ママ。ママ。 ここはどこ。真っ暗。なにもない。
寒い。
そっと剥き出しの二の腕を抱く。 自分の身を守るよう華奢な肢体に手を回し、消え入りそうな声で呟く。
とても寒いの。
人肌のぬくもりが欲しい。 ママが恋しい。 会いたい、とても会いたいの。
スイートは暗闇の中にいた。 闇にたたずむ少女の最大の特徴は膝まである猫のしっぽのようなツインテール。 髪の色はといえば合成着色料を使ったようなどぎついピンクだが、様々な外見のロストナンバーが集うターミナルではさほど珍しくもない。 実際、砂糖菓子でできたお人形さながら可憐な容姿のローティーンの少女には、それ自体が彼女を包装するリボンのように安っぽく華やかなピンクの髪がよく似合った。
ママ、どこにいるの?
スイートはママを捜して無心に歩く。 白い肌に映えるピンクの髪を軽快に揺らし、ぱっちりとしたストロベリーソーダ色の瞳を不安げにさまよわせる。
ママ、ママ。 かくれんぼしてるの? イジワルしないで出てきて、お願い。 スイートね、寂しいの。
舌足らずに囀る少女の右と左で、歩みに合わせてツインテールが跳ねる。
スイートは歩く。 脚光の中を歩くように暗闇の中を歩く。
ネオン輝く夜の闇の中でこそ鱗粉のようにきらめく媚態はポルノスターの天性に感性で磨きをかけたもの、振りまく媚態は馬鹿な男の時間と命を搾り取るため周到に仕組まれたもの。 最高に可愛い女の子のカタチの時限爆弾。 本人は天然なれど、指の動かし方から視線の配り方、その一つ一つに至るまで計算尽くで男を欺く。 薄手のキャミソールにマイクロミニのスカートというきわどい出で立ちは、溌剌とした若さやコケットリーな色気にも増して熟しきらぬ痛々しさを強調する。 彼女の服装にセックスアピールを感じるのは、年端もいかぬ少女を性愛の対象に選ぶごく一部の特殊な層だけだろう。 くるくると回るスカートから突き出た足は今にも折れそうに細く、ファンシーな厚底靴が纏足を真似た無骨な拘束具に見えてくる。
あながちそれも間違いではない。 スイートは頭のてっぺんからつまさきまでママ好みにカスタマイズされた「お人形」なのだから。
スイートは歩く。 出口のない暗闇をただひたすらにさまよい歩く。 寒いのは肌の露出のせいばかりでもない。きっと心が冷えてるんだ。だれかあっためて、ぎゅっとして。大好きなママみたいに……
「あ」
思わず声を出し立ち止まる。
人がいた。 しかも子供だ。赤い髪をした小さな女の子が膝を抱えて蹲っている。 薄汚いボロを纏って、赤い髪は雑に伸び放題で、前髪の隙間から覗く目は暗く虚ろだ。
どこかで見たことある子だなあ。
どうしたの、大丈夫? そう声をかけようとして、伸ばしかけた手が宙で止まる。
「どうしたの、大丈夫?」
スイートが発しようとした言葉を横から盗み、白い腕が伸びてくる。 いつのまにかどこからか現れた女の人が赤毛の女の子を優しく抱き上げる。
「行くところがないならうちの子になる?」
離れた場所に立ち竦み、女の人に抱き上げられた女の子を凝視する。 白い肌に冴え冴えと映えるチェリーレッドの髪、ぱっちりとした瞳はストロベリーソーダの色。
そうだ。 鏡の中にいた子だ。
そうしてその子は女の人に連れて行かれる。手を繋いで行ってしまう。 だれかと手を繋ぐのは生まれて初めてなのだろう、あどけない顔にくすぐったげな表情が浮かぶ。その子はまだ、笑顔の作り方すら知らなかった。 女の人を真似て不器用に取り繕った笑顔は使い慣れぬ表情筋の微痙攣も相俟って痛々しく卑屈に映り、お世辞にも可愛いとは言えなかったけど、好いてもらうための努力はもう始まっていた。
待って、行かないで。
焦燥に駆られ足縺れさせつつ去りゆく二人を追いかけるも、もとより運動に適さない厚底靴では上手く走れず、どんどん距離が開いてしまう。
スイートのママをとらないで。
心の中で必死に叫ぶ、叫んで走るスイートの眼前で女の人が豹変する、女の子の髪から色素が抜けピンクに変わり背が伸びて胸が膨らみママがその髪を掴んでー
『役立たず!』 『あんたなんか拾うんじゃなかった!』
ちがう、こんなのママじゃない、スイートのママじゃない。
ここから先は見ちゃいけない。 スイートはここにいちゃいけない。
そう思うのに足が竦んで動けない。
小さく丸まって折檻に耐えていたもう一人のスイートが手掴みで取り出した飴玉を目一杯頬張る、上手にお仕事こなしたご褒美にママから貰った大事なキャンディ、食べずに大事にとっといた甘い甘いスイートの宝物でもすぐ溶けちゃうのママには内緒だよだって食べたらなくなっちゃうからもったいなくてとっても甘くて大好きな一粒でドロドロにー
目一杯頬張って噛み砕く。 ジャンキーが大量のサプリメントを噛み砕くようにぼりぼりと貪り食って、両の手に飴玉を模した小型爆弾を翳す。
ほらね、とっても、甘い。 死ぬほど甘いの。
『スイート!』
ママがくれた名前。 ママに貰った名前。 今じゃ何の意味もない名前。
だってそうでしょ? 名前なんてただの記号だよ? 商標登録用の記号でしょ?
カスタムドールに名前はいらない。
腕の一振りと共に闇が爆ぜ、漂白された視界に極彩色の光が渦を巻く。
唐突に夢が途切れ、ベッドの上で目が覚める。
「夢……」
へんてこな夢。いやな夢。 寝汗をびっしょりかいている。 梳き流しの髪が発情中の猫のしっぽのように渦巻いてシーツの上で淫らにうねる。
でも、夢でよかった。
微熱に潤んだ瞳と安堵に蕩けた表情で胸撫でおろし、ゆるく微笑むスイートのまわりには、カラフルな悪夢の延長のように無数の飴玉が散らばっていた。 |