★ Tea Time in the Queen’s Garden ★
<オープニング>

 その日最後のお客が帰ったのは、午前十二時を少し回った辺りだった。
 今日は半妖半神のシェフがディナーを饗する日だったため、いつもより二時間ほど長く営業したのだ。
「皆、お疲れ様。今日は特別お客様が多かったから、疲れたでしょう」
 最近では森の女王という呼称よりも人型ムービーハザードとか歩行型トラウマ量産機という表現の方が一般的になりつつあるレーギーナ(反省一切ナシ)が、軽く拭った看板を片付け、店内の掃除をしている娘たちに声をかけると、めいめいに箒やモップを手にした彼女たちは、半日以上休憩もなく働きづめであったにも関わらず、一切の疲労を感じさせない表情でにっこり笑った。
 もちろん彼女らはレーギーナと同じく神属の存在だ、儚げで繊細優美な外見に反して、実は相当打たれ強いし、長く生きてきた分、世界のすべてに対して忍耐強くもある。
 ――だからこそ、映画内での森の娘たちは、人間の男たちの無体な仕打ちを耐えてやり過ごそうとし、結果、その数を悲劇的なまでに減らしてしまったのだが、しかしこの銀幕市において、その強さはすべてがよい方向に使われていた。
 映画の中での自分たちの行く末を知るがゆえに、レーギーナと七人の娘たちは、この幸い多き日々を心の底から喜び、感謝し、享受するのだ。
「いいえ、お姐さま。今日も、とても楽しかったわ」
「ええ、本当に」
「そうね、たくさんの方とおしゃべりできて楽しかったわ。真禮(シンラ)様がランチやディナーを担当してくださる日は、いつもより賑やかで素敵ね」
「うふふ、そうね、イーリス。今日のメインディッシュも本当に美味しそうだったわ」
「若鶏の香り焼きね! 本当、とってもいい薫りだった。真禮様ってすごいわよね、あんな素敵なお料理を瞬く間にこしらえてしまうんですもの。わたしももっともっと頑張らなくては、って思ったわ」
「あら……でも、サリクスの今日のスイーツも、どれも本当に素晴らしかったわよ? マスカット・オブ・アレキサンドリアのタルトなんて、見た目も涼しくて綺麗だったもの」
「うふふ、ありがとうクエルクス」
 他愛ないおしゃべりに鼻を咲かせる娘たちを慈しみに満ちた目で見つめつつ、こんな穏やかな時間を与えてくれたこの銀幕市と、そして町の人々に心の底から感謝していたレーギーナだったが、
「ああ……そうだわ」
 不意に、妙案を思いついてぽんと手を打った。
「どうなさったの、お姐さま?」
「ええ、マグノーリア。わたくしたち、銀幕市の皆さんにとってもお世話になっているでしょう」
「そうですね、感謝してもしきれないくらい」
「そうね、今のわたくしたちがこうしていられるのはこの町のお陰だもの。だからね、人数限定ではあるけれど、一日お店をお休みにして、お客様をお招きしておもてなしするのはどうかと思ったの」
 レーギーナが言うと、娘たちは互いに顔を見合わせ、そしてにっこりと笑った。
「あら……素敵ね」
「一日だけの感謝パーティね? わたしも損得を抜きにしてお客様をおもてなししてみたいわ」
「じゃあ、一日だけ、感謝パーティ用に内装を変えてもいいかしら、レジィ様?」
「ええ、もちろんよ、クエルクス」
「じゃあ、わたしは、とっておきのレシピでスイーツを作らなくっちゃ!」
「うふふ、考えるだけで楽しいわね」
「本当、素敵だわ」
 娘たちがきゃらきゃらと笑いさんざめくのを微笑とともに見つめ、レーギーナはもうひとつ考えていることを口にする。
「それにね」
「ええ、どうなさったの、お姐さま」
「このお店に、もっと楽しい要素を加えられるよう、お客様たちにアイデアを出していただけたらと思って」
「まあ」
「わたくしたち、幻想映画の出身だけに、なかなか現代的なものとは縁遠いものね。巷では何が流行っていてどんなものが好まれるのか、リサーチするのも楽しそうでしょう?」
「素敵。そうね、先だっても、外の方にお話を伺ったお陰で、世の中にはあんな素敵な衣装があるのだって知ることが出来たのですもの。きっと、もっともっと楽しい、素敵なことがあるに違いないわ」
「そう思うでしょう、リーリウム。だから、是非やりましょう、お茶会」
「はい、レジィ様。いつになさいますか?」
「そうね……次の週末はどうかしら」
「はい、問題ないと思います。その日でしたら、真禮様もいらっしゃいますし、軽食もお出しできますよね」
「あら、そうね。何か、軽く作ってもらいましょう」
「では……そのように、準備を」
「ええ、いつものように、采配はリーリウムにお願いするわね」
「はいレジィ様」
「クエルクス、お店の飾りつけ、手伝うわ」
「わたしも」
「ありがとう、ラウルス、ニュンパエア」
「サリクス、スイーツの材料で必要なものがあったら言って。仕入れておくわ」
「ええ、リーリウム。早めにレシピを仕上げてお願いするわね」
 お茶会に思いを馳せ、楽しげに言葉を交わす娘たちににっこり笑いかけてから、レーギーナは手近な場所にあった布巾を手に取った。
「では、わたくしは、明日の朝にでも呼びかけをしてくるわ」
「はい、お姐さま」
「素敵な方が来てくださるといいですね」
「ええ、そうね。もちろん、この町の人々は、どなたもそれぞれに素敵だけれど」
 あら、そうね、などという娘たちの声に笑いつつ、店内の掃除に加わる。
 無論、目指すべきは対策課だ。
 たくさんの人々が、ムービースターもムービーファンもエキストラも、特に関係なく、様々な依頼を求めて訪れるあの場所なら、満遍なくお客を募るのにちょうどいい。
 楽しいお茶会にしましょう、などと思い、レーギーナはテーブルを拭いた。

種別名シナリオ 管理番号179
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
クリエイターコメント皆さんこんにちは、新しいシナリオのお誘いに参りました。
血みどろシリアス事件の解決をお願いに上がることが多いイヌハクですが、今回は、和やかで華やかなお茶会に参加してくださる方を募集します。

依頼内容は簡単至極、女王陛下と森の娘たちとともに、午後のお茶を楽しんでいただくだけ。最高級のお茶と彩り豊かな極上スイーツ、小洒落たスナックの類いとともに、カフェ『楽園』の面々はお客様をお待ちしております。

なお、その際、巷の流行や人気のあるもの、楽しい情報を提供していただけると女王陛下は悦ばれます。スタイリッシュで現代的なものでも、郷愁を誘うレトロな話題でも構いません。
楽しいことが大好きな確信犯、女王陛下におかれましては、事実無根のガセネタも案外喜ばれるかもしれませんし、その結果、カフェ『楽園』に(色々間違った、一部にすごく優しくない)新しい風が吹き込まれることになるかもしれません。

どうぞ皆様、ご自由にお茶会に参加なさって、素敵な話題を振りまいてくださいませ。ボケとツッコミも大歓迎。とんでもないネタを提供なさるか、それともとんでもないネタに対して盛大に突っ込むか、お好きな行動をお取りください。
カフェ『楽園』というツッコミを誘わずにはいられない場所に加えて人数が人数ですので、個性的な行動を取られないと埋没してしまう可能性もございます。重々お気をつけ下さいませ……といっても、銀幕市の皆さんにおかれましては多分大丈夫だと思うのですが。

ちなみにネタ及びPC様の立ち位置如何によっては、ネタの提供者様ご自身及び周囲の方々にも素敵な視覚の暴力的災いが降りかかるかも知れませんのでご留意ください。

なお、募集期間が少し短めに設定されていますので、プレイングをお考えの際にはお気をつけ下さいませ。

それでは、皆様のご参加を楽しみにしておりますので、どうぞ奮っておいでくださいませ。

参加者
取島 カラス(cvyd7512) ムービーファン 男 36歳 イラストレーター
八之 銀二(cwuh7563) ムービースター 男 37歳 元・ヤクザ(極道)
白亜(cvht8875) ムービースター 男 18歳 鬼・一角獣
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
宝珠 神威(chcd1432) ムービースター 女 19歳 暗殺者
ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
一乗院 柳(ccbn5305) ムービースター 男 17歳 学生
西村(cvny1597) ムービースター 女 25歳 おしまいを告げるひと
クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
来栖 香介(cvrz6094) ムービーファン 男 21歳 音楽家
<ノベル>

 1.本日快晴、お茶会日和

 真っ青に晴れ渡った空が目にまぶしい、真夏の、午前十時半を少し過ぎた辺り。
 先日降った雨のお陰で風は清々しく、連日の猛暑日も今日ばかりは少し和らいでいる。
「うーん、うーん」
 その気持ちのいい朝の空気には似つかわしくない唸り声とともに、取島(とりしま)カラスは、きらきら輝く緑に覆われたカフェ『楽園』の入り口付近をひとりでうろうろしていた。
「う、うーん……どうしよう、かなぁ……」
 今日は、森の女王主催のお茶会だ。
 銀幕市民への日ごろの感謝を込めて、女王陛下が、損得を抜きにしてもてなしてくれるという。
 その噂を聞きつけて『楽園』を訪れたカラスは、女王陛下に直接会うのは実は初めてで、入っていいものか、自分が行って迷惑にはならないか、ああやっぱり場違いだからやめておいた方が、などと自縄自縛な螺旋をぐるぐる回っていたのだが、
「おや……取島君じゃないか」
 背後からかかった、低くて渋い声にちょっとホッとして振り返った。
「おはよう、銀二さん」
「ああ、おはよう」
 言って快活に笑うのは、銀幕市で一番の漢と評判のムービースター、八之銀二(やの・ぎんじ)である。
 長身にがっしりした巨躯という恵まれた体格を持つ、元ヤクザという過去を思わせる『いかにも』な顔立ちと雰囲気の持ち主だが、実は、銀幕市で一番慕われているといっても過言ではない、朗らかで性質のよい男だ。
「銀二さんも、お茶会に来たんだ?」
「ん? ああ、かの女王陛下から招待状をもらったんだ。世話になったからと言われてな」
「ああ、そうだね、銀二さん、レーギーナさんとは縁が深いもんな」
「まぁその縁の何たるかを逐一考えると思わずその場で腹を勢いよくブチ割りたくなるわけだが」
「ええと……その、この場で割るのはやめてね? 救急車呼ばなきゃいけなくなるから」
「おおっと微妙にずれた指摘ッ。いやこれはツッコミ属性化しつつある俺の考えすぎなのか? いやいやそんなはずは……」
 カラスの物言いに真剣な表情で考え込んだ銀二は、しばらく何やらぶつぶつつぶやいていたが、ややあってもっと大切なことに気づいたらしくカラスを見下ろした。
「っと、そういう取島君はどうなんだ? 茶会に来たんじゃないのか?」
「んー、自由参加って言われたから来てみたんだけど、ひとりで入るのがなんか恥ずかしいって言うか、気後れしちゃってさ」
「何だ、そういうことか。まったく君は控え目だな。判った、じゃあ俺と一緒に行こう、それなら問題ないだろう?」
「うん、ありがとう銀二さん」
 願ったり叶ったりの銀二の申し出にカラスは破顔し、美しい緑に彩られた『楽園』のドアをくぐる。
 ふわり、と、花の芳香と、花とは別の甘い香りとが漂ってきた。

