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<ノベル>
ガルムは図書館で「本当は恐いグリム童話」を借りてきたところだった。恐い、というところが恐かったのだが、興味もあったのだ。それは「本当は」という部分に、だった。自分が知っているお話が本当のお話じゃないかもしれないと思うと、知りたくなってしまったのだ。
聖林通りを抜けようとした時だった。まだ夕暮れ時なのに周囲が暗転した。真っ暗なのに自分の姿だけは、はっきりと見える。
三回目だ、ガルムはちょっと胸が躍る自分に気付く。見れば隣には五人の人物がいる。今回は人数が多いんだな、と思う。
そして、正面には見慣れた人物の姿があった。村上である。
「まずはすまない、と言っておこう」
彼はこの言葉から始めた。
「私の名は村上。銀幕ジャーナルでライターをやっている。実はムービースターでな。能力は本の実体化。ただし自分で制御できない上に暴走するというおまけ付きだ。で、君たちは能力に巻き込まれ、シンデレラの世界の住人になった、というわけだ」
そう一気に説明して、村上はあることに気付いた。
「なんだか見たことのある顔が多いな」
六人の人物が浮かび上がる。
「ガルム君、君はまた取り込まれたのかい? 皆勤賞じゃないか。すまないなぁ」
「ううん、ボク、楽しみにしてるよ」
ガルムが応える。村上は苦笑いして次の顔に視線を移した。
「えっと前回の桃太郎の時に確か……」
全部を言い終える前にルークレイルが突っかかってくる。
「その通りだ。さあ前回のお宝、渡してもらおうか」
目の前に顔を寄せる彼を遮りつつ村上は言った。
「あ、あれはあくまでお話の中の出来事だ。だから現実であったように感じるが偽物なんだよ」
ルークレイルの表情が曇る。
「それじゃ、あのお宝はもうない、ってことなのか?」
「というより、そもそも存在していなかった、ということだ」
がっくりと肩を落とすルークレイル。彼の隣にいる兎が声を上げる。
「村上! またあんたなの? いい加減にしてよね」
レモンは短い手を腰に当てて怒っている。
「何度も言うが自分では制御できないんだ。すまない」
頭を下げる村上になおも言葉を放つ。
「だいたい前回は家を造らされるは犬には追いかけられるは散々だったんだから。今度は大丈夫でしょうね」
「さあ? と言うしかないんだが。頑張ってくれ」
無責任な言い方に、レモンが喚き立てている。見知った三人とは違い、初体験の三人は状況が理解できず、戸惑っていた。
「どうなってるんだ、これ」
チェスターは辺りを見回しながら呟いていた。一応の説明は受けても、まだ納得できないのだ。
「おい、あんた。もうちょっと詳しく説明しろよ」
村上に詰め寄る。
「ああ、そうだな。君が本の中に取り込まれた、というところまでは理解できたかな? その中で一人一人役を演じてもらうんだ。例えば君は王子様役だ」
「げっ、俺が?」
「そうだよ。そして、物語を最後まで導いてもらう。そうしないとこの世界から出ることはできない」
「もし、失敗したら?」
「残念ながら永遠にこの世界で暮らしてもらうことになる。まあそう心配しないでもらいたい。元々暴走した物語だ。多少おかしな事になっていても大丈夫だから」
チェスターはまだ納得できない風ではあった。しかし、有無を言っている状況じゃなさそうだった。すでに物語は始まっているのだ。
一方、エルヴィーネとリカは仲が良さそうに話していた。
「あなたの服、可愛いじゃない」
「あら、お姉さんのお洋服こそ素敵でしてよ」
リカがゴシックな服を褒めると、エルヴィーネがリカのバイト服に目を止めた。二人ともその実はともかくとして、お互いを認め合っているようだ。
「お嬢さん、君がシンデレラだ」
村上がエルヴィーネに言った。するとリカが飛び上がって喜ぶ。
「あら、わたしがお姫様なの。きゃー」
「え? いや、そうじゃなくて」
エルヴィーネはエルヴィーネで「私がシンデレラ? 魔法使いか継母の方が良かったのに」と不思議な笑みを浮かべている。
「お姉さん、君は次女の役だよ。シンデレラをいじめるのが役目だ」
村上がそう言うと、リカは目を鋭くした。
「ねえ、あなたも私の方が似合ってるって思わない?」
エルヴィーネにそう問う。彼女は口に手を当て、微笑を称えながら答えた。
「あら、残念ながら選ばれたのは私だそうよ。仕方がないわよ。分相応って言葉もあることですし」
それがリカに火をつける。
「なんですって? ……まあ良いわ。シンデレラはあなたに譲ってあげる。でもお姫様になるのはわたしよ」
女の冷たい戦いを、村上は汗をかきながら見守っていた。
「俺たちは何の役なんだ?」
ルークレイルが村上に問う。気を取り直した彼が答えた。
「ルークレイル、君は魔法使いの役だ。ちなみに魔法が使えるようになるわけじゃないのでそこんところよろしく」
「なんだそれは。人任せも良いとこだ」
不満を漏らす。村上はあえてそれを無視してレモンに役を告げる。
「レモンは長女役だ。ぴったりで良かったな」
「何よそれ。あんた知り合いだからってなめたこと言ってると、ラビット流星拳お見舞いするわよ」
グッと拳を握る。
「まあまあ。それはそうと、ガルム。君は継母役なんだが……大丈夫かい?」
村上はレモンから視線を逸らしてガルムに向き直った。彼は「うん、ボク頑張るよ」と張り切っている。
「でも、男の子だけど良いのかなぁ?」
「良いんだよ。期待してるから頑張ってね」
そう言われて、ガルムがニコリと子供らしい笑顔を見せる。
「さあ、物語の始まりだ。舞台はシンデレラの家から始まる」
村上が口にすると、周囲が暗転する。しばらくして段々と明るくなってくると、石造りの家がぼんやりと浮かんできた。
どうやら二階建てのようで、上階から誰かが降りてくる。
「ちょっと、シンデレラ! シンデレラ」
レモンが叫びながら階段を踏みしめてくる。
「なにかしら、お姉様」
