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<ノベル>
ジェイク・ダーナーは、ミチコの足元にある割れてしまったDVDを見つめつつ、ため息をつく。
彼がいるのは、赤いテント内。DVDを借りにきたところで、閉じ込められてしまったのだ。
「どうやら、これはあいつの所為みたいだな」
ぽつりと呟き、じっとミチコを見つめる。なんてことは無い、何処にでもいるような少女。その傍らには、大きな弓を持った女がいる。
(俺一人じゃ、無理か)
何せ、テント内でもあるし。
ジェイクは辺りを見回す。異変に気付き、ミチコのところにやってくる者達がいるはずだ。そうすれば、彼らと一緒に対処に当たればいい。
「明日も授業に出たいし、バイトもあるし」
ふう、と息を吐き出しながらジェイクは呟く。ともかく、このテントからの脱出を試みなければならない。
無事に明日を迎える為にも。
セフィシア・リーセタルは、散歩中の足を止めた。
(魔力)
空を見上げる。一区間が、赤いテントのようなもので覆われているのが見える。そうして、そこから魔力を感じるのだ。
「何だ、あれ」
セフィシアは呟く。じりじりとした魔力を感じる。そうして、その中にもまたよく似通っている、だが違う魔力を感じる。
「赤い、テント」
セフィシアはそう言うと、ゆっくりと歩き始める。
そうして、小さな声で「メンドクサイ」と呟いた。
姫神楽 言祝(ヒメカグラ コトホグ)は、突如できた赤いテントをじいっと見つめた。
「嫌な気配、ですね」
散歩の途中でいきなり出来た赤いテント。赤く禍々しい雰囲気に、嫌な気配を感じてならない。そこに入れば、二度と出て来られないような。
「これがいきなり出来たという事は、何かしらの原因があるはずですね」
言祝は呟き、辺りを見回す。テントの張られている範囲は、公園一つ分くらい。それならば、歩いて回る事ができるだろう。
「行きましょうか」
言祝はそう言うと、ひらりとドレスを翻して歩き始める。
心なしか、早歩きで。
突如出来た赤いテントに、晦(ツゴモリ)は眉間に皺を寄せた。
「なんや、あれ」
不穏な空気をまとったテントに、晦は呟く。ぐるりと見回すと、公園一つ分くらいの範囲が覆われている事が分かった。
「なら、一周するのは簡単そうやな」
ぽつりと呟き、走り出そうとする。その際、ざっと目の前を武士に阻まれる。
「あんたが、これをやったのか?」
晦は苦笑交じりに「まさか」と答える。
「わしは、むしろ何があったのかを探ろうと思ってただけや」
「む、そうか」
すまぬ、と軽く頭を下げる。彼は自らを、岡田 剣之進(オカダ ケンノシン)だと名乗った。
「このテント、どう考えてもおかしい。安易に手を出すのも憚られるしな」
剣之進の言葉に、晦も頷く。
「わしもや。一周してみれば、何かあるかもしれん思うてな」
晦が言うと、剣之進は「なるほど」と頷いた。
「では、二手に分かれぬか。俺はあちらに、晦殿はこちらに」
「了解」
晦と剣之進は互いに顔を合わせ、一つ頷いてから二手に分かれた。
次にまた顔を合わせる時には、何らかの情報を得ているはずと考えて。
赤いテントの外側に、ミチコが立っていた。傍らには大きな弓を持った女がいる。目が黒く、中心部分が白く輝いている。頭は何故か、アフロヘアだ。
二人を見つけ、四人が同時に駆け寄った。
いや、正確には五人だ。テントの外側に四人、内側に一人。もっとも、内側にいるジェイクは持ち前の影の薄さを利用し、ミチコにばれぬようにそっと近づいている。
「なぁに、あなた達」
