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<ノベル>
柊敏史(ひいらぎとしふみ)は自宅の書斎で椅子にもたれたまま眠れずにいた。
書棚に置いてある時計で時刻を確認すると、あと十分ほどで日付が変わるところだった。さっきから――正確には一時間ほど前から、五分ごとに時刻を確かめている気がする。
「わん」
かわいらしい鳴き声に足元を見下ろすと、白い毛並みのチワワがしっぽを振っていた。
柊は少しだけ迷ってから、声をかけた。
「太助くん、しっぽが狸のままだよ」
チワワの愛らしい笑顔が凍りついた。
「え? うそ?」
ひょいっと二本足で立ち上がり、自分のしっぽを見ようと懸命にお尻を突き出し首をひねる。そのまま後ろにひっくり返ってしまいそうだ。
「えへへ。いくらなんでもこんなチワワいないよな」
ようやくそこだけ茶色いしっぽを発見し、照れ隠しに頭をかく。くるっとお尻が円を描き、もわんと煙が出てしっぽの形が変わった。
「これでよし。なぁ、市長さん。おれが来たからには安心していいからな」
そう言って、ポンと自慢のおなかを叩く。
しっぽが茶色のチワワよりも、仁王立ちで人語を話しているチワワの方がよっぽど不自然な気がしたが、柊は「ありがとう、太助くん」とだけ言って微笑んだ。
市役所に届いた柊市長暗殺の予告状は、疑いの眼差しで迎えられた。
暗殺の予告をしてくる暗殺者など聞いたこともない。誰にも気取られないように標的の命を奪うからこそ暗殺というのだ。市職員や市議会議員の中でも「悪質なイタズラだろう」という意見が大勢を占めた。
実際に、件(くだん)のグレス三兄弟が出演している映画『バウンティハンター・イレス』をチェックしてみても、三兄弟が予告状を出すシーンなどなかったため、さらにイタズラ説が支持されることとなった。
もちろん、だからといって予告状をまったく無視するわけにもいかない。これで本当に暗殺者が現れ、市長が暗殺などされては、事は銀幕市だけの問題ではなくなってしまう。銀幕市の危険性について、それこそ危険の及ばない『市外』から口だけ出してくる連中も多いのだ。
そこで、市議会は必要最低限の警備を警察に依頼し、あとはボランティアのボディーガードを公募することにした。つまり、イタズラの可能性を最大限に考慮してなるべく予算を削ったかたちになる。
「さすが市長さんの家だ。ふかふかだな、これ。やみつきだぞ」
嬉しそうにソファーのうえをごろごろと転がっているチワワ――太助も、ボランティアで駆けつけたムービースターの一人だった。しゃべったり二足歩行したり、もはや誰の目から見てもチワワではなく謎の生物になってしまっていたが。
コンコンと控えめなノックが響いた。
「どうぞ」
柊が声をかけると、書斎のドアが開き、二人の男性が入ってきた。二人とも黒ずくめで、片方は金髪、片方はサングラスをかけている。サングラスの方はかなり長身で、部屋に入るときに少し窮屈そうに頭をかがめなければならなかった。
「やぁ、ランドルフ・トラウトくんにシャノン・ヴォルムスくんだね」
「お初にお目にかかります、市長」
ランドルフはサングラスをとって柊の握手に応えた。
柊は次にシャノンに手を差し伸べる。彼はそれに応えたあと、ジャケットの内ポケットから一枚の名刺を取り出した。
「ヴォルムス・セキュリティ代表?」
名刺の肩書きをなぞった柊に、シャノンは営業スマイルを向ける。
「俺に任せてもらえれば百パーセント安全は保証する」
「それは頼もしい。今日、いやいや明日を無事に切り抜けられたら、個人的に懇意にさせてもらうよ」
ちゃっかり営業活動を行っているシャノンに、ランドルフがあきれ顔で言う。
「商魂逞しいですね」
「こう見えてもいちおう社長でね。従業員たちに給料を支払ってやる義務がある」
シャノンの脳裏に二人の少年の姿が浮かぶ。一人は白髪でもう一人はココア色の髪だ。二人とも天使のような微笑みでそれぞれに給料袋を握りしめていた。
「どうしたんですか? ニヤニヤして」
「い、いや、なんでもない」
シャノンは妄想を振り払うように頭をふった。
「よぅ! 久しぶりだな、シャノン。ええっと、そっちの人ははじめましてかな?」
チワワ姿の太助がソファーから二人のところまで、ぽよんとジャンプする。
「よろしく、太助くん」
ランドルフがチワワの頭をなでる。
「のわっ! なんでおれが太助だってわかったんだ?! 今のおれはチワワだぞっ!」
ランドルフは何も答えず曖昧に笑ってみせた。
事前情報で太助が護衛を引き受けたことは知っていたし、ソファーで寝転がるチワワなんてあやしい存在は化け狸くらいのものだと容易に推測できる。
「それよりも、柊市長に二、三質問があるのですが」
「なんだね?」
柊がソファーをすすめて、みずからも椅子についた。ランドルフとシャノンがソファーに座る。大男が二人も腰掛けたので太助のためのスペースはない。太助はめげずにソファーの背もたれの上に跳び乗った。
「今回の件、市長には何か心当たりはないのですか?」
ランドルフが口火を切る。
「植村くんにもしつこく訊かれたがね。自分自身に後ろ暗いところはないと断言できる。が、こういう職業をしていると、まったく恨みを買っていないとは言い切れない」
「そうですか。市長、気を悪くなさらないでください。犯人の手がかりになればと思っただけですので」
「気分を害したりなどするはずがない。この銀幕市を守りたいという君たちの気持ちはありがたく思っているよ」
「ありがとうございます」
「まぁ、私なんかを暗殺しても、誰も得なんてしないとは思うがね。『市外』の連中からすれば、『やっかいなもの』を押しつけることができてラッキーくらいにしか思っていないのじゃないかな。あっと、『やっかいなもの』というのは銀幕市のことだが、私自身の気持ちではないからね」
丁寧に注釈するところがいかにも柊市長らしい。そう思ってランドルフはにっこり微笑んだ。
隣で二人のやりとりを聞いていたシャノンは、別のことが引っかかっているようで思案顔だ。おもむろに口を開く。
「市長、今の言葉はどういう意味ですか?」
「今の言葉とは?」
「『やっかいなもの』を押しつけることができてラッキーだから暗殺しない。ということは裏を返せば、市長が暗殺されれば他の誰かが『やっかいなもの』、つまりは銀幕市を引き受けることになる、ということですよね?」
「だろうね。私が死ねば、新たな市長選挙が公示されるだろう」
そこで柊もシャノンの言わんとしていることに気づき、眉をひそめた。
「誰かが銀幕市長の座を狙っていると?」
