★ ミスティ・チャイナタウン ★
クリエイターリッキー2号(wsum2300)
管理番号107-5621 オファー日2008-12-06(土) 20:17
オファーPC ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
ゲストPC1 蘆屋 道満(cphm7486) ムービースター 男 43歳 陰陽師
<ノベル>

 夕方になって、霧が出始めた。
 街には灯がともり、ぼんやりと霞んだ黄昏に灯火が揺れるさまは、この世の光景とも思われない。
 蘆屋道満の目に、それはいつか見た夜の海にまたたく不知火か、沼地で人を誘う鬼火のように映ったが、そのようにたとえるのはいささかげんが悪すぎるか、と、おのれの連想を振り払う。自分はこれから人に招かれようというのだ。
 霧の中を、道満を乗せて走るのは黒塗りの高級車であった。
 やんごとなき人物が彼の到来を欲するとき、迎えの車をさしむけるのはキョウトでもそうだったが、銀幕市ではそれは牛車ではなく鉄の自動車である。ハンドルを握るのは、よくしつけられた黒服の美青年だった。
 車はやがて滑るように華僑の店が並ぶ区画に入り、一軒の店の前で止まった。
 うやうやしく後部座席のドアが開けられ、道満がぬう、と巨体をあらわすと、チャイナドレスの妖艶な美女が、お待ち申しあげておりましたと頭を下げる。
 しずしずと先導されてゆけば、楽の音とともに胃の腑を刺激する良い匂いが流れてきて、道満の鼻をひくつかせた。
 そして、中国灯篭が導く渡り廊下を通った先の部屋に、その男は待っていた。
「今宵は――」
 道満は頭を下げた。招かれたのだから、それが礼儀だ。
 だがユージン・ウォンは、かるく手をあげて制する。
「今更だ。堅苦しいことは抜きにしよう」
 着席を促す。
 円卓に、対面に座った。
「では」
 道満は笑みを浮かべる。
「遠慮なく、馳走になろうか」
「はじめてくれ」
 ウォンの声に応えて、晩餐が始まった。

