★ 【神さまたちの夏休み】アウロスの奏でられる時 ★
<オープニング>

 それは、何の前触れもなく、唐突にやってきた。

 銀幕市タウンミーティングがいったん終了となり、アズマ研究所の件はいまだ片付かないものの、あとはどうあれ先方の出方もある。
 そんなときである。リオネが勢い込んで、柊邸の書斎に飛び込んできたのは。
「みんなが来てくれるんだってー!」
 瞳をきらきらさせて、リオネは言った。嬉しそうに彼女が示したのは、見たところ洋書簡のようだった。しかし郵便局の消印もなければ、宛名書きらしきものも、見たことのない文字か記号のようなものなのだ。
「……これは?」
「お手紙ー」
 市長は中をあらためてみた。やはり謎の文字が書かれた紙が一枚、入っているだけだった。
「あの……、これ、私には読めないようなんだけど……」
「神さまの言葉だもん」
「……。もしかして、お家から届いたの? なんて書いてあるのかな」
「みんなが夏休みに遊びに来てくれるって!」
「みんなとは?」
「ともだちー。神さま小学校の!」
「……」
 どう受け取るべきか、市長は迷った。しかし、実のところ、リオネの言葉はまったく文字通りのものだったのだ。
 神さま小学校の学童たちが、大挙して銀幕市を訪れたのは、その数日後のことであった。

★ ★ ★

「あんたああぁ! 女湯を覗くとは何事かぁ!」
 銀幕市内のとある銭湯にて、番台の老婆の怒声が放たれた。とても齢八十を過ぎた者とは思えぬ声に、覗きを行っていた青年も驚きを隠せない。
 だが、その後に彼が起こした行動は、更に老婆を逆なでするものだった。
「ち、違うんです! 決して覗こうと思ったんではないんです……! い、いや、確かに覗きたいなぁと心では思ったんですけど。で、でも僕は本当に覗くつもりはなかったんですぅ! こ、この身体が勝手に動いてぇ!」
 尻餅をつきながらも逃れようとする青年だったが、その肩を掴んだのはしわだらけの掌だ。
 やはり齢八十を越していると思えぬ握力で青年を引っ張り始めると、更なる説教のために老婆は銭湯の奥に歩みを向けた。
 後に残ったのは、
「ち、違うんだああぁぁぁ! 俺じゃないんだああぁ!」
 虚しく消えゆく、青年の最後の雄叫びであった。


 思えば、銭湯の事件は前兆であったのだろう。
 しばらくの後に、銀幕広場を中心にして起こり始めた不可思議な現象は留まることを知らなかった。
 ある者は歓喜に震え、ある者は羞恥に晒され、ある者は逃げ惑う。加えて、混乱の原因が自分の内面にあると言うのだからもはやどうしようもない。
 内≠フ具現化。まるで映画≠現実にする銀幕市に対抗するかのように、それは確実に浸透していた。
 喧嘩をしていた親友同士は相手の心を知ることで仲を取り戻し、高嶺の花に恋する若者は周囲の眼があるにも関わらず告白、玉砕。十点差もあったサッカーの試合は一人のサッカーバカの強烈な想いにて逆転勝利。五股をかけていたプレイボーイの男は疎ましく思う他の四人に罵詈雑言を撒き散らした。
 浅い。だが、それ故に確実に現実と化す自分の内≠ノ、住民はそれぞれが右往左往の騒ぎであった。
 だが、そんな空気を読めていないのか、はたまた無視しているのか。一人の幼い少女は地面に目を落としながら何かを探しているようであった。
「あたしのアウロス、どこにいったのー?」
 彼女こそ、リオネと同じ神さま小学校からやってきた神の子女の一人。ムーサの一柱を祖に持つ、エプリツエ=ムーサだった。

種別名シナリオ 管理番号175
クリエイター能登屋敷(wpbz4452)
クリエイターコメントはい、始まりました。再び迷いの森の執筆家、能登屋敷です。

今回は神さま小学校からやってきた一人の少女、エプリツエ=ムーサが起こした珍騒動の話です。
彼女は音楽のムーサ(文芸を司る複数の女神)と呼ばれる「抒情詩(叙情詩)」を司った女神の子孫です。
そんなエプリツエは何と代々受け継がれる〈ムーサの証〉をなくしてしまいます。
彼女のために〈ムーサの証〉を探し出してあげようというお方をお待ちしています。

ドタバタ系を主軸に、ちょっと和やかな情緒を引き出せたらと思います。参加者によっては戦闘も入れようとも考えれますので、ある程度自由の利くシナリオだと思ってもらったら結構です。