 白亜(ハクア)は半泣き逃げ腰で硬直着席中だった。
「まぁ……どうなさったの、白亜さん。そんなに緊張なさらないで、ここにはあなたを脅かすような輩はいませんから」
 白百合のように清楚な微笑とともに、森の娘のひとり、リーリウムが言い、忙しく立ち働く他の娘たちが笑顔で頷くが、正直、それを口にしている張本人たちに思う存分色々なものを脅かされた記憶も新しい白亜が、素直に安心できるはずもないのだった。
「いや、その、」
 白亜は、線の細い外見こそしているものの基本的に将である。
 それも、鬼の一族と人間との戦いにおいては、的確かつ情け容赦のない采配で人間たちを震え上がらせた、優秀で冷酷な策士だ。彼の策や幻術にかかって命を落とした人間は数知れず、くぐってきた修羅場の多さ、凄惨さゆえに、肝も据わっている。
 そんな白亜が、この美しいカフェ空間においては無力な仔猫ちゃん状態なのだ、『楽園』が彼に与えた衝撃のすさまじさが判るというものだろう。
 人づてにお茶会の話を聞き、銀幕市の人々と触れ合うのも楽しいだろうと出かけてきてみれば、まさにトラウマまっしぐらな『楽園』が舞台という素敵な事態で、しかもこっそり踵を返そうとしたところいつの間にか背後に立っていた森の娘たちに捕獲されて今に至る白亜である。
 逃げ出そうにも、異様に気配に聡い娘たちが交互に様子を伺っているのが判って、下手に動いたら取り殺されるのではないか、などと、鬼である白亜が言ってどうするという話だが、とにかくそのプレッシャーに、彼は華奢で優美な椅子から立ち上がることも出来ずにいるのだった。
「うふふ……でも、嬉しいわ。ここにこうして来てくださったということは、『楽園』で一緒に働く心積もりが出来たということでしょう。お茶会の傍らで申し訳ないけれど、ついでに面接もしてしまいましょうね」
 いきなり予測もつかない話題が、リーリウムの口から、本人の意志を丸っきり無視したかたちで飛び出して、白亜は思わず目を剥いた。
 確かに前回『楽園』を訪れた際、働いてみないかと言われはしたが、生活力皆無だから給仕とか無理ですというそれ以前に、労働内容のデフォルトが恐ろしすぎる。
 兄や一族郎党が実体化したときに合わせる顔がない。
「え!? いや、いつの間にそんな話に……!?」
「まあ、素敵ねリーリウム! アルバイトなら、月曜日と金曜日が空いているわ、是非来てもらいましょう」
「そうね、イーリス。素敵な衣装を作らなくてはね」
「ええ、ならわたしは素敵なアクセサリを作るわ。白亜さんならきっと、真珠やムーンストーンが似合うわね」
「あら、素敵。なら私はそれに合わせた衣装を作ろうかしら」
「いや、あの、ちょ……待っ……!」
 白亜の胸中などお構いなし、の怒涛のような勢いで娘たちが盛り上がり、あまりの逃亡不可能ぶりに白亜が蒼白になったところへ、
「そうか、シャノン君も招待されてきたのか。これは、なかなか楽しい茶会になりそうだな」
「ああ……まぁな。どうやら真禮も来るようだから、美味いランチにありつけるんじゃないかと思ったのもある」
「へえ、真禮さんのランチってそんなに美味しいんだ」
「ん、取島はまだ食ったことがないのか? そうだな、そこらの星つきレストランなど及びもつかん」
「そうなんだ、いいなぁ。でも『楽園』のランチってすっごい混むんだよね。何度か並ぼうかと思ったこともあるんだけど、あまりの行列で諦めちゃったんだよなー」
「妖霊城に行けばいつでも振舞ってくれるぞ? ……その、なんだ、少々装いには気をつけないといけないが。なあ、八之」
「ぐはッ。そこで何故俺に話を振るのかと突っ込みたいが、多分突っ込んだ方が負けだ……平常心平常心、俺ッ!」
 緑に彩られた通路を通って、よく見知った面々が室内に入ってくる。
「あ、白亜君だ」
「おや、早いな。あまり思い出したくないが、市長宅ではどうも」
「ああ、本当だ。先の戦いではどうも。しかし、わりと見知ったメンバーになりそうだな、参加者は」
 取島カラス、八之銀二、シャノン・ヴォルムスという顔ぶれに、白亜がホッとしたのは当然だったが、
「あら、生けに……ではなくて、お客様がいらっしゃったわ。では、もうそろそろね、しっかり働きましょう」
 一瞬狩人の目になったような気がするリーリウムが、ある意味地獄の獄卒よりも怖いと言われる美しい笑顔を浮かべたのを目にして、思わず世を儚みそうになったのもまた当然だった。

 宝珠神威(ほうじょう・かむい)は、店内へ至る広い通路を歩きながら、物珍しげに周囲を見渡していた。
 彼女がアルバイトをしているケーキショップとは色々なものが違うので、興味を惹かれたというのが正しいが、何より、この場に集う大きな『力』は、同じく不思議な力を扱う神威には興味深いものだった。
「……壮絶な神威が渦巻いているのが判りますね……面白いところだ」
 と、誰に聞かせるでもなく小さくつぶやいた彼女の背後から、
「そうね、わたくしは仮にも神属の存在ですもの。そうでなくては、困るわ」
 唐突に、金の鈴を打ち震わせるような美しい声が響き、神威は何度か瞬きをした。ゆっくりと振り返ると、そこには、神々しい美貌の女が、気配ひとつ感じさせず佇んでいる。
「問うまでもない気もしますが……レーギーナさん、ですか?」
 神威とて不思議の力を駆使して様々な闇を渡ってきた人間だ、驚愕のあまり取り乱すほど腰抜けではないが、それでも多少驚いたのは確かだった。
 神威の問いにレーギーナはにっこりと麗しく笑い、恭しく……優美に、シンプルなドレスの裾を持ち上げて一礼してみせた。
「ええ、初めまして、神威さん」
「ああ、はい、初めまし、て……? どうして私の名前を?」
 名乗った覚えもないはずなのに、と首を傾げると、女王は通路の一角に絡みつく緑の濃いツタをゆっくりと撫でた。
「銀幕市を覆う植物たちはすべてわたくしの親わしき友。この子たちはとても注意深く、そしてお喋りよ。わたくしの知りたいことなら、何でも教えてくれるの。――お噂は伺っているわ、言霊使いさん。さあ、会場へどうぞ。お茶会を始めましょう」
 綾に、穏やかに、しかしどことなく黒く微笑んだ女王に促され、神威は苦笑して頷いた。
「はい、お世話になります、美しき女王陛下」
「あら……あなたのように可愛らしいお嬢さんにそう言ってもらえるのは悪くない気分ね、ありがとう」
 正直、神威の外見は『可愛らしい』という言葉とは対極にあるはずだったが、恐ろしくレンジの広い守備範囲を持つらしい女王陛下は、一般には区別のつけにくい神威の性別を一目で言い当て、おまけに『お嬢さん』などという似つかわしくない単語まで使って歓迎の意を表してくれた。
 神威はまた苦笑し、
「……なかなか、毒気を抜かれるところですね、ここは……」
 つぶやきつつ、女王陛下のエスコートに従って店内へと踏み込む。

 ルイス・キリングは、入り口で一緒になった一乗院柳(いちじょういん・りゅう)、西村(にしむら)とともに美しい通路を歩いていた。
 女王陛下主催のお茶会と聞いた瞬間、色々なネタが頭の中を巡り、正直楽しみにしすぎて昨日など眠れなかったほどだ。どんな参加者がいるのかは判らないが、全身全霊、全力で皆と楽しむ所存である。
 特に、女王陛下が、『楽園』に新風を吹き込む楽しい話題をお求めとのことだから、ニーズに沿った色々なネタを、他人の迷惑一切関係なしの問答無用で投下してこようと思っている。
 ……その結果、自分がどんな火の粉を被るかまでは考えていないのが、ルイスのルイスたる所以なのだが。
「へー、あんたが柳か、相棒から話は聞いてるぜ。あの時は色々と大変だったみたいだなぁ」
「ああ、はい、僕もお噂はかねがね……というか『あの時』のことはなかったことにしていただけると微妙にありがたいです」
「ん? そうか? あいつによると、似合ってたって話だぜ?」
「まったくもって、これっぽっちも嬉しくありません……」
 森の女王にとっ捕まって、お婿にいけなくなるようなアレやコレやをされてしまった憐れな銀幕市民の中でも、特に捕獲回数が多い少年である。その胸中は察してあまりあるが、周囲が楽しけりゃいいじゃん? という意味でルイスはあまり気にしていない。
「んで、西村のお嬢さんは栄養補給に来たのかい? っつーか、最近暑いけど、ちゃんと暮らせてるか?」
「ええー……親切、なー、方々……の、お陰、でー。先日、はー、使わな……いマット、レス、をー、いただきまし……た。寝心地の、いいー、もので、すね、あれ……は」
(でも薮蚊がキツいです主! あと、鳥インフルエンザになったらどうしたらいいですか自分!)
「うんー? そう、だ、ねー……鴉、君ー。昨日、はー……売れ残っ、たー、お中元、も……もらった、し、幸運、だった、ね……」
(いや確かにあの水羊羹詰め合わせセットをもらったことはラッキーでしたがッ! 鳥インフルエンザって我々には致命的らしいですよ主ッ!)
 西村の肩では、立派な体格をした鴉が翼をばさばさはためかせながら何やらカァカァと主張をしているが、鴉の一生懸命ぶりを無下にするかのごとく、不幸にも、彼が何を言っているのかは西村には伝わっていないらしかった。
 恐ろしい赤貧生活を送っている様子の西村に、ルイスはそっと目尻を拭う仕草をし、とりあえずお茶会で残った食品は全部持って帰らせよう(あ、でも冷蔵庫がないんだっけ……)などと思っていた。
 ともあれ、店内に踏み込むと、瑞々しい緑の匂いと柔らかな花の芳香、そして食欲を刺激する様々な匂いとが漂ってくる。
「うん、いい匂いだ。そういえば、『楽園』でゆっくりお茶なんてしたことなかったから、楽しみだな」
「ええー……そう、で、すねー。お洒落、すぎ……てー、ちょっと、気後れしま……す、けど、楽し、みー、です……」
「そうだな、いっぱい食って、いっぱい楽しんで帰らねーと! ワクワクしてきたぞ、オレ……!」
 相棒には子供かと呆れられる満面の笑顔で、ふたりの友人たちとともに、ルイスが会場へと踏み込むと、他の、見知った面々がこちらに気づき、笑顔で手を挙げるのが見えた。



