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<ノベル>
少年がリュックサックを握り締め、その場から立ち去ろうとしたその瞬間だった。未だ月は柔らかな光を発しており、夜明けがまだ来ない事を暗に囁いていた。
「あ」
突如した声に、少年はそちらを見る。仕事帰りの水商売の女だろうか。妙に派手な格好に身を包み、不思議そうに少年を見ている。
「何してんの? 僕」
けらけらと笑いながら、女は近づいてきた。少年は小さく舌打ちをする。あまりに近づいてこられると、倒れている警察官が女の目に映る。右肩に、花を失せた茎だけが残ったままの警察官が。
あと少し、というところまで女は近づいてきた。少年相手だからと、何も警戒などしていないようだ。ほんのりと頬が赤いところを見ると、軽く酔っ払ってもいるようだ。
少年は背を向けて、女から遠ざかろうとする。が、またもや手の中の宝石がグロテスクに光った。
「続けて、だけど」
小さな非難は、すぐに無くなった。少年はぐっと宝石を握り締め、くるりと女の方に向き直る。
そうして、ゆっくりと宝石を掲げる。月の光を受け、女の肩にその光が向けられる。
「危ねぇ!」
どんっ!
声とともに、女はその場から突き飛ばされた。女は小さく悲鳴を上げて倒れ、何度も「痛」と言いながら体をさする。
「……邪魔、するの?」
女の代わりに左腕に光を浴びさせられたのは、刀冴(トウゴ)であった。すらりとした長身痩躯が、月光下で長細い影を作る。
刀冴は、呆然とする女に「早く逃げろ」と声をかける。
「俺がなんとかしてやるから、さっさと逃げるんだ」
通る声で女に言い放つと、彼女は何度も頷いてから覚束ない足で走り去る。彼女を追おうとする少年の前に、刀冴は「おっと」と言って立ちふさがる。
「俺、言ったよな? 俺は、お前を何とかするんだぜ」
「僕を何とかするって? ふ、ふふふ」
少年は笑い、ぎり、と宝石を握り締めた。光は相変わらず刀冴の左腕を捕らえている。
「何がおかしい?」
「何とか出来るなら、とっくの昔に何とかしてる。それなのにいまさら、何とかするって言うの?」
あはははは、と少年はひとしきり笑う。刀冴はゆるりと長剣を構える。
全長160cmもある大剣「明緋星」。
「その宝石が、さっきからいやな感じなんだよな。だからそれを、壊させてもらうぜ!」
刀冴はそういうと、剣を構えて地を蹴った。戦闘能力の差は歴然であり、一瞬で勝負がつくと思っていた。
だが、刀冴は剣を宝石に突き立てる前に、その動きを止めてしまった。
「お、前」
左腕から花が咲いた。いや、それだけならば刀冴の動きを止める事はできなかっただろう。白き花は、咲くだけなのだから。
刀冴は見てしまったのだ。少年の目に縋るような救いを求める、苦しい光があるのを。
ばたり、と刀冴はその場に崩れた。少年の目に隙を奪われ、咲き誇る花が赤色に染められるによって自由を完全に奪われてしまったのだ。
うう、と唸る刀冴の傍に、少年がしゃがみ込んだ。
「さようなら」
ぷちり、と花は手折られた。薄れ行く刀冴の視界の端に、逃げ切った女の姿がちらりと横切った。
(逃げ切れたか)
刀冴は小さく微笑み、完全に意識を失った。
呆然と座り込んでいた時、手を差し伸べられた事を崎守 敏(サキモリビン)は覚えている。
黒服に赤マントを纏う敏は、自分がいる場所がどこで、一体何が起こっているのかなんてさっぱり分からなかった。
それを教えてくれた暖かい手があった。詳しい説明をしてくれた。多大な感謝に、暖かな手を持つ少年は照れくさそうに笑っていた。
その彼の姿を、昨晩偶然に目撃してしまった。
(人々に、害を為しているんだ)
帰還への感情を、和らげてくれた「僕が寂しい」との言葉を、鮮明なまでに覚えている。
(悪いことをしてるなら、怖い目に遭ったって仕方ないのに)