「なんの根拠もないただの当てずっぽうですが」
沈黙が舞い降りた。話の内容がわからなかったので、太助は考えるふりをしているだけだったが。
沈黙を生み出した者が沈黙を破った。
「そろそろ時間だ」
全員が書棚の時計に目を向ける。真上を向いた長針と短針が、今まさに重なろうとしているところだった。
「市長、これから先は決して独りにならないでください。それから窓のそばには近寄ら――」
シャノンが忠告を終えるよりも先に、ランドルフが床を蹴った。一瞬遅れてシャノンも立ち上がる。太助はバランスを失ってソファーから転げ落ちた。
窓際であろうとなかろうと関係ない。書斎の壁を貫通して、多数の光が降り注ぐ。床や書棚、机、調度品など、室内にある、ありとあらゆる物が死の洗礼を受ける。光弾(フォトン)はその高熱で物体を穿(うが)つため、光の軌跡以外はジュッという微かな残響があるだけだ。
ランドルフは押し倒した市長の身体に覆い被さって身を縮めていたし、シャノンはさらにそのランドルフを守るように片膝をついた姿勢で顔だけを両腕でガードして銃撃に耐えていた。ランドルフとシャノンの二の腕や脇腹を数発の光弾が焼いたが、二人とも苦鳴ひとつ漏らさないため、いっそ室内は静かでさえあった。
時間にしてほんの数秒のことだった。しかし、一方的に耐え忍ぶ側からすれば気が遠くなるほど長く感じられた。
「ふざけやがって」
シャノンの緑眼が血の輝きを放つ。
「ランドルフ、市長を頼んだ! 俺は狙撃手を潰す!」
言うが早いか、穴だらけになった窓ガラスの一枚を突き破って外へ躍り出た。弾丸の方向および角度から射撃手の居場所は計算できている。
「おい、シャノン! 殺しちゃだめだぞ!」
風のように走り去るシャノンに、太助の叫びは届いたかどうか。
「大丈夫ですか? すみません、重かったでしょう」
ランドルフが身体をずらす。下から現れた市長の顔色は真っ青を通り越して真っ白だった。
「いやいや、助かったよ」
「ところで、市長。ここは危険なので、机の下にでも隠れてもらえますか?」
さらに死人のような顔になった柊に、ランドルフは断言する。
「私はですね、銀幕市が大好きなんですよ。何があろうとも銀幕市の皆さんを悲しませるわけにはいかないんです。必ずあなたを守ってみせます」
力強くうなずき、急いで机の下まで這っていく柊。
ランドルフは立ち上がり、太助に手招きをした。
「太助くん、こっちへ。私の近くにいてください」
「なんだ? さびしいのか?」
緊張感の感じられない動きで太助が歩み寄る。
「さっきのどさくさに紛れて敵が侵入したみたいです」
狙撃に気をとられている間に、書斎のドアが開いていた。
市長宅の庭には背の高い植木が何本か立ち並んでいる。そのうちの一本を見上げながら、シャノンは静かに告げた。
「降りてこい。見えてるんだよ」
シャノンにとって暗闇は暗闇たりえない。彼自身が夜の眷属であるからだ。
「暗視装置もなしに見えるとは。そういう能力のムービースターということか」
くぐもった声が樹上から流れてきた。つづいて音もなく人影が降り立つ。
頭に奇妙な兜(かぶと)をかぶり、ボロ切れのようなマントを羽織っている。そのマントはローブのように胸のあたりで留めてあるため、肩から下の体躯は、うかがい知れない。同じようなボロ切れが目元だけを残して顔全体を覆っていた。
事前に映画で見ておいたスティグラ・グレスそのままの姿だった。
「おい、貴様らは下がっていろ」
シャノンが、遠巻きに様子をみていた警官隊に告げる。市長宅の周囲をガードしていた者たちだ。銃撃の光音と疾走するシャノンに気づき、追いかけてきたのだ。こうなってしまっては、足手まといでしかない。
「さぁ、始めようか」
シャノンが挑発するように人差し指で相手を誘った。その拳にはナックルダスター――パンチ力を強化するための武具がはめてある。普段は銃を好んで使用する彼だが、今回は屋内が戦場になる可能性が高かったことと、流れ弾が市長や他の護衛を傷つける可能性を考慮して格闘戦の準備をしてきていた。
それを見て、スティグラがライフルを地面に捨てた。素手には素手で、などという武人の矜持(きょうじ)とは無関係だ。ライフルは狙撃用の武器だ。銃口を向ける前に懐(ふところ)に潜り込まれるだろう。建物からここまで瞬きひとつの間(ま)で走ってきたスピードを見てしまった以上、戦術的に飛び道具は捨てざるをえなかった。
代わりに腰に帯びていた長刀を抜き放つ。日本刀に似た形のそれは、日本刀にはあり得ない光を刀身から放っていた。
レーザーエッジブレード。刀身の表面を絶え間なく高エネルギー体が駆けめぐっており、どのような金属も易々と斬り裂くことができる。
映画の主人公イレスは、同じくレーザーエッジブレードで対抗し、スティグラを倒したが、そのようなオーバーテクノロジーをシャノンが持ち合わせているはずもない。
スティグラのブレードが宵闇に冷たい光をばらまく。ゆっくりとした動きは挑発しているようにも見える。
対して、シャノンは……
無造作に歩き始めた。あるかなしかの月光をその身に受け、冴え冴えとした不敵な笑みを浮かべて。
「愚かな!」
馬鹿にされたと思ったのか、スティグラが先に仕掛けた。一足跳びに間合いを詰める。
大上段からの一閃。普通の人間では知覚不可能な剣速。
シャノンはひらりと余裕をもって身をかわした。マスクの上からでもはっきりわかるほどべったりとスティグラの顔に驚愕が張りつく。
スティグラは返す刀で喉元へ突きを入れる。
今度は身を低くかがめてかわし、そのままシャノンは相手の懐へ入った。
「哈ッ!」
渾身の右ストレートがスティグラのみぞおちに決まる。スティグラの身体が五メートルほど吹き飛んだ。
「悪いが、予習は完璧でね」
シャノンは敵がグレス三兄弟だと判明してから、映画『バウンティハンター・イレス』を観て三兄弟の動きを研究していたのだ。スティグラに関してはその剣術および体術の癖などを頭にたたき込んであった。
「さぁて、黒幕の名前を吐いてもらおうか」
ランドルフの鼻は正確に敵の位置を捉えていた。
「二人同時か……マズイな」
ちらりと太助を見ると、鼻をひくひくさせている。獣らしく彼もまた敵の臭いを感じ取っている様子だ。
確実にこの狭い書斎の中に二人の宇宙人が潜んでいる。姿が見えないのは、長男のガンジラと三男のオンドゥラだからだろう。ガンジラは特殊能力で周囲の風景と同化できるし、オンドゥラは液体生物だ。どこにでも隠れることができる。
はたして市長と太助の両方を守りながら、複数の敵と闘えるだろうか?
