★ 誘拐? それとも──? ★
<オープニング>

「エディが誘拐されたんだ。君の力を貸して欲しい」

 カフェ・スキャンダルにて。赤いプラスチックフレームの眼鏡の中年男にそう迫られ。さしものロイ・スパークランドも閉口した様子で息をついた。
 この暑い最中、目の前の男はアイスコーヒーのグラスを右手で握り締め、額に浮かんだ汗をふこうともせず脂ぎった目でこちらを見ている。
 黒髪のアジア系の男で、年は40代半ば。少し長くした髪に洒落たニットの帽子をつけており、芸術家の風体であるのに。彼のその取り乱した様子は、彼本来の洒落た雰囲気を全くもって台無しにしていた。
 ロイは充分な間をとってから、おごそかに口を開いた。
「ゴードン。最近ボクを、この街のトラブル解決人か、ゴーストバスターか何かと勘違いする連中が増えてるんだが、キミは違うよな?」
「もちろんだよ、ロイ」
瞬きもせず、男はうなづいた。「僕は君の映画が好きだ。惚れこんでいると言ってもいいだろう。世界で活躍する映画監督のうち三人の名前を挙げろと言われたら、僕は真っ先に君の名前を挙げるさ。本当だぜ? なあ、だから、ロイ。そんな君にだからこそ、エディがいなくなったことを話したんだ。力になってくれるだろう?」
 渋面をつくるロイ。
 しかし、彼はため息をつきながらも頷いた。相手は調子の良い男だが、数少ない同業者の友人であることは間違いないのだから。

 彼の名前はゴードン・リョン(梁江)。中国返還前の香港で、黄金時代を築いた映画監督の一人であり、今世紀始めの頃からハリウッドにも活動の場を移し、幅広く映画を撮りつづけている。
 そんな彼が、今の銀幕市の状況に興味を持ったことは、ごく自然なことだった。ロイに連絡を取り、自分の撮った映画の登場人物が実体化していることを知ると、彼は喜び勇んで、銀幕市にやってきた。三日前のことだ。
 実の甥で、香港で活躍中の12才の少年アイドル、エディ・リョン(梁兒)を連れて、である。
 一週間もバカンスを楽しんだのちに、彼ら二人は香港に帰るつもりだった。
 しかし、その甥のエディが、目を離した隙に突然居なくなったのだという。

「僕は、今から二時間前ぐらいに、エディと二人でここに来たんだ。僕はアイスコーヒー。エディはグリーンティーを注文した」
 注意深く、ゴードンはロイに状況を説明し始める。
「その間にも数人のムービースターがやってきてね。僕はいろいろ彼らから話を聞いていたんだ。それが面白いのなんのって! まさに時間を忘れるほどだったんだが、そこで──恥ずかしい話なんだがね。僕はこの国の食べものが少し口に合わなかったのか、急に腹が痛くなってきてね。それで僕はトイレに立った」
 ゴードンは大げさなジェスチャーで、店の奥のトイレを指し示した。
「分かるかい? ロイ。僕があそこでどれだけ苦しんだか?」
「──分かるよ、ゴードン」
 ロイも負けずに大げさに頷いてみせた。「そして君が苦しみから解放された時には、エディはいなくなっていたんだろう?」
「ビンゴ! その通りだよ、ロイ」
 目を丸くして、友人の彗眼に感服するゴードン。
「慌てた僕は、周りの客に聞いてみた。ここにいた男の子がどこに行ったか見なかったかと。──そうしたら一人の女子高生が教えてくれた。エディは白い服を着た女と一緒に話していて、そのまま一緒に出て行ったっていうんだ」
「白い服の女?」
 ロイが眉をひそめてみせると、映画監督はアイスコーヒーからようやく右手を離し、おしぼりで濡れた手を拭くと、ポケットからレシートのような薄っぺらい紙を取り出した。
 そしてじっと、友人の顔を見ながらそれを差し出す。
「その女の子が、これを僕にくれたんだ。携帯電話で撮影したものだから画像はあまりよくないが、その女が映ってる」
「どれどれ」
 プリントアウトされた写真を受け取り、ロイはそれを高く持ち上げて注意深くそれを見つめた。
 
 少年と、黒髪の女がテーブルに腰掛けている。それを横から見たアングルだ。
 少年はオレンジ色のTシャツ姿にジーパン。女の方は長い髪を背中に流し、白いチュニック丈のブラウスに白いパンツルックだ。目を細め、うっすらと微笑んでいるその横顔に──何故かロイは見覚えがあるような気がした。
 女優か? ロイは銀幕市にいる様々な女性たちの顔を思い浮かべる。
 華やかな顔がいくつもいくつもロイの脳裏を通り過ぎ、消えていく。その中で、燦然と輝くように印象を残す、ひとつの顔があった。

 ──アッ!!

 ロイは思わず叫んでいた。
「カレン・イップだ!」

種別名シナリオ 管理番号162
クリエイター冬城カナエ(wdab2518)
クリエイターコメントみなさんこんにちわ、冬城です。いつも殺伐としたシナリオばかりやってるので、たまにはそうじゃないシナリオをやりたいなあと思ってこんな話をお持ちしました。

・そんなわけで、悪の犯罪結社の女ボス、カレン・イップは、12才の少年アイドル、エディ・リョンを何らかの目的を持って連れ去りました。

・彼女の目的を推理するも良し。関わり方も「エディを助けるために彼女たちを探す」、「偶然、街を歩いている彼女たちに出会う」、「いきなり戦闘を仕掛ける(笑)」、「映画を見に行かないかと誘う」等々、お好きな関わり方でどうぞ。

・ちなみにカレンはエディと一緒にいるときに話しかけられると、ひとまず自分を演じていた女優であるミシェル・クー(古美林)の振りをします。

・現時点ではカレンは、聖林通りや、市民体育館に寄ったあと、夕方から夜にかけて星砂海岸に行くつもりでいます。(完成ノベルでは、皆さんのプレイングやご提案に合わせて行程が変化すると思われます)

※プレイングを書かれる場合は、まず、白い服の女がカレンであることに気付いた上で近寄るのか、彼女だと気付かずに近寄るのかを一言お書き添えください。(気付く・気付かないは皆さんがご自由にお決めください)
※金燕会の部下たちの中では、兎頭のみ出演します。他の人は出ません。
※戦闘は無いと思いますが、さあ、えーと、どうかな。ゴニョゴニョ……(笑)。
※ムービーファンの方もお気軽にどうぞ。
※もう分かってると思うんですが、エディが楽しめるような遊びを提案いただくとオイシイですね(笑)。
※ちなみにこの日の夜、星砂海岸では花火大会があります。

※あ、誤解されないように言い添えます。OPに出てくる映画監督のゴードン・リョンは、カレンの出ていた映画「スワロー・ガイ・シリーズ」とは無関係です。

参加者
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
ティモネ(chzv2725) ムービーファン 女 20歳 薬局の店長
レモン(catc9428) ムービースター 女 10歳 聖なるうさぎ(自称)
柊木 芳隆(cmzm6012) ムービースター 男 56歳 警察官
<ノベル>


 ──── 11:10 銀幕市立中央病院 ────


 暗い室内の壁に、映像が投射されていた。フィルムがカタカタと回る音。
 味気ない白い壁に映し出される光景は、砂浜のようだった。
 ──星砂海岸だろうか。光の加減から、時刻はおそらく午後3時ごろ。少し日が陰ってきたころであることが分かる。音声が入っていないのか、音は一切聞こえない。
 しばらく、寄せる波を映していたカメラが、ゆっくりと振り返るように砂浜側を映し出した。
 少し遠くに、黒髪の女が一人立っている。
 長い髪が風に煽られるのを押さえて、女は空を見上げているのか。眩しそうに目を細めている。

 それは、淡いブルーのチャイナドレスを着たカレン・イップであった。

 ただし映像の中の彼女は、眼帯もしておらず、犯罪結社の女頭目として雰囲気は微塵も無い。
 彼女は視線を落とし、こちらを見る。自分の足元を見下ろし困ったような表情を浮かべて見せる。
 カメラが動く。まるでハンディカメラのようにぐらぐらと揺れる画面──これは目線の持ち主が歩いているのか。
 やがて“彼”は、彼女に近づくとその白い腕をそっと掴んだ。何か言われたのだろうか。カレンは顔を上げて首を横に振る。カメラが一瞬、彼女の履いた黒いパンプスを映す。一転。
 目線の持ち主は、カレンの手を引いた。腕を引かれ、彼女は困ったような顔のまま──仕方ないわね、と言わんばかりに、ようやく微笑んだ。
 靴を脱ぎ、真っ白な素足で砂を踏んで歩き出すカレン。その姿を確認するとカメラはまたぐるりとアングルを変えて、凪いだ海と、海辺に建つ小さな木造の建物を映し出す──。

 プツッ。急に映像はそこで終わっていた。

「──さて、君の意見を聞きたいのだが、ドクターD」
 暗闇の中で男の声がした。だが、返答は無い。誰かが動く物音がして、部屋に蛍光灯の明かりが灯った。
 白衣の男が無言で映写機の近くに寄り、そこにセットされていたフィルムを手に取る。それをしげしげと見つめ、ようやく彼──ドクターDは、口を開いた。
「残念ながら、特別な意見は特にありませんね」
 医者というよりは芸術家的な印象を持つ精神科医は、静かな口調で続ける。
「わたしが言えることは二点だけです。この目線の持ち主がカレン・イップを愛していること。さらに映像の中の彼女も、この人物を愛している。しかし、わざわざ専門家が分析しなくてもそんなことは誰が見ても明らかだ。そして彼女がこういった表情を見せる相手は、ただ一人しか居ない」
 と、医師は言葉を切り、映写機の向こうに立つ男を見た。

「──岩崎さん。あなたはこのプレミアフィルムを、どうやって手に入れたんですか?」

「私は君に意見を聞いたはずだが?」
 男は口の端を歪め、落ち着きはらった口調で言った。べっ甲フレームの眼鏡をかけた40代半ばの男である。
「それとも、君の能力に対して払った私の敬意が、少々足りなかったかね?」
「いいえ、そういうことを言っているのではありませんよ」
 小さく息をついて、ドクターDは目を伏せる。仕方ないといった具合に話を進める。
「この人物の心の中には【病巣】も【病理】も存在しません。そして、このフィルムを彼女は見ていないと思います。見ていれば、彼女はもう少し違った行動をとるはず」
「──分かっておらんな、君は。私は猫から爪を抜きたいわけではない。猫に鎖を付けたいだけだ」
 男は淡々と言い、手を広げてドクターにフィルムを返すよう促した。
「猫に鎖を付けるのは無理です。猫はそもそも鎖をつけるような生き物ではない」
「そうかね」
 ニヤと笑いながら、男はそのプレミアフィルムを受け取ると懐に収めた。
「不可能を可能にするのが私の仕事だ。今日は有難う、ドクター。また連絡するよ。──実は、つい先ほど面白いことが起こってね。君の意見に反するようで悪いが、私は目的を達することが出来そうだよ」
「面白いこと?」
 男、銀幕市市議会議員の岩崎正臣は、とっておきの秘密を話すような口調で囁いた。
「猫が子猫を見つけたんだそうだ」


 ──── 11:20 カフェ・スキャンダル ────


「まあ、そうですね。確かにカレン・イップかもしれませんわね」
 黒いチャイナ服を着た女は、能天気な声で言い、手にした写真から目を上げた。
 そこはカフェ・スキャンダルのオープン・テラス。ロイ・スパークランドが、旧友のゴードン・リョンに呼び出されてから約30分が経過していた。
 男二人は、テーブルの向かい側に座っている女をじっと見つめ、言葉の続きを待っている。
「可能性としては、カレンを演じた女優のミシェル・クーという線もあり得ますけど。でも、彼女が来日してるなんて話、聞いてないし」
 言い終えて、手にした写真をテーブルに置く。彼女の名前はティモネ。その肩に乗っているハーブ色のバッキーの名前はアオタケという。彼女は街で小さな薬局を経営するムービーファンの一人である。
 数分前、ティモネは何気なく通りかかったカフェで、見知った映画監督が二人して何やら深刻な顔をして相談ごとをしているのを見、思わず話しかけていたのだった。
 なぜって、面白そうだったからである。
 二人の男は困りきった様子で、彼女にも写真を見せた。例の、カレンと思われる女と少年エディが笑顔で会話をしている写真である。
 話を聞いて、ティモネは午後は自分の店を休業しようと決めていた。