ミチコは四人を怪訝そうに見、言った。隣にいる弓の女が、ゆっくりと巨大な弓を構える。
「このテントは、ミチコ様が?」
言祝が尋ねると、ミチコは頷きながら「まぁね」と答えた。
「この中に、全部入れちゃえばいいの。そうすれば、私は大丈夫だから」
ふふ、とミチコは笑う。
「何が大丈夫なのだ? 入れちゃうとは、何を」
剣之進が尋ねると、ミチコは「ムービースター」と答える。冷たい声で。
「憧れを抱いたわ。とても素敵な人だって思ってた。だけど、それは間違い。思い描いていたものなんて、呆気なく崩れるものだったの」
「想像と、違っていたからか?」
晦が言うと、ミチコは「そうよ」と言って、ぎゅっと何かを握り締める。
「ムービースターがここでは実体化してしまう。抱いていたものを、簡単に壊しちゃうというのに。だから、もう出て来れないようにすればいいの」
「それは、余りにも」
むう、と剣之進が言う。自分も、ミチコが「簡単に壊す」と言うムービースターなのだから。
「ミチコ様、落ち着いてください。それは、本当に自分の心からの感情なのですか?」
言祝が尋ねる。ミチコは「はぁ?」と再び怪訝そうに尋ね返し、続けて「そうよ」と答える。
「そう、私の感情! 大体、あなた達に分かるわけじゃないじゃない。あなた達、ムービースター、なんでしょう?」
ミチコは微笑みながら言う。冷たい笑みだ。
「なぁ、ちょっとは聞いてくれへんか? われは、その妙な玉のせいで」
――ざっ!
晦が言おうとすると、目の前に弓の女がいた。巨大な弓を振り下ろし、晦の言葉をミチコに届けさせぬように遮断している。
「わしに、全部言わせへん気ぃやな?」
「晦殿!」
再び振り下ろされる弓に、剣之進が反応してそれを受ける。がきん、という重い音が辺りに響いた。
「剣之進様、晦様、大丈夫ですか?」
言祝が尋ねると、二人は同時に頷く。そして、同時に動いた。
剣之進は剣を構え、弓の女に応戦する。だが、刃と逆の方を弓の女に向けている。峰打ちにて応戦する為だ。
晦は破邪の紋が刻まれた木刀を構え、剣之進と共に弓の女にとりあえず応戦をする。
言祝はぐっと拳を握り締め、天に向かって「ロケットパンチ!」と叫びながら自らの拳を放った。拳は赤いテントに当たり、ぶる、とテントを振るわせる。どうやら通過するのはムービースターという存在であって、拳だけだと通過しないようだ。
そんな中、じっとセフィシアは赤いテントを見つめていた。言祝の攻撃によって震える赤いテントを見て「物質だけの攻撃は効くのか」などと、ぽつりと呟きつつ。
――ぽーんっ。
セフィシアが赤いテントを見つめていると、テント内から何かが飛んできた。ウサギの頭だ。
「何で、あんなものが」
思わず苦笑がもれる。飛んでいったウサギの頭に気付いたのはセフィシアだけのようで、他は相変わらずだ。
「あんたは、応戦しないのか……?」
不意に声がし、セフィシアは視線を戻す。弓の女と戦っている剣之進と晦、赤いテントを攻撃する言祝、彼らの戦いを見ているミチコ。そのうちの誰とも違う声だ。
「こっちだ」
更にした声にそちらを見ると、そこにはジェイクがいた。赤いテントの中に。
「閉じ込められたのか」
「ああ。なんとかして、ここから出たくてな」
ジェイクが言うと、セフィシアは目線だけでミチコをさす。
「彼女がテントを作った要因だそうだ」
「ああ、さっき聞いた」
「さっき? あんたがいたなんて、気付かなかったが」
セフィシアが言うと、ジェイクは肩をすくめながら「影が薄いんでね」と答える。
「俺はここから出たい。その為にはあの女を何とかしないといけないんだろうが、俺はここから出られない」
「協力してほしいと?」
