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<ノベル>
ぽよよん、ぱんっ。
ぱしゃん。ぱしゃん。
「いっちゃーん、早く早く!」
白い髪をぴょこぴょこと跳ねさせて、ルシファは上機嫌に手を振った。それに微笑みながら足を急がせるのは、すらりとした長身の柝之守泉である。
今日はいつもと少し勝手が違う。普段引き回している隻眼の相棒や、普段世話になっている(している?)相棒を置いて、女二人自由気侭なショッピング。空は快晴、春らしい陽気にそよ風が吹いて、絶好の日和であった。
「待って、ルシファちゃん。ちゃんと前見て歩かないと……」
言いかけて、泉はルシファに向かう球体を目の端に捕らえた。
「危ない!」
「え……うひゃぁっ!」
ルシファは飛び上がった。ぽよんと何かが当ったかと思うとぱちんと弾けてばっしゃんと水を被ったのだ。ちょうど頭に当たったようで、髪からぽたぽたと雫が滴る。
「ルシファちゃん、大丈夫っ?!」
泉は駆け寄ると、ぽぉう、と蒼い炎を手のひらに出現させると、なでるような仕草をする。すると、蒼い炎はルシファの全身に纏わりつき、かと思うと炎は消え、その時には濡れそぼった髪は乾いてしまった。
「ありがとう、いっちゃん」
「ううん。なんだったんだろう、今の……あれ、ルシファちゃん、ちょっといい?」
言って、泉はルシファの服に張り付いている赤いそれをつまみ上げた。伸縮性のある、ゴムのようなものだ。
「風船?」
──くすくすくす。
泉は振り返る。子供だ。目が合った、と思う。思うと子供はするりと建物の影に隠れて見えなくなった。
「あの子の悪戯? 質が悪いね、叱ってやらなきゃ」
「待って、いっちゃん。私、知ってるかもしれないの。ううん、多分一緒」
泉が立ち上がりかけた足を止める。
本当は、一人で行って確かめたかった。どう言えばよいのかはわからないが、何か悪いモノを感じたからだ。その為の、軽口。 けれど、ルシファの目を見て止めた。こういう目をした者は、間違えない。それは、長い長い旅をしてきて直感として身に付いた、信じられる瞳だ。
泉は頷く。それに頷き返して、ルシファは対策課へと駆け出した。
対策課では、スーツを見事に着こなした皇帝ペンギン、王様が神妙な顔をしてベラの話を聞いていた。
その現場を目撃したのは、全くの偶然だった。所属する海賊団での食事を済ませた帰り道だ。最初に聞こえたのは、何かが弾けた音。次いで水音と驚きの声。そして怒声だ。見やれば、母親らしき女性に引き連れられた、十歳ほどの男児が、彼にだけ雨が降ったように濡れていた。甲高い怒声はどうやら母親のもので、文句を言いながら男児の顔を拭いてやっている。
視線を移すと、親子を見やる野次の中から駆けて行く後ろ姿が見えた。背丈から言って、恐らくは男児と同じ十歳前後の少女のようだ。なぜ少女かというと、きっちりと編まれた三つ編みが跳ねるのが見えたからだった。
一通り文句を言い終えた母親が、男児の手を引いて人ごみの中へ向かう。それを横目で確認して、王様は踵を返したのだった。
「──ボールの時と、痣の形が違うようだが」
自分の話と、ベラの話を聞き終えた王様が口を開く。
「形は、ほぼ変わらない。左手の甲に、丸い痣だ。ただ、……あー、なんて言やぁいいんだ?」
「気配っていうのが近いかもしれないわね。そう、気配が違うわ」
セイリオスの言葉を継いで、ベラが応える。王様が怪訝そうな顔をした所で、対策課の扉が荒々しく開いた。
「あ、王様!」
「おお、ルシファ嬢じゃないか。どうしたんだい、今日は少し元気が無いね」
そっかな、と笑うルシファの後ろから、長身の女性が入ってくる。泉だ。セイリオスが眉根を寄せると、ルシファが紹介した。
「あのね、私のお友達で柝之守泉さん。一緒に買い物に出掛けてたんだけど、水風船みたいなのをぶつけられて……」
「なにっ! 大丈夫かい、怪我は?」
「それ、どこでだ」
言葉に詰まるルシファの肩に手を置いて、応えたのは泉だ。
「怪我はありません、大丈夫です。水がかかりましたが、私が乾かしました。場所は聖林通りの入り口付近です」
聖林通り、とリオネが地図を広げる。手には赤いペンを握っている。まごまごとペンをうろつかせていると、すらりとした指が地図の一点を指した。そこに丸を付けて、リオネは振り返った。
「あ、……ありがとう」
「どういたしまして。地図を見るのなら、任せてください」
微笑む泉に、リオネはほっとしたように表情を和らげる。
「ルシファさんは、そのとき何か見た?」
「ううん、見てはないの。でも、前の……ボールを投げられた時と似てる気がして」
視線を落として、ルシファは表情を曇らせた。
そっとルシファの肩を叩いて、ベラはセイリオスに視線を移す。それに頷いて、セイリオスは対策課を後にした。
「私たちは子供たちを捕まえてくる。もちろん、手荒にするつもりは無いわ。リオネさんには水風船、だったかしら。それを拾いながら地図に印をつけてもらうことになってるの。今みたいにね。王様さんたちは、どうする?」
言外の意味を確かに汲み取って、王様はニヒルに笑った。
「困っているお嬢さんを放っておくのは、俺の流儀に反する事だぜ、ベラ嬢。君について行くことは残念ながら俺には無理だが、リオネ嬢は俺に任せてくれ」
「私も、リオネちゃんと一緒に行く!」
それに、泉も頷く。
「美しい女性が三人もいるのなら、気合いが入るね」
王様の言葉に微笑んで、ベラは踵を返す。返し際、リオネにちらりと視線をやった。頷く。リオネはきゅっと顔を引き締めた。
ベラの背中を見送って、王様が三人を振り返った。
「俺たちも行こう」
◆ ◆ ◆
