★ Tears 〜茨の城の鏡王子〜 ★
<オープニング>

 重々しい広間の扉を軋ませながら、男が入ってくる。
 美しい顔立ちをしてはいたが、どこか幸福に有り付けない、そんな印象の男である。
 欧州中世期の貴族風の身なりは、彼が身分の高い地位にいることを暗黙に知らしめていた。
「やあ。今日は一段と美しいね、ティアレス」
 室内の至る所に据えられた様々な鏡の中でも、一際目立つ中央の大鏡に向かって、男が恍惚の溜息を吐く。
 冷たい石が剥き出しの荒れ果てた城内である。殺伐とした孤独の時に身を委ねる彼にとって、鏡の中の青年、ティアレスと話すことだけが唯一の楽しみであった。
 けれど――
「ティアレス。ああ、ティアレス。何故、君は僕の問いに答えてはくれぬのだ?」
 男がどんなに思っても、愛の言葉を並べ立てようとも、青年は困惑の色を浮かべるのみ。
 一方的な、実らぬ恋。
 泡沫の恋。
 ねえ、知っているかい? 報われることのない思いを抱いて、那由他の刻を貪る日々の何と虚しいことを。
「僕はこんなにも君を愛しているというのに」
 半ば強引に唇を寄せる男へ、鏡の青年もまた嫌がる素振りすら見せず、素直に受け入れている。
 密なる一時の後、突然、男が弾けたようにがばりと身を起こす。
 血走った目を一層見開いて、 
「君は……そうか。そうだ。そういうことなのか」
 肩を揺らしながら、引き攣った笑い声が部屋中に響き渡る。
「分かったぞ、ティアレス。君は他に思う人がいるのだね。だから、僕を愛せない。そうなんだね」
 可哀想なティアレス。
 哀れなティアレス。
 君は僕と思い人との狭間で揺れ動き、心を束縛されているのだ。
 だから、だから――
「君を苦しめる奴は皆、僕が殺してあげる。そして――……」
 そっと鏡に触れると、ティアレスもまた、男へと手を伸ばす。
「ずっと一緒にいよう。ずっと……」
 どれ程の時間、そうしていただろうか。
 いや、実際はほんの2、3分だったのかもしれない。
 ティアレスへ向けていた眼差しとは打って変わって、男が鋭い視線を扉へ投げる。有りっ丈の憎悪の念を込めて。
「……おやおや、どうやら鼠が侵入したようだね」
 未来永劫の愛を、誰にも邪魔させやしない。
「愛しい君よ、待っていておくれ」
 ティアレスの顎を軽く指でなぞると、男は部屋を後にした。
 靴音が遠ざかって行き、やがて静寂が訪れる。
 鏡は何事もなかったかのように、ただ、誰もいない室内を映しているのみであった。

「あの廃城へ行ったまま、戻らない?」
 依頼人、高梨 アヤの話を聞いた途端、対策課の植村 直樹の表情が、瞬く間に険しいものへと変貌した。
 それもそのはず。先日、逢引きのためにと件の城へ侵入したカップルのうち、女性だけが戻らないという、同じ様な届け出があったばかりなのだ。
 申し出たその男、薄情にも恋人を残して命辛々逃げ帰って来たわけだが、女性が無事に生還した際には、間違いなく引っ叩かれるだけじゃ済まないだろう。余計なことを心配しつつ、植村は対応したものである。
 この依頼を受けた対策課では、有志を募って、城へ行方不明者の捜索に向かわせようとしていた。そんな矢先の出来事であった。
 まさか、同じ様な事件が起ころうとは。
 アヤが、目を真っ赤に腫らしながら口を開く。
「私がいけなかったんです。私が、無理やり美代を巻き込んでしまったから……」
 彼女の話は、こうである。
 最近、銀幕市自然公園の一角に出現した、西洋風の城。そこにティアーズなる謎の美青年がいるとの噂が、まことしやかに囁かれていた。
 映画といえば、冒険ファンタジーものと頭から決めて掛かるアヤは直感した。彼こそが壮大な愛と勇気をテーマにしたファンタジー映画『茨の城』の勇者、ティアーズ=ルーベング王子であると。
 大好きな映画の、しかも長年慕い続けてきた王子様が実体化したとなれば、物陰からでも良い、一目見たいと願うのがファン心理であり、乙女心理である。
 とはいえ、綺羅星学園高等部に籍を置く、ごく平凡な女子高生の彼女に、一人で廃城へ赴く程の勇気はない。
 そこで、親友の小野寺 美代を伴い、喜び勇んで向かったのである。
 しかし――
「捕らえられてしまったのですね?」
 植村の問いに、アヤが項垂れる。
「階段の踊り場に鏡がありました。丁度、姿見くらいの大きさで……。それで、その鏡の前を通った途端、前を歩いていた美代の姿が突然、消えてしまったんです。私、もう怖くて怖くて、ティアーズ王子に会うっていう目的すら忘れて、無我夢中に走りました。気が付いたら、城門の前にいたんです」
「鏡、ですか?」
 リカから齎された意外な情報に、植村は思わず首を捻る。
 『茨の城』の作中に、そんなものの存在はないはずである。とすれば、それこそが今回の事件の重要な鍵となるだろう。
「私は、卑怯者です。美代を見捨てて逃げ帰って来てしまったのだから……」
 咽び泣くアヤにハンカチを渡しながら、
「誰も卑怯だなんて思っていませんよ。あなたはこうして、届け出て下さったのですから」
 前述の男性の時とは随分態度が違う27歳独身彼女なし男、植村。
「ともかく、早急に対処致しましょう」
 言って、彼は心強く頷くのであった。

