|
|
|
|
<ノベル>
「一応さ、断っておかなくちゃいけないかな? 僕はね、“いまは”探偵じゃないんだよ、ドクター」
携帯電話の向こう側にいる精神科医に向けて、ヘンリー・ローズウッドはいささか子供じみた口調で告げた。
「……そう、それは〈紳士強盗〉の仕事じゃないからね」
扉に寄りかかり、長い足を組みかえ、右手でシルクハットの位置を直して、それからヘンリーはもう一度、今度は意味ありげに笑う。
「だけど、まあ……、僕もそいつらが気に食わないから調査してあげよう」
感謝してくれるかな、と問いかければ、肯定がやわらかく返ってくる。
この依頼の見返りは、労力に見合ったものを後から請求するからそのつもりで。
そんなふうに、笑いを含みながらからかうつもりで条件を付け足してみたが、相手は動揺する素振りも見せず、やはりあっさりと承諾してしまった。
拍子抜けしてしまうほど、あっさりと。
これを解決の『おたのしみ』としておくべきか、否か。
わずかに逡巡し、『楽しみ』にしておくことに決める。でなければ、不愉快な思いをするだろうことが分かっていながら、この件に関わる意義が見出せない。
「自主映画制作代行サービス……、なんてね」
灰色のシルクハットの下で、隠れた瞳に冷徹な光を閃かせる。
「おぞましいにもほどがある」
ヘンリーはそう吐き捨てて、軽やかにステップを踏んだ。
ドクターDが他の研究員たちと詰めているスタッフルームの、その扉に預けていた背を引き剥がして。
さて、扉を隔てたすぐそこに自分がいることに、扉を開けさえすればすぐに互いの姿を見ることができる距離にいたことに、彼は気付いていたのか否か。
そうであっても、そうでなくても、どちらにせよ面白い。
「僕は何を望んでみようか」
わざと来訪は告げないまま、一切の痕跡さえ残さず、クスクス笑いながら、奇術師は研修室の前から掻き消えた。
*
存在するということ。
その意味を、本当に深く考えたことがあるだろうか?
*
「なんか、すごい……」
三月薺はぐるりと辺りを見回し、思わず溜息を洩らした。
中心街から幾分離れた場所に並ぶ、倉庫群。近代的とは言えないが、けして古臭くもないそれらのひとつに案内され、通されたその応接間らしき場所で目にしたのはネオバロック様式の調度品だった。
まるで豪華な映画の中にでも紛れ込んでしまったかのように錯覚する。あるいはもしかすると本当に、セットで使う物なのかもしれない。
小さな会社だと思っていたら予想外に会社の規模も大きく、つい圧倒されてしまう。
自主制作の映画がどれほどの需要があるのかは分からない。
けれど、少なくともこのサービスは、〈銀幕市の現状〉に望みを託したいと願う人々の心を捕えることに成功しているのだろうことが伺えた。
「ふうん。ずいぶん頑張ってるみたいだね」
隣に立つ鳳翔優姫は、涼やかに目を細め、片耳に下がる黒剣モチーフのカフスを揺らしながら笑った。
対策課で出会い、共にここまで来た彼女は、自分だけなら思わず気後れしてしまいそうな雰囲気の中でも飄々としている。
「これは〈協力〉のしがいもある。いいな、悪くないね」
「えと、あのね、優姫……ちゃん?」
薺は、ウサギの刺繍がついたカバンを抱きしめて、優姫を見上げる。
「……よろしくね。一緒に頑張ろう!」
「うん? うん、そうだね、よろしく。がんばろう」
ぐっと拳を握って気合を入れる自分に、優姫はにこやかな頷きを返してくれた。
「それにしても、タイムリーだったよね」
そう言って彼女が手にしていたチラシに視線を落とすと同時に、扉が開かれ、ラフな格好の優しげな青年が入ってきた。
「ええと、キミ達がボランティア・スタッフ募集に来てくれた子、かな?」
ふたりの顔と意思を確認するように、彼は首を傾げる。
「はい、あの、この間公園で映画撮っているのを偶然見かけて。そこでここの会社のことを知りまして、それで、もし人手が足りないなら何かお手伝いしたいなって」
「そうしたら偶然、この募集を見つけたんだよね。まあ、僕はどちらかというと客兼スタッフ希望なんだけどさ」
慌てて薺が答え、続いて、余裕ありげな笑みで優姫が答える。
そんな対象的な二人を眺め、青年はにっこりと笑った。
「そっか。仲間が増えるのは歓迎だよ。もちろんお客さんも大歓迎。二人とも、どんな映画が好きか、あとで教えてね」
あ、その前に履歴書を確認しなくちゃダメだね、と頭を掻く彼の後ろで、かちゃりと、扉は再び開かれる。
そして。
「豊くん、面接があるって聞いたんだけど?」
すらりとした長身の女性が入ってきた。
長い黒髪を結い上げ、白いうなじをさらすその姿には、見惚れてしまうような色香と凛々しさがある。
「あ、社長。お疲れ様です。スタッフ希望の子が二人来てるんですけど」
「あら、この子たちなのね?」
こちらを見透かすような切れ長の彼女の瞳に捕えられ、薺はドギマギしてしまう。値踏みされているような感触がない分、まだマシなのだろうか。
「はじめまして、わたしは阿藤玲子、ここの代表ということになっているの。ふたりはムービーファンとムービースターだと聞いたけど、どうしてここへ?」
よく通る声が問いかける。
自分に、そして、優姫に、彼女は深い眼差しを送る。
「あ、はい。えと、三月薺です。誰かのために何かができるってステキだなって思って、こちらのスタッフ募集を見てきました。よろしくお願いします」
「僕は鳳翔優姫。どうしても会いたい人がいてね、この会社なら、それを叶えてくれるかもしれないって思ってここに来た。でもその前にさ、せっかくだから手伝ってみようかと思って」
ふたりの少女を前に、彼女は驚くことも訝しむこともせず、ただにこりと優しげに笑って頷きを返してきた。
「そう、〈夢〉を見ることはとても素敵なことだわ。願うことも、祈ることも、望むことも、とても素敵なことだわ」
さらりと告げる彼女の言葉は思いのほか優しくて、薺は、一瞬分からなくなる。
銀幕市にはいま事件が起きていて、その原因のひとつをこの会社が作り出していて、銀幕ジャーナルや人伝の話で不穏な空気をたしかに感じたはずなのに。
「それじゃあ……、そうね、いまちょうど制作に入ったばかりの現場があるから、そこに行ってもらおうかしら。豊くん、この子たち、第2スタジオの方へお願い」
「はい!」
薺と優姫をここまで案内してくれた青年は、社長から直々に指名を受け、嬉しそうに返事を返す。
「それじゃいこっか? 三月さんと鳳翔さん、ね。オレは小林豊。25歳。君らが入る現場でADやってる。ええと、ふたりともファンタジー系の映画好きかい?」
気さくに話しかけてくる相手に戸惑いつつ、彼について行きながら薺は質問を口にする。
「あの、小林さん」
「ん?」
「私たち、採用なんですか?」
「だっていま社長と面接しただろ?」
「へえ、アレが面接になるんだ。やけにあっさりしてるね」
優姫の口からも率直な感想がついて出る。
「人手不足だからね。猫の手も欲しいくらい。あ、いまの銀幕市ならホントにネコも手を貸してくれそうだよね。比喩表現が比喩じゃなくなるところが魔法のすごさかな」
軽快に笑い、簡単な現場の説明をはじめた彼の背を追いながら、薺と優姫はこそりと互いに視線を交わす。
思いがけず『自主映画製作代行サービス』への接触と潜入はあっさりと成功してしまった。
それを幸運と取るべきか、罠と取るべきか、ふたりにはまだ計りかねている。
だがチャンスを無為にするつもりもなく、いまはただ、慎重さと冷静さを心に刻んで彼らの懐へと入り込む。
まるで水に溶いて引き伸ばした絵の具のように鮮やかな青空のもと、賑やかな表通りから外れた路地裏で、ランドルフ・トラウトは立ち尽くす。
敏感な嗅覚を刺激するのは、濃厚な血のニオイだ。
事件から既に数日経過していながら、まだ残っている。残ってしまうほどに、大量の血が流されたということにほかならない。
「……どうして、こんなことばかり……」
悲劇はいつでも不意に襲いかかってくる。突然の別れ、唐突な別れ、それがこの街には多すぎる気がした。
時には、あまりにも大きな喪失に胸が引き裂かれる気さえする。
「……いつまでも落ち込んでばかりはいられませんしね……」
心に深く食い込んだ棘の痛みに触れながら、それでも気持ちを切り替えるように声に出して自分に言い聞かせ、改めて現場と正面から向き合う。
ここは、『コレがキミの望み』という一方的とも取れる犯人の言葉が残された5つ目の殺害現場。
「皆さんは今頃、会社に行っているのでしょうか……」
自主映画制作代行サービスという存在を知った自分は、ある種の願いを夢想する。
だが、この『願い』のそもそもの始まりは今回の事件ではない。