ランドルフの自問を見透かしたかのように太助が小声で言った。
「おれのことは気にするな。おれたちの仕事は市長さんを守ることだろ? おれだって予習はしてきてんだ」
必死に真剣な表情をつくっているチワワにランドルフは思わず吹き出してしまった。
「なにがおかしいんだ?」
「なんでもないですよ。わかりました。では、まずは私が先制攻撃をしかけます。市長は頼みましたよ」
これまた小声で答えて、ランドルフはスラックスのポケットから拳大(こぶしだい)の石ころを取り出した。家に入る前に庭で拾っておいたものだ。
液状体であるオンドゥラには通用しないだろうが、ガンジラにはこれで十分だ。彼の臭いは独特で、東側の天井の隅に張り付いているのがはっきりわかる。ガンジラの武器である鋼の糸の攻撃範囲に入る前に、飛び道具で倒すつもりなのだ。
「オレたちのことをどうやって知ったかはわからんが、予習をしているみたいだな」
どこからともなく、いや、東側の天井の隅からガンジラの声がする。
「だけどな、オレたちだって復習くらいできるんだぜ」
次の瞬間、書斎に強烈な刺激臭が満ちた。感覚を鼻に集中させていたランドルフは顔をしかめて鼻をつまむ。太助も鼻を押さえて床を転がり回った。
「ニンニク? ニラ? スカンクのおなら? いや、もっと強烈な……」
とにかくそれぞれに強烈な個性を放つ様々な臭気が混じり合っている。書斎中がその芳香に支配され、敵の臭いを感じ取るどころではない。
「自分が臭いのせいで倒されることくらい映画を観ればすぐにわかるさ」
ガンジラの哄笑と時を同じくして、オンドゥラも動き出した。
「うわっ! きたっ!」
カーペットの下を移動してきた銀色の塊が太助に襲いかかる。アメーバのような水銀のような、形状自在の宇宙人はとても生物とは思えない。しかし、意志を持っていることがはっきりとわかる動きで、あっという間にチワワの全身を包み込んでしまった。
「オマエ、イヌ。デモ、シャベッテル。イヌ、チガウ」
声というよりはぶくぶくと水が泡立つ音に近い。
「太助くん!」
助けようとしたランドルフの服の左肩が裂けた。常人には不可視の金属糸(きんぞくし)だ。
「他人の心配をしている場合じゃないだろう?」
「なるほど……」
先ほどの狙撃でやられた傷もある。それなりに出血しているはずなのに、ランドルフはなぜか冷静だ。
「それではあなたから倒すとしましょう」
視覚は当然のこと、嗅覚も役に立たない今、ランドルフにはガンジラの位置を捕捉する方法はないはずだ。
「弱者の強がりほどみっともないものはないぜ!」
ガンジラの自身に満ちた大声。
「本当に――」
ランドルフが腕を振りかぶった。
「――よくしゃべるっ!」
突風が巻き起こり、石の礫(つぶて)が弾丸と化す。
剛速球を顔面で受けたガンジラが、悲鳴を上げる間もなく気絶し、床に墜落した。
「臭いを誤魔化す程度で私から逃げられると思ったら大間違いです。音だって十分に情報となるのですよ。あれだけ大声でしゃべられたら、嫌でも居場所がわかります」
ランドルフは呆れ顔でつぶやいた。
太助はこのときを待っていた。彼はわざと敵に巻き付かれたのだ。
「もががーっ!」
液体内部に取り込まれているので何を言っているのかわからない。ともかく、太助の姿がチワワから巨大なウナギへと変化(へんげ)した。
「もげげーっ!」
さらに何を言っているのかわからない。ともかく、そのウナギは電気ウナギだったらしく、オンドゥラの身体で高圧電流がスパークした。
不思議な色の煙をあげながら、オンドゥラがずるずると太助から離れてカーペットにわだかまっていく。オンドゥラも自分が電気でやられることは知っていた。だが、まさかチワワが電気ウナギに変わるとはまったくの予想外だ。
「おれの電気はどうだ? 降参して両手をあげろ!」
威風堂々たる直立姿勢で、ウナギが降伏勧告をした。
液状宇宙人に『両手』が存在するかどうかは、まったく考えていないようだった。
「なかなか面白いことになっていますね」
ベルヴァルドは、あらゆるものを見通す眼力で市長邸内部を透視していた。邸内ではオーガとタヌキが、庭内ではヴァンパイアがエイリアンと興味深い戦闘を繰り広げている。
彼が立っているのは市長邸から少し離れた一軒家の屋根の上だ。
黒いスーツに黒いサングラス。夜の黒にまぎれて、銀色の頭髪だけが揺らめく白炎のように浮き立っている。遠くから見た者がいれば、彷徨える魂――人魂に見えたかもしれない。
シャノン・ヴォルムス、ランドルフ・トラウト、太助、三人とも旧知の仲だ。それぞれに幾度か協力してムービーハザードを解決している。
シャノンの強さは折り紙付きだ。単純な戦闘力だけではなく、精神的な面も含めて、この銀幕市でも上位にくる人物だ。だがしかし、宇宙人までは相手にしたことがないだろう。
ランドルフには精神的な制限があるものの、身体能力は抜群だ。彼が真の意味で『暴走』すれば一瞬で決着がつくはずだが、今回もその瞬間は訪れないだろう。
「まったく。我慢強い御方だ。ご自分の欲望に正直になられたら宜しいでしょうにねぇ」
そう言ってくすくす笑う。
太助はトリックスターだ。彼の変化の能力はある意味無敵である。ただし問題は彼が子供であること。
「お子様は甘いですからね。お二人の足を引っ張らねばよいのですが」
発言の内容とは逆に、ベルヴァルドは状況を面白がっている様子だ。彼にとっては市長が殺されようが殺されまいが関係ないのだろう。むしろ殺された方が自分にとってより面白い事態になるかもしれぬとまで思っているかもしれない。
ベルヴァルドは今回、観察者として、これから起こるであろう血生臭い戦いを心ゆくまで堪能するつもりでいた。
