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<ノベル>
残った者の思いが去った者に届くかどうかなど誰にも分かりはしない。
だから、こういった儀式は残った者のために行われるものであるのだろう。
(こんな事しても自己満足だって分かってるけどね)
新倉アオイは自らの行動に苦笑しながら平和記念公園へと赴いた。まだ明るい空の下、タナトス黄金将の残した薔薇が今日も咲き誇っている。
噴水の音が聞こえる。泉の前に佇む北條レイラの姿を見つけ、ふと足を止めた。この泉と噴水を作ったのはレイラの夫だ。
「北條さんも手紙を?」
レイラに声をかけたのは吾妻宗主だった。レイラは凪いだ湖のような瞳で肯いた。
「ええ。書くまでもないとは思いますけれど」
「俺も手紙なんて柄じゃない……かな」
宗主は穏やかに苦笑した。
「手紙ってのは柄じゃねーけど、俺も俺に出来ることくらいは手伝ってみるか……」
秋津戒斗は無意識に肩の辺りに手をやった。そこを定位置にしていたバッキーはもういない。
「居たら居たで落ち着かねーけど、居なかったら居なかったで落ち着かねぇんだな」
持て余した手をポケットに突っ込み、思わず苦笑した。
「すみませーん! これ、どこに運べばいいですか?」
「あらあら、若いのに働き者ねえ」
薪を抱えて走り回っていた三月薺に佐藤きよ江が手を貸した。
「ありがとうございます」
「いいのよ。疲れたでしょう、煮物食べない?」
きよ江は設営を手伝う傍ら、大量に煮物を作って無料配布していたのだった。作業で腹を空かした面々には概ね歓迎されている。
そんな人々の様子を見守りながら小日向悟は会場設営に励んでいた。笑顔を絶やさないようにしながら。
淋しさも感謝も切なさも痛みも幸せも全部大事にしたい。皆の想いを受け止め気遣うことは忘れないが、この三年間は奇跡で幸せだったのだと思うから。
(楽しく行こう)
今日は盛り上げ役になろう。夢の女神が罪の意識で泣いたりすることがないように。
日が暮れる頃になるとパトカーが到着した。火を使った催しということで、念のため数人の警察官が派遣されたのである。流鏑馬明日もその一人だった。
「お手紙は書きましたかー?」
本部テントの前で薺が声を張り上げている。傍らの長机には紙とペンのセット。
(そういえばリオネにお礼を言ってなかったわ)
「明日さん」
テントに入って筆記用具を借り受けると、リゲイル・ジブリールが駆け寄ってきた。
「リガ。たくさん書いたのね」
「うん。迷ったけど、これが一番伝わる気がして」
リゲイルは十数枚の紙束を手にしている。彼女の溌剌さに空元気めいたものを見てとり、明日は「そう」とだけ応じた。
「じゃ、また後でね!」
「あ、リガ――」
リゲイルはあっという間に立ち去ってしまった。
ベンチに腰掛け、リゲイルは息をついた。
気を抜くとぼんやりしてしまう。哀しみはまだ消えていない。彼等は自分の笑顔と幸せを願ってくれているというのに。
遠目には恋人が植えた庚申薔薇。
不意に後ろから肩を叩かれた。
「大丈夫?」
悟だ。煮物が入ったパックを手にしている。
「お腹空いてないかと思って」
「やっと見つけたわ」
明日も姿を見せた。リゲイルを追って来たらしい。
「……美味しい」
「暖かい味ね」
「うん。美味しい」
並んで煮物を口にし、三人はごく自然に微笑を交わした。
日が暮れると会場は静かにライトアップされ、屋台にも次々に灯が入った。遠くからそれを目にした飛び入り客もちらほらと姿を見せ始める。
「ねー、目玉焼きサービスになんない?」
「ははっ。可愛いお嬢ちゃんに頼まれちゃ断れねえな」
「サンキュ」
目玉焼き乗せの焼きそばをゲットし、浅間縁はウインクとともに小銭を差し出した。
手紙は書いていない。柄ではないからだ。だが、催しそのものは面白い考えだと感じている。
「あ、縁ちゃん。手紙書いた?」
本部テントの前では薺が声をかけられ、縁は肩をすくめた。
「改めて言葉にするのがどうも苦手なんだよね。言いたいことはその場で直接言っちゃうタイプだし、まぁいいかなって」
そしてひらひらと手を振り、再び夜店の列の中へ消えた。
「一緒に届ければ……え? 駄目なの?」
手紙と一緒に煮物を燃やそうとしたきよ江は戒斗に止められた。食べ物は大切にとひとパックだけにしようとしたらしい。