 まず運ばれてくるのはピータンや蒸鶏など代表的な前菜から山海の珍味まで。
 杯には香りのよい中国酒が注がれる。
 ウォンが道満を食事に招待する約束をしたのはいつだったか――比較的、以前の話だ。だが、互いに忙しない日を送っているうちに、機会を逸し続けていたのである。ようやく忙中に閑あり、約束が果たせたのが今日のこと。その店は、香港の実業家が日本につくったいくつかの店のひとつで、銀幕市を訪れるセレブたちにも愛好される高級店だった。
 日本ほど、世界各国の料理の店が探せる国はないという。
 だが世界のどこに行っても出す店のある料理とは、中華料理であるともいう。
 牛モツの漢方薬煮込みに、サソリのから揚げ――、奇態な食材も、物怖じすることなく、道満は箸をつけた。
 続いてフカヒレのスープに、揚げ物、野菜の料理が運ばれてくる。
 ウォンは、ただ静かに、温かい茶で口を湿らせているだけだ。
 死者の肉体をもってあらわれてしまったこの男の事情を知っているから、道満は何も気にせず、ひとり、出された皿をたいらげていく。料理が申し分なく口に合っていることはその食べっぷりを見ればわかる。
 中華料理と一口にいっても、四川と広東、北京と上海では、料理の様子はまったく違う。広大な中国では、同じ国内でも風土が違うため、土地土地の食材と人の気風に合わせて、料理人たちは技を育んできた。
 この日、テーブルに並んでいるのは、料理の種類を問わないものだったようだ。
 四川の人々に好まれる辛味を利かせた野菜の皿もあれば、北京の宮廷でおなじみの北京ダックも艶やかな照りを見せて食卓の中央に居座る。上海蟹の姿まるごとが乗った皿もあれば、オイスターソースで肉を炒めた広東料理や飲茶の類もある。四大中華に限らず、蒸しエビに酒粕のソースをかけた客家と呼ばれる民族の料理、海鮮を淡白に用いた台湾料理もあった。
「変わりはないかな」
 ウォンは、道満に問うた。
「そうだな」
 食べることに集中しているせいか、いくぶんぶっきらぼうに、道満は応える。
 給仕がウォンの茶杯に茶を注ぐ。トントン、と指先でテーブルを叩きながら、ウォンは返した。
「世はこともなし――か。何よりだ」
「左様。喧しいこともあろうが、それはもとより。……なんの、我にしてみればこの都は旨いものに事欠かぬぶん佳き場所であるよ――。……や、これは」
 皮肉に聞こえたかもしれない、と思いなおして、道満は顔をあげたが、ウォンはかるく片手をあげただけだった。
「……」
 道満は無言で、上海蟹の脚を殻のままボリボリと噛み砕いた。
「……思うのだがな」
 そして続ける。
「我がおったキョウトの都と……ここは確かに違う」
「……」
「建物は石と鋼でできておるし、人が纏う着物も違うな。食いものは……同じものもあるが、違うものがほとんどだ。だが……なんら変わらぬものもあるぞ」
 わかっておるだろう、と言わんばかりの目で、道満はウォンを見た。
 もとより表情に乏しいウォンのおもてに、なんの変わりがあったとも見てとれないが、道満はひとり頷くと、言った。
「人だ。人間自身は、何も変わることがない。それはつまるところ――この世の本質にゆらぐことはないということであろうよ」
「違いない」
 短く、ウォンは応えた。
「何処であっても、人間は愚かだ」
 その物言いに、道満は笑った。
「しかしウォン殿は、この街の歪みを正すと言った。その考えに変わりは?」
「むろん、ない」
「ではそれは、街に暮らす人のためでは?」
「そうだ。愚かにもこの歪みを受け入れてしまうほどに、人は迷いやすい。それは天道に反することだと私は思う。違うか」
「……」
 道満には、それには答えなかった。
「我は銀幕市に来てから……、キョウトにいたころと同じことをしておるよ。……まあ、陰陽寮がないゆえ勤めてはおらんが……。言うなれば、うたた寝から醒めてみれば、ほんのすこし、見える風景が違っていた――そんな心持だ」
(我々は皆、ただ江を越えてきただけだ)
 道満の言葉に重なった声に、ウォンは、しばし、動きを止めた。
 平安朝の日本をモチーフにした異世界から来た道満と違い、香港に暮らしていたウォンにしてみれば、銀幕市はさほど何もかもが違う世界ではない。
 それなのに、銀幕市で彼が経験したのは、歩く死人であることを義務付けられ、師や腹心の部下までが、狂って死んでいき、そのために彼につかのまの安らぎをくれた人々が嘆き悲しむ姿を見ることだった。
 しかも、それはすべて、まだ年端もいかぬ幼子の、出来心の悪戯から生じたことだという。
 この世界を、彼が、“掛け値なしのクソ溜め”と呼んでも、誰が否定できただろう。
 自身を律する力をもとめるように、ウォンは茶を飲む。
 その間にも、道満は喰らい続けていた。
 店が雇う一流の料理人は、存分にその実力を発揮している。
 熊の手の煮込みは希少な珍味をこってりとした濃厚な味わいで皿に載せ、海老と帆立は彩ゆたかに野菜とともに炒められて、弾力を残したまま旨味を増す。麻婆豆腐は滑らかな豆腐の舌ざわりに、痺れるような山椒の刺激が華やかだ。牛肉はナッツと一緒に香ばしく炒め、白身魚はレモンを利かせてあっさりと。鮑はキノコととろみのついた醤油スープで煮込み、蟹身とその旨味を閉じ込めた卵はふっくらと蒸しあがる。シャキシャキとした空心菜。からりと揚がった鶏肉。海老のすり身。歯ごたえのあるくらげ。香ばしいお焦げ――。
 いずれおとらぬ、美食の饗宴だった。
 どん、と、汁麺の汁を飲み干して器を置く。
 ふう、と大きく息をついた。
 道満は見るからに巨漢だが、それにしてもあの大量の料理がどこへ消えたのか、というほどの様子だった。中国の宮廷では、食べ切れないほどの量の食べ物を出すことで、贅をあらわしたというが……。
「三年だ」
 ふいに、ウォンが言ったのは、点心やデザートが運ばれてきた頃のことだった。
 道満は杏仁豆腐を掬いながら、片眉を跳ねあげて、言葉の意を問う。
「魔法がかかってから、三年が経とうとしている」
「ふむ」
 桃饅頭を頬張りながら、道満は頷く。なるほど、次の夏でちょうど三年――。
「だがいつまでも、こんなことが続くはずはない」
「で、あろうな」
 こともなげに、道満は応えた。
 愛玉子(オーギョーチ)を食べ終えて、芒果布丁(マンゴープリン)に手を伸ばす。しかしそうしながらかれらが話すのは、この銀幕市の魔法の終焉についてなのだ。それはすなわち、かれら自身の、時の終わりを意味するわけだが。
「だがそれとて何の格別があろう。キョウトで死ぬるも、この地で消えるも同じことよ」
「そう言うだろうと思った」
 ウォンの口元が――ほんのかすかに、ゆるんだように見えたのは気のせいか。
「すべて万物は終わり、果てるからこそ、今ここに在るのだ。……それは、人も物も……神とて同じこと」
「そう――だな」
 ウォンは茶杯を置いて、背もたれに身を預けた。
「天網恢恢、疎而不失」
 うたうように、ウォンの声が漢語を吟じる。
「『天網恢恢、疎にしてもらさず』か。然り、然り」
 道満が、漢語を読み下して日本語で言うと、深く頷いた。
 いつかこの夢の魔法が終わる時……、神もまた、その罪にふさわしい罰をうけるだろう。それが摂理だ。神もまた、この世のすべてを構成する歯車のひとつにすぎないのだから。
 そしてその時は、そう遠い未来のことではない。
 なぜだが、このとき、ふたりの男たちはそのことを確信していたのである。
「こんな言葉があるそうだ」
 道満は言った。
「うつしよはゆめ、よのゆめこそまこと」
「うつし世は夢――」
 誰から聞いたか、道満は忘れてしまった。
 昭和の文士の言葉をふたりは知らなかったが、本来それが意図していたことはともかくとして、今のかれらの心境に、不思議と沿う言葉であるように感じられた。
「夢はいつか醒めよう。それを拒むも愚かなら、しかし、醒めないでくれと思うのもまた、愚かゆえの人の道理ではあるまいか。されど夢は醒めるもの。そのことを……誰も忘れてはならぬのだ。醒める夢であるわれら自身も」
「自身もか」
 ウォンは、すこし意外そうな声を出した。
 そのようなことは、ウォンには自明であったはずだ。しかし。
「この世が夢なら、夢を見る人も、人に見られる夢も、醒めるのは同じことであろうよ」
「この街の人間に……夢が醒めたあとの未来があるように……われわれにも、未来があると?」
「この街がわれらという夢を見ているのならば、夢が醒めた街は、われらにとっての夢のあとさきとは思わんか」
「……」
「歪みを正すというのは……その未来を思ってのことであろうに」
「……」
 ウォンの瞳が、サングラスの奥でさまよう。
 ムービースターはいつか消える。
 それはかれらにとっての終焉であって……しかし、かれらのいない日々のはじまりでもある。
 かつてのウォンなら、そこに何の気も向けなかっただろう。
 今もって、執着などない。
 けれども――
 その日々を、思うことはある。
 自分たちがいなくなったあとの、銀幕市を。
 そこに生き続けることになる人々のことを。
 自分が消えるという形で別れることにある、彼女のことを――。

