★ Seeing is believing ★
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
管理番号589-7138 オファー日2009-03-19(木) 00:17
オファーPC 香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
ゲストPC1 シグルス・グラムナート(cmda9569) ムービースター 男 20歳 司祭
<ノベル>

 この街は、様々な人種が溢れている。動物が喋ったり、明らかに死体と思しき存在がにこやかに過ごしていたり。馴染むまではいちいち驚いていたが、最近ではそれが「当たり前」なのだと受け入れるようになってきた。
(順応が早いのは、この街の特性か?)
 警戒心はないのかと問いかけたいことはないではないが、すべてを受け入れてくれる世界は胸に痛かった。
 ここなら。ここなら彼女だって、きっと楽に息をできたはずだ。
 彼がしようとしていた──否、彼女にとっては既にしたこと──は、間違っていたのだろうか。一生を共にする事ができないからと、知らず諦めていたのは確かだ。彼女を庇えるならそれだけでよかったし、後先を考えずにそうする覚悟があったから実行に移したのだろう。
 ここにいる彼にとっては、まだ為していない未来。けれど彼女にとっては、忘れる事もできないほど酷い遠すぎる過去。
 彼女の手を取って逃げ、こんな風にすべてを受け入れてくれる場所まで一緒に逃げればよかったのか……。
 またぐるぐると考え込みそうになっている自分に気づき、シグルスは慌てて頭を振った。
 彼が足を向けるのは、あの懐かしい森ではない。そこに行けばひっそりと暮らしている彼女の小屋に辿り着く、あの暗くも明るい獣道ではない。
 このところ銀幕市を騒がせる事件を起こしているのは、魔女だと聞いた。銀髪の魔女、そう聞いてシグルスの脳裏に浮かぶのはただ一人。
(あいつが事件なんて、起こすはずは……)
 ないと断言したいのにできない、この街にかかった魔法の不安定さも知っている。仮に実体化しているとして、元の彼女のままである保証はないだろう。
 実体化していないという可能性もあるにはあるが、彼女もこの街に存在しているはずだと半ば確信している。市役所で何度調べても名前はなかったけれど、それでも案外近くにいるように思うのはただの願望だけではないと思う。
 それに、とひどく近い記憶を思い起こす。
 つい先日この街で受けた依頼で、しばらく行動を共にしたフランス人形。彼女が召喚した精霊には、覚えがあった。
 この街にはエルーカ以外にも精霊を扱える人間はいるようだが、まさかそっくり同じ精霊を召喚できる者はないだろう。ならばあの精霊を召喚できるのは、きっと彼の知る彼女だけ。
 そう確信して真面目に探しているのだが、ようやく得る事ができたのは今回の不吉な情報だけ。
(もし、本当にあいつだったら?)
 何故事件を起こすのだと問い詰めるのか。必要とあれば彼も手を貸すのか。刺し違えても止めるべきか。
 ぐだぐだとまた煮詰まりそうになりながら銀の魔女がいると言われている場所へと走っていたシグルスは、ぽつりと彼女の名前を呟いて祈るように目を伏せた。
「何でもいい。そんなの後で考える。今はただ……、──逢いたいんだ」
 逢いたいから、走る。あの頃みたいに。あの時みたいに。
 誰に何と呼ばれて恐れられていようと、シグルスにとって彼女の意味は変わらない。


 ふわり、と銀の髪が視界の端で揺れた気がした。
 まだ魔女がいると聞いていた場所まで距離はあるが、この付近ならいても不思議はないだろう。慌ててシグルスが顔を巡らせると、銀の軌跡は彼から離れていくところだった。
 咄嗟に呼びそうになる名前を堪えて追いかけると、からかうように少し先で銀が揺れる。むきになって追いかけたがしばらく先で見失い、肩で息をしていると上からくすくすと笑う声が聞こえてきた。
 はっと顔を上げると、中空で椅子にでも腰掛けるように膝を組んでいる「魔女」を見つけた。
(あいつじゃ、ない……)
 事件を起こしているのが彼女ではなかったという安堵と、それを上回るほどがっかりしている自分に気づく。顔に出そうな落胆を隠したくて俯くと、笑いながら前に降り立った魔女が覗き込んできた。
「さっきから熱心に追いかけてくれたけれど、何かご用?」
「いや……、悪い。人違いだ」
「そう。そんなにがっかりした顔を隠せないくらい、会いたい人なのね? ……妬けるわ」
 冷やかすように、揶揄するように語尾を上げた相手の顔を見ていれば、もう少し素早く対応もできたかもしれない。けれどシグルスは魔女の指摘に唇を噛み締めて殊更視線を逸らしていたせいで相手が本気で腹立たしげに顔を歪めているのに気づけず、ちりっとロザリオが鳴ったような気配でようやくはっと顔を上げた。
「他人のものなんて大嫌いっ。でもあなたを奪われたら、相手はどんなにいい顔で泣いてくれるかしら」
 そのためだけに魂ごと頂戴、と、魔女が弓形に口許を歪めた。咄嗟に庇いきれないほどの力が紡がれていくのが分かり、服の下になっていたロザリオを引き出してどうにか結界を張る。
 どうにか魔女の力を相殺させて周りに被害を出す事もなくすんだが、彼一人を殺すのにどこまで巻き込む気だったのかと問い詰めたいほどの力だった。
「おまえ、」
 何を考えていると怒鳴りつけかけたシグルスは、銀髪の魔女が自分の手許を凝視しているのに気づいて言葉を止めた。彼女とは似ても似つかない赤い瞳は彼のロザリオを睨みつけた後、シグルスを憎々しげに睨みつけてきた。
「お前も私を退治に来たのか……、異端の魔女と責め立てに来たのか!」
 それは多分、魔女が意図したよりもシグルスに突き刺さった。
 退治に来たつもりはなくても、「魔女」にとって教会の関係者はここまで憎悪の対象だ。それだけの仕打ちを、「魔女」というだけで受け続けてきたのだと分かる。
(あいつも……、そう思ってたのか?)
