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[10] バロック幻想
チェシャ猫の微笑
東野 楽園(cwbw1545) 2012-01-17(火) 23:33
第一印象はバロック真珠。


固い貝殻に孕まれ守られ育まれる歪んだ真珠。
脆く儚く壊れやすい核を覆うのは光を複雑に屈折させる曲面。
形状は歪でも、輝きは本物。

従来の真珠は正円を最良のものとするが、バロック真珠もまた雅趣あるものとして玄人筋に好まれる。いわく、完璧な真珠は無難すぎて面白みに欠けるのだそうだ。
瑕疵を価値とする一点において宝石の通念を覆すバロック真珠は、その存在自体が異端である。


真珠は丸くなければ。
その概念から零れ落ち、欠陥品の烙印を捺されたバロック真珠こそが、極光を閉じ込めたような彩なる輝きを宿すのは皮肉な話。


だから、彼女の印象はバロック真珠。
歪みの中に美を宿し、美の中に歪みを秘める……
脆く儚く壊れやすく、歪んでいるからこそ美しいその魂。倒錯の美学。


空から降る雪がターミナルを白銀に染めていく。
黒い光沢のエナメル靴の先端に雪の切片が触れ、六角形の結晶を削り出す。
華奢な肢体に纏うのは細い胴を締め上げ裾を膨らませた、喪服のような漆黒のドレス。
高い襟と長い袖でもって手首足首に至るまで素肌を覆い隠す古風なドレスが、雪花石膏にも喩えられる病的なまでの肌の白さをいっそう引き立てる。

裾が翻らぬよう粛々と歩く少女の右肩には、やや顎を上げ気味に、ツンと取り澄ました風情のオルフォームセクタンがちょこなんと留まっている。
彼女のセクタンの毒姫だ。
セクタンはコンダクターに似るという。なればこの少女も高飛車な性格なのか。
が、折にふれ彼女が発揮する高慢さは暴君の虐政ではなく暇を持て余した女王の慰みに近い。

黒い靴が行く手を踏みしめるたび金糸の縁取りを縫い込んだドレスの裾が重たげに揺れ、それに合わせて腰まで伸ばした黒髪も揺れる。
少女の名は東野楽園。
覚醒してから数十年余りを少女の姿で過ごしている事実が示す通り、コンダクターである。

今年もまたキリスト生誕の季節がやってきた。
ターミナルではお祭り好きな館長の方針でホワイトクリスマスが企画され、今も楽園の行く手にもちらちらと雪片が舞っているが歩みを妨げる程ではなく、目障りと疎ましがる程の量でもない。

現に途中すれ違ったロストナンバー達は空を見上げ楽しげに笑い合っていた。
天に掌を翳し雪を受けるメイド服の女性、雪だるま作りに奔走するお団子頭の少女、薄汚れたフライトジャケットに無造作に手を突っ込んだ少年……

千差万別の表情でターミナルに溶け込むロストナンバー達の中で楽園だけが浮いていた。
このお祭り騒ぎを心から楽しめず、やり場のない苛立ちと憂いを胸の裡で燻らせ、自虐と感傷に傾きがちな己を振り切るようにして無心に歩き続けるうち、誰に気兼ねする事もなく独りになれる特別な場所の事を思い出したのだ。

目指す建造物が視界に姿を現す。

去年、とある世界司書に教えてもらった場所。

「あった……」
当たり前だ。ここは時間の経過と無縁に存在し続けるチェンバーなのだから。

遠目には巨大な鳥籠に見えた建造物は、硝子と鉄で出来た温室だった。


閉ざされた庭。
司書はそう呼んでいた。
人嫌いで気難しい管理人が所有するこの温室にはある秘密があった。


昨年、聖夜に招待を受けた楽園は、他のロストナンバーと時間を隔てこの場所を訪れ、一面音の吸い込まれた銀世界で心静かに追憶のひと時をすごした。


「……愚かね」
引き換え、今の自分は招かれざる客だ。
なんといっても、今年は正式に招待を受けてないのだ。
一瞬の躊躇が冷えて凍えた胸に忍びこむ。
下唇を軽く噛み、礼儀正しく来訪を申し立てようとした拳を力なく解いて垂らす。
何故ここに来てしまったのか。
空からの贈り物に皆が浮足立ったターミナルに居場所がなくて、行きかう人皆親しい友人や恋人、愛する家族と連れ添い歩く祝祭の喧噪から少しでも逃れたくて、ほんのひと時でもいい、安らげる場所を求め無意識に歩いてきてしまった。


歓声と嬌声と。
反比例する疎外感と孤独感と喪失感と。


私はきっと、場違い。
バロック真珠は円く完璧な真珠のようには光を通さず、中に閉じ込めてしまうものだから。


家はある。
帰る場所はある。
でも、そこにはぬくもりがない。
天蓋付きの豪奢なベッドと羽布団があっても、人肌のぬくもりで癒されないならば、ひとの魂が満ちて足る事などけしてないのだ。


来訪の伺いは立てず、扉を開けて温室へと入る。


圧巻の一語に尽きる光景が広がる。
硝子の穹稜を備えた高い天井の向こうではちらちらと雪が舞っている。

「ホワイトサンクチュアリ……」

ここは白い聖域。

感嘆の吐息が掠れた声と一緒に白く溶けて消えていく。

ここでは全てが清浄なる白一色に埋め尽くされている。四季折々、春夏秋冬の植物を配した全区画例外はない。
ここでは何もかもが白いのだ。
向日葵も山茶花も薔薇も椿も桜も、その全てが黒で統一された楽園と対を成すかのように清らかに白い。

