★ 【銀幕八犬伝〜智の章〜】喰らう玉を討伐せよ ★
<オープニング>

 夜である。
 生温い風の吹く、厭に闇の深い、夜であった。
「許さぬ、許さぬぞ」
 ずるずると地を這うそれは、腹が膨らんでいるのも気にせず腹這いになって闇の中を進んだ。
「許さぬ、この私に再び生き恥を晒せと抜かした者共め」
 土を掻く細い指には赤が滲み、漆黒の瞳には止め処なく涙が溢れた。髪は乱れに乱れ、頬や額に張り付いている。白い顔は泥にまみれ、しかしそれを一向に気にした様子も無く、それはすすり泣きとも呻きとも取れる声で怨嗟の言葉を吐き散らした。
 やがてよろよろと立ち上がると、女の前には死の淵が大きく口を開けていた。闇よりも深い闇が、おいでおいでと手を拱いている。
 女は膨れた腹を悍まし気に見下ろした。胸元に下がる水晶の数珠を引き千切ると、爪の剥がれた赤い細指で懐の守り刀を引き抜き、何の躊躇も無くその腹を引き裂いた。
「呪うぞ、忌々しき街よ。この伏姫が死をもって、貴様らに災厄を齎して呉れる」
 ゆっくりと、女は闇の底に沈んで行く。
 女の最後の絶叫は、恐怖の叫びだったのか、それとも高嗤いだったのか。
 知る者は、いない。

 そして、明くる日、四月十五日未明。
 星々の煌めく夜、銀幕市には流れ星が降った。
 或る者は言った。
 暗く輝くその星は、天高く登り詰め、烈火の如くに落下したのだと。
 或る者は言った。
 冷たく光るその星は、大きな一つ星として空に昇り、八方に散ったのだと。
 或る者は言った。
「またワシは間に合わなかったのか……伏姫様……」

 数日後。
 対策課は騒然としていた。その中心には、山伏の風体をした坊主の男が神妙な面で植村と向き合っている。
「では、あの跡は、『里見八犬伝』から実体化した伏姫のものだと、おっしゃるのですね? そしてその伏姫が今回の事件を起こしているのだと?」
「そうさな、死した伏姫様が蘇り、仁義八行の玉に悪事を働かせている、という方が正しかろう。いずれにしても、これは早急に事を運ばねばならぬ。既に被害が出ていると、街を見て思った」
 坊主は、ゝ大法師(ちゅだいほうし)と名乗った。伏姫と同じ、映画『里見八犬伝』より実体化したムービースターである。
「そもそもの始まりから話そう。安房国滝田城城主がまだ神余光弘公であった時だ」
 悪臣・山下定包と公の妾・玉梓と名乗る心悪しき美女とが手を組み、光弘公を陥れ、挙句光弘公は騙されてあえない最期を迎えた。そのまま定包が滝田城主を名乗り、玉梓を妻に迎え、悪事の限りを尽くした。
 その山下を討ったのが、今は滝田城主である里見治部大輔義実である。
 義実が毒婦玉梓を捕らえた時、義実はその美貌と口の巧さにほだされ、殺すも哀れ見逃すか、と言った。しかしそれを止めたのが、譜代の重臣・金鋺八郎であった。今この毒婦を許せばまた祟りを為すでありましょう、と。
「情けなや、一度は助けると言って望みを持たせておきながら、家来の言葉にたちまち心を覆す意気地なし、呪われるがいい、末代までも悪霊となって里見の家にこの玉梓が祟ってやろうぞ。……そう叫びながら、玉梓は首を落とされた」
 市役所内は、ただしんとして、ゝ大の声のみが朗々と響いていた。
 幾年月が経ったある時、隣国安西景連の領を酷い飢饉が襲った。景連は隣国のよしみ、助けてくれと義実に申し入れた。義実は快く聞き入れ、多額の援助を惜しまなかったがその翌年、皮肉にも今度は義実の領が酷い飢饉に見舞われたのだ。この前の恩義もあるのだから、助けの手を返してくれない事はあるまいと、義実は景連へ援助を乞うた。だが、景連は助けるどころか里見家が飢饉にて弱り果てているのを機と見て、大軍を仕立てて滝田城を包囲してきたのである。
 烈火の如く怒り狂った里見義実とその家臣たちは、安西の大軍を迎え撃った。しかし、元々飢饉で弱り果てている軍である、旗色はみるみる悪くなり、もうあとは落城を待つばかりとなった。
「そんな時だ。義実様が飼い犬・八房に戯れごとを申したのは」
 義実は八房に向かってこう言った。
 お前に心があるのならば、憎き安西景連ののど笛に食らい付き、その首を取ってみせぬものかな。もしもそれが叶うならば、褒美を取らせよう。魚肉をたらふく食わせてやろうか、それとも大将の座なりを与えようか……それでは不服か、八房よ。なれば、我が娘、伏姫を取らせようか。お前は伏姫の犬、姫も日頃よりお前を可愛がっている様子。お前が景連の首を取りこの窮地から我が里見家を救ってくれるのならば、お前に姫を取らせるぞよ。
「八房は見事、景連の首を取って来た。それによって、里美家を大勝利を治め、そして約束通り、姫は八房と共に何処かへと姿を消した」
 当然、義実は猛反対した。犬畜生めに大事な姫などをやるものかよ、と。
 しかし、伏姫は言った。
 これも運命なのでありましょう、と。伏姫とは、人にして犬に従うと書きまする、この八房と行くのが、私の定めなのでありましょう、と。
 そして、八房に言い聞かせた。
 畜生とはいえ約束は約束、私はお前と共に参ろう。だが、犬と人とが交わるは人の道に背く事。私は人の道に背きたくはない。もしお前が私の傍らにあっても心清らかに私を守り忠実に控えているというのならば、黙ってお前の行く所へ参りましょう。されど、もし約束を違えて淫らな事をしようとするなら、私はお前を殺して私も死ぬ。守れますか。
 八房は、誓うと言うように、一つ吠えた。
 そうして、八房と姫は姿を消したのだ。
「それから半年ほど過ぎた頃であろうか。私は富山の山中で、八房と伏姫とを見つけた」
 今まさに入水せんとしようとしていた伏姫の傍らに犬がいて、思わず銃の引き金を引いた。それは八房を貫くと共に、伏姫の胸をも貫いたのだが、伏姫の傷は運良く急所を外れており、一命を取り留めていた。
 だが、伏姫は泣いた。なぜ、生きているのかと。
 伏姫が言うには、春頃から腹が妙に膨れ、気分が悪くなっており、これは何かの病を得たに違いない、なんとはかない一生だろうと涙に濡れていたのだと言う。そしてある日、水を汲みに川面をのぞき込むと、なんとそこには犬の頭の姿の自分が映っていた。驚いてもう一度見直すと、人の顔になっていたが、これはどうした事かと戸惑っていると、そこに一人の童が現れた。その童は神の使いであったのだろう、それが言うには、伏姫は病ではなく、八房の子を孕んだのだと。
 伏姫は驚いた。天地神明に誓って八房と夫婦の契りなど結んではおらぬ、この身は潔白である、と言うと、
「人は交わらずともただ<気>に感じて孕むこともあり、八房と暮らすうち、八房の強い<気>と、父が伏姫を八房の妻にと決めたからには、八房を夫と思う<気>が感じ合って胎内に八つの子を生したのだ」
 伏姫はこれを恥じて入水しようと決意したのだった。
「では、その時の状態で実体化を……?」
 植村が言うと、ゝ大法師は一つ首を振った。
「伏姫様は、確かに一命を取り留められた。だが……その後、自らの守り刀で腹を割いて亡くなられた。もはや、生きてはいられぬこの身の上、とおっしゃられて」
 ゝ大は目を伏せる。
 そして植村の目を真直ぐに見た。
「映画では、確かに伏姫様は亡くなられたのだ。八房の<氣>を受けての懐妊とは言え、人の道に背いた懐妊なのだ、と恥じたからだ。自らの腹を裂いてまで、伏姫様は胎内に子がない事を、証明なさった。伏姫様は、笑っておられた。その、最期に。だのに」
 伏姫は、実体化した。
 懐妊した状態で。
「しかし……しかし、それは無理です。監視所には常に人がいるんです」
「居らなんだ日もあったろうよ。聞けば、伏姫様が此処へ参られたのは、四月十四日だそうではないか」
 ゝ大が言うと、植村は思い出すようにこめかみに手をやった。
「ええ、……ええ、確かに十四日にいらっしゃいました。その時は酷く驚いた様子でしたが、実体化したムービースターはほとんど皆さんそんな状態で」
「その時、姫様は懐妊しておられたのだ」
「ですが……「穴」に身投げをする隙なんて」
 そこまで言って、植村ははっとした。
 ……あった。
 あったのだ。
 珍しく長く、誰も訪れなかった日が。
「そんな……では、あの時……?」
 植村は愕然とした様子でゝ大を見上げた。ゝ大は瞑目した。
 「穴」の今後の方針として、会議が始まったのは四月十三日。
 『里見八犬伝』から伏姫が実体化し、市役所にやって来たのは四月十四日。
 酷く狼狽した様子で、市役所を去ったのも四月十四日。
 会議が終了したのは、四月二十四日。
 会議の結果、「穴」調査隊が再編され、準備に入った。
 十七日以降になってから発見された、何者かが侵入した形跡。
 銀幕市に飛び散った、八つの光。
 そして、四月十四日から十六日の間、監視所には人が居なかった。
「そんな……そんな、だったら、伏姫は? 彼女は今、どこに?」
「街には居らぬ。どこか別の場所で、氣を蓄えておられる。だから先に、玉が街に散らばり、伏姫様に氣を与えんとしておるのだ」
 植村は青褪めた顔で腰を落とす。ゝ大はやはり神妙な顔で、言葉を続けた。
「……先にも言うた通り、今街で悪行を成すは仁義八行の玉と呼ばれる八つの玉。本来は八犬士が持ちその力を制御するのだが、その犬士は此処に居らぬ。元々、あの玉は伏姫様が御自害なされた際に姫様の腹から八方に散ったもの、姫様の意に沿うても不思議は無い」
 そこまで言うと、ゝ大法師は深々と頭を下げた。
「どうか、伏姫様のお怒りを鎮めて欲しい。あまりに変わり果てた姿を、ワシはもう見ておられぬ……恐らく、玉を壊せば姫様へ流れる力は止まり、姫様自身の力も弱まろう。どうか、玉を破壊してくれ」

