★ 【Zodiac】Act. II−I 〜Crossing Murder〜 ★
<オープニング>

 かける。
 かける。
 ひとすじに。
 はしってかけてそまってる。
 かける。
 かける。
 ひとすじに。
 はしってまがってそまってく。
 なにしてそまる。
 ゆめみてそまる。
 ゆめみてひとすじまがってはしった。
 はしってまがってそまってわらった。
 かける。
 かける。
 ひとすじに。
 どうけはにこにこわらってる。
 くぐつはしめしめわらってる。
 まっかにそまったきっさきをにこにこしめしめわらってる。
 まっかにそまったきっさきを。
 にこにこしめしめわらってる。
 ゆめみてそまったてのこうを。
 まっくろにそめてわらってる。

 ◆ ◆ ◆

 銀幕市警察署刑事課長、佐伯真一郎。
 普段ならば部下を走らせるリモート捜査が基本の彼だったが、今回は──いや今回も、と言うべきか──対策課へと足を向けていた。
 気は重い。
 しかし、このまま新たな犠牲者を出すわけにはいかないのだ。
「……わかりました、そこまで言うなら、こちらから募集をかけてみましょう」
「ありがとう、植村くん! 君なら解ってくれると信じてたよ」
 対策課への扉を開けると、良い笑顔で植村と握手し、胃薬と見て取れる箱を渡す銀髪の男が立っていた。その後ろでは、白い髪の少女と黒髪の少年セイリオスが笑っている。
 佐伯は小さく息を吐いて笑った。
「やれやれ、賑やかだね」
 一番に振り返ったのは、銀髪の男だった。瑠璃色の瞳がやけに印象的な、小綺麗な顔をした男だ。確か【アルラキス】とかいう盗賊団の頭、シャガールというのでなかったか。
 続いて振り返った植村は小さく息を吐く。それを見て取って、佐伯真一郎はおや、と笑った。
「そんな顔をしないでくれたまえ、植村くん。傷つくじゃないか」
 軽口を叩くと、植村は疲れた顔に笑みを浮かべてみせる。自分が来た意味を、植村は理解しているのだ。
「では、いいかね、植村くん」
 小さく頷いて、植村は促すように部屋を示した。先日、切裂きジャックの件で使っていた部屋だ。それに頷いて、佐伯は顔を向ける。
「──それから、セイリオスくん」
 嫌そうな顔を隠す様もなく、セイリオスはシャガールを振り返った。次にはシャガールと視線がぶつかる。探るような用心深い眼だと思うと同時に、上に立つ人間の眼だと思った。
 シャガールはセイリオスに視線を戻すと、ふと笑った。
「行っていいよ。俺は戻るけど、ベラ、待っててくれるかい?」
「頼まれなくても、待つよ。心配だもの」
 ベラと呼ばれた白い髪の少女は、セイリオスと同じか少し上くらいに見えた。シャガールは二人の頭を軽く叩くと、うきうきとしたような足取りで踵を返す。その瞬間、微かに眇めた瑠璃の瞳に佐伯は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
 なんという、眼をする。
「あ、歯ブラシを持ってくるように、伝えておいてね。また痛い思いをするのは、ゴメンだからさ」
 そんな佐伯を余所に、シャガールは無邪気に笑って今度こそ踵を返していく。佐伯は早鐘のような自分の心臓に笑った。

 植村に促されて、佐伯はその部屋へと入った。セイリオスはベラと一言二言交わしてから来た。扉を閉めるのを確認して、それから資料を広げた。
 まず植村とセイリオスの目に飛び込んできたのは、一刀の元に倒れ伏した老若男女問わない写真。植村は目を反らし、口元を押さえた。セイリオスは嫌悪を露わに眉根を寄せる。佐伯は写真の上に別の紙を重ねた。それは銀幕市の地図で、赤い点を赤いペンでぐるりと円状に結んであり、その線の上に青い点が散らばっている。
「切裂きジャックの件とは別の、通り魔事件については知っているね?」
「……辻斬り、ですか」
 植村が言うと、佐伯は頷いた。セイリオスが不審そうな顔をするので、佐伯は眼鏡を押し上げた。
 ──辻斬り。
 切裂きジャックと時をほぼ同じくして四つ辻に現れた、通り魔である。獲物は日本刀と推測され、ほぼ一撃で事切れていることから、かなりの手練れだという。
 切裂きジャックと違う点は、目撃者もおらず、老若男女関係なく殺害されているという点だ。
「青い点が、遺体の発見された場所だ」
 それから佐伯は別の表を示す。
「今までの犠牲者は八名。その全てがムービーファンないしエキストラだ。そしてその八名の内、この二人がジャーナルと一致が見られた」
 町田セイジ。
 原 悟。
 セイリオスが眉根を寄せる。セイジは、ベラが言っていた、幽霊だ。確か七月の事だったと思う。悟の方は、植村が思い出した。九月の事で、御先が転がり込んできた時の男の幽霊だ。
「凶器は先ほども言った通り、日本刀だ」
 佐伯が口を開いて、二人は顔を上げた。
「切れ味が非常に鋭い事から、鑑識はそう判断した。しかも具合の悪い事に、人一人を斬り殺す度に腕を上げているそうだ」
 地図の上から、まるでそれを透かして見るように、佐伯は眼を細めた。
「今回、来たのは……秘密裏に銀幕自然公園を封鎖できないかと思ったからだ」
 地図を軽く叩き、青いボールペンで線を引いていく。
「辻斬りは、なんらかの法則を持って犯行に及んでいるようだ。犯行は二週間に一度、場所は見ての通りバラバラだ。しかし、現場を順に線で辿ると」
 青い線が地図の上に引かれる。青い棘が、地図の上に姿を現した。
「このように、星形とでもいうのか、こういった形が現れる。これに足りない部分を補えば」
 佐伯は色を変え、二本線を書き加えた。
「……九芒星が現れるというわけだ。そして、この最後の頂点が、次の犯行現場と推測される」
 コツリと佐伯が叩いたのは、ダウンタウン北、杵間山である。
 杵間山は銀幕市を取り囲む杵間連山の中で、もっとも高い山だ。登山路やキャンプ場もあり、頂上近くには展望台もあって、市内を一望する事が出来る。また、その展望台から見る夜景は素晴らしく、デートスポットにもなっている。
「ここまで計画的とも言える程に正確に図を書いてきた犯人の事だ、ここを外す事はしないだろう。そこで、封鎖という案が出た。一般人は入れないようにし、そこで協力者たちに公園を歩いて貰う。囮捜査、というわけだ。前回のことも踏まえ、私服警察官が彷徨くよりも、こちらの方が得策だという判断がなされた」
 秘密裏に、というのは、当然犯人へ情報が漏れる事を恐れたからである。大っぴらに封鎖し、それで捕まえられなければ意味はないのだ。今回は目撃者も証言も取れなかった事から、現場に張り込むしか方法はない。
 そしてそれは、最も危険を伴う方法なのだった。
「……次は、いつ現れるのでしょう」
 植村が怖々と訪ねる。
「明日、十月三十一日だ」
 言って、植村とセイリオスが微妙な顔をしているのに気付く。佐伯が片眉を上げると、植村が重い口を開いた。

「──ハロウィンパーティー?」
 地を這うような低い声に、二人はびくりと縮こまった。今回ばっかりは間が悪すぎる。しかも既に許可は出してしまっている為、シャガールたちははりきって準備中、今頃宣伝もしまくっているに違いない。今更中止などと言えるはずもなく、植村はうつむいた。セイリオスも、気まずそうに視線をさ迷わせている。
 佐伯は眼鏡を外し、軽く目頭を揉むと、息を吐く。それから眼鏡をかけ直した。
「……わかった。そういうことなら、警備という名目で警官を配備しよう。例のサーカス団の事もある、夜に一般人が明かりの少ない杵間山で祭りをするというならば、適当な理由だろう」
 軽く手を挙げて、佐伯は背もたれに靠れた。 
「ヤツの事だから警官を襲う事も考えられるが、目撃者も出さずに守っているはずの一般人を標的に犯行に及ぶ事も考えられないではない。悪いが、先も言った通り、市民にも協力を仰いで欲しい」
「ヤツ……? もしかして、犯人の検討は付いているんですか?」
 植村が言うと、佐伯は頷く。
「犯人は日本刀で犯行に及んでいる。日本刀というのは知っての通り、特別な許可証が無ければ所持できない。許可証さえあれば、合法的に刀という凶器を家に置ける、というわけだ。もちろん、外へ持ち出せば銃刀法違反で逮捕だがね。ともかくも、そういった特殊な凶器であるから、我々はムービースターの可能性も考慮しつつ、捜査を進めた。その過程で、ある事件に注目した。レヴィアタンの件があったせいで、大きな記事にはならなかったんだが」
 佐伯が示したのは、新聞の小さな切り抜きだ。内容はこうである。

 七月十日午前八時過ぎ、銀幕市内にある住宅で遺体が発見された。遺体は大川内由美(31)とその息子、陽(12)と娘、光奈(8)と見られる。家に荒らされた様子はないとの事だが、床の間に飾られていた日本刀が消失しているという。夫の亮史(34)も現在行方不明である。

 植村が顔を上げた。
「この次の日から、辻斬りは犯行を開始している。よって犠牲者は、既に十一人に上る」
 セイリオスは拳を握った。
「未だ発見はされていないが、この事件の第一容疑者は亮史だ。調べによると、亮史は居合いの有段者だそうだ。そして、切裂きジャックの例がある。わざわざ円上を犯行現場にしている事から、なんらかの関係があるのではないかと考え」
 コツコツと遠慮がちにドアを叩く音がする。佐伯は眉根を寄せ、ドアを見やった。もう一度、ドアを叩く音。セイリオスが開くと、そこにはリオネが立っていた。
「あ……ええと、ここに植村さんがいるって……あの、それで」
 おずおずと紫の瞳を上げて、リオネはびくりとセイリオスの影に隠れた。佐伯は息を吐いて笑ってみせる。思っている以上に厳しい眼をしてしまっていたのだろう。相手は子供なのだ。
 それに少しほっとしたのか、リオネは口を開いた。
「あのね、ゆめをみたの。前のときと、すこしにてる。それとね、手がね、まっくろになってたの。これも、前にみたことがあるような気がする」
 良いながら、リオネは自分の手の甲を示す。それに、セイリオスは目を見開いた。
 佐伯は小さく頷き、植村とセイリオスに向き直った。
「市民をこのような形で巻き込むのは、非常に不本意だ」
 佐伯は言い切る。
 落ちた沈黙に、植村は顔を上げる。その表情を見て、驚きと緊張を伴って、真剣な眼を向けた。
 佐伯は柳眉を寄せ、強く拳を握った。
「九人目の被害者が出る前に、この凶行をなんとしても止めたい。──頼む」