種別名シナリオ 管理番号451
クリエイターあさみ六華(wtbv7387)
クリエイターコメント こんにちは。あさみ六華です。

 今回の舞台は茨の城です。

 補足として。
 鏡は城のあちこちに設置されております。
 美代を捕らえた踊り場の鏡同様、不思議な効力を発揮するものもあれば、何の変哲もない普通の鏡もあります。

 プレイングにお書きいただきたいことは、以下の2点です。
 1)城内の鏡をどのように突破するか(破壊する、敢えて真っ向勝負を挑む等)
 2)ティアーズと、ティアレス(広間の大鏡)の対処法(戦闘有り)
 その他、余裕がありましたらPC様の思いや、言わせたい台詞、美代のフォロー等々、お書き添えいただければと思います。

 なお、ノベル中では若干の同性愛描写があります。
 苦手な方はご注意下さいませ。
 
 それでは、ご参加お待ちしております。

参加者
ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
狩納 京平(cvwx6963) ムービースター 男 28歳 退魔師(探偵)
李 白月(cnum4379) ムービースター 男 20歳 半人狼
神撫手 早雪(crcd9021) ムービースター 男 18歳 魂を喰らうもの
鬼灯 柘榴(chay2262) ムービースター 女 21歳 呪い屋
<ノベル>

●いざ、茨の城へ
 その城を一目見れば、大規模なお化け屋敷と見紛うことであろう。
 城門の天使の像は、本来ならば、愛らしい笑みを浮かべて来訪者を迎え入れるはずであるのに、片翼はすっかり朽ち果てている。それはまるで、堕天使が恨みがましげに何者をも拒んでいるかのようにも見えた。
 硬い茨の蔓が絡み付き、城の全貌を窺い知ることは出来ない。ここが『茨の城』と呼ばれる由縁であろうが、人の手が行き届いていないからだろう。今や蔓は城内にまで侵食していた。
 湿気と埃とをたっぷり含んだ空気が満たされる中、石造りの天井に、張り付くようにして小さな影があった。一匹の蝙蝠である。
 蝙蝠はまるで、理性ある生き物が如く頭を廻らせていたが、それも僅かな間であり、すぐに城の奥へと飛び立って行く。
 途中、何枚もの鏡を横切るが、なぜだか蝙蝠の姿は映らない。だからこそ、鏡は沈黙を保ったまま、蝙蝠を城内へと迎え入れるのだった。
 そんな小さな影を横目で見つつ、心地よい負の気配を感じ、ふらりと城へ現われたるは鬼灯 柘榴 (ほおづき・ざくろ) 。滑らかな陶器のような白い肌、腰の辺りまで伸ばされた漆黒の髪、同色の瞳を持つ和装の美女である。
 彼女は久しぶりに仕事が出来るという思いの下、嬉々として深紅の着物の裾を揺らす。
 使鬼の宮毘羅で何度も透視しては、安全な道を選び、進んでいた。
 だが――
「おかしいですね……」
 立ち止まり、首を傾げる柘榴。それもそのはず。先程より同じ通路ばかりを通っているのだ。
 何もない道は、何も起こらない。だから辿り着けない。
 これもまた、城が見せる幻術か。
 だとすれば、敢えて鏡に入ってみるも面白い。
 そこな前方に邪の気を感じて、くすりと笑う。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず。物は試しですものね」
 妖艶なる曼珠沙華が、闇に舞う。