「なぁなぁ、チェスター! げーせんって楽しいのか? チェスターが毎日行くってんなら楽しいんだろうなぁ。なあなあ、どういう所なんだ? ぼたん押すとかバーを倒すとかってどういうこと? 銃を乱射しても怒られないってホントか? スカッとするんだろうなぁ、でも当ったら痛そうだよな。弾丸なんか当ったら痛いもんな。っつーか死ぬよな、血がいっぱい出て……うぅ、想像しただけで目眩する……あ、でも俺には当らないんだよな? 俺には当らないのに相手には当るって変だな。あーでも、ははっ、楽しみだなぁ! なあ、どれくらい面白いんだ? ジャグリングと同じくらい? もっと? なあなあなあチェスターっ!」
くるくると表情を変え深緋色の猫毛をふわふわと揺らしながら、ケトはマシンガンのように喋りまくる。思った事は余さず口に出すそれは、彼のテンションの高さ故だが、並んで歩くチェスター・シェフィールドは口を挟ませる隙も見せないケトに、勢い余ってグーで殴りつけた。
「いってぇーっ! なんだよ、殴る事無いだろ、何そんなに怒ってんだよ、痛ぇだろ!」
「うるせぇっ! 独り言ならもっと小さく、聞いてるんなら俺が答える間っつーもんを持て!」
さらさらの黒髪を掻き上げながら、チェスターは深くため息を吐く。
間、とケトは垂れ目がちの紅色の瞳を上へ向け下へ向け、眉間にシワを寄せて、しかし思っている事はすぐ喋ってしまうのは癖のようなもので、指をくるくる回しながらぶちぶちと言葉を続けた。
「だってよ、面白いことったら楽しみじゃねーか。楽しみだとやっぱこう、テンション上がるだろ? なあなあ、チェスター、そんなに怒るなよ。悪かったって。俺、ゲーセンすっげー楽しみにしてんだよ。なあなあ!」
本気でしょげているらしいこのお調子者に、チェスターはもうひとつ別のため息をついた。
この銀幕市という場所にやって来て、同年代の友人が出来た事はとても嬉しかった。今まで歳の離れた者たちとばかり付き合ってきたから、こんな風にじゃれるようなことはしなかったし、任務ばかりで遊ぶ事も出来なかった。こうして一緒に遊びに行けるような友人がいることが、彼には嬉しかった。もちろん、そんなこと絶対口になんかしないけれど。
「おーおー、楽しみにしてろ。へろへろになって騒げなくなるまで楽しませてやる」
にやりと笑うチェスターに、ケトはぱっと顔をほころばせた。
「まーじーでー! ははっ、そりゃホンット楽しみだなぁ!」
ぴょい、と宙返りをしてみせるケトに、チェスターは笑う。
──その時!
ぽよよん
ぱんっばしゃん!
「お?」
立ち止まったチェスターを振り返ると、黒い髪からぽたぽたと雫を垂らしてワナワナと震えている。
「えっと」
何か言おうとして、
ぽよん
「ん?」
ぱんっばしゃん!
「いってぇー! つめてーっ?! 何、なに?!」
ぷるぷると頭を振って、ケトはキョロキョロと辺りを見渡した。
その隣でギンッ、と視線を鋭くしたチェスターに、ケトは思わず一歩引いた。
「良く分かんねぇ……つーか、全然分かんないんだけど? 何でこんなものを投げつけられるワケ!?」
頭に乗っかった色鮮やかな水風船を地面に投げつけて、チェスターは視線を巡らせる。人ごみの中に、くすくすと笑う子供が背を向けて走って行くのを見つけた。動体視力には自信がある、見間違いなど有り得ない。
「待てコラ、ガキッ!!」
「え、あ、ちょっと……待てよ、チェスター! ゲーセンはーっ?」
突如駆け出したチェスターの背中に、ケトの声が木霊した。
柔らかな金の髪を踊らせて、葛城詩人は街をぶらついていた。
居候先の家主は敏腕マネージャーに引っ掴まれて行ってしまったし、一人家にいるのもいかにも暇だ。陽気もいいことだし、街でもぶらついてみるかと、いつものようにエレキギターと小型アンプを手にやってきたというわけだ。
「なーんか面白いことないかねー……って、Ouch?!」
耳元で弾けた甲高い音と、突然降り注いだ液体に、詩人は飛び上がる。いくら暖かくなってきたとはいえ、突然冷や水を被れば詩人の飛び上がりようも仕方無い。
「つめて……水? って、わーっ! 俺のGuiter,Headphone&Amplifier!!」
詩人は自分はともかく自分の相棒たちを拭ってやる。電子機器は水には弱いのだ。
と、詩人の耳に子供の声と思しきものが飛び込んでくる。振り返ると、うっすらと無機質とも言える笑みを浮かべた十歳前後だろう子供がするりと人影に消えて行くのが見えた。
その目に異様な光を感じて後を追おうと踏み出しかけた所で、その脇をまるで風のように駆けて行く影が二つ。
「──……っ」
「セイ、待って」
女の声が聞こえて、自分を追い越した黒い影が振り返る。鋭い深紅の瞳とぶつかって、詩人は一瞬ひるんだ。詩人を見て、少年は表情を隠すこともせず不愉快さを浮かべる。
「くっそ、あのガキ」
深紅の瞳をしたそれは、止まってみると自分よりも頭一つ分も小さい少年だった。ぼっさりとした黒髪をがりがりと掻いて、舌打ちをする。すいと腕を上げたかと思うと、少年の手から赤い炎が飛び出した。少なくとも、詩人の目にはそう見えた。その赤い炎が自分を包み込んだかと思うと、濡れそぼった髪や服はすっかり乾いていた。
「あ……」
お礼を言おうと顔を上げると、少年の姿はどこにもなかった。白い髪の少女が困ったように微笑んでいる。
「迷惑かけて、ごめんなさい。それじゃ」
「待った!」
ぱし、と少女の手を辛うじて掴むと、
「今の子供、様子がおかしい。あんたら、あの子供を追いかけてるんなら何か知ってるんだろう。教えてくれ」
少女は少し考えるように沈黙する。詩人はにっこりと笑ってみせた。
「それに、俺はなかなか役に立つぜ? さっきは突然で驚いちまったが……」
少女はハッと顔を上げる。詩人はそれを制するように不適に笑った。
「──Let’s go! Don’t be a coward. Let’s go! The weather is wonderful.