 司祭になったと自慢げに話した、あれはただ彼女を追い詰めていたのだろうか。そんなつもりはなかったなんて言葉が、どれだけ薄っぺらか。
 対峙している魔女から向けらる、その感情だけで思い知る。
「殺してやる、惨めに縋って神を呪いながら死ぬまで甚振ってから殺してやる!」
 叩きつけられる言葉に反論の余地はなく、かといってここで死んでやる理由にはならない。魔女に彼女を重ねて激しく胸は痛いけれど、実際の彼女でもない相手に生命までは差し出せない。
(あいつにも殺されてやるわけにはいかないのに、こんなところで)
 死ねるはずがないとロザリオを握り直して祈りを紡ごうとしたところを、甘い声が耳を掠めた。
<我らが父に逆らう愚かは哀れだ、その手で浄化してやるがいい>
 慈悲を、と、囁く声を確かに聞いた気がした。けれどそれを耳にしたからこそ、余計に攻撃などできないと決心を固めてただ身を守る結界だけを張った。
<御子よ、慈悲を示せ>
「煩いっ。こんなところで死ねなくても、相手の言い分も聞かずに浄化なんてできるわけないだろ!」
 聞こえるそれが幻聴だとしても、自分の内なる声だとしても。それだけは絶対にしないと叫ぶような宣言は、魔女の気分は逆撫でしたらしい。かなり強固に張ったはずの結界にびしりとひびが入り、砕かれたと思った時には意識が白く飛んでいた。



 香玖耶は対策課から依頼を受けて、「魔女退治」に向かっていた。しかも聞いた話によると、その魔女の髪色は銀だという。我ながら自虐的だと思わないではないが、その魔女は他人の大事な物を奪うのが好きらしい。最初は子供の玩具やお菓子ですんでいたのが次第にエスカレートして、人死にまで出た数日前、ついに本格的な依頼となったようだ。
 その時の被害者はムービースターだったらしく、同じく実体化していた恋人の前に切り刻まれたフィルムが送りつけられてきたらしい。
(なんて惨い事を……)
 話を聞いた時から変わらず憤りながら、香玖耶は魔女が根城にしている屋敷に向かっていた。今こうしている間にも被害が出ているかもしれない、少しでも急がなくてはと走るような足取りで向かっていると、カグヤ、と呼ばれた気がした。
 彼女は日本に来てから、自分の名前に漢字を当てた。実体化してからは尚更、彼女の名前をそんな風に発音する人は少ない。
 それに、その声には聞き覚えがありすぎた。彼女の名前をそんな風に呼ぶ、たった一人。
「カグヤ」
 聞き間違いではない。空耳でもない。それは確かに空気を震わせて、彼女の耳に届く。
 いるはずがないのに。絶対にいるはずがないと、知っているのに。
 それでも僅かの不安を込めて振り返った先に、あまりに見覚えのある姿。
「カグヤ」
 呼びかけてくる声も、目の前のその姿も。記憶の中にある彼と、何一つ変わらない。
 ただ発音はともかく、その声に乗る色が違う。彼はいつももっと色んな感情を込めて香玖耶を──カグヤを呼んだ。だからあれは偽者だと思うのに、それでも目の前にある姿に揺らぐ。
 震える唇が、知らず彼の元になった相手の名前を紡ぎそうになるのを堪えるように噛み締めた。
 あれは姿こそ真似ているけれど、彼ではない。有り得ない。違うのだと教えるように頭の中で警鐘が鳴り、いつでも取れるように鞭に手をかける。
「どこの誰か知らないけど、悪趣味極まりないわね……っ」
 その姿を偽るのはやめてくれないと、啖呵を切る声が僅かに震えていると自分でも分かる。相手もそれに気づくのだろう、彼を真似た者がふうと嬉しそうに口許を緩めた。
「俺に会えて嬉しくないのか?」
 違う。違う、違う。
 彼であるならば、そんな表情でそんな事は言わない。きっと拗ねたように眉根を寄せて、けれどそれに気づかれたくなくて余計にぶっきらぼうに。まるで投げつけるみたいになら、そんな台詞も言ったかもしれない。
 分かっているのに。彼はどこまでも偽者だと、僅かな仕草だけで気づけるほどに近く過ごした。それが彼女にとってどれだけ遠い記憶でも、恐々と、とても大事に心の奥にあったのだから当たり前だ。
 だから頭では分かっているのに、理解しているのに、上手く狙いが定まらなかった。
「カグヤ」
 まるで子供を諌めるように、宥めるように。名前だけで嗜められるのは、よくあった。
「っ、やめてその顔でそんな表情をしないで、そんな風に気安く呼ばないで! 私は、っ、」
 堪え切れずに叫び出した自分が何と続けようとしたのか、分からない。ただようやく紡げるようになったはずの彼の名前が喉の奥で堰き止められていた頃のように、言葉がぷつりと途切れた。それ自体に、ひどく戸惑う。
 そんな場合ではないと周りの精霊たちが警告するように教えてくるのに、はっと顔を上げた時には偽者の司祭は息がかかるほど近く彼女に顔を寄せていた。
「アーメン。おまえに神のご加護がありますように」
 にっこりと、とても優しく微笑んだ「彼」は、祝詞と共に自分の胸に下げているロザリオを振り上げている。
 薄っすらと霧がかかったような空間に太陽が差し込み、何だか全体がきらきらしている。彼女の胸にあるのとは違う真新しい銀のロザリオが、陽光に反射して輝いた。
 よく知る彼の姿をした司祭が、太陽を背負い光を宿したロザリオを翳している……。

