「まったく、手こずらせやがって。早くメシ行こうぜ、メシ」 仕事帰りのリエ・シィーロ・ジュリエッタの三人組である。 インヤンガイでの依頼の楽しみは、終わったあとの食事にある。お菓子ならモフトピア、海鮮ならブルーインブルーも捨てがたいが、その料理の豊富さ、そして住民の食にかける情熱においてインヤンガイの右に出る世界は少ない。 インヤンガイ料理に難点があるとしたら、それはインヤンガイの治安と同じく、玉石混淆 ――『ハズレ』の店が多いことである。 だが、そんな石の中から宝玉をひいたときの喜びもまた大きい。 今日もチャレンジャー達が街をゆく。 「えっ、この店?」 リエ・フーが立ち止まった店を見上げて、シィーロは当惑した。 元は原色の看板は薄汚れ、欠けている。門構えも無様な修復の痕が醜く残っていた。さらには表に野菜の箱が積み上げられており、よどんだインヤンガイの大気を浴びしなびている。 「わかってねーなー。中華は汚い店の方がうまいんだよ。中華は火力が命、火が強いと店が油で汚れやすい」 二人の制止はきかないようだ。リエはポケットに手を突っ込んだまま颯爽と扉をくぐった。 「うっ」 続いて入店したジュリエッタは鼻をハンカチで覆った。室内に充満する油蒸気にやられたからである。換気扇が動いていないようだ。 「は、はは…… こんくらいの方がうまいんだって」 言い出しっぺのリエは、目を泳がせながら、うっかり席に座ってしまった。店内に客は三人以外にはいない。 そして、そのまま帰ろうかと迷っているうちに、店主とおぼしき、ハゲ頭が揉み手で注文を取りに来てしまった。 ぼろぼろの手書きメニューは判読が難しい。仕方が無いので、三人は焼飯(チャーハン)だとかどこにでもある料理に決めた。 「釈明がほしいのう。店選びの達人とやら」 「あぁ、うぅ。アレだよ。弘法も筆の誤りってやつだぜ」 シィーロは卓子に肘をついて狼耳を前に倒した。米の水分は十分に飛んでおらずほどけない。しかも、余分な油でギトギトだ。タマネギは炒め足りず、その一方で卵は焦げている。ごまかすようにまぶされた唐辛子は舌にピリピリした。 「リエ、汚くても地元民で賑わっている店、が正解だろ」 「そなたの責任食いでどうじゃ。まったく、わたくしが調理すればいくらでも食えるものにできようて」 結局、リエは三人分のメシを押しつけられることになった。ふくれる腹をさすりながら苦しむ少年を尻目に、二人の乙女はハゲ店長を相手に料理談義をはじめた。 「片栗粉がちゃんと溶とかされていないな。ダマになっている」 ぺこぺこ 「余分な油を軽く拭き取るのをサボっておるのう」 ぺこぺこ 「油が残るのは、油温が低いからだ」 ぺこぺこ 「固いところがあるのは面取りが不揃いだからじゃなかろうか」 ぺこぺこ 「ジュリエッタ、貴女はトマトが使われていないのが不満なだけじゃないのか」 ぺこぺこ 「そうじゃのう」 ぺこぺこ ぺこぺこ ぺこぺこ ぺこぺこ リエが三人分の皿を平らげた頃には、哀れ、店長は五体投地していた。 「お三方を料理の達人と見込んでおすがりもうします。どうか当店をお救いください」 閑古鳥が鳴いているところから容易に想像出来るとおり、店は危機的状況にあった。給金も満足に払えず、奉公人にはとうに逃げられているとのことである。 「このままでは、十四代続いた当店の伝統が潰えてしまいます。祖先の霊に顔向け出来ません!」 三人は顔を見合わせた。 「「どうする?」」 と、なんの気なしに、ジュリエッタが無造作に積んであった乾物の瓶を手に取って、口に放り込んだ。 「あ、これ、ドライトマト」 普段と異なり年齢相応の少女らしい感想が彼女の口からもれた。 