Let’s go! It is good feelings. Only it goes or it doesn’t go or the problem is it!」
力強く勢いのあるビートに乗せて、爽快で明朗に詩人は歌う。大地を揺らすような、深く伸びやかな歌声が真直ぐに飛んでいく。ビリビリと空気が震え、まるで鋭利な刃物で切裂いたかのように空中で水風船が破裂する。
少女は詩人を振り仰いだ。笑う。
「いいわ」
言って駆け出した背中を、詩人は追った。
風が止まる。
春の陽気に浮かれたそよ風すら、彼の周りでは息を顰めていた。
焔が止まる。
彼の周りは常に適温であったのに、それにかこつけて冬と同然の出で立ちで少しばかり暑い。
しかし彼は、そんな事は一向に気にした様子も無く、ただ目の前で喚き散らす子供を見下ろしていた。鋭利に光る血色の瞳をちろりと下ろせば、子供はびくりと体を竦ませる。
子供の左腕を引き上げると、子供特有の高い悲鳴が喉から漏れる。それも気にせず、麗火は子供の左手を見やった。
──黒く丸い痣。
以前、目にしたものと全く同じもの。
前に子供たちがボールを投げるという珍妙な事件があったが、今回もそれと同じ種のものだという推測は間違っていなかったようだ。
麗火は「アカシック・レコード」の持ち主だ。レコードを見ることによって得た知識は膨大であり、また己の行動も順次記憶されていくため、「忘れる」という事はない。更に言えば、毛筋ほどの些細な傷や、コンマ1mmのズレまで全く同じでなければ見分けられるという眼の持ち主である。故に、気付いた事がある。
形も気配も、ほぼ同じもの。だけれど、違うものであるという事に。
「テメェら待ちゃーがれ、オラァッ!!」
気配。
コレと同じ気配が二つ。
それから、魔力の炎が上がる気配。
ちろりと眼をやって、それが知っている者である事に気付いて、麗火は顔を上げる。ふと風と焔が緩むのを感じて、ああ自分は気を張っていたのかと思う。向こうも自分に気付いたようで、きゃっきゃと騒ぐ子供の首根っこを掴んで近寄ってくる。
「なんだ、麗火か」
「なんだとはなんだ、セイリオス」
「いいじゃねーか、別に。……おい、骨折れるぞ」
言われて、初めて麗火は子供の腕をねじり上げている事に気付いた。子供はあまりの痛みに声も上げられずに震えていた。逃がさないように腕を掴む力は抜かなかったが、軽く腕を下ろしてやると、子供は堰を切ったかのように泣き出した。麗火は眉を顰める。
「あのなぁ、カゲンってのを覚えた方がいいぞ。まあ捕まえてくれてありがたいけど」
「捕まえる?」
セイリオスが左手を指して、麗火は得心した。
「今度はなんだ」
「俺が知るか。水ぶっかけられたから、捕まえてる」
「……おい」
「嘘じゃねぇぞ。……前のと似てるだろう」
すと眼を眇めたのを見て、麗火は頷いた。
「だが、違うな」
言うと、セイリオスは肩をすくめてみせる。どうやら、彼も気付いているようだ。
「どうするんだ」
セイリオスが口を開く。何かと聞くように視線をやると、
「何か、やるところだったんだろう」
それを聞いて、麗火は薄く笑った。
「……逃げられたままってのは癪だから、な」
ゼグノリア・アリラチリフは、穏やかな春の陽射しに目を細めた。
柔らかな光を受ける彼女の服は純白。額にはビンディー、頭からは血色に染まった一対の角が伸び、背には青緑の蝙蝠のような翼が生えている。長く伸びる漆黒の髪は毛先だけが青緑色で、そこから覗く耳は人のものではない。
「暖かいのう……のう、ややこや」
姿だけを見れば、もしくは悪魔のように見えたかもしれない。しかし愛おし気に腹をなでるその表情はまるで聖母のようだ。
と、ゼグノリアの足もとにゆらゆらと蛇行しながら丸いものが転がってきた。
「おや、美しい色の……これはなんじゃろうな?」
屈んで手に取ると、それはたぷたぷと震えた。ベンチに腰掛け直して、ゼグノリアはそれを手の中で転がす。それはやわらかく、触れるとわずかに沈み込む。中に何かが入っているようで、ひんやりとした。
「あっ──」
幼い声に振り返ると、そこには少女が三人とスーツを着たペンギンがこちらを見ていた。視線が手に持った丸いものに集まっているのに気付いて、ゼグノリアはそれを差し出した。
「これは、そなたらのものじゃろうか?」
柔らかな優しい微笑みに、緊張が解けていくのが解る。ペンギンがついと前へ出た。