ところが、彼と同じ状況の男性を発見するに至り、興味がそちらに移ってしまった。市長邸の向かいの邸宅の一室から、望遠レンズを使って成り行きを記録している姿が視えたのだ。
ベルヴァルドは朱色の唇をにやりと歪めると、ふわりと飛び立った。
シャノンは手首に鈍痛を覚えて顔をしかめた。
鋼鉄製のナックルダスターに亀裂が入っている。
「予習と言ったか」
地面にのびていたはずのスティグラが、両膝を胸元に引きつけるように足を折りたたんだ。足を跳ね上げる反動と地面についた両手を使いバネのように立ち上がる。その動きは軽く、まったくダメージを感じさせない。
「なるほど動きを読まれているな。あらかじめ映画を観て、我(われ)の動きを研究してきたか」
片手で土埃を払う際にマントがめくれ、全身に帯びている鎧のようなものが見えた。
シャノンが舌を打つ。
「貴様の腕力はたいしたものだ。だが、このチリニウム合金製の鎧を割るほどではない」
「なるほどね。映画じゃ、簡単に破壊されてるように見えたんだがな」
「それこそイレスの拳もチリニウム合金製。同じ硬度なら破壊されもしよう。貴様の拳はテツといったか。所詮地球の金属だ。チリニウムには傷ひとつ付けることはできぬ。つまり、貴様の攻撃は当たっても意味がないのだ」
淡々と告げるスティグラに、シャノンの表情にも焦燥の色が濃くなる。
「ここまで丁寧に説明してやったのだ。もうよかろう?」
シャノンのことなど完璧に無視して、かたわらに落としてしまったブレードを拾おうとする。
「いいわけないだろ!」
予習のネタがバレてしまった以上、敵に刀を使わせるのは危険だった。俗に、真剣を持った有段者に無手(むて)で対抗するには、それ以上の段位が必要と言われている。つまり、刀を持った初段の剣道家には、少なくとも二段以上の実力を持った空手家でなければ勝てない。
シャノンの姿が霞んだ。まわりにいた警官隊の目にはそう見えた。
だが実際は短い助走のあとスティグラに向かって跳んでいる。ジャケットを黒翼さながらに羽ばたかせて、獲物を狙う猛禽類のごとくに。
目にもとまらぬ速さとはまさしくこのことだ。
「愚かな」
スティグラが、右からのシャノンの跳び蹴りを左腕でふせぐ。
「まだだ!」
シャノンは蹴り足と相手の左腕との接点を中心に、そのまま空中で身体を反転させると、遠心力を利用して頭頂に左踵を叩き込んだ。ブーツと兜がぶつかり合う音が鈍く響く。
スティグラは一瞬だけぐらりと傾(かし)いだがそれきりで、逆に右手でシャノンの左足をつかんだ。飛ぶ力を失った鳥は重力に引かれるしかない。シャノンの身体は落下し、罠にかかった獲物のように宙づりにされてしまった。
「空中では身動きがとれまい? 不用意に跳ぶものではない」
「俺は無視されるのが嫌いでね。自己主張の強い方なんだ」
不敵な笑みの中、眼光は鋭く敵を射抜いている。
「我の好きな言葉に不屈というものがある。だが、弱者の不屈は無様と背中合わせだ」
「残念ながら俺は弱者じゃない。だからこの格好も無様ではないさ」
負け惜しみととったのか、馬鹿にされているととったのか、とにかくスティグラはそれ以上シャノンと話をする気はないようだった。シャノンのことを、力任せに大きく放り投げた。
シャノンは空中で体勢を立て直し、両足から着地した。
スティグラの目が細められた。視線を足元へと落とし、再びシャノンへと移す。
「ほぅ、職業は護衛かと思っていたら、盗人だったか」
「人聞きの悪い言い方はやめてくれ。これでも今夜は商売に来てるんだ」
シャノンの手にはレーザーエッジブレードが握られていた。宙づりにされ、投げ飛ばされた際に、拾っていたのだ。
「もとからそれが狙いか?」
「たまたまさ。転んでもタダでは起きない性質(たち)でね」
嘘か本当かわからない口調で肩をすくめ、ブレードを遠くへ捨てる。
「ふむ、あなどっていたか。仕事とは別に、少し相手をしてやろう」
スティグラが半身(はんみ)になり両拳を突き出した。地球風にいえば中国拳法の構えに近い。
シャノンは両手の平をひろげて、それを胸前(きょうぜん)で構えた。さきほどまでのファイティングスタイルとはまた違う構えだ。
ざっ、と地面を蹴る音が同時に流れ、ちょうど中央で二人は激突した。
スティグラの連突きをシャノンが手のひらを使って受け流す。
シャノンが蹴りを放ちスティグラが力ではじき返す。
しばらく、拮抗した力と技の応酬がつづく。
戦局が動いたのはシャノンがスティグラの手首をつかんだ時だった。
シャノンは左手でつかんだ相手の手首を引きながら、さらに右手で肘の関節をつかまえた。
スティグラの戦士としての勘が危険を告げる。手首と肘に激しい痛みが走った。
シャノンは以前に合気術を習得している。相手に気を合わせ、力に逆らわず、利用するのが合気だ。手首や肘をつかんだだけで関節にダメージを与えることができる。さらに関節を極(き)めたまま投げれば、破壊することもできる。
打撃が通用しないのなら、鎧の中身を破壊する。シャノンの意図はそこにあった。
「ぐあああっ!」
スティグラが咆吼する。力業で無理矢理に腕を引き抜く。
「ぐっ」
シャノンの指から爪がはがれ、スティグラは後方へ跳躍して空へと逃れた。一度体勢を立て直すつもりだ。
「逃がすか!」
シャノンは追いすがるようなことはせず、その場で両手を上空のスティグラへと向けた。腕に取り付けたギミックが作動し、ジャケットの袖口から銃が飛び出す。
空中では身動きがとれない。狙いをつけるのは簡単だ。鎧の隙間に当てれば地球製の弾丸でも効果があるはずだ。
二丁拳銃の引き金を引こうとして、ふと違和感に襲われる。
さきほどスティグラ自身が言ったではないか。空中では身動きがとれまい、と。ではなぜ、みずからその空中へ跳び出したのか。しかもあれほど高い位置まで跳んだのは?
