★ 【謎のキノコ騒動】極道氏の覚悟と心得 ★
<オープニング>

 キノコである。
 不思議なキノコが引き起こした不思議な騒動は、リオネの予知によって、人々を、銀幕市郊外の山中へと導いた。マルパスが指揮する探索部隊は、霧の中で眠りについていた、巨大な白いキノコ状の怪物を発見する。
 怒りとともに目覚めたものは荒れ狂い、探索部隊は撤退を余儀なくされたという。
 騒然とした夜が、銀幕市を包んだ。落ち着かない夜は、しかし、思いの他、静かに過ぎていった。もっとも、嵐の前の静けさであったのかもしれないが。
 
 翌日、銀幕市のあちこちで、先日のカフェの騒ぎを思い起こさせる、奇妙な事件の数々が報告されることになる。探索部隊の、慌ただしい最後を思えば、それはあまりにも、安穏とした日常の延長に思えたかもしれないような、事件の数々だった。だがそれはそれで、居合わせたものたちにとっては深刻な事態だったり、迷惑であったりして……幾人かの人々を巻き込み、奔走させることになったのだ。

 ★ ★ ★

 茂霧山での騒動から一夜明けた銀幕市。
 何かが起きたことを知って、市民たちはどことなく落ち着きがなかった。
 それは町のいたるところで見られる光景だったが、銀幕広場もまた、様々な噂話を交わす人々でざわざわとざわめいていた。人々は不安げに……わずかな興味を込めて、昨夜の捜索の結果を話し合い、次に何が起こるのかと周囲を見渡すのだった。

 そんな中、
「いたぞっ、あそこだ!」
「待ちやがれ、逃がさねぇぞ!」
 品がいいとは到底言えない濁声とともに、衣装も姿かたちも様々な男たちが、足早に銀幕広場を行きすぎようとしていた男を取り囲んだ。
 剣呑な雰囲気に、広場に集っていた人々がそそくさと逃げてゆく。
 数人の男たちに取り囲まれているのは、有名なヤクザ映画の主人公で、悪役ムービースターのまとめ役、竹川導次だった。
 『悪役会』の元締めとでも言うべき彼の周囲には、いつもたくさんの悪役ムービースターたちが集っているのだが、今日はその取り巻きの姿がない。
 そのドウジを取り囲んでいるのは、どうやら、現代という観念で見ると明らかに衣装がおかしいところから鑑みるにムービースターたちであるらしいが、出で立ちのバラバラさから、まったく違う映画から実体化したものであるようだった。
 一体何事かと、人々が遠巻きに見守る中、ドウジがひとつ溜め息をつく。
「……いちいち尋ねるんにも飽きてきたが、何か用か、兄さんら。俺には、兄さんらに追いかけまわされるような理由はないんやがな」
 余裕を失うことのない、静かなドウジの問いに返ったのは、
「用件? そんなものは決まっている。お前の存在そのものが気に食わんのだ!」
 浪人の衣装を身にまとった、時代劇から実体化したと思しきムービースターの言葉だった。
 ドウジを取り囲む他のムービースターたちが、色も形も様々な目に深い同意を載せて頷く。
 ドウジはまた溜め息をついた。
(……剣呑な話やで)
 ことの起こりは今朝だった。
 『悪役会』の下っ端が準備した朝食に、キノコの味噌汁があったのだが、どうやらそこにここしばらく銀幕市を騒がせている奇妙なキノコが混じっていたらしいのだ。
 気づかず――何せ細かくカットされていたのだ――食べてしまったドウジだが、食後外に出た途端、ムービースターと思しき連中が、何故か敵意をあらわに襲いかかって来たのだ。
 理由を尋ねても、返ってくるのは同じようなものばかり。
 襲ってくるムービースターは男に限定されるようだったが、女性ムービースターは何故か、ドウジを目にするや否やものすごい熱い眼差しとともに、襲いかからんばかりの勢いで迫ってくるのだ。
 すべてのムービースターが、というわけではないようだが、決して少なくない数の敵意がドウジに向いていた。
 そう、ドウジが食べたキノコは、アンテナキノコとでも命名すればいいのだろうか、男性ムービースターの殺意や敵意を、女性ムービースターの過剰な好意を増幅し、一身に向かわせるという傍迷惑な代物だったのだ。

 身内に迷惑をかけるわけには行かないと、いつも周囲にたむろしている『悪役会』の連中を遠ざけ、効果が切れるまで――もしくはその解毒方法が判るまで――身を潜めていようとしたドウジだったが、あちこちで目をつけられてこの様だ。
 銀幕市の一般市民に迷惑をかけても申し訳ないと思う彼は、ひとりで切り抜けるつもりではいたが、埒があかないと思わないわけでもなかった。
(まぁ……けど、しゃーない。全うするんが極道言うもんや)
 胸中にごち、自分の周囲を取り囲むムービースターたちを睥睨する。
「この竹川導次を敵に回すからには、覚悟は出来てるんやろな?」
 冷静に、しかし強い意志を込めてドウジが言うと、ムービースターたちは明らかに怯んだが、
「黙れ、それはこちらの台詞だ!」
 浪人風のムービースターが腰の刀を抜いた辺りで、自分たちもめいめいに武器を手にした。
 それを目にした人々が、悲鳴とともに逃げてゆく。
 ドウジはそれを剣呑な眼差しで見据えていた。
 ――無論、黙ってやられてやるつもりもない。

種別名シナリオ 管理番号30
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
クリエイターコメント傍迷惑なキノコの被害にあっている竹川氏。助力など乞うつもりもない、誇り高く潔い彼と行動をともにし、彼とともに戦いながら彼を守ってください。
男性ムービースターをやっつけてもらっても構いませんし、女性ムービースターに熱烈アタックされて迷惑しているところを助けていただいても構いません。
おまけにどうやら、何か、面倒臭そうな存在にもロックオンされている様子です。喧嘩や仲裁に自信のある方、是非ご助力くださいませ。

