★ 月下に咲く睡蓮の幻想 ★
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-597 オファー日2007-06-28(木) 21:25
オファーPC ベルヴァルド(czse7128) ムービースター 男 59歳 紳士風の悪魔
ゲストPC1 ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
<ノベル>

 今宵、漆黒の夜空に浮かぶこの赤い満月は、誰のために用意されたモノなのか。

 鼻腔を通じ舌先へと転がるような美味なる芳香に誘われ、ベルヴァルドは、気に入りのカフェテラスへ向かう足を中華街へ変えた。
 空を舞う、闇色の紳士。
 円縁のサングラス越しに睥睨する瞳は、限りなく猛禽類のもの。
 優美さの行き届いた彼の爪の先からは、隠しようもないほど濃厚な『闇』が滴り落ちる。
 望むべき存在は間近。
 極上のディナーがそこで待っているという予感は、彼をひどく愉快な気分にさせた。

 そして。
 悪魔は地上に舞い降りる。

「さて、命乞いの時間を用意すべきかね?」
 全身に血のニオイを染み付かせて路地裏を歩く男の正面に立ち、ベルヴァルドは微笑む。
 入り組んだ、道とも呼べない通路は、ちょうど体格のいい男ふたりが並べるかどうかという狭さしかない。
 空気すらも凍りつかせるほどに冷酷な笑みは、逃げ場のない男の心臓を一瞬で射止め、呼吸の仕方も言葉の発し方も忘れさせた。
 鋭い爪の先が男の首筋、頚動脈につぷり……と埋め込まれてゆく。
 目を見開き、恐怖に歪みきった顔がたまらなくそそる。
「よろしい。君が己の進むべき道を自ら見出せたことに敬意を表しましょう」
 顔を背けることも、瞼を閉じることもできなくなった獲物の瞳を、ベルヴァルドは覗き込む。
 魂ごと相手を縛り付け、奪取する、魔物にとって至福のディナータイム。
 だが。
「私の部下をファックするとはいい度胸だな、クソ袋」
 悪魔の背を貫く銃弾。
 同時に突きつけられた、侮蔑と静かな憤怒。
 痛みなどない。あろうはずがない。例えその身が傷付けられようとも、物理的な攻撃の一切に意味を見出さない悪魔は、だから怒りや痛みからではなく、純粋な興味で振り返る。
 振り返り、その口元に浮かぶ笑みが、にぃ…っと深まる。
「これは……満月の夜に思いがけず幸運な出会いですね」
 この男ならば幾度か目にしたことがある。
 隻眼のマフィア。
 あるいは、ユージン・ウォンと呼ばれるモノ。
 厳格にして緻密な所属組織≪三合会≫とともに銀幕市に実体化し、自らを歩く屍と称しながら、この街に漂い覆う『異常』に眉をしかめるモノ。
「初めて見た時から、私はずっと君を食べてみたかったのですよ。闇よりなお濃く濡れて光る漆黒の魂。実に美しい。そう、まるで……」
 まるで熟れた果実のように絶望を滴らせる黒曜石だ。
「貴様が今日という日に長い人生の終わりを見られるという意味でなら、確かに今宵は良い夜だろう」
 流麗な称賛に唾を吐きかけ、冷ややかにユージンは銃口を突きつける。
「人間とは本当に、身の程を越えた面白い台詞を聞かせてくれるものですね」
 ベルヴァルドはサングラスを指先で軽く押し上げ、吊り上げた唇で嘲笑を形作る。
 圧倒的な能力差を悟れないほど愚かだとは思えない。
 それでもこの男は自分を正面に捉え、仕留める気でいるのだから本当に面白い。
 ますます興味を惹かれた。
 ヴィランズという名称が相手に課せられない限り、この街で自分の望む『食事行為』は許されない。
 許されないが。
「フィルムへと変われば、その証拠を消すなど容易いこと。この街は時にこうして私の味方をしてくれるようですね」
 愉悦に浸るその言葉は、人ならざるモノのみが湛えることのできる漆黒。
「君の死という事実すらも、この街から消滅させて差し上げましょう」
「戯言はもう聞き飽きた。私が望むのは貴様の沈黙のみだ」
「すっかり嫌われてしまったようですねぇ。私個人としてはもっと君と話したいのですよ」
