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夢の幕間
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| ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517) 2012-08-12(日) 16:20 |
彼女には紫の薔薇が似合うと思った。 夢見る少女の時期を過ぎてそろそろ熟女と呼ばれるのに抵抗がなくなった年代の女性に薔薇を贈る時はいつも迷うのだが、一目見た瞬間からベルダには紫の薔薇を贈ろうと決めていた。
ジョヴァンニがもう少し若ければ、そして既に最愛の伴侶を得ていなければ、それを一目ぼれと呼ばれる種類の運命的な霊感と混同したかもしれない。
「どうかしたのかい?」 すっと細められた切れ長の目に悪戯っぽい色がちらつく。 嫣然と笑う女に、こちらもはぐらかすような笑みを返す。 「マダムの美しさに酔いしれていただけじゃよ」 「ふふ、上手だこと」 彼女の名はベルダ。 壱番世界では伝説と化したディーラーである。 目にも艶やかな赤と金で奢侈を極め装飾された店内には、どこか物悲しく物狂おしい、異国情緒溢れる胡弓の調べが緩慢に流れている。
風雅な胡弓の調べに乗せて踊りながら、シルクの手袋に包まれたほっそりとたおやかな手の感触を楽しむ。
胸刳りの深いドレスから覗く豊満な胸元、妖艶な曲線を描く肢体、扇情的にくびれた腰としなやかに撓う長い脚。
豪奢に波打つシャンパンゴールドの髪は照明を跳ね返し、音楽と戯れ揺れるごと、樹脂を固めた琥珀の色にも蒸留酒のように深い飴色にも変化する。
ディーラーとして世界を股にかけ飛び回るあいだはシンプルなモノトーンの制服に身を包んでいるが、最高級のドレスで装い、華奢な手足をアンクレットやブレスレットで飾り立てた今のベルダは、匂いたつような色香を振りまいている。
魅力的な女性だとジョヴァンニは思う。 容姿は言うに及ばず、惹かれたのはむしろその心意気。 欧州裏経済を動かす黒幕と目され、裏社会を牛耳る老マフィアとして恐れられる彼とも対等に渡り合う度胸の良さと、センスの良いユーモアを散りばめ会話を弾ませる機転にこそ、とりわけ深く感じ入った。
「さすが一流ディーラー、接客術についてはプロフェッショナルというわけか」 「世辞が上手だね。褒めても何もでないよ」 「褒美ならもう貰っておる」 「え?」 「その笑顔じゃよ」
前戯のような軽口の応酬、ウィットとエスプリの利いたジョークの交換。
ごく薄いシルクに火照りを透かす柔肌の艶めかしさと、軽く添えた掌に伝わる柳腰のくねりの悩ましさが、枯れた官能に訴えかけてくる。
それが露骨な欲望を呼び起こさず、かえって敬意を表した振る舞いへと彼を導くのは、生まれ持った美貌と洗練された所作が自然と醸し出す淑女の気品、付け加えジョヴァンニ自身の騎士道精神に拠る所が大きい。
唇の片端に浮かぶのはしたたか且つ不敵な笑み、恋愛にスリルを求める男を挑発してやまぬ雌豹の媚態。彼女を手に入れる為なら全財産を擲っても惜しくないという男は世界中にいるだろう、そう想像させるにあまりある危険すぎる微笑。 甲高く澄みきった胡弓の伴奏が西洋ダンスの様式に馴染むまでは時間がかかる。 が、ベルダは素晴らしいまでの呑み込みの速さで順応し、主導権はパートナーに委ねて顔を立てつつ、まったく引けをとらぬステップで魅せてくれる。 まるで夢のような一夜。 抱擁するように腰に手をあてがいリードしつつ軽やかに円軌道を滑り、お芝居上の打算を含んだ共犯者の視線を絡ませる。
その透徹した瞳を見ればわかる。 アメジストの瞳が映す、諦念を哀愁で割ったほろ苦い微笑を視ればおのずとわかる。
お互い心の中ではただ一人、運命の人を想っている。 けっして忘れられないその面影を胸に懐き、最初で最後の恋に生涯かけて殉じながら、お互い納得ずくの計算ずくで一夜の火遊びを真似てみる。 それは自分の純情を試す行為でもあったが、してみるとおのれはいまだにそのたった一人に恋し続けているらしい。
それは多くを語らぬ彼女も同様で、時折思い出したようにジョヴァンニの指を視線でなぞるしぐさには、もはや追憶の中にしか存在せぬ男の痕跡を倣いで追い求める情熱の残り火が燻っていた。
いや……自分と違い彼女はまだ若い。 諦めずさがしつづければいつかは、あるいは。
彼女には紫の薔薇が似合うと思った。 蒸留酒の中に落とした氷がゆっくりと融けていくように、コケットリーとエレガンスが絶妙に融け合うベルダにこそ、紫の薔薇は似つかわしい。 |
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追記
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| ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517) 2012-12-14(金) 09:52 |
『終わりなき夢』葛城温子WRより。 その節は素敵なお話ありがとうございました。 |
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