが、年末にまで働きたくない、とすべてのオファーを断っていた。
 仕事は大事だが、今の瑠意には、仕事よりも大切なものがたくさんあるのだ。
「今年の年越しは、十狼さんともっと……」
「どうしたの、瑠意兄様?」
「え、あ、いやっ、な……何でもない、うん」
 思わず漏れ出た本心にリゲイルが不思議そうな顔で首を傾げる。
 瑠意はハッと我に返って赤面し、首を横に振った。
 瑠意が、何で俺、彼に関することでは色々駄々漏れなんだろ、と胸中に溜め息していると、
「おっ、瑠意じゃねぇか、それにリゲイルも!」
 くだんの『彼』の主人である男、刀冴の、低く耳に心地よい、闊達な声が響き、リゲイルが笑顔で手を振った。
「刀冴さん、それに皆も! 大集合ね、素敵!」
 刀冴、理月、太助、理晨にヴァールハイト、唯にトイズ。
 様々な縁で親交を結ぶに至った人たちが、ふたりに向かって手を振り、こちらへ歩み寄ってくる。
 理晨のパートナー、同居人であるはずのドイツ人俳優だけは、何故か無表情なのにアンニュイなオーラを漂わせていたが、誰も指摘しないようなので瑠意も黙っておく。
「リゲイルも瑠意も買い物か? ずいぶん、買い込んだみてぇじゃねぇか」
「ええ、そうなの。せっかくだから日本らしい年越しをして、日本らしい新年を迎えようと思って。ほら、このカドマツ、とっても可愛くて素敵でしょう、これ、ホテルのお部屋に飾るのよ」
「ああ、確かにいいな、小ぢんまりしてて、綺麗にまとまってる。……一口サイズ、ってヤツだな」
「そうそう、この凝縮された感じがいいんですよね……って何が一口!?」
 刀冴の言葉に同意しかけて思わず突っ込む瑠意。
 ちなみに、他の面子は、そうだよな一口サイズだよなーなどと和んでいるので、突っ込みとしては屁の役にも立たない。
「まぁ、それはさておき、ふたりもウチに来るのか?」
「行きます」
「行っていいなら行きたいなっ」
「……即答だったな。まぁ、俺は嬉しいけどな。んじゃ、夕飯の材料仕入れて帰るか」
「今夜は何にするんですか? 年越し蕎麦は夕飯の後ですよね」
「鍋だろ、ってのが共通した意見だな、人数も人数だし。ああ、蕎麦は俺が打つから心配すんな」
「わあ、わたし、お鍋大好き! 野菜いっぱい入れてね、刀冴さん!」
「おう、今のとこ、鶏の水炊きと鱈ちり鍋を――……」
 言いかけた刀冴の語尾が消える。
「何、刀冴さん、どうし、」
 刀冴の視線の先を追って、瑠意もまた沈黙した。
「……なあ、あれって犯罪じゃねぇの?」
「いや、でも、いちおー服は着てるわけだし……」
 理月と、彼の頭の上に陣取った仔狸とが、微妙な半笑いでそれを指差す。
 そこでは、全裸モドキスパッツに身を包み、胸元にレインボーアフロをくっつけた、MT5(マジで通報される五秒前)とでも表現すべきルイス・キリングが、その格好のままで年の瀬の買い物に精を出しているのだった。
「……あれ、撃ってもいいのかなァ」
「ちょっと理晨さん、何物騒なこと言って……いやまぁルイスだからいいか」
「うん、ルイスだし撃たれても死なねぇだろうし」
 しみじみした風情で視覚的ムービーハザードを眺めやる理晨、瑠意、理月。
「しかし、銀幕市というのは、面白い場所ですねぇ」
「まぁ……うん、確かに面白いな。俺は理晨がいたらそれでいいけど」
 にこやかな唯、呆れたように言いつつ理晨に抱きつくトイズ。
「そこを、そこを何とか、もう一声……!」
 遠くから観察しているうちに、“視覚的暴力”ルイスは尾頭付きの鯛を売る鮮魚店で立ち止まり、声高に値引き交渉を始めた。
 当然、視線が集中する。
 全裸モドキスパッツにアフロ胸毛の、顔だけは美男子である変態が、自分の困窮具合と尾頭付き鯛への熱い思いを切々と語る様に、通行人たちからは好奇の目とヒソヒソ話が寄せられ、店員が逃げるに逃げられず困り果てているのが見えて、瑠意は溜め息をついた。
 財布を出しながらつかつかと歩み寄り、右手で脳天に手加減なしのチョップを食らわせた後、
「いいいいいっ痛ええええぇえええぇッッ!?」
「すみませんご迷惑をおかけして本当にすみません。そこの鯛、二匹いただけますか。はい、ありがとうございます本当にすみませんでしたっ!」
 迷惑料代わりに尾頭付きの鯛を二匹包んでもらい、支払いをした後、仰け反り転がって悶絶するルイスの足首を引っ掴んでダッシュし、雑踏から引き離す。ごりごりごつんいてぇなどという悲鳴のような雑音が聞こえたが多分気の所為だ。
 そしてこういうとき、自分だけの力ではないとはいえ、自分が怪力でよかった、としみじみ思う瑠意である。
「なに人様にご迷惑おかけしてんだ、このアホルイスッ!」
 皆の元へ戻った後、何故か頭に瘤をこしらえてぐったりしているルイスの尻を蹴り上げ、またしても上がる悲鳴を無視して盛大な溜め息をつく。
「ったく……アルが哀しむぞ……」
 と、相棒の少年吸血鬼の名前を出した瞬間、ルイスが動きを止めた。
「う、そ、それを言われると……」
 何故か照れ臭そうに頬を掻いているルイスの姿に、おちゃらけた反応が返ってくると思っていた瑠意は首をかしげたが、たくさんの変化と流動に満ちたこの銀幕市においては、特別珍しいことでもないのかもしれない、と、突っ込んで尋ねることはせずにおく。
 何かあれば、ルイスから話してくれるだろうという、その程度の信頼はあるのだ。
「よ、よーしっ、ここでくだ巻いてても仕方ねぇしっ、皆で買い物して古民家へ帰ろうぜっ」
「買い物にも古民家に行くことにも依存はないけど、なんでお前が仕切ってるんだよ……?」
 照れ隠しにかいきなり采配を揮いだすルイス、呆れる瑠意。
 特に依存はなかったのか、刀冴が頷いて歩き出す。
 家主に依存がないのなら彼に否やのあろうはずもなく、瑠意はリゲイルと顔を見合わせて笑い、刀冴の広い背中を追って歩き出した。
「刀冴さん、俺、辛いものも食べたいんだけど」
「刀冴さん、わたし、オレンジとチョコレートのタルトが食べたいな」
「オレンジとチョコレートのタルトなら俺も食いたい。あと栗蒸し羊羹」
「はいはい、俺も俺もっ! あと、南瓜団子のぜんざいとかどうかな!」
 古民家の献立は言った者勝ちなので、瑠意、リゲイル、理月、太助の順番でリクエストする。八割方甘味に偏っているが、気にしたら負けだ。
「そうか……判った、なら作るとするか。……ん?」
 機嫌よく笑った刀冴が、前方に目をやって首を傾げる。
 一同の視線が集中する。
「ん? ……あれって、確か……」
 瑠意が、小柄な、華奢な、どこからどう見ても女性としか思えない顔立ちの人物が、柄の悪い男たちに絡まれているのを確認するよりも早く、まったく同じ顔をした黒い傭兵がふたり、素早く走り出していった。
 ――チンピラたちには気の毒な光景がここから数分に渡って展開されるが、そこはご想像にお任せする。



