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<ノベル>
0.こくいのおとこ
ざざざっ、ざざ、ざざあ。
ごぉ、おおん、ごうううううううんんんん。
じっ、じじ、じぃ……ぎいいいぃいいいいぃぃいぃぃ。
まちはきょうもおとをたてています。
でんがいのたてるノイズと、あんかいせんいをじゅうきんぞくペーストがとおってゆくうなりごえと、そしてけんせつしゃたちがたてるくどうおんと。
わたしはそれらのおとを、みみをすませてききながら、このまちにおもいをはせていました。
このまちはどこへゆくのでしょうか。
わたしたちはどこへきけつするのでしょうか。
わたしたちに、いったいなにができるのでしょうか。
わたしはそれがわかりません。
わたしたちは、けっきょく、このままおわりをむかえることがふさわしいのでしょうか。
わたしはためいきをつきました。
ずいいちだなどといわれていいきになっていても、しょせんわたしなどにできることはかぎられています。
わたしは、それがかなしかった。
つらかったのです。
そこへ、そのとき、とうとつにひびいたのは、
「きみの望みは、何かね」
しずかな、おとこのこえでした。
「きみが欲するものは、何かね」
つつみこむあんこくのようにしずかで、おだやかな、そうねんのおとこのこえでした。
「あなたは、だれですか」
ふりむいたさきには、ふしぎなこくいにみをつつんだ、せのたかいおとこのすがたがありました。
もちろん、わたしたちのこのせかいにおいて、がいけんねんれいなどなんのさんこうにもなりませんが、ひじょうにじゅうこうな、それでいてせいひつな、ふしぎとみりょくてきなふんいきをもったおとこでした。
わたしはなぜか、おとこのといにどうしてもこたえなくてはならないようなきぶんになりました。
そして、くちをひらきました。
「……わたしは」
そのときわたしはなんとこたえたのでしょう。
おもいだそうとしても、できないのです。
とてもだいじなせんたくだったようにおもうのに。
「そうか」
ほほえんだおとこが、
「では、きみの望む力を与えよう」
そう、おもおもしくつげたことだけはおぼえているというのに。
1.停滞都市にて
ざざざっ、ざざ、ざざあ。
ごぉ、おおん、ごうううううううんんんん。
じっ、じじ、じぃ……ぎいいいぃいいいいぃぃいぃぃ。
どこもかしこも、重苦しい暗褐色に覆われた地下世界は、常に、どこからか鈍い音が響いて来る場所でもあった。
それらが何の音なのかはよく判らなかったが、あまり、聴いていて心地のいい音でないことだけは確かだ。
「……ここには、空がないんだね」
崎守敏(サキモリ・ビン)は、そうつぶやいて、隣に立つ廃鬼師を見上げた。
それほど戦いが得意ではない彼の護衛についたのは、百野(ビャクヤ)という、身の丈二メートルにも及ぼうかという屈強な戦士型の廃鬼師だった。手に持った大剣、刃があるようにも見えぬのに凶悪なという印象しか浮かばないそれが、恐ろしく様になっている。
ヒトの姿をしてはいるものの、彼らが純粋な人間ではないと判るのは、身体のあちこちに金属片やプラスチックのように見える様々な部品が埋め込まれていること、薄青色の目の虹彩に、微細な文字――何語なのか、何という意味なのかは判らない――の連なりが刻まれていること、そして瞳孔が、円形ではなく、楔に若葉を組み合わせたかのような不思議な形状をしていることからだ。
「不思議な、世界だ」
ここは、広く広く開かれた、水と緑と生命にあふれた彼の故郷とはあまりにも違う、あまりにも沈鬱で潤いのない、渇き停滞した世界だった。ここが滅びに瀕しているのだということが、説明なしにもひしひしと伝わって来る、そんな場所だった。
「ここには、君たちの他は誰もいないのかい? 『那由多機構』は、人間たちを守るために存在してるんだとばかり思ってたけど」
「純粋な人間の数は、もう、かなり減ってしまった。彼らは、再生がなされたあとの世の要となるため、なるべくSolitudeに感染せぬよう、比較的安全な場所に隔離されている」
「ソリチュード?」
「……感染すれば、廃鬼に堕ちるのみだ」
「ああ」
ざざっ、ざ、ざざざ、ざざあああああ。
「……あれは、何の音?」
「電骸(デンガイ)の発電ノイズだ」
「電骸って何さ?」
「鍵摂者(ケンセツシャ)の骸だ。あそこの、あの辺り」
「……単なるがらくたの山だと思ったら、違うんだ? 片付けなくてもいいのかい?」
「無害なものをわざわざ移動させる意味がない」
「ああ、まぁ、そりゃ空間は有り余ってるわけだから。で……その、電骸がなんだって?」
「彼らは、死してのちも、常に発電・放電を続けている。その電力が、都市を支えている一端だと言っても過言ではない」
「ふうん。そういや、電灯なんか何もないのに、暗いってことはないよね、ここ。薄明るいっていうか。――ん? 鍵摂者?」
「地下都市の再生者にして、都市暴走の根源。あれらが都市を無限に造り続けるがゆえに、この世界は永遠に増殖してゆく」
「……じゃあ、鍵摂者を全部殺せば、暴走は止まるってことかい?」
「無駄だ」
「なんでさ」
「鍵摂者を生み出しているのは、都市そのもの。現存する鍵摂者をすべて破壊したところで、新たな鍵摂者が生み出されるだけのこと」
「面倒臭いループだね、それ。ってことは、やっぱり、都市機能そのものを停止させない限りは、この世界の暴走は止まらないんだねぇ」
「そういうことだ」
淡々とした百野の言葉に、敏は肩をすくめた。
つまり、自分がここに来た理由に、変更はないということだ。
「天紗の研究内容が知りたいな」
「ふん?」
「彼女が、どういう方法で都市を止めようとしていたのか、知りたい。パスワードが、片鱗でも記されているかもしれないから。――いや、その前に、この都市の在りようが知りたいかな」
自分の他にも、対策課の伝手でここへ来たものがいることを敏は知っていた。
恐らく彼らは、彼らなりに、敏とはまた違った視点で持って、パスワードを探し、この世界を救う方法を模索するだろう。廃鬼との戦いは、彼らに任せておけばいいだろう。
敏は敏の視点で……考え方で、この世界のために出来ることをすればいい。
そしてそれは、恐らく、敏が欲しているものを幾許かなりと与えてくれることだろう。
「……どういう気持ちなんだろうね。他人のために、自分を投げ出すって」
それぐらい大切って、どんな気持ちなんだろう。
消えた女のことが、気にかかる。
彼にも、我が身を削ってでも守りたいヒトが、いたから。
敏は、様々な感情の込められたつぶやきを、無表情で聴いていた百野が、
「天紗の研究に関しては、共有フォルダ内には今のところ公式資料しか残されてはいないが、その片鱗を見せてやることは出来る」
そう言ったので、笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、ありがたいね、それ」
「では、コネクタを出せ」
「うん? コネクタって、何さ?」
「……? これのことだが」
敏は、心底不思議そうに首を傾げた百野が、右手首の切れ目(のように見える隙間部分)から、ごくごく小さなコンセントのような印象の、細いコードつきの何かを引っ張り出したのを見て苦笑した。
「ああ、なるほど。ごめん、そういうのはないや、さすがに」
「ぬ……そうか、お前たちは外界の者なのだったな。しかし、そんなことで、どうやって都市機能を扱い、また情報の共有を量るというのだ」
「え、うーん……まぁ、色々と、何とかして。えーと、じゃあ、どうしようかなぁ」
困ったように敏が笑うと、百野は不便そうに溜め息をつき、
「……仕方がない、投影機器を探すとしよう。外界の者ならば、我々にはない視点で持って、何か手がかりを探してくれるやもしれぬからな」
そう言って、ついて来い、と敏を促した。
「うん」
小走りに百野の隣に並ぶと、この大きな廃鬼師が、歩きながら敏を気遣っていることが判って、少しくすぐったくなる。
久々の感覚だと、懐かしく思った。
不思議な世界だと朱鷺丸(トキマル)は思った。
彼の生きる平安の世にはない、不可思議な音と匂いと外観に満ち、また驚くほど生き物の気配のしない、幽世(かくりよ)のごとき沈鬱な世界だった。
塵芥や埃、汚れの類いは何もなく、一見するとひどく整えられ完成されたように見えるが、空も雲も風もなく、花は咲かず、鳥は飛ばず、虫も鳴かない、無性に哀しくなるような世界だった。
様々な無機物に絡みつかれ、また覆われてはいるものの、空間そのものは広く、何かに圧迫されているわけでもないのに、妙に閉塞感を覚えるのは、やはり、ここが地下で、生命の姿が何も見えないことが起因しているのだろう。
「それで……その、ぱすわーどとやらは、どこに?」
彼がここに来たのは、対策課で依頼を受けたからだが、それと同時に、届かずに消え逝こうとしている感情の橋渡しがわずかなりと出来ればと思ったからでもあった。
自分自身が、その、どうしようもないやるせなさを味わって来ただけに、朱鷺丸は、他の誰もそんな気持ちを抱かずに生きられればいいと思うのだ。出来ることならば、もう誰も泣かずに済めばいい、と。
急かすように尋ねる朱鷺丸に、わずかに唇の端を上げて答えたのは、十守(トオカミ)という名の廃鬼師だ。
不思議な形状の、紫色の目が、朱鷺丸を見つめる。
その目と、首筋と両手の甲に埋め込まれた黒い金属片、そしてあちこちにコードやケーブルが絡みつき、杭や楔のようなものが顔を覗かせる漆黒の衣装、廃鬼師たちが必ず身に纏っているという武装がなければ、十守など、長身痩躯の男前にしか見えない。
「ああ……しばらくかかる。何せ、最下層だからな」
「最下層とは、どの辺りだ?」
「そうだな……まだ新たな階層が建造されたとは報告されていないから、ざっと千七百と言ったところだろう」
「……このような規模の階層が、千七百ということか?」
「そうだな。百野の報告では、お前たちの仲間が、天紗の研究について調査を始めたらしい。奴らもおいおい、下へ辿り着くだろう」
「そうか、それはよかった、と言いたいところだが……なかなか、苦労しそうだな」
最近は銀幕市での生活にもずいぶん慣れて、びるでぃんぐなる巨大な建物への耐性もついてきた朱鷺丸だが、それとてどんなに高くとも百階が関の山だ。千七百階の建物など、想像もつかない。
しかも、その一階一階が、普通の町と同じくらいのサイズがあるなどと。
まずは無事に最下層まで辿り着くことから始めなくてはならないのか、と、朱鷺丸が小さく溜め息をついた時、
ごぉ、おおん、ごうううううううんんんん。
鈍い、重々しい音が響いた。
「あれは……何の音だろう?」
ぽつりとつぶやいたのは、ちょうど同時刻に依頼を受けた縁で、地下都市探索に同行することになった銀幕市民、取島(トリシマ)カラスだ。
彼は、首から不思議な気配を漂わせる石を下げ、背には不思議な素材で出来た背嚢を負って、手にはムービーファンが持つものとは思えないほど使いこなされた感のある剣を持っている。
中肉中背の、どこにでもいるような青年だが、朱鷺丸の武士としての勘は、彼から、ぴりりとした何かを感じ取っていた。
周囲を不思議そうに見渡しながらのカラスの言葉に、十守が目を細め、そして、ツタのごとくに壁を覆う、妙な光沢のある漆黒のチューブを指差す。
「あれは、そこらの按界繊維を通って、重金属ペーストが運ばれてゆく音だな。……この音からすると、結構な量だ。これは、ヘタをすると、また階層がひとつ増える」
「どういうこと?」
「重金属ペーストは鍵摂者たちの餌だ。奴らは、あれを食って動き、また同時に、それを食うことでもっともその場に相応しい金属へ作り変えて排泄し、都市を作り足してゆく」
「鍵摂者……先ほど聞いた、あれか」
「無限に地下都市を建設し続けてる、っていう奴のことだよね? まだ、実物は見てないけど……どんな姿をしてるんだろう」
「奴らは常に下層へ下層へと下って行く存在だ、こんな上階にはいない。最下層を目指す以上、どうせ、すぐに目にすることになる。だが……最初は驚くかもしれないな、外界の者は」
言って、十守がふたりを見遣る。
「では、移動しようか、下層へ」
ああ、と答えかけて、朱鷺丸は首を傾げた。
この辺りには、下層へ行くべき階段も、はしごのようなものも、何も見当たらない。先ほど上階層から降りてきたときのように、空間が筒抜けになっているわけでもない。
「でも、どこから?」
カラスが、朱鷺丸の疑問を代弁する。
十守はうっすらと笑うと、右手首の切れ目から細いコードのようなものを引っ張り出し、それを灰色の壁にヒタリと当てた。
一体何を、と問う間もなく、コードの先端が壁に飲み込まれる。滑らかな、溶け込むような動きだった。
無言で成り行きを見守るふたりの前で、十守は何やらつぶやいているようだったが、ややあって、ゴウン、という音とともに、まるでパズルでも解いたかのように、周囲の壁や地面がほぐれ――としか表現出来ない動作だった――、三人の前に、新たな階層を指し示した。
「先は長い、十分に気をつけてくれ」
足元に広がる広大な空間を見下ろし、十守が誘う。
朱鷺丸はカラスと顔を見合わせて苦笑し、小さく頷いた。
踏み出した先の空気は、心持ち、この階層よりも冷たくなっているようだった。
何もかもが、ベルナールには初めて見るものばかりだった。
銀幕市に実体化したばかりの頃は、同じように、現代なる町並みや様々な事物に驚かされ、また好奇心を刺激されたものだったが、ここは、それとは少し、違う。
『閉じよ、佳界の千眼よ』
辺りを観察するために展開していた遠見の魔法を収束させ、ベルナールは上を見上げる。
広がるのは青い空ではなく、灰色の鉄塊ばかり。
護衛であるのと同時に案内役でもある廃鬼師・零覇とともに、数時間をかけてたくさんの階層を降って来たが、どこも、似たような風景で、似たような環境だった。
ベルナールが生き物と言われて思い浮かべるような類いの動植物と行き逢うことはなく、遠見の魔法にもそれが映ることはなく、途中、ヒトがいると思って見遣れば、それは、身体の大半が生身ではなくなった元人間とでも言うべきものたちであり、もしくは零覇と同じ廃鬼師たちなのだった。