「そういう事だ。もっとも、俺がココからできることは少ないかもしれないが」
ジェイクの言葉に、セフィシアは「そうでもない」と答える。
「さっき、ウサギの頭が中から出てきた。また、存在自体は物質でしかない拳での攻撃が赤いテントに効いている。という事は、生命体以外ならば赤いテントは目的を阻むことは無いと思われる」
セフィシアは赤いテントを見つめつつ、言う。
外に出ようとするウサギの頭は、無事に外へと飛び出した。
攻撃しようとする言祝の拳は、赤いテントへ攻撃をした。
つまり、赤いテントが阻んでいるのは人が出ようとする意志を阻んでいるだけであり、それ以外の事はなそうとする者の意志を阻むことは無いようなのだ。
再び赤いテントが震える。言祝による攻撃かと思ったが、場所が遠くの方からの振動のようだった。おそらく、赤いテント内で何かが起こっており、それに関連して赤いテントを震わせているのだろう。
例えば、流れ弾だとかが。
「つまり、俺の攻撃……例えば、ロケエリなんかは有効だと?」
「おそらくは」
赤いテントから視線を戻しつつ、ジェイクが言う。それに対するセフィシアの言葉に、ジェイクは「なるほど」と頷く。
「ならば、俺は時を見る。その時が来たら合図をするから、あいつらにも伝えてくれ」
ジェイクはそう言って、未だに戦う言祝、剣之進、晦を指す。
「それはいいが、あんたはどうするんだ?」
セフィシアの問いに、ジェイクはひらひらと手を振る。
「俺は、再び身を潜める。俺という存在が、まだばれていないようなんでな」
そう言ったきり、ジェイクの気配が途絶える。再び身を潜めたのだろう。
セフィシアは再び、戦っている三人を見る。言祝は相変わらず赤いテントを攻撃し、晦と剣之進は弓の女と戦っている。
「何や、おかしいな」
晦はぽつりと呟く。それに対し、共に弓の女の攻撃を受けている剣之進が「どうした?」と尋ねてくる。
「虚ろやと思わんか? どうも、違和感があるんや。自分の意志じゃないみたいな」
「ふむ……それは、確かにあるかもしれんな」
剣之進は改めて弓の女を見る。中心が白い光を放つ黒い目と、頭のアフロヘアにどうも目が行きがちだが、なるほど、確かに自らの意志で戦っているようには見えぬ。
「つまりは、操られておると」
「そういう事やな。ほんま、やりにくいわ」
がきん、と弓の女の攻撃を受け、木刀が震えた。ぎりぎりと弓の女の攻撃を受けているものの、晦は自分の意志で戦っているわけではない者に危害を加えるという行為に途惑っていた。攻撃を防ぐ事はするのだが、それ以上の行動ができない。
しかし、今まさに弓の女には隙が出来ていた。晦との鍔迫り合いによって。
「すまんな……!」
そこに、剣之進が打ち込んだ。峰打ちにて、弓の女の腹を打ったのだ。
弓の女は「かはっ」と腹の奥底から咳き込み、その場に崩れた。げほげほ、と何度も咳き込んでいる。
「な、何よ。ちょっと、ちゃんとして……」
動かぬ弓の女に、ミチコが声をかける。と、その瞬間、ぶるり、と赤いテントが震えた。びくりと体を震わせながら、ミチコが確認する。
その視線の先には、言祝。「目からビーム」といいつつ、目から光線を出して赤いテントに攻撃している。
「何よ……何なのよ、あんた達!」
ミチコが叫ぶ。弓の女は起き上がらない。
「ミチコ様、同じ事の繰り返しになりますが、どうしてムービースターが許せないんですか?」
「だって、裏切ったわ。私、信じていたのよ」
言祝の問いに、ミチコが答える。
「だから、その中に閉じ込めたんか?」
赤いテントを見上げつつ、晦が訪ねる。ミチコは「そうよ」と言って頷き、小さく笑う。