シンデレラたるエルヴィーネが奥の部屋から出てきた。どうやら今回、全員がすでに役に入りきってしまっているようだ。
「何かしらじゃないわよ。あんたちゃんと掃除したの?」
すっと手摺りに指を這わす。そこにはうっすらとゴミが付着していた。
「きったないじゃない」
「あら、きちんとしましたわよ。ご覧ください。このモップ」
そう言うエルヴィーネの足にはモップ状のスリッパが履かれてあった。明らかに手抜きしたようだ。
「ご覧ください、じゃないわよこのすっとこどっこい。大体あんたシンデレラの癖にそんな綺麗な服着て良いと思ってんの? こっちにしなさいこっちに。その服は没収だわよ」
ゴシック調の流麗な服装に替わって、レモンが出したのはボロ布でできたようなものだった。
「あらごめんなさい、お姉様。私ったら美しすぎるのに気付かなくて」
言われるままに着替える。不満そうでも何でもない。
「ったく、あんたはいちいち言うことがカンに障るのよ」
どこからか取り出したモップを投げつけた。すっかり意地悪姉の役が板についている。すると、そこに騒ぎを聞きつけた継母が駆けつけてきた。
「どうしたの? 何だか……騒がしかったけど」
ガルムは二人を見て言った。レモンは意を得たとばかりにガルムに陳情する。
「お母様、聞いてよ。シンデレラったら掃除もしないで遊んでばかりなのよ」
レモンは窓を指差した。埃があるかどうか触ってみろ、ということらしい。
ガルムは窓に寄って指を……這わそうとした。
「……何やってるの? お母様」
「…………届かないよ」
うんしょ、うんしょ、と言いながら必死に背伸びしている。
レモンが吹き出して笑う。
エルヴィーネはクスクスと口に手の甲を当てていた。
「可愛すぎますわ、お母様」
エルヴィーネがガルムにそっと魔法をかける。すると彼の体がわずかに宙に浮き、やっと窓に手が届く。
「ふう……あ、本当だね、汚いね」
額に汗をするガルムは急いでどこかへ向かった。
「うんしょ、うんしょ」
そう言って持ってきたのはバケツだった。水がたっぷり入っている。
「あっ」
だが、重さに耐えきれず、転んでしまった。水がそこらに飛び散り、見ていられない状況になってしまう。
「あーあ」
レモンが目を押さえた。エルヴィーネも溜息をついている。そんなところに、次女であるリカがやってきた。
「何やってるの、お母様」
リカはまだバイト服のままだった。フリフリのエプロンは、やはりリカには似合っていない。
「お母様ったらシンデレラに掃除させようとして転んじゃったのよ」
「掃除? またこの子はさぼってたの?」
スッと胸元からナイフが出てくる。それを条件反射のようにスパッと投げると、ナイフは壁に突き刺さる。その隣にはエルヴィーネが。だが、彼女は微動だにしなかった。
「もしかして先程のことを根に持っていらっしゃるのかしら?」
「何のこと?」
物語に入る前のお姫様騒動のことを言っているのだ。リカはとぼけているが、完全にエルヴィーネを標的と捉えたようだ。
「まあ良いわ。私もその方が楽しそうですし」
クスクスと笑う。リカはその笑みを見て「ファッキン」と指を立てた。
「良いからシンデレラは掃除してなさいよ。あたしたちは忙しいんだから」
そう言ってレモンはドレスを引きずりながら階段を上っていった。リカは気を取り直して台所に向かう。ガルムはどうして良いか分からずにウロウロしていたが、やがてレモンの後を追った。一度一緒に巻き込まれたので慕っているのだ。
エルヴィーネは大人しくモップを床にかけている。騒動を起こすつもりはなかった。まだまだ楽しそうな出来事はたくさんありそうだったからだ。
リカは台所で気持ちをリフレッシュするつもりだった。
「ケーキよ。ケーキさえ作れば気分もすっきりするはずよ」
台所にはたくさんの材料があった。その中にはケーキに必要なホイップクリームや小麦粉、砂糖なども揃っていた。
まあ、時代的には中世ヨーロッパ、なのだが。
「それにしても冷蔵庫まであるなんてね」
チャッチャッチャ、と軽快な音が響く。ボウルの中のクリームを泡立てる音だ。それを袋に詰めてスポンジの上に盛りつける。
実に美味そうなケーキだった。かわいらしく苺が乗せられ、デコレーションも気が利いている。
「やっぱりケーキは苺よね」
リカも満足そうだった。誰しもが、このケーキを手に取り、口にしたいと思うだろうできばえだった。
リカが作ったのでなければ。
「お母様、お姉様、シンデレラ。ケーキを作ったの。食べない?」
リカはご機嫌だった。さっきまでの鬱屈した気持ちなどどこかに吹き飛んでいた。その証拠に、シンデレラにもご馳走してやろうという気になっていたのだ。それが殺人行為であるとは思わずに。
「あらそうなの? ちょっと待っててねぇ……今……降りていくから」
階上からレモンの声がする。
「わーい、ケーキだぁ」
二人が降りてくるとエルヴィーネに机を準備させる。彼女はその間、ケーキをじっと眺めていた。
「さあ、三人ともたっぷり食べてね」
そう言いながら取り分ける。
「きゃあ、美味しそうだわね」
「ボク、ケーキ好きだよ」
二人とも楽しそうに皿が目の前に置かれるのを待っている。
「私はけっこうですわ」
そんな中、エルヴィーネは席に着こうとしなかった。
「なに? どうして?」
リカは問い質した。
「私の口には合いそうにありませんので」
エルヴィーネはそれだけを言った。
二人の間に緊張が走る。そこにレモンが口を挟んだ。
「何言ってるのよ。リカさんが愛を篭めて作ってくれたケーキなのよ。食べなさいよ」
レモンが皿を彼女の前に突き出す。しかし、エルヴィーネはガンとして譲らなかった。その表情は、青ざめてすらいた。
「まったく〜、何でよ、こんなに美味しそうなのに」
パクッと一口、レモンがケーキを食べる。
「んがぐぐ」
次の瞬間だった。白目をむいたレモンがばったりと倒れてしまったのだ。
リカとガルムがレモンに駆け寄る。