 十狼(じゅうろう)は主人の知人である美代が捕らわれていると聞き、この地に足を踏み入れていた。厳密にいえば、彼女がどうこうというよりも、それで主人の心を煩わせたくないという思いによるものだ。
 そんな時である。なんとなく城が気になったという理由で、ほけほけと歩いていた神撫手 早雪 (かんなで・さわゆき)に出くわしたのは。方法さえ異なれど、命を奪うものという意味で同属性の匂いを鋭敏に感じ取る十狼。
 早雪の笑顔の下に隠されたものに、ほのかな興味を抱きながら、彼等は行動を共にすることと相成った。
 さて、両側に張り巡らされた鏡の回廊に、2人が差し掛かる。
 これらが罠であると重々承知していても、鏡ばかりで飾り立てられた内装は悪趣味の一言に尽きる。
「これはまた、素晴らしいご馳走だね」
 十狼の嫌悪の念とは裏腹に、感嘆しては鏡に喰い付く嬉笑の早雪。
 彼は浄化能力で罪や穢れ、呪いといった負の性質を自分の内に取り込むことが出来るのだ。それらは闇を以って闇を抑える外法により、死神の封印を維持するエネルギーへと転化される。故、呪いのアイテム等は正に、彼にとって格好の食物というわけである。
 早雪を尻目に、十狼もまた、両脇に下げた剣を抜き放つ。使い手の技量によっては岩どころか鉄すらも断ち、また死を持たぬ存在にも終焉をもたらすという拝領物、『聖獄』と『晧天』である。
 鋭い眼光を一層強めて得物を構えれば、左右の鏡から招かれざる客のお出ましだ。
 実態を持たぬ影が、襲い掛かる。
「参る!」
 躍り出る十狼。
 振るう剣戟は目にも鮮やかに、影を捉えた。
 追い越し様に閃く、苛烈な技。一挙手一投足が、無駄なく動く。
 例えるならそれは、繚乱の華。
 はらりと一片の花弁が舞い落ちる間に、何体もの敵を捕らえては屠るのだ。
 切り裂かれた闇は、虚空に溶けて消え去った。
 最後の1体を切り捨てると、十狼は軽い息をつく。
「鏡、か……他愛のない」
 台詞に偽ることなく、呆気なく片付いた。
 もっとも、世界を滅するために世へ生まれ出でたとすら言われた十狼である。この程度の不思議では、彼へ何の害も及ぼすことは出来ない。
 それを差し引いたとしても、必要とあらば破壊し、何が出て来ようと真っ向から斬り捨てて進むだけのこと。
 剣を鞘へ収めると、後ろから拍手が上がった。
「お見事! いやぁ、流石だねぇ」
 満面の笑みで、こちらも浄化を終えた早雪が青年剣士の労を労う。
 前述の通り、十狼にはこのようなものなど労苦に及ばないのだが、そんな彼の胸中を知ってか知らずか、早雪同様に、
「有り難うございました!」
 後方の安全な場所で待機していた女性が、何度も頭を下げる。
 行方不明となっていた件のカップルの彼女である。美代ではないものの、これもまた今回の大事なミッションであるには違いない。
「無事で何よりだよ」
 無言の十狼を代弁する早雪。
 聞けば彼女、朽ち掛けていた足元が崩れて階下へ転落し、そのまま気を失っていたらしい。恋人に見捨てられたにも関わらず、奇跡的に打撲のみで、大怪我に至らなかったのは不幸中の幸いである。
 そんなわけで、彼女が行方不明だったのは、鏡の効力と無関係であることが判明した。
 「自力で歩いて帰れるから」と言う根性の座った女性を城の入り口付近まで送り届けると、早雪は未だ、腹が満たされていないことを思い出す。
「ねえ、何か食べる物、持っていない?」
「野菜ならあるが」
 間髪を容れずに十狼から手渡された生人参を、頂いてみる。
 新鮮な大自然の旨味が口の中に広がったが、やはりメインディッシュを食さねば、とても満足出来そうにない。
 最上階から漂う微かな匂いを嗅ぎ取って、早雪と十狼は再び歩き出す。

「神火清明、神水清明、神風清明」
 狩納 京平 (かのう・きょうへい)が 懐から取り出した幾つもの和紙製の折鶴に、呪を唱えて息を吹き掛けると、見る見る内にそれらは鶺鴒へと変貌していく。
「罠は適当にぶっ壊してやりゃあイイ。捕えられたお嬢ちゃん達を助け出せ」
 十狼の主同様、対策課で依頼書に見知った名前を見つけた京平もまた、行方不明者を救出するべく城を訪れていた。
 というのも京平、以前に別の事件で美代の身に降りかかった怪事件を解決したことがある。
(「こいつァ放っとくわけにゃいかねぇよなぁ……」)
 思わず眉間に皺を寄せて、溜息をついたものである。
 そのような理由で鶺鴒と、それから汀流、翡翠という2匹の天狐を城に放ち、美代の居所を捜索しようというのである。
 てきぱきと指示を出す京平に、李 白月 (り・はくづき)は、
「おお、すげぇ!」
 と、感心しきり。
 式神の太郎丸と次郎丸を露払いに行かせていることもあって、道のりは極めて平穏である。
「数多の鏡の中に、必ず異界に通じる入り口があるはずだ」
 遁甲盤という特殊な器具を用いて、悪気の方角に当たりを付ける京平の横で、
「ふーん。そんなもんかねぇ」
 などと、白月が適当に相槌を入れる。
 そうこうしている内に、2階へと続く階段に差し掛かる。
 問題の踊り場の鏡。これが美代を捕らえたものなのか。
 主人を待ち構えていた太郎丸を下がらせると、自分の姿が鏡に映らぬよう注意しながら、京平があちこち調べ始めた。
 慎重な彼とは裏腹に、いい加減、体が鈍って仕方のない白月。
「要するに、片っ端から壊していきゃいいんだろ?」
「そうそう。片っ端から1つずつ……って、おい!」
 京平が気付いた時には既に、見事な突きを鏡にぶち込んでいる最中であった。
 彼、白月は大岩をも素手で割る程の武術の使い手である。本来ならば、姿見一枚など、その一撃で木っ端微塵になるはずであるのに、何と彼の腕は波打った水面に吸い込まれるようにして、鏡の向こうへ消えていた。
「な、何だ? どうなってんだ?」
 満身の力を以ってしても抗えぬ何かが、白月を捉えて放さない。
「のわぁぁぁっ!! マジデスカ!?」
 もがく白月。京平が伸ばした手は間に合わず、虚しく空を掴むのみだ。
 哀れ、白月青年は鏡の世界へと誘われて行った。
 以前と変わらぬ静寂が訪れた踊り場には、一陣の風が吹き抜けていく。
「ったく、世話の焼ける兄ちゃんだな……」
 ぽりぽりと頭を掻くと、京平もまた、意を決して姿見に飛び込んで行った。

