「影武者も見抜けないとは間抜けな誘拐犯ね」 男のゆくてに、もうひとりのナターシャが立つ。イルファーンの変身した姿だ。 「騙されませんよ。ロストナンバーなら変身もできるでしょう」 誘拐犯もまたロストナンバーであるから、それは一瞬の牽制でしかなかった。しかし、このとき、会場にいた大勢のロストナンバーが、異変に気付いていたのだ。
「へ~ミュージカルなんだ~。じゃあの男の子はお姫様を助ける王子様役?」 スイート・ピーがふと漏らしたつぶやき。 緑郎はハッと閃いたように、顔をあげ、そして声を張った。
「おのれ大神官!王である我が父を殺し、最愛の姫まで奪おうとするのか。もはや貴様を師とは仰がぬ、衛兵達よ! 逆賊を捕え姫をお助けするのだ!」
パッチワークの衣装を脱ぎ捨て、客席側へ向かって叫んだ――その意図に、大勢のロストナンバーが応えた。
「話は聞かせて貰ったわ!」 幸せの魔女だ。 「天に仇名す邪悪なる神官め! これ以上姫様にあ~んな事やこ~んな事をしたりするのであれば、この私が相手だ! 我が名は……、え~と……愛と暴力の使者、聖女アグリア!」 「勝手な事抜かすな、痴女アグリア。アレはうちの大事な商品……隣国の奴隷市場に高く売り飛ばすんだからキズモノにされちゃ困るぜ」 銃を抜きながらファルファレロ・ロッソが、そしてメアリベルが続く。 ふいに、高らかなバイオリンの音色が響いた。ロナルド・バロウズの演奏だ。音響がついたことで、誰もが演出と思い込む。多少ヘンな舞台であったとしても。
もしこれが本当に演劇だったら、脚本は支離滅裂もいいところ。 メアリベル(の差し出す人面タマゴ)に怯んだ男は、ベルゼ・フェアグリッドに銃撃されて舞台上を逃げ出し、ワード・フェアグリッドの創る氷壁に行く手をふさがれて方向転換、しかし別の方角はジョヴァンニ・コルレオーネの咲かせた薔薇の結界にふさがれ、右往左往するうち、リエ・フーの真空の刃にローブを切り裂かれる。 ついでにナターシャのスカートに大きなスリットが入ってしまったが、彼女は隙をみて男の顔に蹴りを食らわせたので、泡を食って逃げ出した男は逃げた先の舞台袖で鷹遠 律志のサーベルを突きつけられ、がくりとひざをつく。
ホールに、万雷の拍手が響く。 それはシュマイト・ハーケズヤが天井へ向けて放った《響》の魔法弾丸だったが、多くの観客がつられて手を叩いた。 むろんスイート・ピーは無邪気に歓声をあげ、ニワトコもにこにこと拍手し、まだ小芝居を続けているファルファレロの様子に、娘のヘルウェンディ・ブルックリンは恥ずかしくてうつむいていた。
「あたしが本物のナターシャよ!」 「あたしも!」 「あたしも!」 ナターシャに変身したイテュセイの分身が舞台上に増殖するも、その波をかきわけるようにして、本物のナターシャがすすみでた。
「ありがとう。助かったわ。……もう大丈夫だから。どうぞ席で歌を聴いて頂戴」
◆ ◆ ◆
「図書館のロストナンバーなの? 駐屯地のほうで旅団が動いてるらしいけど」 「パスホルダーは持ってるね……」 ニコル・メイブの問いに、緑郎は答える。 舞台裏に連れてこられた男はパスホルダーを所持していた。これが偽造されたという話は聞いたことはないが――。 「あ、信者かそうじゃないか判断する方法あったわ。雲丸ー? ちょっとこっちおいでー?」 そして、ふいに気付いて、セクタンを呼び寄せ、ぐりぐりと踏みつける。 「アーッ! ちょっと! なにするんですか!! チャイ=ブレ様の眷属を! なんてバチあたりなーーー!!」 「……本当に『みちびきの鐘』みたい」 「でも旅団があらわれるのと同時にことを起こすなんてタイミングよすぎない?」 ニコルがうろんな目を向けた。
「確認してみたが今のところ、ノアや、わかる範囲で、カンダータのどこでも異状はない。駐屯地の一件は別としてだな。……今のカンダータにロストナンバーに価値あるものなぞあるか? わからんな……」 ダンクス少佐が言った。 神結 千隼らがホール中を捜索し、また、出入り口ではリーリス・キャロンが待ち構えていたが、館内に仲間はいないようだった。
「まさかホントに単独犯? こんなずさんな計画で? マジで?なんなの?バカなの?死ぬの?」 もはや呆れるしかない緑郎たちに取り囲まれ、詰問されても、男は今いち悪びれないふうだった。 「カンダータは布教がうまくいってますからネ! カンダータに影響力のある彼女を広告塔に仕立て上げればもっとうまく行くってアドヴァイスされたんですヨ!」 「誰に」 「…………。誰だっけ?」 きょとり、と男は首を傾げた。
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ひとまず、市営劇場でのハプニングは、結果としては深刻な被害もなく片付けることができた。 図書館のロストナンバーが引き起こした事件ではあるが、駐屯地の事件を収めたことと差し引きゼロで、カンダータ軍もあえて外交問題にすることはないだろう。
なお、客席に残ってステージを見ることのできたロストナンバーによると、この夜の歌姫のステージは、素晴らしいものだったという。 |