「この中に入れてしまえば、私を裏切る人は出てこないわ。私が信じる事のできる世界が出来るはずよ」
「はて、それは本当に信頼できる世界かな」
剣之進の言葉に、ミチコは「え」と言いながら顔を上げる。
「信頼とは、互いに信じあう事。一朝一夕には作られぬ関係だ。勝手に勘違いし、一方的那理想を押し付け、勝手に裏切ったと相手を罵るのはどうかな」
「どういう、意味?」
「青年に裏切られたと思ったのだろう。しかし、見たのは一部だけではないか。それだけで判断して、真に相手を理解していたといえるか」
ミチコはぐっと言葉を詰まらせる。小さな声で「うるさいわね」と呟きながら。
「そんな事言われたって、分からないわ。だって、私は裏切られたんだもの。裏切られたのよ!」
ミチコは叫び、弓の女の傍に座り込む。
「ねぇ、ちょっと。早く起きてよ。何とかしてよ。私を邪魔してくる人たちを、あなたが何とかするんでしょう!」
そう言い放つと、弓の女はぴくりと指を動かした。ミチコはほっとしたような息を吐き出し、再び皆を睨みつける。
「あなた達も、閉じ込めてやるわ。だって、ムービースターだもの。いつ裏切るか、分からないもの!」
あはははは、と笑いながらミチコは言う。
「ミチコ様、それは本当にご自分の心からの言葉ですか? しっかりと考えてください」
言祝はそう言って、じっとミチコを見つめる。ミチコは、ぎり、と唇を噛み締める。
「考えてる、わ」
「そんな風には、見えへんけどな」
晦の言葉に、ミチコは「考えてる」を繰り返す。何度も、何度も。
「それより、さっきから何なのよ。あんた、どうして何も言わないのよ」
じろり、とミチコはセフィシアを睨みつける。セフィシアはため息をつき「くだらない」と言う。
「想像と違うから裏切られた? くだらない」
セフィシアの言葉に、ミチコはぐっと拳を握り締める。
「くだらなくなんて、ない」
「くだらない。現実なんて、想像とかけ離れているものだ」
「そんな事、ない!」
ミチコは叫び、再び弓の女に向かって「起きて」と叫ぶ。
「早く起きて! 私、邪魔されているわ。私の邪魔をしているのよ。さっさと起きて、何とかしてよ。何とかしてくれるんでしょう? それとも、あんたまで裏切る訳?」
弓の女が体を起こそうとする。が、上手く動かない。ミチコは苛々しながら、何度も「早く」と繰り返す。
「悪いが、お嬢さん。それを引き取りにきた」
突如声がし、はっとしてミチコは振り返る。そこには、ハイドが立っていた。何処と無く疲れているような、切羽詰っているような表情だ。
「どうして? この人は、私のために邪魔する人たちを何とかしてくれるんでしょう?」
「そうしてあげたいのはやまやまだがね、こちらにも事情がある。力が足りないんでね」
ハイドはそういうと、よいしょ、と言いながら弓の女を持ち上げる。その振動で、弓の女は「うっ」と小さく呻いた。
「よしよし、まだ洗脳は解けていないようだな」
ハイドは弓の女の頭を見ながら言うと、にっと笑った。ミチコが「ちょっと」と言うのにも構う事無く、くるりと踵を返す。
「では、せいぜい頑張ってくれたまえ!」
あはっはっは、と笑いながらハイドが去っていく。その際、ハイドが頭につけていたアフロヘアがぽとりと落ちたが、ミチコにはどうだってよかった。
自分を守る為の者が、呆気なく崩れ去ってしまったから。
「忘れて、いたわ」
ぽつり、とミチコは呟く。「あれも、ムービースターだったって事を……!」
「……信頼とは、何かな」
ミチコに向かって、剣之進が言う。
「俺にも、似たような経験がある。友人を、斬りつけようとしたことがあるんだ」