 店内は、いつもの規模の十分の一程度ではあるが、親しい隣人たちを迎え、賑やかに華やいでいた。
 森の娘のひとり、クエルクスが整えたインテリアは趣味よく、美しく、思わずホッとできる優しい空間を作り出しており、店内は清浄な自然の香りで満たされている。
 本当は、建物の外に瀟洒なテーブルと椅子を携えた広いテラスがあり、混雑時はそこまでお客であふれ返り、様々なお喋りで賑わっているのだが、参加者十数人のみという今は静かなものだ。
 三々五々やって来た面々の他に、ひょんなことでレーギーナと知り合ったり、お茶会の噂を聞きつけてやってきたりした人たちの姿もある。
 珊瑚姫と平賀源内はその筆頭と言えるだろう。
 先日の市長宅におけるハウスキーパーの件以降、レーギーナと珊瑚姫の(恐ろしく一部に優しくない)友情は確実に育まれていた。
 今日もお茶会にお呼ばれして姫はご満悦である。
 残ったすいーつをお土産にいただいて帰りますかのう、などと気の早いことを言っている。勿論、珊瑚姫にアツい友情を感じているレーギーナは、山のように土産を持たせる気満々だが。
「皆さんのお越しに感謝を。今日は、楽しんで行ってね」
 にっこり笑ったレーギーナが恭しく一礼すると、森の娘六人と、ひょろっとした細身の青年と、女性にしては少し背の高い娘とが、美しい白磁の茶器の類いを運んでくる。
 青年は名前を寺島信夫と言う、レーギーナが最近『楽園』に雇い入れたばかりのアルバイトだ。
 もうひとり、茶器をトレイに載せて、部屋の隅でお茶会の開始を待っている娘は、訳あって今日一日働くことになった人物である。森の娘たちと同じ、少しレトロなデザインの、裾がふわりと広がる紺のワンピースに、フリルがついた真っ白なエプロンをまとい、メイクで顔立ちを整えられた彼女は、決して特別な美人というわけではなかったものの、穏やかで清楚な雰囲気を醸し出している。
 ときおり失敗しつつもせっせと働く様子は大変微笑ましい。
 娘の名前は……クララということにしておこう。
 今は。
「精魂を込めておもてなしをするわ。どうぞ、堪能なさって」
 レーギーナの言葉と同時に、お茶会開催の看板を下げに行っていたニュンパエアが、もうひとり、最後の客を伴って帰ってきた。
「あら……香介さん。いらしてくださったの?」
 レーギーナが言うとおり、ニュンパエアに連れられて入ってきたのは、ムービースター疑惑のあるムービーファンにして熱狂的なファンを持つ音楽家でもある青年、来栖香介である。
「ん、ああ、ふらっと寄ってみたらやってたから、どーすっかと思ってたらこいつが出てきて、そんで」
「うふふ、ちょうどいいタイミングでしたね。香介さんをエスコートできて、とても楽しかったわ」
 中性的で繊細な美貌は今日も健在で、この夏の暑い盛りに、黒いコートを身に着けているのも変わらない。恐らく、あのコートの裏側には、物騒で魅力的なものがたくさん隠されているのだろうが。
「そう、よかった。では、こちらへおいでになって。お茶の準備をしましょう」
 お客が増えるのは楽しいことだ。
 微笑んだレーギーナが、ルイス・キリングの隣の空席を指し示すと、隙のない足取り、無駄のない動きで席に着いた香介は、
「……今度は変なモノ着せようとすんなよ? 別に、何も事件は起こってないんだろ?」
 警戒心ありありの様子でそう言い放った。
 香介のそんな言葉に、レーギーナはにっこりと美しく笑ってみせた。
「まあ」
 傍迷惑な、と頭をかきむしる者も多いだろうが、愉快犯であることがレーギーナの身上だ、ネタを出されたからには全うしなくては。もちろん、自分及び娘たちが楽しいから、という意識が全開で働いたことも否定はしない。
「そうね、そんなつもりはなかったのだけれど、そういえばそんな素敵なことが出来てしまう方々も集まっておられるのよね」
 ざわり、と、『楽園』を包む緑たちがざわめいた。
 そのざわめきが心持楽しげに思えるのは、参加者たちの気の所為ではない。
「げ、もしかして薮蛇!?」
「もしかしなくても薮蛇だッ、来栖君ッ!」
「っちょ、来栖さん、どうしてここでそれを言っちゃうんですかっ!?」
 身の危険を覚えまくった人々が悲鳴めいた叫び声とともにガタガタと立ち上がろうとしたところで、女王は告げるのだ。
 にこやかに、容赦なく。
「さあ、では、問答無用で行きましょうか、いつものように」
 爆発的な勢いで増殖した緑のツタが、本日の上客と書いて犠牲者もしくは被害者と書く殿方の面々へと襲いかかったのは次の瞬間のことだった。
「うふふ、楽しみね……今日は、どんな素敵なお嬢さんになるかしら」
 いつも通りの悲鳴を聞きつつ、女王は楽しげに微笑む。



 2.やっぱりこれだね、阿鼻叫喚!