「……おいしい」 こうして、干西紅柿につられて三人(主にジュリエッタ)はこの店の建て直しを引き受けた。 「恥ずかしながら、これを調理出来る者には愛想を尽かされたのです」 件の干西紅柿は、先代からつきあいのある商家から仕入れたものらしいのだが、店主には調理の仕方がわからなかったらしい。 「わたくしの生まれたイタリアでは、オリーブ油に漬けてそのまま食すのじゃが」 この街でオリーブ油は簡単に手に入るものでは無い。となると、別の料理を考える必要がある。 シィーロが思いついたのは例えばこんなである。 「皮蛋(ピータン)トマトはどうだ。それならごま油で作れる」 「そりゃ、ピータントマトは生トマトだ。ここにあんのは干しトマトだけだろ」 念のために聞いてみたら、新鮮な生西紅柿も手に入らないこともないとのことである。インヤンガイではあまり人気の高い食材では無いが、なんでも食べるのがここの住民である。 ジュリエッタが目を光らせた。 暫定的な、役割分担は、リエとジュリエッタの二人が厨房担当で店の味を立て直し、シィーロがホールである。 味にうるさいリエはまずいメシ三人前の恨みを晴らさんと店長に料理指導を始めた。包丁の使い方から、中華鍋の振り方、下ごしらえの常識。教えるべきことは無数にある。一朝一夕で身につくものでは無いのだがスパルタで押すことにした。 「オラッ、手ぇ休めんなよ。スナップきかせんだよ。鍋の上を行ったり来たりしているだけじゃん。食材が火をくぐらないと意味ねーんだよ。もう10回な! あー、ジュリエッタ~~。試作品できた? 一口食わせろよ」 出しているのは口だけで、リエはふんぞり返っていた。 ジュリエッタは、ドライトマト戻し汁あんかけチャーハンを完成させていた。あんは片栗粉を水で溶く代わりに、干西紅柿を煮出した汁で溶いたものである。 この焼飯はさっぱり酸味のするあんのかかった部分と、ぱらりと仕上がった焼飯部分が入り交じることによって、一口ごとに味が変わっていく飽きの来ない一品に仕上がっていた。 出汁終わった干西紅柿の残りかすは、カリカリに焦がし焼き上げた後に細かく刻み唐辛子を軽くあえる。これをそっと添えることによって料理は第三の顔を見せた。 労働の疲れを癒すに最適である。 最後にシィーロはすっかり寂れた店内の掃除にいそしんでいた。 「ロブションも言っていただろ! 料理は洗浄に始まり洗浄に終わるんだよ」 とはリエの言である。先程と矛盾しているが本人は気にしていないようだ。そして、のんびりしたシィーロは気にもしていなかった。 「リエも掃除手伝って」 と、つぶやくだけである。 熱湯と洗剤で頑固な油汚れを落としていく。椅子の布を張り替え、壁紙を貼り替えた。 こうするだけでもずいぶん雰囲気が明るくなった。 店にしまってあった道具で換気扇の修理ができたのは僥倖。 「私でも直せる構造でよかった」 リニューアルオープンと言うには大げさか、数日の後には見違えるような店舗になっていた。 「客の入りはまずまずか…… リピーターになってくれればいいんだがな」 とりあえずは、新メニュー『西紅柿鹵焼飯』を立て看板の全面押し出している。しかしむしろ、客を呼び込んでいるのは新式旗袍(チャイナドレス)を着込んだシィーロであろう。 シィーロの旗袍は黒地に、いやみにならない程度の大きさに赤くバラが刺繍してあるものであった。それに、黒サテンのスカーフを首に巻いていた。これが彼女の真っ白な毛によく映える。 「ずいぶん大人っぽいじゃねーか、やせ狼」 「私はリエ、貴方より年上」 慣れない装いのシィーロの表情は固く、動きも普段と比べてぎこちないが、そういううぶな反応はこの街区ではめずらしく、通りでは大いに目立っていた。 