剣之進は、静かに口を開く。
映画の中で、ミチコと同じような経験をしていた。唯一無二の親友を、斬りかけた事があるのだと。それは、友を信じられなくなった自分が、自分を裏切っていたのだ。
若い頃の自分だ、と恥ずかしそうに笑む。
「自分を、裏切る……?」
ミチコはゆっくりと、自らの掌にある玉を見る。
「ミチコ様、今一度考えてください。それは、あなた自身の気持ちなのですか? 本当に?」
言祝の言葉に、ミチコは玉をじっと見つめる。ぎらりと光る玉は、何も答えてはくれない。ただ、どろりと、心のうちがあふれるだけで。
なんだか、ざわざわするだけで。
「もう弓を構えていた女もおらへん。せやから、自分の頭で考えるんや」
晦が言うと、ミチコは「自分の頭」と呟き、前を見回す。手の中の玉がぎらりと光り、赤いテントがびりびりと震える。
「ムービースターは、裏切るわ」
「全部の『むうびいすたあ』がそうではないぞ」
剣之進はそう言って、にっと笑う。
「裏切るから、閉じ込めておかないといけないの」
「そもそも、そんな事をしたって裏切る奴は居なくならないな」
そっけなく、セフィシアが言う。
「私はもう、裏切られたくない!」
「なら、信じればいいんや。それからでも、遅くないやろ」
なぁ、と晦は言う。
皆の言葉に戸惑うミチコに、言祝が静かに言う。
「ミチコ様。ご自分の気持ちは、どうなのですか?」
ミチコはぐっと言葉を詰まらせる。
最初とは違う。色々な感情が、玉から流れ込むものとは別に、生まれている。それは玉の与えるどろりとした落ちて行くような感覚ではなく、逆に優しく引っ張り上げられるような感覚。
落ちるのは楽だけど、上がるのは困難だ。
だけど、だからこそ見えるものもあって。気持ちだって、同じで。
「あ……ああああ!」
混乱の中、ミチコは叫ぶ。手の中には信の玉。ぎらりと光り、赤いテントが震える。
ヴヴヴ、と震える。玉が、赤いテントが、ミチコが、ミチコの心が。
震える……!
「今だ」
静かにセフィシアが告げる。その瞬間、ロケーションエリアが展開された。
「ロケーションエリア?」
ミチコは慌てて辺りを見回す。気付いた時には既に遅い。今まで自分の目の前に居た人たちの気配が分からない。
居るはずなのに。絶対に、居るはずなのに!
「ちょっと……どこよ。どこにいるのよ?」
ミチコは必死になって探す。確かに目の前に居た人たちを。
展開されたのは、ジェイクのロケーションエリア。戸惑うミチコに隙を見つけたセフィシアの合図によって展開されたロケーションエリアは、皆の気配を断つものなのだ。
言祝は赤いテントに向かって「ロケットパンチ」「目からビーム」を連発する。赤いテントが、更に激しく震えた。
剣之進と晦は、万が一に備えて構えている。激しく動く赤いテントから何かが出てきたとしても対処できるように。
セフィシアは、つかつかとミチコに近づいていた。赤いテント内からは、ジェイクがミチコに近づいている。
「やだ、どこ? どこにいるっていうのよぉ!」
叫ぶミチコの手首を、ぱん、と叩く。突如叩かれた反動で、玉を握り締めていた掌が開いた。
ぽとり、と玉が落ちる。
落ちる……!
「消えろ」
静かにつげ、ジェイクは玉に向かってアイスピックを投げつける。生命体に反応する赤いテントは、アイスピックを押し戻すことはしない。まっすぐに、ジェイクの狙った玉のほうへと突き進む。
まっすぐに。
――ぱきんっ!
信の玉に、綺麗にアイスピックが突き刺さった。ぴきぴき、とアイスピックの先からひびが入っている。
「あと一撃」
セフィシアはそういうと、雷の魔法をアイスピックに落とす。
――ばきっ!