それより以前の、『もうひとりの自分』という存在に怯えた青年の事件を追いかける中、公園で出会った者たちの質問に由来する。
『なあ、ランドルフはさ、自分の設定、変えたいって思ったことないか?』
『すっげぇ悪人とか、すっげぇ能力持ってるとか、何でもいいけどさ、誰かが勝手に作りだした自分じゃなくて、まんま自分だけのオリジナルな自分って興味ある?』
自分ではない自分ということは、理想の自分を作れるのだろうか。
あるいは、理想の相手や理想の過去を作れるということなのだろうか。
考える。
誰かに想いを傾けることが怖くてたまらない、その根源たる『悪夢』を塗り替えることができたらと、考えなかったわけではない。
しかし、ランドルフには分からないのだ。
それは果たして糾弾されるべき行為なのか、それともある意味において正しい行いなのか。
迷いの末、他のメンバーとともに自主映画製作代行サービスを行っている現場に直接乗り込むことは選択しなかった。
会社を潰せば、すべての悲劇もなかったことになるかもしれない。
けれど、もし、そうはならなかったら、罪を犯し続けるものはどうなってしまうのか、その救いはどこに用意されるのか。
結局のところ、苦しんでいるムービースターを放っておくことができなかったのだ。他にもいくつか理由はあるものの、それが最も強い動機だった。
「……必ず、止めますから……」
現場に残る血のニオイ、それに紛れた人のニオイ。20代、男性、不安定な揺らぎを持った相手のニオイを覚えこむ。
だが、こうして幾つもの現場を訪れたランドルフにはどうしても腑に落ちないことがひとつある。
ソレがここに来て決定的になった。
「ああ、やはり……重なるニオイが、ない……」
ナイフで相手を引き裂き、メッセージを残す犯行手口から一連の事件だと目されている殺人事件。
なのに、現場の残るニオイはどれもまちまちで、それぞれの現場に必ずいたはずの人物の存在を示さない。
ソレがどんな意味を持つのか。
「あなたは……、あなた達はいま何を考えているんですか……どこに、いるのですか?」
ここにはいない犯人へ向けて呟きを洩らし。
「――っ?」
その鼻先をかすめるニオイに思わず空を振り仰ぐ。血塗れで、不安定で、ただひとつの想いに駆られた感情をコントロールで傷に垂れ流す、その存在を嗅覚が捕えたのだ。
「今度こそ、間に合ってみせます――待っていて、下さい!」
ぐわりと二まわりほど巨大化した体でもって、ランドルフは勢いよく地を蹴った。
突如、繊細にして壮麗な教会の内部が出現した『撮影現場』を見渡し、シャノン・ヴォルムスは不可思議な感慨を覚える。
本来ならば莫大な費用を掛けるか、煩雑な許可申請を行わなければ得られないような『教会』が、一瞬でここに構築されるのだ。
「今回ここで撮れるのはホントにすごく短いシーンなんですけど、それでも凝ってみました。中ではもう撮影が始まってます。けど、あの……いまさらですけど教会のイメージとか、大丈夫でした?」
終始無言だったことで不安にでもなったのか、自分の傍に立つ制作スタッフに心配そうに問い掛けてくる。それに軽く肯定の頷きを返し、
「ああ、いいみたいだ。それにしても、すごいな」
しみじみと告げてみせた。
「ちょうど教会を組みこんだロケエリ展開できるスターが居たんで頼んだんです。すっごいですよねぇ」
心底感心しているように、彼は『セット』を見上げ、溜息をこぼした。
「ヴォルムスさんの理想の物語、かならず作り上げますから」
「……頼む」
銀幕市の奇跡、銀幕市の魔法、銀幕市が見せる銀幕の夢。
シャノン自身は、『自主映画製作代行サービス』の存在を知った時、自分の中で揺らぎを感じていた。
いとしいものが帰ってくる。
実体化は本来とてもアトランダムで、それこそ偶然という名の奇跡に縋ることしかできない。
狂いそうになるほど追い求めた存在、追い求めたがゆえに苦しんだモノの存在を、自分は知っている。
そして、自分もまたそうした存在がいることを、銀幕ジャーナルに綴られるというカタチではあったが公言してきた。
彼女――失われた婚約者の実体化。
それに縋る男を演じることはたやすい。
「あ、いたいた! ヴォルムスさんにスタッフをご紹介しますー!」
不意に背後から別の声が飛び込んできた。
振り返り、そして、シャノンは驚いたように軽く眉を上げた。
「今日から手を貸してくれる三月薺さんと鳳翔優姫さん、よろしくお願いします!」
人懐こそうな笑顔を振り撒くADは、ニコニコしながらふたりの少女を引き合わせる。
「よろしくお願いします。三月です。えと、色々頑張ります!」
「鳳翔です。こちらの現場に関わらせてもらうことになったんで、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。俺は今回のこの〈可能性〉に賭けているんだ……手伝ってもらえるのなら、有難い」
薺、優姫、シャノン、かわされたこの三人の視線と言葉の本当の意味に、気付いたものはそこにはいない。
*
願うことの罪深さを、あなたはまだ知らない。
*
ヘンリーが降り立ったのは、撮影スタジオの一番東に位置する、倉庫と呼ぶにはずいぶんとキレイな建物の内部だった。
白い壁に、白い扉。白い天井。白い調度品。真っ白な立方体にしつられた真っ白なおもちゃ箱にしか見えないそこには、無数のフィルムが、神経質なまでに整然と棚に並べられ、保管されている。
照明は落ちていて、天井近くに嵌めこまれたステンドグラスの光だけが床に落ちているのだが、それがいっそ厳かですらあった。
「うん、プレミアフィルムとも違う、なんだか不思議な趣だね……ああ、一応ちゃんとしたフィルムではあるみたいだけど」
携帯電話を片手に、ヘンリーはずらりと並ぶフィルムの数々を興味深げに眺めていく。
「誰かの想い、誰かの願い、誰かの都合のいい希望が、全部詰まっているわけだ。……ふうん?」
棚の端からスイ…ッとフィルムの縁を撫でて行く、その指先がある場所で引っ掛かった。
からん。
転がり落ちたそれを拾い上げたヘンリーの目が、細められる。
「……このフィルムのラベルにあるディーン・チョイって名前……、……ああ、あの雪崩パーティの時に利用された〈彼〉か、なるほど……」
口元に、自然と笑みが浮かぶ。
「さて、それじゃちょっと確認をしておこうかな?」
フィルムを戻すと、その足で、部屋の隅に置かれたデスクのパソコンに向かう。
白い手袋に包まれた指先が軽やかにキーボードを撫でていけば、モニター画面は鮮やかに瞬き、目覚め、そして奇術師の望む答えを提示すべく、猛スピードで処理を開始した。
うっとりするような文字列の流れを目で追いながら、同時に電話の相手へと自身の要求を告げる。
「面白いものを発見できそうなんだけど、ねえ、ドクター? 被害者と犯人の名前、分かる範囲で教えてもらえるかな? ……ああ、うん、僕はちょっと別の所にアプローチしたいんだ」
ロジックを組み立てるための情報、それを自らの手のうちに引き寄せる幸運もまた、探偵には必須なのかもしれない。
探偵とは、事件に遭遇し、事件の真相に辿り着くべき存在だ。
「……これから名前を読みあげるよ、いいね? ……そう、まあ、もしかしたらとは思うんだけど……まだ推理の段階さ。……ああ、僕がどこに繋げているかって? 分かってて聞いてるね? いいよ、正解を教えてあげよう」
徐々にテンションが上がっていくのを感じながら、ヘンリーは上機嫌で答えを口にする。
「市役所の住民登録名簿さ」
ほんの遊び心で対策課の植村の靴底に盗聴器を仕掛ける奇術師は、ほんの戯れのように、市役所の個人情報をハッキングしていた。
カメラやスチール板を背負って、役を割り当て、脚本を用意し、そうして数多の人間たちの手を介して組み上げられて行く虚構の世界。
ウソに嘘を重ねる。
現実に虚構を重ねる。
自分が抱く自分の願いごとは、今の〈現実世界〉では叶うことがないから。
だから、新たな世界をフィルムの中に作り上げていく。
美しい世界。美しい願い。美しい、純然たる想いだけで作られる物語。
優姫はそれをじっと眺めていた。
すべてがマガイモノなのに、フィルムを通せば〈ホンモノ〉に変わるという、その不可解な現象に興味を引かれないと言えば嘘になるだろう。
「撮影、興味あります?」
作業が進む現場を凝視し続ける自分に、カメラを抱えた茶髪の青年が、ニコニコしながら声をかけてきた。
「うん、まあね。シャノンさんのが終わったら僕もお願いしたいと思ってるからさ、どんなふうに作ってもらえるのかなぁって」
「そっか。あ、ね、優姫さんは、もし叶うなら誰を実体化させたいんですか?」
子犬のようにくるくるとよく動く表情で、彼は更に問いを重ねる。
「親友、だよ。元の世界からね、すでに実体化してるのもいるんだけど、やっぱり全員揃いたいから」
