ヴォロスでの軍事力は国家の保有する竜刻によって決定される。正確に言えば、保有する竜刻の質・量とその竜刻の運用技術だ。 ここ聖メープル王国は竜刻を扱うに卓越したものがあった。豊富な森林資源を背景に建造された船に竜刻を搭載し、宙に浮かせる。身の軽いエルフ達にとってはもってこいの技術だ。 樹海から浮上し、宵闇に音もなく滑り敵領土に侵入。城壁を飛び越え、三層甲板に満載したエルフ達が雨あられのように矢を降らせる紅楓戦列艦隊は聖メープル王国の戦略兵器であると同時に周辺諸国にとっては敬意と畏怖の象徴と言える。 森のほとりにある独立都市アイェッタは建前上は独立国家であるが、聖メープル王国のエルフ達が官僚機構を支配する実質的な属国である。独立の体面を保っているのはエルフ達が森から出たがらないからに過ぎない。非エルフの森への侵入を快く思わないエルフにとって、独立都市アイェッタは貴重な交易拠点となり、さながら出島の様相を呈している。 アイェッタの軍事力は聖メープル王国から下賜された竜刻戦列艦1隻が主力である。人間が運用しやすいように弓兵の代わりに投石機を主力装備としており、森を傷つけかねない火炎樽はエルフによって禁止されている。 独自の軍事力を欲するアイェッタ商工会は、秘密裏にエルフの技術を解析し、独力で竜刻船を建造するに至った。エルフの船と異なり帆は小さく、代わりに甲板の一層が動力室となっており、奴隷達が歯車を動かし艦尾のプロペラを回す機構になっている。この無様な玩具はエルフ達にとって嘲笑の対象であったが、船首に衝角(ラム)が搭載されているとなると風向きが変わった。 プロペラで風に逆らって推進し、衝角で他の船に体当たり、そのまま上甲板に満載した兵士が敵船なだれ込み白兵戦を仕掛ける。 アイェッタの竜刻船は、他の竜刻船を攻撃することのみを目的とした装甲巡洋艦だった。見てみればエルフの矢に耐えるために鋼板で覆われているではないか。 装甲巡洋艦アイェッタの曙号の記念初航海は間近である。† † † † † † † † † † † みんなが任務指令書を読み終わるのを少女司書エミリエがそわそわと待っていた。かわいい眉を寄せてしかめっ面をし『導きの書』をにらみつける「竜刻船だってー、エミリエ乗りたーい! なんだけど……、アイェッタの曙号の竜刻が暴走するんだってー。え、ええっと『装甲巡洋艦アイェッタの曙号の管制に用いる魔導式はエルフにより、かい、かい、かい ……あ、ありがとう、改竄されており、最高出力を求めると竜刻が機能停止するようになっている』んだって ふぇ、あーもう! それで最高出力を出すときに機能停止するはずが、予言だと逆に竜刻が暴走するってことなんだけど……」 エミリエは自信なさげにみんなを見上げて「ここまでで分からない人いる? はーい、エミリエよくわからなーい」 失笑が漏れる。「ええっと、それをみんなにどうにかして欲しいんだけど……。そういわれてもねー。リベルは歯車廻し奴隷に紛れればいいって言うんだけど……。それじゃ、せっかくの空中旅行を楽しめないよねーっ! それでそれで『竜刻の暴走を阻止し、竜刻を回収すること』って。 このままじゃ墜落しちゃうじゃないの! 大勢人が乗っているんだよ! お願い、助けてあげて」† † † † † † † † † † †・航路記念航海は、アイェッタ->森上空->山脈上空->アイェッタ、と言う計画です。森上空で突撃甲板の扉を開ける訓練を行います。山脈上空で上昇限界試験を行います。・乗組員商工会の賓客・8名艦長、副館長、船医、各1名士官・15名 (うち魔導士9名。観測魔導士、通信魔導士含む)下士官・20名奴隷・36名 (8人単位でプロペラを一つ回す。