代わりにと、きよ江はスーパーまるぎんの割引券とチラシを取り出した。
「またいらっしゃい。店長に言っておまけしてあげるからね」
それは成長して家を出る我が子を見送る心境だった。
悲観はしない。会えない可能性があるのと同じく、会える可能性も否定しない。根拠はまるでないけれど。
手紙は続々と集まっている。綺羅星学園の学生の保護者役を兼ねて訪れた森砂美月はリオネへのメッセージを携えていた。
『リオネさんへ
もうリオネちゃんとは呼べないですね。一緒にカレーを作ったのは良い思い出です。
貴方のした事は、神様としてはいけないことかもしれないけれど、私は感謝しています。殺伐としたこの世の中で、夢を見ることの大切さや人との繋がり、絶望を受け入れることを確かに人々に思い出させてくれたから』
その後にも長い文章が続き、最後はこんな一言で締め括られていた。
『出来ればまた夢の中で会いましょう』
届くかどうかは分からない。けれどきっと届くと信じている。
リオネに手紙を書いた者は無論他にもいた。
真船恭一。
『今でも君や彼らが居ない事を寂しく、辛く感じます。だが、あの魔法によって過ちも喜びも後悔も経験し、心の幅が広がったと思うのです。何より、出会った日々と多くの命を忘れたくない。だからどうか、なした事を全て悔いるのはやめて下さい。
魔法によって起こった悲劇と奇跡を忘れずに見つめ、今後に活かしてくれる事を願います。
素敵な夢を、可愛い息子や彼らに会わせてくれて有難う。本当に有難う』
二階堂美樹。
『素敵な魔法をありがとう。確かにみんなと別れるのは辛いし、泣いたわ。だけど、こんな風に別れ難く思う相手に出会えて、私はとても幸せなのよ。別れの涙は、素敵な出会いがなければ、流したくても流せない涙。悲しいだけの涙じゃないの。大切な出会いをくれた、あなたとあなたの魔法に心からの感謝を。罪ではなく素敵な思い出として、あなたのことをずっと忘れないからね。いつかまた、こっそり遊びに来てね』
七海遥。
『大変な事もあったし、お別れは悲しいけど、出逢わなければ良かったなんて思いません。夢みたいな毎日を過ごせて、凄く楽しくて幸せでした。掛け替えの無い思い出が出来たのはリオネちゃんのお陰です。本当に、有難うございました!』
流鏑馬明日。
『リオネちゃんへ
あなたの魔法のおかげで、親友と呼べる人も出来たし、運命の人と出会う事が出来ました。
別れる時はつらかったけれど、出会える事の無かった人と出会えた事は一生の宝ものです。
心から有難うを言わせて下さい』
リゲイルは大きな紙に一文字ずつ、計十四字をしたためた。
『Большое Спасибо』
ロシア語でどうもありがとうの意味である。スターへの気持ちも込めて、リオネ宛に。
一通り準備が整い、戒斗は夜空を仰いだ。
「そろそろかな」
濃い藍の天球からいくつもの星たちが見守っている。
開会の挨拶も点火のカウントダウンもない。一時的に照明が消された公園の中、橙色の明かりがぽっと灯った。
明かりはすぐに大きくなり、静かな唸りとともに炎に変じた。集められた手紙は身をよじりながら火の粉になり、爆ぜた。歓声は起こらなかった。誰もが思いを胸に抱いて炎を見つめていた。
「リオネちゃん、スターの皆さん、シオン……」
遥はとうとう泣き始めてしまった。
「みんなみんな、本当にありがとう……!」
空に向かって叫ぶ遥の半歩後ろで従兄の戒斗が見守っている。
対照的に、水瀬双葉は晴れやかな表情で手紙を火にくべた。
『ムービースターのみんなへ
今までありがとう。
みんなにとって銀幕市でのことってどうだったのかな。
楽しかったならうれしいな。
みんながいなくなってさびしいけど、もう泣かないよ。
どっかで見てるみんなに心配させたくないもんね。
それじゃ元気でね。
いつか、また会おうね!』
薺も一緒に暮らした闇魔導師やパン好きの青年への手紙を火に投じた。内容は秘密だ。
(こんな時……きっと、はしゃぎまくるんだろうな)
威勢の良いうさぎのスターのことを思い出す。あのうさぎなら全屋台制覇を目標に会場を闊歩していたに違いない。
宗主は二枚の紙を手にしていた。一枚目は同居した天使への手紙、二枚目は思い出しながら書いた天使の笑顔のデッサンだ。
『相変わらず気ままに仕事してると思うけど。何所に居ても変わりがないのはわかってる。偶然であっても屋上に落ちた事、出逢えて面白かったよ』