 3.2008.12.31 PM7:00

「でも、本当に災難でしたね。大丈夫でしたか?」
 すっかり日の落ちた杵間山の中腹、天人主従が住まう古民家にて。
 薄野鎮(すすきの・まもる)は、神秘的な美貌の男にお茶を注いでもらっていた。名を唯と言うらしい彼は、国籍のはっきりしない、驚くほど繊細に整った顔立ちをしている。
 やわらかい物腰の裏側に、油断出来ない何かを感じるのは、鎮の気の所為ではないだろう。
「あ、はい、慣れてますから、大丈夫ですよ」
 一体いつの間にそうなってしまったのか、『女装のエキスパート』などと呼ばれるようになり、女装せずとも女性と間違われて口説かれたり絡まれたりすることが増えて、先刻のような出来事には特に動じなくなってしまった。
 あの時も、ねえちゃん一緒に茶でも云々というセオリー極まりない頭の悪い台詞を吐く連中に対して、ぶっ殺してやろうかこいつら、などと思っていたと言うのは秘密だ。
「こちらこそ、助けていただいてありがとうございました。月下部さんも理月さんも、すごい手際のよさでしたね」
 とはいえ助けてもらったのは事実なので、楽しそうに鍋の準備をしているふたりの傭兵に向かって頭を下げる。
「まぁ、荒事は本職だしな。あ、理月、もーちょい右……よし、その辺」
 炭火を入れたコンロに、理月がそっと大きな土鍋を載せる。
 その横では、トイズが、リゲイルに声をかけられながら、もうひとつのコンロにもうひとつの土鍋を載せていた。
 土鍋の片方では色艶のいい鶏肉が、もう片方では鱈や鮭や貝などの魚介類が、瑞々しく色鮮やかな野菜とともにほどよく煮えている。
 真っ白な湯気が立ち昇り、出汁のいい匂いが周囲に満ちた。
「いや、でも……何か、押しかけてしまって、すみません」
 黒い傭兵ふたりがチンピラ数名をあっという間に伸してしまったあと、せっかくだから……と誘われ、古民家へやってきた鎮だが、団欒の場に部外者の自分がここにいては迷惑なのではないか、と今更のように思い、そう言うと、
「誘ったのはこっちだしな。人は多い方が楽しいし、気にすんなよ」
 鰤の刺身をいっぱいに盛り付けた皿を手に、刀冴が厨から姿を現す。
「はい、ありがとうございます。でも、他に用事とか、あったんじゃないですか?」
「いや、俺たちが買い物に行ってる間に、あいつらが色々片付けといてくれたみてぇだし、特に問題ねぇって。あとは皆で大騒ぎするくらいのもんだ、やることっつったら」
 どうやら、古民家では、すでに刀冴の守役とルイスの『兄』である吸血鬼の少年が正月の準備をほとんど終えていたらしく、総勢十一名で大騒ぎしながら買出しをして、日が沈みかけてから帰ったにも関わらず、ここはそれほどあわただしくはないようだった。
「そうですか……なら、よかった。じゃあ、遠慮なく」
 天人族最強の男が自分で木を削り出して作ったという、一時に十人以上が囲める大きな、重厚な机に全員がついて、家主の音頭で乾杯といただきますの挨拶がなされる。
「くうーッ、この一杯のために生きてる……ッ!」
 なみなみと注がれたビールを飲み干して、さすがに全裸モドキスパッツから普通の衣装に着替えたルイスが腹の底からの声を絞り出すと、グラスに口をつけていた瑠意が冷ややかに突っ込んだ。
「ルイス、おっさん臭い。……ああ、おっさん臭いんじゃなくて、おっさんなのか」
「ひ、ひどいわるいーんったら……! 大体、それ言ったらるいーんの大好きなあの人だっておっさんってことになっちゃうわよ!?」
「……それとコレとは別だから。ぶっちゃけ、ルイス=おっさん。でいいんじゃね?」
「何たる都合のよさ……って、よくないしッ!?」
 ビール、日本酒、ワイン、果実酒、ウオッカや焼酎やウィスキー、ジュースにお茶、ソーダやコーラまで、多種多様な飲み物が入り乱れ、
「あ、この鶏美味い。なんか……さっきまで生きてた、って感じの味がする」
「鋭いな理晨、そいつを締めたのはついさっきだ」
「刀冴さん、このお魚、あっさりしてるけど美味しいね!」
「ん、ああ、そいつはカワハギって言うんだ、身が締まってていいだろ」
「あー、しかし、日本酒と鰤の刺身って合うなぁ」
「あかっち、ぶりの刺身を鍋にちょっとだけ入れてしゃぶしゃぶすると、半煮えでちがった味が楽しめるぞ! うめええええええ!」
「はっはっは、鰤しゃぶに大興奮な太助に大興奮しちまいそうだぜ……!」
「理月さんは本当に太助さんが大好きなんですね、見ていて微笑ましいです」
「……俺が理晨大好きみたいなもんかな?」
「そうですね、同じだと思います。……ヴァールハイトさん、食べておられますか? 何かお取りしましょうか?」
「……いや、いい……」
「すみません理晨さん、醤油を取ってもらってもいいですか。この漬物、箸休めもいいけど、本格的にご飯と食べたいような気がする」