 ああ。なんて美しくも吐き気がする光景。かみさまは、どこまでも彼女を嫌っているらしい。

「────」
 彼ではない彼は優しく微笑んだまま、神の祝福を受けたようなロザリオを彼女に振り下ろした。



 ふっと意識が浮かび上がってきて、辺り一面が真っ暗なのを見つけた彼女は身体を起こすと真っ先に自分の身体を叩いて確かめた。
「無くなってない……、生きてる、のよね?」
 エルーカは生命を失うと、身体ごと精霊に食われるのが宿命だ。まだ確かに触れるということは、一先ず命拾いしたということだろう。
 ほっと息を吐き出した香玖耶は指先に硬い感触を覚えて服の上からなぞり、取り出したそれを握り込んだ。
 それは先ほど、彼女に振り下ろされてきたのと同じロザリオ。彼女と同じだけ時を重ねたせいで鈍く光を失ったけれど、彼女を支えてきた何よりの火。
 握り締めながら先ほどの姿を思い出し、あれはきっと今回退治依頼をされた魔女が彼女の記憶を覗いて見せた幻だったのだろうと考える。
(大切なものを壊したがるんだから、その大事な物を知る方法があるのよね)
 何とも悪趣味な話だが、元より性質の悪さは聞いていたはずだ。油断をした自分が悪いと反省してロザリオを握り締めた後、服の下に大事にしまった。
「さて、死んでないのはいいけど捕まったのは確かよね。どうにかここから脱出しないと」
 精霊は使えるかしらと確認しようとした時、誰かいるのかとどこかくぐもったような声が届いた。
 咄嗟に警戒して息を潜め、相手の気配を探る。何だか緩く重く纏わりつくような闇が邪魔をするけれど、害意があるならとっくに仕掛けてきているはずだ。同じく魔女に捕まった相手だろうと判じ、口を開いた。
「あなたも魔女に捕まった口?」
 できるだけ揶揄する口調で問いかけると、相手が苦笑したのが分かった。
「ご同類、って事だな。そっちも一人か?」
「ええ。あなたの他に人の気配もなさそうだし、今のところこの闇の中には私たち二人みたいね」
 でも一人じゃなくて心強いわと見えない姿に笑いかけると、相手がふと息を吐くように笑った。
「呑気なもんだな」
 苦笑と呼ぶには柔らかく、批難するほどにも声に棘はない。このどこか重い闇のせいか、相手の姿も声も分かり辛い。けれどその喋り方は、先ほどの偽者よりずっと彼を思い起こさせる。
(何でも結びつけて感傷に浸ってないで。まずはここを抜け出して、それからちゃんと仕返しはしておかなくちゃ)
 彼の姿を真似るなんて、許し難い所業だ。
「どうせなら、もっと完全再現しなさいよね」
 彼が本当に彼として、彼女を恨んでいるのなら。彼女を魔女として断じるのが彼ならば、いっそ──。
「何を再現するんだ?」
 分からなさそうに尋ねられたそれではっと我に返り、いけないと頭を振る。後にすると決めたばかりではないかと自分を叱咤して、ごめんなさいと見えない相手に謝罪する。
「ちょっとした独り言よ、気にしないで。それよりあなたは、ここがどこだか知ってるの?」
「さっきまで気を失ってたから定かじゃないが、俺の職業が気に障ったらしい。嬲り殺しにするそうだから、本拠地にでも運ばれたんじゃないか?」
 何だかどうでもよさそうにそう答えられ、香玖耶は見えないままも思わず呆れた目を向けた。
「あなた、人の事を言えないくらい呑気よね? 嬲り殺しにされるって、そんなに淡々と言う?」
「されてやるつもりはないからな。とはいえ、この闇から抜け出せないとまずいんだが」
 俺の力は無効化されているらしいと肩を竦めて答えたのだろう相手に、呑気すぎると額に手を当てて嘆きたくなる。
「もう少し慌てていいところだと思うわ、そこは」
「そうして慌ててよく失敗してた奴を知ってるからな。無駄に慌てないようにしてるんだ」
 揶揄する声の中に、僅かだけ優しい色を潜ませて。どこか懐かしそうに言われたそれに、ちくんとする胸を押さえながら溜め息混じりに言う。
「ご馳走様。でも惚気はここを出てからやってくれる?」
「っ、何の話だ!? 俺は別にそんなつもりは、」
 冷やかしに慌てて噛みついてくる相手に無理なく笑い、香玖耶は頭をぶつけないか確かめながら立ち上がった。
「相手は魔女なんだから、この闇がどれだけ広いかは分からないけど。ここにいてもしょうがないわ、出口を探して歩いてみない?」
 じっとしているのは性じゃないのと促すと、反論したげに憮然としていた相手の沈黙が変わった気がした。
「あの、からかいが過ぎた? ごめんなさい、怒らせるつもりはなかったんだけど」
「いや。別にそれはどうでもいい」
 悲しい事に慣れてるからなと答えた相手の口調は、どこか硬い。それ以外で機嫌を損ねるような発言をしたかしらと香玖耶が悩んでいると、溜め息が届いた。
「ひょっとして、おまえも同業者か?」
「同業?」
「シスターか」
「私が!?」
 思わず、冗談じゃないとばかりに語尾が上がってしまった。それを察したのだろう相手は、おやとばかりに少し態度を戻した。
「違うのか? 魔女を嫌っていそうな口振りだったから、そうかと思ったんだが」
「……別に、教会関係者のすべてが魔女を嫌っているわけじゃないでしょう」
 少なくとも、彼は違った。魔女を庇ってその生命を散らすほど、彼女を大切に想ってくれていた。
 一緒にしないでと知らず拳を作っていると、そうだなとどこかほっとしたような声が呟いた。