「そっか」
にこやかな顔等に、彼はあっさりと納得し、すぐ作ってもらえるといいね、とまでいってくれた。
人好きのする、気持ちのいい笑顔だった。少なくとも、いまの所は。
「それとさ、知り合いも作ってもらってたんだ。すごく嬉しそうだった。写真しか残ってなかったのに、フィルムの中にあの子が生きて動いてたって。大好きなあの子がそのままそこにいたって」
他愛ない風を装いながら、さりげなく、優姫は会話を誘導しはじめる。本来の自分の糸に即した問いかけを彼へ向けていく。
「知り合いのその幸せそうな顔見てたら、作る方にも興味持ったんだよね」
「そうだったんですかぁ……いや、実際、出来上がったの見るとすごいですもんね。まさに神業」
「写真にしかいないヒトを役者にしたてるのってさ、CGとか、そんな所? ああ、でも銀幕市だし、魔法とか使ってるのかな?」
「あはは、その辺企業秘密ですからね。俺でも知らないんですよ、ホントのところ。でも魔法じゃないかなぁ、魔法。魔法使えるんですよ、バッキー魔法」
「……え」
いま、彼はおかしなことを口にしなかったか。
だが、それを深く追究しようとしたところで、遠くから監督と思しき男の怒鳴り声が飛んできた。
「おっと、やばい、呼ばれちゃった。じゃあ、またあとで」
青年はカメラを抱えなおすと、大慌てで優姫から去ってしまった。
「……そう簡単には、教えてもらえないか……」
さして残念そうにも見えない表情を浮かべ、優姫は軽く溜息をついた。
*
失った者へと想いを馳せる、ソレは〈追憶〉とよばれるもの。
人の心を捕え、いずれ叶わぬ願いに溺れて朽ちさせる、ソレは毒ともなりうるモノ。
*
「……まさか、こんなところで鳳翔と再び組むことになるとはな」
「ほんと、不思議な縁だね。銀幕市って広いんだか狭いんだか全然分かんないよ」
にっと笑って、優姫は次の撮影に向けて準備を進めるスタジオをぐるりと見渡した。
制作スタッフとして参加したのだが、体力と体術を買われて監督から〈スタント〉の用命を受け、次のシーンではシャノンと手合わせするシーンが用意されている。
「でも、どうやって〈彼女〉を撮影するんだろう?」
ふむ、と優姫がアゴに指を添え、思案のポーズを取った。
「ね、シャノンさんは〈彼女〉が撮影に参加してるの、見たかい? さっきちょこっと聞きこみしてみたんだけど、いまいちすっきりしなくて」
「いや。俺もそれは不思議に思っているんだが」
「そっか。これはますます気になるかな。たった一枚の写真からさ、何を作るんだろう。本来なら作れるはずがないものを作るって、どうなんだろうね?」
写真一枚からでも、望みの映画を作る。
ソレが謳い文句だ。
だが、実際こうして撮影に参加してみても、特別なことは何も起きていない。
一見、当たり前の撮影風景にしか見えないそこに、どんな奇跡を起こすのだろうか。
「あなたの求める人、婚約者さんだっけ。共演するシーンとかないの?」
「あるにはあるんだが……」
問われたシャノンは、眉をひそめ、言い淀む。
「“あるにはあるんだが”、なに?」
「そのシーンには一切関わることができないでいる」
先程の教会シーンでもそうだ。意図的に、なのか、シャノンの目から『婚約者』の姿だけが巧みに隠されているように思えてならない。
「……そういえば、三月はどうした?」
「ああ、うん彼女ね、僕たちを案内してくれたADさんとカレー作ってくるってさ。ついでに少し話を聞いてみるって張り切ってた」
「あいつひとりか……」
「ああ、そっか。心配……だよね?」
「ここにいる者達は基本普通の人のようだからな、めったなことにはならんだろうが、警戒はしておくべきだろう」
「ん、じゃあ、これ終わったら様子見に行こう」
会話の流れが一瞬途切れる、その隙間に入りこむように、
「これからリハーサル行きまーす! ヴォルムスさん、鳳翔さん、スタンバイお願いします〜」
声を張り上げるスタッフにシャノンが無言で手を上げて応え、ふたりは組み上げられた『セット』の中へと身を投じる。
そこには、雨が降っていた。
天候を操るムービースターに依頼でもしたのだろうか、どこからともなく頭上に立ちこめた黒雲がごく限定した場所にだけ雨が降り注ぐ。
セットの向こう側には、カメラと、マイクと、人々の視線。
それらに見つめられる中、黒衣をまとったふたつの影が、ゆらりと向き合った。
「“どうしてもわかりあえないというのなら、俺は貴様と剣を交えるしかないんだが”」
「“……、それを望んでいるのかもしれない。彼女との婚姻は許されない。許すことはできないからね”」
あらかじめ決められた台詞。
直前に渡された台詞と役柄と演出効果を頭に置いて、シャノンは優姫との〈決別のシーン〉を演じ始めた。
失われた『彼女』との再会を実現するため。
かつて失われた『恋人』をこの銀幕市で取り戻すため、『実体化の可能性』に縋りついた男を演じながら、更なる虚構の中で自分自身を演じる。
シャノン・ヴォルムスは、ふとこの瞬間、おかしな感覚に陥った。
そこにいるのは、ここにいるのは、自分なのか、現実なのか、ホンモノなのか、作りモノなのか、自分が本当に望んでいるのは、果たしてなんなのか――見失いそうになる、そんな感覚に、陥っていく。
花びらが舞う。薔薇の花びらが、風に撒かれて空を舞い、美しい光景の中で彼女が微笑んでいる。
そんな光景に心奪われる。
知らず、彼女の名を、シャノンは求めるように祈るように口にした。
銀幕市という世界に、既に大切な存在がいる。愛するものがいる。なのにいまだ〈彼女〉と出会うことを願い続けてしまう己の妄執めいた想いに、嘲笑めいた哂いを自身へ向けながら。
世界が壊れて行くような、空に押し潰されてしまうような、そんな漠然と広がり続ける不安という感覚。
昼までありながら、日の差し込まない、自然公園の奥の更に奥深く。
濃厚なニオイをまとい、赤い血を滴り落とし、どす黒く汚れたナイフを握りしめて、ふらりふらり、男は森の中をさまよい歩いたのだと、分かる。
「ようやく……、見つけました」
そこは、割れた窓ガラスの破片が四方に散らばる廃墟だ。
みしりと音を立てて、ランドルフは朽ちた扉を押し開け、中へと踏み込んでいく。
薄暗く、寒々とした空気で満ちた部屋の中には、大きな体を折り曲げなければ通れないような通路が口を開け、そこから地下室らしき場所へと続いている。
慎重に、慎重に、ニオイと血痕を辿り、ランドルフは歩き続ける。
その耳に、ふと声が届いた。
「……これは、キミが望んだことだ」
シンと静まり返った世界の中で、ひどく陰鬱で、それでいてひどく哀しい声が響いている。
「……」
階段の終わり、その先に扉はなかった。
ボンヤリとした照明と、壁や天井の隙間から差し込む日の光によって、浮かび上がる光景にランドルフは目を見張った。
微笑んでナイフを握りしめる、男がそこにいる。
彼の足元には若い女性が横たわっていた。
気絶でもしているのか、言葉を落とす青年に対し、彼女自身はぴくりとも動かない。
「これがキミの望み、これがキミの願い、これがキミの幸せのカタチ……」
ナイフが、白い刃が、きらりと閃きながら振り上げられて、
「いけません! やめてください」
猛然と駆け寄り、ランドルフはそのたくましいふたつの腕で青年を後ろから抱きしめた。
突き飛ばせば、狭い部屋のどこかに彼を跳ね飛ばし、散らばる瓦礫で怪我をさせる、そこまで考えて、取った行動だった。
「だれだ、あんた」
「――っ」
だが、青年は抵抗する。
手にしていたナイフをランドルフの腕に突き立て、拘束を振りほどこうと必死に足掻く。
だが、ここで彼を離してはいけないのだ。
話したら、彼はそのナイフで今度子ド彼女を殺してしまう。
「いけません。離しません、待ってください、話しましょう、どうしてこんな真似をしているのか、こんな真似、やめるために、話しましょう!」
「うるさい、黙れ、離せ、僕は――」
腕の中に抱き込まれ、悲痛な声をあげる青年は、その声にまだどこか幼ささえ残っている。
「……私は離しません。でも、あなたを救いにきたんですから、あなたにこれ以上罪を犯させることはできません」
必死に、懸命に、彼の抵抗を抱き込み、抑える。
力任せに押さえ込むのではなく、彼をなだめるように、彼を苦しませないように、必死にチカラをコントロールしながら抱きしめる。
足掻いて、もがいても、幾度ナイフを突き立てられても、その腕に傷が増えていこうとその腕をけして解かずに言葉を尽くす。
「あなたを、救いにきたんです……私に、救わせてください……あなたの言葉を、想いを、聞かせてください……」
「……僕は……」
その想いが届いたのか。
それとも、ほどけないと知って観念したのか。