6人は補欠)エルフは乗船しません。・護衛アイェッタ竜刻戦列艦1隻が護衛として並航します。こちらにはアイェッタ政府のエルフや聖メープル王国大使が乗船します。彼らは計略について知っています。・紅楓戦列艦隊事件への関与を疑われないようにアイェッタの曙号に近寄らないことが密約されています。・封印タグ図書館から竜刻の暴走を止める「封印のタグ」が渡されます。「封印のタグ」とは長年の竜刻研究の成果として開発されたもので、竜刻の魔力を安定させるものです。荷札のような形状で、対象に貼り付けることができ、それにより暴走を止めることができます。このアイテムは竜刻にしか使用できません。「……戦争になっちゃうかもしれないって。なんかすごく危なそうだよ。みんな無事帰ってきてね」
かつて政治家であったロストナンバー、博昭・クレイオー・細谷が締めくくりとして全員に告げる。 「聖メープル王国の計略を何があってもアイェッタ側の人間に言わないよう」 6人のロストンバーは充分に竜刻石奪取の作戦は練ってある。必要な下準備も完了した。後は予定通りに事を進めるだけである。そうは難しい話しではない。 こうして、奇妙な一行はアイェッタ市の広場で解散した。 この日、祝砲が撃たれ、街中ではしゃぐ市民が数多く見られた。独立都市アイェッタが真の独立を勝ち取る記念すべき日になるはずであったからである。 しかし、水面下では宗主国との微妙な緊張を孕んだ陰謀が進行していた。そして、その一部始終を俯瞰するのは、外なる世界からの使者、百万世界の世界図書館とそのロストナンバー達である。彼らの興味は陰謀には無い、その騒動の中心となる空飛ぶ竜刻船、装甲巡洋艦アイェッタの曙号のそのまた核である竜刻石に彼らの視線が注がれている。 竜刻石の暴走を阻止し、世界図書館に持ち帰ることがロストナンバー達の任務である。 装甲巡洋艦アイェッタの曙号の動力は奴隷による人力である。痩身の青年、ゼクス・ザイデルホーファーとアルビノの青年、ロウ・ユエが奴隷達の列に混ざっている。見るからに異国出身の二人は確かにこの四方より人々が訪れる商業都市の奴隷として似つかわしい。彼らの建前上の所有者はさるアイェッタ商工会の有力者である。先日、奴隷商に扮したロストナンバー=細谷によって売られた。 ゼクスがどことなく漂わせている無関心さや、逆にロウの抜け目のない観察眼は、そわそわ落ち着かない他の奴隷達のなかでは目立つものがある。しかし、もとより体格にはさほどには恵まれているとは言えない二人に必要以上に関心が集まることはなかった。この特別な日に、一介の奴隷に注意を払う余裕のある者などいるはずがない。 そして、ゼクスのポケットの中に潜む小人の陸・抗を見とがめる者は、当然ながらに存在しないのである。 ゼクスは曙号とこのお祭り騒ぎには特に関心が無いようである。国家間の問題に部外者、ましてやロストナンバーが関わるべきではないと思えるからである。一方で、そのポケットの中の陸も同意見である。 「曙号の航海が成功しようが失敗しようが俺はどっちでもいい。というより部外者が口を挟む問題じゃないだろ。力で押さえつけられたら結局どっかに歪みは出るもんだ。戦争を今止めたって、またこんな事はいくらでも起こり得る」 アイェッタの曙号は比較的小さい。機動性を重視したと言えば聞こえが良いが、精々この大きさがアイェッタの技術力の限界なのであろう。 ロウは、背後の戦列艦を見上げて軽く鼻を鳴らし応える。 「特等席で処女航海が失敗するのを見物か、いい性格してるな。アイェッタ商工会内部に内通者が居るんだろう。そうでなければ管制用魔導式改竄なんか出来る訳がない。