★★★

 智の玉は市中を漂い、時期を待っていた。
 喰らう。
 その本能が玉の全体を支配していた。
 喰らう。
 その意味を玉は正確に理解していた。
 喰らうとは、口付け、舐め、味わい、含み、噛み砕き、咀嚼し、混ぜ、溶かし、飲み込むことを言う。
 さらにそれは、内部で消化され、彼のものとなるのだ。
 玉は、取り込みたがっていた。
 自らを増殖し、増大し、永遠に喰らうことを続けるために……。
 全ての魔法が消えてしまうまで、彼は取り込むだろう。
 全てのヒトが消えてしまうまで、彼は喰らうのだろう。
 やがて夜は明ける。
 街には人が溢れ出す。
「今日はどこに行こう」
「カフェスキャンダルへ」
「昨日発売のCDが……」
「だからあの小説はラストが良いんだって」
「学校終わってから噴水前に集合ね」
「どこかに事件はないかなぁ」
 エキストラ、ムービーファン、そしてムービースターと様々な人種が入り乱れ、活況を呈している。
 その中央に玉は降りた。
 最初に気付いたのは、一人の青年だった。
「お、何かみっけ……なんだ、ガラス玉か」
 足下に小さな黒い玉が転がっている。それは真円を描き黒光りに陽光を反射している。
「へんなの、字が書いてある」
 そこには「智」と刻まれていた。
 青年はそれを手に取ろうと体を屈めた。
「おわっ」
 すると、手が玉に触れたとたん、青年の体が玉に吸い込まれる。
 ドクン。
 玉が一回り大きくなる。
 ドクン。
 玉がまた黒く光る。
 ドクン。
 玉がまた転がっていった。
 その先々で、玉はヒトを吸い込んでいく。誰もそれに気付くことはない。
 だが、そのままではないのだ。
 玉は大きくなっていく。
 肥大し、味をしめた玉は、より美味なヒトを求める。
 魅力的で、非凡な能力を持ったヒト。
 玉の狙いは、次第にムービースターに絞られていった。
 人々が気付いた頃には、玉は一抱えもある大きさになっていた。
 中では、飲み込まれた人々が息づいている。そして、そこがどこであるかを把握し、脱出を試みようとするのだ。
 しかしそれはまた別の話。
 ここにはまた別の災厄が生まれようとしていた。
「ここが、銀幕市か……」
 玉の中から顔だけが出てきた。うつろな表情をしたその男は、辺りを確認すると体を出し、手を足を出していった。
「なかなか居心地の良い街だ」
 彼の名はハイド、しかし玉の中ではジキルと名乗っていた。
 玉の中では縦横無尽に飛び回る彼も、玉の外に出れば慎重冷静な沈思黙考の男となる。
 そう、彼は二つの人格を持った男だった。
「さあ、他の者も出してあげるかな」
 ハイドは玉の中に手を入れ、何かを引きずり出す。
 それは一人の人間だった。
 ただし、一人のムービースターだ。
 黒い瞳は、目玉全体を覆うように見える。中央の白い輝きが、異様に思える。
 また一人、また一人とムービースターは生まれてくる。いや、それは生まれてくるのではなく、飲み込まれた者が出てきていたのだった。
「さて、いずれここに集うだろう邪魔者を、せいぜい頼むぞ」
 さほど期待していない様子で、一人の肩を叩く。
 表情のない顔で、彼は頷いた。