「ん、ああ。ほら、薄野」
「はい、ありがとうございます」
 野菜たっぷりの鶏の水炊き、あっさりしていながら味わい深い海鮮鍋、鰤しゃぶにもなる刺身、えびと大根の琥珀煮、白菜と揚げの煮物、南瓜の鶏ひき肉あんかけ、鯛の白子真薯、里芋の煮っ転がし、ネギと豆腐の卵とじ、蓮根と薩摩芋の天ぷら、箸休めの漬物と梅干、皮を剥いた蜜入り林檎などの、目にも鮮やかな料理が机を埋め尽くす。
 驚くほどの品数と皿数だが、それらは健康な大食漢たちの腹に――そもそも武人・軍人というのは燃費の悪い大食漢が多いらしい――次々と収まっていき、長く机の上に残るということはなかった。
「やっぱ、鍋のあとは雑炊だよなー」
「え、オレ、鍋のあとはうどんか餅派」
「んじゃルイスそっちでうどん作れ。俺はこっちで雑炊作るから」
「何で命令形!? って言いたいとこだけど、まぁいいや。雑炊も分けてくれよな!」
 ほどよくアルコールも入って上機嫌な瑠意と、瑠意には勝てない・逆らえない属性を持つルイスが、具材の旨味が凝縮されただし汁にご飯やうどんなどを放り込み、鍋におけるお楽しみを準備する。
「薄野さんはどっち派?」
「僕? どっちも好きだけど……あ、たまにスパゲッティ茹でたりしますね。あれも結構美味しいんですよ、パスタの歯ごたえがよくて」
「鍋で? へえ、初めて聴いた。今度やってみようかな」
 鍋がぐつぐつと煮え滾ってくると、あれだけ詰め込んだにも関わらず、まだまだ入るような気がしてくるから不思議だ。
「わたし、もうおなかいっぱい……」
 華奢な少女であるリゲイルは、早々に食物争奪戦からは離脱していたが、
「リゲイル、リクエスト通りにオレンジとチョコレートのタルト、焼いたからな。冬の精霊に手伝ってもらってヴァニラアイスクリームも作ったから、一緒に食ったら美味いんじゃねぇかな」
「あ、うん、じゃあ半分で」
「半分って……タルト全体の半分? ここのタルト型って、滅茶苦茶大きくなかったっけ……?」
「だって瑠意兄様、刀冴さんの作るタルト、美味しいんだもの。たくさん食べなきゃ、損じゃない。チョコレートタルトにアイスクリームなんて載せちゃったら、もう、食べないわけには行かないわ」
「リガちゃん、超真顔にもほどがあるよ……いやまぁ否定はしないけどさ」
 デザートともなると、甘いものは別腹、という特に女の子によくある特殊能力を遺憾なく発揮するのだった。
「あ、うどんって美味いんだな。雑炊も美味いけど、俺はうどんの方が好きかも」
「お、トイズはうどん派か。俺は雑炊の方が好きだな。……ジーク、なんかがっかりしてるっぽいのはよく判ったから、今度どこかに付き合ってやるから、とりあえず食え、辛気臭ぇ顔すんな鬱陶しい」
「……」
「理晨、更に追い討ちをかけているような気がしますけど」
「唯、放っておけよ。……あいつ、理晨にあんなに世話焼いてもらって……!」
「トイズも落ち着いてくださいね、ここで流血沙汰は駄目ですよ」
「なあなあ、あかっちー、うどんとってくれ、うどん。俺じゃ手が届かねぇんだー」
「鍋に手が届かなくてわたわたする太助も可愛いなぁ」
「えーと、うん、真顔で褒めてくれんのはまぁいいんだけど、うどんー!」
 熱々のうどんと雑炊に舌鼓を打ち、ルイスが米の最後の一粒、うどんの最後の一本、野菜の一欠片も残さず綺麗にさらえると、刀冴の世話を焼くのが三度の飯よりも好きという――そもそも衣食住などで図れるのかどうか微妙だが――天人の男が、驚くほど素早く机の上を綺麗にしてくれる。
 そこへ、刀冴が、リゲイル待望のデザートを持って現れ、直径四十センチはあろうかという特大のタルトを綺麗に切り分けて配る。
 お茶の用意をしたのは、リゲイルだ。
 リゲイルの白い手、華奢で繊細な指先が、白磁に深い青で向日葵の描かれたティーポットをそっと支え、同じ柄の描かれた白いティーカップに色鮮やかな紅茶を注ぐ様は、思わず見惚れてしまうほど美しく、ひとつの景色のようで、鎮はそれを、目を細めて見詰めていた。
「どうかした、薄野さん?」
「あ、いや、ごめん。綺麗だな、って思って」
「え……何が? ああ、このティーセット? これね、わたしが皆と一緒にここで使うために置かせてもらっているの。マイセンのね、仲良くしてもらっている職人さんに頼んで、作ってもらったのよ」
 そう言いながら、ソーサーにカップを載せ、鎮にそれを差し出す。
 自分のことに無頓着なリゲイルの様子に鎮は少し笑い、礼を言ってティーカップを受け取った。
 ふわり、と、爽やかな香りが立ち昇り、胸の奥が爽やかになる。
「刀冴ぱぱ、オレ、チョコレートの部分が多いのがいいな! 例えば、そっちのそれみたいな!」