「なあ、ティモネ。君がカレンだとしたら、エディをどこに連れていくと思う?」
ロイがひそひそと低い声で彼女に尋ねる。「ボクは、倉庫街とか秘密のアジトとかじゃないかと思うんだが」
「ハァ?」
 思わずティモネは声を上げていた。
「カレン・イップはこの街では悪人なんだって聞いたよ? ボクの甥のエディは売れっ子だから。彼を人質にして身代金を要求したりするんじゃないかと……」
「何言ってるんですか」
 そう、ゴードン・リョンが言うのを聞いて。ティモネは、大きく、これ見よがしにため息をついてやった。
「ロイさんもゴードンさんも、映画見てますわよね?」
「映画って?」
「『燕侠4』。スワローガイ・シリーズの四作目のことです」
「見てるけど……?」
 ゴードンは隣りの友人の顔を見、白人の映画監督もこくりと頷いた。
「見てるのに分かんないんですか。まあ、呆れた」
「えっ? な、何が?」
「教えません」
 ティモネはにっこり微笑んで言い、立ち上がった。
「エディに危害を加えるつもりなら、ここに居た時点で部下に狙わせるなり出来た筈ですよね? 私は、まずエディ君が行って喜びそうなところを探すのが先決だと思います」
 毅然と言いつつも、彼女は内心、カレン・イップ本人を拝めるかもしれないという思いに心躍らせていた。ティモネは、銀巻市の住人である前に、一人のムービーファンなのだから。
 がぜんヤル気になった彼女は写真を手に取り、それをポケットに仕舞い込んだ。不可思議な顔をしたままの男二人はポカンと彼女を見上げている。
「じゃ、私は……」
 そのまま、行動を起こそうとしたものの、道の向こうから金髪の青年が暑そうに歩いてくるのに気付いた。知り合いの一人である。
「あら! シャノンさんじゃない。いいところに」
 思わずティモネは、青年に手を振った。
「シャノンさーん。ちょっと! こっち、こっち」


 ヴァンパイア・ハンターのシャノン・ヴォルムスには、日本の夏の太陽光は非常に辛いものがあった。否、そもそも夜の住人ヴァンパイアであるはずの彼が、日中こうして歩き回れることこそ奇跡なのだが。それにしてもこの日差しの強さと言ったら!
 もちろん、彼が出ていた映画『Hunter of Vermilion』には、“日本の夏”は存在しなかった。
 シャノンは太陽を呪いながら、日陰を選び歩いていた。
 女の声に気付いたのは、ちょうど17回目になる悪態をついた時だった。顔を上げれば、カフェ・スキャンダルのテラス席から顔見知りの女が手招きしている。薬局ツバキの店長のティモネだ。
 何だか楽しそうに見える彼女の前には、映画監督のロイ・スパークランドと見知らぬ男が困ったような顔をしてこちらを見ている。
 ははあ。シャノンは何となく事情を察して、席に近づいていった。
 ──また、何かのトラブルだな。間違いない。

「いいところに来ましたね、シャノンさん。さ、そこに掛けて」
「俺に何の用だ」
 テーブルの傍までたどり着き、三人を見下ろすと。シャノンは、まずティモネに声を掛けた。
「このクソ暑い時に、面倒なことに借り出されるのは御免だぞ」
「あら、面倒なんてことはありませんよ」
 彼の軽い牽制に、ティモネはニッコリと微笑む。「……それはそうと、シャノンさん。ストマライザー10は、効いてます?」
「──あれは俺のじゃないって言っただろ!」
 急にそんなことを言われて、思わずシャノンは声を張り上げていた。
「まあ、嫌だ。そんなムキになって隠さなくたっていいじゃないですか」
 可笑しそうに笑いながらティモネ。
 先日、どういうわけか自分の薬局で恥ずかしそうに最新の胃薬を買っていった彼の様子を見て、彼女は、あとで突っ込んでやろうと思っていたのだった。
 シャノン本人が服用者ではないことなど、百も承知だ。
「大丈夫ですよ。ムービースターの中でも、あの胃薬を愛好してる方たくさんいらっしゃるんだから。ドウジ親分さんも、レディMも箱買いして行かれるんですよ」
「何!? 本当か?」
 軽く驚き、聞き返してしまうシャノン。
「嘘に決まってるんじゃないですか」
あははと笑い出しながらティモネ。「前から思ってたけど、シャノンさんって結構、純真なトコあって可愛いですよね」
「余計なお世話だ!」
 シャノンはムッとした様子で彼女を睨んだ。
「用が無いなら、俺は行くぞ」
「あらご免なさいね。これを見て欲しかったの」
 絶妙なタイミングで、ティモネはシャノンに例の写真を突き出すように見せた。
 彼の視線が写真に留まるのを見、「どなたかに似ていると思いません?」

 シャノンは目を細め、数秒。またティモネの顔を見た。

「カレン・イップか?」
「そう、流石ですね」
ニッコリと笑う薬剤師。「彼女は、その写真の少年──俳優のエディ・リョンをこのカフェ・スキャンダルから連れ出したの」
「誘拐か?」
「それは、まだ分からないです。エディを見つけてくれたら、このゴードンさんがたっぷりお礼をしてくれるんですって」
「──エエッ!」
 二人の様子を見守っていた映画監督は、思わぬティモネの言葉に声を上げていた。「そ、そうなの?」
「あら、ゴードンさん。甥御さんを助けたいっておっしゃってたんじゃなかったでしたっけ?」
 ズバリと言うティモネ。
 哀れなゴードンは隣りの友人ロイの顔を見る。ロイは、友人の肩に手を置き、ゆっくりと二回頷いた。ゴードンはようやく視線をティモネに戻し、力なく首を縦に振る。
「決まりね」
 ティモネはスッと立ち上がり、シャノンを見る。「行きましょう、シャノンさん。──お二人は、ここで待機してて下さい。何かあったらすぐ連絡しますから」
 何か言いたげな顔をした二人の映画監督だったが、渋々といった具合に揃って頷いた。
「ああ、それから。ゴードンさん」
 薬局ツバキの店長は、去り際に振り返ってニッコリ微笑んだ。
「またコーヒーに毒を盛られるようなことがあったら、私に電話してくださいね。すぐに解毒のお薬を処方してあげますから」


 ──── 11:25 聖林通り ────


「……ミシェル、叔父さんは何て?」
「まだお腹の調子が悪いんですって。可愛そうにね。先にホテルに戻ってるから好きなだけ、遊んでらっしゃいって」
「ほんとに!? じゃあ花火大会も観れるかな?」
「ええ。ゴードンには悪いけど、せっかくだから、ね?」
 プラタナスの並木道を、二人の人物がゆっくりと歩いている。長い黒髪に白いチュニック丈のブラウスの女と、オレンジ色のTシャツを着た少年だ。
 少年の方が盛んに何かを話しかけているのを、女は耳を傾けて微笑しながら聞いている。
 街のメインストリートである聖林通りに差し掛かると、少年は様々な店や行き交う人々に興味を示し、ことあるごとに隣の女の手を引いたり、何かを指差すなどしている。
 それは銀幕市にやってきたばかりの、典型的な観光客の姿だった。

 鼻歌を歌いながら道を歩いていた太助は、さしたる理由もなく彼らに目を留めていた。
 前方にその二人がいたからというのもある。そして、女の方をどこかで見かけたような気がしたからでもある。
 首をかしげ、太助は道端で立ち止まっていた。
 ──彼の見た目は、まるで狸そのものだ。映画『タヌキの島へようこそ』から実体化したその姿は二足歩行の狸であり、しかも頭上にはなぜかカフェ・スキャンダルで買ってきたチョコレートパフェが、ちょこんと載っている。
 太助の姿に、少年が興味を示すのには、時間はかからなかった。
「ねえミシェル、あの子こっち見てるよ」
 少年は、隣りの女の腕を引いて言う。
「あれ着グルミじゃないよね。狸だよね。そのまんまだよね。やっぱりムービースターなのかな?」
「エディ」
 が、反対側の歩道を見ながら女。「そんなことより、ジュースでも飲まない? わたし喉が渇いちゃって」
「でも、狸だよ。頭にパフェ載ってるよ」
「暑いし、喉が渇いてわたし死にそう」
「ミシェル、どうしたの? だから狸くんがいるんだって。なんで気付かない振りしてるの?」
「──おっす」
 太助は二人の様子を見て、ひとまず自分から話しかけてみることにした。
 すると少年は、ワァと目を輝かせて彼を見つめ返してきた。年齢は中学生ぐらいか。アッシュブラウンの髪は毛先が長めにカットされており、いかにも芸能人風である。
「すっごい。君、喋れるんだ」
「そりゃそうだ。俺は太助だからな」
「僕、エディ。三日前に、初めてこの街に来たんだ」
 少年はエディと名乗り、嬉しそうに微笑んだ。
「へー。じゃあ観光で?」
「そう」
 と、太助が隣りの女を見上げるのを見、エディは補足するように続けた。「あ、彼女はミシェル。僕も彼女も映画俳優なんだよ」
 自分のことが話題に出、そこでようやく、仕方なく。女は初めて太助を見下ろした。片目が髪で隠れているが女優らしい美貌を備えた30代後半ぐらいの女だ。
「あ! 分かったぞ!」
 その顔を見て、ピンときたように太助が声を上げる。ぎくりとした様子で身構える女。
「お前ら、自分が演じた人物が、実体化してないか見にきたんだろー?」
「ん……。そうだね」
 女がホッとしたように息をつく。その横で、エディは少し口をとがらせた。
「でも、僕が演じた人物は、残念ながら街には一人も居ないんだって」
「だろーな。俺はお前は見たことないもん。けど、こっちのくーにゃんは見たことあるな。あっ、そうだそうだ。カレン・イッ──おっとと」
 その時、何故か頭の上のパフェが落ちそうになって。太助は慌ててグラスを押さえた。下ろしてみると、いつの間にかグラスにヒビが入っている。
「いっけね。何でだ?」
「わあ、狸くん、よく分かったね」
 グラスが割れる前にパフェを食べてしまおうと、人目もはばからず立ち食いを始めた太助。その様子をエディは相変わらず微笑ましく見守っている。横で女がサッと左手を背中に隠した。
「そう。ミシェルは『スワローガイ・シリーズ』でカレン・イップを演じてたんだよ」
 しかしエディはそのまま嬉しそうに言った。横で女が観念したように目をつぶっている。
「僕も出てたの。知ってる?」
「知らね」
 ぱくぱくとクリームを口に運びながら、太助は二人の顔を代わる代わる見た。
「ん、まあ、しょうがねえなあ。ちょっと俺がこれを食い終わるまで待ってくれよ。乗りかかった船だし、俺も男だ。銀幕市内の、面白いトコいろいろ連れてってやるからさ」
「悪いけど、わたしたち──」
「ワォ! 本当に?!」
 女は隣りのエディが嬉しそうに満面の笑顔になるのを見て、口をつぐんだ。すぐに少年は、すごいを連発しながら飛び跳ねんばかりに喜んで女を見上げた。
「ミシェル、すごいよ。狸くんがこの街をガイドしてくれるんだって」
「おい、狸くんじゃなくて太助だぞ」
「よ、ょ、良かったわね。エディ」
 何故かどもりながら、女が言う。
「うん! よろしくね、太助」
「おう」
 ──その女、カレン・イップは、二人に見られないようにため息をつき、手を額に当てていた。
 

 ──── 11:35 聖林通り「ギンギン・ランドリー」前 ────


「なんといってもオススメの観光スポットはダイノランドだ」
 少年の姿になった太助は、狸の尻尾をそのままに。胸を張って歩きながら、隣りのエディに銀幕市のことをとうとうと語り聞かせていた。
 二人の手には、ジュースの紙コップが握られている。彼らの横を歩くカレンの手にもジュース。
「ダイノランドに行けば、恐竜と猛獣と戦うようなリアルな探検が楽しめるぞ。俺なんか、あそこ行った時トンデモナイ奴と一緒にいたもんだから、もう血しぶきスプラッタ何でもありよ」
「うわあ、そりゃスゴイや」
「ねえ、太助。ごめんなさいね。危険なところにはちょっと行けないわ……。それに時間もあんまりないし」
「ん……。ミシェルがそう言うなら仕方ないね。花火も観たいし」
「おっ、花火か。そうだな。ダイノランドは時間もかかるしな」
 素直に相手の意見を聞く太助。
「じゃあ、あとはこのまま街をぶらついたり。映画を見に行ったり──」

「──ねえ、太助。これは何?」

 ふと、エディが立ち止まっていた。彼は、コイン・ランドリーの入口脇に置いてある段ボール箱を見下ろしている。
 太助とカレンも、それを見る。
 そこには札が付いていた。
 『私は可愛い兎のぬいぐるみです。拾ってください』と書いてある。
 中にゴスロリ風の服を着た三頭身の兎が、ちょこんと座っていた。
 エディと目が合うと、兎はニコッと微笑んだ。
「ハロー」