「魔女を異端と弾劾するばかりなんて、愚かすぎる」
 吐き捨てるようにして多分に同業者を切り捨てる相手を知りたくて、香玖耶は闇に目を凝らした。
「あなたは魔女を擁護するの、神父様?」
 からかうと呼ぶには幾らか真剣に尋ねたそれに、相手はしばらくだけ沈黙を抱えた。
「──それは、守り抜けた人間にだけ許される言葉だ」
 俺には相応しくないと小さく噛み締めるような声は小さすぎて、闇にも紛れそうだった。香玖耶がそれに反応するより早く、声は僅かに調子を変えた。
「魔女を魔女だからと、すべて一括りにするのは嫌なんだ。それだけだ」
「でも、魔女は魔女だわ」
 取り繕うように続けられた言葉に、香玖耶は知らず噛みつくように反応していた。
 闇の紛れている相手が、魔女を助けたいと願っている神父だとしたら尚更。魔女は魔女だと、目を覚まさせてあげなくてはいけない。
 だって魔女に、そんな価値はない。命懸けで守ってくれたのに、最後まで彼女を案じてくれたのに、それに応える事もできないで。彼が喪われた事を呪い、自身を許せず、何より直接手をかけた村人を激情のままに滅ぼした。それが果たして、彼が生命を賭してまで守るべき存在だったのか?
「魔女と呼ばれるにはそれだけの理由があるのよ、だから魔女に情けなんてかけては駄目。どうかしてるわ」
「っ、何も知らないで魔女と弾劾するほうがどうかしてるだろ!?」
「知らないのはあなたのほうよ、魔女はきっと村に災厄を齎すの。助けてくれようとした人まで巻き込んで、何もかもを滅ぼすわ。滅ぼす事しかしないのよ!」
「勝手な事を……! 一方的な弾劾のせいであいつがどれだけ苦しんだか、」
「それに見合うだけの事をして来たのよ、若しくはこれからするのよ!」
 絶対に情けなんてかけては駄目と、彼に言い聞かせるようなつもりで言を重ねるのに闇の向こうで怒気が膨らんでいくのが分かる。
 ああ。あの時も、こうして誰かが彼を諌めてくれたならよかったのに。その生命を散らしてしまう前に、誰かが。自分が。諌めていれば、何かが変わったかもしれないのに……。
 嘆くような想いでそれでも言葉を止められずにいると、相手の声もどんどんと尖ってくる。今にも見えないまま殴りかってきそうに苛立ちが破裂しそうになった時、どこか呆れたように、諌めるように香玖耶の髪をふわりと撫でる存在に気がついた。
「、っ」
 彼女が召喚するまで、それは蛍の瞬きにも似た小さな光しか放たない。けれどまだ人であった頃のように、よくないわと、聞こえない声で柔らかく諌められた気がした。
 香玖耶はそれで頭に血が昇っていたことを思い知り、ごめんなさいとどちらにともなく謝罪した。相手が急な謝罪に毒気を抜かれて言葉に詰まったのを確かめ、香玖耶は苦笑めいて笑った。
「こんなところで顔も知らない誰かと殺し合いなんて、正に魔女の思う壺よね。闇を払うわ」
 相手の力はこの闇で封じられているかもしれないが、精霊はこの中でも彼女に寄り添ってくれている。力を貸してねと小さく瞬く光を頼りに笑いかけ、すっと手を伸ばした。
「光り輝く乙女よ、おいでなさい」
 取り囲む暗さを、重い蟠りを切り裂くように、白く鮮やかな光を纏った少女がそこに現われた。

 光は、闇を払う。見たくて見たくないものまで、詳らかにする。



 闇の中で言い合いをしていた相手が、いきなりしゅんとした風情で謝罪をしてきてシグルスもはっと我に返った。
 魔女は魔女だという主張は彼には受け入れ難く、最も反発しなくてはいけないそれだ。だからといって見ず知らずの誰かとむきになって言い合うほど軽々しい問題ではなく、無知な誰かの戯言など聞き流すくらいできたはずだ。
 それをここまで熱く反発したのはどこか低く重い相手の声が耳に障ったのも事実だが、相手の口調が懐かしい誰かを思わせたからというのも大きな要因の一つだろう。
(あいつも、自分は魔女だからといつも線を引いてた)
 それが彼にとって、どれだけ傷つく思いやりだったか。結局あいつは知らないままだったんだろうなと苦く笑い、闇を払うの言葉に目を伏せた。
(これで、闇が晴れるなら)
 力が戻る。視界が戻る。少しは気分も晴れるだろう。
 目を閉じている間に呼吸を整え、気持ちを落ち着ける。瞼の裏でちらちらと光が踊るのを感じ取ってゆっくりと目を開けると、眩しい光が降り注いでいるのに気づいた。
 暗闇から解放されたばかりで霞む目を擦りながら辺りを見回せば、どうやらここは長らく放置されている廃屋のようだった。屋根がないせいで昔は床であっただろう足元には好き放題に緑が伸び、辛うじて二階が残っている場所の下には濁った水が溜まっている。
 ぼんやりとそれを確かめた後に上を向くと真っ青な空が広がっていて、真ん中に鎮座した太陽が惜しみなく光を注いでいた。
(ああ……、まだ昼だったのか)
 腹立たしいほどいい天気だなと心中に呟き、それからこれを齎してくれた相手に思い至った。
 主張の違いはともかく、礼を言わなくてはいけない。あの纏わりつくような深い闇を払ってくれた──、彼女に。
「カグ、ヤ……?」
 信じられない気持ちで紡いだのは、思い描いていた彼女。探し続けていた名前。
 何にも変わらない。何も。