あくまで輪郭を作っただけですので、僕自身、または出演者エプリツエも驚くような発想を生み出すと、それは思いもよらない作品になったりするでしょう(あくまで良い意味で)
それでは、参加者をお待ちしております。

参加者
八之 銀二(cwuh7563) ムービースター 男 37歳 元・ヤクザ(極道)
来栖 香介(cvrz6094) ムービーファン 男 21歳 音楽家
ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
レナード・ラウ(cvff6490) ムービースター 男 32歳 黒社会組織の幹部候補
大鳥 明犀(crby5925) ムービースター その他 17歳 悩める少年
<ノベル>

「くるたん言うな!」
 類稀なる――いや、もはや奇跡とも呼べる才能を持った音楽の申し子は、どこか中世的な声色を荒げた。
 高い身長に対して細身と言う、一見すると優男風な姿だが、性格と実力はそれに反映していない。戦闘狂を自負できるほどの実力は、双眸に収まる赤き瞳が語っている。
 振り向いた瞬間に視界に入り込んだ巨大な恐竜が、彼――来栖香介(クルスキョウスケ)と横で走るレナード・ウォンに容赦なく襲い掛かろうとしていた。
「あはは、だって語呂がいいし、もう癖になっちまったからどうしようもないね!」
 痛快な笑い声を上げて、レナードは容赦のない返答を香介に送った。
 可愛い……とでも称されるような顔立ちをしているレナードは、薄い黒のサングラスをかけていた。同じく黒のスーツのしたから見えるのは、紫のシャツだ。
 彼の愛嬌のある顔とは反する人を食った性格に、香介はどこか苦手意識を持っていた。
 共に疾走しながらも文句を言い合う香介とレナードだったが、それも後ろから迫る恐竜に阻まれた。
 全身を緑色に覆われた恐竜は、決してパニック映画などから実体化したわけでも、ロケーションエリア能力のせいでもない。見た目だけはデフォルメ化されて可愛い恐竜の首もとには値札が見え隠れしており、その値段は何と五千円だった。子供のおもちゃにしては……高い値段だ。
「しつこいんだよ、てめぇ!」
 街中を追い回されることに苛立ちを感じ始めた香介は、懐より血を思わせる赤き刀身の短剣を取り出した。――明熾星(アカシボシ)。とある男から貰い受けた彼の主要たる武具は、そのまま掌に上手く収まった。
 地を蹴って姿勢を低く取り、銃器を取り出したレナードから一足速く、香介は恐竜の足元を切り裂いた。しかし、それによって生じたのは傷痕から飛び出た綿のみ。ぬいぐるみの恐竜を傷付けたところで、もはやどうにもならないことを、香介は今更ながらに知った。
「レ、レナード!? こいつ、どうしたら――」
「ばいばい、くるたん。俺は先にアウロスを見つけてくるよ! お前はそこでモンスターの相手をしておくんだね」
 振り向いた香介の目に映ったのは、手を振りながら悪魔の笑顔で脱走するレナードの姿だった。

