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[9] イングリッシュローズとオーガンジー
スコーンが美味しく焼けたよ!
サシャ・エルガシャ(chsz4170) 2012-01-14(土) 18:17
『約束の品ができたから取りに来てほしいの』

画廊街に店を構える美しき仕立て人から完成の一報を受け、いそいそ足を運んだのはまだ午前中の事。

「えっと、こういうときは……掌に『入』って書いて呑みこむといいってジュリエッタちゃんに教わったっけ」

『サシャはそそっかしいから覚えておくとよいぞい』と教わった時は余計なお世話だよと憤慨したが、いざ敷居を跨ぐ段になれば物知りな友人のアドバイスは有り難い。
もつべきものはさすが小説家志望の親友だ。

微妙に間違った知識をおさらい、掌に『入』と書いて呑みこんだのちゆっくり深呼吸。
「お、お邪魔しますっ!」

ノックから一呼吸おくや勢いよくドアを開け、決心が鈍る前にとずんずん踏み込んでいく。

「いらっしゃい。よく来たわね」

飼い猫オセロと一緒に奥から出てきたリリイが、同性も惚れ惚れするような完璧な笑顔で歓迎の意を表す。

リリイさんてば今日も美しい……だめだめサシャってば、見惚れてる場合じゃないでしょ!変な娘だと思われちゃう。

既に手遅れと知らぬは本人ばかりなり。
軽く頬を叩いて喝を入れ、目上への作法にのっとってスカートの端を摘まみ、憧れの仕立て人にご挨拶。

「リリイ様におかれましては本日もご機嫌麗しゅう。それでその、約束のものができたって聞いて訪ねてみたんですけど……」

お取り込み中なら出直してきますが。
リリイが口を開く前に先回りし、むしろ逃げ出す口実をひねりだすよう今入ってきたばかりのドアと彼女を見比べれば、その様子がおかしくて女主人がくすりと笑う。

「いいえ、ちょうどいい時間よ。じゃ、早速始めましょう」
「もうですか!?」
「いけなくて?」
「いけなくなくはないんですけど、えっとその、まだ心の準備が……!」

悪戯っぽい目配せに赤面、スカートの裾を揉みしだき指組み換えしどろもどろに答えれば、遂にこらえきれずリリイが鈴振るような笑い声を響かせる。

「そんなこと言ってたら心の準備なんていつまでたってもできなくてよ?」
「でも……」

似合うかどうか不安で。
続く言葉をやっとの思いで嚥下したのは、仕立て屋の腕を信頼してないともとられかねぬと懸念したから。
失礼にあたるかもと不安の吐露を差し控え、もじもじと俯いてしまうサシャを優しく鏡の前へと誘い、その繊手で軽く肩を叩く。

「大丈夫」

職業人の自信に満ちた声音。

等身大の姿見の前に立てば、もう一人の自分が不安げな表情で見返してくる。

リリイ様を疑うわけじゃないけど、本当に似合うのかしら。
以前店を訪ねた時に見せてもらったデザイン画を回想、人知れず煩悶する。
ちょっと大胆すぎやしないかしら。それにあのスリット……リリイ様みたいな脚線美の持ち主なら目の保養にもなるけど、ワタシが着たって恥をかくだけじゃないかしら。リリイ様みたいに足が長くないし、色っぽくもないし、まだまだコドモだし……

