|
|
|
|
<ノベル>
ジズを倒したというのに、何故。
絶望の太陽は燦然と輝いているのか。
エドガー・ウォレスは帰路を急いでいた。
後に『マスティマ』と呼ばれる化け物が、街を見下ろしている。その視線が背中にのしかかり、背骨がみしみしと軋む音を立てた。
視線は、憎悪と殺意と悪意を降らせる。心の隙間にそれらが詰まり、来年の桜や怪我をした者達に思いを馳せる余裕はなかった。
けれど、その感情が不格好な中身を安定させる緩衝材となる。不思議な充足感に満たされるような心地だった。
いっそ余計なものをすべて捨てて、視線のもたらす恩恵だけを裡に詰め込むことが出来たなら。
――と、苛立つような焦燥を味わっていたエドガーは足を止めた。
視界の中央に、レオンハルト・ローゼンベルガーの姿がある。同時に、ここがプロダクションタウンだと気づいた。
町並みにさほどの被害はないが、人々にとってどうでもいいらしい。空を見上げ、絶望と寄り添うことに耽溺している。
レオンハルトは天を仰ぐ人々の中で一人、うつむいていた。
エドガーは彼に声をかけた。
「レオン!」
彼は気づかない。青白い顔で吐き気をこらえるかのように、口元を手で覆っている。
エドガーは足早に通りを横切った。
「レオン!」
二度目の呼びかけが届いた。レオンハルトがゆっくりを顔を上げる。肌のみならず、彼を構成する色彩はすべて褪せていた。
エドガーは表情を曇らせ、レオンハルトの肩に手を伸ばす。
「大丈夫かいレオン?」
「……私から離れろ」
彼の手がはねのけられたのと、三対の翼がレオンハルトの背に現れたのは同時だった。
絶望によく似た闇色の翼が、レオンハルトの姿に生気を与える。鮮やかな金髪が羽ばたきの風に揺られ、瞳の深紅を際立たせる。
もう死にそうな男はいない。
力に溢れた、荘厳な邪悪がいる。
レオンハルトは――レオンハルトに寄生する【無価値の名を冠する者】は、歓喜に唇をほころばせた。
「かの者はようやく我が手に堕ちた」
彼の裡に巣くい続けた存在はやはり、人間ごときが御せる相手ではなかった。最初からレオンハルトが負けていた、というのが正しい。封じていたというのは彼の思い込みで、【無価値の名を冠する者】にとっては、宿主との遊戯に必要な演技の一つに過ぎなかった。
赤い瞳がエドガーを一瞥し、そして興味を失った。レオンハルトはきびすを返す。器を手に入れた今、エドガーなど意味のない塵芥だ。
黒翼に蝕まれた背中が遠ざかる。エドガーはそれを、歪んだ笑みで見つめた。
「君はそうやって、レオンを独り占めする気なんだ」
白刃が閃く。
瞬時に距離を詰めたエドガー――エドガーの『影』が、抜刀と同時に斬りつけた。
レオンハルトはそれをかわし、ふわりと宙に舞った。五月蝿いエドガーへ戯れに、炎の雨を降らせる。
赤ん坊の握り拳ほどの雨粒が、次々と地表に降り注いだ。
ジズの攻撃をしのいだプロダクションタウンが、あっけなく崩壊していく。ビルが燃え、街灯が折れ、路面が溶ける。
周囲の人々も巻き込まれ、悲鳴を上げる前に炭の柱と化した。その残骸までも、降り続く雨が焼き尽くしてしまう。
炎が踊る。辺りは真っ赤に染まっていた。だがこの赤は、エドガーの好きな赤ではない。赤は、もっと美しい色をしている。例えば――誰かの動脈を切断した時に現れる色。それから、レオンハルトの瞳の色。
「そうはさせないよ。レオンを君のものにすることは許さない」
スーツの端がちりちりと焦げる。エドガーはサイコキネシスで宙を舞った。
レオンハルトはわずかに眉を動かし、迫る刃をかわす。軽やかな空中での動きは、黒揚羽に似ていた。
「去ね」
「やらないよ。君にレオンはやらない。やらないよ。やらない」