「ご機嫌麗しゅう、美しいお嬢さん。俺は皇帝ペンギンの王様という。様、までが名前だから、それだけよろしく頼むよ」
王様はゼグノリアの手をとって、軽く口付けるような仕草をする。それはどこか愛嬌があって可愛らしい。
「王様か、ふふ。私はゼグノリア・アリラチリフじゃ」
「ゼグノリアお嬢さん。さて、それは俺たちのものではないが、探していたものではある。それはどこで見つけたものか、教えてもらえるかい?」
ゼグノリアは微笑んで、すいと指を指した。
「あちらの方から転がってきたのじゃ。これはなんというものじゃろうか、美しい色じゃ」
「水風船って言うんですよ。ゴムの袋の中に空気と水を入れて、膨らませるんです」
答えたのは、背の高い少女だ。ゼグノリアはそうか、と頷いて銀の髪を二つに結わえた少女に目をやる。ビニール袋と地図とペンを抱えて動かない。ゼグノリアはふわりと微笑み、水風船を差し出した。少女はどうすればよいか戸惑うように身じろぐ。
「探していたのであろ。持ってゆくがよい」
言うと、少女はおずおずとやってきて、手を伸ばす。
「ありがとう」
それに微笑んで、ゼグノリアはその頭を撫でた。
その後ろからひょいと白い髪の少女がのぞき込む。自分の腹に気付くとぱっと目を輝かせた。
「わあ、お母さんだ。お腹おっきい! 中に赤ちゃんがいるんだよね、触っていい?」
きらきらと輝く笑顔に、ゼグノリアの頬がさらに緩む。それを肯定と取って、少女は丸く膨れた腹にそっと触れる。
「あったかい……生きてる。生きてるんだね。ねえ、この子はいつ生まれるの?」
ゼグノリアはただ微笑んだ。微笑みにつられるように、首を傾げて微笑む。
ゼグノリアの腹には子が宿っている。生まれる事を、存在する事を赦されない子が。
産み直しという、特別な能力を持ち、特別な役割を持った王女婦。その産み直しの際に宿したのは、世界に生まれる事を拒まれた何も知らない胎児。世界に拒まれた子供は、何があろうとも決して生まれることは無い。故に永い時を、この子供と共に過ごしてきた。そこに居ることを知っている、ゼグノリアだけが、その寿命が尽きるまで慈しみ愛おしむ。
すべてのものから拒絶されたこの子。今、その腹に触れる手を感じることができるだろうか。生まれることは無いけれど、こうして自分以外に生きていると、微笑んでくれる者がいることを。
「ルシファ嬢。別れは名残惜しいが、そろそろ行かないと」
王様の声に、ルシファと呼ばれた少女は残念そうに手を離した。
「どこへ?」
聞くと、少しの逡巡の後に背の高い少女が答えた。
「……街で、子供たちがこの水風船を投げつけて水を浴びせるという事が起こっているんです。子供たちを追いかけるのは、別の人たちがやってくれています。私たちは、割れた水風船の跡を追っているんです」
「リオネ、おてつだいがしたくて……でも、ひとりだとまちがえちゃいそうだから、みんなにてつだってもらってるの」
ゼグノリアは頷くと、リオネの頭をやわらかく撫でた。
「こんなに幼いのに、手伝いをするのは、感心じゃの。本当に偉い子じゃのう……」
リオネは驚いた顔をして、それから頬を赤く染めて俯く。ゼグノリアはしきりに感心して、ひとしきりリオネの頭を撫でると、おもむろに立ち上がった。スカートの下から、スペード型の尻尾が覗き、バランスを取るように揺れた。
「さて、では私も手伝おう」
「えっ!」
ゼグノリアは微笑む。
「行こう」
◆ ◆ ◆
「このっ……クソガキ……、無駄に早い、足しやがって」
肩で息をしながら、チェスターは子供を引きずる。子供は子供で手を離そうと逆方向に腕を引くものだから、引きずるつもりはなくても結果的にはそうなってしまう。
「なあなあ、捕まえてどうすんだよ。ゲーセンはー?」
ケトが不満顔で後ろを歩く。
捕まえてどうするかなんて、考えてない。でも、ただのイタズラなのかはわからないが、このままじゃ済ませられない。それに、何か子供に違和感を感じる。それが気になって、子供を離せずにいるのもまた事実だった。
「あ」
「あん?」
不機嫌に振り返ると、ケトは別の方向を見ていた。その視線を追うと、二人の男が三人の少年を引っ掴んで座らせている所だった。ふいに小さい方の男が振り返る。捕まえている子供に目をやると、来いという風に腕を振る。チェスターは迷わずそちらに向かった。それにケトはため息を吐いて続く。今日はゲーセンは無しか?