「……僕は、僕らは、ね、殺さなくちゃいけないんだ。だから殺す、それ以外に答えなんかないよ」
青年はもがくことをやめ、そしてポツリと呟いた。
「僕らを作り出した存在を、僕らを生み出した存在を、罰する義務があるんだよ」
「え」
ふわりと、腕の中からランドルフを見上げ、微笑む。
ソレはひどく哀しげで、壊れた微笑みだ。
「だって、こんなこと、許されないんだから」
「やめて、下さい」
「やめない」
いまだ握られたママのナイフのきらめきは、うっそりと不穏な重い空気をまとう。
「実体化を望むほどに愛したものに殺される、これはとても素敵なことじゃないかな? ね、そう思わないかい? 僕はそう信じて疑わない。僕は死んだのに、こうして生きてる、それはきっと、彼女を連れていくためだ」
死者の蘇生は禁忌、けれど禁忌だからこそ触れる価値がある。
その願いは、美しい。
「僕はね、そんな彼女のために、殺すんだ……だって、死んだひとを蘇らせるってことは、同じ世界にいたいってことで、じゃあ、いっそ連れ去ってほしいって願うことと一緒でしょ?」
「……ちがう、ちがいます、そんな……」
「見せてあげようか、ねえ、聞かせてあげようか、ねえ、ほら、彼女の願いだ、僕に殺せと願う彼女の声がほら、ほら――っ」
突風が、吹き上げる。
ランドルフは、そこに悲劇をみる。
散らばるフィルムを幻視する。
届かなかった想い、救えなかった命、叶えられなかった望みが、フィルムの形でつきつけられるのかと。
だが、突風が収まった時、そこで見たモノは、ランドルフの想像をはるかに超えた存在だった。
「やあ、こういう『いいシーン』で声を掛けるのってちょっと気が引けちゃうよね」
重苦しい空気を打ち砕くような、ひどく明るい、場違いな声。
「やっぱり。ここの会社のサービスで作られたフィルムの場合、実体化までの期間が極端に短いんだね……それに、実体化の確率そのものも相当高いということが証明されたわけだ」
それまで一切の気配はなかった。
それまで一切の物音もなかった。
けれど、『彼』がそこにいる。
いつの間に現れたのかなどという疑問は、『彼』に対してはただの愚問になり下がるだろう。
「ごあいさつが遅れたね。ごきげんよう、ミスター食人鬼。そして、ミスター殺人鬼。ちょっと確かめたいことがあってお邪魔させてもらったよ」
「……ヘンリー……っ」
シルクハットの下に素顔を隠した奇術師へと、ランドルフは低く唸るようにその名を呼んだ。
力仕事に向かない薺は、豊とともに昼食の準備を進めていた。
鍋の中では、グツグツと煮えるカレーがおいしい香りを立ち上らせている。
テレビ局とかならば弁当となるところだが、ここでは人数分の炊き出しというスタイルをとっているらしい。
キッチンからカウンターを挟んで向こう側には、細長いテーブルがいくつも並んでいた。
「ADさんってこんなお仕事もするんですね」
「意外? ADって肩書きだけど、オレの場合はほとんど雑用でさ。企業って言ってもさ、この部署は結局『対個人』だからそんなにお金、かけられないんだよね」
大きなお玉で鍋を掻き混ぜ、焦げつかないように気を使いながら、そんな話題を振る薺に対し、豊はへにゃりと笑ってみせた。
「だからさ、正直、ムービースターの人が制作に関わってくれるのって助かるんだよね」
話しながらも、白米を盛るための数十枚にも及ぶ人数分の皿が、彼によってキッチンからテーブルへと運ばれていく。
「30分間の奇跡、ロケーションエリアってまさしく、どんな緻密なセットにも適わない臨場感に満ちあふれているし」
何よりセット組の費用が格段に削減できるのだ……というのはオフレコだけど、と付け加えながら、本当に楽しそうに彼は現場のことを語るのだ。
「どうして、豊さんはこの会社に?」
「ん? ああ、ステキだなって思ったからだよ。社長はね、本当にとても素敵な人で、その思いも考え方も手段も尊敬できるから。みんなね、社長の理想に賛同して集まった仲間たちなんだよ」
誇らしげに彼は語ってくれる、そこに嘘はないように思え、だからこそ薺は、チクリと痛みを感じる。
「……事件のこと、知らないんですか?」
「事件?」
キョトンとした顔で、彼は首を傾げた。
「なに、事件って。銀幕市って毎日どこかで何かしら起こってるから、追っかけきれてないんだけど……なにか、あった?」
「……ええと、少し前から……実体化したスターさんに絡むことで……」
そこで薺は言葉に詰まってしまった。
悲劇は起きた。銀幕ジャーナルを通してではあるけれど、薺は『自主映画制作代行サービス』が関係しているだろう事件を少なくとも三つは目にしている。
けれど。
こうして話をする彼はとてもいい人に見えるのだ。悲劇を生み出すために、ただその目的のためだけに映画を作っているようには思えない。
彼らは意図してなかったのだろうか、目論んでいたわけではなかったのだろうか、悲劇が悲劇となることをまるで考えずに、依頼人のために動いているだけなのだろうか。
それすらも、罪だと言っていいのだろうか。
分からない。どんどん分からなくなる。大きな寸胴鍋の中で掻き混ぜられているカレーを見つめながら、沈黙してしまう。
それに気付いたのか、豊の方からポツリと声が掛かる。
「どうしてもさ、会いたいひとがいるとするじゃない?」
「あ、はい」
「それと同じくらい、どうしてもなりたい自分がいたりするんだよね」
「……はい」
「でもさ、願いごとってそうそう簡単に叶わないし、奇跡は自力で起こすしかないんだよね」
どこか遠くを見るように語りながら、彼の手はまるで自動的とでもいわんばかりに皿を並べ、コップを並べ、水差しを用意している。
「死んだ人は生き返らないよね。神様が決めたルールだからふつうじゃ覆せない。でもさ、神様自身がルールを破って、そのせいで誰かを失ったんだとしたら、こっちだってルール無用だって思っちゃうよね」
「……あ」
「同じようにさ、それまでの記憶をそっくり持ったそっくり同じパーソナルがいて、じゃあ、より理想に近い方が生きていった方がいいと思うことは間違いかな?」
「……豊さん?」
彼は笑っている。初めて会った時からずっと、彼は笑顔だ。優しそうに、楽しそうに、笑っているのに、それが不意に見ているこちらの不安を掻き立てる。
「あ、そろそろ時間だよ。お話してるうちに時間ってあっという間に過ぎちゃうね。さ、薺ちゃん、ご飯を配るの、一緒に手伝ってくれるかな?」
「あ、あの、豊さん……」
「あら、まだ早かったかしら?」
薺の言葉を遮るように、不意に声が挟みこまれる。
「あ、社長、お疲れ様です。珍しいですね、この時間に社長が食堂に来られるなんて」
「今日のお昼はカレーだって聞いたから、わたしも一緒に食べたくなって。来ちゃったわ」
豊に手を上げて応えつつ、バッキーを肩に乗せた玲子はカレーを掻き混ぜる薺の傍までやってきた。
「おいしそうね。三月さん、豊くんのお手伝い、ありがとう。ごめんなさいね、制作スタッフで来てもらったのに炊き出しにまわってもらっちゃって」
カウンター越しに、彼女はにっこりと笑いかけてくる。
「あ、いえ、お料理好きだし、いいんです。なにかお手伝いできるなら、それだけでうれしいです!」
申し訳なさそうな彼女の言葉を必死で否定しながら、ふと、薺の視線が彼女の肩で止まる。
「あの……、そのバッキー、すごく珍しい色ですね。初めて見ました」
「かわいいでしょう? ムネーメというの」
微笑む彼女の肩の上から、黒い瞳がこちらをじぃっと見つめている。
銀幕市に魔法が掛かってからこれまで見てきたどのバッキーとも違う色は、目を引く。以前、角が生えたバッキーがいるらしいという話も聞いたのだが、この子はどこからどう見ても普通のバッキーだ。
けれど、可愛らしいと思う反面、薺は少し落ち着かない。
「うちのバッキー、ばっくんって呼んでるんですけど……、ばっくんはもっと薄い紫なんです。ラベンダーっていうらしいんですけど」
「そう。うちの子はディープパープルよ。最近パートナーになったのだけど」
「あの、最近……なんですか?」
「そうよ、それまではいわゆる〈エキストラ〉って呼ばれてる分類だったわ。この子と出会うことで、私は夢の見方を知ったのよ?」
意味ありげな視線に、ドキリとさせられる。
「そうだわ、三月さん。ムービーファンだというのなら、あなたにちょっと手伝ってもらおうかしら? ご飯の前にちょっとだけ」
「あ、はい」
「豊くん、ご飯の時間、ちょっとだけ押してしまうけど、許してね」
「はい、もちろんです!」
元気に頷く彼と、玲子の促がしに押されるまま、薺はキッチンを後にした。
地下の冷たい空気にさらされながら、ランドルフと青年を眺めながら、ヘンリーはひどく愉しげに笑っている。