                     ◆ ◆ ◆

 はむっ、という擬音と共にタイヤキを頬張ったのは、厳つい顔をしたおっさん二人と愛くるしい少女であった。
 ベビーピンク色のドロワーズとスカートに身を包み、金髪の下に晒される無骨な顔。肉体と服装が完全なるミスマッチな漢女――本気狩る☆ウルフは自分の他にも街中で見かける女装男に敵対心を燃やしていた。
「俺のほうが美しいな。全くもって……美というものを理解していない」
「お前の美が万人たるものとは分からんがな。少なくとも、私にその姿は理解できん」
 そんなウルフに言葉を返したのは、黒に近い紫のシャツ以外を漆黒に染めているユージン・ウォンであった。見る者に暑苦しいとさえ感じさせる姿にも関わらず、ユージンは汗一つかいていない。英国風の顔立ちをしており、灰のかかった金髪を見た者は、彼を英国人と間違えることがある。しかし、彼は香港生まれの香港育ち――れっきとした香港人なのだ。
「でもおじさん、とってもかわいいよ。あたし、おじさんの服大好きだもん!」
 タイヤキの餡子を口周りに付着させている少女――エプリツエ・ムーサは、ウルフが好きなのか服が好きなのか、上手く分からない励ましをかけた。
 赤のかかった髪の色――ワインレッドの長髪にエプロンドレスを身につけている少女は、最後の一口を美味しそうに口に含んだ。
 彼女らはそれぞれがタイヤキを食べ終わり、ウルフはエプリツエの口の周りをハンカチで拭いてあげた。くすぐったいのか、キャッキャッとはしゃぎながら後始末を受けるエプリツエに、ユージンは視線を向ける。
 元々、彼はこの騒動に何か思うことがあるわけではなかった。周囲を見渡すと自分の内≠フ具現化のままに翻弄する者達。中には他人の心が分かってしまうために人間不信になりかけている者もいる。
 人は秘めているからこそ内≠持つ意味がある。それが浅いとはいえ放たれることは、他人の領域の境界線がなくなるということだ。成り行きとはいえ子供が困っている姿を見たうえ、知り合いに出会ってしまっては付き合わないのも人間性を疑うというもの。
 ユージンはレナードと香介にタッグを組ませて散策に行かせ、現在では女装のおっさんと二人でエプリツエから情報を待っている。どうやら、彼女には香介の楽器に対する想いのせいなのか、彼との離れた対話が可能となっている。
 全員で動くよりは、広場で待機して情報の到着と共に思案したほうが効率が良かった。
「アウロス……か。神の楽器を一目見るのも悪くはない」
「そんなに珍しい楽器なのか? そのアウロスは」
 ユージンの呟きにウルフは反応した。
 女性下着専門店で派手な赤い下着を物色していたこの漢女。なりはこんなであるが気配そのもの、感じる力≠ヘそこらの変態を凌駕している。何者なのか伝えてこないところを見ると知られたくないのだろうが……ユージンはどこか確信めいたものも持っていた。
「かつてアポロンという青年神がいた。かの者はサテュロス――半人半獣の精霊のことだが、その中の一人と音楽合戦を行ったことがある」
「ほぅ……そいつは楽しそうだな」
「……所詮神には勝てんという面白くもないクソ話だ。アポロンの弾く竪琴より自身の持つアウロスが勝ると豪語した、マルシュアスというサテュロスは、結局アポロンに合戦の軍配を上げられ皮剥ぎの刑に落ちた。これは傲慢の罪たる神話だ。しかし……例え何があったところで、審判をアポロン主宰とされるムーサが行った時点で、負けは確定していた」
 語りを続けていたユージンの目に、静かに話を聴くエプリツエの姿が見えた。
 彼女はムーサの末裔であると自分達に名乗った。アウロスを〈証〉として所持する音楽のムーサは、かつての音楽合戦に関わっていたのだろうか。ユージンは自分も意地が悪いと感じながらも、エプリツエに投げかけるようにその薄く閉じた口を開いた。
「だとしたら、神の傲慢は一体誰が裁くのか? それはもはや語られぬ答えなのかもしれんな」
 答えを期待していたわけではない。
 ユージンはサングラスの奥の瞳を悟られまいと、誤魔化すように葉巻を取り出した。古風にもマッチで火をつけ、肺にまで送り込まれる煙に生きている感覚を叩かれた気がした。そんな時――
「あたし、そういうむずかしいことはまだわかんないけど……でも、おばあちゃんが言ってたの」
 エプリツエの桃色の唇から、稚拙だがはっきりとした声が聞こえてきた。
「おばあちゃん……?」
「うん、おばあちゃん! あたしのだいすきなおばあちゃん。いっつもあたしと遊んでくれるんだよ!」
「祖母か。なるほど、子供の教育には力を入れているわけだ。神も人間とそう変わらんな」
「でもね、おばあちゃん、おじちゃんとおなじ話をするときかなしいお顔するよ。とってもかなしいお顔……。あたし、それを見るのきらいなの」
 顔を伏せるエプリツエは、心配そうにするウルフに微笑むとユージンをまっすぐに見つめた。
 それは、子供だからこそ純真にして純粋である瞳。双眸から奥に見えるのは、ユージンの右目に流れる傷痕であった。
「あたし、むずかしいことよく分かんない……。でも、もしそのサバキっていうのが分かる人がいるなら、その人がおしえてあげればいいと思うよ。……おじちゃんが、教えてあげればいいよ」
 エプリツエが紡いだ答えに、ユージンはしばし動きを止めた。
 そして、彼とは思えぬほどの笑顔で、ユージンはエプリツエに向かって笑い出した。それは決して嫌な笑いではない。エプリツエの示した道に感謝を示すような、そんな笑い方だった。
「なるほど、なるほどな! そういう方法もあったか。いや、思いつかなかった!」
「おじちゃん、おばあちゃんと一緒だよ! おばあちゃんも、あたしがそう言うと笑うの」
 釈然としない顔をエプリツエはしていたが、次第に彼女もユージンにつられるように笑い始めた。
 ウルフはそんな二人の様子を見ながら、一人唇を動かして微笑んだ。