「なに、どうしたの? 毒でも盛られたの?」
リカは自分のケーキが原因だとは思っていない。ガルムはただ泣きじゃくるだけだった。
「お姉ちゃん、死なないで」
「やっぱり……」
エルヴィーネは呟いた。彼女は感じ取っていたのだ。その魔力にも似たマイナスのエネルギーを。彼女が惨劇に目を逸らすと玄関にルークレイルの姿があった。
「ひょっとして俺の出番か?」
「え、ええ。困ってるのは私じゃありませんけど。どこかで解毒剤を探してきてくれませんかしら」
彼も中の状況を一目見て、理解したようだ。すぐに駆け出し、どこからか薬を持ってきた。ラッパのマークのそれは、レモンのお腹に良く効いた。
★★★
次の日、レモンはまだ痛むお腹をさすりながら階段から下りてきた。
「ったく、やっぱり舞台が中世ヨーロッパだからかしらね。食物の管理が上手くいかないらしいわ」
レモンはまだリカのケーキの正体に気付いていなかった。
「シンデレラ、シンデレラはいるの?」
レモンが呼ぶと、ソファでゆったりとテレビを見ているエルヴィーネがいた。
「何やってるのよ、ってか何でテレビが……」
画面では吸血鬼が美女を襲っている場面だった。
「血、ね」
エルヴィーネは何事かを考えているようだった。そこにレモンが声をかける。
「あんたちょっとスーパーまるぎん、もとい市場に行ってニンジン買ってきなさいよ」
エルヴィーネが振り返る。
「どうしてかしら、お姉様?」
「どうしてってあたしが食べるからに決まってるじゃないのよ」
「あ、ウサギですもんね」
クスクス笑いのその言い方が気に触ったようだ。レモンの額に青筋が浮かぶ。
「ただのウサギじゃないわよ。聖なるウサギ様って呼びなさいよ」
「ウサギはウサギでしょう?」
言い返すエルヴィーネにレモンが軽く頭を叩く。
「口答えは止めなさい」
と、その途端に頭から血が噴出する。高速創傷の能力で頭に傷を作ったのだ。
顔に血が垂れてくる。エルヴィーネが振り返る。
「ひっ! あ、あたしは何もしてないわよ! 勝手に傷が……」
そこにガルムがやってくる。
「お、お姉ちゃん!」
びっくりしたガルムがひっくり返る。その騒ぎを聞きつけて、リカがやってきた。
「何やってるの? あら、頭でも怪我した?」
さすがにリカは動じない。エルヴィーネの頭の傷を見て「こんなの唾つけときゃ治るわよ」と切り捨てた。程なく血は止まり、エルヴィーネは大人しく市場へと出かけていった。
「あの子のやることは調子が狂うわね」
リカがぼやく。シンデレラが退場している間に、三人は確認し合っていた。
「さあて、次はどんな風にいじめようかしら」
レモンが楽しそうにしている。
「わたしがナイフで磔にしましょうか?」
レモンの考えに乗ったのか、リカが物騒なことを言い出す。
「リ、リカさん……そこまでやっちゃ……」
ガルムが止めようとした。それにリカが反論する。
「あら、大丈夫よ。わたしが見たところ、あの子は魔物の類よ。ちょっとくらい痛めつけても平気よ。借りもあるしね、ふふふ」
綺麗に笑う。ガルムはその迫力に負け、ちょっとレモンの影に隠れてしまう。
「やっぱり……ボクたちがあのお姉さんをいじめないと……物語は進まないの?」
ガルムの疑問だった。皆が仲良く過ごしてはいけないのだろうか。
「これはね、ガルム。仕方がないことなのよ。あたしたちが頑張らないと、元の世界に戻れないのよ」
「そうそう、それにエルヴィーネも分かってやってることなんだから。ちゃんとわたしたちも手加減してるのよ」
二人の言葉はガルムにも届く。
「そう……なのかな」
「そうよ、だからわたしたちも頑張っていじめないと」
何かがずれていた。しかし、ガルムはシンデレラの世界に取り込まれ、それが分からなくなってしまっていた。
「うん……そうだね」
こうして三人は悪巧みを続ける。今度はガルムも一緒になってアイデアを出していくのだった。
★★★
お城では、チェスターが一人、悩んでいた。
「分かんねーな。つーか、いきなりこんなことになっててびっくりなんだけどな、実際」
彼が座っていたのは、王子の椅子であった。隣には村上が侍従としてついている。
「何が分からないんだ? 君は王子で、シンデレラの世界にいる。ただそれだけのことだよ」
村上の説明はシンプルで正論だった。それだけにチェスターは反発したくて仕方がなかった。
「いや、それだよ。何で俺が王子なんだよ」
「それは……そう能力で決まったからだ、としか言えないな」
「ふうん……シンデレラねぇ。ガキの頃に読んだ記憶があるけど。まさかその登場人物になるとは思わなかったな」
「私の能力に関わった者はそう言うよ」
「俺にはまったく似合ってない役だけどな」
「そんなことはないと私は思うよ」
「そうかい? 正直面倒だけど。何とかしないと駄目そうだしなぁ……まぁ何とかなるか」
「まあ深く考えないことだ。君は君らしくしてればいい」
「っつっても、舞踏会には出ないと拙いよな。じゃなきゃストーリーが進まねぇし」
「そうだな」
「やっぱ踊るのか。苦手なんだけどな、こういうの」
チェスターは頭を抱えている。村上がその姿を見て笑った。
「ははは、気分転換でもしてきたらどうだ? 市場にでも行けば、面白いものが見られるかもしれないぞ」
「この格好でか?」
チェスターは豪華な衣装に身を包んでいた。金銀の意匠が施されたマントまで羽織っていた。
「その辺は魔法使いに頼むと良い」
村上が言うと、巨大な扉が開いた。
「呼んだか?」
ルークレイルだった。
「王子様が服を所望しているようだぞ」
「人使いの荒い世界観だな。普通の服で良いんだな」
ルークレイルは城外へ出て、考えた。自分には魔法が使えない。かといって、この世界の通貨を持っているわけでもない。後は奪う、しかないのだ。だが彼が所属するギャリック海賊団には「堅気から奪わない」という鉄の掟が存在する。
つまり彼には最初から選択肢など無かった。
悪人から奪う、だ。