見かけた段階で、怖い目に遭わせようとも思った。だが、出来なかった。
昨晩の出来事は見なかったことにして、放っておく事もできた。しかし、敏はこうして再び夜の闇を訪れてしまった。
「あの宝石、だよね」
敏はぎゅっと右手を握りしめる。ぎちぎち、と皮手袋が音を立てた。
口元に小さな笑みを携え、敏は歩を進めた。見上げれば、月が柔らかな光を発していた。
◆ ◆ ◆
刀冴は、夢を見る。
そこは果てなく広がる砂の世界だった。何故か裸足で、一歩踏み出すたびに砂の熱に小さな悲鳴を上げた。
(死ぬ為に、歩いているというのに)
喉が酷く渇く。ごくりと喉を鳴らすものの、口の中はからからで意味を持たぬ。
(これから死ぬというのに)
今、こうして歩いている事が不思議でならない。死す為の歩みを、生きて続けている。
倒れてしまえば、楽になるだろうに。この場で死んでしまえば、終わるというのに。
それでも死は恐ろしく、喉の渇きも砂の熱も死の恐怖には打ち勝てぬ。
空を見上げる。じりじりと照らす太陽は、体中を燃やすようだった。
◆ ◆ ◆
ベッドの脇にある椅子に腰掛けている十狼(ジュウロウ)は、うう、と小さく唸ったベッド上の刀冴の額にそっと触れる。
よっている眉間の皺は、眠りの中にある彼が苦痛を感じているのを示している。
「一体、誰がしたのですか」
口から出たのは静かな言葉ではあったが、その裏にどろどろと燃え盛るような熱が感じられる。
「どうして、ベッドの上に眠っているのですか」
体の奥底から湧き上がってくる、感情のマグマ。病室は適温に設定されているはずだが、十狼は暑さを感じていた。
身の内側から湧き上がる、熱を。
「若」
布団から出ている左腕に、花の無い茎が生えている。刀冴の内側から生じた茎で、抜こうとしても抜けないのだという。もっと言えば、触れる事はできてもそれ以上の事は何も出来ない。
(このような目に遭わせたのは、誰ですかね)
倒れている刀冴を発見したのは、夜中だったという。夜中に刀冴は何者かに出会い、左腕から醜悪な茎を生やされ、おぞましい眠りに誘われてしまったのだ。
「ふざけないでいただこうか」
十狼は静かに言うと、刀冴の病室から出て行く。窓の外は、既に暗い。再び、刀冴をベッド送りにした存在が現れる可能性は高い。
ぎり、と拳を握り締める。強く、強く、強く。
掌には爪の痕がついていた。
きゃあ、という声が響いた。
レドメネランテ・スノウィスは、びくり、と体を震わせる。夜のひんやりした空気が好きなレドメネランテにとって、夜空を見上げながらの散歩は特に珍しい行動ではない。
しかし、悲鳴は別だ。
「な、何?」
レドメネランテは小さく呟き、一瞬迷った後に声がした方へと向かう。突然聞こえた悲鳴は恐怖心を煽ったが、それ以上に何が起こっているのかが気にかかった。また、悲鳴の主の安否も。
声のした方を思い返しつつ、恐る恐る曲がり角からひょっこりと顔を出す。ふわ、と白に近い青の髪が壁を撫でた。
視線の先に、女性が倒れていた。レドメネランテは、声を上げそうになったのを何とか堪える。一つ深呼吸をし、倒れている女性に近づこうとする。
「あ」
その際、向こうへと走っていく少年を見かけた。リュックサックを背負った少年は、こちらを振り返ろうともせずに走り去っていく。
レドメネランテは少年を半ば呆然としながら見送った後、倒れていた女性に声をかける。女性からは、何の返答も無い。
ただ、彼女の右手甲には茎が生えていた。花の手折られた後の、茎が。
◆ ◆ ◆
刀冴は、夢を見る。
生きたい、と渇望していた。これから自分は死してしまうのだと分かっていても。
馬鹿馬鹿しい、と呟いた。
(何故、既に死した者を生きている者が慰めねばならない)
不条理に押し付けられた自らの運命を、恨むことしか出来なかった。選ばれたから名誉に思えなど、どうして言えるのだろうか。傲慢な理屈に、苛立ちすら覚える。
