二人が出会ったのは、司書室棟へ向かう廊下だった。知らぬ関係ではないジューンと吉備 サクラは軽く挨拶を交わし合い、「こんにちは、どちらまで?」なんて軽く言った所、二人とも行き先が同じだったことが判明したのである。 「そうですよね、たまにはエーリヒを連れて!」 「はい。緋穂様の許可をいただくついでに、子どもでもこなせるような依頼がないかお尋ねしようかと思いまして」 「私も気になっていたんです。だから緋穂さんのところに」 通行人の邪魔にならないよう廊下の隅によけて二人はヒソヒソと言葉を交わし合う。目的が同じなば話が早い。だが。 「大人二人に子供一人では萎縮してしまうかもしれません。菖蒲さんも一緒にお誘いしてはどうでしょう?」 「いいですね! でも菖蒲ちゃん、子供扱いされて怒らないでしょうか?」 エーリヒは5歳で紛れもなく子どもだが、菖蒲は12歳。微妙なお年ごろである。 「そうですね……菖蒲さんを特に子供扱いしなければ大丈夫でしょう」 「わかりました! じゃあ、早速!」 意気投合した二人は、迷うことなく紫上緋穂の司書室へと向かったのである。 *-*-* 「菖蒲さん、お久しぶりです。一緒にモフトピアにお祭り見学に行きませんか」 菖蒲の住むアパートを訪ねたジューンが優しく告げると、菖蒲は小さく首を傾げる。 「お祭り見学?」 「そうです。ちょうどモフトピアの猫アニモフの島でお祭りが行われているそうですよ」 「お祭り、楽しそうね!」 菖蒲の見せた明るい表情を承諾と取って、ジューンは微笑む。そして冒険旅行に出かけるべく荷物をまとめるよう指示を出した。 「荷物はそんなにないの。だからすぐよ!」 言った通りものの数分で菖蒲は小さな手提げに荷物をまとめ、靴を履いた。 「では、駅へ向かう前にもう一箇所寄り道してもいいですか?」 ジューンの言葉に菖蒲は首を傾げたが、否とは言わなかった。 * 「今日は緋穂様に許可をいただいて、エーリヒさんとモフトピアに行きたいと思いまして、お誘いに参りました」 二人が訪れたのはとある一軒家。呼び鈴を鳴らすとダダダダダッと小さな足音が聞こえて、カチャリ、中から扉が開けられた。 「ジューンおねえちゃん!」 中から飛び出してきたのは背中に翅を持った少年、エーリヒである。緋穂から聞いていたのか、既に荷物をまとめて待っていたようだ。 「エーリヒさん、こちらは菖蒲さんです。菖蒲さん、こちらはエーリヒさんです。あと、サクラ様が駅で待っていらっしゃいます」 「エーリヒ君? よろしくね」 「うん、よろしく!」 二人が挨拶を交わすのを見て、ジューンはそっと目を細める。そして。 「それでは早速行きましょう」 エーリヒの手を引き菖蒲を促す。足取り軽やかに、三人は駅へと無かった。 *-*-* モフトピアの浮島へロストレイルが降り立つ。モフトピアが見えてきてからずっと窓にかじりついていたエーリヒと菖蒲を優しく見守りながら、ジューンとサクラは下車の準備をした。 「ふたりとも、降りましょう」 「「はーい」」 サクラの声掛けでふたりは窓から離れて。先導するジューンについて降車口に向かう。すると。 「わーい、たびびとさんだー!」 「たびびとさんー、おまつりやってるよー」 小さなアニモフ達がロストレイルの側に集まっていた。どうやら列車から旅人が降りてくるのを今か今かと待っていたようである。 「みんな歓迎してくれてますね!」 「すごい、この子達がアニモフなのね!」 サクラが振り返ると、モフトピア初体験の菖蒲は口元に手を当てて驚いたようにアニモフ達を見つめている。 「よろしくね、アニモフさん!」 以前モフトピアを訪れたことのあるエーリヒはジューンの横を素早くすり抜けて、いち早く列車から降り立った。その後をジューンが追う。 「今日はお祭りの見学に来ました。よろしくお願い致します」 「わーい、たびびとさんとおまつりだー」 「おまつりだー」 「こっちだよー、こっちー」 猫アニモフたちに手をひかれて、浮島を歩いていく。