参加者
ヘンリー・ローズウッド(cxce4020) ムービースター 男 26歳 紳士強盗
ブルース・吉沢(cahe7016) ムービーファン 男 52歳 ラーメン屋
四位 いづる(chbt5646) ムービーファン 女 22歳 学生
アラストール(cmpc5995) ムービースター 男 35歳 叛逆者
薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
<ノベル>

 アラストールはその時まさに銀幕広場へ足を踏み入れたところだった。
 特に用事があったわけではなく、小春日和といえばいいのか、太陽の光がとても明るく、空が綺麗だったものだから、完全無欠のダーティヒーローたる彼もすっかり気分をよくして、少し散歩でも、などと思ったのだ。
 しかし、散歩といえばここ、というイメージのある広場へ足を運んでみたところ、いつもとは違う、どこか刺々しい騒がしさがあって、彼は小さく――どこまでも洗練された動きで――首を傾げた。
「おや、あれは竹川氏じゃないか? ――なにやら、剣呑な雰囲気だが」
 噴水の近くに、三つ揃いの黒いスーツをびしりと決めた、隻眼の男の姿を見出して、アラストールは更に首をかしげる。
 もっとも、彼を取り囲む、明らかにムービースターとしか思えない連中が口々に喚き散らす、あまり品のよろしくない言葉を聞いていると、おおよその事情は理解出来た。
 どうやら『悪役会』のまとめ役は、謂れのない非難と敵意を受け、物騒なものを向けられているらしい。
 そういえば、市役所の対策課に、そんな依頼が出ていたような気もする。
 あの、銀幕市全域を巻き込んで大きな騒ぎになった、キノコ騒動のひとつだったはずだ。確か、妙なキノコの影響で、ムービースターに付け狙われるようになってしまった、といった内容が書いてあったような。
 ふむ、とアラストールはつぶやく。
「なるほど……面倒なことになっているようだな」
 十人近い相手に取り囲まれながら、竹川導次には微塵の揺らぎもない。
 鋭い眼光を宿した隻眼で、怯むことなく周囲を睥睨している。
 その潔い姿は、孤立無援に生きてきたアラストールの目にとても心地よく映った。
「社会的に言えば彼は悪だが、しかし、自由に生きながらも、彼は彼なりの秩序を、そして揺るぎない信念を持っている。……わたしと共通する点があるな。彼がいなければこの銀幕市はさらに混乱するだろう。これは、放ってはおけないだろうな」
 独白し、周囲を見渡す。
 この世界に実体化して以降、『郷に入っては郷に従え』を実践してきているアラストールは、あのムービースターたちはキノコの影響でドウジを狙っているだけの本来罪のない人々なのだという事実以前に、故郷での日々のように、敵対者=殺していい相手、ではないことをきちんと理解していたので、ひとまず、悪漢たちの意識をそらしてドウジを逃がそうと思ったのだ。
 そして、この騒ぎに驚いて誰かが忘れていったらしいゴルフボールを見つけ、それを拾い上げる。
「さて……」
 どうきっかけを作るか、と思案していたところへ、ふわり、と風が吹き、不思議な、どこかかぐわしい匂いを運んできた。
 その匂いを嗅いだとき、ざわりと胸がざわめくような感覚があって、アラストールは小さく首を傾げる。
「何だ、今のは……?」
 つぶやくのと同時に、広場へ――ドウジの傍へ、金髪の青年が近づいてゆくのが見えた。あれもキノコの影響を受けたムービースターか、と思ったアラストールだが、どうやら少し違うらしい。
「ふむ」
 つぶやき、ひとまず様子を観る。
 あれがいいきっかけになるかもしれない。