●鏡の枷鎖
 白月が鏡の奥に見たものは、質素な客間であった。
 室内の作りや、肌で感じる空気からして、城内であることは想像に難くない。
 彼の視線の先には、丁度高校生くらいの少女が茨の蔓で両手足を縛られていた。美代である。
「あ、ども」
「まあ、こんにちは」
 道端で偶然出くわした友人同士の日常挨拶ならともかく、大よそ、助けに来た者と救助された者には似つかわしくない会話を笑顔で交わす。
「あら、狩納さんもいらしたのですね」
 このような所で知人に再会出来たことを、素直に喜ぶ美代。
 彼女へ痛々しげに巻き付いた蔓を丁寧に外し、血の滲んだ部位に応急処置を施すと、京平が切り出す。
「ここは一体何なんだ? あの鏡然り、城全体があまりにも禍々しい異様さに満ちているようだが」
「多分、映画『茨の城』に登場する廃城だと思うのですが……」
 美代が親友のアヤに何度も(そして強制的に)視聴させられた空想物語の舞台背景を、掻い摘んで話し始めた。

 ひょんなことから、偏狭の地に住まう魔女に見初めれられた美貌の青年ティアーズ。
 幾度となく魔女の一方的な求愛を受けるが、ことごとく拒み続けた。
 そんな彼は、とうとう魔女の怒りを買って、森の奥深く、人知れず佇む茨の城へ幽閉されてしまう。
 そこは厳重な封印が施された呪いの牢獄。逃げることは許されない。
 初めは気丈に自我を保っていた王子も、やがて精神の崩壊へと向かって行く。
 発狂寸前の王子の不憫を嘆いた女神の思し召しにより、後の旅の仲間となる者等が救い出すまでの長きに渡り、彼は廃墟を彷徨うこととなる。

「そりゃまた、なかなかに凄まじい物語だな」
 半眼冷や汗状態の白月。
「じゃあ、ここがその幽閉の地ってことか」
 辺りに視線を這わせながら確かめる京平へ、美代が頷く。
「ただ、城の封印自体が何であるのかは、作中で詳しく語られていませんけれど」
 肝心な部分は分からなかった。
 だがしかしである。こうは考えられないだろうか。城内に設置されている数々の鏡は、少なからずそれに由来するものであると。
 とするならば、力ある者にとってはお粗末な玩具でも、温室育ちの世間知らずな王子如きを繋ぎ止めておくには、造作もないのかもしれない。
 彼等の頭にそんな考えがちらりと過ぎった時、遠雷が城中に響いた。
 否、これは――
「爆発音!?」
 誰もが、徒事ではないと直感する。
 腰を浮かせ掛けた白月と京平であったが、かといって、美代をこのままにして行くのも躊躇われた。
 さて、どうしたものかと思案していると、胸中を察したのだろう。
「私なら大丈夫ですから」
 少女は、あくまで気丈に振舞うのであった。

●欲望の代償は
 時は前後する。
 十狼と早雪、京平に白月が、他所にて一悶着巻き起こしている頃――
 大広間というと、御伽噺の王子様が、花嫁選びに毎夜舞踏会を開く場所という概念が念頭に浮かぶものだが、ここも嘗ては絢爛たる社交の場であったのだろう。
 円形の天井には、女神の周りを飛び交う天使達の楽園の絵画が施されているのだが、色は黄ばみ、傷んで所々剥がれ落ちている。
 中央に落下したシャンデリアに降り積もった埃が、栄枯盛衰の侘しさを存分に物語っていた。
「ティアレス、何故に君は僕のものにならない?」
 大鏡の前に佇んで、ティアーズ王子が切なげに目を伏せた。長い睫が小刻みに震える。硝子細工の繊細さにも似た中性的な美しさが、悲壮感を一層増した。
 胸元の衣を手繰り寄せるように、自らの体を掻き抱く。
 こんな風に愛しい人に包まれたなら、どんな悦楽にも勝るものだろう。
 しかし、それは叶わない。