この世界において、血の通う肉の器のみで出来た純粋な人間は、もう、数えるほどしか残っていないのだという。
そしてその純粋な人間たちも、Solitudeと呼ばれる不可解な『歪み』に感染してしまえば、あっという間に世界の敵である廃鬼へと変貌してしまうのだという。
まるで呪いのような世界だった。
「……胸の奥を塞がれるかのようだ」
彼の故郷、ベルナールが敬愛してやまない王の統べる国は、斜陽のと称するしかない運命を辿っていたが、それでも、こんなにも濃厚に虚無の気配を漂わせてはいなかった。彼の故国は滅びに喘ぎながらも必死に生きようとしていたし、そこには確かに生き物のにおいがあった。
「黄泉とは、このような場所をいうのだろうか」
ベルナールがつぶやくと、
「死後の世界の方が、もう少し賑やかだろうぜ」
今回、縁あってこの地下世界探索を一緒に行うことになった青年、ロスが肩をすくめる。
整った面立ちの、物静かな印象の青年だが、ベルナールは、彼の中にただならぬ何かを感じ取ると同時に、ロスの目を時折よぎる悼み、もしくは痛みの存在にも気づいていた。
彼がまとった絶望という名の薄絹は、ベルナールにも覚えのあるものだったから。
ベルナールは、ロスの言葉に微苦笑を浮かべた。
「……それは、確かに」
死者たちの住まう世界を実際に目にしたことがあるわけではないが、死者が住まう場所を彼岸、幽世と呼ぶのなら、彼らがそこに存在する分、ここほど寒々しくはないだろうとも思う。
「死は終焉であるのと同時に安らぎでもある。黄泉にはそれがあるのだろうと思う。だが……ここには、何もない。あるとすれば、虚無だけだ」
「死後の世界に興味があるわけじゃないし、俺はその恩恵からははぐれてる。だが……何もないってのは、ぞっとしないな。薄ら寒い」
最期に行き着くべき場所すら許されぬほどの虚無とは、どんなものなのだろうか。
ベルナールは、この世界で消えた女に思いを馳せた。
忘れてと言われて忘れられるほど、誰も暢気ではないだろうと思う。
ましてやそれが、自分よりも大事だと思っていた相手からの言葉ならば、なおさらだ。
滅び行く国の王になることでしか生き延びるすべを持たなかった彼の主、彼のためだけに生き、そして死ぬ運命を負った自分のように。
だからベルナールには、彼の、彼女の気持ちが判る。
ヒトが他者を想う気持ちなど、そんなものだろうとも思う。
「慰めるすべは、持たん。だが……」
「どうした?」
「いや。せめて、想いを、願いを、昇華させてやるくらいは、しようかと」
故郷では、冷酷非道なる“銀の悪鬼”と、蛇蝎のごとくに恐れられ憎まれてきたベルナールだが、しかしそれは、何も、彼のすべてを表す名前ではなかった。唯一絶対の、己などとは比べるべくもないほど大切な、命をかけてでも守るべきもののためならば、いかなる非道にも手を染めようという、覚悟の一端でしかなかったのだ。
それゆえに、今、銀幕市という不思議な町にいるベルナールは、故郷よりも幾許かやわらかい。
「……ああ、そうだな」
ベルナールの言葉に、ロスが色の薄い眉をかすかに緩めたとき、
じっ、じじ、じぃ……じじじッ、ぎいいいぃいいいいぃぃいぃぃ。
何か大きなものがこすれあって軋むような、あまり耳障りのよろしくない音が聞こえてきた。
それは、ずいぶん遠くから聞こえるようでもあったし、すぐ近くから聞こえてきているようでもあった。
恐らく、幾重にも階層が連なっている世界構造のゆえに、音が様々な空間に入り込み、反響して、その出どころを判りにくくしているのだろう。
「あれは、何の音だ。先ほどより、随分色々な方向から聞こえてくるようだが」
周囲に気を配りながら問うのは、黒い甲冑を身にまとった黒肌の男だ。
身の丈ほどもある剣を手にし、明らかな手練れの気配を滲ませる彼は、本来、普通の少年である大鳥明犀(オオトリ・ミョウセイ)という人物なのだが、彼には、戦いを司る軍神であるデ・ガルスと、癒しを司る天使であるエステリアスとが憑依しているのだ。
対策課を通じてこの依頼を受けたのは明犀だが、今回は、様々な危険が伴うだろうということで、表に出ているのは戦いを得意とするデ・ガルスだ。
軍神の問いに、零覇は、不思議な形状の赤瞳を周囲へ巡らせた。
その目と、額と両頬、両の耳朶と指先すべてに埋め込まれた漆黒の金属片、そして無骨でいびつな武装がなければ、零覇は、鋭利さと静かさを持ち合わせた青年のようにしか見えない。
「あれは、鍵摂者の駆動音だ。恐らく、この下の階層辺りで活動している鍵摂者がいる。廃鬼に破壊されたか取り込まれた外壁の修復か何かで」
「鍵摂者……先ほど聞いた、都市の再生者だったか」
「ああ」
「例え俺たちがそれを破壊しても、都市の暴走は止まらないのだったな」
「そうだ。むしろ、破壊すればするだけ、都市は事故修復機能の危機と感じ、更なる鍵摂者を創造し、解き放つことだろう」
「じゃあ……やっぱり、パスワードとやらを解いて、都市再生プログラムを発動させるしかない、ってことか。なかなか、面倒そうだな」
「まったくだ。戦略を練るのとは、勝手が違う。俺は、その方面では役に立てぬやもしれぬぞ」
「は、俺もあんまヒトのことは言えないな。精々、護衛役に徹するさ」
デ・ガルスとロスが言葉を交わすのを聞きながら、ベルナールは零覇を見遣った。
廃鬼師は人間ではないと聞いた。
しかし、廃鬼師もまた廃鬼に堕ちるとも聞いた。
廃鬼とは、都市の歪みの顕現だという。
それがこの世界の理(ことわり)なのだとしても、疑問は残る。
「何故、ヒトは廃鬼に転ずるのだ」
ベルナールの問いはもっともだった。
これは、同行者たちにとっても疑問点であったらしく、ロスが、同じことを知りたいという視線で零覇を見遣り、デ・ガルスは重々しく頷いて零覇に答えを促している。
零覇はしばし沈黙したあと――もともと、それほど口数が多い方ではないようだが――、ややあって、
「世界全体が、澱みという名の毒を出しているからだ、としか答えようがない」
そう、静かに答えた。
「毒とは何だ」
「判らない。そもそも、本当にその毒が存在しているのかどうかも判っていない。物質として抽出されたことがないんだ」
「では、そのわけの判らぬものによって、この世界の人間たちは、滅びの危機に晒されているというのか」
「――そうだ」
だとすれば、何とままならぬ世界なのだろうか、ここは。
いかなる努力も、いかなる思いも、その毒の一片で、容易く失われてしまうのだ。
「貴殿ら廃鬼師もまた、廃鬼に転ずると聞いた」
「ああ、時が来れば、容易く転ずるだろう。毒は、この都市にあるすべてを蝕んでいるのだから。もっとも、我々のような、特別に調整された廃鬼師は、自分が廃鬼に転ずる前に、己を始末するすべを身につけているが」
「――では、こうして、ともに道を行くものが、廃鬼に堕ちたことは?」
「何度もある」
「では、何度も、それを殺したのか」
「殺す、という表現は、少し、遠いが。あれは生なきもの、与えるべきは消滅であって、死ではない」
「だが……廃鬼とて、それまでは、」
「……そう、思うことに、している」
言葉に含まれる悼みに、ベルナールは口を噤んだ。
廃鬼師たちは人間ではないと聞いた。
けれど、廃鬼師たちに心があることは明白だ。
それはひどく残酷で、ひどく罪深いことのような気がした。
廃鬼と戦い得るのが『那由多機構』だけだとして、そこに在籍する様々な人々――その大半は、身体のどれだけが生体機械化されているか、という違いにすぎないが――の中で、もっとも強力な戦闘員である廃鬼師たちは、過去に、自分と組んだ人々を、何度もその手で葬ってきているのだ。
それが、廃鬼師たちを歪めてしまいはしないのかと、そう思った。
「では……更に下層へ降りる。一気にかなり降るが、ここから先は、廃鬼の巣窟だ。重々、気をつけてくれ」
静かに告げた零覇が、右手首の切れ目から黒いコードを引っ張り出し、壁へ埋め込む。
すでに何度も目にした光景ではあるが、いわゆる異世界ファンタジー出身のベルナールには、それはひどく奇異なものに映った。
「……先は長そうだな」
ロスがつぶやき、
「だが、焦っても仕方があるまい」
デ・ガルスが重々しく告げる。
ベルナールがそれらを見るともなく見つめ、聞くともなく聞いていると、ごうん、という鈍い音とともに、黒い大きな球体が現れた。
これは、下層へ降るための、現代でいうところのエレベーターなのだそうだ。『壁』を伝って物凄い速度で降下するため、乗り心地はあまりよくないが、地道に階層を降るよりは、格段に効率的だ。
「行こう」
パスワードを解き、都市再生プログラムを発動させれば、虚しい輪廻は断ち切れる。そのはずだ。
回避出来る悲劇があるのなら、せめて。
ベルナールはそれを、我が身に置き換えて、思った。
2.Encounter With the Death
「これが……廃鬼」
タスク・トウェンは眉をひそめてつぶやいた。
周囲には、嵐のような轟音が満ちている。
「……マイネ」
タスクは、腰の剣を引き抜きながら、古(いにしえ)の英雄の名を呼んだ。
微笑み、頷いた彼女が――彼女の魂が、タスクの『内』へと降りる。
彼女の魂が、その力が、隅々にまで行き渡るのを感じながら、タスクは深呼吸をした。
マイネの憑依を受けると、タスクの肉体は昂揚し、そもそも高い彼の身体能力は、更に飛躍的な跳ね上がりを見せる。そうやって戦い抜き、生き延びてきた場も、決して少なくはない。
特に、退けない理由、事情を抱えた依頼にあっては。
――ぎしぎし、ぎしぎしと周囲が軋む。
蠢くそれを、タスクは見据えた。
「生体憑依型廃鬼と認識。B-XX型追加感染の憂なきよう、アビスゲートの展開を要請します」
感情の伺えない、淡々とした物言いで、隣の同胞へ告げるのは、金眼の廃鬼師・万己(マナ)だ。
不思議な形状の目と、物々しくいびつな武装と、両肩に漆黒の金属が埋め込まれていることを除けば、万己は、小柄な、愛らしい少女でしかない。
十代半ば程度の華奢な少女に見える彼女だが、先刻すれ違った廃鬼師たちの話によると、万己は、最大規模の潜在能力を持つ、この世界でも一、二を争う力を持った廃鬼師なのだという。
「了解。アビスゲートを展開します。推奨突入時間はアビスゲート確定の0.8秒後です」
静かに答えた廃鬼師・千鎖(チグサ)の方は、二十代半ば程度の、どちらかというと女性的な、美しい面立ちをした人物だった。
エメラルドのような深い緑色の、万己と同じく不思議な形状をした目と、細身の身体には似合わぬ無骨な武装と、両のこめかみと目尻の近くに埋め込まれた金属片が、千鎖が人間ではないことを告げる要素だった。
千鎖が告げると同時に、万己が身を低くする。
戦いの開始を感じ取って、タスクもまた眼差しを鋭くした。
「XX-2-330-SO33-8Q」
よく判らない言葉が千鎖の唇から零れ出した、そう思った瞬間、周囲を金色の光が散り、都市が蠢いた。
都市をかたちづくる鉄塊が、がちがちぎちぎちと音を立て、何か、目には見えぬものを発生させたのが感覚的に判る。そして、それが、今目の前でぎしぎしと軋んでいるモノの増殖を抑え、彼らに戦いやすい場を提供してくれていることが。
事実眼前のそれは、アビスゲートなる特殊な力のために、その動きを鈍らせたようだった。
「――……往きます」
万己が小さく言い、脚に力を込めるのと同時に、タスクも走り出していた。
前方十数メートル先にわだかまり、おうおうと声なき声をあげて全身を揺らがせているそれを目がけて、ふたり、弾丸のごとき勢いで突っ込む。
それが、身体を起こして咆哮した。
金属がこすれあって軋むような、耳障りで気持ちの悪い声で。
「……なんでだろう」
びょう。
その全身を覆うのは、鈍色のケーブル。
全体的な造作としては、ヒトに近いと言えなくもない。
表面がケーブルで出来ているために、常に皮膚がずるずると蠢いている、全長2.5メートルのヒトが存在するとすれば、だが。
蠢くケーブルで全身を覆われているくせに、本来目のあるべき部分にはそれがなく、そこは、ぽっかりとした虚ろが口を開ける、寒々しい空洞となっている。
口もまた同様だった。
何を喰らうためにあるのだろうか、嘲笑的な角度で開け閉めされるそこからは、臓物めいた太いチューブがぞろりと覗いている。
生体憑依型廃鬼とは、もともとは人間だったモノにSolitudeと呼ばれる何かが感染してなったものだと聞いた。
だからなのだろうか、背の辺りに、ぼろきれのようにくしゃくしゃになった、明らかに人間ひとつ分の皮膚が、カサカサと乾き切った音を立てながら絡み付いているのは。
よくよく見れば、皮の天辺の辺りには髪の毛らしきものも伺えた。
だとすれば、廃鬼とは、人間の内側から弾けるようにあふれ出すものなのだろうか。
うぞうぞと、虫を思わせる動きでケーブル蠢く。
まるで、何万匹もの芋虫に全身にたかられているかのようだ。
ケーブルに覆われた、廃鬼の身体のあちこちから、杭を思わせる鉄骨が生えている。コンクリート片のような、灰白色の塊が覗いている部分もある。ヒトだった頃の名残、人間としての身体を破壊された名残なのだろうか、それらの中には、生々しい茶褐色をした何かがこびりついているものもあった。
「……なんで、だろう」
びょう。
全身のケーブルを蠢かせながら、廃鬼がタスクと万己に向かって手を伸ばす。
巨体に似合わぬ素早い動作だったが、タスクの敵ではなかった。
タスクは戦いを恐れないし、姿かたちが化け物だからといって怯みもしない。それが清らかな心を持っているのなら、例え造作がどんなに醜くとも、微笑んで手を取るだろう。陽気に名を呼んで、肩を組むだろう。
だから、タスクにそれをつぶやかせたのは、廃鬼の姿かたちのおぞましさでは、断じてなかった。
「なんで、こんな」
タスクが表情を曇らせたのは、廃鬼のそれが、まるで、
「――……救いを求められているように、感じるんだろう」
どうか助けてくれと、全身全霊で泣き叫ぶような、そんな仕草に思えたからだ。
びゅっ!