昨日の腹痛薬もそうやって手に入れたものだ。偶然腹痛のチンピラがいたのは、ご都合主義的な気がするが、それはお話の世界だからなのだろう。そう考えることにした。
町を歩いていると、様々なものが目に入ってくる。追いかけっこをする子供、語らいながら歩く婦人たち、そして腹をさすりながら歩くひげ面の男……いかにも人相が悪い。
「ちくしょう、昨日の野郎、今度会ったらただじゃおかねぇ」
隣の男に話している。
「おお、せっかく手に入れた東洋の薬を奪い取られたんだってな。俺も手伝うぜ、この町の仲間で探してやろうじゃねぇか」
「ほお、それはぜひお願いしよう」
声をかけたのはルークレイルだった。
「てめぇ!」
「お、こいつか?」
人相の悪い男(チンピラA)とその仲間(チンピラB)がルークを睨んだ。二人はそのままルークレイルを路地裏に連れて行く。彼はそれに大人しく従う。都合が良いからだ。
「大人しくしててもらおうか」
チンピラAがドスを聞かせた声でルークレイルに迫る。彼はそれに顔を背け、鼻で笑った。
「断る。お前たちの服をもらおうか」
どこから出したのかナイフがチンピラAの鼻先に突きつけられる。そのあまりの速さに「うっ」とチンピラAがのけぞった。
「野郎!」
今度はチンピラBが殴りかかってくる。
「おっと」
それをルークレイルはわずか一歩動いただけで避けてしまう。
「仲間のことも考えてもらいたいな」
ルークレイルが避けざまに膝蹴りを放つ。
「ぐっ」
チンピラBが地を這う。その間もAの方は動けないままだ。
「さて、服を脱いでもらおうか。下着はけっこうだ」
こうして調達された服はチェスター王子へと届けられた。
「どうやって手に入れたんだ?」
聞いても答えない。
「まあ少し薄汚れてはいるがサイズはぴったりだろ? 苦労したんだ。楽しんで来いよ」
ルークレイルが笑った。これでお役ご免だ、とばかりに部屋を出て行く。
「良いのか?」
チェスターは村上に聞いた。
「もちろん。ちゃんと帰ってきてくれさえすればね」
「こんな所にいても退屈だからな。んじゃ、行ってくるか」
村上の導きでこっそり外に出たチェスターは、言われた通り市場へと向かった。
同じく、レモンに言われて市場へ向かっていたエルヴィーネは、目的のニンジンを手に入れていた。袋一杯に。
「これは買いすぎね」
一人でクスクスと笑う。レモンの驚く顔が見物だった。きっと、「誰がこんなに買って来いっていったのよ。あたしは馬じゃないんだからね」とか言って地団駄を踏むのだろう。エルヴィーネはその様が楽しく思えて仕方がない。レモンたちは一生懸命にいじめようとしていたが、エルヴィーネには余裕があった。その気になればいじめ返す力さえあった。そうしないのはこの状況が楽しかったらからだ。年端もいかない子供にいじめられたり、リカと言い合ったり、ウサギと追いかけっこしたり。
「今度はどんなことをしてくれるのかしら」
ただ、あのケーキだけは勘弁、だと思った。
「まさかただのケーキにあんな力が籠もってるだなんてね」
レモンが半日で復帰したのは薬の力と言うよりも自身の力だろう。思い出してエルヴィーネはまた青ざめてしまう。
そんなことを考えながら歩いていたからだろう。角を曲がった時に誰かにぶつかってしまった。
「いたっ」
「いてぇ」
出会い頭だったので、咄嗟に謝った。
「すいません、私の不注意で……あら?」
「いや、俺こそゴメン……って、お前……」
ぶつかったのはチェスターだった。冒頭の暗闇でお互いの顔は知っている。だが、それはいけないのだと二人の本能が告げていた。
「……えーと、すいません」
困ったエルヴィーネはとりあえずまた謝った。
「いやいや、なんつーか……俺の方こそ」
チェスターも謝っておいた。二人とも話すきっかけがつかめない。お互いに見つめ合っている内にチェスターが地面に落ちたニンジンに気が付く。
「お使い?」
「え? え、ええ。そう、お姉様に言われて」
それをきっかけに二人の会話が始まった。
「姉ちゃん、ニンジンが好きなんだ?」
「ええ、ウサギの化身ですわ」
「はは、何だそれ」
チェスターが笑った。もちろん、レモンのことだと分かっている。だが言い出せない何かの力が働いていた。
「貴方は? なぜここに?」
チェスターは言葉に詰まった。城から逃げ出して、何て言えない。
「……っと、腹が減ったから、かな」
そう言ってみるとお腹が空いたような気がする。お腹をさすっているとエルヴィーネが笑った。
「そうなの。私、チョコレートなら持ってるわ」
大量にニンジンを買ったおまけで、市場のおばちゃんがくれたものだった。それをチェスターに渡すと、彼がそれを見つめて半分に割る。
「じゃあ、半分こな」
そうやって放る。それを受け取ると、エルヴィーネの胸の辺りがほんわかと温かくなる気がした。
「ありがとう」
「いや、そりゃこっちの台詞だぜ」
お互い笑い合う。
「俺、チェスター。チェスター・シェフィールド。よろしくな」
チェスターが自己紹介する。それに釣られてエルヴィーネも「私はエル……」と言いかけてそれでは拙いことに気が付いた。
「……私はシンデレラ。よろしく」
それから二人でチョコレートを食べる。仲良く半分ずつ。
食べ終わると自然に別れの時間が来る。エルヴィーネもお使いを頼まれていたし、チェスターも長い時間城を空けるわけにはいかなかった。
「また会えると嬉しいわ」
別れ際にシンデレラが惜しんで言った。
「そうだな……ま、たぶん会えると思うぜ」
チェスターが請け負う。この時、彼の頭の中に一つの考えがまとまっていた。
「それじゃあ」
「じゃあな」
そう言って二人は別れた。
その裏では、一人の男が苦労をしていた。
ルークレイルである。
「ちくしょう、俺の服、どこ行ったんだ」
チンピラAである。彼は奪われた自分の服を探して、チンピラBと一緒に辺りを探し回っていた。服はすぐに買ってきたのだが、自分の気が収まらない。
そこに見つけたのがチェスターであった。