「あいつ、ずいぶんカチコチだけど大丈夫か?」 「みるのじゃ、しっぽはゆらゆら揺れておる。あやつは楽しいのじゃ」 「そんなもんか?」 「そうじゃ、そなたも給仕をやらんかの」 「えっ、おいマテよ」 「ずっと手すきじゃろうて」 こうして、リエもホールを手伝うこととなった。ジュリエッタに無理矢理女給の衣装を着せられたリエは、呼び込みをはじめた。 おとしの手本を見せてやんよと。道行く酔漢に、ととっと小走りによっては腕を絡め、甘い声をささやき、店に引きずり込んでいく。彼は、シィーロがほおを赤らめる程度にはノリノリであった。 † † † † † † † † † † † † やがて、待望の生トマトも届き、ピータントマトがレパートリーに追加された。卑酒(ビール)がよく進むとなかなかの評判で、客が客を呼び、店は盛況である。 こう順調なときは、次なる試練の予感がする。 その日の夕涼みの時刻、街区は仕事帰りの男達であふれかえっていた。かき入れ時である。今日も満席で、シィーロは客の間をくるくる飛び回っていた。 リエももはや、呼び込みをする必要は無く、給仕に廻っている。ときおり、店の前に出ては列の確認。 その時、店内から「ゴキブリ入りの料理を客に出すのか!」と叫び声が聞こえ、場は騒然とした。 「おいおい、今時そりゃないぜ」 肩をすくめてリエが振り返ると、チンピラ風味の数名が拉麺どんぶりを卓子にひっくり返したところだった。 店内に緊張がはしり、関係ない客達は食い逃げのチャンスとばかりにこそこそ逃げ出した。 「おう、ねーちゃんどうしてくれるんだ」 命知らずの一人は、給仕のシィーロに絡んでみたりする。 シィーロが口をへの字に曲げ立ち止まり、ジュリエッタは無視を決め込んでにんじんの皮を剥いていた。 リエは、自分がやるしか無いかなとチンピラ達に声をかけようとしたところで、並んでいた客の一人、探偵風の男に割り込まれた。 「おいっ、俺らは待ってんだ。アヤつけるんだったら後にしてくんねーかな」 「んだと、おっさん!」 チンピラが銃を抜くと行列の客達は我先にと探偵を押し退け逃げ出した。探偵は突き飛ばされた拍子に白菜に頭を打ち崩れ落ちた。 「あ~あ。殺ってくれちゃったよ」 ―― がるるる 半獣人娘は銃を嫌っている。それに人死にが出ては黙って見過ごすわけにはいかない。シィーロは尻尾と耳を立てて、うなり声を上げた。 そちらにチンピラが銃を向けたところで、リエはギアを発動させる。 一対の勾玉が結界を張ると、囚われたチンピラは拘束された。呪縛結界はこのような室内で使うにはうってつけである。しかし、超自然的現象になれているインヤンガイの住民だからか、とっさに結界の範囲から逃れた者もいる。女給を人質にでも取るつもりか、突進する。 まっすぐ向かってくるチンピラにシィーロは正面から飛びかかった。裾をひるがえし、結界の範囲から飛び出してきたところに前蹴りをたたき込んだ。すかさずかぎ爪で払い、銃をはじき飛ばす。これで一安心だ。 一方、厨房の方に転がり込んだ男もいる。彼はその場にあった厚口の中華包丁を掴むと、血走った目でジュリエッタに怒鳴りつけた。 「クソが!!」 「なんじゃ、代わりの飯ならすぐ作るから待っておれ」 「ざけんじゃねー!!」 挑発されたと感じたのか、男は十分に凶器と言える包丁を振りかぶって突進してきた。 ――が、彼はジュリエッタに辿り着く寸前でよろめいた。セクタンにけつまづいたのだ。 そのまま、ジュリエッタに向かって倒れ込んだが、彼女が腕をいなすと、暴漢は進路を崩されコンロにがしゃんと突っ込んだ。