「兎だ」
「そりゃ見れば分かるよ」
「縫いぐるみって書いてあるぞ」
「でも、喋ったよ」
「この街では、縫いぐるみも喋るんだ」
「ホントに?」
「──アッ!」
 その時、唐突に叫んだのはその兎当人だった。
 タッと立ち上がる兎。そのまま彼女は、ビシィッと道に立つカレンを指差し段ボール箱から飛び出した。
「あんた、カレン・イップね!」
 少年と狸が、女を振り返る。当の本人は目をしばたたかせていた。
「あんたの悪事は、このレモン様が全てお見通しよ!」
 ──兎の名前は、レモン。
 ただの喋る兎ではない。映画『トゥルー・ラーズ』シリーズから実体化した彼女は、三頭身の兎にしか見えないが、でも、こう見えても、聖なる存在なのだ。
「覚悟!」
 レモンが跳んだ。カレンに向かって、右の拳を突き出し鋭い一撃を──。
 
 とすっ。

 カレンが突き出した掌が、兎の額にクリーンヒットしていた。
 次には、ギャアアと悲鳴を上げ、頭を押さえて転げまわるレモン。
「ダメよ、エディ」
 ゆっくりと手を戻し、カレンは傍らの少年の頭をなでた。
「ああいうのを拾ったりすると、バカだと思われるから」
「そ、そうなの? でもミシェル。今のツッコミ、けっこうキツくなかった?」
「──おのれ、今の掌抵は効いたわよ!」
レモンは不屈の精神を駆使して、立ち上がっていた。まるで最終カウント直前に立ち上がったボクサーのようにふらつきながら、「今の一撃で、わたしの脳みそがシェイクされて、頭良くなっちゃったらどうすんのよ!」
「ね、ホラ。バカでしょ?」
 カレンはエディと、太助の背中に手を回して二人を促した。
「行きましょ」
「──無視すんな!」
 去って行こうとする三人の背中に向かって、レモンは叫んだ。
「兎は寂しがり屋なのよ! 一匹になっちゃうと寂しくて死んじゃうんだから!」
 チラ、とエディが振り返り、足を止めた。
 レモンが、ゼェゼェと息を切らしているのを見て、隣りのカレンに何やら話しかけている。
 そして、トコトコとレモンの元まで歩いてくると、エディは膝に手を当てて屈みこむように兎を見下ろしながらニッコリ微笑んだ。
「僕、エディ。この街に遊びに来たんだけど、君も一緒に行こうよ。大勢いた方がきっと楽しいし」
 レモンは──聖なる兎様は、涙ながらに少年の手をグッと掴んでいた。


 ──── 11:30 聖林通り「ペットショップ・タナカ」前 ────


「だぁから、彼女はカレンじゃなくて、ミシェル・クーっていう女優さんなんだってさ」
「あんたの目は、本当に節穴ね」
「節穴じゃなくて、ちゃんと目ん玉入ってるって」
「もういいわよ! このアホ狸!」
 兎と狸が仲良く? 話をしている横で、少年エディは、ある店のショーウィンドーに釘付けだった。
 彼の目線の先では、黒っぽい様々なカブト虫やクワガタやらが動き回っていた。
「すごいね。いろんなカブト虫がいるよ。僕こんなの見たことない」
 エディの目線にあわせようと、カレンも腰を折ってカブト虫が並んだ棚を覗き込んでいた。
「ミシェル、このカブト虫すごく大っきいし強そうだよ。何ていうのかな?」
 ふと、エディが日本のカブト虫よりも大きなものを指差し言った。カレンは、そうね……と相槌を打ちながら、棚を覗き込んでどこかに名前が書いてないか調べようとした。

「──それは、ヘラクレス・ヘラクレス。ドミニカ島原産の、世界最長のカブト虫だよ」

 ふいに聞こえたその声は男性のもので、少年の頭上から聞こえた。きょとん、とエディは顔を上げ、声の主を見上げる。
 相手はスーツを身に着けた50代半ばの男だった。にっこりと少年に微笑みかけたかと思うと、隣りにしゃがみ込んでカブト虫を指差す。
「ヘラクレスオオカブトムシとも言うんだけどね。丈夫だから飼い易いよ」
「そうなんだ」
 突然話しかけられたものの、少年は男の親しみやすい様子に、すぐに打ち解けた笑顔を浮かべてみせた。
「でも、僕、来週には香港に帰らなきゃならないから。生き物は持って帰れないと思うんだ」
「そうか。君は、香港から来たんだね」
「うん。叔父さんが面白そうだから行ってみようって」
 と、少年が立ち上がると、男も一緒に立ち上がった。エディが連れを振り返ると、なぜかカレンはそっぽを向いて顔を押さえ、ジュースのストローを口に咥えていた。
「やあ、古大姐じゃないかー! 久しぶりだねぇー?」
だしぬけに男が言う。「君が来日してるなんて知らなかったよー」
 女はストローから口を離し、苦虫を噛み潰したような顔をした。視線を踊らせ、ええ、とか、まあ、とかその様な言葉を口にする。
 不思議そうに頭上の大人の顔を見比べているエディ。
 彼の様子を見て、男は少年の頭に大きな手を置きながら、彼の目線に合わせて屈みこみながら言った。
「僕は、柊木芳隆(ひいらぎ・かおる)。大姐とは茶飲み友達なんだー。芳大叔って呼んでもいいよ」
 名乗り、彼はもう一度微笑んだ。刑事映画『狼狩り≪外伝≫』から実体化した彼、柊木芳隆は、警察官であり銃の名手でもあるのだが、今はそんな雰囲気を全く感じさせていない。ただの気さくな壮年の男性である。
「お友達?」
 エディは今度はカレンを見上げながら言う。すると彼女は眉間に皺を寄せたまま、観念したように力なく頷いた。
「警察の方よ」
「わ! ホントに? じゃ、ムービースターってこと?」
 また目を輝かせてエディは柊木を見る。
「ダメよ、エディ。彼はこれからお仕事なの。邪魔したらいけないわ」
「いやいや、今日はオフなんだよ。奇遇だねー」
「でも、事件が起こったらすぐに駆けつけないといけないでしょう?」
「そうだね。もし事件が起こったのなら、ね」
 何か言おうとしたカレンを制するように、「でも、今は暇を持て余して、ぶらぶらしてたところなんだ。……買い物なら付き合うよー? こんなオジサンでも、荷物持ち位にはなるでしょー」
 二人の大人の視線が、少年の頭上で激突している。が、エディはその様子に気付いていない。
 彼は、ねえねえケーサツカンのおじさんだって、と連れの兎と狸少年を呼んだ。
 それでようやくレモンと太助が、柊木に気付いて近寄ってきた。二人は、彼とは初対面ではあったが、ムービースター同志である。お互いのことは何となく見知っていた。
 ぺこん、とレモンは頭を下げ、太助は、ちぃす、と挨拶した。
「やあ、レモンくんに太助くん。君たちが一緒だったんだね。こりゃ賑やかでいいねぇー。」
 柊木は年長者らしく、兎と狸少年にきちんと名乗ると、最後に少年を見下ろした。
「さて。まだ君の名前を聞いてなかったな」
「僕、エディ。エディ・リョン」
 問われると、嬉しそうに少年は名乗った。飛び跳ねるような勢いだ。
「僕も、ミシェルと一緒の映画に出てたんだよ」
「へえ、そうなのかい?」
「『燕侠4』。おじさん見たことない? 僕、カレン・イップの息子の役で出てたんだ」

 ──ブッ! 少年の横で、カレンが突然ジュースを吹き出した。

「ワッ、どうしたのミシェル。汚いなあ」
「……ごめんなさいね。急に息が詰まって」
「大丈夫?」
 ハンカチを出して自分の顔と服を拭きだすカレン。その様子を見て、柊木は声を出して笑った。
 ギロと剣呑な目つきでカレンは彼を見たが、当の警視長は笑いを収めて、涼しい顔だ。
 彼は『燕侠4』を見ていない。しかしエディとカレンが仲良く街を歩いている様子をしばし観察していて、彼は彼らの関係を見抜いていた。
 警察庁警備局公安課課長の肩書きは伊達ではないのだ。
「ところで」
 カレンが居住まいを直すのを確認すると、柊木はぐるりと4人を見回し言った。
「そろそろいい時間だし。どう? みんなでランチでも」
 ──さんせい! カレン以外の3人が声を上げていた。
 

 ──── 11:40 銀幕市ハッピー・バレー ────


 空は曇っていた。まだらになった雲の隙間から、弱々しい光が差し込んでいる。
 そこは小高い丘の中腹。誰もいない小道を、物悲しい旋律の哀歌を口ずさみながら、ゆっくりと歩いてゆく男が一人。
 ユージン・ウォンであった。
 香港ノワール映画『死者の街』から実体化した隻眼の白人は、普段の路地裏ではなく、そしていつもの黒服ではなく。小鳥が鳴く丘の小道を、真っ白なスーツ姿で歩いていた。
 彼が通り過ぎる横には、人工石が整然と並べられていた。つまりは墓石である。
 日本のものとは少し違い、墓石のほかに丸い石を積み重ねた塔が二つ建てられているタイプである。墓石に刻まれた戒名は金色に塗られている。
 ここは中華式の墓地であった。銀幕市に魔法がかかったときに、彼や彼の組織と一緒に実体化した香港ハッピー・バレー地区の公営墓地である。
 加えて、ウォンがここに来るのは年に一度だけ。今日は、彼にとって特別な日でもあったのだ。
 ひたと彼が足を止めた場所。そこには柵で囲われた一区画がある。
 大きな椿の木の下に、ひっそりと佇むように立つ墓石は二つ。右の墓には彼の恩人、ジャレッド・ウォン(王鎮宇)の名前が刻まれていた。
 ふぅと息を付き、ウォンは静かにその墓石を見つめる。
 ジャレッドは、幼いユージンを初めて人間として扱ってくれた人物だった。親に愛されず、捨てられ、狂犬のように香港の路地裏を彷徨っていた少年を、彼は引き取って育ててくれた。理由は分からない。

 ただし、ウォンは覚えている。

 突然襲ってきた少年から銃を奪った後、男は少年に名前を聞いた。少年は地面に倒れ伏したまま、何も言うことが出来なかった。答えを持っていなかったのだから。
 ──ハッ、俺は名無しの餓鬼に殺されかかったのか? 傑作だな。
 男はそう言って笑った。
 ──俺を殺したいのなら、付いてこい。
 朦朧とした意識の中で、少年はよろけ、荒れた道につまづいて転びながら、立ち去ろうとする男の背中を追った。

 そして、今。
 ジャレッドの墓の隣りには、彼が少年につけた名──ユージン・ウォンの名前が刻まれている。
 ウォンは目を伏せる。
 本来であれば、この場所で。ウォンは恩人の隣りで深い眠りについているはずだった。彼は『死者の街』の中で、自分が胸を撃たれ命を落としたことをハッキリと覚えている。
 それなのに彼は、文字通り胸に傷を残したまま銀幕市に実体化してしまった。
 もし、また自分が死ぬことがあれば──。
 ウォンは奇妙な気分で自分の墓を見つめる。この中に納められるのはプレミアフィルムになるのであろうか。
 彼は口端を綻ばせ、自嘲的に笑う。
 死んだ後の世界、この街の饗宴は一体いつになれば終わるのか。
 ──やがて、ゆるゆるとウォンは首を振り、懐から黄土色の線香と、紙の束を取り出した。
 線香に火を付け備えると、小さな炉の中に、死後の世界で使うための紙の金を次々に入れていく。中には金だけではなく、ジャレッドが好きだった煙草や愛用していた銃をかたどったものなどもある。
 ひと通り、紙で出来た冥土への贈り物──紙紮を火にくべ、作法にのっとり叩頭すると、ウォンは満足したようにゆっくりと立ち上がった。
 今日はジャレッドの命日だった。
 ふと、何かを思い出したようにウォンは背後を振り返った。小高い丘からは銀巻市の市街地を望むことが出来る。街の先には青い海が広がっているのが見えた。ここからなら、申し分なく海と空を見ることができる。
 ホッとしたように微笑むウォン。彼はその青い瞳に、誰にも見せたことのない柔らかい色をのせて。恩人の墓を見つめ返した。
「ジャレッド。ここなら、花火がよく見えるぞ。香港よりも、ずっと綺麗に見えそうだ」
 墓は答えない。しかしウォンは満足げに息をつくと、恩人と自分の還る場所に背を向けて、歩き出していた。


 ──── 12:10 名画座カフェ ────


「エディはね、『燕侠4』にだけ出演してるんです」
 緑色のシェイク──名画座特製のバッキードリンクを飲みながら、黒髪のチャイナ服姿の女、ティモネが言った。
 テーブルを挟んだ前には金髪の男。シャノン・ヴォルムスがいる。シャノンは指でテーブルをコツコツとやりながら注意深くティモネの話を聞いている。
「役名は、リンです。チョイ・リン(蔡令)。ディーン・チョイとカレンの息子で、設定では5才でしたね」
「つまり、その映画は数年前のものということか」
「そう。99年作品です。現在のエディは12才のはずですよ」
 ティモネは自分の見た映画の内容を思い出しながら続ける。
「『燕侠3 ─旺角的黒暗─』で、金燕会は香港の繁華街の一つ、旺角を手中に収めるので、そこで物語はひと段落着いちゃうんですね。4は、その数年後の話になるんです。平和に暮らしていたはずの二人が、また血生臭い抗争に巻き込まれてしまう話で……」
「ひょっとして」
 ふとシャノンが口を挟んだ。「4にしか出てこない、ということは、息子は──」
「そうです。シャノンさん。ご推測の通りですよ」
 真顔になり、ティモネは頷く。
「リンは殺されてしまうんです。映画の中盤で、カレンとリンは街を散歩しているときに、急に襲ってきた敵の車にはねられてしまうの。動けないカレンの前で、車はもう一度戻ってきてリンを轢くんです。あれはひどい──」