 一乗院柳と並んで、森の女王と書いて諸悪の根源と呼ぶレーギーナに女装させられている回数ワンツーフィニッシュ! な超不名誉記録をもつ漢の中の漢、八之銀二の行動はさすがに速かった。もはや魂レベルで灼きつけられた条件反射といってもいい。
 彼は、不吉すぎる単語が聞こえた途端に、椅子ごと後ろに向かって跳び、そのまま素晴らしい身のこなしで転進ダッシュ、――――そして捕縛。
 彼に襲いかかるツタの滑らかな動きを、後日、目撃者たちは、「餌に群がる養殖ウナギたちのようだった」と語ったという。養殖ウナギの食事風景って超怖いよね。
「またかぁあああッ! 最近微妙に比率高ぇぞッ!? もういい加減マンネリだと飽きて頂きたァアッー!」
 無論そこで諦められるはずもなく、ツタによる緊縛プレイを受けつつ、全身全霊で抵抗、抗議するも、残念ながら女王の忠実な僕(しもべ)である植物たちに容赦という言葉はない。
 というより、実はツタもノリノリなのかもしれない。
「嫌だわ銀二さんたら。こんな楽しいこと、わたしたちが飽きるはずがないじゃないですか」
「本当に。毎日でも、きっと飽きないわ」
 満面の笑顔のラウルスとサリクスが、殿方には戦慄すべき内容の台詞を小夜啼き鳥のような美しい声で吐く。
「あら、毎日なんて、素敵ね。日替わりで衣装の交換が出来るわ」
「わたしたちも、色々なものが作れて楽しいでしょうね」
「ちょっと待てそこっ、いかにも名案みたいな顔で恐ろしい提案をするのはやめよう、な!?」
 クールで冷酷な美貌のヴァンパイアハンターに憧れる者が見たら目を剥くか目をそらすかもしくは激しく萌えるような必死の形相で、同じくツタで緊縛プレイ真っ盛りなシャノンがリーリウムとイーリスを宥めようとする。このままそんな恐ろしい方向性が決定付けられてしまってはたまらない、というか日中の銀幕市を歩けなくなる。
 しかし、シャノンを見上げたふたりの娘たちは、外見に似合わぬ老獪さをその美貌に漂わせ、
「だって……本当に素敵なことですもの。ねえ、イーリス?」
「そうよ、名案だわ。ねえ、リーリウム」
 ツッコミ無用の黒い笑顔を交し合った。
「ちょ、待……!?」
 出口のなさを感じ取ったシャノンが蒼白になる。
 そんな中、秀逸だったのはルイスだった。
 ルイスは、ツタが自分に襲いかかった瞬間、咄嗟に隣にいた香介の身体を引き寄せ、彼を差し出して絡みつかせて、自分が逃げる隙間を作ったのだ。いわゆる、尊い犠牲というヤツである。
「てめぇこのクソルイスっ!? マジでブッ殺すぞッッ!!」
 無論、生け贄に差し出された方には不幸なことで、どう足掻いても逃れられないほどの勢いでツタにぐるぐる巻きにされながら香介が絶叫するが(やや涙目だった)、ルイスは、
「ごめんねクルダーっ☆ オレ、キミの尊い犠牲は一生忘れないぜっ☆」
 コケティッシュにウィンクなど飛ばしてから、ハンターとしての突出した身体能力を駆使してドアへとダッシュした。
 その速さ、木々を薙ぎ倒す風のごとし。
 ――しかし。
「あら……ルイスさんたら、そんな、つれないことをなさらないで? ね?」
 彼がドアへ辿り着くよりも速く、一体いつの間にという唐突さでルイスの前に立ちはだかったのはニュンパエアだった。
「うぇっ!?」
 勢いよくぶつかって彼女を傷つけるわけにも行かず(全力で体当たりしても傷ひとつ負わないような気もするが)、思わずルイスが急ブレーキをかけて止まると、今度は背後から、
「そうよ、恥ずかしがらないで。大丈夫、何も怖いことはないわ。この前だって、素敵な花嫁姿を披露してくださったじゃない。薔薇石王はとても喜ばれたでしょう?」
 やはりいつの間に忍び寄ったのかも判らない密やかさで近づいていたマグノーリアの声がして、白い繊手がそっとルイスの肩に置かれる。
 生涯初めてくらいの勢いで戦慄した、とは、後日ルイスが身内に語ったそのときの胸中である。
「その……あの時はあの時ってことで。いやほら、オレってどこからどう見てもカッコいいハンサムガイじゃん? そんな恰好してるとこ見られたら、ファンの女の子たちを哀しませるかもしれないだろ?」
 自分でそれを言うなとあちこちから(それどころではないのに)ツッコミが入る中、どうにかして突破口を見出そうとしていたルイスだったが、にっこり笑ったふたりの娘は、
「大丈夫よ、ルイスさんなら」
「そうよ、問題ありません。だって、それを言うなら銀二さんはどうなるの?」
「銀二さんがあんなに素敵な漢女(ヲトメ)に変身されるのですもの、ルイスさんだって結婚の申し込みが殺到するくらい素敵なレディになれますよ」
 と、ルイスの逃げ口を一切なくすと同時に銀二を更に蒼白にさせるようなことを言った。
 そんなルイスに迫る緑のロープ。
 そして捕縛。
 彼に襲いかかるツタの滑らかな動きを、「餌に群がる養殖ウナギたちの以下略」と目撃者たちは称したという。
「あー……結局こうなるかー……」
 ワイヤーロープよりも丈夫なんじゃないかと思える強靭なツタにずるずる引きずられてお茶会会場へリターンしながら、諦観と乾いた笑いとを込めてルイスがつぶやき、
「人を犠牲にして逃げてんじゃねーぞこのアホルイスっ! いい気味だ、トラウマになるような恰好させられちまえっ!」
 その場に刃物があったら即座に刺さんばかりの勢いで香介が彼を罵る。
 とはいえ、香介もピンチ一歩手前の断崖絶壁であることに変わりはない。
 娘たちが、誰にどんな服を着せるかをきゃわきゃわと楽しげに相談しあっているのがものすごく恐ろしい。
「あのっ、僕、出来れば自分じゃなくて、森の娘の皆さんが可愛い服を着てるところが見たいなぁなんてっ! 絶対に似合うと思うんですよ、皆さんとっても綺麗だしっ!」
 八之銀二とともに、森の女王と書いて諸悪の根源と呼ぶレーギーナに女装させられている回数ワンツーフィニッシュ! な超不名誉記録を持つ少年、柳が、ツタのロープに絡みつかれたまま、そう何度も記録を更新してたまるかという必死の形相で主張する。
 ただし、森の娘たちが可愛い服装をしているところが見たいというのは、間違いなく柳の本心である。彼は、優しくて可愛い女の子が大好きなのだ。森の娘たちは決して優しくはない気もするが。
 それを聞いて、クエルクスが、愛らしく美しい仕草で首を傾げた。
「まあ、そんな風に褒められると、照れてしまうわ。綺麗だなんて、ありがとう柳さん」
「いえ、そこの部分は本心ですし」
「うふふ、嬉しいわ。なら、そうね、ご要望にお応えしようかしら」
「え、本当ですか!」
「ええ、もちろん。ああ、そういえば、柳さんはどんな衣装がお好みなの? 今の流行を追うべきなのかしら?」
「ええ、そうですね……」
 突破口を見出して、というよりは(無論それも間違いなく含まれていたのだろうが)、可愛い恰好をした綺麗な女性が見られるというその部分が単純に嬉しかったらしく、柳が真剣に希望を語り出す。
「銀幕市だけのことじゃないんですけど、ちょっと前から、メイドカフェとか流行ってるみたいなんですよね。森の娘の皆さんはお綺麗ですから、メイドさんの格好とか凄く似合うと思うんですけど……! み、見てみたいなぁなんて……。取り入れてもらえたら嬉しいです」
「まあ……そうなの」
 柳の希望は、実はものすごい勢いで間違った方向のフラグを含んでいたわけだが、必死な彼がそれに気づくよしもない。
 だから、柳は、しばらく考え込んだクエルクスがぽんと手を打ち、
「判りました、やりましょう」
 にっこり笑ってそう言ったとき、本気で顔を輝かせた。
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。ねえリーリウム?」
「どうしたの、クエルクス」
「柳さんが、メイドさんの格好をお望みなのですって」
「まあ、素敵ね! 判ったわ、すぐに作りましょう」
「うわあ、やったぁ。楽しみだなぁ、きっと綺麗だろうなぁ、森の娘さんたちのメイド姿!」
 結構あっさり希望が通って、柳は今の状況も忘れて歓声を上げた。
 美しい森の娘たちが、少しレトロでふわふわのメイド衣装を身に着けてにっこり微笑み、「ご主人様、お帰りなさいませ」だなんて台詞を言ってくれる様子を想像しただけで頬が緩む。
 ――緩んだのだが、
「じゃあ、柳さんの分も早急に作らないと」
 当然のようなリーリウムの言葉が耳に入った瞬間、そんな幸せ気分は雲散霧消である。
「えええっ!? いやあのっ、もちろん女の子限定でお願いしたいんですけど、そこはっ!」
「あら……だって、ねえ?」
「え、なんですか」
「柳さんは、メイドさんがお好みなのでしょう?」
「ええそりゃ好きですけどっ」
「わたしたちがそんな恰好をしたら、幸せ?」
「ええ、幸せですよっ!?」
「だったら」
「え」
「喜びや幸せは、分かち合わないと」
「いやあのそれなんて屁理屈……ってちょっと待ってリーリウムさんッ! 今すぐサイズを測り出すのは勘弁してくださいホントにッ!」
 気弱な自分を払拭する程度には必死の形相で懇願するも、リーリウムは、うふふふふ、と微妙に黒い笑いを漏らすのみで、巻尺を柳の身体に巻きつけることをやめようとはしなかった。
 今更ながらに、自分が盛大に地雷を踏んだことを思い知る柳である。
「さあ……どんな素敵なお嬢さんたちが現れるのかしら、楽しみね」
 満面の笑顔で女王が言い、ツタに絡みつかれたまま硬直しているカラスの頬をそっと撫でた。
「あの、レーギーナさん……これ、どういう……」
 他の面々と同じくぐるぐる巻きなカラスは、実年齢よりずいぶん若く……というよりはどこか幼くも見える顔を、困惑というか呆然というかある意味怯えているというか、非常に複雑なかたちにしてレーギーナを見つめていたが、庇護欲を誘うそんな表情に、容赦一切ナシの女王陛下は慈母のごとき笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫、怖くないわ。きっと、新しい世界が開けるから」
「っつーか開けちゃ不味いんだよそこの歩くトラウマ製造機――ッッ!!」
 娘たちに群がられつつ銀二が絶叫めいたツッコミを入れてくるが、華麗にスルーである。
「カラスさんはお肌が綺麗だから、きっと素敵なレディになるわ」