「あ、あははははは! 何やってるんだい、ミスター・ドウジ!?」
 面白いほど取り囲まれた親分を見た途端、ヘンリー・ローズウッドは大笑いした。
 ヘンリーを目にした竹川導次が、十人近い男たち、しかも妙に殺気立った連中に武器を向けられているというのに、ものすごく不思議そうな表情をした。
「まったく、ドウジ親分ともあろうお人が、何をやっているんだい? そんな三下たちに、好きにされてやるつもりじゃあないだろうね?」
 嘲笑とともに言ったヘンリーが、小馬鹿にしたような視線をムービースターたちに向けると、
「誰が三下だ!」
「お前、竹川を庇う気か!?」
「ならお前も敵だ、覚悟しろ!」
 ……と、いうような、お約束に過ぎる怒声が返ってくる。
 ヘンリーはにこにこと笑った。好青年そのものの笑顔で。
「馬鹿だね」
 だが……その声ににじむのは、隠しようのない喜悦だ。
 弱いものをいたぶって遊ぶ、残忍で冷酷な。
「まぁでも……さすがに、不味いかな。こんなに明るいうちから、公衆の面前でいきなり血の海、っていうのは」
 僕自身は別に気にはしないけど、と胸中に小さくつぶやき、ヘンリーはにこやかにドウジを見つめた。
「助けてほしいかい、ミスター・ドウジ?」
「……なんやて?」
 眉をひそめたドウジが問い返すのへ、またくすくすと笑う。
 楽しくて仕方がない、といった風情で。
「舐めてやがるのかお前らっ!」
 その奇妙な――微妙に寒々しいやり取りが気に食わなかったのか、それとも無視され続けていい加減腹が立ってきたのか、額に青筋を浮かべた浪人風の男が刀を振りかぶる。
 遠くから、恐る恐るこちらの様子を伺っていた銀幕市の人々が、ぎらりと陽光を反射する凶悪な白刃に、悲鳴をあげるのが聞こえた。
 ドウジが表情を厳しくし、ヘンリーは一緒にしないでくれなどと胸中に吐き捨てながら片眉を跳ね上げる。
 しかし、その凶刃がふたりを傷つけることはなかった。
 何故なら、ヒョウ、と鋭く空気を切り裂いて飛来した白い玉、よく見ればゴルフボールと判る物体が、五つ六つと飛んできて、刀を振りかぶった浪人や、ナイフや斧や棒を手にした男性ムービースターたちの身体のあちこちを、強かに、的確に、容赦なく打ち据えたからだ。
「ぐ……ッ」
「ううぅ……!」
「くそっ、な、なんなんだ!?」
「い、っつ……っ!」
 浪人風の男が呻き声とともに刀を取り落とし、ゴルフボールに直撃されたムービースターたちが悲鳴や罵声を上げて身体をよじった。
 ちらりと流した視線の先に、背の高い、黒ずくめの男の姿を認めてヘンリーはかすかに笑う。向こうも彼に気づいたらしく、口元をほんの少し笑みのかたちにすると、深く被ったソフト帽をわずかにずらして、洗練された仕草で挨拶してみせた。
「ははっ、ちょうどいいね、これは」
 つぶやき、ヘンリーは、懐から大きなシルク布を取り出した。
 そして、ゴルフボールの襲来によって足並みの乱れた襲撃者たちの中へ無造作に踏み込んでゆき、その、光沢のある黒の布を、彼らに被せるようにして一振りする。
「種も仕掛けもございません。さあて皆さま、お立会い」
 おどけたように言った彼がシルク布をさっと払うと、布を被せられた浪人風の男は、いつの間にか荒縄で全身を縛り上げられ、ご丁寧に猿轡まで噛まされた状態で硬い地面に転がっていた。
 何がどうなったのかさっぱり判らないらしく、恐怖の表情すら浮かべてうーうー唸る声が聞こえるが、そんなものはヘンリーの知ったことではない。くすくす笑いながら、呆気に取られているムービースターにシルク布をひょいと被せ、同じような芋虫をあっという間に作り上げる。
「あはは、すごく素敵だよ、絶望的にみっともなくて」
 さらりと毒を吐いたあと、竹川導次を振り返り、告げる。
「行きなよ、ミスター・ドウジ。ここは僕が何とかしてあげるからさ」
「……ああ」
 何か奇妙なものを観る目でヘンリーを見遣ったドウジが、眉間に皺を寄せたまま頷き、まだ釈然としない表情で踵を返した。そして、溜め息をひとつつき、足早に広場を出てゆく。
 そのとき、胸をざわめかせるような不思議な香りが、どこからともなくかすかに流れたような気がしたが、それはすぐに雑多な匂いにかき消され、出所を確認することは出来なかった。
 その不思議な香りに頓着することなく、ドウジをにこやかに見送ったヘンリーは、
「さ、とりあえず、君たちの始末をつけてしまおうかな。せっかくこんなに楽しめそうなんだ、僕の邪魔はしないことだよ」
 笑顔のまま、少々腰の引けている襲撃者たちへ向き直った。
 ――殺すほどの価値はない、などと思いつつ、彼らを見据える。