種別名シナリオ 管理番号562
クリエイター村上 悟(wcmt1544)
クリエイターコメント 村上悟です。
 五本目のシナリオは、コラボとなりました。

 まずは共通の注意点です。
 今回のコラボレーションシナリオ【銀幕八犬伝】における個々のシナリオの最終目的は負の力に汚染された仁義八行の玉の破壊になります。ただし、参加されたPC様のプレイングの内容によっては、玉が破壊されない可能性もあります。
 よって、今回、公正を期すためキャラクターのクリエイターコメント欄による補足は考慮いたしません。ただし、PC間の交流状況など、直接シナリオの内容と関係しない部分は参照します。

【銀幕八犬伝】に関するシナリオは、第二次『穴』調査隊が派遣される前に起こった事件になります。
また、同日同時間に起こった事件ですので、同一PC様による複数シナリオへの参加はご遠慮ください。

 次にこのシナリオでの注意点です。

 伏姫によって生み出された黒い玉は、街の人たちとムービースターを飲み込んでいきます。このままでは、街から人がいなくなってしまいかねません。
 そこで皆さんには玉の破壊をお願いします。
 ただし、玉もただでは破壊されてくれません。
 玉の能力は飲み込むことと吐き出すことです。

1.玉には触れてはいけません。
 触れれば飲み込まれてしまいます。触れずに破壊してください。

2.玉はムービースターを下僕として使います。
 数人のムービースターが吐き出され、玉の下僕として対決することになります。
 今回対峙するのは、以下のような能力を持つ者の中から出てきます。

・かまいたちを使う
・描いた物が実体化する
・紙を武器として使う
・火を操る
・剣や手裏剣を使う
・絶大な筋肉を誇る
・超スピード
・動物を従える

 一つ一つに対応する必要はありません。
 全部が出てくるとは限りません。
 その他の能力者を作り出してもらっても構いません。

※ちなみに、能力者はやられてもフィルムにならないで正気付きますので安心して大暴れしてください。

○どんな能力者にどんな対応をするか(単一or複数)
○玉をどのようにして壊すか

 以上二点について書いてください。

 なお、本シナリオは西向く侍WR、霜月WR運営のシナリオと密接にリンクしています。
 特に西向く侍WRのシナリオは、智の玉の中での出来事ですから、外でのプレイングが影響を与えるかもしれません。
 そちらもご参照なさるとより物語の世界観が広がると思います。

参加者
神撫手 早雪(crcd9021) ムービースター 男 18歳 魂を喰らうもの
ジャンク・リロッド(cyyu2244) ムービースター 男 37歳 殺し屋
風轟(cwbm4459) ムービースター 男 67歳 大天狗
信崎 誓(cfcr2568) ムービースター 男 26歳 <天使>
<ノベル>

