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<ノベル>
空が暗い。
それは物理的なものである。
銀幕市のみならず、全世界が今はその動向を見守る。
その名はマスティマ。
すべての絶望を背負いし者。
それを前に、人々は膝を折り、人々は慟哭し、人々は呆然とそれを見上げる。
神々は告げた。
今こそ選択の時。
「タナトスの剣」をもってリオネに罰を裁きを与え、すべてを終らせるか。
「ヒュプノスの剣」をもって美原のぞみをつらぬき、常しえの夢を見るか。
それとも、どちらの剣も使わず、別の道を見いだすか……────
◆ ◆ ◆
ラズライト・MSN057は「選択」を終え、いつもの通りにハセガワ電気店の前を掃除していた。
その肩では司属霊であるシトリンがそわそわとしている。ラズライトはその額を軽く撫で、深紅の瞳を空へと向けた。
見上げれば、今にも咆哮を上げてきそうな絶望がある。
目を閉じる。閉じれば、騒がしくも楽しい日々が鮮やかに蘇った。
ラズライトの選択は、「タナトスの剣」を使うことである。世界とは、そこで生きる生命の為にあるのだと考えている。どんな選択をしようと、その代償を払わずにはいられないのだというのならば。
この地で本当に生きるべきなのは、神の子では無く、自分のような虚無の存在でも無く、ここで生まれ育った人々なのだと。
争いを望まない者を巻き込むわけにはいかない。
虚無の夢を継続させる為に、一人の少女の人生を奪う事も。
それはもしかしたら、ラズライトが歩んできた道のりにあるかもしれなかった。
ラズライトは、その種族を獸魔に置く。人類を滅ぼす為に創り出された生体兵器。普段は人と全く変わらない外見でその領域に紛れ込み、そして獣の姿に変化して狩る。人間以外を襲う事など滅多に無い獰猛な獣。
しかし、彼は恋をした。人類を滅ぼす為に創られた存在でありながら、世界の維持を提唱する<宵>の賢者の歌姫に恋慕したのである。彼女を守る為に正体を隠して<宵>の代行者となることを、彼は決意した。
そうして……彼は、銀幕市に実体化したのだった。
美青年(けもの耳と尻尾付き)に、愛らしい小動物。それを放っておく市民ではなく、それがきっかけでラズライトは銀幕市に関する情報を得た。映画の中で、ラズライトは獸魔である事が周知となっていた。彼は自戒を込めて獸魔としての本質である耳と尻尾を露出していたのだが、それが何やら別の方向で作用して、女子供に撫で繰り回された。そしてその道案内をしてくれた少年の店で、電灯に驚いたシトリンが放電し、商売道具である洗濯機などを壊してしまったのである。銀幕市に実体化してわずか数時間、借金を作ってしまった彼は住み込みで働くということで日々借金返済に勤しんでいるのだ。
しかし、思いはあった。来てしまった以上はどうにもならないのだし、一刻も早く魔法が解けて元の世界に戻れる事を願う日々だったのだ。自分の人生や最愛の人に訪れた悲惨な最期が、他者によって創り出された──設定されたものであるということに、少なからぬわだかまりを抱いていたから。
けれど、銀幕市に済む人々は優しい笑顔を、手を差し伸べてくれる。
そんな彼らを、ラズライトは好きになっていた。
だからこそ、とラズライトは思うのだ。自分のようなムービースターと呼ばれる異質な存在が居る事で、本来この街に在るべきムービーファンやエキストラが傷付くようなことがあってはならないと。
それに、ひと時であっても自分がこの街で共に過ごした証はある。様々な記録者が、それとして留めた。
存在が消えても、残るものはある。
勝手な言い分だと思う、けれどラズライトは、それを信じているのだ。
ラズライトは目を閉じる。肩でシトリンが心配そうに頬を寄せた。それに微笑んで、ラズライトは目を開ける。
その目が、よく見知った一人の少女に止まった。白い髪、その前髪にはメッシュを入れたような赤。それに気の強そうな赤い瞳。そしてその傍らに連れた黒い翼を生やした紅色の鰐のような生物。それはシトリンと同じ司属霊だ。
ラズライトは目を見開く。
「シルキィ……様?」
「青頭」
少女が口を開くが早いか否か。ラズライトは腹に衝撃を感じて蹲った。腕の引き、腰の捻りを見事に生かしたボディーブローが、その鳩尾に決まったのである。
「し、シルキィ様……」
「相変わらず辛気くさい顔してるわね」
