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Remember in place.
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| ファルファレロ・ロッソ(cntx1799) 2012-07-18(水) 19:41 |
祝福の鐘は聞こえない。 代わりに鳴り響いたのは二発の銃声。
一発目は花嫁の胸に。 二発目は司祭の胸に。
「………」
LAの片隅の小さな教会。 等間隔に整列する長椅子の間を貫くように世に言うヴァージンロードが敷かれている。 終点には燭台を立てた祭壇が設えられ、その背後にはキリスト受難像を象った巨大な十字架が掲げられている。
壁の高みに穿たれた窓から、ステンドグラスを透かして極彩色に染め抜かれた陽射しが降り注ぐ。
窓の向こうには鏡面のように残照を鋭角に反射し林立するビル群。 暮れなずむ空の下に清と濁、聖と俗を併せ呑む背徳の都市が広がっている。
黒背広に身を包んだ男は、足元に横たわる死体を黙って見下ろす。 純白の衣裳の上に撒き散らされているのは倒れた拍子にブーケから零れた花びら。 戯曲のオフィーリアを再現するかの如く、色とりどりの花びらに埋もれ臥した花嫁の顔は見えない。
ふと視線を動かし指先に目をやれば、花嫁の左手薬指で紛い物の宝石が輝いている。
同棲を始めた少年からの初めての贈り物。 女が大切にしていた安物の指輪。
恋人同士は運命の赤い糸で繋がれているという、いかにも夢見がちな女が好みそうな馬鹿げた迷信を思い出す。
『知ってる?左手薬指と心臓は一本の太い血管で繋がれてるの』 『それがなんだってんだ』
無愛想に聞き返せばはにかむように微笑んで。 彼の指を遠慮がちにつついて、言う。
『ここに指輪を嵌めるのはね、貴方に心臓を捧げるという宣誓なのよ』
彼女の心臓には温かい血が通っていた。 彼の心臓は鉛でできていた。 言ってしまえばそれだけの話だ。ただそれだけの話。
銃を持たぬ方の手で無意識に唇をなぞる。 唇にはまだ誓いのキスのぬくもりと痺れるように甘美な余韻が残っているというのに、花嫁は動かない。 彼が殺した。心臓に鉛弾を撃ち込んで。
モルグと化した聖域に立ち尽くす男の視線が、祭壇の前に横たわるもう一つの亡骸へと動く。 そこに倒れているのは司祭服を着た黒人男性。 撃ち抜かれた個所から大量の鮮血が零れている。
銃の腕は健在だ。狙い通りの正確さで右胸を撃ち抜いている。
「自慢の喉がそのザマじゃゴスペルも唄えねえな。鎮魂歌にゃお誂え向きなのによ」
どうせ紛い物だ。 何もかもが嘘っぱちの幻覚、一瞬の夢。 現実の司祭は飲んだくれのろくでなしで、マフィアの抗争に巻き込まれて死んだのだ。 ある冬の寒い朝、生ゴミに塗れ放置された路地裏の死体を一番に発見したのは彼だが、死んでなお酒瓶をひしと抱いて手放さぬ心意気にえらく感心したものだ。 ボロい聖書はポケットにしまわれたまま、神よりアルコールを愛した堕落司祭を終ぞ守りはしなかった。
これは夢だ。 最初から夢だった。 薬指に嵌めたまま忘却しかけていた隷属の枷に舌打ち一つ、力づくで引き抜き投げ捨てる。 板張りの床で高く跳ねた指輪がヴァーミリオンの光にきらめきつつ転がっていく。
もうすぐ夢が終わる。 夢から覚める時がくる。
花嫁の傍らに片膝突き、キスの時と同じ仕草でヴェールを捲り上げ素顔を暴く。
目を見開いたまま、哀しみよりも驚愕に凍りついた死に顔を無言で眺める。
ためらいつつ手を翳し、思いがけぬ優しさでその瞼を閉ざそうとして、白い顔をシミのように這う指の影に虚を衝かれ、らしくもねえと自嘲がてら引っ込める。
何も掴めず行き場をなくした手をたらし、再びヴェールで覆われた花嫁を虚ろに見つめるうちに、いつかどこかで見た退屈な映画のワンシーンが甦る。
R・I・P Rest in Peace.
朽ちた墓に刻まれた墓碑銘―『安らかに眠れ』。 その頭文字をとって、全く別の文章が脳裡に黒々と浮き上がる。
R・I・P Remember in place.
「はっ」
英語の文法に照らし合わせば間違っているはずのその単語が、何故だか強烈に焼き付いて離れない。
それはまるで啓示のように。 捨てた指輪と失くした愛に代わる、彼女から彼への最期の贈り物のように。
覚醒の前兆だろうか、白く淡く輝く光に呑まれ周囲の景色が薄れていく。 輪郭を朧な粒子にほぐし、清浄な光に擁かれ霧散していく花嫁がその一瞬、口元を緩めて安らかに微笑んだ気がしたのは錯覚か。
それでも私は幸せだったわと、花葬にされた花嫁が彼の耳元でだけ囁いて消えていく。
Remember in place. この場所を思い出せ。
END |
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追記
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| ファルファレロ・ロッソ(cntx1799) 2012-12-14(金) 10:06 |
「桃源の淵の夢――三界去来」蒼李月WRより。 素敵なお話ありがとうございました。 |
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