 ブルース・吉沢は出前から帰る途中だった。
 可愛いわが子(ラーメン)が可愛がってもらえればいい(美味しく食べてほしい)、などと胸中につぶやきつつ歩いていると、
「いたぞっ、竹川導次だ!」
「待てやコラっ、俺と勝負しろこのチキン野郎がああぁ――!」
 前方からガラの悪い怒声が響いたので、ブルースは首をかしげてそちらを見遣る。
「おや、確かあのお人は……」
 そこでは、バタバタという足音と舞い上がる砂埃とともに、黒いスーツ姿の、明らかに仁侠者と思しき隻眼の男を、物騒なものを振り回しながら十数人の男たちが追い回しているという、さながらちょっとした映画のワンシーンが繰り広げられていた。
 追われているのは、銀幕市に実体化したムービースターたちの裏の顔役、『悪役会』の竹川導次だ。
 恐ろしく殺気立っている追跡者たちに対して、竹川導次の渋い顔には、ものすごいうんざり感がありありと浮かんでいる。
「そういえば、彼もキノコの被害に遭(お)うておられるんじゃったかな」
 ブルースはほんのわずかに思案したが、
「……行き逢った以上、捨てては置けんなぁ」
 そうつぶやいて、おかもちを手にしたまま小走りに走り出した。
 この辺りは彼の庭も同然だ、先回りはお手の物である。
 建物と建物の間にある小さな路地からひょいと現れたブルースは、やはりすごいうんざり顔で走ってくるドウジ親分を手招きした。目敏くそれに気づいた導次が、かすかな目礼とともに路地へと走り込んで来る。
 任侠者らしく身体を鍛えてある所為か、それとも格の違いなのか、数分で彼と追跡者の間にはかなりの距離が開いていた。
「あんたは……」
「ん? わしか。わしはブルース・吉沢じゃ。ま、わしのことはいい。追われておるのじゃろう、こちらから逃げるといい。――案内して差し上げよう」
「いや、俺は」
「あんたがカタギのもんに迷惑かけまいとしておられることはよく存じておるよ。だが、年寄りの言うこともたまには聞くもんじゃ」
「年寄りて、あんたどう観ても五十代やろ。ジジイ扱いするにはちぃっと早すぎるんと違うか」
「おお、鋭いツッコミが入ったな」
「いや、どっこも鋭いことあれへんぞ」
「はっはっは、気にするな気にするな。さて、では案内いたそう、こちらへ参られよ」
 髭など生えてもいないのに、顎鬚をしごく仕草をしたブルースが豪快に笑うと、導次はひとつ溜め息をついて肩をすくめた。精悍な顔に、苦笑めいたものを浮かべて頷く。
「なんや、あんたと話してると気ぃ抜けるわ。せやな、ほな、厄介になろか」
 それから、手招きするブルースの後について歩き始める。
 数分足早に歩いて抜けた先は、銀幕ジャーナル本社がある通りだった。
 この先の、少し入り組んだ道を通って導次を逃がそう、とブルースが考えていたところ、
「あそこだ、あそこに竹川導次がいるぞっ!」
 どこか作り声めいた、奇妙な声が、高らかに――鋭く導次の所在を言い立てた。
 ブルースは思わずドウジ親分と顔を見合わせ、周囲を見渡した。
 目に入ったのは、銀幕ジャーナル本社。わずか数メートルの距離にある。
「あの中を通って、裏に抜けるといい」
 言いつつ、億劫げな溜め息をつく導次を促し、銀幕ジャーナルへ駆け込む。残念ながら観られていたようで、背後からバタバタと、十数人の男たちが追いすがってきた。
「むむう……こっちじゃ、親分さん!」
 ひとまず、手近な場所にあった扉を勢いよく開け、中に転がり込む。
 ばったーん!
 派手な音が立ち、中にいた人々が困惑の声をあげるのが聞こえた。
「竹川導次!?」
「確か、彼もキノコ騒動で依頼が出てたような――」
 どうやらここは編集部らしい。
 事件が起きるたびにまちを走り回っている、若い女性記者の姿が目に入った。他にも、時折目にする銀幕市民の姿がある。
 しかし、それを云々している時間はなかった。
「くぉらああぁっ、待たんかい、竹川アアアアァ――!!」
「くっそ、観念しろっ、逃げんなやこのクソボケがー!」
 編集部のフロアに、ガラの悪い怒声が響き渡る。
 十数人の男たち、敵意とか怒りとかに様々な造作の顔を染めた連中が、中へなだれ込んできたのだ。
「……面倒臭いことになっとるのう。親分さん、退散じゃ」
「ああ。ほんまにややこしいわ……鬱陶しい」
 追いすがる追跡者たちを掻い潜り、嵐のごとき様相を呈している編集室から慌ただしく抜け出す。
 ばたんっ、と勢いよくドアを閉め、おかもちを担いだまま再度走り出したブルースは、背後から、誰かが引っ繰り返るような派手な物音と、
「ぎゃああああぁっ!?」
 断末魔みたいなものすごい悲鳴を耳にしたような気がしたが、ははは気の所為気の所為(真顔)と無視を決め込む。
「さて……ほな、どないしよかな……」
 そろそろ真剣に嫌になってきたのか、少し遠い目をした親分がつぶやくのへ、ブルースも同情の目を向けずにはいられなかった。



 薄野鎮は、四位いづると並んで走りながら竹川導次を探していた。
「ええと……こっちやったかなぁ。どう、薄野さん。ドウジ親分、いてはる?」