廃鬼の身体から伸びたコードが、槍のごとき勢いでふたりに襲いかかる。
タスクはそれを容易く避け、瞬時に廃鬼の懐へ飛び込むと、ぐねぐねと蠢くケーブルの群を目がけて剣を一閃させた。
ご、ぶづん!
不吉で寒々しい、そのくせひどく生々しい手応え。
骨を断つような感覚だとタスクは思った。
断ち切られたケーブルが勢いよく宙を舞い、落ちたそれらがバタバタと地面を打つ音が聞こえる。
廃鬼が轟と吼えた。
「気をつけて」
感情の揺らぎの感じられない万己の声がタスクに警告する。
「核を潰すまで終わりではありません」
「……核……?」
タスクがつぶやくと同時に、ぶわりと廃鬼が『拡がった』。
身体の表面を覆っているケーブルが一気に膨張したのだ。
「ぅわッ!?」
剣でケーブルを切り払いながら後方へ飛び退り、目を眇めて廃鬼の中心を見遣る。
核と言うからには身体の中にあるだろう、と思ったゆえの行動だったが、それは正しかった。
ちり、と、鈍く、何かが光った。
「あれを……壊せば、いいってことか?」
「イエス。物理攻撃は有効です」
きらり、と万己の金眼が光る。
ひどく無機質な輝きだとタスクは思った。
だが、今は、その何たるかを云々している場合ではない。
「廃鬼は廃鬼として為った瞬間から無限の飢えと苦しみに取り付かれ、それを癒そうと周囲にあるすべてのものを取り込んで我が身とします。速やかに消滅させなくてはなりません」
淡々と言った万己が両手を打ち合わせると同時に、彼女の全身から金属光沢を持った黒い球体、直径三cmほどのそれが無数に浮かび上がり、弾丸となって廃鬼に襲いかかった。
轟音が辺りに満ちる。
まさにそれは一斉掃射と言うのが相応しく、雨霰のごとくに降り注ぐ漆黒の弾丸によって、廃鬼の身体が徐々に砕かれてゆく。
よろり、と廃鬼がよろめいたのと、万己の攻撃がやんだのは同時だった。
千切れそうになった上体がぐらぐらと揺れている。
タスクは自分が何を求められているのかを瞬時に察し、地面を蹴った。
風を斬りながら廃鬼の懐へ再び走り込むと、
「ふ……ッ」
鋭い呼気とともに剣を一閃させ、廃鬼の真中で妖しく明滅する核を一撃のもとに突き砕いた。
かしゃん、という、驚くほど軽い破砕音。
びくり、と、廃鬼が震えた。
タスクはその時、誰かの絶叫を聞いたような気がして眉をひそめた。
悲痛な、断末魔のそれは、廃鬼の声だったのだろうか。
確かめるすべは、タスクにはなかった。
無数に増殖したコードが、パニックでも起こしたかのように右往左往する。
しかしそれも、じきに止み、やがて廃鬼はゆっくりと倒れ込み、そして動かなくなった。
「……お見事です」
万己が黒球を己が『中』へと収納するのを見遣って、タスクは曖昧な笑みを浮かべた。敵を倒したことを喜ぶわけには行かないような、あまりにも悲痛な声を聞いてしまったからだ。
「そうかな。うん……役に立てたなら、何よりだ」
廃鬼とはなんなのか、廃鬼師とはどういう存在なのか、この世界は一体どうなっているのかと、――救うことは出来るのかと、そんなことを考えていたら、笑みは少し、ぎこちないものになった。
「では……下層へ移動を。新しい階層が創造される前に、最下層、制御界への入り口前にご案内します」
タスクが剣を収めるのを確認した万己が、抑揚の少ない、感情の見えない声で言った時、
ごぅん、ごごっ、ごううぅんっ。
鈍い破砕音のあと、あの、耳障りな軋みが聞こえてきた。
万己と千鎖が顔を見合わせる。
それからさっと周囲を見渡したふたりの目が、不可解なほど眩しく輝いたのは、仕様だからなのだろうか。
「都市憑依型無機系廃鬼と確認。その数十八。速やかな掃討を行います」
かしゃり、と、万己の肩口が鳴った。
「さっきみたいなのが、十八?」
タスクがつぶやくと、首を横に振った千鎖が答えをくれた。
「……いえ、都市憑依型は、Solitudeが都市建造物そのものに感染して発生する廃鬼よ。大型で力の強い型だから……少し、厄介かもしれない」
「囲まれましたね」
言ったのは万己だ。
ぐるりと周囲を見遣れば、コードやケーブルではなく、鉄骨やコンクリート片のようなものを身体中から生やした、ヒトというよりは四足の獣のような――とはいえ、獣はあんな風に自然の摂理を無視した形状はしていないだろうが――、先ほどの廃鬼の二倍はあろうかという化け物たちが、幾つも、こちらへ向かってくるのが見えた。
「ああ、やっぱり」
そのどれもが、声なく、助けを求めている気がした。
――それは、タスクという人間、特別な器を持った彼だからこそ、聞き取り得たものなのかもしれなかった。
轟、と、廃鬼が吼える。
「どうして、この世界は、こんなに」
金眼を昏く輝かせ、万己がつぶやく。
タスクは、首を傾げた。
「え」
何故なら、そこには、確かに感情があったから。
「……こんなにも不完全で、憐れなんだろう」
「何だって、万己……?」
「わたしはどうすればいいんだろう。どうすれば都市を守り、救えるんだろう」
ぎしぎしという、廃鬼たちの『声』が近付いてくる。
千鎖が、再度アビスゲートを展開するのが見えた。
タスクもまた、剣を引き抜き、握り直す。
「どうすれば、世界は還れるんだろう。初めにあった、完全なる無の混沌に。あの安らぎの中に」
こぼされる、雨だれのような言葉。
静かで、淡々とした、しかし狂おしくすら感じるほどに切実な。
「万己……?」
タスクは眉をひそめて万己の横顔を見つめる。
返る視線は無垢だ。
無垢だが、どこか虚ろだ。
――その眼差しに、その言葉に、不吉を感じたような気がした。
だが、今はその理由を追求している場合ではない。
廃鬼たちは、徐々にその数を増やし、彼らを取り囲もうとしている。
無限の飢えと苦しみ。
それは一体どんなものだろうと、タスクは、思った。
昇太郎(ショウタロウ)は壱衛(イチエ)とともに階層内を走り抜けていた。
ぎしっ、ぎしいいいいぃぃいぃッ。
何、とも表現出来ない声で、廃鬼が咆哮する。
「胸が痛ァなるような声や」
何故、そんな気持ちにさせられるのか、昇太郎には判らない。
「苦しゅうて苦しゅうてしゃあない、そう言われとるようじゃ」
ふたりに追いすがって来る廃鬼は、恐らく全部で十三体。
恐らく、というのは、あまりにも絡まりあっていて、一体なのか二体なのかそれとも実はもっとたくさんの固体が密集しているのか、判断がつかない廃鬼がいるためだ。
壱衛はあれらを、生体憑依型と言った。
つまり、もとはヒトだったものに、Solitudeなる毒が感染して発生した廃鬼なのだ、あれらは。
芋虫のようにおぞましく、生理的嫌悪感を催す絡まり合いを見せるケーブルのあちこちに、かさかさに乾いてひび割れた、ヒトのものと思しき皮を確認して、昇太郎はやりきれない気分になった。
ヒトだったものが、ヒトでないものに転ずる、その苦しみ哀しみはいかばかりだっただろうかと。
「何で奴らは、あんなに苦しんどる?」
びょおう。
彼らを捕らえんと伸ばされた、触手のようなケーブルを、走り抜け様に刀の一閃で叩き斬り、更に距離を稼ぎつつ、昇太郎が問うと、
「命なき存在が、生きよと命ぜられたようなものだからだ」
同じように、走り抜けながら、襲い来たケーブルを、肘から生やした鋭利な刃で両断し、壱衛が静かに答える。
「そりゃあ、どういう……」
「生きるとはどういうことだ。死ぬとはどういうことだ。生き物にはその摂理が刻み込まれている。それゆえに生き、それゆえに死ぬ。それが許される。だが……廃鬼には、摂理がない。何もない。だから苦しむ。苦しむという意識はあれらにはないだろうが、苦しんでいる。あれは狂ったもの、歪んだもの、許されぬものなんだ」
びょおおう。
廃鬼の立てる軋みが、慟哭めいた叫びのように聞こえた。
「何でここにはそんな奴らがおる。何でこの世界は、そんなもんを生み出すようになった。一体、何の呪いで」
ふわり。
昇太郎の周囲を小さな金の鳥が飛ぶ。
彼を気遣うように。
――事実、鳥は昇太郎を気遣っている。
天紗と零覇に、自分自身を重ねている昇太郎を気遣っているのだ。
「理由は知らない。私はこの世界最古の廃鬼師だが、私が機能し始めた隗暦初期頃にはすでに、この世界には廃鬼が、そしてSolitudeが蔓延していた。その理由を、私を造った技術者は私に入力しなかった。判らなかっただけかもしれないが」
「アンタが機能して、何年になる」
「二千は数えた。そこから先は忘れた。だが今、隗暦は三千を過ぎている。……大よそ、そのくらいだろう」
「そんな長い時間、この世界は、この狂った繰り返しを続けてるんか。それは一体、何のためや」
それはまるで、狂った輪廻のようだ。
空のないこの世界は、彼が――彼らが天を破壊してしまったがために空がひび割れ、失われた故郷のようで、どこか懐かしくも感じた。
永遠すら感じさせる遠さで連綿と続く鉄塊の荒野。
彼が歩いてきた世界と、あまり変わりはないようにも思う。
だからこそ、懐かしく感じたのだろうか。
「ならば、お前は何故戦い続ける。何故死に続ける。報われぬと知りながら、何故何度も立ち上がり、前へ進む。――おそらくは、それと同じだ。最後に――最期に、かもしれないが――用意されたカタルシスのために、私を含むこの世界は、道化のごとく滑稽に踊る。それだけのことだろう」
びょおう!