「ああ、大丈夫、いくつか知りたいことがあってね、そこの彼に確認したらすぐに退散するから、そんな、食い殺しそうな目で僕を見ないでくれないかな、食人鬼くん」
片手を挙げて、相手からの一切の質問を拒否する旨を意思表示し、そうして、その手で地に伏した女性を指し示す。
「ねえ、殺人鬼くん。聞きたいことはごくわずかなんだ。アンタ、彼女に作りだされたんだね?」
「……ああ、そうだよ……」
「彼女は殺してくれって、アンタに頼んだのかな?」
「僕は彼女の恋人で、交通事故で死んだんだって聞かされた。でも、哀しくて、切なくて、淋しくて、だから、僕を呼び戻したと言ったよ……」
自分はすでに死んだ人間だと、今ここに生きていながら他人から告げられたその衝撃を、一体誰が理解できるだろうか。
一体誰が、その想いに同調できるというのか。
「ああ、うん、安心しなよ。アンタと同じ思いをしてる奴らはたくさんいる。それこそ……、そうだね、アンタと同じ動機というのかな、行動原理でもいいけど……、まあそういうムービースターがね、自分を実体化させた相手を殺してまわる事件が既に十件になろうとしてるってさ」
ヘンリーは笑う。笑いながら、探偵のようにサラサラと、ランドルフがこの一連の事件に抱いていた違和感という名の『疑問』を解いていく。
「……現場に残っているニオイが重ならない……やはりそれは、同一犯ではなかったということですか……それでは……いま、この瞬間にも彼のような人が……」
「そうだよ。いまこの瞬間にも、悲劇は起きているだろうね。市役所の名簿とあの会社のサービスによって作られたフィルムを照らし合わせ、そして事件の被害者たちと顧客名簿も調べたらね、結局動機は同じってことになった」
「……そんな」
「アンタはアンタの意思じゃなく、ヒトを殺してるってことになるんじゃないかな? ねえ、ミスター殺人鬼……あ、まだ殺してないから『候補』と付け足した方がいいかな?」
残酷な言葉。
残酷な宣告。
ソレがランドルフの腕の中の青年を打ちのめす。
「じゃあ、僕の存在って何? 僕は望まれてここに生まれたんだ、僕は僕とともにいたいと願うヒトを連れていくために……殺すために生み出された、その僕の存在意義はどこにあるのさ?」
「作られた存在に、意義なんてないと思うけどね?」
「もうやめてください!」
ヘンリーの冷ややかな言葉を遮るように、青年の体を抱きしめ、必死に願うようにランドルフは訴える。
「違います! 存在する意義はこれからここで見つけていくんです!」
「……これから、作るの?」
「そうですよ。この町は変革を許してくれる場所です。変わりたいと望む願いを、受け入れてくれる場所です。そういう、やさしい場所なんです……あなたには、この銀幕市の素晴らしさを知ってもらいたいんです」
この青年に届くはずと信じて、言葉をつむぐ。
「やあ、ずいぶんとおキレイな理想を掲げてくれるね。……と、いけない、予想以上に長居してしまった。食人鬼くん、殺人鬼候補君、僕はもうお暇するよ。そろそろ向こうでもクライマックスだからね」
クスクスと奇術師は笑い、現れた時と同様またたくまに、跡形もなくこの狭く暗い空間から消失してしまった。
彼がそこにいた痕跡は、もうなにもない。
けれど、彼の落として言った言葉はまだ、青年とランドルフの間に、突き刺さっている。
震え、苦悩する彼をそっと抱きしめて、ランドルフは、幼子に言い聞かせるように、ゆっくりゆっくり、話し出す。
「あなたには、この銀幕市で、幸せになってもらいたいんです。例えどんな思惑であなたが実体化を果たしたのだとしても、実体を持ったあなたは、あなたの意思でこの街で生きる権利があるんです」
自分が言うのもおこがましいことかもしれないと、ふとそんなふうに不安になりつつ、それでも想いを言葉に変える。
ソレは、もしかすると、この青年だけではない、もうひとりの迷える者、すでに姿を消してしまったあのヘンリー・ローズウッドへ向けた思いでもあったのかもしれない。
「……でも、僕は禁忌だ、禁忌を犯して僕を生み出した存在を消さなくちゃいけない。それが望みだから、それが願いだから、それを叶えてあげなくちゃ……」
「……禁忌なんかじゃ、ないです……あなたがそこにいることは、禁忌なんかじゃ……」
彼を生み出した人は、本当は何を考えて彼に設定を与えたのだろうか。
彼を実体化させた人は、何を望んで彼にこんな運命を与えたのだろうか。
青年を通して、思う。誰かの想いに、自分を重ねる。
きっと殺してもらうために作ったわけじゃないはずだと、そう信じたいと思いながら、ランドルフは、ここに来てようやく自分の中の葛藤が見えた気がした。
「私も……実は、考えました。私も、願いを叶えたいと望みました……ひどく都合のいい、自己満足のカタマリみたいな夢を見ました……」
だから、これを口にするのは、懺悔に近いのだろう。
「私には罪があって、その罪がなかったことにできるチャンスがもらえるかもしれないと考えました……」
自分が喰ってしまった彼女と、彼女の婚約者だった彼と、ふたりの友人の人生をメチャクチャにしてしまった自分の贖罪を夢に見た。
花びらに酷似した紙吹雪、そしてライスシャワーに迎えられて、教会の扉からゆっくりと人々の前に姿を現す新郎新婦。
ランドルフはそこに、幸せそうな、映画の中では見ることのできなかったふたりの結婚式を銀幕市という舞台の上で実現するのだ。
そう、それは夢だ。願わずにはいられない、できることなら叶って欲しい夢。
「ですが、もしふたりが実体化したとして、それを彼らは喜んでくれるのか分からないんです。自分が許されたいだけなのではないかと、そう考えたら、どうしようもなく苦しくなりました」
何を話しているのか、何を話したかったのか、だんだんランドルフ自身にも分からなくなっていく。
それでも、伝えたい想いがあることだけは本当なのだ。
「銀幕署に行きましょう。あなたは償い、そしてこれからを生きるんです。犯した罪は消えなくても、償うことができるんです」
差し伸べられた手を、差し出された言葉を、青年はじっと黙ったまま、その意味について考えている。
そして。
握りしめていた暗赤色に汚れた武器を落とし、ひどく冷たい両手をランドルフに重ねた。
そのタイミングを見計らったかのように、地に倒れ伏していた女性が、わずかに身じろぎをする。
彼女が目覚めたら、どんな説明をすればいいのか、正直なところ、ランドルフには分からない。
それでもきっと何とかなる、何とかすると誓い、彼女の目覚めを青年とともに待った。
玲子に連れられて、薺は倉庫の奥へと続く長い長い階段を降りていく。
そこで何が待っているのか、何をしようとしているのか、分からないけれど、いやな予感だけが足元から這い上がってきている。
「あの、私がお手伝いできることって」
「着いたわ」
「え」
質問に答える代わりに、玲子は薺を、『資料室』のプレートが掲げられた地下室の重い扉を押し開いた。
「入って」
「あ、えと」
足が一瞬竦んだが、半ば強引に中へと押し込められる。
チカチカと蛍光灯がまたたき、コンクリートの冷えた壁がどこまでも広がっている中で、玲子は薺を捕え、問う。
「ねえ、何が聞きたいのかしら?」
「え」
「豊くんに色々お話聞いてたでしょう? 他の子たちにも、聞いてまわっていたみたいだから、ね、どうせならわたしが答えてあげた方がいいと思ったのだけど?」
彼女の赤い唇は笑みを形作っているけれど、彼女のその瞳は、凍えそうなほどに酷薄な光を宿している。
スッと背筋が冷える。
それでも薺は、彼女を見る。彼女の肩に止まる、バッキーを見る。
「……事件のこと、知ってますよね? 実体化した人達が、悲しい事件を起こしてて……そこに、ここの会社……自主映画制作代行サービスが関与してるって、そう考えられてるって……知って、ますよね?」
知らないはずがないのだ、知らない振りもできないはずだと、確信している。
白を切るなら、きっと彼女は自分をここには連れてこなかった。でも、彼女はここに自分を連れてきた、内部事情を探ろうとした自分を連れてきたことがもう答えなのだ。
「……その子、本当は誰なんですか? ……バッキーだけど、バッキーじゃないって、私、そう思うんです……その子……」
「あらあら、いやな所に気付く子ねぇ」
彼女の瞳が、更に凍る。
「ただの可愛らしくて好奇心旺盛なだけのお嬢さんだったら、よかったのに」
「あ」
玲子の手が薺に伸びる。手入れの行き届いた白くてキレイな指が、薺の首筋に触れようとしたその瞬間――
「それ以上、その子に手を出さないでくれるかな?」
「正体を現したか」
開け放たれた扉。
飛び込んできた声。