「……残念だけど、これは理晨のだから」
「ええッ、でもオレが先に……」
「欲しければ力尽くで来い。理晨に美味しいチョコレートタルトを食べさせてやることが、今の俺の使命だ」
「いやトイズ、別に俺は他のでも構わねぇし。ルイスが欲しいっつってんなら食わせてやってくれ、いきなり使命とか重苦しいこと言うなって」
「そうか……やっぱり理晨は優しいな、くそ、惚れ直した」
「え、俺そんなすげぇこと言ったっけ、今」
 首を傾げる理晨に、鎮はそういえば、とビニール袋を漁った。
「月下部さんもチョコレートが好きなんですか? 僕もなんですよ。よかったら、これ、一緒に食べません?」
 様々なブランドの、様々な種類のチョコレートをタルトの隣に並べ、勧めると、理晨が嬉しそうに笑って頷いた。
「チョコレートがあったら生きていける、ってくらいには好きかな」
「あ、僕もその気持ち、判ります」
 チョコレートフリーク同士、共感の笑みで顔を見合わせる。
 すると、胸を張ったトイズが、
「理晨、俺も理晨のためにチョコレートを買っておいた。いつも色々してもらってるお礼だ、たくさん食べてくれ」
 と、デパートなどでしか買えないような有名ブランドのチョコレートを幾つも出して来て、理晨の目を輝かせる。月下部理晨という男は、確かデータが間違っていなければ鎮より一回りは年上のはずだが、恐ろしいほど童顔なのもあって、こういう表情をすると同い年くらいにしか見えない。
 その隣では、自分の顔くらいのサイズにタルトを切り分けてもらったリゲイルが、ものすごく真剣な、それでいて幸せそうな表情で、特大タルトの攻略に取り掛かっていた。
 デザートに舌鼓を打ちつつ、誰かが買い込んできたスナック菓子を出し、その中の塩辛いスナックを片手に、本格的に飲みに入るものも出て、まったりとした食後の時間が流れる。
 同時に、銀幕市での様々な話題に花が咲き、居間は大いに盛り上がった.
 この街に魔法がかかってから二年が過ぎ、今年もまた色々な事件と騒動に満ちた一年で、苦しいことも哀しいこともあったけれど、どんなことでも乗り越えて笑い飛ばせる、絶対に絶望しないこの強さこそが、銀幕市の一番の力なのだろう、と、果実酒のロックをちびちびと舐めながら鎮は思った。
「……あれ、もうこんな時間か」
 ふと気づくと、いつの間にか、時刻は午後十時を過ぎていた。
 顔を覗かせた守役の男が、意味深な視線を瑠意に送り、そのまま出て行くと、瑠意が躊躇いながらも立ち上がる。
 何かを察したらしいルイスがにやにや笑って囃し立てると、
「音量には気をつけて、るいーん!」
「うるせぇこのクソルイスッ!」
 真っ赤になった瑠意が怒鳴りつつブン投げたビールの空き缶がルイスの額を直撃する、そんなプチアクシデント。すこーんという晴れやかな音がして、ルイスが後頭部から畳に引っ繰り返る。
 ただし誰もルイスを気の毒がらないというオプションつき。
 ひどいわ皆……と泣き崩れるふりをするルイスも、後片付けを終えたらしい吸血鬼の白い少年が出て行くととともに、それを追いかけるように外へ出て行き、居間にはどこか心地のいい沈黙が落ちた。
 刀冴が玉露を淹れ、湯飲み茶碗を皆に配ってくれる。
 それを前に、満ち足りた気分で、穏やかな沈黙を楽しむ。
「あ、雪」
 何分、何十分か経って、声を上げたのは、リゲイルだった。
 理月と太助が、居間と廊下を隔てる障子を開け放つと、確かに、ちらほらと白いものが空を舞っている。
「ああ……風流じゃねぇか。よく判ったな、リゲイル」
「うん、……音がしたから」
 はらりはらりと舞う羽根のような雪は、鎮を幻想的な気持ちにさせてくれる。 冬のただ中であるはずなのに、暖房器具もないのに寒さを感じないことも、鎮から現実味を奪う一因となっていた。
 裸足のまま庭先に出た刀冴が手を差し伸べると、彼に降りかかる雪の欠片が、小さな人型を取り、彼の強靭な肩や腕や額、頬に口付けながら消えて行ったように見えた気がして、鎮は思わず眼鏡を取り、目を擦る。
 理月に話を振ると、多分精霊だろうという答えが返った。
 納得はしたが、何故自分にそれが見えたのかは、鎮には判らない。
「綺麗ね、刀冴さん。冷たくない雪って……不思議」
 縁側に備え付けてあるサンダルを履いてリゲイルが庭先に降り、刀冴と同じように、華奢で白い手を天へ差し伸べる。理月と太助がそれに倣い、雪を掌に受けては楽しげに笑った。
 ふわりふわりと降り積もる雪は、厳しい冬の体現でありながら、繊細ではかなく、美しかった。
「さて、そろそろ蕎麦の準備でもするかな。……離れには届けてやりゃあいいのかね、この場合」
 生活力にあふれる刀冴が、年越し蕎麦の準備に厨へと消えたあとも、居間に残った人々は、舞い落ちる雪を見詰め続けていた。