大地はフワフワしているけれどしっかりとしていて見た目以上の重さのあるジューンでもしっかりと受け止めてくれた。 案内された会場にはたくさんの猫アニモフたちが集まっており、きゃあきゃあと楽しそうな声が聞こえる。今にもその中に混ざりたそうなエーリヒと菖蒲をよそに、サクラがすぱっと飛び出した。 「ちょっと様子を見てきますねー!」 「サクラさ……」 ジューンが声をかけ終わる前に、サクラの姿はアニモフに紛れて見えなくなってしまった。これには子供二人もびっくりしたようで。 「では私たちは、あの辺で少し休ませてもらいながらどこから回るか作戦を立てましょうか」 気を取りなおしたように優しく言うジューンに連れられて、子供二人は『きゅうけいじょ~どなたでもごじゆうにどうぞ』と書かれた場所目指して歩む。自然、菖蒲がエーリヒの手をとっているのを見て、ジューンは微笑んだ。 休憩所の椅子は木の切り株でできているようで。その切り株はバームクーヘンによく似ていた。茶色だったり白だったりピンクだったり、様々な色の切り株のなか、お目当ての色を見つけて子供二人が腰を落ち着ける。ジューンはそのそばにそっと腰を下ろした。 「今日は蓮跳びとスライダーがあるようです」 「それはどんな遊び?」 アニモフ達の話に耳を傾けて得た情報を口にすれば、子どもたちはワクワクを閉じ込めた瞳でジューンを見つめる。 「あの蓮の葉の上をどこまで跳んで遠くに行けるか、スライダーでどこまで遠くに飛べるか競うようですよ?」 「楽しそう!」 「一番になったらお菓子いっぱいもらえるかな?」 「一番でなくても、参加賞をもらえるようですね」 子どもでなくても甘いお菓子は魅力である。ジューンがふたりの声に頷いたその時。 「お待たせしましたっ!」 サクラが人混み……いや、アニモフ混みを抜けて休憩所へと駆け寄ってきた。そんな彼女の両手には、カラフルな輪っかがたくさん握られていた。指輪のようなサイズから腕輪のようなサイズ、そして顔が入りそうなサイズまで。大きさも様々なら色も様々。持った感じはそんな重くなくて……これはなんだろう? 「2人ともちょっとこれ齧ってみませんか? 大丈夫、ミントがないのはさっき確かめました。美味しいですよ!」 美味しいと言われたら心が動かないはずはなく。エーリヒはピンク色、菖蒲は黄色の輪っかを手にとって恐る恐るかじりつく。 シャリッ。 小気味いい音を立てた輪っかは硬くもなく、みずみずしくて。まるで果物をかじっているようだった。汁は喉の渇きを潤してくれて、上品な甘さは疲れを癒してくれる。 「ぼくのは苺味だ!」 「私のはレモン味ね」 「腹が減っては戦はできぬっていいますから。これを食べたら行きましょう?」 嬉しそうに輪っかを口に含みながら、ふたりは頷く。サクラも一つ水色の小さな輪っかを手にとって、口の中に放り込んだ。 *-*-* 「行ってらっしゃい、エーリヒさん、菖蒲さん」 「ジューンさんはいかないの?」 蓮跳びの受付口でジューンは二人を送り出そうとした。すると菖蒲が少し心細そうに口を開く。ジューンは困ったような表情を作って菖蒲を見つめた。 「私は重すぎますので、応援を」 ああ、そういえば先だって夢浮橋へ行った時にも同じようなことがあった。菖蒲は思い出して頷く。ここで駄々をこねるほど菖蒲は子どもではない。 「頑張って下さい、2人とも」 ジューンが優しく応援してくれるから、二人は頷き合って。すると隣に立っていたサクラが荷物を全部ジューンへと預け始めた。子供二人はきょとんとしてその様子を眺めて。 「せっかくのお祭りです、私もエーリヒや菖蒲ちゃんと一緒に参加します」 「負けないよ!」 「私も!」 エーリヒが拳を握りしめて言うものだから、菖蒲もそれを真似して。 「勿論です。行きましょう!」 サクラに背を押されるようにしてエーリヒと菖蒲は駆けていく。その後姿を荷物持ちとなったジューンは、優しい瞳で見つめていた。 * 小さなアニモフたちと一緒にまず最初に位置についたのはエーリヒだった。 よーい、どんっ。 