 何の慰めにもフォローにもならない褒め言葉を吐きつつ、レーギーナはその隣ですでに半分泣いている白亜に向き直る。
「うう……け、結局こういうことに……」
 銀色の雫をはらんだ、長くて濃い睫毛が震える様などは大層愛らしい。
「これなら、面接なしでも問題ないわね、是非雇わせていただきたく思うのだけれど……どうかしら? 月曜日と金曜日にフルで入っていただけると助かるわ。時給は、そうね……」
 本人の意志完全無視で、レーギーナがカフェの時給としては結構法外な値段を提示すると、
「何と、そんなにいただけるのですか、ここのかふぇは! 素晴らしいですのう、是非うちの源内を働かせてはいただけませぬか、れぎなん」
 クララにお茶を注いでもらいながら珊瑚姫が目を輝かせて言い、
「ぅおいちょっと待て姫ッ! 俺の意志とか体面とか男として大事な何かとかは完璧無視かッ!」
 そこへ、ツタのロープを何とか外そうと必死でもがきながら、源内が盛大に突っ込む。
「そう仰らずに、源内さん」
 わりと必死な源内ににっこり笑いかけつつ、白い指先で優雅にティーカップを口元へ運ぶのはドクターDだ。
 とある病院で、精神科医として活躍している、この美貌のドクターは、男性であるにも拘らず、ツタに絡みつかれてはいない。
 その理由は、
「素晴らしいことですよ、性差を身を持って理解するということは。それに、女性の装いをすることで、男性というのは非常に精神をリラックスさせることが出来るという統計も出ていますからね」
「え、そ、そうなのか、まぁそれなら……ってそこで納得しちまったら不味いだろうがッ!? 頼むから丸め込もうとすんなよ、ドクター!」
「おや、丸め込もうなんてしていませんよ? 事実を言ったまでですから」
 この、恐ろしく動じない、懐が深いのか確信犯なのか判らない、どことなくレーギーナに似通った性質のゆえだった。
 事実、レーギーナは、現在アルバイトとして雇っている青年、寺島信夫が持ってきた案件の関係で彼と顔を合わせて以来、ドクターに対して同属性に抱く類いの親近感を覚えている。
「そうよ、事実ですものね、ドクター?」
「ええ、そうですね、レーギーナさん」
「いやあの、それって事実だからって何の慰めにもなってないような……」
 ちなみに、にこやかに交わされる会話に弱々しく突っ込むもうひとりの男性客、某国の王子、ホーディス・ラストニアも、ドクターのごくごく近い位置にいたお陰で目こぼしされ、ツタの猛攻には遭わずに済んでいた。幸運は幸運だったのだろうが、「お前も同じ目に遭え」という表情をありありと含んだ他の犠牲者たちの視線が突き刺さる。
「でも、森の娘さんたちの衣装、とっても素敵ですよね。私ももっと頑張らなくちゃ」
 周囲の阿鼻叫喚ぶりにはあまり頓着しない様子で、ティーカップを手ににこにこと笑うのは、車椅子の女性、斉藤美夜子だ。膝の上では、ミッドナイト・カラーのバッキーがもぞもぞと動いている。
「ええとッ、私としても、お話に聞く限りでは確かにそうだと思うんですが! ええもう本当に素晴らしい出来だとっ。でも今問題なのはそこではないような気が……!?」
「あら……お褒めの言葉、どうもありがとう、ホーディスさん美夜子さん。でも、わたくし、美夜子さんの手仕事も拝見したけれど、あなたの腕前も大したものだと思うわよ?」
「そうですか? ありがとうございます、レーギーナさん。そう言っていただけると、もっと頑張ろうっていう気持ちになりますね」
 にこにこと笑顔を交し合う女ふたりに、ツッコミ無用の気配をひしひしと感じつつホーディスが突っ込む。無駄だと判っていてもそうせずにはいられないのが、この場に居合わせてしまった男性陣(特にツッコミスキル所持者)の運命なのかもしれない。
 そして、会場では、阿鼻叫喚のお着替え大会が着々と進行していた。
「カラスさんはきっとこのシフォンワンピースが似合うわね。大人っぽく、シックな色合いにしておきましたから。きっと素敵なレディになるわ」
「ええと……それって喜ぶことなのかな? っていうか、喜んでおいた方がいいのかな?」
「ええ、もちろん」
「うう、輝くような笑顔がかえって怖いよ……」
「銀二さん、どちらの衣装がよろしいですか? もちろん、どちらもきちんとベビーピンクにしておきましたからね」
「目にしみるでかさだなオイっ! っつーか要らないよそんなデフォルトっ!? キャミソールにスカートか清楚なワンピース(裾短め)って……なんでそういう微妙極まりないチョイスしかないんだっ!?」
「ごめんなさい、今回この二種類しか用意出来なくて。これ以外だと、この、露出度最大クラスのビキニ水着しかないんです。こちらでもよろしければ、そうしますけど」
「茶会でそれってどんだけサンバでリオでカーニバルなんだよ俺はッ!? 果てしなく却下だ! っていうかなんでそんな目にしみるモノを作ってんだ森の娘ええええぇッ!?」
「白亜さんはやっぱり浴衣ですよね、ここは! 夏らしく肌を見せてもいいんですけど、この、隠されたゆえの色香というか」
「着物という意味ではまだましかと思いもするのだが、あのこれどう見ても柄と帯が女物……」
「当然です」
「ううっ、拒否を一切許さない断言……!」
「シャノンさんは、前回と同じくハードなボンデージ物にしようかとも思ったんですが、せっかくですから少し違うイメージで行きましょうね。どうかしら、この、ふわふわのワンピース。夏なので、ちょっと露出は高めです」
「ボンデージも大概だがその被覆面積の狭さと裾の短さと牧歌的なパステルカラーに戦慄を禁じえない俺は未熟なのか!? ちょっと待て、笑顔でにじり寄るな、怖いから!」
「この場合、シャナーン様だとちょっとハードすぎるかもしれないので、名前はシャニィちゃんにしましょうね?」
「一足飛びに源氏名まで行かなくていいから……ッ!」
「ルイスさんは知的なオトナ美人に、ということで、タイトスカートに大人っぽいカットソーを合わせてみました。アクセサリは銀を基調に、あまり目立たないものを用意してあります」
「うっわー、こうして直で見るとすんげー視覚の暴力だな、でっかいわ男の身体に合わせて作ってあるわで……。いや、普通に綺麗なお姐さんが着たら似合うんだろうけど」
「あら、大丈夫よ、ルイスさんも誰よりも綺麗になれるわ」
「うん……その、フォローになってないフォロー、どうもありがとう」
「柳さんはもちろんメイドさんね! 今リーリウムが衣装を作っていますから、もう少し楽しみにお待ちになって」
「待ってません、待ってませんからッ!」
「ああ、楽しみだわ、柳さんと同じ服を着てお茶会が出来るなんて、なんて幸せなんでしょう」
「幸せって言ってもらえるのは確かに嬉しいですけどっ、その嬉しさって多分に自己犠牲を含んでる気が……!」
「香介さんは、今風の流行を取り入れて、色鮮やかでエスニックなチュニックにこのレギンスをどうぞ。ほら、裾のところにレース編みが施してあるでしょう、これもリーリウムのお手製なのよ?」
「執念を感じさせるその仕上がりの細かさには確かに感心するけどっ!? 取り入れるべき流行を思いっきり間違ってるだろ、アンタらっ!」
「アクセサリはイーリスが作ったのよ。ほら、この、青いヴェネツィアン・ビーズのピアス、綺麗でしょう? 香介さんのイメージで作ったんですって」
「ん、ああ、確かに綺麗……って、そこで丸め込まれてる場合じゃねーだろ、オレっ!?」
「香介さんなら、無駄毛の処理は必要なさそうね、ちょっと残念」
「残念がるな……ッ!」
「源内さんは、この、友禅生地を、和テイストを残しつつ洋風のドレスに仕上げた逸品をどうぞ。リーリウムはなかなか苦労したようですよ」
「いやいやいや、そんな苦労、別にしなくてもいいんだぜ娘さんたち!?」
「よろしいですか、珊瑚さん?」
「うむ、問題ありませぬぞ、お好きなようにもてあそ……もとい、飾ってやってくださいませ」
「問題ありすぎだよ、オイッ!!」
「と言いますか、れぎなん、妾もあの衣装がほしいですのう」
「あら……お目が高いわね、珊瑚姫は。判ったわ、では、近日中に仕立てて届けましょう。うふふ、おそろいだなんて、素敵ね?」
「源内とおそろいでもあまり嬉しくもありませぬが」
「くっ、追い討ちかよ……ッ!」
 絶叫とツッコミと怒号と乾いた笑いが入り乱れる中、女性だからという絶対的な理由でまったくの安全圏にいるふたりのムービースター、神威と西村は、阿鼻叫喚の会場などものともせず、この世の終わりの様相を呈している男性陣の様子に卒倒しそうな表情をしているクララと、すごいですねぇなどと感心するばかりでまったく動じていない寺島のふたりが入れてくれた薫り高い紅茶を楽しんでいた。
 西村の肩にいたお陰で、彼女の使い魔である鴉も無事である。鳥だったので見逃されたのかもしれない。
「おやおや……すごいことになっていますねぇ」
 まずは軽く、と出された香ばしいビスケットを摘みつつ神威が笑い、そろそろ軽く泣きが入っている男性陣を見つめた西村は、ティーカップを両手で包み込むようにして持ちながら、
「でも、皆さ……ん、とって、もー……素敵、です、ねー」
 などと、純度100%の賛辞を口にしていた。
 地獄の真っ只中にいる男性陣にとってはまったくありがたくないその褒め言葉は、残念ながらというか幸いにもというか、騒乱の極みにある着替え中の面々には届かなかったようだった。
 届いたら届いたでツッコミが炸裂するだけのことだが。
(そういえばこの前もすごいことになってたなぁ……人間のオスって、ああいうの好きなのか? メスの恰好をするのが流行なのか?)
 西村の肩の上では、使い魔鴉が微妙に勘違いしつつ首を捻っている。
「いやあ、でも、皆さん楽しそうですね。いいじゃないですか、素敵ですよ本当に」
 くすくす笑って神威が余計なことを言う間に、着替えの大半は終わったようだった。
 号泣というか男泣きというか嗚咽というか、心の底で盛大に泣きながら、男性としての大事な何かを魂の底から試されまくっている人々が、森の娘たちに促されてしおしおと席に着く。
 恐らく一般的な概念から言えば間違いなく目にしみる光景だったが、レーギーナをはじめとした愉快な仲間たちは非常に満足げだった。
「さあ、では、今度こそ本当にお茶会を始めましょう」
 晴れやかなその宣言が、死刑宣告のように聞こえたという参加者も多かったようだ。