「罠だ!」と気づいたときには時すでに遅く、スティグラが置いていったレビウム小型爆弾がシャノンのブーツに転がり当たった。
「洒落にならない置き土産だ!」
閃光が炸裂した。
「てめぇら、誰から依頼を受けやがった?」
ランドルフに首根っこをひっつかまれ、ガンジラは「ひっ」と軽く悲鳴をあげた。
ランドルフの様相が一変している。体格が二回り近く膨張したため、着ていた服は腰の部分を除いて破れ去り、隆々たる筋肉があらわになっていた。頭頂から生えた二本の角は鈍い光を放っている。
覚醒状態。ランドルフが本気を出した証(あかし)だ。
ガンジラは苦悶の表情でそれでも口を固く閉ざしている。依頼人の名を白状する暗殺者など存在するはずもない。
「答えたくないんなら別にそれでもいいんだぜ? その分俺が楽しい思いをするだけだからな!」
鬼気迫る形相で睨まれ、ガンジラは必死に目をそらした。それほどに今のランドルフは恐ろしかった。
「殺しちゃだめだぞ」
太助が、彼にしては厳しい口調で忠告する。彼はいま狸の姿に戻り、腕を組んで立っていた。
「こいつらは、雇われたんだ」
指さす先では、オンドゥラが時折痙攣するように身を震わせるだけで、動くことができないでいた。それでもプレミア・フィルムに戻ってはいない。
「悪い奴を殺すのも、悪いことだ」
太助は断言した。
そう言い切ってしまえる今の気持ちの中身を、彼自身くわしく説明できるわけではない。しかし、その感情は、曖昧模糊としてつかみどころがないくせに、ほかの感情をおしのけて、強く存在をアピールしてくるのだ。
もちろんわかっていることもある。ムービースターをフィルムに戻すことに対する嫌悪感の始まりの地は、アズマ超物理学研究所だった。そこで見たもの、聞いたもの、すべてが太助の心に深く刻まれていた。
言葉にできなくとも、それが彼の今最も大事な気持ちであることに違いはなかった。
「殺すことは悪いことだ」
まわりのみんなに、なにより自分自身に確認するように、もう一度力強く告げた。
それを聞いたランドルフは思わずうめいてしまう。
ランドルフにしても、こういった拷問めいたことをすすんで実行しているわけではない。本心ではなるべくなら誰も殺したくはないし、傷つけたくもないのだ。
彼の行動の根底にあるのは銀幕市とそこに住む人々への想いだ。市長に告げたように、この銀幕市と、心を通わせた人々を守るために戦っている。
ここで黒幕を暴いておかなければ、再び市長の命が狙われることになるだろう。テロリズムとはそういうものだ。だからこそ、心を鬼にして犠牲を強いなければならない。
お互いに犠牲を悪しきものとして認識しつつ、太助と違い、ランドルフはやむをえない場合があると信じている。ランドルフと太助の、もしかしたら大人と子供の、相違点はそこかもしれなかった。
「そっちの狸ちゃんの言うとおりだぜ。オレたちを殺すことは悪いことだ」
ガンジラが長い舌を出した。
「暗殺者がそれを言うってのか?」
ランドルフの腕に力が入る。
「殺せよ! 仕事に失敗した以上、オレたちに明日はない。だったら、ここで死ぬのも、どこで死ぬのもいっしょさ」
「それほど失敗したくなかったんなら、予告なんざしなきゃよかったじゃねぇか?」
ランドルフは苛立ちまぎれ、八つ当たり気味に矛盾めいた恫喝をした。すると、ガンジラの大きな眼球がきょろきょろと動き始めた。明らかに様子がおかしい。
「なんだ? 吐く気になったのかよ?」
「いま、おまえ、予告って言ったか?」
「ああ、言ったが、それがどうしたってんだ。てめぇらが予告状を出したんだろうが」
「おかしいと思ったんだ! なんで警備がこれだけ増えてるのか? なんでおまえたちがオレたちのことを予習できたのか? チクショウ! ハメられた!」
ランドルフにつかまれたまま、ガンジラが地団駄を踏んだ。
ランドルフも太助もあっけにとられている。
「すると……予告状を出したのは、てめぇらじゃねぇってことか?」
「そんな間抜けなことをする暗殺者がいるかよ! クソッ! 何のために予告状を送ったのかはわからねぇが、誰が送ったかははっきりわかる」
忌々しげに唾を吐く。
「それが依頼者だな?」
途端にガンジラが口をつぐんだ。いくら裏切られたからといって、暗殺者の大原則を曲げる踏ん切りはつかないようだ。
「おい、おまえらもだまされたんだろ? だったらいいじゃないか。もう喧嘩する理由もないんだ。おれたちは、おまえたちに頼んだ奴のことが知りたいだけなんだ。それだけ聞いたら何もしないから」
太助が必死に訴える。これで誰も殺さなくても済む。みんな被害者なのだから。
「なぁ? そうだろ?」
太助に詰め寄られ、ガンジラが何か言おうと口を開いたその矢先。
「うあっ!」
太助が爆風にあおられて一回転した。
ランドルフはまぶしさに目を細めた。
真昼のような明るさが視界を席巻した。庭で何かが爆発したのだ。
残っていた窓ガラスも粉々に砕け、室内にはじけ飛ぶ。穴だらけだった壁面がみしみしと今にも崩壊しそうだ。
「市長!」
ランドルフの意識が背後の柊に向いた瞬間、ガンジラの金属糸がランドルフの右腕の肉を裂いた。思わず手を放してしまい、ガンジラが外へ走り去る。それまで体力を温存していたのかオンドゥラも素早い動きで後に続いた。
「くそっ! 市長、怪我はありませんか?」
ランドルフが右腕の出血をおさえながら問う。
「ガラスの破片で少し切ったが、大丈夫だ。それよりもシャノンくんを」
この爆発はおそらくシャノンの戦いによるものだろう。この分では苦戦しているのかもしれない。
「太助! ここに残れ!」
ランドルフがひらりと窓枠を乗り越え、ガンジラとオンドゥラを追う。
「嫌だ! おれもシャノンを助けに行くぞ」
太助もまた全力で三人を追い、再び暗黒を取り戻した夜の中へと消えていった。