 ふいに彼女はシャノンの背後を見、口をつぐんだ。

「どうした?」
 シャノンは指を止め、連れの視線を追って振り返った。カフェに入ってきたグループを見て、思わず彼もギョッと目を見開く。
「やあ、シャノンくんに……そっちはティモネくんかー」
 フレンドリーに手を挙げる壮年の男性の姿を見て、シャノンは一瞬遅れて、おう、とか、ああ、とか言いながら挨拶を返した。
 ──この光景は、何かの見間違いではないのだろうか。
 シャノンは思った。あのカレン・イップと柊木芳隆が、子供と兎と狸を連れて仲良く笑いながら、カフェのテーブルに座っている。
 もしかして、あれはカレンではなく、それこそミシェル・クーという女優なのではないか。彼は、思わず隣りのテーブルに着いた白い服の女をじっと見つめてしまう。
 しかし女は、シャノンの視線に気付くと、一瞬だけギラつくような視線をこちらに向けてきた。見世物じゃないんだよ、こっちを見るな、と片目が啖呵を切る。
「フン」
 シャノンは鼻を鳴らしながら笑った。視線を、連れの女に戻し、こちらも目で会話。
 ──探す手間が省けたな。
 ──ええ。でも、なんであんな大所帯?
 ──知らん。動物園にでも寄ってきたんじゃないのか。


「あ〜れ〜! 今日の、かふぇは盛況ですのぅ」
 コトン、と水を置きながら、給仕に現れた和風エプロン姿の少女が言う。この街の有名人の一人、特撮時代劇から実体化した珊瑚姫である。
 彼女は普段はカフェ・スキャンダルでアルバイトをしているのだが、たまたま今日はピンチヒッターで、この名画座のカフェで働いていたのだった。
 はて? 兎に狸、警視長に、少年と、どこかで見たことがある気のする女を一人一人見て。珊瑚姫は、記憶を辿ったが思い出せなかった。
 まあ、大したことじゃないのですぇ。そのまま彼女は、面々にメニューを渡しながら言う。
「めにゅーが決まったら、妾に言うのですぇ」
「──プリン・アラモード! それからバッキー・ドリンク!」
 いち早く、太助が叫んだ。隣りの少年エディを肘でこづき、お前も同じのを頼むといいぞ、などとレクチャーしている。
「じゃ、僕もそれ!」
「待ちなさい、エディ。それだけじゃお腹がすいちゃうから、他にも何か頼みなさい」
 慌ててカレンが口を挟む。「この、オムライスとかは?」
「うん。じゃそれも!」
「ははは、微笑ましいねぇー」
 柊木はその様子を見ながら、ニコニコと終始微笑んだままだ。
「じゃ、僕はコーヒーとパスタランチで」
「えっ」
 動揺したようにカレンが彼を見る。どうやら彼女も同じものを頼もうとしていたらしく、彼女は悔しそうにまたメニューを手に持ち、食い入るように見始める。
「ふっふっふっ、ガキね。プリンだなんて、お子ちゃまの食べるものよ!」
 そこで、腕組みをしながら偉そうに言うのはレモンだ。
「大人の女が昼に食べるのは、お洒落な、このベーグルサンドよ! クリームチーズが別に付いて出てくるんだから。そしてデザートはヘルシーな黒ゴマのアイスよ。……あ、あとあたしもバッキードリンク一つね」
 と、言いながら彼女は、向かいのカレンを挑戦的に見る。
「あんた、決まんないんだったら、あたしと同じのにしちゃいなさいよ。そういうの、優柔不断っていうのよ!」
 メニューの中に顔を隠していたカレンであったが、途端にその場から磁場のように殺気が立ち上っていた。
「……コーヒーと、エビピラフで」
 押し殺すような声で注文をするカレン。
「かしこまりました」
 珊瑚姫はニッコリと微笑んで──彼女は幸か不幸か、殺気を感じ取る能力には長けていなかった。手にした注文表にそれぞれの注文をメモしながらもう一度復唱する。
「……以上で間違いありませぬかのぅ〜」
「ねえ、珊瑚さん。わたしたちもランチの注文いい?」
 隣りのテーブルでティモネ・シャノン組が声を上げた。どうやら彼女たちもここで昼食を採っていくことに決めたようだ。珊瑚姫も別の注文表を手に取り、二人に耳を傾ける。
「私はパスタランチで、カルボナーラで、セットの飲み物は、バッキードリンクに変えてくださいな」
「グラスワインの赤と、トースト」
「──こんな昼間っから酒ですか!?」
 思わず、隣りのシャノンに突っ込むティモネ。
「そんなんだから、ストマライ……」
「分かった、分かった。赤ワインはやめて、サングリアで」
「変わらないじゃないですか」
「皆さん楽しそうで、いいことですぇ」
 微笑んだまま、注文を書き取る珊瑚姫。二つのテーブルの面々を見回して、もう一度注文を確認すると、厨房の方へと戻ろうとする。
「おや?」
 その時彼女は、厨房の方に戻ろうとした時、店を出て行く男の姿に気付いた。あの後姿は──。
「源内?」
 自分の連れあいの姿を見て、彼女は首をかしげる。なぜここに彼がいたのだろう?

 稀代の発明家、平賀源内がこの場にいた理由は、その十数分後に判明した。

 なんじゃあ、こりゃあ! と悲鳴に近い叫びを上げたのは太助だった。
 デザートタイムを楽しんでいたとき、何の前触れもなく突然、太助は壮年の男性に変身していた。狸の尻尾を生やしたダンディーである。
 そして、彼を見、食事中にフザケるなんて下品よ! と叫んだレモンも男性に変身していた。
 ヒィィィと悲鳴を上げた彼女(?)は、銀色の髪をしたいっぱしのロマンスグレーになり、動揺した様子で、もじもじと恥ずかしそうに回りを見回す。
 そのカワキモい仕草を見て、柊木やシャノンが爆笑した。
 ワォ! スゴイそれどうやってやるの? と言った先からエディが三番目に変身した。彼の頭に兎の耳が出現した。けも耳だった。
 キャッキャッと喜ぶ少年を、カレンがなぜかうっとりした目をして見つめている。
 しまいには、撫でてもいい? などとエディに聞いている。

「源内さんの、“バッキードリンク・改”だわ……」
 一人、冷静に状況分析をしているのはティモネだ。あれは平賀源内の発明品、七夕の特設カフェ・スキャンダルで提供された、30分限定変身ドリンク“バッキードリンク・改”に間違いない。
 わざわざ仕込みに来るとは……。呆然とその様子を見つめている珊瑚姫。その袖をチョイチョイと引いて、ティモネがわたしにも一つ、などと追加注文している。
「おい、何であんなの頼むんだ?」
「え? 決まってるじゃないですか」
 シャノンに横から問われ、ティモネはにんまりと微笑んだ。
「私の奢りで構いませんから、ね? シャノンさん」

 ぴし、と金髪の青年の顔がひきつった。


 ──── 13:00 バス ────


「すっごい楽しかった〜!」
「そう。良かったわね」
「あの時みたいだよ。ミシェル、覚えてるかな?」
「何が?」
「『燕侠4』の撮影の時さ、僕がお腹壊してた時だよ。ミシェル、僕を連れてこっそり抜け出して、粥のお店に連れてってくれたじゃない。あの時、お粥も美味しかったけど、街の人たちが集まってきてさ。みんなでワイワイご飯食べたんだよね」
「……ああ──そんなこともあったわね」
「やっぱりご飯はみんなで食べた方が美味しいし、楽しいね」
「そうね」

 バスの座席に仲良く座ったエディとカレン。少年は興奮冷めやらない様子で、隣りの女に話しかけている。
 その通路を挟んだ反対側にティモネとシャノン。後ろの座席には柊木とレモンが座っている。
 小さなマイクロバスに、6人が乗っていた。バスはゆっくりと聖林通りを抜け、西の方角へと向かっていく。
 面々は、総勢7人になったはずなのに、一人だけ姿がない。狸少年の太助である。
 ──それもそのはず、実は、このバス自体が彼だった。
 観光ツアーのチーフを自称していた彼は、7人で市内を移動するのも骨が折れるだろうから、と。自ら乗り物にまでなってくれたのだ。
 茶色のカラーリングをした特製バスは、きちんと運転ルールを守り、銀幕市内を巡航速度で走っている。
「えー、次の駅は“市民体育館”、“市民体育館”」
「さっきから何回言ってるのよ、それ!」
「いいじゃんかー」
 レモンに突っ込まれるものの、太助は上機嫌のままアナウンスを繰り返す。
 これから彼らが向かうのは、銀巻市市民体育館である。
 カレンとエディは、スポーツで汗を流そうと、最初から体育館に行く予定だったらしい。なら人数が多い方がいいだろうという話の流れになった。そんなわけで、シャノンとティモネも面子の中にちゃっかりと加わっていた。
「あの、ミシェルさん、実はお願いが……」
 バスに乗り込んでから、ティモネはタイミングを見計らって、カレンに色紙を差し出した。良かったらここにサイン下さいなどと、言い添える。
 すると、カレンは素で困ったような表情を浮かべたが、ひとまず、とミシェル・クーの名前を書いてくれた。味もそっけもない筆記体のサインである。まるでクレジットカードのレシートに書くようなものであったが、ティモネは満面の笑みを浮かべて彼女に礼を言った。
 カレン・イップのサインなんてプレミアものだわ、興奮気味でティモネは隣りのシャノンにそれを見せようとして、彼を見、思わずプッと吹き出した。
「何だよ」
「いいえ、別に」

 シャノンの頭には白い兎の耳が二つ。バスの振動でゆらゆらと揺れていた。

「ははは、シャノンくん。それ似合ってるよ、面白いよー」
 殺気立って、窓の外を見つめているシャノンに柊木が後ろから声を掛けた。本気で言っているのか、おちょくっているのか口調で全く判断できないのが、彼の罪なところだ。
 シャノンは答えず居住まいを直した。
 ヴァンパイアハンターに兎耳が生えたのは“バッキードリンク・改”のせいである。ちなみに、ティモネが追加注文したものは全くのダミーであった。
 実はティモネは、シャノンがレモンの姿に爆笑している隙に自分のバッキードリンクの星を素早く彼の飲み物に入れていたのだった。
 少し飲むタイミングが遅くなったので、彼のけも耳はバスの中でもまだ健在である。
 早く30分経たないものか──!
 哀れなシャノンが祈るような気持ちでいる頃、ドライバー兼バスの太助は前方の道に見知った男が歩いてるのに気付いた。
 いつもとは違う白いスーツ姿だが、あの後ろ姿は、ユージン・ウォンではないだろうか。
「あ、やっぱり、ウォンの兄貴だ」
 彼の脇を通り過ぎ、太助は彼の姿を確認した。青い目を持った凄みのある容貌の男は、黙々と道を一人で歩いている。
「乗せちゃお」
 太助はすぐさま減速して道端に停車する。ん? と乗客たちが停車の理由が分からずに回りをキョロキョロしているのを見て、太助は内心、ほくそ笑んだ。
 驚かしてやろ。
 彼は、これ見よがしにウォンが通りかかる直前のタイミングを見計らって。バスの扉を開いた。
「ユージン・ウォン、ユージン・ウォン」
「……なんだこれは」
 まるで駅名のように自分の名前を連呼されて。さすがの武侠も足を止めていた。
「──ウォンの兄イ、オレオレ、太助だよ。どっか行くなら乗せてくよ。もちろん運賃タダ」
「別に用事は……」
 先日の倉庫街で会った狸少年か。ウォンは相手が知り合いであることに気付いたものの、誘いに応ずる理由も特になく。困惑して、ただバスをしげしげと見つめている。
「やぁー、王大哥じゃないかー。こんなところで何してるんだい?」
 その時、バスの窓から顔を出し、彼の名前を呼んだ者が居た。見れば、これも知り合いの柊木であった。
「いやー、これも縁だねぇー。特に予定がないなら、一緒に行かないかい? 僕たちはこれから市民体育館に行って、それから花火を見に行くつもりなんだ」
 と、何か含みのある笑みを浮かべ、「この面子なら、君もきっと楽しめると思うなぁー」
 ウォンは首をかしげたものの、彼の口調が気になった。柊木が、そこまで言うならば──。彼は、まずは柊木に手を挙げて見せ、了解したと意向を伝えた。
 大人しくバスのステップ階段を登り、中に足を踏み入れると、ウォンは中の乗客たちをゆっくりと見回した。
 柊木は、軽く手を広げ、どう? とばかりに微笑んだ。
 その隣で、兎のレモンが、ペコリと頭を下げた。
 手前にもう一人兎がいた。兎耳の生えた青年はチラとウォンを見、男なら何も言ってくれるなとばかりに目で訴えた。
 黒いチャイナ服を着た女は、ニッコリと会釈すると、どうぞそこにお掛けになって、とウォンを促した。
 もう一人の黒髪の女は両手で顔を覆うようにして俯いている。隣りには見知らぬ少年が一人。ピョコンと立ち上がって、笑顔になった。
「ワァ! ひょっとして、『死者の街』のユージン・ウォン? スッゴイ! 僕、エディ、エディ・リョンです」
 さすがの同郷人である。すぐに相手の素性を察したエディは、はしゃぎながら隣りのカレンの肩に手を触れた。
「ねえ、ミシェル。スゴイよ、あのユージン・ウォンだよ。ホントにメチャクチャ強そうだよ。なんか変なこと言ったら一瞬で消されそうだよ」
「エディ。失礼だから、よしなさい」
 顔を隠したまま、カレンが言う。エディは怒られて気付いたのか。ウォンをもう一度見て、ごめんなさいと頭を下げた。