 ◆ ◆ ◆

 男は笑った。
 鮮血に染まった刀を手に、そのぬらぬらと光る刃を綺麗に拭き取った。
 ひたひたと夜の町を歩く。
 まるで映画の登場人物になったような快感。
 手に残る人を斬る感触。
 ああ、なんと心地よい。
 ああ、なんと悩ましい。
 この身に降る生暖かな鮮血の、なんと甘美なことか。
 倒れ伏したその人間に、ただただ体を打ち振るわす。
 ああ、なんと。
 ああ、なんと。
「……どうしてもっと、早くしなかったんだろう?」
 男はひたひたと夜の町を歩く。
 黒い装束に深紅を纏って、男は虚空に笑った。

種別名シナリオ 管理番号817
クリエイター木原雨月(wdcr8267)
クリエイターコメントこんばんは、前置きが随分と長くなりました。
木原雨月です。

【Zodiac】シリーズ第二弾をお届けします。
さて、第二弾はごらんの通り、Act.II-TとAct.II-IIに分かれます。
こちらAct.II-Iでは、銀幕市自然公園で行われるハロウィンパーティーの警備という名目で、辻斬り逮捕へ向けて行動していただくことになります。
以下、公園の資料及び注意事項です。
-----------------------------------------------------------------
1,公園内の四つ辻は、三つ。
 ・公園入り口付近。入り口に一つと、辻の中央に大きめの照明が一つ付いている。見通しはかなり良好。
 ・サイクリングコース北。入り口と展望台を直線で結んだ三角形の頂点辺り。夏に伸びた枝分、光が届きにくい。
 ・展望台入り口付近。ハロウィンパーティー開催中の為、展望台への道にはジャックランタンが飾られている。
2,自然公園というだけあって、木々が生い茂っており、影がかなり濃い。
注意事項:
 犯人と思われる大川内亮史は、居合いの有段者であるので、油断は禁物。
 多少の怪我はやむを得ないと考えるが、『確実に確保する』こと。
-----------------------------------------------------------------
どんなアプローチをしてくださっても構いません。どうか、この凶行を止めてください。
また、盗賊団からはセイリオスが協力者としてこちらで行動します。
佐伯曰く、【犯人に気付かれず、大規模に明かりを灯す為】です。
なお、こちらのオープニングは【十月三十日の出来事】とし、準備に丸一日の期間がある、という事をお伝えしておきます。

※【アルラキス】主催のハロウィンパーティーにはPCの参加者以外に、一般の銀幕市民も参加しているので、そこそこ人がいるものと思ってください。
※Act.II-IとAct.II-II、両方に参加しても【構いません】。
※両方にご参加の場合、行動に不都合が起きたり、辻褄が合わなかったりした場合、怪我人が出たり、最悪の場合には犯人に逃げられる可能性がある事をお断りしておきます。

当シナリオはシリーズものではありますが、どこからご参加いただいても大歓迎ですし、また全てに参加しなければならない、ということもありません。
ご興味ありましたならば、是非にいらしてくださいませ。お待ちしております。

それでは、どうかよろしくお願いいたします。

参加者
コーター・ソールレット(cmtr4170) ムービースター 男 36歳 西洋甲冑with日本刀
仲村 トオル(cdmc7442) ムービースター 男 25歳 詐欺師探偵
霧生 村雨(cytf4921) ムービースター 男 18歳 始末屋
クラウス・ノイマン(cnyx1976) ムービースター 男 28歳 混血の陣使い
麗火(cdnp1148) ムービースター 男 21歳 魔導師
ジナイーダ・シェルリング(cpsh8064) ムービースター 女 26歳 エージェント
<ノベル>

■Concentrate
□10月30日木曜日 午前十一時十五分 市役所前
 ぴんとした風が肌を撫でながら通り過ぎる。しかし、空は安穏とした陽射しと高い青空を惜しげもなく披露している。時が許すならば、日の当たる場所で惰眠を貪りたくなるような、そんな秋の日であった。
「拙者の実体化は丁度去年の今頃であったか……メガ感慨深いものだ」
 冷たい風を意に介した様子もなく、そんな事を思う。目があるのならば、それは目を細めていたかもしれない。暢気に陽射しを垂れ流す太陽を眩しそうに一瞥して、それは重い音を立てて対策課への扉を開いた。
 対策課に姿を現した鎧に、一同は唖然とする。
 全身を余すことなく覆った鎧。西洋甲冑のそれは、兜に深紅の羽根飾りを揺らし、悠然と歩いているのである。何よりそぐわぬのは、腰に差す三本の日本刀である。しかし、その疑問はすぐに解消される事だろう。三本の刀が放つ霊気、妖気と言い換えてもいい。とにかくそれらの刀からは、尋常ならざる気配が漂っているのである。
 鎧は首を回して対策課を見やる。壁際のソファーの前で、褐色の肌の少年と白い髪の少女が何やら話している。鎧に気付くと、少年は一瞬目を丸くして、それからまた少女に向き直った。見た目からしてムービースターだが、どうやら銀幕市という場所では、鎧が動く事もあり得るのだろうと納得したらしい。
 ほんの少しの寂しさを感じながら、鎧はカウンターへと寄る。
「おはようございます、コーターさん」
「うむ。何やら警備の依頼が出たとの事で、赴いたのだが」
 それを聞くと、植村は少し視線を外して小さく頷く。事の経緯を簡潔に話すと、コーターと呼ばれた鎧は重い音を立てながら腕を組んだ。
「刀は確かに人を斬るものだが……無辜の民を斬るのはスーパー関心せんな」
 それに対して、植村もまた暗い顔で頷く。コーターは一つ頷いて、植村に向き直った。
「この依頼、引き受けよう」

□10月30日木曜日 午前11時18分 対策課
 霧生村雨は対策課を訪れていた。
 胸騒ぎ、と言おうか。あまり好ましくない予感めいたものを脳裏に感じていたのだ。
 対策課の扉を開けると、セイリオスと白い髪の少女が何やら話しているところだった。セイリオスは村雨に気付くと、少女に何か念を押すように言って、それから着いて来いと言うように背を向けた。少女は擦れ違い様に村雨ににこりと微笑んで、対策課から出て行く。見た目で言うなら、同じ年の頃だろうか。それを言えば、セイリオスも同じ頃だろうけれども。
 少女を見送って、セイリオスの背を追い掛けた。
 セイリオスが開けた扉は、前に使った一室だ。中に入ると、眼鏡の奥で瞳を光らせた佐伯真一郎と、西洋甲冑が椅子に鎮座していた。佐伯はなんとなく予想の範囲内だったが、鎧は予想だにしなかった。一瞬扉の前で立ち止まって、腰にささっているものを見やる。日本刀。それも、三本。
 視線に気付いたのか、鎧は金属の擦れる音を立てながら、兜をこちらに向けた。
「拙者はコーター・ソールレット。此度、貴殿と同じく依頼を受ける事にした。よろしく頼む」
「霧生村雨」
 短く名乗って、喋る鎧を思わずマジマジと見やる。しかし自分の置かれた状況と、銀幕市という場所を考えるに、こういった者もいるのだろうと無理矢理自分を納得させた。
 鎧の正面に座る。それから佐伯に視線を移し、厳しい瞳の色を見る。あの予感めいたものが確信へと変わるのを感じた。
 思い出すのは、先日の事件だ。切裂きジャック。そして、霞む視界の中で撃ち砕いた、あの黒いもの。あれを確保できなかった事が、村雨の中でまるでささくれのように引っかかっていたのだ。
 佐伯は、今は説明をする気はないようだ。それとわかると黙って腕を組み、目を瞑る。