 3.極彩色のティータイム

 阿鼻叫喚の着替え大会が終わってみると、時間はもう十一時半に差しかかろうとしているところだった。全員が集合してからの、一時間弱のこの間、普通に、きちんとティーブレイクすることが出来たのは、女性ゲストをはじめとしたごく一部に過ぎない。
「おお……皆、美しいな。眼福というやつだ」
 そんな中、騒ぎにも気づかぬ様子で、キッチンにて軽食をこしらえていたらしい妖幻大王真禮は、非常に満足げな森の娘たちに手伝ってもらって様々な料理が載った皿を運び込みつつ、悄然と項垂れる(中には口から魂が漏れ出ていると思しきメンバーもいる)人々に向かい、まったくの本心からと判る賛辞を笑顔で送った。
「真禮の守備範囲の広さには時々戦慄を禁じえないわけだが……ッ」
 非常に露出度の高い、ふわふわとした優しいアクアブルーのワンピースにすらりとした四肢を包まされ、パステルカラーのメイクを施されたシャノンが吐血しそうな表情でこぼすが、無論、妖幻大王はその血涙級の胸中には気づかず、ただ、シャノンの前に、フラミッシュと呼ばれる、ブリオッシュ生地を土台にしたポワロー葱のタルトを置いただけだった。
 ふわり、と、食欲をそそるいい匂いがする。
「そう謙遜するな、シャナーン。とてもよく似合っているぞ」
「真禮様、今の彼……ではなくて彼女は、シャニィちゃんなのよ。可愛いでしょう?」
「おや、そうだったのか、では気をつけよう」
「気をつけるも何も、シャナーンでもなければシャニィでもないんだがッ」
「よいではないか、どちらも似合っている」
 さらっとスルー後、次々と、各テーブルに惣菜を置いてゆく。
 最近の彼のブームらしく、今日の軽食はどれもがフレンチだ。
 あまり気取らない、素朴だが食欲をそそる外見、匂いのものばかりだった。
「あ、いい匂い。真禮さん、それは何ですか?」
「ん、これか。これはキッシュ・ロレーヌという。玉ねぎとベーコンを使ったキッシュだな。ロレーヌ地方発祥の惣菜だ」
「わあ、美味しそうだなぁ。それ、一切れもらってもいいですか?」
「そうか、判った、カラス」
「ええと……今はクロディーヌ? らしいですよ?」
「ほう、そうなのか。それもまた可愛らしいな、似合っているぞ」
「ああ、はい、ありがとうございます。恥ずかしいけど、何かもう、美味しいものを前にしたらどうでもよくなってきた」
 灰色がかったシックな緑のシフォンワンピースをあてがわれた彼は、最初恥ずかしがって、ベビーピンクなワンピース姿の銀子姐さんの背後に隠れていたのだが、娘たちがスイーツを、真禮が惣菜を運び込み始めるとそれどころではなくなったらしく、いそいそと楽しげに椅子に座りなおしていた。
 ある意味図太いと言えるかもしれない。
 サリクスがこしらえた今日のスイーツは、旬の瑞々しい桃を使ったタルトに華やかな香りが秀逸なマンゴータルト、ラム酒が仄かに香るチョコレート・ムース、生クリームと真っ赤な苺をたっぷり使ったショートケーキだ。
 ショートケーキというのは、実は、スイーツの本場フランスには存在しない、この日本という国独特のケーキなのだが、フレンチが基本の茶会だからとそれを気にするつもりはサリクスにはないようだった。
「うーん、わりと似合ってんじゃん、オレ?」
 カフェの片隅にあった姿見で、知的なOL風の自分を映してちょっぴり悦に入っていたルシーダ姐さんは、
「……ルイス君、それはちょっと不味いんじゃないか……?」
「っつか引いた。ものっそい引いた。近寄んな変態」
「ルイスさんがそんな人だったなんて、僕、知りませんでした……!」
「や、嘘嘘。冗談だって」
 女装仲間な面々が、ドン引き、というのが相応しい表情で思わず席を引いたのを目にして素早く訂正を入れるも、
「いーや、今のは絶対本心だった!」
 香子ちゃんからの鋭いツッコミに他のメンツがうんうんと頷き、何か可哀想なものを見る目で見つめてきたので、
「ひ、ひどいわ皆……!」
 思わずその場に崩れ落ちて男泣き(多分この場合は漢女泣き)に嗚咽を漏らしている。
 非常に微妙な一場面である。
「あの……ひとつ、お願いが」
 その近くでは、ビクビクしつつもスイーツにフォークを入れるだけの根性は残っている白亜がおずおずと声を上げていた。
「あら、どうなさったの、亜子さん」
「その名前は出来れば勘弁を……いやもう何を言っても無駄な気がしてきた。いや、その、出来れば一度、『楽園』でも和風スイーツをいただいてみたいと思ったのだが」
 すらりとしたうなじが色っぽい、浴衣姿の亜子ちゃんの言葉に、サリクスがぽんと手を打った。
「あら、素敵ね、それ。そういえば、今まで和風スイーツをお出ししたことはなかったわね。和三盆まで自分で研いだのに、わたしとしたことがうっかりしていたわ」
「うん、餡子や抹茶、黒糖や黄な粉といった材料は、タルトやケーキに使っても映えると思う」
「そうね、本当だわ。素敵な提案をありがとう、亜子さん。明日からでも、研究を始めるわ。完成のあかつきには、お礼を兼ねてお裾分けするわね」
「ああ、うん、それは素直に嬉しい」
 サリクスの言葉に白亜がようやく笑顔を見せ、桃のタルトを口に運ぶ。
 仕草の美しさ、しなやかさもあって、正直、元が女性的な容姿をしているだけに、並の女性では太刀打ちできないほどの美しさと色香が漂っている。――本人にはまったく嬉しくないことだろうが。
「へえ、このチョコレート・ムースはなかなかに味わい深いですね。うちのアルバイト先でも同じようなものを出していますが……また、違った趣がある」
「そうなんですか。ラム酒の種類かもしれませんね、それは」
「ああ、そうかもしれません。その違いが、店の特色になる、ということなんですね」
「ええ、そうね。よろしければ、もっと色々試してご覧になって」
「はい、ありがとうございます」
 白亜と同じく、笑顔でサリクスと言葉を交わす神威がじっくりとチョコレート・ムースを味わう隣では、西村が、レーギーナに向かって深々と……生真面目に頭を下げている。
「お花、見ー、の……時、には、お世話……に、なり、ましー、た」
「あら……それは、ご丁寧に。こちらこそ、楽しかったわ」
「ええー……私、もー、楽しかっ……た、ですー」
「そうね、本当に素敵な一時だったわ。――色々な意味で」
「はい、皆さー、ん、真っ白、でー……とっても、綺麗でしー、た……。鴉君、もー、綺麗だった、よね……?」
 またしても純度100%の賛辞とともに同意を求められ、テーブルの上でキッシュの端っこをつついていた使い魔鴉が思わず目を背ける。
(主が喜んでくれるのは嬉しいけれども、でもあれ重かったしなぁ。色々各方面泣いてた気がするがあれ気のせい? 人間ってやっぱり、ああいうの好きなの?)
 どうやら自分がカァ子になったことに関しては、鳥なだけにあまり辛くはなかったようだが、彼の、人間という生き物に対する勘違いは斜め上60度辺りをぐいぐい上昇中である。
「うふふ、そうね、とても綺麗だったわ。またあんな機会に恵まれればいいのだけれど。あら……西村さん、それは……?」
 銀幕市の男性陣にとっては恐怖以外のなにものでもない台詞を無造作に吐いたあと、レーギーナは、西村の足元に、本人が持ち込んだらしい紙袋を目にして首を傾げた。すると、西村はゆっくりと袋からそれを取り出し、テーブルに置いた。
 それは、どこか郷愁を誘う、レトロなデザインのラジオだった。
 西村がスイッチを入れると、ごくごくかすかな音量で、ジャズと思しき音楽が流れてくる。
「これー……、最近ー、の、楽し、み……なんで、すー」
「そうなの。どんなものを聴くの、西村さんは」
「どんな、音楽ー、も、それぞれ……に、素敵、ですね」
「ああ……素敵ね、それは。音楽は全世界共通の言葉だものね」
「はいー……本当、に、そうー……思い、ますー」
「そういえば、香子さんは音楽家なのよね? わたくし残念ながらまだ演奏会にお邪魔したことはないのだけれど、素晴らしいという噂よね」
 ショートケーキを切り分けながらレーギーナが言うと、ラ・コンプレートと呼ばれる、蕎麦粉のクレープにハムと卵とチーズを乗せたスナックを、食べやすいようにナイフとフォークで細かくカットしていた香介が半眼になる。
「香子って名前のとこ以外はまぁ概ね合ってる。っつかそこの間違いが一番問題なんだが」
「一度、拝聴してみたいわね、ねえ西村さん」
「はいー、……一度、聞かせ、てー……いただきまー、した、が、とっても、素晴らしかった、ですー。香子さん、はー、素晴ら、し……い音楽家さん、です、ねー」
「褒めてもらえんのは嬉しいけど、待てッ、何かあんたも今一番大事な部分を間違ってなかったか……!?」
「あら、そうだったかしら、西村さん?」
「いいえー……そんな、つもり、はー……?」
「あー、うん、判った。オレの方で忘れるからもう好きにしてくれ」
 こちらでも、確信犯ボケと天然ボケ炸裂である。
 諦観と乾いた笑いで満たされたツッコミの胸中、察するに余りある。
 ベビーピンク=八之銀二というデフォルト記録を音速で塗り替えつつ、隆々たる体躯をふわっとした優しい風合いのワンピースに包まれた銀子姐さんは、マロワールと呼ばれる少し癖のあるチーズを使った惣菜タルトを前に何とも言えない表情を浮かべていた。
「しかしまぁ、面白い集団だな。面白い集団なのに、食い物が美味いのが何とも」
「ええそうね、銀子さん。美味しいものをお出しすることはこのカフェ『楽園』のプライドですから」
「もうその名前がデフォルト化してることには動じなくなっちゃったよオジサン。銀子でも銀美でも銀江でも好きに呼んでくれハハハ」
「銀美と銀江は語呂が悪くて呼びにくいですからね」
「ボケにボケを重ねられるほど辛いことはないな……ッ」
「あ、そういえば忘れていました」
「ん、何をだ? ……って、すみません顔面からのスライディング土下座で謝ってもいいんで香水かけるのはやめていただけませんか。フローラルな薔薇のかをりとかもう腹カチ割りたくなるんですが」
「お店が汚れますからそれは止してくださいね」
「大事なのそこだけかよ!?」
「あら、だって香りもまた女の嗜みですもの。忘れていてごめんなさいね。大丈夫、もっと素敵になりましたから」
「これっぽっちも嬉しくねぇえ……!」
 ゴージャスでフローラルでどこか高貴な印象の香水をそっと振りかけられ、轟沈寸前の表情で銀子姐さんが呻くが、無論、細工の細かい香水壜を手にした森の娘の動きが止まることはなかった。
 これもまたデフォルトである。
 何にせよ出される軽食や菓子はどれもが美味で、給仕をする娘たちは皆美しく、被害に遭っていない面々が楽しげなお喋りに花を咲かせているのもあって、諦観ゾーンに突入しつつあった漢女たちが、めいめいにスナックやスイーツ、果ては真禮が持ち込んだ酒などに手を出していると、
「ああ、そういえば」
 ふと思いついた、といった風情で神威が周囲を見渡した。
「最近では、獣耳というオプションが流行っていると聞いたのですが」
 その余計極まりない言葉に、更なる地獄を想像した漢女たちが固まったのは当然のことだったが、
「まあ」
 同時に、ぽんと手を叩いた森の女王が、
「イーリス?」
 傍迷惑なほど器用な森の娘のひとりに、眼だけですべてを語ったのも当然のことだった。
「はい、お姐さま」
 にっこり笑って店の奥に引っ込んだイーリスが、ものの十数分で最強(最凶が正しいかもしれない)アイテムKEMONOMIMIを手に現れる。ふさふさとした、各獣の特徴を捉えたトップ部分に、カチューシャ状のバンドが取り付けてある逸品だ。
「ふう……いい仕事をしました」
 汗もかいていないのに額を拭う仕草をするその背後からは後光すら輝くようである。
 数は全部で十二個ある。勢い余って少々作りすぎたらしい。
 作るなよ、という話だが。
「……!」
 これ以上男として大切な何かを試されたくなかった漢女たちは、勢いよく椅子から立ち上がるや脱兎の勢いで逃げようとしたのだが、無論、この不条理かつデンジャラスな美★空間においては無意味な行動と言わざるを得ない。
「まあ……皆さん、恥ずかしがり屋さんなんだから」
 娘たちは、百発百中の狩人の目で、逃走しようとする殿方に追いすがり、次々と捕獲してゆく。
 ちなみに、美味しいスナックとスイーツにすっかりご満悦のカラスだけは、なんだかもうそんな細かいことは気にならなくなったらしく、娘のひとりが差し出す犬耳を、わあ可愛いねぇなどと言いつつ普通に装着している。
 そしてそのうちのひとつはクララの頭の上に乗っかることになった。
「さあ……シャニィちゃん、この猫耳をどうぞ……?」
 最初に捕まったのはシャノンである。
 正面から、輝くような黒い笑顔のリーリウムにがっちりと両手首を掴まれ、身動きできずにいるところを、横から満面の笑顔のイーリスが近づいてくる。もちろん、その繊手にはふっさふさの猫耳がある。
「いや、ちょ……待て、落ち着け。そこはよく話し合おう、な!?」
 吸血鬼の始祖として長き生を生き、誰よりも強く冷酷なハンターとしてその名を轟かせているシャノン・ヴォルムスが、華奢な娘の手を振り払うことも出来ない。この美★空間においては森の女王とその愉快な仲間たちこそが法であり、力なのだ。
 それを屈辱とか不名誉とか思う余裕はシャニィちゃんにはない。
 むしろ魂の危機なのだ、それどころではない。
「大丈夫ですよ、別に痛くありませんからね?」
「そんなことは百も承知だがッ」
 抵抗は無意味だった。
 あれよあれよという間に、頭にマニアックかつフェティシズム満開な獣耳を装着させられてしまう。
 それが頭に乗っかった瞬間、重さなどない品物であるはずなのに、シャノンは自分の体重、もしくは自分を包む重力がいきなり十倍になってしまったかのような錯覚に陥る。
「く……このダメージ……駄目だ、た……立ち直れん……!」
「きゃあ、素敵だわ、シャニィちゃん! ひとつお願いがあるのだけれど、いいかしら?」
「お……お願い……?」
「語尾に『にゃん』ってつけてみてくださらない?」
「……」
「ね?」
「……」
「あらいやだ、シャニィちゃん? 大丈夫ですか? シャニィちゃんったら?」
 無言で意識を手放そうとする、後頭部直撃コースのシャノンを軽々と抱きかかえ、リーリウムが美しい声で彼を呼ばわるが、シャノンの意識はすっかり彼岸の彼方に遊んでいた。
 ――現実逃避って素晴らしい。
 女王のお茶会っていう時点でこうなる気はしてたんだ、と、意識の冷静な部分が乾いた笑いを漏らしている。
 その間に、漢女たちの獣耳装着☆ はすっかり済み、彼らが席に着くと、カオスを通り越してインフェルノな雰囲気が周囲を包み込んだ。いかんとも表現しがたい空気である。
 それを、活き活きしているとすらいえる表情で、兎耳装着中のクララがばっしばしに撮影している。
「ちょっとそこのウェイトレスさんッ!? 何でヒトの人生の恥部を撮りまくっておられるんですか!?」
 色をなしたのは漢女たちの誰もがだったが、果敢に突っ込んだのは猫耳メイドな柳沙ちゃんだ。
 ふっくらとしたパニエでスカート部分にやわらかなふくらみを持たせたその衣装は、『楽園』の女性店員が身に着ける制服よりも華やかな、光沢のあるスカイブルーの生地で仕立てたワンピースの上に、多分に装飾的でガーリィでフェティッシュな純白のエプロンを合わせた、まさにマニア垂涎のものだった。
 袖や襟には美しい刺繍、レースの靴下にエナメルのストラップシューズ、ウィッグで伸ばされた髪は頭の両脇でふたつに括られ、そこを真っ青なリボンが飾っている。
 最高級のネタを提供してしまった所為か、今日のプリンセスは柳沙ちゃんね、とよく判らないことをご機嫌な女王が言い出したため、彼の頭のてっぺんには、今、可愛らしい王冠のかたちをした飾りが鎮座している。
 メイド服に関しては、まったく同じデザインのものをニュンパエアとマグノーリアが身に着けており、こちらもまた問答無用で似合っているが、残念なことに、柳沙ちゃんのそれも恐ろしくよく似合っていた。
 このままメイドカフェにアルバイトに行けば、まず間違いなく顧客がつくだろう。
 そんな柳沙ちゃんに突っ込まれたクララは、カメラを手にしたまま一瞬動きを止め、微妙に視線を彷徨わせた。
「いえ、あの……これは、その」
 どことなく、というかわりと聞き覚えのある声に、漢女たち茶会参加者たちが首を傾げて問いを発するよりも早く、
「ああ、あれはわたくしがお願いしたのよ。今日の記念にと思って」
「そんな記念要りませんッ!」
「あら……そうなの? でも、わたくしはほしいのよね、記念に」
 記念、を恐ろしく強調して、女王がにっこりと微笑めば、漢女たちに二の句を継ぐ口があるはずもなかった。
「だから、クララさん、よろしくね?」
 意味深な流し目を送られたクララが、頬を紅潮させて頷く。
「はい、頑張りますっ!」
 もちろん、頑張らなくていいからっ! というツッコミが方々から入ったのも当然のことだった。