 帰り際に、餡饅とカスタード饅の入った折詰を渡され、道満は目を輝かせた。
 あれだけ食べて、そのあとに夜食が必要とも思われないが、道満は土産の気遣いに深々と謝意をあらわす。
 揃って店を出れば、夕闇とともにあらわれた霧は、いっそう濃く、夜の街を包んでいた。
 中華街の灯が霧の中に浮かび上がるだけの視界は、あたかも、滅び去って虚無に帰する世界を想像させる。
 夜霧が、背広の生地をゆっくりと湿らせていくなか、ウォンは煙草に火をつけた。
「楽しい夜だった」
 道満は笑った。
 傍目に見て、ウォンが楽しそうにしているなどという場面はついぞなかったが、本人が言うならそうなのだろう。
「この礼はいずれまた」
 道満の言葉に、片手をあげる。
 すい、と、霧の中から送りの車があらわれ、音もなく停車して、ドアが開いた。
「また会おう」
「夢が続くうちは」
 短い挨拶が、その夜の別れ。
 霧で視界が悪いためか、車はひどくゆっくりと発車して――それでもすぐに、濃厚なミルク色に呑まれて消えていった。
 ウォンは独り、何も見えなくなった夜霧を、しばし見つめていたが、やがて踵を返すと、通りを歩き出す。ねっとりとした霧が、その背を隠し、シルエットさえ溶けてゆけば、あとにはただ煙草の匂いだけが残った。それはひとときの幕間を告げる、緞帳のようでもあるのだった。

(了)

クリエイターコメントお待たせしました。
PBWのPLさまは、PCさんを通じてある種の疑似体験をするものだと思いますが、それはWRも同じです。今回は中華料理の豪華フルコースを堪能。
ごちそうさまでした!
公開日時2009-01-03(土) 21:50
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