ひびは亀裂へと変わり、玉を真っ二つに破壊した。その途端、ぱあん、という風船がはじけるような音がして、赤いテントが消えうせた。
「あ……」
がくん、とミチコがその場に崩れ落ちる。その周りを、皆が取り囲む。
「大丈夫か?」
剣之進が手を差し出す。ミチコは一瞬びくりと体を震わせたが、顔を真っ赤にした後「ありがとう」と礼を言いながら、その手を握り返した。
「正気に戻られたようですね」
言祝はそう言って、静かに微笑んだ。ミチコは照れたように頷き、それから深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
深く深く下げられた頭は、ミチコの気持ちをそのまま表していた。
記憶がなくなったわけではない。自分が何をしたかをきちんと憶えているし、自分を諭そうとしてくれた人たちに何を言ったかも頭にある。
だからこそ、謝らねばならないと思った。
「ええんや。無事なら、それでええ」
晦はそう言って、ぽん、とミチコの頭を軽く撫でた。ミチコはゆっくりと顔を上げる。
「これで、明日の授業が出れるし、バイトにもいける」
ジェイクはぽつりと呟くように言う。ミチコが再び「ごめんなさい」と告げると、ジェイクは小さなため息をつく。
「別にいい。もう、なんとかなったから」
それだけ言うと、ジェイクはくるりと踵を返す。その瞬間、誰かがこちらに向かってやってきていた。
それは、たとえるならばシャンプーハット。頭にふわふわの輪っかをつけているような髪型。外側がふわふわで、中がさらさら。
命名するならば、シャンプーハットアフロ、とでも言おうか。ドーナツでもいいかもしれない。
ともかく、愉快な頭をした青年が向かってきた。
「不思議な頭をした奴が来たぞ」
セフィシアの言葉に、皆がそちらを見る。青年はぜえぜえと肩で息をしながら、ふらふらな足使いをして、ミチコの元にやってきた。
「き、君。あ、あの、あの時、は」
ぜえぜえ、と間でいちいち息切れが入る。
「知り合いか?」
セフィシアの問いに、ミチコは小首をかしげる。青年は大きく深呼吸をし、顔を上げた。
「だから、なんか、幻滅させたみたいでさ」
上げた顔を見て、ミチコはようやく「ああ」と言った。ミチコが赤いテントを張ってしまった原因になった、ムービースターの青年だ。
「聞けば、女性に酷いことをしたそうだな?」
じろりと睨みながら、剣之進が言う。青年はびくりと体を震わせ、がっくりとうなだれる。
「同じ事を、いろんな人に言われたよ。だからこそ、君に謝りにきたんだ」
青年はそう言い、頭を下げた。ごめん、と言いながら。
「それで、どうするんや?」
晦が尋ねると、ミチコは肩を竦める。
「もう、どうだっていいわ。勝手に勘違いしちゃってたの、私だし」
ミチコはそう言って、ふと近くに何かが落ちているのに気付いてそれを拾い上げる。ふわふわのそれは、ハイドが落としていったアフロヘアだ。
「これ、あげるわ。そうしたら、立派な髪になるでしょう」
ミチコはにっこりと笑いながらそういうと、手にしたアフロヘアを青年のさらさらだった部分にそっと乗せた。
綺麗なアフロヘアの出来上がりだ!