 4.クララ、ハッスルする

 現在クララな彼、本来の名をクラスメイトPというムービースター氏は興奮していた。
(くううっ、これならきっと、とんでもなく素敵な記事になるに違いないよ……っと、違いないわ……!)
 何故、彼が女装までして『楽園』で働いているのか。
 それには偉大なる理由があった。
 多大な迷惑をかけている銀幕ジャーナル編集部に、名誉回復のために出入りしている中、『リアル追求のため、影からお茶会内部を取材』という任務を駄目元で授かったのである。
 そこで、リチャードという別名も持つ彼は、レーギーナに、一日ウェイトレスとして雇って下さいと頼みこみ、『真面目に働く、何でも言うことを聞く』を代償に許可を取り付け、結果、茶会への潜入に成功したのだ。
 ここで、直接取材という名のフィルタがかかっては到底撮り得ないであろう、参加者たちの様々な表情や、カフェ『楽園』の裏側、断末魔級の騒ぎや賑やかな茶会の様子を撮影し、記事にして、銀幕ジャーナルへの恩返しというか汚名返上というか名誉挽回というか、とにかくそういう方面のためにクラスメイトPはいるわけである。
 実はもうひとつ、野望というか野心というか、どうしても収めてみたい場面もあるのだが、そこへ到達するにはまだ少し時間がかかりそうだ。
 正体を見破られ、何故彼がここにいるのかを知られてしまうと台無しになる任務だったが、幸い、衣装やメイクの秀逸さ、そしてほとんど喋る必要のない仕事を与えられたお陰もあって、まだ参加者の面々にはばれていないようだった。
 それどころではない、というのもあるかもしれない。
 おまけに、何か思うところでもあるのか、女王陛下までが、それとなく彼をフォローし、正体がばれないように手助けをしてくれているのだ。
 ここで成功させなきゃ男じゃない(今女だけど)! と、人様の善意や期待に弱いクラスメイトPがハッスルするのも当然のことだった。
 おりしも会場では、女王が手ずから育てた特別な茶葉を使って新しいお茶が入れられたところだった。高貴で華やかな香りが会場を漂い、クラスメイトPの気持ちまでさわやかにする。
 皆、女装に獣耳という脳天直撃級のすんごいインパクトの出で立ちにもそろそろ慣れてきたようで――どちらかというとそこに意識が向かないようにしているのかもしれない――、新しいお茶と新しいスイーツを前に様々な話題で盛り上がっていた。
 クラスメイトPがいると必ず起きるハプニングや騒動も、森の女王の神気に気圧されてか、特筆すべきことは起きていなかった。
 ――もっとも、火にかけていた薬缶の水がいつの間にか黒酢ドリンクに変化しているとか、真禮が焼いていた口直し用のビスケットが何故か某漢パン並のリアルさをした銀二のかたち(全長五cm)で焼き上がったりとか、サリクスの焼いたチーズケーキの表面が何故かナイフを入れたら断末魔の絶叫が上がりそうな人面に変化していたりという類いの事件はちまちまと起きていたから、決して皆無というわけではない。
「え、今の流行り? えーとね、俺は銀メ……違う、『School Of Memories』っていうゲームが気になるな。何か、通常ディスクのほかに、桃色ディスクとか闇色ディスクなんていうバージョンもあるらしいよ。あとは……あの研究所かなぁ。どうなるんだろうねぇ?」
「『楽園』に新風なぁ。なるほど女装喫茶か、却下だ。常連の俺が来られんなるわ馬鹿たれッ! そうだな、俺の提案は……ブログでもやってみるか? リアルだが最近の喫茶店系列ではよくやっとるぞ。ふむ、ひとりでずっと更新とかは難しいだろうから、日記的に森の娘たちもローテーション組みつつ……パソコン使えるっけ? いやまぁ、確かに俺使えるけど……教えるの苦手だぞ俺。……って、え? じゃあ毎日来い?」
「……そうだな、スキャンダル名物『小さいものクラブ席』を参考に、テーブルオンテーブルの席を作ってみる、というのはどうだろうか。バッキーを始めとした小さいものは結構他のお客に評判よいらしいから」
「それで、真禮。先日の戦いでは世話になった、どうもありがとう……と言いたいところなんだが、出来ればああいう場で源氏名を呼ぶのは勘弁してくれないか。ものすごく気が抜ける」
「ええ、でも、本当に今日は来てよかったですよ。皆さん、本当にお美しくて笑いが止まりま……もとい、感動が止まりません。え、私ですか? いえいえ、こんな美しい漢女たちに混じるなんていう恐れ多いことは出来ません、謹んで辞退しますよ」
「うん、だからさー、本気☆狩るの素晴らしさを皆にもっと判ってもらいたいんだよなー。特に本気☆狩るウルフ! もうサイコーだよあのヒト! もしよかったら本気☆狩るの認知度が上がるように、お客さんへの普及活動に一役買ってもらえねぇかなーってさ。っつーかこれ、大きな声じゃ言えないからリーリウムさんにだけ見せるんだけど、衣装なわけよ、例の。これをバージョンアップさせたいんだけど……なんかいい方法ないかね。あ、あとさ、出来るならここでバイトさせて欲しいんですけど。土下寝でお願いしてもいいから。え、土下寝? 顔面から突っ込みながらする新しい懇願スタイル。すげぇインパクトだろ? オレ、手先も器用だしトークも得意だから結構役に立つと思うんだけど……どうかな」
「ええと……もう今更何を言っても無意味のような気はするんですが、メイドカフェというのはやっぱり憧れますね。もちろん女の子限定の、ですよ! 綺麗な女性が綺麗な恰好をしているって、すごく気持ちが華やかになることだと思うんですよね」
「そう、いえー……ば、忘れ、ていましー、た。こ……れ、店長、さんーが、お土産、に……と、持た、せー、て、くださ……った、花火、とー、素麺ですー。よろし、けれ、ばー、使って、く……だ、さい。ええ、そう……で、すーね、夏ーの、風物詩、ですー、ね。きっ、と……楽し……い、と、思いまー、……す」
「話題……ねぇ。駄目だ、どうしても音楽に偏っちまう。ああ、うん、そのうち例のあいつと組んでコンサートとかやってもいいなぁとは思ってるんだけどな。え、くるたんパン? 何のことだ、知らねぇな。は? 何ならここで販売してもいい? ……あんたはオレをもてなしてーのかそれともこの場で心不全か何かで殺してーのか、どっちなんだ?」
 会場はとても賑やかで、活き活きとしている。
 人々は、何やかやといいつつ楽しげだ。
 土下寝の何たるかを、そのたくましい肉体を知的美女風の装いに包んだルイスが実践してみせると、床をこするものすごい音に、周囲からはどっと笑いが起こった。カラスは最初びっくりしたあと目に涙が滲むほどに笑い、銀二と白亜はいっそ感心し、神威と西村は拍手し、柳と香介は呆れている。
 その傍らでは、先日何かの事件で一緒になったらしいシャノンとホーディスが挨拶を交わしている。シャノンの視線の行き先とホーディスの視線の行き先がまったく別なのが涙を誘う。
 珊瑚姫はここぞとばかりに栄養補給に努めているし、源内子ちゃんになってしまった無駄に男前な彼は、それでも森の娘たちに囲まれて楽しそうだ。ドクターDと美夜子は穏やかな笑みを浮かべて会話に耳を傾けている。
 真禮が、真っ赤なトマトをふんだんに使ったサラダと、アンショワヤードと呼ばれるディップスタイルの惣菜、口をさっぱりさせる数種のマリネ、一口サイズにカットした瑞々しい果物などを運んでくる。
 サリクスが、出来上がったばかりのシャルロット・オ・ポワールを運んできた。
 寺島はせっせと汚れた皿を取り替えている。
 ふわり、と、甘い香りが漂う。
 皆の、そんな表情を撮影しつつ、足りないものを随時補う仕事に精を出していたクラスメイトPは、それぞれのお喋りに沸く美しい店内を一望できる場所で、女王レーギーナが、ひどく優しい表情を浮かべていることに気づいて思わず言葉を失った。
 反射的にシャッターを切ろうとすると、それに気づいた女王がこちらを振り向き、そして、――――切なくなるほど美しく、笑った。
「レーギーナさん……」
 本当は、お花見での女装トラウマに対してリベンジを、という無謀な野心で、女王の意外な一面、たとえば最近の、特定の人々に恐れられている面を覆すような優しい部分をもこっそりカメラに収めたいという目標があったのだが、実際、やっと平和を得、幸せそうな微笑を浮かべる彼女を目の当たりにして初めて、クラスメイトPはその無意味さ、無粋さに気づくのだ。
 彼女は幸せで、満ち足りている。
 だからこそのこの日々、この騒がしき日常なのだ。
「どうなさったの、クララさん?」
「いいえ……なんでもありません。あの、とりあえず、お皿とか片付けてきますね」
「ええ……ありがとう」
 微笑む女王に笑い返して、クラスメイトPは、積み上げられた皿を抱え上げた。森の娘たちがせっせと働く厨房まで、それらを運んでゆく。
 どうやら任務は成功のようだ。
 どこまで銀幕ジャーナルの役に立てたかは判らないが、少なくともクラスメイトPは達成感に満たされていた。
 そして、自分だけが目にしたあの優しい微笑を、もっと他の人たちも見ればいい、などと思いもする。
 ――もちろん、そんなしんみりしたことを考えつつ、皿の山を抱えたまま絨毯の隅っこにけつまづき、ものすごい轟音とともにひっくり返ったりするのがクラスメイトPクオリティなのだが。