 早雪は突然立ち止まった。
 雑踏の中、気になるものが目に入ってしまったのだ。
 それはちょっとしたことだった。周囲の人間が少なくなっているような気がしたのだ。
 だがやがて目撃してしまう。
 一抱えもあるような黒い玉が、人を飲み込んでいく場面を。
 気付かないのか興味がないのか、誰もそのことを驚こうともしない。
 ただ、玉は人を飲み込んでいく。
 その言葉がピタリと当てはまるくらい、それは気持ちよく食事を楽しんでいた。
 玉が転がる。人に触れる。するとそれは黒光りする自身をより艶やかにしてツルン、と人を覆っていくのだ。その間、一秒もない。
 注意していなければ、そこに人がいたのだということにすら気付かないくらいだった。
 だが、それに早雪は気付いた。
 ゆっくりと、玉がそうするように見えた。
 背筋が震えた。
『あれは危険だ』
 自分の内から、何者かが警告する。
『あれは止まらない』
 深く低い声音だった。
『あれを破壊せよ』
 それが内なる死神の声だと気付くのに、さらに数秒かかった。
 もう一度、背筋が震える。
 封印されているはずの死神が、警告?
 それは普段なら絶対にあり得ないことだった。それが成ったという事実に早雪は恐れを感じた。
「破壊しないと」
 唸るように呟いて、早雪は歩みを進めた。
 その一方で、風轟はただならぬ妖気を感じていた。天狗という妖の一種である彼は、妖気の流れを見極めることができる。
 その流れをたどると、一つの玉にたどり着いた。
「ふむ、何やら怪しげな妖気に捕らわれておるな」
 彼が指したのは玉そのものでもあり、その周囲とも言えた。妖気は拡散し、玉の周りに飛び散っていた。
 その妖気の欠片は、数人の人物に取り憑いている。
 その、誰もが同じ髪型をしていた。
 アフロヘアー。
 それらが妨害する者であることを、風轟は読んでいた。そして、そちらに向かう影があることも。
「一人ではちときついかの。よしよし、ワシも一緒にお相手しよう」
 そして、その異変に誓が気付いた。一つの巨大な玉……もうそれは人と同じほどの大きさに育っていた……とアフロヘアーの異様な人々。そしてそちらに向かう二つの人影。偶然その場に居合わせただけの誓だが、その事態が尋常でないことは見抜くことができた。
 彼もその場へ向かおうとしたその時だった。
「なんだ?」
 空が凍り付いた。
 見回すと視界が赤く染まっていた。
「覆われている?」
 誓はまた独白した。上空が全て赤いテントのようなもので覆われていたのだ。
「これもあの玉の仕業かな」
 そう判断したのは、先程までよりも玉の輝きが黒く増したような気がしたからだった。
「どちらにしろ、ハザードであることには変わり無いね。急がないと」
 早雪と風轟はお互いに目で合図をしていた。玉が危険であること、破壊しなければならないこと。
 そこに誓が加わる。早雪が大鎌を取り出し、風轟が天狗姿に変化する。誓は跳躍力を活かし大上段から蹴り技を繰り出そうとした。
「触っちゃ駄目だよ」
 早雪から注意が飛ぶ。多くを語ることはできなかった。人が呑み込まれて行くところを見た早雪だけが、その危険性を理解できていた。だが、それだけで良かったのだ。誓は天性の勘で早雪の忠告を理解した。蹴りを諦め、デリンジャーを取り出す。
 そこに、現れた姿があった。
「困るね、勝手をされちゃ」
 暗い影を持った男だった。
 玉の周囲にいた人々と同じ、アフロヘアーをしている。その姿だけを見れば苦笑が起こるが、凄まじい殺気がそれを留めさせた。
「智の玉は喰らう。永遠にどこまでも果てしなくいつまでも止まることなく最後まで」
 にやぁ、と笑う。その笑みはまるでピエロのようだったが、それが不気味さを助長させていた。
「坊主は誰じゃ?」
 風轟は聞いた。
「ハイド」
 そう名乗った男が笑みを消す。
「その玉は何だい?」
 早雪が穏やかに問う。
「喰らう玉。喰らい、そして力を溜めるのさ。この銀幕市への復讐のためにね」
 寒気が走る。心臓が高鳴った。封印された死神が再び警鐘を鳴らしているような気がする。
「大人しくしていてもらえないかい?」
 誓がデリンジャーを構えたままで警告する。
 ハイドが答える。
「断る」
 それと同時に玉の周囲にいた数人が向かってきた。反対に、ハイドは智の玉の中に消えていく。
「待て!」
 誓がデリンジャーを撃つが、一瞬早くハイドが身を隠してしまった。
 誓はすぐに頭を切り換える。彼に向かってきた男は、絵筆を手にしていた。
「まさか」
 誓は一人の男を思い浮かべていた。
 絵筆の男は、空中に絵の具を散らしたかと思うとその場に槍を作り出した。
「所長と同じだね」
 呟くと、距離を取る。それを見て絵筆の男は槍を投げた。
 誓はその高い跳躍力を活かして槍をかわす。
 すかさず絵筆が銃身を描いた。飛び出てきたライフルで誓を狙った。それよりも速く、誓が住居の壁を蹴って進行方向を変える。ライフルの弾は彼の頭のすぐ上を通っていった。
 デリンジャーで絵筆の男を撃ち返す。それを察知した男は前面に盾のような防護壁を一瞬で描き、弾を逸らしてしまった。
 逸らされた弾は上空へ飛び去り、この地域を覆っている赤いテントに当たってしまう。その時、テントが振動した。
 戦い続ける二人の横を、一人の男が通り抜ける。彼は起きている状況など興味がないかのように歩いている。
 その内、アフロの一人に目を付けると、どこから取り出したのか銃を手にして撃った。弾はアフロをかすめて壁にめり込んだ。
「な〜んか面白そうなことやってるねぇ。おじさんも混ぜてくんない?」
 ジャンク・リロッド……ジャンだった。
 アフロは背負った剣を構え、また片方の手で手裏剣を取りだした。ジャンを敵と判断したのだ。
 手裏剣が飛ぶ。それをジャンは弾丸で撃ち落とした。その行為に驚きもせず、アフロは続けて手裏剣を投げていった。二度、三度と続ける内に、弾丸が尽きるのを待っているのだ。
 しかし、ジャンの銃は特製だった。彼の身にまとわれている空間「Z」によるものだ。空間「Z」はあらゆる物質を分解、生成する。普段は微粒子に分解したまま収納している銃や弾丸は、彼の意志により次々とその手に現れてくる。
 尽きることのない銃撃に痺れを切らしたのか、アフロは跳ぶ。大上段から刀で斬りつけてきたのだ。手裏剣の連打には間合いを詰める意味合いもあったのだった。
 刀の一撃を、ジャンは銃身で受け止めた。
 それを見て風轟が声をかける。
「手伝ってやろうかの?」
 彼もまた僧侶のアフロと戦っているというのにだ。
「余計なお世話だよ。こっちは楽しんでるんだからねぇ」
「そうかい、邪魔したの」
 彼はすぐに戦いに集中した。
 風轟の前に立つ男は、数珠を手にし、九字護身法を唱えている。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
 印を組むと「妖魔退散」と声を発した。
 途端に目に見えない圧力が風轟を襲う。
「ぬ、密教じゃの……ワシと根比べをしようというのかい。わーっはっは、年期の違いを見せてやろうかの」
 そう言うと羽団扇をかざし、念を込める。
 重圧に重圧をかけ返し、足下をしっかりと踏ん張る。
「うぬ、妖魔め、こしゃくな」
 アフロの僧侶は、虚ろな目をしたまま気合いを込め直す。
 さらなる重圧が風轟を襲った。それはまるで暴風のようで、彼の装束をはためかせる。
「はっはっは、まだまだ青いのお。肩に力が入っておるわい」
 風轟の目に気合いが籠もる。
「ふんっ」
 暴風が破裂する。パンッ、と乾いた音が辺りに響いた。
 それと同時に僧侶が走った。金棒を仕込んだ杖で打ち込もうとする。風轟はそれを錫杖で受け止める。風轟は防戦一方だが、表情には余裕が見られる。
「ワシは杵間山の風轟、さあ、かかってこい」
 徐々に風轟の打ち手が増える。僧侶の防御が増え、額に汗が光る。
 その隙を風轟が突いた。足払いを仕掛け、転ばせる。
「しまった」
 僧侶が叫んだその脇に、風轟の錫杖が刺さった。
「修行が足らんぞ! わっはっはっは!」
 アフロがぽろりと落ちる。
 その光景を、早雪はホッとした心地で眺めていた。脇見をしていても、大鎌は敵の攻撃を受け止めている。彼は一人で三人を相手していた。
 一人が火を口から噴き出してきた。その炎は早雪を取り巻く。熱と風圧により、早雪の呼吸がままならない。だが、彼はそれを大鎌の一振りで振り払ってしまう。
「駄目だよ、こんな攻撃じゃ」
 早雪がすうっと動く。彼の足下は常に地面から浮いていた。
「ひっ」
 炎の使い手がその姿を恐ろしげに見ていた。早雪は鎌を肩にかけたまま、彼に手を伸ばす。その手が喉元に触れると、今度は口が近付く。そこには鋭利な八重歯が。
 齧りつく。
「うわぁ」
 その叫びを最後に、彼のアフロが落ちた。
 早雪の動きは止まらない。後ろから虎が襲いかかってきたのだ。二匹の虎は左右から油断無く牙を剥く。しかし、早雪は落ち着き払ってそれを見つめる。虎の攻撃を鎌の上端下端で受け止め、大きく振るう。それが虎二匹を一度に振り払った。
 その向こう側で、猛獣使いがさらに数匹の獣を従えて見ている。
「行けっ」
 今度は猿が飛び回りながら早雪に近付く。鋭い爪が早雪を狙っている。虎も振り返り早雪に襲いかかる。
「騒がしいね」
 ぽつりと呟いた早雪から、黒い影が伸びる。
「食べちゃうよ」
 普段から笑顔の彼から、ものすごいプレッシャーが飛び出してくる。
「どうした、行けっ」
 猛獣使いの声も聞こえない。虎も猿も、固められたようにその場で凍り付いている。
「どうした……?」
 猛獣使いが異変を感じた時、早雪が走った。
 鎌が振りかぶられる。
「もう終わりにしよう」
 獣に守られていない彼に、何も出来るはずがなかった。ただ彼は、終わりが来るのを待つだけだった。
 大鎌の一撃。
 猛獣使いのアフロが落ちる。