 彼が幼い頃、初めて見た時のまま。初めてダンスに誘った時のまま。代わりに怪我をした彼を叱る時も、泣き出しそうに諌める時も、むきになって噛みついてくる時も。彼女はずっと同じ姿のまま、彼と対した。
 変わるのはいつも表情だけ、くるくると目まぐるしいほど変化しては彼を魅了した。
「カグヤ」
 そこにいるのかと疑るように、それが幻でも構わないような気分で、それでも確かめるように。
 名前を繰り返すと、目を瞠ってこちらを凝視していた彼女はいきなりぎゅっと眉を顰めて目つきを険しくした。
「一体何度私を騙したら気がすむの!?」
「、騙すって、」
「黙りなさい! 完全再現しろって言ったのも聞いてなかったの、あんな格好をしてるわけないじゃない! 私の記憶を元に作った幻なら、もう少しまともにしてみればどう!?」
 ふざけるのもいい加減にしなさいよと、誰にともなく怒鳴りつけている彼女は言葉からして闇の向こうにいた相手、だろう。そしてあんな風に、パニックになると泣き出しそうに八つ当たり気味に怒鳴り散らすのは間違いなく彼女──カグヤ、だ。
(他の何も怖がらないくせに、ゴーストの話題になると決まってあんな風になってた……)
 思い出しながら、記憶とぴったり重なる彼女の姿に堪え切れずに笑い出した。
「おまえ、でもそれは変わらなさすぎだろう!」
 どれだけそのままなんだと思わず腹を抱えて笑っていると、今にも取り出した鞭で攻撃してきそうだった彼女は戸惑ったように立ち尽くしている。それがまたあまりに記憶の中の彼女と重なって、どうしても笑いが止まらない。
「何だよ、あれだけ探したのに……、──いたんじゃないか。やっぱり……、こんな近くに」
 こんなところにと繰り返し、ようやく笑いの波が収まってきてまじまじと彼女を見つめる。
 どう反応していいのか分からないといった様子のカグヤをカグヤと認識して見つめていると、その後ろにじわりと何かが滲むように現われたのに気がついた。
「カグヤ!」
 後ろと示すと咄嗟に振り返った彼女は伸びてくる手をかわし、その手を鞭で絡め取った。そのまま引き寄せようとしたのだろうが体勢を崩したままだったカグヤは逆に魔女に手繰り寄せられかけ、どうにか間に合ったシグルス彼女のは腕を取って鞭を引き寄せた。
 二対一では不利と見たのか舌打ちをしながら魔女が鞭を解いたので、その間にカグヤを支えながら距離を取って思わず声を尖らせる。
「何やってるんだ、この馬鹿!」
「馬鹿って、……馬鹿ってそんなの、」
 シヴに言われる覚えはないわよと、記憶の中のカグヤならきっとそう怒鳴り返してきた。けれど今のカグヤは、呆然とした様子で見上げてくるだけ。よほど存在を信じられないらしいとちらりと苦笑したが、責める気にはならない。
「何だよ、俺が手助けしないと戦えないのか? それでもおまえ、カグヤかよ」
 笑うように語尾を上げると、ただ見上げていた眼差しに険が宿る。彼が焦がれて止まなかった強い瞳が、確かにシグルスを捉えてくる。
「誰に向かって言ってるの? ……あなたこそ、下がってなさいよ」
 まだ、あの頃のようには呼ばれない。本当に自分の知る存在かどうかと怪しんでいるのは伝わってくるけれど、それでも彼を「敵」と認識するのは後にしてくれたと分かるから思わず笑いそうになったのを知られたくなくて顔を逸らすように「魔女」に向けた。
 魔女は鞭が絡んでいた手を痛そうに擦った後、彼らを見下げるように睨みつけてきた。
「なんて無礼者なのかしら。闇の中で殺し合いができるよう、せっかく用意してあげたのに。愛した者の手にかかるのは、本望でしょう? 愛した者をその手で殺せるなんて、震えるほどに喜ばしいじゃない! わざわざそんな状況をこしらえてあげたのに、闇を払うだなんて興醒めもいいところだわ」
 もう少しで殺意も弾けそうだったのにと憎々しげに吐き捨てる魔女に、カグヤは嫌そうに顔を顰めた。
「そんな悪趣味な事に、勝手に人を付き合わせないで!」
「悪趣味? 失礼ね、あなただって同じような事をしたくせに私は否定するの?」
 嫌そうにカグヤを見下ろした魔女は、彼女が反論する前にそこの、とシグルスを指してきた。
「魔女のくせに司祭と通じて、村人の楯に使うなんて大した魔女じゃない? 自分の手は汚さずに、愛した人に庇われて生き延びるのは悪趣味じゃないのかしら? その後はとても魔女らしく、村ごとすべてを滅ぼして死と絶望を振り撒いた、あれこそが魔女の生き様じゃないの!」
 それは悪趣味ではないのかしら? と繰り返して高らかに笑う魔女の言葉で、カグヤは顔色ごと言葉を失っている。
「違う! あれは俺のせいで、おまえのせいじゃないだろう!」
「違うわ、それは魔女なのよ。村人を惨殺する理由が欲しかったの、だからお前の死を理由に欲望を解放したのよ」
「おまえとカグヤを一緒にするな!」
「一緒よ、同じよ。だって私もそれも魔女だもの。どうして私は迫害されて、そいつは穏便に暮らしているの? 私はちょっと失敗して、そいつは隠蔽に成功したからよ、違いなんてそれだけだわ!」
 迫害されるべきはそいつもよと金切り声で指し示され、カグヤは拳を震わせながら俯いた。そんな姿を見ていられずにシグルスが代わって反論しようとした時、そうねとぽつりと小さな声が聞こえた。
「私も魔女だわ、あなたが言う魔女であることは否定しない」
「っ、カグヤ、」