煙を透かして星を見つめているとともに過ごした日々が蘇る。滲み出す感情は心地良いが、今日ばかりは感傷的になっていた。
別れや死ではない。だが、こんなふうに親友の姿を想うことがあっても良い。
宗主の傍らで、アオイはスター宛ての手紙を燃やした。
『会えて、よかった。
本当に、心から、そう思うよ。
ありがとう』
「これで本当にメッセージ届いちゃったら、また字が汚いって怒られそうだな」
苦笑めいた笑みをこぼすアオイの隣でレイラもスターへの手紙を手にしていた。
『私と共に居てくれると言ってくれた貴方だから、きっと手紙なんて書くまでもなく私の事を知っていてくれるのでしょう。
だからこれは私の日記です。
この街に来て、私は色んな事を知りました。
人がどうして人と関わらなくては生きて行けないのか、どうして独りでは歩いて行けないのか、その本当の意味を。
別れよりも、出逢いを尊ぶ勇気をくれたのは貴方です。
ありがとう。
最愛の夫へ』
手紙を火にくべたレイラの手をアオイが黙って握り、レイラも静かにアオイの手を握り返した。
(夢を与えることを……恐れないで)
美樹にはリオネを責める気持ちも恨む気持ちもなかった。別れを恐れ悲しむあまり出会い自体を否定することなどできない。だからただただ感謝している。
リオネに手紙を書いたイェータ・グラディウスは背筋を伸ばして煙を見つめていた。
『理晨を幸せにしてくれてありがとう。おまえのお陰であいつは救われた。別れの涙すら、俺たちには宝物だった。その時間を与えてくれたおまえが、俺たちのために流してくれた涙を忘れない。おまえが、神の世界とやらで健やかに在れるよう、祈る』
彼女の魔法に感謝を。彼女がこの街で得たすべてに祝福を。そして、彼女が流してくれた涙に最大の敬意を。長くはない文面にその思いを込めた。
月下部理晨もまたリオネにメッセージを宛てた。
『出逢わせてくれてありがとう。リオネのお陰で俺の大事な“弟”が陽だまりみたいに笑えるようになった。その笑顔を見られたのはリオネの魔法のお陰だ。色々あったけど、感謝してる。だから、ごめんなんて言わないでくれ。あいつのために泣いたのだって、俺にとっては宝物なんだから』
燃える、燃える。手紙は燃える。熱に焦がされ、煙になって、風と一緒に舞い上がる。それに合わせて理晨の眼差しも徐々に空へと向かっていく。
「……ありがとう」
星々に彩られた空を仰いで理晨は呟いた。夢の女神に届くようにと祈りながら。
同じように星を見上げたイェータも、声が届くようにと静かに目を細めた。
静かに、優しく、儀式は進む。心地良い喧噪に包まれながら。
悟は頃合いを見計らって拡声器を手にした。
「ひとつ提案があるんですけど……皆で思い出の歌を歌いませんか? 歌もね、届けられたらステキじゃないかなって思うんだ」
穏やかな同意があちこちから起こり、次いでハミングに似た小さな歌声が生まれた。
ある者はスターが歌っていた曲を。ある者はスターの好きな曲を。ある者はスターの出演映画のテーマを……。各々が各々の歌を静かに口ずさむ。
合唱でなくとも良い。人の数だけ思い出はある。歌も、思い出の数だけある。
「こんなこと言ったら怒られるかもだけど」
縁は小さく笑った。
「ぶっちゃけ届いてなくてもいいんじゃないかって思ってる。これだけ誰かを思ってる、誰かが思われてるってこと自体が大切なんだよ。きっと」
「……うん」
傍らの薺も目を細めて肯いた。
燃える、燃える、炎は燃える。手紙という名の想いを抱き、歌声を乗せて。
風が届けてくれるだろう。変わらずに輝く星々の元へと。
やがて炎が消え、灰だけが残っても立ち去ろうとする者はいなかった。屋台で余った食べ物が無償提供されたこともあり、静かな集いは尚も続いた。
儀式が終われば思い出話に花が咲く。
星の輝きは夜空に、皆の胸に在り続ける。
(了)
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クリエイターコメント | ご参加・ご拝読ありがとうございました。
多くは語りません。 人が記憶し続ける限り、星は輝き続けるのでしょう。 使い古された言い方ですが、真実ではないかと思います。 |
公開日時 | 2009-07-15(水) 18:50 |
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