不時着出来ず、墜落し犠牲が出ても痛くない、むしろそうなった場合目障りな人物を纏めて始末出来るし、内通者も乗っていれば証拠も消せる。一石二鳥どころか三鳥辺りを狙ってるんじゃ」 巨大な戦列艦は、詰め込む物資の量も多い、今回は特に貴賓のための贅沢な料理なども必要である。ちょうどアイェッタ政府の高官達や聖メープル王国大使が、儀仗兵に付き添われ威風堂々と乗り込もうとしている。 陸は戦列艦に乗り込もうとする高官達の中にファブニールを確認し、言う。 「どうなってもいいと言ったが、ま、心情的にはアイェッタ完全独立を応援かな。でもロストナンバーとしては永世中立な。ただ竜刻が暴走するのだけは止めるぜ」 「そうだな。竜刻石封印のついでに俺はスパイ探しをしてみる」 ロウはそう自分の計画を告げ、持ち場についた。活動開始するにしても飛んでからだ。 ファブニールは ……男なのではあるが、困った特技、と言うより性癖の持ち主である。 「……さて、紛れ込むとくれば俺の趣、いやいや特技が唸りを上げるな! 髪には仄かな薔薇の香りを。肌と指先を整え、余計な毛は剃って、胸元には ……何度やってもこれは恥ずかしいけど。 衣装は ……うーん、可愛らしい方が目的には向くか……いやでも保険にもう一着。それとトラベルギアも。 よし、メイクもスタイリングも完璧。キャラ設定は――」 ブレザー女子高生に扮し、いかなる魔術か、ゼクスとロウを買い取ったアイェッタ商工会の豪商貴族の付き人の座にちゃっかり納まっている。 そんなファブニールは戦列艦の上甲板から、隣のアイェッタの曙号を興味深そうに見下ろしている。 「装甲巡洋艦ねぇ……凄いな、ここまでの技術が存在するなんて……俺の世界には飛行戦艦すらないのに。 っても人力が賄うんじゃ、効率は推して知るべし、か。興味があるのは竜刻だが、ソレに関して荒事になるんじゃ調べるにも調べにくくなる。なんとか、八方綺麗に済ませてみますか」 背後から、ファブニールを呼ぶ緩んだ声がする。仮初めの主の期待に応えるように、くるりとスカートをひるがえして振り返り、いつもより1オクターブ高く 「はーい! ご主人様! いま行きまーす」 ロボット武者のイフリート・ムラサメは街の外の丘の上からお祭り騒ぎを望遠していた。ビジョンには船から立ち登る揺らぎが観測される。 「どうせ外套を着ても奴隷にはなりきれないだろうし、拙者は地上でスーパー不測の事態に備えておこう」 竜刻石のエネルギーを充分に捉え、この分では追跡も容易であろう。FCS(飛行制御システム)とスラスターの調子を確かめる。 音楽隊の奏でるマーチがひときわクライマックスを迎え、熱狂が広がっていく。そして、突然に音楽が終わると、アイェッタの曙号から静かに漏れ出していた龍の息吹が観客達に届き始める。 と、ゆらりとアイェッタの曙号が浮かび上がる。浮遊する船を中心にさらなる歓声が広がっていく。その熱気は戦列艦のファブニールにも伝わってきた。 粛々と上昇したアイェッタの曙号は、どの建物よりも、木々よりも高いところに到達し、そのプロペラを回し始めた。 そして空中をするすると進み始め、群衆に見送られて空を滑り出した。 遅れて戦列艦も浮かび上がり、装甲巡洋艦を追いかける。 出港して30分も経てば、アイェッタの曙号の奴隷甲板には熱気が充満してくる。32人の男達が狭い奴隷甲板で歯車を回し続ける光景はなかなかのものだ。ゼクスとロウも汗だくになりなっている。まだまだ体力には余裕があるが、なにぶん、暑い、そして臭い。新造艦であってもここ数日、連日にこの中で訓練したのだから充分に臭いが染みついている。ポケットの中の陸が恨めしい。 このまま船は聖メープル王国の森の上空を飛び、国境の山を越える計画だ。