襲い来た廃鬼を、昇太郎の西洋剣が両断した。
中央に座していた核が、ガラスを思わせる音とともに叩き割られるや、ケーブルがばらりとはだけて地面に零れる。
突進してきた象が崩れ落ちるような唐突さで、雪崩れのように廃鬼は動きを停止した。
それを蹴りつけるようにして跳び、ふたりは、ひとつ下の階層へと着地する。
ちょうど、その階層の最下層まで降りてきていたお陰もあって、二十メートルほど落下するだけで済んだ。それでも相当な衝撃だったが、この程度なら、特に問題はない。
廃鬼たちは――……零れ落ちるように、ふたりの後を追う。
着地の衝撃に耐え切れず、そのまま潰れてしまったものもいるようだが、半数は残った。あの不気味な音を立てながら、また、ふたり目がけて殺到する。
「そりゃあ……そうや。せやけど、」
それらを二色の目で見つめながら、昇太郎はつぶやいた。
世界の理など、その世界によって様々だ。
昇太郎は、深い深い情のゆえに、自分の故郷で数多の輪廻を負い、永遠を歩く放浪者となった。畏怖され、侮蔑され、奇異の目で見られながら、ただまっすぐに永遠の夜を歩いてきた。
それと同じことが、この世界でも繰り返されているに過ぎない。
それは判る。
判るが、納得は行かない。
死んでゆく人々に罪はない。
廃鬼たちにもまた、罪などないのだ。
「清い修羅よ。お前は好い男だな」
ふ、と、壱衛が笑った。
不思議な形状の銀眼が細められて昇太郎を見る。
額の中央と顎に埋め込まれた金属片と、そして両腕が同じ材質と思しき漆黒の金属で作られていることが、壱衛が人間ではない証だった。
しかし、そんなことは、昇太郎には関係がない。
「……褒めても、なんも出やせんぞ」
過去が過去だけに、他者からの好意にはどうにも弱い昇太郎は、それどころではないと理解しつつも、どういう表情をしていいのか判らず、思わず口角を引き締める。そうでもしないと、妙に崩れた顔になってしまいそうだったからだ。
「この虚しい繰り返しを止めたいと思わぬ廃鬼師はいない。だが、都市再生プログラムが正しく機能しないことには、恐らく何も始められない」
「天紗とか言う女が見つけたっちゅう奴か」
「そうだ、命を懸けて」
「……この世界のために、か?」
「さあ、どうだろう。私は天紗直属の廃鬼師ではなかった。何度か話をしたことはあるが、彼女とはそれほど面識がない。だが……違うようにも、思うな」
「何でそう思う」
「修羅よ、お前が何もかも背負う羽目になったのは、誰のためだ。結局は、そういうことではないかと」
「……なんでそれを知っとる」
「私たちの世界は、便利な場所に実体化したのだな。私たち廃鬼師は、技術者ほどではないが、都市の機能を使うことに長けている。市役所とやらにアクセスして情報を引き出すことは容易かったぞ」
「……」
「だが、ヒトが命をかけるには、そんな単純な理由の方が相応しいようにも思う」
「……そうか」
天紗。
都市再生プログラムを見出し、そのために死んだ女。死んだと思われる女。
何故彼女が死なねばならなかったのか、昇太郎には判らない。
その必然がどのくらいの重みで、どのくらい深い運命を孕んでいたのか、昇太郎には判らない。
判らないが、どうしようもなかったようにも、思う。
昇太郎は、はるか昔に失った、自分の手で失わせた愛しい女のことを思い出していた。そしてそれを、今の、天紗と零覇の姿と、重ね合わせていた。
愛していると今でも言える。
だからこそ彼は、今もなお、孤独に、永遠の夜を歩くことが出来る。
彼女の最期の感触を、言葉を、あの時の思いを、彼はいまだに、愚直なまでにまっすぐに、覚えている。
(なァ……)
零覇も今、同じような思いを、味わっているのだろうか、と、唐突に思った。
(結局、聞きそびれてしもたけど)
ごおうぅん。
階層全体が鳴動した。
「ち」
面倒臭そうに、壱衛が周囲を見遣る。
「どないした」
「都市憑依型がここへ顕現しようとしている。しかも……巨(おお)きい」
生体憑依型廃鬼のたちが、ケーブルだらけの身体に絡みついたヒトの皮を震わせてこちらへ迫ってくる。
昇太郎は無言で剣を構えた。
あれらはもはや命ですらないもの。
破壊してやることが、慈悲だ。
判っていても、この邂逅を苦々しく思う。
(アンタが、俺にそれを望んだのも)
昇太郎もまた、知りたい。
(おんなじような何かを、持っとったからなんか)
彼女が何故、自分に、己を殺させたのかを。
天紗が死んだ理由を知れば、彼女がそれを望んだ理由が、わずかなりと判るのではないかと、そう思った。
「……来る」
足元がせり上がるような感覚。
襲いかかって来る生態憑依型廃鬼を一撃のもとに斬り伏せながら、昇太郎は、身の丈十メートルにも及ぶ巨大な廃鬼が姿を表すのを、無言のままで見上げていた。
3.言葉はただそこに。
「まったく……きりがないね」
百野の巨剣の一閃で、核ごと真っ二つにされた廃鬼がどうと倒れる。
「百野ちゃんがいてくれてよかったよ、僕はそんなに戦いが得意なわけじゃないからね」
「それが俺の役目だ」
「うん、判ってる。でも、ありがと」
「……そうか」
何とも言えない表情で目を細めた百野が、また、巨大な剣を打ち揮って廃鬼を破壊する。
廃鬼は生命ではないから、殺すのではなく破壊するというのが正しいのだと、道々百野から――『ちゃん』付けには最初珍妙な顔をされたが、知らない間に慣れてしまったようだ――聞かされていた敏だったが、それは、同胞であったものたちを自らの手で殺めねばならない、それなのに心を持ってしまった廃鬼師たちの、可愛らしく切実な言い訳のようにも聞こえた。
「最下層までは、あとどのくらい?」
「基底現実時間で八十分と言ったところだ」
「ふーん、そっか」
敏は、指のすべてをコンソールのあちこちへ目まぐるしく行き来させながら頷き、わずかに顔を上げて周囲の状況を確認したあと、蠢く廃鬼の群も、百野がいれば大丈夫だという結論に達すると、すぐに視線を画面へと戻した。
「んー、なるほどね……」
敏は今、百野が見つけてきてくれた投影機器を改造して、都市機能にアクセスして自在に情報を引き出せる器具を作り出し、それを使って様々な情報を収集している。
わざわざこんな力技に出る羽目になったのも、公式資料だけでは知りたい情報が手に入らなかった所為だが、敏は案外、この不思議なネットサーフィンを楽しんでいた。
「うわすご、百野ちゃんって廃鬼師の中では三番目に古いんだねぇ。へー、ヴァージョンアップ前の百野ちゃん、可愛いじゃないさ」
「……そんなことは調べなくていい」
「え、だって、せっかくだから」
「何がどうせっかくなのか、逐一知りたいところだが」
敏のテンションに口を挟んだところで無駄だと、この短い付き合いで理解したらしい百野は、にこにこ笑って画面を動かす敏の言葉に溜め息をひとつついただけで、反論らしい反論はしなかった。
ただ、何とも表現し難い表情で、また、廃鬼の群を殲滅にかかっただけだ。
にわか相棒のそんな反応に、ちくりと懐かしい痛みが刺激される。
(カイト、君がいたら)
ぽつりと思う。
諦観めいた苦笑交じりに。
(こんな感じだったかな)
今言ったところで詮のないことだとは思うけれど。
「さておき……鍵は、やっぱり、零覇かな」
調べてゆくと、天紗は、十年前まで、特別意欲的に都市再生プログラムの再起動を試みようとはしていなかったようだった。
それまでの彼女は、とにかく優秀な廃鬼師を造り出すことに心血を注いでおり、彼女が天才技術者として頭角を現したこの三百年の間に、何百体もの廃鬼師が造り出され、また、旧仕様の廃鬼師たちも、彼女によって何度もヴァージョンアップされている。
天紗が造り出した最高傑作が万己であり、彼女によって性能を極限まで高められたのが、『数字持ち』と呼ばれる優秀な廃鬼師たちの中でも特に強い力を持った百野や千鎖であるという。
そんな中、最新鋭の廃鬼師である零覇は、天紗が造ったというわけではないようだった。
しかし零覇ほど、天紗の傍にいた廃鬼師もいないようだった。
そこかしこに残る映像は、十年より前の、笑顔どころか表情ひとつない天紗と、十年前よりあとの、喜びと不安をない交ぜにしたような、幸せの何たるかを知ったものだけが出来る表情を浮かべた天紗との、そのコントラストをくっきりと浮かび上がらせる。
「零覇のために、安全な世界を取り戻そうって、思ったのかな」
つぶやき、指先で画面に触れる。
天紗の研究資料、零覇の公式資料、廃鬼の資料、この世界の資料、歴史の資料。
そんなものを次々に展開しながら思考を転がす。
その頃には、百野の廃鬼掃討も終わっていた。
「ねえ、百野ちゃん?」
「どうした」
「零覇って、誰が造ったのさ?」
「判らん」
「あ、そうなんだ? そういうことって、よくあるのかい?」
「あるはずがない。我ら廃鬼師は、技術者なしには存在し得ないのだからな」
「じゃあ……うーん、無名の技術者が造ったとか、そういうこと?」
「それもあり得ん。我々廃鬼師の『目』は特別仕様だ、これを使用するには共有フォルダからプログラムを引き出す必要がある。そしてプログラムを引き出した痕跡は必ず残る。だが、零覇の作成者はどこにも、何も残してはいない。ある日、あれが唐突に現れただけだ。最新鋭の機能を有して」
「どういうことなんだろうね、それ」
「さあな。だが、だからこそ天紗は気を許したのかも知れん」
「え?」
「技術者は、常に罪悪感に苛まれていると聞く」
「何でさ?」
首を傾げた敏の問いに、何故か百野は答えなかった。
今まで、この数時間の道行きでは、敏の様々な質問に、思案しつつもすべて答えてくれていたのに。
「百野ちゃん?」
巨漢廃鬼師はそれにはやはり答えず、
「――もうじきだ」
それだけ言って、先を促した。
首を傾げつつ、敏は歩みを速める。
そして、指し示されるままに、黒い球体へと足を踏み入れる。
取島カラスは、朱鷺丸と十守とともに、最下層へと降り立っていた。
「これが……入り口。そして、あれが、鍵摂者……?」
制御界への入り口とされるそれは、黒曜石のような光沢を持った無数のケーブルによってかたち作られた、眼球を髣髴とさせる巨大な球体だった。
球体は常に何か低い振動音を立てていた。
成人した人間が、十人二十人ばかり、何の苦もなくすっぽりと覆われてしまいそうなそれの内部に、一体どんな動力が存在するのか、ケーブルのあちこちが、時折ちかりちかりと淡く光る。
「ああ……確かに、少々驚くな、あれは。間違っても、俺のいた世界にはない」
地下都市最下層、そして増殖の最先端でもある広大なそこには――何故か、制御界への入り口は、必ずもっとも増殖が進む場所に位置するのだという――、鍵摂者と呼ばれるたくさんの異形が集り、『壁』に取りついて、一心不乱に都市を建設していた。
「俺、『者』っていうから、もっと人間っぽいかたちを想像してたんだけど。でも……一定っていうわけじゃないんだな」
「確かに、俺も石工(いしく)を想像していたが。あれは……石や鉄気(かなけ)で出来た動物のようにも見える」
地下世界の最先端であるここが、一体何平方メートルあるのか、カラスには計り知れないが、巨大な洞窟の内部のようにも思えるそこの、むき出しの岩盤に取りついて、瞬く間にケーブルや鉄骨や『壁』を造り出してゆくそれらは、なかなか現実世界にあるものでは表現し難い姿かたちをしていた。
強いて言うならば、首が三本、前足が四本、後足が六本ある、全身が鉄骨と灰色のコンクリートで出来た巨大なキリン、だろうか。キリンにしては頭が大きく、目と思しき器官は七つも存在し、バランス感覚を取る器官であるらしき尻尾は、三叉に分かれている上、キリンというよりも恐竜のもののようだったが。
キリンなどと表現すれば可愛らしい印象になるが、無機質で硬質的なそれらが、外壁に取りついて無心に『作業』している様は、ある種の滑稽ささえ含んだ寒々しさを垣間見せている。
「求められてもいないのに、望まれもせずに、造り続けるしか、ないのか」
それは何と虚しい在りようだろうかとカラスは思った。
自分もまた常に、ひどい虚無感と戦っているだけに、他人事のようには思えなかったのだ。
「十守」
カラスが呼ぶと、廃鬼師は精悍な眼差しを彼に向けた。
「世界構築が正しく行われたら、彼らも正しい在り方に戻れる?」
「ああ、恐らくは」
「……そっか。じゃあ、頑張らないと」
「そうだな、そうしてくれ。――……オレたちはもう、無理だが」
「え……?」
何のことか判らず、眉をひそめたカラスに、こんな場所でも陽気な仕草で肩をすくめて見せた十守が、球体の正面で、ケーブルの木々に埋もれるようにしてそびえる、ひどく古びたキィボードとディスプレイを指し示した。
「あまり時間はない。都市の成長は異様なまでに速度を増している。地下に造れなくなれば、鍵摂者たちは、プログラムが求めるままに、今度は地上という新しい場所へ雪崩れ込むだろう」
「……そして、『毒』までもが、持ち込まれる?」
「そうだ」
「あんな……狂った、哀しいものに」
ここへ至るまでの長い道のりで、出会って来たたくさんの廃鬼たちを思い起こして、カラスは首から下がった緑色の石を握り締めた。
「あれが、銀幕市にあふれるようなことだけは、避けねばならんな」
つぶやく朱鷺丸も、腰の刀に手を添えている。
一撃で屠るのが慈悲なのかと、十守に問うていた、朱鷺丸の苦しげな眼差しが忘れられない。
彼もまた、ままならぬ運命に翻弄され、狂った終焉を押し付けられた人々に、自分の中の何かを重ねているのかもしれなかった。
「パスワードを見つけ出そう。天紗が消えた理由は判らないけど、それだって、ここが開かれれば何か見つけることが出来るかも知れない」
言って、カラスはキィボードへと歩み寄った。
うなずいた朱鷺丸が隣に並ぶ。
「そうしてくれ。恐らく、生あるものの存在を感じ取って、廃鬼たちの活動も活発になっている。じきにここへも現れるだろう」
十守は、何か感じるものがあるのか、鋭く眇めた目で周囲を見渡していた。
そこへ、ごうん、という音がして、三人がここへ降りたのと同じ、所謂エレベーターの役目をする黒い球が、少し離れた位置に降り立った。
「……おや」
朱鷺丸が頭(こうべ)を巡らせ、目を細める。
「あ、やっほー、カラスちゃん! 君も来てたんだね!」
間抜けな空気音とともに『扉』が開くと、場違いなほどに陽気な声が響き、ミニコンピュータとでも言うべき灰色の器具を抱えた崎守敏と、身の丈二メートルはあろうかという巨躯を持った廃鬼師とが降りてくる。
確か、百野と言ったはずだ。
「敏君も」
と、友人の姿を目にしたカラスが表情を綻ばせた時、再度、上空でごうん、という音が聞こえた。
「磐送球も大忙しだな。案外、使ってもらえて喜んでいるかもしれないが」
暗い上部を見上げた十守が頬を緩める。
周囲を振動させながら、やはり同じ球体が、『壁』を伝って降りてくる。
「零覇、か」
「そういうの、判るんだ? あ、僕は崎守敏だよ、よろしくねっ」
「ん、ああ。……あれは、特別だからな」
「ふうん、どういう風に?」
「さあ……言葉にしては、表現し辛いが。しがらみがないと言えばいいのか、それとも、すべてとつながっていると言えばいいのか」
「どっちさ、それ」
「……さあ」
曖昧な物言いに敏が首をかしげ、それと同時に、何かを深く思案する顔つきになる。
その間に、球体からは、不思議な経常の杖を手にした中性的な面立ちの青年と、黒い甲冑に黒い肌の異貌の男と、色素の薄い眼と髪をした顔見知りの青年、そして零覇という名の青年廃鬼師とが降り立っていた。
「あ、ロス君」
「……よう」
カラスが名を呼ぶと、ロスはほんの少し口角を上げて彼を見る。
「そっちの首尾は、どんな感じ?」
「廃鬼の群と十戦、ってとこか」
「ああ、こっちもあんまり変わらないや」
「軍神のダンナがいたから、それほど苦労はしなかったけどな。ただ……きりがないことは確かだ」
「そうだね、大元をなんとかしないと」
ロスとそんな言葉を交わしていたカラスだったが、不意に、大気が緊張感を増したような気がして眉をひそめた。
ぴりり、と、張り詰めたものか、満ちる。
「……じきに、来る」
黒い肌の男が、巨大な剣を掲げた。
「では……一刻も早く、始めよう」
告げたのは、銀髪の青年だ。
彼が手にした、知恵を表す杖は、彼が、魔術師か賢者か、そういった役柄の人物であることを教えてくれる。
彼の言葉を受けて、そこに集った面々はめいめいに頷き、そして、鈍く光るディスプレイと、その背後にそびえ立つ球体とを見つめた。
制御界への入り口は、いまだ、硬く閉ざされている。
ロスは、電界シナプスと呼ばれるケーブルでかたち作られた巨大な球体を見上げていた。
そして、消えた女に思いを馳せていた。
「自分が死んだ方が、って、思う気持ちは、判る」
小さな小さなそのつぶやきは、誰の耳にも届かなかったか、それとも、誰もがあえて触れなかったかで、それについて周囲から声がかかることはなかったが、ロスは構わずに黙考を続けた。
何もかもを失ったときの、あの悲嘆を今でも引き摺っている。
痛みと絶望は、未だにロスの中にあり、ロスをかたち作る。
ただ、それのみが、彼を彩っているわけではないだけで。
「……」
自分が死ねばよかったと、そして自分以外の誰かが生きればよかったのにと、そう思わない日はない。
家族を失ったものならば、恐らく、誰でもそう自分を責めるだろう。
ただ、ロスは、完全に絶望に飲まれて自棄になることが出来なかっただけだ。この場で立ち止まるわけには行かないと、失われた愛しい人々が自分に生きろと望んでいると、それを言葉なく理解してしまっただけだ。
だからこそ、彼は、今もまだこうして立っている。
それだけのことだ。
「……同じことを、おまえも思ったのか」
つぶやき、ロスは、球体を見つめる。
前方のディスプレイが目に入った。
不可解なまでの苦悩を含んだ言葉の群と、そしてそれを吟味する、今回の同行者たちの姿も。
I’m Destiny,but i should not be despair.