                     ◆ ◆ ◆

「早くこの原因を探したほうがいいと言っているのですよ、私は。なぜあなたにはそれが分からないのですか!」
「なぜ俺がお前如きの指示に従わねばならん。しかも、俺達が外に出ることが出来るという事をわざわざ追求する必要はないな。俺はこのままで十分だ」
「二人とも、頼むから止めてくれってば!」
 黒き鎧と黒き肌を持つ漆黒の軍神――デ・ガルスは、その異形な姿に似合う鋭い双眸を若者に向けた。額の包帯を除いて、痩身な肉体を持つ若者は一見すると普通の人間であった。ジーンズの上からラフなシャツを着ており、身長も体重も並程度だ。唯一変わっていると言えば、他人から浮いている清楚な女性と黒き男――この二人の仲介をしていることであろうか。
「明犀、お前まで俺に意見でもあるのか?」
 大鳥明犀(オオトリミョウセイ)はガルスの突き刺すような視線に怯むしかなかった。
 そんな明犀を庇うように、白きローブに身を包んだ清楚な女性――エステリアスが前へと出る。
「そうやって人を脅すのがあなたの悪いところですよ、ガルス。少しは話を聞くと言うことを覚えたらどうです?」
「脅しているつもりはないな。これが死神たるイメージの根源と言うものだ。第一、俺は指図されるのが嫌いなんでな」
「指図ではなく、あくまで話し合いです。まぁ、この場合は話し合うまでもなく原因探しが優先ですが……」
 ガルスの勝手な言い分に溜息を禁じえなかったエステリアスは、周辺の市民たちを指し示すように目配せした。
 子供達は自分の欲しかったおもちゃが勝手に具現化することで喜んでいるが、大人はそうはいかない。上司に対して心では嫌味を言っている平社員は、自分の口から放たれる声に慌てながら、上司を宥めようと何とか頑張っている。また、ロリコン癖があることを隠していた若手ファッションデザイナー28歳は、もはや幼女に自分のドレス服を着せる変態と化していた。
「銀幕市内で奇妙な現象が起きていることは事実。そして、そんな力で明犀さんの中から実体化した私達がこのままでいると、大変なことになるかもしれません。元々、私達は内≠ノいるべき存在なのですから」
「この街はどうなっても構わんが……、明犀に何かあるのは痛いな。仕方ない、いいだろう、俺も原因を探してやる」
 その理由がどうであれ、ガルスは不敵な笑みを浮かべると歩みだした。
 慌てて、エステリアスと明犀はそれに付いていく。何か心当たりでもあるのかと思ったのだが、明犀はおそらく行き当たりばったりなのだろうと、エステリアスと共に溜息を吐いた。

 市役所周辺、カフェ、広場――様々な場所を闇雲に探した挙句に見つかった情報は、何とも男らしい漢女が女性下着専門店で赤いド派手な下着を物色していた、ということだけだった。
 女装を内≠ノ秘めている者は少なくないようで、見渡せば一人は見つかる。しかし、中でもそのドロワーズに身を包んだ漢女は存在感が他者を圧倒していたようだ。
「その男……? の方と一緒にいたお嬢さんが、アウロスというものを探していたそうですね」
「アウロスだと……。なるほど、神の神具――〈ムーサの証〉というわけか」
 納得の顔を見せたガルスだったが、それに対して理解の追いつかないエステリアスと明犀は訝しげな顔を見せた。
 明らかに馬鹿にしたように、ガルスはやれやれと肩をすくめる。エステリアスはその彼の様子に文句を言いたげだったが、さすがは天使と言うことだろうか、我慢することに成功した。
「アウロスは、かつてアポロンという青年神とマルシュアスというサテュロスが音楽合戦の行ったときに用いた楽器だ。マルシュアスがアウロスを用い、そしてアポロンは竪琴を用いたと聞かされている。なに、死神の間でも伝わっている昔話ってことだ」
「一体何を表した話なのですか?」
「傲慢……万物、生きとし生ける者全てに備わる感情の罪を表したんだよ。ま、俺からすればアポロンのほうが傲慢だとは思うがな。何せ、奴らは神≠ナあることに絶対的自信を持っていた。最終的には審判はムーサが下し、結果的に自分の味方が誰もいなかったマルシュアスは皮剥ぎのとなった」
「悲しいお話ですね」
 エステリアスは哀しげな顔を見せ、同じく明犀はどこか釈然としない様子であった。
 しかし、ガルスは逆に愉快そうに笑っている。
「所詮、誰しも傲慢はあるってことだな。俺にとってはそっちのほうが面白いぜ」
「全く、何と言う無慈悲な男なのですか……」
 ガルスの言葉にエステリアスは反発していた。やはり考え方が根本的に違うのだろう。それは天使と死神の決定的な違いなのかもしれなかった。
 とはいえ、明犀は彼にも彼女にも、どこかで仲間意識があるのだということは理解していた。初めて二人と出会ったときは苦労したものだが、今では何となくかけがえのない存在なのかもしれない。そんな感情も抱かせるのだった。
 ――ふと、近くで騒ぎ立てる声が聞こえた。
「レナード! 人を置いて逃げるなんて非道にもほどがあるぞ!」
「俺は自分だけ楽しけりゃいんだよねぇ、くるたん!」
 それは奇妙な呼び名で呼ばれる若者と、愛嬌のある顔に似合わない口調で話す青年の声であった。