 恋焦がれ、身を捩るティアーズへ、ゆっくりと背後から忍び寄る影。
「絶望に打ちひしがれる人間もまた、美しいものだ」
 魅惑の声音が、寂寞とした部屋に響く。
「何者だっ?」
 反射的に振り返るティアーズへ、気品漂う灰髪の紳士が優雅に一礼してみせる。
「お初にお目に掛かる。私はブラックウッド。君の味方だよ」
 冒頭の、意思ある蝙蝠の正体である。
 美酒の如く、するりと喉の奥に入って来る彼の言葉に、ティアーズはほのかに心地良い感覚を味わっていた。けれどもまだ、警戒を解くまでには至らない。
「味方だって? 信用出来ないな」
 疑惑の目を向けられながらも、ブラックウッドはすぐさま確信した。彼は心揺れているのだと。
 魅了の邪眼で密やかに誘惑しつつ、続ける。
「そうかね? しかし、君は明らかに恋の悩みを胸の内に抱いている。それは決して悪いことではない。寧ろ、人として生きるならば、当たり前の感情なのだよ。さあ、真実を吐露してみたまえ。きっともっと、楽になれる」
 いつの間にやら、耳元に口を寄せて囁く黒衣の男に抵抗出来ぬまま、ティアーズは半ば無意識に打ち明けていた。
「ふむ。なるほど」
 最後まで丁寧に聞き入っていたブラックウッドが、笑みを一層深める。
「何、簡単なことさ。彼は君を振り向かせたくてそうしているだけなのかも知れない。だから、君も誰かに心を寄せている素振りを見せれば、彼は振り向いてくれるはずだよ 」
「そう……だろうか?」
「勿論だとも。よろしければ、私がその相手に」
 うなじに吐息が掛かる度、ティアーズは体中が火照るのを感じていた。

 こんなにも駆け巡る熱い躍動を味わったのは、いつ振りだろう。
 なぜ、自分は彼へ魅かれるのか。
 かけがえのない思い人がいるというのに。

 急激に加速する鼓動を、冷めた罪悪感でどうにか押さえ付けると、ティアーズがわざと眉根を動かしてみせる。
「手に入れたいのは、君ではない」
「ああ、分かっているとも。だから、これは全て演技なのさ」
 この御仁に恋の駆け引きは、仕掛けるだけ無駄であった。
 相手の一枚も二枚も上を行く彼にとって、青二才の手札などは見え透いている。
(「これで王子は完全に支配下に収まる」)
 強引に抱き寄せながら、何気なく正面の大鏡へちらりと目をやる。
 そこには吸血鬼である彼の姿はなく、成すがままにされている銀髪紅眼の青年のみが映し出されていた。不吉な力を発していることを除けば、一見、何の変哲もない巨大な鏡である。
(「彼は……」)
 一瞬、喉に牙を立てるのも忘れ、鏡に見入っていた正にその時、
「あらあら、濡れ場でしたかしら?」
 着物の裾で軽く口元を押さえながら、柘榴が悪びれる風でもなく部屋の暗がりに佇んでいた。
 我に返ったティアーズが、慌ててブラックウッドを振り解く。
 シャンデリアの破片や茨の蔓で足を切らぬよう、それでいて音もなく歩み寄ると、ばりばりの営業スマイルを浮かべる柘榴。
「失礼ながら、事情は拝聴致しました。鏡に恋した王子様。貴方の呪い、叶えます」
 凛と澄んだ声が、崩れかけた窓から差し込む茜の斜光に響く。
「呪いと言うと、気分を害されますか? では、強い望み、と言い換えましょう」
「望み? 僕の……?」
 訝しがるティアーズへ、
「私は呪い屋。代価を支払うのならば、貴方の呪いを叶えます。但し、『人を呪わば穴二つ』……この言葉の意味をようくお考え下さいませ。それでも望むのならば、叶えましょう」
 花の蕾のような水々しい唇に色香の蜜を絡めて、柘榴が促す。
「貴方の呪いは何ですか?」
 甘露をたっぷりと含んだ言の葉に、ティアーズが一も二もなく答えを紡いだ。
「彼を――ティアレスを、我がものとしたい!」
「殿下の御心のままに」
 造作もないことと、軽く会釈する柘榴へ、事の成り行きを見守っていたブラックウッドが、そっと彼女の肩に手を置く。
「それは無理というものだ」
 困ずるような、それでいて哀れむような複雑な表情で大鏡を指し示した。
「あれは強い魔力を帯びた物には相違ないだろう。しかし、ティアレスなどという者は、端から存在しない」
「……はい?」
 わけが分からず、きょとんとしている柘榴。ブラックウッドがしっかりとした口調で告げる。
「あれは、言うなれば王子の心。つまり彼が愛しているのは、自分自身であるということさ」
 眉間の皺を深めるブラックウッドに、ティアーズが激しい怒りを露呈する。
「違う! ティアレスはずっとそこに居る! ずっと僕の傍にいてくれる!」
 力一杯否定しながらも、自分の主張を認めて欲しくて、彼等を交互に見詰める。しかし、ブラックウッドは冷静だ。
「目を覚ましたまえ。あれは鏡に映った君の姿なのだよ!」

 認めたくない現実。
 聞きたくなかった真実。
 暴虐な宣告が、ずたずたに引き裂かれた心を更に抉る。
 広がった傷口から流れ出づるは、ほんの小さな光明すら見付からない無限の闇。
 穢れた悪夢の海原に飲まれて、どこまでもどこまでも、堕ちて行く。
「ああ……嫌、嫌だ……」
 呻き、頭を抱え込んでくず折れる。