「あ、優姫ちゃん、シャノンさん!」
光が射す。
輝かしい、漆黒の少女と漆黒の青年の、制止の声はひどく冷たいコンクリートの中でも不思議なあたたかさと強さがあった。
「あらあら、まだ撮影中だと思ったのに、来てしまったの? 追い返す方が厄介だとは思ったんだけど、こんな時に割り込んでくるなんてもっと厄介だったわね」
仕方のない子だと言いたげに、玲子はわざとらしいくらい大きな溜息をついた。
「ねえ、ヴォルムスさん、鳳翔さん、あなた達も、うちを調べに来たんでしょう? ずいぶんと盛大にジャーナルで宣伝してもらっちゃったものね」
あんなあやしげな演出でなければ、顧客も増えるから宣伝は大歓迎だったのに、と彼女は言った。
「……気付いていたのか」
「気付かないと思っていたのかしら?」
彼女は笑う。
玲子は笑いながら、自分の肩に乗った濃い紫色のバッキーのノドを撫で上げる。
「あなた達はムービーファンであり、ムービースターと分類される存在だもの。当然、ね、信用なんてしないわ。それでもお客様はもてなすのがうちの主義なの」
髪を掻きあげて、ちらりと寄越す一瞥は、ヒトならざる光を宿している。
「銀幕市にかけられた夢に踊らされているあなたたちなら、上得意になってくれるかもしれないでしょう?」
「どうして……どうしてですか」
肩をふるわせ、薺は玲子に問う。
「すごく、ステキだって思ったんです、すごく……なのに、どうして哀しい事件になってしまうんですか?」
「……ねえ、可愛らしいお嬢さん、あなたは答えられるかしら?」
髪を掻き上げ、目を細め、彼女は挑むように微笑み掛ける。
「あなたにとって、存在するってどういうことかしら、ね? あなたにとって、『叶うはずのない願い』はどんな『姿』をしているのかしら?」
玲子に続き、いつの間にやってきたのか、撮影現場にいたはずのスタッフたちがずらりと彼女の背後に並び、彼女の問いに自分たちの問いを重ねていく。
「失われたものを取り戻す、手の届かないものを手元へ引き寄せる、見果てぬ夢を叶えるために、どうしてこの手段を利用しちゃいけないの?」
「オレたちはさ、夢を見るんだ」
「たったひとりの願いを叶えることが、そんなに悪いことなのか?」
「たったひとりの願いを叶える、その代償は支払うべきだ、願いごとってそういうことだろ?」
何がいけないのか教えてくれと、そう言いながら、笑っている。
笑っているのに、彼らは、無頓着に、無造作に、存在の否定と肯定を繰り返す。
「ねえ、見たいんじゃないかしら、ね? みんなが見る不特定多数の夢の寄せ集めじゃない、自分だけの夢を叶えたいと望むんじゃないかしら?」
にこやかに、華やかに、彼女は舞台女優のように振る舞う。
「望んだ相手を実体化させられる、望まれて存在できる、それ自体は喜びになるだろう。その発想は評価すべきだと思うんだがな」
シャノンは銃の照準を玲子の肩にいるバッキーに合わせながら、まるで独白のように言葉を発する。
「そうよね? あなたは揺らいだもの。そこのお嬢さんはどうか分からないけれど、あなたは撮影の間、確かにこのサービスがしめす『存在』に揺らいだはずよ」
「そうだよ、ヴォルムスさん。一緒に作り上げようとしてたじゃないか」
「ほら、ねえ、ここに彼女が映ったフィルムがあるよ」
「ほら、あと一歩で、あなたは失われた彼女を手に入れられるんですよ」
「どんな悲劇を引き寄せてでも叶えたい、そう告げた時のあなたは本気だったよ」
ほら、ここに、ここに彼女がいると、青年たちがバラバラにフィルムを掲げる。
「……シャノン、さん……」
薺には彼がいまどんな表情を浮かべているのか、薄暗いこの場所で正確に捕えることはできない。
けれど、彼の内側から滲み出る悲哀はひしひしと感じていた。
視線が彼に集まる、彼の選択した答えを知るために、一瞬、沈黙が落ちた。
だが。
「それっておかしいよ」
優姫だけは凛と立ち、冷ややかに、あっさりと、それを否定した。何者も見ず、何者にも影響されず、まっすぐに、ムネーメと玲子を見据える。
「願い事をかなえる代償に『悲劇』を求めるのって、結局叶わないと知りながら大切に抱えている『逢いたい』というヒトの想いを悪用するってことだよね?」
至極冷静に、けれどどこか揶揄するように、彼女たちの言葉を笑う。
「たったひとりの夢をかなえた結果がどういうものか、僕らは既に知っている。過ちはくる返されるべきじゃないし、そもそもね、僕は貴方たちみたいな考え方しかできないものを赦さないよ」
そうして唇を引き結ぶと、先程小道具として渡された剣をゆっくりとかまえてみせた。
「話し合いとかさ、意見交流って大事だとは思うんだけど、もうめんどくさいから全部はしょるね? いっぱい質問したかったんだけど、もういいや。消えて?」
まるで死の宣告ともとれる言葉を告げる優姫に対し、玲子はただ冷笑を浮かべるだけだ。
代わりに彼女の間に立ったのは、つい先程言葉をかわした茶髪のカメラマンだった。
「キミだって望んだだろ? キミだって、親友をこの世界に呼びたいって言ってたじゃないか! 一緒だ、ここにいるみんなとキミだって一緒のクセに!」
彼は、きつい表情で優姫に非難を浴びせる。
何故、どうして、否定するんだと言わんばかりに、声を荒げる。
だがそれを優姫は涼やかに受け止めた。
「ああ、うん、ごめんね。あれ、全部ウソ、キレイさっぱり。知り合いが作ってもらったっていうのまで全部ウソ」
「え」
「僕が実体化させたいって言った親友ね、こっちに来てもメリットなんて一個もなくてさ、もしただ僕のワガママで呼んじゃったりなんかしたら、怒られるんだよね、僕が。怒るとマジ怖いんだよ」
軽やかに笑い飛ばして、そして、再び真顔になる。
「僕は娯楽の存在だ。それはもうね、納得済みなんだ。夢を見てくれた、夢を託し、夢を詰め込んでくれた、その人たちの想いだけで充分、僕は僕の存在意義だと言える」
そして自分はここで自分の思うままに生きるだけだと、告げて。
「その想いが『神様の魔法』によって実体化してしまったら、その奇跡と運命を受け入れるよ。でもさ、そっちの勝手な思惑で強制的に存在を歪めるって言うの? そういうのは気に入らないんだよね」
黒曜石よりもなお澄んだ深い瞳は、そのまま彼女の意思の強さの表れとなる。
「だから、くだらないって、断じるよ」
「悪いが、俺も鳳翔に賛同する」
シャノンは顔を上げ、端整な顔に凄惨なまでの笑みを浮かべると、
「あるべき存在、あるべき姿を、意図的に歪めることを黙認するわけにはいかないからな――彼女も、それを望まん」
玲子の肩から照準を外した銃口で、次々と青年たちの手にしたフィルムを撃ち抜いていく。次々と、ひとつ残らず、一片も残らぬように、徹底的に、ためらいのない、正確無比な狙撃は、失われた恋人の復活という『夢』を文字通り打ち砕く。
そこへ重なるように、
「やあ、ずいぶん派手に始まっちゃってるけど、そのパーティ、僕も混ぜてもらえるかな?」
浮かれた声が、今度は頭上から降って来た。
銃撃にも驚いた表情ひとつ浮かべず、嫣然と佇んでいた玲子の視線が、声の主へと向けられる。
「あら、あなたまで来たのね。少し前にうちの保管室とコンピュータ、駄目にしてくれたのはあなたよね? うちのスタッフが泣きながら報告してくれたわ」
「正解。ついでにアンタたちの企画書はこのディスクの中さ。自主映画制作代行サービス・別名実体化サービスの危険性について対策課と警察に届けてあげようかと思って」
「何故、あなたがそれをするの?」
玲子は問う、そして彼女に続いて、青年たちが問う。それは交渉にも近い、誘いの言葉だ。
「ヘンリー・ローズウッド、君の絶望を癒すこともできるよ?」
「生きている人間と変わらない自分を、作って上げられる」
「すてきだろ?」
「ステキでしょ?」
口々に彼らは彼女らはたたえるのだ、己の行為を、フィルムの素晴らしさを。
「詳細な設定、ね。なるほど」
くつりと笑いをこぼし、そうしてヘンリーは彼らを冷ややかに睥睨する。
「それで、詳細な設定じゃない僕はどうなるのかな?」
「ほら、見せてあげるよ、見せてあげる、実はもう作ってあるんだ、ほら、これだよ」
「これに」
「ええ、これに」
「そうね、見せてあげるわ、ヘンリー・ローズウッド。あなたに、素敵な夢をあげるわ」
スタッフたちの輪唱めいた台詞を背にして、玲子が艶やかに嗤う。
ゆらり。めきり。
「あ」
薺は目を見張る。
玲子の肩にのっていた『濃紫のバッキー』が、ゆらりと揺らぎ、姿を変えたのだ。
その額には一対の角がめきりと生え、小さな尻尾はずるりと伸びて、その先をまるで悪魔のソレと酷似した矢印型のものへ変える。
パカリと、口が開いた。
ありえないほどに大きく大きく、口が開いて。