「どーも」
軽く手を挙げていうと、背の高い眼鏡の男がすいと視線を下ろす。視線だけを下ろしているので、見下されているように感じる。
「それ、どうした」
小さい方の男が聞いた。小さいと言っても、自分よりは頭半分も大きい。ただ、その隣の男がさらに頭半分大きいので小さく見える。自分はもっと小さく見えるのかと思うと、なんだかやるせない気分になった。
「おい」
怪訝な顔で言われて、チェスターはハッとした。
「ええと……水ぶっかけられたんで、捕まえた」
「そうじゃなくて、……いや、いいのか。それで濡れてるんだな。まあ、そうじゃなきゃそれを捕まえないか」
言われて、自分がどうして濡れているのかを聞かれていたのかと気付いた。眼鏡の男が何事かを呟くと、ごぉうと炎が燃え立った。驚く間もなく火は消えたが、それで服は乾いた。ケトも同じようだ。
「おおっ! すっげー、今の魔法?」
「似たようなもんだ」
眼鏡の男は麗火と名乗った。小さい方はセイリオスというようだ。チェスターとケトも名乗って、この迷惑極まりない子供の話を聞いた。それで、不愉快な気配の正体を知る。
「でもさー、なんで水風船なんだろーな?」
「さぁな。前はそろいもそろってボールだった」
「で、どうすんの? こいつら」
「話を聞くのはオレには向かねぇんだよな、ベラがいれば別なんだけど。……とりあえず落としとくか」
セイリオスが麗火を振り向く。
「俺はさっきやったから、今度はお前がやれ」
「だから、こういうのオレには向かねぇってんだろ」
「話を聞くのも向かないなら、落とすのも向かない、か」
「うるせぇ」
鼻で笑う麗火に、セイリオスは不愉快げに眉間に皺を刻む。それを満足げに目を細めて笑うと、麗火はチェスターの引きずってきた子供を見やった。子供はビクリとすると、隠れるようにチェスターの後ろに回った。
「目つきが悪過ぎるんだ、麗火」
「お前に言われたくねぇな」
片眉を上げて、麗火は小さく息をつくとしゃがんだ。チェスターの足にしがみついている左手に手をかざすと、ぽうと白い光が灯った。子供がびくりと手を引く。しかし光は左手を捕らえて離さない。
「だめぇっ!」
子供は光を振り払おうとめちゃくちゃに腕を振る。麗火がすぅと目を眇めると、光が強くなる。子供はいやだとかいかないでとか叫んで、ふいにかくりと倒れた。その瞬きの間隙に黒い影がゆらりとしたのを、チェスターは見逃さなかった。刹那、腰から拳銃を引き抜き、引き金を引く。途端、なにとも似つかない断末魔が響いて、黒が霧散した。ひゅう、と口笛の音がする。
「やるじゃねぇか。目がいいんだな」
「……どーも」
チェスターは肩をすくめた。
「ああ、やっぱりこっちだった」
女の声に振り返ると、白い髪に蒼い瞳の少女が駆けてくる所だった。その後ろに、子供を肩車したり抱えたりしているエレキギターを持った男。
「ベラ。……と、」
「葛城詩人。よろしくな」
詩人は、にっと笑う。麗火が子供を見やった。
「痣がまだある」
「あー、まあ平気だろ、後で。追いかけられて、楽しそうにしてるような奴らだからな」
言ってるところで、肩車をしている子供が髪を引っ張った。
「いてて。やめろって」
すっかり懐かれてしまった詩人を横目で見ながら、麗火は考え込むように腕を組んだ。
「これで六人……あと七人か」
セイリオスが言うと、全員が振り返った。セイリオスは後頭部をガリガリと掻くと、全部で十三人いるのだと言った。
「テキトーに走り回って、半分も見つかったんなら大したもんだ」
「うるせぇぞ」
「まあ、ガキ共を捕まえるのは異論無い。怪我はさせないように気をつけてやる」
「っかー、嫌みったらしい言い方だな」
「なになに、追いかけっこみたいな? 面白そーじゃねぇかっ! 俺も参加していい? つか、参加する! そんでチェスターにぶつける!」
「おい、今なんつった。……まあ、俺も捕まえんの手伝ってもいいぜ。イラッとしたし、あんなもんぶつけられて黙ってられるタチでもねぇし」
「それじゃ、私は子供たちを対策課に連れて行くわ。詩人さんは……」
振り返って、ベラは笑った。
「……対策課、かしら」
「Hmm……しょうがねぇな……Okey、行こう」
言った詩人には、子供が二人三人とくっ付いて離れなかった。
「太陽は朝、東から昇って、昼には南を通り、そして西に沈んでいく。今はもう午後になるから、影は西の方に伸びていくね」
ルシファとリオネは自分の影と睨めっこをしながら、泉の講釈を聴いている。
「お昼に太陽は南を通るから、はい、じゃあ影は東西南北どっちの方角にできるでしょうか?」
「えっと……太陽が光るのは南だから……北!」
「ぴんぽーん! はい、じゃあ地図はどっちを向ける?」
地図を渡されて、ルシファはむう、と唸る。それを、リオネも一緒にのぞき込んだ。
「ちずは、きたが上だよね」
「影は、北に伸びるんだから」
地図と影とを交互に見比べて、二人はくるくると回る。影は北、北に影、と呪文のように呟きながら、影に向かって立ち、ルシファとリオネは泉を振り返る。
「正解! それじゃ、ここでもう一つね。お昼を過ぎると、太陽は西の方に向かって伸びていく、ってさっきも言ったよね。だから、影の方を真直ぐに向いても本当の北じゃないの」
「西の方にずれちゃう、ってこと?」
「そう。そこで、地図の登場ってわけ」
「地図の?」
「うん。建物があるし、それが役に立つの」
「たてもの?」
こんがらがりそうになる頭を必死に回転させて、二人は泉を見上げる。