「あ、あれは!」
チェスターはシンデレラと話し込んでいて、二人の存在に気が付いていなかった。
「人の服着て女としけ込んでやがる。おい相棒、やっちまおうぜ」
「おう」
チンピラAとBは勢い込んで駆けていく。その首根っこを引っ張ったのがルークレイルであった。
「用があるのはこっちじゃないのか」
そう言って駆け出す。
「てめぇ、待ちやがれ!」
「きさま!」
AとBが追いかける。ルークレイルは市場へ向かった。人が多くて混雑しているため、追いかけにくいと思ったのだ。
「仲間を呼んでくれ」
AがBに頼む。Bはそこらの酒場に入り、たむろっている仲間を呼び集めた。
チンピラAとBCDEFGHIJの十人は、ただルークレイル一人を追うために市場へと分け入った。
「おっと、仲間を呼んだな」
ルークレイルはあくまで冷静だ。地理には詳しくないが、十分に逃げ切る余裕があった。
ルークレイルは市場の混雑している方へと向かう。チンピラたちは一列に連なって追いかけていたが、その内にバラバラになって先回りを決めた。
「お前は向こうから、お前はこっちだ」
チンピラAがリーダーとなって、全員に指示を出す。ルークレイルは確実に追い詰められていた。
彼が走っていると、前方にもチンピラが現れたのが分かる。脇道に入る。するとその先にも。
「くそっ、戻るか」
しかし、そちらにもチンピラは現れた。
「ふん、数で勝負か。チンピラの考えそうなことだ」
するとルークレイルは地面を蹴って跳ぶ。脇道は二つの家に挟まれた狭い路地だった。次々に壁を蹴っていったルークレイルはあっと言う間に屋根の上に登ってしまった。
「汚えぞ!」
下からチンピラたちの声がする。
「捕まってたまるか」
そう言って屋根の上でルークレイルはロケーションエリアを発動させた。彼のロケーションエリアは「方向音痴」である。それに巻き込まれたチンピラたちは、見る間にルークレイルを見失い、あらぬ方向に歩き始める。
「これで、大丈夫だろう」
そう言ってルークレイルはシンデレラの家へと向かい始めた。
★★★
エルヴィーネが家の扉を開ける。
「ただいま」
「おかえりなさい」
ガルムが出迎えて来て、ドレスの裾を踏んづけて転んだ。
「あらあら、大丈夫かしら?」
問いはするが、手を差し伸べようとはしなかった。
「うぅ、痛いよぉ」
鼻を押さえる。ちょっとだけ涙ぐんで、それからガルムは話し始めた。
「えっと、シンデレラ。たくさん仕事があるんだからね。あのね、縫い物と……晩ご飯も作ってもらうし、洗濯もしてもらうんだからね」
一気に、しかし辿々しく言い放つ。
「洗濯……?」
エルヴィーネが睨んだ。
「うう……でも、レモンさんが……」
そこでレモンが現れる。
「お母様、言い負けてどうするのよ。シンデレラ、良い? あたしのマッサージもしてもらうんだからね」
リカも現れる。
「ほらほら、急げってお母様が言ってるわよ」
スパッとナイフを打ち放つ。それはエルヴィーネの頬を掠めてドアに突き刺さる。
プシュ、頬から血が迸った。
「うわぁ、大変だ」
ガルムが驚いてオロオロする。
しかし、血は空中に静止し、生き物のように蠢いた。
「三人がかりはちょっと面白くありませんわね」
ちょっと機嫌を損ねたらしい。エルヴィーネは血をリカに向かわせる。リカはその血に対してナイフで対抗する。しかし流体である血液はナイフの一撃では遮ることができない。
「正体現したわね」
「ふん、私はいつでも変わりありませんわ」
リカがナイフを連続で放つ。それはエルヴィーネのあちこちに傷を作るが、それは彼女にとって武器を作ることに他ならない。
今やエルヴィーネは血の化身となり、複雑に絡み合う血の触手をくねらせてリカを牽制する。
一触即発! その時、ルークレイルが間に入ってくる。
「待て! まあ待て。喧嘩も良いが同じ事件に巻き込まれた仲間だ。ここは一つ穏便に行こうじゃないか」
ルークは二人を睨み付けた。
「あたしも、喧嘩はあまり好きじゃないわね。それに……ほら」
レモンが控えめに口を挟む。指を差した先で、ガルムが泣いていた。
「ひっくひっく。喧嘩しちゃ嫌だよぉ」
気まずい空気が流れる。エルヴィーネが血を収める。リカもナイフを懐に入れた。
「……縫い物は?」
エルヴィーネがガルムに問う。しゃくり上げていたガルムは、その言葉に従って顔を上げた。
「……これ」
布を差し出す。
「これ……私のドレスじゃない……馬鹿ね」
クスリとエルヴィーネが笑う。
「あ、ボク間違えちゃったよ」
ガルムが照れた。レモンが「ガルムらしいわね」と笑う。リカも笑みを浮かべていた。ルークレイルはほっと胸を撫で下ろす。
「魔法使いも一苦労だな」
その後、エルヴィーネは大人しく料理と洗濯をこなした。
ガルムも手伝った。レモンは隣でニンジンを頬張っていた。
「早くしなさいよ」
ルークレイルも、魔法使いなので手伝っていた。
「まったく、何で俺が」
「文句は言わない約束ですわよ」
ルークレイルが作った約束だった。物語を最後まで終わらせるため、喧嘩はしない、文句も言わない。自分の役をちゃんとこなす。
その翌日だった。お城からお触れが出たのは。
「聞いた? リカさん」
「ええ、お姉様。お城で舞踏会をやるそうよ。町中の若い娘は参加するようにって。王子様にアピールするチャンスね」
「ふっふっふ、私がお姫様だわ」
レモンが不敵に笑う。
「わたしが主役なんだからオシャレしなくっちゃ」
リカはやる気満々だ。さっそくシンデレラに服を用意させようとする。
「いい、最上の服を用意しなさいよ」
ピッ、とナイフを放つ。もはや条件反射だ。エルヴィーネは足下にナイフを突き刺され、慌てて二階へ上がっていった。笑いながら。
お城では、チェスターが村上に話しかけられていた。
「どういう風の吹き回しだ。自分から舞踏会を開くなんて、言いそうになかったが」
チェスターは市場から帰ってきてすぐに王に舞踏会を開く旨を説明した。王はすぐに乗ってきた。着々と準備は進められ、今日のお触れとなったのだ。