 ――僕はまた、独りぼっちに戻ってしまう。

「味方じゃ、なかったのか……」
 ティアーズは顔を両手で覆い、動いているかも分からない程、小さく口を動かす。
「味方だよ。それは変わらないさ。けれど、君は変わらなければいけない」
 ブラックウッドが手を伸ばす。王子の髪に触れ掛けた時、
「触るなっ!」
 悲鳴にも似たティアーズの叫び声と共に、ブラックウッドの目前で大気が爆発する。
「あらあら。茨の城の王子様は、面白い力を使役なさるのですね」
 地鳴りにも似た轟音に大広間が揺れようとも、柘榴は顔色一つ変えることなく、またブラックウッドもひらりと飛び退る。
「よくもティアレスを侮辱したな! 許さん……許さんぞ!!」
 ぎりりと奥歯を噛み締める。艶のない髪を逆立て、目の玉が零れそうな程見開いたその様は、『麗しき悲壮の王子』の面影など、微塵もなかった。
 恋に焦がれ狂い、貪欲で哀れな魔物と成り果てた男の顛末が在るのみだ。 
「邪魔者は殺す!」
 それが合図であったかのように、部屋中の鏡という鏡から、虚無なる影が現れた。
 鈍い動きでゆらゆらと迫ってくる。宛らホラー映画のゾンビ集団を連想させた。
「極妙な光景ですこと」
 くすくすと笑う柘榴を下がらせると、ブラックウッドは溜息を残し、軍場へ身を投じた。

●穿たれた反転世界
「愛憎に目の眩んだ美貌の王子、朽ちた城の大広間を徘徊する怪しき化け物達。設定としては、とてもそそられますけれど……ブラックウッドさんにばかり任せておけませんものね」
 ちょっぴり無念そうに唇へ人差し指を押し当てるも、思い直した様子で笑みに縁取られる。
「お出でなさい」
 袖をふわりと艶かしく揺らせば、柘榴の影から異世の啼声を上げて、全長2メートルはあろうかという使鬼、紺色の大蛇が姿を現した。
「珊底羅、お願いしますね」
 白い手で眉間を撫でてやると、大蛇は返事をする代わりに黄色い目をきゅっと瞑る。
 それから鎌首を高々と擡げ、敵を威嚇。牙を剥いての強烈な電撃を放った。
 迸る閃光。
 雷鳴が、廃城を揺るがす。
 壊れたままのシャンデリアが、勢いよく粉微塵に砕けた。
 と同時に、衝撃により天井の一部が、がらがらと降り注ぐ。
「少し遣り過ぎてしまいましたかしら?」
 自分はちゃっかり被害の及ばぬ片隅へと移動しつつ、ブラックウッドへ目をやると、彼は辛くも巻き添えを免れたようであった。

「あらら、派手にやってるねぇ」
 大広間の扉を開けた早雪が、場不相応の緩い声を上げる。
 鳴り止むことのない轟音に、只ならぬ事態を感じて駆け付けてみれば、十狼が目にしたものは怪なる者へ立ち向かう友の姿であった。
「友人を傷付ける輩は万死に値する」
 静かに揺らめく焔を胸に、剣を携えて。
 彼に倣い、早雪が続いた。

 僅差で到着する白月達であったが、
「気持ち悪っ! 何、あのけったいな生物?」
 こちらは早雪とは対照的な、率直的意見を述べる。
「何だか分からんが、こいつ等が今回の黒幕だってんなら、四の五の言わずにやるしかねぇだろ」
 迫り来る影集団の位置関係を瞬時に把握すると、護符を構える。
「火炎招来救急如律令!」
 口の中で呪を唱え、投げ付けた火炎符が紛うことなく敵を捕らえた。
 巻き起こる大爆発。
 火の粉をばら撒きながら、5、6体の影が吹っ飛ぶ。
「へえ、なかなかやるじゃん」
 尻上がりの口笛で同志を称えると、白月もまた地を蹴って、軽やかに標的へと向かって行く。
「ソッコーでケリ着けてやんぜ!」
 棍を片手に持ち、白月を中心に描く曲線が、敵を一気に薙ぎ倒す。
 床に叩きつけられた影達は、ぐにゃりと身を不自然にくねらせると、弾けて霧散した。
 だが、安堵するのも束の間。矢継ぎ早に影が現れ、みるみる内に大広間を満たしていく。
 ブラックウッドもまた、鋭利な爪で裂き、牙で噛み千切ること数知れず。こうも圧倒的に多くては、雑魚といえども鬱陶しくて堪らない。
 王子を邪眼で操り、事態の収拾を図ろうと目論むも、この喧騒の最中である。ティアーズの姿は影の波に埋もれて、視界から消えていた。
 敵を蹴散らし、声を張る。
「これでは埒が明かない。要因の基を破壊するんだ」
「それならば、僭越ながら私もお手伝い致しましょう」
 ブラックウッドが危険だからと止める間もなく、ホホホ、と握られた金槌を躊躇なく手近な鏡へ打ち下ろす。
 派手な音を立てて、欠片が散らばる。すると、いとも容易く数体の影が四散した。
「まあ、面白い」
 柘榴は妙な快感――もとい、清々しい達成感を覚えながら、次々と破壊していく。
「止めろ!」
 短く叫ぶと、影に守護されているばかりであったティアーズ自らが、褪せたビロードのマントを翻して動いた。
 翳した掌から生じた火炎弾の照準を、柘榴へと合わせる。
 が、それを阻んだのは十狼。影の数が減少した隙を見計らって、駿足の下に柄で頭を殴り付けられた王子が転倒する。
 魔法の球体は軌道を逸らし、柘榴に群がろうとしていた影達を飲み込んだ。
「そもそも、先に罪もない女性等を捕らえたのは貴殿であろう。それ相応の覚悟あってのこととお見受けする」
「城に忍び込んだ鼠のことかい? あれは僕達の邪魔をするから、捕らえておいたのさ。敢て止めを刺さずに、孤独に打ち震えながら朽ち果てる様もまた、一興だろう?」
 見当違いの嫉妬の矛先が、偶然この地を訪れていた美代へ向けられたわけである。
 これ以上の問答は無用と解釈した十狼が、剣を振り下ろす。
 ティアーズも寸での所で立ち上がって、腰の剣を引き抜いた。
 切り結ぶ先に火花が散る。
 だが、随分と長い間、手入れの施されていない錆び付いたエストックでは、手足れの剣士には到底及ばない。
 易々と剣身を圧し折られると、ティアーズは執着することなく柄を投げ捨てて、今度は脇腹目掛けて蹴りを繰り出す。天人(エルフ)の青年は紙一重でこれをガード。
 更に十狼が踏み込むも、ティアーズが俊敏なステップで交わす。
 敵の動きに目を細めると、十狼は振るう得物のスピードを上げた。