「うーん、……あ、あそこ。あれじゃないか?」
「ほんまやわ。……うわ、囲まれてはるねぇ」
 ふたりは、銀幕ジャーナル編集室で、追われるドウジ(+ガラの悪い男たち)の姿を目にしたのだが、どうしても気になって追いかけてきたのだ。
 背の高い隻眼の男が、色とりどりの衣装に身を包んだ女性ムービースターに取り囲まれて、ものすごくうんざりした表情を見せていたので、いづると鎮は互いに顔を見合わせた。
「とりあえず、ドウジさんを逃がそうか。僕はあのひとたちを撹乱するから」
「ほな、私はドウジ親分を誘導するわ。どっちに逃げてもらうのがいいと思う?」
「ひとけの少ないところじゃないかな。周囲に被害が及ばなければ、ドウジさんも多少は暴れられるだろうし。……とりあえず、この恰好をしてきてよかったかも」
「判った、ほな、向こうの広場まで。似合ってはるよ、薄野さん」
「……ちょっと複雑な心境だけど、ありがと。じゃあ、向こうで」
「うん、気をつけて」
 苦笑とともに、鎮は喧騒の中心に向かって歩き出す。
 すらりとした黒のパンツスーツに藤色のストールという鎮の出で立ちは、男性にしては背が低く、細身で、更に非常に女性的に整った彼の顔立ちとあいまって、鎮をどこかの若いキャリアウーマンのように見せていた。
 彼自身は、あまり自分が女顔とは思っていないもので、女性と間違われることが増えてきて、結構うんざりしていたのだが、それが役に立つとなれば躊躇するわけにも行かない。
 ゆっくりといづるが動き出すのを目の端で確認しつつ、鎮は、今にも押し倒さんばかりの勢いでドウジ親分に迫る女性ムービースターたちに紛れ込む。
 そのとき、視界の隅に、灰色の髪をした小柄な男の姿が入った。彼は、顎の下で拳を握るような奇妙な仕草をしながら、困惑した表情で竹川導次を見つめていた。
 ともあれ、女たちが上げる嬌声で周囲は結構な騒がしさだ。
「ドウジさんっ、アタシとつきあって! イイコトしようよ!」
「何言ってるんだい、親分は私と一晩過ごすんだよ!」
「ああんドウジさん素敵素敵っ。お願いっ、一緒に来てっ」
「ああドウジ様、お慕い申し上げております! この胸の切ない想い、どうして判ってくださらないの? つれないお方……」
 ――これって、男冥利に尽きる、って言うべきなんだろうか。
 女の人に対して特に悪感情を持っていない鎮も、さすがにちょっと引いた。熱い、うっとりねっとりした眼差しでドウジ親分を見つめる女たちは、彼が眉間に皺を寄せていることにも気づいていないのだろうか。
 恋は盲目とはよく言ったものだが、相手の気持ちも見えないようでは、それはただの押し付けに過ぎない。――もっとも、彼女らとて、ドウジ親分が食べてしまったというキノコの被害に遭っているだけなのだが。
 しかし、女性が相手では強引な手段に出ることも出来ないのだろう、ドウジ親分は女たちを振り払うでもなく、苦渋に満ちた表情で額を押さえている。悪漢たちにも狙われている彼だ、この騒ぎが続けば、その連中もまたドウジ親分の所在地に気づいてしまうだろう。
 妙案を思いつき、鎮は声を整えた。
 恋とはひとりでは出来ないが、さりとて三人でも出来ない。
 つまり、ここに集った女たちは、皆、敵対者なのだ。
「不細工な女がふざけたことを言うものじゃないわ、鏡を見たことないんじゃないの!? あなたなんかドウジさんには相応しくないわよ!」
 声音を作りながら高らかに言い放ち、すっと群から離れると、
「何ですって……!?」
「誰よ、今の! あんた!?」
「違うわよ、あんたでしょ!」
 案の定、女たちの関係は激しく悪化した。
 輪が大きく揺らめく。
「ふざけるんじゃないわよ!」
 鎮は、掴み合いにすら発展しそうになっている口論を尻目に、いづるがドウジ親分をその場からそっと連れ出すのを確認し、満足げに頷いた。
 ちょうどそのとき、恋愛ものに登場するどこかの令嬢と思しき女性ムービースターが、ブランド物の香水ビンを落としたので、あとで返そうと思いつつ拾い上げる。今声をかけても巻き込まれるだけだ。
 五十がらみの男が、ホッとした表情でおかもちを手にするのを見遣り、手で合図すると同時に目配せを交わすと、並んで走り出した。
「あなたも、ドウジ親分を?」
「うむ、難儀しておられたのでな。君の一声が効いたようじゃな、よかった」
「まぁ、平凡な人間に出来るのはこのくらいのことですから」
「ははは、違いない」
 笑った男は、ブルース・吉沢と名乗った。
 鎮も名乗り返しながら、ひとまず、ドウジ親分といづるに追いつくべく、走ることに専念する。
 ――そのとき、何か重たいものが地面を踏み締めるような、ずしりとした震動を感じたような気がしたが、
「どうかしたかね、薄野君」
「いえ……何でも。行きましょう、ブルースさん」
 そんな大きな生き物が現れたという話も聞かないし――ありえない、とは言い切れないのが銀幕市のすごいところだ――、きっと工事現場か何かが近くにあるのだろう、と首を横に振った。
 そして、前を見据えて更に速度を上げる。