                     ◆ ◆ ◆

 香介から感じられるアウロスの気配を受け取ったエプリツエは、そのままユージン、ウルフと共に疾走していた。
 足音をまるで地響きのようにけたたましく起こしつつ、ウルフは劇画の男と成っていた。対し、エプリツエはと言えば――彼女はユージンに肩車をしてもらっている。子供の足では二人には追いつけないからだ。妙に騒ぐ少女に冷や汗を流しながら、ユージンはまるで父親のように彼女の足を掴んでいた。
「お兄ちゃんたちの近くにあるみたいなの! はやくみつけないとっ!」
「分かっている。俺に任せろ」
 ウルフの筋肉が一瞬膨れ上がったかと思うと、彼は足のスピードを更に上げた。
 そんなウルフの後ろで差を開かせないユージンも、やはり常人以上の存在なのだろう。
 恭介とレナードを見つけたとき――それは既に始まっていた。
「くるたーん! 何か増えてるよねぇ」
「俺が一片残らず叩き斬る」
「だからくるたんって言うの止めろよ!」
 三体のぬいぐるみ恐竜が大暴れしており、その大きさは巨大と言うに等しい。
 ガルスは一人で勝手に禍々しき大剣を手に戦闘を開始。レナードは細身の自動拳銃――〈USSR スチェッキン〉をホルスターより取り出した。風を切る音と共に右手によって構えられた自動拳銃はその連射速度抑制機構、通称レートリデューサーによって連射精度が高い。コントロールが比較的容易となり、連射制御が高まるのだ。とはいえ、片手での連射が容易なわけではない。あくまでそれは両手の話に限る。
 しかし――
「俺のワンブレイクを止められるかい?」
 レナードはまるで玩具のように軽く右手を突き出すと、引き金を引いた。一瞬にして香介の頬を切った九ミリ銃弾は、恐竜の足に入り込み――爆破を起こした。巨大な爆音と爆風に呆然とする香介は、口をパクパクさせて自分を指差す。
 どうやら、レナードの特製弾丸だったようである。
「チッ……」
「チッてなんだよ! チッてのはっ!」
 その後で聞こえた、「失敗したか」というレナードの呟きは、きっと聞き間違いではない。