「さあ、あなたの夢を、叶えてあげる。一瞬で、ほら、こんなふうに、叶えてあげられるのよ」
「――っ!?」
紫煙が、吐き出された。
もうもうと吐き出されたソレは、それ事態がひとつの意思を持っているかのように彼女が手にしたフィルムと、そしてヘンリーを取りまき、飲み込んだ。
白い煙幕はその場にいた全員の視界を奪い、重く淀みながら、空間を流れていく。
そして――
『なぜ、こんな真似を? お前なら……、そう、トリックを駆使し、人々の目をあざむきながら黄昏にたつ怪盗にだってなれるはずだ』
白い闇が晴れていけば、そこに探偵がいて、強盗がいた。これまでどこにもいなかったはずの登場人物が、増えている。
アンティークのテーブルセットをしつらえた部屋の片隅に、彼らは不意に現れながら、ごく自然に会話をかわしている。
黒い巻き毛の男は気だるげに、シルクハットの男は軽やかに、互いに互いだけを見る。
『なぜと問うのかな? 語れば長くなる。それでもよければ、そう、君と僕の好きなアッサムティーでも飲みながら話すとしようか?』
『想い出話でもするつもりか? あいにくそういった類は聞き飽きているところなんだが』
これはちょうど、途中から再生したDVDを髣髴とさせた。
ただし、DVDならばテレビ画面の中だけに存在するだろうが、彼らは違う、彼らは『現実』に『自分たちのシーン』を持ち込んできたのだ。
現実の舞台に、自分たちを持ち込んできた。
「これって……これって、もしかして……」
薺は彼らの『演技』を見、そして傍らでじっとそれを眺めるヘンリーを見る。
一体この場に何が起きたのか、とっさに理解できた者がいたのかどうか。
誰もがこの『奇跡』を、フィルムから実体化するその瞬間に経ちあった驚きを、衝撃でもって受け止め、沈黙する。
「……くだらないね」
だが、誰よりも早く呪縛から解き放たれたのは、ヘンリー自身だった。彼は彼女を見据え、銃を構える。
「まったく本当に、実にくだらない口説き文句だ。それで誘惑しているつもり?」
「これで、あなたの絶望を癒してあげられるのに?」
挑むように微笑み、彼女は部屋の隅に座る『詳細設定を持つヘンリー』へ視線を向けた。
「好きな食べ物、嫌いなこと、経歴、思考、過去に想い出、すべて生きている人間と同じだけの厚みを持ったあなたがそこにいるのよ? あの存在を、なにより願ったのはあなたではなくて?」
「ねえ、レディ? アンタに面白いものを見せてあげようか?」
破裂音。それはまごうかたなき銃声。立て続けに、二発、三発、四発――
取り囲んでいた青年たちの体をすり抜けた銃弾が、血を弾けさせる。鮮赤が、彼らの目の前ではじけて、ふたつの影が倒れこむ。
ヘンリー・ローズウッドと同じ顔をした男、そしてヘンリー・ローズウッドではあり得ない顔をした男、その二人が、目を見開き、床に仰向けに倒れ。
事切れて。
数秒。
……いや、十数秒のタイムラグ。
そうしてようやくふたりの男は、みなが見守る中で無機質なふたつのフィルムに変わったのだ。
ごく短時間ではあったが、銀幕市の絶対のルールに抵触する、不可解な現象が繰り広げられた。
「貴様……、あの時の病、まだ消えてなかったんだな」
いまこの場にいる者の中で、シャノンだけがその現象を理解していた。
呟く彼にちらりと視線を投げ、そして奇術師は、歪んだ笑みを口元に広げる。
「これが僕の絶望、これが僕の答え、〈いまはもういない相手〉から……うん、一応もらったことになるのかな? ムービースターだけを殺すチカラ、ムービースターをつかの間ヒトらしく死体のままで留められる銃弾を放つのが、僕のチカラさ」
これは、あの日、もう間もなく一年前になろうとしているあの日のあの瞬間、研究棟の地下で生まれた悲劇のヒトカケだ。
かつて銀幕市に振り撒かれた、【死に至る病】の、おそらくは最後の罹患者がここにいる。
「〈絶望〉に感染している僕は、銀幕市を憎悪する」
覚えておいてくれるかな、と続ける言葉とは裏腹に、ヘンリーの笑みはいっそ晴れやかだ。
「数多の救いを拒絶し、不幸に嗤い、全てを嘲笑って悲劇を演出するのが僕だから、だから僕は必要としないんだ」
「……あなた、なかなか面白いものを見せてくれるわね」
「どういたしまして。楽しんでもらえたなら光栄だね」
「さあ、覚悟を決めてもらおうか」
「幕引きを、させてもらうよ」
「玲子さん、もうやめましょう!」
「誰に向かってそんな口を聞いているのかしらね? ねえ、〈追憶の毒〉をあなたたちへ届けてあげるわ」
彼女の手が振り上げられ。
ケモノの咆哮が空を裂く。
牙を剥き、毒を吐く、バッキーに似た〈なにか〉は、バッキーではあり得ないモノへと姿を変えて襲い掛かる。
ディープパープルの毛並みは針のようにぞろりと伸びて体表を覆い、己を守りながら他者を傷つける武器となる。
ソレは跳躍する。
ただひとり、強靭な肉体も類稀な能力も持たない少女だけに狙いを定めて――ソレは鋭い牙を剥き――
剣が空を薙ぎ、銃声が響き渡り、そして頑強な壁が聳え立つ。
一瞬の交差。
呼吸すらも止まる瞬間。
誰ひとり正確に捉えることのできない、刹那の攻防。
どさりと重たく鈍い音を立てて、〈ケモノ〉は地に落ちた。
「間に、合いました……」
「ドルフさん……?」
薺は、大きな体に視界を遮られ、守られていた。
またしても自分は守られた。その腕に、その体に、その力に、守られたのだという想いに駆られる。
それを切ないと感じ、つい視線を逸らす。
そして彼の腕の間から、薺は目撃する。
ダークパープルの、狼とも狐ともつかない不可思議な〈ケモノ〉が漆黒のケムリとなって溶け、この世界から消えていくのを。
それと同時に、まるで操り人形を支えるすべての糸が途切れるように、取り囲む者たちもまた、バタバタと地に崩れ落ちていくのを。
薺は、ひたすら見続けていた。
「やあ、これで終幕かな?」
ヘンリーの台詞がピリオドになったのかもしれない。
ムネーメによって現実に引きずり出された〈理想〉がついえるように、〈実体化サービス〉が引き起こそうとしていた悲劇にもまた終焉の幕が引き降ろされたのだ。
「……あ、ああ、すみません、いつまでも!」
それで我に返ったのか、真っ赤になったランドルフが慌てて薺から手を離したとたん、
「あ」
「ああ!」
「あ、大丈夫、薺ちゃん?」
呆然とした顔でへたりと床に座り込む薺に、今度は優姫が手を差し伸べ、支えとなる。
「ゴメン、一緒に頑張ろうって言ったのに、コワイ思いさせちゃった」
「えと、大丈夫です。大丈夫……」
薺自身にも分からない。
怖かったのかもしれない。安心したのかもしれない。哀しかったのかもしれない。悔しかったのかもしれない。
分からない。
分からないけれど、何故か胸が詰まる。
楽しそうに、嬉しそうに、彼らは映画を作っていた。
彼等の映画に、願いと想いを懸けた人々もきっと多かったはずだ。
彼等の行為を『希望』だと、シャノンは言った。
では、彼等のしたことは、ある意味では間違っていなかったということになるのだろうか。
存在とはなにか。
存在するとはなんなのか。
「この事件に関わる中で、私は私なりに、存在について考えてました。私たちムービースターについて考えていたんですが……」
よく見ればその服を血にまみれさせていたランドルフは、淋しげに、切なげに、誰に向けるでもなく言葉を落とす。
「例え何かが起こり、私自身がこの世界から消えたとしても、それでも、銀幕市で出会った方の心の片隅、思い出の中に、わたしは残りますよね? 存在とは、そういうものではないでしょうか……」
彼は彼で、その想いに行きつくまでにいろいろとあったのだろう。
では自分はどうだろうか。
薺はまだ、投げかけられた問いの答えを本当の意味で見つけられずにいる。
「目が醒めたのか?」
思考に沈み込んで言った薺の意識を引き戻したのは、シャノンの声だった。
「あら……あら?」
思わず抱き起こしてしまったシャノンの腕の中で、玲子は幾度も瞬きを繰り返し、たったいま長い眠りから目覚めたような顔で彼を見上げた。
「ここは?」
同じカオをしながら、彼女は別人だと、そう直感させる表情。まさしく憑き物が取れたよう――、そう表現するのがもっともふさわしい気がした。
「覚えていないのか?」
訝しげなシャノンの視線を受けてなお、玲子も、そしてスタッフたちも、状況を把握しきれないままに不思議そうな表情を浮かべ続ける。
何故自分がここにいるのか、一体何をしていたのか、プツリと記憶が途切れていることをひたすらに訝しんでいた。
「あれ、実体化サービスを企画してたってことも忘れちゃったのかな?」
「実体化サービス……?」
はじめて聞く言葉だと言わんばかりに玲子に問い返され、じわりじわりと不吉な予感と不穏な空気が彼らの心を捕えはじめる。