(「美味しそう……」)
 ティアーズが苦戦している脇を擦り抜けて、早雪は1人、ほくそ笑む。
 十狼が相手であるならば、恐らく自分の出る幕はないだろう。
 王子にかまけることなく、あの濃厚な負の性質を纏った大鏡を、存分に喰らうことが出来るはずだ。
 影を軽々と大鎌で捌きながら、早雪が忍び寄る。
 もう一度、王子をちらりと見遣れば、壁際に追い詰められながらも奮闘している様子。こちらの動向には全く気付いていない。
 早雪は待望の食事へと有り付いた。
 『浄化』という名の極上の食事に。
 途端に早雪が齧った部位に皹が入り、軋みは徐々に広がっていく。
「貴様ぁっ! 止めろぉぉぉっ!!」
 異変を察したティアーズが、驚愕と恐怖の入り混じった顔付きで、早雪へ駆け寄ろうとする。
 瞬間、機を見誤ることなく、十狼の剣が王子の肩口をざっくりと切ったが、もはやそれを気に留めている余裕などなかった。
 赤の飛沫を上げながら、懸命に早雪へ、鏡へ、手を伸ばす。
 けれどももう、何もかもが遅すぎた。

 鏡全体にまで達した亀裂から一筋の光が溢れ出し、段々と強みを帯びていった。
 照り付ける真夏の太陽よりも尚、眩い煌きがその場にいる全員の視覚を奪う。
 やがて光に耐え切れなくなった鏡は、恨めし気な女の断末魔が如く甲高い響きと共に、粉々に散った。
 破片は舞い上がり、細やかな光の粒となって大広間に、そして城全体へと降り注ぐ。
 夕焼けに反射した金色の温もりが、世界を染め上げた。
 凍えた心を、全て溶かすように。

 残っていた影達は、いつの間にやら姿を消している。
 大鏡の残骸の前に力なく座していたのは、放心のティアーズ=ルーベング王子その人であった。

●解き放たれた君
「なぜ、僕は実体化してしまったのだろう。呪いを受けるためだけにここに在る、という運命を与えたもうた夢の神子を恨んだよ。映画の中だけでなく、よもや異世界でも呪縛に苛まれることになろうとは、思いも寄らなかったからね」
 すっかりと夜の帳が下りる頃。
 大広間には一同の他に、美代の顔もあった。
 つわもの達の功労により、正気を取り戻したティアーズが、ぽつりぽつりと語り始める。
「『自分自身しか愛せなくなる魅了の大鏡』、それが魔女の施した呪いの封印だ。つまり、魔女は僕が靡かないのならば、せめて他人に心奪われることのないようにと、自己愛の塊にしてしまったのさ」
 肩を落として自嘲気味に笑う王子の瞳に、もう狂気の色はなかった。疲労感だけが、ありありと浮かび上がっていた。
「僕の魂はすっかりと術中に嵌ってしまった。ややもすると他者を犠牲にしてまでも、自身への愛を貫こうとする背徳行為に嫌悪した僕は、鏡の向こうに別の人物がいると仮定し、ティアレス(ティアーズに非ず)と名付けた。馬鹿げているだろう? けれど、そうでもしなければ、とてもじゃないが自我など保てなかった。もっとも、仕舞いには心も体も蝕まれてご覧の有様さ。所詮、無駄な抵抗でしかなかったがね」
「それならば、魔女を愛する呪いを掛けた方が、よほど手っ取り早いのではありませんこと?」
 今一つ理解出来兼ねる呪い屋、柘榴へ、ブラックウッドが首を横に振る。
「あえてその手法を取らなかったのは、魔女のプライドだったのかもしれない。呪い等ではなく、嘘偽りのない愛を手に入れたいというね。それ程深く、王子を慕っていたのだろう」
 けれど結局、実らぬ恋心は激しい憎悪の念へと変貌し、ティアーズは幽閉されてしまったのだが。
「呪いを受けていたとはいえ、罪は罪。命を奪われても、仕方ない」
 覚悟を決めたティアーズは、穏やかなものであったが、天人の青年は峻厳に見据えた。
「断る。この剣は護るためのもの。好んで人殺しはやらぬ」
 予想外の返答に、困惑する王子。
 踵を返して沈黙してしまう十狼の隣で、京平が苦言を呈す。
「成る程、長き年月の孤独感が、心に荒みの種を植え付けたんだろう。だがな、己で摘み取ることは、決して不可能じゃなかったはずだぜ。にも関わらず、そうしなかったのはテメェの怠慢だろが」
「んー……考える時間だけは、十分に与えられていただろうからなぁ。まあ、世の中、強き者ばかりで構成されているわけではないにしても、ね」
 早雪の柔和な眼差しが、ティアーズをやんわりと諭す。
 白月もまた、皆と同じ気持ちであった。
「俺、愛とか恋とかそういうの分かんねぇけど……けど、だからって関係ない人を傷つけるのはいけないと思う。本当に心からすまないと思っているなら、あんたは迷惑掛けた人達に、生きて償わなきゃならないんだよ」