 誓の体は動き続けていた。
 相手の絵筆は常に武器や災害を描き続けている。
 誓は感じていた。彼の所長と目の前の相手との違いを。そこには戦略性が感じられなかった。ただめくら滅法に思いつくものを描くだけだ。
 コラボもなければ、連続性もない。誓はただ目の前に描かれたものを捌いていくだけでよかったのだ。
「残念だけどうちの所長の方が上手いね」
 ちょうど敵は銃を描いていた。今度はマシンガンだ。
「ワンパターンだね。数撃てば当たると思ってる?」
 次々と飛んでくる弾丸を軽々とかわしていく。絵筆の男はただ撃ちまくるだけだ。誓の後を追いながら撃っていくが、彼の軽やかさには届かない。
 絵筆の男はマシンガンを捨て、ロケット砲を描く。
「今度は大きさで勝負? 無駄だね」
 弾は白煙を残しながら誓に向かって飛んでくる。それを彼は逃げずに向かうことで避けた。
「馬鹿な」
 絵筆の男が叫ぶ。が、次の瞬間にはもう撃たれていた。デリンジャーの一発。それが彼を打ち抜いている。
「やるねぇ」
 ジャンがその姿を見て口笛を吹く。
 彼は刀と手裏剣の男を倒し、スピードを誇る男と戦っていた。
 もの凄い速度でジャンを翻弄する。左右に、または跳躍し、フェイントを繰り返す。
「面白いねぇ、お前さん、疲れないかい?」
 ジャンは面白がってそれを眺めている。
 試しに狙いをつけて撃ってみるが、スピードが速くて当たらない。
「おやおや、困ったなぁ」
 ちっとも困っている風ではない。彼は分かっているのだ。相手が決定的な攻撃力を持っていないことを。そして、動きにパターンがあることを。
 ジャンが動いた。
 得意の瞬発力を活かし、男の後をついて行こうとする。
「遅い遅い」
 男が笑った。だが、ジャンも笑っていた。
 ジャンの足が、方向転換する。男とは全くの反対方向だ。
 だが、そこに男が現れる。
「速いねぇ」
 ジャンが笑いながらシミターを取り出す。
「なにっ」
 男は咄嗟に飛び上がり、シミターをよけた。ジャンはそれを追ってジャンプする。
「どうしたどうした?」
 追い詰めるジャン、それを男は汗をかきながら避けていく。
 そして、その瞬間は訪れる。
 男が足を滑らせた。焦りから着地点を見誤ったのだ。
「もうお終い?」
 ジャンは残念そうにシミターを振るう。
 男のアフロが落ちた。
「さて、次は……」
 ジャンは次の獲物を探していた。