「ご機嫌よう。こんな所で高見の見物ですか?」
ベルヴァルドは男の背後から片手を回して抱きしめ、もう片方の手で頬を撫でつつ耳元で囁いた。
「それよりも、私とお話でもしませんか?」
男は恐怖に顔面を引きつらせて腕を払った。
男が振り向いた時には、ベルヴァルドはすでに後方へと移動している。
「つれない態度ですね」
ベルヴァルドが男の反応を楽しもうと大仰に両手を広げる。
さらなる恐怖と混乱とを狙った行為だったが、男はむしろゆっくりと落ち着きを取り戻していくようだった。
「ベルヴァルドさん、ですね?」
「私を知っているのですか?」
意図したものとは違う結果に、不満げなベルヴァルドだ。
「ジャーナルにはすべて目を通していますから」
「情報収集は完璧というわけですか。ならば、お芝居は必要ありませんね」
部屋の片隅に置いてあったロッキングチェアに優雅に腰掛ける。
「なぜここに、とは訊かないのですか?」
ゆらゆらと揺れながら問う。
男は立ち尽くしたまま答えた。
「あなたがそういう人だと知っているからです。ただ単に興味を持ったのでしょう、私たちに」
「銀幕市民をよく研究なさっているようですね」
ベルヴァルドが恐ろしい悪魔であることも知っていることになる。それでいて、この男の落ち着きぶりはどういうことだろうか。揺さぶりをかける必要がある。
「君は彼らの雇い主ですか?」
彼らというのは暗殺者たちのことだ。
「随分ストレートに訊いてくるのですね。イエスと言えばイエスですが、ノーと言えばノーです」
「曖昧なお返事ですね」
男の言動から何かを見つけ出したのか、ベルヴァルドの瞳がサングラス越しに鋭い光を放った。獲物を見つけた狩人の目だ。
「正確な返答をお望みなら。私がグレス三兄弟に市長の暗殺を依頼しました。そういう意味ではイエスです」
「ということは、ノーの意味はこうですか。今回の計画を立てたのは別の人物である。直接の依頼主は君だが、黒幕は別にいる」
「黒幕という言い方は好きではありませんね」
少しだけ男の内面が揺らいだ。ベルヴァルドは彼の胸中に激しい怒りが渦巻いたのを見逃さない。
「では、何とお呼びすれば?」
「私たちは尊師とお呼びしています」
これはまた大層な呼び名だ。そう思ったが、口には出さなかった。
「偉大なお方なのでしょうね」
「もちろんです! 私たちは皆、尊師の教えに従って行動しています。私自身も尊師によって崇高な使命に気づかされました。今の私が在るのはすべて尊師の御陰です」
人間というものは、自分が好きなものを同様に好きと言われれば無条件でその人物に心を開いてしまう。
「どのような御方なのです、その尊師様は?」
「この銀幕市に混沌と秩序をもたらす御方です」
男の口調が熱を帯びていく。ベルヴァルドの術中であるとも知らずに。
「この街は混沌に満ちている。実に素晴らしい。尊師様はこの街に、更なる混沌をもたらしに来たのですね?」
「違います。そうではありません」
崇敬する人物に好意を寄せてくれた者が、間違った発言をしたらどうするか。修正してやらなければならない。それが同志としての義務だ。
「尊師が目指されているのは、混沌ではなく混沌の後に現れる新しい秩序です。現行の秩序の破壊、そして混沌の現出、新たな秩序の構築」
男はさらに語り続ける。
「たとえばここで核を爆発させたとしましょう。この銀幕市は跡形もなく吹き飛ぶでしょう」
「それが現行の秩序の破壊ですか?」
「いえ、違います。銀幕市が無くなってしまっては秩序も混沌もありません。それは単なる無です。秩序だけを破壊しなければ、混沌が訪れることもないのです」
「秩序だけを?」
「だからこそ私たちはまず現行の秩序の強度を測っているのです。誤って強すぎる力で秩序だけでなくすべてを破壊してしまわないように」
男の鼻から下で三日月が踊り狂っている。不気味に笑っているのだ。
「最初は弱い力で揺さぶりをかけてみました。たかだか銃を持った軍隊崩れどもに秩序を破壊する力はないとわかってはいましたが、予想以上に力が弱すぎた。秩序の表面にさざ波すら起こせなかったのですから。次の実験がこれです。今度は強すぎるかもしれない力をぶつけています。もちろん調節することも忘れていません。秩序に対して破壊力が圧倒的にならないように秩序側に有利となる情報を送りました。この結果次第では……」
「だいたいはわかりました」
なおも途切れそうにない長広舌を、ベルヴァルドはただのひと睨みで中断させた。
「私はこの街が心地よい混沌に沈めばよいと思っています。その方が楽しいと思いませんか?」
ベルヴァルドは再び優雅な動作で立ち上がった。
「ですけど、現行の秩序の破壊や新しい秩序の構築には興味がない。なぜならこの街はすでに私が望む混沌に近いからです。それよりも……」
ベルヴァルドが足音ひとつ立てずに男に近寄る。
「私は君に興味があります」
サディスティックな微笑に、男が魂ごと凍りつくのがわかった。
柊市長邸の庭に、三人の護衛と三人の暗殺者が顔をそろえた。状況を説明し合う間、暗黙の停戦状態になっている。
長男のガンジラは、ランドルフに割られた額から血を流していた。次男のスティグラは、シャノンにやられた右腕をかばっており、手持ちの武器はもうない。三男のオンドゥラは、いまだ電流のショックが抜けきらないのか動きが緩慢になっていた。
シャノンは、小型爆弾の直撃は避けたものの爆風をまともに受け、口元に血を吐いた跡があった。ランドルフは比較的傷が少なかったが、濃厚な血の匂いに自我を忘れぬよう自分と戦っているようだった。太助はまったくの無傷だったが、戦うことに消極的になっていた。
全員がそれぞれにダメージを負っている。しかし、戦いが終わる瞬間は今ではない。遠くはないが、今ではない。
「もういいだろ? おとなしくつかまってくれよ!」
太助が藁にもすがる気持ちで叫んだ。