 4.2008.12.31 PM11:50

「もうすぐ今年も終わるんだな。……何か、不思議な気分だ」
 湯呑み茶碗を片手に、妙にしみじみとトイズが言ったので、唯は紫の双眸を細めて小さく頷いた。
 その頃には、一体何を話していたのか、首まで真っ赤になったルイスが相棒の少年とともに戻って来ていて、何だ病気か、いや赤インクでも飲んだんじゃ、いや多分梅酢だ、いやいや間違いなく急激に鉄分を採りすぎて表皮が赤くなったんだろう、ここは穴場狙いで紫キャベツの絞り汁を全身に浴びてきたに一票……などというおよそ人間扱いとは思えぬ発言が飛び出し、ルイスに打ちひしがれた人妻ポーズを取らせた辺りで、厨から出汁のいい匂いが漂い始める。

 ご・おぉ・おおおぉ――……んん

 除夜の鐘が、低く腹腔を揺らし始めたのは、いつ頃からだっただろうか。

 ご・おおぉ――……んんん……

 除夜に打たれる百八の鐘は、煩悩を消し去る力があるのだという。
 唯は自分の煩悩が百八の鐘ごときで消せるほど容易な存在ではないと自覚しているが、シンプルでありながら重厚で荘厳なこの音を聞いていると、浮き世の他愛ない出来事などは、あっという間に平穏へと溶けてしまうような気は、確かにしている。
 だから、
「ぐぐぐぐわああああああくくく苦しいいいいいいいい!!」
 何故かいきなりもんどりうったルイスが、胸元を掻き毟りながら悶絶し、周囲をごろんごろんびったんばったんとのた打ち回り転げまわっても、ああ彼は煩悩を綺麗にされている最中なのだ――どんだけ荒療治なんだ、などと突っ込んではいけない――、とのんびり微笑んだ程度だった。
 もっとも、ルイスの煩悩が、唯と同じく、百八つの鐘で打ち消せる程度のものなのかどうかは知らないが。
「えーと、これ、どこからつっこんだらいいと思う、あかっち?」
「……いやぁ、どうだろ。俺、そもそもツッコミ体質とかじゃねぇしなぁ」
「うん、それは俺がいちばんよく判ってっから」
「んー……まぁ、とりあえず、成仏しろっつって埋める、か?」
「あかっち、それ、ボケごろしって言うんだぜ……」
 仔狸と理月がぼそぼそと話をしているのを、仲がよくていいですねなどと微笑ましく思っていた唯は、
「……ルイスは何やってんだ? 何か悪いもんでも食ったのか?」
 刀冴が厨から蕎麦の入った器を次々に運び込むのを見て、自分も手伝いをすべく立ち上がった。
「刀冴ぱぱ、おじさまとるいーんの分は?」
「ん、運んでおいた。あれだな、触らぬ神に祟りなしって奴だ、近づかねぇ方がいいぞ、皆」
 何がどう祟りなしなのか非常に気になるところだが、出歯亀になるつもりもないので、まずは蕎麦が冷めないうちに皆でいただく。
「あ、美味い。刀冴、あんたって……」
「どうした、理晨?」
「いや、青狼軍将軍って肩書きが霞んじまうくらい、家庭的だよな」
「はは、お褒めに預かり光栄だ」
「そうよ、刀冴さんのごはん、本当に、びっくりするくらい美味しいんだから。これはきっと、愛情がたくさん詰まってるからよね。お野菜だって、愛情たっぷりに育てられるんだもの、当然なのかもしれないけど」
 リゲイルが誇らしげに、嬉しそうに胸を張る。
 刀冴がくくっと笑って、リゲイルの頭をかき回した。
「そりゃそうだ、お前たちに美味いって言ってもらえんのが一番嬉しいからな。この喜びは、銀幕市に実体化しなきゃ、一生味わえなかっただろうよ。だから……そうだな。俺は、この街にも、皆にも、感謝してる」
 刀冴の言葉に、理月や太助、ルイスが、――この町に実体化したことで映画の中、故郷とは少し違った生き方を許された人々が、蕎麦を啜る手を止め、顔を見合わせて小さく笑う。

 ごおぉ・おぉ・おおお――……んんん……

 低く、静かに、穏やかに、染み渡るように、除夜の鐘が鳴り響く。
「ああ……もう、今年も、終わるんだな……」
 トイズと同じことを呟き、理晨が、雪の降り積もる庭を見遣る。
 庭は、美しい純白に染まりつつあった。
 雪が積もるほどの気温でありながら、暖房器具もないのに寒くないのは、周囲の環境を快適に整えてしまう天人がいるからだという。
 ここにいると、冬の厳しさは遠ざかる。
 ただ、津々と降り積もる雪の、物寂しい静寂を、全身全霊で感じるだけだ。