「ここは動物園か」
 最後に、ウォンがぽつりと言った。
 当然、顔を伏せた女が誰であるか、彼には分かっていた。


 ──── 13:30 市民体育館 卓球用コート ────


 銀幕市市民体育館の卓球用コートの前で。一人の詰襟学ラン姿の少年がラケットを片手に立っていた。茶髪を丸いボブヘアにした、女の子のように可愛らしい顔立ちをした少年である。
 ただし、彼は体育館に現れた面々を見て唖然としていた。
 2人と聞いていたはずなのだが、どうも6人ほど多いような……?

「ジミーだ!」
 集団の中から同い年ぐらいの少年が声を上げた。エディ・リョンだ。
「ねえ『卓球江湖傅』のジミー・ツェーだよね。僕のこと分かる?」
 少年、ジミーは目の前に立った少年に対し、首を横に振った。
「そっか……、やっぱり一緒の映画に出てないと分かんないよね」
少し寂しそうにエディ。「僕、君を演じてるジミー・ライとは大の仲良しなんだ。『新人刑警』とかでも共演してるんだけどな。うーん」
「──よく分かんないけどさ」
 ようやく、ジミーは口を開いた。自分を見つめる大人たちの視線を痛いほどに感じながら。
「卓球、やんない? ここ卓球のコートだし」
「うん!」
 エディは元気良くうなづいた。

 結局、コートに入ったのは年長者三人以外のメンバーだった。
 最初はシャノンとティモネ、レモンと太助と、エディとジミーという組み合わせである。背の高さから考えた、妥当なペアである。
 柊木とウォン、カレンは壁際で成り行きを見守っている。
 ティモネやレモン、太助は楽しそうにラケットを選んだりピンポン玉を手に取って跳ね具合を確かめたりし始めた。
 その中で、シャノンはずっと少年ジミーをじろじろと見つめていた。あの背格好、あの声。友人の梛織から聞いた外見の特徴も一致している。
 あいつ、ひょっとしてあのクソガキ──兎頭なんじゃないのか?
 ヴァンパイアハンターは、今までに二度ほど交戦したことのある金燕会のヒットマンのことを思い出していた。兎頭と呼ばれる、兎の覆面をつけた学ランの少年である。
 何かと因縁のある相手だ。特に初対面の時、背中からマシンガンで蜂の巣にされたことだけは忘れようがない。
「何だよ、人の顔じろじろ見ちゃってさ」
 あんまりシャノンが無遠慮に見つめたためか、隣りのコートで、ジミーが怒ったように口を開いた。
「ボクと対戦したいのかい? 色男のお兄さん」
「……ああ、まあな」
 こいつ、やはり兎頭だ。シャノンは確信した。
「あっそ。じゃあちょっと待ってなよ。後でズタボロにしてやるからさ」
 いらいらした様子でそう吐き捨てると、ジミーは馴れた動作でボールを持ち、膝を折って構えをとった。
「行くよ、エディ」
「うん」
 
 ──カッ。

 一陣の風が吹き抜けた。
 ジミーはラケットを振りぬけたポーズで静止している。誰もが、彼がラケットを振る瞬間を見ることが出来なかった。
 ピンポン玉はきちんと手前で一回、エディ側のコートで一回ずつバウンドし、エディの鼻先を飛び越し、彼の背後の壁にめり込んでいた。
 シュウゥゥ……と、ボールから煙が上がる。一、二、三秒。ぽとり、と玉が地面に落ちコロコロと転がっていった。
 誰も一言も口を利かなかった。
「ううーん」
 やがて、静寂の中で独り、エディが感心したように唸った。
「さすがジミーだ。ほんっと映画の通りだね。僕ぜんぜん見えなかったよ!」
「──ジミー」
 わずかに上ずった声で、カレンが少年を呼んだ。
「喉、乾いてない? ねえ喉渇いたわよね。ちょっと一緒に飲み物買いに行きましょう」
 つかつかと、彼女は少年の元まで歩み寄ると、彼の腕を掴んだ。そのまま強引に外に引っ張るように連れていく。
 その様子を見て、残された面々はお互いの顔を見合わせた。
 柊木とウォンは目配せをし、目で会話をした。しばらく。フ、と笑い、ウォンが動いた。
「エディ。じゃあジミーが帰ってくるまでオジサンが相手してあげるよー」
「ほんとに!」
 白いスーツの男が姿を消すのを確認してから、警視長はエディの頭を撫でて言う。ラケットを選びコートに立つ。
「よし、エディ。お手柔らかにね」


 ──── 13:40 市民体育館 休憩用コーナー ────


「お前、何やってンだよ!」
 カレンは、オレンジジュースの缶の角で、少年の頭をこづいた。
「あんなサーブ、打ち返せるわけないだろ。何で手加減してやんないんだよ、このクソが」
「そんなこと言ったって無理だよ、葉大姐」
 涙目になりながら頭を押さえ、ジミー。「ボクはプロだよ。ボクにだってプロとしてのプライドがあるんだから。手加減なんか出来ないよ。エディだってきっとその方が喜ぶと思うけど?」
「勝手なこと言ッてんじゃないよ」
「それよりも大姐、あいつら何? どうなっちゃってんのさ」
 話題を変えようとしたのか、抑えた声になりジミーは続けた。
「あたしにだって何でこうなったのか分かンないんだよ! いつの間にか同行者が増えちまってたんだよ」
「いつの間にかは、増えないんじゃないかなあ」
「うるさいね」
 カレンも抑えた声になり、冷えたオレンジジュースをジミーに手渡しながら言う。
「──お前、どさくさに紛れて連中を消せるかい?」
「消すって?」
「言葉通りだよ」
「ボク、今日は銃持ってないよ」
「そのラケットでいいじゃないか」
「無茶言うね。大姐は」
 答えながらも、ジミーは笑った。それは、彼ぐらいの年齢の少年が浮かべるにはふさわしくない、邪悪な笑みだった。
「でも、いいよ。やってみる」
「よし」
 少年の頭を撫でてカレン。「あたしはお前のこと信じてる」
「うん」
 その言葉を聞くと、彼の顔からスーッと邪悪さが消えていった。ジミーは年相応の笑みを浮かべ、嬉しそうに女の顔を見上げている。
「じゃ、ボク戻るね」
 カレンはもう一度、彼の頭を撫でると、自動販売機の前のベンチに腰掛けた。もう少しここで休んでから戻る、と告げると、ジミーは納得して卓球コートの方に戻って行った。

「あの餓鬼には、少し荷が重いんじゃないのか」

 背後からの声。カレンは身じろぎして、ふうと息をついた。
 自動販売機の陰から姿を現すのは、ユージン・ウォン。彼女はその姿をちらりと見て、つまらなさそうに目をそらした。
「心配してくれてンのかい。そりゃご苦労なこったね」
 プシュ、と自分のウーロン茶の缶を開けて、カレンは何事も無いようにそれを飲んだ。
「あいつが返り討ちに遭うなら、それまでの奴だったってことだけさ。でも、あたしはあいつを信じてる」
 鼻を鳴らすウォン。二歩ほど踏み出し、カレンから微妙な距離を保ちながら、彼も自動販売機にポケットから出した小銭を入れた。ごとりと落ちてきたジャスミン茶のペットボトルを手に取り、またカレンに目をやる。
「ところで」
 ペットボトルの蓋を開け、口をつける前にウォンは何か思い出したかのようにカレンに声をかけた。
「あのエディとかいう餓鬼は、お前の息子か?」
 返事は無かった。
 その奇妙な間に、ウォンは手を止めて横目でカレンを見下ろした。
 見れば、カレンは缶を握ったまま微動だにせず、目の前の一点を凝視していた。何かの感情をこらえているような、そんな目つきだった。

「──違うよ」

 随分時間をかけてから、彼女はポツリと言った。「エディは、あたしの息子じゃない」
 抑えた、低い声だった。
「あたしの息子は、永い眠りについたんだ。現世では二度と会えない──」
 そう、言い終えるや否や、カレンは勢い良く立ち上がっていた。無言のまま、彼女は足早に卓球コートの方へ戻っていってしまう。ウォンも言葉もなく、その背中を見送った。
 彼はようやく理解していた。金燕会の活動から離れている時、カレンがいつも白い服を着ている理由を。今の彼と同じように、彼女は自らの家族の喪に服しているのだ。
 そう思い至り、ウォンは長く息を吐いていた。


 ──── 13:50 市民体育館 卓球用コート ────


「よくぞ戻ったきたわね、さあ勝負よ!」
 ジミーが卓球用コートに戻ると、いきなり三頭身の兎にビシィッと指をつきつけられた。
 エディは柊木と楽しそうにラリーを続けており、他の四人はジミーの帰りを待っていたのか、ひとまずゲームを中断していた。
「ぁあ?」
 ジミーは、目の前の兎をまじまじと見下ろすと、その耳を掴んで持ち上げようとした。が、兎はサッと彼の手をかわして後ろに飛びのく。
「ふふふ、あたしと勝負するのが怖いのね! そうなんでしょ!」
「何言っちゃってんのお前、卓球できんの? その短い足で」
「まっ、レディに対してなんてことを!」
 ムッとしたように言い返すレモン。
 その身体をひょいと持ち上げた者がいた。──シャノンだった。
「まあ確かに背の高さによるハンデはあるかもしれないな」
卓球台のそばにレモンを下ろし、「ダブルスで勝負してみたらどうだ?」
「ダブルス?」
「俺とレモン、ジミーはティモネとペアを組むんだ」
 シャノンの提案に、レモンとティモネは、同時に、まあ、と言って目をパチパチやった。
 冷たい目つきになってシャノンを睨むのは、ジミー。
「いいよ。ダブルスでもなんだって」
「私は構いませんけれど、たぬーさんが入れないわ」
「俺か? 俺は大丈夫だぞ」
 ティモネがそう言うと、太助は手を挙げながら発言した。「俺は、チアガールやってるから」
「チア……“ガール”?」
「俺、ひまわりっていう別名が」
 太助は、ちょっと誇らしげに言いながらドン、と自分の胸を叩いた。
「それ、自慢するようなことですかね?」
「う。イイじゃないか!」
 冷静なツッコミを受けつつも、太助はポンッと宙返り一つ。狸耳をつけた美少女に変身を済ませると、ボンボンを手に持ち両陣営を見た。

「──よし、じゃあ勝った時の条件を決めよう」
「条件?」
 いったい何を言い出すのやら、ジミーは眉を寄せてシャノンを見る。
「勝った方が、負けた方に好きな質問を一つ出来る。これでどうだ?」
「……。ふうん、いいんじゃない?」
ニヤリと笑ってジミー。脇のティモネを見やり、「お姉さん、よろしくね」
「ええ、よろしく」
「決まりだな」
 ラケットを構えるシャノン。レモンもラケットを構えた。
「先に11点取った方が1ゲームを取れる。3ゲーム先に取った方が勝ちってことでどう?」
「いいだろう」
 最初のサーブ権は、シャノン+レモンチームからになった。ピンポン玉を構えたシャノンと、ジミーの視線が激突した。
「ああ、そうだ」
 ジミーは余裕の態度で一瞬だけ視線をそらす。「シャノン。参考までにさ、あんたが勝ったらボクに何を聞きたいのか、先に聞いといてもいいかい?」
「ああ、構わんよ」
 笑みも浮かべず、シャノンも淡々と答えた。