三人から返事はなかった。
最後の瞬間が近づいている。
「ランドルフ、太助、とにかくあいつらを動けなくなるまで痛めつけるぞ。いいな?」
シャノンがぼろぼろになったジャケットを脱ぎ捨てた。
「シャノン、てめぇは休んでろ。そんな身体じゃ無理だ」
「いや、ここは三人一緒でなければ勝てん。俺に考えがある」
窮地においても相変わらずの不敵な笑みだ。シャノンの作戦に、ランドルフも太助も耳を傾けた。
「よし、それでいこう」
太助がいたずらっ子の顔で言う。
「うまくいったら、今度、なにかおごるぜ」
ランドルフがにやりと笑む。
「遠慮しておくさ。おまえのおごりなんて、どうせケーキかパフェだろ」
シャノンは苦笑を閃かせた。
三兄弟も戦闘準備が整ったようだ。スティグラが正面、ガンジラが左に、オンドゥラが右に展開し、それぞれバラバラに動き始める。
「いくぞ」
シャノンの声に、ランドルフも太助も大きくうなずいた。
ふっとシャノンの姿がかき消えた。かと思うと、濃い霧が立ちこめる。シャノンが霧状化したため、ランドルフの巨体も太助の狸姿も三兄弟からは見えなくなってしまう。
まっすぐにシャノンに向かってきていたスティグラが警戒して立ち止まった。
と、すぐに『二人の』ランドルフが霧の中から駆けだしてきた。どこからどう見てもどちらもランドルフだ。
「片方は狸が化けておるぞ!」
スティグラが注意を促す。
「こやつらの考えは……」
「スティグラ、わかっている! 作戦は続行だ!」
ガンジラがすぐに風景と一体化した。オンドゥラは一方のランドルフに向かって地面を這いずる。
兄が続行だと言ったからには、二人を見分ける方法があるのだろう。見分けがつかなければ三兄弟の策は成就しない。
スティグラはスティグラで自分の役割を果たさなければならない。彼の眼前には、元の肉体に戻ったシャノンがいる。関節を取られないように動けばいい。鎧を着ている限り、彼がシャノンに負けるはずはないのだ。
一方、ガンジラは何の迷いもなくオンドゥラとは逆のランドルフに近づいていく。彼には、そっちが太助の化けたランドルフだと確信があった。
三兄弟の作戦は単純なものだった。
太助はガンジラやスティグラにとっては比較的戦いやすい相手だ。ところが、オンドゥラに対しては致命的な相手となる。電気を操れることが判明しているからだ。しかし逆に、オンドゥラを物理的攻撃しかできないランドルフとシャノンにぶつければ勝利は確実だ。となれば、シャノンがスティグラに勝てないことは実証済みなので、オンドゥラとランドルフ、スティグラとシャノンという組み合わせを作れば負けることはない。残るはガンジラが太助を仕留めればいいのだ。
それをわかった上で、ランドルフたちも、太助がどちらかわからないように策を弄したのだろう。
ガンジラには見えていた。どちらのランドルフが本物なのか。
別々の方角へと走って逃げる二人のランドルフに、ガンジラとオンドゥラが迫る。
ガンジラが鉄の糸を投げ、ランドルフの一人ががんじがらめにされた。オンドゥラが飛びかかり、もう一人のランドルフも巻き付かれ、締めつけられる。
「おまえたちは間抜けなんだよ。いや、間抜けなのは狸か」
ガンジラが勝利を確信して嘲笑した。
「なんでわかった?」
皮膚に食い込む糸を憎々しげに睨みつけて、ランドルフが言った。
「おまえの左腕だよ」
ランドルフの青い瞳が微妙な感情の色に揺らめく。
「オレが傷つけたのは右腕だぜ? なんでおまえの左腕にその傷があるんだ? 間抜けな狸が化け間違えたんじゃないのか?」
ガンジラは、してやったりとニヤニヤが止まらない。確かに、オンドゥラが逃がさないように押さえているランドルフは右腕に傷があった。
左腕に傷のあるランドルフはうつむいてしまった。
その行為を降伏宣言とみなし、ガンジラはオンドゥラに命令する。
「そのデカブツを窒息させてやれ。間抜け狸はそのあとだ」
オンドゥラが右腕に傷のあるランドルフの顔面にとりついた。
「ということらしいが……太助、おまえ間抜け狸って呼ばれてるぜ」
ついに我慢できずに左腕に傷のあるランドルフは笑い出してしまった。
「もががーっ!」
どこかで聞いたことのある掛け声とともに、オンドゥラにやられていたランドルフがもわんと変化した。ガンジラにやられていたランドルフではない。オンドゥラの方が変化したのだ。
夜気を焦がしながら灼熱の炎が吹き上がる。電気ウナギなどという生やさしいものではない。パイロ・ヒドラ――全身に炎をまとった九頭の蛇だ。
「ギィヤァー!」
銀色の液体宇宙人はもはや触れることすらできず、蒸発してしまわないようにヒドラから逃げ出すだけで必死だ。
「おれは殺さない」
ヒドラの九つの頭がすべて同時にしゃべっているので多重音声のように聞こえる。
「でも、意地を張るならとことんやる」
あまりの高熱にヒドラがのたうった部分の地面は溶けかかっていた。
「どうだ? 降参するか? しないなら、さらに火を吹きかけるぞ」
ヒドラは、しゅるしゅるという舌の出し入れをやめ、大きく息を吸い込んだ。九つの砲台がオンドゥラに狙いをすました。
目に見えてはっきりとオンドゥラが震え出す。
「……オレ、ナニモシナイ」
答えたオンドゥラは、すでに小さな円い水たまりのようになっていた。
開いていた口を閉じ、太助はようやく安堵の溜息をついた。溜息も九つ。
あとはランドルフとシャノンに任せておけばいい。
「ってわけでね。残念だが、俺は本物のランドルフだぜ」
ランドルフが身を縛っている糸をわしづかみにする。軽く引いただけで、ガンジラの身体は宙に浮いた。
「なんでだーっ?!」
夜空を舞いながらガンジラが叫ぶ。当然ながらランドルフには質問に答えてやる義務はない。