「ちょいと良いことがあったんでね。お芝居に乗っても良いかな、って思ったんだ」
「なるほど、何があったかは知らないが、良い兆候だ。どうやらこの物語もようやく終盤に向かうことができるようだな」
チェスターは王子の椅子に座っていた。そこで思うのは、市場であったあの女の子のことだった。名前を聞くことさえ忘れてしまっていた。彼にはこうした方法を取ることしかできなかったのだ。
その女の子であるシンデレラは、悩んでいた。
「私も舞踏会に出たいわ」
「出ればいいじゃないか。別に許可がいるわけでもなかろう」
ルークレイルが冷たく言う。
「でもそれにはドレスが必要よ」
彼女の服は、レモンに奪い取られたままだったのだ。
「ふん、そう言うと思ってな。すでに用意してある」
階下ではレモンとリカが着飾っていた。レモンは特にサイズに気を遣っていた。今回は奥の手を出すつもりらしい。
リカはド派手なピンクの、しかもフリフリのドレスだった。はっきり言って全然似合っていない。
ガルムはそんな二人を誇らしげに見ていた。自分も付き添いとして参加するつもりだった。
「お姉さんたち綺麗だよ」
ガルムもまた、ちょっとピントのずれた子だった。
舞踏会は夜だった。今は夕方、日暮れ前の時間だ。
レモンとリカが準備を終え、出かけようとしていた。
「じゃああたしとリカさんは行ってくるから。シンデレラはお留守番ね。ご苦労様」
レモンの嫌みに、エルヴィーネは手を振って答えた。
「ごきげんよう、お姉様。楽しんでらっしゃいね」
機嫌が良い。レモンも一瞬引いてしまった。
「うっ、何その反応は。調子狂うじゃない。まあ良いわ。行ってきます」
「ちゃんと留守番しておきなさいよね」
「はいリカお姉様」
素直だ。
「何か変ね。何か隠してない?」
「いいえ、何も。王子様と素敵な恋ができると良いですわね」
「あら、ありがとう。やっと認めたのね、わたしが主人公だってこと」
「お姉様には敵いませんわ」
「ごめんなさい、シンデレラ。じゃあ行ってくるね」
「お母様も楽しんできてね」
「ありがとう」
そうやってエルヴィーネと三人は別れた。
静まりかえった室内にカツカツと靴音が響く。ルークレイルだった。
「さあ、シンデレラ。魔法の時間だ」
「ええ」
必要なのはドレスとガラスの靴と馬車だった。
これを手に入れるためにルークレイルは一つの犯罪組織を壊滅に追いやった。その報奨金によってドレスと馬車を手に入れたのだ。馬車はレンタルだが、ドレスとガラスの靴は本物だ。
「馬車は表に用意してある。レンタルの時間は十二時までだ。それを超えると延滞料金がかかるからな。それを払うだけの力は今の俺にはない。何しろドレスでほとんど使ってしまったからな」
そのドレスは黒を基調にした上品なものだった。薔薇にも例えられそうな、壮麗な衣装だった。そしてガラスの靴は滑らかにできた、素晴らしい一品だった。
「まあまあのドレスですわね。靴は素敵だわ」
エルヴィーネはそう評価した。俺が苦労して手に入れたものを、と思いはしても口には出さないルークレイルだった。
何しろ彼の出番はこれで終わり。後は終わりを待つだけなのだ。正直今回は苦労ばかりが多かったのでホッとしている。
するとそこでエルヴィーネが言った。
「装飾品はどうなさったの?」
「へ?」
ルークは間の抜けた返事をした。
「へ、じゃありませんわよ。ドレスにガラスの靴だけ? 盛装にはそれなりの装飾品が必要なことくらい分かりませんの?」
彼女の言うことももっともだった。しかし、ドレスで精一杯で、そんなことに気が回らなかったのだ。
「す、すまん。忘れていた」
「仕方がありませんわね」
言うと彼女は指先に傷を作り、魔法陣を描く。台所から薪を数本持ってくると、魔法陣の中に放り投げる。すると円形のその中央から現れたのは、豪華なダイヤのネックレスだった。超圧縮の魔法により、炭の炭素原子が緊密に連結され、ダイヤを作り出したのだ。
「……おまえ、魔法が使えたのか?」
「言いませんでしたっけ?」
ルークレイルががっくりと肩を落とした。
「俺の苦労は何だったんだ」
「ご苦労様でした」
クスクスとエルヴィーネが笑う。からかわれていたのだと分かった。
「そんなことより魔法使いさん。月が見えないようにしてくださらない? その方が星空がよく見えて良いと思うのだけれど」
しかし、その願いが叶えられないことくらい、エルヴィーネにも分かっていた。
「そんな大それたこと、俺よりもおまえの方が可能だろうよ」
しかし、弱点である月を隠すことは、彼女自身にはできなかった。
「そう、それなら良いんですの。私、日傘を持って参りますから」
その事情を知らないルークレイルは、ただ首を傾げるだけだった。
「夜なのに、日傘か?」
「ええ、私、月は嫌いですの」
着替えたエルヴィーネは馬車に乗り込んだ。白く丸いその馬車は、城まで一直線に向かっていった。
★★★
その夜、城は真昼のように明るく輝いていた。たくさんの人間が出入りし、その喧騒は一キロ先まで聞こえるほどだった。
空には丸いお月様。その月から出てきたかのように、レモンは馬車から降りたった。
「月のウサギも祝福してくれてるわ」
レモンは上機嫌だった。遠くから見える明かりが、段々と大きくなっていったその時から。彼女は王子様に会うのが楽しみだったのだ。
「ふっふっふ、お姉様、残念ですけど主役はわ・た・し」
リカがしなを作りながら降りてくる。その姿はとても目立っていた。フリフリのどピンクドレスは、周りのものを引かせていた。だがそんなことに彼女は気付かない。見えるものは王子様ただ一人なのだ。もはや狩りだと言っても過言ではないだろう。
「二人とも頑張ってね」
ガルムは後ろから応援していた。馬車から降りようとして、また裾を踏んづける。
「イタタ」
また鼻を打った。
「大丈夫? ガルム。気をつけなさいよ」
「はーい、あたたた」
