それはある日のターミナル。 恋人同士であるニコ・ライニオとユリアナ・エイジェルステットは腕を組んで歩いていた。近場でのデートというやつである。二人の間にはあまーい雰囲気が出来上がっており、その間には誰も入り込めないと思われていた。 だが。「パパ!」 可愛い少女の声が聞こえたかと思うと、ニコの身体にどんっと衝撃が走った。咄嗟に飛びついてきた「それ」を抱きとめて。「パパ!?」 驚きの声を上げるも隣にいるユリアナの目は……なんだか冷たい。いつの間にか組んでいた腕を解き、一歩ニコから離れている。「……ニコさま?」「いや、ちょっ、ユリアナちゃん!? 何か誤解してる!?」 慌てて弁解しようとするニコ。彼に飛びついたままの少女は赤毛を揺らして笑顔を振りまいた。「だってメアリと赤毛でお揃い♪ だからパパ!」 少女の名はメアリベル。確かにニコと同じ赤毛が可愛らしい。楽しげな彼女はユリアナの視線が鋭くなってニコに突き刺さるのを気づいているのかいないのか、明るい声で続けた。「ミスタ・ライニオがパパで、ミス・エイジェルステットがママね! なんて素敵な家族!」「……ママ?」 ああどうやってユリアナちゃんをなだめようか、頭を抱えそうになったニコはユリアナの様子が変化していることに気がついた。目を丸くして、そして不思議そうだがどこか嬉しそうで。(そうだ、ユリアナちゃんは――) いつか、養子でもいいからニコとの子供を持ちたい――そんなことを口にしていた。ニコはいいことをひらめいたとばかりにウィンクしながら告げる。「分かった! じゃあさ、今日一日、家族ってことにしようよ。僕がパパでユリアナちゃんがママでメアリベルちゃんは娘で」「パパ、メアリお出かけしたい!」「よーし、そうしよっか!」 ねっ、とニコはユリアナに笑いかける。「家族……ですか?」 蒼い瞳をまん丸くして口元に手を当ててたユリアなは絞りだすように呟いた。「だめ、かな……?」 銀の瞳を揺らしてユリアナを見つめるニコ。下から灰色の瞳でユリアナを見上げるメアリベル。その二人の仕草が似て見えて、親子というのもうなづけるかもしれないとユリアナは思った。 家族と言われた時に心の中にわいたのは温かい気持ちで。だからユリアナはしゃがみこんでメアリベルと視線の高さを合わせた。「メアリベル様、わたしのことを『ママ』と呼んでくださいますか……?」 少し不安の混じったような声で告げられたから、メアリベルはその不安を払拭するように明るく笑んで。「じゃあ、ママも『メアリベル様』じゃなくて『メアリ』って呼んでくれる?」「……! はい、メアリ」 ユリアナがほんとうに嬉しそうに笑うものだから、ニコはほっと胸をなでおろして。「じゃあ、早速家族三人ででかけよう!」 こうして一日限定の家族となった3人は、壱番世界で休日を過ごすことになったのだった。 *-*-* 三人が訪れたのは壱番世界の神奈川県藤沢市。江ノ電に乗って辿り着いたのは新江ノ島水族館だ。 8000匹のマイワシの群泳が見られる巨大水槽やイルカやアシカのショー、ペンギンのパフォーマンスなどもあり、イルカと握手も楽しめるという。 今の時期はクラゲの水槽がスノードームのように装飾されており、とても幻想的な光景が見られるらしい。入り口のお祭り広場には高さ7mのアクア・ツリーが設置されており、夕方からのライトアップで人々の目を楽しませる。 輝くグラスの中をミズクラゲが泳ぐクラゲのグラスツリーは極上の癒しの空間へと導いてくれるだろう。 館内の飲食店には水族館の仲間たちをモチーフにした料理も用意されており、食べるのがもったいなく感じるかもしれない。 もちろんおみやげショップも充実しており、海の仲間達のクッズから食べ物まで盛り沢山だ。目移りしてしまうかもしれない。 さて、どうやって楽しもうか?=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ニコ・ライニオ(cxzh6304)メアリベル(ctbv7210)ユリアナ・エイジェルステット(cewc4615)=========