航海は始まったばかり、奴隷監督がペースを守るように指示を出している。 ロウは奴隷達の間でそれなりの信頼を勝ち取っていた。稼働部品に囲まれ、危険な船室で治癒能力が評価されてのこともあるが、彼の持ち前の情に厚さがあってのたまものだろう。 そんな中、ロウがふらりと膝をつく。水が足りなくなったか? ゼクスが駆け寄って様子を見る。奴隷頭に視線をやると、速やかに控えの奴隷が二人の持ち場を埋めた。 ロウはゼクスに肩を貸して奴隷甲板から出た。人気のない廊下に出て人心地つく。 「ああ、もういい、演技だ」 念のためにお互いに体力を回復する能力を使う。 奴隷達から聞いた話しによると、彼らの主人は全員がアイェッタ商工会の実力者だそうだ。商工会の思惑は、アイェッタの発言権を増すことによって関税自主権を取得することをはじめ、聖メープル王国の対外窓口としての地位向上である。 「国家としての誇りと、現実的な利益のせめぎ合いって所か。俺には関係無いな」 相変わらずゼクスは興味が無さそうである。しかし、そんな彼も親友の陸のやろうとすることに間違いはないと思っている。 「竜刻を回収するには、どのみちこの陰謀を阻止する必要がある。竜刻に近づくには俺のサイズならバレないと思うんだ。PKもあるし。ロウさんも風を使えるし、力を合わせれば不時着くらいは出来るだろう」 「ああ、竜刻石に近づくときは俺の空間操作能力も貸す」 一方、竜刻石を制御している魔導士達は各家の次男坊達が大半だとか、エルフに師事している者もいる。 「スパイの線も捨てきれないが、くさいな。管制用魔導式改竄は容易に出来ることではない。魔導師達と接触を試みてみるか」 と、ちょうどそのタイミングで顔色のよろしくないローブを纏った男が通路をふらつきながら通りがかった。 「大丈夫か?」 ロウが治療を施しながら聞けば、彼は管制用魔導式を管理するものの一人でここしばらくは魔導式の性能向上のために疲れが溜まっているそうだ。そしてこの緊張の中でついに限界が来たと。 「師にも確認していただきましたし、問題ないと思うんですけどね」 彼の魔術の師はさるエルフの高名な魔導師で、現在はアイェッタで官僚をやっているとのことである。 興味をかき立てられる情報だ。 戦列艦からの斜め前方の定位置を正確に守って、アイェッタの曙号は流れるように飛んでいく。 奴隷達や観測手の努力でアイェッタの曙号は、戦列艦と歩調を合わせていられるわけであるが、これも訓練の成果である。処女航海とは思えないほど安定した運用ができていると言える。 戦列艦の上甲板に紛れているファーヴニールは、アイェッタの情熱に感心していた。 彼は時折、貴賓に声をかけられる。ファーヴニールの現在の主人は豪商貴族のなかでも独立派の最右翼である。彼は美しいファーヴニールを見せびらかしたいからか、あるいは今回の快挙について話し合うのに忙しいからか、ファーヴニールを自由にさせている。 「これは、可憐なお嬢さん」 「ごきげんよう」 トラベラーズノートを閉じ、振り返ると、ファーヴニールは精巧な笑顔を浮かべ異国風の挨拶した。相手のエルフは、ここにいるからにはそれなりの地位なのであろう。一般的にエルフは金銀宝石をひけらかさないし、年齢も分かりにくいので、地位が判断しづらいが、彼は特徴的な刺繍を施したケープを纏っているので分かりやすい、アイェッタ行政府の高官だ。 ――確か彼は、メープル大使とさっきまで話していたな 「人間にしてはなかなか良く出来ているとは思わないかね」 彼は、窓の外のアイェッタの曙号を見上げて言った。アイェッタの曙号は吐息を大きくしながら山を稜線に沿って高度を上げていく。