「──お前が、金燕会に加わってる理由さ」

「!」
 さすがのジミーも顔から笑みを消した。ティモネとレモンは、ぽかんと口を開けて彼と少年を見比べている。太助は応援をやめて、へ? と首をかしげた。
「はーん。あっそう」
 大人びた仕草で肩をすくめて見せるジミー。「……そんな理由を聞いて、アンタどうすんのさ?」
「別に」
シャノンは、スッと腰を落とすと、ボールを放った。「どうもしないさ──」

 カ、カン! 澄んだ音をさせてシャノンのサーブが綺麗な軌道を描いて、コートを跳ねる。
 ジミーが動いた。それはまさに倉庫街で見せつけたあの身のこなしだった。
 シャノンは、相手がラケットを振る様子をかろうじて追うことが出来た。が。
「消えた!」
 ボールが消えていた。軌道は自分の方に真っ直ぐに向かっていたはずだったのに。
「どこ見てんだい、シャノン。ココだよ、ここ」
 意地の悪い笑みを浮かべて、ジミーは自分の胸を指差すジェスチャーをした。
 はっ、とシャノンは自分の胸を見た。
 彼が首から提げているロザリオの上で、ボールがキュルキュルと回転している。それが落下しそうになったとき、シャノンはそれを自分の手で掴んでいた。
「さすがだな」
「ボクはプロだよ、アンタとは違う」
 ジミーは──兎頭とも呼ばれる少年は、瞳に強い力を込めてヴァンパイアハンターを睨んだ。
「約束通り、ズタボロにしてやるよ」


 ──── 14:00 市民体育館 卓球用コート脇、ベンチ ────


「ははは、みんな楽しそうにしているねぇー」
 コート脇のベンチに腰掛けながら、柊木が言った。隣りにはカレンが無言で座っている。エディの相手は、今度はウォンが務めていた。
 ボサッとするな、だとか、どこを見てるんだ、だとか、キツイ言葉を言う割にはウォンはうまく加減してやりながらエディとラリーを続けていた。
 その脇でのダブルス勝負は、こちら側そっちのけで白熱している。最初はほとんど続いていなかったラリーが、だんだん長く続くようになってきている。
 シャノンとレモン組がめきめきと腕を上げてきているのだ。
「彼、ジミーくんだったかな? 彼も生き生きしているねー」」
 柊木は胸ポケットから潰れかけた煙草の箱を引っ張り出し、中から一本を引き抜いて口を咥えた。……さて、ライターはどこにしまったかな、とポケットをごそごそやっていると、隣りからの視線に気付く。
 カレンは、柊木の手にした煙草の箱をチラチラと見ていた。
 ああ。柊木は思い至り、彼女に煙草の箱を差し出した。カレンは最初は遠慮しようとしたものの、彼が懲りずに薦めると、おずおずと煙草の箱から一本抜き出して口に咥えた。
 柊木は彼女の煙草にライターで火をつけてやった。カレンは小さく礼を言う。いいえ、どういたしまして。彼は自分の煙草にも火をつけた。
「エディくんはいい子だねー」
 なんとはなしに彼はカレンに話しかけていた。
「これから花火を見に行って、それでどうするんだぃー?」
「別に。ただ花火を見て楽しむだけさ」
 もうミシェル・クーの振りをするのを諦めたのか。カレンは素の口調で答えた。煙草の煙を吐き出し、柊木の方を見ることもなく、ただエディの様子をぼんやりと見つめている。

「──なあ、柊木」
 静かな声で、カレンがふいに言った。
「確か、息子がいるって言ってたね。お前の息子は今、いくつになるんだい?」
「僕の……息子のことかい?」
 彼女がこんな質問をしてくるなんて。内心驚きながらも、柊木は答えた。
 視線を隣りの女に固定して、手にした煙草の煙りを吸う。
「ええと、今年で29歳になるんじゃないのかなー。本庁勤務で、僕とおなじような人生を辿ってるんだよねー」
「ふうん」
 彼女の指にある煙草の灰が、長く伸びていた。
「じゃあ、聞きたいんだが。もし、その息子が映画の中で殺されたら、お前はどう思う? しかもそれが、“ここで殺された方が、ストーリーが盛り上がるから”っていう理由だとしたら?」

 柊木は真顔になった。

 彼は口を開こうとして、ふと自分の煙草の灰が長く伸びすぎているのに気付いた。長く息をつきながら、彼はポケットから携帯灰皿を出し、そこに灰を落とす。
 そうして、ゆっくりと口を開いた。
「──君の息子は、そういう理由で殺されたのかい?」
「あたしの質問に答えてないよ、柊木」
 カレンは自分の飲み残しの空き缶に、煙草の灰を落とした。今だ視線はエディを見つめたままだ。
「ひどい話だね」
 彼は自分の煙草をもみ消した。
「もし息子が殺されたのなら、僕も君のようにこの世界を憎むかもしれないね」
 カレンが、ゆっくりと彼の方を向いた。
「でも、僕はそうはしないだろう」
「なぜ?」
「憎んでも、何もならないからさ」
 柊木は肩をひょいとすくめて見せた。「憎しみの行き先は、何も残らない虚無だけだ」
「フン」
鼻を鳴らすカレン。「お前も所詮、ただの腑抜けだね」
 柊木はそれを聞いて、笑った。カレンの目を真っ直ぐ見返す。
「違うよ、そうじゃない。僕は他にすべきことがあると思うんだよ。何かを憎むことよりもね」
「それは“逃げ”だよ」
「じゃあ聞くが、この街を目茶苦茶にしたら君の息子は生き返るのかい? 君のご主人は?」
 カレンは無言で柊木を睨み返した。
 一つだけしかない瞳には、この上ないほどの強い感情が──怒りが、火が付いて燃え上がるように力を増していた。
「……息子を殺されてないお前には分からないさ」
「そうかな?」
 押し殺した声で言うカレンに、追い討ちをかけるように柊木は言った。彼は恐ろしい目つきをした彼女からも、決して視線をそらさなかった。
「君は、彼らの気持ちを考えたことはある? 僕がもし君のご主人だとしたら、自分の身を挺してでも君を止めようとするよ。君が滅びの道へ向かうのを見たくないから──」
 いきなり、カレンは立ち上がった。
 押し付けるように煙草を空き缶にねじ込むと、無言でそのまま外へと出て行ってしまう。
 その後姿を見送り、扉が閉じたのを見て、柊木は嘆息した。また煙草を一本抜き出し、火を付けて一服。
「やれやれ」
 フゥーと煙を吐き出して、一言。柊木は少しだけ寂しそうに微笑んでいた。


 ──── 14:10 市民体育館 卓球用コート ────


 勝負は拮抗していた。先にジミーとティモネチームが2ゲームを先取していたものの、後からシャノンとレモンチームが追い上げて、こちらも2ゲームを取っていた。
「勝負はこのゲームで決まるわよん」
 キモい口調で、狸耳の美少女が言う。チアガール兼審判の太助がさっとボンボンを振り上げる。「今の、このゲームで、先に11点取った方が勝ちね!」
「いよいよだね」
 サーブでボールを構えているレモンを見ながら、ジミーが言う。
 彼の顔には追い上げられている焦りというより、この苦境を楽しんでいるような、そんな素振りさえ見えた。
「ジミー、落ち着いてね」
「アンタこそ」
 パートナーの姿を見ず、答えるジミー。「あの兎、ナマイキにもスマッシュ打ってくるから、気を付けて」
「高い位置にボールを打ち上げないように、でしょ。分かってるわ」
 ティモネは、汗ひとつかかずにうっすらと微笑む。
「楽しそうね、ジミー」
 ふと、ティモネは少年の背中に声を掛けた。ジミーはチラと後ろを振り返る。
「まあね。ボクがゲームを取られることは、まず無いからね。敵は手強い方が面白いもんだろ?」
「あら、そっか。あなたひょっとして、マトモに卓球やったの久しぶりだったりするの?」
薬局の店長は、少年の態度に興味が沸き、思わず尋ねてしまった。「だって、ねえ。あなたのサーブ受けられる子なんか、学校に居なさそうだし」
「何だよ。気が散るだろ、勝負に集中してよ」
 ジミーは怒ったように前方に向き直る。ティモネも微笑んだまま口をつぐんだ。──話題を変えたということは図星のようね。

「行くわよ!」
 卓球台の位置まで高くジャンプしながら、レモンは独特のポーズでラケットを振るった。スピンのかかったサーブだったが、ジミーはそれに逆回転をかけるように打ち返した。ボールの勢いを一気に殺したのだ。
 急にボールは勢いを弱め、ヒョロヒョロとネットを越えたギリギリのラインにコン、と落ちる。
「クソッ」
 シャノンが慌ててラケットを前に伸ばした。かろうじて、彼のラケットはボールを打ち返すことが出来たが、ただ跳ね返っていっただけである。
「ティモネ、今だ!」
 ジミーが叫ぶ。
 サッとティモネが動いた。武道の心得のある者の滑らかな動作で、彼女はラケットを構えた。
 絶好のスマッシュ・チャンス。ティモネは勢いよくラケットを振りかざし──。
「えーい」
 
 コン。

 間抜けな音をさせて、もう一度。弱々しいボールが相手側のコートに返っていく。
「えええええ!」
 驚くジミーを尻目に、レモンの目がキラリと光った。
「──もらったわ!」
 兎は地を蹴り、跳躍する。きらきらと輝くような魔法の飛沫を飛ばして、彼女はラケットを振るった。

「エンジェル・スマァァッシュ!」

 ゴオッ、と風が吹き抜けた。ラケットを構えたまま、呆然と立ち尽くすジミーの髪を数本飛ばし、彼の背後の壁にボールがめり込んでいた。
「ちょ、ちょっとオォォ! どういうことなの!?」
 我に返ったジミーは、取り乱したままティモネに詰め寄った。
「今の何?」
「ごめんなさーい。お姉さん、手が滑っちゃった」
 舌をぺロリと出しながらティモネ。
「ワザとだよね、今の。ワザとやったよね?」
「だってー」
 ニコニコと微笑んだまま、ティモネはジミーの顔を見下ろした。
「私も、あなたがどうして金燕会に入ってるのか、知りたくなっちゃったんだもの」
「そ、そんな、ズルい!」
「──人を背中から撃っといて、ズルいはないんじゃないのか? ジミー」
 コートの向こうからシャノンまでも口を挟む。
 歯ぎしりするように、ジミーはパートナーと対戦者たちを見た。

 その時になって彼は初めて理解した。──回りはみんな敵だったということを。


 ──── 15:00 銀幕市中心街 ────


「ああ、この鎌はお師匠様からもらったんですよ。普段はコンパクトにこうやって畳んで持ち歩けるの。なかなかの優れものよ。──洗濯物を干すのには使えないけれど」
「ふーん」
 一行は、体育館で汗を流した後、また太助バスに乗り込み市街地の方へ戻ってきていた。
 ここは俺に任せろと、太助が言うので、一行は太助の観光ツアーを楽しむつもりで皆めいめいの好きな席に座って楽しんでいる。
 シャノンはひとまず、先ほどの卓球勝負での約束として、ティモネに質問をしていた。彼女が持っている大鎌の由来を聞いていたところだ。
 ジミーはブスっとした表情のまま、カレンに近い席に座っている。例の質問の答えは、カレンが居る前では言えないと彼が言うので、持ち越しになっていた。
 レモンとエディは元気に唄を歌っていた。何かのアニソンだろうか。すっかり意気投合している。
「さー、いいか。みんな」
 おっほん、と太助は勿体ぶった咳をしながら言った。
「これから太助スペシャル、ディープな銀幕ツアーのスタートだぞ。ここからは歩きだから、みんなバスを降りてくれ」
 一行は、ぞろぞろとバスを降りた。エディとジミーが小走りに掛けてきて、それぞれカレンの両脇に付く。
「おーい、こっちだぞ、みんな」
 帽子を頭に載せた“ガイド”狸が、ひらひらと手に持った小旗を振っている。
 太助は皆が集まってくるのを見ると、旗でビシッと目の前にある店を指した。


 ──── 15:05 カフェ・ダイニング『楽園』 ────


「まずは第一弾! カフェ・ダイニング『楽園』だぞ」
 メンバーのうち、約一名が青ざめる。
 それに気付かず、エディがへぇーと言いながらお店の方を首を伸ばして見る。
「──銀幕市のムービーハザードを語るなら、まずはココ! 森の女王、レーギーナ様ほか綺麗なお姉さまたちが、美味しい料理とオイシイ体験をさせてくれるところだ」 
「オイシイ体験って?」
「そこのシャナーン陛下に聞いてみろ」
「え? 誰?」
 エディが振り返ろうとすると、恐ろしい殺気を放出したままのシャノンが進み出て、狸少年の頭をむんずと掴みあげた。
「太助、次のスポットは、どこだ? 特に無いなら俺が地獄に──」
「ハイハイ、つ、次は、美味しいラーメン屋さん……だぞ?」
 足をバタバタさせながら、太助。最後に可愛く言ってみて、シャノンの同情を誘う。フンと鼻を鳴らし、シャノンは狸少年の頭を離した。
 ポヨン、と尻で跳ねて道路に着地する太助。
「俺がコワイ体験するトコだったよ。じゃ、次な」
 太助はエディの腕を引いて、またトコトコと歩き出す。