病的な執着心をむき出しに、エドガーは矢継ぎ早に攻撃した。
刃はレオンハルトのスーツをかすめ、布地を断つ。
「君の内側には綺麗な色が詰まっているのに」
「屑が……」
エドガーは至極残念そうだった。レオンハルトは後方に飛び、地面に足をつけた。そして炎の雨をさらに降らせる。
さきほどまでが小雨なら、今度は豪雨。
灼熱の雨粒がぶつかったものを穿ち抉り、徐々に景色を平らにしていく。
エドガーは苛々と足踏みをし、身体を揺らした。
炎が己をかすめるたび、焼ける臭いと痛みが生まれる。そうして傷ついていくのに、薄汚れるばかりで鮮やかなあの色は一滴たりとも見えやしない。
せっかく凪いでいた心が揺れ、中身同士がぶつかって不協和音を奏でる。すべてはこの紅蓮が、紅蓮を生む輩が、深紅を奪う者が原因だ。
レオンハルトはこれで終了とばかり、歩き去る。雑音が聞こえなくなればそれでいい、と言わんばかりの高慢な態度。
エドガーは炎の中を走った。
「君にレオンは独り占めさせない。独り占めなんて許さないよ」
刃が一閃し、翼が落ちる。黒翼は苦しげにもがき、すぐに動かなくなった。
五枚になった翼を広げ、レオンハルトは静かな怒りを浮かべて振り返った。
深紅の瞳に、エドガーは満悦の笑いを浮かべる。この色だ。炎のような移り気な赤ではなく、命そのものの暗い赤。
「その色だ。その色だよレオン。血の色だ」
「滅びよ、屑が」
レオンハルトは地獄の業火を呼んだ。
招かれた炎は大蛇さながら、エドガーに絡みついた。
服や髪は見る間に炭化し、肉体は煤と煙に変わる。それでもなお、エドガーは笑っていた。
「レオン、君の瞳をくれないか。血の色と同じ君の瞳を」
エドガーはそう言って、刀を振るった。
常人なら泣き叫び踊り狂う熱に頓着せず、レオンハルトの胸に刀を突き刺す。肋骨の間を刃が進んだ。エドガーはレオンハルトの背に腕を回し、さらに深く、刀を突き刺す。
「君の瞳をくれないか」
唇が触れるほどの距離まで迫って、エドガーはねだった。
レオンハルトは少し、身をよじった。しかし身体を貫く刀と、遠慮のない力が籠もった腕からは逃れられない。
エドガーは刀の柄を放し、レオンハルトの瞳へと手を伸ばした。炭化した指先が眼鏡に触れて、もろとも崩れ落ちた。
眼球の表面をあぶる熱を、レオンハルトは鼻で笑った。
「くれないか、なあ?」
「燃え尽きよ」
彼は無慈悲に命じ、死の口づけを施した。
業火は勢いを増し、エドガーのすべてを無に帰す。ひとひらの灰すら残さず、存在そのものが殺される。
最期に彼が見たのは、血の赤を宿した、侮蔑の目だった。
温い汗が背筋を這う。
その不快感に、エドガーははっと目を見開いた。
昼食後、ソファでくつろいでいるうちに寝てしまったようだ。
「夢……か」
それも、ずいぶんと悪趣味な内容の。
エドガーは安堵混じりのため息をつき、次いで窓の外を見て苦いうめき声を漏らした。
空には相変わらず絶望の権化が鎮座していて、物語の結末に向けて粛々と準備を整えている。
嫌な夢を見たのはあれの影響だろうか。
これから先、どうなるのだろう。
この街は、どうなるのだろう。
自分達は、どうなるのだろう……?
|
クリエイターコメント | ※このノベルは「終末の日」〜「選択の時」にかけての出来事です。
そういうラストですので、中身はすべて嘘っぱちです。そういうお約束です。 意図的に、悪趣味な味付けを施しました。 何か問題や違和感がありましたら、ご連絡お願いします。
このたびはオファーありがとうございました。 お気に召していただければ幸いです。
|
公開日時 | 2009-05-14(木) 19:10 |
|
|
|
|
|