御館様の話をしよう。なぜならあたしが話したいから。 あたしはその方を常に「御館様」と呼んできた。 ガオネオ・ハーケズヤ様。あたしにとってただ一人のご主人様だ。
あたしがメイドのハイユ・ティップラルになったのは御館様に会ってからだ。 それ以前はどうだったのかと言うと、あたしは兵器だった。近接戦では剣術と格闘術を使い、中距離~遠距離戦用には元素魔法を操る、総合戦闘兵器「戦人形」。生物学上は人間だが、幼い頃から戦闘や魔法を叩き込まれて育ち、個体識別用の番号はあるが名前は与えられず、端的に言って「人」としては扱われない。あたしはその中の一体として戦場の前線にいた。 自分のいた軍が、何を目指しているどこのどんな母体なのか、あたしは知らなかった。自分に唯一与えられた存在理由、つまり戦闘を主とする任務をひたすらにこなすのみ。 ある日、小雨がぱらつき冷たい風の吹く夕暮に、あたしは単独での任務の帰りに森を突っ切っていた。すると目の前の木に雷が落ちた。轟音と共に木は大きく揺れ、あたし目がけて倒れてきた。 普段なら軽く身をかわせただろう。魔法で木を破壊する事もできたと思う。だが、その時は任務の帰り。そんな余裕は残っていなかった。あたしは無様に、倒れてきた大木の下敷きになった。肩の骨の折れる嫌な感触がする。 体は動かせない。冷たい雨と風、そしてぬかるんだ地面があたしの体温を急速に奪っていく。 あたしは死を覚悟した。軍があたしを探しに来てくれる望みなどまったくない。あたしはいくらでも代替えの利く存在なのだから。 「──生きているか?」 薄らぐ意識の中、声が聞こえた。続いて体を揺さぶられる。肩に一層の激痛が走り、あたしははっきりとした意識を取り戻させられる。敵軍のコートを羽織った灰色の髪の大男があたしを覗きこんでいた。 それが御館様だった。
御館様は大木を魔法で移動させ、あたしに手を差し伸べてくださった。 「生きているか」 あたしは混乱した。目の前の人物は敵軍の人間。あたしの服装を見れば、あたしが彼らを悩ます戦人形だと分からないはずがない。 敵軍の、人ですらない「兵器」を、御館様は救ってくださった。 「なぜ助けたの?」 あたしの不審の問いに、御館様はおっしゃった。 「助けずに殺して良い人間などいない」 おかしな事を言う人だ、と当時のあたしは感じた。ここは戦場。良いかどうかなど考えず、人を殺す場所だ。 「これからどこに行くつもりだ?」 そう聞かれて、あたしは憮然と答えた。 「決まっている。自軍に戻る」 「戻ってどうする? その体ではしばらく戦えないだろう。最近の戦人形は、戦場から引いて治療に専念できるのか?」 あたしは言葉を失った。そうだ。あたしは兵器で、修理に時間がかかるようなら壊れたままで捨てられてしまう。 「ほかに行くところはない。それなら、あんたの命を最後の戦果にして、ここで死ぬ」 あたしが肩をかばいながら元素魔法を唱え始めると、御館様はおっしゃった。 「君は人間か?」 「あたしは兵器、戦人形だ」 よどみなくあたしは答える。 「ここで死にたいのか?」 「構わない」 ここで死ぬ以外の道は、元よりあたしには与えられていない。 「もっと生きたいとは思わないのか?」 「思わない」 「今までの人生よりずっと長く、ずっと楽しい時間を、過ごせるとしても?」 あたしは言葉に詰まった。長い時間というのは分かる。だが、楽しい時間というのはどんなものなのだろう? 想像がつかない。 「楽しいというのが何か分からなかったら、まずは実感してみると良い」 あたしの心を読んでいるかのように御館様はおっしゃった。気持ちが揺らぐ。 御館様は手をすっとさし出され、あたしはおずおずとそれを握った。
あたしは戦場を去り、御館様のもとでハーケズヤ家の見習いメイドになった。どうせ自軍は返ってこないあたしをすでに死んだと思っているだろうし、それを訂正しに行く理由は何一つない。 御館様はあたしに、識別番号の代わりにハイユ・ティップラルという名前を下さった。過去も屋敷で働ける程度の内容を作っていただけた。名前の意味を何度かうかがってみたが、御館様ははぐらかすように「適当に考えたから特に意味はない」とおっしゃるばかりだった。今となってはもう二度と、うかがう機会はない。 あたしはすぐにメイドとしての知識や技術を身に付けた。当たり前だ。失敗など許されない戦場では、常に指示通りの正確な作業ができなければならない。戦人形だった事を、あたしは初めて良かったと思った。 適当に生きろ。それが御館様からいただいた最初のご命令だった。 今のあたしに何よりも欠けているのは、理や利ばかりに流されないだけの余裕だと。また適当であるという事は、怠け者を許容するだけの余裕のある環境で生きる者のみに与えられるのだと。確かに、戦場では怠け者は何もできずに死ぬしかない。 戦人形としては存在を許されなかった適当さを、あたしは必死で演じようとした。最初は演技でも、形から入って動いていれば、いつかは自然とそのようになれるのではないか。 慣れてしまえば、その生き方は楽であり楽しかった。初めてお会いした時におっしゃっていた「楽しい時間」の一端を、あたしは怠ける事で得た。
御館様が亡くなられた時、生まれて初めて、あたしは泣いた。もう御館様と会えない、話せない。それが途方もなくつらかった。 死の床に伏せった御館様は日増しに衰弱されていった。あの日あんなに大きく見えた体は、見る影もなくやせ衰えていった。あたしに差し出してくださった手も痛々しく力が抜けていった。 ある日、御館様は家族や使用人、部下などを一人ずつ寝室にお呼びになった。その中にはあたしも名を挙げていただけた。 寝室に入ると、御館様はあたしを見た。唇が震えながら開く。 「ハイユ、適当に生きろ」 御館様はそうおっしゃった。忘れるはずもない、あたしに初めて下さったご命令を、もう一度。 御館様は最期まで、息子夫婦の旦那と奥方についてでも孫のシュマイトお嬢についてでもなく、あたし自身についてのお言葉を下さった。
御館様があたしに「適当に生きろ」とおっしゃった事はあたしだけの大切な思い出だ。シュマイトお嬢でさえも知らない。 だから今のあたしは適当なメイドであるし、それを変える気もない。 今日も、冗談と昼寝と酒を堪能しようじゃないか。
【終】 |