「……操られていた、のか?」
「じゃあ、あのバッキーもどきが全部の元凶だったってオチになるのかな?」
「ムービースターを作り出すムービースター、ということでしょうか」
「だとしたらあの子、突然変異、だったのかな……」
夢の神子のチカラで生まれた存在が、ムービーキラーのように変質したということか。
憶測ならばいくらでもできる。
だが釈然としない、むしろ漠然とした不安が膨れ上がって行くのを止められずにいる。
なにかがまた始まろうとしているのか。
それとももう既に、なにかが始まってしまっているのか。
*
*
「どうやらムネモシュネは失敗したようだな。〈毒〉は、まわりきらずに消されたか」
「だから、やつのやり方は回りくどすぎると言ったのだ。手間がかかるわりに、こうもあっさり計画が潰えるとは」
「なに、次はもう少し面白い見せものになるはずだ。多少の手間は掛かるだろうがな」
「貴様も動くか?」
「すでに別の奴らが準備を進めている。それがこちらの計画の目眩ましともなろう。欺くこともたやすい」
「……ふん、せいぜいやつの二の舞にならぬことだな」
「お前もだ。他のヤツラに遅れをとる前に、とっととその重い腰を上げるがいい」
「ぬかせ。貴様や他のやつらのように急いて仕損じることを避けるのだよ」
*
*
キラキラと光が注ぐ。
銀幕市立中央病院、特別棟に併設された研究棟、〈ガラスの箱庭〉にまたひとつファイルが増える。
初めて足を踏み入れたスタッフルームで研究員にお茶を勧められ、ちょこんと椅子に腰掛けていた薺は、しばらくの間、彼らの動きを目で追っていた。
「例の彼女ですが……やはり、社長でいた期間の記憶が抜け落ちているようですね。ご自身が奇妙なバッキーの飼い主であった自覚もありません」
この場所の実質的責任者であるドクターDは、銀幕署と対策課から送られてきたデータに視線を落としながら、告げる。
「彼女にとって最後の記憶は、『なにか、絶対的な存在が自分の意識の中に入ってきたのを感じた』ということ、そして、その相手が『追憶の毒・ムネモシュネ』と――そう名乗ったことのみだそうですよ」
研究員たちへというよりも、事件解決に関わった薺のために、彼はまるで世間話のように顛末を語ってくれる。
その言葉を聞きながら、どう切り出すべきか、どう言葉にしようかと悩んで、迷っていた薺だったが、ようやく覚悟を決めった。
それでもやはりおずおずと、目の前に腰掛けたドクターへ視線を向けた。
「あの、ドクター」
「どうされました、三月さん?」
やんわりと笑みを浮かべて、精神科医は作業の手を止め、薺を見つめる。
眼鏡の奥の、穏やかな深海色の瞳に促がされ、
「理想を求めるのって、やっぱり罪なんでしょうか?」
ポツリと胸にわだかまる思いを口にする。
「ずっと考えてました。私、あれからずっとずっと、豊さんの質問の答えを考えてました。私、全然役に立てなくて、だから、余計、考えちゃったんだと思うんですけど……」
誰かの役に立ちたい、誰かの想いを叶えたい、誰かの幸せのために何かをしたい、そう願い、それを叶えられる力があればと願うことも、やはり罪なのだろうか。
「私は今よりもっと強い自分がいたら、もっと誰かの助けになるんじゃないかって思いました。もっともっと、誰かの役に立てるんじゃないかって」
あの時、シャノンが、優姫が、ヘンリーが、ムネーメと正面から対峙した時、薺は一瞬夢想した。
拳を握って、彼らとともに敵の前に立ちはだかる、もうひとりの自分を。
『大丈夫、私が守るから。大丈夫、何があったって、絶対大丈夫だから』
いまこの瞬間にも世界を救えそうな自信に満ちあふれた、力強い視線と、それに附随した能力を扱う自分を、想い描いた。
けれど。
「でも、理想の自分が現れたら、理想じゃない私はどうなっちゃうんだろうって考えました。役に立たない私は、いらなくなるのかなって、いらなくなった私はどうすればいいのかなって、考えてしまいました」
言葉にしていくうちに、なぜか哀しい想いがあふれ出そうになる。
涙があふれそうになる。
泣きたいではないはずなのに、どうしてこんなに辛いのだろうと思う。
「三月さん」
「は、はい」
名を呼ばれ、思わず姿勢を正してしまう。
「理想を求めることは罪ではないと、わたしは思います。願い、望むこと、それは誰かに否定されたからといって捨てられるものでもないでしょう」
耳に心地よい声が、ゆっくりと薺に差し出される。
「ただ、そうですね……誰かを犠牲にする、なにかを犠牲にする、そこには願うご自身も含まれますが……、そうして犠牲という名の贄を必要とするような願いの叶え方は、更なる苦しみと新たな哀しみを呼び起こすのだと思いますよ」
その言葉は、ゆっくりと自分の中に浸透していく。
「あなたを愛し、あなたを必要としている方を泣かせてまで、あなたはもうひとりの自分を欲しますか?」
「……私を愛してくれる人……」
「あなたはあなたの理想とする自分に近づく努力をする、それこそが大切なことだと思いますよ」
「……そう、なのでしょうか」
ドクターの言葉を心の中で反芻しながら、しばらくの間、薺はその意味について考え続けた。
手の中のティーカップは、やさしいぬくもりを薺に与えてくれる。
それをやさしいと感じているのは、いまここにいる自分なのだ。
「あの」
「はい?」
「ありがとうございます。私、頑張ります! ちょっとずつでもなりたい自分になるために、精一杯頑張ります」
「それはとても素敵なことですよ、三月さん」
穏やかなぬくもりに満ちた、やさしい時間。
何が正しくて、なにが間違っているのか、願う人の心を断じることはきっと自分にはできない。
それでも、できることなら自分も『誰か』のためにこんなやさしい時間をあげられるようになれたらいいと思いながら、ゆっくりと紅茶に口をつけた。
END
|
クリエイターコメント | はじめまして、こんにちは。この度は【虚構の教戒】シリーズ第三弾(ラスト回)にご参加くださり、誠に有難うございます。 今回のサブタイトルは『存在の正誤』、メインテーマでもある【存在】についてのご回答はどれもすばらしく、その胸に抱く信念と想いは本当に胸にくるものばかりでした。 心理描写と問答がメインとなった今シナリオの着地点が、お待たせした分も含めて少しでも楽しんでいただけるものとなっておりますように。
>ヘンリー・ローズウッドさま 四度目のご参加有難うございますv 会社を潰すための調査を行うということで、今回はどちらかと言うと神出鬼没かつ暗躍的スタンスとなりました。 サービスへの答えを拝見してご用意させて頂きました【病】のネタともども、ヘンリーさまの矜持を表現した演出となっておりますように。
>ランドルフ・トラウトさま 六度目のご参加有難うございますv 唯一『殺人犯』を追うという行動を選択されておりまして、結果、単独行動メインの上で、抱えられる想いと願い、その葛藤をあのような形で表現させて頂きました。 ナイフを握ってしまった【青年】のこれからを、よろしければ見守ってやってくださいませ。
>シャノン・ヴォルムスさま 四度目のご参加有難うございますv サービスを受けて内部を探るというプレイングから、銀幕市で着々と大切なモノや場所を増やされているシャノン様の、心の根底にあるものを垣間見させていただいた気がしました。 サービスへの考え方、そして内面の揺らぎから、あのような演出となりましたが、イメージどおりとなっておりますでしょうか?
>鳳翔優姫さま 同じく『サービスを受ける』という口実とともに調査に参加していただいたのですが、技術面などにも関心を寄せられているということで、あのようなスタンスとなりました。 ご自身における存在についての言及も潔く、凛々しさや清々しさのある言葉の数々に惚れ惚れいたしました。 飄々とした佇まいとまっすぐに立つ姿勢が、ノベル内で表現できていればと思います。
>三月薺さま 今回のプレイングを拝見し、薺さまの抱える揺らぎや切ない願いを受け、目の前の驚異に対して『問い』を投げかける存在となって頂きました。 さりげなく真相に切りこんでいるため、若干危ういことにもなったりしつつ。 ラストにて、こそりと薺さまの出された『答え』に繋がるエピソードをご用意させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
さて。【虚構の教戒】における悲劇はひとまず幕を下ろしますが、新たな【不穏の種】がばら撒かれているこの銀幕市。 そのいずこかで、皆様と再びあいまみえることができますように。 |
公開日時 | 2008-04-14(月) 21:20 |
|
|
|
|
|