 少し離れた場所にある広場まで案内された竹川導次は、
「あんた……さっき、銀幕ジャーナルにおったな」
 そう言って、精悍な顔に微苦笑を浮かべた。
 いづるはにっこり笑って頷く。
「はい、ドウジさんをお見かけして、気になって追いかけてきたんです。何かお手伝いできたらと。しかし、災難でしたなぁ」
「ああ……いや」
「はい?」
「どっかひとけのないとこで応戦したろ、とは思てたけど、自分らを巻き込むつもりはなかったんや。自分のことは自分でケリつけるんが極道ちゅうもんや、申し訳なかったな」
 きっぱりと潔い物言いに、いづるは思わず笑う。
「……? どうかしたか、嬢ちゃん」
「四位いづる言います。何でもありませんよって、お気になさらんといてください」
 ヤクザ映画の主人公に相応しい強面の、どこからどう観ても筋金入りの任侠者でありながら、竹川導次は魅力的な人間だと思う。山ほどシリーズ物が作られる理由がここにある、とすら。
 現実のヤクザは決してこんな、真実の意味での極道者ではないと理解しつつも、いづるは、竹川導次を恐ろしいとも、彼が人間として信じられないとも思わないのだ。
「それで、これからどうしはるんですか? その……アンテナキノコでしたっけ、どうしたら効果が消えるんです?」
「それが、さっぱり判らん。テオナナカトルやったか、あれ関係の騒動はあちこで起きてるようやが、効果はまちまちらしいからな」
「ほな……地獄のお人らに尋ねてみはったら? 何かご存知かも」
「ああ、それもそうやな。けど、地獄の連中かてムービースターや、万が一あの門番やらケルベロス言う犬に襲いかかられたらさすがにしんどいで」
「あ、そういえば。……時間が経てば消えるようなものやったらええんですが」
「そやな、俺もそれを期待してるとこや」
 と、ドウジが肩をすくめるのと、五十がらみの小柄な男性とともに、薄野鎮が広場へ到着するのはほとんど同時だった。
 男性は何故か出前などに使うおかもちを持っている。
「薄野さん、お疲れ様。うまく行ったようやね。そちらは?」
「うん、何とか。女の人を怪我させたくはないから、よかったと思う。あ、こちらはブルースさん。ドラゴンラーメンっていう中華屋さんのご主人だって。ブルースさん、こちらは四位いづるさんです」
「初めまして、ブルースさん。四位です、どうぞよろしゅうに」
「おや、これはご丁寧に」
 いづるがブルースと頭を下げあっていると、不意に、どしん、という腹に響く音とともに地面が揺れたので、彼女は首を傾げて周囲を見渡す。ドウジたちも同じような仕草をしていた。
 しかし、特に何かが見えるわけでもない。
「……なんやろ。この辺、工事してたかな」
「さあ。何だろうね? あ、ドウジ親分、とりあえず移動しましょうか。せっかくムービースターさんたちを撒いたわけですし」
「ん、ああ。ほんまにすまんかったな、自分ら。こんなつもりはなかったんやが」
「気にするだけ損じゃて、そんなもの。親分が日頃『悪役会』を率いて頑張ってくれとることへの恩返しじゃな」
「そうですよドウジ親分。ま、気楽に考えてくださいよ」
「そうそう、私らかて好きでやってることやしね」
 銀幕市民たる三人が口々に言うと、ドウジはその精悍な、一般人とは一線を画した雰囲気を持つ顔をほころばせた。
「……ああ、そうさせてもらうわ」
 ともあれ脅威は去ったという認識のもと、今のうちにもっとひとけのない安全なところへ、といづるが思った、その時。
「みんな、竹川導次だっ、あそこにいるぞ――っ!!」
 どこか声色を遣ったような、妙に不自然な印象を抱かせる大声が響き、それに応えるように、まちのあちこちでざわめきが上がった。
 そして、熱気を孕んだ怒気が近づいてくる。
「あらら、見つかったみたいやね……?」
「つけられてたのかな。何か、結構大人数っぽいね」
「カンフー映画ならこれから大立ち回りが繰り広げられるところじゃな」
 三人が、とりあえず、わりと暢気に感想を述べ合っていると、
「……あんたらはもう行ってくれ」
 ドウジがごくごく当然のように、きっぱりとそう言った。
 三人が同時に振り返ると、苦笑して、声のした方向とは別の道を指差す。
「あっちから行ったら連中とは会わんですむやろ」
「ドウジさん」
「きっかけは何であれ、これは俺の問題や。これ以上あんたらを巻き込むわけには行かん」
「……もっと、私たちを頼ってくれはってもええやないですか。せっかくのご縁なんやから」
「それとも、ご迷惑ですか、かえって」
「いや、ありがたいと思てる。けど……性分なんやろな。さ、行ってくれ、面倒なことにならんうちに。ま、何とでもするわ」
 それはきっと竹川導次の信念であり、覚悟なのだろう。
 そうあるべきだと思って、彼は生きているのだろう。
 いづるは鎮と顔を見合わせた。それから、ブルースと目配せをし合った。
 三人とも、同じことを考えていると確信していた。
「判りました、ほな、お手伝いさせてもらいます」
「……あのな」
「ドウジさんは勘違いしてはりますよ。もしドウジさんに何かあったら、銀幕市はもっと混乱するんやから。そしたら、もっとカタギの人たちに迷惑がかかるんですよ? そんなことになったら、どないしはるんです?」
 ドウジの性質を逆手に取っての、半ば脅迫めいたいづるの言葉に、ドウジはしばらく沈黙していたが、ややあってかすかに笑った。根負けした、という風情で。
「いづる嬢ちゃんにはかなわんわ」
「それは光栄な話やね、ドウジさんにそう言ってもらえるやなんて」
 くすりと笑い、いづるは懐から催眠スプレーを取り出した。
 変人揃いの大学教授たちから気に入られまくっているいづるは、こういう、よく判らない薬品の類いを多数所持しているのだ。色々と法律に引っかかるような気がしなくもないが、便利であることは確かだ。
 この催眠スプレーも、ミニサイズの制汗スプレーのようにしか見えないが、効果は激烈である。
「はい、薄野さんにも」
「あ、ありがとう」
「ブルースさんはどうしはりますのん?」
「わしか。とりあえず、拳で語ってみようかのう」
 飄々と笑ったブルースが、ぐっと拳を握ってみせる。
 どうやら彼には多少の心得があるらしい。
 まぁ何とかなるかな、などと思っていた彼女だったが、
「お嬢さん、僕も仲間に入れてくれないかい?」
 不意に背後から声がかかったので、思わず跳び上がりそうになった。
 恐る恐る振り返ると、そこには、仕立ての良い灰色のスーツ、シルクハット、ステッキ、くすんだ金の髪、深い青い目をした青年がいて、人懐こい笑みを浮かべていた。
「ええと……?」
「僕はヘンリー。ヘンリー・ローズウッドだよ。ミスター・ドウジの危機に際して負かり越したというわけさ」
 おどけたように肩をすくめてみせる。
 いづるは一瞬思案したが、三十人近い男たちが広場めがけて爆走してくるのが目に入ったので、苦笑して頷いた。どうやらヘンリーは竹川導次に敵意を持たないムービースターのようだ。
「はい、よろしゅうお願いします。私は四位いづる言います、どうぞよろしゅう、ローズウッドさん」
 いづるがお辞儀をすると、ヘンリーは実に楽しげに笑ってシルクハットを取り、優雅に、恭しく一礼した。
 それから、スーツの胸ポケットから黒い布を取り出す。
 いづるはそれを視界の隅に見つつ、徐々に近づいてくるムービースターたちを見つめていた。