(次こそは、自分の番だ)
首にかけられた宝石を、ぐっと握り締めた。気付けば頬を伝っていた涙は、ぽたりぽたりと宝石に降り注がれていった。
◆ ◆ ◆
敏は少年を見つける。何かから逃げているかのように、足早にどこかへと向かっていた。
「久しぶり」
少年の目の前に、敏は立ちふさがる。少年はびくりと体を震わせ、足を止めた。
「君は……確か、敏」
「うん。あの時はありがとね」
敏はそう言い、少年の隣に立つ。不思議そうな少年に、敏はにこっと笑う。
「夜の散歩? 僕、ついていくよ」
「なっ」
「大丈夫。僕はただ、こうして君についていくだけだから」
敏はそう言い、少年の肩にぽんと触れる。気にしない気にしない、と言いながら。少年は一瞬頬を赤らめ、唇をぐっと噛む。
「邪魔、しないでよ」
「うん、しないよ」
にっこりと笑って頷く敏に、少年は踵を返す。その後ろを、とてとてと敏はついていく。
(あれ、だね)
少年の手に握り締めている石を、敏は確認する。少年にばれぬよう、そっと。
(その手から、必ず離れる瞬間があるはず)
今はただ笑い、傍を歩み、何気ないふりをする。
チャンスは、必ず来る筈だから。
唸り声を、覚えている。
うう、と唸っていた。苦しそうに、辛そうに。
それだけでも十分だというのに、左腕には気味の悪い茎が生えている。最悪な事態の象徴にも見えるそれを、引き千切ってやりたいのはやまやまだったが、何とか堪えた。
そう、堪えたのだ。
「だから、これは当然の行動なのです」
答えの返らない説明を十狼は口にし、意識を集中させる。彼を中心として、じりじりと空間が形成されていく。
ロケーションエリアかと一瞬見間違えるような、覚醒領域。天人独特の、ロケーションエリアとはまた違うエリアが展開されていく。それにより、十狼は領域内での生命の動きと、自らの身体能力を十二分に発揮させる事ができる。
「……あれですか」
静かに言い、十狼は怪しい動きをする生命の元へと向かう。地を蹴って進んだ先には、倒れている女とレドメネランテがいた。倒れている女の右手甲には、茎が生えていた。
「貴殿が、やったのか?」
十狼が尋ねると、レドメネランテは首を横に振る。
「ぼ、ボクが来た時にはもう」
「そうか。ならば、それをやった者は何処に行ったか、存ぜぬか?」
「え、えっと……あっちの方に」
「成程。では……」
レドメネランテが示した方向に進もうとすると、後ろから「あの」と声をかけられる。
「一体、何があったんですか?」
「何者かが、花を咲かせて重体へと陥らせておる。ええと」
「レドメネランテ・スノウです。レン、と呼んで下さい」
「では、レン殿。その女性を早く病院へと」
「病院へは、れ、連絡してあります。それよりも」
レドメネランテは、そう言ってぐっと小さな拳を握り締める。「ぼ、ボクも一緒に連れてってください」
おどおどと、しかしはっきりとした意思をレドメネランテは示した。何故、と問う十狼に、レドメネランテは口を開く。
「こ、これはチャンスなんです。だから、あ、あの……足手まといにならないようにするから」
レドメネランテは密かに思う。これは、チャンス。臆病な性格である自分を変える、その臆病さを直す事が出来るかも知れぬチャンスなのだと。
十狼はしばし悩んだ後、レドメネランテが抱く意思に、一つ頷いた。
「では、共に。私は十狼と言います。気をつけて」
「は、はい」
十狼とレドメネランテは走っていく。十狼の感じる、レドメネランテの指し示した方向へと向かって。
◆ ◆ ◆
刀冴は夢を見る。
徐々に死に至る感覚と、自分の心が宝石に吸い込まれていく感覚の両方が、頭の中を支配する。
(赤い宝石。溶け合う。いずれ死ぬ。だが生きる)
向けられるのは、生への執着。体が朽ち果てるとも、朽ち果てぬ器さえあれば魂は生き続ける。
何を犠牲にしたとしても!