 違うと怒鳴りかけたシグルスを手で制したカグヤは、痛みを孕みつつも強い眼差しで魔女を見据えた。
「でも私はあなたと違って、後悔ばかりしているわ。人を殺す事に愉悦を覚えたりはしない、そこは一緒にしないで!」
 きっぱりと断言したカグヤの言葉に、魔女はその赤い目を歪めるように細めると諦念じみた溜め息をついた。
「……そう。そうね、まだ自分を解放できずにいるの。可哀想に。同じ魔女の誼で、私が思い出させてあげるわ」
 仕方なさそうに、でもにこりと微笑んで。もう一度だけよ? と、いっそ優しく告げて魔女は指を動かしただけで風を生んだ。
「さあ、思い出して。その司祭を殺してあげる、あなたの為だけに殺してあげる。そうしたらあなたは憎悪に従って私を殺したらいいわ、魔女の本性のままこの街ごと全部滅ぼしてしまえばいい!」
 愉悦に満ちた、呪いの言葉。カグヤがその魔女を殺すことで完成する、絶対の予言。
 狂喜に満ちた魔女の哄笑が響き渡る中、殺意を帯びた風は何の躊躇いもなく二人を切り刻む為に吹きつけてくる。
「っ──!」
「カグヤ!」
 カグヤの声にならない声と、シグルスの悲鳴にも似た声が重なる。悪意を以って丁寧になぞられた傷口のせいで咄嗟に庇うように伸ばされてきた手を捕まえて抱き寄せ、彼女を庇いながら結界を張る。それを越して切りつけてくる風はまだ幾らかあったが、結解を通したせいで致命傷には至らない。
「っ、や、めて、離して! お願い、やめて庇わないで私は大丈夫だからお願い離れて──、死なないで……!!」
 私のせいでまた殺してしまうと、聞こえない悲鳴は痛いほど聞こえる。それだけ、彼の仕打ちが彼女を強かに傷つけたのだろう。
「ごめん。……ごめんな。俺はただ、お前を守りたかっただけなんだ……」
「分かってる、そんなの知ってるからだからお願い、」
 離れてと必死に告げられる言葉のほうが、切りつけてくる風よりも痛い。ごめん、ともう一度繰り返した頃にようやく風がやみ、耐えかねたようにぱんと結界が弾けた。
 どうにか遣り過ごしたかと息を吐き、そっとカグヤを離す。それから身体中がぴりぴりと痛む気がして頬や首に触れると、べたりと血がついてきた。
「くそ、さすがに血だらけか」
 どれも生命に関わるほど深い傷ではないが、切られたのだから血くらい出るだろう。世話になっている教会で用意してもらった服も当然ながらすぱすぱと切られていて、弁償かなとちらりと悲しい事を考える。
「シ、ヴ……」
 懐かしい呼びかけがぽつりと零れるように彼女の口をつき、思いがけないほど喜びながら視線を戻すのにカグヤは彼を見る顔をして遠い過去しか映してないようだった。
「シヴ……、シヴ、いやどうしてシヴがこんなだって私が私のせいでシヴ、シヴ……!」
「カグヤ? 落ち着けよ、別にこのくらい何とも、」
「許さない……、駄目やっぱり許せないだって悪いのは私なのにどうして──!」
 また繰り返すのと頭を抱えるようにして蹲ったカグヤはシグルスの声さえ届かないほど恐慌して、さいはいのる、とぽつりと呟いた。途端に空気の質量が重く、何もかもが沈み込むほど重く変わった気がした。そうしてちりちりと熱を帯びたように空気が震え始め、魘されたみたいにカグヤが続ける。
【絶望を歌い、散らすもの。望むままに与えるもの。欲しがるままに奪うもの。黒色の六翼を、】
 低くどこか歌うようなその詠唱を、一度だけ聞いた事がある。否、もし聞いた事がなくとも嫌でも気づくほどそれは重苦しく不吉を帯びていた。
 それはシグルスが死んだ後、あの村を滅ぼした精霊。以来、彼女がずっと封じ続けてきた破壊を司るもの。今ここで解放したなら、この街はきっとあの村と同じ末路を辿るだろう。
「カグヤ、俺は大丈夫だから正気に戻れ! その精霊を召喚したらどうなるか、おまえだって分かってるだろ!?」
 カグヤと何度も呼びかけて詠唱を途切れさせようと努力するのだが、彼女は自分の手についた彼の血以外に何も見えていないし聞こえていないらしい。とにかく正気づかせるのが先だと判じて、カグヤの頭を抱き抱えるようにして自分の胸に押しつけた。
「聞こえるだろ、ちゃんと鼓動してるだろ? 俺はちゃんと生きてここにいる、おまえの側にいる。だから破壊の精霊なんて呼ぶな。またおまえが傷つくところなんて、見たくない……っ」
 頼むから正気に戻れと怒鳴りつけるように言い聞かせながら、ただひたすら抱き締めた。



 とくん、とくん、と小さな鼓動が聞こえる。目の前が真っ赤に染まってそれ以外は見えなかった彼女の視界に、それ以外の色がようやく戻ってくる。
 とくん、とくん。とくん、とくん。
 優しい鼓動は静かに彼女の中に沁み込んでいくようで、香玖耶の鼓動とやがて重なる。
(生きてる……、音)
 生きているのだ、と、その事実がすとんと自分の中に入ってきた。冷たい手が心臓を掴み上げてきたような、あの寒く恐ろしいイメージが暖かな音で解れていく。ひたすら怖いと繰り返していた自分の中の囁きが、鼓動に負けて消えていく。
 ほっと息を吐き、知らず紡いでいた呟きを止める。このまま眠れたら、どれだけ幸せだろう……。
「カグヤ」
 落ち着いたか? とどこか心配そうな声が聞こえ、いきなり夢が覚めたような気分になった。
(え? ちょっと待ってここはどこ、何が起きてどうなったんだった!?)