「貴様はヒトリで地べたの砂利を食め、悪魔」
 死の宣告と重なり放たれる銃弾。
 悪魔にとってはほんのワンステップで躱すことのできる軌跡だが、わずかに体を逸らしたその先に二発目が先回りしている。
「……おや?」
 頬をかすめて。
 実体のない悪魔の身すらも傷つけられる男の弾。
「面白い。それでこそ私の獲物に相応しいというものです。楽しませてください。そして、その美味なる魂に絶望の雫を滴らせ、私の手に堕ちるといい」
 鮮赤の光の中で舞う飛沫。
 闇に溶けて消える、血の色。
 跳弾すらも計算済みの軌跡。
 爪先で軽くステップを踏んで、ワルツ、タンゴ、あるいは音楽のない静寂の世界で二人は踊る。
 せり出た鉄柱も、ビルとビルの狭い通路も、薄汚れた壁も、錆ついた非常階段も、等しく彼らのための舞台となった。
 右腕を払い、左腕を払って、身を捻り、背後に回ろうとするその勢いでくるりと互いの腕を軸に回って再び向かい合う。
「おや、私をダンスに誘ってくださるその手に、ナイフは握っていないのですか?」
 ツーステップで距離を取り、脇から滑り込んで再び相手を捕らえて銃が火を吹くその瞬間、悪魔の指先が銃身を爪弾き退ける。
「持ち合わせがないのなら、いますぐ取り寄せましょう」
「必要ない」
 返答に重なり連続する火花は、いっそ目を焼くほどに鮮やかで美しい。
「本当に必要ありませんか? あれほどその手に馴染むモノは他にない、君はソレをあの日実感したではありませんか」
 あの日――そのキーワードは、ユージンの内側に抑え込まれた禍々しい記憶を揺さぶり起こす。
「なぜ隠そうとするのです? そう……その瞳、淀んだ混沌、凶器にして狂喜の悦楽に浸りたいと望む瞳を私から隠してどうするのです?」
 ククク……と漏れる悪魔の笑みは、時に耳元で、時に頭上で、時に背後からこぼれて届く。
「……瞳を隠しているのは貴様の方だろう」
 ロケーションエリア、展開。
 一瞬で視界全てが別の景色と入れ替わる様を目の当たりにしても、悪魔はただ、サングラス越しに目を細めただけだ。
 目の前に広がるのは、夢に踊る銀幕市の路地裏ではあり得ない。
 ゴーストタウン化された迷宮。
 比類なき幸福を約束された名を持ちながら、奈落の底よりなお深い混沌を生み出した巨大なスラム街――『九龍城』の闇。
 無計画にそびえる建築物は暗殺者に恰好の足場と隠れ場を生み出し、力なき愚かな侵入者にとっては三十分間の『悪夢』を体感することになるだろう。
 巻き込まれたものはただ、姿の見えない驚異におののき、平伏す以外の術を持たないはずだ。
 けれど。
 ベルヴァルドの笑みがその口元から消えることはなかった。
「カクレンボなどという稚気で私の気を引くおつもりですか?」
 物理的攻撃ならば両手に収まる銃と体術で弾くことができるだろうが、悪魔の囁きまではかわせない。
 耳を塞ぐことも、あらゆる音で掻き消すことも許されない、精神に直接響いてくるベルヴァルドの妖しい旋律めいた台詞。
「君の狂気は心地よい旋律となって私を包み、誘惑します。何故、隠す必要があるのです? 我慢する必要などないのです」
「生憎貴様ごときを愉しませる義理はない」
 反響を繰り返し、多方面から届くユージンの声と、そして、悪魔の視線にさらされない位置から放たれる精巧なる射撃。
 金属音と銃声と冷ややかな罵倒に歓迎されながら、ベルヴァルドはいっそワルツを踊るかのように優雅に獲物を捕えるべく迷宮を進む。
「せっかくです。ドレスをまとい、私を誘ってくださってもよろしいのですよ? そう、君が恩人の仇を討った時のように」
 ギシリと、相手の魂の軋む音がこの耳に届く。
「ああ、ちょうど良い。今ここで見せていただけませんか? あの瞬間の君はまさしく醜悪にして美しい狂気の塊だった。悪魔すらも虜にする姿をぜひ私にも披露してください」
 ギシリ、ミシミシ……
 彼の心はいよいよ歪み、極限まで抑圧された混沌の闇が噴き上げようとしているのが分かる。
「貴様のようなクソ袋に気にいられ、愛欲のままに付きまとわれるなど、想像するだけで反吐が出る」