 風轟の元に、早雪と誓が集まっていた。ジャンは残ったアフロの戦士達を引き受けている。
「あやつに任せて良いのかの」
「良いんじゃないかな。楽しそうだし」
 早雪が笑っている。
「あれが本当の戦闘狂っていうんだろうね」
 誓は興味なさそうにジャンを眺めていた。
「後はあの玉じゃな」
 風轟が見つめる。神通力でその辺りの標識を折り、先を尖らせる。
「これが効くかは分からんが」
 そう言って思い切り玉に向かって投げつけた。誰も邪魔する者のない中、棒はまっすぐに玉に当たる。
 そして、跳ね返った。
「駄目じゃったな」
 舌打ちすると、玉が震え、中から何かが飛び出して来た。
「なんだ?」
 それは作り物のウサギの頭だった。
「なんだろうね、あれは」
 ウサギの作り物はそのまま遠くへ飛んでいく。
 三人がそれを見送っていると、玉から顔が現れた。
「おやおや、きれいになったね」
 ハイドだった。
「君たちの相手はこいつらに任せよう」
 頭を出し、腕を出した時、一緒に何か出てくる。
「どう思う?」
 それを見ながら、誓が言った。
「あの玉を破壊するには、まずあいつを倒す必要があるとは思わないかい?」
 それに対して風轟が答えた。
「それもそうかもしれんの。ただ気になるんじゃが、妖気が一つじゃないんじゃ」
「それはどういうことです?」
 早雪の問いかけに、腕を組みながら彼は言う。
「空を覆っとる赤いテント、これからも妖気が出とるし、あやつの首にかけてある玉からも強い妖気を感じるんじゃ」
 見ればハイドの首からこぶし大の玉が下がっていた。それは彼が出てきた智の玉と同種のもののようだった。
「複数の玉が関係してるって事か」
 誓が一人頷く。さらに風轟は言った。
「どうやらそれぞれがそれぞれの力を増幅しとるようじゃの。さっき壊せんかったのはそのせいじゃろ」
「ここはこの人数で手一杯だからね。誰かが他を壊してくれるのを待つしかないって事か」
 早雪の言葉に誓が付け加える。
「ついでに言うなら、中に閉じこめられている人達が玉を壊すことで無事に出てくるとは限らない。中からの脱出も待たないと駄目だろうな」
 防戦、その言葉が三人の頭を駆けめぐる。喜んでいるのは一人だけだった。
「君たち〜、お喋りしてる暇はないんじゃない? 楽しいことになってるよぉ」
 気が付けばハイドが引きずり出してくるアフロの戦士は数十人に及んだ。
 無数のアフロが早雪たちに向けて敵意をむき出しにしている。もう彼らにも分かっていた。
「アフロを狙うんだ。あれが洗脳装置になっている」
 誓の言葉に皆が頷く。ジャンはいち早く駆けだしていた。シミターを両手に持つと跳躍ついでに数人のアフロを切り落とす。宙返りして着地してまた二人のアフロを狙った。
「さあどんどんやろうよ。俺が満足するまでさ」
 一方でハイドはアフロの群れに紛れてどこかに消えてしまっていた。
「どこに行ったんじゃろう」
 だが心配している暇はなかった。次から次にアフロの戦士達は押し寄せてくる。
 誓は早雪と背中合わせになった。輪になって取り囲んでくるアフロ達に死角を見せないためだ。
「やれるかい?」
「君こそ」
 早雪も誓も微笑んでいる。
 数人のアフロが飛びかかってきた。二人は円を描くように移動しながら自分の背中をお互いに預ける。
 アフロの一人が刃のように鋭利な紙片を取り出した。それを誓に向かって振りかざす。すかさず彼らは位置を入れ替え、早雪が鎌でそれを受ける。その後ろには強靱な筋肉を膨張させた男が拳を振り上げていた。誓の足がそれを蹴り上げ、体勢を崩す。
 そのまま一度足を地面につけ、再び蹴り上げる。一度、二度、三度……数え切れないくらいの蹴りが男の体にヒットする。大柄な男はそれを必死にガードしているが、徐々に押されていった。
 その振動を背中に感じながら早雪は大鎌で紙片を捌く。無数の紙吹雪が早雪に降りかかってくる。それを彼は大鎌の一降りで風を起こし、飛ばしてしまう。変幻自在の紙は、鎌の間を縫って早雪に迫る。その度に彼は鎌を細やかに操って遮る。
「おい」
「分かった」
 その合図だけで二人は動いた。
 誓が蹴りを止め、早雪が鎌を下げる。
 その隙を突いて攻撃をしてきた二人を、誓は跳び、早雪は体を屈めて避けた。
「ぐっ」
「くあっ」
 筋肉男の拳が飛び、紙片が真っ直ぐに伸ばされる。
 お互いの武器がお互いに突き刺さる。
 ジャンは飛び回っていた。シミターは自在に動き、今も片方で前の剣を受け止め、もう片方で後ろの男を斬っていた。円形に囲まれても凄まじい勢いで回転することでそれを退ける。
「いやぁ、骨のない奴も多いね」
 段々と戦うことに飽きてきている。そんな彼の目の前に、同じシミター使いが現れた。
「ふふん、やるかい?」
 アフロ達が周囲を空ける。二人の戦いが熾烈なものになると予感してだ。
 シミターは長さ一メートル程度の、刃の部分が大きく湾曲した刀だ。変幻自在な戦い方が出来ることで知られ、切ることが目的となっている。
 二人は間合いを保ったまま、左右に動いた。隙を窺っているのだ。ジャンは余裕を見せているのか、シミターをクルクルと回している。相手のアフロはそれを見て表情を強ばらせた。
「どうしたい? 楽しもうよぉ」
 ジャンは心から楽しんでいる。ぴくり、相手のシミターが動いた。それを契機にジャンが走った。
「行くよぉ」
 ジャンが打ち込む。二刀流のシミターは息をつく間も無いほど打ち込まれる。
「うぐっ」
 溜まらず逃げる。それをジャンは追いかける。期せずして追いかけっこになりつつあるそれを、ジャンは許せなかった。
「なんだ、お前さんも臆病な人間だね」
 トン、と跳躍すると男の目の前に躍り出る。
「さよなら」
 シミターが横薙ぎに振り払われる。
 ジャンの興味は次に移った。また一人、また一人とジャンの餌食になっていく。
「あやつも、恐ろしい男じゃな」
 風轟が呟く。
 そこにハイドが戻ってきた。なぜがアフロが無くなっている。