呆然とする青年に、晦と剣之進が笑った。言祝は「個性的ですね」とにこやかに笑む。セフィシアは失笑を漏らし、ジェイクはため息混じりにどこかへと歩いていってしまった。
「いや、お見事。まだ若いのだ、もっと良いおのこに巡り合えるさ。例えば、俺とか」
ははは、と笑いながら剣之進が言う。
「何ナンパしてるんや。手ぇ、早いな」
くつくつと晦が笑いながら、ツッコミを入れる。
「これで、完璧なアフロヘアですね」
言祝が青年に言う。青年は相変わらず呆然としたままだ。自分に何が起こったのか、いまいち良く分かってないようだ。
「なぁ、まだ『むうびいすたあ』は嫌いか?」
ひとしきり笑った後、剣之進がミチコに尋ねる。ミチコは「まさか」と言ってにっこりと笑った。
既に、最初の頃の冷たい目ではない。
「やれやれ」
セフィシアは呟き、ゆっくりと空を見上げる。
赤いテントは、もう何処にも無い。
一人、先にその場を後にしていたジェイクは、ぼんやりと空を見上げる。
既に自らが閉じ込められていた赤いテントは無く、どこまでも青い色が広がっている。隔てるものなど、なにもない。
「こうして、おれが誰も殺さずに、まっとうに生きようとするのは、スプラッターマニアにとっては『裏切り』なんだろうな」
ぽつりと、ジェイクは呟く。自分も、ムービースターだ。ミチコが抱いたことと同じ事を、自分の出ている映画を見て感じる者がいないと、どうして言えよう。
「でも……いいだろ。せっかく心があるんだ。好きにさせてくれよ。どうせいつかは、消えちまうんだから……」
ポケットから、借りたDVDを取り出してみる。なんてことは無いタイトル。その中に出てくる者も、探せばこの銀幕市内にいるかもしれない。
「そのうち、何もかも、元通りになるさ」
ジェイクは呟き、再びポケットの中にDVDを突っ込んだ。
ふう、という小さなため息と共に。
★ ★ ★
ゆるゆると陽が沈んで行く。
生温い風が臭気を運んで行く。
まるでそこにあるすべてのものが、それの場所を知らせるかのように。
ゝ大法師は山を歩いていた。
昔と、同じように。
あの時も、彼女を捜して、こうして山の中を歩いた。
「──伏姫様」
そして、見つけた。
川が流れている。
川。
そう、川の向こう側……。
そこに、姫がいる。
そして傍らには、ボロボロにひび割れた『義』と書かれた玉。
「金鋺大輔殿か……また来たのかえ」
美しく豊かであった黒髪は、今は白く振り乱されている。
ふっくらとした可愛らしい唇は、乾涸びて割れている。
「殺しに来たのかえ、金鋺大輔。それとも、また外してくれるのかえ?」
にぃ、とわらうと唇は引き攣れ、ぷつりと切れて血が滲んだ。
ゝ大は俯いた。
「その名はあの時、捨て申した。……姫様を殺してしまった、あの日に」
言うと、女は笑った。
森が不気味にざわめき、その声を掻き消して行く。
「金鋺大輔、金鋺大輔よ。私を殺しただと? 殺しただと! 貴様、貴様が殺したと! ひひひ、笑わせるな、笑わせるでないぞ、貴様が殺したなどと!」
目は赤く血走り、瞳からは赤い涙が幾筋も幾筋も零れ落ちていく。
「一思い、一思いに殺せぬなら銃など手にするでない、愚か者。迷うておる、迷うておるのだろう、金鋺大輔? 知っておる、知っておるぞ、貴様、私に懸想しておったろう。ひひひ、ここで叶えてやろうか、我は生き返った! 幸せか、幸せであろう、八房もおらぬ、貴様のものになってやろうかぁあははっはははははっ!」
ゝ大は唇を噛む。
思い出されるのは、鈴を鳴らしたような愛らしい声。
春の花が咲くような、優しい笑顔。
空は血色に染まっている。
俯いていると、すぅと細い枯れ木のような白い手が、ゝ大の頬に伸びて来た。目の前には、自分を見上げる少女。
「……私を見られぬか。さもあろう、のう、金鋺大輔」
いとおし気に頬を撫でる手。
ギリギリと爪を立てて、その頬を赤く染めた。
「まっか、まっかにならんとのう、貴様、貴様もならんとのう、目を、目を閉じるな、閉じる出ない、貴様、貴様が閉じるでない、見よ、見よ、貴様の罪を見よぉおおおおお!」
ゝ大はただ目を閉じてされるがままに引き裂かれた。
頬の肉が削られ、白い骨が覗く。