ロストレイルから降りて、江ノ電にがたごと揺られて。江ノ島駅で下車して手をつないで歩くこと10分少々。入り口の広場にそびえ立つリスマスツリーに迎えられた三人。 「パパ、ママ、早く早く!」 「メアリ、走ると危ないわっ」 手を離れて入口に向かって走りだしたメアリベルを追いかけるユリアナ・エイジェルステット。 「二人共、そこで待っててね」 ニコ・ライニオはそんな二人を微笑ましく見つめて、チケット売り場へと小走りで行く。大人二枚と小人一枚、そう告げるのがなんだかこそばゆい。 三枚のチケットを握りしめて二人の元へ向かうニコ。メアリベルが手を振っている。その横で微笑んでいるユリアナ。まるで、いつかの未来の肖像のようだ。 「何から見ましょうか?」 「メアリはお魚さんもペンギンさんもアシカさんも見たい!」 「僕は泳ぐの苦手だしさ、海の中がどうなってるかってあんまりよく知らないんだよね。だから、大きな水槽で魚たちが泳いでるとこが見たいかな?」 ユリアナは二人の答えにパンフレットをめくり、案内板を見て微笑む。 「アシカショーにはまだ時間がありますし、ペンギン・アザラシゾーンを目指しながら魚の展示を見てまいりましょう。薄暗いですから、足元に気をつけて……」 こちらですよ、そう言ってメアリベルの手を引いてニコを導くユリアナもとても嬉しそうにしている。 「わぁっ……」 たくさん並んでいる小さめの魚や海の生き物の展示された水槽の前をゆっくりと通り抜けた三人を出迎えたのは、大きな大きな水槽だった。 相模の海ゾーンにある相模湾大水槽は見上げるほどに大きく、自然の海の生態系をなるべくそのままに観察できるようにと心配りがされていて、まるで本当に海の中に入ってしまったような錯覚に陥った。 「パパ、ママ、まるで海の中にいるみたいよ! ちっとも息苦しくないのに!」 興奮気味のメアリベルはくるりくるりとスカートを揺らしながら回り、ぺたり、水槽に手をついた。すいすいとメアリベルの眼前を泳ぐ魚たち。 「お魚さんがいっぱい! 綺麗ね」 はしゃぐメアリベルを微笑ましげに眺めながら、そっと後ろから近づくニコとユリアナ。自然、寄り添って、伸びた指先を絡め合う。メアリベルの背後に、彼女を護るように立って同じように水槽を見上げる二人。それはどこから見ても幸せな親子連れの姿だ。 「あれ?」 と、突然魚の動きが変わった。瞬く間に三人の前から魚の姿が消えていく。その様子はまるで避けられているかのよう。 ニコとユリアナは不思議そうに水槽の上方や左右に散った魚達を目で追っていた。ニコの側に近寄りたそうな様子も見て取れるが、これは一体……その原因は次の瞬間に明らかになった。 「どの子が一番美味しいのかしら」 それは、両手を水槽にあてて見入っているメアリベルから発せられた言葉だった。誰もが言う冗談にも聞こえるその言葉だが、水を映したメアリベルの瞳を見ていると、なんだか冗談に聞こえない。魚たちもメアリベルから発せられる雰囲気に本能で気がついたのだろう。 「メ、メアリ……?」 「やだ、パパ。冗談よ?」 心配そうに覗きこんだニコの顔を見上げて、メアリベルはぱぁっと笑顔を浮かべてみせる。それを見てユリアナも胸に手を当ててほっと息をついた。 「メアリ、良く見えなかったら抱っこしてあげようか?」 「パパ、お願い!」 今日は親子だから特別な呼び方で。両手を差し出して抱っこをせがむメアリベルが可愛らしくて、ニコも表情を崩した。彼女にそっと手を伸ばし、曲げた片腕に座らせるように抱く。 「ほら、これでよく見えるかい?」 「ニコさま!」 抱き上げたメアリベルと視線を合わせたニコの腕をユリアナが引いた。振り向いたニコが見たのはユリアナの横顔。 「パパ!」 今度はメアリベルがニコを呼ぶ。慌てて見ると、メアリベルも水槽を見つめているではないか。 「ん? なん……」 二人が見ているのは水槽だ。ニコはゆっくりと視線を向けて――そして視界に入ってきた光景に驚嘆した。 魚たちが、まるでニコを見つめるように、ニコを求めるようにニコの前にたくさん集まってきているのだ。 「……え?」 「パパ、お魚にもモテモテね!」 きゃっきゃっとメアリベルが笑う。「ねえあれすごーい」「ママ、見て見てー!」そんな声が後方からも聞こえてきて、人の駆け寄ってくる足音が聞こえた。騒ぎを聞きつけてかどんどん人が集まってくる。 