ファーヴニールは控えめな頷きでそれに返す。 「人間と暮らすようになって200年になるが、いつも彼らには驚かされる。ふふっ。しかし、子供はいつも自分達の行っていることの危険性を理解しない。 私の ……人間の弟子もアレに載っている。いつの日か、私を越えることを夢見ている。どう転ぼうと私より先に寿命がつきる運命だというのに。 おっと、君のような若い女性に言うべきことではなかったな」 ファーヴニールがなにか追従(ついしょう)を述べようとすると、甲板がなにやら騒がしくなった。 ロストナンバー達のノートに文字が静かに、熱く浮かび上がる。 ―――――― スーパー・コンバット・ウルトラ・オープン ―――――― 最初に気付いたのはアイェッタの曙号の観測魔導師だった。魔術視界に突如飛び込んできた影は、100ノットを軽く越える速度で、あっという間に接近してきた。 鳥やワイバーンにしては速すぎるし、魔術的反応がないので竜刻石でもない。 観測魔導師は慌てふためいて、通信魔導師に状況を叫んだ。 状況はきわめて不利である。白兵戦を想定しているアイェッタの曙号には弓兵の乗船スペースがほとんどない。しかも今回は貴賓の座席確保のために彼らはいない。 まずは疑われたのは聖メープル王国からの妨害工作である。アイェッタの知らないなんらかの魔術的隠蔽が予想された。しかし、状況は不明のまま刻々と進む。 戦闘教義が予定していないにかかわらず、良くできた方だと思われる。接敵したときには護衛艦は弩砲(バリスタ)の準備をかろうじて終えていた。 ロボット武者イフリート・ムラサメ。 相手が悪い。 重厚な弩砲では照準を合わせるのが間に合わない。しかも、偏差射撃の技術はアイェッタにはまだ知られていない。 スラスタから高圧ガスを噴出し飛翔するイフリート・ムラサメは、護衛艦、引き続きアイェッタの曙号の下を瞬時にしてくぐると、山肌でバンクし、木々を揺らしながらシャンデル(斜め上方宙返り)。一気に護衛艦の上を取ると鋭角に突入した。 護衛艦が傾ぎ、折れたマストが木片と帆を巻き込んで落下する。衝撃で倒れ伏したエルフの高位魔術師をファーヴニールが助け起こしたとき、宣言がなされた。 「我々はウルトラ・ムラサメ革命軍! スーパー・テロリストである! アイェッタの曙号の機関にスーパー最高出力を出そうとすると爆発する細工をした! ウルトラ聡明な貴殿らになら拙者の宣言の意味がわかるだろう?」 明快な犯行声明ではあるが、その意図は、王国に自身をテロリストとして対処させることで、王国の策略を無意味にしてしまおうというものである。また共通の「外敵」がいるのだと感じさせることで当面の摩擦を防ごうという意図もある。 全員の注目がイフリート・ムラサメに集まる中、驚愕を隠しきれないエルフ高位魔術師が思わずつぶやく 「バカな。停止するだけのはず……」 ファーヴニールは、そんな彼を不敵な笑み浮かべてのぞき込む。そして、狼狽するエルフの視線の先には、聖メープル王国の大使。 「拙者はこれから紅楓艦隊を落としに行く。アイェッタの暁号はそのあとでゆっくり料理してくれるわ!」 一方的に通牒すると、イフリート・ムラサメは轟音を立てて飛び去っていった。 当面の危機が去ったことで、目配せしあっていた商工会の重鎮達はほっと胸をなで下ろすが、状況が改善したわけではない。 紅楓艦隊が絡むとなるとアイェッタ一国だけの問題ではない。 彼らが聖メープル王国の大使と協議しようとしたところで、大使の背後には得体の知れない何者かがいた。 魑魅魍魎の政界を生き抜いた博昭・クレイオー・細谷である。どうやって? 勇敢なエルフ兵が「何奴」と誰何しながら細谷にレイピアで斬りかかるが、細谷の双刀に簡単に阻まれる。