 極限まで押さえ込まれた静謐な声が、皮肉と手榴弾を伴って返ってくる。
 ひらりと跳躍する悪魔の足元で閃光が走り、爆音が風を生んで周囲を巻き込み破壊した。
 砕けたビルの壁が破片の銃弾となってベルヴァルドを追いかけるが、それすらも指先ひとつで鮮やかにはじく。
 そのままぐるりと中空から周囲を見下ろすが、相手は手榴弾を放った位置からは既に離れ、別の場所へと身を隠しているらしい。
 なるほど、こちらの視線を確実に避けていくつもりらしい。
 心臓に爪を立てられるような行為を受けてなお冷静さを保ち続けるユージンの精神的強度に、一層悪魔は好奇心と嗜虐心を煽られ、饒舌となる。
「付きまとうなどとんでもない。君は自ら望んで私の腕に抱かれ、饗宴に身を任せる幸福に身を浸し、歓喜に咽ぶでしょう」
 だから狂気に身を任せればいいと、悪魔は嗤う。
「どうしても一歩を踏み出せないというのなら……そう、君自身に刻まれた魂の記憶を呼び醒ましましょうか?」
 耳障りだった攻撃も、もはや晩餐の前の心地良い余興でしかない。
「さあ、一緒に思い出しましょう、ユージン。君は衝動に任せた殺戮の味を覚えているはずです」
 ふと何かを思いついたのか。
 悪魔は虚空を見上げて、足を止める。
「楽しかったのでしょう? あの瞬間の感触をその手に蘇らせることなどわけないはずです」
 雨のように降り注ぐ鉛によって、目を、耳を、腕を、腹を、あらゆる箇所を撃ち抜かれ、、血飛沫を上げながらも、悪魔は朗々と過去の悲劇を歌い上げる。
 少年は女の服をまとい、ある男の元へ行った。
 夜と街の闇に紛れた、復讐劇。
 燃えさかるどす黒い殺意は幼い体の中に留まることはできず、感情のネジが外れた子供は油断した相手にナイフを埋めた。
 幾度も幾度も幾度も。
 仰向けに倒れた男に馬乗りとなり、腹を胸を顔を腕をひたすらに突いて裂いて血塗れの狂気を捻じ込んでいった。
「君が銃を使うのは何故です? ナイフで刺し貫く方がよほど相手の死を確実に感じられるというのに」
 男を物言わぬ無様な物体に変えた、その感触は手や素足や頬など皮膚という皮膚全てを介して伝わり、歯止めを失くした心を浸食しただろう。
「ああ、その快感から戻れなくなるのが怖いのですか?」
 少年は血の海に溺れて沈む男を眺め、それから、おもむろにぐるりと部屋を見渡した。
 目に付いたのは、装飾のために壁に掲げられた刀。
 優美なフォルムと月光を受けて反射する白刃に視線を奪われ、引き付けられるようにソレへと手を伸ばす。
「男の首を切り落とした、あの瞬間の肉と骨の感触はけして銃では味わえない貴重なもの」
 血と脂と骨を断つときに訪れる、鈍い手の痺れ。
「楽しかったのでしょう? 憎い相手を惨たらしく殺す、一度覚えた快楽をヒトはそうそう忘れられるものではない」
「お喋りがすぎるぞ、クソ袋」
 一発二発三発四発――間断なく繰り出される銃弾で、悪魔の腹に風穴を開ける。
 回復能力など初めからなかったかのように、ベルヴァルドの肉はたやすく血を吐きだし、抉られていく。
 ロケーションエリアの効果なのか、ユージンの能力なのか、判然としないながらも確実に生命は削られる。
 けれど、ベルヴァルドは口を閉ざすことなどしない。
「フフ……隠す必要などないと言っているでしょう? 恥じる必要もない。類稀なる深淵の狂気に身を委ね、漆黒に染まったその魂を口に含んだ瞬間の至福はどれほどのものなのか」
 より高らかに、悪魔は告げる。
「そうですね……ああ、君とともにこの街に実体化したもうひとりの恩人を殺せば、私にも見せてくださるでしょうか?」
 甘美なる狂気の宴を、この目の前で披露してくれるだろうか。
 期待を込めた問いかけに、吐き掛けられる冷徹な拒絶。
「大哥をファックする前にお前はここで死ぬ。ダンスの相手がお前のようなクソ袋では反吐が出るがな」
 不意に蹴り飛ばされてきたドカンが、中に詰め込まれたガソリンを振り撒きながら周囲に転がった。
 特有の異臭。
 銃声とともに飛び散る火花が、一面を火の海に変える。