□10月30日木曜日 午前11時20分 銀幕広場
 麗火は歩いていた。その顔は諦めと不機嫌とで塗りたくられている。
 怒鳴り散らして彼を愛する精霊たちを暴れるだけ暴れさせたが、それでも気が立って仕方がない。それで足早に住居としている場所を飛び出してきたのだが、ヤツはボロボロになりながらも「まったく照れ屋さんなんだから」の一言で済ませやがり、未だ銀幕市に慣れていないからという理由でのこのこ付いてきた。その鬱陶しさと言えば最上級だが、本人はどこ吹く風、むしろ「鬱陶しくないもん」と見た目・年齢にまるでそぐわない言葉まで使う始末。彼を愛する精霊たちをもっと暴れさせてもいいが、自分も疲れる事は明白。要は面倒くさくなったのである。最終的には黙っている事を条件に、ヤツは堂々と隣を占領する事になった。
「あら、麗火さん」
 ふいに覚えのある声がして視線をやると、白い髪を冷たい風に靡かせたベラと出会った。麗火は小さく頷いて足を止める。ベラは微笑み、それから隣の男に目をやった。そこで止まった事を後悔したが、もう遅い。
「クラウス・ノイマンというんだ。よろしくね」
 そう言って差し出す手に、ベラは微笑んで握り返し名乗った。
 クラウスは、麗火よりも頭一つ分は大きい。痩身な麗火に対し、クラウスはどちらかといえばがっしりした体格に見える。単純に背が高いのでそう感じるのかもしれない。栗色の髪は緩いカーブを描いて肩を擽り、風が吹けば青いピアスがチリリと光った。左下瞼の縁に添うように蝙蝠を模した刺青があり、灰蒼の双眸が穏やかな笑みを作っている。
「ベラよ、よろしく。麗火さんには、いつもセイがお世話になって。……そうだ、明日ハロウィンパーティーがあるの。よかったら来ない? お土産も用意してるわ。仕上げは明日だけど、セイの自信作なの」
 ハロウィン、とクラウスは目を輝かせた。麗火はげんなりとする。げんなりとするが、意外な事実に思わず聞き返してしまった。
「セイリオスも参加するのか?」
 それには、ベラは明らかに落胆したような表情の後、ため息を吐いた。
「セイは別行動。何かね、また動き出したみたいだから」
 軽く片眉を上げてみせると、ベラは左手の甲を示した。
「黒い影。でも、今度は大人の人みたい。新聞は読んでる? ツジギリって言われてる」
 麗火は深紅の双眸を細める。
 以前、子供に憑いた黒い痣を、取り除いて回った事がある。あともう一歩で捕らえられた所を、勢い余ったのか潰してしまったのだ。それは確かな憤りを伴って、麗火の中で蟠っている。
 それを感じ取ったのか、ベラは口を開いた。
「詳しい事は、向こうに行ってから聞いてもらえるかしら。私は詳しくは知らないの。対策課を入って左手奥のドアよ。……ねぇ、パーティには来てくれないの?」
 心底残念そうなベラに微笑んだのは、クラウスだ。
「ごめんね。でも、こっちの用件が終わってまだやってたなら、寄らせて貰うよ」
「わかったわ。お土産を用意しておくから、きっと寄ってね」
 夜中まで騒いでいるつもりなのだろう、微笑んで去っていくベラは、あっという間に人混みに紛れて見えなくなった。
 クラウスが灰蒼の瞳を麗火に向ける。
「麗火、セイリオス君ってお友達の、だよね」
「その口縫ってやろうか」
 吐き捨てて、麗火は足早に歩き出した。クラウスはくすりと笑って、後を追った。

□10月30日木曜日 午前11時30分 市役所前
 紫煙を燻らせ、女は美しく整った紅の唇から細く長く白煙を吐き出す。軽く目を眇め、携帯灰皿に煙草を押しつけると、市役所の扉をくぐった。対策課への扉を抜けていくと、植村と目が合う。既に連絡を受けていた彼は神妙な顔で頷き、一室に目をやる。それに軽く手を挙げて応え、規則正しい足音を立ててその扉を開いた。
 中には見覚えのある顔が三つ。霧生村雨、佐伯真一郎、セイリオス。それから鎧。
 女は目を細めた。鎧からは禍々しいとも思える妖気を感じる。そして、腰に差している日本刀。そちらからは、明らかな妖気が漂っていた。女は佐伯へと視線を投げる。それを確かに受け取って、佐伯は繰りを開いた。
「コーター・ソールレットくん。協力者だよ」
 静かな声に、ムービースターかと納得して、コーターの隣に腰を下ろした。
「今度は辻斬りだそうだな。しかも、エキストラの犯行である可能性が濃厚だとか」
 無言で見返してくる目を肯定と受け取って、女は腰まで伸びた髪を掻き上げる。ちりりとルビーのピアスが煌めいた。
「君も協力してくれるんだね、ジナイーダ・シェルリングくん」
 佐伯の声に、ジナイーダは目を細めた。つまらない事を言ったというように両手を上げて、佐伯は眼鏡を押し上げる。
「始めないのか」
「今回は警備が名目だ。悪いが、もうしばらく待ってくれたまえ」
 それに小さく頷いて、ジナイーダは煙草を取り出す。ちらりと視線を寄越した瞳に、ジナイーダは軽くライターを掲げた。
「吸っても?」

□10月30日木曜日 午前11時57分 対策課
 コチコチと時計の秒針が規則正しく一定の間隔を持って時を刻む。しんとしたその一室は、ジナイーダの吹かす煙草がジリジリと鳴り、ロスマンズ・ロイヤルの独特な香りが充満していた。
「板前の次は剣士崩れ……はっ、次にコトを起こすのは医者か、警察官か? この分なら、あの放火魔は消防士か? ……ガキの冗談で済んでたことが、大人になるといきなり凶悪犯罪になりやがる」
 吐き捨てるような声に、セイリオスはうっすらと目を開けた。白い扉を開くと、予想通りの男が見知らぬ男を伴って、植村と向かい合っているところだった。
 こちらに気付くと、赤髪の男は植村に二、三何か言って、部屋へと入った。それに栗色の髪も続く。
 それぞれが腰掛ける音が止むと、佐伯は静かに口を開いた。
「早々に集まってくれた事に、まず感謝する。それでは、始めよう」
 燻らせていた煙草が、音を立てて消された。

■Conference
□10月30日木曜日 正午 対策課
 対策課の一室は、まるで内臓が押しつぶされるかのような緊迫感に満ちていた。
 そこに同席した六名の視線は、佐伯へと注がれている。
「本日集まって貰った名目は、明日行われる【アルラキス】主催のハロウィンパーティーの警備だ」
 面々の顔を見回して、佐伯は続ける。
「だがその実態は、世間を騒がす辻斬り、大川内亮史の逮捕にある。確認の為、もう一度説明しよう」
 言って、佐伯は銀幕市の地図を広げた。赤い点を結んだ円の上に、ポツポツと青い点が打たれている。それを複雑な直線が引き結んで、青い九芒星が完成しようとしていた。
 青い点の脇に、名前が書かれた小さな写真が貼ってある。
 佐伯は眼鏡を押し上げて続ける。
「犯行現場、順番は見ての通りだ。それぞれ現場調査は既に終了しており、遺体は遺族の元にある。現場に関しては、四つ辻、もしくは丁字路であるという事だ。見通しはかなり悪いと考えてくれたまえ」
「犯行現場は四つ辻だと聞いたんだが?」
 すかさず麗火が口を挟むと、佐伯は小さく頷いて眉間に皺を寄せた。
「君たちを待つ間、改めてジャーナルを読み返した際に、発見した。明らかにこちらのミスだ。これは素直に謝ろう。すまない」
「警備に支障は」
「ほとんどない」
 麗火が皮肉げに口端を歪める。ほとんど、という事は、多少はある、という事だ。佐伯は地図を指した。
「話を戻そう。この九芒星を完成させる最後の頂点は、ここ銀幕市自然公園。次の犯行現場は、ほぼ間違いなくここだろう。この公園内の四つ辻は前もって伝えた通り、三カ所。丁字路の方は、サイクリングコース北へ向かう途中に幾つか存在する」
 自然公園の地図を広げると、全員の視線がそちらへと集まる。幾つかというのは確かに幾つかで、しかしその数を数えたならばとても警備しきれるものではない。佐伯の長い指が地図の上を滑った。
「ここが入り口。十メートル行かない内に、最初の四つ辻になる。そこから東へ行くと、ハロウィンパーティーのある展望台。この展望台入り口付近に、もう一つの四つ辻がある。入り口と展望台の間は、歩いて約二十分。サイクリングコース北は、入り口からも展望台前の辻からも歩いて約一時間だ」
 三つの四つ辻は、入り口を北へぐるりと迂回して、展望台前の辻とサイクリングコースで繋がっている。
「辻での被害者は、ムービーファン及びエキストラ。身元は全て確認済み、家族や周辺への聞き込みも終了している。内容を知りたければ、これを読んでくれたまえ。ただし、内容は他言無用だ」
 分厚いファイルを示し、佐伯は続ける。
「被害者は年齢・性別・職業等全てバラバラ、敢えて挙げるならば先ほど述べた通り。そして、もう一つ。リオネの夢だ。これは、セイリオスくんから説明して貰おうか」
 すと麗火の目が怪しく光る。
 それを横目に見ながら、セイリオスは壁から体を離した。
「今年の初めと、六月ぐらいだったか。子供に集団で、ボールを投げられたり水風船をぶつけられたりっつー事があった。その時にあったのが、黒い痣。左手の甲に、丸っこい形の痣があったんだ。その痣は悪い気配のもんで、麗火が言うにはアッキ、アクマ、マショウとかそういったもんだそうだ」
 解るような解らないような説明に、一同は眉根を寄せる。しかし、悪鬼・悪魔・魔性といった単語に、黙り込む。
「彼奴らの正体は、はっきり言ってさっぱりわかんねぇ。ただ、とにかく悪いもんだっていうのが、俺らのガッチシタケンカイってヤツだ」
 向けられた視線に、麗火は薄ら笑いを浮かべて頷く。麗火の興味は、犯人逮捕よりも痣の方に向けられているのだ。
 それを見て取って、村雨が口を開いた。
「切裂きジャックが言ってた事は、嘘じゃない、って事か?」
 セイリオスは少し考えるようにして、それから頷いた。
 説明を求めるような目に、村雨が応える。
「切裂きジャックの事情聴取の一部を、ガラス越しに聞いてたんだ。人を殺そうと考える自分が、初めは怖かったと言っていた。だが、アイツと出会って駆り立てられたんだそうだ。そのアイツというのは誰か、という質問に、切裂きジャックは悪魔だと答えた。自分で言って大笑いしたから、冗談だと思っていたが」
 黒い瞳をすと向けられて、セイリオスは頭を掻く。
「……黙ってて、悪かったよ。酔っちまってたんだ。気を抜いたらヤバイと思った。でも、それは村雨が撃ったら消えた。だから、言わなくてもいいと思ったんだ。リオネの夢にも別に出てなかったし」
「酔った?」
 麗火が口を挟む。セイリオスは口籠もる。
「その、悪い気配に」
「歯切れが悪い」
 ぴしゃりと言い放つ麗火に、セイリオスはたじろぐ。深紅の瞳が宙をさ迷って、やがて諦めたように口を開いた。
「……血の臭い。それと、ええと……なんて言うんだったか……恨んで恨んで殺してやろうっていう、強い思い……そうだな、呪いみたいな感じだ」
「悪意、か」
 コーターが小さく呟く。
 悪意。
 セイリオスの言を短く言うならば、これ以上相応しい言葉もないだろう。
「他には?」
 麗火は目を眇める。
「あの黒いヤツが出てきた時、すげぇ怖くて、──苦しかった」
 不機嫌とは違う、苦悶の表情に、麗火も口を閉じた。
「……佐伯の判断は間違っていなかったという事かな」
 ジナイーダが口を開くと、視線が集まる。
「ムービースターの関与をいち早く疑い、市民への協力を仰いだ事。セイリオスの言う事を信じるならば、あの黒い影は子供たちに憑いていたモノと同じと考えるのが自然だ。ならば、佐伯の判断は正しい。結果論だが」
 煙草を取り出し、ライターで火を付ける。ロスマンズ・ロイヤル独特の香りが部屋を満たし、紫煙が燻る。細く長く白煙を吐き出して、ジナイーダは地図に目を落とした。長机を指で叩く。
「本題へ戻りたいと思う。前回と比べればまだ情報を出してきたと言った感じだが」
「警察も今回はマシに動いたって事だろう」
 麗火の皮肉にちらりと視線をやって、ジナイーダは続けた。
「何にせよ、私達がすべき事は変わらん。切裂きジャックと似たような傾向を見せている事から、同様に一般人を狙う可能性は高い。ハロウィンパーティーがあるなら、尚の事」
 そこで一度言葉を切って、ジナイーダは地図を指した。細く長い指は、佐伯とは違う、女の指だ。
「丁字路があるとの事だが、確かに問題はないように思う」
 それに、麗火が片眉を上げる。
「九芒星は完成しようとしている。仕上げは頂点だ。四つ辻を繋げば二等辺三角形が出来上がる。頂点のサイクリングコース北は、絶好のポイントとなるだろう」
 村雨は頷いた。
「俺も、北だと思う。前回逃がしてしまったあの黒い影は、セイリオスの灯りで姿を現したんじゃねぇか。だったら、光を恐れたのかもしれない。そう考えると、北が一番暗い。三つのポイントは俺たちが受け持ち、その他丁字路を念のために、警察が警備できねぇか」
 佐伯はじっとしたまま動かない。それを無言の肯定と受け取って、村雨は腕を組んだ。
「三つに分かれるのは確実として、そうなると確保に不安が出るな。かといって、一ヶ所に絞ると別の場所だった場合に困る」
「サイクリングコースは、一番離れているしな」
 それにはジナイーダが頷いた。
「自然公園って事は、木が多い。光が強ければ、その分闇は濃くなるという事も考えると」
 何も出来なくなってしまう。村雨は黙り込んだ。
「拙者を備品として公園に運び込んでくれぬか」
 じっと黙って聞いていたコーターが、身を乗り出した。思わぬ発言に、七人の目が一斉にコーターを向く。
「拙者はパーツをバラバラにする事が出来るのだ。そして、それぞれを拙者の意志で動かす事が出来る。スーパー便利だろう」
 便利と言えば便利だが、とても突拍子がない。思わず頬を掻くクラウス。
「ぬ、信じておらぬか。ならば、これでどうだ」
 その行動に、対策課の一室は凍り付いた。
 ムービースターとは、これほどに突拍子がなくいい加減なものなのだろうか。
 コーターがした事と言えば、兜を取った。ただ、それだけである。しかし、問題はその中身だ。
 鎧の中は、空っぽだったのだ。
「ハイパー驚いたか。とにかくそういう事だから、頼むぞ」
 満足そうに兜をはめて、コーターは平然として続けた。
「先にも行った通り、拙者はパーツをバラバラにし、かつ喋ったり見聞きしたり出来る。運んでもらいたいのは、犯人に只の物と思い込んでもらう為だ。それに、バラバラに配置すれば、監視の目が増えるであろう。拙者は公園の下見が出来る、貴殿らも拙者を運ぶ事で公園の様子を見る事が出来る。一石二鳥ではないか。今から運んで貰えれば、今夜中も監視できるしな」
 言っている事はわかる。わかるけど、でも、……という思いは打ち消した。ここは銀幕市。ムービースターという存在を考えれば、思わず目が点になるような事もあり得るし、それにコーターが言ってい事は確かに有効なのだ。
「……ねぇ、北へ続くサイクリングコースへの道を、封鎖できないかな」
 視線がコーターからクラウスに集まった。
「単に通行禁止だと、若いカップルなどは通ってしまうかもしれない。そこで、我々が警備を兼ねて封鎖してしまう。もちろん、完全じゃないから警察の方にも協力してもらってさ。つまり、入り口から展望台まで、一本道にしてしまうんだ。そうすれば、警備も簡単になる。コーターくんをバラバラに配置すれば道中にも目を配れる。それに」
 クラウスは地図を指していた手を止める。
「辻に人がいなければ――斬る者がいなければ――凶行は起こらないんじゃないかと」
 六人の目の色が変わる。クラウスはただし、と付け足した。
「あくまでも、犯人が『辻斬り』に拘ってくれれば、でしか成り立たないけどね」
 一同は黙り込む。
 やがてジナイーダは白煙を吐き出すと、音を立てて揉み消した。
「何にせよ、私達がすべき事は変わらん」
 それに頷いて、北への道を封鎖する事に決まった。