「誰もいない」

何故鍵が掛かってないのか、管理人はどこにいるのか。
疑問は尽きせねど、今の楽園にとっては些末な事でしかない。


誰もいないという事は、自分を偽らなくていいということ。
誰もいないという事は、誰も欺かなくていいということ。
誰もいないという事は、もう誰も……


肩にとまった毒姫をそっと胸に抱き、折り畳まれた翼に体温を移すよう頬ずりする。

「さあ、飛んで」

道しるべを促すように腕をさしのべ毒姫を天へと解き放てば、力強い羽音が静寂をかき乱す。

毒姫が優雅に羽ばたいて虚空の高みに飛翔、温室の壁に添うようにして上空を迂回する。


毒姫が落とす影を追ってワルツを踊るように一歩、二歩と踏み出せば、天鵞絨のドレスがごく淑やかに翻る。


白い聖域で楽園の名を持つ少女が踊る。
黒髪従え踊る少女の輪郭を白い背景が冴えやかなコントラストで切り取る。
意地の悪い猫のように蠱惑的に艶めく黄金の瞳には、伏し目の瞬きのたび倒錯した光が過ぎり、精神の均衡が上手くとれずにいる内面の真実を表す。


彼女はバロック真珠。
猟奇と狂気を愛でる異形の魂を生まれ持った異端の存在、見目麗しくグロテスクなフリークス。


されど、孤高を是とする女王の気高さが寂しさの裏返しと誰が知る?


それを知る唯一の人は、楽園の手が届かぬ遠くへ行ってしまった。覚醒してから出会った中で彼女が心を許した数少ない人物、そばにいてほしいと願った人は、彼女の呼びかけに背を向け歩み去ってしまった。


だから今、楽園はひとり。


軽やかに踊りながら長袖をたくしあげ、細い手首に巻いた包帯をしゅるしゅると解く。
螺旋を描いて緩やかに舞い落ちる包帯の下、暴かれた肌には無数の傷痕が刻まれている。
今だ痛々しく血を滲ますものと皮膚に薄く生白い跡だけ残すもの、新旧自傷の傷痕が刻まれた両の手首がたなびき纏わり付く包帯の下から露わになる。

楽園は唄う。
硝子の鳥籠の中、風切り羽を去勢された金糸雀のように澄んだ歌声を響かせる。
高く高く、どこまでも天へと昇るようなソプラノで音階を追うのは有名な讃美歌……


キリエ・エレイソン。


神を信じぬ楽園が、神へと捧げられた歌を言霊で聖別し命を吹き込む。
ここでなら唄える、今はなき愛する人たちに鎮魂歌を捧げる事ができる、信じてもない神にきよしこの夜の祈りを捧げる代わりに今はもういない愛する人達の冥福を祈る。


嫉妬と憎悪にどす黒く染まった己の全てをさらけだし、氷点下の殺意に凍えた胸に復讐の炎を点し、狂気の衝動に任せ切り刻んだ醜い傷跡もさらけだし、胸郭に吸い込んだ息を歌声に醸して生き返らせる。


閉ざされたガラス天井を空に見立て羽ばたく透明な歌声。
さしのべた腕の先にはただ虚空が広がるのみ。


至高の天を目指すも昇りきれず、脆く砕け散るような硝子質の歌声は玲瓏と澄むほどに不安をかきたて、会いたいと狂おしくこいねがう人の幻影は訪わず、いつしかそのぬくもりも忘れ去ってしまいそうで、ともに過ごした安らぎの記憶すら泡と消えてしまいそうで


それはきっと、絶望よりも救いがたい孤独。


この胸に、この眼裏に、愛しい人の面影を少しでも永く焼き付けようとそう望むなら殺意にすりかえるしかなくて、貴方をけして忘れないと手首を刻んで証立てるしかなくて。
滴る血が温かいうちは、きっとまだ貴方を覚えていられる。
無骨に節くれだった指を、ぎこちなく不器用な抱擁を、帽子の庇に隠れた横顔を、広く大きく逞しい背中を、垣間見せる優しさと強さを、私が愛した貴方の全てをはっきりと覚えていられる。
せめてその間だけは私の中に息衝く貴方の残滓、あるかもしれないそのぬくもりに縋ることができる。
証立てる事は操立てる事と同じだから、忘れないと誓う事は愛してると宣する事と同じだから、だから、私は。


長い睫毛が震え、切れ長の眦から一粒の水滴を生み出す。
眦から生まれ落ちた雫はすべらかな頬を濡らし、顎先で結んで虚空に落ち、エナメル靴の先端で弾けて消える。


歪んでいるからこそ美しく、愛も憎しみも光も影も虚実入り乱れたバロック真珠の涙。


そして今、楽園はひとり。
楽園でひとり。

【END】
[43] 追記
チェシャ猫の微笑
東野 楽園(cwbw1545) 2012-12-14(金) 09:49
クリスマスイラストSS「【ターミナルのクリスマス】ホワイト・サンクチュアリ」から温室をお借りしました。
絵師様&WR様、その節は素敵なお話有り難うございます。

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