「夜を照らす煉獄の炎とは、なかなか粋な演出をしますね」
 だが、それは彼の指先がパチリと鳴らす、そのわずかな音であっけなく掻き消えた。
 一瞬で蒸発。
「けれど」
 悪魔は振り返り、鉄骨の上から見降ろす男を正確に捕らえる。
「君の全てが透けて見えていますよ、ウォン・ユーツェン?」
 愉悦とともに告げた瞬間、ベルヴァルドの『第三の瞳』は、閃光のごとくユージンの精神を貫いた。
 存在を根底から揺さぶり、突き上げる、絶対的力。
 例えば、ヒトは悪魔には勝てないと言う。
 それが真理であるかどうかが問題なのではなく、それをどのようなカタチであれ信じてしまったものにとって真実となる。
「君はか弱い一羽の小鳥にも等しい」
「う、くっ……」
 九龍城の果てしない迷宮は消え失せ、赤色の月に見下ろされながら、ユージンは視線に撃ち落とされて、落下。
 辛うじて受け身を取れても、立ち上がるだけの力が奪われる。
 大量の精気を奪われ混濁した意識は、強制的な眠りへとユージンを引きずり込んだ。
「今宵の月と出会いに感謝しましょう……絶望と狂気の闇に堕ちた極上の魂に口付けられるこの幸福は、何にも変えがたい悦楽です」
 獲物はもはやこの手の中。
 抉り続けた精神の傷は、既に修復不能なほどに深く刻まれ、内側から濃厚な闇を滴らせている。
「美味なる食事に感謝を」
 急速に意識を失い、落ちていく男に、悪魔は愉悦の笑みを湛えて手を伸ばす。
 だが。
 男の左腕が持ち上がる。
 額に押しつけられた銃口から放たれる、至近距離での破裂音。
 第三の瞳が撃ち抜かれる。
 悪魔の目論見を、ソレは文字通り潰したのだ。
 そして、ベルヴァルドは目撃する。
 たった今まで覗き見、もてあそんでいた男の記憶の中にあるモノと寸分違わぬ姿を取った中国人が傍らに佇むのを。
 常世から隔たれた場所から不意に姿を現したその青年が、手を添え、意識すらも闇に堕ちた男に銃を撃たせたのだ。
「これはこれは、思いがけないゲストの登場ですね」
「…………」
 途切れがちな息の下で、ユージンの唇から呟き、洩れるのは、魂を捧げた恩人の名。
「……救われる、なんて……私もまだ、未熟……」
 地獄以下のゴミ溜めから拾いあげてくれた庇護者の腕にいまだ彼は抱かれ、守られているのだ。
 ユージンに彼の姿は見えない。見えはしないが、睡蓮の彫られた銃を握り重ねた手の温度だけは確かに感じているのだろう。
「素晴らしい……死者の加護をこの眼で見ることになろうとは……」
 くつくつと、ベルヴァルドは笑みを洩らす。
 本当に楽しげに、実に嬉しげに、堪え切れずに笑みをこぼして、ひとしきり目の前で演じられる『奇跡』を堪能し。
「よろしい。今宵の美しい満月と、そして銀幕市においてなお稀なる奇跡に免じて、君の魂は今しばらくその男に預けておきましょう」
 伸ばした指先でふたつの重なる手を軽く撫で。
 悪魔はそこに口づけると、満足気に目を細め、そして赤い月が待つ混沌の闇へと消える。

 再び意識を手放しかけながらなお睨みつける『黒曜石』を、地上(そこ)に残して――



END

クリエイターコメントこの度はプライベートノベルのご指名、誠に有難うございました!
ハードボイルドというよりは些か別方向へと雰囲気がスライドしてしまったのですが、行間に漂うアレコレ含め、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
実は、ひそかに悪魔紳士さまの『心(記憶)を抉る台詞』と、ソレに呼応する蜂さまの過去を綴っていく過程が非常に楽しかったことを告白しておこうと思います。
なお、タイトルの『幻想』は『ゆめ』と読んでいただけると嬉しかったりしますv

それではまた銀幕市のどこかで、お二方(あるいは悪魔紳士さまの従撲さま)とお会いすることが出来ますように。
公開日時2007-07-15(日) 21:10
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