鼻を押さえながら二人の後ろに着いてくる。ガルムも周囲のざわめきが楽しそうで、何だか嬉しくなる。
大広間はすでにたくさんの人で賑わっていた。壁際には立食用のブッフェが用意されている。レモンは真っ先にそこに向かいそうになる心を抑え、広間の中央を見る。そこには踊る数組の男女がいた。そして、その向こう側には即席の玉座と王子の椅子が用意され、王と王子……チェスターが座っていたのだ。
「あれが王子様ね」
レモンとリカが獲物を狙う目で彼を見つめる。それを受けて、チェスターは寒気を感じていた。
「なんか寒気がするんだけど」
隣にいた村上が声を掛ける。
「大丈夫か、こんな所で風邪を引くなよ」
両腕を抱えるようにして周囲を見回す。特殊な事情により、レモンとリカ、ガルムの存在には気付かないようになっていた。
「ちょっと体を温めてくるよ」
チェスターがそう言って椅子から降りてくる。その姿に会場の溜息が漏れる。
「あ、王子様が降りてくるわよ」
そう言うレモンを押しのけてリカが前に出る。
「ふふん、王子様もわたしの魅力にメロメロね」
娘たちを押しのけてリカが王子様の前に出る。
「……」
しかし、チェスターはあえて無視した。怪しかったからだ。
「……王子様?」
「……」
「王子様ったら」
「……」
スパン! ナイフがチェスターの耳元を駆け抜ける。
「うおっ」
飛び退くチェスター。思わずリカを見ると彼女は余裕の表情でウインクを決める。魔眼に魅入られたように、チェスターはリカの手を取る……じゃなくて手を取られる。
「踊りましょ」
ダンスが始まる。格好は怪しいが、リカのダンスは確かなステップを踏んでいた。チェスターをリードするその足下は華麗で繊細だった。
「上手いんだな」
チェスターが褒める。リカは「当たり前でしょ」と得意顔だ。
二人のダンスに周囲も吐息を漏らす。ガルムは「お姉ちゃんすごいすごい」と喜んでいる。
一曲が終わり、リカが笑顔を見せる。チェスターはその表情が心に残った。カッコいい、と素直に思ったのだ。
続いて彼の前に現れたのはレモンだった。
「王子様、よろしくね」
「よろしく、と言いたいところだけど……」
王子とレモンでは背の高さがあまりに違った。
「うっ」
チェスターの表情を見たレモンが汗をかく。しかし、彼女はそれで負けるような女ではなかった。
「なんの、セイント・ラビット・チェーンジ!」
叫び声と共にレモンが光に包まれる。象られたウサギの形が徐々に人間のそれへと変化していった。
「うおおぉぉっ」
チェスターの咆吼の前で、レモンは人間形態へと変化した。
「これでどう?」
リカとはまたタイプの違う可愛さを持った女性へと変貌を遂げる。大きな瞳はチェスターを呑み込んでしまうかのように見つめていた。
「文句……ないです」
周囲のものはそれを手品だと思ったのだろう。特に問題にはしなかった。チェスターは人間化したレモンの手を取ってダンスを踊り始める。が、ここでも問題が。彼女は不器用だったのである。
「いてっ」
「ご、ごめんなさい」
何度も足を踏む。ステップはステップにならず、そのぎこちなさに周りから失笑が漏れた。
「ううっ、く、悔しいわね」
せっかく人間化したというのに、すごすごと壁の花になってしまう。
「お姉様、わたしの勝ちね」
「あたしの方がインパクトあったわよ」
リカとレモンが言い合う。ガルムは二人を見て、「どっちも可愛かったよ」と褒めちぎる。
その脇を、通り抜けていく者がいた。
エルヴィーネ……シンデレラだった。
三人の前を通り抜けていったにも関わらず、誰もそれがシンデレラだとは気が付かなかった。
エルヴィーネは物言わず、会場の中央へと向かっていく。
ほお、とその姿を見たものから溜息が漏れる。それほどの美貌と、豪華な衣装を彼女は身につけていたのだ。
「あれは……」
チェスターはその姿に騙されなかった。
「市場で会った……」
一目であの時の少女だと見抜いたのだ。
王子はシンデレラの方へ近付いていった。
それを見て、レモンとリカが悔しがる。
「何よあの小娘……」
リカがナイフを用意する。
「ちょっと待って……あれ、シンデレラじゃないの?」
レモンが気付く。
「え? 本当だ。シンデレラ!」
リカの声が響く。シンデレラ、シンデレラと会場にその名前がこだまする。
「シンデレラ?」
チェスターが問いかけた。
「ええ」
エルヴィーネが頷いた。
二人は自然に手を差し出し合い、ごく当たり前のようにステップを踏み出した。
微笑みが漏れる。可愛らしい二人の姿に、会場が拍手で包まれる。
「何よあれ! あれじゃあたしたち噛ませ犬じゃない」
「主役の座はわたしのものよ」
レモンとリカが愚痴る。それを見て、ガルムはここが自分の活躍の場だと感じた。
「よーし、鳥と猟犬」
彼が声を出すと、掌から黒い液体が溢れ出す。それは床に垂れ、いくつかに分散した。
その内の一つは犬の姿に、もう一つは鳥の姿に変化していく。
「シンデレラと踊りたければボクを倒していくんだね」
ガルムの裏の性格が表れる。能力を使うことで彼は冷酷な一面を見せる。猟犬と鳥がチェスターへと襲いかかっていく。
「なんだ? くそっ、こいつら」
猟犬に手を噛まれてチェスターがたじろいだ。しかし引いたのは一瞬で、次の瞬間には魔物狩りとしての彼が表に現れる。
懐から銃を取り出したチェスターは精神力を込め、猟犬に向けて撃つ。
ガン、鈍い音をさせて猟犬の頭に穴が空く。
しかしそれもすぐに塞がれてしまう。
次はエルヴィーネの番だった。高速創傷で指先に傷を作り、十指から血の鞭を迸らせる。
「散りなさい!」
鞭がしなる。それは鳥を六つの断片に切り裂いた。今度は再生しない。
「どうやら粉々にするしかなさそうですわ」
シンデレラの声にチェスターが頷く。お互い背中合わせになり、猟犬と鳥を打ち砕いていく。
「ちょっと、あれじゃ仲良くなってるじゃない」
「見事な連係プレーね」
レモンがぼやき、リカが感心する。