――王の手駒となったとしてもか?
(構わない。泥を食んだとしても、生にかける思いは消えうせぬ)
良かろう、と答える声が聞こえた。手駒となりて、禍を為せと。
それこそが生の証、生たる痕跡。
――生きたいならば、他者の命を食むがよい。
笑った。否、朽ち果てた体では笑えぬか。
しかし確かに笑いを浮かべられた。既に魂が、宝石へと移行していたのかもしれぬ。
◆ ◆ ◆
何かが近づいてくるのを、敏は察知する。先程、何らかのエリアが出来上がったのは肌で感じていた。ロケーションエリアかと思ったが、どうも少し違うようだった。
(まあ、いいや。もしここに誰かが来るのなら、それもまた機会が生まれるだけだし)
敏の狙いは、少年が手にしている宝石ただ一つ。宝石こそが元凶の一端を担っているのであり、それを少年から離す事が帰着の一歩となる。
どういった契約を、少年と宝石が交わしているのかは分からない。だからこそ、まずは引き剥がす事が必要なのだ。
時折、少年は敏の方をちらちらと見てくる。邪魔をしないと言っているが、それを頭から信じられてはいないだろう。警戒心を過大に抱き、敏の動向をうかがっている。
例えば、少年に対して何かしらの攻撃をしかけるのでは、とか。
それを見せぬように、敏は微笑む。にこにこと笑う顔を見るたび、少年はばつの悪い顔をして目を背ける。疑っている自分を、恥じているようだ。
(恥じる必要は無いよ)
狙っているのは、少年の疑惑通り。
(邪魔もしない)
しなければならぬ行動は、一つしかない。
「貴殿か……!」
後ろからした怒りのこもった声に、少年と敏は振り返る。少年は更に強く宝石を握り締め、唇をかみ締める。
恨まれていると、即座に感じたようだ。そしてまた、それも仕方ないと。
敏は改めて、声の主を見る。
声の主は十狼であり、その隣にはレドメネランテが立っていた。
「じゅ、十狼さん。ボクが見たのは、リュックサックを背負ったあの」
レドメネランテの言葉は、最後まで続かなかった。その前に、十狼が剣を構えて少年へと向かっていったから。
少年はやってくる剣から身を守ろうと、宝石を掲げる。未だ月は出ている。ならば、十狼の体に花を咲かせて止める事も出来ると踏んだのだ。
「こざかしいっ!」
キインッ、という音が当たりに響く。剣は宝石に当たり、切り裂かんとする。しかし、宝石の硬度は普通のもの以上であり、傷一つつくことなく剣を跳ね返した。
「ならば、宝石ごと体を引き裂くまで!」
剣を再び構える十狼に、レドメネランテは「ま、待って」と制止の声を出す。
「あ、あの子を殺してしまったら、ヴィランズ扱いをされるかも」
「構わぬ!」
それくらいがどうした、と十狼は叫ぶ。
刀冴は意識不明の重体だ。その原因が宝石を持った少年にあるのならば、それを排除するまで。刀冴の身の安全の前に、その要因が少年かどうかなど塵以下の事実。
十狼の気迫に、じり、と少年は後ずさる。その場にいるだけで痛いほど伝わる怒りは、少年の全身を燃やしつくさんが如く熱い。
少年は「ああ」と声を出し、ゆっくりと後ろへと下がる。十狼は構え、呪を唱える。呪文は光となり、少年の持つ宝石を囲った。
呪いを封じる魔法だ。
宝石は十狼の放った魔法により、ぎらぎらと光る。それを見計らったレドメネランテが、宝石に向かって雪の魔法を放つ。吹雪となって放たれたその魔法は一瞬で宝石を凍らせ、反射によって少年の手は思わずびくりとして宝石から離れた。
「今だ!」
敏は小さく笑い、右の手袋を脱ぎ捨てる。そうする事によって現れた銀の七本指の手は、あっという間に宝石を掴んだ。
「……君は、何? 何に変わりたいの?」
微笑んだまま、敏は宝石に尋ねる。宝石はぎらぎらと光ったまま、何も答えぬ。そのうちに、少年の方が「ううっ」と唸り、その場に倒れた。
「だ、大丈夫ですか……?」