「いやあ、参った参った」
 相変わらずつかめない男だ。風轟は再び神通力を用いて標識を折ろうとして、止まった。
 女を連れていたからだ。
 その女は弓矢を持っていたが、ずいぶんと傷を受けていた。
「すまないけど、今は相手している時じゃないんでね」
 そう言って女と一緒に玉の中に消えていく。
「あの嬢ちゃんも、操られた一人か……」
 そう思うとやるせない気がした。この中の誰一人として、悪意を心から持った人間などいないのだ。
 事実、アフロを落とされ、正気付いた者の中には戦いに身を投じる者もいた。
 さきほど風轟が戦った僧侶も、全力を尽くしてアフロという妖を堕としている。
「ワシもやるかの」
 羽団扇を取り出して構える。
 風轟は錫杖をシャン、と鳴らすと羽団扇を思い切り振った。
 見る間に風が起こり、渦を巻いてアフロに襲いかかる。
 何十ものアフロが一遍に飛んでいく。
 それはまるでタンポポの綿毛のように、ふわふわと宙を舞った。
 風轟の起こした風はただの風ではなかった。退魔の気を含んだ、特殊なものだったのだ。
 ゆったりと風に乗るアフロの一群。それを四人は眺めていた。これで終わるのだと、そう思っていた。
「さあ、玉を壊そう」
 今度は早雪が鎌を構え、玉に向かう。次々にムービースターを吐き出していたせいで、玉の大きさは一回り小さくなっている。
 ガキッ、鎌が玉に当たる。食い込みそうに弾力を感じるが、ひび割れる様子もない。それどころか食い込んだ鎌が取り込まれそうになるのだ。
「ひ、引っ張ってくれないか」
 溜まらず早雪が叫ぶ。その腰を誓がつかんで引っ張り、ようやく鎌が外れた。
 尻餅をつく早雪と誓、それをあざ笑うかのようにハイドが顔を出した。
「困るんだよね、せっかく取り込んだ人間を正気付かせてもらったら」
 相変わらずゆったりと手を出し足を出す。出てきた彼は新しいアフロをつけていた。
「こちらも奥の手を使わせてもらうよ」
 玉に手をかける。するとそこに一つの大きな目玉が生まれる。
 ギョロリ。
 目玉は四人を睥睨し、怒気を顕わにする。
「智の玉よ、喰らいなさい」
 ハイドがそう言うと、今度は玉の下部が割れ、そこから巨大な舌がベロリと出される。大きく開けた口には牙がずらりと並んでいる。
「うわっ」
「怖っ」
「妖怪変化じゃの」
「ふふ〜ん、面白そうじゃない」
 それぞれの反応をよそに、玉が弾んだ。
 大口を開けて四人に向かってくる。
 風轟が風を起こした。しかし効かない。早雪は先程切り結んで痛い目にあったため、及び腰だ。誓はデリンジャーを連発するが、それは全て吸収されていく。ジャンの銃も同様だった。
「逃げろ」
 誓の合図で早雪と風轟が駆け出す。しかし、ジャンだけは違った。果敢にもシミターを取り出して向かっていく。
 跳躍し、玉を飛び越す。後ろから振り向きざまにシミターを二連発。しかし、弾力のあるそれはシミターを吸収しようとする。
 咄嗟にジャンはシミターを捨てた。それは見る間に玉の中に吸い込まれていく。
「お気に入りだったんだけどなぁ」
 だがジャンは涼しい顔だ。空間「Z」から銃を取り出し、今度は正面に回って目を撃つ。
「無駄無駄無駄無駄。智の玉はあらゆるものを喰らう。そんなものは効かないよ」
 ハイドが玉の上で嘲った。
「このこのこのこの」
 ジャンはその声が聞こえないのか銃を連打する。いつの間にか銃は二つに増え、あらゆる場所を撃ち続けた。
 しかし、ハイドの言う通り、どこにも弱点はないようだ。
「こりゃ敵わないね」
 ついにジャンも諦め、背中を向ける。風轟たち三人に追いついて、一緒に逃げていった。
「どうすれば良いんじゃ」
「誰か思いつかないかい?」
「駄目だ、後は中から破壊するしか……でも駄目だったらお終いだ」
 それきり三人は押し黙ってしまった。しかし足は動き続けている。
 その時だった。
 上空に展開している赤いテントが消えた。
 突然の出来事だったので、始めは誰もそれに気が付かなかった。
 最初に声を上げたのは意外にもハイドだった。
「ちくしょう! 失敗したか」
 そう言うなり、智の玉の中に入り込んでしまった。
 それきり、玉は沈黙した。
 目も口も無くなってしまい、ただの玉としてそこに存在している。
 それでも誰も手を出せなかった。触れれば食われる。その意識があったからだ。
 時間だけが流れる。
 どれだけが経っただろう。
 ポンと音がした。
「なんだ」
 誓が警戒し、デリンジャーを構える。それを風轟が遮った。
「待つんじゃ」
 出てきたのは若い男。しかしただのアフロではなかった。
 シャンプーハットをかぶったように、頭の周囲のみがアフロになっている。頭頂部は普通のさらさらヘアーだ。
「おい、君」
 誓が問いかけるも、男は慌てたように去っていった。
 それを追うようにして、玉から人が出てくる。どんどんどんどん。玉に取り込まれた人々が次々に飛び出してきたのだ。
「どうなってるんだい?」
 早雪が一人を捕まえて聞くと、考の玉が破壊されたのだと言う。
「なるほど、じゃからさっきから妖気が減ってるんじゃな」
 智の玉は見る間に小さくなっていった。掌の大きさにまで。
「ということは、もうこの玉も力を無くしている……?」
 誓が試しに玉を撃つ。パン、と端が欠けてしまう。
「始末しようね」
 早雪が鎌を振り上げた。
 玉は、あっけないくらい簡単に、半分に割れてしまった。
「結局、なんだったんだろうな、この玉」
 謎は残ったままだった。ハイドとは何者だったのか。智の玉の目的は? そして赤いテントは誰が作ったのか。そして誰が破ったのか。
 だが、風轟の「もう妖気は感じぬぞ。安心せい」という一言で、四人は解散を決めた。ジャンはまだ物足りない風だったが、気が付けばいつの間にかいなくなっていた。
 そこら中に、人が溢れていた。
 玉から出てきた人数は総勢百人を超えていた。
 もう、喰らう玉はいない。しかし、漠然とした不安は残ったままだった。