「これも『竜の加護』でしょうか?」 「うーん、どうだろうねぇ」 ユリアナがくすくすと笑ってくれたからもうなんでも良くなって、ニコも不思議と笑顔になった。 * マイワシがうねり泳ぐ圧巻の光景を見たあとにゆっくりと向かったのはクラゲを展示しているホール。円形の水槽はスノーボールを模していて、雪が舞っているようなさまはとても幻想的だ。薄暗い室内に煌めくグラスツリーがとてもロマンティックで、クリスマスが近いということを実感させてくれた。 「水族館でもクリスマスの飾りつけはするんだね。いいタイミングで来れてよかった!」 「そうですね、入り口のツリーも綺麗でしたし」 カップルの客が目につくのは時節柄だろうか。 (ニコさまと二人きりも勿論ステキですが、こうして家族三人というのも……今日だけは家族、ですものね) 世界で一番大きなクラゲの一つと言われるシーネットルを指さしながらニコとメアリベルの間でかわされている会話を耳にする。しゃがんでメアリベルと視線の高さを合わせながら話を聞くニコの姿を見ていると、将来いいパパになってくれそうだなんて思ってしまい、暗闇でユリアナは耳を赤く染めた。 家族との縁が途切れてしまっているのはユリアナだけではない。ニコも、繋がった縁との別れを繰り返して生きてきた。だから互いに誰よりも、今結ばれている縁を大事にしたいはずだった。 今日は擬似家族だけれど、まるでこれはいつかの未来を見ているようで、胸が、暖かくなる。 「ママ! 次はこっちよ、こっち!」 ニコと繋いでいない方の手を思い切り振って、メアリベルはユリアナを招く。 ああ、この場にいていいのだ、今日は自分も『家族』の一員なのだ、その思いがユリアナの足取りを軽くした。 * 「……え、サメとかにも触れるの?」 タッチプールではサメをはじめとしてタコやヤドカリなどにも触れることが出来る。だが説明書きを読んだニコはサメの存在にちょっと腰が引けている。 「パパは触らないの?」 「ニコさま、怖いのでしたら私が……」 無邪気な瞳を向ける娘・メアリベル。心配そうに、もしもの場合は自分が代わりにと告げる妻・ユリアナ。この二人の前で情けない姿を晒せるだろうか? (触っても大丈夫なのかなー。でも今日はパパだからね……頑張る所も見せないといけないかな?) よし、と小さく呟いて気合を入れる。辺りを見渡してみれば、低く作られたプールの回りでは小さい子達が平然と手を伸ばしているでないか。中にはメアリベルよりも小さな子どももいて、さすがに負けてはいられないと思うニコだった。 「よし、メアリ、行こう」 まるで戦地へでも赴くかのように気合を入れて、ニコは一歩一歩踏み出す。 「パパ、早く早く!」 メアリベルは空いているプールへとニコの手を引き、ユリアナは苦笑しながらその後をついていく。 「よ、よし、触るよ!」 誰にともなく断って、ニコは恐る恐るプールの中へと手を伸ばす。その左右ではメアリベルとユリアナが固唾を呑んで見守っていた。 ざらっ……。 「っ……!?」 触れた指先にザラッとした感触。反射的に手を引きたくなるのをぐっとこらえて再び触れて。噛み付かれないか心配ながらも父親としては泣き言を言うわけにはいかない。若干引きつった笑顔で口を開く。 「お、思ったよりざらざらだねー。少しだけびっくりしたけど、触ってみれば結構平気、かも……」 「ザラザラの肌のことを鮫肌といいますからね。皮ふが小さくとがった独特なウロコでおおわれているかららしいですよ」 そばにある説明書きを読んだユリアナがニコに視線を向けて柔らかく笑う。 「頑張りましたね」 メアリベルに聞こえないように発せられた囁くような声がニコの耳朶をくすぐった。 「じゃあメアリは両手!」 「え?」 「あっ……!」 バシャンッ!! 二人が止める間もなく、腕まくりをしたメアリベルは無邪気に両手をタッチプールに突っ込んで、臆する様子もなく海の生き物達との接触を楽しみ始めた。 「メアリ、あまりいじめないように。あと他の人に水がかかって迷惑にならないようにね」 いざというときは抱き上げよう、ニコは側でしっかりとメアリベルの様子をうかがい、ユリアナは慌てて手提げからタオルを取り出していた。 * カシャリ。 