 いつもの夢を見ている気分だった。毎回同じ悲劇のまま終わる夢がようやく少し形を変えて優しく降ってくれたのだと信じたかったのに、落ち着いて感覚を取り戻せば誰かに抱き締めるようにして支えられている体勢にも気づく。
 慌てて身体を引き離すと、軽く右目を眇めて見下ろしてくる懐かしい顔を見つける。
「早とちりの馬鹿カグヤ。どれだけ恐慌してたって、俺の声だけは聞き分けろよな!」
 失礼な奴と、拗ねたような口調の中にほっとした色を重ねて。彼女が知っているままの仕草と口調で諌めてきた彼は、血だらけではあっても元気そうだった。
「、血が、」
「ただの切り傷だ、血は出るけど死ぬほどの怪我かよ」
 勝手に殺すなと苦笑するように告げた彼は、まるで幼子を宥めるようにぽんぽんと彼女の頭を軽く叩いた。
「ちょっとだけ、目を伏せてろ。終わらせる」
「私が、」
「暴走しかけた奴に任せられるわけないだろ。……いいから目を閉じてろ」
 見せたくないんだとどこか硬い声で言われ、逆らうのをやめて目を閉じた。誉めるように撫でてくる手が見るなよと繰り返すようで、絶対に目を開けないようにと固く閉じ直す。
 怒りに打ち震えていた少し遠い気配が、癇癪を起こした子供みたいに怒鳴りつけてくる声だけが耳を打つ。
「どうしてお前は魔女を庇うの、どうしてあのまま死なないの!」
 それも私と同じなのにと悲鳴みたいな抗議は、何度聞いても突き刺さる。一緒なのだと噛み締めるように呟くそれを見透かしたみたいに、ふんと鼻で笑い飛ばされた。
「カグヤとおまえを一緒にするなって、何度も言ってるだろ。こいつは、おまえとは違う」
 絶対にと断言されるそれは、あの魔女が見せる幻惑ではないのか。けれど作り主であるはずの魔女は、違わない同じ魔女だと泣き出しそうに抗議している。そして香玖耶を抱き閉めたままの相手は、面倒そうな溜め息をついて言う。
「聖魔の別なんてどうでもいい、俺にとって大事な女はカグヤだけだ。……それ以外、どうでもいいんだよ」
 あまりにも我儘で、だからこそ他人には否定し辛い明瞭な答えは魔女から言葉を奪った。そのまま彼が、香玖耶を自分の身体に押しつけるようにして抱き締め直しながらもう片手を魔女に向けたのは目を閉じていても分かった。
「騒ぎを起こしたからとかじゃない、おまえはカグヤを傷つけた。だから、俺が眠らせる」
 おまえが消える理由はそれだけだと、どこか言い訳めいた小さな彼の呟きに魔女がどんな顔をしたかは窺えない。それでも逃げる気配もなく、抵抗する様子もなく、彼はただ静かに言葉を続けた。
「我が魂の聖の有なるをもって、堕ちたる汝の魂に安らかな無の眠りを――」
 低すぎず、冷たすぎない声は香玖耶の耳にこそ近い。けれど彼の齎した「聖なる祈り」は、彼女ではない魔女だけを包んで強制的な眠りを与えた。



「……終わったぞ」
 もう目を開けても大丈夫だと促すと、大人しく目を閉じていたカグヤは目を伏せたまま少し彼から離れて消えた魔女へと振り返った。
 本当は、彼女の前で浄化の呪文など使いたくはなかった。ましてや魔女を消すなんて、他の理由であれば絶対にしない。それが例え自分でなくとも、彼女はこんな風にひどく痛ましく、消え入りそうに思いを馳せると分かっていたから。
 それでも不安定なカグヤに、無理をして精霊を使わせたくはなかった。破壊の精霊を召喚しないのだとしても、我を失ったあの日を思い起こさせる行為はこれ以上控えさせたかった。
(それでも)
 早く片をつけたかったのだとしても、それでも彼女の前では控えておくべきだっただろうか。カグヤは消えた魔女を思って背を向けたまま、振り返ってはこない。
 また誤解を重ねただけだろうかと心中で溜め息を重ねていると、高く結んだ銀の髪が揺れた気がして顔を上げた。
 何だかひどく恐る恐ると振り返ってきた彼女と目が合って、ひどく逸らしたい衝動に駆られる。でもここで逸らしたら負けだと何故か意地になって見つめ返していると、彼女の視線が先にふらりと逃げた。
 勝ったという想いよりは、ちぇ、とつまらない心境で呟きたくなる。と、すぐに視線が戻ってきて、またしばらく見つめ合う。
「……、あ、……の。……あ、……」
 何を話せばいいのか、何から問いかければいいのか。戸惑ったように言葉にならない声を発するカグヤに思わず吹き出すと、何よとちょっと赤くなって睨むようにされる。
「いや。カグヤだな、と思ってさ」
「どういう意味!?」
 すごく失礼だわと噛みついてくるところも変わらず、駄目だ笑えると肩を震わせていると目を据わらせたカグヤは不機嫌そうにしたもののすぐに戸惑いを強くしてまた見つめてきた。
「何だよ、さっきから。そんなに血塗れが気になるか?」
 もう止まっただろと顔の傷を確かめるように拭ってみせると、そうじゃなくてと慌てて頭を振られる。
「──、──シヴ、……、なの? 本当の?」