 ★ ★ ★

 ゆるゆると陽が沈んで行く。
 生温い風が臭気を運んで行く。
 まるでそこにあるすべてのものが、それの場所を知らせるかのように。
 ゝ大法師は山を歩いていた。
 昔と、同じように。
 あの時も、彼女を捜して、こうして山の中を歩いた。
「──伏姫様」
 そして、見つけた。
 川が流れている。
 川。
 そう、川の向こう側……。
 そこに、姫がいる。
 そして傍らには、ボロボロにひび割れた『義』と書かれた玉。
「金鋺大輔殿か……また来たのかえ」
 美しく豊かであった黒髪は、今は白く振り乱されている。
 ふっくらとした可愛らしい唇は、乾涸びて割れている。
「殺しに来たのかえ、金鋺大輔。それとも、また外してくれるのかえ?」
 にぃ、とわらうと唇は引き攣れ、ぷつりと切れて血が滲んだ。
 ゝ大は俯いた。
「その名はあの時、捨て申した。……姫様を殺してしまった、あの日に」
 言うと、女は笑った。
 森が不気味にざわめき、その声を掻き消して行く。
「金鋺大輔、金鋺大輔よ。私を殺しただと? 殺しただと! 貴様、貴様が殺したと! ひひひ、笑わせるな、笑わせるでないぞ、貴様が殺したなどと!」
 目は赤く血走り、瞳からは赤い涙が幾筋も幾筋も零れ落ちていく。
「一思い、一思いに殺せぬなら銃など手にするでない、愚か者。迷うておる、迷うておるのだろう、金鋺大輔? 知っておる、知っておるぞ、貴様、私に懸想しておったろう。ひひひ、ここで叶えてやろうか、我は生き返った! 幸せか、幸せであろう、八房もおらぬ、貴様のものになってやろうかぁあははっはははははっ!」
 ゝ大は唇を噛む。
 思い出されるのは、鈴を鳴らしたような愛らしい声。
 春の花が咲くような、優しい笑顔。
 空は血色に染まっている。
 俯いていると、すぅと細い枯れ木のような白い手が、ゝ大の頬に伸びて来た。目の前には、自分を見上げる少女。
「……私を見られぬか。さもあろう、のう、金鋺大輔」
 いとおし気に頬を撫でる手。
 ギリギリと爪を立てて、その頬を赤く染めた。
「まっか、まっかにならんとのう、貴様、貴様もならんとのう、目を、目を閉じるな、閉じる出ない、貴様、貴様が閉じるでない、見よ、見よ、貴様の罪を見よぉおおおおお!」
 ゝ大はただ目を閉じてされるがままに引き裂かれた。
 頬の肉が削られ、白い骨が覗く。
 女は笑いながら削り取った肉を握り潰す。それから滴る血を赤く長い舌に絡ませて笑い続けた。
 まっかだ。
「うまくいかぬのう。残った玉も『義』の玉のみ……ふふ、義はよいのぉ、戯れは面白かったか?」
 『義』の玉はふよふよと弱い光を放つ。それに、女は笑った。
「そうかそうか、ふひひひひひぃい……我も、我も戯れたいのう、のう、金鋺大輔? 降りたい、降りたい、ここから出してくりゃれ」
 削られた頬から流れる血が胸に降りてくる。べったりと血塗れた上に、女は頬を寄せた。ゝ大は動かぬまま静かに言い放った。
「……なりませぬ」
 削られた肉の隙間から空気が漏れる。垂れ下がった皮がその空気に揺れた。
 女は笑う。
「なりませぬ! なりませぬだと! ひひひい、金鋺大輔、貴様は変わらぬ! 変わらぬ変わらぬ変わらぬ、ではまた殺し損じるがよいぞぉおひいいいいいっ!!」
 笑う。
 甲高く。
 風が。
 生臭い風が運んでゆく。
 今度こそ。
 間違いは起こしてはならぬ。
「損じるがよいぞ! 貴様は私を殺せぬからなぁっ! ふひひひひ、今度は自ら死んでやらぬぞ、生き恥を晒せと申した者共にものど者共に思い知らせてやらねばなららならないのだからぁああああ」
 今度こそ。
 ゝ大は銃を構える。
 間に合わなかった。
 また、間に合わなかった。
 だから、今度こそ。
 為損じぬよう、こうして。
「なんじゃぁ、黒い筒を私に向けるとは、不忠者めが、手柄も上げられず帰ることもせず挙句私を殺し損ねた損ねた筒をまたたたまたまた向けたむけるむけるまたたまたまた」
 額に。
 指に力を込める。
 引き金を引く。
 筒が。
 天を撃った。
 ゝ大は目を見開く。
 『義』の玉。
 ぼろぼろにひび割れた『義』の玉。
 『義』とは正義。
 義の者は命令では従わぬ。
 義の者は奴隷ではないからだ。
 義の者は自らの義の為に義を尽くす相手の為に義を貫く。
 『義』が選んだのは。
「いひぃひひひいあああはははははっ! 損じた損じたぞ、また損じたぞ、金鋺大輔、それでこそ貴様きさまさまよよおおぉおおいひひいひひひひ」
 伏姫。
 ぞぶり。
 腹。
 腹に。
 腕。
 細い。
 枯れ枝のような。
 声。
 笑い声。
 笑い声。
「さらば、さらぁばばかなかなまま金鋺だ大だいだいすす輔ぇえええ、あは、ははは、はは、は、」
 銃声。
 笑った顔。
 醜く引き攣れ深紅に染まった顔。
 ゝ大はじっと見つめていた。
 ひび割れた『義』の玉は、二度同じことをする力は残されていなかった。
 笑い声。
 銃声。
 銃声。
 銃声。
 銃声。
 銃声。
 銃声。
 銃声。
 銃声。
 銃声。
「今度こそ、おさらばです。……伏姫様」
 『義』の玉は粉々に散って。
 笑い声の主は干涸びた黒い灰になって。
 消えていく。
 溶けていく。
 生臭い空気を一掃するような風が吹いて。
 がしゃり。
 銃が地に落ちる。
 崩れ落ちる。
 山伏姿の男。
「……姫様」
 流れる。
 瞳から。
 溢れる。
 次から次へと。
 止めども無く。
 ごろり。
 転がった。
 夜が来る。
 空には。
 満天の、星。

 笑った。

 そこには。
 一つのフィルムと、一丁の銃が残った。

クリエイターコメントいかがでしたか、八犬伝智の章でした。
西向く侍WRと霜月WRとはかなりのリンクをしております。
そちらの方も合わせてご覧いただければ嬉しく思います。

不備な点がありましたら、遠慮無く言われてください。いつでも修正いたします。

それでは皆さん、次のシナリオであいましょう。
公開日時2008-06-07(土) 19:00
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