 広場はあっという間に大混乱に陥った。
「くたばれやっ、竹川アアァッ!」
 アンテナキノコに操られたムービースター、仁侠映画の登場人物と思しき男が角材を振り回す。
「ほんまに……面倒臭い……」
 竹川導次は小さく息を吐き、振り回される角材をひょいと無造作に避けて、男の背後に回り込んだ。そして、彼の首筋を軽く一撃し、男を失神させる。
 どさり、と男の身体が倒れるよりも早く、次のムービースターの懐へ入り込むと、その腹に拳を突き込んで、あっという間に脱落者を作った。
 その隣では、ヘンリー・ローズウッドが黒い絹の布をふわりとたなびかせては、ムービースターたちを次々と奇術の餌食にしていた。黒絹がふわりふわりと舞うたびに、男たちは荒縄でぐるぐる巻きにされたり、何故かいきなり地面に埋まったり、果ては唐突に現れた大きな箱の中に詰め込まれたりして、次々と戦闘不能に陥ってゆく。
 いづると鎮は、男たちの間を縫うようにして器用に駆け回り、彼らの隙をついては催眠スプレーを振り撒いて、ムービースターたちを昏倒させていた。
 最初、カンフースターばりのアクションで、ものすごく活き活きとムービースターたちを翻弄していたブルースは、五分が過ぎた辺りから元に戻り、今では邪魔にならないよう逃げ回っている。
 振るった拳で男のひとりを沈没させた導次は、ふと上げた視線の先で、いづるの背後に木刀を構えた男の姿を認めて声を上げかけたが、
「何……心配ご無用」
 低い、落ち着いた声がすぐ隣ですると同時に、風のように走り込んで来た漆黒の男が、やはり疾風のごとき速さでいづるの元へ辿り着き、その背後の悪漢を殴り倒したのでホッと息を吐いた。
「あれ、アラストールさんやないですか。すみません、助けてもろて」
「いやなに、通りがかっただけだがね。大した騒ぎになっているようだな」
 アラストールと呼ばれた黒ずくめの男が、いちいち様になる、スタイリッシュな動作で拳を揮い、悪漢のひとりを沈没させる。
 広場は徐々に静けさを取り戻しつつあった。
 どうやら分が悪いということを悟ってか、逃げ出すものも出始めた。
 意識を失った者をきちんと担いで逃げる辺り、妙な連帯感があるのかもしれない。迷惑な話だが。
「くそッ……覚えてやがれ……!」
 やがて最後のひとりとなったムービースターが、お定まりの台詞を吐いて身を翻そうとしたそのとき、ずしん、という震動が、ごくごく近くで響いた。
 そして。
「っぎゃああああああッ!?」
 ものすごい悲鳴を上げたムービースターが腰を抜かして引っ繰り返る。
「……すんません皆さん、私ちょっと疲れてるのやろか……?」
「いや、えーと、多分四位さんの妄想の類いではないと思うな。僕にも見えてるし」
「なんじゃあの趣味の悪い色は……」
「っていうか、アレはナニ?」
「すごいな。目がチカチカするのだが」
 『それ』を目にした協力者たちがめいめいにつぶやく。
 導次はなんだかもう色々と世を儚みたいような気持ちにすらなった。
「あっ、判った!」
「え、なに、薄野さん」
「『リトル・ピンキー・タイラント』のティラ子じゃないか、あれ」
「えっ……あ、う、い、言われてみれば……! でもあれ、アニメ映画やったんと違うの?」
「まぁ、実体化すれば実写版と同じことじゃろうからなぁ」
「うううっ、実体化怖い! 実写版怖い! よい子のアニメ映画なのに、子供絶対泣くよ、あれ!」
「僕としては、ティラノサウルスだからティラ子っていうネーミングセンスにものすごく物申したいんだけど」
「わたしは色彩感覚に異議がある。責任者の美的感覚を疑わざるを得ないな」
 緊迫感があるのかないのか判らない会話を繰り広げる五人を尻目に、導次は、ショッキングピンクと表現するのが相応しい色合いの、どこからどうみてもティラノサウルスでしかないそれを、本日何度目とも知れぬ溜め息とともに見上げた。
 全身が、目が痛くなるような鮮やかなピンク色であることをのぞけば、ティラ子と呼ばれたムービースター(だろう、多分)は、全長十メートル強の肉食恐竜以外の何ものでもない。
 さすがの彼も、恐竜と殴り合いをして勝てる自信はない。
 ――と、思っていると、導次をひたと見つめた(目が合ったのだから間違いない)ティラ子が、ものすごい熱烈なウィンクをした。
 導次は思わず固まる。
 どうやらそれに気づいたらしく、鎮がぽんと手を打った。
「あ、そっか。ティラ子っていうからには女性ムービースターだよね」
「え、ほな、『彼女』もドウジさんにフォーリンラブ?」
「じゃないの? 確か恋多き女(雌?)だったよね、ティラ子って。っていうか実写版で恐竜がウィンクってすっごい怖い」
「ある意味器用じゃなぁ」
「……というか、どう事態を打開する気だ? あれに抱擁されるだけで普通の人間は死ねるぞ」
「僕は抱擁される前に踏み潰されると思うな、アラストールさん」
 敵意をあらわに襲いかかって来る男性ムービースターを前にするよりは気楽なのか、協力者たちが結構暢気なことを言っていると、ティラ子が牙だらけの口を大きく開いて轟と咆哮した。
 パニック映画などで言えばわりと恐ろしいシーンのはずなのに、何故か、周囲にハートマークが乱舞したような錯覚を覚え、一同、周囲を見渡す。
「けど……なんなんやろね、なんでこんなに的確にここまで来られたんやろ、ティラ子ちゃんは。多分、私らの言葉は判ってへんよね?」
「うん。なら、騒ぎを聞きつけて、ってわけには行かないよね。なんだろう、匂いとか?」
「けど、何の? そんな匂い、どこからもしてへんよ?」
「……待ってくれ、匂い?」
 首を傾げるいづると鎮を制止したのはアラストールだ。
 彼は何かを思案した後、ヘンリーに向き直った。
「ヘンリー君、きみ、竹川氏の周囲で不思議な匂いを嗅いだ覚えはないか? 気持ちがざわめくような、不思議な匂いだ」
 問われた方は一瞬考えたが、ややあってうなずいた。
「不思議な……? ああ、うん、そうだね、嗅いだかも。今も少ししてるよね。アラストールさんもかい」
「ああ。だが、きみたちは微塵も感じられないんだろう」
「はい、判りません。――と、いうことは」
 鎮がきらりと目を輝かせ、いづるは小さく頷く。
「アンテナキノコが、ムービースターにだけ感じ取れる匂いを発してる、いうこと?」
「じゃないかな。それが、男性からは敵意を、女性からは好意を引き出すんだって考えたら、辻褄は合わない?」
「なるほど、匂いやったらそら個人差もあるやんね。香水かて、好きな人と嫌いな人に分かれるんやから」
「ふむ、なら、どうするかね。竹川氏の身体そのものがその匂いを発しているとして、それをどう消す?」
「何なら水でもぶちまけてあげようか、ミスター・ドウジ」
「堪忍してあげてください、風邪引きますよ、いくらなんでも」
 五人が口々に意見を出し合うのを、導次は苦笑しながら聞いていたが、目がチカチカするほど明るいピンク色の巨体を揺らしたティラ子が、熱烈な流し目とともにこちらへ近づいてくる様子をみせたのでちょっと顔をしかめた。
 あれに突進してこられて無事で済むような、ファンタジー映画のムービースターのような強靭な肉体は持っていない。
 鎮が再度、ぽんと手を打った。
「あ、そうだ」
 そして、ポケットから綺麗なガラスのビンを取り出すと、その蓋を外す。
 きつい、甘い香りが周囲に立ち込めた。
 何をするのかと一同が見守る中、ちょっと申し訳なさそうに笑った鎮が、
「すみません、ドウジ親分。しばらく我慢してください」
 謝罪の言葉とともに、ビンの中身を導次にぶちまける。
「……ッ」
 途端に周囲を渦巻く、強烈としかいいようのない匂いに、導次は思わず呻いた。
「うわー、過ぎたるは及ばざるがごとし、やねぇ」
 いづるが気の毒そうに笑う。
 導次は踏んだり蹴ったりな気分だったが、
「あ」
「ふたりの予想が当たったようじゃな」
「うむ、効果覿面とはこのことだな」
「本当だねぇ。もっと早く気づければよかったね」
 協力者たちが言うように、唐突に我に返った、という風情で瞬きをしたティラ子は、コケティッシュ(実写版なのにそうとしか思えない仕草だったのだ)に首をかしげたあと、地面すれすれの位置で自分を見上げている小さな生き物たちに再度ウィンクして見せ、それから軽やかな足取りで広場を去って行った。
 ずしん、ずしんという音が遠ざかっていく。
「とりあえず、終わり、かな」
「みたいやね。多分、キノコが原因の匂いなら、そんなに長いこと身体に残ることはないと思いますよ、ドウジさん。何なら香水常備してください」
「丸く収まってよかったのう。少しでもお役に立てたならよいのじゃが」
「大したことはしてないけど、まぁ、面白かったよミスター・ドウジ」
「怪我がなくて何よりだ」
 導次はなんだか妙に疲れた気がして、言えた義理ではないと思いつつ、ついつい愚痴めいたことを口にした。
 自分の周囲に立ち込める、強烈な甘い香り。
 脳髄が痺れるようだ。
「……しかし、何か、他の手はなかったんかいな……」
「え、でも、これ以外だと、カレー鍋に頭から突っ込んでもらうとか、ニンニクを身体にこすりつけてもらうとか、そういうのになっちゃいますよ」
「あとは、エタノール風呂につかってもらうとか?」
「何なら、ウチのラーメンのスープでもいいぞ」
「……いや、遠慮しとく……」
 額を押さえた導次が呻くようにつぶやくと、どっと笑いが起こった。
 それから、おかもちを担いだブルースが、どこまでも洗練された動作で一礼したアラストールが、笑って手を振ったいづると鎮が、別れの言葉とともに去って行く。
 きっと、またどこかで出会うだろうという、そんな余韻とともに。