『大和』がレイピアを麦穂のように寸断し、『紫電」が彼の首に突き刺さる。刀身を立てたのは手加減だろうか、頚動脈を避け出血もほとんどない。しばらくはしゃべれないだろうが。 細谷の早業は場を掌握するのに十分であった。 立て続けに襲ってきた脅威の現存を全員が状況を飲み込むのを待って、細谷がエルフ大使に、静かに耳打ちする。 「今、曙号で竜刻が暴走しはじめています。何者かが管制の魔導式を改竄した事が原因です」 ――貴様、何者だ。 「我々は、そうヴォロスの真の平和について憂慮している組織としておきましょう」 一寸、思考をまとめたエルフ大使はかぶりを振り、自分の威厳を損なわないように命令した。 状況を紅楓戦列艦隊に伝えること、それからエルフ大使自身はこの闖入者と交渉するということを。 二人きりになって細谷は続ける。 「ご存じの通り、アイェッタ市が独自の軍事力を欲する理由は真の独立国家となる為でしょう。聖メープル王国を凌ぐ軍事力を得れば武力による恫喝や戦争が可能です。曙号の最初の標的は聖メープル王国ですよ。仕様が物語っています。防備、白兵戦、全て紅楓戦列艦隊に対抗すべく考案されたものでしょう。兵器の技術面においてアイェッタ市は聖メープル王国を凌いでいる上、竜刻を制御する技術も得ている。戦争になれば、彼らは火を用いて一斉に森を焼き払うはずです。森を住処とするエルフの多くが犠牲になる事は避けられません。 エルフを一人たりとも曙号に乗せなかったのが失策でしたね。異常が生じる事をあらかじめ知っていたと疑われてもおかしくはない。それに、彼らは戦争のきっかけを欲しがっている。少しでも疑わしい事があればそれを口実に戦争を始めるはずです」 そこまでは黙って聞いていたエルフ大使ではあるが、おもむろに顔を上げ細谷を見据え、口の端をつり上げた。 「ふふぁははは、そうかそうか、そう思い上がっていたのか。人間め。あの程度のおもちゃで、どうにかできると。我々の心配性どもは気にしていたみたいだが、その程度で聖王国は揺るがんよ。 そして、通信兵に状況を伝えるように命令した。 艦隊は飛翔物体と交戦に入ったとのことである。 紅楓戦列艦隊のうち8隻、西部戦隊はアイェッタ市をとともに周辺諸国にも睨みをきかせるのがその任務である。 今日、西部戦隊は聖メープル王国の内地に引きこもっている。曙号が墜落するときに近隣にいるのではアイェッタ市につけいる隙を与えてしまうからである。無論、この日に何らかの危機が発生することは予測済みである。しかし、脅威は西部戦隊の予測を上回るものであったと言える。そのうち7隻は立体梯形陣をとっていた。これは空中で六角形を構成し、高い面密度で攻撃を集中させるための陣形、対魔獣戦の布陣である。 「ワイバーンだと思って、構えろ! 誘導手!」 「風精を飛ばしました。精霊誘導完了!」 「撃て――――っ」 イフリート・ムラサメの電子眼は、六角形の中央の艦から仰角をつけて嚆矢が空高く撃ち出されるのを捉えた。ひゅーぅーうーーと不思議な音をたてて嚆矢が迫る。 「ハイパー確認。ヴォロス大気影響修正。弾道計算完了」 ムラサメは小さくロールし、躱 ――――奇っ怪なことに嚆矢は唐突に物理現象を無視して軌道を変え、ムラサメの鎧に突き刺す。被弾直前にムラサメは嚆矢のその鏃(やじり)がドラゴンの頭をかたどった形状であることを認識した。口の部分が開いており、そこを空気が通ることにより先ほどの音が出る。ひゅーぅーうーー 「謎な兵器だ。ウルトラなんだろう?」 と、パッシブセンサーが無数の飛翔体を警報する。7隻の戦列艦から雨あられと打ち出される矢。