■Conduct
□10月30日木曜日 午後1時40分 ミッドタウン
 いい時間だからと、対策課が用意してくれた軽食を取って、ともかくもコーターを自然公園へ運び込もうと言う事で、七人は市役所を出た。しかし、市役所から自然公園までの往復では時間と手間が掛かりすぎる。そこで、ジナイーダが車を出す事を提案した。
 ポルシェ・カレラGT。限定生産された、ポルシェのロードモデルとしては過去最高のプライスのスポーツカーだ。強烈な存在感を放つこの車は、市役所の駐車場にあって一種異様な光景として目に映る。それほどに洗練された、まさに走る為の車だ。そんな乗る者を選ぶであろうこの車を、ジナイーダは実に見事に優雅に乗りこなしていた。
 カレラGTは二人乗りということで、他のメンバーは佐伯が乗せていく事になった。官憲の車なんぞ、とブツブツと言っていた麗火だが、次々と乗り込むのを見て、むっつりと後部座席の端に腰を落ち着ける。本当は以前の事件等の事を急ピッチで調べ上げ、情報を収集したかったのだが、園内を自分で歩き把握する事も悪い事ではない。前回の事は車内で村雨たちが説明するからということで、麗火は渋々と自然公園へ行く事を納得した。
 二台の車はタウンタウン北へと向かって走り出す。

「ジナイーダ殿は、今度の事件をどう思う」
「それはまた、随分と抽象的な質問だな」
 しっかりとシートベルトを着用したコーターを横目で見やって、ジナイーダはハンドルを切る。
「……まず疑問なのは、何故急に凶行に走ったかという事」
 コーターは既に“物”として振る舞うつもりのようだ。一つの軋みを上げることも無く、声さえ発しなければ、ただの鎧を隣に乗せているだけと錯覚しそうになる。しかし、続きを促すような確かな気配を感じ取って、ジナイーダは続ける。
「凶器と見られる日本刀が関係しているのか、それとも辻斬りをしている人物自身になんらかの素養があったのか……或いは、両方という可能性もあるがな」
 停止信号。ジナイーダはブレーキを踏んだ。軽く踏み込んだだけでも、カレラGTは確かにその意志を読み取って、無駄なくスピードを落とし停止する。
「切裂きジャックは、今の銀幕市の現状に不満を持っているようだった。エキストラだから、現実を思い出させてやるのだと言っていた。殺人衝動と言おうか。ヤツは、それを潜在的に持っていた。そんな風に感じる」
 信号が青に変わり、車は静かに発進する。
「それから、九芒星。エニアグラムならば見た事があるのだが……まあ、それはいい。ともかくも、これは魔術的な要素と結びつけて考えるのが妥当だろうと思う。何を示すのかはわからないが、 九芒星を完成させる事で、何らかの効果を狙っている事は間違いないだろう」

 一方、佐伯操る車内では、切裂きジャック事件の顛末を村雨が話していた。
「──なるほどね。一つの不安要素は消えたわけだ」
 麗火が言うと、村雨は軽く眉を上げる。
「例えば、剣士崩れの野郎も男を気絶させる術を持っていたとする。恐怖心にでもつけ込んでるんだろう。だが、お前のように気さえしっかり保てば、やり過ごせる」
 それには成る程と村雨は頷いた。事前に情報があり、そういうものだと解っていたからこそだったかもしれないとも思う。
「そうだ、真っ黒な手の甲……あれについて、もっと詳しく聞けねぇか?」
 セイリオスに向けたものだったが、セイリオスは眉根を寄せて麗火を見る。麗火は息を吐く。
「エキストラで、やろうと思えばいつでもやれる。現状に不満のある者が事件を起こしている。それは、以前に関わった騒動で俺自身、ほぼ確信している。揺らぎや不満を持って燻る精神を持つものほど、つけ込み易い存在は無い。心のほんの隙間に入り込んで、惑わす。それが、悪魔や魔性ってもんだ」
 悪魔という言葉に、村雨は腕を組んだ。
 切裂きジャックが言っていた、自分を駆り立てたもの。
「ガキなら冗談で済んでいた。趣味の悪い遊び程度でな。だが、大人になると途端にタチの悪いもんになる」
 言葉を切って、麗火は続けた。
「感情や欲求の箍を外し、倫理観を消失させる。それが痣の能力じゃねぇかと、俺は踏んでる」
 眼鏡の奥の瞳が暗く光る。
 もしここで足がかりを捉えなければ、際限がない。それが解っているので、麗火の気合いは私怨含め気合い充分である。
「それで、その「センセイ」とやらの検討はついているのか」
 麗火が言うと、バックミラー越しに佐伯は頷いた。それに、村雨は身を乗り出す。
「知ってるヤツか?」
「我々が会話をした事もある人物だよ」
 それは誰だ。
 言おうとして、車が止まった。隣には、ジナイーダとコーターを乗せたカレラGT。
 緑地と森林からなるレジャースポット、銀幕市自然公園に着いたのだ。