(私は運命。けれど私は絶望ではないはずだ)
I’m Empty,but i could not be emotionless.
(私は空虚。けれど私は心のない人形ではいられなかった)
I Was “remose”,and i know,i can noT be bOrn again.
(私は“後悔”だった。自分が再び生まれ得ないことを知っている)
i’m sin,i’m crime,i’m guilt.
(私は罪。私は咎。私は罰せられるべきもの)
i Heard Their voise who hate me.
(私は彼らの憎しみの声を聞く)
i ask YOUr forgiveness.forgive this Ugly ex-convict.
(どうか、この醜い罪人を許してほしい)
because i……
(何故なら、私は……)
「……怪しいのは、大きな文字だな」
つぶやくのはベルナールだ。
そもそも、将である以前に魔術師である彼は、文字や言葉に込められた意味合いを読むことに長けているという。
「IDIEIWTOHTYOUU。集めてみれば、こうなる」
「ふむ……俺はえーごとやらには疎いが、ようは、これを並び替えろ、ということかな。十七文字分ということは、どこかに空白が入る、か」
「そうだろうな。空白が三つということは、単語数は四つということになるか。だが……」
「ん、どうした……あー、ベルナール、だったか」
「いや。文章そのものにも、天紗の真意が隠されているように、思っただけだ」
「そうなのか? わし……いや、俺には、今ひとつ判らんが」
「それ、正しいかもよ?」
「どういうことだ、崎守殿」
「廃鬼師がどうやって造られるのか、調べたんだ。百野ちゃんが、気になることを言ったから」
「ほう。……それで?」
「うん、あのね……」
敏が口を開きかけた、そのとき。
ごおぉん、ごううぅん、ぎぎ、ぎしいいいぃいぃぃ。
最下層全域に、この十数時間ですっかり聞き慣れた、あの音が、響き渡った。
「生体憑依型、都市憑依型双方の接近を確認」
百野が重々しく告げ、
「……多いな。しかも、大きい」
周囲を伺った零覇が小さくつぶやく。
ロスは、デ・ガルスと顔を見合わせた。
「……【暁の軍勢】を、召喚するとしよう」
重々しく、デ・ガルスが告げる。
ロスはかすかに笑って、己が周囲に炎を閃かせてみせた。
「小難しいことは、俺には無理だ。こっちの方が、性に合ってる」
「……同感だ」
にやりと笑ってデ・ガルスが頷く。
彼の周囲で光が瞬き、空間がわずかに揺らいだ。
その、次の瞬間には、大剣兵、弓兵、神風兵、騎馬兵で構成される不死の軍勢が、にじみ出るように姿を現していた。
「へぇ、すごいな。ダンナの手駒か?」
「死者の魂を鎧に定着させたものだ」
金色の西洋甲冑を着ている個体が部隊長の役割を担うものであるらしい。
大剣兵30名、弓兵60名、騎馬兵60名、神風12名。
この場においては、心強い戦力というべき軍団の顕現だった。
「系統立った戦法はあまり有効とは言えないぞ。あれらは無だ、予測もつかない動きをする」
低く警戒を呼びかけるのは零覇だ。
彼の両手には、いつの間にか、長剣の半分と言ったサイズの剣が握られている。
「無論、承知の上だ」
デ・ガルスが言うと同時に、ぼこり、と『壁』の一部が崩れた。
姿を現したのは、身の丈二十メートルにも及ぼうかという巨大な廃鬼を初めとした都市憑依型数十体に、がさがさぎしぎしと音を立てる、生体憑依型廃鬼が少なくとも百体。
もちろんそれで終わりというわけではなく、廃鬼たちは、あちこちから姿を現し、戦列へと加わってゆく。
誰かが苦笑する気配が伝わってきた。
「やれやれ」
ロスの隣に、龍水剣を引き抜いたカラスが並ぶ。
「なんだか、大変なことになってるなぁ」
ロスはかすかに笑い、そうだなと答えた。
「自分にやれることをやろうぜ。多分、皆、そのためにここに来たんだろうから」
「……うん、そうだな」
パスワードが見出されるまで、ここを守りきらなくてはならない。
デ・ガルスが大剣を掲げた。
彼の口から轟と号令が発せられるのと、同時に、廃鬼たちもまた動いた。
――そうして、いびつで滑稽で憐れな、退けない輪舞が始まる。
4.SIN
ご、がッ。
鞭のようにしなった廃鬼のケーブルに打ち据えられて、タスクは高々と吹っ飛び、地面に叩きつけられた。
「っつ、う……!」
すぐに跳ね起き、第二撃は避けたものの、身体のあちこちがひどく痛む。
――戦いは長引いていた。
廃鬼たちは、どれだけの数を屠ろうとも、まずで限りがないとでもいうように、どんどんどんどん湧いて来る。
うねうねと蠢くケーブルと、ぞろぞろと動く鉄塊によって、眼前には異様な光景が展開されていた。
例えマイネの憑依によって身体機能が増大しているとしても、生身のタスクが休息もなく永遠に戦い続けることは不可能だ。事実、重苦しい疲労がにじり寄ってきていることを、タスクはひしひしと感じているし、彼は、何度も受けた攻撃のお陰で、身体のあちこちに傷を負っていた。
「退いてください、タスク・トウェン。しばしわたしが引き止めます、千鎖から手当てを受けてください」
こんな場面でも淡々とした万己の言葉に頷き、タスクは、徐々に距離を詰めてくる廃鬼たちの輪から少し後退し、後方で待つ千鎖のもとへ、よろめくように歩み寄った。
「大丈夫ですか、タスク。消毒と、痛みの緩和くらいしか、今のこの場では出来ないけれど」
「いや……十分だよ、ありがとう」
千鎖に微笑んでみせ、タスクは華奢な廃鬼師に己が腕を委ねた。
「……凄い数だな」
「ええ」
「俺には、ものすごい悲鳴が聞こえてるような気がする。気の所為かな」
「わたくしには判らないわ。そういう感覚が備わっていないから」
最下層を目指す三人は、次々に発生する廃鬼たちに取り囲まれ、何度となく危機に陥っていた。
廃鬼師ふたりの持つ特殊機能と、タスクの常人離れした戦闘能力のお陰で、何とかことなきを得てはいるものの、三人だけでは限界がある。このままでは、なすすべもなく圧殺されてしまうだろう。
こういう時、タスクは、自分の無力を思い知る。
「助けてやれたらいいのに。全部、助けてやれたら」
押し殺した声は、タスクの胸中そのものだった。
すべての世界が平和で、すべての人々が幸せで、誰もが笑顔でいられたらいいのに。いつでも、そう思う。それがひどく難しいことだと理解しているがゆえに、なおさら。
本当は、ゆがみ狂わされた廃鬼たちだって、救ってやりたいと思うのだ。
あのまま消えてゆくしかないだなんて、哀しすぎる。
「……人間は素敵な生き物ね。あなたを見ていると、そう思うわ」
それを見てか、手当てを終えた千鎖が微笑む。
タスクはきょとんとし、そして照れ臭そうに笑った。
「そうかな」
「ええ。わたくしたち廃鬼師がこの世界を守りたいと願うのは、そうプログラムされているから、というだけではないわ。こういう時、自分たちに心があってよかったと、そう思うのよ」
それを聞いて、タスクは万己の華奢な背に目をやった。
思わず、小さなつぶやきが零れる。
「万己は……」
「え?」
「あの子は、どうなんだろう。何て言うか、いつも、すごく淡々としてるから、どうなのかなって」
「……ああ」
千鎖の視線が、慈愛とも憐れみとも取れぬ色彩を孕み、小さな黒球を弾丸のように操って廃鬼たちを破壊してゆく万己に注がれる。
「万己は、精神制御を施されているの」
「え?」
「万己は非常に強大な、けれど不安定な器にプログラムされた廃鬼師なの。その不安定さをカバーするために、器に負担をかける精神の揺らぎ、つまり感情を、著しく制御されているのよ」
「ああ……」
だからなのかと納得しかけて、剣を握り直し、マイネの憑依状態を確認しつつ、タスクは首を傾げた。
「でも、さっき、確かに……」
確かに、感情の込められた声を聞いた。
ひどく不吉なものではあったけれど。
「ええ、そうよ、完全ではないわ。そして、制御は年々緩んでいる」
「そうなんだ」
「万己はとても優しい子よ。とても繊細で、とても優しい子。精神制御を施されていても、常に、この世界と人間たちのことばかり考えている。どうやって守ればいいのか、どうすればいいのか、自分に何が出来るのかを」
しかしそれは、言うなれば、心の在りようそのものだ。
コントロールされていてこれならば、制御のない万己は、きっと、非常にデリケートな、思いやり深く優しい、人間よりも人間らしい心の持ち主であるに違いなかった。
「……不可解です」
静かな言葉とともに、千鎖が展開したアビスゲートの中へ戻ってきた件(くだん)の廃鬼師が告げる。
「どうした、万己?」
「手当ては済みましたか」
「ああ、ありがとう、もうすっかりいい」
「……そうですか、しかし、無理はなさらずに。無理をせざるを得ない状況であることも否めませんが」
「そうだな。それで、なんだって?」
「廃鬼たちは本来、意識的に群れるようなことはしません。生あるものの匂いを感じ取って、苦しみから逃れるために集うだけです。しかし、今のあれらは、あまりにも集まりすぎている。何か目的があるかのようです」
「それは確かに、そうね」
「何かに引き寄せられてる、とか? 引き寄せ…………都市再生プログラム? 俺には、難しいことは判らないけど、それに惹きつけられてるとか?」
タスクの言葉に千鎖が眉根を寄せ、万己は芋虫のように蠢く廃鬼の群を見遣った。
「まさか、そんな」
「しかし否定出来る要素はありません」
「……」
「向かいましょう、最下層に。何かが起きようとしているのかもしれません」
万己が言うと、千鎖は微笑んだ。
「どうしましたか、千鎖」
「いいえ。どうしてかしら、あなたが、とても活き活きしているように思えて」
「……そうでしょうか」
「ええ、きっと、そうよ」
「先だって」
「ええ」
「黒衣の男と出会いました」
「……?」
「その人が、何か、とても大切なことをわたしに教えてくれたような気がするのです。それで、心が軽いのかもしれません」
「……そう」
タスクはその時、どこか晴れやかですらある万己の様子に、何故か背筋が凍えるような不吉を感じた。
何故そう感じたのかも判らない。
けれど、何かが起こりつつある、それだけは判った。
「急ごう。大切なことが、手遅れにならないうちに」
言ってタスクは走り出す。
最下層までは、もう、あと少しのはずだ。
追いすがって来る廃鬼たちの攻撃を避けながら、時には他に被害が行かぬよう引きつけながら、タスクは、迫り来る悪寒とも戦っていた。
その勘が、ただの杞憂であればいい、と、切に祈りつつ。
「がッ、は……!」
勢いよく硬い地面に叩きつけられ、昇太郎は自分の背骨が砕ける音を聞いた。血を吐きながら地面をのた打ち回り、激しく咳き込む。
しかし、痛みや傷にすっかり慣れてしまっている昇太郎の中には、苦痛に呻く彼の他に、まるで乾いた木切れを踏み砕いた音のようだ、と、妙に冷静に判断している意識までがあった。
心配そうに鳴いた鳥が、昇太郎の背骨をあっという間につないでしまったが、かなりのダメージだったことは確かだ。鳥がいなければ、しばらくは身動きできなくなっただろう。
呻きつつ跳ね起き、一刀の元に廃鬼の一体を叩き斬った昇太郎のもとへ、
「無事か、修羅」
こちらも、相当あちこちにダメージを受けた壱衛が歩み寄って来る。
「そりゃあこっちの台詞じゃ」
「……お互い様、と言ったところかな、むしろ」
「俺は不死の業を負うとるけぇ、こんなもんは何でもない。アンタはどうなんじゃ、壱衛」
「叩き潰されれば、機能は停止するな」
「それは死とは違うんか」
「数字持ちの廃鬼師には基本的にバックアップがある。ああ、万己と零覇はなかったか、確か」
「なんじゃ、そりゃあ」
「……言うなれば、不死ということだ」
そういうものかと一応納得した昇太郎は、ずるりずるりと近付いてくる、生体憑依型廃鬼たちに色違いの目を向けた。
きしきしという掠れた音は、やはり、助けを求め、苦痛を訴える声のように聞こえ、昇太郎は眉根を寄せた。
そして唐突にそのことに気づき、諸手に持った武器を下げる。
「なあ、壱衛」
「どうした」
「廃鬼に心は残っとらんのか」
「何故今更それを訊く」
「あんな苦しんどる奴らに、何も感情がないんかと思うただけじゃ」
「……知らん」
「なんやて?」
「誰も、奴らに尋ねたことがない。尋ねたところで返す言葉もないだろうが」
「待て、それは、」
もしかしたら、とてつもなく罪深いことなのではないかと、そう問おうとしたとき、びょおう、と空気を裂くようにケーブルが飛来し、咄嗟に身を捻った昇太郎の右頬を浅く切り裂いてから地面を打った。
昇太郎は低く舌打ちをしただけだったが、壱衛は黒い金属で出来た右腕を大きな銃に変化させ、昇太郎を襲った廃鬼の核を見事に打ち抜いた。