 ごおお・おお・んんんん

 除夜の鐘が低く殷々と鳴り響く。
「……あと一分」
 手首の時計を見やって――何せこの古民家には、文明の利器と呼ばれる類いの道具は何ひとつとして存在しないのだ――、理晨が小さく呟く。
 唯は、理晨とトイズとを交互に見詰め、劇的な年だった、と、銀幕市での数ヶ月を胸中に反芻していた。
 ホワイトドラゴンの中枢たる理晨を追いかけて銀幕市に移住し、早数ヶ月。幾つかの事件を経験し、この街の不思議さと面白さ、残酷さ厳しさ、それでも変わらぬ人々の感情を見てきた。絆と愛情を再確認し、新たな出会いに胸を温められ、幾つもの思い出を刻んだ。
「あと四十秒」
 『弟』と一緒に腕時計を覗く理晨は幸せそうだ。
 ――理月と理月の故郷である映画世界は、ホワイトドラゴンの辿った悲劇を映すために、そしてその鎮魂のために生まれた。
 理月の苦しみは、理晨の苦しみであり、同時にホワイトドラゴンの哀しみでもある。
 その痛みを押し付けてしまったことを悔いつつも、理晨が、それを乗り越えて判り合えた理月を慈しみ、彼の幸せを守ってやりたいと思っていることを唯は知っているし、自分もまた、そんな理晨ごと、理月を守ってやらなくてはならないのだろうとも思っている。

 ごおぉ・おぉ――……んんん

 鐘の音が腹腔を揺らしながら響き渡る。
「あと十秒!」
 理月の頭の上で一回転して、太助が高らかに告げた。
「九、」
 と、理晨、
「八、」
 理晨にせっつかれてヴァールハイト、
「七、」
 そんなヴァールハイトの様子を面白そうに見ながらトイズ、
「六、」
 蕎麦を啜りながらルイス、
「五、」
 果実酒の入ったグラスを傾けながら鎮、
「四、」
 空っぽになった器を重ねながら刀冴、
「三、」
 それを手伝いながら理月、
「二、」
 理月の頭の上でびしりと前脚を挙げて太助、
「一、」
 と、唯がカウントした直後に、
「ゼロ! 明けましておめでとう!」
 最後にカウントし、最初にお祝いの言葉を口にしたのはリゲイルだった。
「素敵ね、皆で古い年から新しい年に飛び移れるなんて。わたし、どきどきしちゃった……皆、今年もよろしくね!」
 白く滑らかな頬を薔薇色に紅潮させ、嬉しげに握手をして回るリゲイルを、微笑みながら見詰めたあと、
「あけましておめでとうございます。旧年は大変お世話になりました、今年もどうぞよろしくお願い致します」
 正座をした鎮が畳に両手をつき、深々とお辞儀をすると、全員がそれに倣い、お祝いの言葉を繰り返した。
「今年もよろしくな、理月。――他の皆も。あと、ついでにジークも」
「ん、よろしくな、理晨。太助も、刀冴さんも、皆も。ってついでって言ってやるなよまた落ち込むぞ」
「えー? 理月は優しいよな、ホント。そいつはあんま甘やかすと調子こくからこのくらいでいいんだって」
「え、いや俺別に優しいことを言った覚えはねぇんだけど……」
 無言で落ち込みオーラを漂わせるヴァールハイトを横目に見つつ、いつの間にか紋付袴の新年ばーじょんに変化した太助を抱き締めながら、理月が珍妙な顔をする。
 とはいえ理晨のヴァールハイトに対する扱いというのは、家族であるホワイトドラゴンに対するそれとは少し違い、遠慮や構えのない、自然な、親しみと信頼ゆえのものであるようにも思えるので、唯としては、少し、羨ましいのだが。
 そこから視線を巡らせると、居間の片隅では、“黙っていればクールな二枚目”“口を開くと三枚目の変態”ルイスが、満面の笑みで刀冴に両手を差し出している。
「あ、そうだ、刀冴ぱぱ、お年玉!」
「お年玉? ああ、この国の風習だったか」
「そうそう。可愛い息子にお年玉チョーダイ!」
「息子はいつの間にかふたりに増えてたみてぇだけど、“可愛い”息子はアルだけだったはずだけどなぁ」
「ひ、ひどいわぱぱ、こんなに可愛いルイス君に……!」
「六つしか年の違わねぇ息子を持った覚えはねぇ……と言いてぇとこだが、ほら」
「それ言ったらアルは九百歳……って、あれ、マジで? うわ、もらえるとは思ってなかった……んん? なんか、妙に分厚いし、ずっしりして……こ、これはっ!?」
「ん、どした、ルイス」
「お……『お』と『し』玉……ッ!? な、なんて古典的な!?」
「おう、こないだ海で採ってきた珊瑚を磨いて作ったんだ、すげぇだろ」
「うわー本当に珊瑚の玉に『お』と『し』の文字が彫ってある……駄洒落もここまで来るとすげぇな。って多分刀冴さんは本気でやったと思うんだけど。……ええと、ルイス、よかったな?」
「ええー、なんかすげぇ微妙……!? いや、綺麗だし、高級品っぽいけどね、確かに!?」
「何だ、気に食わねぇのかルイス。……だったらこの、直径30cmの鉄球をあんたの足の甲に落っことしてやるのでも構わねぇぜ?」
「お、落とし玉……ッて、滅茶苦茶痛いから、それ!?」
「つぅか何でそんな鉄球が準備されてるのか訊いてみてぇなぁ」
「あかっち……多分そこはつっこんだら負け、のぶぶんだ……!」
 などという、ボケとツッコミの入り乱れる珍妙なお年玉授与式を尻目に、鎮が可愛いポチ袋をリゲイルに渡している。
「わあ、可愛い。薄野さん、これなに?」
「お年玉って言って、お正月に贈るお祝儀……かな。年上から年下に贈るのが普通なんだって」
「へえ……そうなんだ、嬉しい。本当にもらっていいの?」
「うん、太助君とお揃いのポチ袋なんだよ、こっちも可愛いよね」
「まあ、イエローと一緒だなんて、ますます素敵。今年もいいことがありそう……薄野さん、どうもありがとう!」
 嬉しそうに、赤や白を基調にした千代紙で出来た小さな袋を受け取るリゲイル。
「リゲイル、俺からも。いつも理月によくしてくれてありがとうな」
「ううん、だってわたし、理月さんのこと、大好きだもの」
「はは、そう言ってもらえりゃ、俺も安心だ。初詣に行ったら、年玉を使って縁日で買い物をしたらいい」
「うん、ありがとう理晨さん、大事に使うわね!」
 その後、年長組から年少組に向けてポチ袋が乱舞して、刀冴からリゲイルに真っ赤な珊瑚を使った薔薇モティーフの髪留めが、理月からリゲイルに雪の結晶の模様が編み込まれたマフラーが、理月から太助に山のようなキャンディが入った大きな缶と小さな手袋が贈られ、お年玉交換会は幕を閉じる。
「……トイズ」
 唯は、理晨と理月と刀冴からお年玉(勿論普通の、だ)をもらって、表情少なに、しかし実はかなり喜んでいるらしいトイズの横に座って声をかけた。
「ん、どうした、唯」
「いえ……理晨を追いかけてこの街に来て、よかったですね」
「……うん」
 トイズの目元が和む。
 唯も笑って、まだまだ賑やかな居間を眺めやった。
 年をひとつ跨いだだけなのに、何故か誰もがうきうきとして、眠気とはほど遠く、初詣に行く前に一眠りするか、と刀冴が声をかける午前二時ごろまで、その賑わいは持続したのだった。