□10月30日木曜日 午後2時45分 銀幕市自然公園
 風は少し冷たいものの、よく晴れた午後だ。陽射しは暖かく銀幕市を照らしている。コーターの部分部分を抱えながら、七人は銀幕市自然公園へと足を踏み入れた。自然公園とはよく言ったもので、早速木々が乱立しビル風とは違う風を運び頬を撫でていく。
 まずは入り口に、コーターの左下半身と日本刀一本を置く。外からは見えぬように、コーターからは周りが見えるように配置する。
「突然足や刀が見えたらウルトラ驚くであろう」
 無造作に置こうとしたセイリオスへ小声で言ったコーターの言は、尤もである。
 しばらく進むと、軽い広間のような場所に出た。最初の四つ辻である。左右を見渡せば、陽の当たるベンチに腰掛け森林浴を楽しむ老夫婦や、サイクリングコースを颯爽と駆け抜ける若者、腕を組んで身を寄せ合うように歩くカップルに、元気に走り回る子供たちの姿がある。これから血生臭い出来事があろうとは、とても思えない長閑な風景。この風景が壊されようとしているのだと思うと、自然と力が入った。
 辻は広く、中央にはレトロな外灯がたたずんでいる。待ち合わせに丁度良いのだろう、時計や携帯電話をいじくる人が目立った。彼らは鎧を運ぶ面々にぎょっとするも、銀幕市だし、の一言で済ませ、興味を無くしたように目を逸らす。
「……ありがたいが、微妙な気分だな」
 げんなりと言う村雨に、心の中で激しく頷く。
 サイクリングコース北へ続く道に、コーターの右上半身と刀一本をそっと置いた。
 クラウスはざっと辻を見渡す。軽く目を閉じると、どこかに小川でも流れているのか、泉でもあるのか、微かな風に乗って純粋な水の気配を感じる。クラウスは満足気に頷いて目を開いた。目を開くと、セイリオスの紅い瞳が、灰蒼の瞳を覗き込む。
「水精を辿ってたんだ。これなら十分、魔法陣が張れそうだよ」
 にこりと微笑むと、肩口で雫がぴしゃりと跳ねた。
「間抜けな陣を書くのか」
 麗火が鼻で笑う。クラウスが陣を描く際には、特殊な白いチョークを用いるのだ。
「ひどいな、麗火。そんなあからさまな事するわけないでしょ。ここは水精の気配が多いし、彼らの力を借りるよ」
 それに肩を竦めて、麗火はさっさと歩きだす。その腕の中には、コーターの胴鎧が納まっている。
 道程にコーターを左肩当、右下半身、右肩当と配置して、最後の四つ辻、展望台へ向かう道の端に胴鎧と頭、刀一本とを配置して、コーターの準備は万端である。小さくスーパーかたじけない、と呟いて、コーターは沈黙した。
 麗火は大きく伸びをする。体力は一般レベルではあるし、最低限の筋肉ぐらいは付いているが、力仕事は柄ではない。それは村雨も同じようで、肩を回したりしている。意外なのがセイリオスで、顔色一つ変えずに平然としている。
「とりあえず公園の様子はわかった。夜になればまた様子は違うだろうが……私はパーティー参加者を護衛しながら、見回りをしようと思う。もちろん、不自然でないようある程度の距離は保とう。明らかな護衛は、無駄な警戒心を抱かせる事になるからな。ところで、明日【アルラキス】はどういう装飾をするつもりなんだ?」
 ジナイーダが腕を組みながら、セイリオスに視線をやる。
「ここから展望台まで、じゃくらーたんとかいうのを置く。だから、足下はかなり明るいと思う」
「ジャックランタン。中の火はどうする?」
 さり気なく訂正を加えるジナイーダに軽く肩を竦めて、セイリオスはにやりと笑った。
「俺が入れる。嵐が来ても消えねぇよ」
 ジナイーダは頼もしい事だと小さく笑った。それから麗火に目をやる。
「……焔とそこらへんの火精を使って、イルミネーションを装って灯りを増やす。それでも暗がりは出来ちまうだろうから、それにはアンタん所の奴らを警備に回せ」
 佐伯を見やると、佐伯は小さく息を吐いた。
「こちらにも都合というものがある」
「血税食って生きてるんだろうが。死ぬ気で働け、公僕」
「麗火」
 クラウスが諫めるように名を呼ぶ。麗火は佐伯から目を離さない。佐伯はそれを見返して、静かに口を開く。
「協力を要請しているのは私だ。出来る限りの巡回はさせると約束しよう」
 佐伯の目が鋭く光った。
 ふいに焔が吹き出しそうになるのを、麗火は力尽くで抑え付けた。焔は、麗火にまつわりつく精霊の一つで火精である。不満げに燻る焔を、麗火はギリギリと抑え付ける。やがて力を抜いた焔に、麗火は静かにその束縛を弛めていった。
 それをすぐ隣に感じていたセイリオスは、ようやく小さく息を吐く。
「灯りは、俺も増やす。暗がりから突然出てこられたら、たまんねぇからな」
 それには村雨も頷いた。
「前回の時も……あれはカメラ越しだったから余計にそう見えたのかもしれねぇが、行き成り現れていたからな。影から移動なんかしてたら面倒だ。瞬時に連絡を取り合える手段が必要か」
 ジナイーダがまた無線を貸そうかと言ったが、クラウスがじっと麗火を見つめる。自然と視線が麗火に集まり、麗火は思わずたじろいだ。
「……風精の手を借りて、周知に使えばいいんだろう。元々、園内の状況とか情報収集に使うつもりだったから、それぐらい別にいい」
 それに満足そうに頷いて、クラウスも口を開いた。
「僕は二つの辻に魔法陣を張るよ。さっきも言ったけど、水の精霊に手伝って貰って作るから、あからさまな陣が横たわってる、なんて事はないから、そこは安心してね。発動すると水球の中に人を閉じ込められる。もし誰かが襲われそうになったら、その人を助けるのにも使えるかな」
 それに頷いて、もう確認する事はないかと佐伯は面々を見渡す。
「さて、では私は署へ戻るよ。これでも色々と急がしい身でね。君たちはどうする? 街へ戻るなら乗せていくが」
 佐伯が言うと、六人は顔を見合わせる。
「それじゃ、明日。日が沈む前にここで」
 セイリオスがそう言って、七人は別れた。ジナイーダと村雨は公園を回る事にした。クラウスが何か家でやりたいと言うので、ブツブツと文句を言う麗火とセイリオスと三人は、再び佐伯の車に乗り込んだ。

□10月30日木曜日 午後5時30分 銀幕自然公園
 陽は急速に落ちて、辺りは暗闇の中に落ちていく。ぽつぽつと外灯が木々の生い茂る公園を照らし出し、人々に安堵をもたらした。
 冷たい風が頬を撫でていく中、ジナイーダと村雨は並んで歩いていた。サイクリングコース北。封鎖する事に決まったが、見回って損をするという事はないだろうと、歩いてきたのだ。
 生い茂る木々は安堵をもたらす外灯を隠し、闇は不気味に顔を覗かせる。薄ら寒さに思わず腕をさすった。
「こちらを閉鎖させるのは、正解だったな」
 ジナイーダの言に、村雨は頷く。
 ここはあまりに暗く、不気味で、おぞましい。この時間、こちらまでやってくる者はどうやらいないようで、辺りはひっそりとしていた。二人の靴音だけが、淡々と耳に届く。
「戻ろう。多分、長居は無用だ」
 隠れている可能性は否めない。しかし、今、辻斬りが現れる気はしなかった。
 一陣の風が吹き抜け、森を不気味にざわめかせた。

□10月30日木曜日 午後6時 麗火居候先
 佐伯の車を降り、三人は少し早いが夕食を取る事にした。
 腕を振るったのはクラウスだ。今までそれほど空腹を感じていたわけでもないのに、飯が目の前に現れると急激に腹が減るのは何故だろう。セイリオスは涎を垂らす勢いで目の前に広げられる料理の数々に目をキラキラと輝かせた。
「こ、これ全部クラウスが作ったのか」
「うん。セイリオスくんの口に合えばいいんだけど」
 料理はクラウスの特技である。喜んでもらえればとても嬉しいので、更に力が入る。そうして身に付けたのは、餌付け。本人にはまったくそのつもりはないのだが、結果的には同じである。
「うめぇ! こんなに美味いと思った食いもんは、ハゲ以外だとクラウスだけだ」
 例に漏れず、セイリオスはばっちり餌付けされた。
「ちょ、てめぇ、ちったぁ遠慮しろよ!?」
「食ったもん勝ちだろ、こういうのは」
「ここは盗賊の家じゃねぇんだよ! ゆっくり食わせろ!」
 そんな二人のやりとりに、クラウスは嬉しそうに笑う。クラウスの知る限り、麗火には同年代の友人が皆無だった。こんなに感情を露わにする事も、あまりなかった。だから、クラウスは嬉しい。とても、とても。
 セイリオスと小アジの甘露煮の攻防戦を繰り広げ、ようやく自らの皿に落ち着けた麗火は、小さく息を吐いた。それから、疑問に思っていた事を口にする。
「ところで、セイリオス」
 小アジの甘露煮を頬張りながら、セイリオスは顔を上げる。
「おまえ、なんでそんなに……赤沼、っつったか。彼奴を嫌ってるんだ?」
 麗火の中で、赤沼に悪い印象はない。ほとんど関わりを持っていないという事もあるが、ちらりと見た彼女に、それほど禍々しいものがあるとも感じなかった。
 セイリオスは小アジの尻尾を上下させて、租借し、飲み込む。
「……血の臭いは、嫌いだ」
 やがて、ぽつりと呟く。
 麗火は黙ってそれに耳を傾けた。
「あいつは。あいつは笑ってるけど、底で怒ってる。呪いみたいな気持ちで笑ってる。濃い、すげぇ濃い血の臭いがあいつには染み付いてる。俺は、ああいう臭いを知ってる」
 セイリオスの瞳が、ここではない何処かを映しているのを感じる。クラウスもまた黙っていた。
「俺は、火の一族に生まれた」
 ぽつりぽつりと語るそれは、彼の幼少期の出来事。
 元々、それほど人数のある一族ではなかった。森の奥でひっそりと暮らす、少数民族。ただ、炎を操るという不思議な力を持った一族だった。彼らにとって火は体の内側にあるものであり、生ある証でもあった。よって炎を操るという事は、呼吸をするのと同じようにとても自然な事だったのだ。
 しかしある日、それは起きてしまった。一族の存在が偶然帝国へと知れ、ミカンナギが帝都へと足を運んだときの事だ。好奇に満ちた目は、やがて警戒の目に変わった。気味悪がられ、悪意にさらされ、それでもなお好奇は極度の緊張を強い、無体を働いた。体内で猛り狂う炎はその体を抜け出でて、帝都の要人を文字通り灰にしてしまったのだ。
 火の一族が迫害され、討伐されるのに時間は掛からなかった。
「誰も彼もが村へ来た。俺たちを殺しに。最初は笑って近付くんだ。火はありがたいものだと、やって来る。そうやって、弱いものから殺して行くんだ。目をくり抜いて売り捌くヤツもいた。観賞用だってよ、悪趣味だよな。心臓は、十年は遊んで暮らせるぐらいの高値で売れたそうだ。喰らったヤツもいたらしい。そのうち、軍が来た。村は、血の臭いしかしなくなった」
 走った。走って走って走って、泥の中に頭から突っ込んで、動けなくなって、雨が降ってきて、泣いた。
 そんな時、声をかけてきた人間が居た。何の不思議な力も持たない、平凡な人間。そいつは傷だらけの体を手当てし、飯を食わせ、養生させた。逃げ出したかったが、そんな力は残っていなかった。ただ、体力は戻さなければならなかった。火の一族という事を気にも留めていないような優しさに、奥底にある怒りも知らずないでその笑顔を信じた。
 そいつの怒りを知ったのは、すっかり体も癒えた頃。ふいに振りかぶられた剣を、間抜け面で見ていた。廃屋で暮らしていたそいつは、ミカンナギが灰にした男の親族だった。そいつは、泣きながら笑っていた。自慢げに話したのは、どうやってミカンナギが男を灰にしたか。どうやって一族を切り刻み、殺したか。どうやって殺し、売り捌いていたか。
 そいつは、まだ子供だからと、殺すのは簡単だと思っていたのだろう。ミカンナギの直系であるとも思わなかっただろう。小さな体から吹き出した炎は、その廃屋も森も近くの町さえも、焼き尽くした。
 焼け野原は、血の臭いで充満していた。
「あいつは、あの時のそいつと同じ臭いがする。だから、嫌いだ」