無機質な横顔は、確かに、人間とは思えない。
ならば廃鬼師とは何なのかと、人間に代わって人間の業を破壊する役目を負った彼らとはどういう存在なのかと、どこから来て、どこへ還って行くのかと、それもまたたまらなく気になった。
「アンタらは、どうなんや」
「私たち? 廃鬼師のことか?」
「それ以外に何がある。アンタらは、どうやって生まれて来たんや。何で、ここにおるんや」
問いに、壱衛はほんの少し沈黙した。
否、もともとそれほどお喋りな廃鬼師ではなかったが、心の底から逡巡したような気配が伝わってきたのだ。
「口には出来んようなことなんか」
「……いや」
ごうん、という鈍い音とともに、巨大なと称するのが相応しいだろう都市憑依型廃鬼がこちらへ迫って来るのが見えた。
身の丈にして、およそ二十メートル。
鉄塊と鉄骨で出来た、灰色の肉食恐竜のように見える廃鬼だった。
さすがに、あれをふたりだけで相手取るのはきつい。
ふたりしかいないのが現状なのだから、どうにかするしかないのだが、あれだけのサイズとなると、馬鹿正直に真正面から挑むわけにも行かない。迂闊に近づけば踏み潰されるのがオチだ。
「さっきみたいに、高いところから落としたらどうや。あいつやったら、多分、自重で潰れる」
「……なるほど」
「出来ることやったら、ちゃんとこの手で始末つけてやりたいけど……まずは、最下層に辿り着かんことには」
「そうだな……なら、こっちだ」
壱衛に導かれるまま、昇太郎は走り出す。
廃鬼たちがついてくるのが判った。
――まるで、救いを求めて追いすがる罪人のようだと昇太郎は思った。
現在ふたりは、最下層付近まで近付いているはずだった。
この、廃鬼の異様な発生率の高さは、下で何かが起きているからだと、都市が、何かが起きようとしているのを感じ取っているからだと壱衛は言う。
都市が正しいかたちに整えられれば、回避出来るきっと悲劇はある。
そうして、廃鬼たちに背中を狙われつつ、どれだけ走っただろうか。
追いかけてくる廃鬼の数は一向に減らず、それどころか徐々に増えてきているようだったが、昇太郎はそれには頓着せず、ただひたすらに己の呼吸音を聞いていた。
「私たちは」
壱衛が、ぽつり、と言葉をこぼしたのも、その辺りだった。
「鍵摂者の部品と人間の血肉から出来ている」
唐突なそれに、昇太郎は思わず立ち止まりそうになった。
何を言われたのかよく判らなかったのだ。
「なんやて?」
「鍵摂者の中でも、なるべく年経たものを捕獲してくる。その方が、情報が蓄積されていてよい廃鬼師になる。それを分解する。必要な部品を取る。そのために特別に培養しておいた人間をケースから出す。それを分解する。必要な器官を取る。それらを組み合わせ、生体機械で出来た頭部に特別製の思考プログラムを入力すれば廃鬼師の出来上がりだ」
「なん、」
鍵摂者の群ならば幾つも見た。
ごつごつとした、不恰好で滑稽な、生き物なのか機械なのかよく判らないそれらは、都市を再生させようと――例え今は、それが暴走と呼ぶべきものでしかなくとも――懸命に街を造り続けているのだという。
それを分解し、不要な部品は打ち捨て?
「人間を、培養……!?」
そのためだけに、つまりは死ぬためだけに造られた人間の臓器や肉と組み合わせ、プログラムを与えて、造られたのが廃鬼師だというのだ。
「アンタらを、そうやって、技術者が、作ったいうんか……!」
語尾が震えた。
動揺のためではなく、憤りのためだ。
天紗の言葉の意味がようやく判った。
天紗が消えた理由も、ようやく見えてきた。
技術者の存在は、都市にとっては救いであり希望だが、廃鬼師にとっては罪だ。破壊された鍵摂者や、そのためだけに死んだ人間にとっても。
技術者は、常に、罪とともに生きているのだ。
そして、技術者も人間の一部である以上、彼らが悔悟の念に駆られていたであろうことも想像に難くない。
「何のためにここにいるのかと訊いたな、修羅。私たちは地下世界のためだけにいる。もはや鍵摂者にも、人間にもなれない。どちらにも戻ることは出来ない。都市再生がなされたあと、自分たちがどうなるのかも判らない。廃鬼師とは、そういうものだ」
「それやのに、アンタらには、心がある」
「――守るという行為には、感情が必要だ。感情は、プログラムよりもなお強く我々廃鬼師を縛る」
昇太郎には言葉がなかった。
なくすしかなかった。
それは、何と言う理不尽なのかと。
道具に心を与えて、それが責務なのだからと打ち捨てる技術者の罪を垣間見た。
――しかし、だからこそ、零覇という廃鬼師とともに暮らし、恐らくそれを愛したのであろう天紗は、良心の呵責と罪の償いのために、ここから消えざるを得なかったのではないかと、そう思い至りもした。
そして、時を同じくして。
(なら……アンタは)
昇太郎は、自分に己を殺させた、神なる女のことを思い描く。
(何から許されたかった。何から開放されたかった)
強く強く求められて、拒むことも出来なかった。
自分が隣にいるだけでは彼女は安らげないのだと思い知らされると同時に、愛する女がこんなにも渇望しているのならと、覚悟を決めた。
あの時のことは、何ひとつ褪せずに昇太郎の中にある。
(俺の手にかかることで、どう救われたかったんや)
まだ、理由は判らない。
それでも、あまりにも遠かった彼女が、天紗の思いにわずかなりと触れたことで、ほんの少し近づいたような気がしたのも、事実だ。
「アンタはそれでも、都市や技術者を憎んではおらんのやな」
「現状を呪ったところで、無意味なだけだ。廃鬼師の誰もがそう思っているだろう」
答える廃鬼師の眼差しは、無垢だ。
だからこそ、この地下世界は機能しているのかもしれない。
「お人好しやな、アンタら。損な性分やで」
「……お前にそれを言われるとは心外だ、修羅」
呆れたような昇太郎の物言いに、真面目くさった表情で壱衛が返し、昇太郎は思わず笑った。
そのときだった。
べき、ばきッ。
上空で鈍い音がした。
見上げると、恐ろしいサイズに生長した都市憑依型廃鬼の群が、彼らの重みに耐えかねて破れたと思しき上階層の地面ごと、こちらへ落下してくるところだった。
「なんなんだ、この異様な発生率の高さは……」
眉をひそめた壱衛がそう言いかけた瞬間、
めりめりめりっ、ばき、ばりりっ、ごおぅん。
唐突に、足元の地面が、抜けた。
「な……!?」
咄嗟に背後を振り返れば、ごくごく身近な位置まで迫ったこの階層の廃鬼たちの足元から、大きな亀裂が入っている。
「しまった、最下層にもっとも近い、もっとも『薄い』地区に入り込んでいたのか……!」
襲い来る浮遊感。
ぐらり、と、身体が傾ぐ。
彼らの身体が、廃鬼たちごと自由落下に入るまで、瞬きをするほどの時間しか必要とはしなかった。
5.解錠
謎解きは難航しているようだった。
それと同時に、戦いは激しさを増すばかりだった。
途中、タスク・トウェンという銀幕市民と、ふたりの女性型廃鬼師が戦列に加わったお陰で、多少戦況はましになったものの、まだ明るさというものとはほど遠い状態だった。
「ふん……ッ!」
愛剣ボルドゥクスを揮って巨大な都市憑依型廃鬼を切り倒したデ・ガルスは、徐々に狭まってゆく包囲網の中、懸命に言葉をつなぎあわせている人々へ目を向けた。
彼の使役する軍勢は、正しくその役目を果たしている。
廃鬼たちの外殻、そして在りようから、弓兵と神風兵の存在はそれほど大きな力にはなっていなかったが、大剣兵と騎馬兵は大いに役立った。
彼らは不死なる肉体と高い攻撃力でもって、何を思ってか制御界への入り口へ近付いて来ようとする廃鬼たちを次々に打ち砕き、破壊していった。
デ・ガルスもまた、負けじとボルドゥクスを揮い、都市の歪みによって存在を狂わされた憐れな化け物たちを、一撃のもとに眠らせてやることが慈悲だ、と、容赦なく、躊躇なく破壊し続けていた。
(皆さん、どうか無事で……)
デ・ガルスには、大鳥明犀という少年の中で、天使エステリアスが祈る声が聞こえてくる。
デ・ガルスには、天紗と零覇のために祈るエステリアスの気持ちが判る。
かけがえのない存在を失う辛さも、判ると思う。
だが、デ・ガルスは、祈る言葉を持たない。
「俺は軍神。守るべきものは、この手で守ろう」
それが、彼の存在意義なのだから。
――無論、不利は不利だと理解している。
無数に湧いて出る廃鬼に対して、こちらの戦力は百程度でしかない。
さすがというべきなのか、様々な不思議によってなる銀幕市の住民たちは、戦闘能力自体は申し分ないのだが、それでも、いかんせん数が違いすぎる。
「……きりがない、な」
つぶやくデ・ガルスの傍では、神々しい輝きをまとう炎を操って、ロスが廃鬼を屠ってゆく。
炎というよりは熱のような、白々とした炎に包まれると、廃鬼たちの身体をかたち作るケーブルや鉄骨が、ぐにゃりと溶けて零れ落ちてゆくのだ。溶けて崩れたそれらをかき集めてまで、廃鬼として再構築されるだけの力は、彼らにはないらしかった。
「……確かに、いつまでかかるんだ、これは」
ロスが、汗のにじむ額を拭う。
戦いが始まってどれだけの時間が経ったのか、パスワードの解明まであとどれくらいかかるのか、まったく判らない。
時間は疲労となって徐々に蓄積され、やがて彼らに牙を剥くことだろう。
「不死だろうが何だろうが、疲れるものは疲れるんだけどな」
溜め息混じりにこぼすロスの、その更に向こう側では、取島カラスが廃鬼を打ち倒しているのが見える。
何の変哲もない青年に見える彼が――事実彼は、バッキーという名の不思議な生物を授かった以外、普通の人間であるはずだ――、何故あんな鬼気迫る剣閃を放つのか、軍神として少々興味があったが、今はそれを云々している場合ではない。
廃鬼師たちも、それぞれに特殊能力を駆使して廃鬼と渡り合っていた。
崩れ落ちてゆく廃鬼の骸で周囲は埋まり、辺りには小山のようなものが出来ていたが、それをなおも乗り越えて、廃鬼たちはこちらへ殺到しようとする。一体何が起きているのだろうかと、デ・ガルスは首を傾げたくなった。
「……これは、もしかして、予兆か何かなのか」
そんな中、こぼしたのは十守だった。
「なんだ、その予兆というのは」
耳ざとく聞きつけ、問いかけると、十守はほんの少し肩をすくめてみせた。
「オレたちも詳しくは知らん。旧世界の伝承のようなものだからだ」
「どういうことだ」
「戯言と思ってくれて構わんが、これは、大凶兆の前触れなのかもしれない」
「大凶兆……なんだ、それは」
ボルドゥクスを揮って廃鬼を斬り倒し、更に問う。
「廃鬼ではない廃鬼が生まれる日のことだ」
「なんだと?」
「数多の廃鬼が集うと、歪みが増幅されて、生も死も滅びもない、『何もないもの』が生まれることがあると、聞いた」
「それを、大凶兆と?」
「ああ。それは世界を喰らい、無を創るという。だが……どこまで真実かは、オレたちには判らん。今は忘れておいてくれ」
「……ああ」
曖昧な、はっきりしない物言いに首を傾げ、それと同時に返した手首で剣を踊らせて、反対側にいた廃鬼を縦に両断しながらデ・ガルスは頷いた。それどころではないことを理解していたからだ。
と、その時、
めりめりめりっ、ばき、ばりりっ、ごおぅん。
上空が鈍い音を立てた。
そう思った次の瞬間には、大きな石の塊――恐らくこの階層で言うところの天井、上の階層で言うところの地面だろう――と、巨大なとしか表現出来ない都市憑依型廃鬼の群と、
「……壱衛!」
十守がそう呼ぶように、小柄な廃鬼師と、金色の鳥を周囲に舞い飛ばせた青年とが、上空数十メートル――もしかしたら百メートルを超えていたかもしれない――から降って来る。
ものすごい轟音が周囲に響き渡った。
「重みに耐えかねて抜けたのか、地面が」
廃鬼たちは自重によって硬い地面に叩きつけられ、そのほとんどが動きを止めていたし、辛うじて完全には破壊されなかった廃鬼も、なおも立ち上がって戦いに加わるだけの余力は残されていないようだった。
それらの弱々しい、断末魔めいた痙攣に、デ・ガルスは憐れを感じる。
明犀の中で、エステリアスが悲嘆の溜め息をつくのを感じる。
「おい、大丈夫か!?」
がらくたと化した廃鬼の中からふたりを掘り起こしたのは、タスクと取島カラスだった。
「俺は死なんけぇ、平気じゃ。それより、壱衛をみてやってくれ」
右腕が千切れかけ、左脚はいびつに折れ曲がり、頭部が著しく陥没した壮絶な姿で、しかし特に何でもないようにオッドアイの青年が言う。
とはいえ、そのひどい傷も、金の鳥が一鳴きするだけで、溶けるように消えてしまったが。
「……こちらも、大事ない」
返す廃鬼師は、左腕と右目を失い、背中から腹にかけてを太い鉄片に貫かれた無残な姿をしていたが、本人が淡々と言うように、それらは恐ろしい速度で再生されつつあった。