そして、揚げ物の鍋がひっくり返り、ぐらぐらしている油を頭から被ってしまった。 「大丈夫かのう。厨房で暴れるからじゃ」 チンピラ達を官憲に引き渡す段になって、隠れていた店長が出てきた。 「あの連中 ……何者?」 「あいつら、この店の土地を狙っているんです。ほんとにあくどい連中で……」 † † † † † † † † † † † † 地上げ屋を追い払ったことは店にさらに歓迎すべきことをもたらした。 逃げた奉公人達が戻ってきたのだ。なんでも彼らは地上げ屋に脅されて店を辞めたのだそうだ。 これで、ロストナンバー達がいなくなっても店は続けられるだろう。 そしてとうとう三人が0世界に帰る日がやってきた。 先んじて、三人に感謝した店長は、一年間食べ放題を申し出た。そして、お別れの日は店を閉じ、ささやかな宴会となった。 三人は、戻ってきた奉公人達の作った皿をつついている。 「干西紅柿はこの一品のためのものでございます」 海鮮と干西紅柿の酒蒸しだ。海鮮…… イカ、あさり、貝柱からしみ出たうまみは干西紅柿の酸味と絡み合っている、油で炒めては繊細な香りが飛んでしまうところ、黄酒で蒸すことによって、味を綴じ込め濃厚ながらも上品な菜となっている。最初に食べたべしゃべしゃのチャーハンとは比べ物にはならない。 「これが本来のこの店なんだな。でもシィーロはジュリエッタの味の方が好きだ」 「やせ狼じゃ、この繊細な風味はわからんだろ」 ぞんざいに返したリエが、よくなかったのかもしれない。 無言のまま、ジュリエッタが立ち上がった。 「豚バラブロッコリーのトマトココットでも作るかのう。イタリア料理」 だが、それだけでは場が収まらなかった。 面子の問題もある。奉公人達もさらに料理を追加しようとしたところでシィーロが言い放った。 「リエもなんか作ってよ。ずっとふんぞり返っていただけじゃん」 「しゃーねーなー。腰抜かすなよ」 息巻いてみたものの、リエ・フーに特別料理の心得があるわけでは無い。味にはうるさくうんちくは豊富でも、あくまで客の立場としてである。 心のおもむくままに材料を刻んで中華鍋に放り込んでいった。グダグダになった鍋を火にかけては見たもののなかなか火が通らない。リエは無駄に鍋を揺すってみたりするが、かつて自分が指摘したとおり、それは何の意味も無い行動だ 「リエは、中華は火力が命だって言っていた」 「あー、もううっせーなー、こうすりゃ一気に火が通るだろ!」 今度は西紅柿を香草でつつんでだものを鍋に追加する。 そして、おもむろにギアを取り出した。 ―― 呪炎結界 鍋は炎に包まれた。 「おらどうよ」 ギアの発する高温は、料理用の炉とは比べものにならない。鍋の温度は急上昇し、程なく食欲を誘う香りが漂いはじめた。 だが、霊力で動作する火鉢に定格以上の過負荷を与えた。 炎に敏感なシィーロがとっさにジュリエッタを担いで店外に飛び出した瞬間である。火鉢はとなりの炉に燃え移り、揚げ器の油に引火。店は爆発した。 壱番世界の故事では、 ―― 鶏を盗んだ男が、鶏を蓮の葉で包み地面に埋めて隠した。 盗人はその上でたき火をした。追っ手は鶏が見当たらず盗人と気付かない そして、盗人が掘り返してみれば、固まった土の中から、蒸し焼きになった鶏が出てき、大変に美味であった。 盗人はこの鶏を皇帝に献上し、その功績により富豪となった これすなわち乞食鶏あるいは富貴鶏 「えっと、乞食トマト ……完成」
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