数が多いが、機動力が違う、原始的な兵器から逃れようとマニューバをかけるが、やはり、弾幕は微妙に軌道を変える。ひゅーぅーうーー 「矢がホーミング……だと?! スーパーロックオンされている!」 ムラサメはたまらず盾を掲げて矢をやり過ごす。冷雨のように降り注ぐ矢の何本かが刺さり、腰部左スラスターから噴射物質が漏れ出した。スラスターバランスを緊急調整して姿勢を立て直す。 第二波が発射される前にこちらの脅威を見せねばと、トラベルギアのハルバードを構え、突貫する。狙いは中央の艦。 「守護の風<ナギ>、起動!」 ―― なん…だ…と エルフ大使は驚愕の報告を受け取った。 「戦列艦カラマツが航行不能になりました! <ナギ>を突破されたようです!」 守護の風<ナギ>とは、魔術的に配置された戦艦(とその竜刻石)を魔方陣とした儀式魔法である。伝承では竜との戦いで用いられたとされている。それは結界の中の魔術的暴風を発生させ、巨大魔獣を釘付けにし引き裂く、攻防一体の術。その噴流は音速を軽く超え、発生する衝撃で対象を粉砕する。現代でも数百年に一度現れるイルルヤンカシュやロック鳥の討伐戦で運用されてきた。 問題があったとすれば、目標が小さく速すぎたことだろうか。イフリート・ムラサメは盾と腰部左スラスターを失ったが暴風結界の中に留まっていた時間はごくわずかである。ソニックブームの衝撃もスーパークルーズ可能なムラサメの設計に織り込み済みであった。そのままの勢いでムラサメは、中央の戦列艦カラマツをかすめ、衝撃で艦は左舷マストをすべて失った。魔方陣を崩された決戦術式は力を失い、結界は消失したのである。 紅楓戦列艦隊の一角が崩されたと言う事実はゆっくりとアイェッタの護衛艦の貴賓達に浸透していった。ここが歴史の分岐点になる不運があったとすれば、<ナギ>をこの目で見た人間が一人もいないことだろう。 ―― エルフは不死身でも無敵でもない ―― 彼らは人間……に見える ―― 我ら人間でも十分にエルフを互しえる 独立を渇望する熱狂が、敵の敵は味方という妄想ともつかぬ夢想に着地する。いつの間にか細谷に給仕がぶどう酒を手渡している。そして、その手のトラベラーズノートが刻々と文字を追加していく。 一方、騒動に取り残された形のアイェッタの暁号でも着々と状況が進行していた。戦列艦のファーヴニールからの情報が次々とトラベラーズノートに浮かび上がる。 「『どう転ぼうと私より先に寿命がつきる』だってさ。ひどい言いぐさだな。オイっ。残念ながら、君は君の師匠に裏切られたようだな」 ロウに指摘され、二人と一人のロストナンバー達にからまれた魔導師は、現れた時よりもなお青ざめ、青瓜のようであった。 「あんた、思い当たるところないかい? たとえば直前にどこか変えたとか。それとか『ここはこうすると昔から決まっている』って言われたこととか?」 陸がゼクスのポケットから顔を出して追加する。表情を硬直させてしまった魔導師にはどうやら思い当たる節があるようだ。なにやら口の中でぶつぶつと記憶を反芻している。 さてと、と管制室まで案内してもらえそうな雰囲気になったところで、ゼクスはいずこからかガスマスクを人数分(大2小1)取り出した。 「管制室を睡眠ガスで制圧するぞ。おっと、この哀れな魔導師も連れて行くとしたら一人分足りないな」 「大丈夫、俺は大気を操れる。俺にガスは通用しない。それにガスを広めるのもお手の物だ」 ロウの赤い目が不敵に笑う。 管制室の扉をわずかに空けるとゼクスが隙間からボンベを転がす。あっという間にガスが部屋に充満する。たっぷり60秒数えて、部屋に突入すると、動く者はもはや残されていなかった。ただ、竜刻石とそれを取り囲む魔方陣が神秘的な光を放っている。 