策略にはまったのはガンジラたちの方だった。シャノンの考えた作戦はランドルフの腕の傷を利用して相手に勘違いを起こさせるものだったのだ。シャノンの霧に隠れた際に、ランドルフはまず自己治癒能力を使い右腕の傷を目立たないようにふさいだ。そのうえで、自分で左腕に似たような傷をつけたのだ。あとは太助が右腕に傷を負ったランドルフの姿に化けた。
ガンジラは見事に罠にかかってしまった。
三兄弟に必勝の組み合わせがあったように、シャノンたちにもまた勝利への組み合わせがあった。まず変身できる太助がオンドゥラを倒すこと。そして……
「シャノン! いくぞ!」
ハンマー投げの要領でしっかり狙いをつけてガンジラを放り投げる。絶叫を残しつつ一直線に、姿の見えないカメレオン型宇宙人は弟へと突進した。
「なにっ?!」
シャノンとの戦いに気を取られていたうえに、兄は目に映らない。避けようもなく、スティグラはガンジラともつれ合うように地面に倒れた。
「兄者、これはどういう……」
立ち上がりかけたスティグラの視界内に突進してくるシャノンがいる。性懲りもなく跳び蹴りの体勢だ。いくら攻撃が当たってもダメージを与えることはできないのに。
「愚か……」
いや、違う。視界の隅っこに別の人物をとらえて、スティグラは咄嗟に振り返った。
身長五メートルにも達しようかという巨躯の持ち主が地響きを立てて迫り来る。
「オオオオオォォォッ!」
オーガとしての力のすべてを解放し、暴走状態となったランドルフだ。極限まで膨れあがった筋肉がみなぎる力を発散する場所を求めている。まさに鉄拳と呼ぶにふさわしい巨大な拳骨が振り上げられた。
シャノンの腕力でチリニウム合金が砕けないのなら、腕力で遙かに勝るランドルフがスティグラを倒せばいい。そして、居場所さえわかればシャノンのたった一蹴りでガンジラは戦闘不能におちいるだろう。
オンドゥラに太助、スティグラにランドルフ、ガンジラにシャノン、これが勝利の方程式だ。
「我々、グレス三兄弟が地球人ごときに!」
スティグラの最後の台詞は負け犬の遠吠えでしかなかった。
ランドルフの一撃とシャノンの一撃が交差する。
オーガの拳がスティグラの鎧の腹部を破壊し、ヴァンパイアの蹴りがガンジラの頭部を強打した。
こうしてグレス三兄弟とボディーガードとの戦いは終結した。
「君が出演していた映画の名を教えてくれませんか?」
とても単純な質問。
男は答えない。答えられない。答えてはいけない。
「こう見えて私はそれなりに多くの映画を観ているのです。楽しいですよね、映画は。でも、私の記憶にあるどの映画の出演者にも君はいなかったように思うのですが、いかがですか?」
「うるさい。黙れ」
突如として男の態度が豹変した。目が血走っている。
ベルヴァルドは能面のような無機質な微笑を崩さない。
「答えになっていませんよ? さっきまで何でも答えてくれたじゃありませんか」
「黙れと言っている!」
殴りかかる。男の肉体はベルヴァルドをすり抜ける。
闇雲につかみかかる。結果は同じだ。人間が悪魔に触れることなどできはしない。
「君は尊師とやらが崇高な使命に気づかせてくれたと言いましたね。それはひとえに、それまで君に使命がなかったということに他なりません」
男の動きがぴたりと止まった。
「俺には、使命がある。使命があるんだ」
耳をふさいで目をつむる。何も聞きたくない、何も見たくない。彼が聞きたいのは、彼を肯定してくれる尊師の言葉であり、彼が見たいのは、彼を認めてくれる尊師の眼差しなのだ。
「空っぽ、ですね」
男がびくりと肩を震わせる。
「俺は空っぽじゃない!」
「空っぽですよ。君自身も気がついているはずです。目をそらしているだけだ。現行の秩序の破壊、混沌の現出、新しい秩序の構築、秩序の強度測定、崇高な使命も、すべて君の持ち物ではありません。尊師という他人の持ち物です。君の内側に君自身は存在していない。君という存在の中身に詰まっているのは、尊師という赤の他人です。つまり……」
ベルヴァルドは故意に間を置いた。
「空っぽです」
男が膝から崩れ落ちた。
魂が絶望に落ちていく瞬間ほど甘美な時間はない。狂おしいほどに目の前の男が愛おしい。
「この出会いに感謝しますよ。美味なる食事にも感謝を」
ベルヴァルドの冷たい手のひらが男の頬を優しく撫でた。
慈愛に満ちた、神のごとき抱擁。
魂の摂取とともに男の記憶が流れ込んでくる。出番と同時にただ主人公に銃で撃たれて死ぬだけの人生。名前すらないエキストラでありエトセトラ。そんな彼が銀幕市に実体化し、脇役でない何かになりたがったのも不思議ではない。
人であれば彼の境遇を哀れんだかもしれない。けれど、ベルヴァルドは人間ではなかった。
魂を喰らい終えると、男の身体が一本のフィルムへと変わる。ベルヴァルドは今宵の収穫に満足してその場をあとにした。
外へ出ると、ちょうどシャノンたち三人の戦いも終わり告げたところだった。
見事に仕事をやり遂げた知人たちの姿に、ふと疑念がよぎる。
男の記憶にたびたび現れる尊師の考え。こうして三人が勝ったことこそ秩序の為せる業なのだろうか。エキストラとムービーファンとムービースターが入り交じって生活する銀幕市は混沌の海を漂っているのではないのか。
人であれば疑問の渦に巻き込まれたかもしれない。けれど、ベルヴァルドは人間ではなかった。
何事もなかったように月へ向かって飛翔するベルヴァルドの表情は、晴れ晴れとしていた。
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クリエイターコメント | 三作目になります。西向く侍です。
黒幕を作ってしまいました……
参加していただいたPL様にすこしでも気に入っていただいたなら幸いです。 |
公開日時 | 2007-09-17(月) 20:20 |
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