                     ◆ ◆ ◆ 

「本気狩る☆ウウゥゥ!!」
 まるで野獣を思わせるドロワーズが叫んだとき、彼は跳躍していた。
「ハァッ!」
 それに対し、純粋なる気合一閃。ガルスは大剣を用いてウルフと同じく跳躍を行った。
 同時に一体の恐竜を挟んだ二人は、そのまま無言の瞳で語り合う。そう、これが言葉のない漢、そして漢女の言葉である。ウルフはスカートの下の赤い下着が見えるのも隠さず、恐竜の後頭部の一部を無理やりに掴んだ。
「ウォォオオオオオオオオオルウゥゥッ!!」
 そのままガルスに向けて突貫したウルフは、彼が大剣を構えるのを見た。腰に回した大剣に信頼を置き、ガルスは不敵な笑みを浮かべる。
「スラアアアアッシュッ!」
 そして――瞬間、二人の合体技「本気狩る☆スラッシュ」が完成した。
 恐竜の首が横薙ぎに断たれ、血の代わりに綿が飛び出る。定価6700円のぬいぐるみ恐竜はその人生を二人の技によって終えた。
「これが男の友情なのですか……?」
「エステリアス、たぶん、漢だよ」
 がっしと握手を交わした二人を見て、エステリアスと明犀は呆然とした。
「ほらほら、観覧席はこっちじゃないよ、小姐」
「やるぞ、くるたん」
「くるたんって呼ぶなよっ!」
 レナード、ユージン、そして何度言ったか分からない台詞を口にする香介は、それぞれが己が武器を手に取る。
 レナードはにこやかな笑顔を振り撒きながらエプリツエを離れさせ、ポーランド製短機関銃――〈Wz63〉と〈USSR スチェッキン〉の二つを構えた。ユージンは葉巻を銜えたまま、自身の愛用銃――グロックシリーズを取り出す。右手に収められるは〈グロック34〉。本来は戦闘競技や射撃競技に使われるスポーツ銃として有名だが、カスタムされた彼の34にその垣根は存在しない。左手――〈グロック17L〉である公的機関に多く採用された機能性高き17のモデルチェンジ版。これも同じく競技に多く使用されることが名高いが、それ故にカスタム性が高い。200ミリを越す全長に加えてストライクガン仕様とされた自動拳銃は、まるで獣を思わせた。
「レン、判っているな……」
「了解です、王大哥」
 二人は頷き合うと、突撃を開始した。
 彼らが恐竜を狙うのには実のところ訳がある。
「お兄ちゃん、あのなかにはいってるんだよね?」
「ああ、多分な。俺の内≠ェ具現化してるなら間違いねぇよ。ま、多分呑み込んだかなんかしたんだろうよ」
 緑色の恐竜の腹の中――香介とエプリツエが感じたのはアウロスの気配だった。
 動物は色んな物を呑み込むとは言うが、まさかアウロスまでそんな本能の被害になっているとは思っていなかった。何にせよ、これで場所は分かったのだ。後はどう始末するか……ということだけである。
「さて、俺もやるか」
 黒き手袋を身に付け、懐からナイフをいくつか取り出した香介は、犯罪者を思わせる衝動の笑みを浮かべた。
 そして――別の一体の恐竜に向かい出した。それを見ていたエステリアスは、彼のサポートをしようと行動に打って出る。
「――」
 無言の言葉が放たれたとき、エステリアスの周囲に雪のような結晶が集まった。溶けゆく光は形となり、そして円を描く。香介に向かった光の集合体は、彼を包み込んだ。
「なんだ、これ……?」
「これが少しの傷程度であれば癒すことが出来ます。存分に戦ってください」
 女神のように美しき白い女性に言葉をかけられて、香介はやる気を見せるように親指を立てた。エステリアスの笑顔を背後に受け、ぼぅ……と穏やかで暖かに光る白き光を身に纏う。
 三本のナイフを指に挟んだ香介は、それを的確に恐竜に向けて放った。瞬間――レナードから貰った銃弾が爆撃を起こす。彼からいくつか受け取った銃弾を、香介はナイフに仕込んでいたのだ。ナイフそのものは威力に期待は出来ないが、精密さは目を見張る。
 そこはやはり香介の頭の良さ故なのだろう。
「舞え……ジグのように軽やかになっ!」
 爆撃の音と同時に、ユージンは恐竜の肉体を駆けた。低跳躍の速さと合わせ敵の身体を蹴り、まるで矢のように素早く相手の頭に到達する。
 そして、それを見越しているレナードは後方に回り短機関銃の引き金を引いた。銃口から吼える九ミリ弾丸が連射される。ツノのように突き出すスライドの一部を肉体にめり当て、レナードは顔色を一切変えないぬいぐるみの肩を破壊していった。
 そして、
「フェニッシュ――閉幕の時間だ」
 ユージンの自動拳銃二丁が煌いた。銃把部分に彫られた右の月下美人と左の睡蓮が、まるで見下ろす神≠フようである。
 肉体を旋回させ、筋肉の凝縮を確認。引き金の一点に神経を集中させたとき……葉巻は吸い終わった。
 獣の咆哮が轟き、撃ち込まれる銃弾によって綿が粉のように撒き散らされる。子供が見たら泣いてしまう。そこまでに巨大化したぬいぐるみを粉砕したユージンは、血に降り立ち自分の時を解放した。
 息は吐き出され、そして――再び葉巻を取り出すのだ。
「王大哥、火です」
「ああ、助かる」
 どこか次元の違う二人に驚きながら、エステリアスと明犀は呟いた。
「死神はガルスだけじゃないのか」「死神はガルスだけじゃないのね」
 そして、正真正銘死神のガルスは――未だにウルフと熱い握手を交わしていた。