「ここは綺羅星学園の前だね。はい、じゃあ地図の中で綺羅星学園を探してみよう」
「えっと……あ、あった!」
「ここの道が、今立ってるところかな?」
「そう。それじゃ、学園が見える方向と同じ方に地図を回してみて。二人が回っちゃダメだよ」
二人は再び唸りながら、自分が回りそうになるのを必死に堪えて地図を回す。
「こうだっ!」
「正解! じゃあ、復習ね。地図では北はどっち?」
「うえっ!」
「じゃあ、北はどっちかな?」
「地図の上はこう向いてるから……こっち!」
「大せいかーい!」
三人は手を叩き合って笑う。それを微笑ましく見守るのはゼグノリアと王様だ。
「やはり女性の笑顔は和むね」
「そうじゃのう。子供の笑顔なら、なお暖かい」
「何を言う、ゼグノリア嬢。あなたの笑顔も、とても暖かい」
「ふふ、王様は上手じゃの」
五人は休憩を取っていた。リオネは通い慣れた学校の前という事もあって、緊張もいくらかほぐれているように見える。何より、泉とルシファの気安さに、安心しているように見えた。初めは可哀想なくらい緊張して、今にもどこかへ走って行ってしまいそうだった。それが今は、和やかな空気の中に溶け込んで行っている。
それでも、リオネはどこかで張り詰めている。水風船の残骸を見つける度に、強張った顔をする。俯き、唇を噛み締め、今にも泣きそうな顔をする。それを必死に堪えているのがわかる。
それが、王様にはたまらなかった。
辛い事があった。悲しい事があった。たくさんの人が涙を流した。
それを、今この小さな少女がどのように受け止め、どのように思ってここにいるのか。
今までただ見ているだけだった少女が、こうして此処いること。
自らの足で街を歩き、自らの目で街を見て、自らの手で拾い上げていること。
王様は目を細めて彼女らを見つめていた。
「Hey! 静かにしろよ、ったく」
対策課に着くまでにきゃっきゃと騒いで、対策課に着いてやっぱりきゃっきゃと騒ぐ。まったく、子供の体力というのは計り知れない。
ただ、気になるのは残りの三人だ。麗火が黒い痣を接がした三人。手を引かれて大人しく付いては来た。
だが、それだけだ。
何もしない。
聞けば、答える。丁寧にだ。
それしか、しない。
「どうぞ。お疲れでしょう」
そう言って茶を差し出したのは、赤沼だ。対策課に来た時、一等目を引いたやけに目立つ女。植村もある意味で目立つが、赤沼のそれは種類が違った。くたびれた職員とは違う。植村にメンタルヘルスケアに従事している保健師だと聞いて、ようやく得心がいった。
「Thanks. ……ところで、ちょっと気になってたんだけど、いいか?」
「なんでしょう?」
詩人は赤沼に手に視線を落とす。
「それ、暑くねぇの」
赤沼の手は、白い手袋で覆われていた。赤沼は恥ずかしそうに笑う。
「私、すごく不器用なんですよ。お料理とかお裁縫とか、頑張ってみるんですけれど……お見せできません、絆創膏だらけの手なんて。それに、私の手がこう傷だらけですと、相談する方は心を乱します」
「……料理しなきゃいいんじゃ」
呆れたように言うと、まあ、と赤沼は怒ったような仕草をする。
「私に餓死しろとおっしゃるんですか? 葛城さんったら酷いですね」
「世の中にはinstant foodってものがあることを知っているか?」
「ダメです。栄養が偏ってしまいます。心身ともに健康でなければ、他人の心を受け入れられません」
「受け入れる?」
詩人がお茶をすすりながら聞くと、赤沼は微笑む。
「他人の心を理解して「あげる」など、思い上がりです。私に出来ることは、その人の心に耳を澄ませることだけ。アドバイスをすると言いますが、その答えはその方がすでに口にしていることです。それを、私という他人が改めて言葉にすることで、その方は自分の答えを受け入れられるようになる。そして、前を向ける。……私がやっていることは、その方を理解するには至らない、ほんの子供騙しのようなものなのですよ」
赤沼はどったんばったんと暴れ回る子供たちに目をやる。詩人も、子供たちに目をやる。手には、黒い痣。それが付いている子供は、笑う。付いていない子供は、黙ってそれを見ている。
「……あんた、あの子供たちをどう思う」
「元気ですね」
そうじゃなくて、と詩人は柔らかな前髪を掻き上げた。
「子供は、敏感です」
声に、詩人は顔を上げた。
「大人が思うほど、子供は子供ではありません。大人が思うほど、子供は無知ではありません。子供は愚直に過ぎるほど、大人の心に従います。子供は、大人と呼ばれる者たちよりも、ずっと賢く、ずっと懸命です。あの年頃の子は、自分の心に素直に従える方が、よいと思います」
赤沼は目を閉じる。振り向き、微笑む。
「我慢を覚えるのは、もう少し先でも遅くはありません」
詩人は小さく頷きながら、子供たちに目をやった。
◆ ◆ ◆
「はっはははははっ! いいねいいね、楽しいね! ゲーセンに行けなかったのは残念だけど、これはこれで楽しいからいーやーっ!」
「水風船でジャグリングなんかすんな! さっさと捕まえろ、バカケト!」
チェスターが怒鳴ると、ケトは肩をすくめて水風船を投げた。走る子供の先に水がぶちまけられ、一瞬ひるむ隙ができる。チェスターは足に力を込めた。
──魔物狩りとして鍛えられた足が、こんなところで役に立とうとは。
チェスターは皮肉まじりに笑った。
再び子供の行く先に、水がぶちまけられる。一気に距離を詰める。子供の足がもつれた。転ぶ前に、その襟首を捕まえた。
「確保っ! もう一人は……」
「あっ」
ばっしゃん!