 5.2009.1.1 AM11:00

 人でごった返す杵間神社。
 空は快晴で、太陽の光は眩しい。
 昨夜から降り続いた雪があちこちに積もっているが、人々の熱気で溶かされてしまいそうだ。
「着物の女の子って、どうしてこんなに可愛いんだろう」
 正絹の、赤を基調とした華やかな花柄の着物を身にまとい、苦労しながら歩くリゲイルを見て、しみじみと言ったのは瑠意だ。
「リガちゃん、すっごくよく似合ってるよ」
「本当? ありがとう、兄様。でも、浴衣とは少し違うから、歩きにくくって困っちゃう」
「歩きにくくて困るって言いつつあちこち行っちゃうのがリガちゃんだよね」
「え、だって、初詣って生まれて初めてなんだもの! 色んなお店があるし、色んな人がいるから、楽しくて!」
「うん、それは判るよ。……でも、頼むから、もう迷子にはならないでね。刀冴さんが覚醒領域使って探してくれなかったら、俺たち、リガちゃんと再会できなかったかもしれないし」
 来て早々、あまりにも物珍しくてあちこち歩き回り、あっさり迷子になって、同行の男衆を右往左往させたリゲイルである。
「うん、気をつける。ごめんね」
 気をつけるといいつつあまり反省していないのは、何もかもが珍しく、面白くてソワソワしているのと、皆がそんなリゲイルに溜め息し苦笑しつつも、彼女のそそっかしさごと愛してくれていることが判るからだ。
 例えば、リゲイルがもう一度はぐれて異世界に転がり落ちてしまっても、皆ならきっと見つけてくれる、助けに来てくれる、という確信が、リゲイルにはある。
 それを絆と呼ぶのだということが、リゲイルには判っている。
「さあ、お参りに行こう。神さまに、今年一年分のお願いをしないと」
 瑠意がリゲイルの手を取り、促す。
 リゲイルは頷いて、やはり少し苦労しながら歩き出した。
 その隣に、紋付袴姿の太助を頭に載せた理月が並ぶ。
「レッド、すっげーにあってるぞ、すてきってやつだ!」
「素敵ってんなら太助もだけど……リゲイル、よく似合ってる」
「うふふ、ありがとう」
 男衆からの賛辞ににこにこ笑いながら、砂利を踏みしめて境内を進み、本殿へと辿り着く。
 そこもまた、参拝客でごった返していて、
「うわー、やっぱり皆、考えることは同じだなぁ」
 瑠意が、リゲイルの手をぎゅっときつく握り、自分の傍に引き寄せる。
 その手の温かさに、瑠意の体温に、胸の奥までが暖かくなったのは、気の所為ではないはずだ。
「ねえ、兄様」
「うん、どうした、リガちゃん?」
「……うん、あのね、……こうやってぎゅうってくっつくのも、楽しいなぁって」
「はは、そうだね」
 窮屈な中、顔を見合わせて笑い、じりじりと進む人の波に身を任せる。
 結局、賽銭箱のある、本殿の前まで辿り着くのに三十分かかった。
 周囲を見渡すと、長身の刀冴やヴァールハイトの姿が抜きん出て見える。理月の頭に乗っかった太助の姿も見えるし、多分、その傍に、皆もいるのだろう。
「兄様、お参りってどうやるの?」
「うん、まずは神さまに向かって一損……軽くお辞儀をする」
「……こう?」
「そうそう。で、次に、この鈴を鳴らす。これは神さまに自分が来たってことを知らせるためだから、力強くね」
「そうなんだ、なるほど」
「お賽銭をこの箱に入れて――……そうそう、お賽銭は十円玉と五円玉がいいって言われるんだ」
「さっき理晨さんがこれを使え、ってくれたから、両方持ってるけど……どうして?」
「十倍ご縁がありますように、って」
「あら、それ、素敵ね。じゃあ、そうしよう」
 笑って、賽銭箱に、硬貨を二枚、ぽとりと落とす。
 からり、と軽やかな音がして、木の箱の中に硬貨が消えていく。
「それから、二礼二拍手……神さまに向かって、二回深くお辞儀をする。背中を平らにして、腰を90度折るんだって」
「こう……で、いいの?」
「うん、いいと思うよ。そしたら、両手を伸ばして手の平を合わせて、お願い事をしてから、肩幅くらいに両手を開いて柏手を二回打つ。柏手って言うのは、神さまを呼ぶためじゃなくて、自分が素手で、下心なんて何もないんだ、って証明するためなんだってさ」
「へえ……色々あるのね……」
「そうだね、宗教や信仰の数だけ、参拝の方法はあるんだろうね。柏手が終わったら、もう一度神さまにお辞儀をして、お終い。どう、判った?」
「うん、判った、ありがとう。お願い事も、したわ」
 ロシア人でクリスチャンのリゲイルは、日本の宗教とは無縁だし、この国の風習や信仰をあまり理解してはいない。
 しかし、自分はクリスチャンだから、お参りをしない……というほど、熱心に自分の神さまを信仰しているわけでもない。