倒れた少年に、慌ててレドメネランテが近づく。少年は胸を押さえつけるように、身を屈めている。
押さえつけている場所は、心臓。
「そうか……君は、彼の心臓を捕らえているんだね」
ふふ、と敏は笑った。銀の七本指の手に掴まれた宝石は、ぎらり、と光って答える。
「ならば、その力を奪えばいいということか」
十狼はそういうと、手を天へと掲げる。すると、手の上に小さな黒竜が現れた。エネルギーを喰らう、魂で繋がれし黒竜。
「その意見、僕も賛成」
にこっと笑いながら、敏は頷いた。
◆ ◆ ◆
刀冴は夢を見る。
ずっとずっと、夢を見ている。
夢から与えられるのは苦しい感情で、後に生に渇望し死を厭うものへと変わっていった。
既に、男の生きる意味は王の手駒となり、他者の命を喰らう事だけが彼の生そのものと言える様にもなってきた。
「でもさ……それって、やっぱ違うんじゃねぇの?」
刀冴は夢の中で問う。それは違う、それは間違っているのでは、と。
男は爛々とした目で否と答える。生きる証は他者の命を食むことにあると。
「それ、手駒になってしろって言われた事じゃねぇか」
男は否と叫び、生きることが出来るのならば構わぬと答える。
「生きてねぇよ。あんた、どんだけ他人の命を喰らってもさ、結局は自分の意思で動いてねぇから。だから、生きてねぇ」
男が怯む。
「あんたの境遇には、同情するさ。確かに、不条理な死を与えられちまったからな。でもな、だからこそ自分の意思で動くべきなんじゃねぇのか?」
男は押し黙る。爛々としていた目は、既におさまっている。
「なぁ、そうだろ? だからさ、そういうのはやめとこうぜ?」
いまさら、と男は呟いた。いまさら、どうしろというのだと。
刀冴はにっと笑い、男に手を差し伸べる。
「そんなの簡単だ。自分の意思で、手駒となる事をやめりゃいい」
それでは、自分の生きた証はなくなると男は訴える。
刀冴は「大丈夫だって」と、男に力強く答える。
「俺が、あんたという奴を覚えておく。それってさ、あんたは俺の中で生きてるって事だぜ?」
ゆっくりと、男は手を伸ばした。
◆ ◆ ◆
十狼の命を受け、黒竜は宝石のエネルギーを喰らう。時折、宝石から月の光を受けた光が敏に襲い掛かってきたが、敏はそれらをことごとく赤い花びらへと変えていく。
「だ、大丈夫?」
ぐう、と呻きながら転がる少年を、レドメネランテは必死に声をかける。苦しい時、辛い時、一人でいると更に辛いはずだから。
ぎゅっと少年の手を握り締めると、少年は「罰、だ」と呟く。
「僕に、罰が当たった。我が身可愛さに、人を」
搾り出すような少年の贖罪に、レドメネランテは更に手を握り締めることしか出来なかった。心臓の痛みは起きていられないくらい酷いであろうに、贖罪をするなんて。
「ねぇ、僕のものになる?」
敏はそう言い、宝石の中に力を進入させる。十狼の黒竜がエネルギーを喰らい終えるのとほぼ同時だったろうか。
かは、と少年が豪快に咳き込む。慌ててレドメネランテが背をさする。すると、少年は何度かぜえぜえと息を吐き出した後、ゆっくりと体を起こした。
「もう、痛くない……」
「貴殿の心臓を捕らえる力を、この黒竜が喰らったせいだろう」
十狼はそう言い、小さく「それに」と付け加える。「急に、禍々しさが抜けた」
「それって」
レドメネランテが疑問の言葉を口に出そうとした瞬間、敏が掴んでいる宝石から光が放たれた。先程までの攻撃性のある光ではなく、敏による変化の為の光。
光に包まれた宝石は、その姿を徐々に花へと形を変えた。一本の、透明なガラスのごとき物質の花へと。
「あ」
完全な花になった瞬間、敏が声を漏らす。「力の一部と意思と使命、白い鳥にしようと思ったのに」
「力は黒竜が全て喰らったから、無かろう」
十狼の言葉に、敏は「それだけじゃない」と答える。
「意思自体が見当たらないんだ。いつの間にか、抜けちゃったのかな」