ポタポタとチェスターの髪から雫が落ちる。
ゆらりと視線を上げると、ケトの腕に子供が抱えられている。きょとんとした顔でこちらを見やって、それからにこーっと笑った。
……腹立つ笑顔だ。
「あ、あはははは……は……ごめん、手が滑った」
「ケ、ト、ッ!」
「わあああっ、ごめん、ごめんって! でも笑えるっ!」
「てんめぇっ!!」
後、五人。
麗火は口の中で術式を編み上げる。小さく掲げた手に、白い光が宿る。
いつもは賑やかな風と焔は、息を顰めてじっとしている。
彼の術は、彼を愛する精霊の行使するそれを遥かに凌ぐ威力を持っている。それを普段使わないのは、焔と風に類する魔術には何の制限がないこと、そしてその身を彼らに守られている故であった。それ以外の魔術を使えば、焔が嫉妬をするということも、一つの要因ではある。ただ、ものぐさな彼は、自らの魔術を使うことが面倒だった。それが、やはり一番の理由であろう。
しかし、今の彼は違う。
前回……ボールを投げる子供の事件。あの時、まんまと逃げられた、あの黒い影。
それを、今度は逃がすものかという気合いが入っている。子供じみた理由ではあるが、それが麗火という人間の一端だ。
麗火の魔術には、魔法具は一切必要ない。必要なのは、彼の中の膨大な知識と、大いなる力。
深紅の髪が、風もないのに揺らぐ。
血色の双眸が空気に触れる。
映るは、三つの魂。
それに巣食う、黒きもの。
掲げた手に宿る白い光が閃光を放つ。
魂が震える。
白い世界に一点、漆黒の穴が穿たれる。
是幸いと、黒が奔る。
──掛かった。
拳を握る。
水晶の珠が現れる。
透き通った珠が黒く染まる。
捕らえた。
笑った。
途端。
珠が弾ける。
黒が霧散する。
麗火は舌打ちをした。
閃光は収束し、そこにはがくりと項垂れた子供が三人、残った。
「……力を入れ過ぎたか」
子供三人を風に任せ、麗火は踵を返した。
「だーっ、たく、ホント無駄に早ぇ足しやがってクソーッ!」
するすると森の中を駆けて行く子供。背が低いだけに足許を掬われそうなものだが、体が大きい分、セイリオスの方が不利だった。しかし、盗賊として名を馳せた【アルラキス】の一員、ただの子供に引けを取るわけにはいかなかった。
……もちろん、本当にただの子供であるなら、だ。
体力の底が見えない走り方をする子供。それは、常軌を逸している。だから、セイリオスは解っていた。何も考えずにそうしていれば、ある時突然、体力の限界が来ることを。それは、人間の体を持っているからだ。だが、そうする前に捕まえなければならない。人間の体は、脆い。
視界が開けた。見覚えがある。銀幕市自然公園。
セイリオスは手の中に炎を集めると、子供の背中に向かって放った。子供が燃え上がる。叫ぶ。崩れ落ちた子供は身じろぎ一つしない。ため息を吐いた。左手に、痣はもう無い。
甲高い悲鳴。
聞き覚えのある声に、セイリオスは振り返った。そこには四人の見知った顔と、一人の妊婦が立っていた。今にも失神しそうな夢の神が怯えるような目でこちらを見ている。
「貴様っ……なんてことをっ!」
王様が掴み掛かってくる。ペンギンの羽でも物を掴めるのかと、セイリオスは思った。泉が子供に駆け寄る。ルシファとリオネが今にも泣き出しそうな蒼白な顔でこちらを見ている。
ああ、面倒な奴らに見られた。
「なんという事をしたのだと、聞いている!」
「炎で灼いた」
淡々とした声に、角と翼を生やした妊婦が目を眇める。
「……幼き子に向かってやることではないじゃろう」
静かな声に確かな怒りを感じ取って、セイリオスはため息を吐いた。
「こうするしかなかった」
「どうして……た、確かにその子たちは、悪いことをしたよ。で、でも……こ、こんな……」
「俺じゃ、こうするしかなかった」
ああ、やっぱり森の中でやってしまえばよかった。
セイリオスは踵を返す。
「どこへ行く!」
「……もう一人、捕まえなきゃいけねぇ。あと、一人だ」
その前に、ルシファが立ち塞がる。目を眇めると、ルシファの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「行かせません。傷付けるなら、行かせませんっ!」
セイリオスは一つため息を吐き、森へ向かって歩いた。
「あっ……ま、待ってください! セイリオスさんは」
泉が困惑した声を上げる。
セイリオスはひらひらと手を振って、そのまま森の中へ入って行った。
その背中が見えなくなって、ルシファはへたりと座り込んだ。
「……どうして? ……こんなの、やだよぅ……」
ぼろぼろと涙が零れた。
「あの、」
泉が子供を抱えてやってくる。王様が悲痛な面持ちで手を伸ばした。
「子供は?」
「大丈夫です、何もありません」
泉の言い方に、ルシファが顔を上げる。
「どういうことじゃ?」
ゼグノリアが聞くと、泉は真直ぐにその瞳を見つめ返した。
「何も、ありません。痣も、不穏な気配も。……怪我も、していません」
泉が膝をつく。その腕の中で、子供は静かな寝息を立てていた。
困惑したように、王様たちが泉に視線を向ける。泉は、森へと目をやった。
「おそらく、あの炎は浄化の炎だったのだと思います。この子はまったく傷付けず、悪いものだけを追い払う」
沈黙が降りた。
泉が小さく微笑む。
「……対策課に、戻りましょう。あと一人、セイリオスさんが連れて戻ってくる筈です」
頷いて、五人は歩き出した。
ぽつりと、リオネが呟く。
「あやまらなきゃ」
◆ ◆ ◆
「セイ、遅かったわね。……あら、一人だけ?」
「もう一人はイヅミ達が連れてくる」
子供と一緒になって遊ぶケトや詩人、それに巻き込まれるチェスター。麗火は壁際で目を閉じ、痣の無い子供たちはただじっと座っている。セイリオスが手を離すと、子供は不安げに足をふらつかせる。それに気付いた詩人が、呼んでやる。おずおずと子供はベラを振り返った。微笑むと、子供はぎこちなく走って行く。