 彼女の神さまは、彼女が一番助けて欲しいときに手を差し伸べてはくれなかったし、助けて欲しい誰かを助けてもくれなかった。
 とはいえそれを恨んだり憎んだりしたことはないし、数奇だが素晴らしい運命を与えてくれたことに感謝もしている。そして、神さまと言うのは平等に赦すことが仕事なのだと、今では漠然と理解してもいる。
「何をお願いしたの、リガちゃん?」
「……うん、あのね」
 徐々に近づく、夢の終わり。
 魔法がかかったことで得た、大切な大切な人たち。
 ずっと一緒にいられないことは、痛いほどに判っている。
 時間を、ひとつの季節、ひとつの瞬間に留めておくことは、誰にも出来ない。
 例え出来たとしても、それはきっと、人々を歪めてしまうだろう。
 あるがままに流れていく時間の中で、愛しい人たちと、優しい時間を過ごす。
 それだけが、彼女らに許された選択なのだ。
 ――だからどうか、と、リゲイルは祈る。
「わたしたちに、銀幕市の皆に残された時間の全部が、幸せだったらいいな、って」
 残された時間のすべてが平穏で、幸せと笑顔に満ちて、誰もが誰かを思って生きることを許され、愛し愛されることが一番大切な『仕事』で、すべての銀幕市民が楽しくて騒々しくて優しい日々を過ごせればいい、と、リゲイルは思うのだ。
「……うん、そうだね、俺もそう思う」
 瑠意の、アメジストのような双眸が、ここにはいない誰かを映してきらりと光を反射する。
「俺は、この街に魔法がかかって、皆と……大切な人と出会えたお陰で、今の俺になれたから。――だから、銀幕市にも、ここの皆にも感謝してるし、皆がずっとずっと大好きな人たちと幸せだったらいいって思う」
 瑠意が誰のことを思っているのか、リゲイルには判る。
 瑠意が、瑠意の大切な人と、いつまでも幸せでいられたらいいと思う。瑠意の大切な人が、リゲイルの大切な瑠意を幸せにして、数え切れないくらいの笑顔をくれたらいいと思う。
「ええ……そうね、本当にそう」
 くるくると巡り巡る人の思い。
 誰かを愛し、愛され、哀しみ慈しみ、怒り憤り打ちひしがれて、絆や愛情によって救われ、生かされている。
 留まることを知らない感情の輪廻が、リゲイルを強く、しなやかに磨き上げ、創り上げて行く。
 思いはリゲイルの中を巡り、リゲイルを強く練り上げると同時に、思いそのものも強くなり、磨かれ、精緻に輝いていくことだろう。
 終わりなきその精錬、その輪廻。
 夢の街の夢がいつ終わるのか、まだ誰にも判らない。
 判らないけれど、いずれ来る最果てのために――しかしそれは、銀幕市の魔法の、という意味のみではなく、誰にでも、必ず訪れるものなのだと、リゲイルは理解している――、後悔のないように日々を大切に生きたい。
 きっとそれを、銀幕市での毎日を愛するすべての人々が思っているだろう。
「皆が幸せでありますように。皆が最後まで、笑顔でいられますように」
 神さまを妄信はしない。
 出来ない。
 けれどもしも、ほんの少しでも、その声を聞いてくれる存在がいるのだとしたら。
 魔法の有無など関係なく、人と人との間を巡り、磨き上げられてゆく、愛や絆という面映くあたたかいものが、たくさんの祈りと願いをかたちづくり、莫大なエネルギーとなって捧げられているのだということを、どうか覚えていて欲しい。
 ――覚えていたい、と、リゲイルは思った。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました!
幸せな年末年始を描くプライベートノベル群、【White Time,White Devotion】をお届けいたします。

総勢十一名様での、賑やかで楽しい、ボケとツッコミなんかも交えたり交えなかったりな年の瀬の一時を、それぞれに大切な人たちとのワンシーンや感情を交えて描かせていただきました。

皆さんがこの一時を楽しもうと思っていてくださったのが伝わって来たようで、とても楽しく執筆させていただきました、どうもありがとうございました。

他愛ない、貴重な一時を描かせていただいたことに感謝しつつ、楽しんでいただけるよう祈る次第です。


なお、言動などでおかしな部分などがありましたら、可能な範囲で訂正させていただきますので、どうぞお気軽に仰ってくださいませ。

それでは、またの機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。
公開日時2009-01-06(火) 19:40
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