                     ◆ ◆ ◆

 アウロス――ギリシアに伝わる二本管のダブルリード木管楽器は、根元から二つに分かれた特異形を取る楽器だ。
 ユージンが破壊し尽くした、緑の巨大ぬいぐるみの中を探すと、案外容易にその〈ムーサの証〉は見つかった。
「これが、アウロスか」
「どうしたんだい、くるたん?」
 エプリツエの握るアウロスを眺める香介の顔には、どこか羨ましげな様子が見て取れた。元々、香介にとって音楽とは何なのだろうか? 自分の真意に疑問を持ちながら散策を続けていた香介だったが、何となく、その答えはアウロスを吹けば判るような気がした。
「お兄ちゃん……ふいてみる?」
「マジか、本当にいいのか? これ、お前のだろ?」
「でも……お兄ちゃんふきたそうだよ」
 エプリツエの視線は香介の手に移っていた。先ほどから香介がむずむずと手を震わせているのは、どうやら自分でも無意識だったようである。
「吹いてみたらいいだろう? 来栖君」
 ウルフの言葉……というよりは姿に今更驚いている香介だったが、皆が勧めるのに納得し、ようやくアウロスを手に取った。
 掌に吸い付くような感覚を抱かせる〈ムーサの証〉は香介の意識をどことなく穏やかにさせる。まるで白い部屋の中にいるような感覚を、五感が感じl取った。そこには彼と同じ姿をした一人の若者がいる。
 白い部屋。白い扉。白い自分。
 何もかもがない世界で、香介は握ったアウロスを唇にゆっくりと持っていった。吹き方だけは熟知しているため、薄くアウロスを銜えた香介は左右に管を握って吹き始めた。
 流れるは木の葉のような音楽。音の風に生まれる静寂の音色は次第に高まり――心を動かした。
 アウロスの影響を受けた人間は、その全てが白い部屋に包み込まれる。そしていつしか香介の音色に支配されていた。いや、支配、ではない。これは抱擁だ。音とは、そして音楽とは何なのか、香介は心の中でどこか答えを見た気がした。
「なんて綺麗な曲……」
「これは、即曲……かな?」
「ああ、こんな餓鬼だが、音楽でこのくるたんの右に出るものはいない。それを確かなことだからな」
 明犀に言葉を返したユージンは、静かに眼を閉じて音をかみ締めた。
 即曲とは言えそこらの音楽を凌駕する旋律は――納まりを見せ始めた。そして、共に治まりを見せたものがあった。それは銀幕内の騒動だ。内≠フ具現化に騒ぎ立てていた街中は次第に静まり、むしろ穏やかになっていた。
 訝しげ表情を見せる皆に、エプリツエは口を開いた。
「これがほんとうのアウロスのつかい方なの。おばあちゃんが言ってたよ、え……と、じょ、じょうし、のなのごとき、だって」
「抒情詩の名の如き……。なるほど、音楽のムーサとはこういう力を持つのですね」
 エステリアス――のように見える明犀は、女の口調で話を行った。
 白いローブを身に纏い、まるで本当にエステリアスのように見えるのだが、同じく明犀でもあるとも理解できる。
「ど、どういうことだ……?」
「なんだ、判ってなかったのかい、くるたん。彼、いや、彼らは所謂肉体を共有する一人コメディアンなのさ。俺は初めから何となく知ってたよ」
「この程度、漏れている気を感じればすぐに判る。お前もそのぐらいは精進するんだな」
「あんたらム−ビースターと一緒にしないでくれ……」
 溜息を禁じ得ない香介だったが、何はともあれ一件落着である。
 しかし――
「さて、前は恥ずかしい所を見せたからな。これで少しは名誉挽回、出来ただろうか? じゃあな諸君、銀幕市の何処かでまた会おう」
 そう言葉を閉ざし去ろうとしたウルフが、
「され、ここは……どこだ?」
 次の瞬間、男――八之銀二(ヤノギンジ)と戻ったのは、彼の悩ましげな叫び声が聞こえる数分前のことだった。