不思議そうに小首をかしげる敏の前に、少年は立つ。うつむき加減に、申し訳なさそうに。
「ありがとう、敏。それと……久しぶり」
「はい」
敏は少年の言葉に頷いた後、そっとガラスの花を差し出す。少年はそれを恐る恐る手に取り、それから小さく微笑んで優しく口づけをした。
それを機にしたように、少年の背負うリュックサックから光が一斉に放たれた。慌てて口をあけると、中から無数の光り輝く花が出、空へと舞い上がる。
「まるで、夜空から降る雪みたい」
レドメネランテは、目を輝かせながらその様子を眺めた。
「本当、綺麗だね。この花、持ち主のところに戻っているんだろうし」
にこにこと敏が言うと同時に、十狼は地を蹴った。その場の誰にも挨拶を告げることなく、その時間すら惜しいといわんばかりに。
「本当に、ありがとう」
その場に残っている敏とレドメネランテに、少年は改めて礼を言った。
手には、敏が宝石から変化させたガラスの花が握り締められている。
刀冴は、ゆっくりと目を開いた。真っ白な風景から、ここが病院であると認識する。そして自分の体に何の痛みも無い事を確認してから、体を起こして左腕に目をやる。
もう、何も生えていない。花の手折られた茎は、何処にも見当たらぬ。
刀冴はふっと微笑み、ぎゅっと手を握り締める。
「大丈夫、まだ俺、覚えてるぜ」
そう呟いたのと同時に、勢い良く病室のドアが開いた。そこには、肩で息をする十狼の姿がある。
「よ、十狼」
「刀冴様……!」
十狼はぐっと奥歯をかみ締め、刀冴を抱き締めた。生きている、話している、笑っている、暖かい。
抱き締められた刀冴は苦笑を漏らし、十狼に「仕方ねぇだろ」と言う。
「こういう生き方しか、できねぇんだから」
(自分の意思でこうして、俺は生きているんだぜ)
今はもう話しかけられぬ者へと、刀冴は心の中で問いかけた。空耳か、気のせいか。刀冴の耳に「ああ」と返事する声が聞こえた。
満足そうな、ようやく得た生をかみ締めるような、落ち着いた声であった。
<光の花は各々があるべき場所へと還り・了>
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クリエイターコメント | 初めまして、コニチハ。この度は「逃れ花」にご参加いただきまして有難うございます。 銀幕にて初めてのシリアスシナリオでしたが、いかがでしたでしょうか。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。 参加していただいた皆様がムービースターと言う凄い状況でしたので、プレイングを読みながら一人にやにやしておりました。怖いですね。
>崎守 敏様 初めまして。少年との設定を作って頂けて嬉しいです。宝石の処遇や力の使い方が綺麗で、上手く表現できているかドッキドキです。
>レドメネランテ・スノウィス様 初めまして。これが初めてのシナリオ参加になられるのでしょうか。可愛らしいイメージを壊していないか、びくびくしております。
>十狼様 初めまして。口調が間違っていなければ、と祈るばかりです。何より、領域が間違っていなければ、と。刀冴様との掛け合いを書くのがとても楽しかったです。
>刀冴様 初めまして。プレイングを頂いた時から「じゃあ、話の核心の夢を」と決めておりました。よ、良かったでしょうか? 十狼様との掛け合いが素敵過ぎます。
皆様の素敵なプレイングのお陰で、ハッピーエンドとなりました。色々バッドエンドもこっそり考えていたので、良い方向に進められてよかったです。 ご意見・ご感想等、心からお待ちしております。それではまたお会いできる、その時迄。 |
公開日時 | 2007-05-17(木) 22:30 |
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