「まだ、暴走の心配はないようだね」 そう言って陸が先頭を切って部屋に入る。魔方陣を囲んで、まずは封印タグを貼ったところで魔導師が口を開いた。 「あっ、あの、あなた方が何者なのかは聞かないことにしておきます。しかし、竜刻が暴走するというのはどういうことなのでしょうか? 師は停止するようにしたのですよね」 「ちょっと無視できない占い結果が出たんだ。貴様にはそれ以上は言えない」 「竜刻の強制停止もそうそうできることではないはずだ。その歪みが影響しているのだろう。それと確認するが、君は師匠を恨むか? ……そうか。なら後は君次第だ」 アイェッタの暁号が大きくふらつく。浮力が足りないのだろうか。その上甲板に、傷だらけのイフリート・ムラサメが降ってきた。推進剤を使い切っての乱暴な着艦に足下の木材がバキバキ折れる。ムラサメの全ての工作は曙号によって自身が撃退されることでが完了する。 飛行能力が失われたことを確認したからか、甲板の上に歩兵が次々と出てきた。ようやく、彼らの出番というわけだ。 徐々に高度を下げていくアイェッタの暁号の上でムラサメの最後の奮闘が始まった。 追い詰められていくムラサメ 「ありゃりゃ、ムラサメはこのままで大丈夫かい。やられるフリをするにしても、どうやって逃げるつもりだい」 ファーヴニールは護衛官の舷窓から、落ちていくアイェッタの暁号を見下ろしている。横を見ればちょうど欄干の方では、先ほどのエルフ高位魔導師が柵から乗り出さんばかりにしている。やはり自分の仕掛けたことの顛末は気になるのだろうか。ファーヴニールは彼のところまで行って 「ふふっ、どうも。先程の美少女です。今後も竜刻を扱う度こんな工作を続けるのも無理があるでしょ。ちょいと失礼しますよ。」 よっこいしょと、ファーヴニールは柵をまたぐをアイェッタの暁号をめがけて飛び降りた。風にまかれてウィッグが飛んでいく。そして、ブレザーを突き破り竜の羽を伸ばす。 ファーヴニールはちょうどムラサメを追い詰めた兵の上に飛び降り、信じがたい怪力を発揮しムラサメを担ぐと森の木々の中に飛び去っていった。 歩兵達が追いかけようとしたその直後、アイェッタの暁号が衝撃で軋んだ。 ついに大地に到達したのだ。 こうしてアイェッタの暁号の処女航海は、山の麓に墜落することで終了した。けが人は多数出たものの、暴走を押さえつつの絶妙の制御で重傷者は出ていない。これは、ロウが上昇気流を起こし、陸がPKで支えることによって着地の衝撃を限界まで軽減したことが大きい。 その竜刻の管制室では魔導師達が折り重なるように倒れ伏していた。睡眠ガスで倒れた者多数と精も根も尽き果てて倒れた一人。奇妙なことには、天井には豪華なくす玉が仕掛けられており、アイェッタ市に対する祝福の言葉が大きく大きく記されていた。 そして、空になった制御魔方陣。アイェッタの暁号の竜刻がいずこへ渡ったのかは誰も知らない。 墜落直後にロウが空間を歪め三人の姿を隠し、竜刻石をつかんで逃走したからだ。 危機が去ったことを反芻するエルフ大使の耳に、細谷が去り際に残した言葉が反響する。 「計略を隠そうとも火種は残る。ひとまずは我々の計画通りに収まりそうですが、火種であるアイェッタ市の独立を認められた方が聖メープル王国にとっても損害が少ないのでは? 無論、同時に不可侵条約なり同盟なりを結ぶ必要もございますが。 そう、我々はヴォロスの真の平和について憂慮している組織。アイェッタ市、聖メープル王国、いずれの側でもございません。事を円滑に治める為の助言でございます。誤解なきよう」
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