                     ◆ ◆ ◆



          エピローグ『新義安の二人と赤髪の子』

 レナードは困惑を隠しきれなかった。それは決して何か困ったことや騒動が起きたからではない。
 ただ不可解なだけであった。自分とは違い、子供と上手く付き合うことのない王大哥――ユージン・ウォンが歌を歌っているのだ。他人にそんな無防備な様子を見せる男ではないはずだが……。レナードは不可解を通り越して奇妙にも感じた。
「Tis the last rose of Summer,Left blooming alone All her lovely companions Are faded and gone」
 夏の名残のバラ。
 アイルランド民謡として緩やかに流れる音階は、聴く者に静かなる鼓動を与える。
 ユージンと手を繋いでいるエプリツエは、彼の口から流れる曲を聞きながら帰路についていた。微笑をかけるとユージンは不器用にだが口を緩ませ、彼女に同じく笑みを返す。
 後方からそれを眺めるレナードは、あまり干渉しないほうがいいのだろうとただ見守るように歩いていた。
「I'll not leave thee, thou lone one,To pine on the stem Since the lovely are sleeping Go sleep thou with them」
 汝を一人残しては行かない。その体に思い煩う。美しきものと共に 汝も行き眠らん。
 英国人様々な高音の歌声は、まるで眠り歌のようにエプリツエを包み込んでいた。流れる時はゆっくりと、そして確実に刻んでいても、彼と彼女、そしてその部下の心はただ歌声に魅了されているのだろう。
 そして、彼らは帰路に着く。その後、エプリツエがユージンに夕食をご馳走してもらったのは、後の話であった。



         エピローグ『ベビーピンクと父親とコメディアン』

 実のところ、香介はエプリツエを神だとは思っていなかった。
 きっと何らかの形で実体化したムービースターなのだろうと考えていたのだが、騒動が終わった後でレナードは彼に言ったのだ。「神と言っても、人間と変わらないもんだね」と。
 神――かつて香介は自分も同じく呼称されたことがある。
 青い薔薇、天使、神様の楽器。全てが違っていて、そして同じ。だが、彼にはそれが何も思い出せない。
 だが確実なことは唯一つ。自分が父を殺したと言うことと、音楽を殺したいほど憎み、同じほど愛してもいるということ。
 聖職者だった父にとって、神はどんな存在だったのか。彼は何を考えていたのか。理解したくもなければ、理解する必要もない。
「ところで来栖君、俺は一体なぜこんな格好を……?」
 思考に耽っていた香介に、巨漢の灰色オールバック――銀二が声をかけてきた。
 元ヤクザに似合わぬ心優しき知性も兼ね備える男。だが、今は金髪のカツラを手に持つドロワーズのベビーピンク男だ。それが妙に似合っていることは決して言わない香介だったが、涙目になり、かつ不安げな呻き声を上げる銀二を見ていると、いたたまれない気持ちになった。
「銀二さん。何も聞かないほうがいい。あれは夢だったんだよ、そう、夢だったんだ」
「……それは遠まわしでもなんでもなく誤魔化してるのか?」
 銀二の肩に手を添えて頷く香介を見て、銀二は夕日に向かって吼えたかった。しかし、残念なことに今はまだ夕方ではない。
 周囲の市民からの憐れみたる視線と共に、二人を眺めていた明犀が話しかける。
「大丈夫ですよ、えっと……銀二、さん。美人でしたから!」
「そういう問題じゃないんだよおおぉぉ!」
 慰めようと親指をぐっと立てる明犀だったが、逆効果だったようだ。
 悲しみに暮れる銀二を見ていると、香介は先ほどまで悩んでいた自分が、何となくであるが馬鹿らしく思えてきた。
「――銀二さん、今日は俺がおごるよ」
「ステーキ?」
「………………」
 香介の無言の時間が流れるのは、ある意味で必然と言えた。
 第一、彼の財布にはそこまでの大金は入っていない。何と図々しいものだとこめかみは疼いたが、それでも彼は我慢に徹した。
「あ、じゃ、じゃあ、僕も少しは出しますんで!」
 明犀はおそらく空気が読める奴なのだろう。慌てて香介に助け舟を出した若者は財布の中身を確認して頷く。
「えっと、明犀だったよな。助かるぜ」
「い、いやいや」
「ほら、じゃあステーキでいいから行きましょうや、銀二さん」
「……やっほーい!」
 無邪気なまでに喜ぶ漢は、未だにベビーピンクのドロワーズを脱いでいなかった。

クリエイターコメント三作目となりました、迷いの森の執筆家、能登屋敷です。

今回はドタバタ系と多少シリアスが混ざっている気がします。
それが良いスパイスとなるか逆に中途半端になるかは判りませんが、精一杯書かせていただきました。
一部プレイングに関してはこちらでも修正も入れて取り込んでおり、満足いくものに成り得たか心配です。

感性に頼って書き進めたこともあってか、色々とキャラクターが暴走している人もいたりします。申し訳ありません。
参加者様のおかげで、当方も楽しく書かせていただきました。真にお礼申し上げます。
魅力的な参加PC、ありがとうございました。

ご意見、ご感想等ありましたら、お気軽にご連絡ください。
能登屋敷でした。
公開日時2007-08-20(月) 10:10
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