タスクとカラスが鉄片を引っこ抜いてやると、身体に空いた大穴は、なにごともなかったかのように、あっという間に塞がってしまった。
周囲を見渡した壱衛が、何でもないように言ったのは、
「……数字持ちの長が揃ったな」
そんな、今の状況にはまったく関係のないことだった。
「まったくだ……珍しいことだな。百年に一度、あるかないかの椿事だ」
答えたのは十守で、暢気ですらある会話に、デ・ガルスも苦笑せざるを得ない。
幸い、今、廃鬼の群は少し後退している。
それを幸運と、誰もが一息ついた。
そのとき、それは聞こえた。
「……なるほど、判った」
制御界の入り口前から。
……ベルナールのものだった。
ほんの一瞬、痛いほどの沈黙が落ち、そして誰もが、息を詰めて、電界シナプスによってかたち作られた黒い球体を見つめた。
ベルナールが気を取られていたのは天紗の遺した思いだった。
忘れてほしい、という言葉を遺して消えたという天紗。
敏が調べ上げた廃鬼師創造に関する真実は、天紗が、技術者としての己が所業に苦しみ、結局この最期を選んだのだろうと、そこに償いを求めたのだろうとベルナールに容易く想像させ、別れを告げたときの胸中はいかばかりのものだったのだろうかと、そればかり考えていたら、解読に少し手間取った。
何度も文字を組み替え、組み立てて、最後に行き着いたのが、四つの単語だった。
「I、DIE、WITHOUT、YOU。単語はこれでいい。並びも恐らく、これでいい」
天紗の言葉に思い出したのは、己が命よりも大切だった、主のことだ。
斜陽の国の王位に就く以外、生き延びるすべがなかった彼の王。
生きて欲しいと心の奥底でどんなに願っても、それは叶わず、破滅の道をともに歩くほか、なかった。
それでも、大切で、誰よりも大切で、愛しく思っていた。
性差はあれども、恐らく、天紗が零覇に、零覇が天紗に、お互いに抱いていたであろう思いに違いはないだろうと思う。
「私は、死ぬ、なしに、あなた。単語の意味としては、合っているか、ロス?」
「……ああ」
「それをどう解釈すれば、YESとNOの選択肢に行き着ける」
忘れろと告げて消えた天紗。
しかし、我が身より大切な相手に、忘れろなどと。
もしもそれが、主から告げられた言葉だったとして、そんな言葉を遺して逝かれたら堪らないし、命令でも従えない。運良く生き残っても、生きた屍になりそうだ。
だが、もしもそれが逆の立場で、彼をここに残すことで、元いた世界では守れなかった主を守れるのなら、きっとベルナールも、ひとりで赴こうと思うだろう。自分の命ひとつで王が生きるのなら、安いものだと思うだろう。
「『私は死ぬ、あなたなしには』、というのはどうやろう?」
ぼそりとこぼしたのは、昇太郎という名の、オッドアイの青年だ。
「……あなたがいなければ、死んでしまう?」
昇太郎の言葉に重ねるように言ったのは、朱鷺丸だった。
それはひどく相応しく思え、ベルナールはうなずく。
零覇が息を呑む音が伝わってくる。
視線が彼に集まった。
「それほど、愛していた、と?」
つぶやきつつ、ベルナールはキィボードに指を走らせ、I DIE WITHOUT YOUと入力する。
ディスプレイの画面が、ちかりと瞬いた。
認識、――受諾。
そして画面は、YESとNOの選択を求めてくる。
「零覇殿」
ベルナールは呆然としている廃鬼師を呼んだ。
「答えるべきは、貴殿だろう」
「しかし、」
「俺もそう思う。天紗はそう願っとる。――絶対に」
確信めいた響きで昇太郎が言い、そっと零覇の背を押した。
よろめくように画面前へと歩み出た零覇は、
「……」
しばし沈黙し、祈るように目を閉じ、
「答えなら、最初から、決まっている」
黒い金属片の埋め込まれた指先で、キィを叩いた。
――――回答は、YES、だった。
ぱしん。
誰もが息を詰めて見守る中、ディスプレイが軽い音を立て、画面がぷつりと途切れた。
次の、瞬間。
世界が振動した、ような気がした。
そして同時に、びたり、と、すべての廃鬼の動きが止まった。
唐突に魂でも抜かれたかのように停止し、バランスの悪いかたちをしていたものはその場に崩れ落ちる。
ゆっくりと開かれてゆく黒い球体から、黄金の光が放たれた。
(迷ってしまった)
球体の向こうから女の声が聞こえたような気がして、ベルナールは眉をひそめた。誰かが向こう側で微笑んでいる、そんな錯覚を覚えた。
(『わたし』が消える前に、もう一度だけ、あなたに逢いたいと)
周囲の空気がひどくやわらかい。
長い時間言葉と向き合って蓄積された疲労が溶けてゆくようだった。
(そのために、都市再生プログラムは正常に作動しなかった)
動きを止めていた廃鬼たちが、黄金の光に触れて、ゆっくりと消滅してゆく。 がしゃがしゃという耳障りな音を立てて倒れた廃鬼たちは、すでに、がらくたの塊に戻っていた。
ヒトだった面影はどこにもなかったけれど、少なくともそれらは、安らいで眠れたように見えた。
(けれどあなたは来てくれた。そして、答えてくれた)
声が、光が、喜びを孕む。
(だから――もう、何も、要らない)
天紗、と、誰かが名を呼んだ。
それが誰なのか、今更確認するまでもなかっただろう。
6.HURT,HEART,HEAT
30XX年×月●日
零覇という名の廃鬼師がわたしのもとへ遣わされて来た。
日頃無防備すぎるわたしの護衛に、ということらしい。
要らないと言ったのに、ここ以外には行くところがないと言って、零覇は勝手に居座ってしまった。
腹が立つ。
わたしはわたしの意に染まぬことをされるのが、何より嫌いだ。
30XX年×月#日
あれは一体なんなんだろう。
何を言っても、どれだけ罵倒しても、顔色ひとつ変えずに、笑っている。
それでいいんだと、笑っている。
ただ、出て行けといっても、それだけは聞き入れない。
穏やかなようでいて頑固な廃鬼師だ。
廃鬼師に感情などあっても無意味だと、改めて思った。
苛々する。
30XX年●月@日
万己のメンテナンスを行った。
感情の制御は巧く行っているようだ。
大きいが危うい器を、細やかな制御によって力へと換える、わたしの試みは巧く行っている。
すべての廃鬼師が、万己のように、素直で律されていればいいのに。
誰も、わたしの中になど、踏み込んで来なくてもいいのだ。
……零覇も、いずれ、感情制御を施してやろうか。
30XX年○月△日
驚いた。
零覇には制作者がいないという。
眼球登録用フォルダのどこにも、技術者名が記載されていないのだ。
おかしい。
わたしにだって、そんな真似は出来ないのに(いや、わたしは、わたしだからこそ出来ないのだけれど)。
しかし、そう思ったら、少し気が楽になった。
それなら、少しくらい、おいてやってもいい。
別にわたしは、わたしの身の安全になど、頓着もしていないけれど。
30XX年××月★日
零覇は働き者だ。
一体、誰がそう造ったのか、廃鬼師として以外の機能もたくさん持っている。
先日など、ごみ溜めのようだったわたしの研究室を、何ひとつ損なわずに、完璧に掃除し、整理整頓してみせた。
ずいぶん、研究がやりやすくなった。
今の研究室は、いい匂いがして、とても居心地がいい。
外の環境に対して、そんな風に思うようになったことを、わたし自身が驚いている。
30XX年*月×日
久々に十守が来た。
この廃鬼師は、最古の廃鬼師壱衛と同じく、制作者の意図が強すぎて、わたしではヴァージョンアップしてやれない。
しかし、彼ならば問題ないだろうとも思う。
十守は、単純に話をしに来るのだが、不思議と人間臭い廃鬼師だ。
心があるからというだけではなく。
それも、制作者の望んだところなのだろうか。
では、零覇は、どうなのだろう。
わたしに笑顔を向ける零覇は。
30XX年△月●日
零覇が怪我をした。
唐突に湧いた都市憑依型からわたしを庇ったのだ。
零覇の身体が破壊されるのを目の当たりにして、わたしは生まれて初めて取り乱した。
廃鬼師はあんな風に戦うのだと、今更ながらに理解した。
そう造ったのは、そう仕向けたのは、わたしたち技術者だ。
零覇は何でもないことだと笑っていたが、わたしはその日、一睡も出来なかった。
目を離したら零覇が壊れてしまいそうで、わたしの目の届かないところへ消えていってしまいそうで、一日中、彼の傍を離れられなかった。
零覇はそんなわたしを笑い、どこにも行かないとわたしを抱き締めた。
それも、生まれて初めてのことだ。
わたしは振り払うことも出来ずに、その腕に身を委ねていた。
自分の、そんな変化に、わたしは驚いている。
30XX年●月#日
零覇を見ていると、今更、自分たちの、自分の罪を思い知る。
わたしたちは、都市のためと思って、それを為した。
けれどそれは、鍵摂者を殺し、人間を殺し、無理やり別のものに造り換える行為に他ならないのだ。
鍵摂者は破壊され、必要な部品を奪われるとき、悲鳴を上げる。
人間のような悲鳴だ。
わたしはそれを無視して部品を奪い、骸となった鍵摂者をがらくたのように打ち捨ててきた。
特別に『培養』された人間を生きたまま『分解』し、血と絶叫が迸るただなかで、死に逝く人間の断末魔の痙攣などお構いなしに、人間の部品を鍵摂者の部品と組み合わせて、新しい廃鬼師を造って来た。
そうして造り上げられたわたしの廃鬼師たちは、都市守護の重要な鍵となって、この世界を守っている。
わたしはそれを誇らしくすら思っていた。
けれど。
30XX年●×月○日
廃鬼師たちは自分が誕生した瞬間を覚えているという。
鍵摂者の悲鳴と人間の慟哭を覚えているという。
廃鬼師たちは、技術者を憎んでいるのだろうか。
――憎んでいるに決まっている。
数百体もの廃鬼師を造り出して来たわたしなど、呪い殺されても仕方ないほど憎まれているだろう。
では、零覇は。
零覇はどうなのだろう。
技術者を憎んでいるのだろうか。
きっとそうに違いない。
それなのに、何故、わたしを守り、わたしに笑顔を見せるのだろうか。
30XX年☆月××日
耐え切れなくなって、尋ねてみた。
以前のわたしなら、責務を果たすためなら、誰に何と思われていようが気にもしなかっただろうに、今のわたしは、零覇の気持ちが気になって仕方がないのだ。
憎いと言われたらどうしようと、どうすればいいのかと、そんな不安に苛まれるのも初めてのことだった。
ところが、
「俺は、天紗のための廃鬼師なのに、どうして天紗を憎むんだ」
そんな答えが返って来た。
嘘だと反論しようとしたら、何故か、目から水が出て止まらなくなった。
これは、なんだろう。
巧く呼吸が出来なくて困っていたら、涙だと零覇が教えてくれた。
廃鬼師のくせに、人間のわたしより人間に詳しいのかと、笑い出したいような気分になった。
不思議な気分だった。
だが、わたしはそれを、嫌だとは思わなかった。
30XX年@月☆★日
わたしの造った廃鬼師が廃鬼に堕ちた。
それは壱衛に破壊されたようだった。
世界最古の、“もっとも長けた者”は、骸の欠片を届けに来て、都市の限界が近いことを告げた。
この世界の歪みは、澱みは、もうどうしようもないところまで来ている。
都市再生プログラムを発行しなければ、もう、幾許も持たないだろうと。
世界がSolitudeに飲まれるまで、それほどかからないだろうと。
――恐らく、それが出来るのはわたしだけだ。
自惚れるわけではないが、わたしは、今の技術者の中では随一だ。
何よりも誰よりも、都市を使えるし、判っている。
それなのに、今までそれをしようと思わなかったのは、わたしは別に、この状況を厭ってはいなかったからだ。
わたしにとって、この世界は、それなりに居心地がいい。
けれど、考えなくてはならないのかもしれない。
わたしにそう思わせたのが誰なのか、わたしにはもう判っている。
30XX年×月*日
都市再生プログラムについて調べ始めて数ヶ月が経った。
事態はなかなか進展しないが、零覇は焦る必要はないと言って、甲斐甲斐しくわたしの世話を焼いてくれる。
零覇がいると、わたしは安らぐし、穏やかになる。そしてどんどん、知恵と元気が湧いてくるような気がする。
大昔、太古のこの世界では、そういう存在のことをお母さんとか、お嫁さんと呼んだらしい。
それらに関する詳しい資料は失われて久しいが、わたしにとっての零覇も、そういうものなのだろうか? そう考えると、少し、くすぐったい。
30XX年■月∇日
厄介なことが判った。
都市再生プログラムを正しく作動させるには、正しい方向性が必要なのだ。
それは、一個の、重厚なる核を必要とするということに他ならない。
――核とは、人間だ。
人間の思考ほど、複雑でありながら柔軟かつ深遠にまとまった核は存在しない。