女は笑いながら削り取った肉を握り潰す。それから滴る血を赤く長い舌に絡ませて笑い続けた。
まっかだ。
「うまくいかぬのう。残った玉も『義』の玉のみ……ふふ、義はよいのぉ、戯れは面白かったか?」
『義』の玉はふよふよと弱い光を放つ。それに、女は笑った。
「そうかそうか、ふひひひひひぃい……我も、我も戯れたいのう、のう、金鋺大輔? 降りたい、降りたい、ここから出してくりゃれ」
削られた頬から流れる血が胸に降りてくる。べったりと血塗れた上に、女は頬を寄せた。ゝ大は動かぬまま静かに言い放った。
「……なりませぬ」
削られた肉の隙間から空気が漏れる。垂れ下がった皮がその空気に揺れた。
女は笑う。
「なりませぬ! なりませぬだと! ひひひい、金鋺大輔、貴様は変わらぬ! 変わらぬ変わらぬ変わらぬ、ではまた殺し損じるがよいぞぉおひいいいいいっ!!」
笑う。
甲高く。
風が。
生臭い風が運んでゆく。
今度こそ。
間違いは起こしてはならぬ。
「損じるがよいぞ! 貴様は私を殺せぬからなぁっ! ふひひひひ、今度は自ら死んでやらぬぞ、生き恥を晒せと申した者共にものど者共に思い知らせてやらねばなららならないのだからぁああああ」
今度こそ。
ゝ大は銃を構える。
間に合わなかった。
また、間に合わなかった。
だから、今度こそ。
為損じぬよう、こうして。
「なんじゃぁ、黒い筒を私に向けるとは、不忠者めが、手柄も上げられず帰ることもせず挙句私を殺し損ねた損ねた筒をまたたたまたまた向けたむけるむけるまたたまたまた」
額に。
指に力を込める。
引き金を引く。
筒が。
天を撃った。
ゝ大は目を見開く。
『義』の玉。
ぼろぼろにひび割れた『義』の玉。
『義』とは正義。
義の者は命令では従わぬ。
義の者は奴隷ではないからだ。
義の者は自らの義の為に義を尽くす相手の為に義を貫く。
『義』が選んだのは。
「いひぃひひひいあああはははははっ! 損じた損じたぞ、また損じたぞ、金鋺大輔、それでこそ貴様きさまさまよよおおぉおおいひひいひひひひ」
伏姫。
ぞぶり。
腹。
腹に。
腕。
細い。
枯れ枝のような。
声。
笑い声。
笑い声。
「さらば、さらぁばばかなかなまま金鋺だ大だいだいすす輔ぇえええ、あは、ははは、はは、は、」
銃声。
笑った顔。
醜く引き攣れ深紅に染まった顔。
ゝ大はじっと見つめていた。
ひび割れた『義』の玉は、二度同じことをする力は残されていなかった。
笑い声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
「今度こそ、おさらばです。……伏姫様」
『義』の玉は粉々に散って。
笑い声の主は干涸びた黒い灰になって。
消えていく。
溶けていく。
生臭い空気を一掃するような風が吹いて。
がしゃり。
銃が地に落ちる。
崩れ落ちる。
山伏姿の男。
「……姫様」
流れる。
瞳から。
溢れる。
次から次へと。
止めども無く。
ごろり。
転がった。
夜が来る。
空には。
満天の、星。
笑った。
そこには。
一つのフィルムと、一丁の銃が残った。
<信とは裏切りを断つ事にあらず・了>
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クリエイターコメント | お待たせしました、こんにちは。信担当の霜月玲守です。 この度は「銀幕八犬伝〜信の章 裏切り断ちて信と為す」に参加いただきまして、有難うございます。いかがでしたでしょうか。
OP公開時にも言っていたように、このシナリオは西向く侍WRと村上悟WRのシナリオと、密接にリンクしております。シナリオを見比べると「あ、これは」と思われる部分を発見できるかもしれません。 勿論、八犬伝全てを読まれましたら、より一層深くなると思います。
少しでも気に入ってくださると嬉しいです。ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。 それでは、またお会いできるその時迄。 |
公開日時 | 2008-06-07(土) 19:00 |
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