今度はその頭に拳骨。ラズライトは頭を抱えながら、しかし自分が知る少女に間違いない事を確かに身をもって確信した。相変わらず口より先に手が出る方だと思わず微笑し、それを見た少女にさらにアッパーを喰らったのは言わずもがなであるが。
シルキィと呼ばれた少女は、シルクルエルという。ラズライトと同じく<宵>の代行者の一人である。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花とまで言わしめる可憐な容姿をしているが、その気性は激しく……ラズライトを見ればそれは一目瞭然であろう。
しかしその気性の激しさは、彼女の生い立ちに起因する。
幼い頃に事故で両親を亡くし、叔母の下で育てられた。どういった事故かはシルクルエル自身、よく覚えていない。だがそれがきっかけで「誰かに守られること」を嫌うようになったのは事実だ。持ち前の気の強さも相まって、自分の身は自分で守る、それが信条なのである。だから守ろうとする者は男だろうが女だろうが大人だろうが殴り掛かっていた。
それの一番が、幼なじみの少年であった。彼は親を亡くしたシルクルエルを可哀想だと言わなかった。心の底ではわからない。しかし、大人たちのような視線は向けて来なかったのだ。だからシルクルエルは彼を気に入っていた。大切な友人だと思うほどに。
けれどある日、少年は攫われた。獸魔に攫われたのだ。
シルクルエルは何も出来なかった自分が悔しかった。彼を捜す為に家を飛び出した。わずかな路銀と一本の剣と身一つで、長い長い旅を続けた。
それからどれだけ経っただろうか。シルクルエルは獸魔と戦い、その中で蒼水晶という獸魔が撒き散らす<灰の因子>を無力化する、魔力を宿した水晶を手に入れたのだ。それがきっかけで、彼女は旅芸人に扮した<宵>の代行者とその補佐をする信徒集団「精霊の鳥籠」に、半ば強制的な形で引き入れられた。しかしそれよりもシルクルエルが憤慨したのは、旅芸人一座を装っている事であった。正々堂々。それが信念でもある彼女は、そこでも気の強さを発揮し、公演への協力は一切拒否。周りに流されない我の強さは、気丈さが助け、一度として弱音を吐く事のなかったことからも知れよう。
「けれど、お懐かしい。いつ、実体化したのですか?」
ラズライトが立ち上がりながら聞く。シルクルエルはふんと鼻を鳴らす。
「レヴィアタン討伐の最中よ。まったく迷惑な話だわ」
シルクルエルは苦々しそうに顔を歪めた。
それもその筈だ。「精霊の鳥籠」歌姫、ラズライトが慕っていた彼女を妹のように思っていたが、敵である<暁>の一団によって死を迎えた。その敵を討つべく向かった先にあった真実は、<暁>の賢者がシルクルエルの探していた幼なじみの少年だったというものだった。
迷いもあった、悲しみもあった、けれどシルクルエルは、選んだ。幼なじみの少年を倒す事を。
その時だったのだ。シルクルエルが銀幕市に実体化したのは。
やり場の無い怒りはそのまま彼の絶望の一端、ディスペアーに向けられた。シルクルエルにとっての幸いは、怒りをぶつける相手がいたことであろう。
「あの時でしたか、今はもう懐かしく感じますね」
レヴィアタン討伐の際は、ラズライトもまたディスペアー討伐隊として参加していたのだ。
「青頭はいつ実体化したのよ」
ラズライトは目を見開く。シルクルエルが自分にものを聞くのは珍しい。思わず頬が緩む。彼女は少し怖いというのが本音だが、その芯の強さを尊敬してもいるのだ。
「僕はその四ヶ月ほど前に実体化しました。こちらのハセガワ電気店で住み込みのあるばいとを」
「あるばいと? あんたが?」
自分の力では決して無理だろうというような視線に、ラズライトは肩を落とす。
「はあ、実はこちらに借金を作ってしまい」
「いきなりっ!?」
「情けない限りですが、電気に驚いてシトが放電を」
「ばっかじゃないの!」
「……情けない限りです」
しょぼん、と耳と尻尾が垂れる。しかしそれに心ときめいてくれるシルクルエルではないのだ。しょんぼりとしたその鳩尾に再び正確無比の鉄拳が飛ぶ。再びラズライトは蹲った。今日は久しぶりに逢ったというのに、こればかりだ。痛いし怖いし情けないけれど、それでも「ああ、シルキィ様だなぁ」と思うラズライトは少しばかり天然が入っているかもしれない。もしくは、本人ですら気付いていない、淡い思慕か。