その前を、誰かがまた通り過ぎようとしていた。
「ちょっと待った」
レモンがその肩をつかむ。
ルークレイルだった。捕まれた瞬間、彼の懐からゴトンとダイヤが落ちる。
「何やってるの?」
リカが問い詰める。レモンは察していた。
「あんた泥棒やったわね」
「人聞きが悪いな。トレジャーハンティングと言ってくれ」
「城から盗んだら泥棒でしょ」
「今回俺は苦労してるんだ。これくらいの報酬は必要だ」
「どうせ持ち帰れないわよ。冒頭で村上が言ってたでしょ。これはお話、現世に戻れば全てが泡に帰るわけよ」
リカが手を広げて笑う。ルークレイルが溜息をこぼした。
「分かってはいたんだがな」
懐からはまだまだ出てくる。金の延べ棒やネックレス、指輪などなど。
「馬鹿らしいことしたわね」
レモンはつかんだ肩をさらに強める。
「それより……なんでシンデレラにだけあんな豪華な服を用意したのよ。あたしにもよこしなさいよ!」
肩を揺する。ガクンガクンと揺れるルークレイルは「そんな無理を言うな」と震えながら話している。
その間にも、ガルムの猟犬と鳥は薙ぎ倒されていった。ガルムは次々に鳥を生み出していったが、生産が追いつかないほどに二人のコンビネーションが良くなっている。
「お姉ちゃんたち、もう保たないよ」
ガルムが泣き言を言う。
「ふざけんじゃないわよ、もっと頑張りなさい」
「ガルム、ファイト」
レモンとリカが応援する。
その時、鐘が鳴った。
「あっ」
ルークレイルが叫ぶ。
「シンデレラ、十二時の鐘だぞ」
言われてエルヴィーネがルークの方を向く。
「仕方ないわね。魔物狩りの王子様、今日はここでおしまいね」
そう言い残して、エルヴィーネが駆けだした。鐘が鳴り終わるまでに馬車に戻らないと延滞料金を取られてしまう。
「待てよ、シンデレラ!」
チェスターが呼び止める。その声に一瞬シンデレラが振り向いた。
その時、彼女がバランスを崩した。
「あっ」
その途端にガラスの靴が片方脱げてしまう。シンデレラはそれを拾おうとするが、そこにルークレイルが声を掛ける。
「シンデレラ、時間がないぞ!」
立ち止まったシンデレラがまた走り出した。階段を駆け下りて馬車に乗ってしまった。馬車はチェスターの制止の声も聞かずに出て行ってしまう。
「シンデレラ……」
残されたガラスの靴を、チェスターは手にした。その視線は、シンデレラの去った方角を向いている。
「必ず見つけるからな、シンデレラ」
チェスターは決意を新たにした。
★★★
翌日から、王子はガラスの靴が履ける人物を捜して国中を回った。
そして、当然シンデレラの家にも王子たち一行はやって来る。
「この家にガラスの靴の履ける女性はいないか」
村上が家来の役として声を上げる。
「あたしあたしあたし〜〜〜!」
レモンが真っ先に手を挙げる。
「んがぐぐ」
履こうとした。頑張って履こうとした。しかし、哀しいかな彼女はウサギの足だったのだ。
「ガルム! 暖炉の火を焚きなさい! この靴溶かして整形し直すわよ」
「はい、お姉ちゃん」
「こらこら、止めなさい」
村上が止める。
「くっそ〜〜! 何で履けないのよ。このままじゃ主役を奪われちゃうじゃない!」
そこにリカが現れる。
「やっぱり主役はわたしね」
優雅に椅子に座り、足を組む。そして靴を履こうとして、足のサイズが大きくて入らない。
「あれ? おかしいわね。この靴、縮んだんじゃない?」
「ガラスは縮みませんよ」
村上が冷笑する。
「殺すわよ、ファッキンボーイ」
ナイフが飛ぶ。村上の額に当たり、傷を作るが一向に気にする様子はない。
「痛いなぁ。さあて、脇役はどいてくれ。主役の出番だぞ」
奥の部屋からエルヴィーネが出てきた。後ろにはルークレイルもいる。
「さあ、頑張れ、シンデレラ」
何だかルークも応援する気になっていた。苦労はさせられたが、シンデレラの物語も悪くないと思い始めたのだ。
エルヴィーネが靴を受け取る。
「君が……あの夜の……?」
チェスターにも面影があった。ゴクリと唾が鳴る。
「あら、手が滑ってしまいましたわ」
エルヴィーネはガラスの靴を放り投げた。
床に当たり、粉々に砕け散る。
「わああぁぁぁぁ!」
村上が叫ぶ!
そして、舞台は暗転する。
「何てことしてくれるんだ!」
村上がエルヴィーネに向かって怒鳴った。
「元に戻れなくなるところだったじゃないか」
「え?」
「何ですって?」
「ええっ!」
レモン、リカ、ガルムが驚く。
「そんな馬鹿な!」
「嘘だろ?」
ルークレイルとチェスターが叫ぶ。
だが、と村上は言った。
「間一髪、物語は終わりを迎えたようだ。ご苦労様、おかげで元の世界に戻れるよ」
段々と周りが薄明るくなっていく。景色は元の聖林通りを映していた。
「それとも、物語の中で幸せに暮らしたかったかい?」
村上が問う。
誰も、答える者はいなかった。
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クリエイターコメント | お待たせいたしました。 シンデレラ、完結です。 今回は皆さんのプレイングを十分に反映できなかったことを謝罪いたします。 私の力不足です。 しかしながら、私自身は楽しく作業させてもらいました。 このプレイングも入れたい、あのプレイングも入れたいと悩みながら、しかし物語は進んでいく。 時間よ止まれ、そう願いました。 村上の最後の問いは、私自身に対する問いでもあります。 できれば、この楽しい物語の中で永遠に過ごしたかった。 でもそうはいかないのが物語と言うもの。 少しでも皆さんに楽しんでいただければ幸いです。
登場人物の言動や行動に問題がある場合はいつでもお申し付けください。変更いたします。
それでは、次の物語で会いましょう。 |
公開日時 | 2008-09-02(火) 01:00 |
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