ペンギンと握手するメアリベルの姿を刻んだのは、ユリアナが売店で購入してきたインスタントカメラ。 「ニコさまも入ってください、記念ですから」 その言葉にニコもメアリベルの側でピース。 「ユリアナちゃんも入ったら? 記念だし」 「私は撮影側でいいんですよ」 同じ言葉を返して撮影を代わろうとしたニコに、ユリアナは首を振って。折角だし、でも、ほら早く、だって……そんなやりとりを回りの客達が微笑ましげに見守っていることに二人は気がついていない。 「仲いいご両親ね」 側にいた係の人が、小さくため息をついたメアリベルに声を掛けてきたものだから、メアリベルは胸を張って答える。 「そうなの! いつも仲が良すぎて困っちゃうのよ。でも、メアリの自慢のパパとママよ!」 そう言って張った胸が暖かくなるのをメアリは感じて不思議な気分になった。 メアリベルはマザーグースの落とし子。本当はパパもママもいない。メアリベルの前のメアリベルにはいたのかもしれない、けれども忘れてしまった。 (でもミス・ユリアナみたいに優しくてキレイなママと、ミスタ・ニコみたいに優しくてかっこいいパパだったら嬉しい) だからきっと、嬉しいからきっと、胸が弾むのだ。 「あの、よろしければシャッター押しますよ?」 遠慮がちに係の人がニコとユリアナに声をかけているのを見て、メアリベルは二人の間に割って入る。 「折角だから、三人一緒に写ろう!」 ペンギンとともに写った三人は、どこから見ても仲の良い『家族』に見えた。 * イルカ・アシカショーの席取りはどこの水族館でも熾烈だ。後ろのほうで立って見れれば十分というならばショーの開演時刻間際に来てもなんとか場所は取れるだろう。だが一番前の席や見やすい席を取るならば、かなり前から場所取りをしておかなければならない。混みあう休日ならなおさら。 だが、長時間ただ座って待つということは子どもにとって苦痛でしかない。そこで家族連れ達は代わりばんこに席取りをしたり、おやつを食べながら時間を待ったりするのである。 この時期、屋外にあるイルカショースタジアムで長時間待つのは寒さも手伝って少々過酷である。暖かかった館内から出ると、海風が体温を奪ってゆく。ユリアナは自分のコートを着るのは後回しにして、急いでメアリベルに上着を着せてあげた。その様子を見たニコは、自然と笑顔が浮かぶのを感じた。 「なにか飲み物と食べ物……暖かいものでも買っていくよ。先に座って待ってて」 「やったー! パパのおごりね!」 「……え、僕の奢り?」 やったー、と両手を合わせるメアリベルとユリアナ。仕方ないなぁ、今日限定だけど二人はこの世で一番身近な女性。娘と妻が喜ぶならば、ニコは「暖かくしててね」と言いおいて近くの飲食コーナーへと入る。 (カメロンパン、クラゲファンタジーソーダとかが気になるなあ。色んな趣向が凝らされていて面白い) イルカの形をしたイルカまんやアザラシの顔をしたアザラシまん、イルカまんは肉まんでアザラシまんはさつまいもあんらしい。ほくほくのそれをひとつずつとカメロンパンを2種類、チュリトスを頼む。飲み物はクラゲファンタジーソーダとホットのココアとロイヤルミルクティー。 「パパ! こっちよ!」 両手をいっぱいにしてスタジアムへ戻ると、二人は真ん中の最前列をキープして待っていた。ニコに気づいたメアリベルが手を振り、ユリアナが微笑む。 「わぁ、たくさん!」 「……おいくらでしたか?」 二人のそばに到着すると、さっそくメアリベルはどれがいいかなと品定めをしている。どれをたべてもいいの? との言葉に頷きながら、こっそり囁かれたユリアナの言葉にあはは、と乾いた笑いを漏らすニコ。懐具合を心配してくれているのはありがたいのだが。 「ユリアナちゃん……大丈夫だよ、ここは僕に父親としての威厳を保たせて……」 元気な飼育員のお姉さんの司会でショーが始まった。メアリベルはニコとユリアナの間に挟まれるようにしてちょこんとお行儀く座ってる。メアリベルを寒さから護るために二人がくっつくように座ってくれたから、とても暖かい。 「すごいすごい!!」 玉乗りをしたり輪投げをキャッチしたりする曲芸上手なイルカやアシカたちの動きにメアリベルはキラキラ瞳を輝かせて拍手をしている。