シルクルエルは蹲るラズライトを冷ややかに見下ろし、それから暗い空を見上げた。
そこには、すべての絶望を背負った者。
絶望。
だからなんだって言うのよ。
唇を一文字に引き結ぶ。
「青頭、あんた、何を選んだの?」
ラズライトは顔を上げる。そこにはきりとマスティマを睨み上げる、シルクルエル。
「……僕は、「タナトスの剣」を」
シルクルエルは深紅の瞳を大きく開いて、ラズライトを振り返った。ラズライトは切な気に空を見上げる。
「剣を使っても使わなくても犠牲が出ます」
ラズライトは目を閉じる。
閉じれば浮かぶ、ハセガワ電気店での日々。
騒がしくも楽しい日々。
それが日常となりかけていた。
戻りたいと願いながら、今この時も大切だと思えた。
だから、思う。
「何を犠牲にするのが最良かを考えると、この街で暮らされている全ての方にとっては、自分たちが消えるのが最良なのではないかと」
その言葉が最後まで紡がれる事は無かった。
本日五発目、しかも最大級のボディーブローがラズライトの鳩尾にめり込んだ。なんか変な音もした気がする。シトリンがおろおろと中空を飛ぶ。
「可能性があるのに戦おうともしないなんて」
蹲りかけたラズライトの胸ぐらをシルクルエルは引っ掴んだ。
「初めから犠牲を出す事を考えるなんて、冗談じゃないわ!」
その深紅の瞳が、文字通り怒りに燃えている。
諦める事や嘆き、弱音、「運命」や「必然」ですら、シルクルエルは否定する。自己犠牲的精神など、最も嫌うところだ。
「「勝てなかったら」じゃない、勝つのよ。絶対に!」
確かにこの銀幕市は、自分の生まれた場所ではない。歌姫の敵討ちに、その相手が例え幼なじみの少年であろうともそれを果たそうと決意した。そんな時に実体化した、この怒りはその張本人、夢の神の子に向けられている。勝手な事をされたと、もしも自分の目の前に現れたらぶん殴ってやろうと思っているくらいだ。
だが、存在している以上、己に誇れる生き方をする義務がある。
それは、シルクルエルがこれまで生きてきた中で確立されてきた信念である。世界が違かろうとそれは変わらない。
だから、シルクルエルは迷わない。
初めから誰かを犠牲にする事を考えるなど、愚の骨頂。
何もしていない内から無理だなんて言うヤツは、片っ端から鉄拳制裁をしてやる。
「相手がどんなに強かろうと、あたしは絶対に戦って」
恐れず、怯まず、屈せず。
それがシルクルエルという人間の座右の銘。
その手に力を込める。
「勝つわ!」
諦めるなんて許さない。
それは、自分を諦める事と同義だから。そんな事は、決して許さない。
「……あの」
恐る恐るラズライトは挙手する。息も荒いシルクルエルが、眉を跳ね上げる。
「では、あの、投票のし直しを」
言い終わる前に、その頬をぐーで殴られた。舌を噛み、ラズライトは涙目である。
「安易に自分の考えを変えるんじゃないわよ!」
さらにアッパー。ラズライトは彼岸が見えた気がした。実際、軽い脳しんとうを起こしているような気がする。目の前が真っ暗だ。
「よく聞きなさい、ラズ」
ラズライトは瞬いた。殴られた腹が、頬が、顎が、じんじんと痛む。視界には色鮮やかな深紅の瞳。
「戦う事に決まった場合は、ちゃんと戦いなさいよ」
ぎろりとこちらを睨め付ける少女。
その気迫と迷いの無さに、ラズライトは半分の呆れとそして半分の敬意を持つ。
「はい」
深紅の瞳でラズライトは微笑む。
「はい、シルクルエル様」
それをシルクルエルは傲慢に見下ろす。
そして、空を見上げた。
「あんな化物の好きにさせてたまるもんですか……っ!」
その時まで、あと僅か。
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クリエイターコメント | お待たせ致しました。 木原雨月です。
最後の選択の時、そして再会。 集合ノベルの前にお届けしたかったのですが、申し訳ない限りです。 ラズライト様の優しさ、そしてシルクルエル様の毅然とした様に悶えまくった記録者であります。 お気に召していただければ、幸いです。
口調や設定など、お気付きの点がありましたらばどうぞお気軽にご連絡くださいませ。 この度はオファーをありがとうございました! |
公開日時 | 2009-06-04(木) 18:30 |
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