しゃぼんの弾ける合図で一斉に走りだす子どもたち。初挑戦のエーリヒは最初、上手くリズムが作れなくてまごまごしていた。だが。 「エーリヒさん、バランスを取ってがんばってください」 ジューンの応援で元気が出たのか、エーリヒは翅で重心をとり始めた。翅で飛んでは意味が無いので、体勢が崩れそうになった時にバランスを取るに留める。猫アニモフたちほどの素早さはないが、軽やかさなら負けてはいない。ひらりひらりとまるで飛んでいるような足取りで、蓮を跳んでいく。 と、隣の蓮を跳んでいたアニモフが足を滑らせた。飛んできた水しぶきは仄かに甘い。 「エーリヒ、そのまま真っすぐ――」 スタート地点から声を上げたサクラが思わず口をつぐんだ。菖蒲も驚いたように彼を見ている。 「手、掴まって!」 「でも、たびびとさんが遅れちゃうの~どうせぼくはしっかくなんだから、はやくいくの~」 「近くでおっこちた相手がいるのに、見逃せないよ」 蓮の浮かんでいる甘い水の池はそんなに深くはない。溺れそうになったら近くに控えていた大人のアニモフが助けることになっていた。それでもエーリヒは落ちたアニモフを見捨てられなかったのである。 ざばり、水を滴らせて猫アニモフは蓮へと上がった。ぶるぶると身体を震わせて水をきる。 「もう大丈夫だから、たびびとさんは急ぐのー。ありがとうー」 「うん、無事でよかった!」 エーリヒは笑んで隣の蓮へとジャンプ。跳んだ距離を競うなら遅れても問題ない。どこからか湧いた拍手に後押されて、エーリヒは慎重に飛び続けた。 * サクラと菖蒲は同じレースだった。 しゃぼんの合図とともに蓮に飛び移るが、バランスを取るのが結構難しい。 「はわわっ!?」 上体を起こしたままのサクラはぐらぐらと揺れる蓮の上でバランスが取れない。反対に菖蒲はうまく腰を落として前かがみになり、バランスを取ろうとしていた。 「サクラさん、重心を下げないとっ……」 「菖蒲ちゃん、どうしました?」 「私よりもサクラさんがっ……」 菖蒲の声にバッと視線を移したサクラ。ぐらぁりと大きく身体が揺れる。 「えっ? あ、え、おおっ!?」 なんとかバランスを取ろうとするサクラだったが、動けば動くほどバランスは崩れて――。 「きゃー!!」 そのまま仰向けにばしゃーんと落ちる。池に大きな波が発生して、他の蓮も揺らした。既に遠くまで行ってしまったアニモフ達は良かったが、スタート付近でワタワタしていた菖蒲のところにも大きな揺れが押し寄せて。 「ちょっと、まって……えっ!?」 なんとかバランスを保とうとする菖蒲。そんな彼女に声援が飛ぶが――結局。 ばっしゃーんっ! 大きなしぶきを観客席まで飛ばして、菖蒲も落水してしまった。観客たちは水を掛けられても気にしないようで、毛づくろいしながら甘い水を舐めとっている。 「菖蒲ちゃん、ごめんなさい!」 「あははっ、ううん、いいの、楽しかったからっ! 思っていたよりも粘ったと思うのよ、私」 サクラが申し訳なさそうに駆け寄ると、菖蒲はとても明るく笑って。とても楽しかったのか、笑いが抑えきれない様子だ。 彼女は保護されてから、こんなに笑ったことはあるのだろうか。 もしこれが初めてだとしたら、連れてきてよかったと思わざるを得なくて。サクラのおもてにも笑みが浮かぶ。 「ふたりとも、上がったらシャワーを浴びましょう。そのままではベタベタしてしまいますよ」 岸辺から掛けられたジューンの声に返事を返す。 「いきましょう、菖蒲ちゃん」 手を繋いで岸辺に寄り、そして上がる間も笑顔が途絶えることはなかった。 *-*-* サクラと菖蒲が甘い水を落とすべく、茎を使ったシャワーを借りて洋服も洗っている間、エーリヒはスライダーにチャレンジしていた。 服が乾く間、パステルカラーをした綿のように柔らかいタオルに包まって、サクラと菖蒲はスライダーを見ることにした。 「結構高いところから飛ぶんですねー」 「エーリヒならきっと大丈夫だと思うわ。だって飛べるなら高い所平気でしょ?」 スライダーのジャンプ台は砂糖でできた大きなもので、傾斜もしっかりつけられていた。