「痣、無いわね」
「ああ。……帰る」
「わかった」
短く言うと、セイリオスはちらりとベラを見やる。笑ってやると、気まずそうに視線を反らして、対策課を出て行った。
それからほどなくして、対策課の扉が勢いよく開いた。ルシファ達だ。
「お帰りなさい、待ってたわ」
「セイリオスさんはっ!?」
ルシファが飛び掛かるように駆け寄ってくる。
「帰ったわ。ちょっと疲れたみたい」
「どうしようっ……私、私、謝らなきゃ……っ……」
「セイリオスさん、ないてた。リオネも、あやまりたい。ううん、あやまらなきゃいけない」
「……ベラ嬢、奴は本当に、帰ってしまったのか?」
王様が俯きがちに訪ねる。ルシファとリオネの揺れる瞳を見て、ベラはそっと頭を撫でた。
「大丈夫、わかってるから。私も、わかってる。だから怒ってないし、気にすることないわ」
「でもっ……私、ひどいこと言っちゃった……!」
「大丈夫よ。そもそも、言葉が足らないセイが悪いんだもの。気まずそうに帰って行ったわ、あー、清々する。たまにはセイも、ああいう顔した方がいいのよ」
ゼグノリアと泉が困ったように眉根を寄せる。
泉の腕の中で、子供が静かな寝息を立てている。
ベラは五人を見回して、微笑んだ。
「……セイに悪いことをした、って思ってくれて、ありがとう」
「子供達は?」
「ぐっすり寝てる。植村さん達が、親御さんには連絡してくれてるよ」
対策課の一室を借りて、七人は座った。リオネとルシファ、そしてケトは疲れたようで、座った途端に泥のように眠ってしまった。
「それで、何か解ったことは?」
「子供達だけど」
詩人が口を開く。
「遊んでる時は、普通の子供だな。よく笑うし体力は底なしだし悪戯はするし……」
はは、と笑う詩人は、もみくちゃにされてぼろぼろになっている。
「ここの場合だと、変な能力でも持っててもおかしくねーから気をつけてたけど、そんなことなかったな。疲れただけだ、なんか」
ぐったりと突っ伏するチェスターもまた、ぼろぼろだ。さらに言えば、王様もぼろぼろであった。もっふり具合が女子に大人気だったのだ。もちろん悪い気はしないが、いささか疲れたのも真実だ。
「前回の事件……ボールを投げつけていたものだが。あれと繋がりがあるとしたら、やはり左手の痣かと思う。気配というものは、俺にはわからないが……ただ、彼女らの話を聞いていて気になったのは」
少し間を置いて、王様は口を開く。
「……親への、不信感だ」
それに、ゼグノリアが身を乗り出した。王様は険しい顔をする。
「両親は好きかと、そういうような質問をした。毎日、楽しくしているか、というような趣旨の質問もだ」
「それで、なんと?」
「……答えなかった」
既に痣が消えている子供達も、それに関しては口を噤んだ。子供にしては丁寧な受け答えができる子供達だった。
「なあ、一つ疑問なんだけど」
チェスターが頬杖を付いたまま、口を開く。
「あいつら、操られてたのか?」
「……そうは、見えなかった」
王様の言葉に頷いて、麗火が机に手を付いた。
「俺も、操られていると思っていた。だが、恐らく違う。何らかの環境……そうだな、さっきそこのペンギンが言っていたような、親からの抑圧に対する不満。少なからず、そういったものを持っていたんじゃないか。そして、そこにつけ込まれた」
集まる視線に、麗火は小さく息を吐いた。
「揺らぎ、不満を持って燻る精神を持つものほど、つけこみやす存在は無い。たとえ、子供でもだ。……前の事件の時も言ったと思うが、妖精だの妖怪だの、取り憑かれた人間には痣や聖痕みたいなものが残る。それと同じ類だと推測した。そして、それを確認しようとした」
「結果は?」
詩人が訪ねる。
「逃げられた。というより、思ったより力が弱くて消しちまった。が、あれは妖精なんて可愛らしいもんじゃねぇ。力は弱いが、あれは悪鬼、悪魔、魔性……そういった類のもんだ」
沈黙が降りる。
重苦しい空気がじわじわと染み込んでくるようだ。
「でも」
王様が口を開く。
「あの様子だと、その……痣が、積極的に悪さをさせようとしていたようじゃないみたいだ」
困惑した声に、詩人も腕を組む。
「そうだな、どっちかって言うと、……本来やりたくて出来ないことへの鬱憤を晴らしているって感じの方が近い気がする」
それには、麗火が答えた。
「悪魔や魔性ってのは、本来そういうもんだ。心のほんの隙間に入り込んで、惑わす」
ゼグノリアはおもむろに地図を広げる。自然とそちらに目がいった。
そして、それに目を見張る。
「……なんだ、これ」
地図の上は、北を指していることが多い。
中央、ミッドタウンから北東のアップタウン、そしてダウンタウン北へとそれは集中していく。
「はっ……わかりやすいじゃねぇか」
チェスターが口端を引き攣らせて笑った。
──北。
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クリエイターコメント | お待たせいたしまして、本当に申し訳ありません。 木原雨月です。
盗賊たちと子供を捕まえてくださった方、 リオネと共に地図に印をつけて行ってくださった方、 そして子供達にもみくちゃにされてしまった方(笑) 本当にありがとうございました。 皆様のお陰で、解ったことが多くあります。お疲れさまでした。 ともかくも、水風船を投げる子供たちの騒動はここに終息しました。 本当にありがとうございます。
口調や呼び方など、何かお気づきの点がございましたら遠慮なさらずにご連絡くださいませ。 ご意見・ご感想などもありましたらば、是非お気軽にお送りください。 それではまた、何処かで。 |
公開日時 | 2008-06-03(火) 19:00 |
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