 そんな中、ひとり残ったのは、ヘンリーだ。
「……どないした?」
 彼は薄い笑みを貼り付けて導次を見つめていた。
 先刻、他の協力者たちと笑いあっていた彼からは想像できないほど酷薄な。
「どうして僕が、アンテナキノコに引っかからなかったか、判るかい?」
「……?」
 ヘンリーの青い双眸に、どうとも表現できない負の感情を見出して、導次は小さく首を傾げる。
 ヘンリーはにっこりと笑い、そして、
「俺は元々、あんたが大嫌いなんだよ、ミスター・ドウジ」
 暗く濁った目で導次を見据えると、先刻とは違う口調でそう吐き捨てた。導次はその双眸に、昏(くら)く燃える熾き火のような憎悪を見た。
 しかし、それもすぐに、晴れやかな、人好きのする笑みに取って変わられる。どこか寒々しさを感じさせるそれと。
「そんな君に貸しが作れたんだ、今日はいい日だったな。――じゃあね」
 それだけ言うと、もはや用はないとばかりにヘンリーは身を翻した。
 振り返りもせず、隙のない動作で歩き去って行く。
 その背を見送って、導次は苦笑した。
 別に、好かれるために生きているわけでもないが、妙に心に残る物言いだった。言葉以上に切実な、重く深い何かを感じさせるような。
「――ま、しゃあない。それが銀幕市の醍醐味やろ」
 つぶやき、導次も広場を後にする。

 ――日はすでに暮れかけていた。

クリエイターコメントご参加どうもありがとうございました。
「極道氏の覚悟と心得」、いかがでしたでしょうか。
色々書きたいことがあって恐ろしく長くなりましたが(そろそろ短文書けないライターをきちんと名乗るべきかもしれません……)、楽しんでいただければ幸いです。
プレイングになるべく添えるよう頑張ったつもりですが、採用できなかった方には大変申し訳ないです。これに懲りず、またご参加いただければと思います。

よろしければ、ご意見ご感想ご要望などお寄せくださいませ。励みになります。

それでは、次なるシナリオにてお会いしましょう。
公開日時2006-12-10(日) 11:40
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