その隣のユリアナも楽しそうにショーを見つめていた。 連れてきてよかった、二人の様子を見てそう思い、ニコが口元に笑みを浮かべたその時。 バシャーンッ!! 「「きゃーっ!!」」 思い切り飛び込んだイルカたちの跳ね上げた水が、最前列の三人を襲ったのだ。 「ちょ、だ、だいじょうぶ!?」 確かに水が跳ねる恐れがありますと事前に注意はされていたけれど。 「水がかかったわ。メアリもママもびしょ濡れよ」 「び、びっくりしました……。ああ、でもメアリはコートをしっかり着込んでいたから、コートを拭き取るだけで何とかなりそうです」 係員が慌てて持ってきてくれたタオルでメアリベルを拭いているユリアナ。 「ユリアナちゃんだってびしょびしょだ……!?」 受け取ったタオルでユリアナの頭を拭こうとしたニコが固まる。目ざとくそれに気がついたメアリベルは、無邪気に口を開いた。 「どうしたのパパ。ママの服が透け透けで照れちゃった?」 「!!」 メアリベルの揶揄するような言葉に慌ててユリアナは自分の胸元を確認する。コートの前を締めていなかったせいでブラウスの胸元が水に透けていた。 「み、見てないよっ!」 慌ててタオルを押し付けるニコとタオルを抱いて胸元を隠すユリアナ。くすくすくす、恋人同士なのにどこか初々しい二人がなんだかおかしくて、メアリベルは心から笑った。 * 水族館を出て、近くの野原で水平線に日の暮れていく様子を見つめる。 「泳げたら気持ちいいのかなって思わなくもないけど、僕はやっぱり空を飛んでる方が性に合ってるかも。見るのは楽しかったけどね」 何気ない会話がふと途切れる。三人ともわかっている。もうすぐこの時間が終わること。 「今日は、ありがとうございます。思いがけず……とても、とても楽しかったです」 「うん。僕も『家族で』過ごすなんてなかなかできるものじゃなかったから、今日はとても楽しかったよ。メアリベルちゃんと、ユリアナちゃんには大感謝」 「メアリも、今日は楽しかったわ!」 腰を掛けている二人の頬に、ひとつずつキスを落とすメアリベル。 「二人は子どもをほしがっているんでしょ? いいとおもうわ、とっても。家族が増えるのはとても素敵なことだもの」 「メアリ……」 「マザーグースの子守歌を教えてあげる。いつか赤ちゃんが産まれたら、揺り籠で寝てるその子に唄ってあげて。その子はメアリの弟か妹ね。きっと可愛いはずよ!」 立ち上がったメアリベルはくるくると回りながら紡ぐ。 「マザーグースは巡る命と一緒に永遠に歌い継がれて、新しい世代の子供の希望になるの」 そのまま二人から少し離れ、メアリベルは歌を紡ぎながら花を詰んでいる。 「ねえ、ユリアナちゃん」 ニコはそれを確認し、ユリアナを見つめて口を開いた。視線をニコに固定したユリアナは、怯えるような瞳で続きを待っている。 「僕も、ユリアナちゃんと一緒に永い時間を生きて行きたい。ほら、僕って淋しがり屋だからさ」 おどけるように口にしたそれは、いつかスウェーデンで話したことへの答え。 「だからしばらくこのまま二人でロストナンバーでいよう」 それはニコが悩んで導き出した答え。 「けど、いつか旅が終わる時が来たら――、その時もきっと、今日みたいに幸せな家庭を築いて。僕たちなら、きっとできるって思うんだ」 「ニコさま……」 小さく頷いて胸に飛び込んできたユリアナをニコは抱きしめる。この温もりを失いたくはない。 そんな二人の頭にふわり、降りてきたのはシロツメクサの花冠。いつの間にか側にはメアリベルが立っていた。 「これ、メアリから結婚する二人への贈り物。結婚式にはメアリとミスタ・ハンプも呼んでね、約束よ」 「うん、約束」 「もし赤ちゃんが産まれたらメアリに子守りをさせてね。大丈夫、いじめたりしないわ。手斧も隠すから」 未来を示す温かな約束にユリアナの涙がとめどなく流れ落ちる。 「その子にメアリの生まれた意味を、沢山のマザーグースを教えてあげるの」 二人を祝福するのは互いだけではない。それだけでこんなにも嬉しくなるのか――約束、約束。 沈みゆく夕日はあの日と同じように輝いていた。 【了】
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