そこを滑って勢いをつけて、どこまで飛べるか競うらしい。着陸する場所には怪我をしないように、ふわふわの綿飴が敷き詰められている。 「そうですね。私だったら叫んじゃうかもしれませんけど」 「……私も」 二人は顔を見合わせてどこからともなく笑いあう。タオルに包まって肩を寄せあって、エーリヒの活躍を見よう。 ジャンプ台の上にはジューンが付き添って行った。手をしっかり繋いで離れ離れにならないようにして。 「エーリヒさん、このスライダーは遠くへ飛んだほうが勝ちだそうです。勝ちたいですか?」 「うーん……」 ジューンの問に首を傾げたエーリヒは少しばかり考えて。 「ぼくは楽しければいいかなって思うよ」 「そうですか。そうですね」 勝ち負けより楽しさを重視する、それは悪いことではない。けれどもエーリヒには闘争心というものが足りないようにも思えて。勝ち負けを意識した上で楽しめればよりよいのだが、とジーュンは思う。まだエーリヒには難しいだろうか。 「怖くありませんか?」 「前に似たようなのに挑戦した時は怖かったけど……今は大丈夫!」 ジャンプ台の上でソリにスタンバイしたエーリヒに問うと、力強い返事が返ってきた。 「気をつけていってらっしゃいませ」 「うん!」 返事を聞いて、ジューンはそっとスタート位置から離れる。近づいたままではスタートの邪魔になるからだ。 「はじめるよぉ~」 間延びしたスターターの声の後にぱぁんっとしゃぼんの弾ける音。それが合図。 エーリヒは以前似たような競技で仲間がしていたように足でジャンプ台を蹴って勢いをつける。 「あ、あれエーリヒです!」 「本当だ! がんばれー!」 ジャンプ台を滑り降りてくる見覚えのある姿を見て、サクラと菖蒲は思わず立ち上がった。 その間にもソリはどんどんスピードを上げて、下っていく。 バッ! ジヤンプ台からソリが跳んだ。飛距離は長い。観客席から声が上がる。 ぼふんっ……無事に綿飴に着地したソリは今ま出に跳んだどのソリよりも長く跳んだように見えて。 周囲からも歓声が上がった。 *-*-* ジューンとエーリヒが戻ってきたのは、サクラと菖蒲が乾いた服に着替え終わった頃だった。ジューンに手をひかれたエーリヒは、なんだか少し膨れている。 「惜しかったけど、2位は凄いと思います!」 惜しくもエーリヒの記録は地元の猫アニモフに抜かれてしまい、彼は二位となってしまったのである。 「楽しめた?」 サクラと菖蒲の言葉にこくんと頷くエーリヒ。 ジューンだけが知っていた。記録を抜かされたと知った瞬間、エーリヒの中に芽生えた競争心に似たものを。 くやしい、と彼がポツリと零したのを。 それは彼の成長のように思えて、ジューンは彼の手をそっと包んだ。 楽しめればいいと思っていた彼が少しだけ成長した瞬間に立ち会えて、良かったと思いつつ。 「一位のお菓子、宝石箱みたいだったんだわ。だから、スライダーに出られなかったジューンおねえちゃんとサクラおねえちゃんと菖蒲おねえちゃんに上げたくて……」 ごめんね、とエーリヒが差し出したのは飴でできた花かごに惜しげも無くつめ込まれた、花形をしたたくさんのこんぺいとう。これだけでもとても綺麗なのだから、一位の宝石箱みたいなお菓子も気になるが。でも。 「エーリヒの気持ちだけで十分です」 「私たちのことを気遣ってくれてありがとう!」 そっと、順にサクラと菖蒲はエーリヒの頭を撫でる。 「エーリヒさんは人のことを思いやれるとてもいい子ですね」 ジューンに優しく言われ、エーリヒは我慢していた涙を浮かべて。そして、ジューンに抱きついた。 声こそ上げないが悔し涙を流していることは分かったので、ジューンは静かにその背を撫でた。 「またこよう?」 「ええ、また一緒に来ましょう」 楽しい時間はまた作れば良い。 きっと次はもっと、もっと楽しい時間を過ごせるはずだから。 【了】
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