□10月30日木曜日 午後11時 銀幕市自然公園
 コーター・ソールレットの左下半身は、四つの影を捉えていた。左下半身だが、それは確かに目としての機能を持ち、耳としてそれらの微かな足音を捉えている。何者かと思っているとそれはどうやら展望台へと向かう事を、右上半身が確認した。左肩当、右下半身、右肩当の前を大荷物を背負った四つの影は通り過ぎて、最後の四つ辻、展望台へ向かう道の端で、四人は足を止めた。
「なんだ、こりゃあ?」
「鎧、みたいだねぇ」
「なんでこんなところに?」
 最初は野太い声、次は間延びした声、最後は少女の声だ。コーターはじっとしまま動かない。やがて近付いてきた一つの影は、じっとコーターを見つめ、ぽん、と何か置いた。
「ま、気にしないでおこう。入り口にあるし、せっかくだから飾って看板掛けちゃおう」
 何が“せっかく”なのかさっぱりわからないが、男はコーターの首に何かを掛ける。頭を動かせないので何が書いてあるのかはわからない。何か丸いものがコーターの周りに置かれていく。
 四つの影は、うきうきと無駄のない動きで、展望台や展望台への道に何かを配置しているようだ。こういう時、体が動かせないのがもどかしい。何となく、察しは付いている。しかしこんな夜中に、しかも辻斬りが現れるという情報のある中で、少女まで連れて行う意味がわからない。それほどに自信があるのか、それとも何も考えていないのか。
「なぁ、お頭。わざわざ寒い中でやる意味あんのか?」
 コーターの疑問を口にしてくれたのは、野太い声だった。それに、お頭と呼ばれた男が答える。
「だって、昼日中にやったら飾り付けしてる姿を見られちゃうじゃない。こっそりやって、気付いたら出来てる、ってのがいいだろう。小人さんがやってくれたみたいで」
 何というメルヘン思考。しかし、それで疑問は解消された。コーターはなんとなく、このお頭とやらに興味を持った。
「小人さん好きだねぇ、お頭ー」
「まあ、夜に動くのは慣れてるからいいけど」
「そういや、セイはいつ来るんだ?」
「そろそろ来るはずだよね?」
「うん。そう言ってた。だから、一人で呼びに来るなって、すごく念を押されたの」
「セイくんもお兄ちゃんしたいんだねぇ」
 小さな笑いが起きたところで、コーターの左下半身は知っている気配を確認する。
「悪い、遅れ……」
 コーターの胴と兜を見て、少年は言葉を詰まらせた。それをまるで気にしないかのように、お頭と呼ばれた男が笑う気配がある。
「セリス。いいだろう、それ。ハロウィンって感じがするよね」
「え、う、うーん、」
 歯切れ悪く返事をし、コーター兜と目が合う。
「……いいんじゃね。似合う似合う」
 コーターの胴を軽く叩いて、セイリオスは笑いを堪えるように肩を振るわせた。コーターの後ろから声がする。
「おう、遅ぇじゃねぇか」
「うるせぇ、ハゲ」
「どこ行ってたのー?」
「どこだっていいだろ、バカ」
「つれなーい」
「うるせぇ」
「で、どこ行ってたの、セリス?」
「……麗火んとこ」
「そう……仲良くなったんだねぇ、うんうん」
「オヤジくせぇよ……お頭」
「そんなことないよ。それじゃ、火を入れようか」
「え、今から?」
「どうせ昼間はほとんど見えないぐらいの明るさにするつもりなんでしょ? それに、明日じゃ本番前に疲れるじゃない。今日はしっかり寝ておかないと」
 本番。
 コーターはそれに、きりと身が引き締まる思いがした。それはセイリオスも同じようで、小さく息を整える音が微かに聞こえる。
 やがてぽうわりと周りが明るくなっていった。夜の闇に溶けていた景色が、少しずつ明らかになっていく。カボチャをくり抜いたものや、蒼いガラスのようなジャックランタンの中に、小さな炎が揺らめいている。その色は赤に限らず、青や緑などもあった。
「うん、すごくいいね。さすがだよ」
 満足そうな声に、セイリオスは小さく笑ったようだ。コーターも思わず嘆息する。
「ん? なんか言った?」
 小さな灯りに浮かび上がったのは、白銀の髪に瑠璃色の瞳をした男だ。コーターは慌てて物になる。しばらくじっとこちらを見つめていたが、ふと微笑むと、四人を引き連れて元の暗闇へと去っていった。
 もちろん、確かに出て行った事を右肩当、右下半身、左肩当、そして左下半身が確認している。

■Contact
□10月31日金曜日 午前5時 銀幕市自然公園
 冴え渡る空気の中、車のエンジン音が静かな自然公園に響いてくる。ざわざわと木々が葉を散らす。四つ、五つ、いやもっとか。足音と金属がぶつかり合う音を聞きながら、コーターはそれが来るのを待ち構えた。
 先頭には佐伯。その後ろに、制服をきっちりと着込んだ警官。それを見て取って、コーターは少しだけ警戒心を緩める。佐伯はコーターをちらりと見やって、ぞろぞろと警官を引き連れて園内へと入っていった。ガシャガシャと鳴っていたのは、立ち入り禁止という看板を下げた馬(四方に開いた支脚を有する台)のようだ。
 佐伯は短く的確に指示を出し、展望台へ向かう道以外全てを封鎖していく。展望台前へ着くと、佐伯は一瞬呆けた顔をする。おお、これはスーパーレアな表情だ。そんな事を思っていると、眼鏡を押し上げながらツカツカと寄ってきた。
「コーターくん、これはどうしたことかな」
 お互いに聞こえる最小限の声で言うと、コーターは微動だにせず答えた。
「昨日の夜に、【アルラキス】が飾り付けに来たのだ。拙者には自分がどうなっているのか、さっぱりわからないが、先ほどの貴殿の顔はメガ笑えたぞ」
 佐伯は軽く眉を上げて、大きく息を吐いた。それから展望台の見回りと、二人以上で公園内を見回るよう指示する。明確な指示に迷う様子もなく、警官たちはきびきびと行動をする。コーターはじっと眺めていた。

□10月31日金曜日 午前9時 麗火居候先
 どこの腐海の森かと思うような、荒れ果てた部屋。何かが腐っているという事は決してないが、整理整頓という言葉が最も似合わない事は確かだ。
 そんな部屋に、ふうわりと甘い香りが漂ってくる。もぞりと部屋の一角が蠢いた。もぞもぞと蠢くソレから眉間に深い皺を刻んで顔を出したのは、麗火である。時計を見やり、カーテンの隙間から漏れる陽射しに目を細め、布団のぬくもりに身を沈め、それでも漂ってくる甘い香りにようやく体を起こしたのは、軽く三十分は経ってからだ。
「麗火、おはよう」
 キッチンに立つクラウスは、幸せそうな笑顔でエプロンに三角巾までして鉄板を運んでいるところだった。臭いの元を辿ればそれ、クッキーである。
「なんだこれ」
「今日はハロウィンでしょ? だから焼いてみたんだ。喜んでくれるといいなぁ」
 鼻歌を歌いながら、オーブンにバターを引いて様々な型の生地を並べた鉄板を入れる。麗火はぼうとする頭でクッキーに手を伸ばした。さくっとした歯触りに、甘く香ばしい香り。甘党の麗火は、こればかりは気に入っている。