つまり、人間が、丸ごとひとり、プログラムに溶けなくては、あれは正しく作動しないのだ。否、作動したとしても、我々の望む再生は行われない。
都市再生プログラムを発行するとは、つまるところ、誰かひとりの命を犠牲にするということなのだ。
誰が、と問われれば、わたしがなるしかない。
他の誰にそれを任せられるだろう。
だが、それはつまり、わたしがこの世界から消えてなくなるということだ。
この世界と――零覇と、別れなくてはならないということだ。
わたしはひどく悩む。
死が恐ろしいのではない、零覇と二度と会えないことが苦しいのだ。
そのことが、ひどく、哀しい。
30XX年○月※日
零覇は、わたしが悩んでいることに気づいている。
理由を問うてこないのは、わたしが訊かれたくないと思っていることにも気づいているからだ。
都市再生プログラムの設定は順調だ。
これが作動すれば、都市機能は99.9%の割合で回復し、Solitudeは駆逐され、都市は正しい姿に戻るだろう。
廃鬼師をもとの鍵摂者や人間に戻すことは出来ないが、彼らにも、ヒトとしての穏やかな生き方を与えてやることが出来るだろう。
しかしわたしはまだ踏み込めずにいる。
それはすなわち、わたしの死なのだから。
わたしはまだ悩んでいる。
情けないことだと思いつつも、零覇の笑顔と、やわらかい抱擁に出会うたびに、わたしは一歩後退する。
わたしはどうすればいいのだろう。
30XX年★月○日
零覇が、わたしを愛していると言った。
廃鬼師が技術者を愛するなど滑稽だろうけど、と、少し困ったように、はにかんだように。
それをわたしは、ひどく愛しいと思った。
もういい。
同じく、そう思った。
自分を惜しむのは、やめよう。
わたしがいなくなっても、零覇がわたしを哀しんでくれる。
零覇がこの世界で生きられるなら、それでいい。
零覇を守りたい。
わたしに罪を自覚させ、それと同時にわたしを許した、零覇を。
世界中の誰かが、わたしと同じように、誰かを守りたいと思って生きているのだろうと、そう思ったら、心は軽くなった。
準備をしよう。
知れば零覇は止めるだろうから、こっそりと。
ゆっくりと心の準備もしよう。
面と向かって別れを告げることは出来ないから、これから毎日、心の中でさよならを言おう。
そして、その日に臨もう。
30XX年◆月◇日
何故か晴れやかな気分だ。
あともう少しで準備が終わる。
それまで、もう少しだけ、この優しい場所にまどろんでいたい。
もう少しだけ、零覇をわたしだけのものにしておきたい。
わたしに許された残り時間の中で。
30XX年∇月△日
準備はほとんど整った。
覚悟も、出来た。
わたしは死のう。
都市の、零覇のために。
零覇が生きられる世界のために、都市再生プログラムになろう。
死が償いになるなどと甘いことを考えてはいないが、しかし、これ以外に、わたしの気持ちを零覇へ伝えるすべがない。
わたしは零覇を愛している。
今更ながら、それを自覚させられ、心が震える。
しかしそれは、幸せな震えだろうとも思う。
零覇。
わたしの痛み、わたしの心、わたしの熱。
わたしはあなたを愛している。
30XX年∇月●日
すべての準備が完了した。
これで、さよならだ。
明日には、わたしは消える。
だからどうか、わたしのことは忘れてほしい。
本当は忘れないでほしいけれど、それで零覇が苦しむくらいなら、わたしなど何もかも消えてしまった方がいいだろう。
それでも、零覇の記憶をいじることは出来なかった。
わたし自身が、耐えられなかった。
零覇。
最期までその名前を呼ぼう。
それはきっと、幸せなことなのだろうと思う。
さよなら、零覇。
どうか、幸せに。
7.大凶兆、来(きた)る。
最期に、一目。
可愛らしい、切ない迷いが、プログラムの発行を鈍らせた。
それが答えだった。
天紗は、たったひとりの廃鬼師のために、世界を救うべく、自らを捧げた。
それだけのことだったのだ。
「天紗……」
ぽつりと零覇がつぶやく。
そこにどんな感情が込められていたのか、それを思うだけで朱鷺丸の心は苦しくなる。
手を差し伸べようとしたものと、倒すべき敵が同一の存在で、届いたと思った手が虚しくすり抜けた瞬間の、あのどうとも言えない虚無感は、今、例え隣でその相手が笑っているのだとしても、多分、二度と消えない。
零覇の抱く無力感と、それはよく似ている。
朱鷺丸には、零覇の悲嘆、絶望が判る。
朱鷺丸は言葉なく零覇の肩を叩き、そしてその場を離れた。
零覇は理解しているだろうか。
天紗が彼を誰より愛していたことを、それゆえにこの道を選んだことを。
誰に説明されずとも気づいていてほしいと、朱鷺丸は思った。
「……それだけ大事な人だったんだね」
敏は微笑み、制御界と呼ばれる特殊な空間を見つめる。
制御界内部は、まるで草原のようにさんざめく金色の光で満たされた、驚くほど広大な場所だった。
薄明るい灰色の鉄塊都市には不釣合いなほどにやわらかく、神々しい光が零れ出し、都市最下層はまるで、実りの時期を迎えた麦畑のような艶やかさに包まれている。
その奥のずっとずっと奥に、誰かが佇んでいるのが見えた。
「あれが、次顕開体」
敏のつぶやきに、黄金の光がたわんだ。
次顕開体と呼ばれる、情報を物質化して据え置くためのそれは、小柄な女性の姿をしていた。『彼女』の薄い唇に浮かぶ優しい微笑は、きっと、ただひとりに向けられたものだったのだろう。
あれに触れ、再生プログラムの施行を促せば、すべてが終わる。
そのために、天紗は命を懸けたのだ。
「僕なら……どうするかな」
世界と、自分と、自分よりも大切なものを天秤にかけて、最後に何を取るのだろうか。
「……躊躇えないよね、きっと」
この世界ではまだ出会い得ていない相棒。
彼と再会したら、きっと、天紗と同じ行動を取るだろうと、敏は確信している。
(ああ……君に会いたいな、カイト)
もしも出会えたら、何を言おうかと、それを思うだけで敏の唇はほころぶ。
「これで……何もかも、巧く行くのかな」
カラスは、やわらかさを増してゆく空気の中、目を細めて周囲を見つめていた。
哀しみの連鎖など、止められるならばそれに越したことはない。
そこに希望があるのなら、希望を信じるに越したことはない。
「……そう、願う」
答えるロスも、漏れ出てくる光に、眩しそうな表情をしていた。
――誰もが、何もかもが終わったと、きっと終わると、そう信じていた。
狂った輪廻は止まるのだと、世界は正しい方向に再構築されるのだと信じていた。
信じたかった、のも、あるかもしれない。
これまでに、あまりにもたくさんの、運命を歪められ狂わされた、哀しい廃鬼たちを見続けてきたから。
タスクだけが、その中で、
「本当に終わる? 本当に? 本当に、すべて、うまく?」
何故かひどく寒そうに震える、万己の言葉に気づくことが出来た。
「行くのだろうか。行く。行くはずがない。行ってほしい。行かない。行きたい。うまく。うまく、うまく、うまく」
狂おしく膨れ上がる何かに、気づくことが出来た。
「……万己……?」
タスクが、万己を気遣うように、彼女の肩に触れようとした、その時。
(では、君の望む力を与えよう)
包み込む暗黒のように静かで穏やかな、男の声が聞こえた。
そんな気がした。
ぞわり。
何かが蠢いた。
――何が?
思って、足元を、周囲を見遣れば、動きを止めたはずの廃鬼の骸が、ざわざわと波打っていた。
同時に、万己の髪が、ざわざわとざわめいているのが見えた。
「万己……!?」
タスクは、少女型廃鬼師に手を伸ばそうとした。
しかし、
ばちんッ!
指は、電撃のようなものによって弾かれた。
「な……」
あまりの勢いにタスクはたたらを踏み、
(わたしは、世界を救いたい)
ふと見遣った万己の金眼を、あまりにも深い虚無が覆い尽くしていることに気づいて絶句した。
繊細で心優しく、誰よりも都市のことを思っていたという万己。
(無の混沌と言う名の安らぎによって)
そのやわらかく脆い心が、実はすでに絶望に覆われていたなどと、一体誰が気づけただろうか。誰もが、感情を制御されているのだからと、思いを至らせもしていなかったのではないだろうか。
そしてその絶望は、今、都市再生プログラムへの不信というかたちをなして、万己を著しく歪め、狂わせてゆく。
(わたしは、無を創ろう)
ざわざわ、ざわざわ。
世界が鳴動する。
制御界から漏れ出ていた優しい光が衰えてゆく。
「不味い、歪みが……!」
何か、目には見えない力の奔流が、万己に注がれているのが判った。
否、それは、万己が呼び寄せたのかもしれなかった。
ざわざわざわざわッ。
万己を中心に、ケーブルが、鉄塊が、石塊が、集まってゆく。
万己は最早、廃鬼師ではなくなりつつあった。
それはすでに、廃鬼でしかなかった。
巨大で強大な、世界の敵でしかなかった。
――否、それは廃鬼ですらなかった。
伝承が正しければ、それは、
「大凶兆……!」
死も生も終焉も持たぬ、世界を食らう化け物だ。
そして万己は、廃鬼ではない廃鬼と化した世界最大の廃鬼師は、
「――……天紗!」
開かれた制御界と、遺された次顕開体と、『彼女』へ駆け寄ろうとした零覇とを、もろともに飲み込んだ。
「……ッ!!」
誰かが息を呑んだ。
廃鬼師の誰かが、零覇と万己の名を呼んだ。
ざわざわざわざわ。
(わたしは、そのための力を、与えられた)
一体誰に。
問いはきっと、届きはしなかっただろう。
タスクの脳裏をちらとよぎったのは、先刻万己が話していた黒衣の男のことだったが、それとて、憶測に過ぎない。
「くそ……!」
朱鷺丸が、タスクが、カラスが、昇太郎が、デ・ガルスが、表情を歪めて剣を構えた。
「無駄だ」
壱衛が告げ、他の廃鬼師たちに目配せをした。
「何で止める、放ってはおけんやろうが!」
「大凶兆には生も死もないと言っただろう。誰がやっても同じだ、単純に攻撃したところで、取り込まれるだけだ」
声を荒らげる昇太郎を十守が制止し、苦笑とともに頷く。
頷いたのは、壱衛に対して、であるらしかった。
「……四人いれば、やれるか」
「ああ」
「これ以上巻き込むわけには、いかないだろう」
「…………そうね。これは、わたくしたちの世界の問題。ましてや彼らは、わたくしたちに、道を指し示してくれたのだから」
「そうだな、ここから先は、我々の仕事だ。どこまでやれるかは、正直、疑問だが」
「……ならば……」
一体何の話をしているのかと、訝る暇はなかった。
廃鬼師たちがめいめいに腕を振ると同時に、銀幕市から来た八人を、磐送球と呼ばれる球体が包み込んだ。
「……!?」
ちらりと見た廃鬼師たちは、笑っていた。
壱衛が、十守が、百野が、千鎖が、笑って、八人に手を振るのが見えた。
人間臭い表情であり、仕草だった。
そのことにもまた、胸を掻き毟られるような思いが募る。
「待……ッ」
こんなかたちで放り出されるのは嫌だと、最後まで見届けさせろと、抗議する暇もなかった。
磐送球が鈍く軋む。
「――……さよなら」
漏れ聞こえたそれが誰の言葉だったのか、判らない。
確かめようにも、磐送球は、次の瞬間、轟音とともに、まるで弾丸のように跳ね上がって、地上へと帰還してしまっていた。
磐送球から這い出せば、外は、いつもと同じ青空で、いつもと同じ太陽が輝く、牧歌的なまでの穏やかさで、八人の心を締め付ける。
「何で……こんな……!」
誰が呻いたのか、誰もが呻いたのか、誰の心にも、やりきれない思いが残った。
――地下都市への道が閉ざされる、鈍い音が、聞こえた。
大凶兆が生まれてから、どれだけの時間が経ったのか、世界がどうなったのか、廃鬼師たちは無事なのか。
この地上ではもう、知るすべもない。
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クリエイターコメント | こんばんは。 大変遅くなりましたが、シナリオのお届けに参りました。
今回は、ヒトがヒトを思う気持ちと、それゆえに起きた哀しみと、人々がそれぞれに負う切実な思い、それらを重点的に描写させていただいたつもりです。 皆さんから、真摯な、密度の濃いプレイングがいただけたお陰で、感情というもの、ヒトを思う心というものをたくさん描くことが出来ました。
そのことをお礼すると同時に、更なる混沌、更なる苦悩に、皆さんを突き落としてしまったかもしれないことをお詫びし、次なるシナリオ、第二話でも、皆さんとお会い出来ることを祈る次第です。
それでは、どうもありがとうございました。 また、次なるシナリオでお会いしましょう。 |
公開日時 | 2007-12-17(月) 00:30 |
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