 5.幸いなるかな、至純の日々

 結局お茶会は夕方近くまで続いた。
 話題は尽きず、ただ笑い声ばかりがこぼれ、この場に集まった人々との絆すら感じて誰もが去りがたく、夕日が西の彼方へと沈み行くころになって、人々はようやく自分が元いた場所に帰らなくてはならないことに気づくのだ。
 女王は黄金薔薇の結界を駆使して人々の美★チェンジを解除し(クララ除く)、そしてこのパーティの終わりを告げる。
 そこから先は、あっという間だ。
 見送りには、カフェ『楽園』の従業員全員が揃った。
 彼女らに見送られ、手を振られて、
「今日はありがとうございました。美味しいものたくさん食べられたし、今にして思えば女装もまぁ楽しかったし、すごいものも見られたし。本当に楽しかった」
 お土産に日持ちのする焼き菓子をたくさん包んでもらったカラスは満面の笑顔でどこか無邪気に笑い、
「今回も色々なものを試されまくったわけだが。まぁ……うん、正直、悪くなかった。いや、女装が、じゃないぞ? 何と言うか、こういう触れあいはまったくもって悪くないと思うんだよ」
 結局、カフェ『楽園』のHP作成とブログ運営に関するノウハウ教授を押し付けられた銀二が、それでも悪くないという顔で晴れやかに笑い、
「うん、そうだな、私もとても楽しかった。ああ……そうだ、和風スイーツ、楽しみにしているから。……それと、その、仕事の話は、また後日ということで……」
 結局断りきれずにアルバイトの契約をさせられてしまった白亜が、それでも楽しかったことの方が多かったと複雑な表情で笑い、
「途中意識が途切れたような気がするが……まぁ、美味いものも食えたし、酒も飲めたし、概ね問題ないか。またこんな会合があるときは是非呼んでくれ、参加させてもらうから。……もちろん、女装はなしでな」
 真禮が持ち込んだバランタインの三十年物を土産にもらってちょっと立ち直ったシャノンが言い、
「今日は珍しい体験を幾つもしましたね、貴重な一日でした。また機会があれば参加させてくださいね、そのときはもっと面白い話題を提供できるように努めますから」
 終始にこにこと笑いながら阿鼻叫喚を眺めていた神威は最後まで上機嫌でそう告げ、恭しく……丁寧に一礼し、
「もーっと色んなことしたかったけど……時間って結構あっという間に過ぎちまうのな。ホント、びっくりだぜ。うん、や、でも楽しかったわ。またやるときは、是非参加させてもらいたいなぁ。ってか、そうそう、例の衣装のグレードアップ、よろしくな?」
 相棒にお土産ー、と、持参したタッパーに残った惣菜やスイーツを詰め込んだルイスが、腹や物欲が満たされたからではない充足を感じさせる笑顔とともにウィンクしてみせ、
「えっと……一部地獄でしたけど、正直、なんか結構楽しんじゃいました。慣れって怖いですね。あの、それで、出来ればメイドカフェ、やってくださいね。僕、本気で楽しみにしてますから」
 そのネタを投下した所為で酷い目にも遭ったのに、そこだけは譲れない一点なのか、本気で楽しみにしている、の部分を恐ろしく強調しながら柳が言い、
「今日、……は、本当―、に、お世話ー、に、なり、ま……した。おま……けに、こんなー、に、お土産ま……で、いただ、いてー、しまっ、て……助か、りー……ます、どう、もー、ありが……と、うーご、ざいまー、す。皆、さん、本当、にー……お綺麗、で、今日ーは、とて……も、楽し……かっ、たー、です。また、ご縁、が……あれー、ば、是非」
 ルイスが手にしたタッパーの倍サイズの容器に、女王が手ずから『腐敗しない魔法』をかけた惣菜やスイーツを入れたものを紙袋に詰め込んで、西村は使い魔鴉とともに、生真面目に深々とお辞儀をし、
「あー、まぁ、その、なんだ。今日は世話になったな。色々すんげー目に遭っちまったけど、終わりよければすべてよしってことにしとくわ。っつか、そうそう、今度コンサートに招待すっから、皆で来てくれよな、よければ。――自分が『なくなる』ような、すげーのを聴かせてやる」
 ようやく女装から開放され、心身ともに解き放たれた感を放出しながらも、音楽という一点に対してはひどく真摯に言った香介が肩をすくめれば、それらはもう、すぐに、別れの挨拶へとつながるのだった。
 他の客たちも、三々五々、帰途へとつき始めていた。
 赤い夕日が一同をやわらかく包み込む。
「それじゃ、さよなら、レーギーナさん、皆。本当に楽しかった」
「じゃあ、またな、皆。あー、じゃあ、次の土曜日辺り、とりあえず行くから。パソコンはそっちで準備してくれよ」
「それではまた、皆。どうせすぐに、どこかで出会うのだろうが」
「じゃあな、皆。まぁ……うん、悪くない日だった、と思っておこう」
「お世話になりました、またお会いしましょう」
「そんじゃな、皆っ! まだまだ暑いけど、腹出して寝て風邪引くなよっ?」
「さようなら、皆さん。今度お会いするときは、もう少し穏便なビジュアルでお願いしたいものですね」
「そー、れ……でー、は……さよう、なら、皆さー、……ん。どうー、ぞ、お元気……で」
「ん、そんじゃまた」
 めいめいに挨拶を交わした人々が、めいめいに、様々な道へと歩いてゆくその背を見送って、レーギーナはくすくすと笑った。
 森の娘たちもまた楽しげな笑みを交し合っている。
「お疲れ様、皆。真禮も、寺島さんも、クララさん……ではなくてクラスメイトPさんも。疲れたでしょう、今度は少しだけ、わたくしたちだけでお茶をしましょうか」
「はい、お姐さま。では、残ったタルトを出してきますね」
「あの……レーギーナさん、今日はどうもありがとうございました。任務とかそんなん抜きにして、すごく楽しかったですし、何か、ためになりました。ありがとうございました」
「いいえ、気になさらないで? お役に立てたのならば幸いだわ」
 店内へと戻りながら、レーギーナはまたくすくすと笑う。
 これがこの銀幕市でだけ許された幸いであることを彼女は理解している。
 だからこそ彼女は、彼女の愛する娘たちとともにこの幸いを享受し、終わりの日まで楽しもうと思うのだ。
 そして、それを自分たちに与えてくれたこの町と、この町の人々に、心の底からの感謝を送る。
 多分に判りにくい感謝ではあるが。
「今日は本当に楽しかったですね、お姐さま。次は何をしましょうか?」
「そうね……やっぱり、あれしかないでしょう」
「ああ……やっぱり、あれですか」
「そうね、やっぱり、あれよね」
「ええ、あれが一番楽しめると思うのよ。――主に、わたくしたちが」
「そうね、楽しみだわ」
「ええ、本当に楽しみ」
「代名詞とか抽象的な言葉しか飛び交ってないのに、そう遠くない未来の阿鼻叫喚が想像出来ちゃうって、結構すごいことじゃないかなぁ……」
 ぼそりとこぼすクラスメイトPに笑ってみせながら、レーギーナは緑深き『楽園』の通路を行く。

 町は、ゆっくりと夜に覆われようとしていた。

クリエイターコメント皆さん今晩は、シナリオをお届けに上がりました。

『楽園』による銀幕市民の皆さんへの感謝のお茶会と銘打ったこのパーティ、楽しんでいただけましたでしょうか。
人数が人数で、しかも皆さん多岐に渡るネタをご投入くださったため、お話はカオスにカオスを重ねることとなりましたが、少しでも笑っていただけ、また、実はレーギーナたちが本当に幸せなのだということを知っていただければ幸いです。

なお、人数のゆえにすべてのプレイングを採用することが出来なかったことを伏してお詫びすると同時に、皆様のネタ魂に敬礼を送りたいと思います。

というかたくさんの殿方を色々な危機にさらしまして大変申し訳ありません。でもまた間違いなくやります(イイ笑顔で親指を立てる)。

次は……どうやら『アレ』の様子。
ピンとこられた方は、是非、次のシナリオにもおいでくださいませ。

それでは、また次のシナリオでお会いしましょう。
公開日時2007-08-23(木) 10:00
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