□10月31日金曜日 午後4時30分 銀幕市自然公園
 霧生村雨はポケットに手を突っ込み、俄に活気づいてきた気配を感じながら、園内へと足を踏み入れた。園内には すでに制服をきっちりと着込んだ警官が立ち、立ち入り禁止という看板を下げた馬が道を塞いでいる。警官の視線を横目に見ながら、村雨は展望台前へと向かった。
 展望台前の辻が見えてくると、ジナイーダと佐伯の背中が見えた。先に気付いたジナイーダが軽く手を挙げ、それに佐伯が振り返る。それらに軽く会釈して答え、その足下にあるソレに思わず目を丸くした。
「おお、今日はウルトラ愉快な顔が見られるスーパーレアな日だな」
 小さく笑うコーターに、村雨は鏡で自分の姿を見せてやりたいと心底思った。ジャックランタンを飾られ、首から「Welcome! Happy Halloween!」という看板を下げている、西洋甲冑のその姿を。
 後に麗火やクラウスもまたその姿に目を丸くし、セイリオスが大爆笑する事になる。

□10月31日金曜日 午後5時 銀幕市自然公園・展望台前
 こんなのは嘘だ。
 これは夢だと言ってくれ。
 仲村トオルは思わず頭を抱えた。
 銀幕市自然公園は、すでに日の光の届かない夕闇に包まれている。その足下を照らすのは、色取り取りのジャックランタンと、どういった仕掛けなのか、木々の合間を照らし出す炎。それはとても幻想的で、思わず見入ってしまいたくなるほど、見事なものだ。
 トオルは吸血鬼に扮し、【アルラキス】主催のハロウィンパーティーに参加するつもりであった。彼の『仕事』をするには打って付けの場所だと判断し、意気揚々とやってきたのだ。……が。
 この警官が配備されている事と言い、会いたくもない人物までいるとは一体何事だろう。しかも顔見知りがいくつもあって、トオルは顔を引きつらせた。
「おや、そこに居るのは仲村トオルくんではないかな」
 そして、最も会いたくない人物に声を掛けられ、トオルは早足に道を抜けようとする。
「おやおや、つれないね。仲村トオルくん。ここで会ったのも何かの縁だ」
 まったく同じ歩幅、歩調で付いてくる佐伯に、トオルは諦めた。勢いよく振り返って、そのしたり顔を睨め付けてやる。
「ああ、そうだねぇ。なんとも奇遇で迷惑な話だけど、刑事課長御自らの依頼なら仕方ない。協力してあげようじゃないか。そんなにボクのこの頭脳が必要だって言うんならね」
 大袈裟に腕を振って、トオルはため息を吐いて見せてやる。それから不敵に笑って佐伯を見返す。それに佐伯は口端を持ち上げて笑った。
 そんな二人を認めて、ジナイーダと村雨がやってくる。三人が代わる代わるに、今起きている事象について掻い摘んで説明した。
 その間にもハロウィンパーティーへ参加しようという人々が、展望台へと向かって行く。時折そよ風が頬をかすめていく。
 入り口、異常なし。一の辻、異常なし。北、異常なし。
 囁くように通り過ぎていくそれに驚いていると、協力者である麗火という魔導師の力だと注釈が入った。

□10月31日金曜日 午後5時40分 銀幕市自然公園・展望台前
 やがて話を聞き終えて、トオルは目を丸くした。
「……バカじゃないの」
 それに、ジナイーダと村雨がトオルに目をやる。トオルはため息を吐いた。
「あのねぇ、普段からそうだけど、ハロウィンパーティーなんかやってるんだよ? 刀を持った男がいてもちっとも目立たないじゃないか。まさにエキストラだよ。ああ、面倒くさいな」
 トオルはせっかくセットした髪をかき混ぜるように掻いた。
 佐伯が口を開く。
「パーティー会場には、念のために参加を装った警官を何人か潜入させている」
 ジナイーダと村雨は唇を噛んだ。ハロウィンパーティに紛れ込む。それは、まったく想定していなかった。それは恐らく、他の参加者も同様だろう。だから、辻にばかり気を配っている。
 トオルがそれに思い立ったのは、自分がそれと同じ事をしようとしていたからだ。それを思うと、嫌悪を伴って吐き気がする。トオルは、人の死というものが嫌いである。それを行う者と似た構造の計画を持っていた事。それは、少なくともトオルにとって、憎むべきものだった。
 ジナイーダは麗火に教えて貰ったように、風精に伝言を乗せる。それはまさしく瞬時に全員に送られた。入り口前の辻、一の辻と呼ぶ事にしたが、そこにいるクラウスはそのまま待機している事が送られてくる。辻に誰もがいなくなる事だけは、避けようとの事だろう。それは十分理解できた。だから、往復の道を護衛しながら行き来していたジナイーダも、会場の方はトオルたちに任せる事にした。ジナイーダ一人では、という事で、村雨もそれに付く。自分が戦力にならない事を自覚している事も理由の一つだった。灯りを増やしながら森を歩いていた麗火は、すぐにやって来た。
 三人でパーティー会場に入ると、セイリオスが饅頭を頬張りながら何やら笑っているところだった。
「何、笑ってる。気持ち悪い」
「うるっせぇな、いいだろ、少しぐらい。……嬉しかったんだから」
 それから真剣な目に戻って、会場を見回す。
 パーティーは思っていたよりも盛況していて、あちこちから笑い声が響く。女の高い悲鳴が響いたが、それはシャガールが用意した更衣室の罠が発動した為だと、風精のお陰ですぐに確認できた。
 仮装には様々あって、ジャックランタンを模したマスクを被った者もいれば、短パンの魔女っ子や吸血鬼、吸血鬼には違いないが何故か頭に斧が刺さっている者、うさぎの着ぐるみで参加している者までいる。更には、仮装何それといった具合のサムライまでいる。しかし、大人げなくお菓子の争奪戦に参加している事から、目は離さないものの多分違うだろうという思考に辿り着く。
「……極論すれば、みんな怪しい」
 トオルの言葉に、四人は頷く。
「あれ、何してるの、こんなところで」
 神妙な顔をする四人を目ざとく見つけたのは、ミイラ男に扮した【アルラキス】の頭、シャガールである。セイリオスが口を開こうとしたところで、何か布を放られた。
「そこの吸血鬼くんはいいけどね、ここにいるなら仮装してもらわなきゃ。一着千円ぽっきりのプライスでお届けするよ」
 にっこりと微笑むシャガールに、四人はたじろいだ。佐伯は同じくにっこりと微笑み返し、渡された衣装を丁寧に返す。
「ここは若い三人に任せるよ」
 そういって踵を返した。麗火はその背中を忌々しげに睨め付けて、ふいに背中を悪寒が走るのを感じた。それはトオルとセイリオス、シャガールも同じだったようだ。
 悪寒。
 動悸。
 圧迫感。
 背中を冷たい汗が流れる。
 勢いよく振り返った。
 楽しげに笑う、パーティー参加者。
 気付いていないのか。
 それとも、自分たちだけに向けられたものなのか。

 麗火は、いつだったか、感じた事があるような気配に目眩を感じた。
 同じもの。
 しかし、違うもの。
 あの時と。
 あの時と。
 同じもの。
 しかし、違うもの。
 何故。
 疑問と同時に直感。
 振り返った。

 奥歯を噛みしめて、トオルは先日の事件、そして今回のあらましを思い出す。目まぐるしく流れていく映像、声、言葉。それらを繋ぎ合わせ、一本の糸が縒り上がっていく。
 犯人は、ムービーファンやエキストラを狙っている。
 三人の顔を見た。
 三人ともムービースターだ。
 自分も。
 それから。
 今、ここにいるのは。
 ムービーファンは。
 エキストラは。
 辻斬り。
 刀を持った。
 トオルの体に、電流が奔った。
 振り返った。

 カボチャの被り物。
 その手に握られた。
 なんという、大胆さ。
「佐伯!」
 声に振り返る。
 煌めく白刃。
 高い金属音。
 パーティー会場内では、強盗! と叫ぶ女の声。固唾を呑む音。それから爆笑。
 逆巻く風が異常事態を知らせる。
 駆けた。
 佐伯。
 倒れている。
 白刃と白刃が打ち合わされている。
 ジナイーダが素早く佐伯を助け起こす。
「怪我は!」
「ない」
 短く答えて、佐伯は飛び退いた。
 辻がふいに明るくなる。
 セイリオスの炎だ。
 カボチャ頭は踵を返しかける。そこには、麗火、トオル、セイリオスがいる。麗火が腕を振ると、カボチャ頭の体が吹っ飛んだ。地面に背中を叩き付けたところで、それを取り囲む。クラウスが来るには、まだ時間はかかるだろう。
「顔を見せろ」
 麗火が再び腕を振る。真空となった風は刃となり、その被り物を真っ二つに切り裂いた。
「──大川内亮史」
 佐伯の低い声。