「本当も嘘も、俺はここにいるだろ」
 分からないくらい耄碌したのかよと大仰に頭を振ると、そんなわけないでしょう! とむきになって噛みついてくる。
「でも……だって、シヴがここにいるはず、」
「おまえと同じ。実体化っていうんだったか? それをしたから、ここにいるんだよ」
「っ、けど!」
 もうシグルスは死んでいるはずだ、と、続けたい彼女の言葉なら分かる。自分だって元になったという映画を見た時、自分の行く末よりも俺はどこから実体化できたんだとそちらに強く疑問を持ったのだから。
 でも。
「おまえが、覚えててくれただろ。ずっと。これを見るたびに、思い出してた」
 言いながら服の下からロザリオを出すと、カグヤもはっとしたように自分の服を押さえた。
「俺はまだ実行する前だったけど、……目の前で庇って死なれたら、そりゃきついよな。俺はそんな事さえ思い至れないで、……おまえが言うよりずっとガキだったけどさ。でも、おまえを守りたいのは本当なんだ。あの時はそれがどれだけおまえを追い詰めるか知ってたから、言う気はなかったけど。──まぁ、あんな馬鹿を仕出かした後なら何を言っても、それよりましだよな?」
 そのはずだと勝手に納得して頷きながら言うと、カグヤが抗議したそうに口を開きかけるからちょっと待てと軽く手で制した。とりあえず言わせろと投げつけるみたいに宣言して、それからふらりと無駄に視線を彷徨わせて再び戻す。
「ずっと探してた、おまえもいるはずだって。探し出して伝えないと、始まらないだろ。どれだけ傷つけたかは想像するしかないけど……、おまえは、怒るだろうけどさ。俺は、でも、嬉しかったんだ。俺を亡くして、おまえが我を忘れるなんて思わなかった。謝るのより先に……、──村の連中にも悪いけど。でも、嬉しかったんだ。だから、ごめんな。俺はおまえを守って死ぬべきじゃなかった。おまえを守って、ちゃんと死ぬまで側にいるべきだった」
 本当はそうしたかったんだと、ここに来て初めて知った。思い知った。無理やり押し殺した想いと願いの果てに、どこまでもカグヤを傷つけて。それからしか気づけなった自分なら、ひどく不甲斐ないけれど。
「今更、だけどな。でも俺は、今度こそおまえといたいんだよ。おまえの隣に、ちゃんといたいんだ。もう生命を懸けて守ってやるなんて言えないけど……、隣で一緒に戦うくらいはできるだろ。命懸けの時はさ、おまえが隣にいないといやだ。──いや、なんだ」
 側にいたい。叶わない永遠を、それでも望めるだけ長く。
 そこまで勢いに任せて告げたシグルスは、急に気恥ずかしくなって怖くなって、瞠られたままの紫水晶から視線ごと身体を逸らした。
「それ、だけは、……その、言っとこうと思って。それだけ、なんだけどなっ」
 言い訳めいて言を重ねれば重ねるだけ怖くなって、本気で逃げようかと一歩後退った。そのまま逃げてしまえの本能に従いたかったのだが、カグヤがいきなり飛びつくようにして首筋に抱きついてきたせいでどうにか倒れないように努力しなくてはいけなかった。
「ちょっ、カグヤ!?」
「シヴ……、シヴのくせに、シヴのくせに!」
「くせにって何だよ!」
「シヴのくせにシヴ……、シヴ……!」
 ここにいる、と噛み締めるように呟いたカグヤは、そのまま堰を切ったように泣き出した。
 ちょっと待てこの状態で体勢でいきなり泣き出すなっていうか何か色々こっちも聞きたいしいっそ泣きたいんだけど聞いてんのかおまえ等々等々。
 言いたいあれこれも思うあれこれも考えるあれこれもあるのだが、こんな風に子供じみて泣く相手に何を言ったところで勝ち目はない。諦めたほうが早いかとそっと息を吐いたシグルスは、宥めるように彼女の背を叩いて撫でて、これ見よがしな溜め息をついた。
「まぁ、好きなだけ泣いたらいいけどさ。……さっきのあれ、なかった事にしたら切れるからな」
 結構決死の覚悟だったのは忘れるなよと釘を差すと、ぎくりとばかりにカグヤの肩が揺れた気がして小さく苦笑した。

 泣き止んだ第一声が何になるかは楽しみなので、切られた上にびしょびしょになった服が弁償なのも仕方ないかと諦めた。

クリエイターコメントまたも締め切りぎりぎりでこの長文、お詫びする箇所は多々あれど、いつもながら楽しませて書かせて頂きました!

数々のニアミス、すれ違いを経て、ようやく再会となったお二人様の特別なシーン。上手く伝えられているかについてはぷるぷると震えて結果待ちするしかないのですが、すごく楽しくて光栄なオファーでした。
少しでもお心に添う形になっていますように……!

お二人様の特別を綴る書き手として選んでくださいまして、誠にありがとうございました。よろしければ、またのご縁をお待ちしております。
公開日時2009-04-07(火) 19:00
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