ああでもないこうでもないとおこがましくもリリイと自分を比較しては悶々悩み、延々おのれを卑下して試着の前から自信喪失しかけたサシャのもとへ靴音が近付いてくる。

「お待たせ」


ああ、神様旦那様。とうとうこの時が来てしまいました。


きゅっと目を瞑り、下腹部で強く手を組んで覚悟を決める。

「さあ、着てみて頂戴」

穏やかに促され、緊張にもつれる指で一つずつボタンをはずしていき、リリイに時々手伝ってもらいながら新しい服に袖を通す。


行きに着てきた紺色のエプロンドレスがぱさりと足元に舞い落ち、シンプルな下着に包まれた健康的な褐色の肢体が露わになる。


代わりに身に纏うのは憧れてやまない仕立て屋リリイの最新作。
しっとりなめらかなシフォン生地の肌触りに、もうそれだけで天にも昇るような心地になる。


「さ。目を開けて」


たおやかな声と手に導かれ、おそるおそる目を開けてみる。

そこにいたのは……


「どう?」
「………え………」


鏡の中には紺色のシフォン生地を贅沢に使ったドレスを着た、咲き初めのイングリッシュ・ローズを思わす初々しく可憐な淑女がひとり。


華やかに襞を織り込んだシフォン生地の下から覗くのは七色の光沢帯びた真珠色のレース。
左足に入った大胆なスリットは、デザイン画で見た時は正直気後れしたけど、実際に着てみれば冒険心と好奇心旺盛なサシャ本来の魅力を十二分に引き出している。

「とても、素敵です……」

そんなあたりまえの感想しか出てこない。
もっと言葉を尽くして褒めたいのに、この感激を表現したいのに、鏡に視線を吸い込まれたようになってそんな単純な言葉しか出てこないのがもどかしい。

けれど、リリイは微笑む。
そのつたなくも率直な第一声が、どんな美辞麗句で飾り立てた称賛にも増して尊い労働の報酬だとでもいうように、ぼうっと夢見心地のサシャの背後に回って囁く。

「こないだ会った時、似合う服と着たい服は違うって言ったわよね」
「え?は、はい」
「今でもそう思う?」

形良い唇が嫣然と綻び、コケットリーな流し目に微笑ましげな光が宿る。

「…………」

今。
サシャが着たいと憧れた服は、晴れて彼女に似合う服となった。

「貴女に着てもらえてこの服も喜んでるわ」

色んな人との出会いを経て色んな経験を積んで、知らぬ間に一端のレディとして磨き上げられていたのだろうか。

おそらくは体の採寸ではなく心の採寸が合ったのだろう。

店に入ってからずっと強張っていた顔が、じんわり込み上げる嬉しさ誇らしさに蕾が綻ぶよう笑みほぐれていく。

含羞に赤らむ頬にお茶目な少女と落ち着いた女性が同居する笑みを浮かべ、ドレスの裾を少し摘まんで一回ターン。

正面きってリリイに向き合い、最大級の感謝と精一杯の真心こめてお辞儀をする。

「この度は有難うございます、リリイ様」
「お力になれたかしら?」
「ええ、とっても!」

ターミナルでできた大切なお友達の顔、大好きな旦那様の顔、大好きなあの人の顔が次々と脳裏に浮かぶ。

早くこの服を見せたい。
みんな何て言うかな、驚くかな?

期待と興奮に胸ふくらませ、輝くような笑顔できっぱりと断言する。

「ワタシ、リリイ様にお会いできて本当によかった!」

憧れで終わらず目標とする人ができた。
リリイその人になりたいわけじゃないけれど、一輪挿しのイングリッシュローズさながら気高く凛とした在り方、職業人として見習うべきプロフェッショナルの姿勢は、くよくよ悩みがちなサシャの指針となってくれた。


主役は薔薇。
なれど花瓶はその魅力をさらに引き立てる。


過信せず慢心せず、努力を惜しまず自らの美を磨き上げる蕾たちに正しい道具立ての示唆を与えるのが彼女の天職。
似合う花瓶がないなら四の五の選り好みせず自ら研鑽し生み出すのが誇り高き薔薇の気概、恋に仕事に人生に悩める少女達を導く大輪の薔薇の矜持。

なればこそ咲き誇れ蕾たち、青春を謳歌せよ。

リリイ様がくれた最高の贈り物。
今日はとても素晴らしい日。


【END】
[42] 追記
スコーンが美味しく焼けたよ!
サシャ・エルガシャ(chsz4170) 2012-12-14(金) 09:46
「Color me, yours!」(瀬島WR)の続きです。
素敵なプラノベありがとうございました。

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