□10月31日金曜日 午後6時10分 銀幕市自然公園・展望台前
 被り物を取り去られたそれは、ゆっくりと立ち上がった。
 細い体。しかし、確かな筋肉で引き締められているとわかる、無駄のない動き。痩けた頬。それ以外は平凡な顔の、静かな目が八人を見回した。
「やれやれ、欺けたと思ったんだけどな。残念」
 落ち着いた、声。
 これが。
 この男が。
 連続辻斬り事件の、犯人、なのか。
 それは、想像していなかった姿だった。
 もっと狂った男かと思っていた。
 人を斬る事に、執着を燃やす。
 何故、こんなにも静かな目でいるのか。
 何故、こんなにも落ち着いているのか。
 それが不気味に感じられた。
「スターばっかり、か。仕方ないね。たまには満足させてやらないとダメって事かな」
 しかし、その目は佐伯にのみ注がれている。
 この中で、唯一のエキストラである、佐伯に。
 飛び出そうとする警官に、佐伯は手で制する。動くな。逃がさない事を、考えろ。
 大川内は足下を確かめるように、地面を踏みしめて腰を落とす。鯉口を切る音が微かに響く。
 トオルは目を見開いた。
 この人数に囲まれて、戦意を消失しないのか。
 こんなにも、静かに。
「メガ穢れた刀だな」
 コーターの声。トオルはぎょっと後ずさった。鎧がふわふわと浮いていれば、それは当然の反応と言えたろう。コーターとは、面識もないのだ。
「居合いとは、【鞘の中の勝】の道ではなかったか」
 しかし、大川内は動じない。うっすらと笑みすら浮かべて、口を開いた。
「確かに、居合いは習ったよ。だって格好いいだろう、映画の中の侍とかさ。頑張って段までもらった。けど、刀は人を斬る為に研ぎ澄まされたもの。君の持つそれも、同じだろう?」
「刀は確かに人を斬るもの。だが、無辜の民を斬るのはスーパー関心せん」
 それに、大川内は笑った。構えすら解いて、大笑いをし出した。
「何がおかしい」
 少しずつ集まるパーツを合体させながら、コーターは大川内を見据えた。
「いやぁ、ムービースターにさ、説教されるとは思わなかった。だって、お前らは殺しまくっているじゃないか。同族をさ」
 麗火は目を眇める。左手の痣。今は、体内に身を潜めているのか。
「ねぇ、それって俺と同じでしょ」
「あんたと一緒にするな」
 村雨。それに、どうかな、と大川内は笑った。
 話は通じる相手だ。ネジが外れたような笑い方をするが、こいつはまともだ。
 だからこそ、トオルは、戦慄を覚えた。
「……あんた、なんで笑ってるんだ」
 人を殺しておいて。まだ、殺そうとして。どうして、それで、まだ。
「笑ってられるんだ」
 大川内は首を傾げる。
「ああ、君、知ってるよ。仲村トオルだろう、『Lie』の。ミステリーも割と好きでね、見た事あるよ。君の映画。君にそんな事を言われるとは思わなかったな。人を殺して、何が悪い?」
 トオルは頭に血が上り、急速に冷めていくのを感じる。
「人を殺していいか悪いかなんて、悪いに決まってるってば。それにあんた、妻と子も殺してるなんて、最悪だ。自分のあったかもしれない幸せを捨てて、人生を捨てて、終わりへ一直線じゃないか」
 言い放つトオルに、大川内は目を丸くして、それから笑った。
「は、ははっ、まさか、はは、嘘だろう? 君の口からそんな言葉が出るなんてね!」
 大川内は笑い続ける。ふいにぴたりと笑いを止めた。
 八人は動かない。
「刀ってさ、綺麗だよね」
 柄を愛おしそうに撫でて、大川内は続ける。
「人を斬る為に研ぎ澄まされた、芸術品。飾っておくだけ、見ているだけなんて、勿体ない。何の為に、ここまで洗練された姿になった? 人を斬る為じゃないか」
 柄を握り、すと鞘から抜き取る。白刃が数多の炎に照らされ、赤く燃える。
「勿論、初めは格好いいなと思うだけだったさ。でも、真剣を手にして、技を磨くにつれて、生まれるものはある。こいつで、人を斬ってみたい。けれど、殺人は重罪。それを知っているから、俺の理性はきちんと止める。先生も、よく話を聞いてくれたしね」
 先生。
 佐伯は目を眇めた。
 大川内は続ける。
「でも、大きな禁止はそれを破る欲望を増幅させる。考えるだけでも楽しいじゃないか、この手で人に向かって刀を振り下ろすなんて。映画みたいな事が、出来たらいいと思うじゃないか。ムービースターには、わからないかもしれないけどね。だって、それが現実だったんだから。ま、それは置いておくとして、街を歩き回って、誰にも見られずに刀を振り下ろせる場所なんかを見つけた時は鳥肌が立ったね。やりたくてやりたくて、たまらない。だって、街ではムービースターが、ヴィランズとかいうムービースターに向かってやっているんだ。中には、ムービーファンもいたっけ? エキストラもいたかな?」
 大川内はくつくつと笑う。
「刀を振り下ろす。そうする事が良い事か、悪い事か、やれるのか、人に向かって振り下ろす事を良しとするか、否とするか。考えている内にね、どうでもよくなる」
 トオルは目を見開いた。
 そんな。
 そんな、バカな。
 こいつの、思考は。
「その結果、振り下ろした相手が死ぬか死なないか、そんなものに興味はないんだ」
 トオルは、思考が停止するのを感じた。
 大川内は続ける。
「まあ、でもきっかけってのはあるもんだよ。今まで抑え付けていた水が、大雨で堤防を突き破って溢れるようにね。俺にとってのそれが、こいつさ」
 左手の甲を見せて、大川内は笑う。黒い、丸い痣。
「きっかけなんて、本当に些細なものだよ。でも、その些細なきっかけさえあれば、人は何でもやれる。ほんの一押しさ。それで、全ての堤防は決壊する。そうしたら後は、振り下ろす。それだけさ」
 白刃を鞘に納め、大川内はにいやりと笑った。
「……家族を殺したのは、何故だ」
 麗火が冷たく言い放つ。大川内はまるで気にした風もなく答える。
「だって、可哀相だろう? ヒトゴロシノツマ、ヒトゴロシノコドモ。酷い罵りを受けるのは目に見えている。それに耐えきれる程、図太い妻じゃない。だから、殺した。一生後ろ指指されて生きるなんて、とても耐えられないだろうからね」
「あんたが……っ!」
 村雨が叫ぶ。
「あんたが、こんなバカな事をしなければ、いいだけの話じゃねぇか!」
「それはそうだね。うん、ごもっとも」
 あっさりとそれを肯定するその目には、変わらず穏やかな色があるだけで。
「でも、ダメなんだよ。膨らみすぎた風船は、ちょっとした衝撃で爆風を撒き散らしながら壊れる。俺はね、その風船と一緒なんだ。振り下ろしたかった。そっちの方が、勝ったんだ」
 笑う。
 にっこりと。
 なんて場違いな、笑み。
 それでも矛盾しない、こいつは。
 鳥肌が、立った。

 ふいに、大川内が地面を蹴った。狙いは真っ直ぐ。佐伯。
 コーターが合間に入る。ジナイーダが腰に手を伸ばす。
 その、足下に。
 魔法陣が、展開された。
 白い閃光が迸り、大川内を包み込む。
 突然の事に、大川内の足が止まる。
 巨大な水球が、大川内を捉えた。
 瞬間、麗火は風を味方に大川内の左手を掴んだ。
 黒い痣が歪む。
「──今度こそ、逃がさねぇ」
 麗火は口の中で術使鬼を編み上げる。小さく掲げた手に、白い光が宿る。
 大川内は右手で刀を引き抜こうとする。
「無駄だよ。窒息はしないだろうけど、動けないから」
 声は、後ろから。クラウスが立っていた。
 麗火の深紅の髪が、風もないのに揺らぐ。
 血色の双眸が、空気に触れる。
 知りたい。
 しかし、知りたくない。
 けれど、このまま正体も何も解らずに、放置するわけにはいかない。
 目に映るは、二つの魂。
 その一つは、黒きもの。
 掲げた手に宿った白い光が、閃光を放つ。
 魂が震える。
 白い世界に一点、漆黒の穴が穿たれる。
 黒がその穴目がけて奔る。
 それが、通り抜けた瞬間。
 拳を握った。
 水晶の珠が、麗火の手に現れる。
 透き通った珠が、黒く染まる。
 今度こそ、捕らえた。
 突き破ろうとする意志には柔らかく。
 引く意志には強固たる封を。
「ぐ、う、ぅう、ぁあああああぁぁあああああっっ!!」
 途端、大川内が叫びだした。
 尋常でないそれに、思わず息を呑む。
 くつくつと笑う声に、麗火は手の中の黒に目をやった。
 ぼんやりとした姿ではなく、確かな形を持つそれは、げらげらと笑い出した。
「貴様、何をした」
『何をした?』
 濁った耳障りな声が響いた。全員の目が、その水晶球に向けられる。
『わかっている、わかっているくせに、キヒヒヒヒ、ムービぃいイスタぁぁあァァアアアァアアアあアアアアアああああァああアアァぁアアアアア!!!』
 麗火は眉間に皺を寄せた。
「どういう事だ」
 ジナイーダが問う。
「……悪魔は、取り憑いたものを、殺す。それをさせない為には、」
 麗火は苦々しげに口を開いた。
「憑いたものを、殺すしかない」
 これを殺せば、わかる。
 こいつの、正体が。
 潰すのではなく、切り裂く。
 そうすれば、明確な答えが分かる。
 躊躇してる間も、大川内は叫び続ける。深く深く、魅入られた証。
 ジナイーダが腰から拳銃を引き抜いた。MP-443通称グラッチ。麗火がそれを手で制す。
「こいつの正体は、こうする方がより解る」
 知っている。
 俺は、こういう存在を知っている。
「風」
 呟く。
 水晶ごと、黒が二つに切り裂かれる。
 耳障りな奇声。
 転がった、フィルムは。
 ボロボロと崩れて。
 あるかなしかの風の中に、消えていった。
「ムービーキラー……」

 佐伯は静かに水球の傍らに立った。
 だらりと腕を垂らした大川内の目に、生気はない。呆然としたその顔を一瞥して、その手に手錠を掛けた。

□10月31日金曜日 午後7時30分 銀幕市自然公園・駐車場
 ハロウィンは、何事もないかのように続けられている。
 笑い声の絶えない展望台を後ろに、佐伯は大川内を連れて駐車場に着くと、呼んでいたパトカーが赤灯を回して止まっていた。
「佐伯」
 大川内をパトカーに乗せて行こうとするその背中に、声が掛かる。
「先生とは、誰だ」
 振り返れば、七人が立っていた。
「近いうちに、対策課を通して話が行くだろう」
「誰だと聞いているんだ」
 麗火の視線を真っ直ぐに受け止め、七人を見渡す。 
 その目に強い光を見る。
 目を閉じ、ゆっくりと開いた。


「──赤沼祥子」

クリエイターコメントこの度は、キャンペーンシナリオ【Zodiac】第一話に参加いただき、誠にありがとうございました。
木原雨月です。
大変お待たせいたしました。
皆様の行動の結果、ハロウィンは無事に続けられ、犯人も捕まえる事ができました。
ありがとうございます。

ご意見・ご感想などありましたらば、是非お気軽に御送りください。
それではまた、何処かで。
公開日時2008-11-24(月) 20:30
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