 ──── 15:20 中華料理店『九十九軒』 ────


 次に行った場所は、何の変哲もない中華料理店である。看板には『九十九軒』とある。
「ここは、『九十九軒』。ギョーザが美味いぞ」
「? ここは何がスゴイの?」
「事故が起こりやすいんだ。この店の前で、あらゆるヴィランズが事件を起こしてる。バス・ジャックもあったし、10台の車の玉突き事故もあったぞ。こないだなんかドラゴンが暴れまわったんだ。この店の前で」
「ええっ、ど、どうして?」
「分からん」
 無邪気なエディの質問に、太助も頭をひねった。
「──たぶん、従業員の人徳なんじゃねーかな」
「???」


 ──── 15:35 お菓子屋『パピネス』 ────


「ここのスイーツは美味いぞ! なんてったって、俺はファンだ」
 二、三分ほど歩いて着いたのは、小奇麗なお菓子屋さんである。
「ここは『ハピネス』と言ってだな、タンタンだかノンノンだとかいう女の子向けの雑誌にもよく載ってる店なんだ」
 そこまで言って、太助は、おっとと、と舌なめずりする。
「俺のお勧めは、シュークリームだな」
「──そうか」
 ふと、後ろから低い声で言った男が、店の中に足を踏み入れていった。
 ウォンだった。
 皆が止める間もなく、彼は女の子に溢れた可愛らしい店の中に入っていき、数分後にシュークリームの袋を抱えて出てきた。
 そして、唖然と彼を見つめる面々をいぶかしげに見る。
「何だ?」
「いや別に」
 ウォンは手近にいたティモネにシュークリームの袋を渡した。どうやら人数分以上の数があるらしく、大きな包みである。
「なかなかいい店だ。私のために皆、道を開けてくれた」
 そりゃ開けるだろうよ、とティモネは思ったが、彼女の分別がそれを口にするのを避けた。
「僕、もっといろんなお菓子食べたい」
「おう、そうか安心しろ、エディ」
 羨ましそうにシュークリームの袋を見る少年の手に触れながら、太助が言う。
「お勧めのお菓子屋は、もう一軒あるから」


 ──── 15:50 ケーキハウス『チェリー・ロード』 ────


「美味しさよりも刺激を求めるなら、あそこだな」
「刺激って? 辛いの?」
「ああ、あらゆる意味でな……こっちはオイシイ体験じゃなくて、ホロ苦い体験か」
「コーヒー味?」
「気になるなら体験してみろ」
 太助は、エディの袖を引き、遠目になっている洋菓子店を指差した。
「なあホラ、店頭にホウキ持った赤毛の女が立ってるだろ? あいつに今日のオススメを聞いてみろ」
「いいけど。何で、太助は近寄らないの? あの人お友達なんじゃないの?」
「……いろいろ事情があるんだよ、オトナの事情ってやつがさ」
「ふーん」
 
 数分後、エディはドーナツの箱を抱えて戻ってきた。

「あのお姉さん、優しくていい人だったよ。いっぱいおまけしてくれたよ」
「ドーナツも優しくていい味ならいいんだけどな」
「えっ? 何?」
「……なんでもない」


 ──── 16:10 喫茶店『時の振り子』 ────


「このクソ狸、エディに何食わせてるんだよ!」
 看板に『時の振り子』とある喫茶店の前で、カレンがもはや素の状態で、太助の首を両手で絞めている。まあまあと脇で柊木がなだめようとしているが、顔が笑ったままだ。
 その横でエディがゴホゴホ咳込みながら、レモンからもらった水をごくごくと飲んでいる。彼が手を挙げて、大丈夫だからとジェスチャーすると、カレンは狸少年の首から手を離してエディのもとに駆け寄った。
 大丈夫? などと言いながら彼の背中をさすっている。
「うん……。ドーナツ、すっごい刺激的な味だった。てゆうか、喉に詰まった」
「そーか。危うく白雪姫になるトコだったな」
 うんうん、と頷きながら太助。自分も今殺されかけていたのだが、さすがはガイドをかって出たこともあって。ぴんぴんした様子を見せている。
「な? 言った通りだったろ? これが銀幕市の本当のところさ。エディもこれでディープな銀幕ツウだぞ」
「ホントに!?」
「おう」
 ニッと太助は笑ってエディの手に触れ、言う。
「あとはこの喫茶店で休んでいくぞ。花火までまだ時間があるからな」
「……この喫茶店は何がすごいの?」
「ああ。猫が経営してることかな」
「猫!?」
「時間の神様だか、何からしいぞ。ついでに肉球マッサージも受けられる」
「肉球マッサージ!?」
 エディは目を輝かせた。
 ──その後、真っ先に足を踏み入れた彼が店の中で迷ってしまい、カレンが再度、太助を絞め殺そうとしたことは言うまでもない。


 ──── 18:00 星砂海岸 ────


 まだ、空は明るかった。
 星砂海岸には、早くも花火鑑賞のための場所取り組が出張ってきていた。当然、この奇妙な9人連れも、より良い場所を求めてぞろぞろと砂浜を歩いていた。
 レモンと太助がギャーギャー言いながら決めた場所に、ひとまず腰を下ろす面々だったが、レジャーシートやら、ちょっと摘む食べ物やらいろいろなものが不足しているため、数人に分かれて買出しに行くことになった。
 
 そんなわけで、シャノンとティモネはジミーを連れ出し、主に食べるものを買いに行くことになった。
 カレンとエディは、すぐそばの屋台を見に行くがてら、海の家などを回ってレジャーシートなどを買いに行くことにした。
 残った太助、レモン、柊木、ウォンの4人は、場所取りということでその場に残ることになった。

 一人で砂の城づくりに熱中している太助。何でもエディと砂の城づくり対決をするそうで。せっせと練習にいそしんでいるらしい。それを前に、男性二人の間にちょこんと兎が一匹。三人は砂の上に直に腰掛けている。
「……ねえ、いいの? 二人で行かせちゃって」
 カレンとエディが歩いていく後姿を見送りながら、レモンが口を開いた。「このまま戻って来なかったりしないかしら?」
「それは大丈夫だよ」
 隣りに腰掛けている柊木は煙草の箱を取り出しながら言う。
「必ず戻ってくるから、心配要らないよー」
「そーお?」
 柊木は微笑みながら二人の後ろ姿から、視線をレモンの向こう側のウォンに移す。煙草の箱を見せ、吸わないかと勧めてみるがウォンは手を振ってそれを断った。
 彼も、ぼんやりとカレンとエディが手をつないで歩いていく様を見送っている。何か思いおこすことでもあったのだろうか。心ここにあらず、といった感じだ。
「ちょうど、あれぐらいの年の頃だったな」
 ポツリ。ウォンが言った。
 無言で柊木が彼の方を向いた。彼は、話の先を促すように眉を上げる。
「……私も花火に連れていってもらったことがある」
「へぇー。誰と?」
 隣りでレモンが無邪気に尋ねると、ウォンはフッと笑った。
「あの女のようなアバズレと一緒でないことは確かだ」
目を兎に戻し、続ける。「春節──旧正月の時だ。街中が浮かれて、あちこちで爆竹が鳴り響いて、ビクトリア湾に花火が上がる。夜空に焼きつく炎があんまり綺麗に見えたんでな。子供の私は、あれが一瞬で終わってしまうのがどうしても納得出来なくて、文句を言って、連れを困らせたものだ」
 それを聞いて、くすっと笑うレモン。
「可愛いじゃない? 子供ってそういうものだもの」
「可愛い、か」
 ウォンも笑った。
 柊木も煙草に火をつけながら、微笑む。ふと、顔を上げれば、遠くで屋台を回っているカレン達の姿が小さく見えている。その様子を見て、また彼は連れの二人に視線を戻した。
 
「──ティモネ君から聞いたんだがねぇ」
 ふいに柊木が口火を切った。
「エディは5才の時に、カレンの息子リンとして『燕侠4』に出てたんだそうだ。でもリンはその時、敵の勢力に殺されてしまうらしい」
 えっ、とレモンが彼を見る。ウォンは驚く様子もなくただ頷いた。
「彼女と彼女の夫はもちろん仇を討つわけだが、どうも今の彼女は映画をつくった側の人間を恨んでいるようだよ。──息子が、物語が面白くなるからという理由で殺されたことに我慢がならないらしい」
ゆるゆると柊木は頭を振った。「そういった気持ちは、分からないでもないなと思ってねぇー」
「なるほどな」
 目を閉じるウォン。
「だから、この世界が憎いと言ったのか」
 柊木は煙草から口を離し、ウォンを見た。先を促すような、そんな視線を感じ英系華人は続けた。
「──以前、あの女がそう言っていたんでな」


 ──── 18:05 コンビニ『Gマート』 ────


「葉大姐に誘われたんだ。金燕会に入れって。だから入っただけだよ」
 海辺近くのコンビニの店内で。シャノンの持つショッピングカゴに、イチゴポッキーの箱を入れながら、ジミーが言った。
 シャノンとティモネの二人の大人に挟まれ、少年は非常に不機嫌そうな顔をしたままだ。
「それは、質問の答えとは言えないな」
 シャノンはウィスキーのボトルを二本、カゴに入れながら言った。
「俺は、お前が今あそこに留まり続けている理由を聞いたんだ。入るきっかけのことじゃない」
 不満たらたらと言った感じで、ジミーはシャノンを見上げる。
「ハァ? それだって同じだよ。葉大姐がいるからさ」
「あら。じゃああなたは、カレンさんが好きなの?」
 ティモネがそう言うと、少年は途端にカッと顔を赤らめた。そして怒ったような表情をして彼女を睨み返す。
「ああ、やっぱりね」
 ニコと微笑んでティモネ。ウィスキーのボトルを一本棚に戻して、ジュースのペットボトルを一つ追加する。
「──お前らなんかに、大姐のことが分かってたまるか」
「綺麗だし、優しいし?」
「うるさいな!」
 声を荒げて、二人から離れるジミー。
 シャノンはその様子を見て、やっぱりまだ餓鬼だな、と小声でつぶやきながらカゴをレジまで持っていった。
 少年がコンビニから出て行こうとしているので、ティモネがそっと後についていく。ジミーはニコニコした彼女が近寄ってくるのを見て、どこにも行かないよ、とこぼしながら入口の外で足を止めた。
 数分待つと、シャノンはコンビニ袋を二つ手に持って出てきた。
「ホラ、こっちはお前が持て」
 片方をジミーに持たせ、三人は砂浜に向かって歩き出した。

「お前さ、金燕会に入ってる理由、もう一つあるよな?」
しばらく歩いてから、シャノンが隣りを見ずに言った。「答えたくなさそうだから、俺が当ててやる」
「なんなの、さっきからその事ばっかり。ウザいんだけど」
「お前、友達いないだろ?」
「──うるさいな、だから何だよ!?」
 怒ってばかりのジミーだが、今度は本当に頭に来たのか、足を止めてシャノンを睨み上げた。
 ヴァンパイアハンターは、無表情で傍らの少年を見下ろす。ティモネも足を止めた。
「お前は、思いっきり卓球できる相手がいなくて、真剣に戦える相手が欲しくて。命のやり取りがしたくて、それであそこにいるんだろう?」
 ジミーは一瞬ひるんだような素振りを見せたが、また瞳に強い力をこめて青年を見返した。答えは──無い。
「見れば、分かるよ」
 そう言うと、シャノンはようやく微笑んだ。少年の背中をポンと押して、また海岸に歩き出す。
 シャノンには分かるのだ。何故なら、自分も同じだから。強い相手と戦って命のやりとりをする、あのヒリヒリした感覚──。あれを楽しんでいないと言えば嘘になる。
「……なら、銃を持つ必要もないだろ? ラケットでいいじゃないか。卓球だったら俺がいつでも相手になってやるぞ」
「わたしも今日みたいなズルは、もうしないから」
 ティモネも脇から声をかける。
 フン、とジミーは鼻を鳴らした。
「アンタら、頭イカレてんじゃないの。それでボクを説得してるつもり?」
 小憎らしい口調で、少年ヒットマンは彼から視線をそらした。
「馴れ合いなんかゴメンだね。気色悪くて反吐が出るよ……! ボクは葉大姐にお前らを消せって言われてるんだ。花火が始まる前に、お前らを一人ずつ──」