 ――生きて……償う……?

 欠けたものを埋めようと必死で独り、足掻き続けては絶望した。
 理想を抱く度、崩れて無くなる夢を誰かのせいにして恨み言を吐いた。
 奈落の迷宮を、当てもなく歩き続けた孤独の王子に差し伸べられた手。
 それはあまりにも不確実で、ともすれば縋ろうとも掴むことの出来ぬ陽炎と錯覚する。
 けれど、幸せはいつだってすぐそこにあるのだ。
 固い殻を破って、大空へ飛び立つ雄々しき鳥のように、自分は生まれ変われるだろうか。
 信じてみようか、彼等を。

 残雪が春の風に煽られ、雪解け水は涙に変ずる。
 茨の城の鏡王子は、声を殺して泣いていた。

「これにて一件落着、ですね」
 夜気に髪を靡かせて、柘榴が独りごちる。
 呪い屋本来の目的は達せられなかったものの、それはそれ。明日は明日の風が吹く、である。
「ところで、柘榴殿。ちゃんと食しているのか? また木の実、水のみで日々を過ごしておられるのではあるまいな?」
「ふふ、これはまた、痛い所を突かれましたね」
 柘榴が十狼から自家製の野菜をお裾分けしてもらっているのをほほえましく思いながら、ブラックウッドが、
「それにしても、まさか事件の要因である当事者を、君が引き取るとはね」
 最後尾から不安げに、とぼとぼと着いて来るティアーズへ視線を走らせる。
 鏡の呪縛が解き放たれた後、ハザードは跡形もなく消えてしまった。市民公園は日常の平穏を取り戻したものの、城を失い、行く当てのない王子を独り、置いては行けないからと、美代が引き受けることにしたのである。
「でも、行き成り異性を連れ込んで、御家族の皆さんは大丈夫なのかな?」
 『連れ込んで』は語弊があると思うが。
 ぼんやりとそのようなことを考えながら、悪戯っぽく笑う早雪へきっぱりと断言する美代。
「うちなら心配いりませんよ。父1人、子1人の父子家庭ですもの。部屋だけは余っていますから」
「いやいや、そういう問題じゃありませんから」
 のほほんと構える彼女に、白月が呆れ気味に突っ込む。
「何とかなりますよ、きっと」
 頭上の満月を仰いで、今にも歌を歌い出しそうな雰囲気に浸る美代へ、
「お嬢ちゃん、あんたもしかして好かれ易いんじゃねぇのか?」
 と、京平が提言する。
「そうですか?」
 はて、と悩む美代であったが、幾ばくもせぬうちに「ああ、そういえば」と口を開く。
「ふと気付くと、稀に家族が増えていることがありますね。血みどろの落ち武者さんとか、包丁を手にした白装束の山姥風なお婆さんとか。つい先日も、校庭の桜の木の下に悲しげな面持ちで佇む謎の女性を見ましたし」
 だからそれを好かれ易い(というか、もう寧ろ『憑かれ易い』)と言うのだが。
 はにかみ、笑顔を覗かせる少女は、皆の心の内を知る由もなく。

 春の夜風が、ほんの少しだけ背中を押した。
 満天の星が静かに見守る中、各々が帰るべき場所へ、ゆるりと歩を進める。
 それは、これから銀幕市内に訪れるであろう黒き困難に立ち向かう様にも似て。
 一歩一歩、確実に――。


End.

クリエイターコメント この度は当シナリオへご参加いただきまして、誠に有り難うございます。

 今回は情報量の少ないオープニングながら、ティアレスの正体をずばり、見破られた方も何名かいらっしゃいました。流石です!

 可能な限り皆様の素敵プレイングを生かしつつ、作り上げたつもりですが、PC様もPL様も、少しでもお気に召していただけますと、幸いです。

 最後になりましたが、ここまでお読みいただいた全ての方へ感謝を込めて。
 あさみ六華でした。
公開日時2008-04-09(水) 19:20
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