 ──タァー……ン。

 その時、砂浜の方から乾いた音が。夕暮れ時の空に響き渡った。
「銃声?」
 三人はお互いの顔を見合わせ、一瞬。猛然と砂浜に向けて走り出していた。


 ──── 18:20 屋台 ────


「エディ、エディ……!」
 銃声の後に聞こえたのは、女の悲鳴だった。
 砂浜からいち早く駆けつけた柊木たち4人が見たものは、胸からおびただしい血を流したエディと、地面にへたり込むように少年の身体を抱き寄せているカレンである。
 少年は目を閉じ、意識を失っているようだ。
 回りの一般客が怖々とその様子を伺い、カレンとエディの回りに野次馬の輪を作っている。
「一体、何が?」
状況が掴めないままに、柊木はカレンの肩に触れた。「早く、彼を病院に……」
「触るな!」
 彼の手を振り払い、カレンが金切り声で叫んだ。彼女の白いブラウスが、エディの流す血でどんどん赤く染まっていく。
「この子はあたしが病院に」
 言いながら彼女はよろけながら立ち上がった。何者かに撃たれたのか。ぐったりしたままのエディを抱き上げ、どこかに歩いて行こうとする。
「救急車だな?」
 太助が、変身しようとグッと身構える。
「いや、待て」
 進み出たウォンが太助を手で制して止めた。彼は大股でカレンに近寄るとその肩を掴もうとする。
 が、カレンはサッと身体をよけて、彼の手をかわし振り返った。
「お前らは着いてくるな!」
「──どこを撃たれた? 応急処置は?」
「そんなのはあたしが」
 二人が押し問答している頃、ようやくシャノンとティモネ、ジミーがその場に駆けつけた。
「これは……!?」
「エディが撃たれたみたいなのよ」
「撃たれたって、誰に?」
「分かんないわよ!」
 状況が掴めない様子のシャノンたちにレモンが言った。彼女は、自分にも何か出来るのことはないかと素早くカレンたちに視線を戻し──。
 キラリ。群集の中に何か光るものを見た。

「危ない!」

 地を蹴って、レモンは跳んだ。
 その兎の身体が光に包まれる。一瞬遅れて、銃声らしき音が鳴り響いた。だが、それより先に光がカレンとエディの身体を突き飛ばしている。
 弾の軌道に入っていたウォンが身を引いた。
 カン、と音をさせて弾を弾いた者がいた。──ティモネだった。いつの間にか取り出していた大鎌を、振り切ったポーズで静止している。
「あそこだ!」
 群集の中に、逃げようとする男の姿を見つけ、柊木が声を上げた。
 その声で我に返ったかのように、野次馬たちが大混乱に陥った。銃声に驚いた人々は思い思いの方向に逃げ出し始める。
 面々は、そんな喧騒の中、慌ててカレンとエディの姿を確認しようとして──見てしまった。

 エディが驚いた表情を浮かべながら、自分の二本の足で立っているのを。

「あっ」
 自分を見る複数の視線に気付き、エディは小さく声を上げた。思わず自分の胸を、血だらけのシャツを掴んでみるが、もう遅いと気付いたのか。
 人々が逃げ惑う中で、彼は照れたように笑った。
「ダメだ。バレちゃったね」
「エディ」
 身体を起こし、カレンが彼を呼んだ。少年は、映画の中で自分の母親だった女を見た。口元に笑みを浮かべたまま。
「ミシェル、この人たちを騙すのはやっぱり無理だよ。“死んだフリ作戦”は失敗だね。──僕、ずっとこの街にいたかったのになあ」
 カレンは少年の背後を見て、目を見開いた。
「違うのよエディ、今のは!」
 彼女の言葉が終わるか終わらないかのうちに、人込みの中から黒い手がぬうっと伸びてきて、エディの身体を捕まえた。
 少年が恐怖の表情を浮かべる。野次馬の中にまぎれていた男たちが、数人でエディを連れ去ろうとしているのだ。
「ミシェル!」
 もみくちゃにされそうになりながら、エディが男たちの隙間から手を伸ばした。
 
 ──リン!
 
 カレンが叫んだ。手を伸ばして駆け寄ろうとする。
 スッと、その彼女の前に男が一人。エディとの視線を断ち切るように割り入った。男は手に黒光りする拳銃を手にし、邪魔な女を撃とうと引き金に手をかけた。
 凍りついたように動きを止めるカレン。
 撃たれる──!
 彼女が、そう思ったとき、もう一つ。白い影が彼女の視線を横切った。
 ウォンだった。
 男の目の前に飛び出た彼は、相手の腕を左腕で上へと跳ね上げると、そのまま右腕で男の延髄に手を掛け、前に引き倒した。──当然、その際には腹に膝蹴りを食らわせている。
「ユージン、あんた……」
 ドサリと男が倒れたとき、女が彼の名前を呼んだ。ウォンは無表情でカレンを振り返った。
「今日は花火大会だろう? 地上の花火では、無粋だからな」
「──同感だ」
 その脇を走り抜けたのは、二つの影だ。
 金色の髪をした青年シャノンと、銀色の髪を結い上げた女──?
「だ、誰だ、お前」
 隣りを走る女に気付いて、ギョッとするシャノン。女はそんな彼をちらと冷たい目で見返した。
「レモンよ」
「ウソッ!?」
「ホラ、ボサッとしてるんじゃないわよ!」
 人間の女の姿になったレモンと、シャノンは同時に足を繰り出した。エディを連れ去ろうとしていた男が二人、頭に豪快な蹴りをくらって、吹っ飛ぶ。
 エディの身体が見えると、そこにもう一つの影が滑り込む。
 しなやかな身体をもった豹──太助だった。
 驚いた男たちが少年の身体を離すのを見、豹=太助は彼らの身体を蹴って、エディのTシャツの襟首を咥えて、彼を助け出す。
「おのれ!」
 残った男が、豹に拳銃を向けようと腕を伸ばした。
 しかし、その絵が見えたのは一瞬だけだった。
 目の前に滑り込んできた影に、男は腕を絡め取られ、次の瞬間には地面に投げ倒されていた。
「全く、本当に君たちは無粋だ」
 影は柊木だった。男に見事な背負い投げを食らわせ、サッとカレンを振り返る。
 彼女は動けず、ワナワナと震え、ただ一点だけを見つめていた。
 視線の先にあるのは、エディの姿だった。
 もう一度彼女は、リン、と少年を呼んだ。
 太助の手から地上に降り立ち、エディはカレンの元へと駆け寄った。媽々、と叫びながら。
 二人が抱き合うのを見て、柊木はフッと頬を弛める。
「カレン、私は君に一つ嘘をついた」
 そう言いながら彼は、今だこちらに手を出そうとしている正体不明の男たちの方に向き直った。
「──実は今日は、オフじゃないんだ」

 柊木が右手を挙げた。

 かかれ! と彼が号令をかけると、道の両脇や屋台の影から警備員らしき男たちが現れた。その数、二十人強! 彼らは統制のとれた動きで襲撃者たちを囲い込むと、一気に取り押さえた。
「あんた……」
 エディを抱き寄せたままのカレンが柊木を見た。
「実は、ずっと張り付かせてたんだよー」
 緊張が解けたように彼は、にっこりと微笑んだ。「何かあったら大変だと思ってね。ま、役立って良かったよー」
「さすがですね、柊木さん」
 ゴン、と近場にいた男を大鎌でこづいて、ティモネ。まごまごした様子のジミーと一緒に彼の傍に立つ。
 カレンは言葉も無く、エディの身体を強く抱きしめながら目を閉じた。
「これで一件落着かしら?」
 柊木は頷こうとして、ふと後ろに大きな影を感じて振り返った。
 そこには戦車がいた。
 何の脈絡もなく、T−72型戦車が通路を遮るようにドーンとその姿を晒している。他の面々もぽかんとそれを見上げた。
「太助?」
 シャノンが言った。
「何してんの?」
 戦車に声を掛けたのはレモンだ。
「いやー……つい」
 戦車=太助は──戦車のくせに困ったように砲台をぎりぎりと動かしながら答えた。
「何となく、クセになっちゃって」
 ドッと、みんなが笑いだした。


 ──── 19:30 花火大会 ────


 レジャーシートは要らなかった。
 一行は太助の戦車に、みんなで腰掛けて花火を見た。特等席のようなものだった。
 花火の始まる前、エディは皆に頭を下げて“死んだフリ作戦”のことを謝った。彼はカレンと口裏を合わせて、自分が死んだように見せかけて、この銀幕市でムービースターとして暮らすという無謀な計画を立てていたのだそうだ。
 当然、カレンがミシェル・クーでないことなど気付いていたそうだが……。だって僕だっていい年だもの。媽々、なんて呼ぶの恥ずかしいよ。と彼は照れたように結んだ。
 あとは、襲ってきた正体不明の男たちだ。柊木の部下たちが聞き出したところによると、どうも彼らはムービースターではなく、この街に元から住んでいるチンピラ達のようだった。カレンに聞くと、心当たりはあると答えたが、それきり彼女はその件に関しては何も口にしなかった。

「やっぱいいわね、こういうのって」
 ぱたぱたとウチワで扇ぎながら、レモン。彼女はとうに兎の姿に戻っている。左手にはイチゴのカキ氷。
「花火って、みんなで観た方がダンゼン楽しいもの!」
 ドン……と、赤や緑の花火が上がると、戦車に座った彼女たちの姿が明るく照らされた。
「チェッ、こんなの何が面白いんだよ」
 レモンの隣りでジミーはつまらなさそうにイチゴポッキーをかじっているが、なんだかんだ言いつつも、花火が上がれば、目は自然にそれを追っている。
 ティモネは携帯電話のカメラでうまく花火が撮れないかどうかいろいろ試すのに熱心で、シャノンはどこからか調達してきたショットグラスで、ワイルド・ターキーをストレートで飲み、酒と花火を同時に楽しんでいる。
「こんなクソ溜めでも、変わらないものだな」
 戦車に寄りかかって立ちながら、ウォンもウィスキー片手に花火を見上げた。隣りの柊木に、何が? と問われて。彼は鼻を鳴らして笑う。
「花火の──儚さだよ。一瞬で終わってしまうところがな」
 その言葉に、カレンとエディが彼を見る。
「そうだね」
 と、カレンが相槌をうつと、エディも頷き、だからいいんだよね、と笑った。
 二人の親子は、お互いを見て、また仲良く身体を寄せ合って花火を見上げる。
 その様子を見て、柊木が仕方ないなあと肩をすくめた。ウォンも眉を上げてそれに応じる。

 皆、微笑んでいた。
 花火が終わる、その時まで。




                 (了)




クリエイターコメントまずは、お届けが遅くなりまして申し訳ありませんでした。

また、いつも言い訳ばかりですが、今回も大変長くなってしまいまして。お読みになるの疲れてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしております。
何はともあれ、ここまで読んでいただいてありがとうございます。
今度はもっとみじかくスパッと小気味良くまとめられるように精進します……。

また、途中の銀幕市内のお店めぐりは、基本的にPCさんで“お店”にまつわる設定を持っている方を網羅したつもりです。漏れがあったらわたしの見落としになります。
さらに、すべて無断使用でございます(泣)。
サプライズの意味も含めて事後報告にさせていただいたこと、ここにお詫びいたします。


>太助様
観光ガイドと、乗り物になって皆を案内するとのこと。裏方になっていただいてありがとうございました。
ダイノランド、行けなくてごめんなさいね……。

>シャノン・ヴォルムス様
すいません、またつい、兎耳とかいろいろと……。
兎頭とちょっと因縁を深めてみましたが(笑)、いかがだったでしょうか。

>ユージン・ウォン様
いつもながらに、他の皆様と違う切り口でのプレイングで、こんな感じの合流の仕方になりました。
今回はプレイングにあったセリフなど、使えなかったものも多く。
こんな感じで合ってるかなー?? と首をかしげる次第です。

>ティモネ様
一人ムービーファンとして、立ち居地が大変助かりました。解説役、ありがとうございました。
ちょっと意地悪(笑)な感じを出せればなあと思いながら書いたんですが、
いかがだったでしょうか。
プレイングに書いてないことばかりさせてしまいスイマセン。。。
何か間違ってるトコとかありましたら、遠慮なくご指摘ください。

>レモン様
とても期待されて参加されたとのこと。ありがとうございます(^^)。
登場シーンのプレイングがすごい面白かったので、うまく表現できてるか不安です……。
シリアスご希望とのことでしたので、けっこうそういう局面に遭わせたりしてみました。
エンジェルスマァッシュ! ほかでも使ってやってください(嘘です)

>柊木芳隆様
勝手に部下配置しててスイマセン(笑)。
あくまでロケーションエリアではなくて、銀幕セキュリティの社員さんたちということで(職権濫用??)
前質問にも答えていただいて感謝でした。
お父さん属性で、わたしが言うのもなんですが、すごいいい感じでした(笑)。


ではでは。こんなところで。
ご参加いただいた皆様、そしてお読みいただいた銀幕の皆様。
(6名の皆さま以外の方で、読んでいただいた方には本当にお疲れさまでした。。)
ありがとうございました(^^)。

今回は、書いたところで力尽き、アンケートは実施しておりません。。ご感想はよかったらメールでお送りくださいませ。。。
公開日時2007-08-08(水) 13:00
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